ノート:天理教/過去ログ1
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2006年10月~2007年の投稿
[編集]2006年10月下旬から、個人的な意見と思われる内容(キリスト教との対比等)およびおふでさき等をそのまま引用した万人が見る百科事典にはなじまない内容の投稿が目立っているように思います。 個人的には10月18日の版辺りまでrevertしたほうが良いと思っているのですが、いかがでしょうか - Ebimu-man 2006年10月30日 (月) 05:37 (JST)
もどるべきですね。 10月18日の版辺りまで。 ただし、他宗教との対比については 内容にもよりますが、 百科事典にあってもいいのではないかと思います。 度を越した批判は問題ありますけれど。
同感です。筆者の個人的な意見が見られ、百科事典の記述として不適当と思います。—以上の署名の無いコメントは、221.118.5.94(会話・履歴)さんによるものです。
公の辞典の中で他の宗教との対比すること自体馬鹿げています。—以上の署名の無いコメントは、221.92.176.5(会話・履歴)さんによるものです。 -- いまいまい 2007年8月29日 (水) 02:14 (UTC)
天理教にとって都合の悪い記述だけ削除・改編する人がいます。記述の内容は中立で事実に基づいたものにするものだと思います。Ekiqlo 2007年11月2日 (金) 03:03 (UTC)
修養科についての記述の情報源は、「修養科の案内」です。費用・期間・活用内容が明記されています。ウィキペディアではその大まかな内容を記述しました。都合の悪い内容だけ削除する人がいて困っています。中立性に欠きます。天理教全てについて否定しているわけではない。悪質な信者がいることもまた事実です。-- ekiqlo
また、内部批判として、現行の教会制度など組織に対しての疑問を持つ声が、インターネット上の掲示板やブログに多い。本来天理教は上下関係のない教えであるが、実際は厳しい身分の上下関係があるため、苦しんでいる信者も多い。教会から多額のお供えなどを要求されている信者も多い。
上記のような「~も多い」「~という声もある」という、出典を明記しない否定的な記述が書き込まれ、それに対してさらに中立性を欠く立場からの再編集が繰り返されている感があります。現在主に編集をされている執筆者の方はしばらくそのほかの執筆者に任せてはどうでしょうか?ブリキ 2007年9月21日 (金) 13:46 (UTC)
この場合、該当する掲示板やブログを示せばいいということですか?また、あなたが書く中立性とはどのような状態をいうのですか?批判は一切しない、天理教のいいところだけを書くということですか?--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 01:10 (UTC)
- > 「天理教被害者」として天理教の悪いことだけを書くということですね。
- それはあなたの決めつけです。どうして、そういう結論に至ったのか理由が示されていません。理由をお書き下さい。私は、事実を書くだけです。もし、それで根拠がないなどの問題があれば、指摘に従って根拠を示しています。また間違いだと分かれば修正しています。私からすれば、非信者の編集を防ぎたいという意図が見え隠れしています。このようなことを書かれたら、あなたは気分を害するのではないですか?私も同じことですよ。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 02:15 (UTC)
- 方針文書、さしあたりWikipedia:ウィキペディアは何でないか、Wikipedia:検証可能性を熟読されていれば、公知でない「事実」の扱い方もわかるはずで、いまのekiqloさんの話は出てこないはずです。ekiqloさんはリンク先の方針にかなりの項目で反しています(そのため、投稿ブロック依頼が出されています)。このノートでも文頭の方針に従って議論をしていますので、方針を熟読したうえで議論すれば結果も変わると思います。--サボテン屋2 2007年11月11日 (日) 04:36 (UTC)
基本的には、良い面と悪い面の両方を書くように勤めていますが、別の投稿者が悪い面だけを削除しています。これはよくないことです。その為、結果として否定的なことを再編集したように見えたのだと思います。「~も多い」「~という声もある」と言う表現については、改めます。過度に批判的になっていないかについては、検討します。また、出典に関しては出来るだけ、()をつけて記述しております。不明な点に関してはご指摘いただければと思います。実際に苦しんでいる人がいるのはじじつです。しかし、事実であっても、批判はしてはならない場であると言うことは理解しました。今後、気をつけます。ご指摘ありがとうございました。また何か足りない点がありましたら、ご指導よろしくお願いします。Ekiqlo 2007年11月2日 (金) 03:51 (UTC)
↑ekiqloさんの記述されてる批判・被害についての記述ですが、 最近複数の掲示板にマルチポストされている「被害者による告発文」と内容がほぼ同一ですね。まさか被害者ご本人が編集されているなんて事はないと思いますが…。—以上の署名の無いコメントは、202.225.42.198(会話・履歴)さんによるものです。 -- いまいまい 2007年10月14日 (日) 06:05 (UTC)
現在の状況と、今後の編集方針について
[編集]マルチポストに関しては私も気になっていた(というかマルチポストに腹を立てて、検索してみたらWikipediaでも問題になっていた事を知った)のですが、まぁその件に関してはこの場で議論しても仕方ないでしょう。Wikipediaで扱うべき範囲を超えている様ですし。とにかく、現状ではekiqloさん及び、他の編集者との間で編集と削除が繰り返されていています。もし今後もこのような状態が続くようであれば、いったん記事の保護を申請する必要もあると私は考えています。そこで提案なのですが、編集合戦を避けるためにも、ひとまずは本文の編集は控えていただいて、ある程度の合意形成がなされるまではこちらのノートページあたりで今後の編集についての意見調整をを行っていただけないでしょうか?もし保護がかかってしまうと容易に解除はされませんし、申請しないで済むならそれに越した事はありませんので。
ここに書いていた私のコメントを消したのはどうしてですか?理由を教えてください。やはり都合の悪いことは隠蔽するのでしょうか? 個人の感情で批判することはよくありません。控えてください。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:24 (UTC)
- 無断で相手のコメントを削除するのは感心しません。やめてください。--くど 2008年7月3日 (木) 05:54 (UTC)
あと上コメントのお二方、ノートページでは署名をお願いしますね。錆付き人 2007年9月30日 (日) 12:22 (UTC)
了解しました。私の立場としては、天理教の良い点も悪い点もどちらも書くべきだと考えています。批判ばかり書くべきだとは思っていません。しかし、悪い点だけ削除するのもおかしいと考えています。ところで、合意形成など、今後の編集をどのようにやっていけばよろしいのでしょうか?Ekiqlo 2007年10月2日 (火) 13:57 (UTC)
提案です。教義としての天理教と、組織としての天理教のおぢばに本部を置く宗教法人「包括法人天理教」と分けて記述するのはどうでしょうか?天理教の教え自体には、カルト性はありません。また、教義に関する記述が若干少ないように思います。一方で、被害を起こしているのは、後者です。また、天理教の宗教法人は後者だけではありません。他にも、天理教を信仰する宗教法人や団体があります。その規模は、包括法人天理教からみて無視できないものです(全てを合わせると、包括法人天理教に匹敵します)。さらに、天理教組織から脱会し、個人で信仰をされている人もいます。このあたりを整理して、記述を見直してみてはどうかと思います。このままでは、天理教の教え自体に問題があると誤解されかねません。それを避けるべきだと思いますが如何でしょうか?Ekiqlo 2007年10月3日 (水) 04:36 (UTC)
- まずは、宗教法人天理教・宗教法人包括法人天理教が天理教の元祖・主流で、他の天理教を信仰する団体を異端とする思い込みを取り除くことが必要です。得てして、自分たちが天理教の正しい継承者だと思い込んでいます。しかしながら、宗教法人天理京などは、教祖の教えにない教えを作ったり、教祖の教えと正反対のことを解いていたりしています。寧ろ、宗教法人天理教等が異端であるとも言えます。信者数も他の団体とさほど変わりません。--くど 2008年7月3日 (木) 05:54 (UTC)
項目分割の提案には反対します。天理教内の特定の法人をわざわざ分割して記述するほどの意義と特殊性が認められません。
また、Ekiqloさんの「天理教の良い点も悪い点も」「天理教の教え自体にはカルト性はありません」「天理教の教え自体に問題があると誤解されかねません」などの発言を見るに、執筆者の側で既に天理教に対する価値判断がなされているように思われます。wikipediaは良い悪いや功罪を論じる場ではありません。書き込みからは個人的な思い入れが感じられるのですが、もしEkiqloさんが天理教関係者かそれによって被害を受けた方なのであれば、執筆にあたって特別な配慮が必要であり、場合によっては控えるべきです。ブリキ 2007年10月3日 (水) 08:11 (UTC)
- 他の方の意見はどうですか?--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 01:13 (UTC)
- この提案については他の人の意見も出してもらって決めましょう。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:32 (UTC)
- 互いに編集した文章に個人の主観が入っていないか監視するしかないでしょう。注意していても自分では分からないものです。--くど 2008年7月3日 (木) 06:13 (UTC)
天理教を信仰している団体は、宗教法人天理教だけではありません。既存の天理教組織の腐敗に決別するため、新たな宗教団体を作って活動しています。その宗教団体も「天理教」と名乗っています。宗教法人天理教は「天理教」の名称使用を差し止めるため民事裁判を起こしましたが、敗訴しました。つまり、天理教の教えに沿って宗教活動している団体は全て「天理教」と名乗ることが認められたのです。そして、批判されている宗教法人天理教とは異なり、正しく天理教の教えに沿って活動されています。このあたりを分けて記述しないと、読者に誤解されてしまいます。また、正確な記述が出来ません。宗教法人天理教以外の団体も「天理教」であり、彼等まで犯罪行為を犯していると誤解されてしまいます。 ブリキさんは、天理教は一つの団体だと思われているのでしょう。実際は違います。 ブリキさん以外の方の意見もお聞かせ願いたいです。Ekiqlo 2007年10月18日 (木) 12:04 (UTC)
- 天理教の定義としては、中山みきの教えを信仰しているものとするのがいいでしょう。そして、その教えを中心に記述すればいいでしょう。宗教法人天理教が天理教の元祖であり主流であると誤解している人がいますが、これは中立性に欠きよく無いと思います。自分が「宗教法人天理教」以外の団体の視点から見て、この項がどう見えるのかをみれば、分かることだと思います。--くど 2008年7月3日 (木) 06:13 (UTC)
全体的に、修正が加えられたようですね。偏りがなく概ねいい修正だと思います。ところで、海外でのカルトの指定ですが、フランス、アメリカでは指定されていないというのはどこからの情報なのでしょうか?教えていただければと思います。Ekiqlo 2007年10月18日 (木) 13:29 (UTC)
フランスのセクト指定について、再度確認したところ、天理教は指定されていませんでした。訂正します。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 01:16 (UTC)
- 訂正と書くのは簡単ですが、それでは根拠なくセクト指定云々と書いたのはなぜなのか。天理市の寄附金等々でも同じ指摘をしましたが、結果としての誤記述ならばやむを得ないでしょう。しかし、私から見てEkiqlo氏の書き方は、「まず、自分の解釈を書く(根拠はないか、あっても薄弱)」→「他の編集者から誤りの指摘(根拠付き)」→「反論できなくて訂正」というのが定着していますよね。根拠たり得る資料を基に書くという習慣をつけてください。--Doracha 2007年11月11日 (日) 01:39 (UTC)
- それはあなたの思いこみです。
- 他の記述も根拠が示されていないものがあります。それについてはどう思われますか?例えば、天理教信者の数です。未だかつて、正確に把握できていないのです。近代史の本に書かれていると意見された方がいましたが、その本の名前、著者、出版社、ページ、出版年を呈示してください。
- 間違いは誰にでもあります。あなたはそれすらも許さないのですか?--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 02:20 (UTC)
コメントがない、情報源を示せないということは、あなたは根拠がないことを書いていると理解します。人のことを批判する前に、まず自らが模範を示しましょう。これで天理教にとって都合の悪いことを隠蔽していたということが分かりました。--Ekiqlo 2007年11月14日 (水) 01:20 (UTC)
ブリキさんは、天理教信者ですか?天理教信者は当然、問題点を隠す傾向にあります。そこで、信者以外の方の記述が必要だと思います。これによって公平性が保たれると思います。他のサイトでの天理教批判と、ヴィキペディアでの記述とを混同されていませんか?天理教信者の記述も、出典が明記されていないものや、明らかに間違っている記述があります。一例を挙げますと、天理教信者が日本の人口の10%を占めた時期があると記述にありました。その根拠は何ですか?「様々な文献によると」とありますが、具体的にどの文献ですか?この記述については、信憑性に欠ける者なので、削除しました。
あと、天理教にとって都合の悪い内容だけが削除されているように思われます。中の人によって、削除編集されたものと思われます。これは公平な記述からかけ離れたものです。
また、ノートで合意形成がなされてから編集するとあったのに、それがないまま編集が行われているのはいかがなものかと思います。このページは天理教信者に都合の良いように使うものではありません。
Ekiqlo 2007年10月19日 (金) 03:04 (UTC)
私の個人的な意見なら仰るとおりですが、組織に対する批判や疑問は、天理教信者の多くも気づいていることです。これは、天理教信者がいいことしか書かれたくないという意図が見え隠れしています。残念ながら、現在の組織を正確に記述すれば、こうなってしまうのです。隠し通すことより、自らの行いを直すことを考えてみませんか?ただ、目障りな私の投稿をやめさせたい、追い出したいという悪意があります。これは、新宗教の信者によく見られる排他的行為です。もし、編集を止めたいのであれば、公平性の下で、信者からの投稿を一時止めてはどうでしょうか?もちろん私も編集を一時見合わせます。これならばあなたの仰るとおり公平ではありませんか?信者側の方はかっかしすぎているように感じます。冷却期間をおくために「保護」を考える必要があると思います。Ekiqlo 2007年10月31日 (水) 03:31 (UTC)
ノートで意見調整をした上で、編集を行うというのはどうなったのでしょうか。実際は、調整がないまま、編集が行われています。錆付き人さんの提案が無視されています。このような状態なので、錆付き人さんの提案を編集した人は無視・破棄したものと考えています。よって、私も編集を再開しています。 もう一度、錆付き人さんの提案に則るということになれば、編集を休止し、ノートで合意が得られたものについてのみ編集したいと思います。--Ekiqlo 2007年11月3日 (土) 03:20 (UTC)
今後の編集方針については、この欄が輻輳していますので下に別節を建てました。 そこで議論を続けたいと思いますが、現在の編集履歴を見ると、Ekiqloさんがもっぱら書き込み、他の方が修正ないし削除するという構図になっています。ノートで議論して合意形成を取るという提案に反して書き込んでいるのは、Ekiqloさんのほうです。そして、書き込み内容には根拠がないか、根拠が薄弱で検証可能性に乏しいことを私を含めて多くの人が指摘しています。Ekiqloさんには、まずコメント依頼において御意見をお聞かせいただき、本文及びノートの編集は、当面お控えいただきたいと強く希望します。--Doracha 2007年11月6日 (火) 15:58 (UTC)
> 他の方が修正ないし削除するという構図になっています。
こちらの方が先に行われました。提案を無視したのは、彼等です。なので、この合意は保護になったと判断して私は編集を再開しました。私は、ノートでの合意形成をとるという提案に賛成です。しかし現実には、それが無視されて、編集が行われていました。もう一度、ノートでの合意形成の後、編集を行うということをすべての人が遵守できるのであれば、それに従います。合意形成に至るまでは、誰も編集を行わないフェアな条件で行うことです。私の編集を一方的に停止しろというのは、飲めません。天理教側にとって、都合の悪い人間を排除するためという悪意が見えます。もちろん全ての人がそうではありません。記事の根拠についても、確認できるまでは非表示にするようにしています。但し、私の編集部分以外でも、信頼できない内容がありますので、そちらには「要出典」を求めました。特に、天理教信者数についての記述が杜撰です。日本の人口の10分の1が天理教信者だったという記述は明らかに間違いです。重複カウントした数字を元にしているものもあり、とても信頼におけません。これでは、読み手にとって正しいデータが得られないでしょう。これらの記述を書いた人も、信頼できる値のみを書いてください。得られないのであれば、記述を削除するべきだと思います。--Ekiqlo 2007年11月6日 (火) 20:52 (UTC)
Ekiqloさん、自説を主張する前に私の疑問点にお答えください。すなわち、なぜ「天理市からの寄附金を受け取っていない」と書かれたのか、誤りなら誤りでいいですが、何を根拠に書かれたのか。お答えにならないのは、意図的に天理市と天理教を誹謗する意思を持ってWikipediaを編集しようとしていたとみなされても文句は言えません。ここはあなたのブログや掲示板ではないので、コミュニティの合意に従えないなら投稿を御遠慮ください。こういうことを繰り返すと、投稿ブロックを申し立てることを考えざるを得ません。--Doracha 2007年11月6日 (火) 21:47 (UTC)
- では、何故あなたは、私が意図的に批判されると考えているのですか?それはあなたの思いこみに過ぎません。その根拠を示してください。あなたが、根拠を示せというならまず、あなたが根拠を示されては如何でしょうか?感情を表に出すことはよくありません。--Ekiqlo 2007年11月10日 (土) 15:22 (UTC)
利用者:Ekiqloさんによる「信頼できる値のみを書いてください。得られないのであれば、記述を削除するべきだと思います。」とのご発言に従って、伝聞や個人的体験や引用元不明の記述は削除しました。真実を明らかにしたい、正しい知識を広めたいという利用者:Ekiqloさんの熱意と信条はこれまでお書きになったことから充分にこちらに伝わっています。ですが、問題とされているのはそのような信条に関する事柄ではなく、単に書式・Wikipedia全体においてこれまで合意によって形成されてきたルールの問題です。
要出典のタグをつければ何を書いてもよいわけではありません。利用者:Ekiqloさんは編集にWikipediaの方針に反するものがあっても指摘に応じず、「インターネット上の掲示板やブログにある。」「~という信者もいる」など単なる伝聞が多い上に根拠を示す姿勢も見られないので、利用者:Dorachaさんの言う投降ブロック申し立てについてはおおいに考えられることだと思います。「当事者であるならば特に慎重に執筆するかあるいは編集を控えるべき」というガイドラインも無視しつづけています(たしか会社から天理教修養科に行くよう命令された被害者」の方ですよね)。また、書誌情報の書き方について最低限の知識もお持ちでないようです。盛んに「合意を形成」とおっしゃっていますが、Wikipediaにはすでにコミュニティの合意によって形成された共通の方針・ルールがあり、執筆者たちにはそれに反する編集に対して合意を形成する義務はありません。出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです。定評のある情報源がない場合、その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではありません。 Wikipedia:検証可能性より
ブリキ 2007年11月6日 (火) 23:18 (UTC)
- では、私もそれに従います。信頼性のない記述は削除しました。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 02:24 (UTC)
- 災害救援をはじめ、信頼性のある記事もこっそり消しておられるようですし、戻しました。サボテン屋2 2007年11月11日 (日) 04:04 (UTC)
- では、その情報源を示してください。示せないのなら削除します。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:57 (UTC)
- 災害救援をはじめ、信頼性のある記事もこっそり消しておられるようですし、戻しました。サボテン屋2 2007年11月11日 (日) 04:04 (UTC)
再び情報源に関するガイドラインの無視が見られましたので利用者:EkiqloさんについてWikipedia:管理者伝言板#方針文書の要熟読に投稿ブロック依頼を提出しました。ブリキ 2007年11月7日 (水) 09:38 (UTC)
コメント依頼の時点で改善を期待したのですが、相変わらずの編集に加え、議論が成り立たないのでは、投稿ブロックは止むをえません。--サボテン屋 2007年11月7日 (水) 11:15 (UTC)
一方的な攻撃で、とても公平性が保たれているとは思えません。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:57 (UTC)
Wikipedia:自分自身の記事をつくらないより
あなたが個人的に関わっていることがらについて記事を書くときには、あなたは、いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません。このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがらについての記事について適用されます。
具体的にどういった記事がそれにあたるのですか?示してください。--Ekiqlo 2007年11月7日 (水) 13:05 (UTC)
また途中にコメントがはさまれているので、とりあえず下に移動しました…。 サボテン屋 2007年11月7日 (水) 13:25 (UTC)
ここではもう、Ekiqloさんにお返事はしません。コメント依頼で御質問ください。--Doracha 2007年11月7日 (水) 14:18 (UTC)
しなくて結構です。あなたは批判するだけで、あなた自身がそれを守られていません。人の批判をする前に、まずあなたが模範を示してください。それが出来てないことを残念に思いました。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:57 (UTC)
明らかに間違っている記述?&信憑性に欠ける?・・・これって僕のことですよね・・・。天理教は明治中期より昭和30年頃まで、近代日本における最大の新宗教教団だったんですよ。「幕末で既に100万人以上の勢力を持っていたが、中教院が布教を禁止したのを始まりとし、警察の弾圧が続き、教祖中山みきが没した時点で3万人程まで縮小していた。しかし明治20年代の反動期に大発展をし没後10年で勢力を戻し、中央新聞等の批判キャンペーンの中でも拡大し、昭和3年には教会数が1万を越え、明治末に信者数は400万超といわれ、日本の人口の1割を占めるようになる」。っていうのは、近代史の本を読めば出てきます。また学生論文等もnetに流れています。ご自分の記載内容は棚に上げて、他の批判ですか?参りますね。ダブルカウント??バカにしないでください。--Hogarakagumi 2007年11月8日 (木) 12:06 (UTC)
- 感情的にならないで下さい。人口の10%と占めていたという、もの凄い妄想です。天理教内部の水増しした信者数を示されているのでしょう。あなたが主張する根拠をしめしてください。具体的に信者数の動向について、信頼できる文献を示してください。あなたの主張はただの妄想で、根拠がありません。Wikipediaには天理教は、「信者」という概念がなく、よって具体的な信者数を把握していない。とあります。つまり最近まで信者の数が把握されていなかったのです。私を批判する前に、あなたが範を示して見せてください。学術論文があるなら、どこに載っているのか文献を示してください。そのように記載されている「近代史の本」の名前、著者、出版社、年、何ページかを示してください。
最近の信者の数も、100周年記念、120周年記念行事の参加数から割り出したものです。よって、参考値に過ぎません。また、会場へ再入場した人も一人と数えているため、ダブルカウントが行われていると聞きました。参考文献は示せませんけどね。また、天理教発表の数字は、水増しされたものばかりです。 正確な記録がないのですから、Wikipediaに書くにはふさわしくないでしょう。寧ろ、信者という概念がないというところこそ、天理教のよい点、あり方を示しているところだと思います。 また、この水増しされた信者数について、天理教信者以外の意見も頂きたいです。--Ekiqlo 2007年11月10日 (土) 14:43 (UTC)
- 最近の信者数については、[1](再編加工された二次統計であることに注意。)でも御覧いただければわかると思いますが、文化庁の宗教統計調査で把握されています。もっとも、これとても宗教法人側が調査票に記入するわけで、宗教法人側が信者数として認識している数値には変わりありません。「水増し」というが、個々の人間に信仰している宗教を申告させるようなことをしない限り(もちろん、それをやれば憲法違反ですよ。)、ある程度は「主催者発表」であることを認識しつつ宗教法人側発表にそって議論するのはやむを得ないですよね。Ekiqlo氏は、宗教法人の情勢を見るときに信者数という比較指標は必要ないという考え方なのでしょうか。それとも単に、天理教の発表数が気にくわないと言うことなのでしょうか。--Doracha 2007年11月11日 (日) 01:54 (UTC)
- 正しい信者数でないのなら、誤解を招きます。Wikipediaには掲載すべきではないです。私に批判が当たっているのもこのことでしょう。私に根拠を示せというなら、あなたも根拠のある記事を書いてください。 - 根拠のないことを記載してはいけないと、ノートで注意を受けました。ですから、あなたもそれに従ってください。私の記事だけが排除されるのは、間違いです。全ての記述について、信頼できるソースが必要であり、それ以外の記述については削除するべきというのがここのやり方ではないのですか?- また、二次文献は、ご自身も指摘されているとおり、加工され、独自に解釈されたものであり、根拠になりません。イミダスなどの本は、根拠にならないと、ノートでも指摘されました。一次文献の掲示をお願いします。それがないものについては、掲載を見合わせるべきでしょう。私自身注意されたことから、この方針を守るべきだと思います。- 後、個人の感情は関係ありませんので、ノーコメントということで(特定の投稿者が気にくわないとか、天理教が気にくわないとかということ)。
- イミダスの件は、転載だったから削除されたんですよね。それから、「再編加工された二次統計」は「二次文献」ではありませんから念のために指摘しておきます。--Doracha 2007年11月11日 (日) 12:42 (UTC)
- Dorachaさんの書き方では、まるっきり転載したと誤解されます。引用であって転載ではありません。それと「統計」と「文献」を混同しておられるようです。引用の中に統計は含まれていません。人を批判する前に、それにふさわしい返事が出来るように勉強することをお勧めします。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 01:57 (UTC)
ekiqloさんに削除されました天理興業株式会社へのリンクを復活させてください。 根拠・裏づけに基づいてリンクをつけておりますので。
- あいかわらずコメント位置を気にせず書き込みする人を異動しました。 サボテン屋2 2007年11月10日 (土) 16:36 (UTC)
批判・被害について
[編集]一旦削除されていた批判・被害の項目が復活していますね。他の宗教団体例えば創価学会などはホームページで見る限り膨大な批判・被害があり裁判事例も多いのに、フリー百科事典には載っていない。特別に天理教に対してイメージダウンさせるための意識が働いているように思います。 天理教を信仰する人は「反対するのも可愛いわが子」「世界中みな一列はきょうだいや他人というはさらにないぞや」「むごい心をうちわすれ 優しき心になりてこい」などの教義から、反論することも、攻撃することも遠慮する傾向にあります。特に批判被害については一方的な観点、個人的な思い込みから述べられているように思います。 百科事典ならば良識ある記述を望みます。k.suzuki@nita.ne.jp
それはあなたの被害妄想です。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 04:21 (UTC)
天理教信者の方でしょうか?問題があるのは天理教の教えではなくて、天理教の組織の方です。しかも事実です。イメージダウンをさせているのは具体的にどの点でしょうか?また、天理教と天理教組織を分けて考えた方が良いと私は提案しています。天理教の教えは、あなたの書かれているとおりです。しかし、それで組織の実態とをすり替える天理教信者の常套手段を使うのはどうかと思います。また、ここで信者・非信者とも、編集を一時中止し、ノートで議論した上で編集を行うとありましたが、これが守られていません。ひとをひはんするまえに、まず信者側もルールを守りましょう。如何でしょうか?信者側の意見をお聞かせ下さい。Ekiqlo 2007年10月20日 (土) 15:01 (UTC)
Ekiqloさん、わざわざご自分のご紹介記事に「被害者」とかかれてますね。ブログとかマルチポストされている内容と同じですしやっぱりご本人ですかね。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらないより
あなたが個人的に関わっていることがらについて記事を書くときには、あなたは、いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません。このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがらについての記事について適用されます。
↑を再度お読みになられた上で、「Wikipediaは何でないか」「Wikipedia:検証可能性」を熟読されて、Wikipediaの趣旨に沿った記述をしていただければと思います。
少なくとも、個人の経験・ブログ・掲示板の記述は出典元としては不適切とされています。あと、批判と肯定を同量書けば中立になるわけではありません。(なお、あなたの批判や被害をどうこう言っているのではなく、Wikipediaに書く内容としては不適切であるといっているだけです。)
この後も、編集合戦の様相を呈しているようでしたら、バージョンを戻した上で編集保護にしても差し支えないと思います。その他の記事としては書きつくされた感じだったと思いますし。
しばらく見ていて気になったので意見させていただきました。 ノートを御覧になられている他の皆様はどう感じられましたでしょうか。
サボテン屋 2007年10月22日 (月) 13:58 (UTC)
批判と肯定を同量書けば中立になるわけではないという趣旨は理解しました。あくまで根拠のある事象を記述することあると認識しました。お互い、熱くなってきているので冷却期間をおくためにも、編集保護をしてもいいと思います。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 04:21 (UTC)
河川上の建築物について
[編集]私も現地を見ましたが、河川法の「河川立体区域として利用」されているように思います。建物と同時に河川改修も行われており、遊水地や河川管理道路も十分確保されており、旧建設省と協議の上、施工された様子がよく分かります。 百科事典により多くの人に誤解を与えることになる場合もあり、より慎重な対応を望みます。k.s
なぜ、あなたは角が立つような書き方で批判されるのですか?間違いがあるならその指摘だけをすればいいと思います。天理教の信者が腹を立ててこういう書き方をしていると私には取れます。あなたは、建築に詳しい方なのでしょう。しかし、原則として、川に建築物を建ててはいけないとなっています。「より慎重な対応を望みます。」という言葉は必要ありません。例外として、こういう理由で認められているのですと書けばいいだけです。天理教信者の方だと思いますが、「私=悪」と思いこまないで記述しては如何でしょうか。天理教信者の悪意が見えます。 ところで、わざわざ河川上に建物建てる必要性はあるのでしょうか?あなたはおそらく天理教信者ですし、詳しいことを知ってらっしゃるようですから、出来ればご教授願いたいと思います。あなたの記述だけでは、納得した答えが得られていないように思います。本当に建設省に許可をもらったのかも怪しいです。河川改修も、河川に於いて必要があれば、建物と関係なく行われるものです。遊水池や河川管理道路も建物とは関係ありません。論点としては、天理教が、正規に建設省などから許可をもらって建設したのかどうかです。その証拠があれば、この記述を消すことが出来ます。 しかし、原則、河川上に建物を建設できないのですから、私が記述したようにとられても仕方がありません。実際あの橋のために美しい山辺の風景が破壊されています。それを批判していることも多いことも付け加えておきます。Ekiqlo 2007年10月25日 (木) 09:41 (UTC)
建築基準法違反であるという記述をするのなら、違反である旨の摘発・訴訟の有無・無許可である事実の立証をしてから書くべきです。 サボテン屋 2007年10月27日 (土) 00:30 (UTC)
河川の上に建物を建てることは、原則禁止されています。天理教が特別に許可されたと確認できれば、記述を消去します。Ekiqlo 2007年10月30日 (火) 09:55 (UTC)
- wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にというルールがあります。Ekiqloさんの主張は「原則」でしょう。違法建築であるという論争・訴訟が公知でなく、何らかの手続きを経ることになる建物が現在建っている以上、建築申請・確認・許可行為があったと判断できるでしょう。逆に、訴訟や論争の所在が明確であれば、違法である根拠たりえるのですが。
とにかく、方針を理解していない記述・発言が多すぎです。何度も言ってますが、記述するのであれば、まず方針文書を熟読してください。当方としてはwikipedia:検証可能性等の方針に則らない出典の要求や議論に対応する意思はありませんし、これらの行為が続くのであれば投稿ブロック依頼を申請します。
- 原則と書いたのは既に述べましたが、例外があるからです。しかしそれは駅などの公共性の高い建物です。それらを除く建物は、禁止されています。建築基準法などが根拠となります。ですので、根拠を、「建築基準法、河川上に建築物を建ててはならない」とし、掲載します。また投稿ブロックの濫用は、遺憾に思います。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 02:15 (UTC)
河川立体区域の追加
[編集]当該河川は、幅数メートルで市街地を流れており、上流部に遊水区域を設けることによって土石流を貯留し、下流市街地を洪水の危険から守るという大きなメリットがあります。k.s
それで、建物を河川上に建てていいことの根拠にはなりません。--Ekiqlo 2007年11月7日 (水) 07:43 (UTC)
建築法違反と言った根拠を先にお示しください。それ以前にあなたの投稿に関するコメント依頼にある質問事項にコメントをしてください。 サボテン屋 2007年11月7日 (水) 10:50 (UTC)
河川の上に建築物を建てることは禁止されています(建築基準法)。阪神武庫川駅、阪急芦屋川駅など河川に建築物が建てられている例がありますが、これは特別に許可を得たものです。天理教が特別に監督官庁から許可を得たのなら、それを示してください。それを示していただければ削除します。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 04:44 (UTC)
建築基準法の何条で禁止されているのですか? 阪神武庫川駅、阪急芦屋川駅が「特別」に許可を得たのならそれを示してください。 他の方へ 本件は単純に民法上の「所有権」の問題。又は河川法(河川法の適用河川か知りませんが) における「土地の不法占拠、不法建築」に該当するとの指摘ですが、公益法人(宗教含) や鉄道事業者等は、占有許可を受けることが出来ます。記載には十分ご注意ください。
>市の名前を変えるため、天理市民で構成された市民団体が活動を開始したと記載された 方へ この手の記述には、最低限「申入書」が市に提出された事実が必要と思います。その事実はありませんので削除してください。--Veri3q 2007年11月13日 (火) 07:27 (UTC)
Veri3qさん。削除にあたって根拠となるWikipediaのきそくは何ですか。それはあなたの意見でしかなく、削除する理由にはなりません。ですので、記載します。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 02:30 (UTC)
三島神社について
[編集]一般的な事例として、私の町と隣町の境に国直轄のダムが建設中です。神社が3件移転対象となり、一件は上部神社に合祀、2件は付近に移転建築になりました。いずれも登記簿上の権利者との合意により移転されました。神社の移転はダム建設のほか道路工事などにより各地で行われており異常なことではないと思います。また、基本的に登記簿上の権利者の同意が無ければ移転登記は不可能と思われます。三島神社の場合、近くに立派な神社が建立されております。登記簿上の権利者との移転補償が合意されてのことと思いますが、異論が出ているのは、登記簿上の権利者以外の方からではないかと推察しますが、難しい問題です。k.s 河川法「河川立体区域」の遊水池用地には幅30~50mの用地が潰れております。そうした遊水池を設けることにより、下流市街地住民の生命財産が守られることになります。遊水地付近は正門前の貴重な土地であったことを知ることも大事ではないでしょうか。k.s (数字は思い出しての感覚の数字です)
それで、三島神社を強制して移転させていないという理由にはなりません。「移転補償が合意されてのことと思いますが」と推定で書かれており、k.sさんのコメントは意味がありません。--Ekiqlo 2007年11月11日 (日) 04:58 (UTC) また、遊水池用地の話とこの件についてどのような関係があるのですか?
立体利用について
[編集]Ekiqloさんへ:推定の話をもとに「より慎重に・・」は良くなかったですね。あやまります。疑問に思い河川法を見たら58条に「河川管理施設が…建物その他の工作物内に設けられたもの…第6条の規定にかかわらず立体的な区域として指定することが出来る。」とあり、河川を地下施設とした場合も上部空間に建物を設けるなど立体的に利用できるのではないかと考えてのことです。もちろん河川管理者の同意が必要となっております。 実際に被害に遭われた方があれば真摯に受け止めなければなりませんし、誤解によるもの含め心を尽くす必要もあります。今後ともよろしくご指導願います。k.s
河川を地下施設とした場合は、原則禁止ですが、河川管理者の許可があれば上部空間に建物が建てられると言うことですね。実際に、河川上に建築物が建っていることがあります。しかし、それらは駅(阪神武庫川駅、阪急芦屋川駅)など私有ではあるけれども、公共性の高い建築物です。また、これらの駅は、河川上に建築物を建ててはならないという法律が出来る前からあったものです。 焦点は、天理教が、許可をとって河川上に建物を建てているかどうか、または、禁止される前に建築されたものかですね。それが確認できれば、記述を削除します。河川法について調べてくださいましてありがとうございました。Ekiqlo 2007年10月29日 (月) 02:36 (UTC)
天理市への寄附金について
[編集]天理市のノートページに記載しましたが、「寄附金を受け取っていない」とある部分について、天理市議会で議決されている予算の歳入には寄附金を含めて提案されています(天理市議会会議録による)。実効予算ベースで受け取っているか否かはわかりませんが、念のため指摘だけさせていただきます。Doracha 2007年10月28日 (日) 15:46 (UTC)
上記について、天理市広報11月1日号で掲載された平成18年度決算(議会認定済み)に歳入として寄附金約13億5,000万円が計上されております。改めて指摘させていただきます。Doracha 2007年10月29日 (月) 11:51 (UTC)
ありがとうございました。記述を修正します。Ekiqlo 2007年10月30日 (火) 10:05 (UTC)
修正されるということですので、天理市のほうも修正する必要があります。ただし、地方公共団体会計の歳入に関する記述であり、いかなる根拠で「受け取っていない」と書かれたのかが重要であると考えます。天理市という地方公共団体の首長及び議会の公表と異なる根拠がWikipediaの外にあるとすれば、気になるところです。 天理市の記事についてはそちらで書かれた方に対応願うとして、こちらの記事でEkiqloさんが「受け取っていない」とされたのは、何かニュースソースがあったのでしょうか。今後のために御教示願います。Doracha 2007年10月30日 (火) 15:16 (UTC)
Ekiqloさんは、この部分についてニュースソースを示していただけないんでしょうか?Doracha 2007年10月31日 (水) 12:43 (UTC)
もともと、私は天理教から天理市へ寄付が行われていたと書いたのです。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 02:49 (UTC)
- 論点をずらすのは感心できません。[2]のとおり、あなたが「受け取っていない」と書いていることの根拠を聞いているのです。地方公共団体の会計について議会の議決・認定(ここでは、寄附金を受け取っていること)と異なることを書き込まれたので、くどくても確認しているのです。--Doracha 2007年11月16日 (金) 14:49 (UTC)
記述が非信者に分かりにくい点について
[編集]宗教用語が多く、その解説も不十分なため、非信者がこれを読んでも、理解することは難しいです。わたしは、出来るだけわかりやすく記述するようにしていますが、閲覧者に非信者の方がいることを念頭に置いて記述することを心がけてはどうでしょうか? Ekiqlo 2007年10月29日 (月) 02:15 (UTC)
自分自身の記事をつくらない
[編集]信者・または利用者:Ekiqloさんのような事件当事者の方が編集するのは控えてください。Wikipediaは教義を広める場所でもなければ、教団を告発する場でもありません。善悪の判断をする場でもありません。このノートも布教の場ではありません。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらないより
あなたが個人的に関わっていることがらについて記事を書くときには、あなたは、いつも以上に注意を払い、あるいはそれを控えなければなりません。このルールは、あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがらについての記事について適用されます。
また、利用者:Ekiqloによるimidasからの転載があったので該当部分を削除しました。Wikipediaにおける引用についてはGFDLというライセンスが関わってくるので特に慎重に扱わねばなりません。以下に暫定的なガイドラインがあるのでそれを読み、引用にあたっては十分に気をつけてください。
どうして、私の名前だけには敬称をつけないのですか?意見を異にしていますが、人のことを批判し、ガイドラインをいう前に、どうかマナーくらいは守ってください。--Ekiqlo 2007年11月3日 (土) 13:48 (UTC)
Wikipedia:自分自身の記事をつくらないは理解しましたが、投稿を控える理由にはなりません。その理由を明示してください。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 02:58 (UTC)
Wikipedia:引用のガイドライン ==引用の条件==
ウィキペディアの記事においては、いかなる著作物も、その著作物を引用しないで記事を書いたときに記事の意味が通らなくなる場合に限り、引用して利用することができます。
また、引用は、記事本文の記述に対しての補助的な利用に限り、引用が記事中で質的に主体となる位置を占めてはなりません。引用部分が記述の中心的事項となる場合や、引用に対する解説文を必要としない場合の引用は、Wikipedia では正当な引用とは認められず、著作権を侵害していると判断されます。
Wikipediaは誰でも編集できる百科事典ですが、WikipediaおよびGFDLのルールを守れない利用者が携わることはできません。記事の内容についての議論をする前に、Wikipediaのルールを守って参加してください。 ブリキ 2007年10月29日 (月) 05:34 (UTC)
> また、民家の中に入り、その家の人達のために、囃し立てたり、踊ったりする。 > これは天理教信者以外の家にまで入って行われる。
実際に見ました。Ekiqlo 2007年11月2日 (金) 02:24 (UTC)
Wikipedia:検証可能性
もしもその新聞があなたの話を載せてくれたならば、ようやくその情報をウィキペディアの記事に書き込んで、その新聞を情報源として示すことができます。
分かり易く言えば、検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報を記載する事により、読者が検証可能にすることです。編集者が独自に検証できるからといってそれは検証可能な事にはなりません。
明らかに検証可能性に欠けていますので、 本記述については削除します。
サボテン屋 2007年11月2日 (金) 16:15 (UTC)
了解しました。同じく、検証可能性のない記事は削除してかまわないと言うことですね。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 02:58 (UTC)
フランスにおけるカルト指定について
[編集]現在ソースを調査中です。 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1192186165/l50 の>>360にも記述がありますとおり、どうやら指定されているようですが。--Ekiqlo 2007年11月3日 (土) 13:48 (UTC)
※ここにあった私の記事が消されています。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 03:18 (UTC)
ソースが2chって。。。 少なくとも、wikipedia英語版のカルトの項目 http://en-two.iwiki.icu/wiki/List_of_purported_cults からは確認できませんね。 とにかく、検証可能性に欠ける記事の記述・出典が多すぎます。
サボテン屋 2007年11月4日 (日) 14:41 (UTC)
また、それが出典だとは書いていませんよ。重箱の隅をつつくような攻撃は、お控え下さい。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 03:18 (UTC)
- それでは、出典は何ですか。「現在ソースを調査中です」ではなく、先にソースを持ってからお書きください。あと、ノートで誹謗中傷を繰り返すのは看過できません。--Doracha 2007年11月16日 (金) 14:58 (UTC)
対人恐怖の作り方 http://blogs.yahoo.co.jp/small_creeps/26147580.html において、アメリカやフランスでは、天理教はカルトではなくて、セクトに指定されているとの記述がありました。但し、これも二次的なものですので、ソースとして使うことが出来ません。引き続き調べてみます。--Ekiqlo 2007年11月6日 (火) 00:13 (UTC)
> 天理教はアメリカとフランスでセクト指定されているそうです。 --Ekiqlo 2007年11月6日 (火) 09:29 (UTC)
言いたい放題ですね。フランスの報告書原文です。(和訳記載は承認が必要なはずなので、国会図書館で見てきください。和訳があるはずです) http://www.assemblee-nationale.fr/rap-enq/r2468.asp
フランスではセクトに指定されていないことが確認できました。失礼しました。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 03:18 (UTC)
後アメリカや他のEU諸国ですが何故フランスが指定出来て他が出来ないのか?これは近代史を知らない人には理解できないでしょうね。特にアメリカは上記報告書を毎年非難しています。(信教の自由が保障されていない国の一つとして) アメリカ国務省の年次報告書International Religious Freedom Report を 参考ください。--Hogarakagumi 2007年11月8日 (木) 11:46 (UTC)
天理新報に部落差別した記事が掲載された件について
[編集]これは事実に基づいて記載したものです。削除はWikipediaのルールに則っていません。あくまで検証可能な客観的な事実です。なのに削除した人は何を根拠に削除したのでしょうか?根拠を明示して下さい。「天理教」の項目は天理教のためにあるものではありません。ここで編集作業にあたっている方の中には、そういうふうに勘違いされている方が多いようです。私に、必要以上に根拠のないことを書くなと言う前に、削除した方が見せて下さい。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 08:02 (UTC)
あなたは致命的な誤りを複数犯しています。
>削除はWikipediaのルールに則っていません。
則っています。
ウィキペディアンはしばしばどこかで聞いたり読んだりして憶えたことを事実として報告していますが、しかし彼らはそれがどこだったかは憶えておらず、裏付けとなる証拠はありません。こうした種類の報告を検証するために信頼できる情報源を探すのは重要なことであり、検証できなかった場合、どの編集者でも削除したり異議を申し立てたりできます。ほかの編集者に対して情報源を作成するように求めるのは常に適切です。証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます。 Wikipedia:信頼できる情報源
>あくまで検証可能な客観的な事実です。
そのように主張なさるのは自由ですが、その出典が書かれていません。そしてあなたは信用されていません。
>削除した人は何を根拠に削除したのでしょうか?根拠を明示して下さい。
出典が書かれていないからです。(過去の天理時報より)と書くだけでは出典を示したことになりません。「書誌情報」は分かりますか?Wikipedia:出典を明記する#.E6.9B.B8.E8.AA.8C.E6.83.85.E5.A0.B1.E3.81.AE.E6.9B.B8.E3.81.8D.E6.96.B9.EF.BC.88.E5.92.8C.E6.9B.B8.EF.BC.89で勉強してください。
>私に、必要以上に根拠のないことを書くなと言う前に、削除した方が見せて下さい
wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に
ブリキ 2007年11月16日 (金) 16:46 (UTC)
天理高等学校の項目について
[編集]理由がなきまま、削除するのはよくない。削除するのであれば、相応の理由を示して削除しましょう。「天理高校」で独自に立てることができるのであれば別ですが。--Ekiqlo 2007年11月3日 (土) 15:51 (UTC)
先に天理市の寄附金について指摘した者です。まず、「天理高等学校」の項目は本項目とは別に独自項目として既に存在しています。 次に、本項目で「天理高等学校」の節に書かれていた内容のうち、「卒業すると、「修養科」を出た者と同じと見なされる。」とあるのは何を根拠に書かれているのでしょうか。 確かに、同高校は天理教信者の子弟でないと入学できませんし、用木コースというものもありますが、高校卒業と修養科修了は別物だと承知しています。現に、飯島博氏(愛照分教会長)のように、天理高校→天理大学→修養科という進路をたどった方もいます(飯島博『おたすけを楽しむ 夢と工夫と感動と』2004年、天理教道友社)。なお、教会長資格検定講習会前期(いわゆる「前期講習」)の受講資格として修養科修了と同様であるのかもしれませんが、いずれにしても根拠をお示しください。 なお、先の寄附金の件を誤って記載された根拠、さらには現在の記事で寄附金額を15億5000万円とあえて事実と違えて記載されている理由(天理市の予算・決算では13億5000万円)も、明確に御説明願います。--Doracha 2007年11月3日 (土) 16:59 (UTC)
「天理高校」ではなく「天理高等学校」で登録されていましたか。失礼しました。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 04:26 (UTC) 寄付金については、別項があるのでそちらで。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 04:26 (UTC)
Dorachaさん。天理高校についてはそう書き直せばいいのでは?それがWikipedia。まあ、別にページがあるので、その必要はないけどね。--58.91.251.16 2007年11月17日 (土) 12:30 (UTC)
これではノートでの議論ができません。
[編集]ここ数日の本文及びノートの編集を見ていますと、ノートで議論をしようとしても無視して編集されたり、あげくにはノートでのコメントの途中に新たな文章を差し込んだりと、Ekiqloさんの行為が議論を阻害しているおそれがあります。私の問題提起にもお答えいただけず、結局は百科事典の記事として趣旨不明なものをさらす結果になっています。これでは、ここで議論して収束するのは不可能でしょう。したがって、コメント依頼を提出しました。--Doracha 2007年11月4日 (日) 12:00 (UTC)
- まさか[3]みたいなことをされるとは思いませんでしたが、Ekiqlo氏の指摘にお答えしておきます。
- まず、「そういう結論に至ったのか理由」ですが、特定の団体に関する記事で、私を含め複数の方から「根拠がない」「誤っている」と指摘をされても、一部を除き訂正されていない(天理市の寄附金はその意味で数少ない例外でしょうが、それでも数値が異なっている)のを見れば、故意又は悪意と思うのはいわば常識の類でして、それが根拠なきと指摘されるならば、どうぞコメント依頼にでも出してください。また、「これで天理教にとって都合の悪いことを隠蔽していたということが分かりました。」に至っては、なにをか況やです。
- 私は、一貫してEkiqlo氏の考え自体を否定していませんし、多様な意見がある中で中立的視点に立脚した記事となるよう努めてきたつもりです。他の方もそうでしょう。それを信者・非信者とばっさりやられては、返す言葉もございません。と、いくら書いても御理解いただけないのでしょうね。--Doracha 2007年11月14日 (水) 10:22 (UTC)
今後の編集方針について(続き)
[編集]度重なる編集で、内容が相当に不適合なものになっています。といっても、白紙にして一から書き直すわけにも行きません。そこで、一応の項目案を出しておきます。合意が得られれば、少しずつ整合性を整えていきたいと思いますが、いかがでしょうか?--Doracha 2007年11月5日 (月) 12:44 (UTC)
- 概要
- 沿革
- 教義・教理
- ぢば・かんろだい
- 三原典及び教典
- 信仰生活
- つとめ・祭典
- 行事
- こどもおぢばがえり
- お節会
- 別席
- 修養科
- その他講習会(基礎講座、三日講習会等)
- にをいがけ(布教伝道)
- ひのきしん
- 災害救援活動
- 教会
- 信者詰所
- 国際活動
- 批判等
- 関連項目
- 参考文献
- 外部リンク
Wikipediaの編集に書くのは初めてなので、不手際ありましたらお許し下さい。
確かに今の内容は余りに酷いようなので、意見させて頂きます。基本的にはDrachaさんの提案で良い様に思います。混乱を避けるためには、ソース付きで固めると言うのも一つの手です。
そこで提案ですが、概要は[4]から引用し、このページの「信者の教団での活動」から上を簡潔にまとめて概要としてはいかがでしょうか。ソースとしては信頼できると思います。ただ、この中で「上記の場所以外で教団について知りたい人に対応できる支部等」が未記入なので、教会数、教会の簡単な組織図のような物がそれ相当の項目として有って良いと思います。そのソースは、比較的多くの人が確認できる「みちのとも」でよいと思います。その程度の情報があれば、一般の人が天理教について知りたいと思った時の概要としての要件は満たすものと思われます。ソースがあると言う点では、教人数もあってもいいかもしれません。
Drachaさん案の沿革に相当する部分を歴史とし、そちらに現在の概要に有るような詳しい過程を書き、後はDracchaさんの提案に添った形で書けば、項目の増減等は多少あっても、基本的には、問題無いと思います。--Desu 2007年11月5日 (月) 15:34 (UTC)
Dorachaさんの案に同意します。災害救援の項に要出典タグが貼られていますので、[5]あたりを脚注に入れればいいでしょうか。
--サボテン屋 2007年11月6日 (火) 14:00 (UTC)
Desuさん、サボテン屋さん、御意見ありがとうございます。災害救援はいわば周知の事実だと思っていましたが、そうでないという指摘があるなら脚注をつけることになりますね。他に書いておられた方の御意見ももう少しお待ちしましょう。 --Doracha 2007年11月6日 (火) 16:11 (UTC)
- いったん、書き出しから教義・教理までを本文で整理しました。なお、「いんねん」(ずっと本文では漢字で記載されていましたが、教義ではひらがな書き)についてはいったん削ってあります。--Doracha 2007年12月10日 (月) 14:46 (UTC)
書き出し
[編集]さて、若干落ち着いたようですので、今後の編集方針について続けたいと思います。Desuさんの御提案を受けて考えてみたのですが、概要の節は冒頭の書き出しに溶け込ませてもよいのかもしれません。仮の案文を以下に書いてみます。
天理教(てんりきょう)は、日本の新宗教の一つである。教祖中山みきにより伝えられた親神天理王命を崇拝対象とする。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人等(教会本部及び一般教会)からなる宗教集団を指し、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合がある。本稿では、狭義の天理教について述べる。
いわゆる天理教豊文教会事件の最高裁判決(宗教法人の名称使用の自由)に絡む事項があることから、書き出しで広義・狭義を説明し、以下の本文ではもっぱら狭義の天理教を説明するという考え方です。
なお、「沿革」を「歴史」とすることは賛成です。書き方としては、年表形式のほうがわかりやすいかもしれませんね。--Doracha 2007年11月8日 (木) 15:17 (UTC)
歴史
[編集]続いて本文に入ります。
- 1838年(天保9年)12月12日(陰暦10月26日)中山みきに親神天理王命の啓示、立教。
- 1867年(慶応3年)京都吉田神祇管領に公認出願し認可。
- 1885年(明治18年)神道本局から神道直轄6等教会設立認可。
- 1887年(明治20年)2月18日(陰暦正月26日)中山みき死去。
- 1888年(明治21年)4月に東京府から神道直轄天理教会本部設立認可、7月に現在の教会本部所在地(奈良県天理市)へ移転。
- 1908年(明治41年)一派独立。
歴史は、簡素にまとめました。--Doracha 2007年11月14日 (水) 12:20 (UTC)
あくまで、立教の日は天理教が定めたもので、中山みきが天理教を立教したわけではない。この点を誤解させないように記述すべき。--Ekiqlo 2007年11月26日 (月) 07:59 (UTC)
- 私も、「この日が、天理教において立教の元一日とされる。」でもいいとは思いますが、それでは百科事典として書きすぎだという意見もあるかもしれません。なお、少なくとも天理教の立教時期に関しては「天理教は山辺郡庄屋敷村の主婦であった中山みきが天保9年(1838)に神の啓示を受けてはじめた宗教である。」(奈良県編集『青山四方にめぐれる国-奈良県誕生物語-』1987年、p14)という天理教関係以外の出典もあります。--Doracha 2007年11月26日 (月) 14:54 (UTC)
- 「この日が、天理教において立教の元一日とされる」の方が事実と合致しています。天理教がその日を立教の日と定めたのですから、この表現の方がいいと思います。二次文献の多くは、天理教に詳しくない筆者によるもので参考にはなりません。Dorachaさんがあげられている文献もそうです。あくまで立教の日は中山みき女史が啓示を受けた日でしかありません。そして、それを後の天理教が立教の日とするのは自然なことです。実際の天理教が始まった日と異なっていても、天理教がその日が立教のだと主張しているのであれば問題はありません。--Ekiqlo 2007年12月8日 (土) 15:52 (UTC)
- それでは、「この日が、天理教において立教の元一日とされる。」としましょう。いったんここまでを本文に書き込みます。--Doracha 2007年12月10日 (月) 14:14 (UTC)
今の年表が一般人にには、異常に冗長に見えるので多少直しましたが、問題が有れば戻してください。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年1月8日 (火) 16:50 (UTC)
教会
[編集]天理教の教会は、教会本部及び一般教会からなる。一般教会は、中山みきの生前に信者により結成された講をその端緒とし、布教の過程(いわゆる系統)にしたがって設置されたものであり、その規模に応じ大教会及び分教会と呼称される。大教会はすべて本部直属教会であり、分教会は本部直属、大教会直属又は他の分教会直属のいずれかである。教会においては、つとめ及び祭典が行われる。--Doracha 2007年12月15日 (土) 14:38 (UTC)
信者詰所
[編集]信者詰所は、本部直属教会が天理市の教会本部周辺において信者の宿泊に供するために設置する施設である。各教会の個別の建物であるものと、おやさとやかたの一部に入居するものがある。教会本部参拝者(帰参者)の宿泊のほか、修養科生の宿舎としても使用されている。--Doracha 2007年12月15日 (土) 14:38 (UTC)
教区・教務支庁
[編集]教務支庁とは、宗教法人天理教の地方事務所である。一般教会が系統にしたがって(地域性とは関係なく)設置されるのに対して、教務支庁は各都道府県を教区として置かれている。また、教区は各市町村単位でさらに支部に分割されている。--Doracha 2007年12月15日 (土) 14:38 (UTC)
利用者:Ekiqloに関する投稿ブロック依頼
[編集]天理教およびそのノートにおいてガイドラインに従わない編集を繰り返し、対話の努力・改善のきざしがみられなかったため、 Wikipedia:投稿ブロック依頼_2007年11月にて利用者:Ekiqloの投稿ブロック依頼を出しましたので、賛成および反対の書き込みをお願いします。ブリキ 2007年11月11日 (日) 08:34 (UTC)
- 編集合戦となっているようですので、この項の保護も考えなくてはならないかもしれません。利用者:Ekiqlo(会話 / 投稿記録 / 記録)さん、2chのスレッドをリンク先にしている意味をご説明いただけますか。荒らし行為ですかね。仮に保護になっても編集依頼をかければ削除されますよ。もう改善が望めないようなので投稿ブロック依頼に賛成させていただきます。--サボテン屋2 2007年11月12日 (月) 13:22 (UTC)
- 編集方針とは別節にしました。--Doracha 2007年11月14日 (水) 09:58 (UTC)
- 合理的な理由のあることについては、改善しています。迷惑をかけたことも事実です。しかし、天理教にとって不都合な編集者を追い出したい意図があります。これは危険なことです。この判断は慎重に行うべきだと思います。
この保護期間中に、私をブロック規制し、その後天理教に都合のいいようにページを変えようとしています。 編集に関わっていない第三者の判断の下、規制の是非を問われることに期待しています。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 08:03 (UTC)
全保護依頼を提出いたしました
[編集]特定ログインユーザーによる編集合戦・リバート合戦が続いているので、大変申し訳ございませんが「全保護依頼」を提出いたしました。ご了承ください。--Runrun 923 2007年11月13日 (火) 11:35 (UTC)
私を含め編集者は頭を冷やした方が良いと思う。--Ekiqlo 2007年11月16日 (金) 08:05 (UTC)
備考
[編集]削除理由が不明なものがありましたので、リバートをかけました。理由を明記していただけると幸いです。
おさしづの記述
[編集]凄くどうでも良い事なんですが、私が2008年4月7日 (月) 20:19に追加しましたおさしづの関連記述 実は、飯降以降も飯降自身がおさしづによって指名した「おさしづ運び人」として上田ナライト(教祖の高弟の一人、女性)が存在しており、実際に上田も飯降の出直し後におさしづを明治40年から大正7年までの11年間降した。だが種々の事情により教団本部は上田を中途で排斥。同7年7月よりは初代真柱夫人の中山たまえがおさしづを降す事となったが、たまえは飯降がおさしづでした様に上田から指名された訳でもおさしづ運びを受けた訳でも無く、教団の最高意思決定会議である本部員会議での議論で選出された、いわば「人造の」運び人の為、親神の意思によって決められたおさしづ運び人では無い。 尚、教団本部は現在でも上田の降したおさしづの内容は非公開のままとしている。 が2008年5月9日 (金) 19:06 にIPユーザーの方に削除されてしまわれた様ですが、Wikipedia的にまずい記述だったでしょうか?そういう事でしたら以後自重しますね。--Folken. 2008年5月13日 (火) 04:25 (UTC)
- 一般人の視点から見れば、まずくはないと思います。しかし、天理教信者からみれば、隠蔽したい事実です。批判と捉えられるでしょう。Wikipedia的に、批判的記述は縮小するように奨励されていますので、自重されるのがいいでしょう。--くど 2008年6月27日 (金) 06:15 (UTC)
修養科の記述
[編集]私は実際修養科の強要を受けた被害者です。必要があれば、明示することが出来ます。--122.23.128.200 2008年5月27日 (火) 05:08 (UTC)
項目天理教の記述(分派)
[編集]> 本項目の記述範囲は、一般的な天理教で有るべきと思います。代わりには分派の記述を充実させるべきと思います。
これに賛同。天理教を信仰する団体は全て「天理教」の名を使い宗教活動が出来ることを最高裁も認めています。故に、包括宗教法人天理教、宗教法人天理教も天理教の宗派の一つということになります。この項で、宗教法人天理教について述べ、その他の宗派を別項で述べるにしても、誤解の無いように注意すべきです。--Mesian 2008年6月11日 (水) 03:40 (UTC)
ご賛同ありがとうございます。私は他教の信者ですので、天理教の項目の記述に関わった方々の記述合戦で、いろいろなことを学ばせていただいております。他の分派教団に属する方々もそれぞれの分派の記述を充実してくださるとありがたいです。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月11日 (水) 13:54 (UTC)
- どうも分派を一くくりにされているようですが、天理教の分派には色々あって、分派の分派の分派なるものも存在します。それらの分派の教義の中には中山みきは存在せず、中山みきが説いた教義を発展的に作り上げているものもあります。最高裁で争われたように、中山みきの教えに基づいて信仰している団体については(天理市の教会本部から見た場合)分派と称しても問題ないですし、本項で述べてもよいかと思いますが、中山みきの存在しない分派?まで本項で記述することは無理があると思います(宗教学者の論文では「異端」と捉えている場合もあります。)特にそのような記述を冒頭で論じることは、大きな誤解を招きます。--TENDERAS 2008年6月11日 (水) 14:11 (UTC)
- 済みません、私の意見は、大本を根とする多数の教団についていろいろ団体の項目が作られているように、主要分派団体を本項目の中で作らず、別項目で立て、本項では天理教の共通の教えと包括法人天理教に限定する方がよいだろうという意見です。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月11日 (水) 15:04 (UTC)
- こちらこそすみません。私の記述はMesianへのコメントでしたが、編集の仕方が悪かったですね・・・・。Mesianさんがノートへ意見された後に、冒頭に分派の記述を復活させる記述をなされたので意見しました。--TENDERAS 2008年6月11日 (水) 15:09 (UTC)
- 分派についてのご指摘ありがとうございます。確かに、最高裁で認められたのは「中山みきの教えに沿っている団体」です。ですからCall Tenderasさんのご指摘のようにするのがいいかと思います。Call Tenderasさんのいう定義で天理教の団体と認められる「天理教豊中教会」などは分かれた団体として明記し、リンクでその項へ飛べるようにし、異端とされる団体は削除するか、または分派した団体と記述するかでしょう。如何でしょうか?--Mesian 2008年6月13日 (金) 08:22 (UTC)
- 保護依頼中ですか・・・・。保護依頼した途端に、私の考えを「ご指摘どおり」と言われても違和感があります「豊文分教会」については天理教の項で記述しても問題ないですし、いわゆる分派の歴史についても触れること自体は何ら問題ないと思います。しかし冒頭で述べることではないでしょう。例えば、ほんみちは立教日や教義が異なる面もありますし、、まして天理教からの分派とはいえ、モラロジー研修所のように宗教団体でも無い団体を冒頭で述べる必要性があるのでしょうか?崇拝人物も違いますし。これで歩み寄ったといわれも。--TENDERAS 2008年6月13日 (金) 13:11 (UTC)
- ここは議論するところです。ある意見を頂いて、それがよりよいということならば受け入れるのは当然です。TENDERASさん。それとも、私に何でも反対されたいのでしょうか?そのまま私を追い出したいのでしょうか?TENDERASさんは偏見を持っておられるようです。まずは偏見を解いていただかないと議論にはなりません。また、排他的な印象をこちらもぬぐい去ることが出来ません。「豊文分教会」ではなく「天理教豊文教会」です。最高裁で、天理教の名称が使えることが認められました。現在は分教会ではありません。独立した天理教の宗教団体です。また、私は少なくとも名称を上げて、リンクで飛べるようにするべきと意見しただけです。冒頭で述べることはないというあなたの意見には賛成です。独立した項を作ってそこで団体名を列挙すればいいでしょう。そして、この項では宗教法人天理教・包括宗教法人天理教及び傘下の宗教法人について述べると記述すればいいでしょう。どれが「中山みきの教えに沿っている団体」なのかの線引きは難しいと思います。「天理教豊文教会」ですが、「ほんみち」はどうなのか?崇拝人物は違うが、教理は天理教である場合はどうするのか?この点に関して、意見を頂ければと思います。あと、「> 私の記述はMesianへのコメントでしたが」との記述ですが、呼び捨ては頂けません。あなたにとっては気に入らない相手かもしれませんが、敬称はつけましょう。--Mesian 2008年6月13日 (金) 22:28 (UTC)
<--Mesian会話ページよりTENDERAS の意見を抜粋--> 次に質問いただいた件について回答します。 天理教の記述ですが、いわゆる宗教法人天理教(以下「本家」と略します)の記述が中心になるべきと考えており、これはHikaruFukushimaさんも仰せの通りです。分家も元々は本家に属していた時期があり、記述も本家中心にならざるを得ない。また現在の記述の大半もほとんどが本家に関することです。それすら否定し、本家が一宗派でしかないと考えている方とは対話は難しいと考えています。三島神社の移転についても、そもそも天理教の歴史の中ではさして重要でないことであり、削除したまでです。それに移転したことは事実でも、強制移転したことは事実ではありません。 --以上の署名のないコメントは、Mesian(会話・投稿記録)さんが 2008年6月14日 (土) 13:32(UTC) に投稿したものです。
議論はこちらで、議論以外は会話でします。天理教豊文教会ですが、正確に記載するなら「宗教法人天理教豊文教会」です。ですが、もともと属していた時期もありますから、ホームページでは「天理教豊文分教会」とも称しています参考。豊中教会は100%間違いですが、豊文分教会は間違いじゃございません。現在の記述をよくよく見て頂きたいのですが、もともと「教祖中山みき・親神天理王命・御霊様を崇拝対象とする天啓宗教・創唱宗教である。」という定義にきっちりと当てはまるのは、宗教法人天理教とその包括法人と豊文教会しかありません。それ以外の団体はこの定義からはずれます。ここでのノートの議論をよくよく読んで頂きたいのですが、 天理教(てんりきょう)は、日本の新宗教の一つである。教祖中山みきにより伝えられた親神天理王命を崇拝対象とする。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人等(教会本部及び一般教会)からなる宗教集団を指し、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合がある。本稿では、狭義の天理教について述べる。 というような定義が、ノートでの議論のうえ、冒頭の定義は固まったのです。が、後からあなたが修正を加えるから、議論が振り出しに戻るような議論をしているのです。編集されるのは結構ですが、まずはノートでの先の議論を何度でも読み返してください。議論の前提が分かっていない人と議論しても疲れるだけです--TENDERAS 2008年6月14日 (土) 11:02 (UTC)
- 私は対話する用意があるといっているのに、あなたははなから追い出そうとしている。それでは溝は埋まらないでしょうね。あなたはただ追い出したいだけでしょう。そうではなくまず議論しましょう。私だって間違って認識しているところがあります。またあなたも間違った認識をしているところがあるでしょう。その埋める努力をしないのであれば、あなたはウィキペディアを編集するには向かないでしょう。まずはノートで議論しませんか?--Mesian 2008年6月14日 (土) 13:42 (UTC)
- TENDERASさん、熱くなる気持ちは分かりますが、どうか冷静にレスをお願いします。疑問点があれば、理路整然な理由を持って反論すればいいのです。ヒートアップしてはいけません。--くど 2008年6月27日 (金) 06:31 (UTC)
- 冷静に。熱くなってはいけません。間違いの指摘を粛々と訂正すればいいのです。誰も100%正しい記述が出来るわけではありません。ですから、Wikipediaは複数の人が記述をすることが出来るようになっているのです。Mesianさんに対する感情と、ノートでの記述の議論は分けて考えなければなりません。あなたの記述では、Mesianさんを怒らせるようにしか見えません。--くど 2008年6月27日 (金) 06:31 (UTC)
- 相手を挑発する行為を行い、相手を投稿停止に追い込む行為は見苦しいです。正々堂々と議論しましょう。--くど 2008年6月28日 (土) 04:31 (UTC)
- marufuku(HikaruFukushima)さんの案に賛成します。--くど 2008年6月29日 (日) 05:31 (UTC)
編集者が天理教であるか否かをわざわざ書く必要はありませんよ(・ω・)。--Mesian 2008年6月13日 (金) 23:03 (UTC)
- これは私に対する意見ですか?私はそんなことは一言も書いておりませんが。このようなコメントが信頼を無くすのです。--TENDERAS 2008年6月14日 (土) 11:02 (UTC)
- それは個人的な感情です。流されてはいけません。頭ごなしに荒らしと決めつければ、議論にはなりません。--くど 2008年6月27日 (金) 06:31 (UTC)
三島神社移転の記述について
[編集]三島神社の件について、TENDERASさんは強行されたものではないと書かれるのでしたら、この事件の経緯を述べていただきましょう。もちろんこの件をご存じだからこそ、そのようなことを書かれるのですよね?--Mesian 2008年6月14日 (土) 13:57 (UTC)
- Mesian さんが三島神社の記述に拘っているようなので意見します。強制移転という言葉は、通常は国や地方公共団体が法律等に基づいて、法人の意思に逆らって移転させる場合に使われる言葉です。三島神社の移転のように、三島神社の幹部と天理教教団の幹部が合意して移転したものは強制移転とは言わないでしょう。天理教教団側が不法に占拠したという事実もありませんし。私的要求に基づいているものであったとしても、それに反対する天理教信者や三島神社の氏子がいたとしても、それを根拠に強制移転とは言いません。あくまで移転です。記載されるにしても、強制移転という言葉は適当ではないと思います。また、土地購入や建物の建設を巡っては、本件に限らず天理教の歴史の中ではたくさんあるでしょう。Mesianさんの中にある、 「天理教と三島神社の神様は同じなのです」という主張も一般的な考えではない。おそらくこのページを参考にされたのかも分かりませんが、このサイトでも「私の体験から得た直感と推論が正しければ、三島神社の祭神、就中布留の御魂は、天理王命と同一神なのである。」と記載されています。1人の方の直感と推論を根拠に記載するのは適当ではないでしょう。--TENDERAS 2008年6月14日 (土) 23:29 (UTC)
- TENDERASさんは、当人ではないのに、このページから引用したと書かれているのは何故ですか?単なるあなたの想像を書くのはやめてください。TENDERASさんは相手が悪だと頭から決めつけておられます。此が荒れる原因にもなります。--くど 2008年7月3日 (木) 17:56 (UTC)
- 三島神社側はそうではありません。それに宗教学上さして重要な問題ではないということはありません。一宗教団体が、建物を建てたいが故に、三島神社の氏子の反対を抑え込み、移転を強行し、その宮池までも埋めてしまったのは、大問題です。三島神社が反対しているのに、どうして天理教は移転できたのでしょうか?強制されたからに他なりません。しかも、これには市や県の用地買収ではないため、公共の福祉も絡みません。天理教の私的な欲求です。そうでないのであれば、あなたがどのような経緯でなされたのか、お示しください。また天理教と三島神社の神様は同じなのです。同じ神様を追い出してしまった。これは重要です。このことについては、地域住民だけでなく、天理教信者からも強い反対意見が出ています。また、ウィキペディアは天理教のために存在するものではありません。さして重要な出来事ではないというのはあなたの主観でしかありません。--Mesian 2008年6月14日 (土) 13:32 (UTC)
- そうでしょうね、確かに、法律に基づいて裁判所の許可等をもって執行するのが「強制移転」ですね。一部氏子の個人的な反対も合ったかもしれませんが、こういう法的な移転には、必ず公式な書類に責任役員の同意書類がありますから、必要なら登記書類の写しを取って確認することが出来ます。ですから、Call Tenderasさんの単に「移転」とする書き方の方が、中立な百科事典的記述になると思います。天理教信者にとって見れば、基本的に「おやさとやかた」の範囲が定められた時点で、将来にわたる多くの用地買収や建設は想定出来うる事であろうと思います。ただ、私の個人的な思いでは、各宗教団体はそれぞれの宗教の歴史的資産を(負の遺産も含め)後世の信者の信心の糧とするために大切にするべきであったであろうと思います。また、これも私の個人的意見ですが、三島神社の祭神が天理王命と同一神という考え方はご指摘のHP制作者を含めた何人かの個人的な意見で中立的でないと思います。一般的は、天理教の主神自身が、教祖に対して「元の神、実の神、天理王命」とわざわざ名乗った事実をもって、より上位の別神と見なすのが一般的であると考えるからです。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月15日 (日) 01:23 (UTC)
- 国語の辞書を引いてください。相手が嫌がっているのに、それを強いることを強制といいます。--60.45.218.6 2008年6月15日 (日) 15:03 (UTC)
- 強制というのは国語辞典によれば「権力や威力によって、その人の意思にかかわりなく、ある事を無理にさせること。」という意味です。三島神社の幹部が売るという意思を示した以上、それは強制ではないのです。天理教教団には無理やり建物を強制移転させる権力はありませんし。--TENDERAS 2008年6月15日 (日) 22:09 (UTC)
- というわけで、「教会本部の建物は元三島神社があった位置に建てられている。(三島神社は移転され今は○○にある)」ぐらいがあっさりとした書き方でしょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月16日 (月) 13:29 (UTC)
- 実際三島神社の移転と宮池の埋め立てはどういう経緯で行われたのでしょうか?TENDERASさん、Mesicanさん?--くど 2008年6月27日 (金) 06:31 (UTC)
- 相手が嫌がっているのに、それを強いることを強制といいます。この点は天理教に対しても該当すると思います。天理教と三島神社に関する歴史について、ご説明願えませんか?わざわざ神社をどかせてまで、天理教が土地を買収したかったのか?そして、宮池を埋め立てねばならなかったのか?普通の宗教なら、このようなことは行いません。地域住民とトラブルを起こすのは避けるのが普通です。--くど 2008年6月27日 (金) 06:57 (UTC)
- 相手が嫌がっているのに、無理矢理行うことを「強制」と言います。行政が公共の福祉目的で強制移転させる場合以外にも使われます。三島神社側が嫌がっているのに、天理教が移転させたことを強制とは言いませんか?しかも、公共の福祉目的ではなく、天理教の私的な目的のためです。Mesianさんに分かってもらうなら、移転の経緯を説明する必要があると思います。--くど 2008年6月27日 (金) 06:57 (UTC)
- 強制という意味を履き違えていませんか?相手の気持ちは全く関係ありません。--TENDERAS 2008年6月27日 (金) 09:35 (UTC)
- 法律用語ではなく、言葉どおりの意味だと思います。私は、天理教信者から、移転や埋め立ての必要はなかったと聞いています。移転や埋め立ての経緯を示すか、強制ではないとする情報源を示せば、納得が得られるのではないかと思います。私は、どちらが正しいのか判断しかねております。--くど 2008年6月28日 (土) 04:42 (UTC)
- どちらが正しいか判断できないことは記述するべきではないでしょう。また「○○○から聞いた」のように情報源に乏しいようなことをウィキペディアに記載するのは適当ではありません。それに私が例示した強制の意味は法律用語でも何でもありません。強制も参照。一般的な国語辞典における解釈です。よくお読みください。--TENDERAS 2008年6月28日 (土) 22:26 (UTC)
- では、TENDERASさん、三島神社移転と宮池埋め立ての経緯を教えてください。Mesian さんの記述が間違いだと仰るからには、その経緯をご存じなのですよね?信頼できる情報源と共に、示してくだされば、Mesianさんも納得されるでしょう。--くど 2008年6月29日 (日) 05:36 (UTC)
- 甚だ勘違いされているようですが、情報源の提供については三島神社移転に関する記述についての掲載を希望する側(Mesianさん・くどさん)にあります(Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にを参照)。なお、このようなサイトは信頼できる第三者情報源ではないのでご注意願います。それと私が仮に経緯を知っていたとして、それを記載すればよいというものではありません。Wikipedia:検証可能性を何度でもお読みください。--TENDERAS 2008年6月29日 (日) 06:15 (UTC)
- 何度でもお読みくださいと相手を挑発するメッセージを書いておられるのはいかがかと思います。私情を挟んでおられるようでは、これでは議論になりません。あと、先に私の質問にお答え願えますか?TENDERAS 中山みきが天啓を受けた場所はどこでしょう?天理教が宮池埋め立てを強行した理由は?三島神社で天啓を受けたのに、その神様は三島神社でないとは非常に滑稽ですね。一般的には、三島神社の神様から天啓を受けたとなるのが普通。あと、このサイトは天理教のために存在しているわけではありません。--くど 2008年7月1日 (火) 02:22 (UTC)
- 現在記事は保護中ですが、三島神社で天啓を受けたことについては歴史の記述にも残っていますし、史実です(ちなみに当時の呼称は「森神社」)。しかし三島神社で天啓を受けたから、神様が一緒という考えは、marufuku(HikaruFukushima)さんも仰せの通り、中立的な意見ではないと思います。何度も言いますが、出典元を明らかにしてください。--TENDERAS 2008年7月1日 (火) 10:49 (UTC)
- 何度でもお読みくださいと相手を挑発するメッセージを書いておられる件については?相手を挑発することを認めたということでよろしいですか?今後このようなメッセージを書くようなことはおやめください。あなたの考えの違う人もwikipediaを編集していることを理解してください。また、議論をせず相手がまちがいだと決めつけず、議論することも大事です。これについては、改善がみられたと思います。考え方の違う人と議論するということは体験されたように大変なことですよ。「三島神社で天啓を受けたから、神様が一緒という考え」のほうが一般的にみれば常識だと思います。わざわざ別の神様が出てきたというのはいい苦しいですね。天理教がかなり特殊な考えと仰るなら、そう書かざるを得ませんが。一応文献をあげてください。--くど 2008年7月2日 (水) 08:47 (UTC)
- 「三島神社で天啓を受けたから、神様が一緒という考え」普遍的とは思えません。「三島神社という場所で天啓を受けた」ということは確かでしょうが、伝えた祭神が三島神社のどの祭神か答えられるでしょうか?神社にはたいてい沢山の神様が合祀されています。その祭神が実は名前を間違って伝えられている「天理王命」という事も考えられますが、可能性は低いと思います。他教団での例では、金光教教祖に対し現在では天地金乃神と呼ばれるようになった当時の庶民の呼び名である「金神」への無礼を働いていると金光教祖の妻の兄弟の口を借りて指摘した神は「石鎚山神」です。こういう場合もあり得るので、三島神社のなんらかの祭神が天啓を与えた可能性も否定できません。しかし、天理王命が「三島神社という場所を借りた」のかもしれません。この様に同一神でないという可能性も同じくらいに考えられます。やはり百科辞典的には、長年流布されている説である、天理王命は「元の神、実の神、天理王命」とわざわざ教祖に対して名乗った事実をもって、三島神社の祭神ではなく、より上位の別神であるという考え方の方が一般的です。もし、問題があるのなら何もかもお見通しの神ですから「おやさとやかた」を作れと命じたときに何らかの注意を中山みきに伝えたと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年7月3日 (木) 12:48 (UTC)
- 何度でもお読みくださいと相手を挑発するメッセージを書いておられる件については?相手を挑発することを認めたということでよろしいですか?今後このようなメッセージを書くようなことはおやめください。あなたの考えの違う人もwikipediaを編集していることを理解してください。また、議論をせず相手がまちがいだと決めつけず、議論することも大事です。これについては、改善がみられたと思います。考え方の違う人と議論するということは体験されたように大変なことですよ。「三島神社で天啓を受けたから、神様が一緒という考え」のほうが一般的にみれば常識だと思います。わざわざ別の神様が出てきたというのはいい苦しいですね。天理教がかなり特殊な考えと仰るなら、そう書かざるを得ませんが。一応文献をあげてください。--くど 2008年7月2日 (水) 08:47 (UTC)
誤字・引き続き分派の扱いなど
[編集]当面編集凍結ですので、気づいたところを書いておきます。
- 中山みきは「天理教を立ち上げ」→中山みきは「天理教を興し」 この頃「立ち上げた」という語句が流行し出したが、宗教は「興す(おこす)」もの。
- 教祖伝の「伝奇」→「伝記」。
- 「天理王命、南無天理王命のこと。人類創世の神。輪廻転生を司る。親神が親様の身体に憑依した。」→「天理王命のこと。創世神、全ての根源の神、「陽気暮らし」をする人々を見たいがために人類を創造した。人類の輪廻転生を司っている。教祖の体を神体として宿り、いろいろな教えを伝え、霊験を現した。」 南無は神名の一部では無いと思う。また「親様」という書き方は一般向けではない。それから、悪霊に使われる「憑依」と神霊に使われる「神体とする」「宿る」「社とする」はかなりニュアンスが違うのでご意見もあると思うが変えてみた。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月16日 (月) 13:56 (UTC)
- 輪廻転生 の節 「泥の中のドジョウから生まれたと主張している。」
- ぢば・かんろだい の節 には「泥海古記によると、人類は泥の海の中9億匹ものどじょうの中から生まれたとしている。」は不要。代わりに、「人類創造神話」などと命名した節をつくってその内容を記述する方がすっきりすると思う。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月16日 (月) 14:05 (UTC)
一方の当事者がブロック中に気が引けるのですが、気になったところを書きます。先にも述べましたが、冒頭の定義は1月6日頃まで一旦遡った方がよいと考えます。ほんみち等は確かに天理教の分派ですが、天理教に分類するのは些かムリがあるように思います。分派には他にも「大道教」「太道教」「世界心道教」「修養団奉誠会」「天輪王明誠教団」「日月神一条」「天真教」「神光苑」等がありますが、例え広義であってもこれらが全て天理教となるような定義は一般的ではない。単に天理教教団から離脱しただけのものもありますし。 次に冒頭や沿革に記載されていますが、「中山みきは天理教を立ち上げたわけではなく、むしろ宗教の設立を禁じていた」というのは一般的な解釈ではありません。「教団の公認活動には反対していた」は一般的な文献(日本の10大新宗教 島田裕巳著)にも記載されていますが、宗教の設立を禁止していたとは明言していない。 あと教義・教理の項に理の親とか身上とか事情は不要です。確かにこれらは天理教においてはキーワードのようなものですが、教義ではありません。一般的に使われていない考えは現在削除されていますが、これらキーワードの類のようなものも不要でしょう。 いずれにせよ、百科事典ですから、異論や賛否が分かるれるような記述については記載しないほうが適当かと思います。--TENDERAS 2008年6月16日 (月) 15:28 (UTC)
- 天理教はこのノートにある冒頭案の定義が妥当と思います。ただ、他の宗教を信じる一般人には狭義広義と区別しないといけなくなった定義さえも実はとても妙に思えます。奈良の天理市の本部中心の天理教のみに限定した一般の宗教関係の事典レベルで良いのではと思います。それで荒れるのは困りますが。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月17日 (火) 16:52 (UTC)
- 中山みき師は政府に譲った形で公認宗教となることによる信仰の変質に反対され、何度も投獄されていますね。しかし講社組織は出来ています。その事実は確かに宗教団体を興したことになります。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月17日 (火) 16:52 (UTC)
- 天理教独自用語は教義の言葉以外は解説不要で、もし使うなら意味が分かる程度の注釈付きで十分だろうと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月17日 (火) 16:52 (UTC)
- 広義の天理教と言える団体については記述しておいた方がいいと思います。天理教豊文教会など。それらについても、団体名を列挙し、詳細はそれぞれの項に譲るとした方がいいと思います。--くど 2008年6月27日 (金) 07:16 (UTC)
- 中山みきが天理教を興したのではありません。中山みきは生前より宗教を立ち上げてはいけないと側近に諭しています。そして、中山みきが亡くなったあと、天理教が成立しました。天理教は中山みきを教祖に祭り上げたに過ぎません。--くど 2008年7月1日 (火) 01:52 (UTC)
- 宗教法人天理教からのみかたと、天理教豊文教会からみた見方とは違います。天理教豊文教会からみれば、宗教法人天理教こそ教祖の教えに反したことをしているとみています。そして、自分たちこそ教えどおりの信仰をしようと、異端の宗教法人天理教から独立したのです。この項が宗教法人天理教についての記述になるとしても、天理教豊文教会についての記述が必要です。「親様の教えどおりに信仰しようとした動きがあり、天理教豊文教会が独立した。彼等も天理教を信仰している。天理教の名称使用の差し止め請求を宗教法人天理教から起こされたが、最高裁で名称使用が認められた」と記し、詳細は天理教豊文教会と別項を作って、そちらに譲るのがいいでしょう。ただし、最初から「対話は難しい」と書くのはいかがなものかと思います。Wikipediaでは、投稿規制中に十分ノートで議論することが求められています。そう思うのであれば、この項の編集するのを辞められては如何ですか?--くど 2008年6月29日 (日) 05:31 (UTC)
- 宗教法人天理教もある意味、中山みきの教えと反対のことも解いているところがあります。そういう意味では、TENDERASさんの定義で言えば、天理教と言えないのかもしれません。そして、その教えどおりに戻そうとした動きが、豊文教会などのうごきと言えるでしょう。とはいえ、どこが純粋な天理教かという厳密な議論をしても意味がないでしょう。天理教を信仰しているとする団体を天理教と捉え、冒頭に明記しておくのが適当です。--くど 2008年6月28日 (土) 04:31 (UTC)
- キリスト教に大量に分派があり、何が正当かという論争は、キリスト教の項目では棚上げ状態になっています。天理教はそこまで個別の派や差違はないので、先にも書きましたが、最大団体の「包括宗教法人 天理教」をこの項目では記述し、「ほんみち」などは誰が見ても分派ですからその項目にリンクを張り、新解釈の信仰運動とみなされる1教会だけ(?)の「天理教豊文教会」などはこの項目では触れる程度でよいと思います。現在の天理教というものは、歴史の中で多くの信仰者の信心で形成してきたものでありますから、現在の天理教をこの項目で書くべきだと思います。もしその「天理教豊文教会」に続いて包括を抜けた教会が増えてくれば、これはむしろ新団体というより、天理教の信仰運動の一つとみなしても良いのかもしれません。(ただ、個人的には、国家権力を超越したものである「天理信仰」であるかないかを国家権力配下の最高裁で決着させたというのは、すっきりしませんね。)--marufuku(HikaruFukushima) 2008年6月29日 (日) 14:13 (UTC)
- それでは、天理教は教義から外れたことをやっているということでしょうか?理の親・事情・身上は今の天理教が間違った行いを行っているのでしょうか?これらは天理教の活動する上での根幹をなしています。事情・身上を克服するために、多くの信者が活動されてきました。実際に天理教信者の方に話を聞いてみられてはどうでしょうか?--くど 2008年7月1日 (火) 02:18 (UTC)
- ここは百科事典で天理教信者さん以外が分かるように書く必要があります、この項目は天理教全体をカバーするページです。信者さんの信仰生活の解説が必要なら用語の解説を詳しく書いた天理教信者の信仰生活のような項目を作るべきです。もっと異論があって多様なキリスト教関連の項目の様に工夫して、階層を作り、わかりやすく一般人向けの解説を心がける必要があります。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年7月1日 (火) 04:26 (UTC)
- 仰るとおり、中山みきの教えと異なることを天理教では説いていますね。「理の親」などはその最たる例でしょう。でも、これは現在の天理教の教えなのです。--くど 2008年7月1日 (火) 05:12 (UTC)
- いろいろ調べましたが、信仰活動の新たな例としては良いかもしれませんが、ある一つの教会が包括教団を抜けただけで、包括法人の天理教と同格扱いには出来ないと思います。先にも書きましたが、これが新たな信仰運動として賛同する教会が増え、この活動が天理教の主流かそれに準ずる状態になればこの教会は再度包括される可能性がありそうです。また、他教団の例でも良くあることですが、インターネットでウエッブサイトを持っていろいろ主張しているからといって、有力な信仰活動をしている新団体である証拠にはなり得ません。(仏教団体の場合は長年の蓄積があるから○○宗△△派とかうまく処理していますね。)--marufuku(HikaruFukushima) 2008年7月1日 (火) 15:30 (UTC)
公認活動について
[編集]- 「中山みきは天理教を立ち上げたわけではなく、むしろ宗教の設立を禁じていた」を「教団の公認活動には反対していた」に書き換えるのが適当だと思います。少なくとも中山みきは天理教の設立には関与していなかったのですから。--くど 2008年6月27日 (金) 07:16 (UTC)
- 一応言及しておきますが、「中山みきが天理教の設立には関与していない」という意見には同意できないことを言っておきます。marufuku(HikaruFukushima) さんも仰せの通り、中山みきは天理教を興した人物です。この前提が崩れると全部の記載内容にも影響が出ます。--TENDERAS 2008年6月30日 (月) 15:27 (UTC)
- あなたが同意できないだけではありませんか?前提が間違ったままではいけないと思いますが?中山みきは天理教を興した人物ではありません。興したとする情報源をお示しください。--くど 2008年7月1日 (火) 01:52 (UTC)
- 中山みきが天理教を興したというのは、全ての宗教研究者の総意で、全ての宗教事典で書かれています。ただし、くどさんの言うのは、後の明治政府に公認された宗教団体である「天理教」のことですが、百科事典では「江戸時代末期、奈良の農家の婦人中山みきが、天理教を興した」ことで一切間違いはありません。本人の意志はともかく、仏教が釈迦、キリスト教がキリストであるのと全く同じです。これらの大別した大まかに括った宗教名である「仏教」・「キリスト教」と「天理教」は同じレベルで語られるものだからです。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年7月1日 (火) 04:06 (UTC)
- くどさんが仰せの「宗教法人天理教は一宗派でしかない」という前提を貫くのであれば、ほとんどのこの項のページは書き換えです。歴史のところには分派の歴史を全部記載しなければならないですし、信仰生活の項にある「修養科」や「こどもおぢばがえり」等の「宗教法人天理教」主催行事のは全部削除しなければなりません(「ほんみち」や「天理教豊文教会」が主催しているわけではない)。あなたが書きたい天理教は宗教法人天理教及びその包括法人であるはず?なのに、冒頭の定義が違ってくるのであれば記事としての統一ができなくなります。--TENDERAS 2008年7月1日 (火) 10:59 (UTC)
保護解除へ向けての今後の編集方針について(2008年7月以降)
[編集]- 互いに編集した文章に個人の主観が入っていないか監視するしかないでしょう。注意していても自分では分からないものです。--くど 2008年7月3日 (木) 06:13 (UTC)
- 無断で相手のコメントを削除するのは感心しません。やめてください。--くど 2008年7月3日 (木) 05:54 (UTC)
- 保護解除へ向けて論争となっていますが、全体を議論してもよく分からなくなるので、項目を分けて議論したいと思います。議論に参加される方は、何を争点にしてくいかを明確にした上で、細節を作成してください。なお細節へ具体案等を投稿後、1週間程度で返答が無ければ、審議終了と致したいと思います。なお議論する場所であって、個々のユーザーを批判する場所ではないことをご注意願います。--TENDERAS 2008年7月4日 (金) 22:40 (UTC)
冒頭の定義・分派の扱いについて
[編集]まずは、宗教法人天理教・宗教法人包括法人天理教が天理教の元祖・主流で、他の天理教を信仰する団体を異端とする思い込みを取り除くことが必要です。得てして、自分たちが天理教の正しい継承者だと思い込んでいます。しかしながら、宗教法人天理教などは、教祖の教えにない教えを作ったり、教祖の教えと正反対のことを解いていたりしています。寧ろ、宗教法人天理教等が異端であるとも言えます。信者数も他の団体とさほど変わりません。--くど 2008年7月3日 (木) 05:54 (UTC)
- 天理教の定義としては、中山みきの教えを信仰しているものとするのがいいでしょう。そして、その教えを中心に記述すればいいでしょう。宗教法人天理教が天理教の元祖であり主流であると誤解している人がいますが、これは中立性に欠きよく無いと思います。自分が「宗教法人天理教」以外の団体の視点から見て、この項がどう見えるのかをみれば、分かることだと思います。--くど 2008年7月3日 (木) 06:13 (UTC)
くどさんが考える天理教とは何なのでしょうか?未だに私には理解ができかねます。
それはさておき、まず冒頭の定義については
「天理教(てんりきょう)は、日本の新宗教の一つである。教祖中山みきにより伝えられた親神天理王命を崇拝対象とする。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人等(教会本部及び一般教会)からなる宗教集団を指し、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合がある。本稿では、狭義の天理教について述べる。 」
まで一旦遡ることを改めて提案します。少し議論を分かりやすくするために以下のように分類します。
- (A)宗教法人天理教及びその包括法人
- (B)天理教豊文教会及び今後予想される包括から抜ける法人
- (C)ほんみちのように宗教法人天理教の包括法人だったが、現在は完全に別団体として独立し、天理教を名乗らない宗教法人
- (D)モラロジー研究所のように宗教法人天理教の影響はあるが、完全に宗教とは捉えられていないもの
まず一般的な宗教辞典等で天理教と認識されているのは、Aです。Cは、大分類として天理教系の宗教と分類されることはありますが、天理教と記載されている文献はありません(あれば出展元を提示してください)。Bについては最近の事例であることから、一般的な宗教辞典では言及されてはいませんが、最高裁の例からも天理教の項目で含めても記述するべきです。が、冒頭での「広義の天理教に含める」程度で十分かと思います(先の議論で終わっています)。くどさんやMesianさんが主張されているC・Dを冒頭の天理教の定義で含めるのは議論が錯綜しているところですが、含めない方が適当と思います。冒頭の定義では含まず、別項目で立てるべきかと思います。その際はDのような団体にも配慮し、「天理教からの分派・影響を受けた団体」という項目をたててその中で列挙し、詳細は他の項で譲るというスタンスでいくべきかと思います。ちなみに、ほんみち等については、一般的な宗教辞典においても分派という言葉を使っているので差し支えないですが、天理教豊文教会については、分派扱いにはできないことから分派項目では扱わず、広義の意味の天理教として捉え、その他の項等で記述するのが適当かと思います。何度も言いますが、くど の主張のように、全ての天理教からの派生団体を本項目の冒頭で扱うことには無理があります。ほんみち等は天理教ではありません。また以前にEkiqloさんがやられたように、宗教法人天理教を立てて、そこで宗教法人天理教を記述し、他の団体についても他の項目をたてて記載していくようなやり方を主張されていますが、それでは天理教とは一体何を記述すればよいのか私には分かりません。1838年における天啓から天理教の歴史は始まったと考えるのが宗教学での通説であり、立教日が異なる宗教団体を含めるのは適当ではありません。また天理教豊文教会のような法人であっても、その団体の歴史が始まるのは天啓よりずっと後のことになります。このような主張をされるのであれば、どのような記述をするのか方針を示してください。あなたの主張どおり進めるとするのであれば、どのように編集されていきたいのか全く見えてきません。--TENDERAS 2008年7月3日 (木) 12:53 (UTC)
- 前の文章に天理教の定義を書いていますが?これ以上どう説明したらいいのか私には理解できかねます。--くど 2008年7月3日 (木) 18:21 (UTC)
- >くどさんやMesianさんが主張されているC・Dを冒頭の天理教の定義で含めるのは議論が錯綜しているところですが、含めない方が適当と思います。
- またこのTENDERASさんは、勝手に思い込んでいるよ。どうにかならないですかね?皆さん。CとDを含めるなんて書いていませんが?ちなみに私の見解は、中山みきの教えに沿って信仰している団体を天理教と定義しています。ある意味、宗教法人天理教は中山みきの教えから反した教えも解いているわけですが、こっちの方がよほど異端だった(理の親制度や心定めというお供えのノルマを決めさせることなど)り此はおいておきましょう。天理教豊文教会などの団体の記述を削除するという意見には反対です。少なくとも、団体名を上げ、リンクをつけて、別項で述べるという配慮が必要だと思います。宗教法人天理教が本家だというのは宗教法人天理教から未体験です。他の団体からすれば、うちこそ本家だと主張するのは当たり前です。公平とはそういう意味です。この項で宗教法人天理教のことを述べるにしても、最低これくらいの配慮が必要ですな。--くど 2008年7月3日 (木) 18:32 (UTC)
- それでは提案は全部呑んでいただいたということで終わりにしましょう。AとBを冒頭で述べるのみで、CとDは冒頭では述べず、本項の1節で設ける方向で。--TENDERAS 2008年7月3日 (木) 22:34 (UTC)
三島神社の記述について
[編集]三島神社については天啓を受けた場所としての記述は何ら問題ないですが、強制移転はないです。それと三島神社の神様が同一というのも同意できません。噂話程度なら、天理教の神は、神社の神様と仏様が合体したスーパー超越神なんて、全く信憑性のないものも聞いたことがありますが、その程度の噂話と何ら変わりないと思います。出典元を明らかにするべきでしょう。あと、移転は事実ですが、強制移転は同意できないところです。これについては出典を明確にしてもらいましょう。--TENDERAS 2008年7月3日 (木) 22:39 (UTC)
- 特に意見が無かったため、終わりとします。--TENDERAS 2008年7月10日 (木) 16:36 (UTC)
教義の扱いについて
[編集]教義の扱いですが、冒頭の定義が狭義の天理教即ち宗教法人天理教を述べると固まったので、教義は宗教法人天理教の視点から宗教法人天理教の主張するままに記述することを提案いたします。その上で理の親とかにのきりと言った教義にない項目は削除することを改めて提案いたします。おそらく、「公平性をたもてない」「偏向である」などの異論があると思われますが、そもそも宗教の教義に公平性や第三者の視点は必要ないと思いますし、個人的な主観の入った批評は賛美・批判に関わらず、載せるべきではないでしょう。また「教義はカルト性がなくても教団活動に問題がある」と言ったような記述は、別項目を設けるべきであって、その場合でも創価学会#社会的評価のように、編集される方は、個人批評は載せず、出典元や批評者を明らかにした記述にするべきだと思います。--TENDERAS 2008年7月4日 (金) 22:55 (UTC)
- 特に意見が無かったため、追認されたものとします。--TENDERAS 2008年7月10日 (木) 16:36 (UTC)
保護解除について
[編集]問題点等をいくつか提起してまいりましたが、ノート整理以後、特に意見等がないことから保護解除依頼しても問題が無いように思います。なお、現在の本項の記述がかなり教団サイドにたった記述が散見されるため、もう少し平易で分かりやすい記事にしたいと個人的には考えています。ご意見がありましたらよろしくお願いします。--TENDERAS 2008年7月10日 (木) 16:36 (UTC)
- 保護解除に、賛成です。天理教を初めて調べる人にわかりやすい記述になるのが理想ですね。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年7月11日 (金) 14:04 (UTC)
現状でも堅苦しい記述になっています。特に歴史の部分は、重箱の隅をつつくような記述になっています。一般の人にも分かりやすいないように改めた方がいいです。--Tantan66 2008年8月30日 (土) 00:25 (UTC)
保護解除に伴う加筆編集
[編集]冒頭が歴史から始まっていたため、分かりにくいと思い、「概要」「教勢」の項を設けました。あと、分派の項も設けております。記載内容に問題があれば編集をお願いします。なお編集合戦を避けるため、大幅に加筆される場合は、ノートで提案等をお願いします。--TENDERAS 2008年7月15日 (火) 00:38 (UTC)
- 信者数にについてですが、天理教では信者数を水増しするために、ダブルカウントを行っています。これは、他の新興宗教でも見られることです。祭典日の参加人数は3箇所でカウントしており、それぞれ一人とカウントしています。なので本来一人であるにもかかわらず、3人とカウントされています。ですので、信者数に信頼性がないのです。このような数字を上げるのは適当ではありません。削除すべきです。--Tantan66 2008年8月30日 (土) 00:14 (UTC)
- まずは、出典を明らかにしていただけますでしょうか。現在記述のある50万人についても信憑性は疑わしいのですが、出典を明らかにした数字です。創価学会#教勢の項も参照していただきたいのですが、出典が明らかであれば記載するのには異存がありませんが、逆に言えば出典が明らかでないものは削除される可能性がありますのでご注意ください。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 01:34 (UTC)
教祖と御霊様
[編集]Tantan66氏が過去の定義(Mesian氏=Ekiqlo 氏が書かれた内容)などを復活されておられましたが、いわゆる御霊様(=祖霊神)は、多くの教派神道系宗教団体で教会内に場所を設け奉祭しています。この御霊様を主祭神と同様な崇拝対象であるとする記述ですが、これは仏教の門徒(宗徒)がそれぞれの祖先を供養するのと同様の内容であり、これを天理教の崇拝対象と見なすことは出来ないと思います。また、黒住教や金光教では明確にそれぞれの教祖を祭神の一つとして定めていますが、天理教では教団的にそういう定義があるのでしょうか?--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月29日 (金) 16:48 (UTC)
- ノートでの議論が必要というのは分かりませんでした。そのため、直接記述を変更しました。ご理解ください。天理教では一般的にその3つを崇拝しているとしていますので、そちらの表現が正しいです(天理教に問い合わせれば分かりますよ~♪。)また日本三新宗教についてですか、これには諸説があります。また、天理教を新宗教に入れるかどうかも諸説があります。ですので、削除するのが適当です。「Tantan66氏が過去の定義(Mesian氏=Ekiqlo 氏が書かれた内容)などを復活されておられましたが」と?--marufuku(HikaruFukushima)とわけの分からない言いがかりはやめてください。根拠のないことは書かないと主張しておられる方がそれを破ってはいけません。あなたの判断の根拠がなく、推論で述べられています。いい加減なこと書いているのはあなただと思います。一番上に「礼儀を忘れずに」 「発言を善意に取るようにしましょう」 「個人攻撃をしない」とあります。礼儀に欠き。いきなり推論で決めつけられ、悪意にとり、私を個人攻撃しています。最初から喧嘩腰では議論にはなりません。もう一度読みましょう。 発言の取り消しと謝罪を求めます。--Tantan66 2008年8月29日 (金) 23:59 (UTC)
- 崇拝対象ですが、宗教教団情報データベースで教団側が明らかにしているように、親神のみを冒頭で記載するのが適当かと思います。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 01:34 (UTC)
- (追記)こんなのも参考にしてください。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 03:24 (UTC)
- 悪意に取られたことは残念です、検証可能性に難点のある記述が過去に行われ、その内容が復活しているということを述べただけで、御気分を害されたのでしたら謝罪いたします。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月30日 (土) 06:39 (UTC)
- 明らかに、悪意を持った記述だと思います。根拠もなく、荒らしと決めつけられたのですから。推定でものを書かないように。以後このようなことは書かないでください。ノート冒頭に「礼儀を忘れずに」「発言を善意に取るようにしましょう」 「個人攻撃をしない」とあります。あなたはそれを守りませんでした。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 05:37 (UTC)
- 私の持っています道友社編の「教理から現況まで天理教」に祖霊殿の記述がありますが、『中央に中山家の霊と飯降伊蔵、上田ナライト、山中忠七の霊、右に本部員と同婦人の霊、左に一般教会長及び信者の霊が祀られている』と書かれているのみです。(多分それぞれに関係する方々は大切に参拝されているかと思います。)また、教祖殿では「存命の教祖」にいろいろおたずねして御教えをいただけるという形態の授け行事がおこなわれていると書かれていますが、崇拝が行われているのかは明確な記述がありません。神殿では、崇拝行事である、いろいろな祭儀や恒例祭、各種の「つとめ」があるとかかれており、主祭神たる所以であると思います。ですから、私も親神のみを冒頭に書くのが適切だと思っております。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月30日 (土) 06:39 (UTC)
編集議論
[編集]冒頭
[編集]--Tantan66 提案 -天理教が新宗教に含まれるかどうかは諸説があるため削除したほうがいい。江戸時代末期という微妙な時期に成立しているから。また日本三大新宗教にも諸説がありため削除するのが適当。日本三大宗教としている文献が示されていないのも理由。天理教の一般向け説明では、おやさま・おやがみ・御霊様を祭っているとなっている。重箱をつつくような説明ではなく、こちらの方が分かりやすい。また教祖と書くと中山みきが天理教を興したと誤解されるため、注釈をつけることが望ましい。教祖は、宗教を作ることには反対であった。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:26 (UTC)
- 冒頭の定義は簡単な方がよいであろう。ここは百科事典であり、コンパクトに定義すれば
- で十分であろう。そして概要に、この項目は「天理教」と現在呼ばれる宗教の来歴、人物、教義、組織、そして残りは現在の包括宗教法人天理教の解説項目に限定した記述であることを述べ、その内容を後述するほうが良いであろう。また、教義内容や、教祖が誰なのか、祭神は何なのか?などは過去から公表され公式に知られた内容に基づくべきである。もし貴方の独自の信仰的解釈を載せ、なおかつ独自研究化させたくない場合は、あらかじめ自らの著書、論文で発表し検証可能性を満足させた後付記するべきである。ただし、自著の持ち込みは制限されているので書き方に工夫が必要である。また私が新宗教という用語を使うのは、19世紀以降に成立した宗教を呼ぶ宗教学会での一般呼称であり定着したものであるからである。だれが言い出したか判らない、日本三大新宗教は諸説があるならその列挙を日本三大項目で行い、それぞれにリンクを張って整合性をとるべきである。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月6日 (土) 09:58 (UTC)
- 「新宗教」の文言については諸説あるため、却下します。教科書に書かれていると書いておられたTenderasさんからも一向にどの教科書に書かれているのか示されていませんし。Tenderasさんは都合の悪いことは黙りなのでしょう(他の項目でも自分の気に入らない投稿を削除するというトラブルを起こされています)。反論するならHikaruFukushimaさんのようにそれなりの根拠を明確に示す必要があると思います。そしてHikaruFukushimaさん、あなたのいう宗教学会が示す定義について検証したいので、それが示されている文献を教えてください。また、提案された文章では、中山みきが天理教を興したと誤解されます(宗教の研究者でも誤解している人もおられます。天理教が中山みきを教祖と呼んでいるため、誤解されたのだと思いますが)。中山みきは生前宗教を作ることを快く思っていませんでした。そして、中山みきの側近によって、天理教が成立しました。ここで編集されている方ならご存じでしょう。簡素な記述にすることについては賛成します。
- 天理教は19世紀に成立した日本の天啓宗教の一つである。
- または、
- 天理教は19世紀に成立した日本の創唱宗教の一つである。
- または、
- 天理教は19世紀に成立した日本の教派神道の一つである。
- がいいでしょう。3つめは歴史教科書で使われている表現をもちいました。教科書は中立性が一番保たれているものですし、最も信頼できる文献の一つです。諸説ある場合も、注釈を入れるなど、かなり慎重に取り扱われています。新宗教より、こちら(教派神道)の方がより一般的な記述であると言えます。Wikipediaは宗教に詳しくない人が多く利用するわけではありませんから。また、私独自の信仰的解釈は行っておりません。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 13:39 (UTC)
- 新宗教という用語については、新宗教事典(弘文堂ISBN4-335-16018-6 1990刊)の2ページからの「新宗教の概念と発生」の項目に準じている。ここに東大の宗教学者島薗進による詳細な過去から現在に至るまでの用語の変遷、この事典での定義の解説がある。この本の編者や項目執筆者は総て現代の主流となった宗教学者が執筆しており、その後この本が元になって、新宗教の範囲、新宗教の発生時期、旧来の宗教との分類区別がどこで行われているかは宗教学者間のスタンダードな内容になっている。また、この事典に載っている宗教はすべてこの広めの定義で新宗教を規定し収集した宗教情報であり、天理教ももちろん含まれている。現在大学向け教科書として執筆された本に「宗教学キーワード」(有斐閣ISBN4-641-05883-0 2006刊)がある。この本も上記定義を元に新宗教という概念を扱っている。P.177に解説がある。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月7日 (日) 15:11 (UTC)
- 参考までに新宗教事典での新宗教の定義をタイトルだけ抜き出すと以下の通り。括弧内に除外する団体の例と内容も簡単に付記したが、それに付いても詳細な理由があるので誤解を招かないよう必ず同書をを参照して欲しい。この本は専門的で結構高価な本だったので小さな市町村の図書館にはないかもしれないが、多分大きな図書館にはあると思う。
- 1.宗教であること。(朝起会とかモラロジー研などは新宗教に含まれない)
- 2.成立宗教であること。(民間信仰レベルの内容のものは含まれない)
- 3.既成宗教から独立していること。(山崎弁明の光明会など独立していないものは含まれない)
- 4.民衆を担い手としていること。(内村鑑三の無教会とか、西田天香の一灯園など知識人が提唱したものは含まれない)
- 5.成立時期が幕末維新期であること。(この項目は事典の内容を必ず読んで欲しい。なぜこの時期にしたのか、過去の諸説も含め解説している)--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月7日 (日) 15:47 (UTC)
- 「新宗教」という言葉は宗教学などにおける専門用語であり、一般的とは言えません。「新宗教」という言葉についての説明が必要です。しかし「新興宗教」であれば、多くの一般の人が理解することが出来ます。無駄に説明を加えるより、分かりやすい「新興宗教」という言葉を使った方がいいでしょう。「新宗教」とより分かりやすい「新興宗教」に変更したいと思います。--Tantan66 2008年9月9日 (火) 08:55 (UTC)
- 「新宗教」の文言については諸説あるため、却下します。教科書に書かれていると書いておられたTenderasさんからも一向にどの教科書に書かれているのか示されていませんし。Tenderasさんは都合の悪いことは黙りなのでしょう(他の項目でも自分の気に入らない投稿を削除するというトラブルを起こされています)。反論するならHikaruFukushimaさんのようにそれなりの根拠を明確に示す必要があると思います。そしてHikaruFukushimaさん、あなたのいう宗教学会が示す定義について検証したいので、それが示されている文献を教えてください。また、提案された文章では、中山みきが天理教を興したと誤解されます(宗教の研究者でも誤解している人もおられます。天理教が中山みきを教祖と呼んでいるため、誤解されたのだと思いますが)。中山みきは生前宗教を作ることを快く思っていませんでした。そして、中山みきの側近によって、天理教が成立しました。ここで編集されている方ならご存じでしょう。簡素な記述にすることについては賛成します。
--Tantan66提案 天理教(てんりきょう)は、日本の新興宗教の一つである。教祖中山みき(中山みきが天理教を興したわけではないが、天理教では教祖と呼ばれる)を崇拝対象とする。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)及びその傘下の被包括宗教法人等(教会本部及び一般教会)からなる宗教集団を指し、広義には中山みきが伝えた教義を信仰している宗教全体(教祖の教えを正しく信仰するために起こった、ほんみち、天理教豊文教会などの天理教を信仰する団体群)をさす。本稿では、主に狭義の天理教を中心に述べ、その他の団体は、それぞれの項に譲る。--Tantan66 2008年8月30日 (土) 00:55 (UTC)
- 一般的には江戸後期からの宗教が新宗教として見なされてますし、高校の歴史教科書でも黒住教や金光教と同じ幕末期の新宗教として扱われてるので、特に問題ないかと思います。崇拝対象についても、教団側は親神を基本に置いているので、冒頭の定義はいじらない方が適当。教祖や御霊については、概要でもう少し触れる程度で十分ではないでしょうか。また「教祖」「中山みき」の表記ですが、保護解除の編集後は、極力「教祖」に置き換えました。宗教総論でも明らかなように天理教の教祖は「中山みき」であることは明白です。教団の組織化運動への反対意志については、沿革の項でも述べているので、それで十分かと思います。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 01:34 (UTC)
- あなたが上げられている歴史教科書を示してください。新宗教の定義は実際ははっきりとはしていません。新宗教の定義が江戸時代後期からというのも一般的とは言えません。新興宗教の定義がはっきりとしていないのと一緒ですね。また特に、三大新宗教について取り上げる必要もないです。厳密な考察をTENDERASさんはされていらっしゃるようですので、新宗教の定義についての文献を示していただければと思います。また新宗教についてご教授願えればと思います。不確かなものは削除した方がいいでしょう。--Tantan66 2008年8月30日 (土) 14:27 (UTC)
- 新宗教については、本文中の文献としても示している「日本の10大新宗教」の1つとして取り上げられていることから通説だと思います。もちろん諸説があるのは了知していますが、だからといって新興宗教が変わりに使われるのも同じことではないでしょうか。単に宗教でもいいかと思いますが。また三大新宗教については、私も冒頭で触れることは違和感を感じていましたが、これはノートでの以前に合意されたいた事項であったので、それを尊重したまでです。これについては他者のご意見をお聞きしたい。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 16:16 (UTC)
- あなたが文献としてあげられた歴史教科書を示されないのはどうしてですか?嘘だったのですか?他人には文献を示せと書いておいて、自分は書かないのはどうしてですか?根拠のない記述として該当部分を削除しました。--Tantan66 2008年9月3日 (水) 02:05 (UTC)
- 実際に日本史の教科書を調べましたが、日本三大新宗教の記述は見られませんでした。TENDERASさん、嘘を書かないようお願いします。合意形成のほとんどは一部の筆者を追い出したあと、ふたりの筆者によって合意したものに過ぎません。また合意されたからと逝って正しい記述とはなりませんし、合意された文章を今後編集してはいけないというわけではありません。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 01:06 (UTC)
- Los688さん。tendarasさんが歴史教科書の出典を示せない件に関してはお咎め無しですか?出典を示せないことはあきらかにおかしいですよね?公平な処分をお願いします。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 05:44 (UTC)
- 誰が使い出したのか不明な、日本三大新宗教は新宗教の範囲が現代では広くなったので確かに不適当かもしれません。Googleで検索すると、wikiを元に書かれたページが多数ヒットします。ただ、この黒住・天理・金光の三教の組み合わせは他の同時期成立の教派神道や仏教系新宗教と入れ替えられずにひとくくりにされ、研究者の間で変動がないのは事実です。[6]「黒住、金光、天理に代表される神道系民衆宗教」などという連名のものもあれば、「日本」ではなく「幕末の」や「19世紀の」をつけた三大教派(神道)や三大新宗教、三大新興宗教、三大民衆宗教という用語は講演などで良く聞きました。また、三教祖と、この黒住、金光、天理の教祖を呼び比較している論文もありました。いずれにしろ外すならこの三教のそれぞれの内容から同時に外しましょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月31日 (日) 17:09 (UTC)
- 三大新宗教について外すことに同意します。他のページについては、一応ノートで提案して意見を求めておいた方が良いかと思います。--TENDERAS 2008年9月1日 (月) 04:08 (UTC)
- 黒住教と金光教に告知をしておきます。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月1日 (月) 15:01 (UTC)
- 三代新宗教に関して外すことに同意します。ところでLos688さん、これで合意が出来たとするのでしょうか?このあと反対の人が出た場合、合意不成立となるのでしょうか?いつまで待てばいいという明確なルールがありますか?それを示してから、保護の手続きをしてください。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:26 (UTC)
- 黒住教と金光教に告知をしておきます。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月1日 (月) 15:01 (UTC)
- 三大新宗教について外すことに同意します。他のページについては、一応ノートで提案して意見を求めておいた方が良いかと思います。--TENDERAS 2008年9月1日 (月) 04:08 (UTC)
- 少し調べてみましたが、imidas1996なんかを見ても天理教は新宗教とは紹介していませんし、三大新宗教とも乗っていません。中国の天理教もあるようですから、「天理教は江戸時代末期に日本で開かれた宗教の一つである」ぐらいが冒頭の定義としていいかと思います。ご意見があればお願いします。--TENDERAS 2008年9月1日 (月) 23:58 (UTC)
- imidasは参考文献にならないと既にノートで指摘されています。意図的にノートを削除されていなければ、記述が残っているはずです(笑)。冒頭の文章の提案は複数出ていますので、すりあわせが必要です。結論が出るまであなたの案を却下とします。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:26 (UTC)
- 単純な定義に変更することに賛成します。定義の参考には賛否はあるかもしれませんが広辞苑などの辞書が妥当でしょう。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月6日 (土) 10:02 (UTC)
崇拝対象
[編集]天理教の一般向け説明では、おやさま・おやがみ・御霊様を祭っているとなっている。重箱をつつくような説明ではなく、こちらの方が分かりやすい。--Tantan66 2008年8月30日 (土) 00:55 (UTC)
- 崇拝対象についても、教団側は親神を基本に置いているので、冒頭の定義はいじらない方が適当。教祖や御霊については、概要でもう少し触れる程度で十分ではないでしょうか。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 01:34 (UTC)
- もしそうであるのなら、親様(教祖)を崇拝するは削除します。--Tantan66 2008年9月4日 (木) 02:00 (UTC)
- Los688さん、これについては議論の参加者から異論が出ていないですし、削除してかまいませんよね?公平にお願いしますよ。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:26 (UTC)
- 天理教の教会に見ますと三つ神殿があり、中央に主祭神を奉祭し、両脇に教祖様と御霊様を祭祀した形になっています。このうち、祖先の御霊様を霊神として祭祀するのは明治の教派神道の政策で、寺院に対抗して、ほとんどの教派神道がこの形式を採用し、霊神は主祭神に含まない方が一般的です。ところで、教会の構造を記述した内容や御霊様の崇拝についてもし書かれるのでしたら、その崇拝方法について内容に触れていただけるとありがたいと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月30日 (土) 06:07 (UTC)
- 中央に主祭神を奉祭し、両脇に教祖様と御霊様を祭祀した形というのが一般的な信仰の形です。しかし、この項目で御霊様を崇拝対象としない理由は何でしょうか?--Tantan66 2008年8月30日 (土) 14:27 (UTC)
- TENDERASさんの説明とmarufuku(HikaruFukushima)さんの説明では御霊様が崇拝対象ではなく、親神が崇拝対象であるという合理的説明がなされましたので、提案を取り下げます。--Tantan66 2008年9月4日 (木) 05:22 (UTC)
- 中央に主祭神を奉祭し、両脇に教祖様と御霊様を祭祀した形というのが一般的な信仰の形です。しかし、この項目で御霊様を崇拝対象としない理由は何でしょうか?--Tantan66 2008年8月30日 (土) 14:27 (UTC)
沿革
[編集]--Tantan66 2008年9月4日 (木) 05:04 (UTC)の修正提案 1838年(天保9年)10月26日に大和国山辺郡三味田村(現在の奈良県天理市三味田町)の農民中山みきが、息子・秀司の病気を治すために、山伏に祈祷を依頼した。それでも治らなかったため、自ら修験者の霊媒となった際に、「親神(おやがみ)」天理王命(てんりおうのみこと)が天降ったとされる。教会本部ではこの日を「立教の元一日」と称し、ここから天理教の歴史が始まったとされる。なかやまみきは、自家の資産をすべて人々に施し、30年にわたる清貧を貫き、しかる後、安産や、人々の病気を治す、陽気な授けなどの奇跡を起こし、近隣の住民の尊敬を集めたと伝えられる。--Tantan66 2008年9月4日 (木) 05:04 (UTC)
- 中山家の没落は、中山みきが資産を全て施したのではなく、実際は長男が米相場や商売などに失敗したのが原因です。ご存じだと思いますが、おふでさきは一般信者には公表されていません。また高弟達によって、教理を歪めているところがあります。例えば、「理の親」制度です。伝えられているとありますが、その文献は何ですか?--Tantan66 2008年8月30日 (土) 14:39 (UTC)
--Tantan66 2008年9月4日 (木) 05:04 (UTC)の修正提案 活動の特異性から、地域の寺社からは疎まれ、幾度となく官憲からも弾圧を受け、教祖は逮捕・拘留された。中山みきは、周囲の高弟達に宗教を作ってはいけないとつねに教えていた。しかし側近達は、天理教教団を作ろうと動いた。息子・秀司が1867年(慶応3年)、京都神祇管領吉田家に願い出て布教認可を得たが、明治維新後は無効。取締りが厳しくなった1880年に既成宗教に傘下に入ることを試み、高野山真言宗へ願い出て「転輪王講社」を結成したが、翌年に活動の中心を担っていた息子・秀司が死亡。更に、官憲からの取締りが多くなってきたことから神道の一派として講社を立ち上げることを試み、1885年(明治18年)5月23日に、ついに神道本局傘下の六等教会「神道天理教会」として認可されたが、その直後に教祖が死亡した。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 22:37 (UTC)
- 少し気になって一般的な文献を調べましたが、「自家の資産をすべて人々に施し、30年にわたる清貧を貫き」「近隣の住民の尊敬を集めたと」の部分は確かに中立的でないし、教団側にたちすぎた記述かと思います。問題が無ければ除去したいと思います。--TENDERAS 2008年9月1日 (月) 23:58 (UTC)
- 現在の天理教は、教祖を美化する傾向にあります。そのため史実と異なることがあります。除去に賛成します。特に異論がなければ削除します。--Tantan66 2008年9月4日 (木) 01:18 (UTC)
以下、TENDERASによって無断削除された記事を再掲載する。記事を編集することを許可していません。勝手なことはしないでください。また、これに関してLos688さんは咎めないのですか?明らかに公平性に欠いていると思いますが。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 05:55 (UTC)
意図的に部分的に提案を削除されたため復活します。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:05 (UTC)
教団組織
[編集]- 統理者は真柱であり、初代には教祖中山みきの孫にあたる中山眞之亮が就いた。以後、血統者が就任している。現真柱は中山善司であり、4代目となる。
- 宗教法人天理教の主たる事務所組織を「教庁」という。布教部、海外部、教義及史料集成部、教化育成部、輸送部等は教庁の組織である。宗教法人天理教の代表役員は表統領といい、主に教団の事務関係を司り、真柱以外の者が就任している。また、宗教法人天理教の意思決定機関は「集会」と呼び、集会員が選出されている。
- 宗教法人教会本部の組織には、境内掛、修養科、別席場等が含まれる。宗教法人教会本部の代表役員は内統領と称し、真柱以外の者が就任している。また、意思決定機関を本部員会議と呼ぶ。
- 教会本部がある敷地内にはかつて中山みきが天啓を受けた三島神社があった。(--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:05 (UTC)提案)
信者数
[編集]天理教教会本部によれば、明治末期の段階で10万人程度であったが、第二次世界大戦に突入する頃には、30万人程度に急増している。時を同じくして(狭義の天理教から見て)分派団体が多く発生したとしている(分派については後述)。現在のところ教会本部の公称では190万人程度[1]としている。但し、正確な信者数は把握されていない。理由は天理教には本来「信者」という概念がないためである。利用者:Tantan66 2008年9月4日 (木) 01:13 (UTC)提案
- 文化庁の届出人数は出展があれば明記してもらえれでしょうか?なお実質活動信者数については、前回も述べたとおり出典をお願いします。--TENDERAS 2008年8月30日 (土) 16:15 (UTC)
- 日本10大新宗教という出典を明記した「多くて50万人」が削除されました。これが駄目ということであれば、公表されている数値しか載せては駄目だと思います。--TENDERAS 2008年9月3日 (水) 02:32 (UTC)
- 数字は、天理教が文化庁に届けた信者数です。最新の信者数については文化庁(http://www.bunka.go.jp/index.html)に問い合わせてください。但し、これは天理教の自己申告によるものです。TENDERASさんの書かれているとおり、正確ではありませんから、異論がなければ削除したいと思います。--Tantan66 2008年9月4日 (木) 01:13 (UTC)
- 「多くて50万人」という曖昧な推定値を載せるのは適当ではありません。同様に私が提案した20万人という値も同じものです。公称人数のみを示し、正確な信者数は把握されていないことを但し書きします。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 22:39 (UTC)
広義の天理教団体(分派・影響を受けた団体)
[編集]- 天理教は、分派が数多くある団体として知られている。これについては、宗教学者等は中山みきや飯降伊蔵の死後、親神の意思を伝える天啓者がいなくなったことに起因していると分析している[2][3]。特に、飯降の死亡後の大正から昭和初期にかけて多く誕生している。「ほんみち」・「ほんぶしん」・「おうかんみち」・「神一条教」・「うち分け場所」・「茨木一派」「大道教」「太道教」「世界心道教」「修養団奉誠会」「天輪王明誠教団」「日月神一条」「天真教」「神光苑」「天理教豊文教会」などの宗教団体のほか、財団法人の「モラロジー研究所」などがある。詳細はそれぞれの項で述べる。
- 天理教豊文教会は、宗教法人天理教の被包括宗教法人であったが、2001年に包括から抜ける。その後も「天理教」の法人名を使用した唯一の団体であったため、「天理教」は宗教法人天理教の商標であるとして、名称使用差し止めの民事裁判が行われたが、判決では「天理教」は宗教法人であり、利益追求する団体ではないとし、「天理教」の名称は天理教の商標とは認められないとされた。そして(広義の)天理教を信仰する団体は天理教の名称を使うことが出来るとされた。天理教豊文教会が「天理教」と名乗ることが認められた[4]。(--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:05 (UTC)提案)
- 宗教法人天理教から見れば、これらの団体は分派ですが、分派から見れば宗教法人天理教は天理教を正しく信仰していない異端と見えます。実際、天理教豊文教会など、正しく天理教を信仰するために腐敗した天理教組織から独立したと主張している団体が幾つかあります。公平性からも、これらの団体の扱いには十分配慮する必要があります。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:05 (UTC)
この項目について
[編集]2名程度の合意だけで、それ以降の記述変更がほぼ不可能というルールで運営されている実態を見ました。実際は天理教による操作が行われているのでしょう。一方の編集者だけを荒らしと決めつけ、切り捨てるやり方も疑問に思いました。
> Tantan66氏が過去の定義(Mesian氏=Ekiqlo 氏が書かれた内容)などを復活されておられましたが、--marufuku(HikaruFukushima) 2008年8月29日 (金) 16:48 (UTC)さんの文章を引用
などと、頭から荒らし扱いをされました。あまりにも失礼ですし、まずは説明が必要ではないでしょうか?Wikipediaの運営にはがっかりしました。Wikipediaの記述は信頼できないものだということが分かりました。とても残念に思います。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 01:40 (UTC)
保護
[編集]緩慢な編集合戦および対話を軽視した編集により保護。少なくとも、冒頭文章については、2007年11月と2008年7月の2度にわたり文案が提案され、合意形成がなされている。合意形成はwikipediaにおける共同作業の大切な考えの一つであり、それは尊重されねばならない。対話参加人数はほとんど関係ありません。先の対話実績が重視されます。それを軽視する編集はおやめ下さい。合意は変更可能だが、先にそれを変更するという明確な再合意が形成せずに編集を行えば、対話を軽視したものと判断せざるを得ません。やむをえず一旦、合意が出されている文面まで巻き戻しました。で、「文案」まで出して検討した先の対話参加者の努力を軽視することはやめて下さい。再合意の際も「文案」を出して丁寧に合意形成を図ってください。--Los688 2008年9月6日 (土) 01:46 (UTC)
- 議論に参加しているにもかかわらず、一方のみを「議論を軽視」しているとされたことを残念に思います。ノートで提案して異論が出なかったため、編集をおこないました。それなのに、議論を軽視したとされるのは心外です。またTENDERAS氏がノートの私の記述を編集した件に関してお咎め無しということになっています。どこまでが私の記述で、どこをTENDERAS氏が編集したのかあれでは分からなくなります。公平性が無く片寄った運営がなされているように思いました。とても残念です。このあと、編集が出来なくなるようにされるでしょう。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 02:02 (UTC)
- 議論を軽視した覚えはありません。明確な誤りがあったものを編集したまでです。また提案後、異論がなかったため編集しました。それなのに、Los688が編集を元に戻すのはおかしいです。Los688氏、敢えて質問します。Wikipediaの明確な「合意形成の定義」を示してください。Wikipediaのどのページに掲載されているのか明確に示してください。Los688はルールに基づいた処理を行ったと思いますので、ルールを明示できなければおかしいでしょう。どのようなとき合意したと認められるのか?期間は何日なのか?多数決なのか、全会一致なのか?そもそも対話の参加者は誰をさすのか(明らかに明確でない)?対話参加人数の定義は?対話参加人数は関係がないということですが、一人でも異論を唱える人がいれば引き続き議論することが必要なのか?示せないのなら、やはり公平性にに欠く運営だと思います。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 05:16 (UTC)
- Los688さん、tendaras氏がノートの私の記述を編集している件に関してはお咎め無しですか?どれが元の文章で、どこがあなたが編集した文章か分からなくなります。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 05:31 (UTC)
- 通常であれば、編集を戻すことをノートに明記して、本文をリバートすればいいはずである。編集保護は必要ない。にもかかわらず、Los688が私が編集したすぐに編集保護したということは、私を理由もなく荒らしだと決めつけているためである。編集保護は必要なく議論を続ければよい。Los688は公平さを欠いている。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 07:34 (UTC)
編集保護の解除依頼を申請しました。少なくとも私は、今後ノートで議論し合意するまで本文の編集は行いません(合意のルールの呈示をお願いしますね)。また、編集保護された方には、公平な見地でお願いします。十分な理由がないままあらし扱いをしないで頂きたいですね。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 07:46 (UTC)
- このノートも巨大化して編集が煩雑になっています。2008年前半より過去の内容を過去ログ化してすっきりするべきかと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月6日 (土) 10:11 (UTC)
- 現在議論が進行中です。過去ログへの移行には反対です。過去どのような経緯で編集が行われたのかノートにあった方が分かりやすいからです。過去ログへの移行は、概ね議論を経て合意してからが適当です。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 14:05 (UTC)
注意
[編集]TENDERASによって無断編集・削除された部分を復活するにあたり、編集が錯綜しているため、完全に元に戻ったと言えない状態となっています。あらかじめご了承ください。またこれにより、タイムスタンプと実際の編集時刻が一致していないところがあります。このような事情により起こったことです。ご了承ください。--Tantan66 2008年9月6日 (土) 06:45 (UTC)
過去ログ化について
[編集]- 既にノート項目が結構大きくなってきました。見通しが悪いのは事実です。先にも書きましたが、ある程度過去のノート内容をサブページに移動し、すっきりコンパクトにして議論を行うのが見通しが良いかと思います。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月8日 (月) 15:04 (UTC)
過去ログ化については、議論を拡散させないという意味では有効な手段ですが、明確に反対の意志をTantan66氏は示しています。また私自身は、もう少し議論の終着点を待ってからログ化しても遅くないと考えており、現状でのログ化は反対です。--TENDERAS 2008年9月8日 (月) 16:17 (UTC)(前言撤回)--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 03:03 (UTC)
- 前言撤回して、過去ログ化を提案します。#話し合い方法の確認ではいろいろご意見があるは承知していますが、私が一番懸念していた「新しい発言は節ごとの後ろに追加することを徹底する。途中で意見を差し込まない」は既に合意しているものと思います。また私が当初反対したのは、ここのところが十分議論者に理解頂けているのかどうかがかなり不安であったため、一旦は反対した次第ですが、ここ1~2日での意見参加者の状況を見ると、そのような不安も無くなり、一部過去ログ化しても問題がないように思いました。また、HikaruFukushima氏が仰せのとおり確かにここのノートは重すぎます。
- ついては、以下の条件で過去ログ化したいので同意をお願いします。
- #保護解除へ向けての今後の編集方針について(2008年9月以降)より上部の節及び#過去ログ化についての節について、現状のまま過去ログ化する。
- 本音を言えば、過去に私の消された文言も復活させてほしいと言いたいところですが、そこは同意を得るのは難しいように思います。よって、一切編集せずに、#保護解除へ向けての今後の編集方針について(2008年9月以降)より上部及び本節を編集せずに、そのままログ化します。議論の論点もだいぶ大きくなってきたので、正直スクロールするのもしんどくなってきました。ご異議が無ければ、数日中に実施したいと思います。--TENDERAS 2008年9月11日 (木) 03:03 (UTC)
- 過去ログ化の提案に賛成します。私も一部ユーザによって削除・改編させられた記事を復活してもらいたいです。--Tantan66 2008年9月11日 (木) 03:58 (UTC)
- 過去ログ化の提案に賛成します。ご提案の範囲のサブページ移動で、かなり軽くなります。--marufuku(HikaruFukushima) 2008年9月11日 (木) 04:16 (UTC)