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ノート:富永恭次

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別冊宝島による本項記事の無断転載があると思われます

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宝島社の発行する「別冊宝島1513 太平洋戦争秘録 勇壮!日本陸軍指揮官列伝」(ISBN:978-4-7966-5926-0)の内、伊藤龍太郎氏の執筆部分にライターの転載によるGDFLライセンス違反があると思われます。

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%92%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%BA%90%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#.E3.82.A6.E3.82.A3.E3.82.AD.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2.E3.82.92.E6.83.85.E5.A0.B1.E6.BA.90.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.84.E3.82.8B.E6.97.A8.E3.82.92.E6.98.8E.E8.A8.98.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.84.E3.81.AA.E3.81.84.E3.82.B5.E3.82.A4.E3.83.88.E3.83.BB.E5.87.BA.E7.89.88.E7.89.A9 「ウィキペディアを情報源としている旨を明記していないサイト・出版物」の項目 にも記載いたしました。

従って同書をソースとする編集は格別な注意を払う必要があります。また逆に本項が同書からの転載記事であると誤解される可能性がありますが、このような判断は慎重に行うことをお勧めします。 --1052 2008年5月10日 (土) 18:34 (UTC)[返信]

「諸君はすでに神である」の訓示

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ほぼ間違いなくこれは海軍の大西中将の訓示。しかし朝日新聞が冨永の訓示にすりかえて、それが広まった可能性が強い。--124.45.176.128 2010年5月25日 (火) 13:13 (UTC)[返信]

で?その根拠とする出典は?また貴方の独自研究ですか?いい加減にしてください。そう主張する出典が示されなければ削除します。--Miwa.SS 2010年5月27日 (木) 00:26 (UTC)[返信]
おそらく「諸君はすでに神である。」は大西の訓示から、「君らだけを行かせはしない。最後の一戦で本官も特攻する」これは菅原道大が言ったとされる言葉に酷似している。大西と菅原の証言のソースは確認できるが、富永の証言はみんなWikipediaがソースになっている。Wikipediaが捏造情報の発信源になっている可能性があります。--124.45.181.150 2010年5月27日 (木) 04:16 (UTC)[返信]
貴方の独自研究の演説を聞いてもしょうがない。全部貴方の推測でしかない。貴方は「朝日新聞が冨永の訓示にすりかえた疑惑あり」としているんだからその主張の出典を出さないと独自研究で全削除。--Miwa.SS 2010年5月27日 (木) 23:40 (UTC)[返信]

冨永が「諸君はすでに神である」と言ったという根拠は無い。 そもそも出撃を伝える当時の新聞が勝手に「諸君はすでに神である」と記事で伝えたものであり、新聞社が自分たちの当時の主張を勝手に冨永の言葉にすりかえた以外には考えられない。--114.145.31.137 2010年5月29日 (土) 11:25 (UTC)[返信]

「すりかえた以外には考えられない」と考えているのが「あなた」であるかぎり、そのお考えはあなたの独自研究との謗りは免れない。ウィキペディアは事典であり、あなたのご研究は別の場所で発表されるべき。あちこち荒らしているip可変ユーザーのようですが、次はどちらを荒らす予定? --1052 2010年5月29日 (土) 18:17 (UTC)[返信]

では「諸君はすでに神である」と「訓示」したというのは誰の考えですか?「昭和の名将と愚将」でも訓示したなんて書かれていてませんよ。--124.102.104.191 2010年5月30日 (日) 02:58 (UTC)[返信]
あと、あなたは「とはいえ航空作戦に全くの無知であったため、生存者によると特攻前になると一升瓶をぶら下げて現れては訓示を垂れるしか能のない司令官だったという」と編集されているようですが、これの出典は何ですか?--124.102.104.191 2010年5月30日 (日) 03:08 (UTC)[返信]
私がその編集をしたというのはいつですかねえ?中傷はおやめください。そしていい加減、独自研究はもういい加減にしなさい。前段にしても要出典にして出典を求めればまだしもありもしない資料を捏造して反論編集する貴方の態度にはいい加減うんざりです。以後あなたの編集は出典が示されないものは1ヵ月後に、独自研究は即削除させていただきます。--Miwa.SS 2010年5月30日 (日) 12:08 (UTC)[返信]
追記。現在富永について放置しているのは、貴方の嘘と欺瞞に満ちた捏造された出典を確認する為に、東條英機以下、竹槍事件、そして牟田口、前田、富永などの貴方の出典書籍を随時確認しているからです。何で平然と嘘を書けるのは貴方の人間性を大いに疑います。--Miwa.SS 2010年5月30日 (日) 12:13 (UTC)[返信]

敵前逃亡について

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高木氏の書籍を読んだが巷で書かれている内容とはまるきり違う。 確かに高木は執拗に冨永の汚い逃亡だと繰り返し、小説部分ではそのように描かれている。しかし資料や証言に基づいた部分はそれに反している。

要するに大本営は東条派の冨永を抹殺し、ついでに特攻作戦の責任を全て冨永に負わせたいと、それしか考えていなかったようだ。軍中央は米国との戦いよりも、中央での政争と責任問題の方が遥かに重要だったわけだ。高木氏の書籍を丹念に読めば汚いのは反東条派の軍中央で、冨永が気の毒だとしか思えないであろう。

あとこの書籍は読んで疲れる。小説とノンフィクションがごちゃ混ぜで。 登場人物の発言は大部分が著者による創作だと思うが、それがある程度資料に基づいたものなのか、全くの創作なのか読んでる方にはわからない。この書籍の小説部分を元に議論をしたら大混乱になると思う。 --61.45.41.185 2010年6月5日 (土) 07:26 (UTC)[返信]

嘘を書くのはいい加減にしなさい。前段だけ読んで後段の結論部分読んでないあまりにアホらしい意見。陸軍特別攻撃隊3の「軍司令官逃亡」「包帯と短刀の意味」の2章くらい全部読んでから編集しろ。仮病の包帯と狂言自殺用の短刀について冨永自身を厳しく糾弾している。隈部に全部押し付けているなどの冨永の戦後の虚言もな。--Miwa.SS 2010年6月12日 (土) 14:29 (UTC)[返信]
あんたの方こそ本をちゃんと読んでのか?この本を読めば後退を画策したのは隈部参謀長だと殆ど結論が出ている。しかし、一家心中に追い込まれた隈部を犯罪者扱いするのは気の毒だから、明確にだれもそれを言えなかった。これ以外の結論は無い。富永にも何も問題が無かったわけでは無いが、結論に変わりはない。--221.184.76.180 2010年6月12日 (土) 17:02 (UTC)[返信]

これとは違った解釈があると言うなならば、上の「敵前逃亡」の項目でそれを詳しく書いてくれ。出典も明記されないいい加減な編集を直す事が、そっちの仕事だろ。--221.184.76.180 2010年6月12日 (土) 17:14 (UTC)[返信]

ついでに書くが、山下大将が富永を罵倒しているように書かれているが、この部分は出典が無い。したがって高木氏が推測で山下大将の証言を勝手に創作したとしか考えられない。 南方総軍(寺内)も14軍(山下)も、事後ではあるが4空軍の台湾後退を正式に認めて許可している。軍規に反した間違った行動だったならば許可をするわけがないわけで、南方総軍が問題なしと結論したものを、高木氏が問題ありと言い張っても何の説得力が無い。--221.184.76.180 2010年6月12日 (土) 18:25 (UTC)[返信]

ちゃんとしたページ数を提示することを要求します。嘘を書き続ける行為はいい加減にしなさい。大田の「インパール作戦」にしても序文の疑問提案部分だけをさも主張のようにすりかえているし、あんたの捏造出典の書籍を既に12冊こちらは入手したから嘘は何度書いても削除します。とにかくそう主張するんならそのページ数を提示してごらんなさいよ。----Miwa.SS 2010年6月13日 (日) 00:41 (UTC)[返信]

陸軍特別攻撃隊2の130ページには冨永出てきませんな。133ページ以降ですな。まとめ方も本の主張と真逆だし、部分切り取って自分の意見をさも出典ありのように捏造するのはやめましょう。そうそう隈部隈部言うのなら、陸軍特別攻撃隊3の巻末追記に基づいて冨永の息子への不正入学不正進級問題も取り上げますかねえ。帰国後にも家族に嘘を書かせて反論した冨永の汚さも全部書きましょう。ちゃんとページ数付出典でね。優雅なシベリア抑留もね。忘れちゃいけない小説太平洋戦争も出典として付けなけりゃね。--Miwa.SS 2010年6月13日 (日) 00:53 (UTC)[返信]

編集合戦を回避するため、今後はノートで十分な出典を示せる根拠のある議論をする必要があります。それに基づいて今後本文を編集しましょう。--Botellón 2010年6月27日 (日) 10:20 (UTC)[返信]

合理的な説明もなく出典の示された記事を大量削除し、出典が示されないという理由で削除されたものを復活させるというルールに反した不正な行為をしておきながら(しかも多重アカウントの可能性大)、人に説教を出来るんでしょうか?まずは元へ戻していただきたい。--Rztwr 2010年6月27日 (日) 17:47 (UTC)[返信]
貴方は誰ですかね?IPユーザがアカウント取ったんなら名乗られたらどうですか?それとも個人研究と演説ばかりする荒しのIPユーザが半保護逃れに捨てアカウントでも取得されましたかね?コメント依頼の件も含めて考えるに、貴方は、私に対して多重アカウントだの言っているのでしょうが違いますよ。もう考えすぎで冷静な判断もできないのでしょうね。なんなら、私と利用者:Botellón氏が同一人物かをチェックユーザー依頼したらどうです?そうそう個人攻撃個人批判なら私のトークへどうぞ。その類はトークでしか以後返答しません。--Miwa.SS 2010年6月28日 (月) 04:27 (UTC)[返信]
利用者:Rztwr氏は、貴殿と酷似する主張をするIPユーザー氏が編集を繰り返している「ノート:牟田口廉也」の項も参照されてはいかがでしょうか。当記事で発生している問題の原因も同様の点にあります。--Botellón 2010年6月28日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
ノートでの議論を理解されていない、またはその意志がないようで、残念ですね。以前から編集を繰り返しているIPユーザー氏の編集の問題は、記述内容に具体的な出典を示すことができず、また示したとしてもその内容の信憑性に問題があることは、利用者:Miwa.SS氏が指摘しているとおりです。貴殿の編集内容は全く同一ですので、それを含めてノートで今後議論を尽くすために一旦差し戻します。利用者:Miwa.SS氏の記述を熟読してください。--Botellón 2010年6月30日 (水) 15:07 (UTC)[返信]

編集内容に問題があるならば、まずはそれを具体的に指摘するのがルールで、全部をいきなり削除するような行為はルール違反のはずです。--Rztwr 2010年7月2日 (金) 13:00 (UTC)[返信]

そもそも出典とされている高木の『陸軍特別攻撃隊3』の130ページに掲載されているのは梨子田曹長の話でここに書かれたような話は掲載されていない。出典指摘ページに掲載されていないのだから出典無効なうえは即削除されても問題無し。また、独自研究も即削除しても無問題。また、敬称すら略さず、出典著者と別の結論を書く理由も全くもって不明。--Miwa.SS 2010年7月3日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
木下師団長の更迭事件の出典として示されているのは『陸軍特別攻撃隊3』ではなく『陸軍特別攻撃隊2』の方であり、p130からその内容はちゃんと書かれており、編集内容と全く違いはない。Miwa.SS氏はそんなことはすでに知っているはずで、虚偽を書かないでください。--124.45.120.236 2010年7月3日 (土) 07:18 (UTC)[返信]
『陸軍特別攻撃隊2』の130ページに書かれているのは八紘隊と靖国隊でレイテ方面の航空作戦の話。貴方の主張するような話は書かれていない。IP氏らは読みもせずに何処からか孫引きでもしているのではないか?その元が本そのものかページ数かが間違っているから間違った出典を書き続けているのではないか?--Miwa.SS 2010年7月3日 (土) 08:31 (UTC)[返信]
「八紘隊と靖国隊」はp120から始まっており、その二としてp130~p140に第二飛行師団長(木下師団長)の更迭事件の話が紹介されている。まるきりこちらの編集内容と同一の内容がちゃんと書かれています。Miwa.SS氏こちらが書籍を見ていないと思って、いい加減な嘘を書いても無駄ですよ。--124.45.120.236 2010年7月3日 (土) 09:12 (UTC)[返信]

同一ですか?かなり偏向した内容ですが?高木氏のそれと真反対の主張に使うのに無理をしているんじゃないですか?本を読んでないという主張が間違っていたことについては率直に認め謝罪します。他の部分にも当然ページ数つけてくれますよね。--Miwa.SS 2010年7月3日 (土) 09:39 (UTC)[返信]

該当部分は10ページに渡る書籍の内容を、正確かつわかりやすくコンパクトにまとめたつもりだが、要約の際、偏向した表現部分があるという具体的な指摘があるならば、それは修正には応じられますよ。全てにページ数を示せとの要求には、それは約束は出来かねる。それはこちらだけが高い条件を付けられるのは公正ではないから。しかしこちらには一切やましい事は無いので、正当かつ具体的な指摘と要求にはいくらでも応じられますよ。--124.45.120.236 2010年7月3日 (土) 10:24 (UTC)[返信]
貴殿の主張はこれまでの定説を覆すこととなるものですので、今後のこの項目が「正当かつ具体的」な記述によって充実していくためにも、ぜひとも御説を裏付ける出典、参考資料等をここで提示いただければと思います。またそれが、貴殿の主張が独自研究でないという重要な根拠になります。--Botellón 2010年7月3日 (土) 11:11 (UTC)[返信]


富永を見直した

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わずか数機の七十五戦隊だが、富永はおそらく山下大将から孤立するレイテの部隊に食料を投下してくれと頼まれたのだろう。たった数機の航空機による食料投下だが、それを待ち望んでいる飢えた兵士のことを考えれば、その数機を勝手に木下師団長は特攻攻撃の協力のために使ってしまったのだから、富永が激怒したのは当然じゃないか。木下は航空機は攻撃のためにあるのであり、歩兵の協力に使うなどとは本来の目的に反していると言ったらしい。高木氏は木下の主張を最もだとして、富永は異常だと書いている。いったい高木氏の感覚はどういうことなんだろうか?--61.45.41.185 2010年6月5日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

ノートは記事について議論して合意形成を図る場です。大変な力作のようですので上記は個人の感想文のようなものはご自身の夏休みの宿題にでもご活用していただき、大変申し訳ないのですが本項は抹消していただけると幸いです。--Ring5ring5 2010年6月25日 (金) 03:13 (UTC)[返信]

別冊宝島(1513)『太平洋戦争秘録 勇壮!日本陸軍指揮官列伝』の内容

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別冊宝島(1513)『太平洋戦争秘録 勇壮!日本陸軍指揮官列伝』の中の牟田口廉也、富永恭次、辻政信などに関する内容が、ウィキペディアの記事とまるきり同じだということです。時期的にはウィキペディアの方が古いので、宝島の執筆者の伊藤龍太郎氏がウィキペディアの記事を丸写ししたことになります。しかしいくらなんでもそれは無謀なので、伊藤龍太郎氏はウィキペディアに記載されてるとは知らずに、誰か有力な情報提供者から得た原稿をそのまま使ったのではないでしょうか。いったい誰が情報提供者なんでしょうか?。牟田口廉也、富永恭次、辻政信の三人を何とか貶めたいと裏で必死に暗躍している勢力が間違いなく存在します。--221.184.78.107 2010年6月18日 (金) 14:19 (UTC)[返信]

違います。Wikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイトにもあるように、JAWPの方が先ですし、JAWPの内容を利用した本です。--Los688 2010年6月18日 (金) 14:21 (UTC)[返信]
このページの一番上にも書いてあるし。--Los688 2010年6月18日 (金) 14:23 (UTC)[返信]

コメント依頼のお報せ

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お忙しい所恐れ入ります。Hmanと申します。Wikipedia:コメント依頼/Dosok-3 他IPにて、

Rztwr124.45.176.128124.45.181.150114.145.31.137124.102.104.19161.45.41.185221.184.76.180221.184.78.107

以上のユーザーの多くと同一と見られるユーザーの編集姿勢に対するコメントを募集しております。このユーザーのウィキペディアでの活動を知る方々から、公平且つ広くコメントを頂きたいと考えてございます。また、まだ明らかとなっていない情報をご存じの方は、是非ともお報せの程をお願い致したく存じます。--Hman 2010年9月13日 (月) 04:36 (UTC)[返信]

上記コメント依頼でございますが、残念ながら被依頼者との交渉は妥結するには至らず、大変不本意ながら、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Dosok-3 他IPに場所を移すことと相成りました。引き続きご意見のほどをよろしくお願い申し上げます。--Hman 2010年9月19日 (日) 18:09 (UTC)[返信]
上記ブロック依頼が被依頼者の一部アカウントのブロックと言う事で落着致しました事を、ご報告申し上げます。大変お騒がせ致しました。--Hman 2010年10月5日 (火) 07:24 (UTC)[返信]

このページに関する問題点について(2020年7月)

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2020年7月現在、このページには以下のような問題点が見受けられます。

1 冨永個人と直接関係のない記述が多すぎる
比島方面での航空戦や特攻隊、ノモンハン事件、南寧作戦や仏印進駐の作戦経過や背景事情などについて長々と記述するなど、冨永個人を紹介する上で不要な内容が多数含まれています。詳細なご研究内容には敬意を表しますが、こうしたことは、個人的なブログ等で行うことがふさわしいように思います。
2 冨永自身についても、細かすぎる情報が極めて多い
戦地での冨永の食べ物や個別の下士官兵とのやり取りなど、一軍人の生涯を百科事典的に説明する上で必要とは思えない、些末すぎる情報が多く見受けられます。wikipediaで当該人物の主要な内容を簡潔に把握しようとする利用者にとって、こうした冗長な記述はかえって支障になるのではないかと危惧します。
※「Wikipedia:過剰な内容の整理」より:「項目に関する幅の狭い内容だけを細かく記述することは、その項目についてよく知らない読者が項目を総合的に理解することを妨げ、逆に関心を損なうおそれがあります。」
なお、「秀逸な記事」に選ばれたディズレーリグラッドストンのように、世界史上の重要性に鑑みて長文での記述が必要と思われる人物も存在しますが、冨永がそのような人物とは思われません。冨永と同時期に中央の局長クラスだった武藤章田中新一佐藤賢了田中隆吉あたりや、冨永と同様に東條陸相の下で次官を務め、のち前線の司令官に異動し、激戦地から離脱したという似た経歴を持つ木村兵太郎と同程度の分量の記述に留めるのが適当ではないでしょうか。
3 参考文献からの引用が偏っている
同一の参考文献から、冨永を称賛したり、冨永にとって有利な記述を積極的に引用する一方で、冨永に対する批判的な記述を意図的に無視しているケースが多数見受けられます。
例えば、
  • 高木俊朗「陸軍特別攻撃隊」からは、「冨永が自ら隊員のひとりひとりに酒を酌して回った」というような肯定的なエピソードは引用していますが、同書で全面的に展開されている冨永批判は無視するか、これを否定できる証言がある場合において引用している印象を受けます。総じて、冨永にとって都合の良い記述を、つまみ食い的に引用しているとの批判は免れないように思います。
  • 菅原道大中将の子息の深堀道義「特攻の真実」では、冨永の人格・能力に対する長文の厳しい批判が行われていますが(pp.62-71)、これには軽く言及するに止め、「高木の著作はノンフィクション風ながら、時折、高木の創造が混じっているとの指摘もあり」など、高木批判に使える箇所を重点的に引用しています。
  • 高橋秀治「第四航空軍の最後」からは、冨永にとって当たり障りのない記述を引用する一方で、「偏狭な冨永軍司令官の人事専断」(p.132)、「冨永軍司令官の精神状態が安定を欠き、感情が急変し、異常な言動が多いために、参謀の気持ちが離反していた」(p.190)、「冨永軍司令官と幕僚たちが、その指揮下にある多くの将兵を顧みることなくルソン島から脱出したことは、陸軍刑法にある敵前逃亡に等しき行為である」(p.192)「四航軍は…冨永軍司令官が率先逃亡して、四散消滅した」(p.226)など、冨永にとって都合の悪い記述には言及していません。
4 参考文献の内容を歪曲して引用している
例えば、参考文献として示されている「戦記作家高木俊朗の遺言 Ⅰ」の中では、冨永が、自分の息子が訓練を行う飛行場に軍医を配属し、息子を含む特操にも恩賜を与えさせたという出来事について、「冨永次官の息子への愛情という、私的感情のため」「これは親ばかではなくて、軍隊を私(わたくし)するもの」と厳しく批判されています(pp.220-222)。
このことについて本記事では、
「富永は東條の指示を忠実に守り、航空兵の育成に尽力していたが、ある日、富永が航空兵の育成状況を確認のため、訓練を視察したところ、見習航空兵の操縦教育は非常に危険が多いのにも関わらず、訓練用飛行場には軍医が一人も配置されていないことに気が付いて、陸軍航空本部教育部部長隈部正美大佐に至急対応するよう命じている。富永の命によって72名の軍医が地上部隊から航空部隊に転属となって、見習航空兵に対する医療が充実している」「卒業時には、富永の命令により、…正規の軍人と差別されることなく、特別操縦見習士官の首席にも下賜されることとなった」
と、全く正反対の印象を与える記述にすり替えられています。
また、台湾沖航空戦に関して、「富永はアメリカ軍機動部隊は退避することもなく、逆に南下して積極的な航空作戦を展開していることから分析しても、戦果報告は過大であると正確に判断していた」とありますが、参考文献の該当ページ(戦史叢書48巻p.275)にそのような記述はありません。
5 不必要に冨永を称賛している
この記事の中では、
「後宮淳中将は富永の仕事ぶりに感心している」「富永は陸軍官僚として優れた能力を示した」「富永の優秀な仕事ぶり」「さらに富永を高く評価することとなった」「富永の厳しい訓練で鍛えられた兵士たちは、…目覚ましい戦果を挙げている」「ノモンハン事件は富永らの懸念通り日本軍の敗北に終わり」「富永の作戦は成功して」「富永の人事案で編成された各軍は怒涛の進撃を見せた」「富永は東條の右腕として辣腕を振るう以外にも、数々の重要な施策を進めている」「実際にこの大艦隊は富永の判断通り」「折角の富永の好判断を活かすことができなかった」「富永の第4航空軍の猛攻に曝されて」「富永の作戦を評価し」「富永率いる第4航空軍に対するお褒めのことばがあっている」「富永の積極的な航空作戦によって」「富永の特攻機の運用は巧みであり」「富永が将兵からの人望が厚かった一因としては、戦場での勇敢さもあげられている」「富永は空襲の危険を構うことなく」「自らも死を覚悟していた富永は」「富永は大雨の日もずぶ濡れになることも厭わず出撃する特攻機を見送り続けた」「富永立案の奇襲は成功し」「富永は引き続き小型機による特攻出撃を命じ多大な戦果を挙げている」「富永の積極果敢な航空作戦によって」
など、明らかに冨永を肯定的に印象付けようとする主観的な記述が多数見受けられ、およそ客観的かつ公正な記述になっていません。
また、これらの中には、このような記述を行うことが疑問視される内容も含まれます。
6 記述手法が公正さを欠いている
例えば、第4航空軍司令官の冨永が前線に出たがり、軍内で批判を受けていたことに関して、
「参謀はそのような富永の覚悟を「今度の総攻撃のような重大な時は、軍司令官はうしろで大勢を見ていなければいけない」「(富永は)歩兵連隊長さ」と航空の素人の浅はかな考えであると冷笑したが、連合軍の極東空軍(Far East Air Force, FEAF)司令官ジョージ・ケニー(英語版)少将もマッカーサーと共に常に最前線におり、参謀たちと一緒にレイテ島で確保したばかりのタクロバン飛行場の整備の陣頭指揮をとっており、実戦意識の乏しい日本軍の第4航空軍参謀との違いは明らかであった」
と記述しているように、見解が分かれる事項に関して、「冨永に対する批判的な見解をまず示し、それを他の見解で否定する」記述手法が繰り返し採られています。これは公正な両論併記などではなく、後者の立場の正当性をアピールする記述であり、中立性を欠いています。
また、こうした見解が分かれる事項については、否定的な見解の記述量を少なく抑え、肯定的な見解を長々と記述する傾向が見受けられます(一例としては、「評価」の2段落目)。

以上のような問題点は、菅原道大万朶隊など、Otyoufujinn氏が編集に関与した他のページにおいても見られるところです。

こうした問題を解決するために、Otyoufujinn氏がこのページの編集を始める前の、2019年11月時点の版にいったん戻し、そこから改めて、客観的、公正かつ簡潔な内容となるよう再編集を始めることが適当ではないでしょうか。

なお、現在のように、出典を明示すればどのような記述を行っても問題ないとのことであれば、記述全体の公平性を確保するために、私自身が出典付きで大量の追記を行う用意があることを申し添えます。--さらばラバウル会話) 2020年7月25日 (土) 12:19 (UTC) さらばラバウル氏の了解のもと、マークアップ等を使用して体裁を整えました。--Panda 51会話2020年7月25日 (土) 12:49 (UTC)[返信]

賛成 多くの部分で記述が冗長になっていることもあって、本項目の内容は過剰になっていると思います。また、私はOtyoufujinn氏やさらばラバウル氏ほど本項目の内容に通暁してはおりませんが、中立的な観点に関する疑義も抱かざるをえない内容のように思います。さらばラバウル氏の提案に賛成します。--Panda 51会話2020年7月25日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
賛成 戦史叢書と照合した限りですが、不適切な引用が多いです。注釈352「デング熱も発症していた」とありますが、戦史叢書の原文では「デング熱ではない。神経衰弱ではなかったか」とあります。注釈406の南方軍発電文について『「統帥の神聖を保持する所以に非ずと考え本官の甚だ遺憾とする所なり」とする、第4航空軍司令官を名指しで極めて強い口調で叱責する異例な電文を第10方面軍宛に発信している』とありますが、戦史叢書の当該ページを見ると、第4航空軍へ発信されており、参考で参謀本部と第14方面軍に送られていて「極めて強い口調で叱責する異例な」という記述はありません。
ほかにもページの誤記があったり(注釈54,184,433)、原文にない記述があったり(注釈38「冨永と西原に祝電を」は原文では「西原以下」、注釈435『南方軍総参謀長の沼田多稼蔵中将も台湾で富永と面会し、第4航空軍の現状をつぶさに視察して大本営に「1.第四航空軍ニ対スル部下ノ信頼ナシ 2.実質的ニ司令部ハ解消セリ 3.戦術上航空軍司令部ヲ置ク理由ナシ 4.司令部解消スルモ大ナル害ナシ」との報告を行っている』とあるが、当該ページに沼田が台湾を訪問した記述はなく、2と4の記述もなく報告は文語体でもない)し、正確な引用なのだろうかと感じます。「出典を持ってきてもフルボッコにあっているような感じがします」といわれますが、さらばラバウルさんの指摘の4にもある通り、適切さを疑われる引用が信頼を問われている一因だと思います。
「前向きな記述は抑制すべきという流れになることは避けるべきと考えます」とのことですが、百科事典である以上、「極めて強い口調で叱責する異例な」であれ「富永の優秀な仕事ぶり」であれ、主観的な記述は抑制すべきではないでしょうか。--Centurion会話2020年7月25日 (土) 19:30 (UTC)[返信]
反対 さらばラバウル様、冷静で詳細な検証ありがとうございます。当然にこのようなご指摘があるかもしれないということは予想しておりましたが、最初にこのページを見た時の記事量の少なさと、資料の偏りが問題と考え、多くの資料を集めて編集を続けてきました。私は色々な資料を検証するに従って、富永恭次氏がほぼ小説「陸軍特別攻撃隊」の記述のみを妄信されて、一方的に誹謗中傷されており、公平で正当な評価がされていないと考えて、でき得る限り小説「陸軍特別攻撃隊」以外の多くの資料に当たったつもりであります。さらばラバウル様ご指摘の「後宮淳中将は富永の仕事ぶりに感心している」「富永は陸軍官僚として優れた能力を示した」「富永の優秀な仕事ぶり」「さらに富永を高く評価することとなった」「富永の厳しい訓練で鍛えられた兵士たちは、…目覚ましい戦果を挙げている」「ノモンハン事件は富永らの懸念通り日本軍の敗北に終わり」「富永の作戦は成功して」も全部とは言いませんが、出典にもそのものの表現や似たような表現があったのを引用したつもりですが、五月雨式に編集したので、不自然なほど多くなってしまったようです。ご指摘の表現は修正しときます。あと富永恭次氏の悪評も評価などでしっかり入れているつもりですが、バランスが悪いというなら、相応しい編集を追加願います。
ただし、>自分の息子が訓練を行う飛行場に軍医を配属し、息子を含む特操にも恩賜を与えさせたという出来事について、「冨永次官の息子への愛情という、私的感情のため」「これは親ばかではなくて、軍隊を私(わたくし)するもの」と厳しく批判されています・・・のように作家の高木敏朗氏は、あたかも富永氏が親バカでやったように想像で書いていますが、逆にいえばこういう所こそ、高木氏の主観は除いて、公平冷静に行われた事実のみを書くべきではないでしょうか?このページは、これまでの議論の流れを見ても、富永氏を批判するのは出典が乏しくても許されてるが、富永氏を前向きに評価するには出典を持ってきてもフルボッコにあっているような感じがします。さらばラバウル様ご指摘の菅原氏についても同様でしょう。富永氏も菅原氏も一般的に叩かれているから、前向きな記述は抑制すべきという流れになることは避けるべきと考えます。私の記述がくどいのは自覚しておりますが、それは出典重視のWikipediaの原則を重視しているつもりであり、単純に容量を比較するのであれば、個人のページとして「‎小室哲哉」「三島由紀夫 」「三木武夫」「‎川端康成」「花澤香菜」「岡田茂 (東映)」「オットー・フォン・ビスマルク」「ウィンストン・チャーチル」などがこのページより大きいですが、たとえは悪いですが、ディズレーリグラッドストンはいいとしても、声優の花澤氏より、歴史上の人物といっても過言ではない富永氏や武藤氏や田中氏らの容量が少なくてもいいという判断の基準も私には理解できません。とは言え、さらばラバウル様に加えてPanda 51様からもかようなご指摘があった以上は、自分なりに「冗長な記述」は削除したいと思います。あとのご修正もよろしくお願いいたします。--Otyoufujinn会話2020年7月25日 (土) 13:46 (UTC)[返信]
丁寧かつ誠実なご返信を賜り、大変ありがとうございます。冷静にご意見を提示される姿勢に、心から敬意を表します。また、多数の文献を読破され、旺盛に研究を進められていることについても尊敬申し上げる次第です。
ご主張の内容はよく理解いたしました。Otyoufujinn様と私の間では、以下の点に見解の相違があるように感じました。
  • 冨永恭次や菅原道大が不当に誹謗中傷されすぎているので、それを解消したい、との思いは尊重いたしますし、個人的には理解できる面もあります。
しかし、そのような動機は、やはりwikipediaという場には持ち込んではならないものと思います。ブログなりnoteなり、個人的な意見発表が許される場で存分に主張されるべきではないでしょうか。冨永に対する一般的な評価が悪い以上、百科事典であるwikipediaにそれが反映されることはある意味やむを得ないことであり、その現状に疑問があるということでしたら、まずは十分に史学的な研究を積み、それを社会に対して発表し、冨永に対する世間の評価を改善させた上で、wikipediaの修正に望むのが筋と思います。社会一般の評価から乖離した形で、一足飛びに百科事典であるwikipediaの修正に手を付けようとすることは、ある意味では許されない近道であり、閲覧した多くの人は違和感を抱き、結局多くの人から批判を受け続けるだけの結果になるだろうと思います。
  • また、冨永の息子の件については、wikipediaが出典重視である以上、まずは出典の内容を引用し、それと併置させる形で、それに対する反対意見を他の出典から引用することが適当ではないでしょうか。自分自身の意見を反映させたい気持ちは分かりますが、編集者の判断で出典の内容を改変することは、やはり許されないように思います。
  • もし「高木俊朗の著書だから信用できない」というスタンスを取られるということでしたら、高木の著書において冨永を肯定的に描写している記述も当然信用できず、引用に値しない、という結論になるのではないでしょうか。
なお、仮に私が冨永の記事を一から書くとすれば、戦史叢書などに沿って主要な事項を淡々と書くことになりますので、恐らく高木の著書は全く使わず、参考文献にも載らないことになると思います。
  • 分量については、私自身の日常的なwikipediaの使い方としては、知らない分野の事項について、まずはその概略をスムーズに把握するために利用することが多いので、過剰な内容は元来嫌悪しています。陸軍に関する知識が全くない方が、武藤章や田中新一などに関して最初に見る内容としては、この程度の分量が適当ではないかというのが個人的な考えです。ただ、この点は人それぞれの見解があるものと思います。
当方の考えは以上です。冷静で思慮に富んだお返事を頂いたことに改めてお礼申し上げるとともに、Otyoufujinn様の今後のご研究の発展を、心よりお祈り申し上げております。--さらばラバウル会話2020年7月26日 (日) 02:33 (UTC)[返信]
コメント この議論の内容だけを読んだ感想として。Otyoufujinnさんの考え方は、Wikipedia:中立的な観点という点からちとずれているのではないかと。また、資料を基に推測した内容をもし執筆していたとするならば、それはWikipedia:独自研究は載せないに抵触する…つまり、2つの方針に反しているという印象を受けてしまいます。あくまでもここまでのコメントを読んだ印象ですので、あしからず。それと、記事に記載されている出典情報の中に何故か「小説」が含まれているのがかなり気になりなる、というか出典として持ち出すのは大問題ではないかと思いますし、また二次資料が意外に少ないような印象も。なお、提案によれば、おそらくこの版にまで一旦差し戻す、ということになるのかな。--静葉会話2020年7月26日 (日) 09:07 (UTC)[返信]
コメントを頂きまして、ありがとうございます。お示し頂いた昨年10月の版につきましても、
  • 「航空特別攻撃隊の出撃命令と自身の敵前逃亡疑惑など陸軍史上最悪の軍人だと批判する声がある」「…訓示を垂れるしか能のない司令官だったという」という、客観的な百科事典としてあえて記述する必要もないと思われる部分
  • 「…パイロット達を全員戦死させた」という事実と異なる記述
  • 必要以上に冨永をおとしめる狙いを感じさせる替え歌の記述
などは削除し、その上で、戦史叢書などを元に、事実関係をまとめていく方向で編集していけばよいのではないかと考えています。(他に着手する方がいなければ、私がやります)--さらばラバウル会話2020年7月26日 (日) 12:53 (UTC)[返信]
  • さらばラバウル様を含めて皆様のご意見拝見させて頂きました。皆様のご意見はもっともで反論するつもりもありませんが、ひとつだけ、さらばラバウル様の書かれた「冨永恭次や菅原道大が不当に誹謗中傷されすぎているので、それを解消したい」というご指摘については、少しニュアンスが違い、別に富永氏の名誉回復を狙っているわけではなくて、ほぼ、小説「陸軍特別攻撃隊」からの引用で、批判的な評価だけが定着している状況で、出典もなく編集されていたこのページを、少しでも公平平等で客観的なものにしたいと考えて編集をしてきた次第です。
  • もっとも、できうる限り多くの資料を集めたことと、富永氏に対する悪評が多い分、それを打ち消そうと必要以上に称賛するような表現を入れたというのは、Shizuha様ご指摘のようにWikipedia:中立的な観点からずれていると指摘されても仕方がないと思っております。さらばラバウル様のご提案「戦史叢書などを元に、事実関係をまとめていく方向で編集していけばよいのではないかと考えています。」につきましては、まさにその通りであると考えてます。
  • 少なくともこの版につきましては、出典も少なく、問題が多いと思われますので、戻すのであれば、早急な改善が必要と思われます。この様に多くの方からダメ出しされた私は、当面の間はこのページの編集に関わることは不適当であると考えますので、よろしければ、さらばラバウル様自らが、高木俊朗を編集されたときのように、両論併記で端的にまとめて頂くことを期待します。あと、画僧をあちこちから頑張って収集しましたのでよろしければお使い下さい(笑)--Otyoufujinn会話2020年7月26日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
コメント だからなぜ「小説」を出典として用いることを前提としているのか。小説は、どのような形であれ、記載内容を事実として認定することはあり得ませんし、小説を出典として記事に反映させるのは筋が違うはずです。私達が記事の執筆に用いる事ができるのは、どのような情報源でも「資料」であるものを用いています。小説を出典として使うべきであるという考えには、どのような理由があったとしても、とても賛同できません。--静葉会話2020年7月26日 (日) 14:08 (UTC)[返信]
  • 「小説」というのは、私が出典に使った、山岡荘八氏「小説太平洋戦争」と高木俊朗氏「陸軍特別攻撃隊」のことでしょうか?この2作は登場人物の会話などが小説風ではありますが、いずれも戦時中報道班員であった両氏が実際に取材し、事実に基づいて執筆したものであり、信頼できる出典として(特に「陸軍特別攻撃隊」)様々な書籍にも引用されているもので、このページでもかつての議論の流れをご確認頂ければわかる通り、「陸軍特別攻撃隊」を中心に編集されてきましたので、私も出典としてきました。しかし、さらばラバウル氏の「戦史叢書などに沿って主要な事項を淡々と書くことになりますので、恐らく高木の著書は全く使わず、参考文献にも載らないことになると思います。」との記述がもっともと考えております。いずれにしても、今後は完全なフィクションの「小説」との境界が曖昧な両書籍を出典として私がこのページを編集することはありませんので、ご容赦ください--Otyoufujinn会話2020年7月26日 (日) 14:33 (UTC)[返信]
まずOtyoufujinn様につきましては、丁寧なコメントを賜りまして大変ありがとうございました。Otyoufujinn様が善意で編集されていたことにつきまして、十分に理解いたしました。
残念ながら週末も終わってしまいますので、また次の週末以降に、昨年10月の版を出発点とした編集作業に着手させて頂きます。その際、ご指摘のとおり、否定的な意見ばかりでなく冨永本人の主張にも配慮しつつ、客観的かつ端的な内容となるよう努めたいと思います。
当分の間は、ひとまず現在の版のままとしておくことで、当方としては異存はありません。今後当方がやや多忙になる見込みであることもあり、しばらくお時間を頂くことになるかもしれませんが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
また、静葉様のご指摘はまさにその通りと存じます。高木俊朗の「陸軍特別攻撃隊」については内容に関して賛否両論あり、これをノンフィクションと捉えるか小説と捉えるかは、人によってスタンスの違いがあるように見受けられますが、山岡荘八の「小説太平洋戦争」については、山岡は従軍作家の経験があるものの、この作品自体はかなり創作が入った「小説」そのものであり、これを引用することは明らかに不適切かと思います。
いずれにせよ、私も本記事の執筆に当たり、この両作品は出典として使わないつもりでいます。高木についても、「陸軍特別攻撃隊」に関して賛否両論あることを考えれば、使わずに済むのであれば使わない方が無難かと考えています。
最後に、Panda 51様、Centurion様におかれましても、コメントを頂きまして大変ありがとうございました。Centurion様におかれましては、戦史叢書への詳細なご確認も行って頂きまして、心より感謝申し上げます。当方の作業においても、Centurion様のご指摘の点は参考にさせていただきたく存じます。
どうぞよろしくお願い致します。--さらばラバウル会話2020年7月26日 (日) 15:18 (UTC)[返信]