コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:君が代/archive2

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

過去ログ

[編集]

日本語表記に関する簡単な問題提起

[編集]

主な対立する意見に、

(たとえばイギリスの『女王陛下万歳』など。)

とありますが、是非この括弧内の句点をとっては如何でしょうか。 「君が代」に関する考え方はどうあれ、日本語に関連するものであることは誰もが否定し難い事実ですから、是非とも正しい日本語表記を使いたいものです。 通りすがった時、これに気づきましたが、編集保護中でしたので、ここに書いておきます。--船長 2008年1月6日 (日) 12:03 (UTC)

歴史(制定までの経緯)

[編集]

異説として「海軍七十年史談」に記載があるという原田宗助と乙骨太郎乙の発案というのを採用していないのは何か理由があるんでしょうか。

参考:[1]

司馬遼太郎の「歴史の中の日本」にも言及があるということですが。Cru 2006年12月22日 (金) 15:18 (UTC)

君が代への「批判」者

[編集]

便所虫様:「左系勢力」として(1)日教組(2)朝日新聞(3)日本共産党を挙げていらっしゃいますが(「左傾」ならともかく「左系」という言い方も耳慣れないのですが)、非難にあたってこの3つに絞るという点が、街角で見かける(ゆえに特定できないのですが)右翼の街宣カー特有の宣伝と共通して感じるので大変違和感があります。また、説明としても機能していないとも思います。記事では「君が代に対する批判」と曖昧に書かれていますが、批判もさまざまな立場から存在していて、君が代の何を批判しているのか明示していない箇所です。存在自体を許さないという批判なのか、国歌としては認めないという批判なのか、斉唱強要への批判なのか等です。これら様々な批判を含めなくても、上記3者はそれぞれ立場が違うし時期によって立場を変えている。のみならず、上記3者のみで代表されるわけではない。社会党も時期によって違うものの様々な方向から批判しているし、新左翼諸党派もそうですよね。朝日新聞社以外のメディア企業もです。日放労連なんかも。君が代の何を批判しているかという差異を考慮しながら「何かしら批判している」人々を入れると、さらにぐちゃぐちゃになります。そういう状況のなかで、日教組・朝日・共産党に限定するというのは、どうも一つの立場路線表明に見えて不自然に感じます。しかも、この、限定の仕方それ自体がすごく古い、現代的な記述じゃない、冷戦期によく見られた言い方ではないか、という気がします。「君が代の○○に対する批判(○○には内容・存在・斉唱…等々が入るのかも知れません)が出た」とか「君が代に対する様々な批判的見解が表明された」とか、そういうふうにしか言いようがないと思いますが、いかがですか。--Iosif 2006年5月12日 (金) 11:34 (UTC)

とか書いてたら、本文が保護されていました……。--Iosif 2006年5月12日 (金) 12:28 (UTC)

何が言いたいのかしっくりきませんが、日の丸に対して(1)日教組(2)朝日新聞(3)日本共産党 などが否定的であることは事実であって、「右翼の街宣カー特有の宣伝」などと脊髄反射して削除隠蔽してしまう自分を冷静に自己分析するのが先決でしょうね。便所虫 2006年5月12日 (金) 12:48 (UTC) 投稿ブロックの方針3.5により削除。--大六天 2008年3月6日 (木) 03:45 (UTC)

全長版の初出について

[編集]

>『小学唱歌集初編』(明治21年(1881年)発行)に掲載されている歌詞は、現在のものよりも長く、幻と言われる2番が存在する。曲はイギリスの古い賛美歌から採られた。
既に明治14年当時の小学唱歌集で、本文にあるロングバージョン(2番付き)が掲載されています。……。--inaiinaibah 2006年5月31日 (水) 05:15 (UTC)

日本の国歌へ移動すべき?

[編集]

国旗で、日本とイギリスのものが、固有名から「~の国旗」に移動されたようです。個人的には複数の国の国歌になるものは曲名、そうでなければ「~の国歌」とするのが良い(項目へのリンク、検索が楽なため)と考えますが、現在では此処のみ例外となっております。果たして移動すべきでしょうか。--kahusi (會話) 2006年6月30日 (金) 11:21 (UTC)

諸手を挙げて賛成できないのが悲しいですね。--Japan 2006年6月30日 (金) 12:23 (UTC)
あのー法律で決まったものを諸手を上げて賛成できないと言うのは結構洗脳されてますよ。近隣諸国に配慮するのも大切ですがそろそろ内政干渉させない国際感覚を身につけた方が近隣諸国の為です。何時までも日本におんぶに抱っこじゃ先進国に成れませんよと厳しい事も教えないと何時までもアジアは中華思想のままです。まあ人手がそろって対抗できるだけの人的リソースが確保できたら移動させましょう。--Forestfarmer 2006年7月23日 (日) 05:22 (UTC)

えーとなんだか良く分からんがともかく君が代に対する思い入れが強い人が予想以上に多い事は伝わった。全体的に総合すると君が代はそのままで新しく"日本の国歌"を作ればいいのか?--Forestfarmer 2006年7月23日 (日) 08:13 (UTC) あとまあ編集保護されているんで手出しは出来んが君が代の国歌の側面の記事は"日本の国歌"に移動させるんでまあ保護が解除されたら多分削除すると思うんでよろしこ。そこんところで”日本の国歌”の記事を削除対象にせんでくれとお願い。--Forestfarmer 2006年7月23日 (日) 08:26 (UTC)

この動議を出したのは、国歌#日本の国歌があり、日本だけ此処に書く事に違和感を感じて、「[[君が代]]+[[国歌#日本の国歌]]=[[日本の国歌]]」としようかと考えた次第であります。成程[[君が代]]と[[日本の国歌]]の並存でも良いかも知れません。「国歌としての君が代」をどちらに記すかは難しい処ですが。--kahusi (會話) 2006年7月23日 (日) 08:56 (UTC)

誤解を生むといけないので一言言っておきます。どこから「思い入れ」を読み取ったのかわかりませんが、君が代にも、日本の国歌にも、私は特別な思い入れは全くありません。単に概念が違うからそう申したまでのことです。--PeachLover 2006年7月23日 (日) 09:01 (UTC)
暇だから相手してやる。お前の感情は感情疾患の一部だ。俺ならわかる。直し方は俺だけが知っている。なーんてな。だがこっから真面目に書くから良く聞け。お前の言動は矛盾しているんだ。言葉の数だけ意味があるって前の理性は思っている。つまりお前の理性は言語を介してしかカテゴライズできないと思っているわけ。でもお前は感情は国歌と君が代が分離不可な物だと受け取った。だがら”概念”的に違うって書いたんだ。普通”概念”って言葉使わないだろ。感情を言語で押さえつける時に使うんだそれはね。だから俺が「思い入れ」があるってわざわざ書いてあげたって訳。でな何で俺がお前が分離不可な事って分かった物を分離するかと言うとな、そうしないとお前の頭がパンクしたままになるからだよ。で周りの人に迷惑をかけなければいいのだかこうやって迷惑かける。だから俺がお前の感情疾患を治療しているわけ。で直し方は簡単。俺が国歌と君が代の記事を分離した。でだな俺は必要最低限だけの記事を国歌に移した。でお前は今後どうする?日本の国歌に書くか?それとも君が代に書くか?そう、其処からお前の頭のクリーニングは始まるんだよ。安易に君が代の記事を編集し続けるのはお前の為にも周りの人のためにもお勧めしない--Forestfarmer 2006年7月23日 (日) 11:49 (UTC)
とりあえず日本の国歌の記事を作った。まあこんなもんじゃないかなぁ。必要最低限の情報だけでいいっしょ。君が代の記事と並立って事を考えますとね。--Forestfarmer 2006年7月23日 (日) 09:33 (UTC)

楽譜

[編集]

楽譜なのですが、一箇所休符または音符を変えなければならないところがあります。「こけの」のところです。どなたか訂正お願いします。 上記2006-10-11T15:08:23Z 220.151.44.121の投稿

ファイル名が Kimogayo.png になっていますねえ。commons:Image:Kimigayo.pngに投稿しておきました。--kahusi (會話) 2006年10月11日 (水) 22:50 (UTC)

高解像度版の楽譜を作りました。編集できないので変更できません。
楽譜:高解像度
それと、ほかの外国語版に入っている楽譜がスラーの含まれたものなんですが、内閣府のHPではスラーがありません。どちらが適当なのでしょうか。yu_cjk 2007年1月9日 (火) 02:58 (UTC)

「官報第三千三十七號附録」にある楽譜はスラー(と息継ぎ記号)がありますが、「国旗及び国歌に関する法律」の場合はありません。--kahusi (會話) 2007年4月25日 (水) 06:49 (UTC)

image replacement

[編集]

Please replace the image Image:Kimogayo.png with the image Image:Kimigayo.png. Thank you. The first file will be deleted on Commons. --ALE! 2006年10月16日 (月) 10:03 (UTC)

旧海軍式君が代

[編集]

旧海軍式君が代についての説明は加えるべきでしょうか。

参考:http://www.youtube.com/watch?v=N4Psd5EnZFY

私は現在も海上自衛隊において使われているので加えても良いとは思います。 --Cub51 2007年1月15日 (月) 08:13 (UTC)

現在は「関連する楽曲」節にあるだけですが、陸上自衛隊と海上自衛隊とでの差異を含めて掲載しても良い様に思います。検索してみると、昭和56年の国会でも言及されている様で。--kahusi (會話) 2007年1月16日 (火) 06:07 (UTC)

和声

[編集]

本文が保護中なのでここに書いておきます。

1998年長野冬季オリンピックでは、龍笛芝祐靖宮田まゆみのステージ演奏およびバックの雅楽演奏により、従来のエッケルトによるものとは別の雅楽風の和声によって君が代が演奏された。

以上、保護解除になり次第付け足していただければと思います。場所はエッケルトによる和声付けの段落直後が望ましいでしょう。30rKs56MaE 2007年2月13日 (火) 15:45 (UTC)

別版の君が代

[編集]

君が代喇叭譜と小学唱歌「君が代」のMIDIをCommonsに投稿しましたので報告しておきます:

また、フェントンが作曲した最初の君が代についてもMIDIを制作したのですが、著作権は誰が持つのか、フェントンである場合、歿年が不明でPD化しているかが分らないといった理由の為、投稿していません。--kahusi (會話) 2007年4月25日 (水) 06:49 (UTC)

2006年5月の編集保護

[編集]

1980年の批判展開がなされるようになった主語を「主に左系勢力」という文言を入れるか、否かで編集合戦が起こり編集保護となる。この編集を参照。--経済準学士 2007年4月27日 (金) 18:00 (UTC)

出典は要るものと思います。とは言っても、文を加えている方はブロックされていますので(Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Peace)、問題が無ければ、或は1週間以上異論が無ければ解除依頼をしようかと思いますが如何に。--kahusi (會話) 2007年7月28日 (土) 06:00 (UTC)
一週間過ぎたので依頼しようかと思ったのですが、Wikipedia:保護解除依頼#九条の会(ノート/履歴/ログ)を見ると解除成立の見込みは薄い模様……。--kahusi (會話) 2007年8月9日 (木) 08:15 (UTC)

君が代の解釈

[編集]

拾遺和歌集 巻第5 賀 277 清慎公五十の賀し侍りける時の屏風に 元輔 の歌として 「君が代を何ににたとへんむ さざら石の巌とならん程もあかねば」 と君が代と同意の歌があり、この君が代の君は清慎公を指しているのは明白です。以上の署名の無いコメントは、220.217.26.244会話/whois)さんが[2007年7月31日 (火) 11:39 (UTC)]に投稿したものです(伏儀による付記)。

「明白である」と主張している論者は誰ですか。残念ながら、事実に基づいた解釈は独自研究となります。--伏儀 2008年10月30日 (木) 13:27 (UTC)

現代語訳について

[編集]

訳が適当でありません。この場合、「千代に八千代に」は「永遠に」とするのが妥当ですし、「君が代」に至っては、古文その侭です。この場合の「君が代」は、意味で言うのならば「皇朝の治める世が」、「天皇の御世が」等、現行憲法などに即した解釈ならば、「日本の平安が」、「日本の繁栄が」のようになる筈ですが、どうでしょう。—以上の署名の無いコメントは、月景会話履歴)さんが[2007年10月6日 (土) 17:06]に投稿したものです(伏儀による付記)。

月景殿の独自研究となってしまうので、コメントどおり記事に反映するのは難しいと思います。ただ、現在の現代語訳も誰が訳したものなのか明記しておらず、たんなる自作ではないかという疑念がぬぐえません。僭越ながら、万世一系に「君が代」節としてバジル・ホール・チェンバレンの訳を出典付きで載せたので、それをこのページにも記述することを提案します。--伏儀 2008年10月30日 (木) 13:21 (UTC)
載せました。--伏儀 2008年11月28日 (金) 11:38 (UTC)

Iratume殿により、英訳を載せていただいております。ありがとうございます。--伏儀 2009年1月11日 (日) 15:51 (UTC)

『君が代と萬歳』 『国歌君が代の研究』ともに、チェンバレンのものを、もっともすぐれた英訳としています。国歌の記事は、他国からのアクセスも多いと思われ、すぐれた英訳を載せることは意味があることではないかと存じました。国歌君が代の生みの親である海軍に雇われ、日本文学の理解者、紹介者となったチェンバレンの訳ですし。--Iratume 2009年1月13日 (火) 10:01 (UTC)


音源

[編集]

保護中につきこちらに記させていただきます。 WP:Chatsuboにて、Zscout370さんから、コモンズに君が代のパブリックドメイン音源がアップロードされたとの報告がありました。en:Kimi ga Yo#Recordingsにございます。--朝彦 2007年10月20日 (土) 01:10 (UTC)

文章の校正

[編集]

「君が代をとりまく状況」の説に

平成16年(2004年)秋の園遊会に招待された東京都教育委員・米長邦雄が、(天皇)に声をかけられて「日本の学校において国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言し「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と言われている。

という一文がありますが、「(天皇)」という表記を「明仁(平成天皇)」へ直すべきだと思います。一週間待って、特に反対意見がなければWikipedia:管理者伝言板へ提出します。--GURAX 2008年1月31日 (木) 20:31 (UTC)

少くとも「平成天皇」はまずいです。今上天皇の項にもありますし(要出典ですが)、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/当代天皇の項目名についてでは項目名の案としても出てきておりません。ウィキペディアに於ける今上天皇の名称の件は2年以上に亙ってもなお決着が着いていませんし、慎重に御願いします。--kahusi (會話) 2008年2月1日 (金) 11:53 (UTC) % ちなみに保護全般の議論はWikipedia‐ノート:保護の方針にて。
ご意見ありがとうございます。それでは「(天皇)」としている部分を「明仁今上天皇)」とし、<!-- 平成の天皇 -->というコメントを添えておく、という案に変更します。少なくとも「(天皇)」では何のことか分からないと思うので、こちらの方が文脈的に分かりやすいのではないかと。
記事名の付け方と保護の方針は校正に直接関係しないと思うのですが、見落としがあれば申し訳ありません。--GURAX 2008年2月1日 (金) 13:11 (UTC)

保護解除の提案

[編集]

この記事は2006年5月12日より、長期荒らしとの編集合戦により無期限保護[2]されていますが、保護期間が2年半近くと長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。長期荒らしが来たら来たで対処、普通に荒れたら荒れたで保護、ということで。

特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年10月4日 (土) 15:35 (UTC)

解除に賛成します。--伏儀 2008年10月23日 (木) 16:57 (UTC)

解除に賛成です。外部リンクもいくつか切れているようなので。--三三三 2008年10月27日 (月) 11:03 (UTC)

(報告)青子守歌殿によって、2008年11月27日 (木) 11:36に解除していただいております。--伏儀 2008年11月28日 (金) 11:29 (UTC)

新 君が代について

[編集]

新 君が代 (新 日本国国歌)の動画を見つけたので,紹介します。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm336903
この動画などの新しい君が代について何か意見をお願いします。--222.3.240.45 2008年10月6日 (月) 09:37 (UTC)Seiichiro

ニコニコ動画でどうぞ。尤も、特筆性は無いでしょうが。--kahusi (會話) 2008年10月6日 (月) 10:11 (UTC)

出典の記載

[編集]

保護解除されたので体裁のみ乍ら編集しました。本文に挙げられた出典としては法律条文、『小学唱歌集 初編』、『国歌大観』、『竹柏漫筆』だけになっており、此等を元とした記述以外は要出典と考えられます。--kahusi (會話) 2008年11月27日 (木) 14:07 (UTC)

冒頭の出典の明記を外すとともに、問題があると思われる節に出典の明記と独自研究を貼り付けました。どの節が問題なのか明記した方が修正しやすいと思います。問題とした節は、出典なしに「学問的な通説としても前者とする人が多い。」、「注意を要するのである。」、「~とする説が有力である。」等と断言している部分で、独自研究(執筆者の単なる私論・持論)の疑いがあります。とはいえ、削除には慎重を期する必要がるため、1ヶ月ご意見を募集し、それでも出典を明記していただけない場合に削除することを提案いたします。--伏儀 2008年11月28日 (金) 11:27 (UTC)

歴史の節を主に編集しました。成り立ちとしては、手持ちの文献では大山巌説を採るものが多い中で、「君が代のすべて」(KICG 3074)ブックレット内の水谷弘による文では、原田宗助と乙骨太郎乙両名の説を採り、大山巌説等を「最近の研究では、いずれもその根拠は弱まりつつある」としています。文献の量で有力か否かを判断して良いか躊躇するので、此れに就ては記していません。--kahusi (會話) 2008年11月28日 (金) 14:13 (UTC)
歴史の部分について「独自研究」は失言でしたね。「出典の明記」にとどめ、安易に削除を提案するべきではありませんでした。急かしたようで恐縮です。出典を追加していただきありがとうございます。--伏儀 2008年11月28日 (金) 14:59 (UTC)

Roberto Hongo殿による「歌詞」節の記述の削除について

[編集]

Roberto Hongo殿によって、私が執筆した「歌詞」節から以下の記述が削除されました。

「この歌は万世一系皇統の永続性)がテーマである。世界で最も短い国歌が世界で最も長命な王朝を称えているのである。」

私が「「万世一系がテーマ」という主張は研究者によるものです。」と指摘した上で差し戻しましたが、Roberto Hongo殿によって再び削除されました。ただ、2度に渡る削除の際、Roberto Hongo殿より、以下のような削除した理由を要約欄にて説明していただいております。

  • 「何?この歴史を無視した勝手な解釈。めちゃくちゃ主観的。エッセイじゃん。」(2008年12月23日 (火) 18:32時点
  • 「どの研究者だというのか。それに、「解釈」の項目があるように、議論をよんでいる内容である。一研究者の意見を決定的なものとして書くのはおかしい。「解釈」のところに」(2008年12月26日 (金) 14:35時点

最初に言っておきますが、出典はすでに明記してあります。冒頭のマークアップにて、「この章は、ベン・アミー・シロニー(著) Ben‐Ami Shillony(原著)『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』大谷堅志郎 (翻訳)、29-30頁。 (第8章1『日本王朝の太古的古さ』)を参照。」と明記してあるはずです。もう一度ご確認ください。

Roberto Hongo殿が実施した削除についてですが、要約欄の説明では削除が適切であるとは見なせません。

まず、最初の削除にて、シロニー氏の主張について、「歴史を無視した勝手な解釈」「主観的」「エッセイである」などと論評しているようですが、やめていただけませんか? 一ユーザが出典の解釈を行って編集すると記事の適切さに問題が発生し、最悪だと独自研究になります。Wikipedia:信頼できる情報源に基づいて出典が信頼できるか判断して下さい。

シロニー氏の著書をWikipedia:信頼できる情報源に基づいて判断すると、出典として問題ないどころかかなりの信頼性を誇り、Roberto Hongo殿が言うところの「歴史を無視した勝手な解釈」「主観的」「エッセイである」という解釈が日本国外の学界で主流であることを示す根拠になりえます。シロニー氏は著書で逐一出典を示し、しかも情報源が誰でどういう研究をしている人物か明確にするよう努めています。その上で持論を述べている。シロニー氏本人も、もちろん素性を明らかにしています。イスラエルのヘブライ大学の東洋学部教授で、日本研究により勲二等を受章した人物です。また、論文を発表する際に学術機関の審査を受け、本書を出版する際に出版社の審査を受けています。信頼性の判断は匿名ユーザの論評より学術機関の審査を優先させる、そんなの当たり前です。

さらに、出典を明記したとは認められない例として、Wikipedia:独自研究は載せないの「信頼できる資料」に、「自費出版」、「自己出版」、「急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞」などがあげられています。シロニー氏はこれに該当しないので、出典に問題はありません。一方、Roberto Hongo殿は、「「解釈」の項目があるように、議論をよんでいる内容である。一研究者の意見を決定的なものとして書くのはおかしい。」と要約欄にて説明しておられますが、そもそも「解釈」節は出典の明記が全くなされておらず、上位の章の「和歌としての君が代」にて、{{出典の明記}}、{{独自研究}}が添付されております。

よって、Roberto Hongo殿が2度実施した削除は、「匿名ユーザであるRoberto Hongo殿ご自身の論評に基づいて不適切な記述と判断してしまい削除した」、「出典のない「解釈」節を基に出典のある記述を削除した」、「万世一系がテーマとは研究者による主張だと伏儀から指摘を受けたにもかかわらず、ノートでの議論を経ずに再び削除を実施した」という、適正さを欠く編集であると判断せざるを得ません。あるいは、出典を見落とされたのかもしれません。しかし、そうであれば、私から「万世一系がテーマとは研究者による主張」と指摘を受けた時点で何かおかしいと判断するべきでしょう。Roberto Hongo殿が出典を明記した前掲の記述を削除されたのは、問題だと断じざるを得ません。

まずは、「解釈」節の加筆・出典の明記を検討するべきではないでしょうか。ただ、日本国外の研究や学説への批判という方針で加筆するなら、出典を明記する必要性は高いという点は認識していただきたく思います。特に、「万世一系がテーマ」について、「歴史を無視した勝手な解釈」「主観的」「エッセイである」という評価をしている研究者は誰なのか、加筆する際に明記する必要があります。

また、2度目の要約欄は「「解釈」のところに」で途切れていますが、「歌詞」節についてRoberto Hongo殿は何らかの修正が必要とお考えなのでしょうか。「「解釈」のところにシロニー氏の主張を記述するべき」ということでしょうか。「歌詞」節はすべてシロニー氏を出典としているので、一つの節にまとめて記述する方がよいと思いますが。というより、出典を明記した時点で、一研究者の主張であることが明確になっているはずですよね。異説が存在することは同じ記事に「解釈」節が設けられて説明してあるので、特に誤解をまねかないと思いますが。そもそも、Roberto Hongo殿が出典を見落としたのはマークアップの方法に問題があるから、というわけではないと思います。節の冒頭のマークアップにて「この章については…を参照。」などと出典を明記する方法は、秀逸な記事でも行われているので、特に問題はないと思います。そのことについて議論に応じるのにやぶさかではありませんが、その議論をする前にRoberto Hongo殿が実施した削除について釈明していただき、ご自身の手で削除した記述を過不足なく復帰していただくことを要求します。--伏儀 2008年12月27日 (土) 17:53 (UTC)

Roberto Hongo殿よりお返事をいただけなかったため、削除された記述を復帰しておきました。これにともない、該当の記述にもマークアップを実施しました。これにより、マークアップしてある出典を見落とすことはなくなると思います。ご意見があればコメントをいただければと思います。また、対応に不備があれば指摘していただけると助かります。--伏儀 2009年1月11日 (日) 15:40 (UTC)
横から失礼いたします。偶然目に留まっただけなのですが、コメントさせてください。
シロニー氏の主張についての記述があるのは特に異論はないのですが、この文章が「歌詞」節にあるのはちょっと違和感を感じます。「解釈」という節が別にあるのですから、シロニー氏の主張も「解釈」節に有る方が納まりが良いと思うのですがいかがでしょうか?--Carbucketty 2009年1月11日 (日) 15:56 (UTC)
コメントありがとうございます。私が記述した段階では、「歌詞」節は「(歌詞と読みは…「巌」は「いはほ」と読む)。」という記述以外すべてシロニー氏を参考文献にしたので、一カ所にまとめた方が分かりやすいと考えました。(現在は別の文献から英訳を追記していただいておりますが)。また、出典を明記することで一研究者の主張であることが明確になっているので、「歌詞」節に記述しても特に問題はないでしょう。ただ、記述が存続するなら記述する場所について意見はございません。「解釈」節に載せるべきとおっしゃるなら、私は特に反対しません。--伏儀 2009年1月11日 (日) 16:18 (UTC)
解釈に就いて議論があるというならば、解釈の節へ移動した方が良いでしょう。ただ出典無しの文にどうやって含めるかが問題ですが。また日本政府による解釈が[3]に記載されていますので、此れも言及に値するでしょう。--kahusi (會話) 2009年1月12日 (月) 11:40 (UTC)

「解釈」節に記述することについて「反対しない」としましたが、やはり移動した方がよいでしょうね。お二人のご指摘により、賛成とさせていただきます。出典のない文章すべてに「要出典」を添付するか、「解釈」節の冒頭にも「出典の明記」を添付すれば、出典の有無を分けることができると思います。「和歌・朗詠と引用」節はまだ出典はありませんが、「テキストと作者」節には出典を追加していただいているので、「和歌としての君が代」節のテンプレートを「解釈」節に移すのも良いかもしれません。日本政府による解釈についても、ぜひ記載していただきたいと思います。--伏儀 2009年1月12日 (月) 16:43 (UTC)

すみません。賀歌についての参考文献も見つかりましたし、これから「和歌としての君が代」の解釈の項目は、大幅に書き換えさせていただきます。国歌になる前と以降とでは、当然、解釈も変わってくるものではないでしょうか。現在の状態では、明治、国歌の成立の状況が「和歌としての君が代」に含まれていて、これはちょっとおかしなことではないか、と思うのです。そこらあたりも含めて、出典のあるものは残しつつ、加筆していきますので、移動は、少々お待ちいただけますでしょうか。チェンバレンの訳詞に基づいた解釈のようですし、現行国歌成立の後にいれることが適当なのではないか、と思われます。また、日本政府による解釈は、戦後の話ですので、「君が代を取り巻く状況」の章の冒頭に、政府解釈として入れることが適当なのではないかと愚考いたします。--Iratume 2009年1月13日 (火) 10:28 (UTC)
とつぜん「Roberto Hongo殿よりお返事いただけなかった」と言われ、めちゃくちゃビックリしました。それだったら、私のノートに「ノートでの議論お願いします」みたいに書いてくださいよ!議論があったことさえ知らんかった。
だから、「解釈」のところに書けって言ってるんですよ。出典があればいいってものじゃなく、「解釈」のところにも、皇室の永続性がテーマになっているのではないって主張が書いてあるでしょう。歌詞のところから消して、解釈のところに移動させます。--Roberto Hongo 2009年1月17日 (土) 06:13 (UTC)
すみません。Roberto Hongoさま。現在の解釈は、「古今集賀歌」としての解釈です。シロニー氏は、国歌としての君が代を解釈なさっているようにお見受けします(ご著書を読んでおりませんので推測ですが)ので、いまの状態であれば、歌詞のところにある方が自然であろうかと存じます。確かに執筆が遅れておりますが、すぐ上にあります私のコメントを無視なさるのはなぜでしょうか。--Iratume 2009年1月17日 (土) 07:31 (UTC)
あたりまえの話なのですが、例えば江戸時代、正月に芸人が門付けして歌っていた君が代と、明治、国歌として海外に向かって歌われる君が代とでは、意味がちがいます。チェンバレンは国歌として君が代を訳しているのですし、それをかかげた論評は、国歌としての解釈となるのが筋ではないでしょうか。移動なさるのなら、国歌としての解釈の項目を、ご自分で執筆なさってからご移動なさるのが筋です。--Iratume 2009年1月17日 (土) 07:49 (UTC)
言われたとおり、「国家としての君が代」のところに移動しました。--Roberto Hongo 2009年1月17日 (土) 14:36 (UTC)
Carbucketty殿とKahusi殿のご意見に基づき、私が記述した「歌詞」節からRoberto Hongo殿のご要望どおり「解釈」節へ移動するご提案に賛成させていただきましたが、Iratume殿による「歌詞のところにある方が自然」、「国歌としての解釈の項目を、ご自分で執筆なさってからご移動なさるのが筋」というご意見に賛成いたします。現在の「解釈」節は「古今集賀歌」の説明をしており、それを「日本の国歌」の解釈の根拠にするのはやはりおかしいと考えます。(Iratume殿のご指摘どおり、シロニー氏は確かに国歌としての君が代について論じております)。私が指摘するべきなのに、結果的にIratume殿にフォローしていただいた形となってしまい、恐縮です。執筆についてももちろん賛成させていただきます。執筆を楽しみにしております。
率直に申し上げて、「だから、「解釈」のところに書けって言ってるんですよ。」という一言に違和感を覚えました。最初に言っておきますが、Roberto Hongo殿の2度目の要約欄は「「解釈」のところに」で途切れております。これは字数制限によるものでしょう。Roberto Hongo殿は、「「解釈」のところに書け」とは一言もおっしゃっておりません。
さらに、ご自身が2度実施した削除について謝罪も釈明もないのはどういうことでしょう。Roberto Hongo殿が実施したのは「削除」です。「移動」ではありません。にも関わらす、「だから、「解釈」のところに書けって言ってるんですよ。」という一言がなぜ出てくるのか。理解に苦しみます。シロニー氏の主張を記述することについて異論はないというご意見もいただいております。Roberto Hongo殿が実施した削除について誰からも賛同がなかったことを確認していただけると助かります。
また、「(議論の前に)ご自身の手で削除した記述を過不足なく復帰していただくこと」を私が要求したにもかかわらず、私が記述を復帰する結果となったことについてもなんら釈明をいただいておりません。ノートの議論を見落としたのはRoberto Hongo殿の落ち度です。「私のノートに「ノートでの議論お願いします」みたいに書いてくださいよ!」などという要求は、率直に申し上げて不当な要求です。--伏儀 2009年1月18日 (日) 17:08 (UTC)

古今集賀歌の解釈について

[編集]

君が代が恋の歌であるという俗説があることは存じていますが、それは隆達節など、後世の俗謡の歌詞となっていることから言われていることです。古今集の部類わけで「賀歌」となっているものが、恋歌ではありえません。古今集には「恋歌」(万葉の相聞歌にあたるもの)という部類が、別にちゃんとあります。和漢朗詠集の場合も、祝歌に分類されていて、これも恋歌の部類はちゃんと別にあります。したがって、少なくとも王朝期において、恋歌として意識されていたことはありえないのですが、あんまりにも常識的にすぎて、国文学的な参考文献を見つけることができません。解釈の最初に、「(1)「わたしの恋しいあなたは……」と恋人の長生を祈る歌」とあるのが、どうしても気になりまして、恋歌解釈を入れることが必要なのならば、「民謡・琵琶歌としての君が代」の方にもってくるべきだと思うのですが、いかがなものでしょうか?--Iratume 2009年1月10日 (土) 07:12 (UTC)

現在の「解釈」の項目を書かれた方へ、書き換えの趣旨を述べておきたいと思います。ご自身で書かれておりますように、「和歌、朗詠の常識として、本文は同じであってもそれが引用され、朗詠される場によってその解釈は折々に変る」ということで、これは別に王朝に限ったことではないと存じます。そして、場の問題とともに時代の問題もあります。「あくまで相対的なものであって、絶対的なものではない」のはもちろんですので、時代や場を考慮しない解釈は、不可能ではないでしょうか。参考文献と具体例を出して、おっしゃっておられるようなことを書いていくつもりでおりますので、書き換えをご了承いただければ幸いです。署名を忘れていました。すみません。--Iratume 2009年1月14日 (水) 15:46 (UTC)

「明治憲法下で言う万世一系」という文言について

[編集]

Roberto Hongo殿により、「国家としての君が代」節へすでに移動していただいております。私としては、「歌詞」節でもどちらでもよいのですが、移動に伴い「明治憲法下で言う万世一系」という文言が追加されています。「万世一系」はともかく、「明治憲法下で言う」という文言はちょっとどういうことなのか分かりませんでした。「万世一系」という概念は明治憲法に限定されるものではないと思います。シロニー氏は「万世一系」について日本の歴史を通して論じていますし、シロニー氏が著書で出典としている研究者も同様でしょう。そういう学術上の合意も存在しないと思います。--伏儀 2009年1月18日 (日) 17:27 (UTC)

明治憲法成立以前の私擬憲法について調べたことがありますが、自由民権運動家が作った私擬憲法にも、「万世一系」の文言がないものはほとんどありません。維新以前からその概念が一般的でなければ、みながみな憲法といえば「万世一系」の文言を入れるということは、ありえなかったと理解しています。エッケルト編曲の現行国歌成立は、初代海軍楽長・中村裕庸の主導ですし、なぜ「君が代」を歌詞として採用したのか、歌詞をどう解釈していたのかは、楽譜改訂の上申書の文言を引用して書くつもりでおります。公文書ですし、問題はなかろうと存じます。歌詞の採用は、明治憲法制定以前の話です。その後に、シロニー氏の解釈をもってきていただければ、整合性がとれると思うのですが、いかがなものでしょうか。ただ、そこへ行くまでに、まだだいぶんかかりそうです。これまで書いてきた幕末維新関係の項目は、ほとんど議論もないものばかりでしたし、参考文献を挙げずに事実関係をまちがえているものは、さっさと削除して直していたのですが、こういう編集合戦の起こるような項目に書くのは初めてでして、慎重を期しています。ほんとうは、基本文献とされています小山作之助 の『国歌君が代の由来』を手に入れましたので、歌詞採用の事情を書きたかっただけなのですが、つい。私は、自分の読んでいない文献の話は書けませんので、シロニー氏の解釈については、執筆をおまかせいたします。--Iratume 2009年1月18日 (日) 19:41 (UTC)
コメントありがとうございます。またフォローしていただいたようですね。出典としたシロニー氏の著書では「明治憲法で言う万世一系」という文言は一度も使用されておりません。「明治憲法で言う」の部分は削除するべきでしょう。シロニー氏の君が代の解釈については、私の知るかぎりでは私が記述したので全てです。どこに記述するかについては、私としては「国歌としての君が代」の概要説明の一環として政府見解や主要な研究者の解釈を説明するとよいと思います。歌詞がどういう意味なのか説明する必要があるためです。残念ながら、私が「君が代」で加筆できるのはこれ以上ありません。国歌の成立について、ぜひ加筆していただきたく思います。--伏儀 2009年1月19日 (月) 16:43 (UTC)
わかりました。「明治憲法下で言う」を入れたほうが、「万世一系」の言葉わかりやすいと思ったのですが、「明治憲法下でいう」は、引用として不適切かもしれません。「万世一系」だけでかまいません。これについては、謝罪いたします。--Roberto Hongo 2009年1月19日 (月) 17:01 (UTC)

ありがとうございます。迅速な対応に感謝します。--伏儀 2009年1月19日 (月) 17:12 (UTC)

「世界国歌コンクール」一等受賞の真実性

[編集]

「明治36年(1903年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が代』は一等を受賞した」とありますが、このコンクールについては出典が『日本の唱歌』以外に見当たらず、またインターネット上で「world national anthem competition」などで検索してもまったく見当たりません。 ケチをつけていると勘違いしている方もいますが、どこの誰が主催したかも分からず、またほかにどんな国歌が出品されたのかも分からないキモチワルイ賞の受賞歴を特筆する方が「君が代」に対する無礼な行為に当たるのですが・・・。210.139.229.115

大韓民国慶一大学総長・李南教の解釈

[編集]

そもそも古代朝鮮語に関する史料はほとんどありません。中古に関しても、日本語よりも史料が少ない状態です。国語学の立場から見れば、「韓国語で日本古代の和歌が解釈できる」とするのはトンデモ説の類です。しかもソースは新聞記事で、どういう根拠による解釈なのか明示されておらず、学問的に信頼のおけないものです。したがいまして、解釈のところに入れられますと非常な違和感があり、また全体的に見ての整合性が損なわれますので、異説の項目を作って移しました。--Iratume 2009年8月6日 (木) 06:36 (UTC)

ありがとうございました。--Chichiii 2009年8月24日 (月) 14:21 (UTC)

古今集における解釈において

[編集]

君が代の「君」につき、ソースぬきで軍政時代の日本における「君」の用法を書き込まれた方へ。全体の著述が時代順になっております。国歌としての君が代のところへ、解釈の節を作ってからお書き下さい。古今和歌集の時代の用法を説明している場には、不適切です。元にもどさせていただきます。--Iratume 2009年8月24日 (月) 14:14 (UTC)

付け加えます。「君」の解釈について「通常使用される状況では天皇をさす事の方が極稀なだけでなく、軍政時代の日本においては、天皇とは大君であって、君と称す事はむしろ不遜であった」と書いておられましたが、ソース(参考文献)を提示しておられません。しかも、書いてあった参考文献を消して、ソースぬきの文章を付け加えられるのは、マナー違反ですし、ご自身の個人的な感想でしかないのではないでしょうか。まず、確かに万葉集では「大君」という言葉が出てまいりますが、これも、かならずしも天皇を指す言葉ではないですし、古今集以降、「大君」という言葉はほとんど使われていませんから、帝も「君」と呼ばれるのが普通です。幕末の尊王歌に大きな影響を与えた南朝の歌集新葉和歌集において、例えば有名な宗良親王の「君の為世の為何か惜しからむ捨ててかひある命なりせば」など、帝を「君」と歌うことが通常ですし、幕末の尊王歌にいたって、国学の興隆から「大君」という言葉が頻繁に使われるようになりますが、愛国百人一首松本奎堂の「君がためいのち死にきと世の人に語り継ぎてよ峰の松風」というように、天皇を「君」とよぶ歌は多数あります。例えば桜田門外の変鯉淵鈴陳の「君がためおもひを張りし梓弓ひきてゆるまじ大和魂」などもそうです。「軍政時代」がいつのことか存じませんが、昭和に入って愛国百人一首は出版されているのですし、いわゆる尊王の志士の遺作や、新葉和歌集の歌は、ずっと愛唱されておりました。おっしゃっておられることは事実に反しますし、ソースぬきです。ご自分の感想文ではないとおっしゃるのなら、ソースを提示して、国歌として君が代解釈の節を作った上で、お書き下さい。--Iratume 2009年9月14日 (月) 06:13 (UTC)

「国歌になるまでの君が代」の改稿

[編集]

独自研究だった「国歌になるまでの君が代」の章を山田孝雄『君が代の歴史』を出典として改稿し、独自研究タグを外しました。旧版で書かれていたことで今回記述から外した部分について、書いておきます。

  • 薩摩琵琶の「蓬莱山」から君が代の歌詞が採られたという話は良く聞かれるところですが、山田孝雄の論に依れば、江戸時代に君が代は祝賀の歌として広く庶民に親しまれており、門付けや盆踊りにまで使われていたということですから、蓬莱山にことさら拘ることもないと考えました。
  • 「文部省(現在の文部科学省)が編集した『小学唱歌集 初編』(1881年〈明治21年〉発行)に掲載されている歌詞」については、明治14年なので年号が間違えていますし、「英国古代の大家ウェブの古歌」というのも不明。山田孝雄によれば、これは国家制定以前に広まっていた祝賀の歌の一形式が教科書に入っていた一例です(前掲書pp.113-114)。文意もはっきりしないので、削除しました。
  • 「さざれ石の巌となりて」についての考察は信頼できる文献の裏付けも無く、内容的にもこの節に馴染まないので削除としました。

以上です。--おーた 2010年1月4日 (月) 00:43 (UTC)

1881年〈明治21年〉」は単なる誤記です。失礼しました。「詳細は不明」というのは、弓狩匡純 『国のうた』 では諸説有りとし、内藤孝敏 『三つの君が代 - 日本人の音と心の深層』では各説を採り上げております。
この歌もまた「君が代」であり、又、前掲両書曰く、唱歌として試した後に国歌とする意見が文部省にあったとの事で、何かしらの形で掲載はしておきたい処です。
なお、「さざれ石の巌となりて」ですが、「君が代のすべて(KICG 3074)」では、岐阜県の天然記念物である石灰質角礫岩との関係を採り上げています。--kahusi (會話) 2010年1月5日 (火) 10:26 (UTC)
ああ、かふしさんが噛んでおられる記事だったのですね。どうか、よろしく。「さざれ石」についての文献、了解しました。ただ、この節で触れる理由はあまりないかなと考えます。(後述)というのが頻発するのが好きじゃないという主観絡みであることも確かなんですが、、、、これを書くにしても章に跨って書くよりもまとめて書くことはできませんでしょうか?
『小学唱歌集 初編』に記載された歌詞については山田孝雄は、この時点で文部省には国歌としての意識が薄いか無かったので、一部は歌詞が同じだけれど陸軍軍隊が作った国歌と異なる唱歌を載せたんだという考えでありました。どのように書きましょうかねぇ。「英国古代の大家ウェブの古歌」というのは俄かに信じ難い説でして、別の歌の説明が混じったと考えるのが妥当のような気がするのですが、かふしさんがあげられた文献を機会があれば見てみたいと思います。今回の削除は、やや強引だったようですから、該当緒箇所を適当に復活させていただいて構いません。--おーた 2010年1月6日 (水) 15:32 (UTC)、修正--おーた 2010年1月8日 (金) 13:27 (UTC)
すみません。参考書が出てこなくて正確を欠くかもしれませんが、陸軍はかなり遅くまで(明治20年前後までだったと思います)、君が代を国歌と認めてはおりません。陸軍は軍楽隊もフランス式でしたから、国歌を演奏する場面でフランスの曲を演奏したりしていたわけです。現行君が代は、薩摩バンドのものを海軍が受け継ぎ、海軍主導で曲を変えたものです。ここらへんは、たしか、中村理平『洋楽導入者の軌跡-日本近代洋楽史序説-』刀水書房、平成5年(1993年)、ISBN 4-88708-146-4 に詳しかったと思います。文部省にも独自に「国歌」を作る動きはあって、どの本に載っていたかを覚えていませんが、私も「唱歌として試した後に国歌とする意見が文部省にあった」というように記憶しています。--Iratume 2010年1月8日 (金) 12:41 (UTC)
申し訳ない。その通りで、私の誤記です。申し訳ない。この話は陸軍と海軍が明確に分かれていなかった時代から、陸軍と海軍が分離した時代に跨っていて、細かい話をするとややこしくなるので、前回の「陸軍」を「軍隊」としておきます。--おーた 2010年1月8日 (金) 13:27 (UTC)
重ねてすみませんが、「軍が作った」では話がちがいます。海軍主導であったことは確かですが、フェントンの曲のときから、宮内省がかかわっております。フェントンの曲で歌ったのは、宮内省雅楽所の伶人(楽人)のみでして、「歌い辛い」という感想は彼らから出ています。宮中の儀式において、同じフェントンの曲で、君が代と御民われ(万葉集短歌)と二つを歌った記録があります。宮内省では、海外からの賓客の歓迎行事を催しますし、儀式が多いですから、最初は海軍軍楽隊を招いていたのですが、海軍の行事と重なったりしますと来られないこともあり、雅楽の伶人が最初はフェントンに、続いてはやはり海軍のお雇いだったエッケルトについて洋楽を学びます。現行君が代は、雅楽所と海軍軍楽隊の合作といえまして、宮中行事でも使われていました。実際には、現行君が代の曲選定の席には、陸軍軍楽隊からも、元薩摩バンドのメンバーが出席していたのですが、結局、陸軍が採用した形跡がないのは、やはり軍楽隊の指導者がフランス人(シャルル・ルルー着任までは音楽の専門教育を受けた指導官ではなく、海軍軍楽隊よりレベルが低かったのですが)でしたので、反発されてしまったのでしょう。「文部省が独自に」ということでいいのでは、と愚考いたします。--Iratume 2010年1月10日 (日) 05:25 (UTC)
まだちゃんと読んでいないのですが、文部省による国歌の制定については、アジ歴・ レファレンスコード A07062219500「 明治頌撰定ノ事」に詳しく載っています。明治15年から、宮内省、海軍とは別に、文部省を中心として国歌を制定しようという動きがあり、しかし、洋楽に関する知識が当時の文部省には薄く、結局失敗した、ということでいいのではないか、と思います(なにに書いていたのか忘れたのですが、そう書いておられた研究者がいらしたと思います)。現行君が代の楽譜が、日本の国歌として正式に各国公使館にくばられたのは、明治21年(1888年)でして、文部省の失敗から、陸軍もあきらめ、海軍、宮内省主導ですでに実質上国歌として演奏されていた現行君が代が認められたものと、解釈できます。なお、 レファレンスコード A07090089600「単行書・海軍軍楽隊沿革資料」からもなにかひろえるのではないかと思うのですが、まだよく見ていません。冒頭、国歌君が代(フェントン)の日本人による初演が、通説では明治3年秋の越中島の薩長土肥四藩軍事調練ですのに、こちらでは同年春の駒場野の在京諸藩調練になっていまして、秋の越中島が暴風雨であったことを考えますと、実はこちらの方が正しいのではないかと思われますし、また横浜駐屯イギリス軍楽隊(楽長フェントン)が君が代を初演したのはいつなのか、という問題もありまして、ちょっと史料をさがす必要もあり、私自身、最初の歌詞採用事情についても、諸説の整合性において、納得する筋道を見いだせておりません。--Iratume 2010年1月12日 (火) 03:42 (UTC)
とりあえず、小山作之助の 『国歌君が代の由来』のみは出てきましたので、メモっておきます。明治18年(1885)、陸海軍の共通喇叭譜を作る、とありますので、このとき、陸軍も現行君が代を採用したとみていいように思います。確か、別の本にその旨、あったかと。小山作之助は、「陸軍もエッケルト版君が代」をただちに採用したかに書いているんですが、この当時まだ、作之助は文部省におらず、伝聞になりますので、これには反論があったように記憶しています。上述のように明治15年に太政官が文部省に国歌の選定を命じますが、その翌16年、作之助は文部省音楽取調係の伝習生となり、伝習生ですから、どこまで実情を知っていたかはわかりませんが、国歌制定の動きがあった理由としては「エッケルトの君が代は、一般の人にはその用途も実在も知られていなかったので」としております。沙汰やみになった理由としては「現行君が代が段々と世に知られ、人に歌われるようになってきて、他のものを選定する必要が無くなり、命令した太政官も明治18年になくなった」といっています。ちなみに、作之助によれば、現行君が代は「明治26年8月12日の官報で、これを小学校の儀式に用うるよう告示した」ということでして、これによって「君が代は全国上下一般に普及し、津々浦々これを唱和せぬ者はないようになった」ということでして、つまりそれまでは、一般には知られていない状況が続いていたことになり、文部省の国歌制定の取り組みがいつまで続いたのかははっきりしません。--Iratume 2010年1月12日 (火) 07:10 (UTC)

「主な対立する意見」の箇条書きと内容削除

[編集]

主な対立する意見の肯定的・否定的意見をそれぞれ箇条書きに直しました。削除した内容について、いくつかコメントします。

  • タイ国王賛歌」は厳密には国歌でないので除きました。
  • 「軍国主義的」への反論にある例は「ラ・マルセイエーズ」以外を脚注へ移しました。この場合、具体事例は論旨を補強する反証に過ぎず、少なくとも本文中に一個あれば十分だと思います。可読性も損なわれます。
  • そして「『天皇賛美』と『軍国主義』を同列に語るのはあまりにも短絡的である」という批判もある。 - これは否定論者の論法に対する批判であり、君が代に直接関係しません。除くべきだと思います。
  • もっとも、それら「科学的反証」とは別にそもそもこのような古典楽曲に科学的根拠を求める必要性があるのか。歌に対して「詩」という文学的、比喩的表現の中に厳密な「科学性」を求めること自体ナンセンスである。 - これは除きました。さざれ石の根拠を科学的に説明しつつ「科学性を求めること自体ナンセンス」と述べるのは矛盾で蛇足だと思います。-- Dahlia White 2010年3月27日 (土) 00:18 (UTC)

軍国主義の反論の反論として、

となっていましたが、『マメーリの賛歌』も『ドイツの歌』も日本語に訳すと『ムチャクチャな軍国主義や民族主義の賛美』の歌詞になるのですが。。。反論にしては余りにもお粗末な感が否めないです。一時ノート預りと致しました。--JR1NVB 2010年4月5日 (月) 09:33 (UTC)

「主な対立する意見」節に関係することなので、こちらに追記させていただきます。内閣府の世論調査について、いつの間にか「主な対立する意見」節に移されていましたが、「君が代をとりまく現状」節に戻しておきました。世論調査はあくまで君が代が世論に支持されているかどうかを調査したものですので、「対立意見」でなく現状を説明する部分(「君が代をとりまく現状」節)で扱うべきです。さらに、君が代は国旗国歌法が制定されたことによって公式に認められたものであり、それ以前にもおおむね国民の支持を受けていた事実が前掲の世論調査で判明しています。もちろん、君が代について「対立する意見」はあるでしょうが、あくまで一個人や一部の組織の主義信条です。公式のものではないし、ましてやWikipedia:中立性から鑑みても世論と同列に扱うべきではありません。「君が代の現状」節では節のタイトル通り、「君が代は国旗国歌法に基づき公式に認められた国歌であり、法制定以前にも国民に支持されていた。」と現状を説明し、「対立意見」以下のそれぞれの節にて「にもかかわらず、君が代について以下のような論争が存在する。」として、論争の詳細を説明するのが適切だと思います。

また、referencesのマークアップが「出典」から「脚注」に変更されていましたが、これも戻しました。「出典」と「脚注」が別の節に分けてありますが、「出典」節は文字通りその記述の出典情報を扱うもので、「脚注」節は単にその記述の補足説明をするものです。内閣府の世論調査は出典であり、補足説明ではありません。--伏儀 2010年7月30日 (金) 11:09 (UTC)

韓国起源説

[編集]

私は、韓国起源説は掲載に適さないと思います。出典元の記事が、歌としての「君が代」に言及していないためです。

まず、出典元である毎日新聞の内容を確認します。これの日本語訳は [4] にあります。私は韓国語が全くできないため複数の翻訳サイトを頼りましたが、おおむね正確な訳とみなしてよいようです。まとめると、以下のようになると思います。

「1600年ほど前、朴氏を王とする弥烏耶馬国、金氏を王とする狗耶国が朝鮮半島にあった。新羅の伸張に押し出されて両者は日本へ渡り、それぞれ近畿に耶馬台国、九州に狗奴国をたてた。勢力として前者が後者にまさっていたため、その姓が「僕」「君」という、立場を踏まえた人称代名詞に転化した。(目上の「僕」が目下を「君」と呼ぶ。)その後、耶馬台国の崇神天皇は狗奴国に破れ、日本の覇権は金氏に移った。天皇の姓が「金海金氏」である由来はこれである。日本の国家(국가。nation)をさす「君が世」とは本来「キム家の世の中」という意味である。」

次にこれを「異説」として取り上げるべきかですが、不適と思います。現在、異説として九州起源説と晩歌起源説があがっていますが、いずれも歌の内容を踏まえた説明がなされています。いっぽう上の韓国起源説は、最大解釈しても題名の由来に触れているに過ぎず、歌の説明になっていません。従って、歌を主題としたこの記事で触れるには適さないというのが私の結論です。

念のため加えると、上の韓国起源説は歴史学的・言語学的に疑問点が多く、異説というより珍説というべきで、Wikipedia で扱うこと自体問題に思えます。--Dahlia White 2010年7月2日 (金) 03:25 (UTC)

Kinn777殿の編集について

[編集]

先ほど、利用者:Kinn777殿によって、この記事が編集されました(差分)。率直に申し上げてこの編集は問題だと思います。 【なれていないためお手数おかけします答えられる範囲でお答えします--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC)

  • 「外部リンク」節に匿名の一個人のブログ(* 君が代→現代語訳→平和代 「君=平和」)が追加されています。
    http://ameblo.jp/kinn777/ 」というURLから察するに、利用者:Kinn777殿ご本人のブログでしょうか。「君が代の君とは平和のこと」と論じておられますが、ブログを拝見するに学者や研究者の説を紹介するのではなく、ブログ主殿の解釈を発表しているようです。ブログ主殿は学者や研究者ではなく、匿名の個人のようですね。Wikipedia:外部リンクを見ましたが、なぜ載せて問題ないという判断になるのか理解できませんでした。

【詳しく説明したかったからです--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC)

  • 「歌詞」節の「この国歌のテーマ」の説明が、「皇統の永続性」から「皇統の平和的永続性」に書き換えられています。
    「平和的永続性」ってなんですか? ご覧のとおり、本文中の説明はシロニー氏の書籍を出典とさせていただいております。しかし、この書籍では、「皇統の平和的永続性」という用語は使用されておりません。利用者:Kinn777殿の造語をシロニー氏の著書からの引用に偽装したとしか思えません。ほかの解釈を追記していただくのは大歓迎ですが、(別の節に記載されている政府の解釈をこちらに移してもよいでしょう。)利用者:Kinn777殿の持論ではなく、学者や研究者などの説を追記してください。もちろん出典から正確に引用する必要があるのは言うまでもありません。

【私は気付いてしまいました、「君」がどんな意味をもっていてもさほど重要ではないとこに、 一番重要なのは「あなたの(どんな時代)が永遠になってほしいのか」 ということで もっとも優れたチェンバレンの訳から「happy」という単語を証拠として出したいと思います。--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC)

  • 「歌詞」節の「この国歌のテーマ」の説明が、コメントアウトされています。
    このノートで、「国歌としての君が代の解釈は歌詞にあるほうが自然」「国歌としての解釈の項目を執筆してから移動するべき」という話があったはずですが、見落とされましたか。また、「歴史に関するカテゴリーは別にありますので重複しないように気を付けてください。」とのことですが、なぜ歌の解釈を「歌詞」でなく「歴史」で解説する必要があるのですか?

【そもそも現代にそぐわなく見栄えが悪くとても読みずらくて歌詞の解釈が書かれているように見えませんでした(あきらかな不自然と判断)、歌詞の単語に直接関係のある文であれば項目的に一番自然と言えます 今の時代にそぐわないのでより詳しく説明できる「歴史」で説明するほうがあきらかに自然ですよね?--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC)

  • チェンバレンの訳が「歌詞」節から「歴史(制定までの経緯)」節に移されています。
    チェンバレンが訳したのは「制定後」の話です。いや、そんなことより、このノートの「現代語訳について」にて、優れた英訳とされるチェンバレンの訳を載せようという話をしたはずですが、見落とされましたか。「優れた英訳」という評価はわれわれの持論ではないですよ。『君が代と萬歳』 と『国歌君が代の研究』が出典です。だからこそ、「歌詞」節の解説としてチェンバレンの訳を載せているのです。--伏儀 2010年8月22日 (日) 03:16 (UTC)

【「歴史(制定までの経緯)」では無く「翻訳と研究に関する歴史」です 英訳の歌詞に直接触れているので「歌詞」の項目の近くにあるのが一番自然です。 しかし英訳的にどの程度つたわっているのかが疑問ですし、現代の解釈にそぐわない内容(天皇を連想させること)は歴史としての価値がありますので「歌詞」の中でも一区切り置くき解説を付ける必要があるかもしれません。--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC)


(追記)私がコメントを投稿したのと入れ違いで、さらに利用者:Kinn777殿の編集が行われているようですね。私からはコメントは控え、推移を見守ろうと思います。--伏儀 2010年8月22日 (日) 03:18 (UTC)修正--伏儀 2010年8月22日 (日) 03:20 (UTC)
とりあえず、入れ替わり分の差分を置いておきます(差分)。「歌詞の意味」の部分で、どうやらブログの内容を記事に執筆したようです。--伏儀 2010年8月22日 (日) 03:43 (UTC)

その後、進展がございました。利用者:Los688殿により差し戻された後、また、利用者:Kinn777殿により編集されています。(2回目の編集はIP殿となっていますが、おそらく利用者:Kinn777殿がログインを失念なされたのではないかと思います。)

正直、何ら問題が解消されておりません。

「何千年何万年もかけて小石が岩となり苔が生えるまで」これを一言にまとめると「永遠に」という意味。

「君が代は」とは、そのまま「あなたの(平和な)時代は」という意味で最近の人は天皇と結びつける理由が理解できない。
 

帝国主義やミリタリズムのような内容は一切無く、のんびりした平和な歌である。
この当時の日本語訳を一言にまとめると、

「幸せがいつまでも続きますように」 という意味になる。
「happy」という言葉を引き出したことで、

作詞者の想いをうまくくみとれていたのが評価されたと推測できる。

以上の2つの文章が投稿されましたが、依然として学者や研究者などを出典として提示していただいておりません。これでは基本方針に賛同していただく意志がないと判断せざるを得ません。一方、

この歌は皇統の永続性がテーマとされる。世界で最も短い国歌が世界で最も長命な王朝を称えることになったとされているのである。

上記の文章は、いつの間にか除去されていた文章で、チェンバレンの訳の解説として復活させたものです。出典は、ベン・アミー・シロニー氏の『母なる天皇』という書籍です。この方はヘブライ大学(イスラエル)の東洋学部教授で、日本研究により勲二等を受章した人物であり、出典として問題ないと見なせます。シロニー氏の他にも、学者や研究者などの研究に基づいて追記していただくのは歓迎ですが、「誰それが執筆した何々という論文・書籍」というように出典を明示してください。また、出典のない記述は除去するという方針もあるので、今度からは出典を見つけてから投稿するようにしてください。このページに気づいていない可能性もあるので、利用者:Kinn777殿にお知らせしておきます。--伏儀 2010年8月23日 (月) 04:32 (UTC)

「いつの間にか除去されていた」について、過去の履歴を確認したところ、私が除去したものでした。失礼しました。--伏儀 2010年8月23日 (月) 04:42 (UTC)
除去したのは重複している文章であると私が判断したことによるものです(差分)。世論調査と一緒に除去してしまったようです。申し訳ございませんでした。ところで、利用者:Kinn777殿は「歴史と重複している記述である」として、「この国歌のテーマは皇統の永続性であり、」というシロニー氏の解説を除去されておりますが、もう一方の記述はすでに私が世論調査と一緒に誤って除去してしまっています。重複などしておりません。どういうことでしょう?--伏儀 2010年8月23日 (月) 04:55 (UTC)



最後に・・・

【少しコメント--Kinn777 2010年8月23日 (月) 07:48 (UTC) 決して好戦的ではない歌ですよね? もっと天皇色をおさえて、本来の平和色を引き出せば 未来の日本、未来の子供達にとっても大きなプラスになるとこでしょう。編集がんばってください。】


横からすみません。
「君が代」の歌詞解釈には二面性があります。ひとつは文献考証学的な側面、もうひとつは政治力学的な側面であり、論点を明確化するためにも両者は極力区別されるべきです。(記事では「和歌としての君が代」節と「国歌としての君が代」節という分け方で区別されている。) Kinn777 さんの加筆内容はどちら側からのアプローチなのか全く不鮮明で、出典も欠き、平たく言えば掲載に値する品質を満たしていないと考えます。
いったん 2010年8月21日 (土) 16:02 (UTC) Idioma-bot の版まで戻すことを提案します。--Dahlia White 2010年8月23日 (月) 09:05 (UTC)

【これは証拠になりますね、二面じゃ足りなかったという。(--Kinn777 2010年8月23日 (月) 09:48 (UTC)

(追記) 私が上の段落(2010年8月23日 (月) 09:05 (UTC))を投稿した後、Kinn777 さんが直上に「以下は助言をいただくなど 雑談的な感じで」と書き加えられましたが、私が行ったのは助言でも雑談でもなく提案であることを改めてお断りしておきます。他人の投稿を別の文脈へ勝手に投げ込むのは困りますね。Kinn777 さんは「以下は助言をいただくなど 雑談的な感じで」という一行をコメントアウトするか、このページの下端へ移動してください。それと「Wikipedia:ノートページでの慣習的な決まり」をお読みください。--Dahlia White 2010年8月23日 (月) 14:40 (UTC)
提案についての賛否


【報告が遅くなりましたが一部出典を追加しました  まだまだ勉強不足ですのでしばらく様子を見るとこにしますありがとうございました--Kinn777 2010年8月23日 (月) 14:25 (UTC)

移動のご対応ありがとうございます。なお上の私の提案は投票ではありませんが、編集合戦の当事者として Kinn777 さんは意思表示されたほうがよいでしょう。提案内容に反対される場合は、私が挙げた問題点それぞれについて明確に反論してください。それと、Kinn777 さんが加筆された「チェンバレンの訳」云々は出典たりえません。「Wikipedia:独自研究は載せない」をお読みください。--Dahlia White 2010年8月23日 (月) 23:47 (UTC)
利用者:Kinn777殿の回答を拝見しましたが、依然として自説の展開に終始していらっしゃいますね。Wikipediaで自説を発表する行為は遠慮していただくことが基本方針とされているにも関わらずです。さらに、研究者や学者を出典として提出していただくようお願いしたにもかかわらず、「チェンバレンの訳を参考。」などと頓珍漢な出典となっております。現状でも、「幸せがいつまでも続きますようにというのがチェンバレンの訳の意味」「君が代のテーマは平和」という主張をしている研究者や学者が不明な状態です。やはり、これらの主張は利用者:Kinn777殿の持論に過ぎないのではないでしょうか。つまり、同様の主張をしている学者や研究者の類(活動家や政治家の発言でもよいでしょう)について、利用者:Kinn777殿もご存じないのではないでしょうか。であれは、「君が代」の記事を基本方針に従っている状態にするためには、利用者:Dahlia White殿のご提案通りの差し戻しをするしかありません。--伏儀 2010年8月24日 (火) 04:18 (UTC)


  • 【賛否どちらとも言えます・・・私は君が代の歌詞の意味を確認するために最初はきただけでしたが、項目すら無い状態で君が代のページにそもそもの欠陥があることに気付きました。最低限のせないといけない項目は「時代にあう解りやすい歌詞の意味」です。これが無ければどこまで巻き戻しても「無意味」で、品質は「悪い」といえるでしょう。より多くの人達と審議を重ねてくださいウィキ初心者の方の意見も聞く必要があります。巻き戻す場合「時代にあう解りやすい歌詞の意味」をのせることが最低限の条件かもしれません、そのさいに是非チェンバレンの訳の中にある「happy」を歌詞の意味に取り入れて分かりやすくしてもらえればと説に願うだけです。--Kinn777 2010年8月24日 (火) 05:48 (UTC)


Kinn777 さんから具体的な反論がありませんでしたので、早いですが提案どおりリバートしました。この記事は重要な記事からの被参照が多く、また主題の性質上、内容の妥当性に厳しい目も向けられます。問題点が明らかな状態を長く放置するのも考えものと思いますので、ご了解いただきたいと思います。
先の提案文でも少し触れましたが、君が代が持つ歴史的な経緯からして、歌詞の解釈を「時代にあう解りやすい歌詞の意味」といった切り口で一意に提示することはどうやっても中立的な観点に反してしまいます。(念のため言うと、文献考証学的側面・政治力学的側面それぞれについて、歌詞の解釈方法はすでに記述されています。)Kinn777 さんの問題意識はともかく、そのアプローチ方法には始めから無理があり、少なくともウィキペディアというメディアには向いていないと思います。--Dahlia White 2010年8月24日 (火) 09:01 (UTC)


【正直もっと沢山の意見を聞きたかったです。まだ勝手がわからないものでここまで慌てるほどのことだったのかは疑問が残りますが、これを機に問題点がなくなっていくことを信じ今回の「リバート自体に異論はない」ことをここに示します。読んでくれた方々意見を出してくれた方々には感謝の思いでいっぱいです本当にありがとうございました。--Kinn777 2010年8月24日 (火) 10:15 (UTC)


 

 【方針】 導入部と歌詞の項目の編集について

[編集]

まず10月10日辺りの編集は井戸端で聞いた所とくに間違った所は無い様でしたので、今後はこれを一つの軸としてください。社会問題に触れてますので導入部と歌詞の項目に天皇に関することはこれ以上増やさず歴史に書く方針でいてください。導入部や歌詞に書くと皇室の売名行為になり、かたよった記事になってしまいます、ウィキペディアの根本的な方針のひとつ中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」とはウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales)の言葉です。 賛成反対や意見交換など議論を十分にしてから編集してください。(--Kinn777 2010年10月11日 (月) 22:03 (UTC)

現在の「歌詞」節は国歌について説明しているため、シロニー教授の記述は、「歌詞のところにある方が自然」であり、「国歌としての解釈の項目を、ご自分で執筆なさってからご移動なさるのが筋」である、と過去の議論で決まったはずですが? Kinn777殿は国歌としての解釈の項目について全く執筆されてませんよね? つまり、過去に「賛成反対や意見交換など議論を十分にしてから編集」した結果が、Kinn777殿が編集される前の記事なんですよ。過去の議論を無視した編集を強行したあげく、「私の編集に異論があれば、議論してから編集してください」ですか。率直に申し上げて困惑しております。そもそも、Gyulfox殿は「ノートで議論してください」とおっしゃっただけで、Kinn777殿の編集方針に賛成も反対もなされておりませんので、Kinn777殿の編集は誰からも支持されておりません。しかも、Kinn777殿が編集し井戸端で議論を始めたのは10月10日、つまり議論期間は1日しかありませんでした。とてもWikipedia:合意形成がなされたとはいえません。Kinn777殿の議論に参加するのはやぶさかではありませんし、Kinn777殿にも納得していただける対案も用意できますが、Kinn777殿の編集を一度リバートするのが条件です。繰り返しますが、過去の議論を無視した編集を強行するのはご遠慮ください。--伏儀 2010年10月12日 (火) 10:48 (UTC)


まず、ちゃんと議論したいですね。(--Kinn777 2010年10月12日 (火) 16:58 (UTC)


答えられる範囲で結構です(理由:中立的な観点から)

1.*とくに間違いを指摘されなかった編集内容の一部抜粋 「君が代」の「君」は天皇であるという日本政府の公式見解が出されたことから、皇国思想推進の強制体制とも解釈され、教育現場における斉唱の義務化を問題視する声もあるhttp://www.labornetjp.org/news/2010/1286493879537staff01 「君が代不起立」。

この問題があった以上歌詞の項目に天皇のことと歴史に重複することをのせるのは不適切です。また、歌詞の英訳も時代背景をとらえていてすばらしいのですが、現代ににつかわしくなく歴史として扱う必要があり、新たに「和歌としての歌詞の意味」を加筆して歌詞の項目らしく歌詞と歌詞の意味だけにすることを提案します。「和歌としての歌詞の意味」を加筆できる人を募集してみては?

2.*「国歌のテーマは皇統の永続性」や「歴史」を歌詞項目にだらだら書く行為について、とくに間違いを指摘されなかった編集内容の一部抜粋

20101010歌詞から歴史へ移動、必要とあらば歴史で展開してください。どうしても歌詞の項目で展開したい場合その必要性についての説明を初心者でもわかるように説明してください、その上でどうするか議論しウィキとして一番正しい判断を粛々と決定していってください。

3.*ウィキでは通常、項目と関係ないことやかたよった記事だけを書いても良いのですか?

4.*歌詞項目に皇統の永続性や歴史を書く理由と必要性はなにか?

5.*それは皇室の売名行為に見えますが?

6.*君が代不起立など社会問題に接触している認識はありますか?それでも歌詞に容易に記載できると思ってしまった原因はなんですか?

7.*ケーキとか甘いものは好きですか?

  • 意図が分からない(伏儀さんのコメントより一部抜粋)

8.*気に入らない編集はすべて消して元に戻せば解決。と、するのがウィキの性質なのですか?

9.*なになにが筋など強制的に見えますが?

10.*過去に議論したからといって強引に編集していると思いますが?

11.*過去の議論は絶対的に正しい結論が出たと?今に通用する理由はなんですか?

12.*前回も含め初心者にわかりやすく意見をつたえることが、十分にできたと思いますか?

13.*今回は何を基準に十分な議論と判断するべきですか?

14.*前回も含め中立的な結論が出来ているとは思えないのですが?

15.*チェンバレンの訳について。この「われらが主よ、治めつづけたまえ、」の部分は現代にあっておらず皇室をイメージさせ社会問題にふれていますのであくまで歴史として注意を促がしつつこの部分に訂正線を引くことを提案します。(また、この案がまとまるまで代わりとしてhappyの単語を強調させます)訂正線かhappyの単語を強調するか、もしこのどちらも無い結果になったら速やかに歌詞の項目と距離をとり誤解を招かないように「現代訳として適切ではない」のような解説をつける必要があります。

はじめまして、私はお二人の過去の編集行為についての評価はいたしませんが、現段階で出典のあるものについて、軽々しく、あるいは懲罰的にリバートすることはできません。 また15番のこの「われらが主よ、治めつづけたまえ、」という逆翻訳は、ただ当時の文語体というだけであって、皇室と結びつけるのは強引かと思われます。 出典からの引用であればセットで掲載可能です。 また「現代訳として適切ではない」のような解説をつけてしまうと禁止されている独自研究となってしまいますので、それはできないと思われます。 しかしながら、中立性が保てないという理由で、現代訳を許さないという考えにも強引なところがあると思います。 極端な右翼や左翼でない出典からの引用が可能ならば、これを併記することを妨げることはできないでしょう。 内容の解釈について煩雑になりそうならば、「内容の解釈については後の節を参照」として解釈も記述可能ですが、記述にあたっては、ほぼ中立な出典が必要です。--Gyulfox 2010年10月13日 (水) 01:28 (UTC)
「われらが主よ、治めつづけたまえ、」を皇室と結びつけるのは強引かもしれませんが政治的解釈をイメージさせ誤解を生みやすい問題性がある文章だと思います、その問題性を弱めるという意味でもhappyの単語を強調する程度なら必要性はあると思いますか?または、他の打開策はウィキの性質的に何か存在しますか?(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 02:50 (UTC)
ウィキペディアというメディアは、「百科事典」という名前こそついていますが、実は「説」のプラットフォームサービスだとイメージして下さい。エディターに真に求められているのは、正確な著書へのマッピング作業にすぎません。エディターによる独自の分析は適切でも間違っていても、すべて独自研究と判断され、いずれは排除されてしまう仕組みになっているのです。--Gyulfox 2010年10月13日 (水) 03:34 (UTC)
第1次出典が正確に提示された場合は、エディターが訳が読者の誤解を招くだとか、Happyの訳が拡大解釈だとか心配する必要はないし、出典もないのに修正しようと努力するのは許されていないのです。 一次資料への加工は太字であっても不適切でしょう。 チェンバレンの訳として適切な出典付き現代訳は探しても見つからないのでしょうか。Kinn777さんが明らかにおかしいと思った事なら、研究者たちはたいがい述べていると思います。 私は出典はどこかにあると思います。  それと付け加えたいと思ったのですが、確かに最初はミリタリー調ではなかったのかも知れませんが、歴史の話題ですので、一般人のエッセーとかではなくて、それを述べたそれなりに権威ある研究者の出典がない場合は、除去対象となってしまいますので、注意して下さい。--Gyulfox 2010年10月13日 (水) 03:34 (UTC)
ではそれらを踏まえて、チェンバレンの訳を歴史項目へ移動し歌詞項目と十分な距離を置き、「あくまで歴史としてここに引用する」程度の解説は可能ですか?あと他に、政治的誤解やかたよった概念を植えつけない方法はありますか?(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 04:04 (UTC)
イメージが伝わりづらいので一旦議論を反映し編集しますhttp://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3&oldid=34456922
議論により、現代ににあった内容かの出典が無い為、歌詞項目から歴史項目へ移動十分な距離をとること、あくまで歴史として扱うとこ。天皇色を出して皇室の売名行為やかたよった編集をしないようにまずは議論すること。
コメントアウト内も含めて
間違ったところや何か問題はありませんか?(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 07:06 (UTC)

記事本文は Kinn777 氏の手が入る前まで戻しました。Kinn777 氏へ。他人に議論と編集制止を求めながら、自分だけ議論の途中で編集強行するのは止めて頂きたい。ひとまず記事本文の編集は控え、プランや文案があれば記事本文でなく、このノートでのみ提示してください。議論がまとまってから本文へ適用すればよいのです。ハッキリ言いますが、あなたの編集態度と議論姿勢には明らかな問題点があり、とても進行役が務まりそうに思えない。--Copper775 2010年10月13日 (水) 07:28 (UTC)

Copper775殿へ。迅速なご対応ありがとうございます。Kinn777殿が「議論と編集制止」を求めた相手は私のようですが、言われるまでもなく議論に専念し、議論がまとまるまで本文の編集は控えるつもりです。(でなければ、Kinn777殿にWikipedia:合意形成の遵守をお願いしたりしません)。ただ一つだけ、
「君が代」の「君」は天皇であるという政府の公式見解が皇国思想推進の強制体制ともいえ、この情況を止め自由な学校を取り戻すために問題視された — http://www.labornetjp.org/news/2010/1286493879537staff01 「君が代不起立」近藤順一ニュース
冒頭にあったこの文章を「君が代をとりまく現状」の「教育現場」節に復活させることをお許しいただきたい。これは、Kinn777殿より紹介していただいた出典に基づく文章です。この文章を加筆すること自体は特に異論は出ておりませんし、私も是非加筆していただきたいと思っています。--伏儀 2010年10月13日 (水) 11:02 (UTC)斜体部分を追記--伏儀 2010年10月13日 (水) 11:22 (UTC)

さて、チェンバレンの訳ですが、過去の議論にて現代語訳として「歌詞」節に記載することになった経緯があります。さらに「『君が代と萬歳』 『国歌君が代の研究』ともに、チェンバレンのものを、もっともすぐれた英訳としています。」ということでしたので、載せようという話となりました。シロニー教授についてですが、これは政治思想を主張するものではなく、研究者が歌詞の意味について論じているものです。一方、Kinn777殿よりご紹介いただいた「君が代不起立」近藤順一ニュースについては、特定の政治団体が政治的な主張をするものです。学術研究と政治的な主張を同一視するわけにはいきません。政治的な主張については、いままでどおり「君が代をとりまく現状」節に賛否両論の形で記載するべきではないでしょうか。ただ、「歌詞」節で研究者による「君が代のテーマは皇室の永続性」という説を記載することに反対があるので、これについては別途議論が必要かもしれませんね。--伏儀 2010年10月13日 (水) 11:22 (UTC)

いやいやいや、だからページ全体を見ないと位置関係とかとりあえずの結果が一番解りやすいんですよ。つまり問題点を的確に見つけやすくしてあげただけというあくまで中立的な手法でおこないました。Copper775さんはかなりかたよった考えをお持ちの様ですね、前回の経験上リバートすれば解決したと錯覚し意見自体が減ります。また、ページが新しくなれば異変に気付いてノートをのぞく切欠にもなりたがいに意味のあることです、議論でよしとする部分はある程度の編集可能な範囲としたまでですよ?よって強引とはいえませんのでリバートを取り消してください。伏儀さんは14個の質問にすべて無回答ですか?答えは質問の直下に割り振ってください、それを一つ一つ第三者の数名に意見をもらってください。それによって議論をする意思があると私は判断します。(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 12:53 (UTC)
であれば、14の質問を整理してください。私なりにKinn777殿の質問を整理し、先に皆さんに説明する必要があると判断したものについて回答したのが先のコメントです。「7.*ケーキとか甘いものは好きですか?」などと、意図が分からない質問がある。それぞれ重複する趣旨の質問がある。それにもかかわらず、「それを一つ一つ第三者の数名に意見をもらってください。それによって議論をする意思があると私は判断します。」などと、すべての質問に回答するのが当然であると主張する。…これでは、Kinn777殿ご本人が自分でなされた質問の意味を理解していないと考えざるを得ません。Kinn777殿ご本人が理解できない質問を私が理解できるはずがありません。質問を整理し直して、もう一度ご投稿ください。--伏儀 2010年10月13日 (水) 15:15 (UTC)
答えられる範囲で結構です(理由:中立的な観点から)と書いたはずです強制はしていません、議論する気持ちがないのなら無理に答えなくてもいいのですよ。質問と回答の意図や解釈は読者にゆだねてさまざまな観点から中立的で的確な意見を募る必要があります。伏儀さんの意見は全体的にかたよりすぎててなんら解決へ向かおうとする姿勢が見えない印象をうけました。もう一度言います議論する気持ちがないのなら無理に答えなくてもいいのですよ。(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 16:16 (UTC)
先日のKinn777殿の編集は、チェンバレンの英訳を「歴史(制定までの経緯)」節に移すものでした。しかし、チェンバレンは国歌となった後の君が代を訳したはずですが、なぜ「制定までの経緯」に移したのですか? しかも、国歌の英訳の次の節は「国歌になるまでの君が代」です。なぜ「歴史」の節で時系列を無視するのですか? 申し訳ありませんが、やはりこの場で議論をまとめてから本文を修正していただくべきだと思います。--伏儀 2010年10月13日 (水) 15:25 (UTC)

16.*時系列を無視せず移動するならどこへですか?

  • て言うか出典が用意できたら時系列の調整をすればいいことですね。


今の所とくに間違ったところは無いようですが、念の為もう一度聞きます。(--Kinn777 2010年10月14日 (木) 00:42 (UTC)

ではそれらを踏まえて、チェンバレンの訳を歴史項目へ移動し歌詞項目と十分な距離を置き、「あくまで歴史としてここに引用する」程度の解説は可能ですか?あと他に、政治的誤解やかたよった概念を植えつけない方法はありますか?(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 04:04 (UTC) イメージが伝わりづらいので一旦議論を反映し編集しますhttp://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3&oldid=34456922 議論により、現代ににあった内容かの出典が無い為、歌詞項目から歴史項目へ移動十分な距離をとること、あくまで歴史として扱うとこ。天皇色を出して皇室の売名行為やかたよった編集をしないようにまずは議論すること。 コメントアウト内も含めて 間違ったところや何か問題はありませんか?(--Kinn777 2010年10月13日 (水) 07:06 (UTC)
  • これは打開案です、本当にこれでいいんですか?

上でも申し上げましたが、チェンバレンの訳は「歌詞」の現代語訳として載せています。歌詞の現代語訳は必要だが、ウィキペディアンの自作ではまずい。現代語訳として何か適切なものはないか? という議論が過去にあり、その結果、チェンバレンの訳を出典つきで載せるということになりました。また、「和田真二郎 『君が代と萬歳』、小田切信夫『国歌君が代の研究』では、チェンバレンの英訳が最も優れているとしている。」ということでしたので、チェンバレンの訳で問題ないのかという疑念はひとまず解決しました。それどころか、チェンバレンの訳が優れているとする出典が複数あるので、チェンバレンの訳より適切な現代語訳は見つからないのでは、と思います。「現代にあった内容かの出典が無い為」とのことですが、Kinn777殿は過去の議論を把握されていないのではないでしょうか? チェンバレンの訳を「歴史」に移すと「歌詞」に現代語訳が存在しない状態になるので、代案を紹介していただかない限り、Kinn777殿のご提案には反対します。ただ、現在の「歴史」は国歌になる以前の和歌について説明するものですが、「歴史」で国歌以降を取り上げること自体は反対しません。

また、「政治的誤解やかたよった概念を植えつけない方法」についてですが、現状で問題ないと考えます。現状では研究者の学説を解説するものであり、これはGyulfox殿からも解説していただいたウィキペディアの目的に合致するものです。もちろん、研究者の学説を解説したのみで「●●の売名行為」になるはずがありません。一方、Kinn777殿より紹介していただいた「君が代不起立」近藤順一ニュースについては、特定の政治団体が政治的な主張するものです。この出典から分かるのは、出典先の政治団体が「君が代」の「君」は天皇であるという政府の公式見解が皇国思想推進の強制体制ともいえ、この情況を止め自由な学校を取り戻すために問題視なされている、ということのみです。特定の政治的主張でもって、研究者の学説を排除してはなりません。「天皇色がある学説だから」といって、事前に議論する必要があるとも思えません。やはり、「歌詞」は原詩と現代語訳、それに関する学説の紹介に専念し、Kinn777殿より紹介していただいたような政治団体の主義主張は、いままでどおり「君が代をとりまく現状」節に賛否両論の形で記載するべきです。--伏儀 2010年10月14日 (木) 07:37 (UTC)

伏儀さんの言動すべてがまったく理解できないのですが、どの辺りが中立的なのかどなたか解説をおねがいします。(--Kinn777 2010年10月14日 (木) 08:32 (UTC)
「歌詞」から「国歌の現代語訳」、「チェンバレンの訳」、「国歌としての意味」などとサブの節として独立させればよいではありませんか。率直に申し上げて、「和歌としての歌詞の意味」(で、合ってますでしょうか)を「歌詞」に載せることを提案なされているにもかかわらず、現代語訳を排除する意図を分かりかねております。また、中立性についてですが、特定の政治団体の主張でもって「教育現場に悪影響があるから、天皇に関する学説を加筆するのは慎重にあるべき」などと、さもその政治団体が一般の支持を受けているかのように議論すること自体が、「中立性」に違反していることは、是非ご理解いただきたいと思います。この手の政治的主張は両論併記が基本です。ただ、Kinn777殿は私に対して不信感を抱いているようですので、他の方にも解説していただいた方がよいかもしれません。--伏儀 2010年10月14日 (木) 10:01 (UTC)
「チェンバレンの訳の古い和訳」を何を勘違いしたら「国歌の現代語訳」になるのでしょうか?私が指摘するまでそんな嘘を百科事典にのせていたんですね。(--Kinn777 2010年10月14日 (木) 12:05 (UTC)
コメントさすがにチェンバレン訳を現代語訳というのは詭弁ですね。 しかしチェンバレンは当時の日本の研究者だったために、彼の訳は国際的にも有名になってしまいました。 そういう観点で見れば、古くても現代に通用する訳とみなせると思います。 別に歴史項目に押し込める必要はないでしょうね。 ちなみに日本語版よりもっと厳しいウィキペディアの英語版は、現代語と併記でチェンバレン訳を紹介していて、そこは別に歴史項目の中というわけでもありません。英語版が基準というわけではありませんが、十分参考にはなると思います。--Gyulfox 2010年10月14日 (木) 13:37 (UTC)
Kinn777さんの提案が即違反という訳ではありませんが、利用者の目には、原文と訳が遠く離れているよりは、すぐ下にあったほうが、合理的かつ見やすいと思いませんか?--Gyulfox 2010年10月14日 (木) 14:16 (UTC)
(編集競合しましたが、そのまま投稿します。)「古い和訳」とのことですが、「この和訳は現在になじまない」というのはKinn777殿の解釈であり、Kinn777殿の独自研究に過ぎません。無論、そのような研究者の学説があれば、ぜひ記載していただきたいと思いますし、必要に応じて記事を修正することになるでしょう。和訳の出典はルールに従ってすでに明記してありますので、和訳の出所について読者の皆さんがとまどうこともありません。ただ、Kinn777殿の解釈に沿った学説を紹介していただけないと、こちらとしてもKinn777殿の修正案が妥当なのか判断できかねるわけです。どうかご理解ください。この説明で、嘘を百科事典にのせていたんですねというKinn777殿のコメントが誤解に基づくものであることが、ご理解いただけると思います。最後に、「君が代不起立」近藤順一ニュースを紹介していただき、ありがとうございました。--伏儀 2010年10月14日 (木) 14:19 (UTC)

Gyulfox殿へ。申し訳ない! 「現代語訳」とはシロニー教授の著書から引用した「和訳」(チェンバレン訳の日本語訳というべきか。古語でなく現代語で日本語に訳したものということ)のことです。「英訳」(チェンバレン訳)のことではありません。変な説明で混乱させて本当に申し訳ない! さらに、チェンバレンの訳について適切な解説をしていただきました。Gyulfox殿にフォローしていただいてしまったようですね。恐縮しております。コメントありがとうございます。--伏儀 2010年10月14日 (木) 14:29 (UTC)

念のため本文の「歌詞」節を確認して参りました。出典のマークアップでは、チェンバレン訳に対して「現代語訳」という文言は使用されておりませんでした。よって、Kinn777殿が心配なされていた嘘を百科事典にのせていたんですねというような記述は行われておりません。ご安心ください。また、今後は「英訳」(チェンバレン訳)に対して「現代語訳」という用語は一切使用しません。使用する場合、「現代語訳とは「和訳」(チェンバレン訳の日本語訳)を指す」旨を必ず明示いたします。不正確な説明で波紋を広げてしまい、誠に申し訳ありませんでした。--伏儀 2010年10月14日 (木) 14:52 (UTC)
シロニー和訳のことでしたか。 古語に対してのシロニー教授の行った現代文語訳という意味ならば理解できます。 表にシロニー和訳を現代語訳として紹介しないかぎり、大丈夫と思います。--Gyulfox 2010年10月15日 (金) 12:26 (UTC)

「この和訳は現在になじまない」の出典として近藤順一ニュースの「君が代不起立」は直接的ではないものの「社会問題としての中立的配慮を必要とする」の出典にはなります。「中立的配慮」の提案として歴史は歴史項目へが基本原則となります。この住み分けはトラブル防止に一番効果的な基本的な配慮です。 全ての今までの議論を踏まえて何か提案があれば実際に完成系の編集をして差分とかのURLをください。編集を自分で取り消せば一人で何パターンか作れて一見さんにも比較しやすいかと思います。Kinn777 2010年10月  【「英訳」(チェンバレン訳)に対して「現代語訳」という用語は一切使用しません。使用する場合、「現代語訳とは「和訳」(チェンバレン訳の日本語訳)を指す」旨を必ず明示いたします。】
安易に使用できない以上独自研究に接触します(--Kinn777 2010年10月14日 (木) 18:01 (UTC) 修正--58.85.23.183 2010年10月14日 (木) 22:17 (UTC)

58.85.23.183さんへ、人のコメントを完全削除はダメダメですよ 出来てもコメントアウトと修正例文を提案するとか もっと的確な指示をください。(--Kinn777 2010年10月

一部削除はいきすぎでした。謝ります。 しかしこのやり方→[5]はあまりにも独裁的です。あなたの主張が正当ならば、普通に発言していればそれで十分です。 下手な小細工はかえって第三者の印象を悪くして、折角の主張も大減点されかねません。 主張は普通の位置に、かつ強調はマークアップではなく、せいぜい太字までにしてください。 またサインは手抜きしないで、正確に行って下さい。 --58.85.23.183 2010年10月14日 (木) 23:38 (UTC)
  • 私はここの絶対的欠陥を把握しています、一つ過疎(うもれればそれで良しとする者が圧倒的有利な状況)、一つ偏った議論に影響されない中立的な意見の継続的募集の難しさです。ウィキペディアの根本的な方針のひとつ中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」とはウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales)の言葉です。無理に削除されたコメントは欠陥や問題点を補う程度の処置だったとおもってください。 元々私は不利な環境にいるのですそれらを平等にする処置が他になかっただけの単純な理由です。(--Kinn777 2010年10月15日 (金) 04:28 (UTC)
コメントなんか発言するのが申し訳ないような気がするのですが、近藤順一さんは君が代の不起立で、クビになった教師のための裁判で先頭に立っていらっしゃる活動家さんでしたよね。 彼の出典はそもそも君が代のようなものを教育現場に反強制的に持ち込む当時の文部省のやりかたに問題があると言っているだけで、チェンバレンの訳が賞味期限切れだと引導をわたしたり、シロニー教授の言及がどうのとかそういう解釈のための目的には使えないと思いますよ。 近藤順一さんの出典が使えるのは、かろうじて「教育現場」の節内だけだろうと考えます。 その他の項目に対してふりかざすことは、いわゆる色眼鏡であって、それこそジミーウェルズの戒めている中立性をあやうくするものだと思うんですよ。--Gyulfox 2010年10月15日 (金) 11:52 (UTC)
それから、文案を提出したい場合は、自分の名前空間に内容を丸ごとコピーして、それを編集している分には、他人から、やいやい言われないで済みます。--Gyulfox 2010年10月15日 (金) 12:26 (UTC)


指摘があったためチェンバレンの訳と「君が代不起立」は一旦切り離しておきます
それと自分の名前空間の価値に今頃気付きましたwありがとうございます。(--Kinn777 2010年10月15日 (金) 19:30 (UTC)

Kinn777さん、またサインがないと言って叱られても知りませんよ。議論中の提案は誰が発したのかという情報も重要なんです。 結局Kinn777さんのされたい事は結局こういうことですよね。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 04:36 (UTC)

つい手を抜いてしまったようです、、なるほどかなり見やすくなっていろいろな欠点が改善に向かったとおもいます!ありがとうございます
新たにCとDを加えました、Aの住み分けの観点は未然にトラブルを防ぐあらゆる分野で通用する基本的な手法としてみてください。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)

誘導質問で不適切とする観点がいまいちピンとこないのでどなたか解説をおねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 08:31 (UTC)

  • 近藤順一ニュースの「君が代不起立」は社会問題としての中立的配慮を必要とする出典でもあり導入部と歌詞項目で天皇に関する加筆は不適切とし、明確な住み分けを行うこと。
賛否おねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)
  • コメントまずこの問いは、a「君が代不起立」問題をどうするか?と、b 歌詞項目で皇室についての加筆を認めるか?を抱き合わせで賛否を取る構造になっており、一種の誘導質問になってしまっていますので不適切です。 Kinn777さんが純粋に結果をお知りになりたいのであれば、aとbを独立して頂くように提案します。 私のa.の考えは、定義文に「君が代不起立」問題が国内にあることを簡潔に触れることはできると考えます。ただし出典は「近藤順一ニュース」でなく、そのような問題について研究している大学教授クラスの出典の提出を待ってからです。 b.については、「君が代」の主題が皇室であることから考えて、簡潔な説明を加筆することを妨げないと考えます。 ただし詳細な内容や世論については、あとのそれぞれの節に譲る方が良いでしょう。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 06:10 (UTC)


「君が代不起立」問題をどうするか?

[編集]

社会問題としてことがことなので導入部にも記載する必要性は否定できませんがあまり長々とせず、問題視されていたよ程度の文章で良いかと思います。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 08:31 (UTC)

歌詞項目で皇室についての加筆を認めるか? 「天皇関係の【売名行為】に見えるか見えないか」

[編集]

皇室に関しては賛否両論ありますので歌詞ではなくそちらの方へ、それと私にはこれがどうしても天皇関係の売名行為に見えます。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 08:31 (UTC)

繰り返しますが、この件については、歌詞の「君が代」の主題が皇室と関連していることから考えて、簡潔な説明を加筆することを妨げないと考えます。 ただし詳細な内容や世論については、あとのそれぞれの節に譲る方が良いでしょう。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 14:31 (UTC)
そもそもの議論の発端であるこの件をそっちのけにしての新Aの質問は意味がないのではないでしょうか? 私の意見としては、「君が代の歌詞」として加筆する場合は、それが「歌」として認定された時点の理解を基点とするべきであって、その時点では歌のテーマとして天皇家が関連していることについての賛否両論は特にありませんでした。 国際的にも別に例えばドイツやフランスの政府からそれは違うだろうという賛否両論のようなものも特にありませんでした。 ただし「元となった和歌」の解釈については歴史研究が進むにつれて色々新事実が出てきたり様々な説が出たりしているのは知っています。 しかしながらそれはあくまでも「元となった和歌」の解釈のことですからたとえ新事実が出ても、国歌のテーマが180度変わってしまうことにはなりません。 もし元の和歌の研究成果に従って、国歌の意味を変えてしまわないといけないという主張でしたら、それは強引です。 本当に棲み分けを必要とするならば国歌は国歌、和歌は和歌だと思います。 「天皇関係の売名行為としか思えない」については今後出てくるであろう第三者の意見にも少し耳を傾けてみて下さい。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 13:33 (UTC)
この件について、私は十分意見を述べさせて頂いたし、私もKinn777氏を困らせるのは本意ではありませんので、これで退散といたします。 Kinn777さん、伏儀さんどうもありがとうございました。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 13:33 (UTC)
A(新)はまぁとりあえずということで「遠いけど大体ゴールはあっちだよー」という感じです。いえいえ困るというより的確なわかりやすい指摘は得るものが多いです大変勉強になりましたありがとうございました。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 17:42 (UTC)
私こそ、Gyulfox殿に解説していただき、非常に助かりました。私も言いたいことはおおむねコメントさせていただいたので、今後の推移を見守ろうと思います。もし、コミュニティーの意向として、修正が必要であるという合意がなされれば、その決定に従う所存です。--伏儀 2010年10月20日 (水) 02:01 (UTC)
天皇の名誉を得るために国歌を利用して世間に定着しようとした。出典→http://www.weblio.jp/content/%E5%A3%B2%E5%90%8D

以上を間違っていたと注意を促す為に、導入部に加筆できれば政府も間違いを直してくれるかな? んーむずかしい問題ですね・・・。 (--Kinn777 2010年10月17日 (日) 05:47 (UTC)

とりあえず方針として

[編集]

見易さの観点から長文や議論は 【方針】 導入部と歌詞の項目の編集について の項目でおこなってください。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)

A(新)

[編集]
  • 住み分けを徹底し、未然にトラブルや誤解を防ぐこと。
改めて賛否おねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 09:28 (UTC)
  • チェンバレンの訳を極めて重要な歴史として扱い新たに「歴史(チェンバレンの訳)」の項目を作る、見易さの観点から歌詞項目の直下に配置する。
賛否おねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)
  • 反対 提案はルール違反ではありませんが、まず現状では節を分けるほどの分量がないという点と、そのような分量ができたとした場合、その記述は本項目よりも、チェンバレンの項目にあるほうが相応しいからです。 曖昧さ回避の観点からも本項目では簡略に述べて{{main}}タグを使ってチェンバレンの歌詞項目に誘導するほうが良いでしょう。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 06:10 (UTC)
  • 歌詞項目で和歌としての意味をそまつに扱うべきではない。
賛否おねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)
  • 天皇関連の売名行為やそれに近い記事はあってはならない。
賛否おねがいします。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 05:50 (UTC)
  • 賛成 こういうことはあってはならない。 ただし拡大解釈によって、何でもかんでも天皇の売名行為と解釈しないように細心の注意をする必要がある。--Gyulfox 2010年10月16日 (土) 06:10 (UTC)
  • コメント AとDの共通点として、Dの何でもかんでも天皇の売名行為と解釈したり誤解を与えないためにも、Aの住み分けの観点が有効だと思います。(--Kinn777 2010年10月16日 (土) 07:56 (UTC)

論外。何よりまず、Ref(脚注)形式での出典主義を徹底するべきでは?出典なしで本文を追加する/しないなんて議論を行うこと自体、不毛です。三大方針を無視しています。--121.119.201.56 2011年2月20日 (日) 10:02 (UTC)

過去ログ化

[編集]

ノートがかなりの分量になっていますし、過去ログ化してよいのではないでしょうか。--伏儀 2011年6月28日 (火) 11:13 (UTC)

「起立斉唱問題」の記事編集について

[編集]

今回の問題の所在は、Wikipedia:中立的な観点から見て適切な編集かどうかにあると思われる。 ここでの重要な箇所は、次の点にあると思う。

  • 特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明する。
  • 事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け--だが意見は書くな。
  • 全ての競合する立場を好意的に説明する。

また、「中立性に関する争いについて」の「中立性に関する果てしない争いをどうしたら終わらせることができるでしょう?」は、参考になる文書である。

ふぉさんの編集を見ると、最高裁判決の多数意見(起立斉唱の職務命令には思想・良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定できないが、制約を許容しうる程度の必要性、合理性があり、憲法19条に違反するとは言えない)を重視したものになっている。反対意見を紹介すると削除されたことにそのことがよく現れている。

しかしこれは、中立的な観点の、「論争における様々な立場を公正に説明する」とは明らかに違う編集であると思う。

新聞記事の紹介の仕方も、記事そのままに「憲法論争は決着した」とするより「・・・と評した」とした方が百科事典の記事としては良いのではないだろうか。

また、「思われる」「お墨付きを与えたのは確か」という表現は、編集者の意見と誤解される恐れがあり、工夫が必要のように思われる(事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け--だが意見は書くなは重要)。

今回、新聞の記事も削除された。この理由を伺いたい。

最後の編集で、「最高裁判決への識者の評価」を削除された。この理由も伺いたいと思う。

全体として、ふぉさんの編集にはWikipedia:中立的な観点から見て疑問を感じるものである。--ABNOIC 2011年7月1日 (金) 07:37 (UTC)

新聞記事は論評しているわけではなく出来事を報道しているだけなので、「…と評した」でなく「…と報じた」とするか、記事そのままに「憲法論争は決着した」とするべきでしょう。ただそれ以外は、ABNOIC殿のご意見に賛成です。貴重な情報を除去してしまうのは、Wikipedia記事の発展を阻害する結果にしかならないと思います。--伏儀 2011年7月5日 (火) 11:31 (UTC)

伏儀さん仰せの「…と報じた」で良いように思う。また管見に賛意を表していただき、感謝申し上げる。 ふぉさんには議論に参加していただきたいと願う。問題がいつまでも解決しないので、ぜひお願いしたい。--ABNOIC 2011年7月15日 (金) 11:01 (UTC)

裁判の事実のみを書き込むべきだと思います。識者の意見はそれぞれ思い込みの類なので必要ないと思う。WIKIでは一般人の個人的な思いを書き込むのは禁止なので、識者の意見もそれに抵触すると思う。--ふぉ 2011年9月4日 (日) 12:00 (UTC)

識者の意見は、個人の意見とは全く異なります。学説を提示・紹介することは事物解説の基本です。Wikipedia:独自研究は載せないに則るため、識者の意見表明をWikipedia:信頼できる情報源として尊重し、必要があれば、それを紹介することがWikipediaの基本中の基本です。どの識者の意見・論説を信頼性が高いまたは主要意見として掲載するかについては、論議の余地がございますが、学説紹介を全くしないとうことはありえません。大変申し訳ございませんが、その点をご理解なさって頂くまで、論議のある事項への投稿をお控えなさって頂きますようにお願いいたします。--Los688 2011年9月4日 (日) 12:33 (UTC)