コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:川上未映子/過去ログ2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
過去ログ1 過去ログ2 過去ログ3

公刊物「週刊読書人」におけるアイデア盗用問題言及記事に基づく記載のお知らせ

各位

株式会社読書人発行の商業誌「週刊読書人 2011年7月22日号」(雑誌20454-7/22)8面 文学・芸術欄に、作家、戯曲家、批評家である可能涼介氏による、津原泰水著『11 eleven』(河出書房新社)の書評記事が掲載されました。同記事には、川上未映子氏のアイデア盗用問題に関する明確な言及があります。これに基づき、また以下に引用するWikipediaの諸方針とガイドラインに従って、本件を川上未映子氏のページに「アイデア盗用問題」として記載致しますことをお知らせします。なお、多くの識者が言及している、川上未映子氏の「尾崎翠『第七官界彷徨』紹介コラム」における、日本海新聞記事からの盗作問題については、別途取り扱いを決める必要があります。

記載にあたっては、Wikipedia:存命人物の伝記に抵触しないよう細心の注意をはらいました。そして、以下に本件記載の根拠を明示しますので、記事の無断消去はこれを行わないようにして下さい。より良い記事にするための議論、あるいは異論がある場合は、まず本ノート・スペースにて議論をして下さるようにお願い申し上げます。

【本件記載の根拠-Wikipediaの諸方針とガイドラインその他による】

1.Wikipedia:存命人物の伝記より、Wikipedia:検証可能性との整合性

(1)「真実かどうか」ではなく「検証可能」かどうかに照らし、「週刊読書人 2011年7月22日号」(雑誌20454-7/22)の第8面、文学・芸術欄に〔掲載された〕、作家、戯曲家、批評家である可能涼介氏による、津原泰水著『11 eleven』(河出書房新社)の書評記事」と出典を明記しました。

(2)Wikipedia:信頼できる情報源に照らし、「週刊読書人 2011年7月22日号」に掲載された可能涼介氏の書評記事は独立した二次資料の要件を満たしていることを確認しました。

2.Wikipedia:存命人物の伝記より、Wikipedia:中立的な観点との整合性

(1)事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなに照らし、可能涼介氏の書評記事が存在 すること、そこでの見解を引用によって示すことのみを行いました。

3.Wikipedia:存命人物の伝記#独自研究は載せないとの整合性

(1)上述のように、検証可能で信頼できる情報源のみを指し示し、私見を交えることなく記事を作成しました。ご確認下さい。

4.Wikipedia :存命人物の伝記#公人・著名人との整合性

(1)川上未映子氏は、芥川賞をはじめ多数の受賞歴のある作家であり、歌手であり、映画出演歴のある女優であり、多くのTV番組に出演なさっています。同氏が著名人であることには議論の余地がありません。

(2)同項目の「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの 情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう」 に照らし、芥川賞作家でいらっしゃり、新潮新人賞の選考委員も務められる予定の作家・川上未映子氏は、範を示すべきお立場ですから、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されたアイデア盗用問題は、明白に重要(relevant)なものであります。

(3)さらに、Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見に照らし、本件は川上未映子氏の著名性に釣り合う重要な ものであることが上記4.-(2)の根拠から確認できます。従って、可能涼介氏の当該記事は、Wikipediaの記事に有益であります。

5.補足 本ノート「チェックユーザー後の議論」における、カラひらです氏の「議論合意のお知らせ」に反する新しい状況、即ち「出版社や新聞社などの公的な媒体」である「週刊読書人 2011年7月22日号」に、作家、戯曲家、批評家である可能涼介氏による記事が掲載されたことを踏まえ、さらに上述のようにWikipedia:存命人物の伝記ならびに関連諸方針に厳密に従って、記事を書かせて頂きましたことをあらためてご報告申し上げます。また、記事の無断消去はこれを行わないこと、より良い記事にするための議論、あるいは異論がある場合は、まず本ノート・スペースにて議論をして下さるように重ねてお願い申し上げます。--Akari-light 2011年7月24日 (日) 10:49 (UTC)

記事に保護をかけました。論争の原因となった内容なのですから、記載は慎重に行ってください。特にこの記事については議論に長い期間を費やしております。穏便な解決のためには、記載よりも合意形成を優先すべきでしょう。--Bellcricket 2011年7月25日 (月) 06:49 (UTC)

Bellcricket氏へ。保護措置ならびにご助言の件、了解いたしました。ご忠告については感謝申し上げます。ありがとうございました。 後学のために、ビューロクラットとしてのBellcricket氏にご教示賜りたいことがあります。今、合意形成のことは方法的に棚上げにして、純粋に形式的にWikipediaの方針文書に照らしてみた場合に、上述の私の【本件記載の根拠-Wikipediaの諸方針とガイドラインその他による】1.~4.に誤りがあるでしょうか?「週刊読書人」は発行部数10万部の広く一般書店に流通している文芸・人文書専門の商業誌です。私は、Bellcricket氏の2011年1月15日 (土) 01:48 (UTC)のコメント「商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄いのではないでしょうか。記事に書くべきで出来事であれば、本来はまず「世間の注目を浴びた」という根拠を先に示して、それを補強する意味で当人や評論家のブログ等を取り上げるという手順を取るべきです」を十分に念頭に置いて、上記の【本件記載の根拠-Wikipediaの諸方針とガイドラインその他による】1.~4.を書きました。ご多忙とは存じますが、ビューロクラットとして、コミュニティの信託を受けているお立場からのBellcricket氏のご見解をご教示下さい。宜しくお願い申し上げます。--Akari-light 2011年7月25日 (月) 12:06 (UTC)

コメント また編集合戦となり保護になってしまっていたんですね。さて週刊読書人という媒体で取り上げられたということは、単に識者が自身のブログなどで意見を述べるのとは訳が違うように思います。ゴシップなども載せる週刊誌などでは、発行部数が多くとも適切ではないと思いますが、このケースはそうしたものではないでしょう。--Tiyoringo 2011年8月25日 (木) 14:49 (UTC)

各位

保護期間が過ぎましたので、「公刊物『週刊読書人』における本件言及記事に基づく記載」について、合意形成のための議論を再開したいと思います。議論参加希望者の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。私の意見は、「アイデア盗用問題について」と題して、下記文案を記載するべきだというものです。掲載の根拠は既に【本件記載の根拠-Wikipediaの諸方針とガイドラインその他による】に記した通りです。Tiyoringo様、コメントをありがとうございました。Wikipediaのルールに照らして、本件を記載することには特に問題はないというご趣旨のコメントと理解致しました。公正なるご見識のご教示に感謝申し上げます。

文案

株式会社読書人発行の商業誌「週刊読書人 2011年7月22日号」(雑誌20454-7/22)の第8面、文学・芸術欄に、作家、戯曲家、批評家である可能涼介による、津原泰水著『11 eleven』(河出書房新社)の書評記事が掲載された。同記事において、「川上未映子『わたくし率イン歯―、または世界』は [中略] 〔津原泰水著『綺譚集』(東京創元社)所収の〕『黄昏抜歯』のパクリである(法的には問題ないレベルのアイデア盗用で、津原作品にインスパイヤされたと川上が明かしていれば済んだ話だと思われる)」との指摘がなされた。

--Akari-light 2011年8月27日 (土) 12:50 (UTC)


1.Aquamarin456氏へ。カシス氏による私Akari-lightの議論再開の呼びかけならびに文案のコメントの無断消去を取り消して下さったことに御礼申し上げます。迅速なご対応をありがとうございました。
2.カシス氏へ。カシス氏による私Akari-lightの議論再開の呼びかけならびに文案のコメントの無断消去、
http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%9C%AA%E6%98%A0%E5%AD%90&action=historysubmit&diff=38959315&oldid=38956571 
ですが、これは他者の発言権そのものを封殺するものであり、議論による記事の改良というWikipediaの根底を破壊するものです。Wikipediaのルールに照らした場合、「ノート荒らし」に該当します。私はこのことを大変遺憾に思います。いかなるご存念でこのような行為に及ばれたのか、ご回答をお願い致します。なお、このことは、ノートでお世話下さった熟練したWikipedianでいらっしゃる、頭痛氏、Bellcricket氏、Tiyoringo氏、海獺氏の各位の会話ページご報告させて頂いております。宜しくご諒承下さい。--Akari-light 2011年8月28日 (日) 02:48 (UTC)
これは申し訳ありません。昨日夜は前後不覚の状態にあり、Akari-lightさんの意見をまちがって消去してしまったようです。これに関しては取り急ぎ謝罪しておきます。失礼いたしました。--カシス 2011年8月28日 (日) 04:08 (UTC)

カシス氏へ。お返事をありがとうございました。カシス氏は先月から立て続けに私Akari-lightの投稿を無断消去なさっています。つまり、今回が二度目です。「私Akari-lightが投稿したら、カシス氏が問答無用に無断消去」という行為が二度も連続するのは、不可解な出来事だと思います。今回は「まちがって消去してしまった」とのことですが、「何と」間違って消去なさったのですか。換言すれば、「何をしようとしていて」間違って消去なさったのかご教示下さい。宜しくお願い致します。--Akari-light 2011年8月28日 (日) 04:58 (UTC)

コメント 提示されたソースですが、作家のパクリを批判するという作家にとっては重大なことをする割には、
  1. 独立した記事を立てるでもなく、書評の脇道という形で述べるだけ
  2. 詳細な検証があるでもなくただ結果を述べるだけ
  3. 内容を読むと、批判する側の意見を吟味せずにそのまま受け入れているだけに見える
というのでは、主張の重大さに見合ったソースであるようにはあまり思えないですね。ちなみにWikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見では「評価は確かな出典がなくてはなりませんし、項目についてのものでなければいけません。ほかの事に連座しての評価は(書かないように)警戒してください。」とあります。--Kurz 2011年8月28日 (日) 10:38 (UTC)

Kurz氏へ。細かいテクニカルな問題を論じる前に、大枠の方向性を確認しましょう。それには、労作『<盗作>の文学史』(新曜社)の著者であり、Wikipediaにも造詣が深い評論家の栗原裕一郎氏のブログ記事を参照するのがベストだと思います。ちなみに『<盗作>の文学史』は、百科事典的あるいはカタログ的な志向性の強い書物であり、従って著者の栗原裕一郎氏のスタンスはWikipediaとの親和性が高いものです。重要なポイントを以下に引用します。全文は当該エントリーをお読み下さい[1]。「『日蝕』vs『鏡の影』論争」のWikipedia掲載について、栗原裕一郎氏は次のように述べています。

「たとえ佐藤〔亜紀〕自身による問題提起がきっかけだったにせよ、さらには仮にそれが佐藤の被害妄想によるものだったにせよ、盗作疑惑自体は現実に起こった「事実」である。『噂の真相』一誌とはいえマスコミが報道した「事実」もあるし、佐藤と同じファンタジーノベル大賞出身の作家・山之口洋がbk1のコラムで検証したという「事実」もある(「いわゆる『日蝕』vs『鏡の影』論争」)。「盗作」はどうあれ「盗作疑惑」はそのように「事実無根」ではない。したがって「盗作疑惑」を記した当該記述は不正確さを改められればそれでいいはずだ」「だんまりを決め込み「事実」か否かの判断材料を提供しなかったのは平野〔啓一郎〕―新潮社サイドなのであり、その沈黙がこの一件の事件性を後押ししてしまったことを見逃してはいけないだろう」「繰り返すが、盗作疑惑事件は現実にあったことなのだから、記述の正確さを期しさえすれば、べつだん誹謗や中傷にはあたらないはずである」

以上の栗原裕一郎氏の見解が、大枠において正しい考え方となります。しかも本件は、読者の発見によるものであり、ゴシップ誌であった『噂の真相』のような媒体ではなく、文芸書・人文科学書の専門誌として広く流通している週刊読書人という媒体に掲載されたものであり、言及している批評家も可能涼介氏、田中和生氏、石堂藍氏、大森望氏、豊崎由美氏、小谷野敦氏と多数にのぼるものです。従って、本件は「『日蝕』vs『鏡の影』論争」の場合よりもはるかに掲載の条件が整っているのです。Kurz氏はこの栗原裕一郎氏の卓見を否定なさるのですか。ご回答をよろしくお願い致します。--Akari-light 2011年9月2日 (金) 11:59 (UTC)

コメント 一般にはそういう意見もあろうかと思いますが、ウィキペディアのルールではそのような論は部分的にしか採用していませんね。Wikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなは栗原氏の見解に近いものですが、一方でWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源では信頼性の乏しい情報源に載せられた事件・論争は掲載しないとされていますし、Wikipedia:存命人物の伝記はより厳しい基準を課しています。--Kurz 2011年9月2日 (金) 13:57 (UTC)
コメントAkari-lightさんの発言は、典型的な詭弁であると思われますがいかがでしょうか。Kurzさんが示した問題点を「細かいテクニカルな問題を論じる前に、大枠の方向性を確認しましょう」と捻じ曲げ、自分に有利な引用を行っているように見受けられます。「栗原裕一郎氏のスタンスはWikipediaとの親和性が高いものです」というのもただ単にAkari-lightさんの管見としか思われず、実質Wikipediaと栗原氏は関係ないのですから、このAkari-lightさんの発言には問題性があると思われます。これでは議論を有利に進める素材にはなりがたいでしょう。--カシス 2011年9月2日 (金) 14:38 (UTC)

Kurz氏へ。ご回答ありがとうございました。Wikipedia中立的な観点に栗原裕一郎氏の見解が近似しているという点については、私も賛成です。それではお約束通り、細かいテクニカルな問題について論じましょう。

まずKurz氏が2011年8月28日 (日) 10:38 (UTC)のコメントで述べた事柄2.3.は、Wikipediaの三大方針のうちの二つ、Wikipedia:独自研究は載せないならびにWikipedia:検証可能性に抵触しています。週刊読書人の可能涼介氏の記事の成り立ちを詮索することは、独自研究に当たります。なぜなら、Kurz氏は「2.詳細な検証があるでもなくただ結果を述べるだけ」「3.内容を読むと、批判する側の意見を吟味せずにそのまま受け入れているだけに見える」と仰っていますが、実際は可能涼介氏は「詳細な検証」を行ったうえで「結論」を記述したのかも知れず、「両論を吟味」したうえで当該記事を書いたかも知れないからです。こうした事柄を詮索することは、Wikipediaの編集者が行ってはならないのです。Wikipedia:検証可能性にあるように、「「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべき」なのです。

次に、Kurz氏は可能涼介氏の記事について、「1.独立した記事を立てるでもなく、書評の脇道という形で述べるだけ」と仰っていますが、明確に本件=項目についての記述を含む可能涼介氏の当該記事は、明らかに本件=項目についてのもの、ですね。Wikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見には、独立した記事でなければならないとは書かれていません。内容が項目についてのものであれば良いのです。そして可能涼介氏の本件=項目についての記述箇所は、私の文案を見て頂ければ明らかですが、他の事項に連座していません。

最後に、Kurz氏は週刊読書人が信頼性に乏しい情報源であるかのような書き方をされていますが、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源での定義は「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」等)、または編集上の監督を欠く情報源です」「例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物」となっています。週刊読書人という情報源は、これらの定義のどれにも当てはまりません。従って、信頼できる情報源である、ということが明白に帰結されます。もしも当てはまると仰るなら、それを立証して下さい。

以上で私はカシス氏からも要請のあったKurz氏のご意見に対する具体的な反証を示しました。カシス氏は、私の2011年8月28日 (日) 04:58 (UTC)の質問にまずお答え下さい。それでは、他に特段のご異議がなければ、文案の推敲に移りたいと思います。宜しくご協力のほどお願い致します。--Akari-light 2011年9月2日 (金) 15:12 (UTC)

akari-lightさんはWikipedia:検証可能性にある記述をどうやらご自分の都合のいいように曲解なされていると思われます。なるほど、確かにWikipediaに載せる記事についてはWikipedia:独自研究は載せないというのが前提になるでしょう。しかし、可能氏の記事を載せるべきかそうでないか、ということは独自研究にはあたりません。なぜならばWikipediaの項目にはまだまだ載せるべきことが沢山あるからです。川上氏に対する評論などでも載せるべき事はたくさんあります。その中で可能氏の記事を特筆して載せる理由は何なのか。それはakari-lightさんの文章を読んでいても分からないことです。
Kurzさんの発言は独自研究には当たらないでしょう。繰り返しましたとおり、それを載せるべきか載せるべきではないか、という議論は当然あってもよろしいのです。akari-lightさんの引用された、以下の文章について考えて見ましょう。

「「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべき」

言い換えればこれは「ニューヨーク・タイムズの記事」を必ず載せるべきだ、という意見にはならない。「ニューヨーク・タイムズの記事」を載せるか載せないかそれは編集者が吟味することであると思いますが、いかがでしょうか。載せること自体に議論の紛糾が続けば、考慮に値するべき諸問題はいくらでも起こりうると思います。そういった諸問題を忘れて「載せろ載せろ」の一点張り。これはどうにもおかしな話だと思いますが、いかがでしょうかね。
Akari-lightさんは「週刊読書人書いてある、だから載せろ」ということしか言っていません。それを「書いてあるからといって載せるわけにはいかない」という意見に対してそれは独自研究だ、とakari-lightさんは仰る。これは大きな間違いでしょう。
いわば記事の内容を吟味するのではなく、その記事を掲載するかしないかを決めるわけなのですから。以上引用すべての記述を使って、「それでは載せない」という方向に持っていくことは可能なのです。
前から申しておりますが、akari-lightさんは三大方針をご自分の意見を補強するためにだけ使いすぎるところがあると思います。
今回の発言においても、

他に特段のご異議がなければ、文案の推敲に移りたいと思います。宜しくご協力のほどお願い致します。

などと強引に次の行動に移られようとしているようですが、これなどはどうにも私には早計だと思われます。
よくお聞きください、議論はそこまで熟しておりません。強引に進められることはゆめゆめなきように。--カシス 2011年9月2日 (金) 17:11 (UTC)

カシス氏へ。1.Kurz氏は2011年8月28日 (日) 10:38 (UTC)のコメントで、「2.詳細な検証があるでもなくただ結果を述べるだけ」「3. 内容を読むと、批判する側の意見を吟味せずにそのまま受け入れているだけに見える」、そして「主張の重大さに見合ったソースであるようにはあまり思えない」と述べています。即ち、ソースの質、信憑性を問題視されているわけです。ゆえに私は、「「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべき」という文言を提示し、反証したのです。

2.私は2011年7月24日 (日) 10:49 (UTC)の投稿文4.-(2)において、「「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの 情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう」 に照らし、芥川賞作家でいらっしゃり、新潮新人賞の選考委員も務められる予定の作家・川上未映子氏は、範を示すべきお立場ですから、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されたアイデア盗用問題は、明白に重要(relevant)なものであります」と、既に本件の特筆性の高さについて説明しています。ご確認下さい。カシス氏におかれましては、他者の発言をよく読み、拙速に陥ることのなきようお願いを申し上げます。

3.このように、週刊読書人の記事を基に本件を記載することについて、Wikipediaのルールに照らして有効な反論が無かったので、ネクストステップへ歩みを進めましょうと提言したのです。ご理解頂けると思います。

4.繰り返しになりますが、カシス氏は、私の2011年8月28日 (日) 04:58 (UTC)の質問にまずお答え下さい。補足しますと、「前後不覚」の状態で、ノートの編集を行おうとしていて、投稿文の修正時に誤って他者の記述を消去してしまう、という事態はあり得ます。しかし、カシス氏のように、変更履歴のページを開き、特定の発言のみを選択し、取り消しをするという事態は、前後不覚状態での単純ミスとしては想定することが困難です。--Akari-light 2011年9月2日 (金) 23:50 (UTC)

コメント えー、どのようにして私が当初の意見に至ったかを端的に申し上げますと、
  1. WP:LIVINGによれば、「『存命人物の伝記』の執筆時には特段の注意を払わなければなりません。」のであり、
  2. WP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるによれば、「注意信号がでたら、編集者は寄せられた主張を念入りかつ懐疑的に調べるべき」であり、
  3. WP:RS#信頼性の評価によれば、「出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。」であるので、
以上に基づいて可能氏の出典の信頼性を厳格に検証したところ、[2]という判断にいたったということになります。 あとですね、ウィキペディアに参加している人はいつでもすぐに意見が述べられる状態にあるとは限りませんので、議論がまとまったと判断するには、相手が合意に至るか、さもなくば議論が停止してから1週間程度はお待ちいただけますか。そんなに急ぐ必要はありませんので。--Kurz 2011年9月3日 (土) 11:26 (UTC)
コメント さて、akari-lightさん。1に関しては既にKurzさんから答えは出ましたので、私がとりあげるべきは2、および3だけでよろしいでしょう。
既に本件の特筆性の高さについて説明しています。ご確認下さい。などと黒抜きにして強調されておられますが、例えばWikipedia:特筆性などを参照しましても、

現時点ではまだ拘束力はありません。

と記されております。ということは必ずしも特筆性は乗せるべき重要な条件とはなりかねるわけです。
重要(relevant)であると強調される部分もよく分かりかねます。「範を示すべきお立場ですから」ということですが非常にあいまいな言い方であって、どうとでもとれるものでしょう。外面的にどうか、ということでしょうか。それならば原文で言われている重要(relevant)というのは「範を示すべきお立場」とは全く別のことであると思われます。
さて、3の、

Wikipediaのルールに照らして有効な反論

というのもよく分かりません。Kurzさんは、

ルールに照らして有効な反論

をされていますし、私にしてもWikipediaのルールに従って話しているのですから。まるでakari-lightさんだけが、

ルールに照らして有効な反論

を行っているように見せる発言だということでよろしいでしょうか。
こういう発言をakari-lightさんが行われるということは、非常に問題のある行動だと思われます。
私のことを「拙速」であるとakari-lightさんはおっしゃられましたが、私から見るとakari-lightさんの方が「拙速」であると思われるのですが。--カシス 2011年9月3日 (土) 14:40 (UTC)

Kurz氏へ。補足説明をありがとうございました。ご主張の件につきましては、後日に私の見解を述べさせて頂きます。と申しますのは、時間的な順序として、カシス氏に先にお答え頂くべき事柄があるからです。なお、議論がまとまったと判断する基準について、ご助言をありがとうございました。

カシス氏へ。時間的な順序として、私が最も早くカシス氏にご回答頂きたい事柄は、私の2011年8月28日 (日) 04:58 (UTC)ならびに2011年9月2日 (金) 23:50 (UTC)の項目4.です。ひとつ問いを追加しましょう。カシス氏の2011年8月28日 (日) 04:08 (UTC)の「謝罪」は、私Akari-light宛てのものですか。それでは、十全なご回答を宜しくお願い致します。--Akari-light 2011年9月4日 (日) 02:24 (UTC)

Kurz氏へ。カシス氏からのお返事を待ちながら、Kurz氏への反証を記します。Kurz氏は2011年9月3日 (土) 11:26 (UTC)の発言で、2011年8月28日 (日) 10:38 (UTC)のご自身の主張の根拠となるものを説明して下さっています。この点、御礼申し上げます。しかしながら、これらをKurz氏の主張を充足させる根拠とみなすことは、非常に困難です。その理由をご説明しましょう。
1.確かにWP:LIVINGでは、「『存命人物の伝記』の執筆時には特段の注意を払わなければ」ならないとありますが、私の文案は三大基本方針を細心の注意を払って遵守したものです。また、週刊読書人の可能涼介氏の記事は、同文下の「出典の無い」ソースではありません。また「貧弱なソース」でもありません。後者については後にご説明します。
2.次にWP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるについてですが、作家が盗作盗用の嫌疑を受けているということは、決して「特別な主張」または「驚くべきまたは重要な主張」ではありません。「盗作大全」と銘打った浩瀚な事例集、栗原裕一郎著『<盗作>の文学史』(新曜社)の存在自体がそれを証明しています。盗作盗用問題は社会的に認知された文学的トピックであり、「地球は立方体である」とか「宇宙人が人類を操っている」といった、絶対に「注意信号」を感受すべき「特別で驚くべきまたは重要な主張」ではないのです。
3.WP:RS#信頼性の評価においては、「作成した過程や人々に関する検証」という文言の意味するところが列挙されています。週刊読書人の可能涼介氏の記事は、文芸評論の著作をもつ、「権威づけられた専門家による公表物」であり、「事実確認や編集者の監視など公表まで複数段階を経た情報源」であり、可能涼介氏の「専門分野内」のものです。さらには、田中和生氏、石堂藍氏、大森望氏、豊崎由美氏、栗原裕一郎氏など、文芸評論分野の専門家の方々が自主公表した情報源によって、「複数の情報源により個別に確認」ができるものなのです。
即ち、最小限に見積もっても、川上未映子氏の著作にアイデア盗用疑惑がある、という「事実」は(真偽は措いて)、高い客観性をもって専門的・社会的に認知されている事柄です。よって「貧弱なソース」ではありません。今までの「著名な専門研究者」による「自己公表された情報源」よりも強い信頼性を持つ、編集者の監視を経たうえで、公刊物に掲載された情報源なのです。これを引用した記事をWikipediaに掲載することは、適切なことでしょう。
以上1.2.3.のゆえに、Kurz氏の「出典の信頼性の厳格な検証」は、方針で「編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです」と指し示されている行為に該当することが判明します。これをもって、私はKurz氏の主張の根拠を覆し得たと存じます。--Akari-light 2011年9月14日 (水) 15:21 (UTC)
質問 えーっと、それは相当無理のある解釈だと思うのですが・・・。ではひとつお聞きしたいのですが、本件についてはかたや賞を受賞した作家であってもう一方も作家であり、その間の係争であれば記念樹事件のようにマスコミでも話題性のある話として取り上げられてもおかしくないと考えられます。しかし今のところ『週刊読書人』しか取り上げておらず、他ではまったく話題にならないままです。これはどうしてだと思われますか?--Kurz 2011年9月15日 (木) 12:48 (UTC)

Kurz氏へ。過去ログの議論の流れを追って頂ければお分りだと思うのですが、川上未映子氏の盗作疑惑・アイデア盗用疑惑は、現時点までに三段階の経緯を経て広まっています。第一段階では、読者による検証がネットに載りました。

第二段階では、田中和生氏(川上未映子さんの作品について[3] )、石堂藍氏(歯と記憶/歯と自我-津原泰水「黄昏抜歯」と川上未映子の「わたくし率イン歯ー、または世界」をめぐって[4] )、大森望氏、豊崎由美氏、栗原裕一郎氏(津原泰水氏と川上未映子氏の件について[5] )らが、公式サイトや自費出版物で見解を表明しました。

第三段階、つまり現時点では、編集者の監視を経た発行部数10万部の商業出版物「週刊読書人」に可能涼介氏の記事が掲載されたわけです。

私の認識では、「週刊読書人」は、柄谷行人氏や奥泉光氏、上野千鶴子氏らのインタビュー記事や講演記事、川上未映子氏のインタビュー記事が掲載される文芸・人文科学の専門誌であり、文芸誌と同等のステータスを持っています。発行部数から言えば文芸誌よりも遥かに多い「マスコミ」誌です。従って信頼性、専門性においてWikipediaの情報源としての条件を十全に満たしています。実際、同誌を情報源とした記事は数多くWikipediaに掲載されているのです。

このように本件は、着実に「マスコミ化」してきているのであり、縮小ではなく、拡大の一途を辿ってきたものです。Kurz氏の仰る「マスコミ」の定義が不明ですが、察するところイエロージャーナリズムを含む各種新聞や週刊誌、TVなどのことだと思います。私はそうしたマスコミの記事化、報道化の基準・選択の原理を知りませんから、現時点でなぜ記事や報道がなされていないかは分かりません。

しかし、Wikipediaの方針文書を読み、他の盗作事例の記事を見る限り、「イエロージャーナリズムを含むマスコミ報道の有無」よりは、専門性の高い(実績に基く権威のある)週刊読書人に、明瞭な記事が掲載された現実を重視するべきだと考えています。

なお、Kurz氏は本ノート冒頭に各種タグを貼っておられますが、私見では過剰であり、適切さの範囲を超えているように思われます。上から二段目と過去ログリンクのタグ以外は不要と思いますので、外して下さい。外されない場合には、この点、しかるべき場所で問い合わせてみる必要があるかも知れません。--Akari-light 2011年9月15日 (木) 15:05 (UTC)

コメント akari-lightさんはなぜか分かりませんが、今は第三段階だとおっしゃっています、果たしてこれは正しいのでしょうか。まあこの場合そうであることにいたしましょう。読者による検証、とおっしゃりますがそれは随分といい加減なものですし、親亀こければ皆こけるごとく、第一段階とやらがめちゃくちゃでは、第二段階、ひいては第三段階のつながりも非常に不透明なものだと考えられます。可能さんの記事は所詮第一段階を形成してすらいないものをそのまま書いただけの記事、ということになるでしょう。「週刊読書人」の重要性をakari-lightは強調されますが、正直そのようなことはどうでもよろしい。なぜならばwikipediaに載せるべき記事では、可能さんのものはない、と私はいいたいからです。そしてその掲載することを吟味することの正当性は、過去において私は何度も強調してきたはずです。ところがakari-lightさんはそれをまるでなかったかのごとくふるまい、「週刊読書人」に載せられた、wikipediaには載せるに値しない記事を、まるで載せられる存在のように強調されています。段階で踏んで考えると、第一段階の不備さが露呈され、それを踏まえた可能さんの記事もまた、不備であると言う結論に到らざるをえません。後それからWP:LIVINGに完全に全文を書かない牽強付会な解釈は辞めていただけないでしょうか。akari-lightの行動に対する疑問は私はこれまでも何回かいわせていただきましたが、今回の、

なお、Kurz氏は本ノート冒頭に各種タグを貼っておられますが、私見では過剰であり、適切さの範囲を超えているように思われます。上から二段目と過去ログリンクのタグ以外は不要と思いますので、外して下さい。外されない場合には、この点、しかるべき場所で問い合わせてみる必要があるかも知れません。

などはKurzさんに対する脅迫ともとることが可能であり、Wikipedia:荒らしに抵触するか可能性も否定できない、ということを私は申し述べておきたいと思います。
なぜなら私はKurzさんの貼ったタグになんら疑問を覚えない者であり、この件に関して議論ならいくらでもさせていただく覚悟もありますからakari-lightさんの発言の疑問をここで訴状にあげるのも恐れない次第であります。--カシス 2011年9月16日 (金) 10:27 (UTC)
あまり話が長引いているようなので、すこし口を挟みます(インデントの位置は時系列を示すもので、カシスさんへの意見というわけではありません)。Akari-lightさんが示された『週間読書人』については、確かに検証可能で、それなりの信頼性を持つものとみなしても良いように思います。しかし、果たしてそれはWikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見にあるようなそれが項目本人の著名性に釣り合う重要なものなのでしょうか。言い換えれば、私が以前申し上げた「『世間の注目を浴びた』ことの証明」ができているのでしょうか。今こうして信頼できると思われる情報源が、1つ、示されたわけですが、それはもしかしたらこの先文学界を席巻して川上さんの活動に何らかの大きな影響を与えるかもしれませんし、または単なる少数意見として見向きもされず埋もれていくしれないわけです。前者であれば掲載に足るでしょうが、果たして後者であった場合に「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」と万人が納得するものでしょうか。Akari-lightさんは、その点を説明し、他の方々を納得させなければならないのです。「重要」の解釈をもう少し厳密に考え、もう一度その盗用説の状況を考えてみませんか。果たして、今現在の状況で「重要」だとうまく説明することができますか。--Bellcricket 2011年9月16日 (金) 12:53 (UTC)

Bellcricket氏へお返事します。本件が「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」であることの証明、すなわちBellcricket氏のパラフレーズによれば『世間の注目を浴びた』ことの証明を、二つの仕方で行いましょう。証明1.証明2.は相互に「OR」の関係にあります。Bellcricket氏からの引用は斜体で、Wikipedia方針文書からの引用は青文字で記述します。

証明1.最初はBellcricket氏に対する証明です。この証明は、Bellcricket氏が以前仰った『世間の注目を浴びた』ことの証明コメントの文章そのものから導出されます。当時、本件は「評論家のブログ・同人誌など」しか情報源がありませんでした。Bellcricket氏は、「広く出版されている文学誌や、マスコミなどで取り上げられていない」「商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄い」がゆえに、「今の段階で掲載するのはまずい」との判断を示されました。このときのBellcricket氏は、掲載・不掲載の判断基準を、「広く出版されている文学誌や、マスコミなどで取り上げられて」いるか否か、「商業誌とかそれなりの査読を経たもの」が有るか無いかに置かれていました。媒体が複数であることは基準に入れておられませんでした。これは、万人が容易に認めるところでしょう。ところで今、文芸誌以上に広く出版されている10万部の商業誌「週刊読書人」に、編集者の査読を経た可能涼介氏の本件言及記事が掲載されました。従って、Bellcricket氏が以前に示された判断基準に従う限り、本件が「世間の注目を浴びた」ものであり、「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」であることが証明されます。

証明2.次に、より一般的な証明を行います。Bellcricket氏の新たなご指摘である「重要」の意味に重点をおいたものです。Wikipedia:存命人物の伝記で「重要」という言葉は、例文を除けば、2回使用されています。1回目はWikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人で、内容は「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要(relevant)なもので、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう」です。2回目はBellcricket氏がご指摘のWikipedia:存命人物の伝記#評論家の意見で、「評論家の見解は、それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです」という記述です。

後者における「「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」の「重要」の意味は、まさしく著名人について規定した前者〔Wikipedia:存命人物の伝記の公人・著名人WP:WELLKNOWN 〕 から直接的に帰結します。即ち「本人の業績にとって重要(relevant)なもの」がその意味です。前者を後者に代入すれば「評論家の見解は、それが項目本人に著名性をもたらした業績に釣り合う重要(relevant)なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです」ということになります。

すなわち、「項目本人の著名性に釣り合う重要なもの」という文言は、「世間の注目を浴びた」(このような言葉は方針文書のどこにもありません)とパラフレーズすることはできず、「項目本人に著名性をもたらした業績に釣り合う重要(relevant)なもの」とパラフレーズするべきなのです。

川上未映子氏に著名性をもたらした業績は、その作家としての著作物です。そして、週刊読書人の可能涼介氏の記事は、川上氏に著名性をもたらした当の著作物に対する、「パクリ=アイデア盗用」の指摘でした。従って、まぎれもなく「重要(relevant)」なものであります。これで証明を終わります。--Akari-light 2011年9月22日 (木) 11:55 (UTC)

Akari-lightさんがおっしゃっていることは、よくわかります。そして、『週刊読書人』を持ち出された7月から現在に至るまでの決して短くない期間、同じ主張を繰り返されています。しかし、記載に足る合意は未だに得られておりません。すると、今後いくら同じことを繰り返しても、合意が得られる見込みは無いと言っても良いのではないでしょうか。皆様既にご存知のように、本件は記事の主題にとって明らかに批判的な内容であり、「Wikipedia:存命人物の伝記」に則って厳格な対応が求められております。記載は明確な合意が得られない限り認められません。それらを踏まえた上でお考えいただきたいのですが、Akari-lightさんは、このまま同様の主張を繰り返すことで、他の利用者にご自身の考えを理解していただくことができるのでしょうか。そろそろ、合意の可能性について考え直すべきではありませんか。--Bellcricket 2011年9月23日 (金) 11:20 (UTC)
上記コメントから分かり難かったので確認させて頂きたいのですが、少なくともBellcricketさんはAkari-lightさんの見解に同意し、合意されたということでよろしいのですか?--hal* 2011年9月26日 (月) 00:55 (UTC)
私は同意したつもりは全く無く、正直なぜそのような解釈をされるのか疑問です。そもそも、私一人Akari-rightさんに同意したことで状況は全く変わらないのに、そういった質問をする意図がわかりかねます。私は、議論に参加されている皆さんが納得できる結論が出れば、それが(方針に沿う限り)どういった形のものであっても、結構だと思っています。--Bellcricket 2011年9月26日 (月) 13:33 (UTC)
同意したつもりは全く無く」ということですか。承知しました。有難うございます。--hal* 2011年9月26日 (月) 17:59 (UTC)

Bellcricket氏へ確認をさせて頂きます。と申しますのはhal*氏とのやりとりを拝見して、Bellcricket氏が私の証明に対して、「 Akari-lightさんがおっしゃっていることは、よくわかります」と仰る一方で、「同意したつもりは全く無」いと仰っていることに少し驚いたからです。私は上述の証明1.で、Bellcricket氏からの問い、「私が以前申し上げた「『世間の注目を浴びた』ことの証明」ができているのでしょうか」にお答えしました。証明に対しては、論理的に正しいと認めるか(同意)、誤りを指摘するか(同意しない)の二種類の反応しかありえません。

Bellcricket氏は『世間の注目を浴びた』ことの証明コメントで、「商業誌とかそれなりの査読を経たものでもないと、「世間の注目」の根拠としては薄いのではないでしょうか。記事に書くべきで出来事であれば、本来はまず「世間の注目を浴びた」という根拠を先に示して、それを補強する意味で当人や評論家のブログ等を取り上げるという手順を取るべきです」とお書きになっていました。換言すれば、週刊読書人のような査読を経た商業誌に本件言及記事が掲載されたならば、それは「世間の注目」の根拠となり、さらにその記事を補強する意味で田中和生氏をはじめとする評論家のブログ等を取り上げる手順を取るべきである、というのが、Bellcricket氏が『世間の注目を浴びた』ことの証明コメントでお書きになっていたことです。私の上述の証明1.はまさにこのことを論証したものでした。

従って、Bellcricket氏の応答は、1)証明1.に同意をする、2)査読を経た商業誌が現れた途端に、『世間の注目を浴びた』ことの証明コメントを撤回し、さらに厳しい条件(複数の商業誌に掲載されるなどして、本件が文学界を席巻すること)を課す、の二通りしか論理的にはあり得ません。Bellcricket氏は、1)または2)のどちらの見解をお示しになりますか。合意形成のことは方法的に棚上げにして、純粋に論理的にお答え下さい。Bellcricket氏のお返事を合意形成のために援用しないことはお約束します。それでは、どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Akari-light 2011年9月27日 (火) 13:32 (UTC)

答えは1でも2でもありません。私が申し上げた意見を「たった一つでも商業誌で取り上げられた例を示せばそれで良い」と解釈されているのでしょうか。それは違います。様々な媒体で多数紹介されるほどの顕著な実績に対し、1誌が取り上げ、そしてそれ以上の広がりを示していない情報を、果たして「項目本人に著名性をもたらした業績に釣り合う重要(relevant)なもの」だと、世間が、認めてくれるものでしょうか。噛み砕いた言葉で説明すると、ウィキペディアは「この人は世間一般ではこのように思われている」ということを説明する場であり、「世の中ではほとんど知られていないけど、こういう事もある」というのを発信する場ではないのです。それが当人に否定的な内容なら、なおさらのことです。あなたは載せようとする情報を前者のものであると、記事を書く人、読む人に根拠を持って示さなければならない。そして、そのためにあなたが示した「根拠」は未だに受入れられたわけではない。その事実をそろそろご理解頂きたいのです。これ以上方針文の解釈や私の言葉に対して説明するつもりはありません。--Bellcricket 2011年9月29日 (木) 04:22 (UTC)

Bellcricket氏へ。お返事をありがとうございました。率直に申し上げて、Bellcricket氏のご回答から論理的整合性を感じることができませんでしたが、今はそれは措きましょう。「これ以上方針文の解釈や私の言葉に対して説明するつもりはありません」と仰っていますが、議論による合意形成を重視するはずのBellcricket氏が、こうした事実上の対話拒否を表明なさったことを遺憾に思います。しかしBellcricket氏の意思は尊重します。但し、どの範囲で「これ以上方針文の解釈や私の言葉に対して説明するつもり」がないのかを、明確にして頂きたく存じます。本ノートの議論から離脱なさるという意思表示でしょうか。あるいは議論には参加し続けながら、特定の論点については対話を拒否するという意味でしょうか。Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかを踏まえたうえでの質問です。ご回答を宜しくお願い申し上げます。--Akari-light 2011年9月30日 (金) 23:34 (UTC)

ごめんなさい

議論が長くてよく読めないのですが、こういうことですか。 「Aという作家のひとつの作品が『自分の作品のパクリだ』とBという作家が文句をいって、それをCやDが自分のブログで意見を述べていたが、査読のある紙面でEという人物が、『パクリというほどではないので問題ではない』と判断した」ということですよね。それなら、記事にするほどのことではないように思えます。篠原一のように、掲載誌編集部がコメントしたわけでもないのだし。

理解がちがっていたら、教えてください。その上で、また考えますが。 --ねこぱんだ会話2012年3月5日 (月) 23:23 (UTC)

いえ、記事にするしないの基準は過去ログ化された議論の中で一定の結論を得ていると思います。問題は、そうしたコミュニティの判断を無視して編集を強行する匿名ユーザーと、編集保護等の手段でこれを後押しする管理者、そして一貫した対話拒否の姿勢でしょう。これをやられると議論による解決の比ではない更なる労力が必要となるのでなかなか解決しがたいですね。--hal* 2012年3月11日 (日) 03:09 (UTC)
Bさん自身がエドガー・アラン・ポーの作品タイトルのパクリみたいなタイトルをつけていて、Aさんを批判するのも筋が通らない話だと思うのですがね。 --ねこぱんだ会話2012年3月27日 (火) 23:51 (UTC)
ですから、そうしたねこぱんださん個人の感想をこちらに投稿されてもwikipediaの記事には出来ないわけです。私が見る限りここまでの議論の流れでは、「記事にするなら個人の感想レベルのものではなくそれなりのメディアに掲載されたものでないと駄目ですね」「そうですね」「それもそうですね」としてまとまったのが過去の議論です。これを受けて、メディアに掲載された情報を加筆したところ管理者が保護をかけて納得せず、対話拒否して議論が頓挫してるというのが現状です。--hal* 2012年3月28日 (水) 15:42 (UTC)
Hal*さんは奇妙な言辞を弄されますね。2011年9月26日 (月) 17:59 (UTC)の時点でBellcricketさんから言質を取るような言動をされたあたりで、随分異なことをと思っておりましたが、Bellcricketさんの発言を、「管理者の一貫し」た「対話拒否の姿勢」だと捏造して、今更蒸し返されるからには、私もここでその発言に対して疑問を挟まざるをえません。後ろ足で砂をかけるような行為と呼んでも過言ではないのでは。あなたが卑怯なのは「私が見る限り」という言葉を付加することです。一般的な視点で主張を確認しようとせず、あなた個人の見方を説明しただけだと見るのならば、今頃になって「管理者」に対して上記の皮肉を述べられるのを慎まれたらどうでしょうか? 当然あなたは「あなたはそう見るのは勝手だが、そう見ない人もいる」という意見があることもお認めになるのですね。私はそれとは違う見方を持っている一人である、と明言しておきましょう。--カシス会話2012年3月29日 (木) 15:38 (UTC)
カシスさんがここですべきは、カシスさんの把握する限りにおいて議論の現状をねこばんださんに説明して差し上げることでしょう。また、私に対する奇妙、捏造、蒸し返す、後ろ足で砂をかける、卑劣、との敬意を欠いた発言に対して遺憾を表すると同時に撤回を求めます。--hal* 2012年3月29日 (木) 16:53 (UTC)

川上未映子氏の盗作盗用問題の概略をご説明します

ねこぱんだ氏へ。初めまして、Akari-lightと申します。「議論が長くてよく読めない」、「理解がちがっていたら、教えてください」とのことですので、当ノートにおける川上未映子氏の1.アイデア盗用問題の概略、2.盗作問題の概略、そして3.議論の経緯をご説明します。

1.アイデア盗用問題 この問題に関するねこぱんだ氏のご理解には、幾つかの事実誤認があります。正しくは、

「川上未映子氏の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は、津原泰水氏の「黄昏抜歯」からのパクリ(アイデア盗用)ではないかと一般読者からの指摘があり、田中和生氏[6]や石堂藍氏[7]、栗原裕一郎氏[8]らが自身のブログで専門家の見解を発表した。その後、査読のある発行部数10万部の専門誌「週刊読書人」にて、可能涼介氏が「川上未映子『わたくし率イン歯―、または世界』は、津原泰水『黄昏抜歯』のパクリである」との判断を下した」

というのが事実です。※各文芸評論専門家諸氏のご見解は、リンク先をご覧下さい。

2.盗作問題 これは、川上未映子氏が「月刊Songs」2003年10月号に発表したエッセイ「尾崎翠 第九感界彷徨」が、2001年5月13日付の日本海新聞に掲載された尾崎翠原作の映画評からの盗作であったという問題です。※詳しくは、川上未映子問題情報庫の資料ページ[9]をご参照下さい。

3.当ノートにおける議論の経緯 前回までの議論で、異論なく以下の合意形成がなされました。つまり、この条件に議論参加者全員が納得し、賛成したのです。

この議論は、2011年4月10日 (日) 11:09に提出した私の合意案「この件は存命中の人物に関するネガティヴな要素の記述である為、存命人物の伝記の方針に従い「保守的な判断」が必要となり、 よって出版社や新聞社などの公的な媒体、または当人による言及がなされていない現段階に於いては掲載は妥当ではない」で合意が形成されましたことをここにご報告します。--カラひらです2011年4月18日 (月) 18:39 (UTC)

この合意内容の対偶は「掲載が妥当なものとなるのは、出版社や新聞社などの公的な媒体または当人による言及がなされた段階に於いてである」です。そして、この合意告知に明記されている掲載のためのOR条件(AまたはBのどちらかを満たせばよい条件)である「出版社や新聞社などの公的な媒体による言及」は、週刊読書人の記事の公刊によって満たされています。対偶は常に真ですから、論理的かつ公正な討議運営が行われる限り、議論参加者全員が本件の掲載に賛成でなければならない、というのが現在の状況です。

以上、ご理解のお役に立てば幸いに存じます。--Akari-light会話2012年4月3日 (火) 11:41 (UTC)

奇妙な言い方に思われますね、akari-lightさんが引用されているのはからヒラですさんの見解だけでしょう。その発言を取り上げるかたちで、「異論なく以下の合意形成がなされました。つまり、この条件に議論参加者全員が納得し、賛成したのです」とするのは相当危うい、あるいはとんでもない暴論ではないでしょうか。私自身は、からヒラですさんとは別見解を持っております。
hal*さんとakari-lightさんは別個人としましても、過去の発言、しかも個人の意見を言質を取るように数ヵ月後に蒸し返すあたり、どうも不思議なことだと思われます。そういうやりかたはBellcricketさんにもからヒラさんにも非常に礼を失すると思われるのですが……。
ねこぱんださんもこの問題に関しては掲載を行いたいと思っている人々の意見だけではなく、それに対する反対意見にも注目していただきたく存じます。彼らは「掲載当然で話がまとまってる、それを阻止しているのが一部の利用者と管理者である」というような方向に話を持っていこうとしていることはこれまでの流れで明白でしょう。ですが、これはとんでもない言い方で、掲載当然ということにも話は到っていなければ、「管理者や一部の利用者」のせいでもありません。彼らが「確定」したといっていることは、利用者(Bellcricketさんも管理者というより、一利用者として発言していることは忘れていただきたくないことです)がそういう意見・見解を示した、ということにしか過ぎないのですから。反対意見がこないのをいいことに、自分の都合のいい方向に流れを捻じ曲げる、という意図がhal*さんとakari-lightさんの発言から感じられるので、そのことは言及して起きたいと思います。--カシス会話2012年4月4日 (水) 14:51 (UTC)

カシス氏へ。カシス氏の立論は、その根本的な論拠において誤っています。従って、その誤った論拠から発生している全てのご見解もまた誤りに陥っています。ここではカシス氏の立論の根本にある誤りを正す最小限の事柄を記すに留めましょう。それによって、自余のカシス氏のご見解も全て誤りであることが帰結されるでしょうから。※ポイントになる論点を太字で強調しておきます。

1.Wikipedianは議論による合意形成を最も尊重します。

2.カシス氏を含め、私たちは、2011年4月18日 (月) 18:39 (UTC)に、下記の合意に達しました

議論合意のお知らせ 2011年4月10日 (日) 11:09の私の合意案提出より、既に168時間以上が経過しております。 ご承知のように、合意形成に関するガイドラインでは「合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」とありますので、異論を出されなかった方に関しては、私の提案に同意して頂けたということになろうかと思います。有難うございました。またお一人異論を出されたAkari-light氏に関してですが、その異論に対する私の返答(2011年4月11日 (月) 17:47)から168時間以上お待ちしてもご返答がありませんでしたので、ガイドラインに基づき、こちらもまた同意して頂けたものと認識させて頂きます。 よってこの議論は、2011年4月10日 (日) 11:09に提出した私の合意案「この件は存命中の人物に関するネガティヴな要素の記述である為、存命人物の伝記の方針に従い「保守的な判断」が必要となり、 よって出版社や新聞社などの公的な媒体、または当人による言及がなされていない現段階に於いては掲載は妥当ではない」で合意が形成されましたことをここにご報告します。 膠着した議論の合意形成に向け、コメント依頼でご協力頂いたユーザーの皆さん、本当に有難うございました。 皆さんから頂いたコメントを軸に合意が形成されたことを喜ばしく思います。 またチェックユーザーの進行にご協力頂いたTiyoringo氏にも感謝致します。ありがとうございました。--カラひらです 2011年4月18日 (月) 18:39 (UTC)

3.カラひらです氏が上で述べている通り、カシス氏を含め、最終的に合意案に異論を出した議論参加者は一人もいませんでした。よって、上記引用文が合意決定事項です。

4.以上でカシス氏がご自身の立論の根本的な根拠として問題視していた私の発言、「前回までの議論で、異論なく以下の合意形成がなされました。つまり、この条件に議論参加者全員が納得し、賛成したのです」が、事態を正当に記述したものであったことが明らかになりました。即ち、カシス氏の立論の論拠が、根本的に誤ったものであることが証明されました。従って、自余のカシス氏のご見解も全て誤りであることが明白に帰結されます。--Akari-light会話2012年4月5日 (木) 12:29 (UTC)

「全て誤り」とは大きくでられたもので。果たして、その言が正しいのか、これまた「全くの誤り」ということになるのか、考察してみましょう。
まず、akari-lightさんが引用しておられる文章はからヒラですさんの引用であり、ですからからヒラですさん個人の見解の域を出ないものです。そこはあらかじめ強調しておくことにしましょうか。
続いて、カラひらさんの引用しておられる文章の典拠であるWikipedia:合意形成をよく確認します。

この文書はウィキペディア日本語版のガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、方針ではありません。必要に応じて編集することは可能ですが、大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。

以上強調された部分を読めば分かっていただけますね。からヒラですさんが引用されたのはどこでしょうか。再度確認しておきましょう、Wikipedia:合意形成です。従うことは推奨されますが、方針ほどの拘束力はない、場合によっては違う手段がとられてもかまわない、という項目であるように思われます。指定されている時間を超過した後でも、合意形成を後から否定することは、方針違反にはなりません
また「Wikipedianは議論による合意形成を最も尊重します」とういう発言も不用意なものであると私は考えます。Wikipedia:合意形成の箇所を参照していただければ分かります。

合意は編集者が他の編集者とどのように作業を行うかという方針の範囲の一部であり、同時にウィキペディアの五本の柱の4番目にある行動規範の一部

とありますが、先に申しましたとおり、Wikipedia:合意形成に関してはいまだ方針にはなっていません。つまり、「Wikipedianは議論による合意形成を最も尊重します」と言い切ることは不可能であるように思われます。
また、「合意形成」自体を不変のものとすることはWikipedia:合意形成をいくら読んでもならない。編集が行なわれる段になって、以前の合意形成を検討できる、という可能性が図示されています。このようにさまざまな読み取り方ができるものをakari-lightさんやhal* さんは杓子定規なものとしてしか捉えておられない。これはおかしな話でしょう。もとよりからヒラですさんの発言で「合意形成」がなされたものとはいえない、と主張してきましたが。
以上を持って、私はakari-lightさんの前提一、二、三の反証を行なったことになります。「即ち、カシス氏の立論の論拠が、根本的に誤ったものであることが証明されました。従って、自余のカシス氏のご見解も全て誤りであることが明白に帰結されます」という発言は「合意形成」の項目の拘束性の低さによって前提が崩れた以上、「全くの誤り」ということになるでしょう。重ねて前提四の反証も行なったことになりますね。--カシス会話2012年4月5日 (木) 13:53 (UTC)
場合によっては違う手段がとられてもかまわない」と仰いますが、ですから、カシスさんが考える限りにおいて、今「どんな場合」になってるというのですか。そうしてあなた以外のコミュニティ成員がガイドラインを覆してまでそれに対応しなければならない理路を説明してください。それで初めて「反証」でしょう。カシスさんが上記で述べているのは、単にAkari-lightさんの論理の前提条件を確認しているだけです。あなたは無視されていますが、前回私が「カシスさんの把握する限りにおいての状況」を説明せよと申したのはそうした前提に立ったものです。大切なことは他人の否定ではなく、他人を納得させるようなご自身の説を述べることです。また、前回の私への侮辱に対しては既に遺憾の意を表していますが、堂々と無視されるおつもりのようで残念です。これ以上の助け舟は出しません。--hal* 2012年4月6日 (金) 01:05 (UTC)
既に答えは示したというのに、まだお分かりになりませんか。場合によっては違う手段がとられてもかまわない、という言葉における場合とは、今のような状態、つまりあなたやakari-lightさんなどのような方が、過去に合意形成が行われたなどとしつこく言張っている、ただ今、この状態そのものでしょう。私は実際あなた方が通す無理に道理で突っ込んだだけの話です。私は他人を否定しているわけではありません。他人を否定する意見に対して、否定を申し立てているだけです。からヒラですさんやBellcricketさんの過去の発言を、このノートにおける創意、覆しようのない言葉であるかのように誤魔化すのその言い方に、違和感を覚えたというだけの話です。
あと、私のあなたに対する批判を「侮辱」と取り違えておられるのは、大変迷惑な話です。私はあなたに性格攻撃、個人攻撃をした訳ではなく、あなたの行動にいささか礼を失するものがある、と考えたからその行動を批判しただけの話です。そのことは何度も繰り返し主張しているつもりですが……。あなた個人に対する侮辱とはいかなる関わりもございません。--カシス会話2012年4月6日 (金) 12:54 (UTC)
上記カシスさんのコメントは「細部の編集」として追記されています。疑問です。また、過去に合意形成が行われた事が主張された現段階になって初めて「合意形成に関するガイドラインを無視すべき状態」になっているとする説明は矛盾してますね。直前の状態においてはガイドラインに従うべき状態であったと言うのならAkari-lightさんの論理の前提条件は充足されていることになります。それから、他者の行動にいささか礼を失するものがあると個人的に感じたくらいの根拠で卑怯だ何だと個人を罵る行動がwikipediaで認められるのだとすれば、罵りあいだらけになってしまいますね。私も良い大人なので笑えません。--hal* 2012年4月7日 (土) 12:14 (UTC)
「細部の編集」についてはこちらのケアレスミスでしたね。「細部の編集」ではない、と後からいい足しておきましょう。肝心の内容は私の言いたいことをまるで分かって頂けてないようです。私は「この場合」を今、この状態そのものだと説明しましたが、過去、そうではなかったとは一度も申しておりません。現在から今にいたるまで、このノートでの議論は「この場合」であったというのが私の意見であります。また、「過去に合意形成が行われたなどとしつこく言張っている」という文言に関しても、あなたは意味を取り違えておられるようです。これに関しては過去のことについてではなく、今現在のあなたおよびakari-lightさんの行動内容のことを指すことになります。
もちろん、行動行動内容は分けて考えられるべきものになります。行動というのは過去一連の中であなた、それよりも以前からakari-lightさんや掲載を当然であるかのように主張し続けている言動のことを指します。行動内容とはその行動の局面における一例、「過去に合意形成が行われたなどとしつこく言張っている」ということになります。
過去から現在に至る流れの中で、掲載を強行しようとしているのはakari-lightさんなのですから、この人物の主張が行なわれた部分終始は「この場合」になります。もとより、掲載反対の意向を示しておられ、しかも今回の件に関してコメントを挟まれてもいないからヒラですさんの過去の発言を利用して掲載を強行するというかねてからの行動をする、こういう人物が発言し続け、そしてあなたもそれに対して疑問を一切さし挟まれず、結果としてこの人物の意見と同調しておられるわけですから、「この場合」はなおも続いている、と見た方がよろしい。
ねこばんださんにも、他の方にも腹蔵なく私の意見を示しましょう。果たして、これでガイドラインに則って合意形成が過去行われた、と言えるでしょうか。からヒラですさんの過去の発言を言質に取り、それをもって掲載は可能であると主張している、そういう意味合いで合意形成のガイドラインを流用するようならば、おかしな話だと見るほうが妥当ではないでしょうか。私から言わせて貰えば、そのような不当が通っていいわけがありません。合意形成のガイドラインの時間経過のところを適応すべきではない。そしてそういう発言を行なったからヒラですさんの許可もなく、都合のいいように利用するべきではない。当然からヒラですさんの介入なく、議論を進めてもいいわけですが、その場合からヒラですさんの発言だけを取り出し、合意形成が行なわれたと見るのはアンフェアだ。
これは言わずもがなのことであえて主張するまでもないと思っておりましたが、「Akari-light」というアカウントは、川上未映子の記事とノート、あるいはそれに関する会話においてしか発言を行なっておりません。これはウィキペディア利用者というよりも「掲載を強行」することのみを目的として作られたアカウントと見る以外にありません。こういう人物がからヒラですさんの発言を利用し、掲載を強行する材料に使おうとすることを、私は断固弾劾します。また、重ねて言えば私は、hal*さんがBellcricketさんに対して行なった発言も弾劾の対象であるとみなしております。
hal*さんはご自身が被害者であるかのように言い立てられますが、全くの間違いです。最初から仕掛けてきたのはあなたではありませんか。あなたは私を含めた掲載反対の意見を述べている人物、それから管理者ではなく、一利用者としての発言を行なっておられたBellcricketさんに対して「編集を強行する匿名ユーザーと、編集保護等の手段でこれを後押しする管理者」という言葉を用いられました。そしてこれは全く事実ではない。まさか己が先に一回斬りつけておいて、二度斬り返されたから一方的に甚大な被害を蒙った、と仰るのしょうか。どう考えてもおかしな話です。先に私に対して、しかも全く事実ですらない挑発ともとれる仄めかしを行なったのはあなたの方ですから、私はそれに対して批判する権利を与えられるでしょう。
多少乱暴な言葉を使ったのは確かだとしても、先に仕掛けてきたのはあなただ。今回の件に関しては、私のおこなったことは反撃であって、先制攻撃ではない。お分かりいただけたでしょうか。--カシス会話2012年4月7日 (土) 15:17 (UTC)
すみません、仰ってる意味を理解いたしかねます。--hal* 2012年4月14日 (土) 23:22 (UTC)
私は読めば理解していただけるように書いたつもりです。それから余談ですが、Hal*さんの投稿記録をたまたま見ていて、2009年前後ぐらいから、Bellcricketさんの書き込んでいる場所に移動していって、批判的、あるいは反対する意見を多く書かれているのを見かけました。一度や二度なら気にはなりませんが、何度もこういうことが重なっておりますと、いささか奇妙な感じを覚えてしまいます。早い話が、そういうことは川上未映子のノート外、あるいはWikipedia以外のサイトでやっていただけないでしょうかということです。少なくともBellcricketさん個人に対するあなたの反感を、他のノートなどに引き写して語ることではない、と思われるのですが。Bellcricketさん個人ではない、その発言を批判しているのだ、とおっしゃられるかもしれませんが、批判の対象になるのが、Bellcricketさんの発言に集約されていることが多いのであれば、それは個人に対する批判と同等になります。そしてここはそういう個人の批判を書く場所ではない。つまりはそういうことです。--カシス会話2012年4月15日 (日) 04:43 (UTC)
どうも、奇妙なことが多くおありの方なのですね。ご希望に沿うことは出来ません。--hal* 2012年4月15日 (日) 13:16 (UTC)
そりゃそうですよ。この世の中は奇妙なことでいっぱいですからね。私ごときでも、奇妙なことにぶち当たって、日々驚き、呆れているということです。--カシス会話2012年4月15日 (日) 15:52 (UTC)