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ノート:富士スピードウェイ

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編集依頼

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うまく表に入れるテクがないんで、できる方お願いします。 シケイン設置前の旧々コースのレコード、ポルシェ956のステファン・ベロフの1:10:02です。1983年10月1日、WEC-JAPAN予選にて。 あと旧コースのF3とJTCCのレコードわかる方いらっしゃいましたら、お願いします。 --210.234.163.73 2006年12月29日 (金) 17:51 (UTC)[返信]

旧々コース(旧コース)のコースレコードということになるようなので重要な情報だと思います。その記録を加え、更新しやすいようにwikitableにした上で、各カテゴリーのレコード順に並べ替えました。--Morio 2006年12月29日 (金) 18:44 (UTC)[返信]
更新ご苦労さまです。ところで大会名が削除されてますが何か深い意味がおありですか?あと、レコード順に並べるのでいいと思いますが、GT500とGT300に限っては並べたほうがわかりやすくないでしょうか?--61.210.97.154 2006年12月31日 (日) 12:29 (UTC)[返信]
富士1000kmとインターTEC以外のレースは、通常の開催で「2003 ALL JAPAN FUJI GT RACE」や「フォーミュラ・ニッポン第~戦」というだけなので、これらはわざわざ書く必要はないと判断しました。レイアウトも問題で、試したところ、横に並べると横長になりすぎ、かといって2段にすると見づらいということです。GT500とGT300ですが、一緒に扱うより他カテゴリとの位置関係とも相対化したほうが両者の違いがわかりやすくなって興味深いだろうと考えています。--Morio 2006年12月31日 (日) 16:26 (UTC)[返信]
コースレコードいくつか足しました。ところで「カテゴリー」欄、(F1とWECを除いて)その名のとおり「グループC」「LM-GTP」「F3000」「F3」「グループAクラス1」「スーパーツーリング」「GT500」「GT300」にしたほうが良くないですか?選手権名じゃなく。グループAクラス2,3、S耐までは収拾つかないから辞めたほうがいいですかね?--210.234.163.73 2006年12月31日 (日) 18:47 (UTC)[返信]

問題点の記述内容について

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交通渋滞と宿泊施設の問題については富士スピードウェイ固有の問題ではなく、鈴鹿サーキット等でも指摘されている問題であるし、特に宿泊施設については、富士五湖、伊豆、箱根といった日本有数の観光宿泊施設の集積が近隣にあることを考えると、F1鈴鹿開催時代の状況と比べるとむしろ改善される可能性が高いので、これらを富士スピードウェイ固有の問題点とするような記述内容を削除した。--Shinya 2007年6月30日 (土) 15:14 (UTC)[返信]

  • 2007年F1開催時の混乱は、主催者の不手際だけではなく、道路陥没事件やコースの見えないスタンドなど富士スピードウェイ固有の問題も大きいと思います。--Peek-poke 2007年11月4日 (日) 11:00 (UTC)[返信]
    • 私が今年6月に編集した時点では、道路陥没事件もコースの見えないスタンド事件も発生しておりませんし予見も不可能です。当方としては、後知恵で批判されるのには耐えられませんので、当方の編集を批判したいのであれば今年6月時点で知り得た事実に基づいてお願いします。--Shinya 2007年11月23日 (金) 09:32 (UTC)[返信]
      • ご指摘のとおり、『交通渋滞と宿泊施設の問題』を富士スピードウェイ固有の問題ではないとした点には、疑問を差し挟む余地はありません。それとは別に、(今年6月時点では予期し得なかった)『道路陥没事件やコースの見えないスタンド』事件は、明らかに富士スピードウェイ固有の問題ではないか、との趣旨でノートしました。もっとも設備の問題というよりも運営側の姿勢の問題というべきかもしれませんが。批判と受け取られているのならお詫びします。--Peek-poke 2007年11月28日 (水) 11:23 (UTC)[返信]

観点テンプレートを貼った理由

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2007年のF1GP開催時の記事が批判ばかりで、中立的でないと判断しテンプレートを貼りました。富士でF1が開催されて良かった点も載せてもいいかと。 田無稲子 2007年11月30日 (金) 15:54 (UTC)[返信]

分割の提案

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この記事の2007年F1日本グランプリ問題に関する部分を「富士スピードウェイ/2007年F1日本グランプリ問題」としてサブページに分割することを提案します。「2007年F1日本グランプリ問題」に関する文章が肥大化していることに加え、山中にあるため霧が発生しやすいといったが本来からの固有の欠点と「2007年F1日本グランプリ問題」の境界が明確ではないと感じたためです。--Afarus 2007年12月8日 (土) 03:11 (UTC)[返信]

賛成票を。2007年日本グランプリ (4輪)#問題点の内容と被ってる部分もありますし、ノートページで「2006年度以前においても、レースレポートには交通アクセスの記事は記載しておりません。」との指摘もありますので、分割後にまとめて、あちらからもリンクを張った方が収まりがよろしいかと。--KAMUI 2007年12月9日 (日) 09:03 (UTC)[返信]
標準記事空間のサブページ化は方針と異なるのではないでしょうか(Help:サブページ#注意)。内容に関してですが、霧などの地理的容認に関しては富士スピードウェイで、運営やバスに限定したアクセスなどについては2007年日本グランプリの記事で述べるようにすれば、十分だと考えます。来年以降運営面が改善されなければ考え物ですが。--ねむりねずみ 2007年12月9日 (日) 09:39 (UTC)[返信]
(反対)地理的な問題であれ、運営面の問題であれ、どちらもこの施設に関する事なので、節分けして整理すればよく、分割までは必要ないと思います。容量で考えると、分割したら記事がスタブ化しそうな気がします。--Game-M 2007年12月16日 (日) 06:10 (UTC)[返信]
(条件付賛成)2007年日本グランプリ (4輪)への分割・編入が妥当。ネガティブ100%の新規ページ立ち上げよりも、どうせなら日本グランプリのページへ編入したほうが発展性・加筆期待の点でいいのではないでしょうか(2007年日本グランプリ (4輪)に関しては「問題点」部分がやや不足気味の風もあるので)。--日本一弱い男 2007年12月16日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
(報告)議論停止後1ヶ月経過の為、分割テンプレートが除去されました。必要であれば再度貼付、提案して下さい。--Game-M 2008年1月20日 (日) 02:13 (UTC)[返信]

提案後2年半経過

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この、「2007年日本グランプリに係わって発生した諸問題と批判」に関しては、記事「2007年日本グランプリ (4輪)」にも記述がなされており、重複となっています。こちらの記事とあちらの記事のどちらに書かれるのがベターかと考えれば、明らかにあちらに書かれるべきことだと思われますので、これらに関してはあくまでもあちら「2007年日本グランプリ」をメインとして編集対応するべきでしょう。事後3年経っている今となっては、この記事「冨士スピードウェイ」における2007年のイベントでのゴタゴタに関する過剰な記載は、明らかにバランスを欠いており、記事全体の可読性を著しく低下させています。--Eros618 2010年7月7日 (水) 21:49 (UTC)[返信]

(提案後5年経過)一部転記提案

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Eros618さんが仰られるように、2007年の件については当記事と日本GPにほぼ重複した内容が記載された状態です。アクセス・その他問題点を含めてイベントに付随して発生した事象として、日本GPの記事でレポートする方が望ましいと思いますので、改めて「一部転記」として再提案いたします。

  • 当記事の「2007年 日本グランプリ」節を日本GPの「問題点]]」節に移設し、重複箇所の整形を行う。
  • 当記事では「アクセスなど運営面の重大な問題が発生した」ことを簡潔に記し、「詳細は2007年日本GPの該当節を参照)」と誘導する。

という形を考えております。--Nickeldime会話2012年10月30日 (火) 17:55 (UTC)[返信]

(提案後2週間経過)もう1週間ほど様子を見て、反対意見がなければ一部転記作業をおこないます。--Nickeldime会話2012年11月12日 (月) 18:55 (UTC)[返信]

コースレコード改竄への対処について

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Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/KCAT可変IP に挙げられている IP:219.115.233.129会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois さんより、2008年1月6日 (日) 05:27 (UTC) の版でコースレコードが改竄されていた(差分)ものを元のタイムに戻しました。公式サイトのレコードは [1] にあり、比較確認できます。以上、ご報告まで。--スのG 2008年1月9日 (水) 18:37 (UTC)[返信]

コースレコードの加筆希望

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先日WECが開催されたことにより、LMP1・中嶋一貴のレコードを加えました。LMP2とLMGTEも加えたいのですが、タイムを出したドライバーが分かりません。お分かりになる方がいらっしゃたら、LMP2クラスとLMGTEクラスのレコードタイムの加筆お願いします。 --61.210.92.183 2012年10月15日 (月) 17:36 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

富士スピードウェイ」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月2日 (月) 01:33 (UTC)[返信]

2023-10-29の編集について

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「概要」節を追加したほか、いくつか記述を変えました。いずれも5年、10年以上前からあった記述なので、念のため、変更した根拠を記します。

  • 富士スピードウェイの建設は、1960年代初頭に丸紅副社長森長英から河野一郎(建設大臣)に話があった事から始まる。
この記述が加えられたのは2009-09-30
富士スピードウェイ社の自社刊行物では、この点に触れている場合、いずれもドン・ニコルズ氏の動きが端緒として挙げられています。また、河野洋平氏を含む、当時の建設関係者も同様の証言を残しています。そのため、そちらの説で書くのが筋かと思うので、記述を変更しました。
  • 河野一郎説に扱いについて
元々の記述にあったこの説(河野一郎説)は、インターネット上の以下の記事に記載があります。
  • 2017年 - トヨタ・ガズーレーシング[2]
    「富士スピードウェイは、当時の名神高速道路の建設を担っていた建設大臣が、近い将来のクルマでの高速移動時代の到来に備え、高性能車の開発を提唱した。そのためには高速テストが可能なサーキットが不可欠だと唱えたのである。それがきっかけに富士スピードウェイの建設が企画された。」
  • 2020年 - 日本自動車連盟(JAF)[3]
    「富士スピードウェイ誕生の経緯は、当時、建設大臣を務めていた河野一郎氏の「長時間の高速走行が可能な国産車の開発に、サーキットが必要だ」という思いによるようだ。」
一方で、確認した限り、出版物では、第三者による関連書籍も、いずれも富士スピードウェイ社の見解通りの記述をしていて、河野一郎説で書いている例は上記の比較的最近のウェブ記事でしか見つけることができませんでした(私が確認した範囲の書籍は記事中の「参考資料」に示しました)。
また、上記のウェブ記事は何をもってそういう記述にしたのか、情報源などの根拠を書いていません。
JAFのウェブ記事[4]は、参考資料として特に下記の書籍を列挙していますが、私が確認した範囲では、これらの書籍に河野一郎説についての記述はありませんでした。
  • JAF記事が挙げている参考文献:
    • 「情熱、挑戦、創造 クルマ文化に夢のせて」(トヨタ自動車)
      この書籍の内容は確認できていません。 (2023-11-05追記)建設経緯について詳述がありますが、ニコルズ氏(とビル・フランスSr.氏)の動きをサーキット建設の端緒として記述されており(p.200)、JAF記事とは異なります。
    • 「モータースポーツ百科」
      富士スピードウェイの建設についてはいくつか記述はあるものの[5][6]、細かくは触れていません。
    • 「サーキットの夢と栄光 日本の自動車レース史」(グランプリ出版)
      建設経緯について記述がありますが、「ドン・ニコルズが同年秋、ナスカー方式のサーキット建設案を持って丸紅飯田の森長英会長を訪ねたところから始まったのだ」とあり(p.80)、JAF記事と異なります。改訂前の『日本モーターレース史』もこの箇所の記述は同じです。
    • 「サーキット燦々」(三栄書房)
      河野洋平氏のインタビュー(p.318~)で、河野一郎氏が関わる前から計画があり、森長英氏からの要請で協力を始めたと、洋平氏が述べています。これもJAF記事は参考文献と異なる内容を書いていることになります。
もし見落としがあれば、指摘いただければ幸いです。
以上のこと、特に河野洋平氏が具体的に証言していることからも、河野一郎説にはごく単純な事実誤認があると推定できるため、記事中の本文から削除し、注釈で注記を入れました。
  • 日本でサーキット建設の計画が進んでいることを聞きつけたアメリカのNASCARが、当時日本でレース活動を行っており、のちにF1のシャドウ・レーシング・カーズのオーナーとなるドン・ニコルズをエージェントに売り込みした結果、
この記述が加えられたのは2018-01-04
NASCAR社とニコルズ氏の関わりと日本の商社に売り込みを始めた経緯について、少なくとも以下の2説があり、そのことを踏まえた記述にしておく必要があるように思います。
  1. 日本に進出したかったNASCAR社がニコルズに依頼
    • 『昔、狼が走った』(2000年)p.186
    • 『オートスポーツ No.978』(2004年) 「封印された魔の30度バンク 第1回」
    • 『情熱、挑戦、創造 クルマ文化に夢のせて』(2005年・トヨタ自動車)p.200-201 - ビル・フランスSr.氏とニコルズ氏の動きが端緒になったという記述。ただしフランス氏の関与については曖昧さを残す書き方(2023-11-05追記)
    • JAFのウェブ記事[7](2020年)
  2. 日本側が動き、ニコルズを介してNASCAR社に接触 / ビジネスを誘致したかったニコルズがNASCAR社から交渉権を獲得
    • 『オートスポーツ No.779』(1999年) 「レース史・私の報告書 第11回」 - JASCAR社の山西喜一郎氏の動きが発端という書き方(ニコルズ氏も当初から参画)。
    • 『Racing On No.470』(2014年) - ニコルズ氏のインタビュー記事。明言はしていますが、本人の言っていることで第三者の検証はない発言となります。
    • 『富士スピードウェイ50年の歩み』(2016年・FSW自社刊行物)p.9 - まず日本でサーキット建設を計画したグループが複数あったという記述。ただし曖昧さを残す書き方(2023-11-05追記)
    • 『HERITAGE of FUJI Speedway in the 60's』(2016年・FSW自社刊行物)p.4 - 曖昧さを残す書き方
前者の説は「米国の国家戦略の一環としてNASCAR側がニコルズ氏をエージェントにして日本の商社に接触させた~」という形でも語られています。これらは第三者による推測の範囲のもので、当事者の証言、取材経緯など、確たる根拠を示せてはいません。
後者の説は、本人の発言は置いておいて、FSW社の刊行物では、明言を微妙に避けた書き方がされています。(林信次氏などの)その他の書籍や出版物の記述でも、この部分への言及はあえて避けている節があります。
ニコルズ氏本人は、デイトナ(1959年開業)が建設中だった頃からNASCAR創設者のビル・フランス親子とは知り合いだったとも言っている(『SHADOW』p.34)ので、NASCAR方式のビジネスを日本に売り込むという話を、NASCAR側(1.の説)か日本側/ニコルズ氏(2.の説)か、どちらの主導で言い出していてもおかしくない気はします。
そのため、この記事でも、FSW社の書き方に倣い、本文中で根本的な発端についての明言は避けるという書き方にし、注釈で2説あることを説明するという形に変更しました。
  • 富士スピードウェイの建設用地は99年間の借地権によるもので、建設費用は借入金によるところが大きいが、
この記述が加えられたのは2009-09-30
この記述の借地期間について、出典に挙げられている『サーキット燦々』のインタビューで河野洋平氏が「99年間」(p.322)と発言していることはたしかですが、河野氏本人も「記憶にもとづくので正確ではない可能性がある」(p.319)と断った上での発言だということに注意が必要かと思います。
建設当時の記事では、借地期間は「30年間」と報じられていますし、1980年代半ばにかけての存廃問題の時に借地期間「30年間」の期限が迫っていることが、重要な要素として、当時の記事でたびたび話題に上っています。
そのため「30年間」に変更しました。
  • カントのついたオーバルコースで争われるオートレースの世界から転進した田中健二郎曰く、「完成当初にコース管理者に『基礎に杭を打ち込んだか?』と尋ねたら、『打ち込んでない』と言われ『こりゃ駄目だ』と思った」そうである。
この記述が加えられたのは2007-12-10
田中氏のこの発言はいまひとつピント外れな指摘に思えるので、削除させていただきました。
この発言は『週刊サンケイ』1974年6月27日号(30度バンク廃止の原因となるGC事故の直後)に掲載されたもので、前後も含めて該当箇所を引用すると下記の発言です。
  • 「あそこの三〇度バンクは、とんでもないできそこないなんだ。完成した当時、コース管理課長に、基礎に杭を打ち込んだかと聞いたら、打ち込んでないという。こりゃダメだと思ったね。案の定、地盤沈下が起きてあのあたりはデコボコだよ。~
後半が肝心かと思いますが、舗装がデコボコになった原因として、地盤沈下を挙げている発言ということになります。
現物で確認できることとして、「地盤沈下」が原因だとすれば、30度バンクが廃止されてから50年近く経った現在も残されている30度バンク跡のモニュメントには大きな窪みや特有の傾きでもあってよさそうなものですが、そうはなっていません。
田中氏は建築土木の専門家ではなく、「路面がデコボコになった原因は地盤沈下」、「地盤沈下の原因は杭を打たなかったから」、「走路の下に杭を打つ必要がある」、という考えに至ったのは、おそらく埋立地にある船橋サーキットの建設時の話でも聞いてのことだと推測します。
コースの一部に軟弱地盤があったことについては施工担当者の方が書いた論文[8]に記述があり、走路を作るにあたって、湿地用のブルドーザなどを用いて、路盤(舗装の下地)が最適含水比になるよう締固めが複数回行われたとあり、走路の基礎については建設時に(当然に)相応の配慮がされていたことが窺えます(グランドスタンドなどの構造物の建設にあたっては杭打ちが行われたことも記されています)。
また、バンクコーナーの舗装に波打ちが生じるようになった原因について、知識の不足による舗装の不備(技術の未熟さ)や、想定以上にレースで酷使されたことにより舗装が劣化したといった指摘は複数ありますが、地盤によるものだという指摘は田中氏の発言の他に見当たりません。舗装の不備という指摘について、前記した方とは別の大成道路の方が書いた論文[9]には、想定する最高速が「時速230km」、サンプルが市販車のトヨタ・コロナだったことが書いてあるので、(タイヤのグリップなどの要素も含め)舗装時点で想定が甘かったという指摘は実施段階の記録とも矛盾しないように思います。それと比較して、地盤が原因とする指摘はいまひとつ根拠が薄弱で、30度バンクの欠陥の指摘として載せるには不適当と考えられる(違和感がある)ことが、記述を削除した理由です。

以上です。--Morio会話) 2023年10月29日 (日) 04:41 (UTC) 未確認だった書籍の内容を確認できたので、追記しました。--Morio会話2023年11月5日 (日) 10:01 (UTC)[返信]