ノート:天空の城ラピュタ/過去ログ2
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「ハトと少年」と「スラッグ渓谷の朝」について
「ハトと少年」がイメージアルバムで、「スラッグ渓谷の朝」がサウンドトラックなのでしたら劇中で使われたのは「スラッグ渓谷の朝」とした方がよいのでは?
保護解除にむけての合意形成
第三者として提案・意見させていただきます。
利用者:Pinejamさんによる2016年1月27日 (水) 23:03(UTC)の版からセクション== あらすじ ==を== あらすじと結末 ==とするかしないかの編集合戦がおきました。そして2016年1月28日 (木) 11:31(UTC)にKs aka 98さんによって一週間の編集保護措置がとられました。そこで保護解除に向け合意形成を図ろうと思います。
WikipediaにはWikipedia:ネタバレというガイドラインがあります。ここでは「ウィキペディアでは、どのような記述にもネタバレ警告を行う義務はありません。」と明記されています。結末をセクションに入れないと記事としてバランスがわるい等の理由があるならば入れても構わないと思いますが、要約欄を見る限りそうではないようです。2016年1月27日 (水) 23:03(UTC)の要約欄には
- 結末を知りたくない読者が読むのを防ぐため、逆に、結末を知りたい読者のために、結末まで含まれたあらすじだということを示したいと思っています。
と書かれていますがこれは明らかにWP:SWに反するものです。よって私はセクションに「と結末」は不要だと思います。
また、今回の編集合戦に参加したと思われる利用者様には会話ページにて告知を行わせていただきました。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 12:22 (UTC)
- 編集合戦の結果、記事に保護がかけられました。具体的には「あらすじと結末」という見出しを、具体的な理由の説明のないまま「あらすじ」に変更する編集が繰り返されました。「編集」->「差し戻し」->「議論による合意形成」が、ウィキペディアのあるべき編集プロセスだと思いますが、合意形成の努力がないまま、一方的に編集が強行されようとしているのが問題だと感じます。このままでは他の編集者の方にご迷惑がかかるので、合意を形成した上で、保護依頼を解除したく思います。
- 本来は現状変更を行おうとしている側が、なぜ変更した方が良いのかの意見を提示し、それに対する議論と合意形成が行われるべきかと思いますが、それが行われる気配がないので、私の方から先に自分の意見を示したいと思います。
- まず最初に私の立場を説明しますが、私は物語の全体像を、なるべく読者が理解しやすいような形で文章にしたいと考えています。つまり、いわゆる"ネタバレ"を防ぐために、物語の全体像がつかめないようなあらすじを書くことには、私は反対の立場です。(それは私が執筆した、このラピュタのあらすじや、その他のあらすじ、たとえばカリオストロの城や、風の谷のナウシカ (映画)、となりのトトロ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ、コクリコ坂から、風立ちぬ (2013年の映画)、思い出のマーニー、禁じられた遊び、銀河英雄伝説などを見ていただければ分かると思います)※著作権上の責任が取れなくなったので、私が執筆した当時のまま残っている作品のみ、私が執筆した以前のあらすじに戻しました。
- その立場である私が、なぜ「あらすじと結末」という見出しに拘るかについては、以下の2つの理由があります。
- 1つ目ですが、いわゆるネタバレを含むあらすじを読みたくない読者が多いのは明らかな事実です。私はそのような人が、不幸にも意図しないまま物語の結末を知ってしまわぬように、結末まで知りたいと思っている読者の利便性を損なわない範囲内でのささやかな配慮をしたいと思っています。見出しに「と結末」の三文字を含めることは、この「読者の利便性を損なわない範囲での、ささやかな配慮」の範囲内であると考えています。
- 2つ目ですが、現状、ウィキペディアの内外において、物語の後半や結末が省略されているために、物語の全体像がわからないようなあらすじがとても多いと感じます。私の実体験として、物語の全容を把握するつもりであらすじを読んでも、書かれている内容が本当に物語の全容なのか、それとも肝心な部分が省略されているのかわからず、結局別な情報源に当たらなければその疑問を解消できないようなケースが多いです。そのようなことを防止するために、結末まで含まれたあらすじだと明示することは、読者の利便性を向上させると考えています。
- 以上の2点の理由は、「と結末」の三文字を省いた場合のメリットよりもずっと大きいと考えますので、この三文字を省くことに私は反対です。
- もしこの三文字を省略したいならば、この三文字があることによって、(1)どのようなデメリットがあるのか、(2)または削除することによってどのようなメリットがあるのか、(3)なぜそれが、私が指摘する二つの理由よりも優先すべきだと言えるのか、この3点を明らかにして頂きたいと思います。
- --Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 12:34 (UTC)勝手ながらセクションを統一させていただきました。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 12:53 (UTC)
- 上にあげられているメリットデメリットは、個人的な憂慮でwikipediaの方針を無視しようという宣言に過ぎないではありませんか。私はあらすじという言葉には、そもそも結末が含まれて然るべきものだと考えています。桃太郎のあらすじを述べるなら「桃太郎が鬼ヶ島へ行って鬼を退治しました」というように。ですから「あらすじと結末」とする必要性がないと考えています。そして、「と結末」を記述する理由にPinejamさんは「結末を知りたくない読者が読むのを防ぐため」、つまりはネタバレをあげておられますので、その理由は正当性を欠いていると判断し、その理由をはっきり明記して差し戻しを行わせていただきました。しかし、「理由の説明がない」という虚偽の発言、「荒らし行為」などという侮辱的なレッテルまで貼られ、私の意見が一蹴されているのが現状です。本筋の議論とは別に編集者としてのモラルも考えていただきたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 13:12 (UTC)
- ウィキペディアが最も尊重する方針は、一方的な決めつけや編集ではなく、議論による合意の形成です。私は自分の行為が、ウィキペディアの方針に反しているとは考えていません。なぜなら私が記述しているあらすじの中では、はっきりと物語の結末を示しているからです。また「と結末」の三文字があることによって、物語の全体像を把握したいという読者のニーズを阻害しているとはいえず、さらには私が指摘する二つのメリットがあります。
- それなのに、なぜそこまで頑なに「と結末」の三文字を削除するべきと考えるのか、RANWAMさんの意図が全く示されていません。ですので「と結末」の三文字があることによって、(1)どのようなデメリットがあるのか、(2)または削除することによってどのようなメリットがあるのか、(3)なぜそれが、私が指摘する二つの理由よりも優先すべきだと言えるのか、この3点を明らかにして頂きたいと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 13:29 (UTC)
- 私の意図がわからないという言葉は本当に理解に苦しみます。最初の編集要約で言った通り「あらすじの記述には結末を当然に含んでいる」と。要するにラピュタの記述は「あらすじと結末」ではなく、「結末を含んだあらすじ」なんですよ。結末部分もあらすじなんです。映画監督一覧という項目があり、そこに宮崎駿が含まれていたとしても、それは「映画監督一覧」であって、「映画監督一覧と宮崎駿」ではないんですよ。不要なんです。その不要な箇所を記述する理由が「ネタバレへの配慮」とおっしゃるから、Wikipediaの方針に反している事も明らかなので差し戻しただけなんです。あなたは結局ガイドラインを無視し自分の編集を押し通す、という主張しかしていないではないですか。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 13:59 (UTC)
- それなのに、なぜそこまで頑なに「と結末」の三文字を削除するべきと考えるのか、RANWAMさんの意図が全く示されていません。ですので「と結末」の三文字があることによって、(1)どのようなデメリットがあるのか、(2)または削除することによってどのようなメリットがあるのか、(3)なぜそれが、私が指摘する二つの理由よりも優先すべきだと言えるのか、この3点を明らかにして頂きたいと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 13:29 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) (1)(2)(3)についてそれぞれ私の意見を述べさせていただきます。
- (1)について。
- 冒頭でも述べましたが「と結末」と追記することはWP:SWに反します。Wikipediaは必要に応じてネタバレが行われます。そのさいまだあらすじを知らない読者がネタバレを読んでしまい面白さを失ってしまうこともあるかもしれません。しかしそれはWP:SWで挙げられているようにWikipedia上では読者に対してネタバレを配慮する必要はありません。あなたはWikipedia上でネタバレ警告のある記事を見たことがありますか?私はありません。
- (2)について。
- あらすじが記事によって全体なのかどうか一瞥しただけではわからないという点は否定しません。しかしWikipediaにはWP:ORやWP:V、WP:IINFOなどあらすじを書くにあたって関係するガイドラインが存在します。それらをすべて満たした状態で全容を詳細に書くことは難しいです。
- (3)について。
- 私は読者の利便性は方針・ガイドラインを満たした上で考えるものだと思っています。
- WP:IMPERFECTのように方針・ガイドラインに反しないものは受け入れられますがPinejamさんの編集行為は反しています。もう一度方針・ガイドラインを確認なさってください。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 13:43 (UTC)
- 私は反しているとは感じていません。なぜなら「あらすじと結末」という表現は、ごく普通に日本語で使われる範囲の言葉であり、なによりも私が執筆したあらすじの中では、はっきりと物語の結末が示されているからです。それにも関わらずWP:SWに反するという具体的な根拠は、一体どこにあるのでしょうか?なぜそこまでして(1)この三文字を消さなければならないと考えるのか、(2)消すことによってどのようなメリットを得られるのか、(3)それが私が指摘する二つのメリットよりもなぜ優先するべきと言えるのか、その3つの理由を明らかにして下さい。それらの説明がないまま「とにかく違反だ、修正しろ」と一方的に決めつけられても、同意はできません。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 13:54 (UTC)
- 一つ補足します。もしかするとWP:SWの以下の記述に反していると、言っておられるのでしょうか?
たとえば「物語の結末」「最終回」「事件の真相」「真犯人」などのように、節の名称から「ネタバレ」が書かれていることが常識的に予想できる場合もあります。ただし、ネタバレを気にして強いてこのような節を設ける必要はありません。このような節は、記事全体の構成から考えて作成するのが自然であるような場合にだけ作成してください。
- 結論から言うと、「あらすじと結末」という節の名はこの記述に反してはいません。なぜなら、ウィキペディアのネタバレの方針は「ネタバレを隠したいという理由によって、物語の全容を知りたいという読者のニーズを阻害してはならない」と言う点にあると考えるからです。
- 例えば、ネタバレを防止するためにJavaScriptを用いて結末を隠したり、またはあらすじとは別に「物語の結末」という節を別途設けてあらすじの結末を隠そうとしたならば、それらの行為は物語の全容を知りたいという読者の利便性を阻害しており、ガイドラインに反していると言えます。
- しかし、このラピュタの場合は、ネタバレの部分を別の節に分けて隠そうとしたりしておらず、物語の全容を知りたいという読者の利便性を全く阻害していません。私のあらすじの中では、しっかりと結末まで説明しており、そして「あらすじと結末」という表現は、ごく日常的に見られる不自然のない見出しです。だから、ガイドラインに反している点はありません。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 14:29 (UTC)
- 反しています。「あらすじ」ではなく「あらすじと結末」と記述している理由にあなた自身が「結末を知りたくない読者が読むのを防ぐため、逆に、結末を知りたい読者のために、結末まで含まれたあらすじだということを示したいと思っています。」と閲覧者へのネタバレ配慮を理由に盛り込んでいます。また、「あらすじと結末」が日常的に見られる見出しなら、結末を含んだあらすじを「あらすじ」と表現するのもごく日常的に見られる自然な見出しです。なぜご自身だけを正当化するのですか?--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 14:41 (UTC)
- 反してはいません。なぜなら読者の利便性を阻害しておらず、さらには物語の結末がはっきりとわかるあらすじになっているからです。物語の全容を知りたいという読者のニーズを阻害することなく、不幸な事件を避けられるのであれば、それに越したことはないと考えています。なぜ「と結末」を削除すべきとお考えなのか、その理由を説明できないのは一体なぜなのでしょうか?そうした方が良いというならば、それを他人に納得させられるような理由があるはずです。私がお願いしている、3点の説明をお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 14:50 (UTC)
- 反しています。「あらすじ」ではなく「あらすじと結末」と記述している理由にあなた自身が「結末を知りたくない読者が読むのを防ぐため、逆に、結末を知りたい読者のために、結末まで含まれたあらすじだということを示したいと思っています。」と閲覧者へのネタバレ配慮を理由に盛り込んでいます。また、「あらすじと結末」が日常的に見られる見出しなら、結末を含んだあらすじを「あらすじ」と表現するのもごく日常的に見られる自然な見出しです。なぜご自身だけを正当化するのですか?--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 14:41 (UTC)
- 理由は説明してありますので、どうぞ上の議論を読み直してみてください。編集者としてのモラルについてもしっかりご返答お願いしますね。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 15:01 (UTC)
- 読み直しましたが、私にはどれがデメリットにあたるのか、どれがメリットにあたるのか、それらが私が指摘した二つの理由よりもなぜ優先するべきと言えるのから、それらが理解できませんでした。あなたに意見を返したいのですが、その前にあなたの意見を正確に理解しないことには、正しい返答を返すことができません。強硬に変更を主張するならば、それに足るようなしっかりとした理由の裏付けが最初にあるはずです。ですから、私が求めている3点の説明をよろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 15:54 (UTC)
- 理解できるまで読み直してください。いくら説明しても「説明してない」、「理解できない」、まるで駄々っ子です。合意形成の意志が感じられません。また、荒らし認定についても、あなたの会話ページで早急にお答えください。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 16:03 (UTC)
- 読み直しましたが、私にはどれがデメリットにあたるのか、どれがメリットにあたるのか、それらが私が指摘した二つの理由よりもなぜ優先するべきと言えるのから、それらが理解できませんでした。あなたに意見を返したいのですが、その前にあなたの意見を正確に理解しないことには、正しい返答を返すことができません。強硬に変更を主張するならば、それに足るようなしっかりとした理由の裏付けが最初にあるはずです。ですから、私が求めている3点の説明をよろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 15:54 (UTC)
- コメントPinejamさんの過去の活動を少し拝見させていただきました。普段からあらすじの加筆ご苦労様です。
- また同時に「あらすじと結末」で全文検索をしました。全文検索の結果と感想ですが、どうやら現在標準ページ内に存在する「あらすじと結末」のセクションを制作もしくは「あらすじ」から変更しているのはPinejamさんだけのようですね。
- Pinejamさんが示された引用部分の前の部分を私は重視しています。Wikipediaではネタバレ警告を行う必要はないのです。結末はネタバレ警告と同等に扱うことができると私は考えています。また「あらすじ」という言葉には起承転結のすべてが含まれていると私は考えています。そう考えると「あらすじと結末」という記述は結末を強調しているものだと私はとらえました。(こじつけだと思われるかもしれませんけど)なので「あらすじと結末」という表現を私はネタバレ警告でWP:SWに反していると考えたのです。
- 質問に回答いたしますと、(1)上記の私のコメントから酌みとって下さい。(2)セクションスタイルは統一した方がよいと考えてます。(あらすじなどとても多くのページで統一したセクション名となっているものは特に)統一することで新規利用者が混乱しません。(3)より多くの人が支持している・従っているスタイルを私は支持します。Wikipediaの歴史の中で生まれた慣習に従うつもりです。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 15:00 (UTC)下線部を追記--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 15:06 (UTC)
- ウィキペディアに見出しに関する厳格な統一ルールがあるのでしょうか?記事ごとに「物語」「あらすじ」「ストーリー」「概要」と言った見出しになっているように見受けられます。だから「スタイルを統一した方が良い」という理由は成り立たないと思います。なぜそこまでして「と結末」を削除した方が良いのか、具体的なデメリットの指摘も、または削除することによるメリットも、いずれも提示されておりません。だから、それらの提示を最初にお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 15:09 (UTC)
- 私もあなたが拘る理由に納得していないんですけど…そして意見を酌み取ろうとはしないんですね。あんなに文章力あるのに…
- また朝早いので今夜は御暇します。ウォッチリストで更新は随時確認しておきます。
- あと辞書を引いてみてください。「あらすじ」と「概要」「ストーリー(story line)」は全く同じ意味、「物語」も内容について語ることとして同義語です。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 15:52 (UTC)
- 納得できないのであれば、なぜ納得できないのかについて、その理由を教えては頂けませんか?意見の裏付けがないまま「とにかく納得できない」と言われても、私には返答のしようがありません。どうして「と結末」を削除したいのでしょうか?読者の利便性を損なうことなく、不幸な事故を避けられるのであれば、それに越したことはないはずなのにです。どうしてもそれを阻止したいと考える動機は、どこにあるのでしょうか?それを示して下さい--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 16:28 (UTC)
- こんにちは。
- Pinejamさんのご意見は、他の物語に関する記事のあらすじは原則として「あらすじ」でよいが、天空の城ラピュタについては他の記事との統一性を考慮してもなお「あらすじと結末」とする理由がある、ということではなく、一般に物語のあらすじについては「あらすじと結末」とするのが好ましい、ということでしょうか。
- あらすじの書き方や、そこで結末部分を含むかどうかも含め、物語の記事の扱いについてウィキペディア日本語版ではたびたび議論があり、その都度合意を探りながら進めてきています。もし、一般に物語のあらすじについては「あらすじと結末」とするのが好ましい、ということならば、Wikipedia:ネタバレあるいはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)かWikipedia:あらすじの書き方あたりのノートで提起するのが良いと思います。ノートには古い議論も残っていますから、そちらも参考になるでしょう。他の記事はともかく、ということならば、ここでもよいですが、なぜ特にラピュタについてはそうなのか、という理由が必要になるでしょう。
- あらすじにネタバレを含めていることを明示するために、「あらすじと結末」とすること自体は、これまで試みられ、否定されているテンプレや警告と比べれば自然なものとは思います。一方、ネタバレへの不満について配慮すること自体を好まない意見も多いようです。--Ks aka 98(会話) 2016年1月28日 (木) 14:46 (UTC)
- こんにちは。私は、ウィキペディアのあらすじには物語の結末までしっかりと書いてあるべきだと考えます。なぜなら、百科事典は商業的な宣伝文を書くべき場ではなく、解説する対象をきちんと読者に理解させるべきものだと考えるからです。
- 一方、世の中のあらすじには、物語の結末を含まないものが大勢を占めているのは事実です。そのために「あらすじとは結末を含まない物だ」と誤解している読者は世の中に多く、そういった人が意図せずに結末を知ってしまうことは、不幸なことであると思います。それと同時に、結末が含まれないあらすじが世の中に多いため、あらすじを読んでも、果たしてそれに結末が含まれているのか確信が持てないという読者もいるでしょう(私ですが)
- もし「物語の全容を知りたい」という読者のニーズを全く阻害することなく、そうした不幸を避けられるのであれば、それに越したことはないはずです。私が行っているささやかな工夫は、読者の利便性を全く損なうことなく、この2つのニーズを満たす方法だと考えています。
- その一方で「と結末」という3文字が含まれることによるデメリットの指摘も、またはその3文字を削除することによるメリットも、いずれも説明されてはおりません。なんの説明もなく「とにかくその三文字は気に食わない」と言われているのが、現状であると言えます。だから、まずは納得のいくような理由の説明をお願いしている次第です。
- なぜ特にラピュタについてはそうなのかという理由については、「私が執筆した記事によって他人を不幸にすることはなるべく避けたい」と考えるからです。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 15:13 (UTC)
みなさんの意見を拝見するに、「あらすじには物語の結末まで含まれるべき」という点については合意があるようです。そして、私のあらすじには物語の結末までしっかりと記述されており、それを知りたいと望む読者の利便性を阻害している点もありません。さらには私が指摘している2点のメリットもあります。
それにもかかわらず、どうして「と結末」を削除しなければならないのでしょうか?(1)この3文字があることによるデメリットはありますか?(2)削除することによるメリットはありますか?(3)それらの理由は、私が指摘する2つの理由よりも、なぜ優先するべきと言えますか?この3点の納得のいくような理由の説明を、お願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 15:22 (UTC)
- あなたはその3つの答えがほしいだけじゃないですか?もしそうだとするとWP:IDIDNTHEARTHATに触れる気がします。--Mirinano(会話) 2016年1月28日 (木) 15:52 (UTC)
- 記事を変更するには、それなりの理由があるはずです。しかし、その理由が説明されていません。「あらすじと結末」という見出しは、特に不自然な日本語ではなく、物語の全容を知りたいという読者の利便性を損なってもいません。あなたが指摘する「見出しの統一」に関しても、ウィキペディアには見出しを「あらすじ」で統一しようという具体的な運動があるわけではなく、あなたがなんとなく「あらすじ」で統一した方が良いと考えているだけのように思えます。だから、具体的な何の理由の説明もないまま「とにかく気に食わない」と言われても、同意はできません。
- 記事の更新履歴を拝見しても、あなたはこれまでラピュタのあらすじの改善に貢献されてきたわけでもないようです。特に具体的な理由がなく「なんとなくその3文字が無い方が自分の好みだ」という程度の意見であるならば、あらすじの執筆者の意見を尊重してはいただけないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 16:09 (UTC)
- コメント結末も含めてすべて書いた方がいいということについては、共有されているように思います。
- フィクションの記事の運用の細かいところは把握していませんが、「あらすじと結末」とすることは、直ちにガイドライン違反になるとまでは思いません。「非表示にしたり読み飛ばすためのリンクを設けたりするなど、読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません」(Wikipedia:ネタバレ)や、「ウィキペディアでは多くの場合、あらすじは記事の中で「あらすじ」「ストーリー」「物語」「梗概」などのような見出しを持つセクションを設けて書かれています」(Wikipedia:あらすじの書き方#具体的な書き方)、「編集者はネタバレに対して特別な配慮を行う義務を負いません」(Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱い)あたりがとりあえずKs aka 98が把握している関連するところでしょうか。
- 一般的な宣伝文句風の「あらすじ」のありようと、百科事典での物語の筋書きを結末込みで説明するセクションとして「あらすじ」という表現を用いることとの折り合いをつける工夫としては、これまでのテンプレ他よりも自然だと思います。これまでの議論では、百科事典に掲載されるあらすじには結末が含まれてて当たり前なんだから配慮する必要がそもそもない、というような意見も少なくありませんでした。その立場から見ると、「と結末」は不要でしょうし、Pinejamさんがそれを必要としている主張の根本のところを否定するものとなります。テンプレや警告ほど強く訴えかけるものではないもので、折り合いをつけられるなら、つけたほうがよいのではないか、というかたちで争点を作ることになるのでしょう。
- 配慮する必要がそもそもないとまでは言わないとしても、「と結末」が付いているのは、ちょっと見慣れない書き方で、「あらすじ」には「結末」も含まれるものと捉えるなら重言っぽい感じを受けますから、そこの正確さがどうかというところと、この記事だけ「あらすじと結末」で、ほかは「あらすじ」となっているのなら、統一したほうが良さそう、という捉え方は考えられます。いずれにしても、個別記事で「俺が書く限りは不幸にしたくない」という理由では、他者が修正しているものを否定する理由としては弱いと思います。Pinejamさんが書いた分については、「あらすじと結末」としているのですから、その限りで不幸にしません。他の誰かが、それを書き換えて、読者を不幸に陥れたなら、それは書き換えた編集者がやったことです。そこは切り分けてください。
- 不自然さや重言の難と、テンプレや警告よりも自然であることの比較は、先にも書きましたが、全体としてガイドラインなどのノートで俎上にのせる分にはよいと思います。そこでは、「俺を説得しろ、さもなくば変える」ではなくて、変える側も相手を説得しようと試み、いずれかでコンセンサスが得られるか、というかたちで対話を行ってください。個人的には「あらすじ」という言葉を避けて「梗概」なり「物語の概略」なりがわかりやすいと思ってます。--Ks aka 98(会話) 2016年1月28日 (木) 16:20 (UTC)
- アドバイスありがとうございます。実社会でよく見られる「あらすじ」には結末が含まれないものが大勢であり、ウィキペディアに記載されているあらすじについても、結末が含まれていないものが多数あります。現実がそのような状況なので、そのようなあらすじに慣れている人が多く、「あらすじには結末が当然含まれている」と考える人が日本人の多数派であるとは言えません。だから事実上「重言」であるとは言えないのです。もし、読者の利便性を損なわない形で、私が指摘する二つのメリットが満たされるのであれば、それに越したことはなく、特に理由がないままそれらのメリットを阻害する必要性もないと考えています。だから今のままでの変更は改悪であると感じており、このまま説明がないならば同意はできません。ただし、他の方が書くあらすじに関しては、特に自分の考えを押し付けるつもりはありません。私がラピュタの記事についてこだわっているのは、私がラピュタの記事の執筆者であり、それに道義的な責任があると考えているからです。逆に、特にあらすじの改善に尽力してきたわけでもない人が、このまま説得力のある説明ができないまま、執筆者の疑問に答えることなく自分の意見を一方的に押しとおそうとするのは心外です。ですから、まずは(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由、つまり読者の利便性を損なうことなく不幸な事故を避けられるという利点、そして結末まで知りたいと思っている読者に、はっきりとそれを示せるという利点よりも、なぜ優先されるべきなのかを示して頂きたいと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 16:55 (UTC)
- あらすじに尽力してきた自分の編集に文句を付けるな、という事ですね。本当に恐ろしい。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 17:02 (UTC)
- いいえ、特に明確な理由を説明できない人が、一方的に自分の意見を押し通そうとしないで下さい、ということです。「あらすじと結末」という言葉の使用には、日本語として特に不自然な点はありません。私の造語ではなく、実社会でも一般的に見られる表現です。そして、この表現を使えば、あらすじの全容を知りたいという読者の利便性を損なわないまま、意図せず物語の結末を知ってしまうという不幸な事故を避けることができ、そしてあらすじに本当に物語の結末が含まれているのかを知りたいという読者に、それを示せるというメリットがあります。ですから「と結末」という3文字を付けるべきだと私は考えるのです。その一方で、あなたは「だからこの3文字を削除するべきなのだ」という結論につながるような理由を、まだ何も説明できていません。なぜ、それらを説明しないまま、一方的に自分の意見を押しとおそうとするのでしょうか?(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由よりも優先するべき理由は何か、この3点を示してください。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 17:09 (UTC)
- 「あらすじ」の意味として「およその筋道。あらまし。概略。特に、小説・演劇・映画などのだいたいの内容。梗概 (こうがい) 。」[1](デジタル大辞泉より引用)とあり、結末も含むのが本来の意味でしょう。しかし、昨今の出版社や配給会社などの番宣として作られる「あらすじ」は、物語の序盤しか紹介されないのが原因であなたの言う「そのようなあらすじに慣れている人が多く」というような状態になっています。ただ、それでも自分としては「あらすじ」だけで必要十分だと思います。「梗概」でもいいのですがやはり聞き慣れない単語ということで微妙に感じます。Wikipedia:ネタバレ系テンプレートの使用が廃止されたことを考えれば、「と結末」と書くこともネタバレに配慮していることには変わりないので私的にはNGです。限りなく読者に優しい配慮だとは思いますが。「ウィキペディアに記載されているあらすじについても、結末が含まれていないものが多数あります」とありますが私的には全て「Template:不十分なあらすじ」の貼り付け対象です。自分は見かけたもので不十分なものは貼り付けています。
- 私的な回答になりますが(1)本来の意味からすれば重言であると受け取れるため日本語として美しくないと感じます。百科事典的でもないと思います。ニュースや出版社などでも通常使われません。ブログとか個人で使うのであれば別に個人の勝手ですので構いません。(2)すべてのページの「あらすじ」を検証しなくて済む。22000件超もあるページを検証することになります。別にそんなの検証しなくても、ここを見た誰かがページを見た時に結末が書いてあれば変えていってくれればいい、時間が解決する、という合意が取れるのであれば構いませんが。(3)優先というかこれは適用範囲が広すぎるためここだけで決めてもいいものではないと思います。Ks aka 98さんの紹介のあったプロジェクトなりガイドラインなりのノート提案し、合意を得るなりした方が良いと思います。また、コメント依頼などで広く意見を求めたほうがいい案件でもあると思います。--Haetenai(会話) 2016年1月28日 (木) 19:42 (UTC)
- いいえ、特に明確な理由を説明できない人が、一方的に自分の意見を押し通そうとしないで下さい、ということです。「あらすじと結末」という言葉の使用には、日本語として特に不自然な点はありません。私の造語ではなく、実社会でも一般的に見られる表現です。そして、この表現を使えば、あらすじの全容を知りたいという読者の利便性を損なわないまま、意図せず物語の結末を知ってしまうという不幸な事故を避けることができ、そしてあらすじに本当に物語の結末が含まれているのかを知りたいという読者に、それを示せるというメリットがあります。ですから「と結末」という3文字を付けるべきだと私は考えるのです。その一方で、あなたは「だからこの3文字を削除するべきなのだ」という結論につながるような理由を、まだ何も説明できていません。なぜ、それらを説明しないまま、一方的に自分の意見を押しとおそうとするのでしょうか?(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由よりも優先するべき理由は何か、この3点を示してください。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 17:09 (UTC)
- あらすじに尽力してきた自分の編集に文句を付けるな、という事ですね。本当に恐ろしい。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 17:02 (UTC)
- アドバイスありがとうございます。実社会でよく見られる「あらすじ」には結末が含まれないものが大勢であり、ウィキペディアに記載されているあらすじについても、結末が含まれていないものが多数あります。現実がそのような状況なので、そのようなあらすじに慣れている人が多く、「あらすじには結末が当然含まれている」と考える人が日本人の多数派であるとは言えません。だから事実上「重言」であるとは言えないのです。もし、読者の利便性を損なわない形で、私が指摘する二つのメリットが満たされるのであれば、それに越したことはなく、特に理由がないままそれらのメリットを阻害する必要性もないと考えています。だから今のままでの変更は改悪であると感じており、このまま説明がないならば同意はできません。ただし、他の方が書くあらすじに関しては、特に自分の考えを押し付けるつもりはありません。私がラピュタの記事についてこだわっているのは、私がラピュタの記事の執筆者であり、それに道義的な責任があると考えているからです。逆に、特にあらすじの改善に尽力してきたわけでもない人が、このまま説得力のある説明ができないまま、執筆者の疑問に答えることなく自分の意見を一方的に押しとおそうとするのは心外です。ですから、まずは(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由、つまり読者の利便性を損なうことなく不幸な事故を避けられるという利点、そして結末まで知りたいと思っている読者に、はっきりとそれを示せるという利点よりも、なぜ優先されるべきなのかを示して頂きたいと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 16:55 (UTC)
- 不自然さや重言の難と、テンプレや警告よりも自然であることの比較は、先にも書きましたが、全体としてガイドラインなどのノートで俎上にのせる分にはよいと思います。そこでは、「俺を説得しろ、さもなくば変える」ではなくて、変える側も相手を説得しようと試み、いずれかでコンセンサスが得られるか、というかたちで対話を行ってください。個人的には「あらすじ」という言葉を避けて「梗概」なり「物語の概略」なりがわかりやすいと思ってます。--Ks aka 98(会話) 2016年1月28日 (木) 16:20 (UTC)
- Haetenaiさん初めまして。「あらすじ」という言葉には、本来結末まで含まれているはずのものだ、というあなたの意見には賛同できます。しかし、世の中の多くの人が目にしているあらすじはそうなってはおらず、そのために、あらすじに結末まで含まれていることを想定していない人が多い現状になっていることは、Haetenaiさんにも共感して頂けた通りだと思います。
- その次なのですがそれでも自分としては「あらすじ」だけで必要十分だと思いますとHaetenaiさんが結論づけている理由が、私にはわかりません。なぜなら、相手に意図が伝わらない恐れが多いならば「十分」だとは言えないはずだからです。
- 「と結末」と書くこともネタバレに配慮していることには変わりないので私的にはNGです。とのご主張についても、そのような結論にHaetenaiさんがたどり着いたということは分かるのですが、なぜそうするべきなのかという理由の説明が欠けているように思います。なぜネタバレに配慮してはならないのでしょうか。私は、ガイドラインが本当に意図するところは、ネタバレを配慮することによって物語の全体像を理解したいと考える読者の利便性を阻害してはならない、という点にあると思っております。ですから、もしそのような不具合が発生しないのであれば、ささやかな配慮をすること自体が問題になるとは思えません。
- 私は、ウィキペディアの編集者は、自己の満足よりも、読者への配慮を第一に考えるべきだと考えています。ですので「と結末」の3文字を入れることがもしNGであるというのであれば、この3文字があることによって読者にどのようなデメリットが発生してしまうのか、または、この3文字を削除することによって、読者にどのような利益を与えることができるのかという、根拠の裏付けがあるべきだと考えます。
- Haetenaiさんのご主張は「と結末」の3文字を増やしてしまうと、日本語としてしっくりこないという点にあるようです。しかしそれは何か具体的なデメリットであると言えません。なぜならその3文字があったとしても記事に対する読者の理解を妨げたりするわけではなく、その3文字を省いたとしても、何か具体的な利便性を読者に与えられるわけではないからです。
- それに対して、私はこの3文字を含めるべきだという具体的な根拠を示すことができます。繰り返しになりますが、結末を知りたくない人が不幸にも意図せずにそれを知ってしまうというデメリットを防止できること、及び、物語の結末まで知りたいと考えている人が、物語の肝心な部分があらすじで隠されていないことを確かめるために別な資料に当たるといった、余計な手間を省くことができるからです。
- 「と結末」の3文字を加えることによって発生するデメリットは「なんとなくしっくりこない」という理由に止まっており、その3文字があることによって具体的な被害を受ける読者はいません。それに対して、この3文字を加えれば読者が具体的なメリットを受けることができ、デメリットの回避を行えます。だから私は、「と結末」の3文字を加えることが、読者のために役立つと考えます。
- Haetenaiさんが不十分なあらすじに対してテンプレートを貼っていく努力をされるのはご自由です。しかし、それはあくまでHaetenaiさん個人の話であり、読者目線の話ではありません。Haetenaiさんがその行為を行うことによって「と結末」を削除した方が読者にとって利便性が高まる、というような結論には結びついていないからです。
- Haetenaiさんの(1)に対する回答ですが、「美しくないと感じる人がいる」という理由に留まっています。しかしこの見出しの表現に限らず、美しくないと感じられるかもしれないような言葉は、ウィキペディアに多くあるはずです。特に不自然のある日本語というわけでもなく、具体的なデメリットもないので、特にこの言葉のみを積極的に排除しなければならないという理由にはなっていないと感じます。
- (2)に関しては・・・すみません。発言の意図が私にはわかりませんでした。私は「すべてのページの「あらすじ」を検証するべきだ」という主張をしていないにもかかわらず「それをしなくて済む」と言われているからです。もしこの部分で何か私に強く主張したいことがあるならば、すみませんがこの部分の補足説明をお願いします。
- (3)に関しては、私はこの問題をウィキペディア全体に拡散しなければならない、とまでは考えていません。なぜなら「あらすじと結末」という私の記述は、特に常識から外れたものではなく、ガイドラインに反しているとも思っていないからです。私は多くの人が目にしたであろうスタジオジブリの記事の多くにこの表現を使っています。その間おそらく何千何万、もしくは何十万という読者がその記事を読み、または多くの編集者が記事の編集を行っているはずです。それにもかかわらず、「と結末」の3文字の削除を強く主張する人が現れたのは、今回が初めてです。(修正しようとされたことは1回だけありましたが、その時は私の意見で納得して頂けたようです)もしこのような編集合戦がなければ、Haetenaiさんも特に気を止めなかったのではないでしょうか。ですから、これが格別に問題がある表現になっているとは、私は感じてはいません。
- もう一度繰り返しますが、私がこの表現に拘る理由は、この表現によって具体的なメリットや、デメリットの回避を読者に対して与えられるのに対して、「と結末」の3文字を削除することによって、何か具体的なメリットを読者に与えられたり、デメリットの回避を読者に与えられるわけではないからです。根拠が"しっくりこない"とか、"とにかくNGだ"というような、漠然とした理由に留まっているので、そのような理由での現状変更は読者に対して不利益となると考えます。ですから、そのような修正には私は反対です。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:10 (UTC)
- 合意形成の場としてまず確認したいのですが、そもそもPinejamさんから合意形成を図る意志があるのですか。議論の態度は「俺を論破してみろ、できないなら俺の勝ち!」と言わんばかり。いくら説明されても「説明していない」、文章を読み直してくださいと言っても「理解できません」、どうしようもないではないですか。そもそも一番最初に指摘している意見の違う編集者に対し「荒らし行為」というレッテルを貼り威圧行動をとった、その事実に対して完全黙秘、スルーを決め込んでどう合意形成をする気なのですか?相手を荒らし扱いしたまま議論している事自体、はっきり言って失礼ですよ。私に言わせれば、そんな人間の編集こそあなたの言う「あらすじの改善に尽力してきたわけでもない人」よりよほど有害です。あなたと違ってそんな傲慢な事を主張するつもりはありませんけれどもね。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 22:12 (UTC)
- もう一度繰り返しますが、私がこの表現に拘る理由は、この表現によって具体的なメリットや、デメリットの回避を読者に対して与えられるのに対して、「と結末」の3文字を削除することによって、何か具体的なメリットを読者に与えられたり、デメリットの回避を読者に与えられるわけではないからです。根拠が"しっくりこない"とか、"とにかくNGだ"というような、漠然とした理由に留まっているので、そのような理由での現状変更は読者に対して不利益となると考えます。ですから、そのような修正には私は反対です。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:10 (UTC)
- あなたが説明したと思っているのに、もし私が無視していると感じている点があるのであれば、それは私にとって本意ではありません。それに対して、しっかりと私の意見を伝えたいと思うので、それが何なのかを改めて示していただけるでしょうか?逆に、私が質問していることにたいして、明確に回答を頂きたいと思います。(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由よりも優先するべき理由は何か、この3点を示してください。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:18 (UTC)
- 最後の確認です、相手を荒らし扱いしたまま議論を続ける事があなたの言う合意形成なのですね?--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 22:22 (UTC)
- いいえ、違います。あなたを荒らし扱いしているのではなく、理由の明示や合意形成を行わないままに一方的な編集を無言でくりかえすことを"荒らし"と表現しているに過ぎません。あなたを直接荒らし呼ばわりしたことは一度もなく、もし私が指摘したような行為を貴方が行なったとご自身で感じるのであれば、それが貴方への答えであるはずです。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:29 (UTC)
- 最後の確認です、相手を荒らし扱いしたまま議論を続ける事があなたの言う合意形成なのですね?--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 22:22 (UTC)
- あなたが説明したと思っているのに、もし私が無視していると感じている点があるのであれば、それは私にとって本意ではありません。それに対して、しっかりと私の意見を伝えたいと思うので、それが何なのかを改めて示していただけるでしょうか?逆に、私が質問していることにたいして、明確に回答を頂きたいと思います。(1)「と結末」を含めたことにるデメリットは何か、(2)削除することによるメリットは何か、(3)それらが、私が示している二つの理由よりも優先するべき理由は何か、この3点を示してください。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:18 (UTC)
- 私の編集を取り消し、「荒らし行為を続けるなら」と言っているのですから紛れもなく荒らし呼ばわりではないですか。それすら認めず、あなたは今再び最大限の表現で私を侮辱しました。Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない、Wikipedia:個人攻撃をしない、こんな事はガイドラインを読んでいなくても当然のモラルとして恥ずべき行為だという事くらい理解できるはずです。攻撃的な議論で合意形成を頑なに拒むならまず、あなた自身の行為についてケジメをつけてください。あなたはわたしを荒らし扱いした時点から合意形成と口にしていたのですから、是非ともまず合意形成の土俵に立つ事から始めてください。あなたの行動はあまりにも卑劣です。本当につらく、悔しく悲しく震えています。議論から退場させていただきます。私はPinejamさんからあまりにもダメージを負いすぎました。Pinejamさんを除く議論に参加された方々、当事者でありながら議論からリタイアさせていただく無礼をお許しください。--RANWAM(会話) 2016年1月28日 (木) 22:41 (UTC)
- 私はあなたを攻撃したり、名誉を直接傷つけるような表現を使用していません。議論を拒んでもおらず、むしろ積極的に相手の意見に答え、自分の意見を主張しています。その一方で、あなたは私に「レッテルを貼り威圧行動」とか「モラル」とか「卑怯」とか「恥ずべき」といった感情的な表現を多用しているように見受けられます。さらには私を投稿ブロックに通報までしたようです。なぜそのような扱いをあなたから一方的にされなければならないのか、私は本当に辛いと感じております。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 23:00 (UTC)
一つ提案があるのですが、他人へのレスに対してそれに関係ない人がその下にレスをつけてしまうと、議論の流れがわからなくなっていまいます。そのようなことを避けるために、今後はご自分に関係する発言のレスに対してのみ、下にレスをつけて頂けるでしょうか?よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月28日 (木) 22:29 (UTC)
コメント「あらすじ」は物語の概略ととらえるのが自然と感じます。概略ですので、当然結末も含みます。この立場からですと「と結末」とつけるのは助長であると考える編集も理解できます。また「あらすじと結末」とすることで、読者に対して配慮をするという意図も理解できます。ある映画の記事を調べて「テーマや概観だけ知りたかった……」とがっかりしたことがありますので。 ですが、Pinejamさんが主張する「あらすじに結末まで含まれていると思わず不幸にも結末まで知ってしまう事故」に関しては、まずはこの記事ではなく「Wikipedia:ネタバレ」で議論すべき内容ではないのかなと思います。そこにははっきりと「ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。」と書いてあるのですが、一般的な読者が項目を調べにきたときにガイドラインから目を通すわけではありませんし、この点に関して不親切だなと思わないこともありません。かつては「Template:ネタバレ」がありましたが、これは廃止されたようです。廃止までの経緯は私には良くわかりませんが、このテンプレートが廃止されたということは「読者に対してネタバレの警告は必要ない」というコンセンサスがとれたということなのかなぁと想像ができます。
親切心からなのも、読者に対してよりよい記事を提供したいという意図も理解できます。Wikipedia上でその親切心と配慮が必要か不要かを井戸端でもガイドラインのノートででも議論してみてはいかがでしょうか。この記事でだけというのは無理ではないかなあと思います。--Strangemist(会話) 2016年1月29日 (金) 02:26 (UTC)
- コメントありがとうございます。これまでのネタバレに関するウィキペディアの議論については、多数のあらすじを執筆しているという立場上、目を通しております。それらの議論における論点とは、ネタバレを防止したいという動機が、物語の全容を知りたいという読者の利便性を阻害するという理由になるのか否か、という点にあったと私は認識しております。結論として「阻害する理由にはならない」という結論になっているかと思いますが、それに対して私は賛同の立場です。そうであるので、私の意見とガイドラインの意見に対しては、今のところ対立点が見当たりません。ですから積極的にガイドラインを直したいという動機が今の私には特にないというのが現状です。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 04:26 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) お返事ありがとうございます。Wikipedia:ネタバレには「読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。~~中立的な観点、百科事典としての在り方~~を妨げてはいけません」とあります。これは百科事典としての在りかたとして、ネタバレや結末が書いてあることを案内する配慮や親切心は不要という内容に受け取ることも出来ると私は思います。「あらすじ」ではなく「あらすじと結末」という見出しとすることが案内
や特別な配慮に含まれるかどうかは難しいところですが、その見出しの編集に「ネタバレを含むあらすじを読みたくない読者への特別な配慮」があるのであれば(「あらすじと結末」という表記がただちにガイドラインに反するほどではないにしても)好ましくないのかもしれませんね。--Strangemist(会話) 2016年1月29日 (金) 05:19 (UTC)- 返信 (Strangemistさん宛) ご意見ありがとうございます。どうやら意見の対立点は、その部分にありそうな気がします。読者の目に入りにくくするための特別な配慮とは、例えばJavaScriptで記事を隠したり、あらすじの中でも特に"ネタバレ"に該当するような箇所を、別途「物語の結末」に分けるような、読者の利便性を阻害するような行為のことであると私は理解しています。私はそのような利便性の阻害行為を行っていないと思っていますが、利便性の阻害の有無に関係なく「とにかく配慮したいと思う思想自体がダメ」という意見の方もおられるようです。もしそうであるならば、なぜそれが読者の利益につながるのかの理由の裏付けがあって然るべきかと思いますが、その主張を行う方が未だに誰もおられないのが、現状です。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:38 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) ガイドラインの解釈を争点として「利便性の阻害の排除がWikipedia:ネタバレの意図か」「百科事典として自然なささやかな配慮は許容されるか」という話になってしまうと、合意の形成はすぐには難しそうですね。また、「あらすじという言葉には自動的に結末がふくまれるので日本語として好ましくない」という話もあります。コメント依頼もでていますし他の方の意見を待とうと思います。(私は今のところ「と結末」の表記には(主として日本語の問題で)否定的ですが、許容できる範囲とも思っています。)--Strangemist(会話) 2016年1月29日 (金) 07:03 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) そうかもしれませんね。今のところ早急に結論を急がねばならないようなテーマだとも思えないので、まずは意見交換を進めたいと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 07:33 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) ガイドラインの解釈を争点として「利便性の阻害の排除がWikipedia:ネタバレの意図か」「百科事典として自然なささやかな配慮は許容されるか」という話になってしまうと、合意の形成はすぐには難しそうですね。また、「あらすじという言葉には自動的に結末がふくまれるので日本語として好ましくない」という話もあります。コメント依頼もでていますし他の方の意見を待とうと思います。(私は今のところ「と結末」の表記には(主として日本語の問題で)否定的ですが、許容できる範囲とも思っています。)--Strangemist(会話) 2016年1月29日 (金) 07:03 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) ご意見ありがとうございます。どうやら意見の対立点は、その部分にありそうな気がします。読者の目に入りにくくするための特別な配慮とは、例えばJavaScriptで記事を隠したり、あらすじの中でも特に"ネタバレ"に該当するような箇所を、別途「物語の結末」に分けるような、読者の利便性を阻害するような行為のことであると私は理解しています。私はそのような利便性の阻害行為を行っていないと思っていますが、利便性の阻害の有無に関係なく「とにかく配慮したいと思う思想自体がダメ」という意見の方もおられるようです。もしそうであるならば、なぜそれが読者の利益につながるのかの理由の裏付けがあって然るべきかと思いますが、その主張を行う方が未だに誰もおられないのが、現状です。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:38 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) お返事ありがとうございます。Wikipedia:ネタバレには「読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません。~~中立的な観点、百科事典としての在り方~~を妨げてはいけません」とあります。これは百科事典としての在りかたとして、ネタバレや結末が書いてあることを案内する配慮や親切心は不要という内容に受け取ることも出来ると私は思います。「あらすじ」ではなく「あらすじと結末」という見出しとすることが案内
報告コメント依頼を提出致しました。--Mirinano(会話) 2016年1月29日 (金) 03:52 (UTC)
天空の城のラピュタについて、これ以上保護をかける必要性はあるでしょうか?記事の保護とは、議論によらず一方的に現状を変更しようとする人がいた場合に必要になる処置だと思いますが、そのようなことを継続して行いたいという方は、もはやおられないかと思います。もしそうであるならば、ラピュタの記事にこれ以上保護をかける必要性はなくなったと言えるので、他の編集者の方のためにも、保護解除の申請を出したく思います。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 03:54 (UTC)
- 必要派と不要派の合意ができていないのだから保護状態のまま合意形成を進めるべきなのでは。今保護を解除して不要派が再び削除しても、合意していないのだからその編集に悪意があるとは断定できません。結果、同じことの繰り返しになる可能性があります。--SWnameko(会話) 2016年1月29日 (金) 04:35 (UTC)
- そのようなことを積極的にする方が、他におられるとは思いません。議論を続けるのは構わないのですが、具体的な危険性が既に解消されている以上は、これ以上保護をかける必要性はないのではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 04:40 (UTC)
- 合意できていないのですから、不要派の編集が再度行われても非難する事はできませんし、ともすれば自由な編集を萎縮させる事にも成りかねません。Wikipediaでは広く自由な編集活動が保障されているのですから。保護状態は現状維持に過ぎず、必要派が認められているという事ではありません。むしろ現状が必要派の意見だけが反映された一方的な状態なのですから、合意形成をまず進める事が重要だと考えます。重要なのは、合意形成がなされていない以上、不要派の編集もまた正当性を欠かない、という事です。もっとも、合意形成がなくとも今後編集合戦が起こるはずがない、という相手の良心に基づいたあなたの判断には敬意を評します。ご参考までに--SWnameko(会話) 2016年1月29日 (金) 05:05 (UTC)
- 私は今、ラピュタの記事で特に編集を付け加えたいところがありません。ですので、保護がかけられ続けたとしても私自身は不都合を感じていないのですが、そうでない編集者の方は多いでしょう。他の編集者のニーズを制限してまでも保護をかけ続けるべきだと主張するならば、それに足る根拠が必要だと思います。しかし、その根拠は既になくなりました。なぜなら、一方的に編集を繰り返していた方が、議論を続ける意思がないことを示して既に退場されているからです。その他の方の中に、ここでの議論の決着を見ることなく、どうしても編集を強行したいという方はおられないように思えます。もしかしたら編集合戦が起きるかもしれないという漠然とした理由があるだけならば、ウィキペディアの全ての記事がそれに該当することになりますが、だとしても全ての記事を保護すべきだとは言えません。だから、保護を解除するべきであると私は考えます。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:26 (UTC)
- 私が抜ける事で合意形成を続ける必要すらないと主張されるとは驚愕するばかりです。いわゆる不要派が少なくない現状で、このまま一方的な編集を続ける事は他の編集者にとっても決してプラスにならないと判断し、再び議論に参加したいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月29日 (金) 05:32 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) RANWAMさん、あなたがもしここでの議論を待つことなく、編集を強硬し続けたいとお考えであれば、私は保護をかけ続ける必要があると考えます。しかし、あなたがもし議論による合意を目指したいとお考えであれば、保護をかける必要はなく、他の編集者の編集を阻害する必要性はなくなります。それはあなたにとっても不本意であるはずです。他の編集者のためにも、まずはここで一緒に議論を進めることを約束して、保護の解除を二人でお願いしませんか?--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:44 (UTC)
- まず、あなたも編集を強行し続けている側だという認識を持っていただく必要があります。私と個人的な議論をするつもりがないと、あなたは会話ページでおっしゃいましたね。にもかかわらず今は、私がいないなら不要派との合意形成をする必要がないとおっしゃる。あなたの言う合意形成とはなんなのかまず教えてください。--RANWAM(会話) 2016年1月29日 (金) 05:50 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) あなたが現状を変更しようとしている側の立場であることを、まずはご理解ください。そして「編集者による大胆な編集」->「それを望まない人による取消」->「意見の交換による合意形成」がウィキペディアが推奨する編集プロセスであるはずです。あなたは編集を行い、その次に私がそれを取り下げました。その次に行うべきことは意見の交換による合意形成であって、編集を再び強行することではないはずです。あなたと個人的な会話をするつもりがないのは、今も同じです。なぜなら閉ざされた場所で二人だけの会話を行ったとしても、その合意形成が他の編集者には見え辛くなくなるからです。ですので私は、合意形成の場として最もふさわしい「ノートによる合意形成」をお願いした次第です。今、こうしてノートによる議論が進められています。このままこの場所での議論を深めることにして、保護の解除を二人でお願いしませんか?他の編集者のためにも、お願いいたします。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:57 (UTC)
- まず、あなたも編集を強行し続けている側だという認識を持っていただく必要があります。私と個人的な議論をするつもりがないと、あなたは会話ページでおっしゃいましたね。にもかかわらず今は、私がいないなら不要派との合意形成をする必要がないとおっしゃる。あなたの言う合意形成とはなんなのかまず教えてください。--RANWAM(会話) 2016年1月29日 (金) 05:50 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) RANWAMさん、あなたがもしここでの議論を待つことなく、編集を強硬し続けたいとお考えであれば、私は保護をかけ続ける必要があると考えます。しかし、あなたがもし議論による合意を目指したいとお考えであれば、保護をかける必要はなく、他の編集者の編集を阻害する必要性はなくなります。それはあなたにとっても不本意であるはずです。他の編集者のためにも、まずはここで一緒に議論を進めることを約束して、保護の解除を二人でお願いしませんか?--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:44 (UTC)
- 私が抜ける事で合意形成を続ける必要すらないと主張されるとは驚愕するばかりです。いわゆる不要派が少なくない現状で、このまま一方的な編集を続ける事は他の編集者にとっても決してプラスにならないと判断し、再び議論に参加したいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月29日 (金) 05:32 (UTC)
- 私は今、ラピュタの記事で特に編集を付け加えたいところがありません。ですので、保護がかけられ続けたとしても私自身は不都合を感じていないのですが、そうでない編集者の方は多いでしょう。他の編集者のニーズを制限してまでも保護をかけ続けるべきだと主張するならば、それに足る根拠が必要だと思います。しかし、その根拠は既になくなりました。なぜなら、一方的に編集を繰り返していた方が、議論を続ける意思がないことを示して既に退場されているからです。その他の方の中に、ここでの議論の決着を見ることなく、どうしても編集を強行したいという方はおられないように思えます。もしかしたら編集合戦が起きるかもしれないという漠然とした理由があるだけならば、ウィキペディアの全ての記事がそれに該当することになりますが、だとしても全ての記事を保護すべきだとは言えません。だから、保護を解除するべきであると私は考えます。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 05:26 (UTC)
- 合意できていないのですから、不要派の編集が再度行われても非難する事はできませんし、ともすれば自由な編集を萎縮させる事にも成りかねません。Wikipediaでは広く自由な編集活動が保障されているのですから。保護状態は現状維持に過ぎず、必要派が認められているという事ではありません。むしろ現状が必要派の意見だけが反映された一方的な状態なのですから、合意形成をまず進める事が重要だと考えます。重要なのは、合意形成がなされていない以上、不要派の編集もまた正当性を欠かない、という事です。もっとも、合意形成がなくとも今後編集合戦が起こるはずがない、という相手の良心に基づいたあなたの判断には敬意を評します。ご参考までに--SWnameko(会話) 2016年1月29日 (金) 05:05 (UTC)
- そのようなことを積極的にする方が、他におられるとは思いません。議論を続けるのは構わないのですが、具体的な危険性が既に解消されている以上は、これ以上保護をかける必要性はないのではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 04:40 (UTC)
「あらすじ」か「あらすじと結末」か、調査投票を行う事を提案します。合意形成という言葉とは裏腹に一方的、強硬的と互いに一歩も譲らぬ状況。どちらの編集も糾弾されるほどの非が認められない以上、このまま合意形成を行うのは不可能でしょう。幸い議論の中心人物が早急な保護解除を望んでおられるのですから、投票による是非で一時方針を決定するのがよろしいかと。その状態を基本として、そこから合意形成の議論を行えば、現状が一方的という状況は避けられますし、保護解除を行った状態で議論も行えます。--58.188.222.6 2016年1月29日 (金) 06:26 (UTC)
- もし私の発言の中で、相手の意見を頭から無視して一方的に決めつけている部分があるとあなたがお考えであれば、それは私の本意ではありません。そのような点があれば、ぜひ改めたく思います。ですので、どの点がそれに該当するのかを示して頂けないでしょうか。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 06:56 (UTC)
- 賛成 投票を全てとするならば反対ですが、まず合意形成の場を作る為という事なので賛成します。現状を一方的と考える人、それを変更する事を一方的と考える人、ひとまずどちらの状態で議論をするかを決めれば、その対立を抑え議論が捗る事は間違いありません。--119.228.71.5 2016年1月29日 (金) 07:01 (UTC)
- 反対 「あらすじと結末」という言葉を、可及的速やかに「あらすじ」に改めなければならない、という差し迫った理由は特にないと思います。なぜなら、それによって被害を受ける読者がいたり、読者の利便性が阻害されるような事態が起きているようには思えないからです。しかし、もし「と結末」を削除してしまった場合は、不幸にもあらすじの内容を知ってしまう読者が現れたり、またはこのあらすじに物語の肝心な部分が隠されているのかを疑問に思うという読者が現れるでしょう。これは具体的な利便性の阻害になってしまいます。
- ウィキペディアの編集者は、読者にとって最も望ましい記事を書くべきであるはずです。今意見の対立があり、まずはどちらかに決めておく必要があるのであれば、それは読者にとって利益を与えられる側に倒すべきであり、読者へのデメリットがある可能性がある方に倒すべきではありません。
- 「あらすじと結末」に倒した場合に読者が受けるデメリットはなくメリットはあります。それに対して「あらすじ」に倒した場合にはそれらが特にありません。ですので、差し迫って変更するべき必要もない状況では、とりあえずは現状のままで議論を進めるべきではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 07:15 (UTC)
新たにこのノートへ来られる方が多いようですので、改めて私の主張を整理して、説明いたします。(ですが、もし先にこの議論の先頭部分から私の主張に目を通して頂ければ幸いです)
私は、あらすじには物語の結末がしっかりと含まれているべきだという立場です。その立場の私が、なぜ「あらすじと結末」という見出しに拘るのかについては、以下の2つの理由があります。
1つ目ですが、いわゆるネタバレを含むあらすじを読みたくない読者が多いのは明らかな事実です。私はそのような人が、不幸にも意図しないまま物語の結末を知ってしまわぬように、結末まで知りたいと思っている読者の利便性を損なわない範囲内でのささやかな配慮をしたいと思っています。見出しに「と結末」の三文字を含めることは、この「読者の利便性を損なわない範囲での、ささやかな配慮」の範囲内であると考えています。
2つ目ですが、現状、ウィキペディアの内外において、物語の後半や結末が省略されているために、物語の全体像がわからないようなあらすじがとても多いと感じます。私の実体験として、物語の全容を把握するつもりであらすじを読んでも、書かれている内容が本当に物語の全容なのか、それとも肝心な部分が省略されているのかわからず、結局別な情報源に当たらなければその疑問を解消できないようなケースが多いです。そのようなことを防止するために、結末まで含まれたあらすじだと明示することは、読者の利便性を向上させると考えています。
以上の2点の理由は、「と結末」の三文字を省いた場合のメリットよりもずっと大きいと考えますので、この三文字を省くことに私は反対です。
それに対して、「以上の理由により"と結末"の三文字を省いた場合のメリットは、それを残すよりもずっと大きいと言えます」と言えるような、対案をまだ頂けていないと私は感じています。
ですので、この3文字があることによって、(1)どのようなデメリットがあるのか、(2)または削除することによってどのようなメリットがあるのか、(3)なぜそれが、私が指摘する二つの理由よりも優先すべきだと言えるのか、この3点を明らかにして頂きたいと思います。
また、私がこの問題にこだわる理由について、心情的な部分を説明したいと思います。
もし、映画や書籍のあらすじを頭から全部書いたことのある方ならばお分かりだと思いますが、それには大変な労力と時間がかかります。パッと見でさほど長くないような文章に思えるかもしれませんが、どうすれば読者が最もわかりやすいあらすじになるのかを考えながら、それに相応しい文章を書き起こしていくのは、至難の作業です。
例えばもののけ姫などは、最初の文章を書き上げるまでに、数日を要しております。銀河英雄伝説においては数週間の作業です(原書は全10巻あります)。ラピュタにも、やはり数日かけています。その作業を行う原動力は、読者の理解の手助けとなり、喜んで頂きたいと願っているからです。
それなのに、もし自分が書いたあらすじにより他人をがっかりさせたり、悲しませたとしたら、それはとても悲しいことです。私はそれを数度体験してショックと悲しみを感じ、ウィキペディアの理念を損ねることなく、なんとかそのような不幸を防げないのかについて思いを巡らして「と結末」の三文字を入れた次第です。
「と結末」を入れることによって、他の読者の方に具体的な不利益やデメリットを与え、本来受け取れるべきメリットを阻害しているとは思いません。「と結末」の三文字を入れるだけのささやかな工夫は、本当に受け入れられないことなのでしょうか?
もしそうであるならば、「その3文字が無い方が、読者のメリットになる」と言える、具体的な根拠を頂ければと思います。もし、それが特になく「なんとなくその三文字は気に食わない」と思われているだけであるならば、どうかこのささやかな工夫をお認め頂けないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 08:15 (UTC)
コメント依頼から来ました。ここでの議論はPinejamさんの「ささやかな配慮をしたい」という思いから始まっているわけですが、WP:SWでは、そういう配慮をすべきでないという合意が成立済みです。そのような合意が成立したときの論拠としては、
- そのような配慮を容認すると、そのような配慮なしでネタバレを書いてはいけないのだという誤解を招いてしまう。
- 中途半端な配慮をすると、そのような配慮が常に行われていると誤解した人が、却って大きなダメージを被るおそれがある。
というようなものだったと記憶しています。
こちらの議論においても、「と結末」が必要というのはPinejamさんだけのようですし、コミュニティのコンセンサスの所在はかなりはっきりしていると思います。--Dwy(会話) 2016年1月29日 (金) 09:35 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。ですが、そのご指摘には当たらないと感じます。まず一つ目に、私はあらすじの中で物語の全容をはっきりと書いており、物語の結末を隠そうとしたり、見えづらくする印象を相手に与えるとは思えないからです。二つ目に「却って大きなダメージ」とありますが、意図せずネタバレを読むこと以上の大ダメージが、何か別に発生するような事態があるとも思えないからです。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 09:48 (UTC)
- 言葉が足らなかったようなので、少し解説します。
- もともと、百科事典にネタバレがあるのは常識なので、ほとんどの人には余計な警告や配慮は必要ないのです。ところが、「と結末」のような表現で「ささやかな配慮」を示してしまうと、そのような配慮が常になされているものと誤解する人が出てきます。そういう誤解をした人が「この章は『結末』の章ではないから結末は書かれていないはず」とガードを下げ、その結果ネタバレを読んでしまったら、それは誰のせいでしょう?もともと「百科事典だからネタバレがあるぞ」と注意していた人を中途半端な配慮で誤解させた人のせいですよね?--Dwy(会話) 2016年1月29日 (金) 10:55 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) ご解説ありがとうございます。その意見に対して、反論を示したいと思います。
- まず「もともと、百科事典にネタバレがあるのは常識なので、ほとんどの人には余計な警告や配慮は必要ないのです。」とのご意見ですが、それは現実とは大きく食い違っているご認識ですよね?なぜなら、ウィキペディアに実際に来る人の多くがそう思ってはおらず、それだからこそ「ネタバレを隠すべきか否か」という議論が発生したはずだからです。もし本当に警告や配慮が必要ないのであれば、最初からそのような議論は不必要だったはずです。
- 次に、私はウィキペディアの編集者は、読者が最も利益を得られるように記事を書くべきであると考えてます。それに対してDwyさんのご意見は「自分はそう思っているのだから読者もそれに従うべきだ」という、ご自分本意のお考えであり、読者目線には立っておられないのではないでしょうか?
- 三つ目に「ところが、「と結末」のような表現で「ささやかな配慮」を示してしまうと、そのような配慮が常になされているものと誤解する人が出てきます」とのご指摘ですが確かにそのような人が発生する可能性はあります。その被害者の数をAとします。
- しかし「あらすじにはネタバレがない」と思っている人がウィキペディアの「あらすじ」と書かれている記事を読んでしまい、それにより意図せず物語の結末を知ってしまうという被害者もいます。これをBとします。
- さて、AとBでは、どちらが被害者の数が多くなるのでしょうか?比較するまでもなく、それはBであるのではないでしょうか。ですから、私の案を認めるとそれによって被害が拡大してしまうというご意見であれば、それは成立しないと言えます。
- さらには、ウイキペディアの現状としては、物語の結末が含まれていいないあらすじも依然として多い現状があります。最初に結末を含んでいないあらすじを読み、その次に結末が含んだあらすじを読んでダメージを受ける人もいます。そのような被害を受ける人も、実際に多いでしょう。この数もやはりAよりも多そうです。
- いずれにせよ、被害者の数をゼロにすることはできません。しかし、複数の選択肢があれば、なるべく読者の利益に添えるような選択肢を選ぶべきです。私はそれを他の編集者の方に強制するつもりはありませんが自分の記事ではその選択肢を選びたいと思います。
- 「と結末」と書いたとしても、物語の結末を知りたいという読者の利便性を損なっておらず、深刻なデメリットはありません。それにより被害が増えるとも言えません。ですので、このささやかな配慮を何卒お認め頂けないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 11:26 (UTC)
- もし本当に警告や配慮が必要ならば、Pinejamさんに賛成して「と結末」が必要だと主張する人が次々に現れることでしょう。もし、そういう人があまり出て来ず、逆に「と結末」は要らないと言う人の方がたくさん現れるなら、Pinejamさんの主張に妥当性がないということになるでしょう。これまでのところでは後者のように見えますが、コメント依頼も出ていることですし、もう少しだけ様子を見てみることにしましょう。--Dwy(会話) 2016年1月29日 (金) 14:29 (UTC)
- 「と結末」と書いたとしても、物語の結末を知りたいという読者の利便性を損なっておらず、深刻なデメリットはありません。それにより被害が増えるとも言えません。ですので、このささやかな配慮を何卒お認め頂けないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 11:26 (UTC)
- よろしくお願いいたします。ただ、一つだけお願いがあるのですが、仮に多数決で決めることになったとしても、その時期を正しく見極めていただければと思います。もし単純に多数決で決めることを良しとするならば、ウキペディアにノートは必要なく、世の中には国会も会議室も必要ないはずだからです。お互いの意見に耳を傾けあって議論を深め、譲歩できる部分とできない部分を探し、双方がどうしても譲れない部分が不幸にして残った場合に、初めて多数決という手段があるはずです。
- 今のところまだそこまで議論が深まっていると私は感じておりません。なぜなら、なぜ「と結末」の三文字を省いた方が読者のメリットになると言えるのか、その説明がまだ十分にはなされていないと感じているからです。
- 本来ならば、私が記載した記事に対して現状変更を行おうとしている立場の方が、なぜ変更するべきなのかという理由を明らかにして、私を説得する努力を見せるのが筋であると思います。しかし、まだそれには至っておらず、逆に私の方が熱心に「なぜ変更するべきでないのか」を説得するという、少し変な形になってしまっています。
- ですので、しばらく様子を眺めて頂き「これ以上は議論が深まりそうもない」という状態で議論が空転したならば、その時にご指摘・ご指導いただければ幸いです。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 15:06 (UTC)
コメント 「と結末」についは「不要」だが、この件に限って言えば必ずしも「つけてはいけない」というほどのものでもない。WP:SWの通り、基本的にネタバレに対する配慮は不要。百科事典としての信頼性及びWP:NPOVを維持する意味でもネタバレに対する余計な配慮はすべきではないから(また、ネタバレに限らずそういった配慮をすることは、見方を変えれば「読者を馬鹿にしている」とも取られかねない他、執筆する際にも配慮しなければならないものと誤解され、執筆者にとって障害となりかねないリスクが大きい)。もっとも今回の件は余計な配慮にあたるかというとそうとは言い難い部分もあるが。もっとも、今回の編集合戦もそうだが、編集合戦の当事者を中心に腕ずくで解決させようとする姿勢を示している印象が強く(そのようなつもりがなかったとしても、第三者から見ればそのように見えてしまう)、コミュニティーの消耗につながりかねないことが懸念されるところではある。--Senatsuki(会話) 2016年1月29日 (金) 13:36 (UTC)
- 返信 (Senatsukiさん宛) コメントありがとうございます。もし、私の発言の中で相手の疑問点に向き合っていないと感じる点や、私が自分の意見を曖昧にしていると感じられるような点、または見当違いの返答を返することにより意図的に議論を引き延ばしているような姿勢が見られるのであれば、それは私の本意ではないので、お気付きの時にご指導いただければと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 13:43 (UTC)
改めて確認したいのですが、天空の城のラピュタについて、これ以上保護をかける必要性はあるでしょうか?記事の保護とは、議論によらず一方的に現状を変更しようとする人がいた場合にのみ必要になる処置だと思いますが、そのようなことを継続して行いたいという方は、もはやおられないかと思います。RANWAMさんも、他の編集者の方にご迷惑をかけ続けるのは不本意であるはずです。もしそうであるならば、ラピュタの記事にこれ以上保護をかける必要性はなくなったと言えるので、他の編集者の方のためにも、保護解除の申請を出したく思うのですが、RANWAMさん、いかがでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年1月29日 (金) 15:22 (UTC)
コメント Wikipediaでは言い回しの維持を主張する権利はいかなる執筆者にもないので、多少気に入らなくとも一歩引く姿勢が求められると思います。
私有化の振る舞いの例 (略) ある記事について、レイアウト修正・画像挿入・言い回しの推敲といった細部の変更についてであっても毎回異議を申し立てる。それが明確的か暗黙的かに関わらず、その記事への加筆前に「内容査読権」を主張する編集者がいる。(明確なフォーマットエラーの機械的修正等は除く)。 【Wikipedia:記事の所有権より引用】 |
私自身も執筆した記事に改善だか改悪だかわからない推敲をされて困惑したことはありますが、やはり黙認しています。読みやすさの感覚は結局主観によりますし、そのような改変展開が自由にできること自体がフリー百科事典としてのWikipediaの存在意義でもあるからです。畢竟、将来の版に渡って、翻訳版において、Wikipedia外の複製版において、特定の執筆者が気に入った細かい言い回しを維持させることなんてできはしませんし、そうした方向性の努力は今回のような衝突か、記事の私有化状態(WP:OWN)を生むだけであって、改められるべきだと思います。
ネタバレ配慮に関しては既に不要と言われておりますし私も同感です。そもそもにおいてWikipedia:内容に関する免責事項では、Wikipediaはネタバレのあるサイトだとされています。今回のような書き方が直ちに排除されるべきだとは思いませんが、議論の末に廃止されたTemplate:ネタバレテンプレートの代わりに節の見出しを少し変えることを善かれと主張するのであれば私は反対です。テンプレートより読者にわかりにくく、テンプレートより管理しにくく、テンプレートより編集者間で周知が難しく、テンプレートより効率の悪い個別自治によって、読者と編集者の双方に理解の不徹底・誤解・混乱が生まれかねないからです。--Floe~jawiki(会話) 2016年1月29日 (金) 16:28 (UTC)
- 返信 (Floe~jawikiさん宛) Floe~jawikiさん、コメントありがとうございます。まず「言い回しの維持を主張する権利はいかなる執筆者にもない」というご指摘には、私も全面的に賛同いたします。なぜなら、もしどちらの言い回しであっても読者の理解が阻害されたり何か読者に不利益が及ばないのであれば、編集合戦をしてまで自分好みの言い回しを維持する理由はないと思うからです。
- しかし、今回のケースは違います。なぜなら、私は読者の利益やデメリットにつながる二つの理由を挙げているのに対して、議論の当事者たるRANWAMさんはそれに対する、読者の利益とデメリットにつながるような別な理由をまだ挙げていないからです。
- 私は、あらすじに物語の全容を書くことに賛成であり、それを隠そうとすることに反対の立場です。そして、これまで私はなるべく読者が理解しやすく物語の全容を掴みやすいあらすじを書くことに尽力してきました。これまで私が書いてきたあらすじ(いちばん上の方にあります)を見ていただければ、それをご理解頂けると思います。そして私は、物語の結末を読者から隠したり、何か読者の便宜を阻害したり、読者が本来受けられるメリットの享受を妨害してもおりません。
- 「あらすじと結末」という言い回しは、日本語でごく普通に見られる表現であり、私がこのために生み出した言葉ではありません。本来、格別の議論を起こすような言葉ではないように思えます。もしそうであるならば、言葉の選択は多大な労力と時間をかけてその記事の作成に努力した者の自由であるはずです。それを「言い回しが気に入らない」という理由のみで、その記事の作成に貢献したわけでもない他者から、確たる理由の裏付けもないまま、強制的に変更されてしまうのは、とても悲しく辛いことです。
- もし、この言葉を変更するならば、それにふさわしい理由がなければなりません。それはつまり、私が示している二つの理由以上に、読者に利益を与えられ、読者のデメリットを回避できる理由です。なぜならウィキペディアの編集者は、自分の好みを押し通すよりも、まず読者の利益を優先するべきだからです。
- コメント依頼から来られる方にお願いがあります。
- 今、議論の対立があります。それに対して第三者からのアドバイスをなさるならば、まずは両者の言い分を見比べて、議論がかみ合ってない部分を指摘頂けないでしょうか?議論がかみ合っていない所というのは、例えばどちらか片方がもう片方の質問に答えていなかったり、質問に対して見当違いの答えを返したりすることです。本来するべき自分の主張をしていないというのも、それにあたるでしょう。
- この議論の当事者、つまり相手を説得してでも編集を許したくない者と、相手を説得してでも編集したい者は、記事を執筆した私と、それを変更したRANWAMさんであると思います。本来、記事を編集したい立場であるRANWAMさんが、なぜ記事の編集を行うべきなのかを十分に説明するのは筋であると思います。しかし、まだRANWAMさんの主張を、私は十分に拝見できておりません。なぜなら私が指摘している3つの質問点に答えて頂けていないからです。
- 今回争点となっている箇所は、直ちに修正が必要であるようなものではないはずです。ですので私は次の三つをお願いしたいと思います。
- まず第一に、ノートでの合意を優先して強行的な編集を控えていただけるのであれば、もはや他の編集者に不便をおかけしてまで記事の保護をかけ続ける理由がなくなります。ですので、私とRANWAMさんによってノートでの議論の継続と合意を約束し、保護の解除を出したく思います。第二に、私はまずRANWAMさんの意見を十分に拝見したいと思います。ですので、それを待つために、独自の見解を示すのは一旦控えて頂けないでしょうか。第三に、もし私とRANWAMさんの間で議論がかみ合っていなかったり議論の発展がない場合には、議論を発展させるためのアドバイスを第三者の方から得たいと思います。もし自ら議論の当事者となり合意形成に最後まで参加したい方がいましたら、このタイミングでの独自の見解をお願いできればと思います。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 01:56 (UTC)
あなたが合意すべきはRANWAMさんを含む「あらすじ」で良いと考える方々です。また、合意とは相手を論破し合い、片方の主張を通す事ではないのですからして、あなたは他の編集者のコメント、意見を参考に合意に向けて邁進すれば良いのであって、RANWAMさん以外の見解を拒否する立場にない事をご理解ください。あなたが「あらすじ」で良いと考える方々と議論する事は、RANWAMさんが来られた際の合意形成に重要なものになるはずです。言うまでもなく、あなたのように一日の大半をこの場で過ごす事ができる方はそう多くはなく、RANWAMさんもその一人でしょう。彼(または彼女)の意見を待つ間というのはどの程度の期間を想定されておられるのかも疑問です。--119.228.71.5 2016年1月30日 (土) 02:20 (UTC)
- 私は、他の方の意見を拒否するつもりはありません。むしろ積極的にその指摘に答える努力をしており、その姿勢はこれまでの議論をご覧いただければご理解いただけると思います。もし第三者としてではなく、議論の当事者となって最後まで合意形成に参加したいという方がいれば、もちろん歓迎いたします。ただ、今のところ、この議論を開始された当事者たるRANWAMさんの意見を十分に拝見できておりません。それではそもそも議論を進めることができないので、まずはそれを待てればと思います。まだこの議論が開始されてから、二日程度です。ウイキペディアの慣例上、だいたい一週間くらいは相手の意見が出るのを待つべきとされております。この案件は、差し迫って早急に合意を図る必要性があるものではありません。ですので、その程度の期間は最低でも待ちたいと私は思っております。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 02:49 (UTC)
- 根本的に勘違いされているようですが、Pinejamさんがおっしゃるような「ささやかな配慮」については、Wikipedia‐ノート:ネタバレでさんざん議論が尽くされています。過去ログを追えば、もう10年も前からありとあらゆる論点を議論して、その結果として現在の「読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません」という合意に至っていることがお分かりになるはずです。今迄見落としていた論点があるのなら話は別かもしれませんが、今更「ささやかなな配慮」のような議論され尽くした論点で話を蒸し返そうとされても、結論は最初から見えてます。--Dwy(会話) 2016年1月30日 (土) 04:54 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) 誤解があるように思えます。なぜなら、「あらすじと結末」という言い回しを使うことによって、物語の結末が読者の目に入りづらくなってはいないからです。読者の目に入りづらくするというのは、例えばJavaScrpitで結末を隠したり、あらすじを複数の節に分割して、物語の結末を分けたり、または文章中で「ここから下ネタバレ」と言ったあらすじの理解には不要な見出しを追加することです。そのような行為は、物語の全容を知りたい読者の利益を侵害しており、問題だと言えます。しかし、見出しに「あらすじと結末」という日本語を使用することは、それらのような、物語の結末を知りたいと願う読者の利便性を阻害する行為には全く当たっていません。なぜなら、物語の結末を知りたい読者は、いかなる障害を受けることなく、物語の全容を素直に理解することができるからです。だから、ガイドラインには抵触しておらず、議論の蒸し返しでもないと思っております。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 05:10 (UTC)
- 私の意見はラピュタにおける記述は結末を含んだあらすじ、つまり「あらすじ」であって、「あらすじと結末」は不自然と考えるものです。よって、「と結末」を記述する理由をお聞きすると、「ネタバレを含むあらすじを読みたくない読者が多いのは明らかな事実です。私はそのような人が、不幸にも意図しないまま物語の結末を知ってしまわぬように」とネタバレへの配慮を理由にあげておられるので、その配慮は不要であるから記述も不要と考え削除しました。Pinejamさんは「あらすじ」は結末を含まないものという認識を持っておられるようです。この時点で記述する理由以前に意見に相違があるという事になります。「あらすじ」という言葉の認識について、他の参加者の方々の意見を聞きたいと思います。また、Pinejamさんはネタバレへの配慮を「ガイドラインに反しないささやかな配慮」としておられる点についても幅広い意見をお聞きしたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 05:18 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) 他の編集者の方にご迷惑をかけている状態ですので、議論をこのままノートで進めることを約束して、一旦保護の解除を申請しませんか?--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 05:27 (UTC)
- 私の意見はラピュタにおける記述は結末を含んだあらすじ、つまり「あらすじ」であって、「あらすじと結末」は不自然と考えるものです。よって、「と結末」を記述する理由をお聞きすると、「ネタバレを含むあらすじを読みたくない読者が多いのは明らかな事実です。私はそのような人が、不幸にも意図しないまま物語の結末を知ってしまわぬように」とネタバレへの配慮を理由にあげておられるので、その配慮は不要であるから記述も不要と考え削除しました。Pinejamさんは「あらすじ」は結末を含まないものという認識を持っておられるようです。この時点で記述する理由以前に意見に相違があるという事になります。「あらすじ」という言葉の認識について、他の参加者の方々の意見を聞きたいと思います。また、Pinejamさんはネタバレへの配慮を「ガイドラインに反しないささやかな配慮」としておられる点についても幅広い意見をお聞きしたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 05:18 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) 誤解があるように思えます。なぜなら、「あらすじと結末」という言い回しを使うことによって、物語の結末が読者の目に入りづらくなってはいないからです。読者の目に入りづらくするというのは、例えばJavaScrpitで結末を隠したり、あらすじを複数の節に分割して、物語の結末を分けたり、または文章中で「ここから下ネタバレ」と言ったあらすじの理解には不要な見出しを追加することです。そのような行為は、物語の全容を知りたい読者の利益を侵害しており、問題だと言えます。しかし、見出しに「あらすじと結末」という日本語を使用することは、それらのような、物語の結末を知りたいと願う読者の利便性を阻害する行為には全く当たっていません。なぜなら、物語の結末を知りたい読者は、いかなる障害を受けることなく、物語の全容を素直に理解することができるからです。だから、ガイドラインには抵触しておらず、議論の蒸し返しでもないと思っております。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 05:10 (UTC)
- 根本的に勘違いされているようですが、Pinejamさんがおっしゃるような「ささやかな配慮」については、Wikipedia‐ノート:ネタバレでさんざん議論が尽くされています。過去ログを追えば、もう10年も前からありとあらゆる論点を議論して、その結果として現在の「読者の目に入りにくくするための特別な配慮もすべきではありません」という合意に至っていることがお分かりになるはずです。今迄見落としていた論点があるのなら話は別かもしれませんが、今更「ささやかなな配慮」のような議論され尽くした論点で話を蒸し返そうとされても、結論は最初から見えてます。--Dwy(会話) 2016年1月30日 (土) 04:54 (UTC)
- Wikipedia:保護の方針#保護を解除してもよい場合の1.の適用のためには双方の和解が必要ですが和解しているように見えるでしょうか?ーーMirinano(会話) 2016年1月30日 (土) 05:37 (UTC)
- 返信 (Mirinanoさん宛) 双方がノートによる議論を約束し、それ以上の編集合戦を行わないならば、なぜ他の編集者の方に不都合をおかけしてまで保護を継続する必要性があるのでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 05:42 (UTC)
- Wikipedia:保護の方針#保護を解除してもよい場合の1.の適用のためには双方の和解が必要ですが和解しているように見えるでしょうか?ーーMirinano(会話) 2016年1月30日 (土) 05:37 (UTC)
- コメント依頼を保護解除に向けての合意形成として出したので他の利用者は保護解除されていない前提でこのノートページに来られます。なので保護解除は合意形成が出来てからで良いと思います。ーーMirinano(会話) 2016年1月30日 (土) 05:53 (UTC)
- 返信 (Mirinanoさん宛) それは理由になっていません。なぜなら、保護を解除したとしてもコメント依頼は残り、他の利用者はこのノートに来ることができ、自由に議論に参加できるからです。保護を解除することで誰かの利益が侵害されることはないのです。しかし、保護をかける必要性がなくなった状態で保護をかけるならば、ラピュタの記事を執筆したいという他の編集者の方の利益を侵害します。だから、ノートによる議論を双方が約束しさえすれば、保護を解除するべきです。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 05:58 (UTC)
- コメント依頼を保護解除に向けての合意形成として出したので他の利用者は保護解除されていない前提でこのノートページに来られます。なので保護解除は合意形成が出来てからで良いと思います。ーーMirinano(会話) 2016年1月30日 (土) 05:53 (UTC)
- 分かりました。ではわたしはPinejamさんとRANWAMIさん、その他大勢の利用者さんの意思を尊重したいと思います。もし調査投票をした場合には保護解除に反対の票を投じますが。--Mirinano(会話) 2016年1月30日 (土) 06:04 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 議論はもちろん行いますよ。ですが保護解除についてはどうでしょうか。編集合戦の意志はありませんが、保護が解除されたならば、あなただけでなく私にも、より良いと信じる編集を行わせていただく権利があります。合意形成が行われていない現状では、それが結果的に編集合戦に発展するのではないでしょうか。上記に加えてその点についても他の参加者の方々の意見をお聞きしたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 05:55 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) すみません、あなたの理屈がよくわかりませんでした。仮に保護を継続した場合、あなたは記事の編集ができません。そして、保護を解除したのちにあなたがノートでの議論を優先して独断での編集を差し控えたとしても、あなたは記事の編集ができません。つまり、あなたの利益に変化はありません。しかし、保護が解除されたら、それは他の編集者の利益になります。あなたの利益に変化がなく、他の編集者に利益があるならば、他の編集者の利益になるべき行動を我々は起こすべきではないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 06:06 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 私の意見はすでに申し上げた通りで、保護解除については懐疑的です。私の理屈がわからないとおっしゃられている以上、合意形成議論からますます遠のいている現状も含め、調査投票を行うのも一つの手かと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 07:58 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) つまりあなたは、もし保護が解除されたなら、ここでの議論を待つことなく再び編集を行うつもりだということでしょうか?あなたの意見を正確に理解したいので、なぜ保護を継続することが、他の編集者やひいては読者の利益につながるのか、その理由を説明しては頂けないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 08:10 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 議論はもちろん行いますよ。ですが保護解除についてはどうでしょうか。編集合戦の意志はありませんが、保護が解除されたならば、あなただけでなく私にも、より良いと信じる編集を行わせていただく権利があります。合意形成が行われていない現状では、それが結果的に編集合戦に発展するのではないでしょうか。上記に加えてその点についても他の参加者の方々の意見をお聞きしたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 05:55 (UTC)
合意確認に向けて
既にかなりの人数の方々から意見の表明がありましたが、Pinejamさんに賛成して「と結末」が必要だと主張する方はいらっしゃらないようです。Pinejamさんはずいぶん時間をかけて自説を展開されましたし、他の方々もPinejamさんの論点を考慮の上で意見を述べられているわけで、私から見ると、既に充分な合意が形成されているように思われます。先日コメント依頼が行われておりますので、あと1週間ぐらいは新たな意見を待つことにして、その間に議論の状況に目立った変化がなければ、このまま「と結末」は不要ということで合意成立ということにしてはどうかと思います。--Dwy(会話) 2016年1月30日 (土) 08:03 (UTC)
- 異論ありません。Dwyさんは合意形成にお詳しい方ですし、私も新たな意見を待つ事にしたいと思います。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 09:15 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) この場にて、今私が少数派であるのは事実です。しかし、それをもって早期に多数決で決着を図り、多数派にとって都合の良い結果を得ようとするのは、議論による合意を推奨するウィキペディアの精神に反するのではないでしょうか。
- 多数決とは、お互いの意見を聞き、議論を戦わせて、それでもなお不幸にして、理屈では説明のつけようのない価値感の違いが残った場合に、初めて行なうべきものです。そうでないならば、合理的な精神によらず、たまたまその多数決に居合わせた人数と雰囲気だけで、感情的に物事が決定されてしまうからです。私はウィキペディアをそのような場にはしたくありません。Dwyさんも、ウィキペディアがそのような場になってしまうのは、不本意だと思います。だから、多数決を呼び掛けるにしても、それにふさわしいタイミングを見計らって頂けないでしょうか。
- 私は今、この議論が深まっているとは感じておりません。なぜなら、両者のどうしても譲れない価値観の違いが、まだ明らかになっていないからです。
- 「あらすじには物語の結末をはっきり書くべき」という意見には、両者合意が取れていると思います。
- 「ネタバレを読者の目に入りにくくするための特別な配慮をすべきではありません」という意見にも合意が取れています。
- しかし、ネタバレを読者の目に入りにくくしているとは全く言えない場合であってですら読者への配慮をしてはならないという意見には、私は賛同できません。なぜならその思想は、誰の利益にも繋がらず、むしろ読者への不利益に繋がると考えるからです。
- 「あらすじと結末」という見出しは、読者に不利益を与えておらず、読者が利益を得る妨げにもっておらず、それどころかむしろ私が指摘した二つのメリットを読者に与えています。その配慮を特別な理由なく取り去ってしまうことは、読者に対して不利益のみ与えることになってしまいます。
- 私の意見の背景には「ウィキペディアの編集者は読者の利益を最大限に考えるべき」という、私の「どうしても譲れない価値観」があります。しかし、それに対して、「と結末」を削除したい立場の人からは、そのような価値観がまだ見えてきません。つまり「"と結末"の三文字を削除した方が、なぜ良いと考えるのか」という説得力のある説明を、私はまだ受けていないのです。
- これまでの議論で、「と結末」削除派から出ている意見は、大きく以下の2つだと認識しています。
- 1つ目は、日本語としてしっくりこないという意見です。
- 2つ目は、ウィキペディアのネタバレに関する方針に反しているのでは無いかという意見です。
- この二つの意見に対しては、私はこれまでの議論でお答えしてきました。まず1つ目ですが、確かに日本語としてしっくりこない方もいるかと思います。とはいえ「あらすじと結末」という言葉は、私の造語でもなく、ごく普通に日常で見られる言葉にすぎません。ですので、この言葉の選択は、記事の執筆者の自由の範囲内だと思います。もし、この言葉に引っかかりを感じる方がいたとしても、それが記事に対する読者の理解を妨げたり、その他のデメリットをもたらすことには直接繋がってはおりません。しかし、私が指摘している二つのメリットは、読者の利益に直結しています。だから、この1つ目の理由は成り立たないと私は思います。
- 2つ目についてですが、たとえ「あらすじと結末」という表記を用いたとしても、ネタバレを読者の目に入りにくくは一切していません。あらすじの結末を知りたいと願う読者が、この見出しの付いているあらすじを読んだとしても、一切の妨げを受けることなく、ごく素直に、あらすじを理解することができます。ですから、ガイドラインに反する部分はありません。
- それでもなお「と結末」を削除したいのであれば、なぜそうした方が良いと言えるのか、つまり私が指摘した二つのメリットよりも、大きなメリットを読者に与えられるのかという、他人を説得させるに足る根拠がその背景にあるはずです。その説明を未だに頂けていないように私には思えます。
- ですので、まずはその説明を頂き、その点において両者譲れないような価値観の違いが見つかり、それ以上議論が進展しないようであれば、その時点で初めて多数決をするべきだと思います。
- RANWAMさん、議論を進展させるために、まずは私のこの疑問にお答えいただけないでしょうか?それでもなお「と結末」を削除するべき理由は、なぜでしょうか?それはどのような価値観に基づくものですか?以上、よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 09:15 (UTC)
- 賛成 もののけ姫において「あらすじと結末」という奇妙な言い回しが気になって修正したところPinejamさんからメッセージを頂いてこちらの議論に気づきました(この記事もウォッチリストに入っていたのですが見落としていたようです)。前節での議論を追いかけさせていただきましたが、Pinejamさんが他の方の意見を聞き入れていないだけであり、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないおよびWikipedia:妨害的編集#いつまでも納得しないの典型的な状況と言えるでしょう。「と結末」は不要ということで合意は十分に形成されている状況であると判断します。--Claw of Slime (talk) 2016年1月30日 (土) 09:29 (UTC)
- 返信 (Claw of Slimeさん宛) いつまでも納得しないと言いましても、まだ議論が始まってから日も浅く、そして私が指摘する疑問点に答えて頂けていない状態です。それでもなお、合意が形成されたと言われるのは、私が少数派だから、という理由だからでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 09:47 (UTC)
提案 ノートによる議論の約束による、保護解除のお願いにRANWAMさんからの合意が得られず、そのために保護が継続され、それによって他の編集者と、その編集成果を得られるはずだった読者の利益を阻害していることに、心苦しく思っております。そこで、保護解除のための、一時的な妥協案なのですが、一度、天空の城のラピュタのあらすじを、私があらすじを執筆した以前の状態、つまり「あらすじと結末」ではなく「あらすじ」だった時の状態に、現状復帰させて頂けないでしょうか?今のあらすじは、私が記述したままになっているかと思いますので、それで他の編集者の方のご迷惑になることもないかと思います。そして、こちらでの議論を進めて、もし「あらすじと結末」という見出しに合意ができたならば、その時に私のあらすじを復帰させたく思います。RANWAMさん、とりあえずこれでお互いに妥協して、保護解除を一緒にお願いしませんか?よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 10:23 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) なぜ記事の内容を変更しようとするのか理解できません。見出しについて争っているんですよね?記事の内容に誰も言及していないですよ。ご自身の提案で記事が保護状態になっているのは心苦しいのかもしれませんし、責任感もわかりますが、少し冷静になりましょう(癇に障る表現であればごめんなさい)。現状のまま保護解除してもすぐに「あらすじ」に編集されることも考えられますし、Pinejamさんが望む形で保護解除しても、あらすじの内容だけ戻される可能性は否定できないです。なにしろPinejamさんが加筆されたあらすじの内容に問題はないのですから。
- あっという間に驚くほどの分量がノートに増えていますが概ね目を通しました。ガイドラインに反すると主張する人が複数人いる以上、いくら利便性を繰り返し主張されても、この記事のこのノートでPinejamさんが「あらすじと結末」の表記を納得させることは無理でしょう。編集スタイルとしても仮定上のメリットより、日本語の表現として簡潔で伝わりやすい「あらすじ」を選ぶのは自然ですから。
- 否定的な意見ばかりで辛いかもしれませんが、天空の城ラピュタのノートの範囲としては”多数の人はガイドラインの解釈として(あるいはスタイルとして)「あらすじ」で必要十分と認識しているんだな”と一旦納得されてはいかがでしょう。Pinejamさんが自分の書いたあらすじに今後の編集も含めて責任を持ちたい情緒は理解できますが、この場でガイドラインの解釈を争って解決するとは思えません。
- なんにせよ、ここで保護期間のうちにPinejamさんが望む形での合意は取れないでしょうし「執筆者として」「自分の書いた記事では」と主張されるのはWP:OWNに触れるとも考えられます。Pinejamさんのささやかな配慮と工夫はPinejamさんが書かれた版において果たされています。それ以降の版に対して、利便性を理由にしたスタイルの編集を行いたいのであればWP:WAFかもしれませんし、あるいはWP:SWを中心とした議論を行うのであれば、そのノートです。 --Strangemist(会話) 2016年1月30日 (土) 11:22 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) ご意見ありがとうございます。ただ、私はごく冷静にこの判断をしております。現状復帰させて頂きたい理由なのですが、それはまず第一に読者の方を悲しませたくないからです。私は今まで、自分の書いたあらすじによって、意図せずに多くの人を悲しませてしまいました。実際に、そのような声を何度も目にしております。私がウィキペディアに参加している第一の理由は、読者の方に喜んで頂きたいからです。しかし、あらすじを極力理解しやすくなるようにしている私の努力が、文章をわかりやすくしてしまったが故に、意図せずにあらすじを知ってしまうという被害を拡大させてしまったとしたならば、それは決して読者のためにならず、そのような状態になることは私のそもそもの動機とは正反対であるので、私は耐えられません。この気持ちは、何十時間もかけてあらすじを書き上げた人でないと、もしかすると理解して頂けないかもしれません。
- 幸いにして私が書いたあらすじはほぼ全てが私が最初に書いたまま殆ど変更がない状態ですので、現状復帰したとしても他の編集者の不利益にはなりません。ですので、一旦は現状復帰し、この議論が合意できるように努力して、もし「と結末」を含めるという私のささやかな工夫が認められるのであれば、その時に改めてあらすじを復帰させたいと思います。(もし、その時に、他に素晴らしいあらすじがすでに書かれていなければですが)
- 私は、私が行おうとしていることは、読者の利益に最も合致していると思っております。そのために、この議論は放棄することなく、最後まで継続するつもりです。もし議論に最後までおつきあい頂けたら幸いです。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 11:50 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) ご納得いただけないようで残念です。ですが、保護解除のこの提案とその動機についてはまた別の問題があります。それぞれWP:OWNとWP:5Pに照らし合わせてもう一度考えてみてください。--Strangemist(会話) 2016年1月30日 (土) 14:59 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) すみません、議論の姿勢として一つだけお願いしたいのですが、何か自分の意見を示す時には、必ず根拠を添えていただけないでしょうか。そうでないと、あなたが導き出した結論はわかるのですが、なぜそれが導き出されたのかその思考プロセスがわからず、回答のしようがないからです。リンクだけを示してその説明から逃れようとするのも、議論を行う者の姿勢として本当に正しいのでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 15:11 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 素っ気なく不親切であったことをお詫びします。あらすじを過去に戻した状態での保護解除の提案についての問題ですが、節名が気に入らないからご自身の有用な加筆を取り消したいというのはWP:OWNに触れます。また、感情から記事の有用な加筆を除去したいというのはWP:5Pで示されるWikipediaの百科事典としてよりよいものを目指すための努力から遠ざかっています。これは節名に結末をつけるつけないという(比較的些末な)話とは全く異なります。Pinejamさんは、より良い百科事典を目指すためにあらすじを書かれたはずです。Pinejamさんの感情以外にそれを除去する妥当な理由がありません。百科事典的な記述を求めるのは当然のことであり、これを除去する提案にはまったく賛成できません。一時的にいうことであっても、より不正確な記述にしておく理由にはならないでしょう。とはいえ、既に何の同意も無いまま別の条件で保護解除を申請されたようなので、私の意見やあなたの解釈がどうであろうとこの話を続ける理由がなくなりました。この件に関してはこの辺で終わりにします。--Strangemist(会話) 2016年1月30日 (土) 16:11 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) 補足説明ありがとうございます。ただ、私は自分の加筆が読者に有用な者ではなく、有害な物になってしまったと感じております。ですので、他の編集者が一切編集していない、つまり私が記述した状態のままのあらすじを差し戻すことは読者にも他の編集者にも一切ご迷惑がかからず、実質的に被害を受ける人が居ないと言えるので、一旦元の状態に刺し戻そうかと思っております。もしそれを元に戻したいという方がいらしたら、それはその方の自由ですが、その方の責任で行なっていただけたらと思います。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 16:37 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 素っ気なく不親切であったことをお詫びします。あらすじを過去に戻した状態での保護解除の提案についての問題ですが、節名が気に入らないからご自身の有用な加筆を取り消したいというのはWP:OWNに触れます。また、感情から記事の有用な加筆を除去したいというのはWP:5Pで示されるWikipediaの百科事典としてよりよいものを目指すための努力から遠ざかっています。これは節名に結末をつけるつけないという(比較的些末な)話とは全く異なります。Pinejamさんは、より良い百科事典を目指すためにあらすじを書かれたはずです。Pinejamさんの感情以外にそれを除去する妥当な理由がありません。百科事典的な記述を求めるのは当然のことであり、これを除去する提案にはまったく賛成できません。一時的にいうことであっても、より不正確な記述にしておく理由にはならないでしょう。とはいえ、既に何の同意も無いまま別の条件で保護解除を申請されたようなので、私の意見やあなたの解釈がどうであろうとこの話を続ける理由がなくなりました。この件に関してはこの辺で終わりにします。--Strangemist(会話) 2016年1月30日 (土) 16:11 (UTC)
- 返信 (Strangemistさん宛) すみません、議論の姿勢として一つだけお願いしたいのですが、何か自分の意見を示す時には、必ず根拠を添えていただけないでしょうか。そうでないと、あなたが導き出した結論はわかるのですが、なぜそれが導き出されたのかその思考プロセスがわからず、回答のしようがないからです。リンクだけを示してその説明から逃れようとするのも、議論を行う者の姿勢として本当に正しいのでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 15:11 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) ご納得いただけないようで残念です。ですが、保護解除のこの提案とその動機についてはまた別の問題があります。それぞれWP:OWNとWP:5Pに照らし合わせてもう一度考えてみてください。--Strangemist(会話) 2016年1月30日 (土) 14:59 (UTC)
- 私は、私が行おうとしていることは、読者の利益に最も合致していると思っております。そのために、この議論は放棄することなく、最後まで継続するつもりです。もし議論に最後までおつきあい頂けたら幸いです。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 11:50 (UTC)
一つ確認なのですが、今、私を説得してでも「あらすじと結末」を「あらすじ」に変更するべきだ、とお考えの人はどの程度いるのでしょうか?「絶対に変更するべきだ」という考えと「気に入らない表現だが、どうしても変更しなければならないという確固たる理由まではない」という程度の考えは、全く似て非なるものです。私も、一人で全員の話に答えるのは大変ですし、他人の好み自体を変えるのも不可能なので、「絶対に変更すべきだ」という人の考えを「そうまでは言えないかもしれない」という意見に変える努力に集中したいと考えています。RANWAMさん以外に「どうしても変更するべきだ」とお考えの人がいれば、その理由を添えて申し出て頂けないでしょうか?よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 12:49 (UTC)
- 私以外とおっしゃっているので、この件については他の方の意見を待ちます。しかし、議論をここまで散開させては合意形成は難しくなる一方です。読者の利益、読者の利益と抽象的な事をおっしゃっていますが、議論に参加している編集者だって記事の読者なんですよ。突然の保護解除提案に続いて、どこまで自己中心的に議論を展開する気なのでしょうか。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 13:17 (UTC)
- 「なんとしても記事を変更したい」と考えている人が、実はRANWAMさん以外にはおらず、他の方は個人的な見解を表明しているにとどまっているならば、私はRANWANさんの意見に耳を傾けることに全力を傾けたいと思っています。ところで、あなたはなぜ他の編集者の方の利益を阻害してまで、保護を解除したくないのでしょうか。それではまるで、保護が解除されたら議論を待つことなく再び編集を強行すると、自ら表明しているのと同じではないですか。それで他の編集者の方に、申し訳ないと感じたり、恥ずかしくはないのですか?そして、あなたはまだ私の質問に正面から答えてくれていません。本来、私を説得する努力を見せるべきなのは、現状を変更しようとするあなたの方であるはずです。あなたはまだその努力を見せてはいません。私が示している3つの質問に答えてください。もし、あなたが単に自分の好みだけでなく、確固たる理由に基づいて現状変更した方が良いと主張するならば、そこには他人を納得させられるような、具体的な理由があるはずです。それを示さないまま、単に日本語の好みの問題だけで変更しようとするならば、私はそれを認めるわけにはいきません。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 13:27 (UTC)
保護解除に関して、当初はノートでの議論を約束することにより保護解除を申請したかったのですが、RANWAMさんの約束を得ることがどうしても難しそうです。ですので、一旦私が今後の編集を差し控えることを約束して、保護解除の申請を出しました。ただ、紳士(淑女かもしれませんが)として、RANWAMさんがノートでの議論を優先し、一方的な変更はしないで頂けることを少しだけ期待します。一方で、議論は深めたく思いますので、まずは私が示している三つの質問、つまり(1)「と結末」を含めるとどのようなデメリットが読者に発生するのか、(2)削除するとどのようなメリットを読者が得られるのか、(3)それがなぜ、私が示した二つの理由、つまり「意図せずあらすじを読むことによる不幸な事故の阻止」と「物語の結末が含まれていることを読者に示して、結末を知りたい読者の利便を図る」よりも優先されるといえるのか、について回答を得られればと思います。「日本語としてしっくりこない」という理由だけでは、単に編集者の好みの問題ですが、何かそれ以外の理由はあるのでしょうか。それとも、単に言葉の好みの問題にとどまる動機に過ぎないのでしょうか。よろしくお願いします。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 15:34 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 私の意見は既に今までの議論にありますし、それ以上の意見はありません。保護解除依頼についても既に回答したように、現状がWikipedia:保護の方針にある「保護を解除できる状態」に至ったとは思っておりませんので、極めて独善的な行動としか認識しておりません。また、保護解除が成された場合についてですが、合意形成がないのですから、私もあなたもより良いと信じる編集を行う権利があります。無論、あなたがその権利を放棄する事は自由ですが。--RANWAM(会話) 2016年1月30日 (土) 16:08 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) 私は、自分が紳士でありたいと思っています。一度「編集合戦はしない」と約束したので、それを果たすつもりです。ところで、つまりあなたは「個人的な言葉の好み」だけで私の記事を編集するつもりだったのですか?--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 16:19 (UTC)
- ガイドラインにもなっていますが、私としてもネタバレへの配慮は全くの不要と考えますので先ずはそのささやかな配慮についてもする必要はないと思いますし、読みたい読みたくないについても閲覧者の自己責任だと思っています。ですので、Pinejamさんが悲しむことはないと思いますよ。私もこれまでに書いたあらすじが何度も除去されてますから。ガイドラインに反しているかどうかという事については、以下に示します。
- == あらすじ ==
- === 事件発生 ===
- === 結末 ===
- ↑WP:SWを見ての個人的な見解ですが多分こういう風に節分けしても良いよという事を指しているのではないかと思っています。
- 次に、節名についてですがあらすじと結末とするよりはKs aka 98さんが例示した物語の概略や、物語、ストーリーとするのはどうでしょうか。あらすじと結末については日本語的にはおかしくないにしても表現的にくどいと感じます。一読者として。と言う訳で読者の利益に合致しているとは言い難いでしょう。
- そして、Pinejamさんは「俺を説得してみろ。でなければダメだ」みたいな態度は改めた方がいいと思いますよ。そのような態度では当然合意形成など難しいと思いますし、保護を解除しても再び同じ事が繰り返されると思います。ですので、こうするのはどうか?とかこれならいいか?と相手に譲歩する事もした方が良いと思います。あと、RANWANさんは記事自体を変えたいなんて思っていないと思いますよ。ただ、今の節名に対して明確に異議を唱えているだけであり、その理由は既に説明されていると思います。正面から答えていない、努力を見せていない、恥ずかしくないのか、根拠も無く意見を押し通そうとするななどと言っているようではRANWANさんはおろか誰も何も納得してくれないと思います。--赤羽さん(会話) 2016年1月30日 (土) 15:57 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) コメントありがとうございます。ただ、初めの部分が少し理解できませんでした。「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」とは何の事ですか?補足説明をいただければ幸いです。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 16:19 (UTC)
- 補足も何も以下に示します。より下3行に書いたのですが。分かりやすいように矢印付けときますね。--赤羽さん(会話) 2016年1月31日 (日) 13:59 (UTC)
- 紳士でありたいと言っていたあなただけが、このノートでの議論を無視して行動し続けているという事実に気付いて欲しいですね。--RANWAM(会話) 2016年1月31日 (日) 00:37 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) 挑発的な発言を繰り返しても、議論は発展しないのではないでしょうか?確認ですが、あなたは議論を継続する意思がありますか?もし議論する意思自体がないならば、そもそも意見交換は不可能だと諦めざるをえません。しかし双方が我を貼ることによる編集合戦を私は繰り返したくはないので、不本意ですが一方的で強硬な編集を黙認して、私は泣き寝入りしようかと思います。いかがでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月31日 (日) 03:28 (UTC)
- 記事が保護されたのは編集合戦の当事者双方に責任があります。
- RANWAMさんは既に自分の見解を充分明らかにされています。更に説明しろと言われても、これまで以上の説明は不可能でしょう。
- どんなに説明しても分かってくれない人はいるものです。ウィキペディアでは、コミュニティ(の大多数)を納得させれば合意成立です。分からないと言う人が納得するまで、いつまでも議論に付き合う義務はありません。
- 要するに、私達は、WP:SWの解釈としてネタバレへの「配慮」はすべきでないと思っている。Pinejamさんはどうしてもネタバレに配慮したいからWP:SWについて私達と違う解釈を主張している。充分議論を尽くしたので、お互いの立場はよく分かっています。既にPinejamさんがおっしゃる「譲れない価値感の違い」が明らかになっており、このまま議論を続けても不毛なだけです。
- コミュニティの合意を取り付けられない場合は、「泣き寝入り」するしかありません。私も何度も経験があります。あなたには「一方的で強硬な編集」に見えるのでしょうが、コミュニティ(の大多数)から見れば、あなたの方が「いつまでも納得しない」に見えています。--Dwy(会話) 2016年1月31日 (日) 03:58 (UTC)
- 納得、というのは相手の意見に耳を傾けて、それに正面から答えなければ得られないものですよね。今回の議論では、私は他の方の意見に正面から回答する努力をしたつもりであり、私が回答を放置している意見はないと思います。(私が見逃していなければ)。しかし、他の方からは私の疑問には答えて頂けず、単に「あなたの意見は少数派だ」ということを説得の材料にする、悪しき多数決である印象を受けました。--Pinejam(会話) 2016年1月31日 (日) 17:30 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 挑発的な発言を繰り返しているつもりはありませんし、議論を継続する意思があります。また、あなたが一方的で強硬な編集という認識を私に抱いているように、私もあなたに同様の認識を抱いています。なお、あなたが泣き寝入りをすることについて「いかがでしょうか」と問われても私にはそれを推進する、或いは引き止める立場にありません。ご自身でご判断をなさってください。--RANWAM(会話) 2016年1月31日 (日) 18:02 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) それは本当ですか?このままフェードアウトするしかないと残念に思っていたのですが、本当に継続する意思があるならば、ぜひお願いしたいと思います。ところで、今議論が止まっているように思いますが、どのように再開するのが良いでしょうか。私としては、RANWAMさんの問題意識をさらに分析したいと思いますが、そのための質問をRANWAMさんにしたら、回答を頂けるでしょうか。それとも、別な進め方の案をお持ちですか?--Pinejam(会話) 2016年1月31日 (日) 18:14 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 本当ですよ。ただ、残念ながら、議論停止の原因は保護解除に関する議論や差し戻しと著作権の問題、議論の態度に至るまで多くの問題を指摘されているあなたにあると言う他ありません。私は何度も申し上げているように、自分の意見を語り尽くしていますし、それは他の方のコメントからも証明されている事と思います。つまり、あなたが指摘されている問題点を解決すれば良いと思いますし、それは私にはできない事です。--RANWAM(会話) 2016年2月1日 (月) 04:29 (UTC)
- 返信 (Pinejamさん宛) 挑発的な発言を繰り返しているつもりはありませんし、議論を継続する意思があります。また、あなたが一方的で強硬な編集という認識を私に抱いているように、私もあなたに同様の認識を抱いています。なお、あなたが泣き寝入りをすることについて「いかがでしょうか」と問われても私にはそれを推進する、或いは引き止める立場にありません。ご自身でご判断をなさってください。--RANWAM(会話) 2016年1月31日 (日) 18:02 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) 挑発的な発言を繰り返しても、議論は発展しないのではないでしょうか?確認ですが、あなたは議論を継続する意思がありますか?もし議論する意思自体がないならば、そもそも意見交換は不可能だと諦めざるをえません。しかし双方が我を貼ることによる編集合戦を私は繰り返したくはないので、不本意ですが一方的で強硬な編集を黙認して、私は泣き寝入りしようかと思います。いかがでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年1月31日 (日) 03:28 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) コメントありがとうございます。ただ、初めの部分が少し理解できませんでした。「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」とは何の事ですか?補足説明をいただければ幸いです。--Pinejam(会話) 2016年1月30日 (土) 16:19 (UTC)
コメント Pinejamさんは親切心から配慮をなさっていますが、ささやかな親切心であったはずが、それを明確な記述の優位性であるかのように論じてしまっているせいで、衝突が起きている気がします。実際にはPinejamさんの書き方も未だ広く認められているやり方ではありませんし、デメリットもあります。
ネタバレ配慮を認めることのデメリットとは、今回起こっているような、(問題が起こらない範囲を想定した工夫に過ぎなかった)ネタバレ配慮の構造を崩すような(本来は許容される)編集に対して差し戻し合戦が起こるようなことも含まれると思います。ネタバレ配慮には自由な編集を妨げたり差し戻し合戦の根拠になるほどの優位性があるとみなすべきではありません。ネタバレ配慮に優位性を与えてしまうと、次のような活動によって、百科事典として本末転倒な状態にまで発展する懸念があります:
- ネタバレ記述を節の外に移す編集を差し戻す。
- ネタバレを(できる限りで良いとしながら)一カ所にまとめるよう呼びかける。
- 他のネタバレ(例えば登場人物など)に対しても同じく配慮してくれるよう呼びかける。
- 結果、参加者が特定の節の外でのネタバレの書き込みに萎縮する。
要するにネタバレ配慮を「個人で密かに持ちよった努力の成果」の範囲を越えて「皆で持ちよる(守る)べき努力の成果」のように堂々と認めてしまうと、Wikipedia内での努力の方向性が理念に反した方向へ誘導されてしまうということです。個人の範囲では善かれと思っていても、努力として認めてということになると、今回のような差し戻しや、ひいては上記のような活動はどこまで認められるのか、限界の線引きにおいても相当にデリケートな問題があると思います。
またPinejamさんは30日のコメントで「(略)格別の議論を起こすような言葉ではないように思えます。もしそうであるならば、言葉の選択は多大な労力と時間をかけてその記事の作成に努力した者の自由であるはずです。」と書かれておりますが、それはWikipedia:記事の所有権に書いてあるような誤解を含んでいます。掲載可能な内容であれば誰が書き直しても良いのです。むしろ、Wikipediaは不特定多数に監修してもらったり、他の投稿者の成果を利用させてもらうことで品質や利便性を確保しようとする場所のはずです。
ウィキペディアの利用はフリーで、誰でも編集が可能です。すべての文章はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (CC-BY-SA)およびGNU Free Documentation License (GFDL)下にライセンスされており、これらに従って配布したり、リンクしたりすることができます。項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。したがって、あなたが投稿したどんな文章も予告なく編集される可能性がありますし、コミュニティによる再配布をとがめることもできません。 【Wikipedia:五本の柱】より引用 |
--Floe~jawiki(会話) 2016年1月31日 (日) 05:55 (UTC)
- なるほど。今回少し自分が失敗したかなぁと感じているのは「ネタバレへの配慮」という、皆が無条件に攻撃対象とするようなキーワードを出してしまったことです。「あらすじと結末」という言い回しは日本語で普通に見られる言い回しに過ぎないので、本来ならば言葉狩りの対象にはなりません。逆に「あらすじ」という言葉だけだと淡白すぎて、物語の全容を表す言葉としてはしっくりこない、という理由だけにすべきでした。その理由は私が二つ目の理由としてあげていたものであり、私にとってはこちらが重要だったのですが、不思議とこちらの意見は誰の目にも止まらなかったようです。もう一つ得た感想は、いかなる理由があっても配慮をする必要がないという、変な誤解を皆が持ちすぎているのではないかということです。詳細なあらすじの記述は、例えば文化庁によれば著作権者の了解が必要とされています。ですからウィキペディアの現状は横断歩道の信号無視のように、明らかな違法行為だけれど黙認されているだけに過ぎません。それを「信号に配慮する必要そのものがない」と誤解すると、黙認できなくなった段階で司法の手が入ります。そういえば、私が一度取り消したあらすじを、OCNを利用しているIPユーザの方が大胆にも戻していましたが、IPユーザだとウィキペディアを通すことなくOCNへの開示請求だけで簡単に身元がわかるので、著作権の非親告罪化が間近に迫っている今、その危険性を彼が本当に彼が負えるのかが少し心配になりました。では。--Pinejam(会話) 2016年1月31日 (日) 17:30 (UTC)
- Wikipedia:法的な脅迫をしない
- 著作権を盾にして持論を押し通すよう画策するのはおやめください。見出しの変更だけでなく実質的な記事破壊にまで及ぶのは論外です。もし継続するおつもりであれば、当該文書にあるように「どんな結論にしろ法的事項が終了するまで、ウィキペディアを編集しないことを、あなたにお願いします」--Claw of Slime (talk)
- 返信 (Claw of Slimeさん宛) 自分が書き、他人が修正をしていない状態の記事を「やっぱりまずいかな?」と自分で判断して自分で取り消すのは、社会通念上、何の問題も無いと思っています。誰も被害者がいないからです。また、私は法律を盾に他人が書いた記事を取り消させようしたわけでもありません。--Pinejam(会話) 2016年2月2日 (火) 12:41 (UTC)
ここまでの議論を整理しました。
議論の争点「あらすじの結末」という見出しを「あらすじ」に変更する修正は、妥当か否か ■修正に賛成する立場の意見 【意見1】"あらすじ"という言葉には、結末まで含まれているので、意味が重複しているのではないか 【意見2】ネタバレを隠そうとするのは、ウィキペディアのガイドラインに反していないか ■修正に反対する立場の意見 【意見1への反論】そもそも記事の見出しとは、この件に限らず、一般的に記事の内容を誤解の無いように示せる言葉を使用するべきである。現在の日本人において、"あらすじ"に物語の結末が含まれるという共通認識があるとは言い難く、誤解を生み得る言葉である。しかし、"あらすじと結末"ならば誤解を生みにくい。ゆえに、記事の内容を正確に示し得る、"あらすじと結末"という見出しを使用するべきである。(->再反論なし) 【意見2への反論】「あらすじと結末」という言葉を使用しても、あらすじを隠すわけではない。あらすじを隠すとは、JavaScriptで非表示にしたり、結末を別な項目に分割したりすることである。しかし、今回のケースでは、読者は何の障害も受けることなく、ごく素直にあらすじを読むことができる。ゆえに、ガイドラインには反してない。(->再反論なし) |
議論を積み上げるために、ここに記載されていない意見や、または反論の提示をお願いします。--Pinejam(会話) 2016年2月2日 (火) 13:26 (UTC)
- 意見1も意見2もそれだけで論拠は充分ですし、誰も賛成しないような反論に対して一々再反論が必要とは思いませんが、
- Pinejamさん以外の方はみなさん「あらすじ」には結末が含まれるという認識のようですね。
- Wikipedia:ネタバレの内容やこれまでのWikipedia‐ノート:ネタバレの議論に示されているコミュニティのコンセンサスに照らして考えれば、Pinejamさんのような解釈が成立しないのは明らかです。
- ということです。--Dwy(会話) 2016年2月2日 (火) 21:38 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) Dwyさんは「反論する必要がない」と言い張っているだけにすぎませんよね?もし、他人が従うに足るような合意が本当に存在するのであれば、その合意の背景には説得力のあるような論拠があり、それを示すのは容易であるはずです。もしそれに説得力があるのであれば、私は沈黙せざるを得なくなるでしょう。しかし、その論拠を示せないのは、このようなケースに合致するような合意が存在せず、反論もできないということの証明にすぎないのではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年2月3日 (水) 15:23 (UTC)
- 既に「説得力のある論拠が」示されているから多くの人が「結末」は要らないという主張に賛成しているのだし、Pinejamさんの論拠に説得力がないからPinejamさんに賛成する人が誰も現れない。いい加減に現実を受け入れて下さい。--Dwy(会話) 2016年2月3日 (水) 21:29 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) そんなものがあるのなら、それを示せばいいはずですよね。それを示せないという現実を、素直に認めては頂けないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:17 (UTC)
- 「そんなもの」とおっしゃっているのがどういう意味なのか分かりかねますが、多くの人を納得させるだけの「説得力のある論拠」であれば既に提示済です(多くの人が賛成を表明してくれていますから、それは明らかです)。あなたを納得させることができる「説得力のある論拠」の意味であれば、そんなものはおそらく提示できないでしょう。それを示せない現実は最初から認めています。だからこそ、「コミュニティ(の大多数)を納得させれば合意成立です。分からないと言う人が納得するまで、いつまでも議論に付き合う義務はありません」と申し上げています。--Dwy(会話) 2016年2月5日 (金) 12:52 (UTC)
- その根拠とやらは、私が反論済みのものですよね?もしその根拠に説得力があるのなら、単に私の反論に対して再反論すれば良いだけではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 12:21 (UTC)
- 「そんなもの」とおっしゃっているのがどういう意味なのか分かりかねますが、多くの人を納得させるだけの「説得力のある論拠」であれば既に提示済です(多くの人が賛成を表明してくれていますから、それは明らかです)。あなたを納得させることができる「説得力のある論拠」の意味であれば、そんなものはおそらく提示できないでしょう。それを示せない現実は最初から認めています。だからこそ、「コミュニティ(の大多数)を納得させれば合意成立です。分からないと言う人が納得するまで、いつまでも議論に付き合う義務はありません」と申し上げています。--Dwy(会話) 2016年2月5日 (金) 12:52 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) そんなものがあるのなら、それを示せばいいはずですよね。それを示せないという現実を、素直に認めては頂けないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:17 (UTC)
- 既に「説得力のある論拠が」示されているから多くの人が「結末」は要らないという主張に賛成しているのだし、Pinejamさんの論拠に説得力がないからPinejamさんに賛成する人が誰も現れない。いい加減に現実を受け入れて下さい。--Dwy(会話) 2016年2月3日 (水) 21:29 (UTC)
- 誰も指摘しないので横入りしますが、そもそもここで問われているのは「あらすじと結末」から「あらすじ」に変えるための議論ではなく「あらすじ」から「あらすじと結末」にPinejam氏が変えたことの適切性なのではないですか。
- Pinejam氏は上で何度もRANWAM氏が変えたがっているのだから、ということを述べていますが、それは違うでしょう。
- これまで10年以上「あらすじ」であったものを昨年12月に「あらすじと結末」に変えたのはPinejam氏であり、それから一月そこそこでこれだけ紛糾している以上、この改変が認められたものとみなすことは困難です。
- また、上で「あらすじ」派の人を消極派積極派で分けようとしていましたが、それも無意味でしょう。よもや消極的「あらすじ」派が多数であったとしても積極的「あらすじと結末」派のPinejam氏一人よりも意見の価値が劣るわけではなく、依然「あらすじ」派が多数なのには変わりません。
- Pinejam氏がこの修正を重要なものとお考えか、それとも些末ではあるがより良いものとして行ったのか分かりません。
- 重要だと思うのであれば、一旦「あらすじ」に戻した上で「あらすじと結末」とすべき賛意を集めて合意を取るべきでしょう。
- 些末だと思うのであれば、これだけ一対多で反対されているのですから、譲るべきでしょう。
- いずれにせよ、本議論の起点は「あらすじと結末」ではなく「あらすじ」が大本であることは認識すべきと思います。--126.0.234.196 2016年2月3日 (水) 11:27 (UTC)
- こんばんは。後半のお考えは、はたしてウィキペディアの精神に合致するのでしょうか。意見を戦わせることなく「単にお前は少数派だから多数派に従え」というのは、合理的精神に基づかない悪しき多数決主義にすぎません。もし、どちらの意見がより合理的かを決められないような問題において、価値観の違いによって意見が分かれたのであれば、多数派の価値観に従うのは民主的な方法です。しかし、今回のケースでは、まだ価値観の違いによる対立には全く議論がたどり着いていません。他人の意見に対して合理的な反論を示すか、または相手の主張と同じような重さを持つ別な価値観を示すことができないのであれば、その意見に素直に従うべきです。--Pinejam(会話) 2016年2月3日 (水) 15:23 (UTC)
- こんばんは。ここで申し上げたいのは、ベースは「あらすじ」なのであって、「あらすじと結末」から変更すべき理由を求めている貴方の立場が間違っていることの指摘です。
- 「あらすじと結末」に変更直後にこれだけの否定意見が出ている以上、丁寧に説明して賛意を集めるべきなのはPinejamさんの方であって、そして現状貴方の意見は少数派なわけです。
- 更に言えば、挙げられている反論が有効でない、と言っているのは貴方一人なのです。
- 少数意見の封殺は勿論行われるべきではありませんが、少数派が少数意見の尊重を盾にとって納得するまで動かさない、というのは典型的な「いつまでも納得しない」に過ぎません。--126.0.234.196 2016年2月3日 (水) 23:17 (UTC)
- 「いつまでも納得しない」というのは、相手の反論にたいして再反論できず、また自説にたいする具体的な根拠も示せないのに、グチグチと議論を伸ばし続けることを指します。それはすなわち「あらすじ」派の人たちです。なぜ「あらすじ」とすべきなのか具体的な根拠が示されてはいません。私が示した根拠は上で書いた通り記事の見出しとは、記事の内容を誤解を受けることなく伝えられる言葉にするべきであるという理由からです。それに対して「あらすじ」派に人からは、「○○であるが故に"あらすじ"という言葉を使用するべきである」という根拠が示されていません。反論できず、根拠も示せないままに、一方的に議論を打ち切ろうとするのは「力ずくの解決」でしかありません。--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:25 (UTC)
- まず一番大事なところに返答されていないようですが、ここでの問題は元々連綿と「あらすじ」であったものを「あらすじと結末」に変更したが故に生じている、というのは御理解頂けますでしょうか?
- 私の主張は至ってシンプルで、かかる変更が行われてからここまで紛糾しているのだから、元に(すなわち「あらすじ」に)戻した上で、「あらすじと結末」にするか否かの合議を取るべきだということです。
- 反論だ再反論だと言われていますが、あなたの示した根拠とやらに賛同者がいないことについてはどうお考えですか?
- 言ってしまえば「私はこう思う」に終始しており、積極的に「あらすじと結末」を採用すべき理由になっていないのです。「私はそうは思わない」というのを有効な反論と見做さないのであれば、「私はこう思う」も有効な主張ではありません。
- あらすじが語義上結末まで含んでいるというのは貴方を含めて共有されており、「あらすじ」と「あらすじと結末」は指し示す範囲は等価です。そして言葉として後者は冗長です。誤解の余地などないのです。
- 「結末まで含まれていないあらすじも多い」と上で何度か言及されていますが、不完全なものに合わせてどうするのです。
- また、あなたが下で上げた「女性」と「セクシーな女性」は包含関係であり等価ではありません。「女性」の説明にセクシーな写真があっても良いですが、それだけであれば適切に主題を説明しているものとは言えません。
- 言ってしまえば、「鳥」に言及するのに「鳥とペンギン」とか、「魚」に言及するのに「魚(鯨を除く)」とか、そういったレベルで無意味でしょう。
- そもそもネタバレに対して配慮する必要がないと何度も説明されつつ、避けたい人間はネタバレを避けられるようにすべきだという主張自体が理解しがたいものです。
- 繰り返しますが、「あらすじと結末」にすべき積極的理由はありません。極論どちらでも良いのです。どちらでも良いのだから、合議をはかるべきです。
- そして、それで「あらすじと結末」にする、という合意が取れるまでの間は、元の「あらすじ」のままとした方が適切でしょう。--126.0.234.196 2016年2月5日 (金) 10:28 (UTC)
- そもそも、すでに「あらすじと結末」という言葉は「あらすじ」に戻されてしまっていますよね。私の主張も"「あらすじと結末」という表現が現状なのだから現状に従え!"というものでは全くありません。単に「変更したい側が、積極的に自説を主張するべきだ」と、ごく常識的な主張をしていたに過ぎません。
- また、私としては、ここまで私の考えに賛同者がいないことよりも、これまで多くの人が自説を語ったのに、説得力のある反論が存在しないことを重視しています。
- 避けたい人間はネタバレを避けられるようにすべきだという主張というのも本質的ではありませんね。私は、この議論の開始時点から、終始一貫して二つの理由を示してきました。その二つの理由とは、「あらすじ」という表現では、ネタバレを知りたい人にとっても不十分だし、知りたくない人にとっても不十分だということです。
- 記事の見出しには、その見出しの内容を誤解なく伝える言葉を使用するべきである、という価値観には賛同頂けると思います。もしそうであるならば、「あらすじには、物語の核心が当然含まれている」と認識している日本人は多数派ではないのに、どうして誤解を招きやすい見出しを使いつづけたいのでしょうか?
- ところで、きわどい格好をしたり肝心な部分を露出していたとしても、女性は女性ですよね。隠そうが、露出しようが、生物学的には何の違いはありません。等価です。しかし、一般常識としては、その二つは誤解なく明確に分ける必要があります。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 11:58 (UTC)
- 失礼、保護解除後に戻されていたのですね。まさに主題となっているものをノートに書き込まず一方的に変更するのは短慮と思いますが。
- そして、もう「Pinejamさんには」お話が通じないということがわかりましたのでここまでとします。
- 貴方の考えに賛同者がいないのは、貴方の開陳する自説が他人にとって説得力を持っていないからです。
- 皆の反論に説得力がないと言ってしまうのは、貴方が自説のみを至上と考え、議論をする気がないからです。あるいは理解力がないからです。
- <「あらすじには、物語の核心が当然含まれている」と認識している日本人は多数派ではないのに>というのがあなたの勝手な考えです。そういうことが見受けられる(それも販促やそれに伴う錯誤に基づき)からといって、多分貴方もそうなのだと思いますが、それが多数派であるというのは単なる独断に過ぎません。
- 誤解を招きやすい?何を言う、百科事典なのだから言葉は適切に過不足なく使うべきです。
- そして「女性」と「セクシーな女性」は等価ではないです。包含関係です。ベン図でも書いてごらんなさいな。--126.0.234.196 2016年2月7日 (日) 12:29 (UTC)
- 「いつまでも納得しない」というのは、相手の反論にたいして再反論できず、また自説にたいする具体的な根拠も示せないのに、グチグチと議論を伸ばし続けることを指します。それはすなわち「あらすじ」派の人たちです。なぜ「あらすじ」とすべきなのか具体的な根拠が示されてはいません。私が示した根拠は上で書いた通り記事の見出しとは、記事の内容を誤解を受けることなく伝えられる言葉にするべきであるという理由からです。それに対して「あらすじ」派に人からは、「○○であるが故に"あらすじ"という言葉を使用するべきである」という根拠が示されていません。反論できず、根拠も示せないままに、一方的に議論を打ち切ろうとするのは「力ずくの解決」でしかありません。--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:25 (UTC)
- こんばんは。後半のお考えは、はたしてウィキペディアの精神に合致するのでしょうか。意見を戦わせることなく「単にお前は少数派だから多数派に従え」というのは、合理的精神に基づかない悪しき多数決主義にすぎません。もし、どちらの意見がより合理的かを決められないような問題において、価値観の違いによって意見が分かれたのであれば、多数派の価値観に従うのは民主的な方法です。しかし、今回のケースでは、まだ価値観の違いによる対立には全く議論がたどり着いていません。他人の意見に対して合理的な反論を示すか、または相手の主張と同じような重さを持つ別な価値観を示すことができないのであれば、その意見に素直に従うべきです。--Pinejam(会話) 2016年2月3日 (水) 15:23 (UTC)
- 返信 (Dwyさん宛) Dwyさんは「反論する必要がない」と言い張っているだけにすぎませんよね?もし、他人が従うに足るような合意が本当に存在するのであれば、その合意の背景には説得力のあるような論拠があり、それを示すのは容易であるはずです。もしそれに説得力があるのであれば、私は沈黙せざるを得なくなるでしょう。しかし、その論拠を示せないのは、このようなケースに合致するような合意が存在せず、反論もできないということの証明にすぎないのではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年2月3日 (水) 15:23 (UTC)
- コメント 「あらすじと結末」という表現の使用例を検索エンジンで調べてみましたが、ネタバレのあらすじ掲載を目的としたアフィリエイトサイトでの用例が主で、百科事典的な解説を目的とした場面で使われているようには思えません。これは結末を知りたい人に対する一種のSEOワードとして使われている気がします。
- 例えばの話ですが、ライターに映画のあらすじをまとめるよう依頼するなら「あらすじと結末を書いて」と頼んだら変な顔をされると思いますし、結末は別で書くのか、と聞き返されると思います。この場合念押しをするなら「結末までのあらすじを書いて」などと言うのが普通だと思います。
- もう少し調べてみると、大阪教育大学国語表現ゼミの発表[2]では、文庫本ではあらすじは販売促進の為に書かれ、多くは結末を省くとしながらも、「辞書的な意味を総括すると、あらすじとは物語や物事の冒頭から結末までの大まかな流れを述べた文章のことをいう」とされていて、やはり商業目的でないWikipediaでは「あらすじ」で大きな問題はないというのが認識だと思います。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月3日 (水) 16:35 (UTC)
- 返信 (Floe~jawikiさん宛) なるほど、ご意見ありがとうございます。その、ライターに執筆を依頼するという例で言うと、ライターに「あらすじを書いて」とお願いするだけでは認識の齟齬が発生する可能性が極めて高いですよね。ライターとしては、世間一般で見られるような、結末を隠した形でのあらすじを書くべきなのか、それとも物語の全容がはっきりと伝わるようなあらすじにするべきなのか、どちらにするべきか分からないからです。だからこそ「結末までのあらすじを書いて」と具体的にお願いする必要性が発生するのだと思います。その例が示すように、「あらすじ」という日本語は、現在の日本人にとって「物語の全容」という意味合いが薄いのは明らかです。それだからこそ、世の中には「あらすじと結末」といった言葉や、「物語の全容」といった言葉が使われているのだと思います。記事の見出しに用いる言葉であるならば、その記事に何が書かれているのかをはっきりと示せる言葉を使用するべきです。「あらすじ」という言葉には、その力が弱いのは明らかなのですから、「あらすじと結末」や「物語の全容」といった別な表現を用いるべきではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:37 (UTC)
- 返信 「あらすじ」が結末抜きだと認識されうる場面というのは、
- ハイコンテクストに捉えて慣習上に妥当な場合(例えば小説や映画の販売促進のために書かれる場合)
- 錯誤による場合(例えば販売促進のためのあらすじしか見たことがない人が、あらすじの概念を間違えて認識している場合)
- に分かれると思いますが、私はWikipediaは前者には当てはまらないし、後者の立場を取る必要もないと考えています。百科事典では内容においても表現においても、錯誤を前提に書く必要はなく、きちんと辞書なりに意味が載っている言葉なのですから、正しく書けばそれで良いのだと思いますよ。「現在の日本人にとって「物語の全容」という意味合いが薄い」という主張も、前記のような錯誤に基づいてそういう考えを持つ人がいるだろうことは予想できますけれども、今のところ私は信憑性のある資料でそのような主張は読んだことがありませんし、あらすじの項に独自研究にならずに書けるようなことだとも思いません。Wikipedia:独自研究は載せないにも「既存の用語に新たな定義を与える」のは避けるべきだと書いてあります。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月5日 (金) 14:50 (UTC)
- 返信 「あらすじ」が結末抜きだと認識されうる場面というのは、
- 返信 (Floe~jawikiさん宛) Floe~jawikiさんは「コンテクスト」という言葉を使用しました。日本社会のコンテクスト、つまり日常生活を送る上での一般常識において「あらすじ」には物語の結末まで当然含まれてしかるべき、と言える状況になっていると、果たして言えるでしょうか?一般常識、つまり慣習や倫理の側面において、そのようには全くなっていないように思えます。
- まず慣習についてですが、著作権が切れていない作品と、切れている作品に分類した場合、前者において、物語の全容が掴める程度に詳細に描かれているあらすじは、著作権者が自ら書いたものを除けば、圧倒的に少数派であり、ほぼ存在しないように思われます。Floe~jawikiさんも、そのように認識しているのではないでしょうか。例えば、あなたが例としたあげた「SEOワード」の話ですが、もし「あらすじ」に物語の全容が含まれているのであれば、「あらすじと結末」と書いたところでそれはSEO対策にはならないはずですよね。一般認識として含まれていないからこそ「と結末」を追加することに意味があることになります。
- 次に倫理についてですが、これは説明するまでもないのではないでしょうか。ウェブ上にある、物語の核心まで含まれるようなあらすじには「ここからネタバレ」などの表記がされておりそのような注意書きをなぜ多くの著者が記述しているのかといえば、読者が意図せずに物語の全容を知ってしまうことは倫理に反すると考えているからです。
- つまり、慣習としても倫理としても、日本社会のコンテキストとしては「あらすじには、当然物語の全容が含まれている」という状況には全くありません。ゆえに「あらすじには当然結末まで含まれていると認識していないのは錯誤である」と断言できるような状況にはありません。
- そのような状況下で、記述されている情報を正確に表すことができない「あらすじ」という言葉を使い続けるのは、物語の核心を知りたい読者にも、知りたくない読者にも不便や不都合を強いるだけではないでしょうか。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 11:38 (UTC)
- 著作権が残っていても結末まで書かれたあらすじは日本大百科全書での『千と千尋の神隠し』の解説のようにありますし、そこにわざわざ前置きなどもありません。こうしたものに限って無許諾では詳細に書かれない一義的な理由は法的理由であり、慣習があるからという主張は根拠に乏しいものです。もっとも著作権が残っていても、論評などを主目的とし必要性が認められる場合は文言を変えずに引用(著作権法第32条)・翻訳(同法第43条)される場合もありますし、文言や形式を変えた要約であっても表現上の創作性が認められない、事実などの指摘に留まるなら翻案権侵害に当たらないという法解釈が普及[3][4]しており、日本大百科全書の例もこれに則ったものだと思われます。そもそもこれらの法的問題の焦点は、結末を含むか含まないかとは直接的関連のないことです。
- SEOワードの話は百科事典などでの用例がないことに対する私的な仮説の一つに過ぎず、他に私の知るよしのない狙いがあってもおかしくはありません。重要なのは百科事典などでの用例といった肯定的な例がみられなかったことです。
- また倫理などのトピックについても、他のメディア分野における慣習、検閲などの世俗的な慣習を意識する必要はありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月8日 (月) 10:36 (UTC)
- 返信 (Floe~jawikiさん宛) まず最初に、もう一度前回のFloe~jawikiさんの主張を振り返りたいと思います。Floe~jawikiさんの主張は二つでした。私の解釈を含めて言い直すと次のようになります。
- また倫理などのトピックについても、他のメディア分野における慣習、検閲などの世俗的な慣習を意識する必要はありません(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月8日 (月) 10:36 (UTC)
(1)小説や映画の販売促進のため以外に書かれる場合ならば、物語の全容がわかるようなあらすじを書いても問題ない。 (2)あらすじを「物語の全容を含まない」と考えるのは錯誤であるので無視して良い。
- まず(1)について、物語の全容がわかるようなあらすじの例としてFloe~jawikiさんは「千と千尋」の例を出したわけですが、結論から言えばそれは全く根拠になっていません。なぜなら、例で示された文章は数行程度、170文字程度の簡単なもので、物語の全容がわかるようなものではないからです。以前文化庁の見解をリンクしましたが、以下に改めて引用します。
【Q】最新のベストセラー小説のあらすじを書いて、ホームページに掲載することは、著作権者に断りなく行えますか。
【A】どの程度のあらすじかによります。ダイジェスト(要約)のようにそれを読めば作品のあらましが分かるというようなものは、著作権者の二次的著作物を創作する権利(翻案権、第27条)が働くので、要約の作成について著作権者の了解が必要です。また、作成された要約をホームページに掲載し送信する行為(複製、公衆送信)も元の作品の著作権者の二次的著作物を利用する権利(第28条)が働くので、要約の作成と同時に当該著作権者の了解を得ておく必要があります。一方、2~3行程度の極く短い内容紹介や「夭折の画家の美しくも哀しい愛の物語」などのキャッチコピー程度のものであれば、著作権が働く利用とは言えず、著作権者の了解の必要ありません。
- これを読めば、例で示された「千と千尋の神隠し」のあらすじはこの文化庁の見解の範囲内であることがわかります。決して物語の全容がわかるようなものではありません。つまりwikiでよく見られるような物語の全容が把握可能なあらすじは、著作権者の許諾を得ていない限りは、日本社会にはほぼ存在しません。ゆえにFloe~jawikiさんが示した(1)の根拠は事実誤認であり説得力がありません。(2)については改めて言う必要も無いですが、日本社会では著作権のある作品の全容がわかるような「あらすじ」は、かなり限定的な少数派なのですから、残りの圧倒的多数派を無視して良いものでは無いでしょう。また、ネットで次のような記述も見つけました村上春樹の最新作100万部超え 「ネタバレ」はどこまでセーフか?。ここには以下のような記述がありました。
「買った本を最後まで十分に楽しみたいという読者の期待は、保護される価値のあるものと言えるようにも思われます。ありうるとすれば、『不法行為』(民法709条)として違法となる可能性でしょう」
- この記事の要旨は、読者が意図せずに物語の内容を把握してしまったのであれば違法の可能性があるというものです。
- そもそも、記事の見出しは記事の内容を誤解なく認識できる言葉を用いるべきという考えは、誰もが共感して頂ける価値観だと思います。そして「あらすじ」という言葉だけでは、それが物語の全容を示す文章だということを、多くの日本人が誤解なく認識できるとは言い切ることができないという感覚も、おそらく共感頂けるでしょう。そして、ウィキペディアに記載されているあらすじは、法律的にはグレーであり、読者が誤認して読んでしまえば違法となるリスクもあります。そうであるならば、記事の見出しの言葉には「言葉として気に入る、気に入らない」程度の些細な好みの問題を優先させるよりも、読者が誤解せずに認識可能な言葉を慎重に選ぶべきではないでしょうか?--Pinejam(会話) 2016年2月9日 (火) 10:47 (UTC)
- 返信 考えをまとめていただいたのですが、ちょっと違う所があるようです。私の考えはこうです。
小説や映画の販売促進のため以外にWikipediaでは適法的範囲で書かれる場合ならば、物語の全容がわかるようなあらすじを書いても問題ない。あらすじを「物語の全容を含まない」と考えるのは錯誤であるので無視して良い。あらすじを無条件で「物語の全容を含まない」と解釈する客観的な根拠が見当たらない。百科事典と明記されていて、免責事項にもネタバレが明記されているサイトで、あらすじを「物語の全容を含まない」と解釈する根拠がない。- Pinejamさんは結末を省いたあらすじが世間に溢れていることをもって錯誤だと言い切れないと説明していますが、実際の社会全体において語義の共通認識が覆されているかもしれないと考えるのは推測であり、論拠のない状態で主張するのは難しいと思います。言葉に対するステレオタイプイメージが形成されることと、語義が形成されることは違うものです。言葉は生き物と言われますから実際にはその移行期間みたいなものもあるかもしれませんが、造語の類を避けるWikipediaにおいては特に、世間で何とも言われていないらしい現状では尚早だと思われます。
- 返信 考えをまとめていただいたのですが、ちょっと違う所があるようです。私の考えはこうです。
- Pinejamさんは「物語の全容が把握可能なあらすじ」についても書かれていますが、抽象度の高い形であれ物語の結末までの筋書きを解説できるのは、先に挙げた日本大百科全書での解説例においてもわかると思います。これじゃ足りないと言われるかもしれませんが、百科事典のあらすじは現実にこうしたものです。何をもって全容とするのかわかりませんが、(抽象度を下げてゆくという意味で)全容を解説しきるのは際限なくできませんし、あらすじの役割とも外れる気がします。というのも、Wikipediaでの解説は、物語を知ることではなく作品を知ることを主眼としているからです。
ウィキペディアにおける作品記事の目的は、物語の内容を網羅することではなく、その作品をわかりやすく解説し、それが現実社会のなかでどのように位置づけられる作品かを伝えることにあります。 【Wikipedia:あらすじの書き方】より引用 |
- ネタバレの不法行為については正直よくわかりませんし、記事を読んでも誰に請求する権利があるのかとか、どうやって因果関係を立証するのかとか、今でも刊行されている古典『ハムレット』の百科事典解説やNHKの『100分 de 名著』などはどうなるのかとか、色々疑問のある話ですが、注意書きを付ければ良いというのであれば、その役割はWikipedia:免責事項が既に負っていると思われます。免責事項に書いても有効でないことであれば、始めから書かない方が良いのでしょう。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月9日 (火) 19:13 (UTC)
- 返信 (Floe~jawikiさん宛) 私も、これまでウィキペディアでたくさんのあらすじを執筆してきましたが、今回の議論で自分なりの意見が整理されてきました。まず「Wikipediaでは適法的範囲で書かれる場合ならば、物語の全容がわかるようなあらすじを書いても問題ない」という意見ですが、文化庁の文書には「ダイジェスト(要約)のようにそれを読めば作品のあらましが分かるというようなものは、著作権者の二次的著作物を創作する権利(翻案権、第27条)が働く」とあるのでこの文章を素直に読めば「物語の全容」がわかるようなあらすじを書こうとする意図自体が、著作権法的にアウトではないかと思うようになりました。--Pinejam(会話) 2016年2月11日 (木) 13:40 (UTC)
- ネタバレの不法行為については正直よくわかりませんし、記事を読んでも誰に請求する権利があるのかとか、どうやって因果関係を立証するのかとか、今でも刊行されている古典『ハムレット』の百科事典解説やNHKの『100分 de 名著』などはどうなるのかとか、色々疑問のある話ですが、注意書きを付ければ良いというのであれば、その役割はWikipedia:免責事項が既に負っていると思われます。免責事項に書いても有効でないことであれば、始めから書かない方が良いのでしょう。--Floe~jawiki(会話) 2016年2月9日 (火) 19:13 (UTC)
報告2016/02/04 11:31(UTC)に保護自動失効--Mirinano(会話) 2016年2月4日 (木) 11:34 (UTC)
- 確認 保護の自動失効を確認。編集合戦が再発しなければ良いのだが。--Senatsuki(会話) 2016年2月4日 (木) 11:42 (UTC)
少し変な例になりますが、例えば「女性の画像」という見出しで女性のセクシーな水着画像が掲載されていたら、これは問題ありますよね。「セクシーであろうがなかろうが、女性であることには何の違いもない!」と主張する人もいるかもしれませんが、「女性」という言葉だけでは、直ちにはセクシーさを連想できないからです。そこで「女性のセクシー画像」という見出しに変えたとしても、そこに女性のヌード写真が掲載されたら、やはり問題です。なぜなら、ヌードもセクシーであることに違いはないのですが、やはり「セクシー画像」という言葉には、ヌードまで掲載されていると読者に認識させるだけの力はありません。
今回の「あらすじ」という見出しにするのか「あらすじと結末」にするのか、という議論も、これに類する議論のように思われます。「あらすじ」という言葉では、物語の結末を知りたいと願う読者にとっても、知りたくないという読者にとっても、記事に何が書かれているのかを示す力が、言葉として弱いのは明らかです。そうであるならば、より誤解の生みにくい言葉を選択するべきではないでしょうか。
百科事典ならば、なおさら言葉による誤解を慎重に避ける必要があります。誤解を生みやすい言葉を選択してまで「あらすじ」のままにすべきという理由は、どこにもありません。--Pinejam(会話) 2016年2月5日 (金) 07:54 (UTC)
- 何度も指摘されていながら未だに理解ができないようですけれど、合意形成は「相手が論破できないなら自分の勝ち」という場ではないのですよ。論破し合って片方が音を上げて決着、そんなのは合意でもなんでもないんです。互い合う意見を尊重し合い多くの方々を交えてコンセンサスを得る場なんです。あなたは相手の意見に自分が反論したら、その時点で自分の意見が最新であり、相手の意見は無に帰した、といった態度を取り続けています。それが大きな間違いなんです。論外と表現しても良いでしょう。まず合意形成の土俵に乗る事からはじめてくださいますようお願いします。--RANWAM(会話) 2016年2月5日 (金) 11:49 (UTC)
- 返信 (RANWAMさん宛) 根をあげたら勝ち、などとは全く思っていません。互いに異なる意見がある場合、合理性や公平性などの価値観を共有した上で、まずはお互いに議論を戦わせる必要があります。しかし、RANWANさんの主張は単に「少数派は黙れ」という強要でしかありません。今、論点は明確になっています。しかし、あなた方は議論を戦わせるのをひたすら避け続けるだけで、単に力による解決を望んでいます。それは議論の破壊行為です。議論の破壊行為を行い、力による解決を図ろうとするのは止めてください。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 10:44 (UTC)
- コメント 水を差すようで恐縮だが、そろそろコメント依頼あるいは投稿ブロック依頼への移行も検討したほうが良いだろう。これまでの議論を見ていたが、この節の話題が記事の編集合戦の原因となった節の見出しとから、Pinejam氏の編集姿勢及び対話姿勢に移っており、すでにこのノートでの議論は馴染まない状態になっていると考えられるからである。--Senatsuki(会話) 2016年2月5日 (金) 13:42 (UTC)
- 返信 (Senatsukiさん宛) 議論を破壊し、力による解決を図ろうとするのは止めてください。他人に提示できるような具体的な価値観や主張を持っていないならば、議論には参加せず、議論の推移を見守って下さい。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 10:44 (UTC)
- 先ずはコメント依頼からではないかと思います。今のところ、編集合戦は起きていないので暫くは様子見でいいのではと思います。Pinejamさんにおかれましては、「俺を説得してみろ。でなければダメだ」というような態度は改めないといつかブロックされてしまいますよ。というか自分がコミュニティを疲弊させつつあることを理解して頂きたいと思います。--赤羽さん(会話) 2016年2月5日 (金) 15:55 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) なぜ議論を避けるのでしょうか?議論を避け続け、回答に窮している方が、自分たちの数だけを根拠に正当性を主張するのはおかしいですよね?それは力による解決に過ぎません。もし、本当に自分たちの考えこそ正しい言えるならば、それにはしっかりとした根拠があるはずです。しかし、これまで多くの人が「あらすじと結末」に反対してきたにもかかわらず、それを示せていないのは不自然ではないですか。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 10:44 (UTC)
- おかしいも何も根拠は既に示しているのですが。というか、Pinejamさんは他の利用者のコメント見てますか?Pinejamさんのコメントを見ていますと、利用者のコメントを踏まえた上で発言してるのかどうか疑わしくなってきました。もし、この調子で議論を続けるなら本当にコメント依頼やブロック依頼の提出を検討しますよ。--赤羽さん(会話) 2016年2月7日 (日) 19:50 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) もちろん他人のコメントには、見忘れがなければ全て目を通していますよ。つまり赤羽さんは、私が回答せずに無視している発言やコメントがあると主張されているわけですよね。もし、そういったものがあればそれは私の本意ではないので、それが何かを示して頂けますか?それに回答します。--Pinejam(会話) 2016年2月9日 (火) 10:02 (UTC)
- おかしいも何も根拠は既に示しているのですが。というか、Pinejamさんは他の利用者のコメント見てますか?Pinejamさんのコメントを見ていますと、利用者のコメントを踏まえた上で発言してるのかどうか疑わしくなってきました。もし、この調子で議論を続けるなら本当にコメント依頼やブロック依頼の提出を検討しますよ。--赤羽さん(会話) 2016年2月7日 (日) 19:50 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) なぜ議論を避けるのでしょうか?議論を避け続け、回答に窮している方が、自分たちの数だけを根拠に正当性を主張するのはおかしいですよね?それは力による解決に過ぎません。もし、本当に自分たちの考えこそ正しい言えるならば、それにはしっかりとした根拠があるはずです。しかし、これまで多くの人が「あらすじと結末」に反対してきたにもかかわらず、それを示せていないのは不自然ではないですか。--Pinejam(会話) 2016年2月7日 (日) 10:44 (UTC)
- 無視というか、私のコメントに対して「ただ、初めの部分が少し理解できませんでした。「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」とは何の事ですか?補足説明をいただければ幸いです。」と返信を頂いてからコメント読んでるのかよと思ったのは事実です。--赤羽さん(会話) 2016年2月10日 (水) 00:03 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) つまり、私が回答せずに無視している発言やコメントが存在すると、赤羽さんが思っているわけではないのですね。それならばホッとしました。ただ、赤羽さんの「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」、という発言の意図が、私には未だによくわかりません。--Pinejam(会話) 2016年2月11日 (木) 13:17 (UTC)
- 「ただ、初めの部分が少し理解できませんでした。「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」とは何の事ですか?補足説明をいただければ幸いです。」にぶら下がってる私の返信見ました?先ずはそれを参照にしてもう一度私のコメントを見てみて下さい。--赤羽さん(会話) 2016年2月11日 (木) 18:53 (UTC)
- 返信 (赤羽さんさん宛) つまり、私が回答せずに無視している発言やコメントが存在すると、赤羽さんが思っているわけではないのですね。それならばホッとしました。ただ、赤羽さんの「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」、という発言の意図が、私には未だによくわかりません。--Pinejam(会話) 2016年2月11日 (木) 13:17 (UTC)
- 無視というか、私のコメントに対して「ただ、初めの部分が少し理解できませんでした。「こういう風に節分けしても良いよという事を指している」とは何の事ですか?補足説明をいただければ幸いです。」と返信を頂いてからコメント読んでるのかよと思ったのは事実です。--赤羽さん(会話) 2016年2月10日 (水) 00:03 (UTC)
Pinejam氏はここでの議論を放棄してより上位のルール化(Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方)を求める方向に行ったようなので本議論をクローズしては如何でしょうか。--126.0.234.196 2016年2月17日 (水) 12:40 (UTC)リンクを修正--Mirinano(会話) 2016年2月17日 (水) 13:03 (UTC)
終了議論がここからWikipedia‐ノート:あらすじの書き方#著作権が切れていない作品のあらすじの書き方についてへ移行したようなのでこの議論をクローズします。
この議論の結論はセクション名をあらすじとするです。--Mirinano(会話) 2016年2月21日 (日) 17:57 (UTC)
すみません。気付きませんでした。クローズして結構です。--Pinejam(会話) 2016年3月3日 (木) 12:37 (UTC)
報告 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Pinejamを提出しました。--Hisagi(会話) 2016年3月14日 (月) 14:28 (UTC)