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ノート:孟特穆

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モンティムールの満州語名について

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本ページ(2018年1月現在)において掲載されている満州語名称「mentemu」とやや異なる表記「mengtemu」が遼寧省档案館の『満洲実録・上函』(以下:上函)に存在します。

一:塗りつぶされた人名。ウィキソースの『満洲実録』は万歴十一年(1583)に編集されたもので、場面を再現するイラストが若干ある。『都督□□□計殺仇人』の図ではそれぞれ満州語、中国語、モンゴル語で「モンティムール」と書かれるはずだったが、人名に該当する箇所に黒インキが塗りつぶされている。他に後金のハン(=即ち清の追尊皇帝)、ハンの妃(=福晋)にも同様の処理が施されていて、もはや徹底的な検閲を彷彿させる。このような状態で本文から隠された人名を判読するのは極めて難い。

二:「満洲実録」の再版。現存の最古の『満洲実録』は上記の万歴本だが、一方遼寧省档案館は『上函』を「乾隆年再編」と主張する。このバージョンでは、万歴本では見えない人名がインキ無き状態で忠実に再現されており、モンティムールをはじめ、フマン、ギョチャンガ、タクシなどの名前を確認できる。『上函』でモンティムールは「mengtemu」と表す。

三:無圏点満洲文字と有圏点満洲文字の差異。満州文字は初め、1599年にガガイ・ジャクチ、エルデ二・バクシによって制定された。『上函』の端書にも「本書には未だに無圏点文字の痕跡が残っている」という主張があるように、本書の満洲文字は印刷体、即ち本ページで閲覧できる字体と僅か異なる。例えば、三仙女の一「fekulen」ᡶᡝᡴᡠᠯᡝᠨᡶᡝᡴᡠᡳᠯᡝᠨと表され、国「gurun」ᡤᡠᡵᡠᠨᡤᡠᡳᡵᡠᠨと表されている。中国語の「遼東」を万歴本は「liyoodung」と音訳する一方、乾隆本は「liodung」と翻訳する。こういった文語の差異が綴りの多様性を引き起こしたと考える。

従って、本ページの満洲文字に「mengtemu」を追加することを提案します。 --Lijiahao0410会話2018年1月27日 (土) 13:03 (UTC)[返信]

『満洲実録』(乾隆)に倣って変更しました。-- Lijiahao0410会話2018年3月4日 (日) 03:01 (UTC)[返信]