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ノート:大山倍達

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1962年6月4日に生まれる。 極真会館の創始者。


初版Mas.Oyama Official Web Siteのコピペです。Kusunose 2004年10月3日 (日) 06:07 (UTC)[返信]


>Izayohiさん 無条件降伏を迎える、という言い回しに違和感を覚えました 無条件降伏の文言にこだわるのであれば「無条件降伏により終戦を迎え」だと思います それと百科事典の内容として、降伏の形態が大山倍達を説明するに当たり、どの程度の重要さを持つのかも考慮すべきではないかと --219.171.7.65 2006年4月4日 (火) 15:56 (UTC)[返信]

私は終戦に違和感を感じます。当然のことながら大日本帝国の敗戦は大山倍達個人についてはその後の人生思想を含めおおいに影響したことは当然だと存じます。Izayohi 2006年4月4日 (火) 22:38 (UTC)[返信]
どうか気を悪くなさらないで。少し言葉が足りなかったでしょうか?私が言いたかった違和感とは日本語の文法・用法のほうです。無条件降伏は「迎える」のではなく「する」ものでしょう。ただしその場合の主語は日本であり、本文のように主語が大山氏では文脈がおかしくなりますが。「終戦」という文言もこだわりはありません。一般的表現で状態を表したのみです。--219.171.7.65 2006年4月7日 (金) 16:34 (UTC)[返信]
「敗戦を迎え」であれば問題ないということでしょうか? 大山倍達に与えた影響ということで言えば「終戦」では意味がないのはもちろん、「無条件降伏による」という表現にもそれほどの意義はない気がします。とにかく「敗けた」ということが重要なのではないかと……想像するのみですが。日本人全般にとって同じでしょうけれども。だからこの項目のみならず敗戦を終戦と言い換えるのはおかしい・誤魔化しだとは思っていますが、少なくとも大山倍達を説明するうえでは「敗け」「敗戦」であることが重要だろうと思います。Iosif 2006年4月8日 (土) 03:33 (UTC)[返信]
「敗けた」ことが重要である意図よくわかります。ただ終戦or敗戦論になるとまた別の場でのほうが好ましいと思います(終戦)。百科事典の性質を鑑みあえて一般的文言を使うのも妥当かと。ここでは、大山氏が特攻隊員になれなかった理由を、入隊する前に戦争が終わってしまったことである、とすることのほうが文章の肝と捉えました。ただ一方にはコレ自体も真実か否かの議論もあるため、淡々とした表現のほうが私はベターと感じました。あくまで一個人の意見です。参加型なのでのちの改訂にもなんら異論はございません。--219.171.7.65
用語法「敗戦vs.終戦」において、Wikipediaでは「終戦」が一般的になっていることをお知らせいただくまで知りませんでした。そういうことでしたら大山氏の心象風景とでも言うものに映った「敗け」を強調するために「敗戦」の語を使うのは難しいというのも理解しました。ご理解いただきながら、敢えて(Izayohiさんに対してではなく)再度強調しますと、やはり「異民族軍国少年」で後に格闘家になる大山氏にとって「戦争が終わった」ことよりも「日本の敗北」こそが重要なインパクトをもっていたであろうと容易に想像できますし、実際に大山氏がそのように語っていることからも確認できます。もっと詳しい方が別途特記してくださるのがいいのかもしれません。--Iosif 2006年4月12日 (水) 19:56 (UTC)[返信]

関連事項に柳川次郎があることについて

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柳川次郎氏と大山倍達氏とはどんな関係があるのでしょうか?2chとかだと色々書かれていますが、検証可能な出典が見当たりません(2chは検証可能な出典にはなり得ません)。飯干晃一『柳川組の戦闘』角川書店<角川文庫>、1990年、ISBN 4-04-146425-0にも大山倍達氏の名前は登場しません。出典の明示をお願いします。--獅子の鬣 2008年10月8日 (水) 10:54 (UTC)[返信]

柳川が堅気になった後、極真会館の相談役を務めてました。在任中に亡くなったから、当時の会館機関誌であった“月刊パワー空手”にも訃報が掲載されましたよ。第1回世界選手権大会開催を発表した時には記者会見にも同席しています。大山との関係は、私の知る限りでは「高木薫『わが師大山倍達』(徳間書店)」、「家高康彦『実録!! 極真大乱 大山倍達の死と、全国各派の真実』(東邦出版)」、「小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』(新潮社)」で取り上げられてますが、他にもあるかもしれません。--朗由喜チャイル 2008年10月9日 (木) 10:07 (UTC)[返信]
ご返答、ありがとうございます。そうか。ヤクザ関係の本ではなくて、大山倍達氏関連の本の方から調べれば良かったのですね。早速、文献を購入して読み、柳川次郎の記事に加筆します。ご協力本当に感謝致します。--獅子の鬣 2008年10月9日 (木) 11:16 (UTC)[返信]

大山倍達総裁の写真について

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押忍!はじめまして。最近、総裁の素晴らしい写真が削除されてしまい、大変残念に思う所存です。管理人さんをはじめ、どなたか復活させていただけないでしょうか?よろしくお願いいたします。--222.145.36.11 2009年1月23日 (金) 06:33 (UTC)おす[返信]

大山倍達総裁の素敵な写真について

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押忍!最近、「大山倍達総裁の勇猛で若かりし頃の素敵な写真」が削除されてしまい大変残念に思う所存です。管理人さんをはじめ、どなたか復活させていただけないでしょうか?何卒よろしくお願いいたします。--222.145.36.11 2009年1月23日 (金) 06:40 (UTC)おす[返信]

暇な人、ぼちぼちたのんまんでほんま

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記述には出典を。自称には自称と。第三者談にもそう書いて。色々批判も有った人物やしそれにも触れて。やらかしたとされていることも多々あるから資料集めて。梶原との交際も記述不足。いろいろな意味で第一人者には違いないんだから、記事の品質も頼んます。天下のウィキペでかの大山の記事がこの状態ではまずいべ。要出典百万個つけなあかん状態でんがな。このジャンル書いてる人の奮励努力に期待。悪いが俺は専門外なんで、その分他の記事をやらせてもらうが

正しい生年月日は「6月4日」「7月27日」?

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当項目本文の2022年11月30日現在の記述は「6月4日」となっていますが、これについて出典の無い状態が初版の2005年2月26日 (土) 以来続いています。過去に初版で「6月4日」、2006年2月7日に「7月27日」、2007年7月7日に「7月27日(旧暦6月4日) 」に、2017年8月12日「1923年7月27日(大正12年6月4日)」、2018年3月17日に「1922年7月27日(大正11年6月4日)」、2018年4月17日に「1923年7月27日(大正12年6月4日)」、2019年7月28日に「1923年(大正12年)6月4日」、2022年5月2日 に現在の記述「1923年6月4日」になったのだが出典の無い書き換えが続いています。

ネット検索でも「6月4日」「7月27日」の両方がありますが、出典としては、最も信頼できると思う極真会館のページの大山倍達総裁 紹介[1]のものが「6月4日」となっていますので、これが正解と考えます。より信頼が置ける出典としては日本の官報で、大山倍達が日本に帰化した日付の官報「昭和43年5月16日第12423号」を見ることが出来るとよいのですが。--BY7679会話2022年11月30日 (水) 13:33 (UTC)[返信]