栗原裕一郎
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栗原 裕一郎(くりはら ゆういちろう、1965年9月28日[1] - )は、日本の評論家。
概要
[編集]神奈川県川崎市生まれ。小学校と中学校で登校拒否、東京都立日比谷高等学校中退、大検から駿台予備校を経て東京大学理科一類除籍。このため卒業式は一度も経験したことがないという[2]。『音楽誌が書かないJポップ批評』『ユリイカ』などで、文芸、音楽、美術などの多岐にわたるジャンルで執筆活動を行う。
2005年、小谷野敦・斎藤貴男との共著『禁煙ファシズムと戦う』(ベスト新書)を上梓。
2008年には大著『〈盗作〉の文学史』を新曜社から刊行し、第62回日本推理作家協会賞評論その他部門を受賞。
2009年1月から1年間『週刊読書人』に文芸雑誌の全作品の時評を連載。
2014年7月、『婦人公論』に「直撃!政界のドンは不遇な作家?」として石原慎太郎、豊崎由美との鼎談が掲載された。
1970年代歌謡曲を愛する。
政治思想
[編集]リベラル・文化左翼を批判している。
日本のリベラル派について「経済成長を政策としてまともに打ち出せているところがない」と批判。アベノミクス支持である[3]。
Twitterで、「文学に関わっていると、魂が汚れますのでね」「文学って、どこに、面白みとか楽しみを見出せばいいんでしょうか」「出版業界はすでに発狂して」いると批判[4][5]。『週刊新潮』2023年7月27日号の文芸時評で、『すばる』2023年8月号の特集「トランスジェンダーの物語」について「意識高い」と揶揄した上で、「販促のための特集」と批判した[6]。対して芥川賞作家の李琴峰はこの時評について、「個々の作品の本質に立ち入ることなく、「文芸評論」と呼べるような内容も一切書けずに、ただひたすら、自身の思想に合わない、自身の気に入らない記述をねちねち取り上げて、それに対する揚げ足取りに終始してい」ると批判した[7]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『〈盗作〉の文学史』(新曜社、2008年)
共著
[編集]- 『「腐っても」文学』(企画・共著、宝島社、2001年)
- 『音楽誌が書かないJポップ批評』(宝島社、2004年)
- 『禁煙ファシズムと戦う』(小谷野敦・斎藤貴男と共著、ベスト新書、2005年)
- 『村上春樹を音楽で読み解く』(監修、鈴木淳史・大谷能生・大和田俊之・藤井勉と共著、日本文芸社、2010年)
- 『本当の経済の話をしよう』(若田部昌澄と共著、ちくま新書、2012年)
- 『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美と共著、原書房、2013年)
- 『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(北田暁大・後藤和智と共著、イースト新書、2017年)
- 『村上春樹の100曲』(鈴木淳史・大谷能生・大和田俊之・藤井勉と共著、立東舎、2018年)
- 『ニッポンの音楽批評150年100冊』(大谷能生と共著、立東舎、2021年)
関連人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 『すばる』2015年7月、執筆者紹介
- ^ おまえにハートブレイク☆オーバードライブ 2007-04-26 ■斉藤由貴「卒業」
- ^ いろいろ変わっちゃったから、もう一度本当の経済の話をしよう――『本当の経済の話をしよう』刊行一周年記念/若田部昌澄×栗原裕一郎 - SYNODOS
- ^ “バンクーバー編⑥ 日本でクィアを書くということ(講演録)|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行|かしわもち 柏書房のwebマガジン”. note(ノート) (2024年11月8日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ 『言霊の幸う国で』筑摩書房、481頁。
- ^ “『すばる』のトランスジェンダー特集がぬるすぎる | ニュース”. Book Bang -ブックバン-. 2024年12月2日閲覧。
- ^ “バンクーバー編⑥ 日本でクィアを書くということ(講演録)|虹はいまだ旅の途上——李琴峰のクィア的紀行|かしわもち 柏書房のwebマガジン”. note(ノート) (2024年11月8日). 2024年12月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- おまえにハートブレイク☆オーバードライブ - 公式ブログ(旧ブログ。現在はプライベートモード)
- 栗原裕一郎 (@y_kurihara) - X(旧Twitter)