ノート:哀しみのアダージョ
全面的な改訂を提案します。
[編集]将来的に原田知世版の「彼と彼女のソネット」と分割したいのですが、そのまえに当項目に誤記が多いので全面的な改訂を提案したいと思います。 その過程を経ないと分割提案する意図も解かりずらいと思いますので。 http://tvp.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/ten-va-pas-elsa.html
まず最初にオリジナルである「T'en va pas」からカヴァー版まで詳細に写真付きで語ってあるブログを紹介します。 検証可能性を満たせるためにはジャケット写真群がないと不可能に近いためで、このブログがこれらの貴重な資料を有していることから引用させていただきました。
まず知っておいて欲しいことは記事にある「1986年に発売」されたものはフランス版「T'EN VA PAS」でしかありません。 全く内容は同じですが「哀しみのアダージョ」の邦題がついたものは一年以上が経過した1987年5月であり、ここが重要なのですが実はこの時点でも副邦題である「彼と彼女のソネット」も付いておりません。副邦題の言葉は大貫が日本語詞をつけるときまで登場しません。 http://tvp.cocolog-nifty.com/blog/2006/02/elsa-1987-7-dba.html
プロジェクト:楽曲#カバー曲の扱いでの議論は分かれてますが、オリジナル(初版)を重視し項目を作るなら「T'EN VA PAS」で済ましておくべきでしょう。 もちろんカタカナの「トンパパ」でも構わないのですが。
>さらに「彼と彼女のソネット」という副邦題が付け加えられた。 これも疑問符がつきます。「彼と彼女のソネット」という言葉は大貫妙子が日本語詞に関わった原田知世版まで歴史に一切登場しないんですね。 どこをどう探しても >大貫妙子が日本語詞を書いた時に、副邦題が題名となり、原田知世等のカバーでも副邦題が題名として使用された。 の事実がわからないのです。
以上のことでも解かる様に日本版「彼と彼女のソネット」とは異質(歌詞の意味も全く違う)なもので将来的な項目分割までを視野にいれた改訂を提起したいと思います。 「蛍の光」がスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲としながら分割をしてるのと同じ理由で。 --Emptyhouse 2011年7月19日 (火) 02:18 (UTC)
- コメント この項目を書いたのは私ではありませんが、私もこの副邦題はカヴァーに先立ってつけられていたのを大貫妙子さんが生かしたのだと思っていました。1997年発売のアルバム『哀しみのアダージョ〜ベスト・オブ・エルザ』の柳沢直弥氏による日本語ライナーノートには以下のように書いてあります。
日本では、原田知世がかつて『シュマッツ』というアルバムで、大貫妙子の日本語詞にて「彼と彼女のソネット」としてカヴァー。このタイトルは、もともとつけられていた邦題「哀しみのアダージョ」の副邦題としてつけられています。
- この説明だと時系列が明確でないのでどちらともとれてしまいますが、日本語カヴァーの後に副邦題がつけられたのが確かなら、「題名」節はそれに沿って整理した方がよさそうです。しかしさしあたって修正が必要なのはそこだけではないでしょうか。
- 洋楽の楽曲の項目でも洋画の項目でも、正式な邦題のあるものはそれに従うのが慣例になっていますので、改名は必要ないと思います。「彼と彼女のソネット」の分割も、この項目と分けて書かなければならないような事柄も特にありませんので必要ないでしょう。もちろん、項目をより充実させるための加筆なり修正なりは大いに歓迎されるところですが。--sergei 2011年7月19日 (火) 15:37 (UTC)
- 取り敢えずできる範囲で修正してみました。--sergei 2011年7月19日 (火) 17:28 (UTC)
分割定義・提起の方は「ノート:原田知世」で議論が中断したままなので一応提起したままにしておきたいと思います。 「蛍の光」がスコットランド民謡の「オールド・ラング・サイン」を原曲としながら分割をしてるのと同じ理由で。もしくは「ヤングマン」とか。 音楽の場で統一見解も出てないようですので。 で、疑問なのですがオリジナル発売の商品が項目頭にくることでとの見解なら、副邦題に付けられた「彼と彼女のソネット」の意味を持った(持たせた)「哀しみのアダージョ」はオリジナル(日本盤発売時)では存在しないわけですから「哀しみのアダージョ」だけでタイトルを纏めるべきだと思うのですが・・・ 「蛍の光」の項目のように「訳詩」ではなく「日本語詞」を付けられたものは純然たるカヴァーと言い切れるのか「別の歌」扱いすることを許されている現状、あえて統合したままにしておくのなら、ですね。 そんなオリジナルなぞ存在しなかった訳ですから。 ちなみに「キャット・ミキ、sana、坂本美雨、T. YUMI、富沢聖子、長谷川恵理、宮村優子など様々な歌手によってカバー」したのは大貫日本語詞盤(原田盤)であり、原曲原語盤ではない訳です。この混同を生まないためにも分割を提起したままにしておきます。--Emptyhouse 2011年7月22日 (金) 13:24 (UTC)
- 蛍の光がオールド・ラング・サインと別個の記事になっている経緯についてはノート:蛍の光とノート:オールド・ラング・サインを参照して下さい。これは元々蛍の光の方が先にあって、「オールド・ラング・サイン」についての解説が「蛍の光」の項目中に記載されるという主客転倒のJPOVな状態になっていました。それをオールド・ラング・サインに分割することによって是正したのです。
- 蛍の光は周知の通り明治時代に翻訳唱歌として音楽教育に採り入れられ、以来100年以上にわたって日本国民に広く親しまれてきた楽曲です。一方「彼と彼女のソネット」の方はどうでしょうか。私は個人的にはこの原田知世さんによる日本語カヴァー・ヴァージョンもとても好きなのですが、一般的な認知度では、例えば同じ原田さんのヒット曲「時をかける少女」にくらべて大きく劣るというのが実状ではないでしょうか。原田さん自身も後に原語でのカヴァーを発表しています。「彼と彼女のソネット」が原曲とは別個の歴史を持つ独自の楽曲だという認識は、当の原田さんでさえ持っていないのではないでしょうか。日本人なら知らない人はいないほど広く親しまれ、その受容史自体が一つの歴史研究の主題となり得るような「蛍の光」と、この「彼と彼女のソネット」とを同列に扱うのは無理があるでしょう。
- また実際問題としてこの項目は大した分量ではなく、「彼と彼女のソネット」に分割すれば徒らに記述が細分化されるだけで、閲覧者の利便性を損ねることになります。この分割提案は全く現実的ではないと思います。--sergei 2011年7月24日 (日) 10:28 (UTC)
私は「現実的にwikiでは分割する遣り方もある」と書き込んでおきたい。 もう一つ言っておきますと「彼と彼女のソネット」という題名は大貫さんの意匠とも言える物なのに囲み別枠で「1986年度盤には既に用いられてた」ように誤解されます。 かように、記事が数年以上誤記されてた件も含めて「日本人なら誤解してしまう」ものなんでしょう。 強く主張しますが「オリジナル重視」なら「彼と彼女のソネット」の言葉は記事中に再発版の項目にだけ含めておくべき物で項目名に使うのは不適切だと主張します。 あと「蛍の光」と「彼と・・・」と「ヤングマン」を同列に扱っていいかどうか決めるのは私達じゃありませんし、そもそも「同列」かどうか区別をつけること自体がwikiに相応しいとは思いません。 >当の原田さんでさえ持っていないのではないでしょうか wikiは検証可能性にもとづき議論するべきだと思います。 これを発言なりしたソースを提示していただけるなら分割提起を見送ります。 でないなら「検証可能性を重視するwikiを無視したコメント」ということでこのまま「ヤングマン」のように分割の可能性を否定しない方向を提起します。 余談ですが日本語詞(訳詩ではなく)を付けたカヴァー曲が独立した項目なのは「蛍の光」「ヤングマン」に限りません。 「wink」「椎名恵」「郷ひろみ」「中森明菜」などなど・・・腐るほど日本のアーティストの「日本語詞(訳詩ではなく)を付けたカヴァー曲」が項目独立されてます。
--Emptyhouse 2011年7月30日 (土) 05:13 (UTC)
- 検証可能性をいうのなら、まずあなたが、原田知世さんの「彼と彼女のソネット」が原曲を離れて独自の楽曲として認知されているということを、出典に基づいて示す必要があるのではないですか? 今ざっとWinkのカヴァー曲の項目を見てみましたが、ほとんどは楽曲のクレジットなど基本情報しか載っていないスタブ記事で、シュガー・ベイビー・ラヴなどは元記事がサブスタブ状態です。こういうよくない例を参照するべきではありません。現状ではこの項目を分割して彼と彼女のソネットを独立項目としてもこれらと同様のスタブ記事になります。これはWikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合に定められた「分割した結果、いずれか一方または双方がスタブになる場合」に当てはまります。ですから分割を主張するのなら、まずは日本語カヴァー・ヴァージョン独自の情報を出典に基づいて加筆することが可能であることを示して下さい。
- ただし注意が必要なのは、先にも述べたように原田さん自身が原語カヴァーを発表していることです。もしこの原語カヴァーについても何か有益な情報が見つかった場合に、それはこちらの元記事の方に加筆せざるを得ませんが、そうなると原田さんとこの曲との関わりについて理解しようとすると、元記事と分割先との二つの項目を参照する必要が生じてきます。これはWikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合の「1つにまとまっているべき情報である場合」に抵触することになります。
- ですから分割が妥当であるといえるためには、日本語カヴァー独自の情報が十分にあり、原語カヴァーについての情報はあまりない、という二点の条件が必要になると思います。まあ存在しないことを示すというのは悪魔の証明になるのでそちらは後回しでいいですから、まずはこの項目に日本語カヴァー独自の情報を出典に基づいて加筆してみて下さい。その結果分割してもスタブにならないということが明らかになったら、その時に検討してみればいいでしょう。話はそれからです。--sergei 2011年8月1日 (月) 13:53 (UTC)
いや・・・すこし冷静になりましょう。 スタブ記事?「YMCA」に関してはサブスタブ記事でもなんでもないですよ。ですよね?無視されないで下さい。 郷ひろみの「GOLDFINGER '99」→「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」もサブスタブ記事では有りません。
で、検証可能性ですね。 >まずあなたが、原田知世さんの「彼と彼女のソネット」が原曲を離れて独自の楽曲として認知されているということを まず歌詞内容が違います。これが独自の楽曲と看做されるか否かに関してWIKIでの「同曲異詩曲」がどう取扱われているのか提示したはずです。 「訳詞」と「日本語詞」は全く意味が違うものです。 まぁ「ヤングマン」と「YMCA」の違いくらいには独自の楽曲として認識されてるでしょう。 事実、多数の日本人アーティストが日本語詞の方をカヴァーしてるのですから。 違いがなければカヴァーも日本語詞盤と原曲盤が拮抗してるはずですよね?
>まずはこの項目に日本語カヴァー独自の情報を出典に基づいて加筆してみて下さい。
いや、もともとこの記事は分割されてたんですね。 それが「トンデモ記事」に何の検証もされることなく組み込まれていたのは私が訂正を提起し受け入れられたことからも明らかですよね? そもそも統合される前の記事では大貫詞(邦題)に対する説明も誤りがなかったのですよ。 ここに記事を書いても、訂正を提起しても「どのみち記事は荒らされる」のではないでしょうか? あなたが、いつまでたっても検証可能性を証明しないように・・・ >当の原田さんでさえ持っていないのではないでしょうか これですね。 「検証したいんで宜しく」と御願いしたら「貴方のほうが先に」では会話になりません。 たぶんWIKIの記者達も「なんじゃそりゃ」となりますよ。 確固とした独自の思想に基づき記事の項目の有り方を決定づけられるというのは良い気持ちはしません。 ちなみに「独自の楽曲」かどうかは、これ一つで「も」証明できます。 http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main.jsp?trxID=F20101&WORKS_CD=0T318010&subSessionID=001&subSession=start JASRACによる管理状況です。日本語詞盤の同詞は全て原曲とは別物としてこの団体が管理しております。 要は法律上は歌詞は「全く別の物」なんですよ。(訳詩と誤記されてますが・・・) ちなみにこれを提示するのを最後にしたのはJASRACが好きになれないという個人的事情によることを補足しときます。 --Emptyhouse 2011年8月7日 (日) 08:03 (UTC)
- ええ、確かにYOUNG MAN (Y.M.C.A.)はスタブではありません。ですから「彼と彼女のソネット」もスタブにならないだけの情報量があるのかと訊いているのですよ。あるのならまずこの項目に加筆してみて下さい(もちろん出典に基づいてです)。
- 検証可能性について誤解があるようですが、ウィキペディアでいう検証可能性とは、外部の信頼できる情報源によって確認できることを指します。ウィキペディア内の他の項目でどうなっているかは、あくまで参考情報としてしか扱うことはできません。ウィキペディア内の文書として尊重することが求められるのは、各種の方針とガイドラインです。すでに説明しましたように、現在の状態でこの項目を分割するのはWikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合の取り決めに明確に反しています。
- 「いや、もともとこの記事は」以降は仰る意味がわかりませんでした。彼と彼女のソネットは初版からリダイレクトですし、この項目にはほかから統合された履歴は存在しません。副題がつけられた経緯についてはすでに修正を済ませました。なお不十分な点があれば好きなように修正して下さい。加筆できる情報があればいくらでも加筆していただいて結構です。ですがスタブになることが明らかな状態で項目を分割することなどあり得ません。
- JASRACの検索結果は見てみましたが、権利者が違うのですから信託状況や管理団体が異なるのは特に不思議なことではありません。それより、「彼と彼女のソネット」には元の楽曲と同じ作品コードが割り当てられていて、全ての権利者の情報が同一ページに並んで出てきますね。「作品名・副題」には「T'en va pas」と「悲しみのアダージョ」と「彼と彼女のソネット」が併記されています(「哀しみのアダージョ」では沢田研二さんの楽曲が出てきます)。大貫さんの名前も原作詞者のコーエンやヴァルニエと並んで表示されていいます。識別が「訳詞」となっているということは、大貫詞は少なくとも法的には訳詞という扱いになるのでしょう。こうしたことから、JASRACは「彼と彼女のソネット」を元の「T'en va pas」と同一の楽曲として扱っているのだと判断できます。この表示結果から、私はむしろ両曲は同一の作品として扱うべきなのだという確信をより深めるに至りました。--sergei 2011年8月7日 (日) 12:50 (UTC)
- ◆ノート:原田知世に議論の告知をしておきました。今そちらの議論に一通り目を通しましたが、すでにその中でプロジェクト‐ノート:楽曲#分割について等を例示して無闇なカヴァー曲の分割は歓迎されないことを説明されているではありませんか。それをわかっていながらなぜこのように分割に拘泥するのでしょうか? ウィキペディアでは一箇所にまとめられているべき情報を細分化させることは望まれていないのであり、まして結果的にスタブになるような分割はしてはいけないのです。何度も同じ手間をかけさせないで下さい。--sergei 2011年8月7日 (日) 14:55 (UTC)
いやまず・・・貴方は逃げないで「当の原田さんでさえ持っていないのではないでしょうか」という発言の根拠を示して欲しいのです。でないと困りますです。 つぎにですね、「すでにその中でプロジェクト‐ノート:楽曲#分割について等を例示して無闇なカヴァー曲の分割は歓迎されないことを説明されているではありませんか。」と仰ってますが結論は出て無いでしょう?ノート:原田知世でそういう結論しなりました。だから私もここで結論を出してないわけで。 プロジェクト‐ノート:楽曲#分割についてでも分割の定義の結論が出てない・・・読めば解かるはずです。ノート:原田知世を読まれたと主張するなら、もっとしっかり読み込んで下さい、と。でないと僕ちんも困りますです。 で、貴方が仰ってることは「スタブにならなければ分割してよい」ですが、カヴァー曲において(同曲違詞)そんなルールを勝手に作ったら皆さんが困り果てると思いますです。プロジェクト‐ノート:楽曲#分割についてでもそんな結論は出ておりませんです。 重要なのは「今までの議論の経緯くらい読んでおく」ことだと思いますです。
- 「何度も同じ手間をかけさせないで下さい」・・・こういう喧嘩腰の台詞は如何なものかと思いますです。
しかも管理者レベルで脅迫みたいな説教みたいなこと言われたら不通に恐怖感を抱きますです。 しかも「手間をかけさせた」記憶は有りません。名誉毀損ものです。 ワタクシは「一応(分割したいという気持ち)注文は有りますが、ここでは暫く実行に移したりせずに保留しときますね」と言ってるだけです。 読めば解かると思います。 それなのに貴方に何の迷惑を私がかけたのか?それは刑事事件レベルまでもしくは民事事件レベルの話なのか?教えて欲しい物です。 ノートは単に議論する場所であると認識してましたが、そこで「手間をかけさせた」とまでワタクシを貶める発言をするのは、そこに実害があるからですよね? 他人を貶めるというのは根拠が無い限り法的には犯罪レベルの行動となります。 出来れば「Emptyhouse」が貴方に「手間をかけさせた」内容と、それがノートで許されない行為だとする根拠を教えてもらいたいです。困りますです。 ちなみに「Wikipedia:ガイドブック 交流・議論」では私のノートの使い方に間違いはないはずですが・・・http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF_%E4%BA%A4%E6%B5%81%E3%83%BB%E8%AD%B0%E8%AB%96#.E3.83.8E.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.9A.E3.83.BC.E3.82.B8 もういちど聞いときます。「手間をかけさせた」とする根拠はなんでしょうか?それは「emptyhouse」に対する貶めですか? それとも民事・刑事に触れる行為を私がしたのでしょうか?でなければ単なる貶めであり・・・ そこまでいかなくても・・・自らの見解を自由に述べることが許された「ノート」という場で言論の自由を萎縮させるのは如何なものかと・・・ --Emptyhouse 2011年8月13日 (土) 12:26 (UTC)