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ノート:宮部みゆき

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本姓を消す編集が繰り返されていますが、なぜでしょうか。要約欄に何も書かれていないので理由がわかりません。宮部氏が本名非公開だという話は聞いたことがないし、むしろエピソードのひとつとして広く知られている事だと思うのですが。Bluebell 2007年10月22日 (月) 00:14 (UTC)[返信]

週刊大極宮第320号(2007年10月19日更新)中の宮部氏による「(Wikipediaに関して)う~ん、できたら本名は載せないでほしいなぁと思いましたが」という記述を確認し、本姓を消す編集について了解しました。編集の際には「編集内容の要約」に理由を記載するようお願いいたします(「本人が公式サイト上で本名の不記載を希望したため」等)。Bluebell 2007年10月24日 (水) 12:48 (UTC)[返信]

:書誌情報が細かすぎたので整理しました。大活字本のISBNをずらずら並べる理由が分からん。やりたいならファンサイトででもやってくれ。116.83.145.224 2010年5月7日 (金) 17:16 (UTC)[返信]

ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。

本名について

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過去にも議論されていますが宮部氏本人が大極宮のホームページおいて、今となっては詳細な文面はわかりませんが本名をWikipediaには載せないでほしいなという発言はあったようですが、コトバンクで見れる宮部氏の項目3つはいずれも本名が記載されています→([1])。 現在はこのような情報を載せている媒体があるのなら、本人がWikipediaへの記載を嫌がった過去があったとしても要求通りにはできないと思います。--Nuonuonuo会話2016年10月18日 (火) 17:04 (UTC)[返信]

宮部みゆき本人が拒否しているのに、氏名を第三者に利用させるのは、個人情報保護法の第23条違反になると思います。--奈良たかし会話2016年10月21日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
コメント 現在でも「週刊大極宮第320号」は閲覧可能ですよ[2]。一部引用しますと「う~ん、できたら本名は載せないでほしいなぁと思いましたが、まあ事典である以上はしょうがないのかな。」となっています。なので完全に拒否しているわけではないでしょう。ただ掲載されることに抵抗はあるようですのでお気持ちを汲むべきかどうかというところだと思います。ウィキペディアはファンサイトではありませんから、宮部さんが嫌がることは何でも載せないといったことは間違いでしょう。Wikipedia:存命人物の伝記#公人・著名人にも、「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」とあります。ただし個人情報の暴露サイトでもありませんから、「記載するに値するもの」でもないのにお名前を記載するのは問題でしょう。結局、お名前の記載が百科事典の記事において有用または重要かどうかで決めるべきだと私は思います。--にょきにょき会話2016年10月21日 (金) 15:31 (UTC)[返信]
コメント 現在も当該ページは見れたんですね。この件、おっしゃるように完全に拒否しているわけではないが…という点が判断のわかれるところですね。他に同様の事例があれば参考したんですけど。なお、この件をコメント依頼に書いておきました--Nuonuonuo会話2016年10月21日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼から来ました。「週刊大極宮第320号」を見た限りでは本名の掲載を拒否している、「本名を敢えて非公開にしている」とまでは言えないでしょう。載せないでほしいけれども「事典であるから掲載されるのは仕方ない」と読み取れます。文藝春秋関連団体である公益財団法人日本文学振興会の評議員に古くから着任しており、公益財団法人化するにあたり「最初の評議員の選任に関する理事の定め」の文部科学大臣認可を受け、当時現職の20名の評議員として「最初の評議員」の23名のうちの一人として選任されました。当時の議事録に評議員全員のペンネームと氏名が書かれています[3]。宮部みゆきの場合は、ペンネームの付け方が本名と関係しているという説があるのでこれについて調査してみます。本名をもじって付けたとしてもそれが本名掲載の根拠になると思っているわけではなく、その説明をしている出典の記述内容に依ると思うので調査してみるということです。なお日本文学振興会の「最初の評議員」にペンネームが併記されている12人のうち、Wikipediaに実名が書かれていないのは浅田次郎だけでした。浅田は日本ペンクラブの代表を務めていることや、紫綬褒章を受章したことがあり本名は知られていますが[4][5][6]、実名非公開の事情について出典を調査します。--Benpedia会話2016年10月24日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
宮部みゆきのペンネームの付け方について、志水辰夫との対談記事で本名なのかと尋ねられ「ほんの少し変えてあります」と答えていました(「作家の日常」、『青春と読書』、集英社、1992年9月号、p.43)。
浅田次郎は浅田次郎 2013年6月9日 (日) 00:39時点における版で書かれたように「一応非公開にしているんだから」と出典には書かれていましたが、読者代表の太朗次郎の対話で進める冗談交じりの連載であり、太朗はwikipedeiaで本名が表示されることを次郎に指摘し、次郎は「うぃき……?」と答え、太朗が「(よけいなことを言ってしまったかな)」と応じるやりとりになっています(週刊プレイボーイ、集英社、2013年5月27日号、p.72)。
いずれも、Wikipediaに本名を書くか書かないかについての判断のよりどころにはならないという印象を受けました。ペンネームはそもそも実名を明かさないものWP:DP#B-2にある「本名を敢えて非公開にしている著名人の実名」と、そこで例示として挙げられている覆面作家では幅がありますから、過去にプロジェクトや井戸端などで行われた議論をピックアップしてくださる方がいらっしゃいますと幸いです。--Benpedia会話2016年10月25日 (火) 03:17 (UTC)[返信]
浅田次郎氏の記事に本名非公開についての出典があるのは知っていましたが、週プレは週刊誌なので出典に使えるのだろうかと思っていました。誌面を読んでいないので本人の発言によるものだったりするとまた話が違ってくるのかもしれないと考えましたが、どうなんでしょう。冗談交じりということは創作も入ってるってことなんですかね。書籍化はされているものの週刊誌なのを抜きにしても出典に使えるものなんでしょうか。
そして本題の宮部氏についてですが、にょきにょきさんのおっしゃるようにWikipediaは暴露サイトではないと思っていますが、暴露とは「他人の秘密・悪事などをあばいて明るみに出すこと(大辞泉)」であって秘密にしているわけではない適切な出典をもって記述をすることは暴露ではないと思います。それに非公開ではなく適切な出典はあり、Wikipediaのルールに反しているわけではないが本人の要望で書き換えたり消したりしてしまうのはどうなんでしょうか。
この件は本名ですが人物記事の場合、年齢や出身地といった通常は記載されていることを非公開ではないけど書かないでくれと言われたら記述する必要性を感じない場合は要望通りになってしまいます。宮部氏に深い理由があっての発言ではないでしょうけどこれでは本人に都合のいい内容になってしまいます。中には本当にどうでもいいこともあるでしょうけど。--Nuonuonuo会話2016年10月25日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
WikipediaのガイドラインではWikipedia:スタイルマニュアル_(人物伝)#通称・ペンネームや本名(戸籍名など) には「公開を歓迎していないときには」「本名は書かないでください」とされています。Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する という方針が言わんとしている趣旨も汲み取るべきでしょう。Wikipedia:削除依頼/覆面作家(2013年8月提出)では、ある作家についての本名記述の削除について議論されたようですが削除にはあたらないという結論になりました。そこでCalveroさんが書いた「一般的な感覚として想像すると、医師などの限られたコミュニティ内では筆名と本名を知られても別にかまわないけれども、あえて著書の読者などにまで広く本名を知らしめるほどの積極性はない、とみるべきところであるように思います。」という意見は説得力を持つかと思います。記載を残すか、編集除去か、のいずれかかと。
なお本件と類似する案件としては、Wikipedia:削除依頼/清原淳平20161009が現在審議されているようです。--Benpedia会話2016年10月26日 (水) 02:56 (UTC)[返信]
たとえば出身地や人格形成上重要なことがらの場合、作品を理解するうえでも記載することに意味はあると思います。しかし本名はアイデンティティの形成上は重要なものであるとはいえ、たとえば結婚して苗字が変わったとして、その人の本質が変わることはないように、作品を理解するために不可欠な要素とは思えません。もちろん本人が公開を認めている場合は良いと思いますが、公開を嫌がっている以上は除去すべきだと思います。--AmericanDiamondCream会話2016年10月26日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
コメント(インデント戻す)覆面作家の削除依頼であった限られたコミュニティとは医療機関のサイトに実名が載っていることのようですが、本件のような先に出典として示した辞典は限られたコミュニティなのでしょうか。なお、依頼が出される理由となった記述は覆面作家の記事には今も実名が載っていて、当の本人の記事では非公開という扱いですね。
そしてスタイルマニュアルには「公開を歓迎していないとき」とは確かにありますが、宮部氏は歓迎的な意見ではない「載せないでほしい」と、一応認める「事典である以上はしょうがない」という可否両方の意見を述べられています。本件がどうだとは言いませんが肯定的な意見があっても少しでも否定的な意見を言えばそれが通ってしまうのではないかと。作品を理解する上では必要かといえば場合によるでしょうけど、本人を理解する上ではあってもいいと思います。--Nuonuonuo会話2016年10月27日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
「作家生活30周年記念大特集号」『小説新潮』2017年6月号「超ロングインタビュー」によると、デビューの「オール讀物推理小説新人賞」受賞までのペンネームは「山野田みゆき」で、受賞時に講談社の担当編集者にわかり易く覚えやすい作者名に変更するよう助言され今の名前にしたそうですが、その前から母が親しい拝み屋さんに、「本名はよくないから使うな」と言われていて、「宮部みゆき」を見てもらうと「いい名前だ」と認めてもらった、そうです。本文注釈に加筆しましたが、宮部さんの、「本名は公表しているが、なるべく使いたくないし使用してもらいたくない」という姿勢はこれが反映しているのでは。--奈良たかし会話2017年6月27日 (火) 04:17 (UTC)[返信]
私はインタビューを読んでいませんが、宮部氏は本名は使うなと言われたからペンネームにしたということですが「使うな=公表しない、大っぴらにしない」とは違うのではないでしょうか。あくまで作家としては宮部みゆきというペンネームで活動するという話なんだと思います。--Nuonuonuo会話2017年9月9日 (土) 10:27 (UTC)[返信]
上で提示されている[7]の解釈の問題になると思います。が、どちらとも決めにくい。となると、Wikipedia:存命人物の伝記の〈どちらとも決めにくい場合の経験則は、「害にならないことだけをせよ」です。〉があてはまる場面だと考えます。すなわち、「本名」は除去すべきです。--j8takagi会話2017年9月11日 (月) 08:15 (UTC)[返信]
存命人物の伝記にある「害にならないことだけをせよ」が書かれているのは「私人・非著名人」の節なので独立項目の基準を満たしている著名人である宮部氏には該当しないのでは?--Nuonuonuo会話2017年9月11日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
なるほど。となると、「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」の部分があてはまりますか。私は、本名は「本人の業績にとって重要」ではないと考えます。--j8takagi会話2017年9月12日 (火) 05:05 (UTC)[返信]
コメント(インデント戻す)「(中略)当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」の下に「もし信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください。」とあり、除去されるのは情報源がない場合であって本人の業績にとって重要かどうかは触れていませんがその次、事例として「例:「Xは妻(だれそれ)ともめたあげくに離婚をした」 - これは、有名で検証可能でしかもその記事にとって重要なことですか?そうでなければ、除去してください。」というものがあります。
しかし数多くの人物記事で「誰々といついつ離婚をした」という記述があるが、本人の業績への重要さはがわかるようなことが一緒に記述されてないでしょう。川谷絵音のように、記事中でわざわざ書かかなくてもわかるということかもしれませんが、2016年1年の週刊誌報道を発端とした所属するバンドの活動休止、そして離婚が触れられていることがありますが。
Aという記事では○○となっているのにBという記事では同様の記載ができないのはおかしいといった話はあまりしたくありませんが、それより先の離婚の件のような記述が行われているのを見るに、記事が100万以上もあるから手が回らないとかそういう話なのでしょうか?ルールの形骸化とはまた違うかもしれませんが、今まで挙げられた公式文書の記述に沿わなくてもいいようになっているのでは。本人の業績への重要差を言うなら生年月日、出身校、デビュー前の経歴のいくつかの記述はそれに当たるのかという疑問もあります。--Nuonuonuo会話2017年9月15日 (金) 12:56 (UTC)[返信]
コメント あくまでも個人的な意見というか感想ですが、「う~ん、できたら本名は載せないでほしいなぁと思いましたが、まあ事典である以上はしょうがないのかな」の発言の中で、「本名は載せないでほしい」も、「しょうがない」も、どちらも「公開を歓迎していない」に当たり、本名を掲載しないことが、「当該人物のプライバシーに配慮」することだと、個人的には思います。--Gtorew会話2017年9月15日 (金) 14:41 (UTC)[返信]
Benpediaさんが先のコメントで提示した日本文学振興会の役員名簿に本名が書かれてますが、これは2010年のことで発端となった大極宮での発言は2007年のことなので考えが変わったということなのでは。--Nuonuonuo会話2017年9月17日 (日) 16:28 (UTC)[返信]
なるほど。確かに本名が出ていますね。ただ、これもあくまでも個人的感想ですが、この「評議員」というのは、文部科学大臣云々とありますように、本名を出さざるを得ない状況なのではないかと思います。一方で「小説家」としての執筆活動では、本名を載せないでほしいという考えを今でも持っている可能性はあるかと思います。--Gtorew会話2017年9月18日 (月) 01:00 (UTC)[返信]
(追記)下の奈良たかしさんの発言より、『平成お徒歩日記』には1998年からすでに本名(名字)が載っていたようですので、Nuonuonuoさんの「日本文学振興会の役員名簿に本名が書かれてますが、これは2010年のことで発端となった大極宮での発言は2007年のことなので考えが変わったということなのでは」というご指摘は、少し外れているかもしれません。ただ、要するに、(皆さんご承知のことかと思いますが、)現状としてWikipediaへの本名記載を嫌がっているかどうかが確認できる資料等が存在するのかどうか、ということでしょう(個人的にはそういう資料等を必死になって探そうとは思いませんが)。何というか、あえてぼかしている、ような気がしないでもないですね。--Gtorew会話2017年9月21日 (木) 00:12 (UTC)[返信]
何か誤解があるようですが、宮部みゆきは、本名は非公開にしていません。このノートの前節2行目「宮部氏が本名非公開だという話は聞いたことがない」とある通りで、1998年の『平成お徒歩日記』には単行本時代から、本名(名字)が本人の手で本文の中に掲載されています。名前はそのまま本名なので。ただあまり使用されたくない(らしい)理由で、wikipediaへの本名掲載を嫌がっているのです。だから特定の場の掲載を嫌がるという、特異な状態なのです。--奈良たかし会話2017年9月18日 (月) 15:14 (UTC)[返信]
返信 Wikipediaへの(出典などを正しく示せる)情報の掲載を本人などの関係者が嫌がるというのは特異な状態ではありません。一般論としては、嫌がられても載せるべき情報もあるし、嫌がられてまで載せるべきではない情報もあります。今回はどちらかというのがここでのひとつの論点(もうひとつは、ほんとうに嫌がられているのか)かと考えます。--j8takagi会話2017年9月18日 (月) 23:46 (UTC)[返信]
コメント 「もし、ある記述や事件が有名で本人の業績にとって重要で記載するに値するものであり、信頼できる公表済みの情報源できちんと文書化されているものなら、たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと、記事に含めるにふさわしいでしょう。」について、改めて検証してみました。
・「ある記述や事件が有名で」の部分 … 宮部さんの本名が有名かどうか、ということですが、例えば、本名で検索した場合のヒット数を見ましても、本名が有名とは言えないのではないかと思います。
・「本人の業績にとって重要で」の部分 … 宮部さんの業績にとって本名が重要であるか、ということですが、これも、NOと言わざるを得ないと思います。宮部さんが有名になったのは、言うまでもなく主に彼女が「宮部みゆき」の名で著した小説作品によってであり、そこに本名は何ら関係していないと考えるのが一般的かと思います。
以上の2点だけでも、記事に含めるにふさわしいとは言えないと判断できると思います。念のため、次の部分も検証しておきます。
・「たとえ否定的なもので当の本人が嫌がろうと」の部分 … この部分は、おそらく事件や不祥事(失言、筆禍)などを想定したものかと思われます。本名がその人にとって「否定的」になることなどあり得ないためです。--Gtorew会話2017年9月24日 (日) 01:35 (UTC)[返信]
コメント(インデント戻す)日本文学振興会については、おっしゃられるように文科大臣云々とあります。役員には本名と筆名を併記している方とそうでない方がいます。その、そうでない方は筆名と本名が同じなのかは一見あれだけではわかりません。Wikipediaの個別記事には本名のように書いてあることもありますが出典はなかったりします。また、団体の性質からいって本名を記載しないといけないという主張はわかりますが、必ずそうしないといけないものなのでしょうか。インターネットで不特定多数に見れるような状態ですし。--Nuonuonuo会話2017年10月10日 (火) 15:45 (UTC)[返信]
コメント コトバンクでは本名が記載されているのに対して、Wikipediaへの本名記載は嫌がっている(らしい)という状況から考えられることは、Wikipediaが不特定多数の人が自由に書いたり書き換えたりできる媒体である、というところに、(嫌がっている)理由があるように思えます(推測ではありますが)。
「嫌がった過去があったとしても要求通りにはできない」とNuonuonuoさんは主張されていますが、では、例えば、同じ大極宮の京極さんは、本名非公開となっているようです(「本名だとか、そういう情報は作品とはまるで関係ないことだと思いますので基本的に非公開にしています」[8]との発言があり、Wikipediaでも「Category:本名非公開の人物」に入っている)、つまり、嫌がっているのですが、その要求の通りになっていますよね(京極さんはWikipediaの記事には掲載されていない)。その一方で、京極さんもコトバンクで本名が掲載されています。このように、状況としては宮部さんとほとんど同じであるのに、京極さんはWikipediaの記事には掲載されていない、この違いについてはどのように考えられますか?--Gtorew会話) 2017年10月15日 (日) 02:18 (UTC) 一部修正--Gtorew会話2017年10月15日 (日) 02:55 (UTC)[返信]
京極氏の記事には確かにCategory:本名非公開の人物がつけられていますが、それ以外本名について本文では言及がありません。ノートで議論されたこともないようですし「その要求の通りになっています」というより編集者の独断によるものではないでしょうか。また、京極氏のコトバンクの項目を見ると、本名も記載しているデジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説として平成23年(2011年)に柴田錬三郎賞を受賞していることが書かれています。大極宮での発言は2003年なのでこちらも当時と考えがまた違うということなのではないかと。それに京極氏は「誕生日だとか血液型だとか本名だとか、そういう情報は作品とはまるで関係ないことだと思いますので基本的に非公開にしています。」とあり、誕生日も非公開の対象としているようです。しかし現在もWikipediaには誕生日が記載され続け(コトバンクにも記載)、議論されたこともないようなのでやはり要求通りの記事にしているとは言い難いと思います。--Nuonuonuo会話2017年11月6日 (月) 12:05 (UTC)[返信]
いくつか思うところがあるので、箇条書きにします。
  • そもそも、Wikipedia:存命人物の伝記における「公人・著名人」の項は、「特に著名な公的人物の場合」の説明はありますが、「著名ではあるが公的人物とは言えない人物の場合」についての記述はありません。宮部さんが著名であるということに異議はありませんが、宮部さんが公的人物、公人であるとは思いません。つまり、宮部さんが著名であるからといって、「公人・著名人」の項だけを考えれば良いというのは、慎重さに欠けると思います。小説家というのは、(政治家などになったりしない限り)基本的には私人であると私は考えます。つまり、小説家の場合、「信頼できる第三者による情報源から情報」であればすべて記事に掲載してよい、というものではないと思います(たとえ、不特定多数の人がアクセスできる情報であったとしても、です)。
  • Wikipedia:存命人物の伝記において、「公人・著名人」の項や、「私人・非著名人」の項よりも上に、「存命人物の伝記は、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべきです」とあります。これは、公人・私人や著名・非著名の別を問わず、慎重に、かつ当該人物のプライバシーに配慮して書くべき、ということを示しており、当人が少しでも記事への掲載について否定的な発言をしているのであれば、なおさら配慮が必要だと思います。
  • 「少しでも否定的な意見を言えばそれが通ってしまうのではないかと」と発言されていますが、通ることが何か問題なのでしょうか。むしろ、記事への掲載について否定的な意見が通ることは、プライバシー尊重の観点からも重要なことだと思います。
  • 京極さんの記事に関するご発言の中で「編集者の独断によるものではないでしょうか」とありますが、私は、「独断」ではなく、(個人的な判断であったとしても、プライバシーを考慮した)適切な判断だと思います(ちなみに、「非公開を希望している」との但し書きは、10年以上前から存在しているようです。不適切な編集は、比較的短期間のうちに他の人によって削除されるものです)。--Gtorew会話2017年11月18日 (土) 16:46 (UTC)[返信]
作家が公人なのか私人なのかというのは議論の余地があると思いますが、神戸新聞が村上春樹氏を公人としたことがありました([9])。リンク先では公人私人の是非は書かれておりませんが村上氏はノーベル賞候補と何年も前から話題になるなど注目度の違いがあるものの、宮部氏は素顔を公表していることもあり([10])、公人だと考えてもいいかと。これが覆面作家のように素顔や詳細なプロフィールを明かしていない方だと話は変わりますが。
「少しでも否定的な意見~」については大極宮での発言よりは情報が新しい日本文学振興会のサイトでは本名が記載されているのに古い情報をとるのは出典としていいのかと思いました。また、宮部氏は本名の記載を「仕方ないかな」とも発言されています。
京極氏の記事については10年前にはそう書かれていたとしても問題のCategoryが付与されたのは2015年のことで、その時点の本文を見ても本名を非公開としているとは書かれていません。この編集をした方はCategoryを付与しただけで本文に「本名非公開」と書かなかったり出典を用いなかったのは間違いとまでは言いませんが適切とも言えないと思います。--Nuonuonuo会話2017年11月26日 (日) 18:02 (UTC)[返信]
  • まず、「神戸新聞が、高校時代の村上氏の図書室の帯出者カード3枚が見つかったことを写真入りで報じ」た件ですが、神戸高校旧蔵書貸出記録流出について(調査報告)によると、「図書カードの掲載に疑問を呈する投稿がネット上にあいつぎ、『神戸新聞NEXT』では、翌日には3枚の図書カードの写真掲載を中止」と、村上さんが公人であるとして神戸新聞が行った行為に疑問の声が多く寄せられ、結構な「騒ぎ」になったようですね。また「神戸新聞社が図書カードを適切に入手していたとしても、カード上に記載された本人の同意を得ずに報道することは是認できない」「図書館が利用者の秘密、プライバシーを守るのは、それが自由な読書を保障して知る自由を守るために不可欠」ともあります。つまり、ある小説家を公人と考える立場もあれば、そうでない立場もあるのです。私も依然として、宮部さんを含めて小説家というのは基本的に公人ではないと考えております。
  • 反論というのは、相手の論を完全に否定するようなものでなければならず、「こうも考えられる(公人と考えることもできる)」というようなレベルでは、反論になっていません私の論は覆っていません。以前に「あってもいい」と述べられていますが、「なくてもいいのでは?」となるだけです。「合意形成」とは、ある考え方や意見に多くの人が賛成するという状況を作り出すことであるはずです。--Gtorew会話2017年12月2日 (土) 14:14 (UTC)[返信]
反論とはデジタル大辞泉では「相手の論や批判に反対の意見を述べること。また、その議論。」、大辞林 第三版では「相手の意見や批判に反対の意見を述べること。また、その議論。」とあり、完全に否定をすることまでは意味していません。何をもって完全とするのか、そういうことも踏まえていたら議論になりません。それに反論とはなんだ?という話ではなく本名を記載するのかどうかということが主題なので他でやるべきことではないかと。
それと書き忘れていましたが11月18日のコメントにある「不適切な編集は、比較的短期間のうちに他の人によって削除されるものです」とは京極氏の記事における過去の編集についてだと思いますが、不適切な記述でも何年も放置されるのはよくあることで、短期間で除去されなかったからといって適切な記述ではないでしょう。あの記述はその後コメントアウト状態になっていたので普通に記事を閲覧しているだけでは気付きません。--Nuonuonuo会話2017年12月5日 (火) 16:51 (UTC)[返信]
  • 「反論というのは~」の部分は、(ご指摘を受けて、多少表記を修正しましたが、)主旨としては「私の論が覆ってはいない」ということを示しておくためのもので、議論の進行上必要なものだと思っております。
  • 「不適切な編集は、比較的短期間のうちに他の人によって削除される」の部分については、確かに「不適切な記述でも何年も放置される」ことも場合によってはあるかもしれません。ただ、「何年も放置されていたから、それが不適切な記述だ」とはならず、「私は、『独断』ではなく、(個人的な判断であったとしても、プライバシーを考慮した)適切な判断だと思います」という私の意見に変わりはありません。
  • 改めて考えましたが、宮部さんはやはり私人であり、Wikipedia:存命人物の伝記における「害にならないことだけをせよ」ということになり、本名は掲載するべきではないと考えます。--Gtorew会話2017年12月8日 (金) 13:26 (UTC)[返信]