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ノート:平清盛 (NHK大河ドラマ)/過去ログ1

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王家表記に対する記述について

[編集]

瀬戸弘幸氏の主張を宣伝するのはやめてください。また、この「王家」との表記については2ちゃんねるの一部でも問題にしている人たちがいるようですが、Wikipediaは2ちゃんねるのまとめサイトではありませんので、自分たちの主張を披露したいのならそういった場所でお願いします。2011年8月28日(JPN)にジャムリンさんが差し戻しをされた際に記述された「プロジェクト:大河ドラマからの逸脱、不適切出典による記述」を解消していただけなければ、編集合戦が引き起こされるだけです。--彩華1226 2011年8月30日 (火) 15:21 (UTC)

「宣伝」と「2チャンネル」のワードで印象操作するような発言ですね。ジャーナリストの瀬戸弘幸の報道を記述すると宣伝するのはやめてくださいとはどういうことなのでしょうか?また、2チャンネルであなた方がどのような議論をしているかは存じませんし、2チャンネルを出典としているわけでもないものを2チャンネルで問題であると取り上げられた(私は2チャンネル見てないから詳しくは存じません)ものは記述対象にならないとはどういうことなのでしょうか?他の項目でも2チャンネルで取り上げられたものを一々指摘して削除しているのでしょうか?また、瀬戸氏以外のジャーナリストも指摘しております。自分たちの主張を披露したいのならそういった場所でお願いします。とはなんですか?あなたは憶測で印象操作するような発言で御自身が気に入らないものを排除しようとしているだけでしょう。そもそも、編集合戦が引き起こされるだけですとおっしゃっていますが、あなた自身が編集合戦していることすら分かっていないようですね。--Chichiii 2011年8月30日 (火) 16:28 (UTC)
「ジャーナリストの瀬戸弘幸の報道」というのはあなたの主観でしかなく、Wikipediaのルール上「自主公表された情報源」でしかありません。「NHKの人物相関図で天皇家が王家とされている」「脚本家のコメントでは天皇家」は確かに事実ですが、瀬戸弘幸氏のブログ上での指摘を出典としている以上、適切な情報源としては認められません。
「NHKは今回の大河ドラマに関しては皇室については王家または王家(天皇家)とした呼称をウェブサイトで用いている[2][3]。なお、脚本家は製作発表コメント中では天皇家としている[4]
上記のあなたの記述は、いずれも瀬戸弘幸氏のブログ上での「NHKの人物相関図で天皇家が王家とされている」「脚本家は製作発表コメント中では天皇家としている」とする指摘[1]と同一です。瀬戸氏はこれらの指摘から「問題だと感じた」と結論づけており、あなたの記述がこの瀬戸氏の結論を導くための特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となっていると指摘します。しかも、この編集では西村幸祐氏のツイッターという「自主公表された情報源」も合わせて、「NHKの人物相関図で天皇家が王家とされていることは問題」とする「特定の観点」をさらに推進していらっしゃいます。
私が問題としているのはこうしたあなたの編集姿勢です。「特定の観点」を導く主張を行いたいのであれば、Wikipediaにはふさわしくないということを再度申し上げます。--彩華1226 2011年8月30日 (火) 17:18 (UTC)
発表済みの情報の合成?意味が不明です。私が合成したのではなく瀬戸氏がそのように公表していることを取り上げているわけです。また、瀬戸氏以外のジャーナリストも皇室を王家と表記していることを取り上げているのです。「ジャーナリストの瀬戸弘幸の報道」というのはあなたの主観でしかなくとはなんでしょう?また、雑誌編集長、テレビ出演などを通じて報道・NHK問題を報じ続けており[2][3][4]、かつ海外メディアにも取り上げられている[5]著名な西村幸祐氏やその他のメディアが取り上げていることもどさくさにまぎれて削除していますね。それと、2チャンネルがどうだとかいう話は何なんだったんですか?こちらに持ってくる理由が分かりません。--Chichiii 2011年8月30日 (火) 23:08 (UTC)--Chichiii 2011年8月30日 (火) 23:18 (UTC)
この編集こそが特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に明らかに抵触するものですから速やかに除去されるべきです。--Chichiii 2011年8月31日 (水) 11:26 (UTC)
私の加筆とその出典は事実そのままで、特定の視点や観点の加わったものではないのですが。Chichiiiさんの掲示された出典ような特定の視点や観点からのプロパガンダ(しかも学術的根拠も示されていない)に満ち溢れたものではありませんし、彩華1226さんがChichiiiさんに対して指摘なされているように、wikipediaの方針やガイドラインから逸脱しているような出典でもありません。--ジャムリン 2011年8月31日 (水) 19:53 (UTC)

Chichiiiさん、あなたが「複数の情報源。ジャーナリストの情報。」と称しているものは結局自主公表された情報源の域を出ません。「やまと新聞」は自ら「国会内にある唯一の保守系新聞」[6](保守系の「院内紙」)と称しており、Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価にある「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」にあたり、信頼できる公刊された情報源として評価できません。これらWikipediaの方針・ガイドラインを再度ご熟読いただいた上で議論への参加を願います。--彩華1226 2011年8月31日 (水) 13:44 (UTC)

Chichiii氏に対してはWikipedia:コメント依頼/Chichiii 2011-07-19が提出されています。参考までに。まだ放送も始まっていないにも関わらず、枝葉の葉脈の端のような事柄を大きく取り上げるのは特筆性に欠く行為といえます。ネット上で騒ぎになっていても産経新聞すら取り上げていない情報をことさら載せる必要性がないといえます。極端な話、瀬戸氏の「勘違い」という結果に終わる可能性もあり、週刊誌あたりでも活字にしなければそのまま載せなくてもよいといえます。もっとも、今回の騒動は2ちゃんねるや右派ネイカーによる騒動がウィキペディアにも波及したものであり、同様の悪弊が今後起きないようにしなければならないといえます。--Sky Wing Sky 2011年8月31日 (水) 16:21 (UTC)
静観していましたが少し状況が変わったようなのでコメントしてみます。基本的に彩華1226さまおよびSky Wing Skyさまに同意します。放送内容はでなく放送の広報用WEBサイトについて一々記述しても仕方ないと思います。明らかな事実は「公式サイトでの解説で、天皇家の事を王家としている」事のみであり、それのみだとただの冗長な文章になります。「王家という記述は問題である(という主張がある)」という情報については、出典の有効性について彩華1226さまの判断なさる通りのように思えます。--hat2867 2011年8月31日 (水) 18:02 (UTC)
さて、やまと新聞が自らをどう称しているかどうかは別として国会図書館でも取り上げられている公刊された情報源と認知されている新聞です[7]。また、取り上げられているものはNHKの出典が付され事実存在するものであります。それらを評論したものを出典を付して載せているわけですから、発表済みの情報の合成などはなくあくまでも事実を記述しているだけであり信頼性という性質のものではないと思います。また、メディア問題を専門的に取り扱い海外報道でも取り上げられている西村幸祐も取り上げている問題ということもあり、複数の情報があり瀬戸氏一人が発した情報ではないということから記述するべきだと感じたわけです。本件は保護されてしまいましたので保護が解除されるまでにメディアがさらに取り上げるかをまって、存続すべきかどうか議論することが建設的であると思われます。--Chichiii 2011年8月31日 (水) 22:32 (UTC)
それから、現在、ジャムリンさんが書き込んだマンガなどを元にした発表済みの情報の合成に該当するような記述を不適切であると思い一度削除しましたが、出来るだけ感情的な議論になる可能性を排除し建設的でありたいので、あえてリバートして再掲させていただくとともに、誤って削除してしまった彩華1226さんの記述も保護される前に戻しておきました[8][9]。--Chichiii 2011年8月31日 (水) 22:53 (UTC)--Chichiii 2011年8月31日 (水) 22:55 (UTC)
国会図書館には納本制度によって出版物が集められており、自費出版や同人誌も納本の対象になりますので、国会図書館にあることをもって、情報源として特筆性や内容の権威の証明にはなりません。--ジャムリン 2011年9月1日 (木) 08:35 (UTC)
納本がどうというお話は誰もしていないのになぜそのような話をしているのでしょうか?国会図書館が作成したものにやまと新聞が新聞社であると説明していることを挙げたわけです。--Chichiii 2011年9月1日 (木) 14:32 (UTC)
国会図書館としては、納本されてしまった以上(嫌でも)作成せざるを得なかっただけで、国会図書館がやまと新聞をまともな新聞社と認めたということにはなりません。--ぱたごん 2011年9月1日 (木) 15:16 (UTC)
コメント納本制度がどういうものであるの理解されていないご様子ですので、ぱたごんさんの説明をさらに砕いて説明いたします。国会図書館は日本で発行された全ての出版物の所蔵が目的のひとつですので、仮に一般人Aさんが『虚偽新聞』というものを自分で発行したとして、それを国会図書館に「置いて下さい」と持っていったとすると、国会図書館側は内容の真偽・質の高低に関わらず受け取りを拒めません。その発行物の製作者・発行人の経歴や内容の真偽を審査してから受納するわけではありません。そして受納して所蔵するからには発行側の申請を元にリストを作ります。つまり製作者以外の第三者の査読なく発行された「自らの発表物」であっても国会図書館は受納するのですから、国会図書館にあるという事実だけをもって、wikipediaでの出典として認められるという証明にはなりません。--ジャムリン 2011年9月2日 (金) 07:59 (UTC)
ジャムリンさん、私が申し上げていること分かりますか?納本がどうというお話はしていません。国会図書館に蔵書があるかどうかではなく、国会図書館が新聞社と分類している分けです。別に高級紙程の扱いを求めて提示しているわけではございません。それにNHKのホームページに書いてある事実をそのまま取り上げていることで捏造の類のものではないのはあなたの目にも明らかなはずです。テレビ局も取り上げましたから、そちらの出典も追加してより充実した形になると思います。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 15:03 (UTC)
まともな新聞だとも認めてないですね。書籍か雑誌か新聞かといえば新聞だと言う程度で、やまと新聞の記事の信頼性を少しであれ担保しているわけではありません
コメント新聞を自称し、新聞のような形態であれば、新聞と分類されているということは、理解されていると考えてよろしいでしょうか?例えば「日本新聞協会」に加盟できなかったため、雑誌であるはずの『日刊ゲンダイ [10]』も国会図書館では新聞分類になっています。それとChichiiiさんが「やまと新聞」としてリンクした先と該当の新聞社は別新聞のようなものですので、リンクミスですね。--ジャムリン 2011年9月2日 (金) 15:54 (UTC)
加盟出来なかったというのは存じませんが、日刊ゲンダイも加盟してないのですか、加盟していれば自身の加盟団体の批判は難しいですから、加盟しない新聞があるっていうことは良いことかもしれませんね。やまと新聞のリンクは、誰かが出典ごと削除して書き変えたのでしょう。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 16:04 (UTC)

コメントインデント戻します)2011年8月19日 (金) 12:16の編集で「記載に価するなら別にページを作成するべきで、同名というだけでこのページに寄生させるべきではない」と削除されています。別の新聞であるのに、該当新聞と同じ新聞であると主張している不可解な自称新聞なのですね。Chichiiiさんが「平清盛 (NHK大河ドラマ)」でリンクさせる前には、もうページにはありませんでした。--ジャムリン 2011年9月2日 (金) 16:31 (UTC)

調べてくださってありがとうございます。以前私が閲覧した際には記述されてありましたので削除されているとは夢にも思いませんでした。同名のものは別途作成されていなければ当該同盟ページにリンクしてしまうことはウィキペディアでしばしば起きてしまうことですから、今後新たな技術が導入されるなりするといいですね。--Chichiii 2011年9月3日 (土) 13:15 (UTC)
Wikipedia:管理者伝言板/保護ページ編集にてウィキペディア内のやまと新聞へのリンクを外すようお願いしたいのでよろしいでしょうか?--Chichiii 2011年9月3日 (土) 13:21 (UTC)
保護が明けるまで、あと数日間ですし、管理者の方にお願いするまでもないでしょう。取り合えず応急処置として「やまと新聞」に曖昧回避文を置いておきました。--ジャムリン 2011年9月3日 (土) 15:07 (UTC)

本件について問題であるとした報道がテレビ局によってなされましたので御報告しておきます[11]。--Chichiii 2011年9月1日 (木) 14:32 (UTC)

これだけですと、出演し、コメントしている方のお名前も経歴も肩書きも判らない動画ですね。さらにくだんのチャンネルとやらは放送局ではないのですね。--ジャムリン 2011年9月2日 (金) 07:59 (UTC)
コメント Chichiiiさんの編集が個人の主張を宣伝していると、一概に言えないのではないでしょうか。出典の中にはツイッターなどもありましたが、これを参考にするのはどうかと思います。「やまと新聞」に関しては微妙なところですね。--Historical rox 2011年9月1日 (木) 15:03 (UTC)
2ちゃんでネトウヨが騒ぐ→右派活動家や保守系ジャーナリストがブログ等でとりあげる→チャンネル桜でとりあげる・・・いつもの流れですね。まさに先ごろ申し上げた「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」のなかで「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆」が騒いでいるに過ぎません。こういったものが出典とされて際限ない加筆が繰り返されれば、例えば中核派のブログを出典とした記事や左派系機関紙を信頼性の検証無しに出典として用いるなども可能になります。Chichiiiさん、あなたが出典を補強しようとしてなさっていることは自分の記述の信頼性を低める結果となってはいないでしょうか。--彩華1226 2011年9月1日 (木) 15:15 (UTC)
彩華1226さん、あなた2チャンネルが大好きみたいですね。2チャンネルねたは2チャンネルでしてもらえませんか?こちらで2チャンネルでどうなっているとかお話されても相手する方は困ります。それから、彩華1226さんは数々の殺人事件・爆破テロ事件を起こし続けている極左暴力集団である中核派と保守系テレビ局を内心で同一視しするならまだ分かりますが、公にそのような見解を表明されることは決してプラスには見えないと思います。あなたにとっては極左暴力集団と保守系テレビが同一に映るってことはよく分かりましたが、そこから何か建設的な議論が生み出されるのでしょうか。--Chichiii 2011年9月2日 (金) 15:03 (UTC)
2ちゃんねる云々については撤回させてください。というのは、2ちゃんねる大河ドラマ版のスレッド平清盛 時代考証スレ Part1を読んだからです。このスレでは、非常に冷静で学術的な観点での議論が交わされており、NHKへの問い合わせメールの回答や中世史における「王家」の使用などについてまとめられていました。
  • NHKへの問い合わせメールの回答:中世史研究では「王家」という用語が、広く一般的に使われている[12]
  • 「近年、歴史学の世界では、中世の皇室のことを「王家」と呼ぶ習慣が定着しつつある。」(岡野友彦『源氏と日本国王』p.81の引用)[13]
  • 大まかな流れ
このように、「王家」の使用について問題とする流れにはなっていませんでした。そのため「ネトウヨが騒ぐ」については訂正します。
なお、岡野『源氏と日本国王』は手元にあるので、中世史研究における「皇室」「天皇家」についての記述についてもまとめておきます。
  • 黒田氏が論証されたとおり、「皇室」という語を中世史料上に確認することは不可能に近く、「皇室」という語が中世史の用語としてふさわしくないことは明白である。(p.82,l14-p.83,l2)
  • 中世の天皇家は(中略)「いくつもの自立的な権門」に分裂していた。とすると、天皇を家長とする「一箇の家」をイメージさせる「天皇家」という用語では、これら諸家の総称として使用することは難しい。(p.85,l5-l8)
以上から中世を題材とした本作品で「王家」の使用が学術的に何の問題もないことが認められます。そのため、これを問題とする立場は「単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点」と見なすことができ、ジミー・ウェールズ氏言う所の「ウィキペディアで言及するに値しない」独自研究に認定される場合にあたると結論付けることができます(Wikipedia:独自研究は載せない#Wikipedia:中立的な観点)。--彩華1226 2011年9月2日 (金) 16:48 (UTC)

コメント彩華1226さんの主張に賛同します。実際平安時代の貴族文化のことを「王朝文化」と称する場合もありますし、時代考証からすると正しいといえるはずです。今回の場合、瀬戸氏の主張を取り入れる是非だと思われますが、瀬戸氏は政治活動家であっても歴史の門外漢であり、また雑誌ではなく個人的なブログでは、本人かというのも証明できない危険すらあり、特筆性があるとまではいえない情報だと思います。せめて「週刊文春」や「Will」といった公共の図書館で閲覧可能な雑誌に掲載されたら考慮してもいいが、今回の場合瀬戸氏の「個人的な感想」にすぎず、いくらひろい意見を載せるべきだといっても、記事の内容から必要性がなく、掲載したければ瀬戸氏の項目にでも掲載すべきことであり、此方の項目に載せるべきものではないといえます。それにしてもChichiiiさんがいわれる「極左暴力集団である中核派と保守系テレビ局を内心で同一視しする」としていますが、なぜ、ここに「中核派」が出てくるか不思議です。議論が明後日の方向に行っています。なんだかChichiiiさんの心像風景が見え、そこから本当に何か建設的な議論が生み出されるようには思えません。--Sky Wing Sky 2011年9月3日 (土) 13:10 (UTC)

コメント同じく彩華1226さんの意見に賛同いたします。さらにNHKの番組HP「主な人物関係」の方で『※<王家>について』として表記についての説明が入りましたので、件の記述自体必要がないと思います。ブログもそうですが、Twitterも本人認証済みアカウントでもありませんし、第三者の査読が入っていない私見でしかなく、報道としての出典というには無理があると思います。--ジャムリン 2011年9月3日 (土) 15:07 (UTC)

将来的に「登場人物」の項が細分化され「王家」の項目ができると思いますので、その際にNHKの説明を出典として「本作では歴史専門家の考証に基づき、中世史研究で広く用いられている<王家>を使用している」などの注記をつければいいのではないでしょうか。--彩華1226 2011年9月7日 (水) 18:53 (UTC)

コメント彩華1226さん、再三申し上げているにもかかわらず、今度は2チャンネルのリンクを貼るとはどういうことでしょう。わざとやっているとしか思えません。いい加減にしてください。Sky Wing Skyさん、それにしてもChichiiiさんがいわれる「極左暴力集団である中核派と保守系テレビ局を内心で同一視しする」としていますが、なぜ、ここに「中核派」が出てくるか不思議です。とはどういうことでしょう?彩華1226さんが2ちゃんでネトウヨが騒ぐ→右派活動家や保守系ジャーナリストがブログ等でとりあげる→チャンネル桜でとりあげる・・・いつもの流れですね。まさに先ごろ申し上げた「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」のなかで「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆」が騒いでいるに過ぎません。こういったものが出典とされて際限ない加筆が繰り返されれば、例えば中核派のブログを出典とした記事や左派系機関紙を信頼性の検証無しに出典として用いるなども可能になります。と中核派を持ちだした直後のレスポンスにもかかわらず、意図的に読み落としているとしか思えません。Sky Wing Skyさんは、同時期に他のページでは西村幸祐氏を自称右翼であるとした虚偽を書き込みながら恣意的に議論を混乱させてきましたね。指摘されると御自身は風邪を引いているなどと言い訳のようなことをおっしゃられていましたね。そちらでは、私は風邪という言い訳を受け入れ水に流してあげましたが、ほうぼうでおかしな御非難を続けられるようでは、私の寛容も限界です。「王朝文化」と「王家」は言葉が違います。すり替えないでください。皇室研究で著名な所功教授は朝廷、皇室が正式なものであり、「王家」は白川伯王家の別称として用いられるのが一般的であるが、左翼的な学者の中には「王家」を使うことものがあるとしており、一般的な用法ではないことを明らかにしております[14]。ジャムリンさんが出典として書き込まれたマンガや特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成についての具体的な説明がないものはすみやかに除去されるべきであります。--Chichiii 2011年9月7日 (水) 12:10 (UTC)

コメント私の編集した記述の内容の出典に関してましては、マンガ以外の書籍の用意がありますし、それは特定の観点ではありません。それとは別に第三者の査読もない、本人確認もないブログやツイッターこそ、報道としての出典に相応しくないので除去が妥当でしょう。--ジャムリン 2011年9月7日 (水) 12:45 (UTC)
あなたの記述は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を読む限り、情報の合成にあたると思われます。あなたの御指摘の件については本件について述べられていることが明らかなものであります。また、西村氏は報道問題に関するジャーナリストとして著名な人物ですから特筆性があるとあるといえるでしょう。ウェブって登記簿に載せたりするのでしょうか?本件についてはテレビ局の報道がなされましたので瀬戸氏のものはそれらと置き換えましょう。--Chichiii 2011年9月7日 (水) 12:56 (UTC)
チャンネル桜がソースとして適切なのか、という疑義についてはすでに9月1日のコメントで提起させていただいているはずです。「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」がいくら積み上げられたところで、特筆性信頼できる情報源が充足されるわけではありません。--彩華1226 2011年9月7日 (水) 18:53 (UTC)
コメント ジャムリンさんの挙げられた出典、Chichiiiさんの挙げられた出典、双方に適切なもの、適切でないものがあると思います。私としては、両論併記すべきであるという現状認識です。Chichiiiさんの意見に全面的に賛同することはできませんが、少なくとも「王家」という表記が学術的に誤解を生む場合がある旨は記載しても良いのではないでしょうか。--Historical rox 2011年9月7日 (水) 13:45 (UTC)
両論併記については反対します。それは「王家」表現を問題視する意見が「信頼できる情報源における相当量の言及」(WP:NRVE)を満たしていないことと「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」に過ぎないことからです。フィクション作品について、関係性や重要性の乏しい有名人や活動家がブログやツイッターで文句をつけたから、いちいちそれを記述するというのは、情報の無差別な収集(WP:IINFO)でWikipediaの方針に反するものだと考えます。--彩華1226 2011年9月7日 (水) 18:53 (UTC)
コメント Chichiiiさんの提示した出典に学術的な根拠をもって問題点をあげたものがありましたでしょうか?そして学術的でない以上、Chichiiiさんの記述こそ、特定の観点を推進するものでしかないように思われます。--ジャムリン 2011年9月7日 (水) 14:24 (UTC)
コメント 場合によっては両論併記のあってもよいですが、今回の場合、デリケートな問題でありどちらかに偏った出典をした場合にはリスクがあるといえるので慎重にしなければいけません。おとしとごろとしては日本の近未来の話なのに天皇家が一切出てこないとの指摘があったという、かわぐちかいじ氏作の太陽の黙示録あたりのような表記が無難だといえます。今回の場合、歴史研究家からの指摘ではなく、また宮内庁から抗議があったという問題でもないので、記述コラム的な小さい扱いでよいとは思います。真実か否かが問われるドキュメンタリーではなくフィクションも交えた大河ドラマの作品世界の用語であり、そこまで深くやる必要性はないといえます。いってみれば瀬戸氏などの指摘は水戸黄門徳川光圀が幕府副将軍と名乗るはずはないといっているようなもので、作品の設定に(正しいかどうかは別にして)突っ込みを入れているようなものであり、あまり特定の観点に偏って、そこまで深く取り上げようとして、イデオロギー対立の泥沼にはまらなくてもよいのではないかといえます。--Sky Wing Sky 2011年9月7日 (水) 14:29 (UTC)

コメント 西村氏の件の御発言後のテレビ出演等々の続報では先の発言よりも表現を弱められる形でしたので具体的なワードは除去させていただきます。--Chichiii 2011年9月8日 (木) 14:49 (UTC)

問題の記事ですが、「その他」として作品内容とわけました。これはプロジェクト:大河ドラマによれば、作品内容の節に作品の内容・反響等を書く、とあり天地人などでも反響ではあるものの、問題の性質上両論併記としなければならないので、反響というよりもトリビアのようになるので、分けたほうが皇室問題を扱うことにりよるリスク分散になると判断したものです。篤姫のように補足とする手もあったのですが、把握しているNHKとのタイアップイベントが京都府、兵庫県、広島県などで数多く予定されているのでその執筆の可能性もあることから文章配分の都合上考えたものです。すくなくとも、今回の問題は「反響」であっても「内容」と峻別すべき問題と捉えました。--Sky Wing Sky 2011年9月8日 (木) 22:12 (UTC)
横からで恐れ入りますが、記述するかしないかの時点でも意見が分かれている最中にさっさと編集してしまうのはいかがなものでしょうか。私は変わらず彩華1226さまの意見に賛同し、そもそも記述するに値しないと考えます。フィクションを前提にした作品にどこまで史実を持ち込むかは作者サイドの裁量次第というのは明白でしょう。--hat2867 2011年9月9日 (金) 14:39 (UTC)
さっさと編集した件は拙速だったのではないかなと思いましたが、あのままでは内容なのに直接ストーリーに関係ない話題が入るという不親切極まりないレイアウトでしたので、実行しました。しかし、この記述に固着されている方ですが、「左翼」といったイデオロギーまみれの言葉を使うあたり、批判するわけではありませんが、思想に偏りが見られます。もっとも、産経新聞や読売新聞よりも桜チャンネルややまと新聞といった、その筋の言論を尊ぶ姿勢はいかがなものかといえます。切り分けたのは今後の議論によって、削除ないし存続といった然るべき対応を取れやすくする為です。現在のところ、積極的に残そうという方は1人だけで他の方は消極的存続ないし削除の意見が多いので、ウィキペディアは民主主義の原則は適用されないとしても、その問題の情報に対する評価は明らかだといえます。それにしても、放送も開始されないのに内容に反響をいちいち入れていたら、個人的な感想まで混入されかねないので、同様の事態がおきた場合には、その他の節に追記すべきだといえます。--Sky Wing Sky 2011年9月9日 (金) 15:05 (UTC)
言葉は生き物です。現在『日本海』と呼ばれている海が『日本海』として定着したのは世界の歴史のステージが近代(Modern)に入ってからです。近代に入り、地球全体を考える視点が必要になり、『日本海』は『日本海』になったんです。
『天皇』や『皇帝』や『王』や『Emperor』や『King』や『Pope』 も同様です。本来、成り立ちも歴史もまったく異なる秦の始皇帝からはじまる中国の『皇帝』とローマ帝国や神聖ローマ帝国などの『Emperor』はまったく別物ですが、近代に入り、なかば便宜上、皇帝≒Emperorになったんです。『皇帝』の家来的意味合い、『皇帝』との冊封体制的意味合いが強い東洋の『王』も王≒Kingになりました。たとえば三田渡の盟約で有名な朝鮮の『王』仁祖とフランスブルボン王朝の『King』だったルイ14世は完全に別物ですけどね。日本の天皇も日清戦争に勝ったり、日露戦争に勝ったり、国際連盟の常任理事国になったりしているうちに天皇≒Emperorになってしまいました。まるで別物なんですけどね。
反日的日本人や左翼系の日本人や朝鮮系帰化日本人は現在の価値観で過去の歴史を断罪するのが大好きです。だからこそ、21世紀に製作される日本の公共放送局の歴史ドラマに『王家』など使われてはいけないんです。この『王家』という言葉が中華人民共和国で翻訳されれば、平家政権の時代、日本は南宋と冊封体制にあった、南宋の属国だったというメッセージになってしまうんです。現実問題として現在中国と韓国は東北工程という国家と民族のアイデンティティ・レゾンデートルにかかわる壮絶な歴史バトルを繰り返しています。韓国の場合は属国だったのに、属国ではなかったと強弁したりしています。今回の『王家問題』は韓国だったら、テレビ局の社長のクビが飛ぶような大問題です。韓国メディアの日本語版を長年読み続けている人なら『王家』表記がシャレにならないくらい大問題だということを理解できます。
今は日本時間の9月10日午前0時50分です。なんでもロシア軍のフリゲート艦など艦艇計4隻が北海道・宗谷海峡の公海上を日本海からオホーツク海に向けて通過したんだそうです。このほか艦艇約20隻が日本海から宗谷海峡に向かっているんだそうです。民主党政権になって日本を取り巻く環境はもう無茶苦茶です。中国とは尖閣沖の衝突事件がありました。韓国の憲法裁判所は日韓基本条約を無視し、政府の慰安婦被害者放置は違憲なる判断をこの8月30日に下し、さっそく日本政府をゆすりはじめました。東アジアというのは世界でもっとも極悪な地域で、ほんの些細なことでもスキを見せるとどんどんつけ込んできます。
繰り返しますが21世紀に『王家』という言葉をあえて使う場合、それは中国の皇帝の家来というニュアンスが必ず出てくるんです。これはものすごく日本国民を危険にさらすことなんです。韓国人は日本のサヨクよりはるかに利口なので、中国の東北工程に必死に立ち向かっているんです。ありていに言ってしまえば、安易に『王家』を使用することは将来軍事的にも日本を危険にさらすことになりかねないんです。だから韓国は東北工程反対に必死なんですよ。中国とベトナムをはじめとする東南アジア諸国は南シナ海で領土紛争中です。中国は南シナ海に中国の古銭や骨董品をわざと投棄し、それらが海底から発掘されたのでここは中国の領土だったみたいな主張をしているとされます。
王家表記はきわめて深刻な大問題であり、きちんとていねいに記載されてしかるべきだと思います。--219.176.114.78 2011年9月9日 (金) 16:15 (UTC)
コメントIPユーザーさんにおかれましては、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありません」の1.を熟読ご理解の上、wikipediaにご参加いただきますよう宜しくお願いいたします。--ジャムリン 2011年9月9日 (金) 16:27 (UTC)

合意形成にむけて

[編集]

あんまりにも長くなったので、ここから、書けるようにします。しかしながら、IPさんは政治的イデオロギーが強すぎますね、800年前の時代劇に対し何で中国人や韓国人の現代の行動が関係するのだと主張するに当たりここまで書かれるエネルギーには感服しますが、別のところで生かしてください。そもそもアジア社会で「王」が「皇帝」の臣下という歴史認識こそが中国のプロパガンタ(本当にあるのかどうか知りませんが)に安易に乗っかっているだけで自虐的に感じます。それはさておき、議論が拡散してしまう危険が増しているので、ここは原点に舞い戻り、そのそも今回のNHKが当時の時代考証の結果として「皇室」を「王家」としたことに対し、主に民族派を自称する立場の方から反発があったことを、記事に記載すべきか否かを問うべきです。第三者の方の意見を求める為、コメント依頼を提出しました。よろしくおねがいします。--Sky Wing Sky 2011年9月9日 (金) 21:57 (UTC)

Sky Wing Skyさんは「東北工程」という言葉を聞いたことがないと思います。中央日報の日本語版は過去記事がかなり検索できます。検索項目に「東北工程」と入力し、「東北工程」についてよくお勉強してください。東アジアの国際情勢の現実・厳しさを少しは理解することができるでしょう。
国際問題としての東北工程は2004年7月2日にはじまりました。2004年7月1日に蘇州で開かれた第28回世界遺産委員会で『高句麗の首都と古墳群』が世界遺産に登録されましたが、その翌日(7月2日)、中国の新華社が「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道して、韓国は国をあげての大騒ぎになり、中韓間の国際問題に発展しました。それから韓国のテレビ界・映画界は国策としてアンチ東北工程ドラマをつくりはじめました。ドラマ『朱蒙(高句麗の開祖朱蒙をめぐる荒唐無稽なファンタジー。朱蒙は古朝鮮の子孫で現在の朝鮮民族の先祖とプロパガンダ)』(2006年5月スタート)、ドラマ『淵蓋蘇文(高句麗末期の宰相・将軍の荒唐無稽なファンタジー)』(2006年7月スタート)、ドラマ『大祚栄(渤海の開祖大祚栄をめぐる荒唐無稽なファンタジー。渤海は朝鮮民族国家とプロパガンダ)』(2006年9月スタート)、『太王四神記(高句麗の第19代王広開土王をめぐる荒唐無稽なファンタジー)』(2007年9月スタート)、『風の国(朱蒙の孫高句麗第3代王無恤をめぐる荒唐無稽なファンタジー)』(2008年9月スタート)などがそうです。コレ、偶然なぜか高句麗ものが続いたね、みたいな脳天気な話じゃないんです。どれも東北工程に対抗するための国策なんです。プロパガンダそのものなんです。
韓国は官民一体で歴史を捏造してまでも自分たちと中国との切り離しに必死です。ところがNHKは自ら不用意に史実に反し、「日本は平清盛の時代、南宋の属国でした」みたいなメッセージを発してしまっているんです。天皇は大王といわれたこともあったから、「王家」と呼んでもかまわないみたいな悠長な話じゃないんです。21世紀に「王家」を使えば、日本は中国皇帝の冊封体制下にあったと自ら主張しているに等しいんです。
私は心の底から、不用意(意図的?)に「王家」を使うNHKや「IPさんは政治的イデオロギーが強すぎますね」などと発言するSky Wing Skyさんのような存在が、沖縄周辺の日本のEEZ内や尖閣周辺の日本の領海における中国海軍の傍若無人な行いや昨晩のロシア艦隊の宗谷海峡行進を招き寄せていると、そう思っています。まず手始めに「東北工程」について勉強してください。--219.176.114.78 2011年9月10日 (土) 01:04 (UTC)

日本人ですらよく知らない古い資料を根拠に「大王」を使ってもセーフ!、「学問的に問題ありませ~ん」みたいな話では済まされません。21世紀の言葉は即座に外国語に翻訳され世界中に伝播します。NHKの言葉は完全にそうです。外国人どころか日本人ですらよく知らない古典を根拠に「王家」はギリギリセーフでは済まないんです。「王家」は外国語に翻訳された瞬間にもうアウトです。完全にアウトです。だから外国語に翻訳されても誤解を最小限に抑える言葉選びが必要なんです。補足しておきます。--219.176.114.78 2011年9月10日 (土) 01:40 (UTC)


コメント長文になることをご容赦ください。今までウィキペディアの中で時代劇等の編集に携わらさせていただいてきた者として今回の議論の行方をながめて参りましたが、ここで一言申し上げたいと思います。まず、時代劇(ドラマ)の編集に関する今回の議論は少々特異なものと感じざるを得ません。申し上げるまでもなく、ウィキペディアは電子版の百科事典です。百科事典というものは紙媒体・電子媒体を問わず、それを利用する万人のコンセンサスを得られる内容であるべきであり、またそれを目指しているはずです。確かに「王家」という表現は今までにはあまり見られなかった表現であり、大河ドラマの「平清盛」について調べようと思ってウィキペディアをご覧になった方々が、「皇族」でも「朝廷」(これだとニュアンスが違いますが)でもない新感覚の表現に違和感を持つのは、ある意味当然であると思われます。その違和感を解決するためには当然その答えも記述されてしかるべきです。それが百科事典の使命でありますから。ただ、今現在の記事に掲載されている、その答えを求めるべきソースのすべて(正式の答えであるNHKを除く)が一般の読者にとって妥当であるかといえば、疑問を感じざるを得ません。万人にとっての百科事典は、すべての人に違和感なくその知識を受け取っていただくのが使命(何度も使ってしまいますね…)です。もし実現されていないとしても、それに向かって恒久的な努力を続けていくことが必要です。また、「違和感なく」というのも読者の思想に刷り込ませるような一方的誘導ではなく、「一般の人々にとって信頼ある、そしてコンセンサスが得られるであろうメディアや文献」から得られる様々の情報をできるだけ俯瞰的な視点にたって執筆者が構成して作文し、記事として提供することによってなされると考えております(近年、大手新聞さえも偏向的だという考えがありますが、私は未だに有用であると考えております)。一方的なイデオロギーが強く込められたようなメディアや文献はそれに値しません。また、某掲示板をソースにするのもナンセンスです。以上のように申し上げた上で私の考えを述べますと、まず、今回なぜNHKが「王家」の呼称を用いるに至ったのかを説明するNHKのサイト(=答え)を誰にでもわかる明確な形で記載、または(できるのならば)引用すべきだと考えます。その上で「こうした意見もある」ということを記事として掲載すべきだと考えます。つまりは、現在本文に掲載されている「王家」呼称批判派の意見と肯定派の意見。さらには現在記載されている記事の見直しです。例えば、「『天皇家』という言葉も本来正しいものとは言いがたく」という文言がありますが、一文献の内容でそこまで踏み込まずとも、単に「『天皇家』という言葉は宮内庁HPでも使われてはいない」でよいのではないでしょうか。また、「左翼・右翼」といった言葉を用いるのもどうかと思われます。こうした言葉には少なくとも言外に侮蔑的なニュアンスが込められており、公平な記述とは思われません。以上、ご批判あるのは承知の上で意見を述べました。

また、最近の記述に関して。― 各人がそれぞれの歴史認識を持たれるのはまったくもって健全なことではありますが、ここはウィキペディアなのです。意見を述べるのは、別の適切な場があるはずです。ウィキペディアは近隣諸国に対抗する場所ではありません。誰が何を言おうと、NHKが方針を変えない限り「王家」の表記は存続します。近年、日本におけるウィキペディアはその存在価値を向上させ、メディアとして絶大なパワーを持っています。それだけのパワーを持っているこの場が(たとえノートであったとしても)万人のための百科事典となるためには何ら意味を見出せず、不毛な議論を招く個人々々の歴史認識の発表の場として、または議論の発信地になるべきではないと考えます。--progress-msn 2011年9月10日 (土) 04:09 (UTC)

そもそも「王家」の表現を用いることに何ら問題がないわけで、それをイデオロギー上の観点からことさら問題視する“「王家」呼称批判派”の意見はあっても、肯定派の意見というのは無いと思います(わざわざ肯定する必要が無いからです)。今回問題となっているのは、“「王家」呼称批判派の意見”が「一般の人々にとって信頼ある、そしてコンセンサスが得られるであろうメディアや文献」に基づいていないためです。また、この記事にとって関係性や重要性が強いのは「当作品では○○の理由で<王家>表現を用いた」ことのみであり、「『天皇家』という言葉は宮内庁HPでも使われてはいない」ことや「王家」という表現が妥当かどうかの学術的議論は当作品とは全く関係がありません。--彩華1226 2011年9月10日 (土) 05:19 (UTC)

彩華1226さんの問題提起を否定するわけではないですが、法令で「皇室」と呼ばれている事実は否定できず、本項目が何の紹介か考えて[15]のとおりして、済ませることとしたいと思います。あしからず。--GDSTCB 2011年9月10日 (土) 08:20 (UTC)

GDSTCBさんの編集は中立性が保たれていると感じますし、良いとは思います。ただ、このノートで一度も発言してもいないのに、「あしからず」の一言でこうした突然の編集はいかがなものでしょうか。このノートで議論を尽くしてきた執筆者の方々に独善的だと思われても仕方が無いように思います。彩華1226さんのご説明に関しては、「この記事にとって関係性や重要性が強いのは『当作品では○○の理由で<王家>表現を用いた』ことのみ」、「学術的議論は当作品とは全く関係がありません」に関して同意致します。確かに、大河ドラマの記事としては不要ですね。これでドラマの記事としての有用性が保たれます。--progress-msn 2011年9月10日 (土) 08:45 (UTC)
彩華1226さん、progress-msnさんのご意見に概ね同意します。GDSTCBさんの編集自体にも特に異論はありませんが、若干の手直しをいたしたました。--ジャムリン 2011年9月10日 (土) 09:21 (UTC)
IPさん、「東北工程」ですが私は知っています。それに実際に件の国々には何度も行ったことがありますし、彼の国の文章も読めます。しかし、ここでは残念ながら全く関係ありません。国際関係云々を取り上げた21世紀初頭の話ではなく、12世紀の物語現代進行形の話ではないからです。それに私は自慢ではないですが尖閣諸島問題の編集をしていますが、きちんと中国及び台湾の問題点は指摘します。それにもかかわらず私のような存在が「沖縄周辺の日本のEEZ内や尖閣周辺の日本の領海における中国海軍の傍若無人な行いや昨晩のロシア艦隊の宗谷海峡行進を招き寄せていると」指摘することは、今回の議論に全く関係ない逸脱した個人攻撃最大限の侮蔑であり、筋違いであります。謝罪していただきたいと感じましたが、最初の思想的に食い違っているので無理だといえます。
それはさておき、GDSTCBさんの編集は概ね賛成できます。まあ、そうなった経緯も説明があればいいのでしょうが、そうなったら元の木阿弥ですから。個人的意見としては「王朝」を使ったのは、天皇家の人間である、鳥羽天皇崇徳天皇白河天皇といった人物のよってドロドロした愛憎劇が繰り広げられる一場面もあるので、大河ドラマというフィクションであるいことを強調する目的もあるのではないかといえます。あくまで個人的意見ですが。物語の用語説明の形としては、現在の形が有用だと思われます。--Sky Wing Sky 2011年9月10日 (土) 14:56 (UTC)
議論中にもかかわらず独断で編集されてしまった感がありますが、「本作では皇室の事を王家と表現している」という事が特記事項であるという事は、NHK公式サイトであえて追記された事からも察する事ができるので、断固とした反対はしません。しかし現状の記述について完全には賛成できません。賛成できない部分は、本作ではなくてNHKが主語になっている点、そして宮内庁の呼称について敢えて表記する点です。もっともこの形が合意形成のラインという事でしたらこの主張に強く拘りません。そして放送開始後、適当な節や脚注に組み込むなどしていくのがよろしいと考えます(理想は現時点では一切記述は必要ないというものですが)。--hat2867 2011年9月10日 (土) 15:50 (UTC)
除去される前の状態に概ね戻しておきました。問題があるとした指摘がなされ、皇室研究家からも通常の使用法ではないと指摘されているのですから、彩華1226さんのそもそも「王家」の表現を用いることに何ら問題がないと根拠を示すことなく述べたり、2チャンネルを持ち出して持論を語られたりすることは大変恣意的であると感じられます。--Chichiii 2011年9月11日 (日) 12:19 (UTC)

Chichiiiさんは「合意形成されてない」と主張されているようですが、単に「いつまでも「納得」しない」態度をとられているだけなのではないでしょうか。--彩華1226 2011年9月11日 (日) 14:12 (UTC)

どうやらChichiiiさんは、自分の編集は一番であり、それに反する言論は妥協できないという性分のようですね。自身が攻撃された場合には激しく反発する一方で、他者からの問いかけには無視ないし問題のすり替えがあるようです。それにしてもChichiiiさんに肯定的なのは現在のところIPユーザーさんだけで、ログインユーザーからの積極的肯定はないという現実も考慮していただきたいものです。--Sky Wing Sky 2011年9月11日 (日) 14:57 (UTC)
合意形成の場なので個人に対する攻撃は好ましくありません(参照Wikipedia:個人攻撃はしない)。上記、彩華1226氏、および、Sky Wing Sky氏の両氏には反省を求めたいところです。さて、ざっと見たところ、西村幸祐などによる発言が見られるようなので全く言及しないという訳にもいかないでしょう(つまり、一部で批判的な内容で著名人、報道による言及があるものをWikipedia執筆者独自の判断から削除することはできない、ということです。)。記述の仕方、記述内容で双方ともに妥協を図る線で議論を重ねる方向で調整すべきでしょう。--Truesight 2011年9月11日 (日) 15:23 (UTC)
そうですね。2チャンネルの話題をたびたび展開したり、根拠なく中傷するような形で議論を紛糾させてきたことについて反省していただきたいです。--Chichiii 2011年9月11日 (日) 15:31 (UTC)
それから、私はなるべき歩み寄るようにしていますよ。今までの議論を見れば明らかでしょう。Sky Wing Skyさん、何が論点のすり替えなのですか?あなたは何度も虚言で私を中傷してきましたがそろそろいい加減にしていただきたい。--Chichiii 2011年9月11日 (日) 15:36 (UTC)

煽るような文言、そして議論中内容の編集。いずれも無意味に事態を混乱させるだけです。差し出がましいですが、一部とはいえ皆々様方には少し冷静になるようお願いしたい所です。

「王家」という用語が≒皇室として存在する点、本作ではそれを参考にして「王家」の用語を使用している点については公式サイトで記載されています[16]。この記載内容が事実と反してるという出典(「王家」という用語は存在しない、あるいは力を持たない俗説に過ぎないという論拠)はまだ示されていないと思いますがいかがでしょうか。それがないのであれば、これまでの出典は現在の公式ページの表示への見解を示すに至るものではないと考えます。--hat2867 2011年9月11日 (日) 15:52 (UTC)

議論全てを精査した訳ではありませんので簡単に思うことを申し述べます。上記、公式サイトの注釈は「王家」使用に対する批判についての釈明と受け取れます。つまり公式サイトでこのような釈明があること自体、批判意見に特筆性があることの証左と看做すことが出来ます。『批判者は~と非難している。一方でNHKは~と説明している。』というような両論併記で記載することで合意は得られないものでしょうか。--Truesight 2011年9月11日 (日) 16:12 (UTC)
「何度も虚言で私を中傷してきましたがそろそろいい加減にしていただきたい」と恐怖と寒気と悪寒が残暑だというのに感じる表現を用いられたので、相当めちゃくちゃ怒っておらるのを感じてしまい、このままではコメント依頼をだされかねないので、そろそろやめたほうがよさそうなので、以後慎みますが、Hat2867さんの意見に賛同します。指摘があったという事実はあっても、それを補強する出典は得られない。しかし指摘に対する反論が出来る状態では、両論併記はよしとしても、一つでも欠けると問題になるといえます。文章としては、そういう事実もありますといった程度でいいでしょうから長文は不向きだといえます。長すぎては読んでいて「なんだ、指摘した人はNHKが嫌いなだけの突っ込みかよ」といった誤読も生じるかもしれませんし、理解すらできない危険もあります。内容の中に入れたのでは文章の途中でがらりと変わっていて、読みにくいし、主題が判らなくなるかもしれませんし、第一記事の意図が伝わらない危険すらあります。やはり、書くの那ら、反響の節で別項目(他の大河ドラマに龍馬伝では端役の逮捕者などはこういった書き方をしています)にすればいいし、できれば箇条書きではなくコラム的にしたほうが、この問題を知らない人が読んでも判りやすいだろうし、書かないのなら、それなりの客観的な評価が出来るようになる、来年の年末にでも加筆すればいいのだと思われます。--Sky Wing Sky 2011年9月11日 (日) 16:19 (UTC)
件の注釈を釈明・反論と断定していいものか計りかねる所です。ただし件の注釈は少なくとも今まで取り沙汰されたブログ・ツイッター等よりは後発で掲載された事は事実であり、釈明・反論だろうと推測する事はできます。よって「批判者によって指摘されたがゆえに、公式HPで反論が展開された」という推論を元にした形式でないのであれば、つまり単純に両サイドの意見を併記するに留まるのであれば妥当な所だと考えます。--hat2867 2011年9月11日 (日) 16:43 (UTC)
そうですね。hat2867さんの見解は尤もだと思います。『誰それは~~~と批判している。他方、NHKは~~~と発表している。』みたいな感じで書けばいいんじゃないですかね。こうすることでNHKの説明が批判と直接結び付けられることはないので、箇条書きを避け、尚且つ、両論併記的なものとすることが出来ると思います。--Truesight 2011年9月13日 (火) 16:19 (UTC)
瀬戸氏や西村氏がブログやツイッターで批判したから注釈が書かれたということにはならないでしょう。なぜなら、彼らがNHKに問い合わせた、またはNHKに問い合わせて回答があったなどといったことは述べていないからです。ブログやツイッターなど「自主公表された情報源」での個人的な主張と「問い合わせがあったから注釈を書いた」というNHK側の事情とがごっちゃにされることは避けるべきです。そもそも、私が当初述べた批判について特筆性信頼できる情報源が充足されていないとの問題点は、改善されておりませんので、Truesightさんが主張するような批判を主とする記述は、こうした問題点が解決されない限り、論ずるレベルではないものだと考えます。--彩華1226 2011年9月13日 (火) 16:55 (UTC)
彩華1226さん、ではなぜNHKは「説明」を掲示してるのですか?NHK側の事情とは何でしょうか?それと著名人によるブログはWikipediaでは出典足りえると思いましたが、違いましたでしょうか。--Truesight 2011年9月13日 (火) 17:09 (UTC)
表記説明の因果関係についてNHKからの説明がない以上、そのことに勝手に踏み込む事は独自研究になりますね。違うというなら、因果関係について該当者が説明した典拠が必要です。--ジャムリン 2011年9月13日 (火) 17:31 (UTC)
補足ですが、前に述べたとおり、わたしとしては因果関係の言及には出典の無い限り反対です。ただ全く関係ないと断言される方がいらしたので根拠を伺ったまでです。ただ時系列的には、批判者による「王家」批判→NHKによる説明文付与という順番になっており、直接因果関係がないとしても客観的事実としてNHKの説明文が批判に対する反論、釈明になっていることは事実です。ですので、それら両論を併記すればよろしいでしょうという話です。わざわざNHKが公式に「王家」使用に対する説明を公表している以上、「平家物語」を扱う本記事では、それは紹介するに足る事実であり、そうであればそれに対する批判もまた紹介するに足る事実だということです。--Truesight 2011年9月14日 (水) 13:20 (UTC)

合意形成にむけて(論点整理)

[編集]

問題のきっかけですが、最初に瀬戸氏がネット上でNHKが物語の中で平安末期の皇室を「王室」としていることを、批判したことを本文の物語の内容に入れた投稿者があったことです。それに対しネット上の出典は無効だいや有効だと議論して、最初の投稿者が自分の編集が「合意」していると主張して差し戻ししたため、2度も編集保護になりました。問題となっているのは次の点だと思います。個人批判などといったあまりにも論議の場が拡散しているのでざっくりといきます。

  1. 瀬戸氏や西村氏のネット上のNHK批判発言を入れるべきか否か。出典をどのようにいれるか。
  2. NHKが王家の使用についての弁明をしているとして、その経緯をどのように記載すればいいか?

1については、最初の投稿者は有効であるとしていますが、反対する方もおられます。合意形成するにしても、出典に明記はしても本文中に指摘した人物名を記載するのはやめたほうがよいといえます。2についてはNHKがホームページで弁明していますが、誰の指摘についてしたのか不明確だし、瀬戸氏などが抗議したから修正したという出典もないです。そのため、当方からの提案ですが、過去の大河ドラマの例からNHKだけでなく各出版社からのムック本が数多く出版されるでしょうし、ドラマに対する批判も産経新聞社の「正論」などに記事が掲載される可能性もあります。そのため、現在のように、ネット上であの人が批判した。NHKが弁明したといった記事ではなく、製作者がなぜ皇室ではなく王室を使用したかの意図と、それに対する批判といった反響を書く形式にすればよいのではないでしょうか。その場合、瀬戸氏のネット上の出典は必要なくなり、どの雑誌やムック本で批判されたかを指摘すればよいといえます。こういった話なら宝島社別冊宝島あたりに登場しないかなと思います。--Sky Wing Sky 2011年9月14日 (水) 10:22 (UTC)

私は現状の段階での「批判」についての記述はすべきで無いと考えていますが、複数の公刊された出版物を出典とする場合については問題ないと考えています。「正論」誌上では中村粲氏による「NHKウオッチング」が連載されていますし、西村氏については責任編集をされている雑誌もあります。NHKの視聴者対応についてもHP上の公開が行われています[17]。--彩華1226 2011年9月14日 (水) 13:50 (UTC)

本件については皇室研究で著名な所功教授への取材もなされており、一般的な用法ではないことが明らかにされています[18]。また、小山和伸も王家という表現を公共放送が行うことには問題があると指摘しています[19]。西村氏に関しては海外メディアにも出演しているメディア問題の専門家のツイッターでの発言であり、そのツイッターでの発言はやまと新聞で取り上げられているものですから、単なるブログやツイッターのみを出典としたものではないことは明らかです。また、瀬戸氏の件は他の出典に置き換えるかたちで解決したものにも関わらず、それをいまだに論点の中心とし続けることは建設的とは言えないでしょう。--Chichiii 2011年9月14日 (水) 14:21 (UTC)

ですから、チャンネル桜の動画は「イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたもの」に過ぎません。動画の説明文がそれを表しています。--彩華1226 2011年9月14日 (水) 15:30 (UTC)
一般的な用法でないということと、間違った用法とは違います。また研究分野としては畑違いであろう経済学者に問題を指摘されても、根拠としての重みはないような気もするのですが。そして放送局ではない動画配信チャンネルや第三者査読と通さない本人発信、来歴詐称しているかも知れない発行物といった信頼性の低い情報源を典拠とするしかない現在においては、やはり記述しないで、複数の方が言われているように、確かな典拠が出てからでも遅くはないと思います。--ジャムリン 2011年9月14日 (水) 21:15 (UTC)
彩華1226さんは日本政府認定の数々の殺人爆破テロ事件を引き起こしてきた極左暴力集団と総務省から委託されて放送を行っているテレビ局である日本文化チャンネル桜[20]を同じであるとした彩華1226さん独自の大変隔たった見解を表明されて来た分けですが、まだそれを続けるのですか。いい加減にしてください。政府から委託された衛星放送でも、ネット(無料)でも広く番組は報道されており極左暴力集団の機関誌とは異なるのは明らかです。彩華1226さんのように極左暴力集団と総務省から委託されて報道を行う報道機関を同一視するような方からすれば、御自身の気に入らないものはすべて認めないとした結論にいたるのでしょう。ジャムリンさん、間違った用法と私は述べておりません。変な印象操作するような言はいいかげん止めていただきたい。また、放送局ではないとか平気で嘘をつかないでいただきたい。あなたたちは大変不誠実です。私は真摯に対応してきましたがあなたがたのデタラメを書き込んで議論をおかしな方向に誘導しようとする姿勢にはがっかりです。ウィキペディアなら虚言を述べていいとした考えは根本的に間違っています。ブロック対象になるのではないでしょうか。さて、本件に戻りますが、NHKにはNHKの見解があって使用したのでしょう。その見解に対して一般的なものではない、公共放送で使用するべきではないとした指摘がなされており、それらに対してNHKからも回答がなされています[21]。両者の見解が表明されたわけですから、それらを公平に記載すればよいわけです。--Chichiii 2011年9月16日 (金) 12:16 (UTC)--Chichiii 2011年9月16日 (金) 12:24 (UTC)
コメント「素朴な疑問」なのですが、「日本政府認定の数々の殺人爆破テロ事件を引き起こしてきた極左暴力集団」とはどこのことなんですか?そもそも日本政府がテロ事件を引き起こさせたという話に根拠があるのですか?そのような突拍子もない話と比較したのでは日本文化チャンネル桜が出典として有効だという主張も変に思います。どうして、このような刺激的かつ感情的で唐突な表現が出てくるのか疑問に思います。それに「ブロック対象になるのではないでしょうか」と発言するのも、議論相手への挑発行為に他ならないのではないかといえます。普通に日本文化チャンネル桜からの出典も使えますよ、その理由はこういうことですと穏便にいえないのですか?「表明されて来た分けですが」と「分け」と「訳」を変換ミスするぐらい頭に来たからといって、感情的になったら負けといえます。支持したい方であっても二の足を踏むことでしょう。以上のような激情ともいえる感情的表現を見ると支持する感情がなくなりますよ、本当。--Sky Wing Sky 2011年9月16日 (金) 12:53 (UTC)
日本政府がテロを起こしてきたとはどういうことでしょう?意味不明です。Sky Wing Skyさんは日本語上手なようですが意図的に読み違えたり、日本の近現代史にはお暗いようですね。彩華1226さんが引き合いに出されている中核派は日本政府によって極左暴力集団と認定されているテロ組織のことです[22]。どこにも激情的なことはありません常識的なことです。--Chichiii 2011年9月16日 (金) 13:05 (UTC)
用法についてはことは確認にすぎませんけど?判りやすく簡単に言いますと、一般的な用法でないとしても、間違った用法でないのですから、使っていけないものではないということです。それによってChichiiiさんのことを糾弾してるわけはありませんが?それに放送局でないというのは日本文化チャンネル桜にも「あくまで制作会社や番組群の通称であり、いわゆる『放送局』ではない。」とあるとおりで語義的に間違っていませんので悪しからず。--ジャムリン 2011年9月16日 (金) 13:07 (UTC)
意味が分かりません。いわゆる放送局でしょう。総務省はフジテレビと並列して表記していますよ[23]。ジャムリンさんが個人的に気に入らない報道機関だと言うことは分かりますが、それはそれと胸にとどめてください。--Chichiii 2011年9月16日 (金) 13:24 (UTC)
衛星役務利用放送事業者≠放送局。私が好き嫌いを表明しましたでしょうか?また、したとしても今回のことには関わりがありません。Chichiiiさんは他の人の意見内容にある要素について、発信者による好き嫌いといった点に収斂した言及と決め付けが多いように感じますが、議論の争点は好き嫌いではありませんし、好き嫌いと是非可否は一致するものではありません。--ジャムリン 2011年9月16日 (金) 13:37 (UTC)
あなたがマンガを出典として持ち出す一方で、総務省からフジテレビや日本テレビ同様に委託されている放送事業者を放送局ではない動画配信チャンネルであるとして出典として認めないから、気持ちは分かりますが受け入れてくださいねってことで丸く収めようと思ったわけなんですけどね。それでは、好き嫌いを持ちださないということなので是ということでよろしいですね。--Chichiii 2011年9月16日 (金) 13:44 (UTC)
日本における放送事業は「免許事業」です。『委託』って何ですか。根本的な間違いをしておきながら、それで強引に押し通そうとなさるのは辞めてください。そのほか、この会話ページでのあなたの言動はWikipedia:礼儀を忘れないに抵触するものであり、不快を表明するとともに、立ち去るように提案致します。--彩華1226 2011年9月16日 (金) 15:06 (UTC)
私がマンガ体裁の書籍を典拠にした記述については、同様の内容の書かれた文献(別著者)に替える用意が既にあると先にお知らせしたはずですが、Chichiiiさんは読まれていないか、私の文章がご理解いただけなかったのでしょうか?もっとも議論のゆくえにより、当該の記述の必要なくなった場合はその限りではありませんが。それに私の提示した典拠と、Chichiiiさんの提示した典拠の信頼性の高低については、並べたり引き合いに出されるような事柄ではないはずです。それはそれで別に審査される類のものであると思いますので、混同さないませんようお願いします。--ジャムリン 2011年9月16日 (金) 16:40 (UTC)
彩華1226さん、いい加減にしてください。総務省が日本文化チャンネル桜を委託放送事業者としているわけであり、そのリンクを付しているにも関わらず、議論を混乱させる言動を続けられていますね。数々の虚言と数々のブロック歴からあなたがわざと議論を紛糾させたり、編集合戦が引き起こされることを楽しまれているように見受けられます。ここでの議論とは別の場所を設ける必要があるようですね。ジャムリンさんの先の御話は承知しております。あなたが御自身に対しては甘く、他者に求めるものとかけ離れているということを少しは分かっていただけたならば幸いです。それでは是ということよろしいですね。--Chichiii 2011年9月17日 (土) 16:19 (UTC)
「チャンネル桜うんぬん」に対していつまでもこだわるChichiiiさんの対応は、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないにおける「他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします」に当たるものであると思量します。そのため、改めて不快を表明するとともに、返事を致しません。--彩華1226 2011年9月17日 (土) 20:08 (UTC)
議論が少し熱くなりすぎているように見えます。今回の議論の趣旨は「「王家」表記に対する批判についてどのように扱うか」です。それに付随しない、あるいは重箱の隅をつつくような議論はここに至って不要でしょう。現状、記述推進の方と記述慎重の方の争点は「記述推進の方が示す出典が有効であるか」にシフトしてるようなので、それについての建設的かつ簡潔なコメント・主張が求められると考えます。
それと私は放送事業者関係について詳しいわけではないのですが、Chichiii様の示されたリンクには「衛星役務利用放送事業者」とあります。同サイトのCS委託放送事業者のページのリストには「日本文化チャンネル桜」は入っていないようですが、これは何を意味するのでしょうか。--hat2867 2011年9月18日 (日) 08:52 (UTC)
彩華1226さん、いい加減にしてください。あなたが何ら根拠を示すことなくチャンネル桜を極左暴力集団の中核派と同じであるとして出典として認めないだけでしょう。彩華1226さんがなさってきたことは2チャンネルを出典として議論を強引に推し進めようとするなど混乱させてきただけでしょう。私は感情的な議論を避けるべくあえてジャムリンさんがマンガを出典として記述されたものを復活させるなど相当に他者に配慮してきました。どこが腕づくなんですか?あなたでしょう。hat2867さん、私が示したリンクには「衛星役務利用放送事業者」の下に「委託放送事業者の氏名又は名称」とも記載してあります。衛星役務利用放送とCS委託放送は別の区分のようです[24]。--Chichiii 2011年9月18日 (日) 11:14 (UTC)
Chichiii様に再度申し上げますが、落ち着いて下さい。仮に一方の態度が気に食わなくても、それと同じような態度を取っては意味がありません。
確かに「委託放送事業者の氏名又は名称」とあるようです。つまり衛星役務利用放送事業者=委託放送事業者という事でしょうか。誤記のような気もしますけど、そこら辺の定義については明るくないのでどうも。ちなみに委託放送事業者であった場合、出典に説得力・有効性が出るというのがChichiii様のご意見でよろしいでしょうか。--hat2867 2011年9月18日 (日) 11:48 (UTC)
(インデント戻します)記述推進の方が示されている出典の数も多くなってきた(取り下げたものも含めて)ので、整理のためにどの出典が有効と思われているのかを今一度挙げて頂けると幸いです。--hat2867 2011年9月18日 (日) 08:52 (UTC)
上の節で考えを書いたのですが、どうもスルーされているようですのでもう一度述べます。まず、著名人のブログであればそれ自体Wikipediaとしての出典足りえるというのが一点。NHK公式サイトでわざわざ「王家」使用に対する説明があるのが一点。これら状況を総合的に考えてみるに、公式サイトでわざわざ説明があるようであれば、そのこと自体、十分記載に値する事項であるといえます。であれば、それに対する批判に言及しないのは片手落ちです。但し、現在の批判出典は弱いとは感じます。従って、現時点では批判、説明を両論併記で分量を絞って(2,3行くらい?)記載するというあたりが落とし処じゃないでしょうか。もう少し強い出典や状況に変動があればまたその際に考えるというのがよろしいかと。いかがでしょうか。--Truesight 2011年9月18日 (日) 11:32 (UTC)
両論併記するというのは問題ないと考えます。他の方々のコメントを見ても、これには賛成する方も複数いらっしゃると思います。しかし批判側の記述をする以上、どうしても批判側の出典が必要になります。それについて出典をどのようにするかが問題になっているのではないでしょうか。「有効な出典がなければ(今のところは)記述しない」というのが、一部の意見になっていると思います。--hat2867 2011年9月18日 (日) 11:48 (UTC)(H:ME)--hat2867 2011年9月18日 (日) 11:49 (UTC)
勿論そうなのですが、先に書いたように西村氏のブログは有効な出典足りえると考えております。またチャンネル桜も有効な出典であろうと思います。西村幸祐チャンネル桜ともにWikipedia上に項目が存するほど著名であることを考えればそれらの発する情報も有用だと考えます。--Truesight 2011年9月18日 (日) 12:24 (UTC)
Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源の方針に従えば西村氏のブログは「情報源として認めてよいこともあり得ます」が、「本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはず」(WP:V#SPより引用)です。私が現状の段階(西村氏のツイッターなど)で記述すべきで無く、複数の公刊された出版物を出典とする場合については問題ないとしているのはそのためです。また、チャンネル桜は保守派言論人や活動家の活動報告や主張の場としての性格を持っており、「チャンネル桜で○○が言っていた」と記述したとしても、その出典が「評判の良い資料となるかについて」(Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料)は問題があるとの考えです。--彩華1226 2011年9月18日 (日) 12:45 (UTC)
なぜ、保守派言論人や活動家の主張であるとまずいのでしょうか。革新派言論人や活動家の主張も同じように記載に値しないとお考えなのでしょうか。問題はそのような右左で記載有無を判断することにあるんじゃないでしょうか。わたしとしても、より一般的な媒体があればそちらを使用することを勧めますが、本件ではいずれそのような媒体での発信が予測されていても現在ではまだないのですから、それらを出典とするしかないでしょう。単一の媒体のみによる出典しかないのであればいざしらず、複数の出典があるのですから全く記載に値しないとするのはおかしいでしょう。更にはNHKサイト上では事実上、それらに対する説明がなされているのが現状です。NHKの公式サイト上になされている説明についても記載すべきではないとお考えなのでしょうか。--Truesight 2011年9月18日 (日) 13:01 (UTC)
なお、わたしとしては比較的一般的な媒体ではないという点も考慮の上、分量を絞っての記載を行うべきと既に意見表明しております。--Truesight 2011年9月18日 (日) 13:07 (UTC)
保守派言論人や活動家の主張であるからまずいとは一言も言っていません。「評判の良い第三者による発行物」(Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料)かどうか疑問があると申し上げています。「ではいずれそのような媒体での発信が予測されていても現在ではまだないのですから」と述べていらっしゃいますが、発信されるまで待てばいいではないですか。「本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが」いずれ執筆するはずです。--彩華1226 2011年9月18日 (日) 13:16 (UTC)
日本政府から委託されて放送を行っている事業者が報じているものですから、すでに独自研究などにはあたりません。また、NHKからはNHK会長の指示によって当該テレビ局に回答がなされています。NHK会長までが関与している訳ですから、何ら問題はないでしょう。メディア問題を扱うジャーナリストとして国際的にも知名度のある西村氏の件は御本人の発信とそれに係る二次的な報道がなされているので何ら問題はありません。新たな媒体での発信がなされればより重厚な内容の記事として充実させることはできますが、現状でも十分です。NHKの見解、NHKの見解と異なる見解双方を淡々と出典を付して記述すれば良質な記事となることでしょう。--Chichiii 2011年9月18日 (日) 13:36 (UTC)
Hat2867さんが提示されたもの以外としては上記のとおりあります。参考として↓瀬戸氏のものも提示しておきます。
少し「委託放送事業者」について調べてみました(本当に少しですが)。Chichiii様は「総務省が放送を委託している事業者」であると仰られていますが、ネットワーク大辞典によりますと、「放送を他の業者に委託している事業者」であるとあります。私の調べが足りないという事でなければ、少なくともチャンネル桜は「日本政府から委託されて放送を行っている事業者」ではないでしょう。間違ってましたら、申し訳ないですがご指摘下さい。
さて立場的にChichiii様が追加で挙げられたので、出典が出揃ったと考えます。出典は#「チャンネル桜」#「やまと新聞」#「西村幸祐のTwitter」#「瀬戸弘幸のブログ」です。双方とも最終的には両論併記の方向性に異議を唱えられていないので、これら出典の有効性を吟味した上で両論併記(全て無効ならば記述なしですが)に寄せていくのがよろしいかと思います。
私はブログは現状では有効な出典と考えます。やまと新聞はやや説得力に欠けるように見えるので次点Twitterは出典たりえないと考えます。チャンネル桜は皆様の見解を見てから判断します。書籍等の有力な出典が出たら差し替えるという意見には反対しません。--hat2867 2011年9月18日 (日) 15:22 (UTC)
委託の件ですが総務省のホームページに記載されていたので当然に政府からと解釈しておりましたが、法律用語として特別な意味があるやもしれないような御指摘がありましたので、いったん留保させていただきます。--Chichiii 2011年9月18日 (日) 15:40 (UTC)
チャンネル桜は放送局ではありませんし、総務省から委託されたわけでもないと思います。しかし、総務省による衛星役務利用放送事業者の登録審査は受けたようです。--Historical rox 2011年9月19日 (月) 14:45 (UTC)
放送局ではないとは?という感じですが、専門用語的にはフジテレビや日本テレビと同様に委託放送事業者とされていますので出典として問題ないでしょう。--Chichiii 2011年9月20日 (火) 15:08 (UTC)
前にも述べましたが、チャンネル桜は委託放送事業者ではありません。「衛星役務利用放送事業者」です。また放送形態的に、基幹局でもあるフジや日テレとは比較対象にならないでしょう。というか、事業者としてどうこうより、主張者が誰であるかという方が重要だと思うのですが、いかがでしょうか。--hat2867 2011年9月21日 (水) 10:48 (UTC)
Hat2867さんが何を根拠に申されているかは存じませんがHat2867さんの憶測ではないでしょうか。総務省(平成23年4月1日現在)では「衛星役務利用放送事業者」かつ「委託放送事業者」です[25]。電波法やそれに係る政令は頻繁に改正されますのでできるだけ最新のものを参考にするよう心がけてください。--Chichiii 2011年9月21日 (水) 15:00 (UTC)

合意形成にむけて(論点整理)その2

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長くなりましたので、ここで再度切ります。衛星役務利用放送事業者を規定していた「電気通信役務利用放送法」(平成13年6月29日法律第85号)ですが、2011年6月30日放送法に統合のうえ廃止になっており、従来の衛星役務利用放送は放送法施行規則に規定する「衛星一般放送」へ移行しています。すなわち衛星役務利用放送事業者というカテゴリーは現在では過去の物です。揚げ足を取るようで申し訳ないですが、「衛星役務利用放送事業者」かつ「委託放送事業者」という説明は誤りで、現在は電波法の規定により受託放送をする無線局の免許を受けた「衛星一般放送」をする「受託放送事業者」が正しいです。チャンネル桜は受託放送事業者のうち、有線ではない衛星役務利用放送の事業者ですが現在衛星放送は休止中だそうです。どうして総務省のホームページに古いものが残っているのかは判りませんが、既に最新版ではありません。ウィキペディアの内部リンク及び法律を読んでいただく様にお願いします。そういった主張もあるといった程度の出典なら容認派できるとは思います。
あと、此処で現在、問題なのは「出典先の素性」ではなく「出典の信憑性」ではないかと感じます。出典先の評価は立場によっては違いますし、新聞社の好き嫌いもありますので、信用するかしないかは人によって違っていますので、均衡をとる必要があるように思いますが、難しいところです。だからといって「出典先の素性」は確かなものだと主張したからといえって信憑性があがるとは思えません。実際、放送局や週刊誌でも誤報がありますし、眉唾ものの情報もあります。まあ、日本文化チャンネル桜の場合、NHKに対し『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジアの“一等国”」』における偏向・歪曲的とされる問題に対し抗議活動をしているとありますので、たとえるなら、アンチ・ジャイアンツ側が巨人軍の采配を批判するようなものであり、さもありなんという気がします。出典として書いてもいいとは思いますが、NHK批判の一つに過ぎないと捉えかねないといえます。つまり、NHKに対する批判であって、放送もされていないドラマに対するイチャモンとしか捉えかねず、かえって日本文化チャンネルの評価を落とす結果にしかならないといえます。--Sky Wing Sky 2011年9月21日 (水) 16:05 (UTC)誤字訂正一部加筆--Sky Wing Sky 2011年9月22日 (木) 04:40 (UTC)
チャンネル桜について、私・Chichiii様両方とも正しくなかったという事で了解しました。お騒がせしまして申し訳ないです。が、チャンネル桜がどのような立場にであるかはさほど重要ではなく(国より許可を受けて放送番組を作成・発信しているという事実があれば十分)、やはり出典内容の信憑性の方が重要でしょう。今回の場合「そのように主張する人がいる」事を示す事が目的なので、チャンネル桜に求めるのは、説得力のある主張・主張者かと思われます。個人的にはブログで要件を十分に満たすと考えますが、「複数の論者がいる」出典の場合、別の出典がいるのでしょう。それにチャンネル桜を充てる事には反対しません。--hat2867 2011年9月22日 (木) 14:39 (UTC)
評論家のほかチャンネル桜の水島社長自身が問題提起していること、NHK会長の指示によりNHKの見解が表明されていることから両報道機関の最高責任者が関与するほどのものですから記述するべきだと考えます。どちら側にも正しいと信ずるものがあるのでしょうから、それらを併記することにしましょう。--Chichiii 2011年9月23日 (金) 14:41 (UTC)
保守系の市民団体の幹事長を務める人物が自分が社長を務める会社で製作した番組で行った主張と、公共放送を担う特殊法人たるNHKの見解を同一視して「それらを併記することにしましょう」などとというのはWikipediaのどの方針に則っての発言なのでしょうか。見解をお聞かせください。--彩華1226 2011年9月25日 (日) 19:21 (UTC)

「(基幹局とは)比較対象にならない」「『放送局』ではない」と既に指摘されているにも関わらず、Chichiiiさんがあくまで「チャンネル桜は放送局で報道機関」という主張を押し通そうとなさりたいことだけは理解しました。あなたの言動がWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないにおける「他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします」に当たるものであると改めて指摘させていただきます。--彩華1226 2011年9月25日 (日) 18:44 (UTC)--彩華1226 2011年9月25日 (日) 18:44 (UTC)

どこに腕ずくで解決しようとしないに該当するようなことがあったのでしょうか?あなたの言動は尋常ではないと思いませんか?私は対話者を尊重するため、反対論者であるジャムリンさんがマンガを出典として記述した文面と出典をわざわざ復活させるなどしてまで議論が熱くならないよう配慮を重ねてきました。その一方で、これまでも腕づくで解決しようとして数限りなくブロックされ続けている2011年7月7日 (木) 09:01、2011年7月4日 (月) 12:04、2009年4月18日 (土) 12:10、2009年2月7日 (土) 23:57、2008年5月21日 (水) 21:52、2007年11月25日 (日) 09:16、2006年12月30日 (土) 16:48、2006年12月7日 (木) 18:06彩華1226さんは総務省のホームページにも記載されている委託放送事業者を警視庁に極左暴力集団と認定されているテロ組織と同一であるような彩華1226さん独自の議論を展開したり、自称2チャンネラーの彩華1226さんは執拗に2チャンネルの話を持ち出し、たびたびの注意にもかかわらず2チャンネルのリンクを貼りつけるなど議論を意図的に混乱させてきました。彩華1226さんほどウィキペディアの方針の柱上げをされる方には出会ったことはございません。彩華1226さんは柱上げできるほどに方針をよくご存じであるにも関わらず、方針を破る言動を行い続けています。これでは、彩華1226さんは意図的にウィキペディアを混乱させ、それを楽しんでいるようにしか見えません。私は議論の混乱やそれを楽しむつもりはございませんのでお控えください。それから、こんどは特殊法人でないから出典としないとは意味が分かりません。あなたがこれまで行ってきたおかしな言動をほったらかしにしながら、根拠を示すことなく再び独自主張する姿勢に疑問を感じます。--Chichiii 2011年10月1日 (土) 15:00 (UTC)

尖閣諸島を中国領だと考えている人は、この問題の仲裁者にまったくふさわしくありません

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--219.176.114.78 2011年9月14日 (水) 11:44 (UTC)

上記IPユーザはブロック破りとして1ヶ月ブロックされています。--Aquamarin456 2011年9月14日 (水) 12:59 (UTC)
明らかな個人攻撃、または目的外利用の演説であるため除去しました。--Hman 2011年9月14日 (水) 13:01 (UTC)

合意形成にむけての取り組み

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この問題で、過去の当方の編集を全部みるという、ストーカーというか付きまといのような行為を受け大変恐ろしい事になりました。こちらも売り言葉に買い言葉でとんでもない事をいったものだと自省します。そのため、仕切りなおしということにさせてください。直接関係ないけど尖閣諸島が中国領なんておもっていませんので誤解なきように思います。大河ドラマ関連で出版されている書籍としては、「平清盛 -栄華と退廃の平安を往く-」 (晋遊舎ムック)が最も新しいですが、NHKの大河本に正式な表明がありそうなので、それまで待ってもいいのではないかと思います。皆様のご意見をおねがいします。--Sky Wing Sky 2011年9月14日 (水) 13:26 (UTC)

歴史的用語ではないという指摘があるのはChichiiiさんがおしゃるとおりです。一方で歴史用語だという指摘もあるのも事実です。論争があるのは事実なので「両論併記」にすべきでしょう。あとは、今後論争にならないようにするためには、文章案を練ったほうがよいように思います。できれば、本文に書く前にこちらで草稿をあげるほうがよいと思います。--Sky Wing Sky 2011年9月14日 (水) 14:45 (UTC)
NHKの大河本もそうですが、今後注目されかねない問題だと思いますので、おっしゃるとおり少し待つのもありでしょう。両論併記には賛成しますが、文脈次第ではまとまらない可能性もあるので、慎重に文章を練る必要がありますね。--Historical rox 2011年9月18日 (日) 14:18 (UTC)

日本史及び日本文学史(お好みにより国史国文学と言っても構いませんが)の中で、「王」や「王○」といった言葉は、実に様々な場面で様々な意味合いに使用されています。政治的な関心でちょっかいを出して、この言葉がいいとかあの言葉がけしからんとか、安易に主張するには対象が広大すぎます。それを、専門的な場で大いに議論したいというのは別に結構なことですが、大河ドラマの項目にちょっと書くようなことでもありません。数行の「両論併記」(そもそも何と何を「両論」とするのかからして問題なのですが)によって、かえって読者をミスリードするくらいなら、最初からないほうがよいでしょう。何しろいち大河ドラマの記事なのですから。--J Stalin 2011年9月22日 (木) 02:55 (UTC)

両論併記の原則に基づいて、出典に基づき淡々と情報を記述すればいいんじゃないでしょうか。たとえば、『NHKが原作にある「天皇家」を用いずに「王家」を用いたことに対し、西村幸祐は~、また、瀬戸弘幸は~と述べるなど、一部で非難がみられる。他方でNHKは公式Webサイト上で~と説明している。』ぐらいでいいんじゃないですかね。--Truesight 2011年9月22日 (木) 15:07 (UTC)
原作は公開されていないと思いますが「原作にある」というのはどこ情報でしょうか。「普通は「天皇家」を使う」という法則があるわけでもありませんし、『本作の公式WEBサイトで皇室の人々とその関係者を「王家」と表現した事に対し、○○の西村幸祐は「〜」、また○○の瀬戸弘幸は「〜」と述べるなど、一部で非難がみられる。なお後に公式WEBサイト上では「〜」と補足されている。』というのはいかがでしょうか。--hat2867 2011年9月24日 (土) 07:00 (UTC)
結構です。現状レベルの出典では上のような文章が適当かと。今回は上記とし、他の出典がでればあらためて検討する、ぐらいですかね。原作云々についてはわたしの勘違いでした、失礼しました。--Truesight 2011年9月24日 (土) 08:25 (UTC)

こうしたことを大河ドラマの項目に当たり前のように記述すること自体に疑問があります。問題に対する「両論」をどうこう言う以前に、問題自体を正しく定義することが難しいからです。一例として、現在の記事には「皇室」という言葉が使われています。「皇室」という「言葉」そのものの用例は続日本紀などに遡りますが、日常的に使われる機会は多くなく、また意味用法としても「朝廷」や「政権」と同義のような使われ方だったりします。現在の我々が「皇室」という言葉から受け取る意味は、皇室典範に定義された明治維新以降の「皇室」なので、平安末期を舞台とした話題に、注釈なしで「皇室」という言葉を使うこと自体、あまり神経の行き届いたことではありません。そんな中、どうして問題を正しく記述し、「両論」?を正しく記述できるのか、見当もつきません。できないことはしない、という原則に基づき、一切記述しないのが良いと思います。--J Stalin 2011年9月24日 (土) 09:52 (UTC)

それは独自研究でしょう。Wikipediaにはそんなルールはありません。我々が行うことは出典に基づき事実を記すのみです。正しいも正しくないもありません。--Truesight 2011年9月24日 (土) 10:39 (UTC)

その「事実」とは「ああも言ってる人がいる」「こうも言ってる人がいる」という「事実」そのものを指すのでしょうか。であるとすれば、ドラマに関して数千万人が垂れるであろう文句の中の一つであって、何の特筆性もないということになります。西村とか瀬戸とかいう人々は、歴史考証に関する専門知識を世間から認められている人物ではありませんし。--J Stalin 2011年9月24日 (土) 10:53 (UTC)

彼らは著名人です。著名人である彼らが異口同音に発している言葉には特筆性があるでしょう。後にはNHKが公式Webサイト上に釈明文を入れるほどになりました。ところで先ほどは正しく書けないから書くべきでないと主張していたのに今回は特筆性がないから書くべきでないとはどういうことでしょうか。書かせないという目的ありきで、理由は後付けなのでしょうか。--Truesight 2011年9月24日 (土) 12:45 (UTC)

誠に申訳ございませんが、私の「歴史考証に関する専門知識を世間から認められている人物ではありません」という指摘に対する返答が「彼らは著名人です」では、箸にも棒にもかからないと言うしかありません。ためしにウィキペディアで瀬戸弘幸氏の経歴を閲覧したところ、「右翼結社の首領」、市販されていない「B5版10ページ、1万円」もする資料の発行、会社整理にかかわって現金を脅し取った容疑で逮捕(不起訴)、等々、典型的な総会屋さんの経歴のようです。--J Stalin 2011年9月24日 (土) 13:00 (UTC)

要するに、「歴史考証に関する~」は関係ないってことです。高度に学術的な記事であればそういったことを勘案する必要もありますが、ここで述べられようとしているのは学術的なものと直接関連したものではありません。ドラマの文言の使用について一部著名人からものいいが出たよ、それに対しNHKはこう説明したよってな事件をそのドラマを扱う本記事で紹介するということです。この紹介をすることがどのように都合が悪いのですか?--Truesight 2011年9月25日 (日) 09:10 (UTC)

公証にも学術にもかかわりのない「ドラマの文言の使用について一部著名人からものいいが出たよ」レベルなら、先に述べたように数千万人から発せられるヤジやつぶやきの一つに過ぎず、何の特筆性もありません。むしろ選択的に掲載するとすれば、一種の売名活動かと。--J Stalin 2011年9月25日 (日) 09:53 (UTC)

はい、そこでわたしの2011年9月24日 (土) 12:45 (UTC)のレスへと繋がる訳です。彼らは一般人とは異なります。--Truesight 2011年9月25日 (日) 17:01 (UTC)
西村氏はWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源における「有名ジャーナリスト」と見なすことは可能です(ただし、「情報源として受け入れられるかもしれません」し書きされています)。しかし、瀬戸氏はジャーナリストを「自称」はしているものの「著名な専門研究者や有名ジャーナリスト」として評価できるでしょうか。「その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済み」でもありませんし、中世史において著名な研究者でもありません。--彩華1226 2011年9月25日 (日) 18:58 (UTC)

さて、ウィキペディアで西村幸祐の最近の活動状況を参照してみました。なるほど、この方が「有名」なのは、歴史的事実の地道な探索研究ではなくて、政治的主張やそれに基づくマスコミ批判活動によるものですね。マスコミ批判を業としている人が何か言うたびに、いちいち当該番組の項目に「西村幸祐氏は語る」などと書いていくのでしょうか?それは百科事典のすることではなく、本人の著書や番組や宣伝カーですればよいことです。もしウィキペディアに書くに値する主張であるならば、西村幸祐氏の項目に書いておけば十分。一般論として、放映されたドラマに対する評価や批評は、その代表的なものが百科事典に書かれる可能性はあるでしょう。この場合は、放映されてもいないドラマ、しかも作品の本質に関わるかどうかすら疑問のある、そして専門外の個人の発言です。特筆性のないことは論を俟たないでしょう。--J Stalin 2011年9月26日 (月) 00:46 (UTC)

原則論ですが、瀬戸弘幸が思想的にどうとか西村幸祐がマスコミ批判がどうとかというのは関係ないです。要はその人が著名人であるか否かです。しかし、彩華1226さんが仰るように著名と看做すことができるのか、というのは議論の俎上にあげるべき論点ではあると思います。わたし自身の勉強不足もあるかもしれませんが、微妙というのが正直なところです。従って、わたしとしては瀬戸氏の引用についてはみなさんの意見に従いたいと思います。但し、わたしの主張は、NHKがわざわざ公式サイト上に説明を設けるほどにこの問題は世論をにぎわした、ということはこの問題について言及しないということはありえないというものです。従って瀬戸氏の引用を差し控えた場合でも西村氏、等の出典を添えて記載を行うべきです。特筆性が無いという人はNHK公式サイト上にわざわざ設けられた説明文をどのように説明するのでしょうか。--Truesight 2011年9月26日 (月) 12:19 (UTC)
私の見解としては、西村氏が今後自ら発行する雑誌の記事として書いた、または雑誌・新聞等の第三者のメディアに記事を寄稿した場合は出典とできるが、現在の段階では西村氏の発言を出典とはできないとの考え方です。9月14日 (水) 13:50 (UTC) のコメントも参照してください。--彩華1226 2011年9月26日 (月) 20:33 (UTC)

ウィキペディアが信頼できる情報源かどうかを判定する基準は「著名人」ではなく「認められた専門家」のはずなのですが。さて、「NHK公式サイト上にわざわざ設けられた説明文」があるとおっしゃるので、さっき「平清盛」公式サイトを見に行きましたが、どこに載っているのか見つけられませんでしたので、それ以上探さずに帰ってきました。俳優陣の紹介や制作エピソードなどは、豊富な画像と共にてんこ盛りで楽しそうでしたが。要するに、所詮その程度のことなのでしょう。--J Stalin 2011年9月26日 (月) 12:40 (UTC)

コメント 公式サイトに注釈があるため、異論があるということ自体は記事内で言及したほうが良いと思います。しかし、誰が異論を言ったというところまで書くべきかどうかは微妙なところだと思います。「一切記述しない」というJ Stalinさんの意見には賛成できません。--Historical rox 2011年9月26日 (月) 13:41 (UTC)

コメント記載するのも可とは思いますが、多分に政治的イデオロギーの強すぎる内容であるため、場合によっては今回のように議論を招くので、あくまでコラム的なもので深くは入れるべきではないと感じます。入れるとすれば「概要」にいれると、特定の政治的イデオロギーを支持するかのように受け取れられかねないので、文末の「その他」にしないといけないといえます。すべては排除せずに加筆によって修正すればよいとはしても、あの人はこういった、といった内容ではなく「皇室ではなく王朝としている事に対し異論もある。ただし天皇が政治の実権を持っていた平安時代を指し王朝時代ともいう」程度でいいのではないかとおもいます。これはウィキペディアの項目の中で「王朝時代」という項目があり、「日本の歴史における時代区分で、天皇が政治の実権を握っていた時代を指す」という説明があります。また王朝国家という項目では戦前からの用語であるとの説明があります。無論、これらは「王朝」の言葉に対し異論を挟む方にすれば「邪論」かもしれませんが、その部分でも「歴史的用語ではない」という反証も可能でして、王朝を使うNHKを批判する言論があるのは事実としても、ウィキペディアの記載に矛盾するのは明らかなので、その言論が正当なものとして擁護するのも難しいといえます。あまり追求すると今回のように収拾つかぬ事態になるし、「文化チャンネル」とはいっても特定の政治的イデオロギーの強すぎるものを入れると反発を招くのも必定なので、個人名をいれるのも避けたほうがよいといえます。今回の事態はフジテレビの韓流騒動とは違い、ネット掲示板を除けば「文化チャンネル」関係以外全くといっていいほど問題にされておらず、国が燃えるのように公式に抗議がされるような問題にならない限り、それほど重要ではないといえます。記載するなら数行でよいといえます。--Sky Wing Sky 2011年9月26日 (月) 16:49 (UTC)
政治的イデオロギーが強すぎるため書かないというのは間違いだと思います。重要なのはそういったイデオロギーの片方に肩入れし過剰な書き込みを行う、或いは全く記述しない、ということを行わないことです。中立的な観点にそって適正な記述を行うことに問題はありません。但し現時点では数行の記述にすべきであるというご意見には賛成です。あと今回問題になっているのは「王朝」ではなく「王家」ですよね。--Truesight 2011年9月26日 (月) 17:43 (UTC)

ここまでの色々な方々のコメントを拝見していますと、記載したいという意見には、二つの観点があり、それらが人によって、あるいは時によって入り混じったり交代したりしているようです。二つの観点とは、次の通りです。

  • 「論」として記載する観点。「両論併記」とか「政治的イデオロギー」あるいは「この問題」という言葉に、そのあらわれをみることができます。歴史の見方に関して、あるいは国家の統治機構に関して、様々な意見があるのは当然ですが、ここでそれを記述することには正当性も必然性もないように思えます。なぜならば、
    • 百科事典は、信憑性を確認できる二次情報に基づき事実を記述するものであるというのが、基本原則です。事実そのものに複数の可能性が認められる場合、それらを併記することはあるでしょう。「両論併記」とはそういうことであり、政治結社や個人の意見や主張を並べて「中立を保った」と称することではありません。百科事典は討論会場ではないからです。
    • 最初のほうで申上げているように、歴史、とりわけ平安後期の院政期から中世~戦国にかけての日本史は、無数の観点があり得る広大な領域であって、その中でも重要なテーマの一つである最高権威と権力の呼称をどうするのかという問題を、ドラマの記事の中に数行でまとめて紹介できるとは思えません(現在の文面では「皇室」という言葉が用いられていますがここでの「皇室」がどの範囲の人を指しているのか正確に説明できる人はいるのでしょうか)。
  • 「出来事」として記述する観点。「ドラマの文言の使用について一部著名人からものいいが出たよ、それに対しNHKはこう説明したよってな事件」として記述せよという意見がそれに当たります。これについては、何度も繰り返しているように、数千万人の人が発する無数のヤジやつぶやきの一つであって、全く特筆性を認めることができません。なぜならば、
    • それを発した人物は、政治結社やマスコミ批判家等として「著名」かも知れませんが、第三者から客観的に、日本の古代史中世史に関する専門的知見を認められているわけでもなく、時代劇やドラマ制作での時代考証についての専門性を認められているわけでもありません。つまり「大河ドラマ『平清盛』」という領域に関しては、単なる素人のおっさんです。
    • 誰が発した言葉であろうとも、ドラマの本質的な部分で評価や人気に関わる問題なら、特筆性を認められるできごとになるかも知れません。今のところ、そう認めるに足る材料はありません。もしも、ドラマが放映された時に、「こんな歴史があるわけがない」と視聴者から大不評で視聴率急落!などということがあれば、それは特筆すべき「出来事」なのでしょうけれども。
----ということでございます。どちらの観点からも、記述には及ばないという結論しか出てこないように思われます。念のために申しますと、二つの観点をごちゃ混ぜにして話をしないほうが、論点がスッキリしてよろしいかと思います。--J Stalin 2011年9月27日 (火) 00:46 (UTC)
「論客の意見に対してNHKが説明した」という構図は現在示されている出典では「チャンネル桜」でしか存在しません。公式サイトにおける注釈は、他所への反論という体裁なのかが言及されていないためです。
論客の意見ですが、「当時そのような言葉はなかった」という史学的な主張ではなく、「NHKによるそのような表現は外交的もしくは教養的に誤解を招きやすく、悪影響がある(やや総括しています)」という主張だと思います。なので歴史専門家に限らず、メディア・情報畑の人間が批判する事について完全に否定されるものではないと考えます。(史学的に深く探りを入れている論客は現在の出典ではいないようです)
私も個人的には、双方の主張が噛み合わずまだまとまっていない問題ですし、「まだ放送前の事なので」作品内容についての記述は不要と考えますが、議論が全くまとまらない事を考えて、両者がこの問題に言及している事から両論併記でも「許容できる」という姿勢です。もしかしたら私のスタンスに近い方もいらっしゃるかもしれません。--hat2867 2011年9月27日 (火) 03:02 (UTC)
私としては、両論併記して放送まで様子を見るくらいしか、穏便な解決は見つからないと思います。--Historical rox 2011年9月29日 (木) 14:56 (UTC)

新たな観点をご提示下さったHat2867さんに感謝いたします。映像作品や文学作品について「外交的もしくは教養的に誤解を招きやすく、悪影響がある」等、政治的、道徳的、宗教的、思想的見地から批判をする人がいるのは、今に始まったことではありません。『源氏物語』は不道徳の極みとして非難されたことがありますし、『徒然草』も宗教的・思想的に悪書呼ばわりされたこともあります。戦時中は「軟弱文化」一般が批判にさらされました。そうしたことは、一般に時代の風潮として見られる現象であり、大きな流れとして観察された時に、文学史や思想史の中で解説されるものだろうと思います。百科事典的には、個人の発言の段階で、一々リアルタイムに取り上げることではないと考える次第です。--J Stalin 2011年9月27日 (火) 03:58 (UTC)

史学に拘っている方がいますが、今回の事象はドラマに対し批判がなされたということであり史学上の問題からのみ捉えるのは間違っています。史学云々でいえばおかしなところは沢山あるのです。ドラマのあらすじは細かいところで脚色があるでしょうし、ドラマで描かれる人物像なども実際とはことなる創作でしょう。また、俳優が喋るであろうセリフですが、これは勿論、当時の言葉ではありえません。今回は歴史的出来事を背景、モデルとしたドラマではありますが、つまるところ、現代日本人向けにアレンジされた創作劇作に他なりません。つまり大きな流れとしての文学史、思想史、はたまた、史学云々という仰々しい観点からのみみれば本ドラマ自体、特筆性がないのです。本記事の特筆性は思うに現代大衆文化という観点からみたときに存するであろうと考えます。史学上の価値はありません。そうした劇作に著名なジャーナリストなどから批判が行われたのです(個人の発言ではありません)。しかもそれに対する見解を制作側もわざわざ公表している。こうした状況において劇作の記事は作成する、しかし、それに対する批判は記述してはならないとする合理的な理由は何も無い筈です。--Truesight 2011年9月27日 (火) 16:36 (UTC)

では、上の発言でTruesightさんが仰られていることを、箇条書きにしてみます。

  • (1)対象は現代大衆文化としての創作劇作であり、史学的対象ではない。
  • (2)著名なジャーナリストなどから批判が行われた。
  • (3)個人の発言ではない。
  • (4)それに対する見解を制作側もわざわざ公表している。
  • (5)劇作を記事にして批判を記事にしないのはおかしい。

こんなものでよろしいでしょうか。

  • (1)なるほど、結構です。観点をそのように絞ると、歴史談義をする必要はありませんね。
  • (2)Wikipediaの各種方針やガイドライン類では、情報の信頼性や特筆性などについて判断する際「専門家」(自称ではなく認められた専門家)は信頼すべきものとして重要視されていますが、「著名人」を無条件に重視する考え方はどこにもありません。本件で名前の出てくる人々については、一定の政治活動や民族主義、マスコミ批判、企業批判等では、ある程度の範囲で名前が知られているように思いますが、「現代大衆文化としての創作劇作」についての豊富な知見を有する専門家として世間から認知されているとは到底思えません。
  • (3)は意味がわかりません。個人の見解だろうと思います。あるいは「○○会」とかの団体名で出されているのでしょうか?その団体は、当該個人より特筆性がある専門家団体なのでしょうか?
  • (4)企業や団体が、その製品やサービスに関して、内外からの問いかけに返答をすることは、一般的なことです。私だって、ある博物館の展示に対して意見と質問をしましたところ、その博物館の公式広報誌にてお答えをいただきました。しかしそれは、百科事典に載せるような事件ではありませんね(仮に私が別の分野で「著名人」であったとしても)。
  • (5)劇作に対する有力な批評が百科事典の記事になることはあるでしょう。しかしそれは、作品の本質に関係する重要な内容であればです。と言いますか、そもそも始まってもいない作品の批評など、時期尚早どころか「鬼が笑う」話ですが。

--J Stalin 2011年9月28日 (水) 00:44 (UTC)

放送が始まっているかどうかは問題ではありません。放送が始まっていないから番組に係る事項は記述させないとするのはおかしな話です。それは、放送が始まっていないから項目の存在は不要ですといっているのと同じです。作品の批評ではなく作品に係るホームページやNHKの姿勢に係る事項について、放送時期とどう結び付けることができるのでしょうか?時期尚早も「鬼が笑う」もなにもないでしょう。--Chichiii 2011年10月1日 (土) 15:06 (UTC)
前に述べさせていただいたとおり両論併記がこの問題を解決する一番の落とし処だと思います。
スターリンさんの質問について簡単にいきます。(1)についてはご理解いただきありがとうございました。(2)は今回の場合「自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリスト」であり別に専門性が要求されるものではない。(3)個人と書いた場合、特にWikipediaのこういう場では一般個人を指します。著名人を一個人と同列に論じないでください。(4)あなた一個人に対して行われた回答と広く公けに公表されている説明ではレベルが違います。(5)端的にいって批判が作品の本質に関わっていようがいまいが、作品が始まっていようがいまいが関係のあるものではありません。--Truesight 2011年10月2日 (日) 05:02 (UTC)

お二人まとめて返事しますが、

  • (2)「自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリスト」であるというのは、自分自身についての特筆性(つまり西村なにがしについての項目をウィキペディアに立ててよいか)を判断する材料にはなるのですが、自分以外の対象(この場合は大河ドラマ)に対する信頼できる情報源になり得る知見を有しているかどうかの判断基準ではありません。混同なさらぬように。
  • (3) 著名であれ無名であれ個人は個人、団体は団体、ウィキペディアでも外部でも同じです。日本語を勝手に再定義してはいけません。いずれにせよ、一般人でなければ、自分の専門外のことに発言しても情報源として採用されるかと言えば、そうではありません。
  • (4) 文章をちゃんと読みましょう。私は「その博物館の公式広報誌にてお答えをいただきました」と書きました。まぎれもなく「広く公けに公表されている説明」です。公式の場で質問に答えが返されるというのは、世間に無数にある、ありふれた、特筆性のないできごとなのです。
  • (5) Chichiiiさん、文章をちゃんと読みましょう。私は「始まってもいない作品の批評」と書きました。「放送が始まっていないから番組に係る事項は記述させない」とは書いていません。しかしながら「作品の批評ではなく作品に係るホームページやNHKの姿勢に係る事項」であるなら、作品の項目に書く意味はありません。NHKに対する批判や評論として書けばよいのです。もちろん、ウィキペディアは百科事典なので、NHKに対する批判や評論を行うためのサイトではありませんから、どっか他所でやっていただくことになりますが。Truesightさんの文の方は、ごめんなさいね、何をおっしゃっているのかさっぱりわかりませんでした。

--J Stalin 2011年10月2日 (日) 16:17 (UTC)

(2)これはひとつの社会現象なんです。著名なジャーナリストが「王家」の使用は適当ではないと公表していることは事実だし、チャンネル桜がやはり非難していることも事実なんです。それに対しNHKは適当であるという説明を公表している。そういう騒動があったのは事実であり、NHKが説明をわざわざ公表していることに特筆性があるのです。ある学術研究について門外漢がどういったとかそういう問題ではないのです。
(3)(2)でもいいましたが専門性云々で論じる問題ではありません。
(4)これは失礼、もし公式広報誌に載っているのであれば、Wikipediaの記載に資するものです。わざわざ公式広報誌に掲載されているようであれば特筆性がないとはいえません。
(5)作品にかかわるあらゆる批評、評論はWikipediaの記載対象となり得ます。たとえ作品の本質に関わっていようがいまいが関係ありませんし、作品が始まっていようがいまいが関係ありません。要は記載に資するかどうか(=特筆性があるかどうか)ということになります。
とどのつまり、本問題は特筆性があるかどうかということになりますが、NHK自体特筆性を認めている問題であるといえる(わざわざ説明を公式HPに掲載している)ので記載に問題ないものといえます。--Truesight 2011年10月3日 (月) 12:25 (UTC)

こんばんは。ご苦労様です。

  • (2) 「これはひとつの社会現象なんです」----社会現象がおきているという、二次資料を提示して下さい。もちろんそれは、対象から独立した、信頼できる第三者からの言及でなければ困りますが。
  • (2)(3) 「著名なジャーナリスト」----まああまりけなすのも何なので、黙って聞いておりますが----ウィキペディアに項目を立てても削除されない程度には著名なのかも知れませんが、何か言うたびに世間の人々の注目を広く集めるほどの「著名人」かと言うと、残念ながら----という程度でしょう。まして専門外の発言など、一般人と異なる資格があるという理由は見当たりません。
  • (4) 先にも述べましたが、企業や団体や公共機関が、一般ユーザからの意見や質問に公式機関紙や公式サイトで返事をするなどという機会は無数にあるのです。それの一つ一つに特筆性があるという根拠は何一つ示されていません。
  • (5) 「要は記載に資するかどうか(=特筆性があるかどうか)ということになります」----よくおわかりになっていらっしゃる。何度も繰り返しましたとおり、特筆性の根拠は、示されてはいません。

--J Stalin 2011年10月3日 (月) 13:02 (UTC)

(2)社会現象でなければ「NHKの「王家」使用に対する批判的な見解が公表された一方でNHKがそれに反する説明を公式サイト上で公表した騒動」でも結構です。この騒動があったということに特筆性があるのであり、批判者の専門性が問われる問題ではありません。
(3)「一般人と異なる資格があるという理由は見当たりません」とのことですが、少なくともスターリンさんの記事がWikipedia上に掲載されることはないわけです。つまり、この点一般人であるスターリンさんとこちらで紹介している西村氏、チャンネル桜とは異なる訳です。専門性云々については(2)で述べた通りです。
(4)一般ユーザからの問い合わせの回答に等しく特筆性がある訳ではありません。それら回答の内、回答側のなんらかの判断により広く公表に至ったものについて特筆性があると言っているのです。
(5)特筆性の根拠は示しております。今回の(4)でも述べております。NHK自身、自身の公式サイト上に(反論を)掲載する価値があるとしているのです。--Truesight 2011年10月3日 (月) 13:38 (UTC)

だんだん項番をつける意味がなくなってきましたね。話が大詰めに近づいてきたということで、まあいいかって思います。

  • 「見解が公表された」って「騒動」でも何でもないのではないでしょうか。世の中のほとんどの人は、そんな「騒動」があるとは思ってないでしょう。「騒動があったということに特筆性がある」ということでしたら、これを騒動であると評価している、二次資料を提示して下さい。もちろんそれは、対象から独立した、信頼できる第三者からの言及でなければ困りますが。
  • 「回答側のなんらかの判断により広く公表に至った」ものは無数にあるとご紹介したのですが。しがない私の質問への回答でさえ広く公表に至っていたわけで。

--J Stalin 2011年10月3日 (月) 14:13 (UTC)

騒動でなければ現象でも結構ですよ。広く公表に至ったものが無数にあろうともそれらが検証可能性を満たし、かつ、主催者(?)側により公開されているという点で掲載に値する訳です。それとですね、上にあげられているスターリンさんの例ではスターリンさんの質問によって、その回答が広く公表に至ったかどうかは知りませんが、ただ単にスターリンさん個人に答えるのが目的であれば広く公表する必要なんてないんです。広く公表するに至るにはそれ相応の理由があると考えるのが合理的です。つまりですね、スターリンさんは質問している訳ですからそれに対する回答はスターリンさんにとって特筆性がある訳です。そしてその回答が広く公表されたということは他の多くの人々にとっても特筆性のある回答だろうということです。--Truesight 2011年10月3日 (月) 14:36 (UTC)

まあお茶でも飲んで落ち着かれると良いと思います。「社会現象」→「騒動」→「現象」と次々に言葉を変えても同じことでして、要するにそれが特筆に価するような出来事であったという二次資料を提示して下さい、もちろん、対象から独立した、信頼できる第三者からの言及によって。単純なことです。単純であるがゆえに、逃れようがないのですが。--J Stalin 2011年10月3日 (月) 14:48 (UTC)

たとえば何かしらについて報道機関が報道したものについてそのような報道があったことを示す二次資料を提示しなければいけないというのはおかしな話ではないですか。著名人の自主公表した情報もしくは報道自体がWikipediaでは出典として認められている以上、上のスターリンさんの主張は通りません。さて、上で述べた「ただ単にスターリンさん個人に答えるのが目的であれば広く公表する必要なんてないんです。広く公表するに至るにはそれ相応の理由があると考えるのが合理的です。つまりですね、スターリンさんは質問している訳ですからそれに対する回答はスターリンさんにとって特筆性がある訳です。そしてその回答が広く公表されたということは他の多くの人々にとっても特筆性のある回答だろうということです。」についてはご納得いただけましたでしょうか。--Truesight 2011年10月3日 (月) 15:15 (UTC)

落ち着いて正確に言葉を用いることが有益でございます。

  • 私は「特筆に価するような出来事であったという二次資料を提示して下さい」と申しました。「報道機関が報道したものについてそのような報道があったことを示す二次資料を提示しなければいけない」とは誰も申しておりません。報道があったことと特筆性があることとは同じではありません。たとえば、多くの交通事故が報道されますが、ほとんどの場合個々の交通事故は百科事典に掲載する特筆性を有していません。
  • 後半の「ご納得いただけましたでしょうか」については、いまいち何を言われているのかわかりにくかったのですが、おそらくTruesightさんは、有用性と特筆性を混同されていると思います。博物館の回答は、私にとって有益でしたし、広報誌を通じて不特定多数の人に有益だったでしょう。しかしそれは、年間何百とあるQAの一つであって、一つ一つが百科事典に掲載されるような特筆性を持っているわけではなかったでしょう。

--J Stalin 2011年10月3日 (月) 15:29 (UTC)

では、百科事典に掲載する種の報道には特筆に価するような出来事であったという二次資料が存在するのでしょうか。試しに幾つか例をお示しいただけますでしょうか。
わたしの理解としては「有益である」=「記載に値する」となるのですが、スターリンさんのご意見では異なるようです。有益であって特筆性のないものというのはどういったものでしょうか。--Truesight 2011年10月3日 (月) 15:49 (UTC)

一つずつお答えしましょう。

  • さきほど交通事故を例に出しましたので、たとえば環七タンクローリー横転事故の記事をご覧下さい。一般にこのような事故は、発生すると各メディアのニュースになりますが、百科事典に収録されるようなものではありません。ただしここでは、執筆者は、マスコミの報道が異例のものであったことを理由に、特筆性を主張しようとしています。ただし、他の利用者から、出典が伴っていないことを指摘するタグが貼られています。また、特筆性が本当にあるのか疑問視するタグも貼られています。このケースでは、マスコミ報道の様子を証言するような出典を提示すれば、特筆性が認められる可能性はあると思われます。
  • 「有益であって特筆性のないもの」に何か疑問があるでしょうか。世の中は無数の有益な情報に満ち溢れています。しかしそれらをすべて百科事典に掲載するかと言えば、そうではありません。有用な情報の中でも、長い期間にわたって多数の人々に参照されるであろう情報を選んで掲載するのです。
  • オマケとして、ユーザの立場を考慮してみましょう。ドラマの項目を読もうとする人は、ドラマについての詳細な情報や、ドラマ自体についての世間の評価を知りたいとは思うでしょうが、ドラマと直接関係のない、誰かさんの政治的主張に関わる出来事を知りたくて、その項目にアクセスするのではありません。迷惑なだけです。

--J Stalin 2011年10月3日 (月) 16:24 (UTC)

  • わたしが聞きたいのはそういうことではありません。数多の、報道を出典とした記載がWikipediaではなされております(またそれはWikipediaで認められている記載方法ですが)。それらに特筆に価するような二次資料が存在するのでしょうか、と聞いているのです。
  • 今回の記載が「長い期間にわたって多数の人々に参照されるであろう情報」でないとする理由はなんでしょうか。わたしは「長い期間にわたって多数の人々に参照されるであろう情報」であると思います。我々執筆者がそのような恣意的な一判断のもとに記載を取りやめる、削除するという検閲が如き行為があってはならないと考えます。
  • ユーザの立場はそれぞれです。少なくとも我々がユーザの摂取する情報を取捨選択するのではありません。取捨選択の自由はユーザにあるものと考えます。--Truesight 2011年10月3日 (月) 16:58 (UTC)

話が少しずれてきていると思います。シンプルな議論に戻しましょう。

  • 終始申上げているのは、誰かが意見を言った、返事があった、そのことだけでは百科事典に掲載するだけの特筆性のある出来事ではないでしょう、ということです。
    • 認知されている専門家が知見に基づいて述べた事柄なら尊重されるでしょう。
    • 社会的に大きな動きとなり記憶されるような事象なら出来事としての特筆性はあるでしょう。
    • 作品の内容の本質に関わるような重要な指摘なら掲載する意義があるでしょう。
  • 本件は上記のいずれでもありませんね(Truesightさんもこの点には異論がないでしょう)。
  • Truesightさんのほぼ唯一の根拠は「西村氏は著名人である」ということです。しかし、
    • その一挙手一投足・一言一句に世間の耳目が集まるほどの「著名人」というわけでもありません。
    • 「著名人」が何か言うたびに、言われた事物の項目にそれを書き込んでいては、百科事典ではなく特定人物の語録集のようになってしまいます。
  • 私がTruesightさんにお願いしたいことは、本当にこの「出来事」に特筆性があるならば、この「出来事」について評価した二次資料を提示して下さい、ということです。もちろん、対象から独立した、信頼できる第三者からの言及によって。

--J Stalin 2011年10月4日 (火) 00:26 (UTC)

今回の件は出典としてWikipediaで認められたものに従い記載を行おうというものです。この行為について誰かしらの許可を得なければいけないということはございません。但し、出典自体が比較的メジャーな媒体ではないため、必要以上に詳細な記述を行うのもwikipediaのルールに抵触するため、必要最小限度の簡単な記述に留めるべきであるというのがわたしの主張です。これまで、特筆性や専門性云々、はたまたドラマの本質にかかわりがないなどのご質問には答えてまいりました。しかし、スターリンさんは一切の記述を認めないという。そのような極端な検閲まがいのことを行おうという意図がわかりません。率直にお尋ねしますが何故なのでしょうか。--Truesight 2011年10月4日 (火) 12:02 (UTC)

私は、私独自の個人的意見を主張しようとは思いませんので、代わりに、ウィキペディア日本語版の方針から引用して、お返事とします。

  • 「ウィキペディアでは人物や出来事の歴史的な特筆性が考慮されます。報道は百科事典の項目のための有用な資料となり得ますが、あらゆる出来事がそれ単独の百科事典記事を作成する正当性をもつわけではありません。公式発表、スポーツ、タブロイド報道のような日々繰り返されるニュースは、単独記事を作成するのに十分な土台とはなりません。仮にある出来事に特筆性があったとしても、そこに登場する個人には特筆性はないかもしれません。個人に関する報道が1つの出来事を越えた広がりを持つものでない限り、その個人に関する記述はその出来事に関する記事内に限定されるべきであり、主題全体における重要性に見合った分量の記載に限定されるべきです(詳細はWikipedia:存命人物の伝記をご覧ください)。最近の展開に関する情報を記載することは、時には適切なことですが、速報をことさら強調したり他の情報と異なる扱いにすべきではありません。」--以上の署名のないコメントは、J Stalin会話投稿記録)さんが に投稿したものです(Truesightによる付記)。
上でご自身引用されているルールにまさに書いてあるように記事内に限定して、主題全体における重要性に見合った分量の記載に限定して記載を行おうというのがわたしの主張するところなのですが、いかがでしょうか。--Truesight 2011年10月4日 (火) 12:36 (UTC)

まことに結構な視点です。さくっと考えて見ましょう。

  • 「主題」は何でしょうか? 大河ドラマ平清盛です。
  • それは何なのでしょうか? 歴史に題材を採った、文芸的映像作品です。
  • この主題に対して、企業批判やマスコミ批判や政治運動の観点からの言説なんぞがどの程度の重要性を持つでしょうか? ほぼゼロです。
  • いえいえ、常にゼロとは必ずしも申しません。特別に重要視するべき客観的な根拠が、何か特別にあるならゼロではないかも知れません。
  • しかし、言った人が著名人(微妙な知名度ですけど)であることは、特別に重要視する要因ではありません。大河ドラマについての本質的な内容に迫る知識ではないからです。

--J Stalin 2011年10月4日 (火) 12:49 (UTC)

さて、スターリンさんは先ほど「私は、私独自の個人的意見を主張しようとは思いません」と述べられていたと思いますが、上の主張はスターリンさん個人の意見に他ならないのではないでしょうか。--Truesight 2011年10月4日 (火) 13:08 (UTC)

方針の文言にこのページの主題をあてはめただけです。--J Stalin 2011年10月4日 (火) 13:12 (UTC)

Wikipediaはドラマの広告ページではありません。ドラマの記事を作成するのであれば、社会通俗の一環として紹介すべきものであり、そうであればそれによって惹起された社会現象も記載されるべき主題の範疇に入ります。--Truesight 2011年10月4日 (火) 13:25 (UTC)

どこにも「惹起された社会現象」と言えるほどのものは見当たりません。あると言うなら、対象から独立した、信頼できる第三者からの言及によって示して下さいませ。--J Stalin 2011年10月4日 (火) 13:32 (UTC)

率直にいって、今回の件は社会一般に認知されているものであるかどうかは微妙なところです。スターリンさんがご指摘なさっているようにメジャーな媒体による客観的な報道などが見当たらないのがその理由です。もしそうした報道が今後出るようであれば、最低限の記述ではなく相応の分量での記述がなされるべきです。しかしながらそのような報道がないから書くべからずということではありません。西村氏、チャンネル桜などのジャーナリスト、報道機関によって報道されているのが事実だからです。そのような一部の報道があったことをその対論とともに限定された分量で記載するのは特筆性(ガイドライン草案)、中立的観点(方針)に適ったものです。--Truesight 2011年10月4日 (火) 13:52 (UTC)

私も率直に言うのですが、「西村氏、チャンネル桜などのジャーナリスト、報道機関」というのは、眉唾物だと思います。この人々は、政治活動家、政治団体としての性格を有しています。従って、対象(本件)から独立した第三者とは言えず、その当事者の自己言及と見なされ、客観的根拠として採用することができません。大河ドラマのページは、活動家のビラまき場所ではないので、我慢して下さい。--J Stalin 2011年10月4日 (火) 14:02 (UTC)

そのような政治活動家であるというスターリンさんの主張が事実であるとしてもそのような活動家の公表物をWikipedia上に記載するのに全く問題ございません。中立的観点からの記載がなされていればいいのです。逆にそのような活動家であるから記載を差し控えるというスターリンさんの見解は中立性観点からの逸脱がみられるものです。--Truesight 2011年10月4日 (火) 14:14 (UTC)

いや別に行動する保守とかその種の団体や個人のページはいくらでもあるので、そこに書いておけばよろしいのでは。--J Stalin=

だからここの記事に関連する話題なのですからここに書くのが普通でしょ。特定の場所にしか書かせないというそういう姿勢が中立的観点からの逸脱だというのです。--Truesight 2011年10月4日 (火) 14:22 (UTC)

歴史にも関係ないし、ドラマの内容にも関係ないし、Truesightさんの主張される唯一の根拠は「彼らは著名人だ」ということだったので、大河ドラマとは関係ないことはここに書かずに、その「著名人」さんのところに書くことで満足なさいませ。何事も程々にしないとね。--J Stalin 2011年10月4日 (火) 14:35 (UTC)

もう既に言っていることがルールも論理もお構いなしのスターリンさん個人の意見にしかみえませんが・・・。--Truesight 2011年10月4日 (火) 14:47 (UTC)
NHK公式サイトにある補足は、「誰かへの反論」ではないというのが正しい認識だと思います。NHKが反論を行っていると認められるのは、現在の出典ではチャンネル桜の放送中に示されたNHKからの回答文書のみでしょう。
確かにこの一件が「問題」「騒動」と化しているのかは出典がありません。が、公式サイトにわざわざ、王家という用語を使用した理由を補足している点、そしてこれまでの大河ドラマでは使用されてこなかった(公式サイトにも「馴染みの薄い」とある)点を鑑みて、本作では特別に拘りがあって王家という言葉を使ったという制作側の主張があります。それについて記述する事は、これまでの大河ドラマの記事の記述を振り返ってみても特段突出して不自然という事はないと考えます。その記述がある上で、その「補足以前に○○という意見があった」という情報を付け足す事にも特段不自然ではないと思います。……まぁ出典を重要視するというのはけして間違ったスタンスではありませんし、その点については反論できません。あくまで「記述されていいのではないか」というスタンスです。
制作側と批判者の論点は面白いほどに噛み合っていませんが、少なくとも批判者はマスコミとしての制作側のあり方を批判しているので、その畑(マスコミ論)の人物の批判であれば十分この場合の有効な著名人として認められそうな気もしますが、これは私の批判者に対する認識が誤っているのでしょうか。--hat2867 2011年10月4日 (火) 16:14 (UTC)

コメントJ Stalinさんは特筆性が無ければ記載できないという意見でしょうか?社会現象があった・なかったという論争は無関係ですし、問題に対する批判とそれに対するNHKの対応を見れば、いまさら社会現象になってないから特筆性が無い、なんて意見は首を傾げたくなります。--Historical rox 2011年10月8日 (土) 08:51 (UTC)

書くとすれば「何」を「どこ」に書くのか

[編集]

長くなったので、節を改めました。

  • この話題は、別に社会的に大きな議論を巻き起こしてもいないし、何らかのムーブメントになっているわけでもないと捉えています。そうである以上、個人的な話題、そしてその個人とその人の主義主張に日頃関心を持っている限られた人々の関心事項にとどまっていると思います。
  • この話題が、百科事典にとどめられるに値する程度の特筆性を持っているかと言えば、私は今のところやはり「ノー」なのですが(主義主張以前に独立した第三者からの有意な言及が提示されていません)、仮に、百歩譲って(あるいは第三者言及が少しだけ発見されたなら)、百科事典に掲載してもよいレベルになったとしましょう。では、百科事典の複数の箇所に書かれるべきほどのすごい出来事?答えは、はっきり「ノー」ですね。どこかに書くとすれば、最も関連の深いところに書けばよいでしょう。ここは大河ドラマなので、歴史からもドラマからも関心の外れたエピソードとして書くのは、きわめて優先度の低い話です。
  • もしマスコミ批判論的な項目があるなら、それでも良いかもしれません。話題としては、ここよりは適しているでしょう。しかし、それよりも、「著名人」だと強調されているのですから、西村なにがし氏のページに、氏の活動実績として記録しておけばよいと思うのです。それが最適解かも知れませんし、それで十分ではありませんか。
  • そういうふうに考えて歯止めを設けておかないと、そのうち、どの項目を見に行っても、本来その項目に関係ないはずの「著名人」の皆さんの「オレ様の主張」だらけになって読む気が失せますよ。

--J Stalin 2011年10月5日 (水) 04:00 (UTC)

「本作では王家という用語を使用している」というのは制作側による公表です。クレジットが横か縦かといった事や、ドラマ上で用いられた故事成語といったものが過去の大河ドラマ記事にありますが、だいたい同じレベルの話だと思います。--hat2867 2011年10月5日 (水) 12:56 (UTC)
スターリンさんにお聞きしますが、NHKは批判に対する対論を掲載していますよね。これについて記載できないとお考えでしょうか。--Truesight 2011年10月5日 (水) 13:11 (UTC)
横から失礼します。番組の公式HPに掲示されているのは、「批判に対する対論」ではなく「王家を使用する理由についての説明」です。NHKに対して直接の批判や問い合わせ等があったことを示す論拠は現時点ではありません。--彩華1226 2011年10月5日 (水) 16:40 (UTC)「直接の」を追記--彩華1226 2011年10月6日 (木) 16:31 (UTC)
基本的に仰せの通りだと思います。つまり、批判に対する反論であると書くことはできません。一方でNHKの説明を記載し、他方で批判を記載する両論併記とし、両者に直接の因果関係があるような書き方はすべきではありません。--Truesight 2011年10月7日 (金) 13:58 (UTC)

もう「著名人」とか「出来事」とかの論点はあきらめたのですね。中身について語るほうに路線を変更するのですか。でもそれでは話が360度回って元に戻るのでやめたらどうですか?

  • もし中身について語るとすれば、不用意に「皇室」という言葉うと混乱します。近現代においては「皇室」は定義の明確な用語ですが、この大河ドラマの時代において、「皇室」は明確な意味が定義されていない言葉であり、また近現代における「皇室」とは、天皇や摂関家のありかたが異なるので、近現代に準じて使うのも難しいのです。そのへんがわかっていない政治団体のおじさん達が、よくわからないことを言ったが、NHKにあしらわれて終わってるわけですが。

--J Stalin 2011年10月5日 (水) 14:14 (UTC)

そのような独自研究をいくら述べられてもここでは意味がございません。先の質問にお答えいただけませんか。--Truesight 2011年10月5日 (水) 15:06 (UTC)

NHKのサイトには平清盛のドラマについて山盛りのコンテンツがあるというのに、それらを差し置いて、探さないとどこにあるのかもよくわからないような片隅の話題を、わざわざピックアップして百科事典の記事に書き込むという特筆性がどこにあるのやらと小一時間(以下略)--J Stalin 2011年10月5日 (水) 15:50 (UTC)

先の私の発言は、彩華1226様の仰る通り批判があった事を示す出典とはなりません。あくまで「本作では王家という用語を使用している」と制作側が「馴染みの薄い使い方」と断った上で使っているという点について申し上げたまでです。要は珍しい用法を敢えて用いるとわざわざ公表している事について、特筆性がないとは言い切れないのではないか、という事です。
王家に異論があったというのはこの件に多からず関係のある事ですが、今回はそれについてはとりあえず意見申し上げておりません。ただし、以上に関連付けて件の批判について記述する事を容認する事はできるとは思います。--hat2867 2011年10月7日 (金) 08:30 (UTC)
スターリンさんが山盛りのコンテンツを記載するのを止めようとする人は基本的にいないと思います。記事の発展のためにも推奨される行為でしょう。一方で片隅の話題であってもそれを記載することを押し止める理由もないのではないでしょうか。--Truesight 2011年10月7日 (金) 14:04 (UTC)

Hat2867さんや彩華1226さんの言われる、NHKの説明は用語についての補足説明であるという観点は、なるほどそうであろうと思います。その観点からは、用語説明は、ドラマを視聴して理解するのに関係のある情報の一環といえるでしょう。そこには、Truesightさんが上で主張されていた「著名人」も「社会現象」も「報道機関」も、まったく無関係であることは、ご承知置き下さい。--J Stalin 2011年10月8日 (土) 10:47 (UTC)

NHK側説明を記載する以上、この案件については特筆性ありと認められます。であるならば、中立的観点からしてもう一方の批判も記載しなければなりません。--Truesight 2011年10月9日 (日) 03:01 (UTC)
補足しますが、一方のNHK側説明のみを記載し、批判者の批判を記載しない、と言う態度はWikipediaの三大方針であるWikipedia:中立的な観点に反するものです。更にいえば、Wikipedia:方針とガイドラインによれば、方針はガイドラインに優先するものとして位置づけられ、Wikipedia:特筆性(草案)に優先するものです。スターリンさんが、「王家」説明を記載することに賛同された以上、Wikipediaのルールに照らし批判意見も記述しなければルール違反です。--Truesight 2011年10月9日 (日) 04:40 (UTC)

私は、hat2867さんの『「本作では王家という用語を使用している」というのは制作側による公表です。クレジットが横か縦かといった事や、ドラマ上で用いられた故事成語といったものが過去の大河ドラマ記事にありますが、だいたい同じレベルの話だと思います。』という観点はもっともだと思うのであって、そこには何の「論争」もありません。従って、中立もへったくれもありません。もっと露骨に言いますと、企業恐喝で逮捕された総会屋や政治結社の老運動員等の売名活動に、百科事典が協力する必要は、どこにもないと思うのです。--J Stalin 2011年10月9日 (日) 07:45 (UTC) 脱字修正 --J Stalin 2011年10月9日 (日) 07:47 (UTC)

よく似た事例として、現在では消されていますが同じNHKの坂の上の雲 (テレビドラマ)で、日清戦争時の旅順攻略戦で現地民に対し傍若無人な態度を取る日本軍将校に対し正岡子規が言い争いをする場面に対し、日本軍人がそんな事をしていないという意図の主張を一部論者がしたという記述を載せるか否かについての論争があります(ノート:坂の上の雲 (テレビドラマ)を参照)。
今回の場合、問題になったは、特筆性、出典の有効性、過度の政治的宣伝に加担しているのではないか、などであります。当方としては特筆性はある程度あるが、出典としては慎重にならざるをえないといえます。Wikipedia:特筆性では「特に時間が経過しても特筆性があるという証明が記事上に現れないような場合、単にそのような証明を与えることのできる情報源があると主張するだけでは説得力はない」とあります。今回の場合、その証明に対し議論が複雑化したのですが、瀬戸氏についてはWikipedia:検証可能性の「自主公表された情報源」に抵触するといえます。これは「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」とありますが、瀬戸氏は政治活動家であっても歴史的専門家ではなく、もっぱら政治的信念に反するから異議を唱えたもので相応ではない、といえます。「日本文化チャンネル桜」については、「自主公表された情報源:公式サイト」の「信頼できる情報源が存在する場合は、その第三者の情報と矛盾していない限り(有効)」とありますので、微妙なところですがある程度は信用できるでしょう。政治的宣伝か否かについては、日本文化チャンネル桜がNHKだけでなくフジテレビにも矛先を向けているので、なんらかの政治的な意図があるのはひていできないでしょうが、Wikipedia:中立的な観点からすると、このような場合の判断は困難ですし合意は出来ないものといえます。
以上のことから、今回の例は「掲載は可であるが、意見の対立が激しい為、異論を唱えた者が存在する事実のみを記述し、それに対する製作側の見解はこうだ」といった程度の記述を短くするに留めるほうが落としどころだといえます。また書くとしては編集合戦になった「概略」ではなく「用語」の節を設け、項目のひとつとすればよいように思えます。是は、先日中国地方のみで放映された番宣番組で瀬戸内海ロケが紹介されていたのですが、清盛が海賊「兎衆」に拉致され半殺しにされ帆柱に吊り下げる場面などがあり、史実ではないフィクションの設定も少なくはないであろう番組における「海賊」などの物語における用語を説明する事もありかなといえまして、そこでやれば多少は親切ではないかといえます。--Sky Wing Sky 2011年10月9日 (日) 10:01 (UTC)
まず、出典としてはチャンネル桜の他に西村氏がいますのでお二方の見解を書くことになると思います。まとめることができるのであればまとめるのも結構ですが。恐らく、「~は~と述べ批判した。一方NHKは~と説明した。」方式の書き方が一番短く適当であると思います。書く場所については、他の何等問題ないドラマの設定用語と並列というのはおかしいでしょう。--Truesight 2011年10月9日 (日) 11:37 (UTC)
用語節を新たに作って書く場合、用語の説明後、注釈を用いるなどして本件を記述する事が可能かと思います。--hat2867 2011年10月9日 (日) 14:42 (UTC)

「何等問題ないドラマの設定用語」であるなら掲載可能なのであって、政治論争のネタとして書くなら「お門違い」だという話で振り出しに戻ってしまいます。政治結社の主張はふさわしい場所(それぞれの御方々のページ)に書けばよろしいのです。--J Stalin 2011年10月9日 (日) 14:48 (UTC)

では、妥協案として次を提案します。
  1. 「王家」問題については用語説に批判意見を批判者名(西村氏、チャンネル桜)とともに記載、NHKの説明も同時に記載する。
  2. 概要説の最後に「王家」について批判があった旨を記載、用語説の「王家」へのリンクを付与する。
  3. 現時点以降で新たに出典が出現した場合、改めて記述を検討する。
いかがでしょうか。--Truesight 2011年10月9日 (日) 15:12 (UTC)

コメント表記に対する批判の有無でしたら、史学的な正非は別にして「人物関係図の『平家』と『平氏』としたこと」「清盛の正室の実家の平氏を『武家』」としていることに対してのものも見かけました。要は放映が始まってもいないフィクションとしての設定の盛り込みに関することで、その位の瑣末な意見や感想にすぎないってことを一々あげることはないということです。--ジャムリン 2011年10月10日 (月) 00:54 (UTC)

これまで議論を通してきて、本件は特筆性もあり、中立的な観点からも記述するのが望ましいものと考えます。瑣末な意見であると決めるのはあなた個人ではありません。そこは閲覧者に取捨選択を行わせるべきです。また放映が始まっていない云々はまったく関係ありません。--Truesight 2011年10月10日 (月) 02:36 (UTC)
Truesightさんの「妥協案」って、どこがどう妥協案なのかよくわかりませんでしたが、理屈はともかく何が何でも名前を載せろというのであれば、政治団体や政治運動家の売名宣伝を目的にした記述になってしまいます。それは百科事典の仕事ではありません。--J Stalin 2011年10月10日 (月) 02:57 (UTC)
それは逆でしょう。あなたが何が何でも記載拒否という姿勢なんでしょ。西村氏やチャンネル桜、両方ともに一応の著名性を持ったジャーナリスト、媒体です。プラス、NHKからの公式な説明があった、という状況を考えれば、それなりの記載を行うのが妥当でしょう。それと妥協案はわたしなりに合意を優先しあげたものです。スターリンさんからも、何が何でも記載拒否ではなく、妥協案のひとつぐらい挙げて欲しいのですが。--Truesight 2011年10月10日 (月) 03:17 (UTC)
(追記)西村氏、チャンネル桜が「政治団体や政治運動家」かどうかは知りませんが、わたしが批判者の名前を挙げての記載を主張する理由は、批判が一般的とはいえず限定されたものであることを示すための配慮です。スターリンさんのいう「売名宣伝」などとは次元の違う話です。--Truesight 2011年10月11日 (火) 15:48 (UTC)
  • 「批判が一般的とはいえず限定されたものであることを示すための配慮です」--- はい、それはその通りなのだけれども、あなたは前に「社会現象」が起きていると仰っていませんでしたか。いえ、あれは間違いで、今の見解のほうが正しいというなら、それで結構です。
  • 「チャンネル桜が「政治団体や政治運動家」かどうかは知りません」--- いえ、ご存知でしょう。
  • 「妥協案のひとつぐらい挙げて欲しいのですが」--- Hat2867さんの言われるような、ふつうに用語解説とするなら感覚的には自然ですね。
--J Stalin 2011年10月11日 (火) 16:01 (UTC)
用語解説節での記載OKとの妥協案のご提示感謝します。記載は用語解説節で行うこととし、概要の末尾に「なお、作中の「王家」という語の使用については一部で批判が出ている(用語節「王家」参照)。」のようにリンクを付与することでいかがでしょうか。--Truesight 2011年10月11日 (火) 16:38 (UTC)
  • わざわざ「ふつうに」と言ったのは、『クレジットが横か縦かといった事や、ドラマ上で用いられた故事成語といったものが過去の大河ドラマ記事にありますが、だいたい同じレベルの話だと思います。--hat2867 2011年10月5日 (水) 12:56 (UTC)』という意味なのでありまして、ことさらそれ以上の不自然な編集=概要からのリンクも「批判」うんぬんも無用です。--J Stalin 2011年10月11日 (火) 16:51 (UTC)
確認させてください。スターリンさんは用語節の「王家」においては両論併記の記載OKということでいいんですよね?--Truesight 2011年10月11日 (火) 16:57 (UTC)
何を言ってるのか良くわかりません。西村氏、チャンネル桜の批判意見の記載に反対だと言っているのですか?だとすればあなたは何を妥協したのですか?--Truesight 2011年10月11日 (火) 17:14 (UTC)
  • 簡単なことです。この項目は大河ドラマ『平清盛』に関する項目です。政治運動の主張を紹介するページではありません。批評は作品の本質に関わるものから代表的なものを選んで乗せればよいのですが、それは放映が始まって以降のことでしょう。本当に、簡単なことです。延々と議論をループさせるようなことではありません。--J Stalin 2011年10月11日 (火) 23:36 (UTC)
  • 先にも指摘している通り、放映が始まって以降と時期を決める意味がよく分かりません。それでは放映が始まった後には記述されることに対して反対しないと言うことでしょうか?そうでないのならば議論を引き延ばし解決を阻害しようとしているようにしか見受けられない発言です。放映が始まったら始まったで全ての放映が終わっていないなどともおっしゃられるのではないでしょうか。--Chichiii 2011年10月12日 (水) 12:30 (UTC)

コメント 「王家」使用に対する批判があることを記載することには反対しないが、「用語」の節を作るというのは止めた方がいいと思います。「用語」節だと劇中で使用された言葉が野放図に列挙される懸念があるためです。むしろ「作品内容」の節の中に補足説明の節(見出しレベル3)を作って記載した方がいいと思います。--M-sho-gun 2011年10月12日 (水) 01:38 (UTC)

M-sho-gun様の言に一理あると考えます。他の用語は恐らく人物節に組み込めそうな内容ばかりなので、現状ではやはり作品内容説明の節にどうにかして組み込むのが適当でしょうか。
私の妥協案というか中立案は、主文を本作では王家という用語を使っている事を記述し、後ろ付けか脚注で批判について簡単に記述する、というものです。--hat2867 2011年10月12日 (水) 03:06 (UTC)
大筋でM-sho-gunさん、Hat2867さんの意見に賛同します。ただし脚注とするのには反対します。--Truesight 2011年10月12日 (水) 12:18 (UTC)
当方が用語の節に入れるべきといったのは、先に取り上げた「坂の上の雲」の例のように何年かすると「消される」可能性があるためです。現在論争をこのようにしていても、放送が終わった後には忘れられる一過性という可能性もなきにしもあらずです。たとえ本文に書いても何年かして誰かが「不要」と判断して消去したとしても、いたしかたないからです。放映後に記載というのは「日本文化チャンネル桜」以外から、何らかの反応があるのではないかという可能性でして申したわけです。本文に入れることに反対したのは異質なものに映りかえって政治的プロパガンタないし単なるNHK批判の一環としか取られかねないからです。これは「日本文化チャンネル桜」がNHKから回答を受けたとする番組の副題名が「中国の尖閣侵略屈辱外交一周年糾弾!韓流元祖NHK糾弾!民主党内閣打倒!国民行動」とあり、NHK批判が主眼のひとつであるうえ、政治的スタンスも理解でき、なんだかなあといった気がします。今回の件の発端はNHKが人物相関図に「王家」を使った事に対する騒動ではありますが、間違っても天皇や上皇の尊称を外してはいません。本文に書いた場合、やはり反発を招き消そうとして編集合戦になる危険度が依然として残り、また忘れ去られた時にそれを防ぐ為に「その他」や「用語」に入れるべきだと判断したわけです。それにしてもグーグルで「平清盛 王家」で検索すると「日本文化チャンネル桜」以外は個人ブログばかり出てくる点に今回の事態の世間の注目度が窺い知れます。フジテレビ抗議デモ(調べたところ週刊文春と朝日新聞に関連記事が掲載されています)のようにメディアの報道があるのではないかと思いましたが、それ以上に無視にちかく、特筆性があるにしてもあまり記載すると、マイナー情報に固着しすぎてツマンナイと読者に思われたらどうしようもありません。百科事典は啓蒙と啓発の役割もありますが、やはり何も知らない読者がよんで違和感を感じさせず興味を持っていただけるようなものではないといけないと感じます。今回の件はつまらないとはおもいませんが、筆者達の主張を満足させようとすることで招いた事態といえます。仮に本文に入れる場合には「さらっと」記述し、あまり「日本文化チャンネル桜」や西村氏の名は出さぬほうがよいように思えます。出した場合には「宣伝」で反発される方も一定数おられますし、どうも「反NHK」色が強すぎる(別に「親NHK」である必要もないですが)ので、客観的な意見とはとても思えなかったりします。
Yahoo!知恵袋に結構良い回答が寄せられていたりしますが、NHKがホームページで天皇家を「平家」「源家」に対し「王家」と記載した事に対する反発があったことを大きく記事に盛り込もうとすることだけを拘るあまり、もっと他に取り組まないといけなかったのかもしれないとも感じます。まあ、知的探求としてはよいのかもしれませんが、結果として政治的プロパガンタに組みする結果になるのでは、それはそれで問題です。結果として本文に書くのなら「何々という反発もあったがNHKの見解は何々」程度で発言者は注釈に落とし、「そのほか」などで書く場合には「メディア問題に詳しい」といった形容詞はなしで「西村氏はこのように主張し反発したが、NHKはホームページに何々であると主張した」程度の内容で、数行で纏めれば治められるはずだといえます。--Sky Wing Sky 2011年10月12日 (水) 13:26 (UTC)
Sky Wing Skyさん、良く考えてください。批判者を詳らかに記載するのはSky Wing Skyさんのスタンスからみても好ましいものだと思います。批判者を詳らかにすることで、発信者が限定されたものだと示せるからです。わたしは強いて批判者を本文中に記載せよ、とは主張しませんが、その方が誠実な書き方であるので、書いたほうがいいよと言ってる訳です。--Truesight 2011年10月12日 (水) 14:42 (UTC)
さてこちらその後ご意見がないようですが、上に書いたように、わたしとしては批判者の明記には拘りません。その場合「一部から~という批判が行われている。一方でNHKは~と説明している。」という書き方になると思いますがいかがでしょうか。書く場所については「作品内容」節の末に見出しレベル3で適当な見出しを付けて書くというのがよさそうですね。--Truesight 2011年10月16日 (日) 13:37 (UTC)

コメント 上でSky Wing Skyさんが紹介された知恵袋での多数の説明でも明らかですが、これは「○○派 vs △△派」といった対等の間での「批判」とは到底言えず、言葉は非常に悪くて申訳ないのですが、勉強不足のおじさんたちがトンチンカンなことを言ったが世間に一蹴された、というレベルで決着しつつあり、百科事典に載せるにはちょっと、という感じでしょう。一時は、ある範囲の人たちの中で盛り上がりかけたのかも知れませんが、もういいんじゃないでしょうか。--J Stalin 2011年10月16日 (日) 14:05 (UTC)

コメント スターリンさんの言葉を借りると「一時は、ある範囲の人たちの中で盛り上がりかけた」ことを書こうということなんですよ。「もういいんじゃないでしょうか」、とはスターリンさんは書きたくないということなのでしょうが、そういった個人的思いで記載を妨害することはできませんよね。--Truesight 2011年10月16日 (日) 15:02 (UTC)微修正--Truesight 2011年10月16日 (日) 15:42 (UTC)

  • 書きたいとか、書きたくないとという話ではなく、百科事典に記載するに足る特筆性や情報価値を有する話題か、ということです。内容的には当初から他愛ないもの(歴史用語と現代の政治を混同しただけ)だったと思います。話題性という点では、「一時は、ある範囲の人たちの中で盛り上がりかけた」かと思われましたが、盛り上がる前にもはや終わってるので、その面からも特筆すべき要素は残っていないと思われます。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 00:19 (UTC)
    • NHKの公式サイトにのってしまった文言である以上、記載する理由になると思いますが。「盛り上がる」とか「盛り上がる前にもはや終わってる」といったような問題ではないと思います。--Historical rox 2011年10月17日 (月) 02:37 (UTC)
      • こんにちは、Historical roxさんの仰ることには、事実誤認または混同があるように思います。NHKの公式サイトには、ドラマの説明の一環として、王家の用語について触れられている(その意味で他の設定事項と何ら違いはない)のであって、Truesightさんが熱心に記載を主張されている「批判」とか「論争」が載っているわけではありません。もちろん、NHK公式サイト以外の信頼性ある記事に出たこともありません。さて、現在の記事にある文言の改善について、次の節「5 「宮内庁」センテンスについて」で議論しておりますので、そちらへのご参加いただくとよろしいのではないかと思います。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 03:34 (UTC)
        • [26]のページを見ると、米印注釈が「王家」に対するものだけにあるため、やはり他の用語と同一視するのは厳しいのではないでしょうか。--Historical rox 2011年10月17日 (月) 10:10 (UTC)
          • スターリンさんには何遍同じ話をすればいいのでしょうか。特筆性の話は既にしましたし、特筆性よりも中立的観点維持の方が優先することも方針へのリンクを付して説明いたしました。これを敢えて書かないということは明確なPOVなんです。終わった話だとか終わっていない話だとか何を見当違いの主張をしているのでしょうか。以前からスターリンさんは政治的主張だからなんだかんだと仰ってますが、スターリンさん自身のあれやこれやと理由付けし、何が何でも書かせないという態度こそが一番そのような政治的イデオロギーに根ざした主張にみえて仕方ありません。そうでないとすれば理由は何なんでしょうか。特筆性の話もしましたし、中立的観点の話もしました、その上で改めて理由をお聞きします。説得力のある回答を期待します。--Truesight 2011年10月17日 (月) 12:18 (UTC)
            • ※印は用語に対する注釈なのであって、論争の存在を示すものではないため、特に気にされる必要はないでしょう。また、用語は用語なのであって、そこに「中立的観点」などというものがなぜ別に必要なのか、全くわかりません。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 12:38 (UTC)
              • NHKがそのように論じている一方で一部に非難の声がある訳です。その両者見解を中立的観点から第三者視点で両論併記しようといっているのです。何が問題なのですか?--Truesight 2011年10月17日 (月) 12:49 (UTC)
                • 専門性のない素人の個人的意見には特筆性がありません。また、NHKは何かの意見や立場を「論じて」いるのではなく、用語を設定しているだけです。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 12:54 (UTC)
                  • 専門性云々の話も既にお話しました。ここでは専門性云々は関係ありません。またNHKがわざわざ注釈を設けているのは明らかに用語の正当性を表明しているのであってNHKサイドの意見を説明しているものです。--Truesight 2011年10月17日 (月) 12:58 (UTC)
                    • 要するに、特筆性がないのです。また、NHKはここで「NHKサイドの意見を説明」しているのではなく、「用語を説明」しているに過ぎません。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 13:04 (UTC)
                      • 特筆性がないといわれても困ります。これだけ長大な議論を行っていること自体、特筆性があるという人々が少なからずいる証左でしょう。それと「「用語を説明」しているに過ぎません。」というのも苦しすぎる見解です。--Truesight 2011年10月17日 (月) 13:19 (UTC)
                        • 『これだけ長大な議論を行っていること自体、特筆性がある』 --なんてお茶目な!--J Stalin 2011年10月17日 (月) 13:24 (UTC)
                          • 人が真面目に話しているのに茶化すというのは無礼だと思いませんか。特筆性というのはスターリンさん個人がその有無を判断できるもんではございません。それと特筆性は中立性観点保持の方針には優先されないのは既にお話しました。そもそも特筆性ガイドラインは草案の段階にあり、冒頭に『この文書はウィキペディア日本語版の方針またはガイドラインの草案です。現時点ではまだ拘束力はありません。現在、内容に関してノートページで議論を行っています。』と注意書きのあるものです。--Truesight 2011年10月17日 (月) 13:38 (UTC)

コメント 中立性はNHKの説明のままで何ら問題ありません。特筆性の基準は議論中であっても、特筆性が求められること自体は、揺るぎません。--J Stalin 2011年10月17日 (月) 14:00 (UTC)

公式サイトの注釈はTruesight様の仰る通り「用語の正当性を表明している」ものです。しかしJ Stalin様の言う通り「用語を説明」しているに過ぎない(批判への反論と定義されていない)ので、これは単体で成立する補足事項であり、これに関して逆の立場の意見を書かない事が中立的観点から外れるとは思えません。
要は過去に出されている出典を元にした記述ができるかどうかに尽きます。どうしても両者の対立を書きたいのであれば、「チャンネル桜」内でNHKの回答として紹介されているものを出典として扱う事を検討すべきでしょう。--hat2867 2011年10月17日 (月) 16:02 (UTC)
私はこれまでと同様、チャンネル桜は出典として扱えない、複数の公刊された出版物を出典とする場合については問題ないとの考えです。「チャンネル桜」の「番組」に出演しているのは保守系の市民団体の幹事長及びチャンネル桜の社長であり、特定の政治的立場の者が特定の観点から主張を展開する場といえます(NHKの回答書ではその市民団体の一部が問題のある行為を行ったことが書かれていました)。とうてい、第三者的で信頼できる情報源としては扱えません。--彩華1226 2011年10月17日 (月) 20:08 (UTC)
まず、チャンネル桜の報道が第三者的である必要はWikipedia記載にあたってはありません。さまざまな報道、著名人の発言がWikipedia記載にあたって、第三者的である必要がないのと同様です。第三者的でなければならないのはWikipedia執筆者です。第三者的に記述するにあたってNHK見解のみを掲載することはできません。では、NHK見解の記述を差し止めるのでしょうか?公式サイト上にある説明について記述を差し止めることはできません。であれば、両論併記しかないでしょう。--Truesight 2011年10月18日 (火) 13:36 (UTC)
(追記)上記のように述べたからといって何もチャンネル桜をメジャー報道機関と同等に扱えというような主張はわたしにはありません。西村氏、チャンネル桜というメジャーに比しマイナーな出典に相応しい記述を行うべきというのがわたしの見解です。--Truesight 2011年10月18日 (火) 14:08 (UTC)
世の中にNHKを批判する人は山ほどおり、本や雑誌や番組や宣伝カーやビラや居酒屋で毎日のように自説を展開しておられます。そんなものをいちいち採り上げるのは百科事典の仕事ではありませんね。特筆性がないというのは、そういう意味もあります。--J Stalin 2011年10月18日 (火) 14:55 (UTC)
「本や雑誌や番組や宣伝カーやビラや居酒屋」←このうちでWikipediaの出典に堪えるのはどれで堪えないのはどれでしょうか?きちんと区別してください。--Truesight 2011年10月18日 (火) 15:25 (UTC)
専門性のない人の意見ですから、もちろん、全部「堪えない」のです。--J Stalin 2011年10月18日 (火) 22:59 (UTC)
今回の記事は学術研究などの専門性が要求される記事ではありません。専門性が要求されるものではないと大分前にお話したでしょう。--Truesight 2011年10月20日 (木) 11:41 (UTC)
NHKのあのような注釈文というのは、何らかの(NHKとは異なる)見解に対するものですので、その(NHKとは異なる)見解がどういったものなのかを書かないと、記事を読んでいる人に意味が伝わらないと思います。いずれにせよ、私は両論併記すべきだと思います。--Historical rox 2011年10月21日 (金) 16:33 (UTC)
番組HP上の注釈文は単なる「説明」でしょう。この「説明」を行うにあたってNHKでは「(NHKとは異なる)見解が寄せられた」とは公表していません。チャンネル桜の番組の内容は「保守系の団体がNHKに押しかけて、その対応があった」ということをその団体の幹事長を務める人物が報告しているものであり、保守系団体の「活動報告」に過ぎません。チャンネル桜を出典とすることに否定的なのは、それを出典とすることが「広告・宣伝に類する記述」にあたり第三者的でない内容となると考えるためです。--彩華1226 2011年10月21日 (金) 17:20 (UTC)
単なる説明であるのであれば、なぜ当初から掲載を行わずに批判後に注釈という形で掲載されたのでしょうか。また、チャンネル桜の報道が偏りがあるとし掲載を全く拒否するというのは翻ってみれば彩華1226さんの政治的スタンスの偏りを表しているのではないでしょうか。繰り返しますがWikipediaでは中立的観点が求められています。--Truesight 2011年10月22日 (土) 03:11 (UTC)
コメント 「チャンネル桜の報道」という表現が既にダウトなんではないかと思いますが。CSの各チャンネルの業者は、放送事業はしていても、必ずしも報道機関を名乗っているわけでも、世間から報道機関と認められているわけでもありません。最近は、形態上「チャンネル」ですらなくなったと思うのですが。政治主張を番組にして流すのが売りのコンテンツ業者なので、偏ってないなんて最初から誰も思っていないでしょう。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 04:07 (UTC)
だから偏っている偏っていないは記載を拒否する理由にならないのですよ。それはルール違反なんです。それに報道というのは便宜上つけただけでそれが報道でなくとも別にいいんです。言ってみれば論説なんですから批判となり得るわけで。どうでもいい突っ込みはやめてください。--Truesight 2011年10月22日 (土) 06:29 (UTC)
コメント 「記載を拒否する理由」なんて言うと、まるで「チャンネル桜」に「Wikipedia掲載を求める権利」のようなものがあるように聞こえて異様です。出典たり得るものは載るが、そうでないものは載らない、というだけのことであって、拒否でも何でもありません。また『繰り返しますがWikipediaでは中立的観点が求められています』(2011年10月22日 (土) 03:11 (UTC))と『偏っている偏っていないは記載を拒否する理由にならないのですよ』(2011年10月22日 (土) 06:29 (UTC))は、どのように両立するのですか。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 06:39 (UTC)
何を見当違いのことをいっているのでしょう。一般に出典がチャンネル桜ONLYであり、それがなんら反響を呼ぶものでなければ記載にあたらないことも考えられるでしょうが、今回は出典はチャンネル桜ONLYではなく西村氏のものもあります。また、そのような言説に対するNHKの公表説明もある訳です。チャンネル桜が関わるものはなんでもかんでもダメというあなたの意見こそが異様ですよ。それとWikipediaは中立的観点確保のため、両論併記を求めています。これは執筆者に中立性を求めることの危険性を回避するための施策です。従って偏っているからと言って記載を拒否するというのはWikipediaの中立的観点保持のルールからしてありえない行為なんです。このぐらいはルールを把握してから議論してください。
そもそもスターリンさんがこの問題に反対する理由は何なんですかね?議論をしていて左傾の方だとは思いますが、そうであったとしても隠蔽するかのような記載拒否が罷り通っていいとお思いなんですか?Wikipedia執筆にあたっては自らがどのような政治的スタンスであろうと中立を心がけ、編集すべきなんではないですかね。『一部から~という批判がみられる、他方でNHKは~と公表している』という一文を入れるのが何故ダメなんでしょうか。それほどまでして隠蔽すべき事柄ですか?--Truesight 2011年10月22日 (土) 06:56 (UTC)
コメント 上記Truesight氏の発言は、Wikipedia日本語版公式方針である「個人攻撃はしない」の『個人の政治的、社会的立場を決めつけて攻撃する。論争の相手をナチ、レイシスト、右翼、左翼、ブルジョワジー、プロレタリアートなどと決めつけて批判するなど。』に抵触しています。今後ご注意願います。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 08:58 (UTC)
コメント それは失礼しました訂正の上、再掲いたします。
何を見当違いのことをいっているのでしょう。一般に出典がチャンネル桜ONLYであり、それがなんら反響を呼ぶものでなければ記載にあたらないことも考えられるでしょうが、今回は出典はチャンネル桜ONLYではなく西村氏のものもあります。また、そのような言説に対するNHKの公表説明もある訳です。チャンネル桜が関わるものはなんでもかんでもダメというあなたの意見こそが異様ですよ。それとWikipediaは中立的観点確保のため、両論併記を求めています。これは執筆者に中立性を求めることの危険性を回避するための施策です。従って偏っているからと言って記載を拒否するというのはWikipediaの中立的観点保持のルールからしてありえない行為なんです。このぐらいはルールを把握してから議論してください。
そもそもスターリンさんがこの問題に反対する理由は何なんですかね?隠蔽するかのような記載拒否が罷り通っていいとお思いなんですか?Wikipedia執筆にあたっては自らがどのような政治的スタンスであろうと中立を心がけ、編集すべきなんではないですかね。『一部から~という批判がみられる、他方でNHKは~と公表している』という一文を入れるのが何故ダメなんでしょうか。それほどまでして隠蔽すべき事柄ですか?--Truesight 2011年10月22日 (土) 06:56 (UTC)
コメント 私も、他の方々も、何度も言っていることを繰り返すよう強いるのは、いたずらに周囲を疲弊させることなので、そろそろ最後になさるのがよろしいでしょう。一応返答しておきますと、
  • 専門家でも何でもない人の無数の意見の中の一つや二つに、百科事典に掲載するだけの特筆性はありません。
  • NHKが掲載しているのは、ドラマの設定に関する広報なのであって、特定の個人や団体への回答ではありません。
--J Stalin 2011年10月22日 (土) 10:16 (UTC)
コメント 何度も繰り返しているのはこちらなのですが。専門家、特筆性のお話は既にしましたし、NHKの公表説明についてもお話しました。これらにプラスして中立的観点のお話もしました。これ以上、既にお話したことについて蒸し返すのはお止めください。有意な反論がないのであれば議論に参加しないでください。--Truesight 2011年10月22日 (土) 10:24 (UTC)

コメント 「何度も繰り返している」ということであれば、下表をサクサクと埋めてみて下さい。

情報 表を修正して節の末尾に移動しました。 よろしくお願いします。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 10:41 (UTC)

既にお話していることについて何故繰り返さなければいけないのでしょう。蒸し返しはやめてくださいとお願いしたでしょう。既にお話したことに異論があるのであればご面倒でもこちらの過去の書き込みをお読みになって反論してください。よろしくお願い致します。--Truesight 2011年10月22日 (土) 10:46 (UTC)
コメント 重ねてお願いいたします。Truesightさんが何度もお話されているにも関わらず、また書けなどというJ Stalinは、まったくケシカランやつですなあ、申訳ないことです。お怒りはごもっともでございますが、ここは枉げてお頼み申します。寛大なるお慈悲の心をもって、上の表に、書き込んでやっては下さらないでしょうか。伏してお願い申し上げます。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 10:53 (UTC)
だから、それはおかしいでしょう。こちらはこれまでそちらから繰り返される毎に説明していたのですから。--Truesight 2011年10月22日 (土) 11:00 (UTC)
コメント お願いしても、どうしてもご記入いただけないのでしたら、私めが代筆いたしましょうか。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 11:04 (UTC)
あなたの表にあなたが書き込むのを止めようとは思いません。ただ、わたしの名を冠するのはやめてください。--Truesight 2011年10月22日 (土) 11:11 (UTC)
コメント Truesightさんのこれまでの発言を出典として記入するので、当然Truesightさんの名を冠することになります。ところで、ご自分で記入していただく気には、どうしてもなっていただけませんか?--J Stalin 2011年10月22日 (土) 11:16 (UTC)

なりませんし、わたしの名を冠するのはやめてください(二度目)。既にお話したことに異論があるのであればご面倒でもこちらの過去の書き込みをお読みになって反論してください。よろしくお願い致します。--Truesight 2011年10月22日 (土) 11:39 (UTC)

コメント では、"Truesight"とは書けないので、上の表のように表記しました。ご了承いただきたいと思います。なお、各項目の出典として参照したTruesightさんの発言は、以下のものです。

  • 専門性:2011年10月20日 (木) 11:41 (UTC)
  • 特筆性:(1)2011年10月2日 (日) 05:02 (UTC), (2)2011年10月3日 (月) 12:25 (UTC), (3)2011年10月17日 (月) 13:19 (UTC)
  • NHKの説明:2011年9月14日 (水) 13:20 (UTC)
  • 中立性:2011年10月9日 (日) 04:40 (UTC)
  • 批評の掲載:2011年9月25日 (日) 09:10 (UTC)

もちろん、Truesightさんが補筆修正されるのを妨げるものではありません。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 13:34 (UTC)

上記は、正確な要約となっておりませんので消してください。既にお話したことに異論があるのであればご面倒でもこちらの過去の書き込みをお読みになって反論してください。よろしくお願い致します。--Truesight 2011年10月22日 (土) 13:44 (UTC)
  • このページにおけるTruesightさんの過去の全書き込みを拝見した結果として、上の表を作りました。これが間違っているのであれば、原文を読んでも間違った理解をしてしまうわけですから、Truesightさんに是非添削をお願いしたいものです。--J Stalin 2011年10月22日 (土) 13:50 (UTC)
議論自体が非常に長大になっており、現在の主論者でありかつ対論者でもあられるご両人の主張をまとめておくのは宜しいと思います。各人が他人の意見をさておいて自らの意見を言うだけではもはや纏まらず、それに議論の末に持論が変わるのも当然ですし、現在のご意見を仰るのもよいでしょう。--hat2867 2011年10月24日 (月) 06:15 (UTC)
仕方がありません。ではまず、専門性から、『ドラマで使用される用語について非難が一般に公表された事実を記載するものであって、執筆者による批判の正当性への斟酌は不要。批判者の専門性を考慮する必要もない。』。NHKの説明、『批判に対する因果関係を否定することはできない、また事実上、批判にたいする釈明、反論となっている。』。中立性、『NHK側説明のみを記載し、批判を記載しないのは中立的観点からの逸脱である。』。批評の掲載、『ドラマの文言の使用について批判が公表されたという事件の紹介として掲載可能である。』ぐらいですかね。ご訂正をお願いします。--Truesight 2011年10月27日 (木) 13:40 (UTC)
修正して再掲します
  • 2011年10月27日 (木) 13:40 (UTC) のTruesightさんの発言に基づいた修正版です。今後はこちらをご参照下さい。
論点 J Stalin Truesight
専門性 西村・桜は歴史の専門家でもドラマの専門家でもなく一般人と同等 ドラマで使用される用語について非難が一般に公表された事実を記載するものであって、執筆者による批判の正当性への斟酌は不要。批判者の専門性を考慮する必要もない。
特筆性 ドラマや放送局への意見は無数にあり西村・桜の意見に特筆性はない (1)西村らは著名なジャーナリストである
(2)ひとつの社会現象である
(3)議論になっていること自体が特筆性を示す
NHKの説明 歴史用語の説明をしているが外部に対して回答したものではない 批判に対する因果関係を否定することはできない、また事実上、批判にたいする釈明、反論となっている。
中立性 歴史用語の説明に過ぎず論争ですらないので中立性に問題はない NHK側説明のみを記載し、批判を記載しないのは中立的観点からの逸脱である。
批評の掲載 ドラマの本質に関する批評や大きな話題になった事象は掲載可だが本件は当たらず ドラマの文言の使用について批判が公表されたという事件の紹介として掲載可能である。

Truesightさんのご協力に感謝いたします。--J Stalin 2011年10月27日 (木) 14:10 (UTC)

痛み入ります。hat2867としては、「専門性」「特筆性」「批評の掲載」についてはTruesight様に同意します。「NHKの説明」についてはJ Stalin様に同意します(Truesight様の仰る「批判に対する因果関係」を積極的に肯定する出典が存在しないため。関係のある事ですが、明確に反論と断ずるのは早計)。「中立性」については現状では考慮の必要性を感じません。--hat2867 2011年10月27日 (木) 14:52 (UTC)

結局のところ、現状の段階で「批判」について書く必要がないと私が考えるのは批判が「取るに足らないもの」「(批判する立場から)一方的であり“作品内容をめぐる論争”となっていない(作品そのものとは無関係)」と考えているからです。たとえば左派の団体や論者(大学教授など)が『坂の上の雲 (テレビドラマ)』への批判活動を展開し、NHKに質問状を送付したり関連の書籍なども出しているようです[27]が当該項目には記述されていませんし、私は記述する必要も特筆性もないと考えます。HPにも一方的なNHK批判や政治的主張はあっても「論争」はありません。『坂の上の雲』も『平清盛』も娯楽作品であり、『ザ・コーヴ』『華氏911』などのような作品そのものが政治的な論争の対象となるものとは異なります。特定の立場の人たちがドラマそのものと関係無い所で政治的な主張をしたり、政治的な立場からドラマの企画や内容そのものが批判されたからといって、ドラマそのものとの関係性は「一方的」に過ぎません。「論争」されたわけではないからです。今回の「批判」は『坂の上の雲』批判に比べると広がりもなく、いまだに「公刊された出版物」による出典も提示されていませんし「論争」となってもいません。『坂の上の雲』批判にも「王家」批判にも私は一切の共感も賛同も覚えず、それはおいておくとしても、結局は特定の政治的立場にいる人間がその政治的立場に依った活動を行なっていることを報告しているに過ぎません。ものすごくくだけて言ってしまえば「自分たちのサイトでやって下さい」「わざわざWikipediaでやる必要もないしやってほしくない」というのが素直な感情です。これをWikipediaの方針に照らしあわせればWP:NOT特筆性にあたると考えます。「批判」については信頼できる情報源があれば別箇に触れてもいいという消極的な賛同は示すものの、積極的に書くべきではないし書く必要もないという考え方には変化がないことを表明します。--彩華1226 2011年10月27日 (木) 18:28 (UTC)

記述への許容はできますが、基本的には議論当初より彩華1226様に同意する所です。記述の必要があるとは思えません。せいぜい、制作側が馴染みのないと前置いて説明している「王家」についての解説は特筆性があるかもしれない(わざわざ説明するくらいだから)、程度の考えです。ただし繰り返しになりますが、記述に断固反対するという姿勢ではないです。合意形成上記述すべしとの判であれば積極的に反対はしません。--hat2867 2011年10月28日 (金) 06:10 (UTC)
「記述の必要がない」ということについては、彩華1226さんが上で詳しく述べておられ、私も概ね同意です。私は、それに更に「記述しないほうが望ましい」という意見を付け加えようと思います。理由は、次の2点です。
  • 1.Truesightさんが記載を主張されている「批判」は、歴史の各時代における朝廷や天皇のありかたの差異に神経を使わず、近現代の「皇室」と当時の「王家」(と今回NHKが呼んでいるもの)とが同じであるという誤解を前提にして用語を問題にしているようです。これを注釈抜きに書いてしまうと読者に対するミスリードになります。だからといって注釈を「本当は異なる概念なんですけれども」などと延々と入れるのは、日本史項目の仕事であってテレビドラマ項目の仕事ではありません。
  • 2.Truesightさんが記載を主張されている「批判」は、単にテレビドラマの用語か気に入らんということではなくて、どうやら「NHKが皇室を王家と言うことによって国民が皇室を尊崇しなくなると天皇が中国皇帝の臣下扱いにされてしまって、現代日本が現代中国にやっつけられてしまう」というような政治思想であって、ここまで言わないとちゃんと「批判」を紹介したことにはなりません。しかし、こんなことを真顔で書く百科事典はないと思います。
--J Stalin 2011年10月29日 (土) 02:56 (UTC)
J Stalinさん、そんな小難しい中華思想だか小中華思想もどきの話じゃございません。万物の仔細を網羅する百科事典として、当然収録に値するという主張です。それに、上記J Stalin氏の発言は、Wikipedia日本語版公式方針である「個人攻撃はしない」の『個人の政治的、社会的立場を決めつけて攻撃する。論争の相手をナチ、レイシスト、右翼、左翼、ブルジョワジー、プロレタリアートなどと決めつけて批判するなど。』に抵触しています。今後ご注意願います。--Truesight 2011年10月29日 (土) 19:19 (UTC)ちゃんと読めてませんでした。--Truesight 2011年10月30日 (日) 05:55 (UTC)

「宮内庁」センテンスについて

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「王家の用語使用について」節の第3センテンスに『ただし、現代の宮内庁HPでは専ら「皇室」と表記している[出典 9]。』とあります。[出典 9]は宮内庁のホームページです。これについては、蛇足と言いますか、むしろないほうが誤解を生まなくてよいと思います。

  • 宮内庁は、「皇室典範」で明文化された以降の現代の「皇室」を管轄する役所です。近現代のいわゆる皇室を「皇室」と書くのはあたりまえです。あまりにあたりまえ過ぎて、特記することでもありません。
  • 一方、ドラマの「王家」は、近現代の「皇室」とは必ずしも一致するとは限りません。いろいろな身分の妃がたくさんいます。彼女たちから生まれたいろいろな身分の皇子たちがいます。親王宣下される人もされない人もいます。臣籍降下する人もいます。太上天皇(上皇)もいます。時期によっては3人位いたりします。その人たちは御所とは別に御殿・役所を持っていたりします。出家する人(法皇、法親王)もいます。近現代の「皇室」概念からは、どう扱っていいのかよくわからない登場人物だらけです。
  • つまり、近現代の皇室と、この時代の朝廷の人々とを、同じ概念だと印象付けるのは、かえって混乱のもとです(前節の話題もそのあたりの区別がつかない政治マニア運動家達がややこしくしたわけです)。

というわけで、この第3センテンスは不要と思うのですが、皆様の御意見をお聞かせ下さい。--J Stalin 2011年10月12日 (水) 00:28 (UTC) 字句修正(執筆者を揶揄していると誤解される恐れがあるため)--J Stalin 2011年10月12日 (水) 00:56 (UTC)

直接関連のない事です。不要でしょう。とりあえず現在の文章に手を加えるより、新しく草稿を立てるのがよろしいと思います。--hat2867 2011年10月12日 (水) 03:00 (UTC)
皇室という言い方は現代的なものであるという意見に賛同します。実際平安時代の貨幣を「皇朝十二銭」といったりしますが、「王家」ないし「皇朝」はあっても「皇室」という言い方は当時はなかった可能性があり、現在の価値観から過去を判断するのは問題があり、「余計」といえます。--Sky Wing Sky 2011年10月12日 (水) 13:33 (UTC)

コメント「皇室典範」は大日本帝国憲法の時代にもあったという意味では「皇室という言い方は現代的なものであるという意見」にくみすることは困難。一方、私は既にあった「宮内庁HP」を残す編集を以前にしているが、見直してみると違和感も否めない。現時点は、「この第3センテンス」で「日本国憲法(、皇室典範)は天皇・皇族のことを『皇室』としている。」という事実でまとめるのが、私の考えです。ただ、「除去」にも反対はしません。--GDSTCB 2011年10月12日 (水) 14:35 (UTC)

  • コメント まずGDSTCBさんのコメントへ:私は上で「近現代」という言い方をしていますので、大日本帝国憲法の時代も含んだ表現になっております。次に、Sky Wing Skyさんのコメントへ:「皇室」という言葉が日本国内の文献に現れるのは「続日本紀」からなので、結構古いのですが、今の「皇室」と同じ用法ではなさそうです(朝廷の政権というのに近い用法)。--J Stalin 2011年10月12日 (水) 14:57 (UTC)
「「皇室」の呼称」という段落分けは、J Stalinさんのご意見はもとより、現在の記述や私の10月12日意見の記述によっても必要性が乏しく、10/23にも前の段落につなげましょう。--GDSTCB 2011年10月22日 (土) 11:48 (UTC)

[28]のとおり編集しました。この段落分けに必要性があること自体の合意が成立していないことを反映し、「第3センテンス」の除去も想定した文章の手直しを加えています。--GDSTCB 2011年10月29日 (土) 08:37 (UTC)

  • GDSTCBさん、どうもありがとうございました。私は、GDSTCBさんが編集して下さった状態から、そのまま「第3センテンス」を除去しても大丈夫のように思います。--J Stalin 2011年10月29日 (土) 12:06 (UTC)

素直に読むと、宮内庁がこのドラマに関して「皇室」と使えとコメントしてるように読めますので、除去が妥当かと思います。 --ねこぱんだ 2011年10月29日 (土) 12:15 (UTC)

  • 上記ご意見を受け、[29]のとおり「宮内庁…」を除去しました。「天皇・皇族等」の「等」は、J Stalinさんの表現をお借りすると、「近現代の「皇室」概念からは、どう扱っていいのかよくわからない」人々を指します。--GDSTCB 2011年11月2日 (水) 11:44 (UTC)

『王家』表記いったん削除。しかし5日後(11月9日)にウジャウジャ増殖して復活!

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「(『王家』は)削除されるか、「朝廷」という言葉に置き換えられている」と、あきらかに事実と異なる記述が放置されています。現在『王家』表記は復活しており、しかもウジャウジャ増殖しています。NHKのスタッフは『王家』表記に強いこだわりと強烈な執着心を持っています。いったん削除したものを復活させるくらいですから、その執念たるや、並大抵のものではありません。
記事本文に現状を事実のみ記述したところ、GDSTCB氏とヨシフ・スターリン氏が削除します。現状の記述はあきらかに嘘です。きちんと修正されるべきではないでしょうか。--219.176.114.61 2011年11月14日 (月) 00:13 (UTC)

IP:219.176.114.61さんの編集以前に私が「2011年11月4日以降の公式HPの更新では「「王家」の表記は、登場人物一覧に用語解説併記の形式で残っている以外は」と出典付きで修正加筆していますので、良く読んで御確認下さい。現状の記述で現時点での状況の事実を表していますので、IP:219.176.114.61さんの編集部分は重複の上、過剰加筆と思われます。
それと「ヨシフ・スターリン」というカタカナ表記のアカウントのユーザーの方は今回の編集に参加していらっしゃいませんので、こちらも良く良くご確認願います。--ジャムリン 2011年11月14日 (月) 00:38 (UTC)
というかですが、まだ議論中の箇所を編集するのはどうかと思います。事実に進展があってもまずはノートページでの合意を待つべきではないでしょうか。--hat2867 2011年11月14日 (月) 02:57 (UTC)
コメント 少し遡ってみますと、問題の部分に関して、ノートでの議論に基づいて記述されたのは、『2011年11月2日 (水) 11:36‎ GDSTCB (会話 | 投稿記録)‎ (11,550バイト) (→作品内容: ノートでの指摘により「宮内庁」を除去) (取り消し) 』の、GDSTCBさんによる更新です。このとき、GDSTCBさんは修正方針を提案された上で、異論の有無を確認する日数をとってから、編集しておられました(前節末尾参照)。従って、今回GDSTCBさんによる11月2日版の記述内容に戻されているのは、妥当なことだと思います。--J Stalin 2011年11月15日 (火) 00:28 (UTC)

意味不明なリバートについて

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この編集を戻した理由を説明していただきたい。いったいナニを問題だと思われたのか?ちなみに、現在のところノートには確実な合意は見当たりません。J Stalinさんの説明をお待ちします。--218.226.121.140 2011年11月15日 (火) 00:42 (UTC)

十数行ほど上に遡れば書いてあります。--J Stalin 2011年11月15日 (火) 00:46 (UTC)

「修正方針を提案された上で、異論の有無を確認する日数をとってから、編集しておられました」だから問題のない他の編集を規制したり、リバートが正当化できるというお考えなのでしょうか。数日の異論のない提案編集は他の問題のない加筆を規制できる合意だというならば根拠の提示をお願いします。それに加えて、「修正方針を提案された上で、異論の有無を確認する日数をとってから、編集しておられました」というものはあくまで「宮内庁の除去」のことであり、私の加筆内容とは関係ないことです。私の加筆部分(NHKの主張)を除去した説明を納得できるようにお願いします。--218.226.121.140 2011年11月15日 (火) 00:54 (UTC)

ちなみに「天皇・皇族等」などと独自研究で勝手に「等」を入れていますが、NHKでは「専門家によれば法皇・上皇を当時は王家としている」と主張しているのであり、天皇(太上天皇)を「王家」と表現しているとしているのですから「等」は必要ありません。--218.226.121.140 2011年11月15日 (火) 01:07 (UTC)

コメント「皇族」という概念は、近現代における「皇室典範」によってはじめて明確に定義されたものですが、

  • 旧皇室典範 第七章 皇族 第三十條 皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃內親王王王妃女王ヲ謂フ
  • 現皇室典範 第二章 皇族 第五條 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、內親王、王、王妃及び女王を皇族とする。

--なのであって、そもそも太政天皇(上皇)などという概念は認められていません。まして、彼らが出家して坊主になり法皇や法親王などと称することも想定していません。従って、近現代の皇族概念や皇室(一般には天皇+皇族)概念では、この時代の最重要人物である後白河院がハミ出してしまいます。その点を配慮して、「等」という文字が付いているのです。 また、これは既にご存知のことと思いますが、文献上明確に上皇や天皇を含む一族のことを「王家」と書き記したのは、NHKでも左翼でも朝鮮でも中国でもなく、宸記(天皇の自筆の日記)なのでして、あまり罵って悪口ばかり言ってると不敬でございますぞ!--J Stalin 2011年11月15日 (火) 08:57 (UTC)

そもそも、「天皇・皇族など」等と書いてしまうから、現代における感覚を援用して勘違いする人がいるのだと思います。院政期は「治天の君」と呼ばれる上皇・法皇が王家の家父長として天皇を上回る地位と権力を有していた時期であり、9月2日の書き込みに例示したとおり、歴史学の世界では、中世の皇室のことを「皇室」「天皇家」と呼ぶことはふさわしくないため「王家」と呼ぶ習慣が定着しています。NHKは「法皇・上皇を中心とする「家」を表現する用語」として王家を用いているのであり、そのまま書いてしまえばいいのです。--彩華1226 2011年11月15日 (火) 15:22 (UTC)

議論のまとめ

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議論が停止してから一ヶ月ほど経ちます。当初、あるいは最も詳細だった時と比べて文は簡潔になり、「本作では王家という用語を用いている」という公式の発表を記載するに留まった記述となっています。議論継続中に編集が断行された事もありましたが、以降大規模な論戦・編集合戦もなく落ち着いています。私としましてはおおよそ現状の記述に不満はなく、議論の停止と現在の記述を以て今回の議論の合意としてもよろしいのではないかと考えています。正直、蒸し返すのは本意ではないのですが、合意形成という事で所見、あるいは異論などありましたらよろしくお願い致します。--hat2867 2011年12月14日 (水) 03:05 (UTC)

賛成 Hat2867さんによるまとめに対し、現時点で異議ありません。--(J Stalinあらため)すたすた坊主 2011年12月14日 (水) 04:07 (UTC) 賛成 予想以上に問題になっていないので、現在の記述が最も妥当だといえます。--Sky Wing Sky 2011年12月14日 (水) 13:00 (UTC)