ノート:少数民族/過去の議論1、2005年10月27日から2007年4月27日まで。
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琉球民族
[編集]主要民族以外じゃないですか。主要3民族とその他の少数民族とか。 Zorac 2005年10月27日 (木) 15:20 (UTC)
「住民の合意を得てない」という表現および「一定存在」という表現は、琉球民族を認識している集団がごく一部であると読み手に誤解を招く恐れがあるため、削除しました。 Htk5346 2006年9月22日 (金) 12:05 (UTC)
だって、極一部です。そう言えば、回覧も来てないし、そんな集会のお誘いもないね--61.199.119.109 2006年9月22日 (金) 12:04 (UTC)
- でも、以前に国連の先住民族会議に沖縄県が正式に代表送ってませんか?--Ks 2006年9月22日 (金) 12:33 (UTC)
- 沖縄県と言うより、確か沖縄県民の代表を名乗った市民団体では無いですかね。この件は自信が無いので調べます。--61.199.119.109 2006年9月22日 (金) 12:49 (UTC)
日本の少数民族に、「琉球民族(別民族との主張は、必ずしも住民の賛同合意を得ていないが、このように見なす立場は一定存在する)」とあります。
- 「別民族との主張は、必ずしも住民の賛同合意を得ていない」は、日本語の表現として不適切です。まず、「何民族と別民族なのか」が明確でありません。次に、「必ずしも住民の賛同合意を得ていない」は事実に反します。少なくとも自らをヤマトンチュではないウチナンチュと認識しています。仮に賛同合意を得ていないのなら、琉球民族認識に対する反対運動が起こっています。
- また、「このように見なす立場は一定存在する」という表現は、読み手に対して少数意見であるかのような印象を与えます。「沖縄民族」、「琉球人」、「ウチナンチュ」など、様々な呼称はあるにせよ、「琉球民族」という概念は一般的だと思います。
このことから、ノートで合意が得られるまで、ただ単に「琉球民族」とだけ表記すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
(追伸)まともに議論したいのであれば、動的IPアドレスではなくアカウントを取得して下さい。 --Htk5346 2006年9月22日 (金) 16:58 (UTC)
- 沖縄の人は、自分たちをウチナンチュであって、ヤマトンチュではないと意識していると思います。しかし、「あなた方は琉球民族か」と問われた場合、「そうだ」と答える人は多くないと思うんですよ。多分、ウチナンチュという存在を独立民族とみなしているかどうかという問題、本土に対して別民族であると言い切れるかどうか(文化の差異の問題ではなく、意識や、取り分け気持ちの点で)、そう言った部分に悩ましいものを沢山抱えていらっしゃるはず。ある意味で、琉球民族である、と言い切るのは、そこに土足で踏み込む行為です。そう言った部分への配慮も必要だと思うんですよ。親戚にウチナンチュがいるものよりの発言です。私自身は独立民族とみなすのは無理が無い事とは思ってますけどね。--Ks 2006年9月22日 (金) 23:11 (UTC)
- Htk5346氏は、「ウチナンチュ」が誰を表すか、それすら理解出来てない。Ksさん、ありがとうございます。--61.207.206.148 2006年9月23日 (土) 11:28 (UTC)
保護解除について
[編集]横槍ですみません。保護解除依頼が出ていますが、保護の原因となった編集合戦の対立点「琉球民族」についてどう記述するか合意されているのでしょうか?--Iosif 2006年11月26日 (日) 21:48 (UTC)
- 書き込み、有難うございます。編集合戦から2ヶ月ほどたち、冷却期間過ぎたかなとの自己判断で解除依頼を出したのですが、初めての依頼でしたので少々軽率でした。「琉球民族」に付きましては注記の問題なので、私は現状のままで良いと思います。Iosifさんのご意見も承りたく、よろしくお願いします。--SSST 2006年11月26日 (日) 22:08 (UTC)
- ご丁寧に、ありがとうございますm(_ _)m。この件について私には見識などないのはもちろん、基礎的な知識も欠けている気がするので文案がすぐ浮かばないのですが、履歴を見るかぎり、真っ向対立であったと思います。かたや「琉球民族」というものがあることを前提にして「沖縄県内では琉球民族が多数だ」と(琉球民族の存在を前提にするなら)ほとんど当たり前のことを書いている。かたや「別民族との主張は、必ずしも住民の賛同合意を得ていない」と断言したうえで「別民族とみなす見方も存在する」としている。で、片方が必ずしも「荒らし」であったようにも見えませんでした。この問題に詳しい方のコメントを募るかしないとどうにもならないと思うのですが、誰も現れない場合には、暫定的に対立両者の両論併記しかないと思います(もちろん、対立するユーザー両者の両論併記ってすごーくおかしいですが。そんなものはWikipediaが推奨する「両論併記」とはまったく違うものですが)。出勤しますので、つづきはしばらく後にしたためます。--Iosif 2006年11月26日 (日) 23:58 (UTC)
再度、保護解除のご意見をお願いします。反対意見が無ければ、一週間後に保護解除依頼を出します。--SSST 2007年1月7日 (日) 13:15 (UTC)
- ちょっと戸惑っております。以前発言したとおり(続きを描くとか書いてて忘れていました!ごめんなさい)対立が原因で保護されているのなら、対立点についてどのように解消するのかの文案が必要であろうと思います。保護解除後にどのように編集しようとなさっているのでしょうか?。昨年11月には、私も「両論併記が良いのでは」と書きましたが、たしかにいまいちかみ合っていない対立でもあったと思います。いちおう編集合戦の内容を書き出します。日本の少数民族として琉球民族を挙げる箇所で以下の2つの解説でリバートしあっていたわけですよね。
- ▼1つ目は、根拠なく断言した文章であると思います。世論調査でもあるのかどうなのか、世論調査があったとして時期による違いを踏まえているのかという点で疑問が残ります。現行の表現では、琉球民族が別民族であるとする立場を明らかに劣位に置くものに思えます。また、常識的に考えても、「ウチナンチュ」「ヤマトンチュ」の語が存在していながら「沖縄住民は別の民族であるとは賛同合意していない」と書くのは単に事実を把握するうえで矛盾をはらんでいると思います。▼かといって、2つ目の文章は私にとって単に意味不明です。琉球民族が沖縄県民の多数を占めていると書いているのか(当たり前といえば当たり前すぎる)、沖縄県民の間では琉球民族が大和とは別の民族であると観念している人が多いと書いているのか、さっぱりわかりません。▼私は、1つ目の記述から丸括弧内の補足文を(編集合戦の種になるなら)まるごと削ってもいいんじゃないかと思います。リンク先で論じれば良いことではないかと思うからです。▼しかし、リンク先で何を書こうと、列挙しているかぎり「琉球民族という少数民族が存在するという認識を支持している記事になる」ということでしたら、「琉球民族(日本民族と別の民族であると捉えるか否かについて議論が分かれている」と書くにとどめるべきだと思います。この方向であれば保護解除に賛成します。他の方向であれば意見を保留しつつ、解除すべきか否かの判断材料として保護解除後は現行の注記を削除し上記のように書き換えたいと考えていることを先にしたためておきます。--Iosif 2007年1月11日 (木) 19:30 (UTC)
- こんにちは。Iosif様のご提案文は、琉球民族の冒頭文に準拠した文章ですね、これならば特に異存は御座いません。
- あと、Iosif様の「ウチナンチュ」の認識が気に為ったので、念の為書きます。先ず、「ウチナンチュ」とは本来「沖縄本島(ウチナー)の人(チュ)」を意味しますが、現在は「沖縄県の人」の意味でも使われています。出身を表し、「大和(ヤマトン)の人(チュ)」も同じ用法です。また、奄美諸島では「アマミッチュ」などを使い、「ウチナンチュ」は自称でも他称でも使いません。結局のところ、全体を表していない言葉(奄美を抜けば全体ですが)を自称とするのは、沖縄本島だけしか見ていない(見れない)方々が広めた、誤解だと思います。--SSST 2007年1月12日 (金) 12:12 (UTC)
- 誤認でした。ご教示ありがとうございました。奄美出身の友人が沖縄本島を琉球と呼んで反感を表明していた思い出から、驚かれると思いますが勝手に奄美を除外してイメージしてしまう癖がありました(以下ボヤキ:癖というのはタチが悪くて、誤認を指摘されても、最初に抱いたイメージを前提としてしまうことがときどきあります)。--Iosif 2007年1月13日 (土) 16:03 (UTC)
では、Iosif様の文(日本民族と別の民族であると捉えるか否かについて議論が分かれている)で合意として、解除依頼を提出します。--SSST 2007年1月14日 (日) 00:59 (UTC)
- 了解しました。本当は、上の節で発言なさっている方々のうち一人二人でも合意確認できたほうがいいのでは?というつもりで口を挟んだのですが、よく見ると編集合戦の一方の当事者が活動なさっていないようですし、かまわないのではないかという気がしてきていました。SSSTさんにはお手数をおかけしました。お詫びとお礼を申し上げます。--Iosif 2007年1月14日 (日) 18:12 (UTC)--それと、できれば「様」づけはご遠慮いただけますと幸いです。以前は「さん」づけで呼ばれていたので、深読みを誘われてしまいます。--Iosif 2007年1月14日 (日) 18:21 (UTC)
- はいIosifさん、こちらこそ有難うございました。--SSST 2007年1月14日 (日) 21:32 (UTC)
韓国人が日本の少数民族であるとの主張の削除について
[編集]以下引用
日本国外由来で多いのは、朝鮮人(韓国人)、中国人などである。彼らの多くは、本国籍を有し日本国籍を持たないが、日本に定着し世代を重ねて生活していると言う点においては、表面上日本人と変わらないケースもある。そのため、日本における少数民族と呼べるとの意見もある。
引用終わり
このような主張がまかりとおるのであれば、日本人はブラジルやアメリカの少数民族ですねw --ちとせ 2007年1月16日 (火) 12:24 (UTC)
- 申し訳ない、私が馬鹿なのかわからないが、ちとせ様の主張が全く理解できません。>日本人はブラジルやアメリカの少数民族<と考えられる理由をもう少しかみ砕いて説明していただけませんか?--Ks 2007年1月16日 (火) 12:29 (UTC)
日本人もアメリカやブラジルにたくさん移民していますよ?これを少数民族と呼ぶのでしょうか?当然呼びませんね。--ちとせ 2007年1月18日 (木) 08:09 (UTC)
- ブラジルやアメリカにおいて異民族と言われていて不思議はありません。少数民族と言われるかどうかは国の問題ですから話は別かと。それに、その分は在日朝鮮人を少数民族だと言っているのではありません。そう見る立場もあると言っているのです。いずれにせよ、削除はここで議論して全体の同意を得てからにしていただきたいと思います。--Ks 2007年1月18日 (木) 08:36 (UTC)
少数民族と言われるかどうかは国の問題ですから話は別。と言う主張は貴方のごまかしです。貴方ですらそれは少数民族とは呼ばないと認めていますね。それとも、貴方は日本だけが少数民族の定義が異なると主張されたいのでしょうか?この文章は、在日朝鮮人を少数民族だと言っているのではありませんと言う貴方の主張も嘘です。この文章は、朝鮮人は、日本における少数民族と呼べると言っています。全体の同意を得なければ、間違っている項目を削除できないというルールはwikipediaには存在しません。--ちとせ 2007年1月18日 (木) 08:46 (UTC)
もし掲載されたいようであれば、せめて韓国人は、日本の少数民族であるという主張の出典を提示してそれによる主張と言う文章に変更してください。そのような形であるなら掲載しても問題は無いと思います。--ちとせ 2007年1月18日 (木) 08:54 (UTC)
- ごまかし云々はともかく、ここでは日本の話をしています。それから、<この文章は、朝鮮人は、日本における少数民族と呼べると言っています。>というのは、どう見てもおかしいです。最後に「との意見もある」とある以上、事実の主張ではないです。ちなみに、それを削除なさるなら、そのような意見が存在しないことを示してくださるのが筋ではないかと。最後に、<間違っている項目を削除できないというルールはwikipediaには存在しません>もどうでしょう。事実関係ならともかく、議論の分かれる判断の場合、ノートで議論してから記述を考えるのは筋だと思っていましたが。--Ks 2007年1月18日 (木) 09:02 (UTC)
- 横から済みません。原子炉調べに来て目についたので。記載できるかどうかは、信頼ある著作に基づいているかどうかなんですよね。日本における朝鮮少数民族―1904-1950年という本がありまして、著者はEdward Wagnerという外国の方なのですが、翻訳を日本外務省がやっているわけです。外務省のこの本に対する姿勢は不明ですが、とりあえず無視できない本だ考えてたということは言えると思います。このような本がある以上、在日の方々を少数民族としてみる観点もあるということは否定できないのではないでしょうか。つまり編集するなら、少数民族として見る見方を紹介し、そうではないという意見をお持ちでしたら、それを唱える著作をノートで紹介し加筆するべきかと。またノートで合意してからの方が良いとも思います。以上通りすがりの者の感想です。--218.41.208.246 2007年1月18日 (木) 09:16 (UTC)
- 218.41.208.246 様(お名前はわかりませんが)、貴重な情報提供、ありがとうございます。--Ks 2007年1月18日 (木) 09:20 (UTC)
- その本については読んだことはありませんが、その本の記述によるものとしてこれらの本はこう主張していると書くのは全く問題が無いと思います。一方で本の題名を根拠として、韓国人は日本の少数民族だと主張されるのはちょっと難しいですね。韓国人は日本の少数民族だと主張しているこの本があると、内容を確認してから書くのは問題無いと思いますよ。--ちとせ 2007年1月18日 (木) 10:06 (UTC)
- 218.41.208.246 様(お名前はわかりませんが)、貴重な情報提供、ありがとうございます。--Ks 2007年1月18日 (木) 09:20 (UTC)
- 横から済みません。原子炉調べに来て目についたので。記載できるかどうかは、信頼ある著作に基づいているかどうかなんですよね。日本における朝鮮少数民族―1904-1950年という本がありまして、著者はEdward Wagnerという外国の方なのですが、翻訳を日本外務省がやっているわけです。外務省のこの本に対する姿勢は不明ですが、とりあえず無視できない本だ考えてたということは言えると思います。このような本がある以上、在日の方々を少数民族としてみる観点もあるということは否定できないのではないでしょうか。つまり編集するなら、少数民族として見る見方を紹介し、そうではないという意見をお持ちでしたら、それを唱える著作をノートで紹介し加筆するべきかと。またノートで合意してからの方が良いとも思います。以上通りすがりの者の感想です。--218.41.208.246 2007年1月18日 (木) 09:16 (UTC)
googleで調べてみると、このような本らしいですね。
連合国総司令部(GHQ)の担当官として終戦直後の日本に駐留し、後にハーバード大学教授となったエドワード・ワグナー(朝鮮史)は、『日本における朝鮮少数民族』(原著1951年)という論文で次のように記している。
『戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。数においては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団である。かれらは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものとし、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に非常な混乱をおこした。』
--ちとせ 2007年1月18日 (木) 10:19 (UTC)
この本の題名は、日本における朝鮮少数民族―1904-1950年です。つまり、1904年以降、朝鮮半島が日本の正式な領土である時代においては、朝鮮人は朝鮮半島の先住民族でありますから、朝鮮半島を含む日本という多民族国家においては朝鮮人は少数民族ということになるのでしょうね。
--ちとせ 2007年1月18日 (木) 10:32 (UTC)
話を戻しますが、Ks様の誤った主張について指摘したいと思います。
以下引用 それから、<この文章は、朝鮮人は、日本における少数民族と呼べると言っています。>というのは、どう見てもおかしいです。最後に「との意見もある」とある以上、事実の主張ではないです。ちなみに、それを削除なさるなら、そのような意見が存在しないことを示してくださるのが筋ではないかと。 引用終わり
最後に「との意見もある」とある以上、事実の主張ではないです。意見だから記述しても良いという主張は、wikipediaの基本的なルール「この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな」に反しています。Wikipedia:中立的な観点
wikipediaの基本的なルールをもう一度良くお読みになり、きちんと理解された上で編集されることをお薦めします。
そのような意見が存在しないことを示してくださるのが筋 > 存在しないことを証明しろというのは誤りです。、ある事象が存在しないことを証明せよというのは、「悪魔の証明」と呼ばれ、無理難題の一つです。詳しくはリンク先をご覧ください。 --ちとせ 2007年1月18日 (木) 10:50 (UTC)
- ご意見はまとめてから投稿願います。こちらの反応が難しいもので。悪魔の証明の件は確かに申し訳ない表現でした。しかし、流れというものを把握した上で、ご意見願います。この項はちょっと前まで保護されていました。これは、ちとせ様が問題にしていらっしゃる部分も含め、もめたからですね。そして保護の間に議論が進んで、琉球関連については合意に達したため、保護が解除になったわけです。その間、ちとせ様が問題にしていらっしゃる文については異論が出ていましたが、一応納得に達した状況だったように思います。もちろん、そこをあらためて問題にするのはありですが、議論抜きに削除なさるのは、このような流れから見ても乱暴だと思うんですよ。その点はいかがでしょうか?
- それと、ちゃんとした証拠はすぐに出せる能力はないですが、たとえばgoogleで「在日 少数民族」とやると、結構たくさんヒットしましたね。中には「在日朝鮮人を少数民族と見るべきではない」という議論があったり、これなど、そもそもそういう論がなければ書かれるはずがないので、間接的にそのような論が存在することの裏付けにはなるのでしょうね。だからあるのは確かだと思います。ちゃんとしたのはまたあらためて。--Ks 2007年1月18日 (木) 11:05 (UTC)
- 在日韓国・朝鮮人と少数民族に関する言及
- 現在の社会学では少数民族といわず、マイノリティと表現することが多い。
- 「マイノリティである在日の場合ならば、形だけの帰化にとどまらず・・・」(駒井洋編『講座外国人定住問題第二巻 定住化する外国人』明石書店、1995,151頁)
- 「在日朝鮮人(「在日」)は日本のマイノリティであるが、・・・」(尹健次「二十一世紀の「在日」のアイデンティティ」、中央大学人文科学研究所編『民族問題とアイデンティティ』中央大学出版部、2001、23頁)
- 「1999年末現在、在日コリアン・マイノリティの人口は、韓国籍・朝鮮籍者と日本国籍者を合わせて約95万人と推算される」(在日韓国人問題研究所編『あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約第九条に基づく日本政府第一・二回報告書審議に向けた在日コリアン・マイノリティの権利に関する合同NGOレポート』2001)
- 未見ながら、岡本雅享「少数民族ー日本におけるマイノリティの概念」(『法学セミナー』536号、1999)に在日韓国人についての言及有りとのこと(伝聞)
- ネットで簡単に確認できる例としては[ネットで百科@Homeのご案内]があり、そこで少数民族を検索してみればよい。末尾にて日本の少数民族としてアイヌ民族や在日華僑を挙げ、同時に在日朝鮮人にも言及している。--218.221.228.83 2007年1月20日 (土) 10:02 (UTC)
- 資料ありがとうございます。
- 私も朝鮮民族を日本の少数民族(エスニック・マイノリティ)とみなすほうが社会学や人類学では普通の立場ではないかと思います。もちろんある民族が少数民族かどうかという判断は、政治的な立場の表明でもありえ、反対をする方がいることは理解できるのですが。
- Google で "エスニック・マイノリティ 日本 朝鮮"を検索語にして調べると、12,400 件hitします。そのなかには、東大出版会等、アカデミズムの立場から書かれたものも多く存在するということを付言しておきます。--Aphaia 2007年1月20日 (土) 10:09 (UTC)
- そうですか。マイノリティについて記述されたいのであれば、こちらではなく、社会的少数者(マイノリティー)という項目がございますので、そちらに記入してください。--ちとせ 2007年1月21日 (日) 13:38 (UTC)
- それもありですね。少数民族も社会的少数者ではありますし。でも、それはここに書いてはならない理由にはならないでしょうね。--Ks 2007年1月21日 (日) 13:42 (UTC)
- そうですか。マイノリティについて記述されたいのであれば、こちらではなく、社会的少数者(マイノリティー)という項目がございますので、そちらに記入してください。--ちとせ 2007年1月21日 (日) 13:38 (UTC)
Ksさんに同感です。エスニックマイノリティは、民族的社会的少数者とは普通訳さず、少数民族と訳すものだと理解しています。
まあ、少数民族をエスニック・マイノリティに移動するということもあるとおもいますが、字数が増えるだけで、メリットがないように思います。
ところで、上に挙げた「朝鮮民族は日本における代表的なエスニックマイノリティである」という論点自体は、もう誰によっても争われていないという理解でよろしいでしょうか?--Aphaia 2007年1月21日 (日) 17:34 (UTC)
もう一度判りやすく説明いたしますが、マイノリティと少数民族は、同じ意味ではありません。 判りやすい例を挙げれば、アメリカにおける日系人はマイノリティですが、日本人はアメリカの少数民族ではありません。 また、日本におけるアメリカ人も、マイノリティではありますが、アメリカ人は日本の少数民族ではありません。
これをあくまで朝鮮民族を日本の少数民族であると強弁するのであれば、アメリカ人もブラジル人も、イラン人も日本の少数民族ということになりますね。
そういった解釈でよろしいのでしょうか? --ちとせ 2007年1月22日 (月) 11:52 (UTC)
- 確かに、マイノリティは少数派であって少数民族ではありませんね。しかし、Aphaia様はマイノリティではなく、エスニック・マイノリティとおっしゃっています。その差をご確認ください。それから、たとえばブラジルの日系人は、ブラジルにおける1つの民族ではありましょう。しかし、もしかしたら結構発言力があって、少数民族とは言い難いかも知れません。逆に、日本のアメリカ人は数がいるかも知れませんが、あまりまとまった集団としては存在しないかも知れません。それだったら国内の少数民族とは見なしがたいかも知れない。しかし、いずれの場合もその国の中の1つの民族ではありますよね。ですから、それを少数民族と見なす考えはあり得ると思います。あとは、それがどの程度重要な問題であるかの差ではないでしょうか。--Ks 2007年1月22日 (月) 12:28 (UTC)
やれやれ、朝鮮民族だけが日本における特別に重要な問題であって、他の民族は重要な問題ではないと仰るのですか?
朝鮮民族だけが特別に日本の少数民族であるという御判断ならば、それはずいぶんな政治的な立場の表明ですねw
そんな中立性の無い記述を強要されるのでしょうか?
もう一度言わせていただくなら、日系人は、アメリカのエスニックマイノリティです。一方で日本人は、アメリカの少数民族ではありませんよ?
--ちとせ 2007年1月22日 (月) 12:56 (UTC)
- そう言うふうに読み取れたとしたら、言葉足らずでした。重要性云々は、たとえばブラジルの日系人を少数民族扱いするかどうか、日本のアメリカ系住民を少数民族問題として取り上げるかどうかの部分です。多分、どちらもそのような問題は少ないと思うんで(自信はないが)、もちろんそれに比べたら日本の朝鮮民族の問題が大きいでしょうね。でも、最重要だと言った憶えはありません。その範囲でご意見を伺いたいですね。--Ks 2007年1月22日 (月) 14:05 (UTC)
- 在日外国人の記述、復元させました。元もとそのような見方が存在するのか否か、が問題になっていたわけで、そのこと自体はここまでの議論で明らかになったと思います。そのような見方が存在すればいいので、その内容が正しいと見るべきかどうかは問題ではないと思います。文章そのものも断定するものではない形ですし。--Ks 2007年1月23日 (火) 11:39 (UTC)
- 在日外国人が少数民族であるという説は間違っていますので申し訳ありませんが削除させていただきます。在日外国人が少数民族であるという根拠を提示された上で復元されるのであれば、復元しても全く問題はありません。--ちとせ 2007年1月23日 (火) 13:28 (UTC)
在日外国人のなかで、朝鮮民族だけが特別に日本の少数民族であるという政治的な立場を、wikipediaにおいて主張されるのはwikipediaのルールに反した行為ですのでお止めください。
--ちとせ 2007年1月23日 (火) 13:35 (UTC)
- 困りましたね。在日外国人が少数民族であるという見解が存在することはこれまでの議論で明らかです。それはある立場からは間違いかも知れませんが、結構多くの人が認める見解でもありますから、それを書いたわけです。ですから、どうしてもこれを書くのは許せないのであれば、あちこちでそのような見解を書いている人を全て説き伏せてからにしていただきたいと思います。それから、別に朝鮮民族だけを特別扱いしてはおりません。現に、中国人も書いています。何なら、日系ブラジル人等も書き加えてもいいと思います。
- あらためて言いますが、ちとせ様は在日韓国人を少数民族とする見解が存在するという文章に対して、それが存在するなら証拠を示すように要求されました。私は具体的に上げることができませんでしたが、218.221.228.83様などが具体的に例示して下さいました。したがって、この文章その物が事実であることが確認された以上、ちとせ様の要求は事実に反することが確認されたわけです。それに基づいて文章を戻したのですから、これ以上論議の余地はないと思います。--Ks 2007年1月23日 (火) 14:30 (UTC)
218.221.228.83様の主張される本によると、戦前、朝鮮半島が日本の正当な領土であった時代は、先住民族である朝鮮人は日本の少数民族でした。そのとおりだと思います。一方で戦後においては、朝鮮半島は日本の正当な領土ではありませんので、218.221.228.83様などが具体的に例示した物は、戦前の韓国人は日本の少数民族であったという根拠にしかなりません。またそのような記述なら妥当ですので、そのように訂正させていただきます。--ちとせ 2007年1月23日 (火) 14:44 (UTC)
- それは218.41.208.246様の提示して下さったものです。218.221.228.83様などのものは現在の状況に即したものです。ちゃんと読んでから反論して下さいね。--Ks 2007年1月23日 (火) 14:57 (UTC)
- ちなみに、ちとせ様の今回の加筆の脈絡で言えば、当時は台湾も日本の領土でしたから、中国人や高砂族など、さらに多くの少数民族を抱えていたことになりますね。その中で朝鮮民族のみを取り上げると言うのは、それだけ朝鮮民族を重視する視点をお持ちだからですか?--Ks 2007年1月23日 (火) 15:03 (UTC)
朝鮮民族のみを取り上げる理由は、この本の題名が、日本における朝鮮少数民族―1904-1950年だからです。あと、ネットソースはソースにならないので、最初から主張しているとおり、広辞苑でもなんでも良いですから、この本によれば、このような説があると書名を併記して掲載するならば何の異議もありませんよ。--ちとせ 2007年1月23日 (火) 15:20 (UTC)
- それはおかしい、ちとせ様の言及は明らかに当時朝鮮半島にいた朝鮮人を対象に述べているように見えます。とすれば、当時日本領であった他の民族に言及するのが筋ですし、もし現在の日本のことであれば、それはちとせ様が朝鮮民族が日本に今も存在することをお認めになったものと考えられます。ソースに関しては、もう少し多くの例を上で挙げてくださってますが、気がつきませんでしたか?あらためて言いますが218.221.228.83様の文です。ちとせ様が見ていられるのは218.41.208.246様の方だけですか?そもそもここに歴史的記述が紛れ込むのが変ですね。何でしたら、日本と少数民族の歴史とか作りますか?私は特に必要とは思わないんですが。--Ks 2007年1月24日 (水) 06:17 (UTC)
当時日本領であった他の民族に言及したいのであれば、同じように資料を示して言及されるのであればどうぞご自由に。 貴方の誤りを指摘するなら、私は朝鮮民族が日本に今も存在することは初めから否定していませんよ?朝鮮民族が日本の少数民族ではないと主張しているだけです。
もう一度言わせていただくなら、日系人は、アメリカのエスニックマイノリティです。一方で日本人は、アメリカの少数民族ではありませんよ?
--ちとせ 2007年1月24日 (水) 14:20 (UTC)
- 「他の民族に言及したいのであれば」私はいらないと思うともいってますが。日系人か日本人かは名称の問題で、アメリカ(等)にいる日本人の子孫を日系人というわけですね。同様に、朝鮮には大多数の朝鮮民族の人がいますが、そこの出身者、あるいはその子孫が日本にもいて、今問題にしているのは当然その人々ですね。であれば、いちいち日系人を持ちだす意味が私にはわかりません。改めて言います。218.221.228.83様の書き込まれた文をお読み下さい。それに対しては再三言っているのにお答えがないのが実に不思議です。--Ks 2007年1月24日 (水) 14:42 (UTC)
それに対しては再三答えさせていただきますが、ネットソースはソースにならないので、最初から主張しているとおり、広辞苑でもなんでも良いですから、この本によれば、このような説があると書名を併記して掲載するならば何の異議もありませんよ。ネットソースで在日問題を書いてよいのなら、流言飛語だらけになってしまいますよ。--ちとせ 2007年1月25日 (木) 13:39 (UTC)
- 本当に読んでますか?私が確認したわけではないからアレですけど、書籍名が示されてますよ。申し訳ないがここへコピーしますね。218.221.228.83様申し訳ありません。
- 在日韓国・朝鮮人と少数民族に関する言及
- 現在の社会学では少数民族といわず、マイノリティと表現することが多い。
- 「マイノリティである在日の場合ならば、形だけの帰化にとどまらず・・・」(駒井洋編『講座外国人定住問題第二巻 定住化する外国人』明石書店、1995,151頁)
- 「在日朝鮮人(「在日」)は日本のマイノリティであるが、・・・」(尹健次「二十一世紀の「在日」のアイデンティティ」、中央大学人文科学研究所編『民族問題とアイデンティティ』中央大学出版部、2001、23頁)
- 「1999年末現在、在日コリアン・マイノリティの人口は、韓国籍・朝鮮籍者と日本国籍者を合わせて約95万人と推算される」(在日韓国人問題研究所編『あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約第九条に基づく日本政府第一・二回報告書審議に向けた在日コリアン・マイノリティの権利に関する合同NGOレポート』2001)
- 未見ながら、岡本雅享「少数民族ー日本におけるマイノリティの概念」(『法学セミナー』536号、1999)に在日韓国人についての言及有りとのこと(伝聞)
- だそうです。--Ks 2007年1月25日 (木) 14:27 (UTC)
- そうですか。マイノリティについて記述されたいのであれば、こちらではなく、社会的少数者(マイノリティー)という項目がございますので、そちらに記入してください。--ちとせ 2007年1月25日 (木) 14:44 (UTC)
- そのやり取りは以前にも行ないましたが、お忘れですか?要するに、これ以上論ずべきことはない、ということですね。それでは、記述を元に戻しますので、これ以上のいたずらは止めて下さい。--Ks 2007年1月26日 (金) 01:50 (UTC)
- そうですか。マイノリティについて記述されたいのであれば、こちらではなく、社会的少数者(マイノリティー)という項目がございますので、そちらに記入してください。--ちとせ 2007年1月25日 (木) 14:44 (UTC)
- そのやり取りは以前にも行ないましたが、お忘れですか?同じ答えを何度もお答えするのは嫌ですので、同じ質問を何度も繰り返すのは止めてください。マイノリティについて記述されたいのであれば、マイノリティの項目に記述をしていただきますようお願いいたします。朝鮮民族だけが特別に日本の少数民族であるという、貴方の政治的主張を繰り返すのは止めてください。--ちとせ 2007年1月26日 (金) 11:26 (UTC)
うわあ、無茶苦茶だよ、この人。論争に勝つには人の話を聞かずに勝手なことを喋り続けることだっていうけど、本当だ。すみません、どなたか、こんな場合にはどうしたらいいんですか?--Ks 2007年1月26日 (金) 14:05 (UTC)
- まだここ議論続いていたのか。明日余程のことが無い限り(事故とか、目当ての本が一足違いで他人に借りられるとか)図書館で調べものするから、ちょっと待っといて。ネットで百科@Homeは平凡社の大百科事典のオンライン版なので、紙の辞書と書いてあること同じなんだけどなぁ。巻数や頁数が無いと検証可能性を満たさないと言うのなら調べてくるよ。それと豆知識。市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)の27条における「少数民族」はminorityを訳したものとのこと。後、念のためにいうけど、ここのIPは同一の人間なので。--218.110.205.161 2007年1月26日 (金) 14:34 (UTC)
最初から主張しております通り、平凡社の世界大百科事典(p.XXX)によれば、このような主張があるという書き方であれば、何ら記述を妨げるものではありません。--ちとせ 2007年1月26日 (金) 16:52 (UTC)
- >どなたか、こんな場合にはどうしたらいいんですか?(Ksさん)
- 読んでいる人はわかっていると思います。また「論争に勝つためには(略)」とおっしゃっていますが、別に「論争に勝った」ようにも他人には見えていないと思います。ただしこれは、読んでいれば、の場合であって、残念なことに、多くの人が鬱陶しくて読むのをやめているというケースがけっこうあるのだと最近、実感しています。一個人の意見ですが、ここまで話せば、あとは淡々と編集なさって良いかと思うのですが。。。--Iosif 2007年1月26日 (金) 23:40 (UTC)
- いや、それはそうなんですが、その度にまた戻されるので、それを止める方法はないんでしょうか?--Ks 2007年1月27日 (土) 07:41 (UTC)
- 読んでいる人はわかっていると思います。また「論争に勝つためには(略)」とおっしゃっていますが、別に「論争に勝った」ようにも他人には見えていないと思います。ただしこれは、読んでいれば、の場合であって、残念なことに、多くの人が鬱陶しくて読むのをやめているというケースがけっこうあるのだと最近、実感しています。一個人の意見ですが、ここまで話せば、あとは淡々と編集なさって良いかと思うのですが。。。--Iosif 2007年1月26日 (金) 23:40 (UTC)
在日韓国・朝鮮人と少数民族に関する言及2
ちょいと調べた結果報告。強調は投稿者が付加。
- まずネットで百科@Homeのご案内の「日本の少数民族(問題)としては、在日朝鮮人・アイヌ民族・在日華僑などがあげられる」という文章は、確かに『平凡社世界大百科事典』13巻、1988、448頁にあり。記述者も今野敏彦氏であることは同じ。
- この他には、「現在、日本国籍を持って民族名を使用する場合はいまだごく少数だが、日本社会が少数民族の文化を制度的に容認する社会となれば、民族名を使用する人も順次増加していくはずだ」(河炳旭『第四の選択韓国系日本人』文芸社、2001、333頁)という発言があり、ここでの「少数民族」ということばは、本のタイトルが示すとおり韓国・朝鮮系を指している。
- また「〈単一民族社会観〉という幻想もしくはイデオロギーに基づき、国内の民族的マイノリティであるアイヌ民族そして韓国・朝鮮人の民族性を、歴史的にそして戦後半世紀が過ぎた今日に至るまで否定し続けた日本も、国際化の潮流とりわけ人権保障の国際化に対応する努力の中で〈共生〉を課題とするようになった」(近藤敦編『講座グローバル化する日本と移民問題 第1期第2巻 外国人の法的地位と人権擁護』明石書店、2002、265頁)という記述もあり。
以上のように在日韓国・朝鮮人の方々を少数民族として見なす学問的立場は存在している。
ただ最後の引用にあるように、同時に「少数民族」として認めないとする立場も自民党政権や官僚の中に受け継がれてきていることも事実(なお佐々木てる『日本の国籍制度とコリア系日本人』〈明石書店、2006、38頁〉において、「少数民族問題の回避」という項目を立て戦後の日本政府の在日の人々への政策を論じている)。さらに言えば在日韓国・朝鮮人の一部にも「少数民族」と呼ばれることに抵抗を覚える人もいるらしい。よって本文の記述は、やはり「在日韓国・朝鮮人を少数民族として見なす立場もある」という感じにすべきと思われる。
なお、現在の潮流としては「少数民族」と認める立場や、韓国・朝鮮という民族性を失わないで日本国籍をとるという人がそれぞれ増加しつつあるらしい。前者についていえば、国連人種差別撤廃委員会(CERD)が2001年、日本政府が国勢調査において民族別人口統計を明らかにせず、在日コリアンを統計に編入しなかったことについて「サプライジング・オミッション」とコメントし、「民族集団に分類した社会的・経済的データ」を提供するよう勧告している。こうした国連側の疑念に当時の尾崎外務省人権人道課長は今後検討したい、と述べたという。その後外務省人権人道課は国会議員有志が開いた報告会において「在日コリアンについては外国籍者だけででなく、帰化者もIECERD第1条の対象となる」と述べている。(しかし日本政府の腰は重いようで、現在も国勢調査における民族別人口統計は未だ盛り込まれていない) 以上の典拠は岡本雅享編『日本の民族差別ー人種差別撤廃条約からみた課題』明石書店、2005、pp165-169)。国連人種差別撤廃委員会と日本とのやりとりについては以下参照のこと。[1] 後者については前掲の河炳旭『第四の選択韓国系日本人』が論じている。他にも2世・3世の意識の変化といった角度から同様のことを論じた研究がいくつかあった。--218.110.206.211 2007年1月27日 (土) 12:51 (UTC)
本文の記述は、やはり「在日韓国・朝鮮人を少数民族として見なす立場もある」という感じにすべきと思われるという説には同意いたしますので、そのような記述にまとめました。ご足労いただきありがとうございます。--ちとせ 2007年1月27日 (土) 13:34 (UTC)
- Ksさん(<-Iosif記):
- >いや、それはそうなんですが、その度にまた戻されるので、それを止める方法はないんでしょうか?--Ks
- 辛抱強く対話を続けられている姿に心から敬意を表します。さて、ノートは読んでいましたがが、記事本文の「戻される」という点についてはこれまでの編集のタイミングがよくわかっていないので断言は避けます。しかし、おっしゃることが本当であれば(=このような会話で「その度にまた戻される」のであれば)、いわゆる「荒らし」として扱う以外にないとないと思います。--Iosif 2007年1月27日 (土) 18:03 (UTC)
losif様の歴史観に合致しない投稿者は、荒らしと扱われるようですね(苦笑) --ちとせ 2007年1月27日 (土) 20:03 (UTC)
- 戦後日本政府の少数民族観について
- 要出典のテンプレが貼られていたので少しコメントします。政府が在日の方々を少数民族として認知してない立場とするのは、社会学者やNGOらの指摘や政府の姿勢から伺えます。たとえば、社会学者佐々木てるは、戦後日本政府は少数民族問題として顕在化するのを回避するために「彼ら(=在日の方々、投稿者挿入)に対し本国へ帰還するか、もしくは日本国籍を取得するかという選択を提示した」とのべています。別箇所では「〈特殊な外国人〉、つまりは少数民族の問題を回避するために、協定永住権付与の期間を限定したことがわかる」とも述べています。つまり政府は日本に少数民族が存在することを望んでいなかったということになります。(以上は佐々木『日本の国籍制度とコリア系日本人』明石書店、2006、pp38-41から引用)
- これは戦後直後だけではありません。現在まで政府は積極的に認めようとはしていません。近藤敦編『講座グローバル化する日本と移民問題 第1期第2巻 外国人の法的地位と人権擁護』に「韓国・朝鮮人の民族性を、歴史的にそして戦後半世紀が過ぎた今日に至るまで否定し続けた日本」という箇所があることは先日紹介しましたが、さらに続けて該書では自由権規約27条について分析しています。(外務省の訳文は以前リンク貼りました) それをまとめると、この条文はマイノリティが事故の文化をマジョリティから否定されない権利を定めたものですが、問題なのは「マイノリティが存在する国において」という一節があることにより、締約国がマイノリティの存在を認めない限り、27条の自国への適用を免れるというからくりがある。事実、日本政府は自由規約の実施状況報告において27条でいうようなマイノリティは存在しないと報告しています。同時期中曽根首相が「日本は単一民族国家である」とぶちあげ、国内外の批判を浴びて、ようやくアイヌ民族だけはマイノリティとして認めた。しかし在日韓国・朝鮮の人々は外国人であってマイノリティとはいえないという立場をとり続けている。以上が該書(pp266-270)における指摘です。日本政府が認めていないとした理由をご理解いただけたでしょうか。
- 尚ネット上でも確認できます。自由権規約27条の外務省が「マイノリティ」を「少数民族」と訳したことに関し、参議院議員竹村泰子氏が在日の人々は含まれるのかどうか質問したところ、当時の首相橋本龍太郎は「第二十七条にいう「少数民族」であるか否かについては、必ずしも判断を要しないものと考えている」と答弁し、明言を避けています。[2] これだけだと自明だから言及しないとも取れますが、先日投稿した国連CERDとのやりとりと考え合わせると(CERDは在日の人々に対しマイノリティという用語を使用していない点を追及している)、政府が少数民族として認定したくないという姿勢が浮かび上がってきます。--220.211.215.164 2007年1月28日 (日) 15:29 (UTC)
- 220.211.215.164さん、はじめまして。コメントの前に「要出典のテンプレ」について言及なさっていましたが、そのテンプレとは「在日韓国・朝鮮人は、本国籍を有し日本国籍を持たない、つまり法律上、日本人ではないため日本の少数民族とは呼べないとの説」についたテンプレのことでしょうか? 220.211.215.164さんがコメントし説明なさった文章は、私の認識と食い違いません。▼ただ、私が貼ったテンプレに対する答え(ではないと思うのですがそう読む人がいるかもしれないので)と誤解されることを恐れて補足いたします。220.211.215.164さんさんにご説明いただいたのは「日本政府の態度」もしくは「日本政府のマイノリティ・少数民族規定に関する姿勢」として記述される事柄ですが、「要出典テンプレ」は当項目では例えばちとせさん、他項目でも突然(最近の流行なのか?)同種のことを言い出した方々に、ネット外のどこでそのような言説に知り合えるのかをお尋ねしたものでした。▼いや、たったそれだけのことですが、誤解をおそれて参上しました。--Iosif 2007年1月28日 (日) 20:04 (UTC)
220.211.215.164様、詳細なご説明をありがとうございます。そういった根拠があれば、日本政府が少数民族に当たるのか、明言を避けているということを記述するのも問題はないと考えます。
losif様、要するに貴方は、この項目の編集に興味があるのではなく、他項目における私の行動に対する嫌がらせとして、わざわざ要出典のテンプレートを貼り付けて回っていると言うわけですね?それは個人攻撃ではないと仰るのでしょうか(苦笑)
--ちとせ 2007年1月29日 (月) 11:25 (UTC)
- 本気で尋ねてるんですが……。どうも混乱させられるのですが、複数項目に渡って繰り返されているアレは「日本政府の態度の紹介」だったのですか? 違ったと思いますが。▼本文記事では「法律上、日本人ではないため日本の少数民族とは呼べないとの説もある」と書かれているので、その「説」とは誰がいつ唱えたものかと尋ねたつもりでした。日本政府の態度であれば、それは一つの観点であるだけではなく「状況」でもあります。佐々木てるの指摘である「戦後日本政府は少数民族問題として顕在化するのを回避」しようとしたというのは、いっときは多民族帝国を目指した日本が戦後になって次々と打ち出す対植民地出身者政策(の右往左往)、対外国人政策の紆余曲折などなどの材料(=状況を作り出している諸要素)から帰納的に導き出された解釈または推論です。これは「……との説がある」という文章を直接支持する材料だとは思えません。と、回りくどいことを言いましたが、単に上記・紹介の文献が手元にあったり、目を通していたりした人がいれば、それを引いて書く文章は「…………との説がある」というものではないというだけのことです。▼しかし、上記・紹介のとおり「日本政府の少数民族観」という解説のとおりであると同意いただけるのでしたら、要出典テンプレを貼った箇所もそのように書き換えますが、よろしいでしょうか。--Iosif 2007年1月29日 (月) 21:55 (UTC)
- Iosifさん、コメントありがとうございます。勘違いしているかもしれませんが、「日本政府が明言を避けている」という風に主語を明確にすべきだと、というご意見なのかなと思うんですが、書き換えいただいても異存はありません(他の意見では駄目だというのではありません。ただどう書き直されたいのか把握できてないだけです)。それに今の単に引用するだけでは、Wikipediaの引用要件を満たしてないと思われるので。--219.98.5.171 2007年1月30日 (火) 07:49 (UTC)
losif様?私は貴方の編集を受け入れるつもりは無いなどと言った覚えはありません。wikipediaはそのルールを守る限り、誰にでも編集が可能です。あなたの文章が他人によって自由に編集・配布されることを望まないならば、投稿を控えてくださいというのがwikipediaのルールです。ただし、以下の中立性のポリシーに注意して記述を行い、wikipediaに日本人は悪であると言う偏った自虐史観を記述するのは止めてください。
- ウィキペディアの中立性のポリシーについて、それは事実だけを記述し意見は控えるというものだと言うだけでは不十分です。ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。(from:Wikipedia:中立的な観点)
- そのユーザーが自分の賛同する立場だけを説明したり、対立する立場をフェアに説明しなかったり、不完全な形で説明したりしているような場合には、その人はウィキペディアに偏った見方を付け加えていることになります。(from:Wikipedia:中立的な観点)
--ちとせ 2007年1月30日 (火) 12:21 (UTC)
横槍失礼します。
>その意見に対立する意見についての事実を述べ
をちとせさんは実行されていません。本文中の
>一方で日本においては、在日韓国・朝鮮人は、本国籍を有し日本国籍を持たない、つまり法律上、日本人ではないため日本の少数民族とは呼べないとの説
は一体どこの誰が言っているのかを明確にして欲しいと皆さん言っているのです。主語は日本政府?自民党?それともどこかの学者でしょうか?それを明確にしない限りは検証可能性に問題ありです。記述は不可です。その点をご理解ください。らりた 2007年1月31日 (水) 14:00 (UTC)
アイヌ関連の議論
[編集]本文中でやっても仕方ないので、こっちへもってきました。まずかったら戻します。 (否定されていない。次の項に堂々と書かれており、また知名度も高く著作も多く存在する。) いえいえ、以前は声高に単一民族論がまかり通ってましたよ。アイヌ人のことが表で語られるようになったのは、特に公式の場で、見せ物以外の観点から述べられるようになったのは、多分昭和末からかと。 (貴方も認めるように、昭和末から現在に至るまで否定されていないのであれば、否定されていると言う書き方はわざと誤解を招くように練られた巧妙な嘘である。アイヌ人が同化政策によって失われつつある事実は書いているし、単一民族論など私は書いていない。
とりあえずこんなやり取りがありまして、後をこっちでやりたいんですがどうでしょう?--Ks 2007年1月23日 (火) 14:30 (UTC)
では論点を。
以下引用。
- さらに、中東におけるクルド人や日本におけるアイヌ人などの様に、明らかに異民族であるにもかかわらず、その独自性や存在そのものをを多数派側から否定されることもある。
引用終わり。
この文章は全く誤謬だらけで話にならない。まず何が問題かといえば、クルド人。存在を否定されるどころか、虐殺によって存在を書き立てられていると言っても過言ではない。クルド人が弾圧されているのは事実であるが、クルド人など存在しないなどとフセインですら言っていない。
次にアイヌ。現在、アイヌが存在しないと多数の日本人が思っているのか?当然、思っていない。 今日、独自性や存在そのものを日本人が否定していると言うのであれば、その根拠を提示してください。
アイヌは、奇しくも貴方が言ったように、見世物になるほどその存在が広く知られていたのが事実ですよ。 大体、熊襲とか、征夷大将軍とか、日本の歴史上にも数多く登場していますよね? もちろん、アイヌに対する同化政策があったのは、事実ですしきちんと記入するべきですよ? しかし、存在を否定されたと言うのは明らかな嘘です。
ついでに予め言っておきますが、否定していない根拠を提示しろと言うのは、悪魔の証明ですよ?
以下、私の代案
これをこのように直すのが、どういったわけで問題なのか伺いましょう。--ちとせ 2007年1月23日 (火) 15:13 (UTC)
- 勝手にこちらに移したことに関しては同意が得られたものと理解し、それに対してはお礼を申します。それから、申し訳ないのですがクルド人に関しては私には知識がないので、勘弁して下さい。どなたか口をはさんでくださることを期待します。私が差し戻した理由は、主にアイヌ人関連です。で、その存在が認められていたかどうかですが、実際、不思議なくらい認められていなかったんですねえ。事実として、見世物にはなってましたし、たとえば「イヨマンテの夜」の歌もあるように、当たり前に認められていたにもかかわらず、政府はこれを認めていない状況が、昭和末まであったわけです。その一つの証拠がたとえば中曽根首相の単一民族発言でもあります。あれでアイヌ民族の反論が浮きたった面もありますが、逆に言えば、それまでは認められていなかった証拠でもあるわけです。ですから、ここ20年は、むしろアイヌ民族の発言が出せるようになったとも言えます。しかし、それまでの時代がはるかに長かったので、アイヌ民族の独自性は確かに危なくなって、現在はそれを必死で立て直そうとしている状況でしょう。とすれば、現在それを消えつつあるように表現するのはやっぱり違うと思うのですよ。--Ks 2007年1月23日 (火) 15:26 (UTC)
撞着話法でごまかすのは止めてください。A-があったかもしれない、B-であったかもしれないと延々と書いても、全くの無駄です。
当たり前に認められていたにもかかわらず、政府はこれを認めていない状況が、昭和末まであったわけです。 ということは、普通の日本人にはアイヌの存在はあたりまえに認められていたと認めるわけですね?
ましてやそもそも政府が認めていない根拠が、中曽根の単一民族発言ですか?あの発言は日本人の多くに「そのとおり、日本は単一民族の国家、アイヌなど日本には存在しない」と賛同を受けたのでしょうか?
もし日本人の多くが、「アイヌなど日本には存在しない」と主張するならば、存在そのものを多数派側から否定されていると言うのは事実ですが、貴方も私も知っているとおり、実際はそんなことはありません。
貴方の仰るとおり、アイヌ民族の独自性は確かに危なくなって、現在はそれを必死で立て直そうとしている状況です。つまり、現在それを消えつつあるように表現するのはやっぱり正しいわけですよ。消えつつ無ければ必死で立て直そうとしている状況など生まれるわけもありません。
論点1)アイヌの存在は、普通の日本人にはあたりまえに認められていた。
- 事実ですね。
論点2)にもかかわらず、中曽根発言によって、アイヌの存在は、政府から否定されている。
- その中曽根発言は、日本人から賛同をもって迎えられたのでしょうか?そんなことはありません。中曽根がこう言ったので、日本人の反発を受けたという事実を書き加えても、別に構いませんよ?
論点3)アイヌ民族は、独自性を徐々に失いつつあるか。
- 貴方の仰るとおり、アイヌ民族の独自性は確かに危なくなっている。つまり事実ですね。
他に反論が無いのであれば、現在、アイヌが存在しないと多数の日本人が思っているという間違った記述を改めたいと思いますが。
--ちとせ 2007年1月23日 (火) 15:58 (UTC)
- とりあえず根本的な間違いを一つ。あの記述は現在形ではありません。明らかに過去形であり、歴史的事実を述べたものと読めます。ですから、現在の状況とは必ずしも関係ないです。その上でのご意見を伺わせて下さい。--Ks 2007年1月24日 (水) 01:53 (UTC)
- さらに、中東におけるクルド人や日本におけるアイヌ人などの様に、明らかに異民族であるにもかかわらず、その独自性や存在そのものをを多数派側から否定されることもある。(原文まま)
あー、この文書のどの辺りが明らかに過去形で現在の状況と関係ないのか、こちらの方がご意見を伺いたいです。 ついでに言うなら、現在の状況と関係ない意見を掲載するのは止めてください。 --ちとせ 2007年1月24日 (水) 05:08 (UTC)
- あー、これはいけませんでしたね。私の思いこみでした。すみません。そしたら「アイヌ人」を「かつてのアイヌ人」にしましょうか。それともすっぱり切った方がわかりやすいですか。--Ks 2007年1月24日 (水) 06:17 (UTC)
ではとりあえず直してみますが、追加や変更がありましたら、根拠を提示して編集するのは歓迎します・・・ かってのアイヌ人が、存在を否定されていたと言うのは同意できませんが・・ --ちとせ 2007年1月24日 (水) 14:13 (UTC)
- 研究者の間では「存在を否定されていた」という見方が一般的であると認識しています。論点として
- 「日本は単一民族」という言説が多く行われた(日本に居住する非大和民族としてアイヌが認識されていない)。
- アイヌ施策法では「旧土人」という表現が使われているが、これは皇民となった=独立した民族として存在するのではなく「日本人」となったことを前提とした表現であり、アイヌをアイヌとして認める観点はここにはない。
- 日本政府は国連に対し、少数民族としてのアイヌの存在を認めることを長らく拒んできた。
- というものがあると認識しています。またアイヌの方々が「旧土人」という表現を屈辱として長らく法の廃止を求めていたことは残念ながら知られていません。そうしたことを「存在を否定されていた」と形容することは、事態を正しく簡潔に表現していると私は考えます。--Aphaia 2007年1月27日 (土) 18:15 (UTC)
ある研究者が「存在を否定されていた」という意見を主張しているということを書くことには全く問題がありません。単一民族論について述べても問題があるわけではありません。ただ、以下に引用したwikipediaの公式な方針を守って、誰がどのように主張しているかを根拠を挙げて述べてください。
事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな
何かが事実であるか意見であるかを判断するには、実際に物事がどうであるかは関係がありません。理論上は、誤った「事実」(全ての人が合意するが実際には誤っている観点)がありえますし、真実に照らして正しい「意見」は数多く存在します。数の上では誤った意見の方が多いようではありますが。 ウィキペディアはこのような意味での事実だけを記述することに捧げられています。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。つまり、「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実や、「トマス・アキナスは神が存在すると信じた」という事実を書けばいいわけです。最初の例では意見を表明していますが、次の 2 つの例では意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えています。(from:Wikipedia:中立的な観点)
つまり、この場合は、「日本人はアイヌの存在を否定している」という意見は書けませんが、A氏は、「日本人はアイヌの存在を否定してきた」と主張している。という事実なら記述可能であるわけです。
また、アイヌの存在そのものを、日本人は否定している。という修正前の文章は、貴方も私も(アイヌの存在を)知っている通り明確に嘘ですので、復帰はご遠慮ください。(貴方が「アイヌ人など存在しない」と主張されるのであれば、日本人がアイヌ人の存在を否定しているという文章も正しい可能性があるわけですが。(苦笑))
--ちとせ 2007年1月27日 (土) 19:34 (UTC)
国際人権規約第27条に関する言及について
[編集]- はっきり書いておきますが、私はこの記述を編集したくありませんでした。私個人の考えとしては編集する前の記述に近いからです。そして、故に日本政府は在日朝鮮/韓国人を「少数民族」とは見なしていない=在日朝鮮/韓国人は「日本の少数民族」ではないとする見解も存在する、と、ノート:日本の民族問題で主張していたからです。
- ですが、あちらの議論で「この事実は日本政府が『アイヌ問題のほかに(少数)民族問題はない』という立場を取っている」というソースにはなり得ても、「在日朝鮮/韓国人は『日本の少数民族』ではない」という立場を取っている、というソースにはなり得ない、という指摘を受けました。
- 理由は、アイヌ文化振興法の成立前後で「在日朝鮮/韓国人は『日本の少数民族』か?」という質問が国会で行われ、当時の総理大臣が何れも「(日本では同規約第27条に規定された権利は誰に対しても保障されているので、同条にいう少数民族かどうか)必ずしも判断を要しないものと考えている」と答えているからです。つまり「問題は何も起きてないからわざわざ区別する必要はない」ということで、在日朝鮮・韓国人や他の少数民族を「日本の少数民族」と認めているか否か、という判断は行っていないわけです。
- つまり国際人権規約第27条に関しては、(アイヌを除いては)日本政府は「少数民族と認めるか否か」ではなく「少数民族問題が存在するか否か」に対する態度しか表明していません。故に現在の編集を行いました。
- これはお願いですが、日本政府が(この国際人権規約第27条の関連以外で)「アイヌ以外を『日本の少数民族』と認めるか否か」という態度を表明しているソースがあれば是非ご提示ください。編集を元に戻すとともに、日本の民族問題へも反映させていただきたいと思います。何卒よろしくお願いします。
- --Stranger non general person 2007年4月22日 (日) 08:37 (UTC)
- そういうこと以前に、日本では「日本人」しかnationと呼び得るものにまでなっていないと思うんですが。「ethnic groupという意味でもnationという意味でも」などと理解していない術語を用いて謎の加筆をしないでください。意味不明なので削っておきます。ついこの間、訂正を入れられるまでは「ethnieとnation」とあちこちに書いているのを見かけましたが、知ったかぶりをするくせがついているから盗用していることにも気づかないでいられるんではないでしょうか。--Iosif 2007年4月26日 (木) 01:38 (UTC)
- --Stranger non general person 2007年4月22日 (日) 08:37 (UTC)
- 貴方(Iosif氏)の個人攻撃に付き合う気はありませんので、事実関係のみ指摘しておきます。貴方(Iosif氏)の上記の発言および今回の編集は、ノート:日本の民族問題の過去ログ[3]の、以下の発言とは矛盾しないのでしょうか?
- 私はノート:少数民族は内容をちゃんとフォローできてないと思うんですが、あちらでも「在日コリアンは日本の少数民族ではないとする意見も存在する」という記述は正当化されていないはずです。典拠が挙げられているのは、あくまでも日本政府が「少数民族」としての存在を認めることを回避しているということまでです。
- 貴方がこの見解を撤回なさるのなら、それはそれでごく結構です。日本の民族問題の合意案に「日本政府などは、在日コリアンは『日本の(少数)民族』では無い、とする立場を取っている」という記述を追加するまでです。
- 「少数民族であることを認めているわけでもないし『認めない』と名言したわけでもない」と仰るなら、問題の国際人権規約第27条に関する記述は日本の(少数)民族に関して何を例示しているわけでもないことになります。全て削除するのが妥当でしょう。
- いずれにしろ、ノート:日本の民族問題/合意案のまとめにもノート:在日コリアンにも、貴方(Iosif氏)のお返事を待っている状態の議論があります。私に対してはまだともかく、他の参加者に対してはちゃんとお返事をなされてはいかがですか? 私は、貴方(Iosif氏)がどんな行動を取ろうと、Wikipediaのルールを守っている限りは別に気にも留めませんが。
- --Stranger non general person 2007年4月26日 (木) 09:39 (UTC)
- 話しかけられるとは思いませんでした。ちょっとよくわからないのですが、どのへんが矛盾しているのでしょうか?(ご説明が労苦であれば、時間のあるときに再読します)。なお、ご指摘の事柄(議題?)と、記事文中の誤りを正したこととは全然関係がないと理解しています。この理解でよろしいでしょうか。--Iosif 2007年4月26日 (木) 21:30 (UTC)
- --Stranger non general person 2007年4月26日 (木) 09:39 (UTC)
- 貴方(Iosif氏)は、(とりあえずethnic group/nationの問題を置いておいたとしても)、以下の編集を行いました
- 編集前:なお、日本国内には複数の少数民族が存在しているが、
- 編集後:なお、日本国内には複数の少数民族が存在するにもかかわらず、
- これは、すくなくとも私には、「日本政府はアイヌ以外の少数民族の存在を認めていない」という意味を含めようとしているように感じます。違うとおっしゃるのなら、なぜ「かかわらず」という表現を付け加えなければならないのかを説明してください。
- 貴方(Iosif氏)がご自身でお書きになった文章の解釈を私がするのもバカらしいことですが、前回私が引用した上記の貴方(Iosif氏)の文章は「少数民族の存在を認めない(という立場を取る)こと=少数民族問題が存在しない(という立場をとる)ことではない」という意味なのではないのですか? この私の解釈が正しければ、今回の貴方(Iosif氏)のこの記事における編集と矛盾しているのではないか、と私は指摘しています。わかりずらい点があればご指摘ください。
- なお、「日本国内にnationなどいない」というご指摘ですが、確かにおっしゃるとおりです。琉球民族内でnationalな主張をする方々は若干存在するようですが今だ少数派に留まっているようですし、在日コリアンはそもそも永住権を持つ外国人であって、(nationではあっても)日本国内の「民族」ではない、というのが私の考えでしたしね。この部分は編集に同意しましょう。
- ついでに指摘しておきますが、いつもどおりの口調でどうぞ。こちらの私へのブロック依頼で「報復的ブロック依頼だ」と指摘されたからといって、貴方(Iosif氏)の態度を改めなくとも結構ですよ。繰り返しますが、私は、貴方(Iosif氏)がどんな行動を取ろうと、Wikipediaのルールを守っている限りは別に気にも留めません。