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ノート:封印作品

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封印作品の一覧について

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この記事にある封印作品の一覧なのですが、一発屋のようにある程度の基準を設けないと、打ち切りのように例示が多すぎるために全削除ということになりかねないような気がするのですがいかがでしょうか。漫画には一部が単行本未収録である作品など山のようにあるので、封印されている理由についての規準がないと際限なく膨らみ続ける虞があります。なお、以前に似たような一覧があり、GFDL違反であったため削除依頼に出したのですが、GFDL違反というよりも単に不要な一覧として削除されました。Wikipedia:削除依頼/途中の話数がカットされた作品の一覧をご覧ください。--shikai shaw 2005年11月17日 (木) 06:24 (UTC)[返信]

すみません、一覧の設置は安直だったかもしれません。基準を設けた方がよいかと思いますが、明確な理由が述べられていないものも少なくないですし、本当に「自粛」されているのか、単に再版の機会がないだけなのかも素人目には区別つかないと思いますので、明確な規準を設けるのは難しいかもしれません。--タケナカ 2005年11月17日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
冒頭の定義では自粛も含めて封印だったのでは? 試しに「封印された理由」を一覧中にも挙げてみました。こうすると、封印される原因を説く上での論拠という意味付けができるでしょう。NekoJaNekoJa 2005年11月17日 (木) 10:06 (UTC)[返信]
サンダーマスクのように消極的に出なくなっている作品を、抗議・糾弾に基づく「封印」と呼ぶのはどうでしょうか。その他、いくつか思い込みや風評を事実であるかのように書いている部分があったので、コメントアウトやメモを入れさせて頂きました。それにしても、「封印作品」というキャッチ自体は太田出版の書籍のイメージが強いので、カテゴリとしてはどうかなとは思います。ふりーく北波 2006年2月28日 (火) 17:12 (UTC)[返信]

アイアンキングが封印された事実は一度もないんですが。--219.110.68.243 2006年10月12日 (木) 15:25 (UTC)[返信]

1995年頃、テレビ埼玉での再放送の際に、何故か最終回だけ放送されなかったという事件があり、そのことを指しているのだと思います。ただ、この事件に関しては、放送用のフィルムを外部に貸し出した際に借りていた人が最終回のみ返却を忘れていたという説が有力なので、封印作品というのとはちょっと違うと思います。もっとも、最終回のサブタイトルの「東京大戦争」というタイトルが当時社会問題になっていたオウム事件を連想させるので放送を自粛したのだという説を唱える人もいるようですが。--218.41.11.168 2006年11月10日 (金) 08:45 (UTC)[返信]
いずれにせよ、シリーズ物の一エピソードが再放送で一回放映がなされなかったくらいのことで、「封印作品」の範疇に加えるのは不適切だと思います。Hkato 2006年11月11日 (土) 04:41 (UTC)[返信]

尺の問題(放映短縮を含む)でカットされた「ウルトラマンネクサス」未放映分を封印作品扱いするのはどうかと思います。そういう理由であれば相当数のドラマが封印作品扱いになってしまいます。--219.110.68.243 2006年11月22日 (水) 15:20 (UTC)[返信]


 通りすがりの者ですが、『風と共に去りぬ』をミュージカル映画と書いてあります。これは誤りではないでしょうか? 210.174.41.136 2007年2月19日 (月) 12:39 (UTC)[返信]

封印作品(安藤某しか使ってないような気がする)、一時放送禁止処分作品、マスコミから批判の俎上に上げられただけの作品等がごちゃごちゃになってる感じが…。なんだかなぁ。Blueroses5327 2007年3月4日 (日) 19:46 (UTC)[返信]

完成品として捕らえるならなんだかなぁですが、私はこういう一覧が存在すること事態は広い意味で世の中のためになっていると思います。封印あるいはそれに類似の対象になったものが世の中に存在するということを知らせるものがあっては困る人はなんやかんや理由つけて消し去る努力するんでしょうが。理想的なのは上の方がおっしゃってるようなこともあるので詳細、あるいはある程度大まかに分類できれば、その件に関しては問題なくなるでしょうし、なお有用なリストになるのではと感じますが。--陸奥守 2007年3月6日 (火) 20:54 (UTC)[返信]
「封印」という以上、今現在合法的に鑑賞できない作品に限って挙げるべきではないでしょうか。例えばリストの中に『アパッチ野球軍』がなぜか入っていますが、この作品は製作会社の貸出フィルムリストから落ちたことはないはずですし、DVD化以前も部分使用に関してNGが出たこともありません。たまたま再放送にかからなかったからといって「封印」という憶測を加えるのは、作品に対して傷を付けることにもなります。いたずらに過去の経緯などを論うのではなく、スキャンダリズムから一度距離を置いた上で、出版社や放送局・著作権者から出た客観的事実を伴う、現在鑑賞不能な作品だけに絞り込んでいく方がいいのではないでしょうか。
また、マンガ作品『アシュラ』『はだしのゲン』などは話題にこそなり、掲載雑誌の出版社からは単行本は出ませんでしたが、ある程度継続して再版はされています。しかし当該記事では断片的な情報記述のみにとどまっています。こういった作品を「封印」と断じる姿勢は糾弾活動やマンガを巻き込んだ政治活動などを興味本位・面白半分に見ているようにしか見えないのですが。こういった百科事典よりもドキュメンタリーとして発表する性格のものでは。--ふりーく北波 2007年4月4日 (水) 5:24 (UTC)

判る範囲で分類し直してみましたがどうでしょうか。なお、映画の場合はテレビ放映やソフトの発売・レンタルなどが行われていないのであれば封印作品と見なしていいように思います(出しても売れそうにないからソフト化しないってのはまた別ですが)。West 2007年4月7日 (土) 15:57 (UTC)[返信]

過去に封印されていた作品のカテゴリーは全削除していいと思います。それらはその研究サイトが別に存在すればいいのであって、片っ端から並べるというのは百科事典としては意味がないでしょう。むしろある類型を端的に説明しうる一・二例(なおかつ比較的知られている作品で現在進行形のもの)にとどめるのが見やすいでしょう。でなければ憶測と噂で事実ではない作品が「理由不明」などの理由でどんどん積み重ねられるだけです。
また、映画の場合Westさんのおっしゃる基準では成立しません。ユーザーからすれば「すべての映画作品はソフト化されているべきだ」との認識があるのでしょうが、実際には「予算と販売計画に合致する本数がピックアップされているに過ぎない」だけであって、ソフト化されない理由において「内容に問題がある」のが必要条件ではないからです。
また、地上波テレビはかつてのように、再放送それ自体による枠の販売にメリットは見出していません。何らかのパブリシティ価値があるのが基本条件です。DVD-BOX発売の作品を流すとか、ゴールデンに同じ出演者の出ている過去作を流すとか。それ以外の作品をそもそも流す枠がない、というのが正しいでしょう。よって地上波テレビで流れるかどうかは、こういったリスト化の際に全く基準となりえないと断じておきます。--ふりーく北波 2007年4月8日 (水) 7:49 (UTC)

詳しく、調査もうしあげます、クレヨンしんちゃんの初期の一部がコミックス未収録です。--219.211.176.3 2007年5月8日 (火) 14:09 (UTC)[返信]

ですから、コミックス未収録以外に封印されている客観的な証拠があるかどうかです。例えば国会図書館で掲載号の閲覧不可が出ているとか、出版社か原作者からそれに類するコメントが出ているのかどうか、伝聞でもそういったものがあるのかどうか、それがあってはじめて議論できると思いますが。--ふりーく北波 2007年8月11日 (土) 4:20 (UTC)

成人指定作品

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16:22 封印作品 (差分; 履歴) . . 平凡児朗 (ノート | 投稿記録) (→映画 - 封印以前に成人指定の映画はそもそもテレビ放送不可能)

「封印以前に成人指定の映画はそもそもテレビ放送不可能」ではありません。--Goki 2006年11月12日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

テレビ放送自体は不可能ではありませんが、現在、地上波ではいろいろと制限があります。まず、原則として性描写の場面で乳首が見えるものは深夜枠でないと放送できないという申し合わせ(自主規制)があります(性描写ではない場合は乳首が見えてもある程度は大目に見られます)。それから、深夜枠での放送でも、映倫規定のR-15指定に準拠することになっているそうです。さらに、陰毛に関しては時間帯にかかわらず、一切放送できません。というわけで、成人指定の映画をそのまま放送することは現在は基本的に無理です。もっとも、この申し合わせは1985年頃に深夜放送の性描写の過激化に伴い郵政省(現、総務省)の指導が入り、作られた申し合わせですから、それ以前はしばしば、成人指定の映画が放送されることはあったようですが。また、過去に成人指定を受けた映画であっても、現在の基準では成人指定に当たらないと判断される物は放送できるそうです。それから、地上波以外(BS、CS、ケーブルテレビ等)の場合は、成人指定の映画の放送は可能ですが、その場合は年齢確認が出来るシステムがないといけないそうです。以上、以前テレビ局に問い合わせたことがあるので間違いないです。というわけで、成人指定の映画が地上波で放映されないからと言って、封印作品であるという理屈は成り立たないと思います--58.87.230.244 2006年11月12日 (日) 19:35 (UTC)[返信]

放送禁止歌について

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歌謡曲やポピュラーソングの項目には、単に放送禁止になった(あるいは、なったことがある)というだけで、一般のCDショップなどでは容易に入手できるような状態のものまで含まれており、非常に違和感があるのです。そのようなものを、たとえ便宜上とはいえ「封印作品」に入れるのはどうでしょうか。ドラマや映画、CMなどは、ソフトが販売・レンタルされていなければ、放映禁止が即ち封印と言えるかもしれませんが、音楽の場合それは当てはまらないのではと思います。--Dr jimmy 2007年4月5日 (木) 04:11 (UTC)[返信]

その点は同じ疑問を他のジャンルでも感じます。これだけメディアが多様化しているのに、地上波テレビ放送・大手FM/AMラジオ放送にかかるかどうかだけが判断基準になっている項目が目に付きます。映画なら劇場だったり音楽ならCDなどのメディアだったり、鑑賞可能なものはココに挙げるべきではないでしょう。--ふりーく北波 2007年4月7日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
では、もうしばらく待ってみて、反論が無いようでしたら、一旦削除することにしましょう。今後、「放送禁止歌」という記事ができた時に利用できるよう、一応コメントアウトに留めておくくらいにしておきます。--Dr jimmy 2007年4月9日 (月) 06:53 (UTC)[返信]
特に異論もないようだったので、一旦コメントアウトいたしました。--Dr jimmy 2007年4月17日 (火) 02:09 (UTC)[返信]

このリストそのものについて

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ここにいたずらに列挙するよりもCategory:封印作品に入れていくことで、その役目は充分果たせるのではないでしょうか。その上で実際に「封印作品」とカテゴライズできるかどうかは、個々の記事のノートにて議論されていくべきだと考えます。今は基準の運用が、リスト追加者にのみ因ってしまいます。例えば「近年地上波テレビで放送されるかどうか」というような恣意的な判断であったり、引用元明記のない「封印だという」といった曖昧な解説を付されたり、と漠然としています。極端な話、噂の伝播以上の価値はないのでは。ましてそれがもしWikipedia内の個々の記事からの引用だった場合、本末転倒とも言えませんでしょうか。--ふりーく北波 2007年4月11日 (水) 04:52 (UTC)[返信]


「封印作品」というより、もっと漠然と広い意味での「曰く付き」(死語)の作品が無秩序に列挙されているような印象です。ふりーく北波さんご指摘のように、「今現在合法的に鑑賞できない作品に限って挙げる」形で限定するべきではないかと思います。

あと、たとえ「便宜的」にではあっても、素材が時の流れの中で失われたためにもはや接することが出来ない作品を「封印作品」と同列視するのはどうなんでしょうか(元々保存されていたのに、公開したらまずいとの思惑で意図的に破棄された場合は別でしょうが)。それらは「幻の作品」、散逸作品ではあっても、作者や版元が能動的に「封印」したとは言えません。それとも、『帝紀』、『旧辞』のような本も、「封印作品」と呼ぶべきなんでしょうか。Hkato 2007年4月13日 (金) 18:14 (UTC)[返信]

聖書でさえも国によって、時代によっては禁書とされています。これをひとつの作品だとみなした場合、今の基準では「日本国外で発売を禁止、または自粛された作品」「かつて封印作品だったもの」に列挙されてしまうでしょう。
「今現在合法的に鑑賞できない作品に限って挙げる」とのことですが、「合法的に鑑賞できない作品」とはいったいどんなものでしょうか。作品の所持や上演が違法であるのと、鑑賞じたいが違法だというのはまったく別のことです。--Sasuore 2007年4月17日 (火) 23:38 (UTC)[返信]
「合法的に~」について挙げたのは私ですが、それはあくまでこの「封印作品」というカテゴライズを生かしたいという方がいらっしゃることを配慮してのことです。
「封印」とここで呼ばれている、何らかの事情で一般に鑑賞しがたい作品群を、個々の事情抜きにしてこうしたリストにまとめることに意味はないでしょう。あくまで「封印」は本質・主なのでなく、作品の存在の方が主であると考えます。よって各々の作品の中で語られるべきで、特定の一要素をもってまとめることそれ自体違和感を感じています。個人的にはこのカテゴライズ自体に意味を感じませんし、存在目的も見えませんね。--ふりーく北波 2007年4月20日 (火) 02:41 (UTC)[返信]
私は封印された「作品」のリストというだけでなく封印された「理由」の一覧でもあると思っています。ですから過去に封印された「事実」がある作品もなるべく残して欲しいなと願います。(もっとも過去といっても日本国憲法で「表現の自由」が保障される以前の事柄まで列挙していったらキリがありませんが。)「封印」をどう定義するかは人によって意見があると思いますが、たとえば~地上波で放送することを前提に作られた作品が地上波で放送できない状態にある~などということも充分「封印」状態と言えるのではないでしょうか。「この作品はどうして見ることができない(できなかった)の?」という疑問に答えらるページであったらよいなと考えます。--Nono2004 2007年4月21日 (土) 05:09 (UTC)[返信]


そのようなスタンスですと、ここのノートの冒頭で指摘されているように、「例示が多すぎるために全削除」という末路も、杞憂とは言えなくなってきます。原則的には、それらの作品の独立した項目で、その必要があると認められた場合に記述すれば良いことではないでしょうか。
また、地上波で放送される前提で制作されたものが地上波放送できなければ(他の媒体で視聴することが出来る場合であっても)封印だという定義についてですが、放送自粛はイコール(作品自体の)封印でしょうか。
黒部の太陽」のように劇場用映画として作られ、現在でも劇場で披露するのに支障はないが、制作者側の一種の矜持からソフト化やテレビ放映がされていないというだけで「封印」扱いするのもどうかと思います。映画やテレビ番組は公開後、ビデオやDVDで発売されるのが当然で、そのようなルートから外れれば「封印作品」だという図式から挙げられたのだろうと思いますが、そのような図式が妥当かどうか、疑問です。  Hkato 2007年4月21日 (土) 06:54 (UTC)[返信]
「地上波で放送することを前提に作られた作品が地上波で放送できない」とのことですが、何をもって誰がそう判断しているのでしょうか。「放送禁止歌」のように、実際には放送禁止などされておらず、また、禁止を指定するような組織なども存在せず、結局のところ、地上波で流すことができたものもあります。また、Hkatoさんと同じことを問いたいのですが、制作者が放送を自粛していることは、「放送できない」とイコールなのでしょうか。これをほかの行動に置き換えると、「車の運転を自粛することは、車の運転ができないことと同じか」ということになります。
今後もおそらく、この項目においての「封印」の定義について議論が重ねられていくことでしょうが、それを通じて、「封印」という言葉が曖昧に使われている現状がますます明らかになることでしょう。--Sasuore 2007年4月21日 (土) 16:59 (UTC)[返信]

繰り返しここで私も書いていることですが。Nono2004さんがおっしゃる「地上波で放送することを前提に作られた作品が地上波で放送できない状態にある」という前提自体に疑問があります。1970年代の地上波のあり方と、2000年代の地上波については、放送局自体にしろ周辺のメディア状況にしろ、あまりに違っています。たとえ自局で制作・放送した作品であっても権利処理上メリットの少ないものに関しては、今のテレビ局は放送しません。あえて放送するとしても、電波料金が莫大な地上波枠より、コンテンツの不足しているCS通信やBS放送の方を選ぶでしょう。媒体の選択肢が違うのです。それは劇場公開や、パッケージにする経費が赤字になりうる映画コンテンツにおいてもある程度言えると思われます。そのため、「CSでは放送」との但し書きがこのリストでも散見されますが、それは意図的に地上波やDVD化から外すのとは別の事情ですので、公開されている以上「封印」とは呼べないでしょう。

ソフトの愛好家の目線から見れば不当と感じる人もいるだろう出来事ではありますが、そうした「メリット=金を生む」素材がより多い機会で提供されているのが、現在の状況です。商売としては当然のことですが。そこでリスクを避けるという意味で、表現が極端なコンテンツは避け、保管場所から出す手間が少なく、権利処理が面倒でないものが優先されます。そういう意味で、消極的に死蔵されている作品は、それこそ山のようにあるでしょう。その中にはここで言われる「封印作品」もあるかもしれません。ただしリストに起こすのなら「放送できない」のかどうか客観的な事実を確認する必要があると思われます。「封印といわれる」というのは誰が言っているのか。どこに「封印されている」のか。

『ウルトラセブン』12話のように、複数のメディアで客観性ある事実が報じられていれば別ですが、この例にしても作品の固有性を抜きにして一般化できるような図式ではありませんよね。『ウルトラセブン』の項目でどう扱うかという問題であって「封印」の基準を示唆できません。

そもそもなぜ地上波という狭い範囲に基準を置こうとされるのでしょうか?--ふりーく北波 2007年4月22日 (日) 04:47 (UTC)[返信]

「封印」の形態もそこに至る事情も様々な作品がごちゃまぜになっていた事にも混乱の原因があったように思えます。わかる範囲で並び替えてみましたが、おかしな所があったら直してください。
で、「『封印』されてないから」と除去するより適切な記事に分割または移動した方がいいケースもあるのではないでしょうか。例えばマスターテープを上書きされてしまったテレビ番組などは「そういう現象があった」という事実を記録する意味があると思います。West 2007年5月3日 (木) 12:30 (UTC)[返信]
>マスターテープを上書きされてしまったテレビ番組など
「など」とはどういう例でしょうか?ある時期より古いテレビ番組は資料という名目で非常に断片的に保存されているのみです。昭和30年代のテレビ番組までさかのぼれば、基本的に残っていない方が当たり前です。CMに至っては「封印」というより、特定の賞を取ったもの以外は、保管する場所も機関もなくジャンクされている率が高いくらいです。
アニメや特撮についてはとても残存率が高いので、往々にして他のバラエティやスタジオドラマも残っているのだろうとよく誤解されていますが、テレビはそれほどまでに「後世に残して」「再利用できる」という意識が低かったのです、そもそも。
もし「そういう現象があった」というのなら、いたずらに思い出番組のリストを作るより、テレビの歴史の中でライブラリ・アーカイブがいつ頃から意識され、どの時期から完全に保存されているのか、語られるべきでしょう。--ふりーく北波 2007年5月9日 (水) 05:37 (UTC)[返信]

個人的にはふりーく北波さんご指摘のように「ある類型を端的に説明しうる一・二例(なおかつ比較的知られている作品で現在進行形のもの)」に絞るのが、百科事典としての記述としては最上だろうと考えていますが、Westさんの整理によって、それ以前よりは大幅に項目として改善されたことは確かだと思います。有り難うございました。これが本当に「封印作品」かどうか疑問に感じるものもまだ多くあるので、今後も整理する必要はあると思います。また、「封印」という語が人によってあまりに曖昧・多義的に用いられているため、解説にあたってできるだけその語を使わない方がいいのではないかとも考えます。

なお、そもそも何をもって「封印作品」と呼ぶのか、きちんとした定義がある訳ではなく、各人各様に判断がされているのが現状のように見受けられましたので、「安藤健二氏が取材対象にしたような作品」を念頭に、本項目で対象とすべき作品をかなり限定してとらえるよう冒頭の記述を修正してみました。これが万全の定義だとは毛頭考えておりませんので、皆様の手でよりよい記述に訂正をお願いいたします。

別件ですが、Westさんは,テレビ番組は全部制作元に保存されているのが当然で、残っていないのは特筆すべきことと考えておられるようですが、実際には基本的に一過性のもので,放送と同時に消え去っていくのが当然、後世に残す性質のものではないと考えられていた時期が長く続いたのが実状です。テレビドラマの項目では「上書きによる消去」の事情について簡単に触れられています。また、私が多少編集に関わった項目でいえば、大河ドラマの項目では、1977年以前の諸作品がほとんど現存しない理由として、また『タイム・トラベラー』、『なぞの転校生』の項目では、視聴者が家庭用ビデオで録画した映像のみが現存している事情として記述されています。 アーカイブ構想などの形で、テレビ局自身が組織的に番組を残すよう取組みをはじめたのは、テレビ放送の歴史からすればごく最近のことです。 いずれにせよそれらの事情は、テレビ放送全体の歴史とか、あるいは個別の番組の項目、録画技術の歴史などを扱う項目で記述すべきことであり、「封印作品」の項目で取り上げるべきこととは考えられません。Hkato 2007年5月9日 (水) 05:33 (UTC)[返信]

先ほど本文に加筆したように、安藤氏にとりあげられた水木杏子氏は、自身のサイトで、「<封印>とは全く意味が違う」と主張しています。Wikipediaで安易に「封印作品」だとレッテルを貼ることで、冷や水を浴びせられる思いをする方々が他にも出てくるかもしれないことを、一度、皆様にお考えいただきたいと思います。--Sasuore 2007年5月10日 (木) 11:26 (UTC)[返信]


ふりーく北波さんの御提案に従って、「かつて封印作品だったもの」の部分を全削除してみました。もしこの節がなければまずいという意見で合意できるなら、元に戻すのは容易ですので、御議論をいただきたいと思います。Hkato 2007年5月27日 (日) 07:53 (UTC)[返信]

『TRICK』エピソード6,7 パントマイムで人を殺す女 について

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2007年1月1日 (月) 10:23 (UTC)の編集以降、TRICKが封印作品として扱われていますが、そもそも雪印集団食中毒事件は2000年6~7月の出来事でTRICKのこの回が放送されたのは同年8月です。小ネタとしてガブ飲みするシーンが使われたわけで、事件の影響で封印とかありえません。DVDでもしっかり収録されていますし、特典映像ではこのシーンを撮影した理由などをこの回のディレクターが述べています。おそらく2006年10月10日 (火) 02:46の版で私が記述した「さすがにカットされた」という部分を曲解されたのでしょう。--彩華1226 2007年5月30日 (水) 19:27 (UTC)[返信]

緯度0大作戦について

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ソフト化(DVD化)されている以上、合法的に売買・視聴できるのですから、封印作品ではないでしょう(以下、緯度0大作戦の項目から引用)。

「本作は近年まで映像の二次利用に関する契約書の所在が不明であったため、ビデオ・LD化されなかったが、契約書の発見に伴い2006年にDVD化された。」

以上により、削除しました。--ゲッターピジョン 2007年7月25日 (水) 07:16 (UTC)[返信]


ロシナンテの災難と最初のパーマンについて

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当該項でこのドラマの未ソフト化に関して映像化の経緯に起因する可能性を記述した者ですが、そもそも本当の理由は明らかになっていません、ただ本作を封印作品にしたがる人物がその旨をしつこく記述するので補足で書いたに過ぎません。原状では本作が抗議を受けたという事実は未確認で、出典不明のままです。再放送も2度行われております。あと、パーマンに関してもリメイク版で不適切な設定が修正されたのと、ソフト化されていない事実の相関を証明する資料はない筈です。ただし、パーマンに限らずモノクロ時代の藤子アニメは全話現存しないと聞いてはいますが。--219.110.103.248 2007年9月1日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

私が仕事で今から10年ほど前にフィルム管理会社に伺った際、『パーマン』(モノクロ版。以下同)に関しては特定話数が欠落しているという事実はありませんでした。全話の放映リスト・シナリオを確認しています。その中から選択した希望話数を借りました。また、その当時において『オバケのQ太郎』に関しては使用に際しての条件提示(具体的なことはご勘弁ください)があり出庫できない話数がありましたが、『パーマン』に関してはそういう事実は一切なかったと証言しておきます。
ただし、「不適切な設定」に対する自主規制は時代の流れに伴う倫理上の観点から地上波の場合、今後も行われるでしょう。またそれ以外に藤子F作品に関しては、かなり慎重にコンテンツの再利用をコントロールされている様子なので、この『パーマン』に関してもココでいう単純な「封印」が理由だとは思えません。主に経営上の戦略的理由に起因する部分も垣間見え、「いわくつきだから」ではないと思われます。ですので、今書かれているような「理由」も少し本質とは違うのでは。--ふりーく北波 2007年9月4日 (水) 01:10 (UTC)[返信]

作品の一覧について

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Wikipedia:独自研究は載せないに基いて、出典を明示できない作品、何らかの市販本などにて「○○は封印作品である」と記載されていない作品タイトルは記述すべきではありません。--KoZ 2008年5月27日 (火) 00:59 (UTC)[返信]

それでは、Wikipediaではない、どこかのWikiレンタルサイトを利用して、そこに載せる、というのは如何でしょうか、ここと同じ、MediaWikiを使う所もあるみたいです。Mikomaid 2008年5月29日 (木) 07:51 (UTC)[返信]
Wikipedia以外のサイトについては、ここで議論するまでもないでしょう。Wikipediaに記述してある内容の複製も、Wikipedia:著作権#複製、改変、再配布などの利用をされる方へにありますように、GFDLに則っていれば問題無いと思います。--KoZ 2008年5月30日 (金) 13:37 (UTC)[返信]
ブラック・ジャック』の第58話「快楽の座」は、『BLACKJACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』(2003年、秋田書店)で「現代医療の常識」や「人権意識」といった問題から単行本未収録であると書かれています。これは出典になるのではないでしょうか(第28話「指」については、「諸事情で第227話「刻印」に書き直された」という微妙な表現になっているので、どうしたものか…)。--Golza 2008年9月16日 (火) 08:47 (UTC)[返信]
「単行本未収録」≠「封印作品」ということにご注意ください。Wikipediaは「単行本未収録エピソードの一覧」を書くところではないと考えます。--KoZ 2008年9月18日 (木) 00:14 (UTC)[返信]

欠番の方に雑多な作品一覧が列挙されていたため一旦除去させて頂きました。--125.197.100.59 2012年1月13日 (金) 09:00 (UTC)[返信]

銀河戦国群雄伝ライ

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アニメ版は作者の逆鱗に触れたという事で一応封印作品です。--あいまいみーまいん 2008年7月6日 (日) 10:31 (UTC)[返信]

ムーミン (アニメ)

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上の方で散々論じられているように、「再放送もDVD化も行われていない」ことが即「封印」されたことを意味するわけではありません。「旧作が封印されている」と記述された資料を示していただかない限り、くだんの書き込みは独自研究です。West 2008年10月15日 (水) 11:10 (UTC)[返信]

蘇る封印映像幻の特撮&アニメ徹 (三才ムック VOL. 162) (単行本)という本に詳しく掲載されていました。--124.97.73.96 2008年10月15日 (水) 13:16 (UTC)[返信]

情報ありがとうございます。当該書籍は同様に現在では見ることができない作品を多数紹介した物のようですが、その中からムーミンだけを取り上げたのはなぜでしょうか。安藤健二氏と同じように「天野ミチヒロが著作に取り上げている作品」として例示することもできると思います(重複している作品や、実際にはDVDなどが発売されている作品もあるようですが)。West 2008年10月16日 (木) 15:17 (UTC)[返信]
基本方針が基本的に安藤氏主体になっているからいいけれど、天野ミチヒロの言うところの封印作品は、封印されてなくても封印されそうな作品を煽る一方、安藤氏のように取材するでもない、つまりやばそうな作品を煽るだけの人なので、こんな人の書籍はそもそも参考にするのが間違いです。大体、かつてこの項目で物議をかもした封印作品の選択の殆どは天野の書籍を出典にしたものです。天野は極庭探検隊ポーラボーラを封印作品として原稿を書いていたら途中でソフト化が決まって単に作品が忘れられてただけだったので誤魔化して原稿を締めくくった事さえもあります。--葛餅会話2012年7月15日 (日) 20:44 (UTC)[返信]

大岡越前

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大岡越前 (テレビドラマ) -第2部第22話「幻術師」は、劇中に幻術師の教団として「唯一神霊教」が登場し、類似名の神霊教が抗議したため欠番。DVDボックスも神霊教の抗議のため、削除となった。 と、完全に封印作品の扱いになっています。

出撃!マシンロボレスキュー

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本作の52、53話がこの記事で封印作品として扱われているようですが、ネット上で有料配信されているので該当しないと思います。--左脳 as 飯尾トコ会話2017年11月30日 (木) 11:28 (UTC)[返信]

久々に見たら、再び、無責任に封印作品が増やされてますね。以前はここはリストではない、と言う事で最低限まで減らされたのに。--葛餅会話2018年3月11日 (日) 06:45 (UTC)[返信]