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ノート:坂上田村麻呂/過去ログ

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203.165.162.162の編集

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203.165.162.162による編集を差し戻しました。誤りが多く、そうでなくともピントを外した独自解釈です。明らかな誤りは、「史上初の征夷大将軍」、「筆頭副使」、「弟麻呂は更迭」、「陸奥鎮守府将軍職をも代々受け継いだ」といったところ。こういったことを書いてある資料があるのでしたら、示してください。その他も百科事典にふさわしくない過剰な礼賛です。--Kinori 2008年8月10日 (日) 09:41 (UTC)[返信]

203.165.162.162さんによって戻されてしまいました。undoを使ったのですから、私が要約欄に書いたことは読んでいますよね。ノートに理由を書いているわけですから、それに答えずに編集を強行するのはやめてください。--Kinori 2008年8月13日 (水) 03:20 (UTC)[返信]
俗な本やパンフレットでも出そうにないわざとらしい誤記が目につきますね。単なる荒らしのようで。--Kinori 2008年8月25日 (月) 09:26 (UTC)[返信]
根拠を示す事なく(字面からすれば『田邑麻呂伝記』に拠るものにみえますが)「出自前漢高祖皇帝」という書き込みが繰り返されました。単純に田村麻呂を劉邦と直結させると『坂上系図』以外の後漢王朝と阿智王との関連を示した諸資料(ノート:坂上氏参照)の存在を無視する事になりかねず問題があると思われます。また、出自以外に問題のある箇所についても追々訂正されるべきですね。--Сорасоуё 2008年8月29日 (金) 18:01 (UTC)[返信]
この記事での日付とISBNコードの改竄、他の記事での年の改竄などをみるに、荒らしとしか思えません。「造志波城使別当」のような造語からみて、歴史に詳しい人でもありません。たぶん、紛らわしい誤りを挿入して喜んでいる荒らしであって、坂上氏の礼賛は、荒らしにも好みがあるという以上のものではないのでしょう。出現前の2008年8月4日 (月) 20:39の版に戻すことを提案します。現在版との差分はこれです。誤りと無意味な改変を除けば、坂上氏に書くべきことしかないと思うのですが、どうでしょう。--Kinori 2008年9月1日 (月) 05:39 (UTC)[返信]
異存ありません。拙文で汚した箇所は消して頂いて結構です。確かにどうでも良い事を穿って考え過ぎました。--Сорасоуё 2008年9月1日 (月) 11:55 (UTC)[返信]
ありがとうございます。そのように差し戻させていただきました。Сорасоуёさんの考察や加筆が優れたものであることに疑いはありませんので、今後とも編集・アドバイスなどよろしくお願いします。--Kinori 2008年9月3日 (水) 08:11 (UTC)[返信]
私が確認したところ、日本後紀には「延暦十四年春正月、(中略)、征夷将軍大伴弟麿朝見、進節刀(紀略)」とあり、征夷大将軍ではなかった。
大伴弟麻呂を初代征夷大将軍としている記述は明白な虚偽であり、削除すべきである。wikipediaの征夷大将軍の項でも、「初代征夷大将軍坂上田村麻呂」と記載されている。
また、後漢霊帝・献帝の後裔という事は、即ち高祖の後裔という事である。「出自前漢高祖皇帝」という記述は事実であり、削除すべきではない。
勲二等という記載も虚偽である。勲章制度が出来たのは明治以降であり、また、坂上田村麻呂の位からすれば、勲一等の最上位である桐花旭日大綬章が相当である。
Kemperor1
  • --以上の署名のないコメントは、59.166.21.120会話/Whois)さんが 2008年9月15日(月)09:00(utc) に投稿したものです(段落の整形も Wiki-Daigoによる付記)。
日本後紀にあるとのことですが、その年の『日本後紀』は伝わっていません。『日本紀略』にダイジェスト版が収録されており、あなたがおそらく意味もわからず引用した「(紀略)」というのは、おそらく、「日本紀略によって補った」という意味です。しかし紀略はそのままの引用ではないので、「日本後紀にある」と単純には言えません。それで、具体的に何という本を読みましたか。私の手元にある新訂増補国史大系の『日本紀略』には、「戊戌。征夷大将軍大伴弟麿朝見。進節刀。」とあります。どの本を読んだのですか。いずれにせよ、弟麻呂の任命は延暦10年のことで、それを記す『続日本紀』は「征夷大使」としています。これを紀略の改称記事によって任命時は征東大使と解するのが定説です。このような改称があり、また、大使と書いたり大将軍と書いたり、また大を落として書くこともあり、ややこしいところではありますが、学者の人で弟麻呂は征夷大使・征夷大将軍でなく征夷使・征夷将軍だと唱える人はいません。もしそのように書かれた本があるなら教えてください。あなたが独自に考え付いたのであれば、それは独自研究というもので、ウィキペディアには要りません。征夷大将軍の記事は、確かに田村麻呂を初代としていますが、それはあなたがそう書き換えただけではありませんか。また、「勲章制度が出来たのは明治以降」というのは基本的な誤りです。少しでも史書を読めば、勲何等という人物をたくさん見出すはずです。本を読んでいない証拠ですよ。坂上田村麻呂の記事を書こうというなら、『坂上田村麻呂』と題した本の一冊も読んでからにしてください。知識がないのに他人の誤りを訂正することができると思うなら、それは間違っています。--Kinori 2008年9月15日 (月) 10:48 (UTC)[返信]


それは疑わしい。嘘本ではなく、日本後紀及び日本紀略の原文写真を大伴弟麻呂の項に添付して貰いたい。 また、田村麻呂が高祖の後裔である事はKinoriの頭でも理解したと考えるがどうか。 更に、田村麻呂、子の淨野、孫の当宗、曾孫の良宗と陸奥鎮守府将軍職をも代々受け継いだ事は明白である。 これで歴史学者とは、聞いて呆れる。

Kemperor1

  • {{Unsigned-IPuser|59.160.21.23|2008年9月16日(火)11:25(UTC)


国史大系本は嘘本なんですか。では、代わりにあなたが参照したのは何ですか。「原文写真」を見たんですか。また、東漢氏の伝承をそのまま受けるような態度で歴史記事を書いてもらっては困ります。通常数年で交代する鎮守将軍職を、代々受け継ぐなんてことができるはずがないでしょう。歴史学者を馬鹿にする前に、彼らが書いた本を読んでみてはどうですか。--Kinori 2008年9月16日 (火) 12:10 (UTC)[返信]


それは私が読むに値するものなのか。国史大系本は全部真実と言えるのか。先ず、該当箇所を写真添付すべきであろう。 また、前述のように陸奥鎮守府将軍職を途切れがあったとしても代々受け継いだ事は明白ではないか? 事実を直視する能力が無いという事か。 何れにせよ、原文写真の証明が無ければ、弟麻呂が征夷大将軍であるというKinoriの主張を鵜呑みにする事は到底不可能であるな。 歴史学者を馬鹿にするなと言うが、その底の浅い「研究」ぶりには、正直、失望した。


Kemperor1

--59.166.21.23 2008年9月17日 (水) 11:55 (UTC)[返信]


弟麻呂が征夷大将軍であるという主張を証明出来ないのであれば、この虚偽記述を直ちに削除して貰いたいものであるな。


Kemperor1

--203.165.164.214 2008年9月20日 (土) 09:18 (UTC)[返信]


IPで書かれている方、もう手を引かれたほうがいいと思います。古代史の史料なら、まず第1に国史大系本で調べる、というのは知ってて当然のことなんです(その一証として、いろんな日本史辞典の『国史大系』の項を読んでみるのがよろしいと思います。広辞苑でも小さな日本史辞典でも、日本史研究における国史大系本の重要性が記されています)。原文写真の証明などの必要はありません。Wikipediaは共同作業によって辞典を形成していきますので、第三者が図書館で確認できるなら十分なんです。これらは日本史記事を専らとしていない私でさえ知っていることなのに、IPさんが「国史大系本は全部真実と言えるのか」と発言してしまう時点で、日本史のごくごく基礎的なリファレンスや研究手法の知識をお持ちでない、ということががわかってしまうのですよ。
「日本後紀には「延暦十四年春正月、(中略)、征夷将軍大伴弟麿朝見、進節刀(紀略)」とあり、」とのご発言の部分が、『日本後紀』ではなく『日本紀略』だと対話相手に訂正されてしまった時点で、ご自身の発言を見直されるべきだったと思います。
また、発言の中に「その底の浅い「研究」ぶりには〜」といった個人攻撃も含まれております。ある程度の期間議論から離れて、ご自分で勉強し直されたほうがいいと、第三者からは呈言致します。--ZERO 2008年9月22日 (月) 04:04 (UTC)[返信]
国史大系を信じないのはIPさんの勝手ですが、では、IPさんは何を見て、それを否定しているのですか。メーリングリストの発言にある、「チャート式日本史」(数研出版)でしょうか。もしそうなら、どうして国史大系を信じられないでチャート式日本史を信じられるのでしょうか。また、他者に根拠を提示しろという前に、自分の主張の根拠を提示するのが筋ではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。
なお、Wikipediaは他者に敬意を払い、礼節をもって編集・議論することが要求されています。自分の主張をするばかりでその根拠を提示しなかったり、自分の主張と反する人に暴言を吐いたりするのはおやめ下さい。--松茸 2008年9月22日 (月) 08:58 (UTC)[返信]


能書きを並べてはいるが、結局のところ、お前たち自称歴史学者は、弟麻呂が征夷大将軍であるという主張の証拠を提示せず、私の問いから逃げるのであるな。ZERO及び松茸よ、礼儀を云々する前に、お前たちの歴史捏造工作を反省せよ。根拠を何度も提示しているではないか。チャート式75ページには坂上田村麻呂が征夷大将軍と書かれているのみで、弟麻呂は征夷大使としか書かれとらんぞ。この嘘吐きどもめ。カスの分際で気位だけは一人前であるな。原文写真で証明せよ。出来ないのであれば、虚偽の記述を削除せよ。


Kemperor1

--203.165.164.214 2008年9月23日 (火) 05:55 (UTC)[返信]

メーリングリストからの流れがある議題だったのですね。私は歴史学者ではなく、音楽方面の執筆者です。その私が図書館でちょっと数分調べた程度でも『国史大辞典』8巻の191ページ「征夷大将軍」の項目には、『日本紀略』延暦12年2月の条文を引いたあと、「翌年以降弟麻呂は征夷(大)将軍として所見する」と書かれていることが解りましたよ?(これだって、最新の研究からしたらすこし物足りない記述のはずなんですが、それでも、『チャート式日本史』よりはよほど信用がおけることを示すだけなら十分だと思います。学者さん3000人がよってたかって書いてるわけですから)。
このあたり、本当は史料上の文字面だけの問題じゃなくて、実態論を含めた『征夷大将軍とは何か』という問題、またそれに伴う様々な学説の存在とも関わってるんじゃないかと思います。そうしたことも認識した上で書くならわかるんですが、『チャート式日本史』に書いてないから、というのはいかにもお粗末です。世の中に「征夷大将軍」に関する問題が『チャート式日本史』にしか書いていない、ということなら、まだ解るんですけどね。
それで、私から見ると、もう議論の進展以前の問題で、態度の改善が期待できないように思います。このまま議論を続けることは、執筆者の方に大変な負担となります。
  • 個人攻撃を止めない・他人を「自称歴史学者」「嘘吐き」「カス」と呼ぶ
  • 対話が成立していない
以上の2点から、このまま改善がなければ、ブロックを依頼するに足る状況だと判断しますが、Kinoriさんや松茸さんはどのように思われるでしょうか。歴史に詳しくない第三者の人間でもこの議論をみれば、「日本史の論争以前の、ユーザーの参加態度の問題である」ということがわかると思います。--ZERO 2008年9月23日 (火) 06:58 (UTC)[返信]

(コメント)とある所を見てきました。Kemperor1さんの主張ですが、出典の信頼性から無理があると判断します。理由は言うまでもなく、『チャート式日本史』は文部科学省制定の学習指導要領に基づいた高校日本史内容をベースとした学習参考書である以上、Wikipedia:信頼できる情報源の「偽の権威に注意」が準用されると考えた方が賢明です(たとえ、専門家が監修しているとはいえどもです)。ただ、議論がすれ違いすぎてるので、まずは利用者のコメント依頼などで改善を促すことを検討されてはいかがかと思います。--かげろん 2008年9月23日 (火) 08:42 (UTC)[返信]


能書きはいいから、原文写真で証明せよ。私は学生時代、坂上田村麻呂が初代征夷大将軍と習っている。これを否定するには、原文証明が必要である。 その方らが嘘吐きと言うのは紛れも無い事実である。また、ZEROは「カス」を個人攻撃という。事実だと思うがな。ならば、下級貴族と訂正しよう。お前たちは甚だ殷臭い。同じ穴の狢であるな。 原文証明出来ないのであれば、弟麻呂が初代征夷大将軍などという虚偽は、直ちに削除せよ。


Kemperor1

--203.165.164.214 2008年9月24日 (水) 11:18 (UTC)[返信]

>ZEROさん及び議論に加わってくださった方々へ ウィキペディアとしてはもう十分だと思います。ブロック依頼に持っていくしかないでしょう。ちょこっと解説しますと、上記「お前たちは甚だ殷臭い」とは、彼なりの侮辱語でしょう。中国史の記事でしきりに殷をけなす表現を盛り込もうとして編集合戦に及んだことに関係するようです。ノート:坂上氏では「高祖の血を引く者同士は、お互いが何者か良く分かる」と書いており、何にせよ、真性ですね。--Kinori 2008年9月26日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
まあ、これではブロック依頼もやむを得ないでしょう。相手を罵倒し、ろくに根拠も示さないで自己主張を続けるようでは、まともに議論することもできません。
それで、一応参考文献となり得る研究本を調べてきたので、せっかくなので内容の要約を提示しておきます。
  • 高橋崇「坂上田村麻呂」(吉川弘文館、1959年)…田村麻呂は日本最初の征夷大将軍。征夷将軍とか征夷大使は既に何人かいたが、征夷大将軍という呼び方で任命されたことは前後に例を見ない。
  • 亀田隆之「坂上田村麻呂」(人物往来社、1967年)…征夷大将軍に任ぜられたのは決して田村麻呂が最初ではなく、大伴弟麻呂が既に任命されていた。ただし弟麻呂は、征夷大将軍と記されたり征夷大使と記されたりで、肩書きは一定していなかった。その点で言えば、一貫して征夷大将軍であったのは田村麻呂が最初ということになる。
  • 高橋富雄「征夷大将軍 もう一つの国家主権」(中央公論社、1987年)…征夷大将軍の初見は、『日本紀略』延暦十二年二月十七日条にある「征東使を改めて、征夷使となす」である。何故なら、同年二月二十一日条に「征夷副使近衛少将坂上田村麻呂」とあり、延暦十三年正月一日条には「征夷大将軍大伴弟麻呂」とあるため、征夷大将軍は征夷大使を指し、征夷使の設置が征夷大将軍の起源であると分かるからである。この呼称の初見は延暦十三年であり、征夷大将軍の始まりを坂上田村麻呂とする通説が誤りであり、初代征夷大将軍が大伴弟麻呂であることが分かる。
以上のように、征夷大将軍の始まりについては研究が変遷したと見て間違いないかと思います(異論があるのであれば、これに対抗する研究本を提示して下さい)。Kemperor1氏が一体いつ学生時代を送ったのか分かる由もありませんが、学生時代に習ったことが、いつまでも通用するわけではありません。例えば日本初の貨幣も、以前は和同開珎だったのが現在では富本銭になったわけですし。歴史研究というものは、時代と共に変遷していくものなのです。--松茸 2008年9月26日 (金) 14:31 (UTC)[返信]


嘘の言い訳は不要である。その方らの寝言は原文写真で証明してからにせよ。 また、酒池肉林の故事や、殷王が人質にしていた周の太子を煮殺し、それを周王に食わせた事は紛れも無い歴史上の事実である。 正に、狂気の血筋と言う外は無い。 その方ら下級貴族どもが事実を指摘されて腹を立てるなど、全く笑止千万であるな。 何れにせよ、原文で証明出来ないのであれば、虚偽である事を素直に認め、弟麻呂が征夷大将軍であるなどという歴史捏造を直ちに削除せよ。

Kemperor1

--59.166.20.113 2008年10月1日 (水) 11:59 (UTC)[返信]