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ノート:張飛

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劉備・関羽・諸葛亮はともかく趙雲が神格化されてますか?(劉備もどうかな?)らりた 2006年1月9日 (月) 11:53 (UTC)[返信]

趙雲廟と劉備の武侯祠(昭烈帝廟)というのがあるそうですが、お墓の意味合いが強いようです。皇帝から明白に神にされた関羽と同列ではないと思いますが、中国なのでそのへんはあいまいかも。Izayohi 2006年1月9日 (月) 12:32 (UTC)[返信]
大邑武侯祠(昭烈帝廟)
元々有ったので疑問に抱くでもなく残しましたが、趙雲が神格化されているという記述は特に見当たりませんね。どうしましょう。--Ice-upperlake 2006年2月19日 (日) 15:51 (UTC)[返信]

修正の提案

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「三国志を著した陳寿は、蜀志「関張馬黄趙伝」の張飛伝の最後に張飛と関羽の人物評を併せて載せ、このように括っている。」とありますが、原文を見ると「関張馬黄趙伝」の「評」の部分にあたるのではないかと思われます。--マー伯爵12世会話2019年9月4日 (水) 10:07 (UTC)[返信]

『真説三国志』等を出典としたIPユーザーの加筆について

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「庶民の出だった」という表記で出自を加筆することについて、合意形成を要請します。もちろん理由はありますが、当該ユーザーがこれまで議論に応じたことがなく、書いても徒労に終わるかもしれないので、ひとまずその提言だけに留めます。--鳴海会話2023年12月20日 (水) 12:06 (UTC)[返信]

張飛立馬銘について

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こちらで改めて記しますが、張飛立馬銘に関する最も古い言及は楊慎全蜀芸文志』に見られ、本来は「流江県紀功題名」というようです。しかし、これを偽作とする研究が複数あります。そもそも、参考にしたらしい百度百科にも「但该通铭文经专家学者从铭文的源流、内容及书法等方面加以考辨,认定其为伪刻」と書かれています。

張飛を能書家とする情報は他にもあり、それらも先んじて提示しておきます。「刀銘」(陶弘景古今刀剣録』)や「刁鬥銘」(楊慎『丹鉛総録』)、「新都県真多山題名」(楊慎『全蜀芸文志』)が挙げられますが、張飛立馬銘も含め全て偽作であろうとのことです(蔡 2008:11; 羅・王・瞿 2014:16-18)。刀銘に関しては、張飛が新亭侯になった時期は入蜀よりも前で、さらに「大将」ではなく「大将」と称するのはおかしいという指摘もあります。孫引きになりますが、『三国志集解』で盧弼にもつっこまれています(蔡 2008:11)。

いずれにせよ、これらの銘文は、後世における張飛の人気や、それに伴う人物像の変化(粗暴な猛将→知勇兼備の儒将)を示す根拠としてなら言及する価値はあると思いますが、多数の研究者から偽作だとされていることに触れず、あたかも真作であるかのように記述するのは、単に正確性に欠けるだけでなく、不誠実であると考えます。張飛立馬銘について最初に記載された方がこれを史実として示したいのか、それとも後世の創作の一つとして語りたいのかがわからず、全削除も視野に入れましたが、とりあえず偽作としての情報を加筆するに留めました。また、仮にこの銘文に関する記述を残すのであれば、本文中よりも注釈で示すべき内容ではないかとも思うものの、これ以上編集する意思が私にはないため、以降は他の編集者の方にお任せします。

同様に繰り返しになりますが、参考文献は以下の論文2つです。

  • 蔡東洲「民間文化与張飛形象的演変」『西華師範大学学報(哲学社会科学版)』第5号、2008年、7-14頁。 
  • 羅盛吉、王中龍、瞿正瀛「張飛豈是多才芸之俊秀文人?」『湖北文理学院学報』第12号、2014年、15-22頁。 

また、アクセス権限がないので内容を確認できていませんが、以下の論文でも銘文は偽作と見なしているようです。これに関しては、羅盛吉、王中龍、瞿正瀛(2014)の17-18頁に言及があります。

  • 胡寧「《張飛立馬銘》真偽考弁」『中国歴史文物』第6号、2008年、73-80頁。 

--胡馬会話2024年2月18日 (日) 09:01 (UTC)[返信]

記事の投稿者です。異説にしろ、真説にしろ、記事として残ること自体は良いことではないでしょうか。回答・解説の提出に感謝します。--イステミ会話2024年6月30日 (日) 15:09 (UTC)[返信]