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ノート:子路

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中島敦『弟子』の題名の読み

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中島敦の『弟子』の読みは【ていし】ではない可能性も考えられるので修正しました。
一例としては「ちくま日本文学全集 中島敦(筑摩書房)」では題名に【でし】と仮名が振られていました。一かしながら一方で「新潮カセットブック 中島敦 弟子(1994年発行)」では解説で【ていし】と読むとしていました。中島本人がどのように読んでいたかが、分かれば良いのですが... --以上の署名のないコメントは、202.208.157.132会話/Whois)さんが 2005-03-06 01:33:42 (UTC) に投稿したものです。

該当執筆者です。ご指摘ありがとうございます。
うーん・・・確かに決め手はないですね。ただし、中島自身が漢文訓読に熟達した人物であること、また中国に関係した作品で漢字にルビをふる場合には漢文訓読法に基づくことなどから、「ていし」で間違いないと考えました。まず間違いない確信はありますが、確かに確証はありませんね。筑摩書房に照会したりすれば確実ですかね?Aboshi 2005年3月6日 (日) 03:26 (UTC)[返信]

2022年3月15日:編集上の問題点

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2022年2月11日 (金) 12:10に、サイコロのゆくえ会話)氏が↓の記事を「俗説の削除」として記事を丸ごと削除しました[1]サイコロのゆくえ会話)氏の編集の問題点を指摘します。

黄文雄は、孔子が人肉を食していたとして、この逸話を紹介している[1]

子路が衛国の大夫である孔悝中国語版の荘園の行政官になっていたころ、衛国に父子の王位争いが起こった。子路はこのお家騒動にまきこまれて、殺された。子路の屍は細かく切りきざまれ、無惨にも〈醢〉にされた。それは使者によって孔子の食卓にまで届けられてきたのだ。
以来、孔子は大好物の〈醢〉を食べるのをやめたそうだ。

—不明(礼記)、蔡元放(東周列国志)、荘子,『礼記』、『東周列国志』、『荘子[2]

『礼記』『荘子』の原文は以下の通りである。

檀弓上:孔子哭子路於中庭。有人吊者,而夫子拜之。既哭,進使者而問故。使者曰:「醢之矣。」遂命覆醢。

—不明,『礼記』[3]

子以甘辭說子路而使從之,使子路去其危冠,解其長劍,而受教於子,天下皆曰『孔丘能止暴禁非』。其卒之也,子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也。

—荘子,『荘子』[4]

この他、『孔子家語』にも同じ逸話がある。

子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。

孔子,『孔子家語

明治書院版『孔子家語』の訳者である宇野精一は、「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」としている[5]。なお、衛に乱があったことを聞いた段階ですでに、孔子は「由は死ぬだろう」と述べたと伝えられる。

  1. 「子路の人肉を食べた」という東大教授(しかも専門は儒教)の出典が付いている記事に対して、サイコロのゆくえ会話)氏は、「要約欄」において「俗説の削除」として削除しました。しかし、「要約欄」において「俗説」とただ記しただけで、その説が「俗説」であることの出典・根拠を一切提示していません。したがって、検証可能性をみたしておらず、「子路の人肉を食べた」ことが本当に「俗説」であるのかを検証することができません。東大教授(しかも専門は儒教)というそれなりに権威のある出典が付いている記事を「俗説」と論断して、「俗説」であることの出典・根拠を提示せずに削除できるのであれば、仮にあなたが中国人だとして、出典が付いている中国に批判的な記事、例えばチベット自治区の項目の「世界では国際人権規約にて少数民族が独自の言語を使う権利は「少数民族の文化や宗教、言語を「否定されない権利」」と明記して保障されているが、習近平政権は少数民族による分離・独立運動への警戒から統制と、標準語版教科書の使用による標準語教育を強めている。それにより中華民族としての意識を高め、中国共産党の一党支配をさらに強固にしようとしているとされる。」という記事に対して、「要約欄」において「俗説である」として、その説が「俗説」であることの出典・根拠を提示せずに削除して情報を隠蔽することもできるわけです。しかし、このような編集は認められません。「俗説である」と主張するのであれば、その説が「俗説」であることの出典・根拠を提示しなければ、その説が果たして本当に「俗説」であるのか、あるいはそうではないのか、もしくはうがった見方をすると、あなたが中国人であり、中国人が人肉を食していたという都合が悪い情報をウィキから隠蔽する目的のために「俗説」にでっち上げて隠蔽行為をおこなっているのかを検証できません。東大教授(しかも専門は儒教)というそれなりに権威のある出典を「俗説である」と論断・削除した以上、責任をもってその説が「俗説」であることの出典・根拠を提示してください。提示できなかった場合、提示できない理由の如何によっては、俗説である出典・理由・根拠が存在しない(あるいは本当は「子路の人肉を食べた」という説は俗説ではない)のに、虚偽に基づく編集をおこなったとみなし、ウィキで投稿ブロックが適用される虚偽を理由に投稿ブロックを申請します。
  2. 仮に俗説だとしても、東大教授(しかも専門は儒教)というそれなりに権威のある出典に基づく「子路の人肉を食べた」という情報それ自体を削除する必然性はありません。明らかに特筆性をみたしている。例えば、万葉学者の中西進は、「山上憶良は百済系帰化人」と主張している。哲学者の梅原猛は、「柿本人麻呂流人刑死説」「柿本人麻呂猿丸大夫同一人物説」を主張している。しかし、それらは歴史学界では俗説扱いされている。しかし、山上憶良柿本人麻呂の項目では、中西進や梅原猛の説が紹介されているが、「俗説だから削除しろ」などと主張して、情報を削除する編集者はいない。何故なら、特筆性があるからです。何も知らない閲覧者は、「山上憶良は百済系帰化人という俗説があるんだ」とか、「柿本人麻呂流人刑死説、柿本人麻呂猿丸大夫同一人物説という俗説があるけど、学界では認められていないんだ」という具合に非常に為になる情報です。山上憶良の項目には、「一方で日本文学界において万葉学者の中西進が、憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶仁の子で、百済の滅亡に際して父親と共に日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していったとする説を唱えている。この説に対しては、青木和夫、佐伯有清が、歴史学の立場から批判を加えている。」と書かれている。柿本人麻呂の項目には、「益田勝実は、梅原が、人麻呂は処罰として名前を変えられ、位階も下げられたとし、死ぬまでには許されており位階ももとに戻ったため正史に記載されたとしていることから、それなら名前が猨のままなのはおかしいと指摘し、梅原はついに答えることができなかった。」と書かれている。「子路の人肉を食べた」という東大教授(しかも専門は儒教)の主張が俗説であるなら、山上憶良柿本人麻呂の項目がそうであるように、(為になる)情報を削除するのではなく、俗説であることの出典を提示したうえで、その説が俗説である理由を加筆すればよいだけのこと。

--2001:268:C1C4:1246:A4C6:9D09:D83E:4A54 2022年3月15日 (火) 02:03 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。編集が早急だった点について謝罪申し上げます。つきましては指摘1の仮にあなたが中国人だとして〜の部分につきましては私個人への誹謗中傷にあたり表現も適切ではないため撤回を求めます。また内容につきましては以下のように考えますがいかかでしょうか、また仮に現在のまま置くとしても記述に矛盾が多く記事として体をなしていないというのが率直な意見です。というのも引用されている黄文雄氏につきましては本人の政治思想また著書に置いて人肉食を前提とした偏った見かたをしている可能性があるため注意して扱う二次資料にあたると思われます、もっといえば黄文雄氏と宇野精一氏の本から引用されていますが礼記、荘子の訳、さらに孔子家語の
子路與子羔仕於衞。衞有蒯聵之難。孔子在魯聞之、曰、柴也其來。由也死矣。既而衛使至。曰、子路死焉。夫子哭之於中庭。有人弔者、而夫子拜之。已哭。進使者而問故。使者曰、醢之矣。遂令左右皆覆醢。曰、吾何忍食此。
子路と子羔は衛の国に仕官した。衛の国で蒯聵が反乱を起こすと、孔子は魯の国でそれを聞き、「柴は帰ってきて、由は死んでしまうだろう」と言った。衛国の使者がやってきて「子路が死にました」と伝えた。孔子は中庭で哭いた。弔問客が来たので、孔子は挨拶して哭くのをやめた。衛国の使者を座敷に上げて死因を訊ねると、使者は「塩漬けにされたのです」と答えた。そこで左右の者たちに命じて塩漬けを全部捨ててしまい、「わたしにはこれは食べられない」と言った。
と訳されますが人肉を食べたと言う記述は無く、また子路の関係する一次資料にもそのような記述はありません。例え東大だろうが教授だろうが二次資料の記述に信頼性は無いと考えられます。--サイコロのゆくえ会話2022年4月9日 (土) 18:58 (UTC)[返信]
宇野精一氏は、「衛の人が子路の遺体を塩漬けにしたのは、単に刑罰として行ったのではなく、おそらくその肉を食ったのだろう。それは勇者の肉を食うことに意味があったのだと考えられる」と述べており、孔子が人肉を食べていたとか、孔子が子路の肉を食べたなどとは一切主張していません。確かに誤解を与える記事だったので是正しました。--2001:268:C1C4:D416:6081:5A93:5FFA:353E 2022年6月25日 (土) 23:16 (UTC)[返信]
「仮にあなたが中国人だとして〜の部分につきましては私個人への誹謗中傷にあたり表現も適切ではないため撤回を求めます」との批判を受けました。誹謗中傷する意図はありませんでしたが、気分を害されたのなら、撤回いたします。--2001:268:C1C4:D416:6081:5A93:5FFA:353E 2022年6月25日 (土) 23:31 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────Wikipedia:信頼できる情報源#基本的な考え方に基づけば宇野精一の記述は

歴史分野においても各国・各時代・ジャンルごと(政治史・経済史・文化史など)に専門家による様々な研究が行われています(ここでいう専門家とはいわゆる歴史学の専門教育を受けて、継続的に学術雑誌等に寄稿している人々を指します)。<中略>
一般書であっても専門家によって著された本はほとんどの場合「信頼できる情報源」と認められると考えられます。 

上記の通り、「信頼できる公刊された情報源」とみなして良いでしょう。対して、黄文雄については下記の通り、「基本的にウィキペディアの出典としては相応しくない」ものです。

一般書の中でも非専門家の手によるものは「信頼できる情報源」として認められたとしても基本的にウィキペディアの出典としては相応しくないと見做されるでしょう。非専門家はほとんどの場合いわゆる「歴史学上の手続き」を心得ておらず、論証過程の逸脱・自己の主張に合わせた史料の選択などをやってしまいがちです。

無論、下記のような状況になれば黄文雄の「主張」はウィキペディアの出典として相応するものになるでしょうが、現時点ではそうではありません。

非専門家の手によって為された研究が専門家から評価されて学界の中での地位を獲得する場合もあります。

--彩華1226会話2022年9月17日 (土) 09:47 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 黄文雄『呪われた中国人 “中国食人史"の重大な意味』光文社カッパ・ブックス〉、1990年9月、18頁。ISBN 4-334-00499-7 
  2. ^ 黄文雄『呪われた中国人 “中国食人史"の重大な意味』光文社カッパ・ブックス〉、1990年9月、39頁。ISBN 4-334-00499-7 
  3. ^ 禮記 : 檀弓上” (中国語). 中國哲學書電子化計劃. 2022年1月27日閲覧。
  4. ^ 莊子 : 雜篇 : 盗跖” (中国語). 中國哲學書電子化計劃. 2022年1月27日閲覧。
  5. ^ 『孔子家語』 53巻、宇野精一 訳、明治書院〈新釈漢文大系〉、1996年10月10日、588頁。ISBN 978-4625570537