ノート:師管区
師管区という名称
[編集]「大正・昭和期の師管区」の文章中、 「昭和16年(1941年)から師管区の呼び方がそれまでの師団の名称ではなく地名を用いるようになった」とあり、さらに同表中には「東京師管区」や「仙台師管区」などとありますが、昭和十六年当時「東京師管区」などと呼称されたはずはありません。いったいその根拠はなんですか? --yatiyochan 2011年05月18日 (水) 13:24 (UTC)
- 戦史叢書の「陸軍軍戦備」か「陸軍軍需動員」のどれかに陸軍管区表(昭和16年軍令陸第20号)の表の部分写しがありました。師管区の欄は地名になってたと思います。今手元になく、3年前の記憶なので曖昧ですが--代言人(話/歴) 2011年5月18日 (水) 16:48 (UTC)
- 代言人さま、早々の回答ありがとうございました。「陸軍管区表 昭和十六年軍令陸第二十号」が根拠ということですね。「師管区の欄は地名になってたと思います」ということですが、同表には「軍管區」「聯隊區」の欄はあります。しかし「師管」の欄はあっても「師管區」という欄はありません。 この点、確認していただければ幸いです。--yatiyochan 2011年05月19日 (木) 12:30 (UTC)
- うーんと、「区」が気に入らないのか、「地名」が気に入らないのかドッチでしょう?--代言人(話/歴) 2011年5月19日 (木) 15:08 (UTC)
- 史実に関して質問をしたのですが、代言人さまは「気に入らない」云々の次元で捉えてるわけですか‥‥ところで、「師管」の欄はあっても「師管區」という欄がないということに関して確認していただけましたか? --yatiyochan 2011年05月20日 (金) 14:17 (UTC)
- 昭和16年11月の改定では大きく仕組みが変わって軍管区もつくったり、師団の名称から地名に変わったりという流れが重要だと思います。『区』の文字が付いているのが余分なら取り除くだけで済み意味はあまり変わらないけど、その頃まだ地名を使っていないというのなら文章も表も多くの部分が嘘になってしまいます。yatiyochan さんの18日の投稿では「地名を使った区域名が間違っている」という指摘だと思いました。古い記憶を頼りにした私の返事に対する返信では欄の名前に『区』がついているかどうか。。。それは史実に関しての質問じゃなく揚げ足取りって奴でしょう
- 『確認していただけましたか?』→今手元にありません。明治37年頃の陸軍管区表で欄の名前は見ました。--代言人(話/歴) 2011年5月20日 (金) 16:02 (UTC)
- 横から失礼します。「「宇都宮師管区」という呼称は1945年(昭20)からのはず」なら、記事に間違いがあるってことでしょう。”揚げ足取り”というのはいい加減且つ無礼な対応じゃないでしょうか?場合によっては改名も必要でしょう。--uaa 2011年5月21日 (土) 17:12 (UTC)
- 代言人さま、uaa氏が引用されたように、たまたま。宇都宮師管区を読んでいたら??という表記があったのが最初で、ならば。師管区ではどうか、と開いたらやはり同じ表記だったために本欄でも質問した次第です。改めて私の趣意は「昭和十六年 軍令陸第二十号」を確認していただければ幸いということです。ところが、わざわざ20日に「昭和16年11月の改定では大きく仕組みが変わって軍管区もつくったり、師団の名称から地名に変わったりという流れが重要だと思います。『区』の文字が付いているのが余分なら取り除くだけで済み意味はあまり変わらないけど‥‥」とご意見をいただきました。そこで師管区の文章も含めて以下二点記させていただきます。まず、「軍管区も作ったり」とありますが、言い換えれば軍管区司令部が設置された、ということです。(軍司令部ですから隷下は師団となる) また、師管区のなかに「連隊区司令部を、1府県1連隊区とし‥府県庁所在地と一致させた」と、連隊区の司令部について書いてます。そこで軍管区、連隊区をふまえると「師管区」であれば師管区司令部が設置されていることになります。ところが、同記事「本土決戦を睨む‥」中に「昭和20年には‥師管区司令部を編成し‥」とあります。ゆえに整合しません。昭和20年2月に留守師団司令部を改称して生まれた「師管区司令部」があなたによればすでに昭和16年に存在していたことになる。「区」を取り除くだけで意味はあまり変わらないけど、などと語句の問題と思っておられるようですが、これは軍事の固有用語の一部ですよ。日本の軍制を齧った者なら昭和十六年に「師管区」があるはずがないと思って当然、当時の内地には各軍管司令部に隷属して五十番台の師団司令部または留守師団司令部が存在するから。ゆえに昭和十六年の軍管区表が師管区ではなく師管になっている理由がそこにあります。
- つぎに「師団の名称から地名に変わったりという流れが重要‥」 たしかに流れは重要です。しかし、それに則るならどういう流れつまり理由で地名になったのかではありませんか? 「連隊区司令部を府県庁所在地と一致させた」のもそうなる理由が書かれていない。当時の陸軍にとって一大行政改革を断行した事案であったのに最も書くべきことが書かれていない。つまりこの記事は単なる事実の羅列で、史実(起承転結の流れ)はわからない。さらに別の例を出せば、昭和20年に姫路師管区が廃止され長野に師管区が設置(動員)された。昭和16年の改正の延長線上そうする理由があったのが「長野師管区」(記事)にもなんの記述もない。私は項目を立てて執筆する以上、それなりの見識は必要と考えます。--yatiyochan 2011年05月25日 (水) 14:00 (UTC)
代言人さま、その後陸軍管区表(昭和16年軍令陸第20号)を確認されましたか。私は、単なるケアレスミスであれば、と思っていましたが、既回答を読む限りどうやらそういう次元ではないようです。さて、既に私は同表の欄が「師管」で「師管区」となってないことを指摘しています。ゆえに「東京師管」とするのが正しい。それでも「東京師管区」とする理由は一体なんでしょうか? 次にあなたが参照したという戦史叢書のなかの『陸海軍年表 付兵語・用語の解説』350頁 「師管・師管区」を全文引用しますと、「内地師団の徴兵区域を師管と称し師団長の管轄区域である。明治5年徴兵令により全国を6個の徴兵区域に区分された。その後、区域の名称・区分は幾度か改正されたが、明治21年5月師団司令部条例の制定と同時に、第1~第6師管が設けられた。その後も師団の増減に伴い、師管数も増減し区域・区分も変更された。また師管内は聯隊区に分けるように改正された。昭和15年軍管区が設けられると師管はその中に編入された。昭和20年2月の陸軍管区表の改正のとき、師管は師管区に改正された。」とあります。之に依っても昭和16年当時は「師管」であったことが明白です。また、この文章では昭和15年には管区の最大単位が師管から軍管区へ代わったとありますが、いっぽう「大正・昭和期の師管区」にはその事に全く触れられず、同項目中の表も一見師管(師管区)が最大単位の如き印象を読者に与えますね。こういう不正確で曖昧な記事は、根拠史料に基づいて修正されるべき、と思いますがいかがでしょうか。 --yatiyochan 2011年06月11日 (月) 13:24 (UTC)
- 戦史叢書『陸軍軍戦備』本文と付表、『陸海軍年表 付兵語・用語の解説』を見ました。用語解説には1945年まで師管、1945年に師管区に改称とありました。『陸軍軍戦備』本文の記述も同様で、師管を師管区と書く混同はありません。また、番号から地名への変更は1941年でした。2011年に指摘されたことに間違いはなさそうです。
- 軍管 - 師管(1873 - 1888年)
- 師管 - 旅管 - 大隊区 (1888 - 1896)
- 師管 - 旅管 - 連隊区(1896 - 1941) ここまでは第一、第二などの番号
- 軍管区 - 師管 - 連隊区 (1941 -1945) ここから東京、仙台などの地域名
- 軍管区 - 師管区 - 連隊区 (1945)
- となるようです。大部分の期間は師管で、師管区は1年に満たない名称だということになります。かつ、主として徴兵に関わる行政管轄区だった師管と、所属部隊と防衛担任区も併せ持った師管区は、内容的にもだいぶ違うものです。師管を師管区と書く現状は改める必要があります。直接関係する記事は、この「師管区」と「師管区司令部」、今はあいまいさ回避になっている「師管」です。
- この記事を「師管」に移動・改名する方法もありますが、記事の削除か履歴統合が必要で少々面倒です。私は、この記事に「本土決戦を睨む師管区司令部」の節を残し、他の部分を「師管」に転記するのがよいと思います。--Kinori(会話) 2017年9月22日 (金) 00:28 (UTC)
- Kinori様、的確なご指摘拝読しました。本「師管区」記事執筆者の方は、たぶん自己流儀で書かれたのではないか、と推察しております。wikiのなかには史料典拠ではなく、信念に基づいている方々がおられ、これからもこのような「残念な記事」が晒され続けることになるのでしょう。諄いようですが、「師管」と「師管区」について、「区」というのは旧陸軍の用法として区分したものに処置(指揮)するという意味合いがありました。つまり師管区であれば指揮官(司令官)が存在するはずですが、例えば明治時代の「軍管」に司令官がいなかったのはその証左でした。それならば師団長が司令官だったのではと考えが出てきそうですが、「師団司令部令」(昭和十五年 軍令陸第十三号)第四条「師団長ハ~其ノ師管ノ防衛ニ任ズ」とあり、別物であったことが解ります。なお「旅管」は、改正により大正13年(1924年)に廃止となっております。--yatiyochan 2017年11月12日 (日) 14:20 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。国立国会図書館デジタルコレクションを検索して陸軍管区表の改正に目を通し、設立からずっと師管が正式名称であり、師管区は1945年に現れることを確認できました。ただ別に読んだ、1976年刊の大江志乃夫『日露戦争の軍事史的研究』の中に、師管と師管区を混用した説明を見つけました。どうやらウィキペディアだけの誤りではなさそうです。『官報』を検索して手軽に読むことができるようになったのは最近ですから、仕方がないことなのでしょう。そして、私が前に書いたことにも誤りがありました。旅管についてはご指摘通りです。また、師管区の防衛担任というものは、どうも文字通りのものではなさそうです。とりあえずは用語の訂正だけすませ、もう少し調べてからこの記事に加筆したいと思います。
- また、この節の見出しを、内容をあらわすべく、「執筆者の方々へ」から「師管区という名称」に変更しました。各位ご了承を願います。--Kinori(会話) 2017年11月16日 (木) 03:45 (UTC)
管区と部隊の表の分割提案
[編集]「明治期の師管」と「大正・昭和期の師管区」の分割を提案します。理由は、師管区は1945年4月から8月の限られた期間の制度であり、それ以前数十年の陸軍管区をまとめる場所として本記事はふさわしくないと考えるからです。基本情報を示すこの表はとても良いものですが、置き場所は別にすべきです。軍管区・連隊区にある同様の表・一覧とまとめ、管区と部隊の変遷を示す単独記事を作るのがよいと思います。日本陸軍の管区と部隊という題名はどうでしょうか。ご意見をお願いします。--Kinori(会話) 2017年11月16日 (木) 03:45 (UTC)
- 特に反対がありませんでしたので、分割を実施しました。--Kinori(会話) 2017年11月24日 (金) 01:06 (UTC)
個々の師管区記事の再編成
[編集]個々の師管区の記事は、現在17ありますが、上の議論にみられるような理由で、多かれ少なかれ全部が不正確な内容を含んでいます。しかし、この「師管区」本体記事さえ、誤りが指摘されてから何年も放置されていたのですから、個々の師管区記事が自然な加筆で書き換えられていく、という期待はできません。
気になるのは、多くの記事が、72年間続いた師管を、実質4か月半しか続かなかった師管区の名で代表して説明していることです。師管の中でも第1師管のような番号付きの歴史は67年間、東京師管のような地名付きは5年間です。記事が充実すると、番号師管のことがいちばん多くなるはずです。そしてどのみち地名の師管・師管区が置かれなかった第13師管などいくつかは、番号で記事にしなければなりません。
分割は必須と思うのですが、その際、案は二つあります。第1師管->東京師管->東京師管区を例にとりますと、
どちらでも大きな違和感なく書けると思います。
私としては、3分割が明快で良いと思います。作業手順としては、まず個々の師管区記事の内容をその師管区のことだけにします。師管については、直接の前身である地名師管に触れるだけにします。今ある誤りは、これでなくなります。次にリンク元をチェックして適切なものだけにします。リンクなしにある誤表記もできるかぎり訂正します。これで作業は終了です。師管記事の赤リンクが残されますが、それらは何年でもかけて充実させればよいと思います。
あちこちで除去編集をすることになりますが、ウィキペディアが誤情報を掲載している現状をできるだけ早く解消したいということで、このような提案をさせていただきました。異議がなければ数日中に動きます。ご検討をよろしくお願いします。--Kinori(会話) 2018年1月20日 (土) 16:47 (UTC)
- 一通り修正を終えました。残るは軍管区だけだと思います。協力してくださった方に感謝します。--Kinori(会話) 2018年2月3日 (土) 14:13 (UTC)