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ノート:従属国/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

一番最初に冊封体制が出てきて、代表例として扱われるというのはかなり違和感があります。そもそも近代以後の属国とそれ以前とを一緒にすることが非常な誤解を生むと思うのですが。冊封の説明は冊封にまかせて一例として挙げるのにとどめるのが良いと思うのですが。それと冊封体制の説明が思いっきり間違ってます。らりた 2005年7月21日 (木) 07:28 (UTC)

徳川氏を織田氏の属国としている文章は何度も見ました(小説や雑誌ですが)。政治学上で属国と言わないにしても一般で言われる場合があることは否定出来ないと思います。あと、信託統治領は別に国じゃないのでこれも属国ではないと思います。--202.231.141.16 2006年5月30日 (火) 13:04 (UTC)

中国王朝を中心とした冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、宗主国-属国の関係とはいえない。

本当に緩い紐帯だけではないと思いますが? --Lulusuke 2006年6月19日 (月) 04:03 (UTC)

獨頭氏のrvは理由説明のないものです。清の属国は冊封国であるが、冊封国は必ずしも属国とは言えません。冊封体制の結びつきの強さは一概に緩やかとは言えず、その国や地域によって違います。本尊 2006年7月20日 (木) 12:41 (UTC)

>冊封体制の結びつきの強さは一概に緩やかとは言えず、その国や地域によって違います。
冊封体制の結びつきが一様でなかったことは確かですが、それを属国の記事に不明瞭な形で記述することは非常な誤解をもたらし、不適切であります。必要であるならば冊封の記事に記述するべきです。ただしその場合はノート:冊封に於いて議論をお願いします。らりた 2006年7月20日 (木) 12:51 (UTC)
「冊封国は必ずしも属国とは言えません」と言われますが、条約によって国際関係を決定したり、領土・領域を厳密に確定した現代の国家と冊封国は根本的に異なります。中国史家浜下武志氏は冊封体制下の宗主国-属国の関係について「空間的な範囲・限界は必ずしも明確でなかった」(『朝貢システムと近代アジア』)で述べています。すなわち冊封国≠属国なのは明らかです。「必ずしも」というと中には属国があったのかと思われかねません。本尊 さんの文章はその点で誤っています。また清と朝鮮の関係にしても、貢納は加重だったと言われますが、そのほとんどの清・朝関係史において中国側から統治官僚が派遣されたり、外交・内政が制限されたわけではありません。現代の属国からいうと緩やかな関係と言って問題ないと思います。ましてや大半の冊封国は一層自由です。--獨頭 2006年7月20日 (木) 12:59 (UTC)

まずらりた氏のrv.行動は矛盾しています。「冊封体制の結びつきが一様でなかったことは確かです」としながら「中国王朝を中心とした冊封体制は、これだけでは必ずしも宗主国-属国の関係とはいえない。」を「中国王朝を中心とした冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、これも宗主国-属国の関係とはいえない。」に差し戻しています。あなたの主張では両方削除となるはずです。

獨頭氏は中国史家浜下武志氏の「冊封体制下の宗主国-属国の関係について「空間的な範囲・限界は必ずしも明確でなかった」」を曲解しています。「必ずしも明確でなかった」ということは「全て不明確であった」ことにはなりません。「冊封国≠属国」ではなく「冊封国>属国」です。「中国王朝を中心とした冊封体制は、これだけでは必ずしも宗主国-属国の関係とはいえない。」が適切な記述でしょう。朝鮮が清の属国でなかったのなら「独立」する必要はなかったわけですが歴史的事実として下関条約で独立し、朝鮮人の手で迎恩門を取り崩し独立門を立てています。あなたがたが「属国」の定義をいくら都合のいいように解釈しても歴史の歪曲はできません。 利用者‐会話:Iosif/tempも参照されたし。本尊 2006年7月20日 (木) 13:30 (UTC)

私は「一様でなかったことは確かですが」、と言いましたが歴史上に於いて、冊封関係のほとんどが緩やかな紐帯関係で結ばれていたのですから「緩やかな紐帯で結ばれており」の記述が妥当であると思います。もう少し言えば、確かに両方削除して属国の記事中で冊封を取り上げること自体が不適切と言えると思いますが、あなたの編集はそれ以上に不適切です。らりた 2006年7月20日 (木) 13:41 (UTC)

本尊さん、濱下武志氏の著作を読まれてないのでしょう。何故「必ずしも明確でなかった」=「全て不明確であった」=「冊封国>属国」となるのですか。歴史学の成果を無視した独自の研究と言わざるを得ません。根拠となる著作を挙げてください。また迎恩門独立門についても誤った見解を示されています。李氏朝鮮末期、清は属国化政策を行い、それに対し開明派は反発をおぼえた為、こうした門の立て替えを行いますが、だからといって清・朝関係が現代的な属国関係に終始していたわけではありません。むしろ清の属国化政策は完遂しなかったと見る方が適切です。どちらにしてもこんな冊封体制の末期をとりあげて、全性格について述べるのは不正確でしょう。針小棒大に述べて誤解を招く記述といえるでしょう。--獨頭 2006年7月20日 (木) 14:01 (UTC)

らりた氏 「中国王朝を中心とした冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、これも宗主国-属国の関係とはいえない。」とするには「冊封関係のほとんどが緩やかな紐帯関係で結ばれていたのですから」では成立しません。「全部」でないとね。

獨頭氏  「何故「必ずしも明確でなかった」=「全て不明確であった」=「冊封国>属国」となるのですか。」はいきなりわたしの意見への曲解です。「清の属国化政策は完遂しなかったと見る方が適切です。」と言われますが根拠が示されていません。朝鮮が清の属国でなかったのなら「独立」する必要はなかったのではありませんか?下関条約で独立し大韓帝国を成立させ、当時の朝鮮人の手で迎恩門を取り崩し独立門を立てたという歴史的事実は、あなたがたが個人的に解釈した「属国」の定義にかかわらず、属国であった実態を身をもってよく知る当時の朝鮮人の属国意識は覆すせません。当時から「独立」の文字が書かれています。今度は「独立」の定義まで 独自解釈しないかが心配ですね。本尊 2006年7月20日 (木) 14:48 (UTC)

人の意見を「個人的に解釈」とか言う前に、依拠する研究を挙げてください。でないと朝鮮が現代的な属国だったという意見こそ個人的な解釈そのものでしょう。一つもこれまで挙げていませんよね。少なくともわたしは濱下氏の研究を挙げましたし、冊封ノートでも種々挙げています。「独立」ということばひとつで、当時の清・朝関係を決定づけられるほど歴史学は簡単ではありませんよ。再度いいますが査読論文・研究書を挙げて、どう書かれているか提示してください。--獨頭 2006年7月20日 (木) 14:58 (UTC)
『「全部」でないと』とおっしゃるが、そういった「ほとんど」に収まらない「特例」は事前の背景から経緯までを丁寧に説明すべきです。(そしてそれを行う場としてこの属国の記事は不適切です。)それを行わずに「これだけでは必ずしも」などというのは誤解の元であり、全く許容できません。らりた 2006年7月20日 (木) 15:02 (UTC)

らりた氏は「冊封関係のほとんどが緩やかな紐帯関係で結ばれていたのですから」と言いながら「中国王朝を中心とした冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、これも宗主国-属国の関係とはいえない。」とし冊封体制が全て緩やかな紐帯で結ばれてかのような記述に差し替えましたからrvした間違いを訂正編集すべきでしょう。

獨頭氏の個人的見解も「冊封国の全ては属国ではなく、全て緩やかな紐帯で結ばれていた。」と断定していることからその根拠を明示する必要があります。両氏ともそれらを明示できないのですから、わたしが歴史的根拠とともに示したように「冊封国>属国」が正しく記事は「中国王朝を中心とした冊封体制は、これだけでは必ずしも宗主国-属国の関係とはいえない。」に改めざるを得ません。あとこれも参考にするとよいでしょう。[1]本尊 2006年7月20日 (木) 15:40 (UTC)

「条約によって国際関係を決定したり、領土・領域を厳密に確定した現代の国家と冊封国は根本的に異なります」とすでに述べています。むしろ根拠をしめしていないのはそちららでしょう。「必ずしも」という以上冊封国=現代的属国の例があるとお考えなんですよね。言を左右にせず、早く提出してください。--獨頭 2006年7月20日 (木) 15:54 (UTC)

「冊封国の全ては属国ではなく、全て緩やかな紐帯で結ばれていた。」と断定する根拠になってない。Adrvan 2006年7月20日 (木) 16:20 (UTC)

冊封関係全体を表現する上で「属国があった」という文章を挿入すべきというのなら、冊封関係の内、国際条約で属国関係を結んだ例を挙げてください。なんど言っても具体例を出してもらえませんね。--獨頭 2006年7月20日 (木) 16:54 (UTC)

論争が存在するんだから「中国王朝を中心とした冊封体制も緩やかな紐帯で結ばれており、これも宗主国-属国の関係とはいえない。」と断定するより「中国王朝を中心とした冊封体制は、これだけでは必ずしも宗主国-属国の関係とはいえない。」の方が中立的観点から適切って話でしょう。Adrvan 2006年7月20日 (木) 17:26 (UTC)

以下は当方の根拠。なお強調は投稿者による。
「冊封体制の特徴。・・・中略・・・中国王朝の皇帝と周辺諸国の君長との間に君臣関係が成立したと見なされることである。この君臣関係は、皇帝と周辺諸国の君長との関係ではあるが、中国王朝が周辺諸国を領有したという意味ではない」西嶋定生『西嶋定生東アジア史論集』第三巻、2002年、96頁
「上国である中国は、朝貢してきた国に対して実質的な支配をおよぼすことはなく、皇帝から与えられた暦(正朔)を用いるなど、両国の関係を律する儀礼の煩瑣な手続きを履行しさえすれば、周辺諸国の自主は保障され、内政・外交への干渉はおこなわれないのが原則だった。かならずしも支配-被支配の権力的関係の貫徹するものではなかったのである。・・・中略・・・周辺諸国は自らの独自性と自主とを守るために朝貢国の列に加わったのである」茂木敏夫『変容する近代東アジアの国際秩序』6頁
「前近代のアジアには歴史的に形成された朝貢体制があった。それは朝貢国の君主が中国皇帝からその国の国王であることを認知されて冊封を受け、中国皇帝に臣属し、朝貢をおこなうことを基本形態としている。・・・中略・・・ここでいう朝貢体制はもっとふくらみをもった多元的な体系である。アジア的世界の国際秩序の外交・交易原理として作用し、それぞれの民族や国家が独自性を保持しつつ、相互にその存在を認めあう共存の体制である。・・・中略・・・それは近代的な支配-被支配の権力関係、搾取-被搾取の経済関係とは次元を異にする」海野福寿『韓国併合』8頁
「東アジア国際社会における特徴は、中国を中心とする中華観念-華夷秩序、事大-朝貢・冊封体制の支配的傾向にもかかわらず、一般的に事大-朝貢・冊封体制が維持される限り、中国の朝貢・冊封国に対する直接的支配関係は成立しなかった」朴忠錫「韓国近代史における国際関係観念-伝統的な存在様式の変容過程を中心に」(日韓共同研究叢書11、2005)
他にいくつでも例を挙げることができます。何度でも書きますが、改稿するならそちらが根拠とする研究(冊封国のどの国かは現代的属国だったというもの)を挙げてください。でなければ「必ずしも宗主国-属国の関係とはいえない」という文案には賛成できません。何故ならこの文では現代的属国が冊封国の内にあることを否定していないから。また論争というのは誰と誰の論争ですか。それも具体的に述べてください。そもそもそちらの根拠となる研究を示してもないのに中立も何もないでしょう。--獨頭 2006年7月20日 (木) 17:52 (UTC)

ここの項目は「現代的属国」じゃなくて「属国」ですよね?持論通す 為にあまりにも狭い定義を無理やり適用させている嫌いがあるので普通に考えるべきだと思います。

  • 大辞林 第二版 (三省堂)
  • ぞっこく ぞく― 【属国】
  • 他国の支配下にある国。従属国。 Ji-ji 2006年7月20日 (木) 20:27 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 12:00 (UTC)
「属国(ぞっこく)とは、近代国家における主権の一部を外国により制限されている国や地域を指す」と記事冒頭に書いていますよね。それにわたしは冊封体制に関する文のみを問題としているのであって、属国全体についてコメントしているわけではありません。論点をずらしていませんかね。よく読んでコメントください。--獨頭 2006年7月20日 (木) 20:44 (UTC)

本尊氏がブロックされるとAdrvan氏が、Adrvan氏がブロックされるとJi-ji氏が登場とソックパペットで間違いないようです。言っても無駄でしょう。らりた 2006年7月20日 (木) 22:27 (UTC)

なるほど、言われるとおり無駄だったのかもしれません。了解しました。--獨頭 2006年7月21日 (金) 04:35 (UTC)
Ji-ji氏のご希望通り、半保護か保護にする必要をそろそろ考慮した方がよいかも知れませんね。こんなことに構ってたら正常な執筆活動ができないし。--獨頭 2006年7月22日 (土) 14:15 (UTC)
と書いたら、すぐ後で保護となってしまいましたか。当然かな--獨頭 2006年7月22日 (土) 14:19 (UTC)

獨頭さんは「【属国】他国の支配下にある国。従属国。「大辞林 第二版 (三省堂)」にある信頼に足る情報源「辞書」を否定排除し、独自が信じる狭い解釈を押し付けようとされています。独特の狭い解釈を記述することには反対しませんが、一般に広く知られた意味を無理に排除しないようにすべし。Ji-ji 2006年7月22日 (土) 14:27 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 12:00 (UTC)

属国という概念は近代になって誕生した国家という概念を前提としているという基礎的な事柄を認識してください。ま、言っても無駄でしょうけど。らりた 2006年7月22日 (土) 15:51 (UTC)

レス読んでいますか?心が狭窄していると相手の言っていることも理解しようとせずにひたすら持論だけを繰り返すオウムのような状態になるものです。上述のように、属国についてあなたがたの支持する狭い特定の概念はあってよいし記述することにも反対していませんし削除もしていません。問題はあなたがたが「属国」の一般に広く知られた意味を無理に削除し、狭い特定の概念を一般化しようとしていることです。あたかも戦後の反日的サヨクの行ってきた歴史や日本語の歪曲(三光作戦強制連行などの造語も含めて)の経緯を実演で確認しているかのようです。「新しい歴史教科書」にはじまって、昨今の日本人はようやくあなたがたの先輩が行ってきた自虐教育の存在を認識し、思考においても国際的な標準に近づきつつあります。もうあなたがたの歪曲手法は時代遅れとなっていて通用していない事を悟る時期が来ているのです。朝鮮が清の属国であった歴史的事実を、辞書にある「属国」の一般的な意味・定義を削除抹殺し、特定の狭い解釈に置き換えてしまう事でなかった事にして歪曲してしまう。中国人韓国人や在日の機嫌をとっている変態にしか見えませんね。Ji-ji 2006年7月22日 (土) 16:55 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 12:00 (UTC)

原史料を読めとは言わんが、せめて日本語で書かれた研究書をいくつか読んでから書いて欲しいなぁ。一知半解な、ミスリードをわざとさせるような記述を読まされる身にもなって欲しいものだ。典拠としてほんの数行の国語辞典を挙げて、堂々と意見を述べられる姿勢には恐れ入る。「無知は恐れの原因である」、なれど無知たる自覚無くんば、恐れは生じない。いや進歩はない、か。自戒も兼ねて。--獨頭 2006年7月22日 (土) 18:28 (UTC)

2006年6月における加筆についての質問

Lulusukeさん、冊封記事での当方の質問に答えていただけないようなので、こちらに改めて、追加分も含めて質問します。

  1. 「属国」概念について、どの学説によって記事をかいているのか。明確な定義とその出典をお示しください。
  2. 朝鮮は属国であると言いたいのか否か。またそれはどの研究に基づいているのか。
  3. 記事に引いてある以下の資料、朝鮮事変]]ニ関スル清国ノ照会並照復(公文別録・朝鮮事変始末・明治十五年・第四巻 アジア歴史資料センター Ref.A03023645200、『日本外交文書』宗光関係文書、中華人民共和国の共産党の主張した失った領土、『清史稿』「属国伝」を引いて朝鮮が属国であると論じる論文あるいは研究書の提示願います。またそれらがどの程度学会で支持されているものなのかもご教授ください。
  4. 『清史稿』「属国伝」については朝鮮が属国である論拠にはなりえないと冊封ノートで当方が示しましたが、それへの反論を未だうかがっていません。お答えお願いします。

以下は加筆された部分への感想や編集姿勢への意見です。

  1. 仮にも百科事典の記述において「このウィキペディアの定義では正確な記述とはいえない比喩的な表現となる」と書くのは信頼性を損ねていることを自認するものであるばかりか、Lulusukeさん以外の執筆者を非常に侮辱することになりませんか。
  2. 英語Wikipediaの「Client state」を引いて異なるとしていますが、そもそもこの英文記事は冒頭に「This article or section does not cite its references or sources.You can help Wikipedia by introducing appropriate citations.」とあって信頼性に疑義を寄せられている記事なのではないのですか。
  3. 冊封ノートでとりあえず合意ができるまで、編集を止めて欲しいとお願いしているにもかかわらず、それへの回答もなく加筆され続けるのは何故でしょうか。当方は最初に冊封記事においてコメントアウトした以外は何も本文に加筆訂正しておりません。正直質問に答えていただいた後に双方合意の上で、記事改稿を行う所存でしたが、かなりその意志が減退しつつあります。とりあえず上記の質問、並びに冊封ノートでの質問・意見にお答えいただき、独自の研究という疑惑を晴らしていただけないでしょうか。加筆するということは何らかの研究に拠って書いているはずであり、この点はすぐにでもご回答いただけますよね。お願いします。--Dokutou 2006年6月21日 (水) 09:56 (UTC)

こんばんは。

>1.

確認します。

>2∧3 属国の定義に依存します。

この記述の通りであれば、属国(ぞっこく)とは、近代国家における主権の一部を外国により制限されている国や地域を指す。とありますので、近代以外は属国という言葉が不適切になりませんか? 定義を変えると全面編集しなくてはならないので、当面違っているとだけかいたつもりです。

このWIKIの属国の定義によれば、大韓帝国は大日本帝国の属国となることになります。

>4. 探していますが見当たりませんでした。更にみている最中です。すでに回答していたという認識でいました。

故に冊封の加筆部分は削除したのですが。。--Lulusuke 2006年6月21日 (水) 12:23 (UTC)


unsourcedは見落としです。これはすいませんでした。--Lulusuke 2006年6月21日 (水) 12:23 (UTC)


元に戻しました。 浅学の身なので、「属国」という日本語が学会の定説でどのように位置付けられているかお教え下さい。 --Lulusuke 2006年6月21日 (水) 12:35 (UTC)

多忙につき少しだけ。とりあえず戻されたこと評価しております。
「属国の定義に依存します」という箇所ですが、投稿者の判断で史料を追加するのはやはり独自の研究にあたると思います。史料は史料批判を経て使用するのでなければ恣意的になるからです。誰がどういう立場で、何時、どこで言ったものかを勘案し、史料でいっていることが実態をどの程度反映しているかを踏まえてないと危険です。冊封ノートで『清史稿』「属国伝」についてコメントしましたが、あの時点で単に「属国伝」が必ずしも属国の証左となりえないことということだけでなく、史料批判を経ていない(研究者がこれこれこういう風に解釈していると提示できない)史料提示は危険だということをコメントに込めたつもりでした。こういう意識だったので、冊封記事だけでなく、属国記事においても『清史稿』を提示することは反対でした。属国記事における中共の文書など彼らがそのように認識しているということを言っているだけで、それ以上でも以下でもあり得ません。一史料の提示=真実であれば、紛争など起こりようもないでしょう。朝鮮が近代国際法における属国にあたるか否かについては、19世紀末当時から論争がありました。ある国は自主独立の国だとし、ある国は属国だとし、ある国は時によって言を左右するといったことがある期間常態でした。それは各国の事情によって都合の良いように主張されたのです。よって恣意的に拾えばいくらでも拾えます。その逆も拾えます。それをどう解釈するかが歴史家達の仕事であって、吾々はそれを正確に反映するよう努めるべきでしょう。Lulusukeさんのお考えはお考えとして、ここはそれを論じる場ではないと思います。論じるのであれば、既存の研究をもって論じるべきでしょう。図書館の外交史や国際関係のコーナーに行けばそういう研究は複数あります。これを複数読んでいけば自ずと「属国」という語彙の変遷が見えてくるでしょう。個人の見解を交えず、まずそれらに沿って書かれるよう希望します。--Dokutou 2006年6月22日 (木) 11:02 (UTC)
こんばんは。忙しいの感謝。全体を見て、正確に書くのが難しいので戻したという恥ずかしい処置です。
「属国」の部分は、正確に書くのが難しいので。。
「属国(shǔ-guó,or zhǔ-guó)」「属邦(shǔ-bāng, or zhǔ bāng)』日本語では意味が同じなのでしょうか?
現代中国語では国←一般的な(1) nation, (2) country, 邦← (1) state (2) countryで意味が(ニュアンス)が違っているのですが、中国でも日本でも区別して使っているの人も少ないようです。 同じ漢字と単語を共有しながら、CJKで意味も違う場合もあって最近驚くことも多いです。
> 投稿者の判断で史料
偽書、贋作は別として一次資料でもまずいのでしょうか?普通の学術論文であれば、ワンセンテンスごとに参照が入りますよね。(投稿段階では)
忙しいのに多謝。--Lulusuke 2006年6月22日 (木) 12:20 (UTC)

まとめるのが下手で以下長くなります。 ご質問の「属国」・「属邦」ですが、意味ですがほとんど同じと考えても良かろうと思います。相違があるとしても微妙なニュアンス程度であり、近代国際法的意味を持つか持たないかという相違に比べたら些細なものではないでしょうか。

史料掲載の件。無論史料掲載を全て不可と考えているわけではありません。記事の理解向上に役立つのであれば、むしろ掲載するべきでしょう。たとえば 李白記事ではその伝を掲載していますが、これに事実誤認をさせるような問題はないでしょう。(ただ一般の人も読むのに現代語訳もしくは書き下しをしていないのは、分かりやすさの点から甚だ疑問だと前々から思っており、機会があればそういう原文掲載記事には翻訳を希望することを伝えようとは思っています) 

当方が問題としているのは、投稿者の独自の史料解釈で掲載することです。研究実態から乖離した史料解釈はあってはならないでしょう。上で書いたように、朝鮮の国際上の地位については様々な見解があったわけですが、それを一切捨象して一部の史料だけを提示するのは誤解を招く元です。李白の伝のように誤解の余地がないのとはレヴェルが違います。

たとえば壬午事変当時、清朝が朝鮮を属国であると回答した史料をこれだけを取り上げると、朝鮮はかねてより属国だったという証明かのように思えます。しかし実際にはそれ以前の史料、何如璋の「主持朝鮮外交議」や黄遵憲の『朝鮮策略』を見ると、欧米と朝鮮との条約締結を清朝が取り仕切ることで朝鮮を近代国際法的な属国に実態として近づける必要があると主張しています。つまりこの史料は、それまで近代国際法的「属国」とは言えなかった朝鮮を、それに転化することを清朝が目論んでいたことを意味します。逆に言えば清朝も朝鮮を属国ではないと認識していたことになり、以後の朝鮮は属国云々という文書は朝鮮を国際的に属国として認めさせようとする努力として見るべきという事になります。このように朝鮮を属国として扱おうという動きは清朝の国策となっていき、こうした動きを近年学会では「属国政策」と呼んだり、この時期のそういう体制を「属国体制」と言ったりします。

では何故朝鮮自身が文書で「属国」を使用したのか。たとえばアメリカとの条約締結に際し、李鴻章が条約文に敢えて「属国」であるという文言を挿入しようとしたのに金允植が賛成していますが、それは「属国自主」ということばの「自主」の方に重きをおいていたと解釈されています。清朝はあくまで前半の「属国」に重きをおいていたようですが、朝鮮は「属国」を朝鮮の「自主」を擁護する方便として捉えていたにすぎないと研究では言われています。アメリカへの照会にしても、李鴻章の意を受けた馬建忠が積極的に動き、日本と朝鮮の間の懸案(関税や米糧輸出)において朝鮮側を支持するといって朝鮮を味方につけ提出されたものでした。中朝商民水陸貿易章程の「属国」文言にしても、清朝の属国化路線に朝鮮側が承服していないことを痛感したためにわざわざ挿入したと言われます。以上の事柄は清・朝双方の官僚のやり取りからうかがえます。こうした清朝・朝鮮の交渉を詳しく見ると、双方の思惑は大きく異なっており、同床異夢といっても過言ではありません。清朝は朝鮮を近代国際法的な属国に変えようとし(つまり裏返せば近代的属国ではなかったことになる)、朝鮮は冊封体制的な関係の継続を求めていたことになるでしょう。なおこれらについて依拠した研究は、主に岡本隆司や川島真の諸論文です。

Lulusukeさんの挙げた史料を例に取りましたが、以上のことから判るのは、歴史的事実とは史料と史料の関係の中に浮かび上がって来るという極めて常識的な事柄です。史料相互の関係を考慮しないで提示された史料は、誤った結論を導き出すということがお分かりいただけたでしょうか。

後、冊封ノートにおいて当方以外にもLulusukeさんの回答を待っている人がいるようなので、一度覗いてみてください。--獨頭 2006年6月25日 (日) 14:13 (UTC)

保護理由

編集合戦。3RR。--Los688 2006年7月22日 (土) 14:21 (UTC) 微訂正。3rrは保護理由ではなくブロック理由という指摘により。ただし、編集合戦は保護要件。--Los688 2006年7月28日 (金) 11:22 (UTC)

  • 属国という言葉は、ある国の「宗主国」(かそれに類する国)に対する従属的な立場を強調するために使われる言葉のようですね。ある米国の学者が、日本は米国の事実上の保護国、と言えば、これを「属国」と言い換える左寄りの人が居るかと思うと、朝鮮(前近代)を中国の「属国」(正確には「冊封国」)という人もいるし、あるいは、かつてのフィンランドをソ連の「属国」という人もいるし…。概念を厳密に定義する必要があるところでは、「属国」という言葉を使わないことを強く推奨すべきです。220.145.38.1 2006年8月29日 (火) 14:19 (UTC)

Template:Unreferenced のリダイレクト化について

(複数のノートへのマルチポストです。同じメッセージを各所でご覧になるかたにお詫び申し上げます。)今年初めから [[Wikipedia‐ノート:出典を明記する での合意事項に基づいて、これまで使われていた Template:Unreferenced を廃止し、新たなテンプレート(Template:未検証Template:出典の明記Template:独自研究)のいずれかに置き換える作業を行なってきました。最終的には「Unreferenced」を「未検証」へのリダイレクトとする予定です。現在本記事には「Unreferenced」が貼られておりますが、同時に保護がかかっているために置き換えがかなわない状況にあります。そこで本記事は現状から編集せずとしてはどうかと思っております(リダイレクト化により見かけ上「未検証」に置き換わる形となります)。保護が解除されたとき、あるいは議論でテンプレート変更の必要について提案・合意があった際に管理者伝言板などを通してより適切なテンプレートへの置き換えを行ってはと思います。2週間ほどお待ちしますので、この手順、あるいはテンプレートの選択についてご意見、ご提案がございましたらよろしくお願いします。--スのG 2007年4月16日 (月) 01:30 (UTC)

チェック 上記の案件は終了しています--Happy B. 2008年2月14日 (木) 05:14 (UTC)

Template:Unreferenced の Template:未検証 への置き換え

(複数の記事のノートに同じ文面を投稿しております。ご容赦ください)現在、本記事に貼られている{{Unreferenced}}の、そのリダイレクト先であるTemplate:未検証への置き換えを行いたいと思います。置き換えの背景および目的につきましては、Template‐ノート:Unreferencedをご参照ください。この置き換えが行われても、記事の見た目は変化しません。

もしご意見がありましたら、今ご覧の書き込みの下にコメントをお願いいたします。約1週間のあいだに、特に反対意見がなければ、管理者伝言板へ依頼する予定です。よろしくお願い申し上げます。--Happy B. 2008年2月14日 (木) 05:14 (UTC)

上記の案件はすでに対処されています[2]。--Tatsujin28 2008年8月30日 (土) 17:58 (UTC)

保護解除の提案

この記事は2006年7月22日より、長期荒らし(ピース系)との編集合戦により無期限保護されていますが、保護期間が2年と長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。また長期荒らしが来たら来たで対処、ということで。

特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年8月30日 (土) 17:58 (UTC)

解除されました。--Tatsujin28 2008年9月29日 (月) 15:22 (UTC)
上記について疑問がありますが、ログを見ても解除処理がなされておりません(「ソース」表記のため、完全に全保護のままです)。このため、Wikipedia:管理者伝言板へ報告することに致します。--Wakkubox 2008年11月25日 (火) 09:41 (UTC)
正式に解除処理されていることを確認しました。--Wakkubox 2008年11月29日 (土) 09:14 (UTC)

pov

http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%B1%9E%E5%9B%BD&diff=30202914&oldid=30199967

  1. このページは朝鮮半島に関する内容でない。
  2. その文章自体が特定目的を持った"嫌韓"指向のpov文章で適していないです。
  3. 日本とベトナム,琉球などの国家も朝鮮と同じ冊封と朝貢体系にあったが,朝鮮だけ言及したことはnpov方針を外れること
  4. 上記の内容は韓国側で"誤り"と指摘する内容で(本来ソースを見れば代表的な"わい曲事例"と指摘された内容),海外の一部書籍内容が,必ず真実を含んでいるのではなくて,上記の内容を含んでいなかった書籍も多いという点で一部書籍の内容が広範囲に見なされていると叙述するのは誤った叙述 W450by11 2010年1月26日 (火) 19:17 (UTC)

不正確な内容

  • 朝鮮最古の太極旗には「大清属国」と書かれている。また、
太極旗に使われているものでなく,'中国側書籍'で太極旗を紹介して使った内容. また最古の太極旗は1882年"U.S. Navy book Flags of Maritime Nations "が最初に,やはり上記のような文章は書かれていない。
「大清属国」という字は,中国側の書籍,"通尚章程"に出てくる内容で,中国側の一方的主張を入れた内容で,朝鮮がこれを認めたのではない。 また,中国,清国の公式歴史書籍,淸史稿の属国列伝に見れば,朝鮮だけでなく,下の国家を属国で範囲に入れた。
朝鮮 流球 越南(ベトナム) 緬甸(ミャンマー) 暹羅(タイ) 南掌(ラオス) 蘇禄, 廓爾喀, 浩罕, 坎巨提, 巨済
  • 建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の属国だったと紹介した。「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた。
この文章は違ったし,1895年前に朝鮮が米国など外国と正式外交関係を結んで,国家間関係にだけ成立できる正式条約を成立していたし,外国の大使館を自国の許可を受けて置いたという事実などを見るとき,また中国も朝鮮を"外国"と見なしていた証拠などを見るとき,上の文章は違ったと見られる。
もし中国側の一方的な記録(eg. 淸史稿 属国列伝)を受け入れて,上記のわい曲された叙述を受け入れれば,清国時期まで琉球とタイ,ベトナムなどは中国の一部と叙述するのも可能だ。
  • スペインの有力紙「エル・ムンド」は「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と報道し、
植民地と属国は'完全に'概念が違うから上の文章は違ったし,主権国家が整えなければならない5個の主権 ('独立権・平等権・管轄権・免責権・自衛権')があったとすれば独立的な主権国家で見ることが妥当だ。


私は朝鮮は中国の属国と書いているのではありません。朝鮮は中国の属国と報道された、あるいはそのように記述してある教科書が存在する、と書いたまでです。「エル・ムンド」の記事や世界各国の教科書の記述の正否を議論しているのではありません。中国王朝と朝鮮の冊封体制は宗主国-属国の関係とは厳密にはいえない、しかし世界では中国王朝と朝鮮の関係を宗主国-属国の関係とする解釈(もしくは誤解)が存在する、と書いたまでです。「エル・ムンド」の記事を加筆したのは「4228年間にわたって中国の属国」「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」という誤った報道がされたことを紹介したまでです。ですから日本やベトナムに言及しなかったのは単にそのような報道がなかっただけの事で、もしその様な報道があるなら、あるいはこれからされたら、随時加筆すればよいのではないでしょうか?このような「属国」に関する誤りが世界で流布しているよ、と記すことは「属国」の項目を充実させる上で意義のある事ではないでしょうか?「大清属国」は朝鮮が認めた訳ではないかもしれませんが、古田博司氏によると、韓国の歴史教科書はかつては日清戦争で「日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(★佐鎬『中等世界史』英志文化社、1959年)とか、朝鮮は清の「半属国」だった(金聲近『高等世界史』高等学校2・3学年用、教友社、1962年)と書かれていたとの事です。--118.17.71.43 2010年1月27日 (水) 00:11 (UTC)

  1. 出処になった韓国側の記事,オリジナル ソースに見れば"~~ある誤った内容が海外にある。"という"わい曲された内容"と明確に明らかにしていて,誤った内容を根拠で編集をするのはウィキペディア百科事典に適合した内容ということができません。
  2. 世界の数万個の歴史の本中に10個が誤った内容を叙述したと,それを一般化するのはPOVの問題や,こういうPOVをウィキペディアでは厳格に禁止しています。
  3. 上記の編集内容は,韓国側言論で "海外で発見された誤った内容”と指摘した部分だけ集めたのです。 そういう編集をするのは明らかな意図性を内包したPOV編集であり中立的な編集ではありません。(POVよりVandalismに近いが) 内容も正しいということができなくて,百科事典に入る内容ではありません。 また韓国側言論で”わい曲”と指摘された内容が現在まで維持されているということかは疑問です。
  4. "という誤った報道がされたことを紹介したまでです。" << 誤った内容を紹介したいなら,'韓国に対する外国の誤った内容'というトピックで編集をすれば良いことです。 (これはただ韓国側の主張でなく,実際に誤った内容というものを上で説明しました) W450by11 2010年1月27日 (水) 02:19 (UTC)

韓国が "歪曲”と(独りよがりな)指摘をしているだけで、これだけ多くの世界各国の教科書やオックスフォード大出版社の教科書や日本の教科書、例えば「山川出版社 詳説世界史」や「東京書籍 日本史」等にも朝鮮は中国の属国と記されているのですから、やっぱり属国なのでは?朝鮮と中国の冊封体制は宗主国-属国の関係とはいえない、とか、朝鮮は中国の属国ではない、とか記した教科書は存在するのでしょうか?日本や中国やあるいは韓国の学者でさえ朝鮮は中国の属国という指摘はそれこそ数え切れないほどありますから、岡本隆司『属国と自主のあいだ』でもって否定できるのでしょうか?誤った内容を紹介する必要がないというなら、それなら構いません。--118.17.71.43 2010年1月27日 (水) 03:26 (UTC)

  1. 朝鮮が属国であったかでないのか,その内容自体ではなくて,上記の編集自体([3])が違ったと指摘しています[4]オリジナル ソース自体が"これは偽り"と説明するのです。(列挙された内容とその表現もファクトと違った,非常に極端な事例)
  2. 上記に提出されたソース内容は,韓国側言論によって"代表的なわい曲"と指摘された事例で,ソース自体がわい曲だと指摘する事例を土台に編集をするのは誤り
  3. POVと不正確性の問題があるということを確実にしようと思います。言論が特別に指摘した,一部の事例集を"世界各国の一般的主張"と叙述するのは明確に誤った叙述です。
  4. 数億冊の本中で一部過去十冊余りの本でそのような叙述があったといっても,それが主流的観点なのかと思うのは別個です。
  5. "韓国が "歪曲”と(独りよがりな)指摘をしているだけで" << 上記の編集は,実際に誤った表現で,属国と植民地は概念が違って,1885年前にも内部的,外部的主権を十分に行使した国家。
  6. 朝貢と冊封が植民地で中国の一部だったら日本,琉球とベトナム,タイも中国の一部になりますが? 朝貢と冊封関係は文化的であり,貿易的であり,緩い外交的関係と見ることが妥当で(もちろん平等でない),朝貢を捧げた国家は内政干渉を受けないで完全無欠な自主主権を持ちました。 言い換えるが,上記の編集で属国と植民地は完全に概念が違うということを指摘して,中国周辺国がほとんど属国関係を持ったが韓国だけ特別に叙述するとのことも変です。 (このページは韓国関連ページではない)
  7. おっしゃった出版社が属国だと叙述しているならばそれはその出版社の独自の判断であり,上記の編集とあなたが叙述した内容は全く別個の問題です。W450by11 2010年1月27日 (水) 03:58 (UTC)


中国の冊封国でも朝鮮は日本やベトナムや琉球と同じではないでしょう。

清と朝鮮

・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。

・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。

・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。

・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。

・朝鮮には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。

・朝鮮には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。

・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、 馬3000頭、美女3000人を貢がなければならない。

軍隊もなく、清の軍隊が駐屯し、貨幣鋳造権も、外交権も清に奪われてた。これが内政干渉を受けないで完全無欠な自主主権の国でしょうか?朝鮮は、冊封国の中でも琉球よりも低い地位だった。中国の冊封国の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国だった。天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、 朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣。琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。--118.17.71.43 2010年1月27日 (水) 15:57 (UTC)

それは2chでしばしば見ることができる主張に誇張されて根拠がなくて出処がないねつ造です。 歴史的事実と違うということを'明確に'証明できるが,議論がとんでもないところで拡大するようで議論はしません。 そしてここは韓国関連ページではありません。 関連の部分に対しては深く議論をして誤ったのを一つ一つ指摘したいが,関連がない内容だとSkipします。 また,朝鮮が属国であったかでないのか,その内容自体ではなくて,上記の編集自体([5])が違ったと指摘しています[6]W450by11 2010年1月27日 (水) 18:06 (UTC)

属国と見なされる例が挙がっているのであり、何ら問題のない記述です。出典ある記載を除去しないようにお願いいたします。--220.147.7.2 2010年2月3日 (水) 16:30 (UTC)

ソース自体が偽りだと表示する内容です. 歴史的事実とも当たらないですW450by11 2010年2月3日 (水) 20:40 (UTC)
朝鮮が属国ではないという意味ではなく, 上記の敍述自体が間違ったという意味です W450by11 2010年2月3日 (水) 20:56 (UTC)

日本は朝貢国ではなくて中国と対等な立場で交易をしていた互市では? 李榮薫ソウル大教授の「大韓民国の物語(文藝春秋)」もそう指摘していますし、坂野正高『近代中国政治外交史』(東京大学出版会)によると『嘉慶会典』(1818 年)は、日本は互市諸国にあげられている。--125.203.87.95 2010年2月4日 (木) 04:59 (UTC)


W450by11 さん。あなたの投稿記録を見ると韓国に不都合な箇所を片っ端から削除され、日本語の間違いが散見されるので韓国人なんでしょうが、上記の『中国の冊封国でも朝鮮は日本やベトナムや琉球と同じではないでしょう。~』の記述は根拠がなくて出処がないねつ造で歴史的事実と違うということを明確に証明できる、と書かれてますが、是非、明確に証明してください。--125.203.87.95 2010年2月4日 (木) 06:52 (UTC)

今の記事量のバランスでは「属国とは何か」というより「朝鮮は属国であったと国際的に認められている」 ことを力説するページになってしまっていますね。違和感を感じます。 --211.13.145.77 2010年3月4日 (木) 19:40 (UTC)

複数の異なる意味の「属国」が入り乱れていたので、冒頭部を整理しました。この節で議論している「属国」については、宗主国もしくは藩属国が適切ですので、そちらに移動願います。 --Yhiroyuki 2010年3月17日 (水) 14:52 (UTC)

独自研究について

この記事「属国」は、内容的に学術的な裏付けをもつ水準に達しているとは言い難いと思います。属国と一口にいっても、冊封体制下の付庸国(朝貢国)と近代国際法下で規定される保護国などは様々な相違がありますし、第一内容が清に服属した李氏朝鮮に偏りすぎていて、中立的な観点からも疑問に思います。外国版の記事を見ても、英語版と韓国語版しかありません。これに対して保護国は多数の外国語版記事があります。内容的に本記事は、付庸国と保護国に分割してもいいと思いいます。--尚玉 2010年3月21日 (日) 09:36 (UTC)

Yhiroyuki氏による「属国」と「付庸国」の区分けについて

本項目に李氏朝鮮を付け加えましたところ、Yhiroyukiさんより差し戻されるとともに、下記のご意見を会話ページにいただきました。

記事「属国」では、国家結合の一種である付庸関係における従属国または付(附)庸国という、国際法上の概念について解説しています。

「朝鮮は属国」という意味の「属国」については、記事「付庸国」にて解説してありますので、朝鮮に関する解説はそちらで記述願います。

なお、「属国」(正式には「従属国」)と「付(附)庸国」はどちらも同じ意味の言葉ですが、それぞれの初版作成者があまりよく理解しないまま立項されてしまったようです。概念の混同を避けるために、便宜上の仕分けをしておりますのでご了承願います。

従属国と付庸国は同じ意味とのことですが、では、項目が2つあるのは問題ではないでしょうか。更に問題なのが、Yhiroyukiさん独断(?)による「便宜上の仕分け」です。このような「便宜上の仕分け」がWebを介して方々に拡散していってしまうのを大変危惧します。両記事を統合し、付庸国属国へのリダイレクトとすべきでないでしょうか。--Arstriker 2010年7月15日 (木) 13:29 (UTC)

統合提案

上記、#Yhiroyuki氏による「属国」と「付庸国」の区分けについてにて述べましたように、属国付庸国の統合を提案致します。ご意見などございましたらよろしくお願いいたします。--Arstriker 2010年7月15日 (木) 13:56 (UTC)

根本的な勘違いをされておられるようですが、同じ意味というのは辞書的な意味での同義語ということです。それぞれの記事の執筆者が同義語で立項されているのに気がつかないまま、編集されていたようです。さらに、両者ともに異なる分野での解説をごたまぜに記述している状態でしたので、整理の便法として、国際法の観点による解説を「属国」に、東洋史の観点による解説を「付庸国」にと分けました。一応は、記事上部で読者が正しい記事に誘導されるようにしていたのですが、分かりにくかったようです。
両記事は全く異なる分野の概念を扱っていますので、統合するのではなく、記事名をより適切なものに変えるほうがいいでしょう。項目名は、今の「属国」を「付庸関係」に、今の「付庸国」を「付庸国(冊封体制)」と変えるのが分かりやすいかと思います。前者を「付庸国(国際法)」としないのは、「国家結合」の記述と合わせるためです。
また、記事名を変えるのであれば、今の「従属国」から「属国」といった、専門用語から俗称への逆方向のリダイレクトも正すべきです。「付庸国」をあいまい回避として改めて作成し、「属国」「従属国」「附庸国」をそこへのリダイレクトとするのが、良いでしょう。こうすれば、同じ意味である、「従属国」、「付(附)庸国」を一つに統合できます。
あとは、「付」と「附」のどちらを使うかという問題もあります。 --Yhiroyuki 2010年7月15日 (木) 14:23 (UTC)
(追記)国際法の「付庸国」と東洋史の「付庸国」は概念としては別物です。共通点は、大国に従属(付庸)しているという、文字通りの意味だけです。 --Yhiroyuki 2010年7月15日 (木) 14:58 (UTC)
辞書的には同義ということは統合しても問題ないんじゃないでしょうか。国際法による観点と東洋史における冊封体制をYhiroyukiさんのお考えで、整理の便法として分けたと仰ってますが、それが問題だと感じております。そのような恣意的な整理は特定の観点の推進や独自研究にあたると思います。実際問題、服属関係にあるのは東洋も西洋も同じなのですから統合するのが筋だと思いますし、その方が閲覧者の利益に適うでしょう。記事の分量の面からいっても両記事とも5kにも満たない小さな記事なので別々に立項する必要がありません。差異があるのであればごたまぜにせず、きちんと節を分けて説明すればいいと思います。
属国が俗称であるという点につきましても疑問です、日本語として辞書に属国で記載がありますし、通りがいいのも属国でしょう。
「国際法の「付庸国」と東洋史の「付庸国」は概念としては別物です。」とのことですが、チベットは西洋史に分類されるのでしょうか?どう概念的に違うのかご説明いただけますか。国際法も整備されだしたのは20世紀に至ってからだと思うのですが・・・--Arstriker 2010年7月15日 (木) 15:11 (UTC)
(追記)付庸国でYhiroyukiさんが挙げられている学術資料[7]でも冊封国について「属国」と記されています。これにより、「属国」は俗称ではないということと、東洋史における冊封国もまた「属国」であること、の二点がわかります。--Arstriker 2010年7月15日 (木) 16:46 (UTC)
  • 辞書的に同義というのは、単語に互換性があるというだけに過ぎません。国家結合の意味で、「従属国」と書く文献もあれば、「付庸国」と書く文献もあります(これは西洋語の翻訳です)。一方で、中華王朝の朝貢国という意味で「藩属国」「従属国」と書いたり、「付庸国」と書いたりする文献があります(こちらは漢字語です)。国家結合の意味の「従属国」と中華王朝の朝貢国という意味の「従属国」は、西洋語の翻訳と漢字語という性質の違いがあります。(なお、文献により用語の適用範囲やニュアンスが微妙に異なっている場合があります)
  • 二つの観点の違いについては、私は専門家ではないので、本を読んで勉強するか、大学の専門家に学ぶのが適切です。誤解を招かないように正確に言っておくと、両記事の違いは、国家結合の従属国対、中華王朝の朝貢国としての従属国の対立です。結論だけがわかりやすいものとしては、大きめの国語辞典で「従属国」など調べると、一般的な意味を第一義として説明し、第二義で国家結合に相当する解説がされていることがあります。
  • 単純に属国という枠組みで括ると、保護国や同君連合の下位国、傀儡政権、植民地、朝貢国、進貢国など、非常に多様な国について解説することになってしまい、解説として成り立ちません。項目名を「属国」とするとしても、解説対象は限定的なものにする必要があります。
  • そもそも、この記事の解説は専門用語として行っているので、他分野の概念と一緒にすると定義を明確に記述できなくなります。また、多くの場合、この意味の付庸国は宗主国と名目上の関係しか持たず、実質的には独立国であり、一般的な意味での属国には見えないことがあります。
  • この記事の解説している内容は国際法の専門書では大体が「付庸国」となっています。「従属国」も使われてますが、この意味での「属国」は見かけません。それがなぜ、この「属国」に記述しているかというと、今のArstrikerさんのように、いろいろな属国を一つにまとめようとして失敗したからです。最初は、「付庸国」もリダイレクト化するつもりだったのに、残ってしまいました。
  • 清朝時代のチベットに関しては、なんで入っているのか私もよく分かりません。詳しくは、国際法の専門家にお聞きください。チベットはイギリスと外交関係を持っていたので、その関係ではないかと思います。なお、専門書やブリタニカで代表例として挙げられているのを見かけます。ただ、ブルガリアやエジプトは、ほぼ常に名前が挙がるのに、チベットには触れない文献があります。なので、冒頭文ではブルガリア、エジプトだけを挙げています。
  • なお、近代国際法は19世紀には今の枠組みができていましたし、国家結合で重要な主権概念は17世紀頃に発達しています。とりあえず、国際法の歴史を学ぶ最初のとっかかりとして「万国公法」の記事を読んでみるのも面白いかと思います。
  • どうしても、「属国」という名称にこだわられるのであれば、今の記事の内容を「付庸関係」に、コピペ移動(今の記述はほぼ全部、私の投稿です)し、今の「付庸国」を「属国」に統合が一つの解かと思います。 --Yhiroyuki 2010年7月15日 (木) 17:13 (UTC)
私もYhiroyukiさん同様、専門家ではありません。私が最も危惧するところは、既に述べている通り、執筆者による恣意的な仕分けが為されているのではないか、ということです。もし、今の仕分けが学術的に正しいとの根拠があるのであれば無理に統合は主張しません。「属国」に拘るというのも、それが一般的な語句であり、学術的にも通用するので適していると考えているだけです。いずれもそれなりの根拠を示されればこちらとしても十分、主張撤回する準備があります。が、正直なところ、現状ではう~んという感じです。こちらの問題に詳しい方がいらっしゃるかもしれませんので少し待ってみませんか。コメント依頼も出してみます。--Arstriker 2010年7月15日 (木) 17:56 (UTC)
  • 属国が、国際法学者による厳密な定義とははなれて、用いられる例がある以上、それらの様々な意味の違いにわけてそれぞれ例を挙げればいいと思います。記事の統合は、付庸国など定義がむしろはっきりしている場合には必要なく、属国の一つの定義からリンクを張ればいいのではないでしょうか?
  • 付庸国は、一般的な意味での属国と同じ意味だと、辞書的にはなっているようなので、統合に賛成します。(広辞苑・ふ‐よう【付庸・附庸】宗主国に属して、その命令に従う弱小国。従属国。付庸国。)。統合は、属国の記述を主にし、付庸国の記述は一般的意味での属国の説明として残せるところは残せばいいのではないでしょうか。
  • 特に、朝鮮を属国と書く記述がかなりあるにもかかわらず、それを記述しないのはかなりPOVだとおもいます。Nakata88 2010年7月15日 (木) 21:37 (UTC)
  • 私の言いたいことで一番重要なことは、国際法での付庸関係は一般的な意味での属国とは、項目を分けて記述しておいたほうがいいということです。もともと、国際法学者はこの意味では属国という表現を使いません(国際法用語としては「従属国」または「付(附)庸国」が正しいし、一つの国際主体になっていることを重視する点で、一般語の属国とは指し示すものが異なる)。記事を整理するのであれば、これを機会に国際法について解説する記事を、実際に使われている専門用語に即した名前にしたい。保護国が単一の記事であるのに、近縁概念である国際法の「従属国」に単一記事がないのも、よろしくないです。
  • 一般の百科事典でも、「属国」ではなく「従属国」「付(附)庸国」という名称で、国際法についての記事があるのが普通です。また、私の力量不足で全然できていないのですが、真面目に解説すると結構な文量になるはずです。例えば、宗主国が条約を締結すると国際主体としては単一であるために従属国も拘束されるとか、戦争になったらどうだとか、そういう話題があります。
  • 今、「属国」という名前の記事で国際法の解説をしているのは、整理の過程でそうなってしまった、というか私のミスで、あまりよろしくない状態ではあるんです。記事「属国」を「属国」一般の解説にするのであれば、国際法の従属国についての詳細を各記事に飛ばすのが自然です。「付庸国」のほうにはそうした記述を入れてあります。
  • >朝鮮を属国と書く記述がかなりあるにもかかわらず、それを記述しないのはかなりPOVだとおもいます。
    勘違いされておられるようなので、指摘しておきます。これについては、記事名が「属国」とありながら、「属国」一般について解説する記事ではなかったという、ただそれだけのことです。なので、本来の属国とは別物である今の国際法の記述を余所に追い出せというなら分かるんですが、なんで、無理やり一つにしようとするんでしょうか。 --Yhiroyuki 2010年7月16日 (金) 11:30 (UTC)
  • 国際法の講学上の用語と、国語上の用語がずれる場合、国語を優先するのが一般的な百科事典たるウィキペディアではだとうだと思います。広辞苑にはは属国は従属国・付庸国このとであると書いてあるので、属国は一般的にはそうしたものを含むとして、あげておき、各論でその解説に進むべきだと思います。そして、各論つまり、国際法上の従属国などの記事が独立するに足る場合には、別項に書けばいいわけですが、従属国という用語の場合は、国際法上の用語と一般的な用語が同じ用語ですので、その項だけは、おなじ項目にかかざるを得ないとおもいます。したがって、従属国は一般的用法と、国際法上の用法が二つかかれることになるのは必然だとおもいます。Nakata88 2010年7月16日 (金) 13:52 (UTC)


ちょっと判然としていなかった為、調べて整理してみました。 佐分晴夫 名古屋大学教授(国際法)による分類。

従属国(広義)  事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。

従属国(狭義)

付庸国

一国の一部が国内法により独立的地位が認められたもの。
(国内法を根拠とする。)

被保護国(保護国)

条約により他の国家の保護下にあるもの。
(国際法を根拠とする。)

【参考資料】

  1. 日本大百科事典(小学館)/従属国
  2. 日本大百科事典(小学館)/保護国

資料1.より

  • 従属国(dependent state)-広義では、事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。狭義では、付庸国と被保護国を意味する。
  • 付庸国(vassal state)-一国の一部が国内法により独立的地位が認められたもので、なお本国との従属関係が残されているものをいう。
  • 被保護国(protected state)-条約により他の国家の保護の下に置かれ、通常は対外的権能の一部が制限されたもの。
  • ※付庸関係、保護関係とも、その内容は一律ではない。

資料2.より

  • 引用1『被保護国のことを保護国とよぶ場合もある。』
  • 引用2『なお、同様の従属国として付庸(ふよう)国があるが、国内法に基づき一定の独立的地位が認められている点が、国際法を根拠とする被保護国と異なる。 』

他にも少し調べてみたのですが、一般には、属国=従属国(広義)である(学術的(国際法)には従属国が主に用いられる)がいえると思います。つまり、属国とは何かしらの従属的な関係が認められる国といえます。
ポイントを整理します。

  • 保護国は、条約(国際法)によって保護下にある独立国。
  • 付庸国は、国内法によって一部独立的権能を持つ非独立国。
  • 保護国、付庸国は、従属国(狭義)である。
  • 従属国(狭義)、付庸国、保護国、冊封国など何がしかの従属的な関係を宗主国と結んでいる国は全て従属国(広義)である。
  • 従属国(広義)は、一般に属国と呼ばれる。
  • 従って、現状の属国付庸国保護国の区分けは不適切である。

※上記から保護国についてもとりあえず統合提案をさせていただきます。
冊封国は中華思想的には付庸国ということになるでしょう付庸国でも保護国でもないので広義の属国でいいと思います
統合後の章立て、或いは、分類的には、

  • 属国
    • 付庸国
      • 一般付庸国
      • 中華思想における付庸国=冊封国
    • 保護国
    • 冊封国

といったところではないでしょうか。おかしな点等ありましたら突っ込んでください。--Arstriker 2010年7月16日 (金) 14:52 (UTC)(冊封国分類修正--Arstriker 2010年7月16日 (金) 18:56 (UTC))

  • 賛成 この図は私が思っていたことそのものですので、賛成です。表現が難しいと思っていたので、図にしていただいてすっきりしました。この図の通りにまとめていただいたらいいのではないかと思います。従属国(属国)は広義、狭義の二義になりますが、それが妥当でしょう。この説はたぶん通説だろうと思うので、説の説明として、非常にいい図ですので本文にそのままあげられたらいいのではないでしょうか。力作だと思います。その他も、細部までは検討してませんので留保はしますが、大筋で賛成です。Nakata88 2010年7月16日 (金) 16:33 (UTC)
  • よく読ませていただきましたが、柵封国は狭義の属国の内、付庸国にはいるというのはあげておられる教授の説なのでしょうか?柵封体制は近代的国際法の付庸国ではないようにも見えるのですが。そもそも、柵封体制は国内法ではなく一種の条約ではないですか?もし、付庸国に入れておられる説があるならその説を明示していただきたいと思います。自分としては、厳密に入らないなら、広義の属国に入れておけばいいと思っていました。そこの説明をお願いします。Nakata88 2010年7月16日 (金) 17:42 (UTC)
    • Yhiroyukiさん、Nakata88さん、ご賛同ありがとうございます。現状、議論参加者全員の同意がとれましたが、統合のガイドラインでは公示期間を長めにとるよう書かれておりますので、少なくとも一週間程度はこのままご意見を募る状況を継続しようと思います。
    • 冊封国の分類ですが、出典での言及は見つかりませんでした。仰っているように広義の属国であるというのは間違いないと思うのですが、分類上どこに入るのかを考えたとき頭が痛くなりました。冊封国の実際は(一律ではありませんが)基本的に一種の条約によって結ばれた従属関係にある独立国であると思うのですが、近代的な条約によって保護下にある保護国とは異なるような気がしました。そこで、視点を変えて中国の立場に立ち、中国皇帝が全ての土地を支配し、他国王は中国皇帝の臣下にあたり国を治める権限を有しているという中華思想でいうならば付庸国かなと思い、上記の分類を行いました。しかし、今思うと、Nakata88さんの仰るのが尤な気がします。広義の属国ということでいいと思います。--Arstriker 2010年7月16日 (金) 18:47 (UTC)
  • 柵封国については、たぶん、うろおぼえですが、近代的国際法体系ではないので、広義の属国にあつかうというのがだいたいの議論だったのではないかとおもいます。ソースが見つかれば、近代的国際法体系での属国に入れればいいと思いますが、それでなければ、一般的な属国の方にウィキペディアの記述原則としてはしておくのが妥当ではないでしょうか。Nakata88 2010年7月17日 (土) 00:44 (UTC)
なるほど、分類的にこういうことでしょうか。
  • 属国 (従属国。広義には・・・狭義には・・・を指す。)
    • 狭義の従属国 (狭義には付庸国と保護国を指す。)
      • 付庸国
      • 保護国
    • 冊封国 (狭義の従属国に該当しない例として・・・)
細かな点でもお気づきの点がございましたら忌憚なくご指摘ください。--Arstriker 2010年7月17日 (土) 07:47 (UTC)
柵封国のあげかたは広義の従属国としてあげる方が、記述としては自然な気がします。あとは同意です。Nakata88 2010年7月17日 (土) 19:56 (UTC)
確かに「広義の従属国」も見出しとして明示した方がいいかもしれません。判りました、そうしましょう。--Arstriker 2010年7月19日 (月) 06:01 (UTC)
  • 反対 属国というのは、通俗的な概念でむしろここに統合するよりも、この記事自体を分割したほうがいいと思います。それと、このページ名は、差別的な記述を書き捨てる匿名IDによる編集が多い点も問題です。--尚玉 2010年7月19日 (月) 14:45 (UTC)
属国というのは辞書にも載っており、学術文書でも使用される立派な用語です、これを通俗的とするのは独自研究にあたりますので受け入れられるものではありません。それと「差別的な記述を書き捨てる匿名ID」については別途コミュニティとして対応すべき事案であり、ここでの議論の範疇を超えていますので、ここでは取り上げません。--Arstriker 2010年7月19日 (月) 14:57 (UTC)
たとえば、属国の外国語版は三カ国しかありません。英語版では出典が要求されています。つまり現状の記事名は、国際的に見ても問題があると見なされるいるわけです。記事名はより学術的に狭義の概念のものに改めるべきだと思います。--尚玉 2010年7月19日 (月) 15:09 (UTC)
他国語版での状況は他国語版での状況です。英語版で出典が要求されているのは記事内容についてであり、記事自体の存在を否定するものではありません。学術的にも広義と狭義の2つの概念が存在するため全く問題ありません、上の佐分晴夫 名古屋大学教授(国際法)による分類を参照ください。--Arstriker 2010年7月19日 (月) 15:26 (UTC)
コメント 一点指摘。あなたは今、この記事を、辞書にある文字通りの意味の「属国」(上の事典での広義の属国)を主題とし、そこに属国に関連する専門用語の解説も包含する形に書きなおそうとしています。このような記事を書くには、複数の専門分野へのすぐれた理解がないと困難です(だから、私は途中でその方向性を捨てて、国際法分野での解説だけに改めた)。広い意味での属国に関する主要な記事で、すぐに見つかっただけでもこれだけあります[8]。関連する分野は非常に多岐にわたり、調査に著しい困難が待っていることは予想できておいででしょうか。 --Yhiroyuki 2010年7月19日 (月) 16:11 (UTC)
Wikipediaは一人で作り上げるものではありません。複数の専門分野の知識が必要で自らに知見がなければ、個々に知見のある人の登場を待てばいいのです。そうして個々人が協力して作り上げていけば宜しいものと理解しております。現状の区分けは学術的に正しく分類、整理できていないため、それらを統合し分類するところまでは十分お手伝いできるものと考えます。後々の充実した記事の雛形を作成するのが私の目的です。Yhiroyukiさんにも協力できる部分でお手伝いいただけたらと考えております。--Arstriker 2010年7月19日 (月) 16:28 (UTC)
コメント保護国とみなされる国家はすべて、非保護国の属国であるということなのでしょうか? 保護国とは属国であると表記されることが一般に膾炙しているのでしょうか? リヒテンシュタインがスイスの「属国」? モナコはフランスの「属国」? アンドラはフランスの「属国」、それともスペインの「属国」? ブータンはインドの「属国」? 一部の行政機能を他国に依存する「保護国」的なミニ国家はすべて属国扱いになるのでしょうか? 「朝鮮は清の属国である」と書き込めさえすれば、「属国」記事には用事ないんでしょう? 記事自体を発展させようとか充実させようなんてのことはどうでもいいんでしょう? 「現状の区分けは学術的に正しく分類、整理できていない」とか、これまでどれだけ国家の分類整理に関する記事に対して有益な寄与をしてきたんだか。韓半島がらみの記事から永久に出てこなければいいのに。
ご指摘の通り、いままで国家の分類整理に関しては携わったことはございません。従って私は、今回の統合議論でも多くの方、とりわけ知見を持つ方のご意見を賜りたいと考えており、仮に統合反対に相応の根拠があれば統合提案は撤回する用意はできております。しかし、現時点では、調べたところ、現在の区分けがおかしいと考えているので統合案を支持、推進しているのです。現状では、保護国、属国、付庸国が独立して立項されており、それぞれの位置づけや分類の説明が欠如している状況です。各々に書かれている内容も適切でないということもご理解いただけていると思います。『「朝鮮は清の属国である」と書き込めさえすれば、「属国」記事には用事ないんでしょう?』とのお言葉ですが、これは半分正しく、半分間違っています。正しいというのは朝鮮は清の属国であったという相応の根拠ある事象は記載されるべきと考えるからで、間違っているというのは相応の根拠がなければ記載されるべきではないと思っているからです。私は客観的な記載をWikipediaに求めているだけであり、ありがちな欺瞞やごまかしは払拭したいと考えているだけです。Wikipediaの執筆においては(もちろんその他でもですが)公正たるべきだとは思いませんか?まだまだ時間はたっぷりございます(必要ならば延長もします)ので相応の根拠ある反対意見がございましたら遠慮なく書き込んでいただけたらと思います。尚、上であげられたリヒテンシュタインなどの国家群は非常にゆるやかな結合によって他国と連帯しているようですので広義の意味での属国、或いはそれに比すものとして記載できるものと考えています。--Arstriker 2010年7月19日 (月) 22:47 (UTC)
個人の案としては、本記事名を属国から従属国に改名した上で、保護国付庸国衛星国等関連する概念は別記事として、本記事では簡単な説明にとどめ、詳しくは各記事を参照とリンクを張るのが理想だと思います。これだと、上でArstrikerさんがまとめた表通りになります。属国という現行の記事名は広範囲にわたって通俗的に使用されていますので、朝鮮半島関連の匿名ipアドレスによる差別的な書き込みや、逆に「日本は戦後アメリカの属国と呼ばれることもある」といった日本を嘲笑するような書き込みが絶えず、ふさわしくないと思います。少なくとも現行記事に統合するのは反対です。--尚玉 2010年7月20日 (火) 00:51 (UTC)
  • 既存の学問的な根拠のある小項目記事を破壊してまで通俗的な概念を主題にした中項目的な再構成をしようとしているにも関わらず、提案者にその重大性への認識が不十分なうえに、解説対象への見当違いの発言を繰り返しているため、賛成票を撤回とします。「属国」全般についての解説をしたいだけなら、既存の記事を無理に統合する必然性はありません。今の「属国」の「附庸国」についての解説を適切な名前に移動し、跡地に新記事を作成する事をお勧めします。 --Yhiroyuki 2010年7月20日 (火) 00:45 (UTC)
  • 属国の定義の出典は、上記にあげられているとおりです。この項目が必要なのは、世界に植民地主義がいまだに、チベットやウイグルのように存在しているからで、国際法上も議論されていることです。事実を直視しない行為には嫌悪感を覚えます。出典もソースも明かですし、国際法の教科書に載っているようなことが記載できないようではウィキペディアではなんにもかけなくなります。
  • 従属国という項目が必要なのは、国と国との関係が、論理的に決められるのではなく、政治力学、経済力学的にきめられるからで、名称は現実の後追いだからです。したがって、項目が先に存在しているかのような記述は誤解を招きます。総合的な紹介をした上で、項目に細部を譲るのがいいと思います。
  • ただ、統合をする必要が無いことは、同意です。総合的な記事の方が現実にとって近似的接近ができるから総合的な記事は必要だと思いますが、ただ、独立して付庸国の記事が存在しうるような記事の量があるなら付庸国の記事と統合する必要はないでしょう。その意味で、統合に対する私の賛成票は、条件付き賛成と訂正します。Nakata88 2010年7月20日 (火) 01:10 (UTC)


では、記事統合は中止とし、次のような変更とするということでどうでしょうか。

  • 属国 現状:付庸国の説明のみ 

→ 狭義の属国については概説、若干の例示のみとし、詳細は個々の記事(付庸国保護国など)へのリンクとする。その他の広義の属国(冊封国など)についての説明を行う。

  • 付庸国 現状:冊封国の説明のみ

→ 冊封国の内容を削除し、現状の属国の付庸国の説明を移動する。

→ 今回特にいじらない。

ご意見ください。--Arstriker 2010年7月20日 (火) 02:08 (UTC)

  • 属国を従属国に移転し、内容は広義の従属国と狭義の従属国の説明にとどめ、詳細は個別項目に譲るのが妥当だと思います。従属国を属国と呼ぶのは侮蔑な場合が多いので、従属国(属国)という表記にしたらいいのではないでしょうか。あとは同意です。Nakata88 2010年7月20日 (火) 02:13 (UTC)
  • Arstrikerさんの書いたこの図をあげて総論を書けばいいと思います。具体的記述はリンクに譲ればいいということです。

佐分晴夫 名古屋大学教授(国際法)による分類。

従属国(広義)  事実上、政治的、経済的に従属関係にある国。

従属国(狭義)

付庸国

一国の一部が国内法により独立的地位が認められたもの。
(国内法を根拠とする。)

被保護国(保護国)

Nakata88 2010年7月20日 (火) 05:39 (UTC)

お手数おかけしました。上記のとおりで結構です。属国→従属国への記事名変更も了承します(概要には別名として「属国」を記載したいと思いますが)。これであらかた、他の皆さんもOKでしょうか。--Arstriker 2010年7月20日 (火) 06:05 (UTC)
念の為、記事イメージを下に記します。

従属国
  広義では~、狭義では~がある(後述)。属国ともいう。

 ==従属国(狭義)==
 狭義には~。

 ===付庸国===
 付庸国は~。
 付庸国参照。

 ===保護国===
 保護国は~。
 保護国参照。

 ==従属国(広義)==
 ===冊封国===
 冊封国は~。
 冊封国参照。

 ===傀儡政権===
 傀儡政権~。
 傀儡政権参照。

 ・・・

こんな感じでしょうか。--Arstriker 2010年7月20日 (火) 06:23 (UTC)

  • 図の包含関係そのままに、図を上から書き下す方がわかりやすいと思います。でも、これ以上言葉で説明してもあれなので、書いちゃってください。その後、必要だとおもったら並べ替えとかさせてもらいます。Nakata88 2010年7月20日 (火) 08:03 (UTC)
  • 上記了解です。ここまでの議論結果に基づき、統合提案を取り下げ、属国従属国への改名提案を提出致しました。公示の都合上、下に議論節を新設しますので続きは下でということに。--Arstriker 2010年7月20日 (火) 09:15 (UTC)

改名提案

現状の「属国」が記事名として不適とのご意見がございましたので「従属国」へと改名を提案しました。「従属国」は学術用語(国際法)における当概念の一般的用語となります。詳細については上記、#統合提案をご参照ください。ガイドラインに従い本日より1週間ほど公示期間を設けますのでご意見がございましたらお願いします。--Arstriker 2010年7月20日 (火) 09:24 (UTC)

次の手順でいかがでしょうか。

  1. 付庸国の内容を冊封国にコピー。作業はWikipedia:ページの分割と統合#分割の手順に準じて行う。コピー後適切に編集。
  2. 付庸国の内容をクリアし、適切に編集。(現状の属国からコピーする場合は、Wikipedia:ページの分割と統合#分割の手順に準じて行う。)
  3. 属国の内容を上に挙げた記事イメージに書き換える。
  4. 属国従属国に改名。Wikipedia:ページの改名に従って実施します。

上記1~3まではすぐにでも行えると思うので、もしYhiroyukiさんがやっていただけるというのであればお願いします。4の改名については今週末頃に実施したいと思います。その際に1~3までが未実施であれば併せて実施します。問題等ありましたらお知らせください。--Arstriker 2010年7月26日 (月) 13:02 (UTC)

1,2 を実施しました。付庸国から冊封国へは実質的に改名なので、分割の手順にはよらず、要約欄で履歴継承の宣言をしています。ノートは普通に移動しています。付庸国へは自分の投稿内容に加筆して再投稿しています。 --Yhiroyuki 2010年7月26日 (月) 14:44 (UTC)
3,4を実施しました。従属国内容についてはとりあえずですので、お気づきの点などございましたらご修正ください。--Arstriker 2010年7月30日 (金) 16:10 (UTC)