ノート:女子挺身隊
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記述内容がこのサイトに似ているように思いますがどうでしょうか。Qazzx 2005年6月26日 (日) 15:31 (UTC)
>韓国挺身隊問題対策協議会は、韓国における日本軍相手の慰安婦を日本政府が強制連行したなどとして、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で抗議活動を行っている。この団体が活動を始めたのは、金学順が日本政府に対する訴訟の原告として名乗りでた時に「親に40円でキーセンに売られた」と訴状に書いていたのを、朝日新聞の植村隆記者が「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と捏造報道をしたことがきっかけになった。因みに植村記者の妻は韓国人で義母は訴訟の原告団長であるため、義母の訴訟を有利にするために「日本軍の強制連行」という話にしたという批判がある[9]。<
挺身隊問題対策協議会が活動を始めたのは、朝日新聞が報道した以前である。
朝日の記事に影響を受けたのではなく、独自に多くの証言集をだしている。
ゆえに「この団体が活動を始めたのは・・・」以下の文章が不明である。
またソースが一応ついているが、くぐってみても不明である。 --やましたやすひろ 2013年6月2日 (日) 08:37 (UTC)
挺身隊と慰安婦を混同しているか否かという争点について
[編集]「韓国の歴史学者たちは、挺身隊は元々広く使われていた言葉であり、必ずしも女子勤労挺身隊を意味せず、「様々な労務動員の際にに用いられた言葉である」と述べている」と加筆しました[1]。挺身隊と慰安婦を混同しているか、どうか?が争点になるので、各節の「混同」と決めつけた記述を「記述」に書き換えます。--よしのぶ(会話) 2015年9月4日 (金) 15:59 (UTC)
- あなたは「混同がなされているという説もあるが、韓国の歴史学者たちは、挺身隊は元々広く使われていた言葉で…」と、あたかも挺身隊と慰安婦の混同が秦郁彦個人の「説」であるかのように改変しましたが、高崎宗司「半島女子勤労挺身隊について」にもあるように女子挺身隊と慰安婦は異なります。そして、韓国において両者が同一視つまり混同されてきたことについては一次資料含めて本文に解説してあるし、朝日新聞も2014年8月5日16-17面で混同は誤報であったと認め、さらに植村隆氏も混同について述べています。産経新聞2015.8.31.「時代状況を分かってほしいんだ、阿比留さん!」。また高崎論文にあるように余舜珠『日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究』1994には、韓国における挺身隊と慰安婦の同一視を疑問視した記述があります。混同してきたのは韓国だけでなく日本の戦後知識人も同じく混同し誤解してきたので、書きました。
- また、1940年11月13日付け毎日新報の「農村挺身隊」記事に依拠して、「挺身隊」は「必ずしも女子勤労挺身隊を意味しない」と余舜珠、尹明淑がいったと書かれていますが、この新聞記事は1939年の国民徴用令を受けた自由または官斡旋募集のことではないでしょうか。1944年8月22日女子挺身勤労令以前にも「挺身隊」(志願)は結成されていますし、「挺身隊」は「必ずしも女子勤労挺身隊を意味しない」という説明はいわば当然のことであり、特別なことではないと同時に、誤解を招きます。朝鮮では正式に日本内地での「女子勤労挺身隊」はなかったのですから。また、余舜珠氏と尹明淑氏とが全く同じことを主張されているのですか?もっと明確に分かるように引用文を長くするか、ノートで説明してください。このような特殊で詳細な話題を冒頭でなく、近年の研究に移動すべきでしょう。--さんぽーる(会話) 2015年9月13日 (日) 16:22 (UTC)
- あなたが「慰安婦と挺身隊を混同されていたこと」への異説とする根拠とされた尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』明石書店、2003年、p.295-297には
女子勤労挺身隊、女子挺身隊、勤労挺身隊、挺身隊、処女供出という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が挺身隊を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である。朝鮮人のこのような認識がどこから由来したか確かではない。しかし少なくとも、当時の民衆にとって、挺身隊や処女供出は徴用と同義語であった。
と当時の流言や1990年代でも慰安婦と挺身隊が混同されていたと書かれていましたので、本件は終了です。--さんぽーる(会話) 2015年9月15日 (火) 12:48 (UTC)
- 上の尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』の文章のどこに、「慰安婦と挺身隊が混同されていたと書かれていました」なのですか?尹明淑は「挺身隊を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である」「挺身隊や処女供出は徴用と同義語であった」と書いています。どこにも「慰安婦と挺身隊が混同されていた」などとは書いていない。それに近い文章でさえない。書かれていない内容を書いてあるかのように、虚偽を述べるのはやめてください。--よしのぶ(会話) 2015年9月16日 (水) 20:47 (UTC)
報告 利用者‐会話:Yoshinobuko氏は植村隆記事でも同様の編集を行っていたので修正。反論があればここのノートで書いてください。--さんぽーる(会話) 2015年9月15日 (火) 14:50 (UTC)
何か勘違いしておられるようですけど、今回の編集は「慰安婦は女子勤労挺身隊ではない」に抵触するものではありません。「慰安婦は女子勤労挺身隊ではない」と同時に「挺身隊という言葉は、特にそのまま勤労女子挺身隊を意味しない」という研究されているので、それを書いたまでです。専門の歴史学者がそのような研究をしている以上、書くのが当然であり、出典もつけています。それを無条件に消すのは、問題ある行動ではないでしょうか?--よしのぶ(会話) 2015年9月15日 (火) 15:35 (UTC)
- いいえ、抵触します。あなたはいま「慰安婦は女子勤労挺身隊ではない」ということに賛同されておりますが、あなたの編集ではそれが「(誰かの)説」とされていました。慰安婦と挺身隊の混同は慰安婦問題の争点なのは確かですが、混同されていたかいなかについてはあなたも引用された尹明淑氏も混同を認めていますし、すでに私が述べたように秦氏、高崎氏、朝日新聞、植村氏、李氏など多数の研究者や記者が認めていることであり、混同されてきたことは事実といってよいでしょう。また、尹明淑氏の研究は2003年のもので比較的新しく、また尹明淑以外の研究で同内容を主張するものがないので、通説とすることはできませんので、研究の節に加筆したうえで移動しており、削除はしてません。植村隆記事についてはさらに加筆してもいいのですが煩雑になるのでこちらへリンクしました。--さんぽーる(会話) 2015年9月15日 (火) 17:03 (UTC)
- さんぽーるさんにお聞きしますが、誰かの説で無いとするとそれは、何ですか?
- 私が説としているのは、これですよね。「挺身隊」は軍需工場などに徴用された女子勤労挺身隊であり、慰安婦とは異なるという説。明らかに説ですが。
- >尹明淑氏も混同を認めています<と書いていますが、そんなことは無いですね。具体的な文言を出してください。
- >尹明淑氏の研究は2003年のもの<だと言いますがここで掲載しているのは尹明淑だけではなく、余舜珠の20年前の論文も根拠に挙げています。なぜそれは無視しているのですか?
- 通説<誰が通説を決めるんですか?ほとんど歴史事典には挺身隊の項目は見当たりませんが。
- 「女子勤労挺身隊は、略して挺身隊と呼ばれることもあった」・・・これはその通りです。しかし、「挺身隊と呼ばれたものは全て、女子勤労挺身隊である」・・・これはその通りとは言えないですね。
- 定義は全て、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』が出典ですが、この著作は学術論文として大学関係の専門雑誌等に発表されたものではないでしょう。信頼できる情報源か否か?疑問があるところです。--よしのぶ(会話) 2015年9月16日 (水) 19:52 (UTC)
コメントあなたの質問への答えははじめに私が書いたことに書かれています。繰り返しになりますが、あなたが[2]で書いた
「韓国などではこの女子勤労挺身隊を「慰安婦」と同一視する混同がなされているという説もあるが
という文章の「韓国などではこの女子勤労挺身隊を慰安婦と同一視する混同がなされている」ことを「説」としたことが問題です。これは秦氏だけでなく、高崎、尹明淑も述べていることです。 尹明淑は
女子勤労挺身隊、女子挺身隊、勤労挺身隊、挺身隊、処女供出という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が挺身隊を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である。 — 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』明石書店、2003年、p.295-297
と述べています。
この文章の「女子勤労挺身隊、女子挺身隊、勤労挺身隊、挺身隊、処女供出という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない」とは、「女子挺身隊と慰安婦とは異なる言葉である」という意味です。また、「しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が挺身隊を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である。」とは、「朝鮮で挺身隊を軍隊慰安婦を同義語としていた」つまり、「挺身隊を慰安婦と同一視していた」ということです。
尹明淑はこの他
国のための勤労動員や挺身隊であると脅迫されて徴集されたり、逆に、挺身隊を逃れることができるという詐欺で徴集されたりした。軍慰安婦の徴集は挺身隊の名の下で行なわれた
と述べていますが、最後の「軍慰安婦の徴集は挺身隊の名の下で行なわれた」という文章は、「挺身隊とは慰安婦のことであった」という意味ではありません。
あなたは
「挺身隊」は軍需工場などに徴用された女子勤労挺身隊であり、慰安婦とは異なるという説。
と主張しますが、そのように表現している研究文献は存在しますか?高崎宗司、秦郁彦、尹明淑の研究を覆そうとする主張は、あなた以外にいないでしょう。それは、あなたの独自研究です。
また、余舜珠『日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究』は韓国語で書かれた修士論文ですが、あなたは所持しているのですか?日本語訳はありません。尹明淑は余論文を参照はしていますが、あなたはそれだけを根拠に語っていませんか?--さんぽーる(会話) 2015年9月18日 (金) 16:33 (UTC)
- さんぽーるさんは
「尹明淑は
と述べています。女子勤労挺身隊、女子挺身隊、勤労挺身隊、挺身隊、処女供出という言葉がそく軍隊慰安婦を指す言葉ではない。しかし、朝鮮の解放以降、軍隊慰安婦問題が社会的問題として表面化した1990年代初めでも、一般民衆が挺身隊を軍隊慰安婦の同義語として認識していたことは事実である。 — 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』明石書店、2003年、p.295-297
(略)・・・朴スニと金ウンジンの学生簿には挺身隊に動員された記録がある(・・・略・・・)という。それがなぜなのか、そうした事例はほかにもあったのかどうか、今後の研究課題としたい。なおこの論文を書き終わって、挺身隊に入ると慰安婦にさせられるという流言が本当に流言にすぎなかったのか、どうか。それが今も韓国で広く事実として信じられているのには何らかの根拠があるのかどうか、資料が得られなくて十分に検討できなかったのを残念に思う。これまた今後の課題としたい。
- と書いています。「混同している」などと決めつけておらず、「検討できなかった」「今後の課題」としている。
- これを根拠に「(女子勤労挺身隊を慰安婦と同一視する混同がなされている)これは秦氏だけでなく、高崎、尹明淑も述べていることです。」とするのは、明らかにデマですね。
- もし高崎がそう書いているなら、この論文の何ページに「女子勤労挺身隊を慰安婦と同一視する混同がなされている」と結論つけたのか?ページ数を指摘してください。--よしのぶ(会話) 2015年9月19日 (土) 01:38 (UTC)
何度も同じことを説明させないでください。「混同」の日本語としての意味を説明しても、あなたは納得しないでしょう。高崎論文は始めのページでこれまでの誤解について事例をあげており、それはここの記事でも説明されています。「今後の課題」と書いてありますが、その後の報告論文はないですし、「女子挺身隊とは慰安婦のことである」ということを歴史学者で主張するものはありません。「女子挺身隊の名の下に、慰安婦とされたケースがある」というのがこれまでの研究で示された実態です。--さんぽーる(会話) 2015年10月6日 (火) 18:41 (UTC)
- 「今後の課題」ということは結論つけていないということです。
- なおこの論文を書き終わって、挺身隊に入ると慰安婦にさせられるという流言が本当に流言にすぎなかったのか、どうか。それが今も韓国で広く事実として信じられているのには何らかの根拠があるのかどうか、資料が得られなくて十分に検討できなかったのを残念に思う。これまた今後の課題としたい。
「流言が本当に流言にすぎなかったのか、どうか」「それが今も韓国で広く事実として信じられているのには何らかの根拠があるのかどうか」と疑問視した文章が結論部分に書かれているのに、「これは秦氏だけでなく、高崎、尹明淑も述べていることです。」とするのは不可能でしょう。--よしのぶ(会話) 2015年10月9日 (金) 03:19 (UTC)
コメント 本文は読みましたか?まずは他の編集者が書いた記述をすべて眼を通しましょう。本文の脚注で提示されているのように高崎論文p57には「挺身隊に参加すると慰安婦にされるといううわさがある程度広まっていたことも事実である」と書いてます。
「今後の課題」とは、「資料が得られなくて十分に検討できなかった」ため、「今後新しい資料が出てくれば」という意味です。「今後の課題」があるからといって、「挺身隊に参加すると慰安婦にされるといううわさがある程度広まっていたことも事実である」ということが撤回されているわけではない。
あなたは、当時のうわさと当時の詐欺を混同しています。「挺身隊になると金がいいとして慰安婦にされた詐欺、人身売買があった」これは証言や当時の報道からも事実でしょう。そしてうわさがあったことも事実です。詐欺という犯罪があったからといって、「うわさがなかった」ということの証拠にはなりません。
尹明淑について二度目の引用をします。
日中戦争後、朝鮮民衆のあいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった(宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』11~49頁、未来社、1985年) — 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003年)、295~298
これらは本文で加筆しておきます。--さんぽーる(会話) 2015年10月9日 (金) 14:00 (UTC)
- 尹明淑は著作の中で、「軍慰安婦の徴集は「挺身隊」の名の下で行なわれたのである」と結論を書いています。(尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』明石書店、2003年、p.297)
同表の「官憲介入」と「処女供出」欄にあるように、「国のため」の勤労動員や「挺身隊」であると脅迫されて徴集されたり、逆に、「挺身隊」を逃れることができるという詐欺で徴集されたりした。軍慰安婦の徴集は「挺身隊」の名の下で行なわれたのである。
結論は「慰安婦と挺身隊は混同されていた」ではありません。
- サンポールさんが示したこの文章は「「流言」が流布していた」がそれは「生活実感」によるものだとしただけのものです。これを「慰安婦と挺身隊を混同されていたこと」の根拠にすることなどまったく不可能です。
日中戦争後、朝鮮民衆のあいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった(宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』11~49頁、未来社、1985年) — 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003年)、295~298
--よしのぶ(会話) 2015年10月21日 (水) 02:44 (UTC)
高崎論文p57には「挺身隊に参加すると慰安婦にされるといううわさがある程度広まっていたことも事実である」と書いている。それでなぜそれが、さんぽーるさんが言う「韓国などではこの女子勤労挺身隊を慰安婦と同一視する混同がなされている」の根拠になると思うのですか?「・・・うわさがある程度広まっていたことも事実である」をどう要約しても「・・・慰安婦と同一視する混同がなされている」への変換は不可能です。--よしのぶ(会話) 2015年10月21日 (水) 10:46 (UTC)
定義の変更
[編集]現在「女子挺身隊」(挺身隊から転送)は次のようになっています。
女子挺身隊(じょしていしんたい)は、大日本帝国が第二次世界大戦中に創設した勤労奉仕団体のひとつで、主に未婚女性によって構成されていた。戦時日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国家総動員法下の国民総動員体制の補助として行われ、工場などでの勤労労働に従事した[1]。1944年8月の女子挺身勤労令によって14歳〜40歳の内地(日本)の女性が動員された[2]
(定義に使われている出典は全て、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』)
しかし、かならずしも「挺身隊」あるいは「女子挺身隊」という言葉は、「女子勤労挺身隊」を意味していません。「女子勤労挺身隊」を略して「挺身隊」あるいは「女子挺身隊」と呼ぶ事もありますが、「挺身隊」と書かれているものが全て「女子勤労挺身隊」を指していないからです。それは余舜珠の1994年の論文からも言えることであり、「朝鮮半島では「挺身隊」という用語が使用され始めたのは、1940年11月13日付け『毎日新報』に「農村挺身隊」の結成が報じられた記事」(余舜珠、1994)だという。日本ではもっと古く1922年にはもう登場しています。
- 神戸大学新聞記事文庫デジタルアーカイブ(大阪時事新報 1922.4.23-1922.5.11(大正11)張作霖 (一〜十六)南極抄訳日本軍の別働隊)[5]「今度は日本軍の見方となるべき手段に取掛り、遂に其目的を達して、日本軍の別働隊となり、蒙古の地域に進出して、我挺身隊を助けた功労は少くなかった様子である 」
- 大阪朝日新聞 1933.8.13-1933.9.3(昭和8)報道権本社独占熱河探検記(1)[6] 「さながら学術の挺身隊が科学の戦線に乗り出す颯爽たる行軍であった。」
- 大阪時事新報 1933.11.28-1933.12.7(昭和8)[7]「自由港大連からの一衣帯水の渤海湾は平穏な海として小型船の航走には誂え向きと来ている、斯く条件が具備されては「海の挺身隊」も躍り出さざるを得ない 」
- 神戸新聞 1935.2.26(昭和10)[8]「ボルネオの処女密林めざし伐材挺身隊出発」
- 「アジア歴史資料センター」[9]【 レファレンスコード A04010508400】 「昭和八年十二月・第六十五議会説明資料」、内務省警保局|警保局保安課、1933年「救国埼玉青年挺身隊事件ノ概要」
- 「アジア歴史資料センター」[10]【 レファレンスコード A03024836200】「独挺身隊米本土に潜入 ニューヨークUP二十八日」
- 大阪毎日新聞 1941.5.30(昭和16)[11]「農業報国精神の昂揚を第一とし農村中堅青少年錬成会、農業報国挺身隊を組織して食糧の増産をやっている」
これらはみな「挺身隊」という言葉の使用例ですが、これは「女子勤労挺身隊」の事ではあり得ません。他に20例ほど見つけていますが、基本的には「国家奉仕する集団」の意味で使われています。このような指摘をしているのが、余舜珠や尹明淑、尹貞玉の研究です。そこで定義をこう変えるべきです。
挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し<ref『広辞苑 第四版』岩波書店、1995年/ref>、挺身隊という用語は、必ずしも特定団体を示す語ではない<ref尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』p295、明石書店、2003年 /ref>。しかし、女子勤労挺身隊を略して挺身隊または女子挺身隊と呼ぶこともある[2]。
--よしのぶ(会話) 2015年9月16日 (水) 20:37 (UTC)
追加、「女子挺身隊と呼ぶこともある[2]」の出典は秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』です。定義をいかに変更するかについて、ご意見をいただきたいと思います。--よしのぶ(会話) 2015年9月17日 (木) 06:11 (UTC)
コメント あなたの挺身隊の調査は有益ですが、その「挺身隊」の過去の用例のどこに「女子挺身隊」のことが関連づけられていますか?「挺身隊」の用例が女子挺身隊以外で過去にあるにせよ、「慰安婦と女子挺身隊とを同一視、混同していた」事実には直接の関係はありません。語源のようなものです。一次資料の羅列にすぎないですし、wikipediaでは独自研究に抵触しかねません。学会で発表されたらいかがでしょうか。それらの一次資料の加筆については反対はしませんが、他の20例も含めて挺身隊の記事として独立させた方がいいのではないでしょうか。女子挺身隊記事でこの内容を書くのであれば、冒頭では詳細かつ特殊な説明にすぎるため反対します。「名称」節で解説されるとよいのではないでしょうか。コメントが見難いので脚注を提案文のなかに入れました。--さんぽーる(会話) 2015年9月18日 (金) 16:25 (UTC)
- 「挺身隊から転送」としてこの女子挺身隊の記事があるわけです。なのでここで提案したわけです。この転送をした人は、「挺身隊」=「女子挺身隊」=「女子勤労挺身隊」と考えていたようです。
- 「女子挺身隊」という記述についても、1941年にすでに公文に使われており、これはもちろん女子勤労挺身隊の事ではありません。またこれについて秦郁彦も、「国民勤労報国協力令(1941)により・・・・女子挺身隊も生まれていた。」と書いています(『慰安婦と戦場の性』p367)。ゆえに「女子挺身隊」という言葉もイコール「女子勤労挺身隊」であるとは言えない。理解しやすくすると(「挺身隊」>「女子挺身隊」>「女子勤労挺身隊」)という事になります。そこでそれぞれ独立記事にすることも考えられますが、分量的には、「挺身隊」という記事を改名して造り、その中に「女子挺身隊」「女子勤労挺身隊」の節を立てるのがもっとも有力なやり方だと思います。転送記事でなければ、最初から独立記事を造るところですが。
- 「冒頭では詳細かつ特殊な説明にすぎるため」だそうですが、提案した冒頭の文章は、現在わずか3行ですので、勘違いしないようにしてください。再掲します。文言をどうするか?をご意見があれば承ります。
↓ 挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し<『広辞苑 第四版』岩波書店、1995年/>、挺身隊という用語は、必ずしも特定団体を示す語ではない<尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』p295、明石書店、2003年 />。しかし、女子勤労挺身隊を略して挺身隊または女子挺身隊と呼ぶこともある[2]。
(冒頭定義部分)--よしのぶ(会話) 2015年9月19日 (土) 00:34 (UTC)
冒頭は記事本文の概要です。あなたの加筆したい部分は名称節で説明すべきです。特殊な主張によって記事を破壊する行為は慎むように。--さんぽーる(会話) 2015年10月6日 (火) 18:35 (UTC)
- 定義の問題なので導入部に書くべきです。導入部には、その言葉の持つ定義を書きます(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部))
鉛筆(えんぴつ)とは、筆記用具の一種で、黒鉛と粘土などの粉末を混ぜ合わせて焼いたもので芯をつくり、その外側に木材などを接着し持ちやすくしたもの。芯を紙に擦りつけて炭素を付着させる。
- などの書き方から考えても上記の提案は妥当だと思いますが、リパートせず付け加えることがあったら、提示してください。--よしのぶ(会話) 2015年10月9日 (金) 03:32 (UTC)
- 【追記】「女子挺身隊(じょしていしんたい)は、大日本帝国が第二次世界大戦中に創設した勤労奉仕団体のひとつで」と書いていますが、上で述べたように女子挺身隊と女子勤労挺身隊をまったく同一のものとみなすことはできません。サンポールさんのリパートした編集は女子勤労挺身隊という題名の記事ならふさわしいかもしれませんが、ここでは正確な定義つけとは言えないでしょう。--よしのぶ(会話) 2015年10月9日 (金) 03:44 (UTC)
反対 何度もいいますが、あなたの提案には明確に反対です。これまでのあなたの主張からして、今後私はあなたの提案に賛成することはありえません。私はあなたの調査も採用して加筆しています。差し戻しではありません。
あなたの編集は女子挺身勤労令で正式に政府によって女子挺身隊の説明を除去し(ここは女子挺身隊の記事です!)、「挺身とは」「挺身隊とは、特定団体を意味しない」とのみあり、これでは何の記事か全く分かりません。この編集は私ではなく第三者のTakabegさんが差し戻しをされています。ここは女子挺身隊の記事です。故に女子挺身隊について説明すべきです。それは現状が最低限の内容でしょう。それが導入部での書き方です。あなたのこだわっていることは脚注でもいいほどの内容です。あなたの編集を例えると、大日本帝国記事で「大日本とは…」「帝国とは…」と書いて、「しかし本来の帝国ではない」という説明を冒頭でするようなものです。ナンセンスだと思うでしょう?ナンセンスなのです。
女子挺身隊は日本の制度です。朝鮮では正式に女子挺身隊は発令されなかったのです。 当時の朝鮮での「挺身隊」の意味を冒頭で説明する必要性は全くありません。現状のように名称の節で説明してあることで何が不満なのでしょうか?
植村隆記事でもあなたは強引な編集しかしないし、他の編集者の意見を無根拠にはねのけるだけ。これ以上、特殊な独自研究にこだわって、他の編集者の編集活動を妨害されるならば、コメント依頼でもするしかありません。
挺身隊記事も可能性としてはありますが、研究がほとんどない。あなたやあなたの仲間が論文や書籍で研究を発表されれば、そのうち朝鮮・韓国における挺身隊という記事も作成できるでしょうが、現状は出典がないので不可能です。--さんぽーる(会話) 2015年10月9日 (金) 13:08 (UTC)
- 「ここは女子挺身隊の記事です。故に女子挺身隊について説明すべきです。それは現状が最低限の内容でしょう。」という事ですが、その「女子挺身隊=女子勤労挺身隊である」という考えなのでしょうか?その定義の問題点はすでに指摘済みですが。
- 「女子挺身隊は日本の制度です。朝鮮では正式に女子挺身隊は発令されなかったのです」と述べておられますが、女子挺身隊という言葉は女子勤労挺身隊という言葉とイコールの関係ではないとすでに上で述べております。
- 「編集者の意見を無根拠にはねのけるだけ」と言いますが、そのような実例があれば示してください。意見は全て理由・根拠を述べております。これは私に対する侮辱です。あまり感情的にならないようにお願いします。--よしのぶ(会話) 2015年10月21日 (水) 03:24 (UTC)
反対 現行の記載は常識的な説明内容であり、よしのぶさんの提示案は一般的な説明内容ではないため。
- 何をもって一般的というかについては、広く使われている辞書などの記載を参考するのが良いと思います。たとえば、大辞林は女子挺身隊について、以下のように書いています。
太平洋戦争下の女子勤労動員組織。満二五歳未満の女子を居住地・職域で組織。1943年(昭和18)の閣議決定で実施,翌年の女子挺身勤労令により1年間の勤労奉仕を義務づけた。
- また、世界大百科事典は以下のように記載しています。
戦時下の女性に対する強制的勤労動員組織。太平洋戦争下,労働力不足は深刻の一途をたどり,女性の勤労動員が強化された。1943年9月,国内態勢強化方策が閣議決定され,14~25歳の未婚・無職・不在学の女子を居住地で女子挺身隊に組織することになった。翌年3月から強制的になり,6月からは12歳にまで引き下げられた。8月には女子挺身勤労令が公布されて1年間の動員が義務づけられ,違反者には1年以下の懲役または1000円以下の罰金が科せられるようになった。
- そして、現行の記載は以下の内容ですが、特に事実誤認などの問題はありません。
女子挺身隊(じょしていしんたい)は、大日本帝国が第二次世界大戦中に創設した勤労奉仕団体のひとつで、主に未婚女性によって構成されていた。戦時日本の労働力が逼迫する中で、強制的に職場を配置換えする国家総動員法下の国民総動員体制の補助として行われ、工場などでの勤労労働に従事した[1]。1944年8月の女子挺身勤労令によって14歳〜40歳の内地(日本)の女性が動員された[2]。日本統治下の朝鮮の女性への適用は検討されたが、適用されることはなかった[2]。1945年の国民勤労動員令によって女子挺身隊は国民義勇隊として改組され、消滅した。
挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し[1]、そこから生まれた挺身隊という用語は、必ずしも特定団体を示す語ではない[2] 。しかし、女子勤労挺身隊を略して挺身隊または女子挺身隊と呼ぶこともある[3][4]。
- 以上 --青鬼よし(会話) 2015年10月9日 (金) 23:52 (UTC)
- 「現行の記載は常識的な説明内容であり」だそうですが、Wikipediaは青鬼よしさんの認知する常識を無条件に書く場ではありません。
- 歴史学者が書いた研究書を出典に書いている以上独自研究には当たりません。--よしのぶ(会話) 2015年10月21日 (水) 03:24 (UTC)
- それぞれの文は間違っていないと思いますが、Wikipedia:独自研究は載せないのうちのWP:SYNTHESISに該当する可能性はあります。挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し、という部分を有効活用するために、ウィクショナリーで挺身という項目を立ててみるのもよいかもしれません。また、「挺身隊という用語は、必ずしも特定団体を示す語ではない」も「女子勤労挺身隊を略して挺身隊または女子挺身隊と呼ぶこともある」もそれぞれは間違っていないので、有効活用できればよいのですが。。。使い方を考えてみます。秦郁彦『慰安婦と戦場の性』の367ページは割と有益に使われていますけど、尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』の295ページも適切に引用すれば有益なのですが、ちょっと残念な使い方をされてしまったようですね。Takabeg(会話) 2015年10月21日 (水) 09:00 (UTC)
Wikipedia:独自研究は載せないのうちのWP:SYNTHESISに該当する可能性についてですが、それは「発表済みの情報の合成」ということでしょうか?「挺身という言葉は「自ら進み出ること、自分の身を投げ出して物事をすること」を指し」は、私の合成ではなく尹明淑や余舜珠がそれぞれ同じような内容を書いています。出典は日本語であるという理由で尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』にしております。出典をまずお読みになる事をお薦めします。--よしのぶ(会話) 2015年10月21日 (水) 10:21 (UTC)
- @利用者:Yoshinobukoさんへ。「お薦め」いただかなくても既に読んでおります。持ってますので。まずはじめに、こういうのは二度とやらないでください。女子挺身隊を説明する記事であって、「挺身」という言葉を説明する記事ではありませんので、冒頭から表題と別のものを説明するのはアウトです。このあたりは既にご理解いただいているとすいして、推定して次にうつります。
- Yoshinobukoさんのこの編集ですが、尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』の295頁の最後のところに「様々な労務動員の際にに用いられた言葉であり、班長や区長の「介入」による徴集の場合、より強い強制力を発揮したであろう」という文はありますが、「挺身隊は元々広く使われていた言葉であり、必ずしも女子勤労挺身隊を意味せず」は、どこから引用されたのでしょうか? また、余舜珠「日帝末期の朝鮮人女子勤労挺身隊に関する実態研究」の2~4頁をソースとして提示されていますが、1994年に梨花女子大学大学院に提出された未刊行修士論文 (ここだと1993年となっているようです)をお読みになられたのですか? 当該ページには韓国語で何とかかれていますか? これですね。また、和訳版があったら教えてください。それと、「朝鮮での「挺身隊」の初出は毎日新報1940年11月13日の農村挺身隊結成記事とされる」ではなく、「朝鮮での「挺身隊」の初出は毎日新報1940年11月13日の農村挺身隊結成が報じられた記事のようである」とか「余舜珠によると、朝鮮での「挺身隊」の初出は毎日新報1940年11月13日の農村挺身隊結成が報じられた記事であるという」とするべきですね。これは、尹明淑さんの説ではなくて、余舜珠さんの説なのでちゃんと書いてあげてください。尹明淑さんの孫引きをしますと、ソースは修士論文2頁となっています。Takabeg(会話) 2015年10月21日 (水) 12:31 (UTC)
ダワー
[編集]ダワーの本で塩田の記事が典拠にされているとありましたが、正確には「文献案内」に紹介されてあるだけで「典拠」ではないので削除します。もともと自分で書いた部分だったような気がします。失礼しました。--210.143.16.39 2015年11月25日 (水) 07:08 (UTC)
文献案内に記載されているのだから典拠です。不確かな情報源として扱われてはいません。--さんぽーる(会話) 2015年11月28日 (土) 13:33 (UTC)
観点
[編集]朝鮮半島に関する情報があまりにも過多であるために非常にバランスが悪いこと、「挺身隊」と「慰安婦」との混同をエクスキューズする内容が過多であることから、{{中立的な観点}}を添付させていただきます。Takabeg(会話) 2015年12月8日 (火) 11:23 (UTC)
エクスキューズとは「弁解」の意味でしょうか?何の「弁解」なのですか?その箇所は論争の記述がなされているのであり、「混同をエクスキューズする」というよりも「混同がいかになされてきたか」を史料を列挙して記述したものです。したがってWP:YESPOVには該当しません。--さんぽーる(会話) 2015年12月19日 (土) 10:21 (UTC)
分割提案1
[編集]上で指摘させていただきました{{中立的な観点}}を解消するため、まずはじめに、「挺身隊」という表現、という小見出しのところを、 「~これらのほか「独挺身隊米本土に潜入」としてドイツの「挺身隊」という表現もあった。」までを挺身隊 (現在は曖昧さ回避頁)に分割することを提案いたします。これにより問題は若干緩和されるものと考えます。Takabeg(会話) 2015年12月8日 (火) 11:38 (UTC)
反対 問題点が不明です。また、挺身隊の語源の詳細な説明は曖昧さ回避ページよりも、この記事で説明されている方が適切です。 --さんぽーる(会話) 2015年12月19日 (土) 10:26 (UTC)
分割提案2
[編集]{{中立的な観点}}を解消・緩和する方策の第二弾として、朝鮮女子勤労挺身隊への分割を提案いたします。別個の組織ではないのですが、戦後の扱いをはじめとして大きな違いもありますので、分割することで問題が緩和できますので良策であると考えています。具体的には以下の部分を分割して移すことを提案したします:
- 「日本統治下の朝鮮からの挺身隊は朝鮮女子勤勞挺身隊(ko:조선여자근로정신대)または半島女子勤労挺身隊と呼ばれた」という部分はコピーして移した上、本記事にも残す。
- 「尹明淑は「挺身隊という用語は、男女の区別なく用いられ、特定団体を示す語ではなかった。」としている」~「半島功報挺身隊など様々な動員に対する呼称表現が使用されていた」を移す。
- 「朝鮮では官斡旋による募集はあったが、女子挺身勤労令が正式に発令されることはなかった」という部分はコピーして移した上、本記事にも残す。
- 「朝鮮でも総督府機関紙毎日新報が「有閑女子積極動員」などと報道するようになり」~「が考えられていると報じられた」までを移す。
- 「総督府は1943年12月には労務課を設置し」~「「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」の閣議決定がなされた」までを移す。
- 「朝鮮における官斡旋の挺身隊」の章は全て移す。
- 統計の章については、朝鮮女子挺身隊の部分を朝鮮女子勤労挺身隊に移したうえで、要約を残す。
- 「挺身隊」と「慰安婦」との混同の章については全て移すが、「日本内地での女子挺身勤労令」を残す。
Takabeg(会話) 2015年12月8日 (火) 11:38 (UTC)
反対 中立的な観点に抵触する箇所が具体的に指摘されていません。また朝鮮女子勤労挺身隊の記事はあってもいいとは考えますが、「朝鮮における官斡旋の挺身隊」の要約は必要です。また「挺身隊」と「慰安婦」との混同の部分は慰安婦・日本の慰安婦にあるべきですが、あちらは情報量過多であるので、ここでいいでしょう。--さんぽーる(会話) 2015年12月19日 (土) 10:44 (UTC)