ノート:広島西飛行場
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「広島西飛行場」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www.jal.co.jp/dom/onto/の書式設定/使用方法を修正
- http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1193371717101/index.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20120111070510/http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1193371717101/index.html)を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月4日 (水) 06:41 (UTC)
「広島ヘリポート」への改名を提案します。
[編集]記事内容によると2012年に公式名称が「広島ヘリポート」に変わっているということなので、記事名もそれに合わせることを提案します。--Mythomania(会話) 2022年1月29日 (土) 14:27 (UTC)
賛成(変更されずに10年近く経っているのは驚きですね…) 運動会蛋白質力(会話) 2022年1月29日 (土) 15:47 (UTC)
反対 広島ヘリポートとなってからのことについて全くと言っていいほど記述されていないため、少なくとも現状のままでは改名は不適切であると考えます。--YTRK(会話) 2022年1月31日 (月) 12:11 (UTC)
返信 (YTRKさん宛) YTRKさんは「広島ヘリポートとなってからのことについて全くと言っていいほど記述されていない」とお書きです。広島西飛行場#空港跡およびヘリポートの再開発には広島ヘリポートとなってからのことについて書かれているので全く書かれていないというわけではありません。もっとも、「全くと言っていいほど」と書いておられるのでご自身の主観的な印象であることは認識しておられるのでしょう。また、広島西飛行場#広島西飛行場廃止までの経緯のかなりの部分は「広島西飛行場廃止の経緯=広島ヘリポート開設の経緯」について記述しているので、「広島ヘリポートとなってからのことについて」の記述ではないものの「広島ヘリポートについて」の記述ではあると思います。このあたり、どうお考えでしょうか。--Mythomania(会話) 2022年2月2日 (水) 23:18 (UTC)
- 返信 記事には目を通したうえでコメントしていますので、0でないとはいえ現状の記述量・方法では不足であるということです。--YTRK(会話) 2022年2月3日 (木) 12:14 (UTC)
コメント(反対寄り) YTRKさんのおっしゃるとおり、本記事は「広島空港→広島西飛行場の開設から廃止の経緯」までは書かれていますが、「広島ヘリポートの開設の経緯」及び「広島ヘリポートとしての運用」の記述が薄いと考えます(前者に関しては、「広島ヘリポート」を積極的に開設しようとしたものではなく「広島西飛行場」の跡地利用の一環としてヘリポートというものが現れた、という記述構成であると勘案しています)。積極的な反対とまでは言いませんが、現状では無理に改名する必要がないのでは?というのが当方の見解です。--Bsx(会話) 2022年2月2日 (水) 23:26 (UTC)
- 補足 ちなみに、「公式名称が広島西飛行場から広島ヘリポート」に変わっているのではなく、「広島西飛行場が廃止されて、跡地に広島ヘリポートが開設された」というのが法的な(条例上の)手続きでの取り扱いです。--Bsx(会話) 2022年2月2日 (水) 23:31 (UTC)
コメント 跡地利用ということであれば、広島空港→広島西飛行場の名称変更も国営の広島空港が廃止されて県営の広島西飛行場が開設されたという点では同じであるように思います。広島空港→広島西飛行場→広島エアポートというように名称変更の度に規模が縮小されてきているわけですが、当初の「広島空港」でも現在の「広島エアポート」でもなく途中の「広島西飛行場」を記事名にするのは中途半端なように感じます。--Mythomania(会話) 2022年2月3日 (木) 02:16 (UTC)
- 法的な位置づけについてはあくまでも「補足」です。
そもそもヘリポートになった時点で空港法に基づく空港ではではなくなっているので、本記事の対象が空港である前提で「広島ヘリポート」に改題することに関しては否定的ですし、旧広島市民球場などと違って10年間は「広島西飛行場」として運用されてきた訳なので記事名としてもそこまでおかしくないと思います(どうしてもそこにこだわるのであれば「広島空港 (初代)」みたいな記事名にすることも可能でしょうが、それもねぇ…というのが正直な感想です)。--Bsx(会話) 2022年2月3日 (木) 03:54 (UTC) 事実誤認があったので訂正--Bsx(会話) 2022年2月4日 (金) 23:50 (UTC)
コメント 空港法などを参考に調べてみたところ、国土交通省の空港一覧[1]には『2.ヘリポート・非公共用飛行場』として広島ヘリポートが記載されています。(ちなみに成田国際空港などが記載されている『1.』は『1.空港(ヘリポート・非公共用飛行場除く)』です。)つまり、2012年に廃港になったのは「広島西飛行場」という「空港」であり、「広島ヘリポート」という「空港」は現存しているということになるように思います。--Mythomania(会話) 2022年2月4日 (金) 15:58 (UTC)
- 返信 当方の事実誤認を正していただき、ありがとうございます。その上で、同じように空港(飛行場)として廃港になりヘリポートに転換された施設として枕崎飛行場(枕崎ヘリポート)がありますが、こちらも記述内容が飛行場中心でヘリポートとしての記述が極めて少ない状況です(そもそも他の公共用ヘリポートの記事を見ても、ヘリポート自体の記述に乏しいのではないかと勘案しています)。いずれにしても、記述内容が(航空機の離発着していた)飛行場時代の記述が中心なのに、敢えて記事名だけヘリポートに変えることにこだわるのはいかがなものか、と思う次第です。--Bsx(会話) 2022年2月4日 (金) 23:50 (UTC)
返信 (Bsxさん宛) 現在の「広島西飛行場」の記事の内容については、「(旧)広島空港」、「広島西飛行場」、「広島ヘリポート」の3つにわけることができます。Wikipediaの記事で時々見かける表現で「あわせて○○についても記述する」というのがあります。現在の記事の内容は、この書き方を使って、「広島西飛行場は・・・。あわせて(旧)広島空港、広島ヘリポートについても記述する。」と書いてもおかしくない内容です。つまり、3つのうちどれを記事名にしてもよい訳ですが、空港としての重要度の点で言うと「(旧)広島空港」でしょうし現在の名称という点で言うと「広島ヘリポート」ということになるので、以前にも書いたように「広島西飛行場」という記事名はどうも中途半端なように感じます。(「(旧)広島空港」というのは記事名としてはもう一つなので、あいまいさ回避を使って「広島空港 (広島市)」でしょうか。)つまりのところ、「なにか気持ち悪いな」という程度のことなので、「こだわるのはいかがなものか」と書かれてしまうと、「うーん、そういうわけでもないのだけれど」というところです。--Mythomania(会話) 2022年2月8日 (火) 17:55 (UTC)
- 一応「仮に」という前提でコメントすると、広島空港時代を前提に記事名に据えるのであれば「広島空港 (初代)」なんだろうとおもいます(「北九州空港 (初代)」「種子島空港 (初代)」という例もあります)。「広島西飛行場」とどちらがいいかという話になると別の議論になりそうな気もしますが、いずれにしても「広島ヘリポート」という記事名では題名と内容の乖離が酷いと考える次第です。--Bsx(会話) 2022年2月9日 (水) 13:38 (UTC)
- これは広島西飛行場の記事なんだ、広島ヘリポートではないんだ、と主張するのなら、広島西飛行場の記事として整備したらいかがでしょうか。今のこの記事は、歴史は年表だけ、廃港のところだけ妙に長い、といういびつな構成で、広島西飛行場の記事にもなっていない、と思います。広島空港の参考文献に使われている「新広島空港の開港に伴う現広島空港の存続問題」の方がよほどよくまとまっています。--西村崇(会話) 2022年2月15日 (火) 23:47 (UTC)
吉島飛行場について
[編集]広島西飛行場#歴史に「(吉島飛行場は)戦後はグライダー訓練施設としてのみ活用される状況であった。」という記述があります。この記述は、東亜航空#概要にある「当初は、広島市中区吉島に陸軍飛行場として建設された吉島飛行場を拠点として遊覧飛行や宣伝飛行のみを行っていたが、1956年に鹿児島 - 種子島線の免許を取得してから徐々に定期航空路線を拡大し、広島・鹿児島・小倉・大阪・松山を中心とする路線に就航。1961年には吉島飛行場の閉鎖により、拠点を広島空港(後に広島西飛行場を経て現在の広島ヘリポート)に移転した。」という記述と食い違っています。東亜航空の開業時期や旧広島空港の開設時期から見て、東亜航空の記述の方が正しいような気がするので検証をお願いします。--Mythomania(会話) 2022年2月3日 (木) 01:56 (UTC)
- コメント まだ個人ブログ等で検証したレベルではあります(なので本文の出典には用いられない)が、大戦後オーストラリア空軍がレーダーサイトとして接収し、接収解除後にグライダーや軽飛行機離発着での運用を経て1953年に南日本航空(東亜航空の前身)が遊覧飛行などの拠点として使用、日本航空協会発行航空年鑑でも1956年版までは「吉島飛行場」の記載があるが(広島空港=広島西飛行場=開港まで)正式な飛行場としては認定されず…ということのようで、結果的にどちらが正しいと言うよりは「どちらも正しい」或いは「どちらも不十分」ということのようです。参考となるのはこれとかこれとかこれあたりでしょうか。このご時世なのでなかなか図書館に足を向けられないところですが…--Bsx(会話) 2022年2月3日 (木) 03:34 (UTC) 一部表現とリンク修正--Bsx(会話) 2022年2月3日 (木) 03:47 (UTC)
- 補足 遊覧飛行の運用については1957(昭和32)年2月21日付け中国新聞記事に、このあたりを研究された方の記事が2008(平成20)年8月2日付け中国新聞夕刊に掲載されているらしいので、ここら辺のアーカイブを調べてみる価値はありそうです。--Bsx(会話) 2022年2月3日 (木) 03:47 (UTC)
- 2008年8月2日の中国新聞夕刊は、1952年7月19日にグライダーが飛んだことに始まり、吉島がどんな飛行場だったか簡単に述べたあと、実際にグライダーに乗った人の体験談、という構成です。最初の部分は中国新聞も別の文献を見て書いているのでしょうし、体験談の内容は興味深いのですが、69歳の人が語る高校時代の思い出話です。別の文献を探した方がよいと思います。--西村崇(会話) 2022年2月3日 (木) 14:13 (UTC)
- 情報、ありがとうございます。他の文献をあたった方がいいかもしれませんね。--Bsx(会話) 2022年2月4日 (金) 03:48 (UTC)
- むしろ、1961年に(初代)広島空港がなぜこの場所で開港したのか調べて書いた方がよいように思います。吉島の話は、初代広島空港開港以前の広島の航空はどういう状況だったか、という前振りとして書かれたものでしょう。ところが次の行ではいきなり観音に開港しています。廃港の経緯が節を立てて長々と書かれているのに、開港がこれではバランスが取れていないでしょう。初代開港に踏み込んで書かれた文献を見つければ、吉島がどういう使われ方をされていたのかは書かれていると思います。--西村崇(会話) 2022年2月6日 (日) 16:47 (UTC)
- 情報、ありがとうございます。他の文献をあたった方がいいかもしれませんね。--Bsx(会話) 2022年2月4日 (金) 03:48 (UTC)
- 2008年8月2日の中国新聞夕刊は、1952年7月19日にグライダーが飛んだことに始まり、吉島がどんな飛行場だったか簡単に述べたあと、実際にグライダーに乗った人の体験談、という構成です。最初の部分は中国新聞も別の文献を見て書いているのでしょうし、体験談の内容は興味深いのですが、69歳の人が語る高校時代の思い出話です。別の文献を探した方がよいと思います。--西村崇(会話) 2022年2月3日 (木) 14:13 (UTC)