コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:唯物論

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

物活論との違いをどなたか書いてくださいませんか?Aphaea

歴史の部分の体裁があまりよくないのでどうにかしたいと思いました。起源、その後の展開(変わらない部分と変わった部分、その背景として考えられる理由など)という形でまとめられるといいとは思うのですが、中立的に書くのは難しいのではないかと思いました。
より簡単に、哲学史上の主な唯物論などとして、それぞれ個別の紹介にとどめる、というのではどうだろうかと考えました。現在ある記述もそれなりに活かせそうですし、追記も簡単でしょうし、どなたかが個別の紹介をつなげて歴史の「流れ」を概観するものに書き換えてくれる時にも、それほど妨げにならないでしょうし。Tomos 00:27 2004年2月22日 (UTC)

>現在ある記述もそれなりに活かせそうですし、追記も簡単
これ重要ですね。ところで素朴実在論(素朴唯物論?)については触れなくてよいのでしょうか。Aphaea

誰かがやらないといけない、というぐらいの位置づけでどうでしょう。僕もない知恵絞ってますので。^^;) 人間機械論とか、是非書いてあるべきだと思うのですが、ないですし。Tomos 00:49 2004年2月22日 (UTC)


「関連項目」のリンク先に「白土三平」と「カムイ伝」がある理由は? 記事本文中になんら説明がないのでとまどいます。--以上の署名のないコメントは、218.47.21.226会話/Whois)さんが 2004年4月8日 (木) 08:59 (UTC) に投稿したものです。[返信]

色々検討も無く書き換えられているようです。いまは、「1諸形態、2歴史、3通念として、4批判、5関連項目」となっていますが、「1歴史、2色々な見解、3関連項目」としてはどうでしょうか。諸形態も通念も批判もそれぞれ各自の言いたいことを言っているようなものです。下手に中立性を装った文より、擁護論ならそれとして掲げたほうが分かりよいのではないでしょうか。そのためには歴史の項をしっかりしたものにする必要があるでしょうが。石井彰文 2007年2月17日 (土) 15:03 (UTC)[返信]

61.118.139.75 さんの編集について

[編集]

現在、存在論的な意味での唯物論にはかなり意味の拡がりがあります。そしてその中には心的なものの存在を否定する立場もふつうにあります。唯物論の立場は簡単に言って次の二通りに分けられます。

  • 物理的なものだけが存在する(心的な存在はない) →消去説、行動主義、機能主義など
  • 心的なものも存在する。しかし物的なものにスーパーヴィーンする。 

(参考、サール『マインド』「第二章 唯物論への転回」、チャーマーズ『意識する心』「第四章 自然主義的な二元論』など)Was a bee 2007年3月9日 (金) 15:41 (UTC)[返信]

Was a bee氏は、61.118.139.75氏の書き換えに対して異議を唱えておられます。現代の唯物論なるものに無知であるので、意見を挟むのではありませんが、どちらにしろ、冒頭部で記述する内容として疑問があります。唯物論者を自称される方が、「唯物論とは」と書き始めたくなるのは分かります。しかし、「中立的な事典」とするなら、「唯物論」の項目は必ずしも、今現在「唯物論」と言う名称で自説を展開している者のためにある訳ではないでしょう。「批判」と言う項目がありますが、批判ではなく、今ごろそのような名称で論ずべきことはない、と言う考えもあるのではと思います。また、「批判」の項目は必要でしょうか。冒頭から”中立的”記述がされているなら不必要であると思います。自説を「唯物論」のなかに押し込めようとする方の自虐・ギャランティのように感じます。——歴史の項目が、書き換えの要があることは、ほぼ同意されることと思われますが、(「唯物論の定義」が揺れるとどういう人物を取り上げるかも変わります。どう定義するか問題ですが棚上げして、)書き換えようかと思います。哲学史に通暁している方が書いてくれれば問題はないのですが、口出しする方が現れまで、素人ですが今より少しはましな形態にしたいと思います。「1.発端」「2.古代」「3.近代前期」「4.近代後期」ぐらいに分けて、現状にある、現代のものは削除します。論としての深化を記述する能力は無いので、少し整理すると言った程度のものですが。一応書き換えるべき理由を挙げますと、先ず最初の二つのパラグラフは余計であること。年代順であるとは言え「中世以降」「近代の」「近代になると」「近年では、」同じような表現が並んでいること。フォイエルバッハがフランス人に挟まれていること。デカルト云々が必要か疑問。ホッブスが..伝統的唯物論で、近代の唯物論が..人間機械論に始まる、と言う記述に疑問がある。等々。石井彰文 2007年3月15日 (木) 07:09 (UTC)[返信]
石井様、こんにちわ。Was a beeと申します。お名前出されていたので、私に分かる範囲だけになりますが、お話させてください。まず
>「唯物論とは」と書き始めたくなるのは分かります。
という事ですが、この書き始めは、単にウィキペディアで推奨されている基本的な書式だからこうなっているだけです。特に深い意味はありません。ウィキペディアはあくまで百科事典なので、読者の読みやすさを考慮してこうした書式の統一が図られています。(他の項目もほとんどこのスタイル、「○○とは・・」という冒頭文になっているのもわかると思います)。詳しい点はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)などをご参照ください。
あと詳細についてお話する前にひとつだけ確認しておきたいのですが、石井様は「唯物論」という言葉を「科学の文脈で語られる言葉」「政治や歴史の文脈で語られる言葉」、どちらの意味で捉えて今、お話されていますでしょうか。現在の記事は主に科学の文脈のものについて執筆されている状況です。歴史的、政治的な唯物論に関しては別項として史的唯物論というものが執筆されています。他にも色々と長く書いたのですが、まずこの点を互いに確認してから、詳細についてのお話をすべきだと思いましたので、非常に簡単ですがとりあえずはこれで。Was a bee 2007年3月16日 (金) 01:15 (UTC)[返信]
ちょっと言葉が抽象的だったので補足です。現在の記事は主に心身二元論の文脈で語られる唯物論について書かれています(この場合の対立構造は、唯物論-二元論-唯心論、です)。英語版の記事en:materialismもこの流れで書かれています。しかし講談社の『現代哲学事典』 ISBN 4-06-115625-x では、唯物論の関連概念として、実念論唯名論が挙げられています(石井様の意図している所もこの意味における「唯物論」では)。さらに政治の文脈ではどのような対立があるのかは私はほとんど知らないのですが、また違う構造があるものと思われます。現状、心身二元論の文脈のものしか書かれていないので、なんとかこれら全てについての記述を包摂できるといいですね。Was a bee 2007年3月17日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
Was a beeさん、「唯物論とは」云々と書いた意味は、「唯物論とはこれこれである。」と定義的文章から始めていると言うことで、「これこれ」の部分が一つの定義を押し付けることになっているということです。だから冒頭文から論争が起こる、と言いたかったのです。もっと暫定的な、小さい国語辞典様の説明から入るほうがよいのではと思います。——もちろんその中には、私が考えるものと相違しているという見解がありましたが——。舌足らずでしたが。さて、「史的唯物論」をみますと、「唯物史観」に飛びます。その意味は、科学の文脈=「唯物論」、歴史・政治の文脈=「唯物史観」とされているのですか。私が考えているのは、そう言った分離以前の意味です。現代思潮に通じているわけでも、科学に従事しているわけではありませんが、そのような分離がこの「唯物論」の項目に、頭から必要であるとされるなら、異議があります。心身二元論の文脈という表現をされますが、「唯物論」はそういう伝統から来た言葉であるように認識しています。そういった説明も必要でしょう。が、冒頭から決めつけることはないのではないでしょうか。実際この言葉は多様に使われ、政治的な立場でも利用され、”手あか”がついているように思います。その意味で、冒頭部では定義をせず、あいまいに逃げ、いろんな考えはその場所を開いておくという記述が最善ではと思っています。石井彰文 2007年3月18日 (日) 01:28 (UTC)[返信]
>あいまいに逃げ、いろんな考えはその場所を開いておくという記述が最善ではと思っています。
上の冒頭文のリンクにもあるように、wikipediaは論文や書籍ではなくあくまで百科事典ですので、基本的に冒頭文だけで概要をつかめるようにしておかないといけません(難しいですが)。左の「リンク元」という所をクリックすると、その記事がどこからリンクされているかが分かるのですが、織田信長なんかからもリンクされています(まさに手垢のついた言葉)。それでもそういった記事ら飛ばされて来た人でもチンプンカンプンにならないようにしておこう、というのがウィキペディアの目指す方向です。そのため、冒頭文で基本的な情報を書いておこう、という方針があるわけです。基礎的なところから教科書的に積み上げていくような記述スタイルはウィキブックスの方で取り扱っています。とりあえず現状の冒頭定義は「とてつもなくおかしい」というものでもないでしょうし、冒頭に文章を追加する推敲する(いくつかの大きい違いで、箇条書きにしてしまう、という方法もあります)、歴史部分や文献部分に記述を追加するなど、まずは可能なところから書き始めてはいかがでしょうか。というのも投稿履歴を見させてもらうと、石井様はまだそれほど編集に慣れていらっしゃらないようです。Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia:分割wikipedia:移動など、多義的な言葉を書く場合に使う方法は実に色々有りますので、ある程度編集に慣れてから、一番妥当な方法を見極めたうえで包括的な編集に手を付けると良いと思います。そうでないとせっかく編集した後に「あ、こうしとけば良かった・・・めんどくさい事してしまった!」てなこともなってしまいます。・・と、基本的な情報はお伝えしましたので、あとは石井様のご判断におまかせします。まずければ誰かから指摘も入りますし、安心してドンドン編集していってください。ご活躍お祈りします。Was a bee 2007年3月19日 (月) 22:13 (UTC)[返信]
「あいまいに逃げ」と言う言葉の曖昧さに御批判を、またWikidedia固有の記述法のご指摘を賜りましたが、歴史部分を書き換えます。上に書いたように、不必要と思われる記述を削除し、少し書き加え、原文を暫定的に整序するものです。このような基礎的な概念は、歴史と呼べる内容とするには並べるだけでは成り立たないので、「素描」と言うことにしましょう。石井彰文 2007年3月25日 (日) 12:18 (UTC)[返信]
投稿歓迎します。ただ一点、上で削除するといっていた現代の項にあるチャーチランドの立場は「消去主義的唯物論」と呼ばれるもので、心の哲学の世界では非常に有名な唯物論です。(英語版en:Eliminative materialismhttp://plato.stanford.edu/entries/materialism-eliminative/ スタンフォード哲学百科事典)ですので、とりあえず分からない部分に関しては別にまとめて置いておくことをお薦めします。あと文献の提示(Wikipedia:出典を明記する)だけはお忘れなきよう。では長々と細かいルール煩わしかったでしょうが、執筆を応援しております。Was a bee 2007年3月26日 (月) 00:09 (UTC)[返信]
後先になりましたが、あのような記述ですので、現代の諸理論は、別の項目に入れていただけるとすっきりすると思います。チャーチランドなどを別の項に描いていただければと思います。ーーYuu6676さんが、冒頭部に対語として『唯心論』と書き込まれましたが、なんの限定も無く決めつけるのは異議があります。その意味は素描の中に含めた積もりだったのですけどね。石井彰文 2007年3月30日 (金) 13:56 (UTC)[返信]
執筆おつかれさまです。内容が充実しましたね。とりあえず政治方面における唯物論からの視点がメインになってるように思いますが、そこらへんの細かい調整は少しずつやっていきましょう(唯心論云々の話についても。とりあえずネット上の色々な唯物論にかんする説明をザッと眺めた印象では、ほとんどが現在の冒頭分のような形の導入になっています。マルクス主義に関する言及は一般に小さいです。)。とりあえずまずは文献の参照した翻訳版(または原著)の該当する記述のあるページを書いて、末尾に一覧しましょう(よく見るとこの記事には一冊の文献の提示もありません、これはいけません)。それほど長い記事の書けないWikipediaでは、基本的にこのrefの情報だけが、更に学ぼうという者にとっての貴重な情報になるので大切なのです(特に英語版はこのref情報が充実してるので非常に勉強になります)。とりあえず骨組みを用意します。細部は石井氏の方でお埋めくださいますようお願いします。(各文中の<ref></ref>間に文献の内容を書けば、一番下の<references/>タグの部分に一覧表示されるシステムです。石井氏は青空文庫のほうでご活躍なさってるようですので、もし青空文庫(やグーテンベルグなど)に文庫化されているなら、そうしたソースへのリンクも是非ご案内ください。)Was a bee 2007年3月30日 (金) 15:44 (UTC)[返信]

唯物論の定義に関する意見・感想

[編集]

1.分野の混在

 唯物論に関する記事では存在論としての唯物論と史的唯物論が混在して論じられることが良くあります。 存在論としての唯物論と史的唯物論は全く異なる分野の問題であり、混在して記述されることには違和感があります。 このウィキペディアの唯物論のページの記事はその二つの分野の違いが分かるように記述されており概ね妥当であるとは思いますが、 不十分な感じがします。できればその二つが異なる分野の問題であることが明瞭に分かるような記述が望ましいものと考えます。

2.唯物論の定義

このウィキペディアの唯物論のページの冒頭の唯物論の定義に関して表現の曖昧さを感じています。 下記の部分です。 「非物質的な存在や現象については、物質や物理現象に従属し規定される副次的なものと考える。」 ---「従属し」「規定される」という表現は曖昧な表現であると思います。 「従属し」とは如何なることか、「規定される」とは如何なることか明瞭ではありません。

私の考える唯物論の定義は下記のとおりです。 曖昧さを排した簡潔明瞭な定義を目指しています。

[唯物論]この世界は物質のみより成る。(物質のみが実在である)、 あるいは、 [唯物論]この世界を構成する根源的素材は物質のみである。

<説明> この世界を構成する根源的素材のことを実在と呼びます。 唯物論では物質のみが実在であることを主張しています。霊魂というようなものは実在しません。 心/精神は脳の仕組みから生まれる働きとして存在しています。 唯物論では物質のみが存在し心は存在しない、と理解している人を良く見かけますが全くの誤解です。 唯物論には物質はもちろん心も存在しています。 只、物質が実在であるのに対し、心は働きとしての存在であり実在ではないというだけです。 「存在する/ある」という語には注意が必要です。この語には多義性があるからです。 ・実在として存在する/ある、 ・働き・機能として存在する/ある、 ・性質・属性として存在する/ある、 ・概念として存在する/ある、 等々です。 唯物論では物質のみが実在であり、心は実在ではなく働きとしての存在です。

以上、この記事について、ウィキペディアのページへ反映可能か否か、反映するとすれば既存ページへの挿入の形にすべきか、 新規ページの追加の形にすべきか、その他、ご意見、ご指導をいただければ幸いです。 --めだかの会 2011年1月17日 (月) 07:41 (UTC)[返信]

ウィキペディアはWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:出典を明記するというルールで記事をするよようになっています。それに合致すれば可能です。--Izayohi 2011年1月17日 (月) 20:23 (UTC)[返信]

Izayohiさん。お返事ありがとうございます。 私が辞書/事典に求めるのは語句(見出し語)の簡潔明瞭で曖昧さのない定義/説明です。 ウィキペディア全体の語句の定義/説明は概ねその線に沿ったものになっているものと思います。 それに対し、唯物論の冒頭の定義は多義性のある用語が使われており読者によって多様な解釈を生みやすい表現になっているものと感じます。 こうした多義的で曖昧さのある表現は好ましくないと思っています。 それで簡潔明瞭で曖昧さのない定義/説明を提示してみましたが、どうもこうした提示はWikipedia:独自研究は載せないというルールに抵触するのかも知れませんね。 いまひとつすっきりしませんが、ウィキペディアが何であって何でないのか、を十分把握できていませんので今回これ以上の言及は控えておきたいと思います。 --めだかの会 2011年1月19日 (水) 05:28 (UTC)[返信]

俗流唯物論は

[編集]

vulgar materialismの訳語で哲学事典にも載っています[1]。基礎的な知識ですのでご確認を。--211.3.151.174 2011年6月6日 (月) 01:29 (UTC)[返信]

資料のご提示ありがとうございます。私としては、お示しいただいた出典のうち、ソビエト科学アカデミーと関連している唯一の箇所、「「堕落した,浅薄な,卑俗な唯物論」として……いずれも総括され」という記述に忠実にしたがって、「浅薄で俗流の唯物論であると結論づけた」と記述しました。
出典中に、「従来「俗流唯物論」なる蔑称のもとに一括され」という記載もありますので、主語なしで「俗流唯物論という蔑称で呼ばれた」と本文中に記載するのは私はかまいません。私が問題にするのは「レッテルを貼って」という表現です。「俗流」という評価が適切である可能性もあると思います。俗流 vulgar という評価が間違った評価である(彼らは俗流ではない)ことを 哲学事典や百科事典などの信頼できる情報源で確かめてはじめて、「…はレッテルを貼った」と本文に記述できるように思います。--Miki08 2011年6月7日 (火) 06:11 (UTC)[返信]

唯物論の分類について

[編集]

心的現象と物理的現象の関係をどう捉えるかによって現代の唯物論を大きく二つに分類できます。

1.「還元主義」唯物論 心的現象を物理的現象に還元する唯物論です。 これは唯物論の本来的な姿です。

2.「対応主義」唯物論 心的現象を物理的現象に還元せず対応関係によって捉える唯物論です。 既存の唯物論のほとんどはこの唯物論に含まれます。

この分類は既存の文献には載っていない分類ですのでWikipedia本文に掲載されることは無いでしょうが参考までに示しておきます。 --ある唯物論者会話2013年10月31日 (木) 02:12 (UTC)[返信]

「感覚も類的性質を持ち生理学のみでは解けないとした。」が理解不能です。

[編集]

もしかしたら、「感覚も、神性に対する人類固有的性質を人類は持ち、生理学のみでは解けないとした。」という意味でしょうか? --アマンドロス会話2021年7月18日 (日) 10:03 (UTC)[返信]