ノート:天野元政
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右田氏への養子入りについて
[編集]永禄年間に元就から隆俊(康政)の子である「右田才千代丸」(「元俊」とのこと)宛に出された安堵状があり[1]、これを紹介している論文でも当然のように右田氏の当主は隆景→隆俊→元俊であるという前提になっているのですが、本記事や右田氏の記事に記載のある右田氏への養子入りについては、何らかの文献等は存在しているのでしょうか?
当該記述は本記事、右田氏の記事ともに同一のIPユーザーによって追加されているため、直接問い合わせることはできません。周辺の資料を確認できた訳ではないので、どなたかご存知の方がいらっしゃれば出典を追加いただければ幸いです。--araigumaG(会話) 2024年5月4日 (土) 16:02 (UTC)--araigumaG(会話) 2024年5月4日 (土) 16:02 (UTC)
- 追記: 2011-05-16以前に養子入りに言及している個人サイトを発見しました。
- 御郷康政に関する御郷氏の家伝については和田秀作 (2014)でも信憑性は低いとしながらも言及があるため、両者の共通の出典に挙げられている「萩藩閥閲録 (1970)」あたりを確認するのが筋かもしれません。--araigumaG(会話) 2024年5月6日 (月) 02:22 (UTC)
- 和田秀作 (2014)の典拠に挙げられていた萩藩閥閲録 (1970)巻一三七御郷助左衛門〈系譜書〉の御郷康政の項を確認しましたが、義隆の落胤で右田氏への養子入りの際に御郷と改めた、という以上の記述はありませんでした。
- また、同資料に記載されていた御郷氏の系図[2]においても、元政の記述はなかった[3]と記憶しています。--araigumaG(会話) 2024年5月19日 (日) 13:19 (UTC)
- 和田秀作「周防右田氏の相伝文書について」(PDF)『山口県文書館研究紀要』第41号、山口県文書館、2014年3月、ISSN 0286-9047、NAID 40020084193、NCID AN00243575、2017年2月1日閲覧。
- 山口県文書館『萩藩閥閲録』 3巻、1970年。doi:10.11501/9573763。