ノート:天野芳太郎
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初版投稿者の竹富島です。 生涯の記述で、1回目のアジア・アフリカ経由の南米まで至った後、父の訃報があり一旦帰国、そこまでは良いのですが、それ以降からパナマでの事業を興すまでの間について、天野博物館の記述と、天野博物館友の会のWebにある記述とでは「2回目の渡航がアジア経由か太平洋経由か」についてはっきりしません。ここは博物館のほうの記述をとって2回目は太平洋経由と記載しました。 この点は、天野自身の著書を読むことができれば補充するつもりです。--竹富島 2007年4月19日 (木) 14:49 (UTC)