ノート:夜長姫と耳男
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この「夜長姫と耳男」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2013年7月13日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
過去ログ一覧 |
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冒頭部の「5年ぶり」、その他について
[編集]2014年12月10日に、少し修正した部分についての具体的な説明です。
- 冒頭部において、『夜長姫と耳男』を、純文学作品としては「青鬼の褌を洗う女」以来5年ぶりとなる安吾晩年の作品である。と、「定義」してしまうのは、事典的には適切でないので、除去いたしました。
- なぜかというと、『青鬼の褌を洗う女』(1947年)から『夜長姫と耳男』(1952年)までの5年の間にも、自伝小説『三十歳』(1948年)、『肝臓先生』(1950年)、『街はふるさと』(1950年)などの小説(文学作品)が発表されています。これらを「純文学作品」に入れないというのは、あくまでも長田光展の「一つの見解」にすぎない性質のものですので、こういった、何を「純文学作品」とするかという不確定で曖昧な判断を含んでいる見解を、冒頭部分であたかも「定義づけ」かのようにすることは相応しくないものです。
- 坂口安吾の作品には多くの推理小説や歴史小説があり、『青鬼の褌を洗う女』と『夜長姫と耳男』の間にも、その類の作品が多く書かれていますが、推理小説はともかく、歴史を題材とした作品を全部、「純文学作品ではない」と解釈してしまうのも、あくまでも「一つの観点」でしかないものです。1949年から取り掛かった長編『火』(『にっぽん物語』)を純文学の範疇に入れずに、「5年ぶり」とするは、長田光展の捉え方であり、多くの評論家に共通する一般的な解釈や定義ではないと思います。
- そもそも安吾文学の中で、どれが「純文学作品」か区別して「規定」することは難しく、そのような曖昧性のある、客観的定義がないものを、事典の冒頭において「5年ぶり」の純文学作品と断定的に書いてしまうことは、妥当ではありません。いくら出典が一つあるとしても、初出情報や総体的な評価や解説、処女作とか遺作である、というような、多くの論者に「共通する見識」ではないので、それをあたかも「規定」「定義づけ」かのように載せるのは避けた方がいいと思います。
- 『文学のふるさと』に触れている箇所で、この著作に何の予備知識のない人が読むと、あたかも、『文学のふるさと』自体が、“「赤ずきん」のような救いも教訓もない物語”とも読めてしまう可能性を秘めた文章の流れになっているので、誤解を招かないように、安全性をみて少し補足説明を加えて整理しておきました。また、『文学のふるさと』のテーマは、『夜長姫と耳男』研究史だけに特別に結びつけられているものではないため、その点の概略も付記しておかないと、説明不足になるので補填しておきました。修正前の後の比較を明記しておきます。あと、著作物の『文学のふるさと』と、概念の「文学のふるさと」とが同じ表記だと判りにくいので、ここでの妥当性のある表記分けにしておきました。
修正前
「夜長姫と耳男」研究史には、この作品を安吾のエッセイ「文学のふるさと」と結びつけたうえで「芸術家の覚悟」の主題を見るという一連の流れがある[25]。「文学のふるさと」は、赤ずきんが狼に食べられたままで終わってしまうペロー版の「赤ずきん」のような救いも教訓もない物語、その「プツンとちょん切られた空しい余白」に「文学のふるさと」を見出すというもので[26]、しばしば「桜の森の満開の下」などとも結び付けて論じられている。
修正後
『夜長姫と耳男』研究史には、この作品を安吾の評論『文学のふるさと』(1941年)と結びつけたうえで、「芸術家の覚悟」の主題を見るという一連の流れがある[25]。『文学のふるさと』では、ペロー版『赤ずきん』(赤ずきんが狼に食べられたままで終わってしまう)ような救いのない結末の物語について考察され、その「救ひ」のない「突き放された」読後の「ぷつんとちよん切られた空しい余白」に、「文学のふるさと」を見出すという文学論で[26]、そこで安吾が主張する「モラルがない、といふこと自体が、モラルなのだ」という「生存それ自体が孕んでゐる絶対の孤独」の文学観は、しばしば『堕落論』『桜の森の満開の下』など他の文学作品とも通底するテーマとして結び付けられて論じられることが多く、「文学のふるさと」は安吾文学を解く重要なキーワードである[27]。