ノート:吐蕃/過去ログ1
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統合提案
[編集]この記事は情報量として少なく、むしろ「吐蕃 (王朝)」に書いておくだけでよい事柄なので、わざわざ独立した記事にする必要がないと考えます。そもそも「吐蕃」といえば、7世紀から9世紀に存在した王朝を指すのが一般的であり、地域的意味合いを第一とし、王朝的意味合いを第二にしていること自体、おかしいと思います。よってここは王朝としての吐蕃に「吐蕃」の記事名を与え、地域としての吐蕃はその「吐蕃」の一部に記載する程度でよいと思います。ちなみに多言語での「吐蕃」は王朝としての吐蕃を指しており、地域としての吐蕃の記事は存在しません。--トムル 2011年2月21日 (月) 04:18 (UTC)
- 賛成 :トムル氏の提案に賛成いたします。ブランド名と法人名が同一の企業は、大抵のケースでは同一記事内で扱われる、と似ていますね--Hohoho 2011年2月21日 (月) 10:53 (UTC)
- 一週間が経ち、賛成意見も得れたので、統合したいと思います。--トムル 2011年3月1日 (火) 02:06 (UTC)
チベット史研究者による歴代“吐蕃”ツェンポのカタカナ表記の典拠
[編集]歴代“吐蕃”ツェンポのカタカナ表記を、日本を代表する古代チベット史研究者山口瑞鳳氏の表記によって統一し、ソンツェン・ガムポよりタルマ・ウィドゥムテンまでのツェンポ一覧表で、その他の古代チベット史研究者のカタカナ表記も掲載していきます。現在掲載しているのは以下の三氏です。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月31日 (木) 20:47 (UTC)『王権の確立と授受』(汲古書院,2003)によって大原良通氏のツェンポ名表記を記載します。現在、記事には編集保護が懸っているので、大原氏の表記は暫定的にこの節に記載しておきます。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月8日 (金) 16:22 (UTC)石川厳氏と、参考としてチベット史(中世)の専門家今枝由郎氏の表記を追加--Dalaibaatur(会話) 2012年6月10日 (日) 05:04 (UTC)
- 佐藤長『古代チベット史研究』上1958,下1959(京都・東洋史研究会)
- 山口瑞鳳『チベット』(下)東京大学出版会,1988,ISBN 4-13-013034
- 「ヤルルン王家」(p.11表)
- 「吐蕃王家」(p.27表)
- 「王国の崩壊」(p.47)「彼らはそれぞれ別個の王ユムテンとウースンを推戴して、」
- 岩尾一史「古代王朝時代の諸相」(沖本克己『須弥山の仏教世界』佼成出版社,2010,pp.16-43)
- 大原良通『王権の確立と授受』』(汲古書院,2003,ISBN4-7629-2553-5)「古代チベット帝国(吐蕃)・南詔国における王権の確立と授受」(pp.159-189)
- ○ソンツェンガムポ(p.161),チ・ソンツェンガムポ(p.169)
- ○チ・マンソ(ロ)ンマンツェン(pp.169-171)、チ・マンロンマンツェン(p.170)、チ・マンロン(p.171)、チ・マンソンマンツェン(p.1176)、
- ○チ・ドゥソン(p.169)
- ○チ・デツクツェン(p.169)
- ○チ・ソンデツェン(p.169)
- 石川厳「唐蕃会盟碑:唐とチベットの戦いと和睦」(『月刊 しにか』2001年3号ISSN0915-7247,pp.44-48)
- ○ティ・ソンツェン(=ソンツェン・ガムポ)(p.46)
- ○ティツク・デツェン(p.44)
- ○ティデ・ツクツェン(p.46)
- (参考)今枝由郎(ロラン・デェ『チベット史』張秋社,2005。ISBN4-393-11803-0)
- ○ティ・ソンツェン(ソンツェン・ガムポ)(p.39,)
- ○グンソン・グンツェン(p.41)
- ○マンソン・マンツェン(p.47)
- ○ティ・デュソン(p.48)
- ○ラ(p.51)
- ○ティデ・ツクツェン(メ・アクツォム)(p.51)
- ○ティソン・デツェン(p.55)
- ○ムネ・ツェンポ(p.61)
- ○ティデ・ソンツェン(セナレク)(p.62)
- ○ティツク・デツェン(レルパチェン)(p.63)
- ○ティ・ウドゥムツェン・ダルマ(ランダルマ)(pp.63,64)
典拠にもとづく表記を繰り返し典拠ごと削除するIP氏の編集について
[編集]- 120.51.189.107→古代チベット史の専門家山口瑞鳳氏に基づく表記を典拠ごと削除
- 42.124.29.241→山口,1988に基づく表記を再度典拠ごと削除
- 59.85.58.204の山口,1988を典拠として示した表記を、典拠は残したまま山口のものではないカタカナ表記で置き換え
- 222.230.67.103→君主の名称を山口,1988の表記で統一してあったのを、他の表記を混在させる。シャカッパ,1992に基づく表記を中国語文献を典拠と称する自身のカタカナ表記で置き換え
- 42.124.5.39→佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- 112.139.74.218→佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- 112.138.161.177→2度にわたり佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- Roadhave→3度にわたり佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- Comesturn→3度にわたり佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- Closeexact→佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- Watchwants→佐藤1958,山口1988,岩尾2010に基づく表記を典拠ごと削除、中国語文献を典拠だと自称する自分ごのみのカタカナ表記で置き換え
- 1より、記事ウイグルで、他の編集者の反対にもかかわらず、【典拠を有する特筆性を有する記述】を繰り返し削除し、同記事の半保護のきっかけをつくったのと同一人物と思われる。本記事でも同様の行為を繰り返している。IP氏による自身の投稿姿勢や「典拠」に対する理解、議論にとりくむありさまなどは、「ノート:ウイグル」を参照。本記事では、IP氏は自身のカナ表記を「典拠(吐蕃史稿,2010)に基づく表記」(2012年6月1日 (金) 02:53 42.124.5.39)と主張しているが、才让『吐蕃史稿』(人民出版社,2010)は中国語文献である。--Dalaibaatur(会話) 2012年5月31日 (木) 20:54 (UTC)
- どうにかして追放できませんかね…。ルールがわからないのではなく、あえてルールを破りに来てるようですので、これは荒らし行為とみなしていいと思います。中国文献を利用しているのは中国の方だからでしょう。日本語は前より上手になっていますが。--トムル(会話) 2012年6月1日 (金) 16:12 (UTC)
- この記事も半保護をお願いしましょうか。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月1日 (金) 16:39 (UTC)
- コメント 可変IP利用者氏に本ノートでの議論への参加を促す為、半保護としました。早期に合意形成が成りましたらWikipedia:保護解除依頼を。延長が必要な時には再度Wikipedia:保護依頼をご利用ください。--Hman(会話) 2012年6月2日 (土) 16:14 (UTC)
- IPさま。てもとの才譲『吐蕃史稿』(北京・人民出版社2010)で確認したいので、あなたのカタカナ表記が何ページに掲載されているのか教えてください。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月2日 (土) 16:36 (UTC)
- コメント 可変IP利用者氏に本ノートでの議論への参加を促す為、半保護としました。早期に合意形成が成りましたらWikipedia:保護解除依頼を。延長が必要な時には再度Wikipedia:保護依頼をご利用ください。--Hman(会話) 2012年6月2日 (土) 16:14 (UTC)
- この記事も半保護をお願いしましょうか。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月1日 (金) 16:39 (UTC)
- どうにかして追放できませんかね…。ルールがわからないのではなく、あえてルールを破りに来てるようですので、これは荒らし行為とみなしていいと思います。中国文献を利用しているのは中国の方だからでしょう。日本語は前より上手になっていますが。--トムル(会話) 2012年6月1日 (金) 16:12 (UTC)
二次情報に基づく記事を繰り返し出典の注記ごと削除するDalaibaatur氏の荒らし行為について
[編集]- [1]→120.51.189.107 古代チベット史学者の著作物である『吐蕃史稿』に基づく記事を典拠ごと削除する暴挙に及ぶ。
- [2]で、チベット語(のラテン表記)「khri」のカタカナ(表記)を「ティ」で統一と一方的に宣言しながら、自らは歴代ツェンポの「khri」表記を「チ」と表記する日本国籍保持者には理解し難い二重基準を披露。
- [3]→大論を継いだガル・ツェンニャドムブと大非川の戦や678年の戦で総指揮官を務めたガル・ティンディンの混同を正すも、独自見解に固執し削除を繰り返す。*
- 以上の様なDalaibaaturしの、独自見解と自らの固執する情報が少ない版に固執する態度は、記事の発展にとって有害だと批判せざるを得ない。--112.138.161.177 2012年6月2日 (土) 16:28 (UTC)
- あのー。私は内容には関知しませんが(学校で習った以上の事を知りませんし)、安易に対話相手を「荒らし」と呼ぶことはお控え下さい。警告にも関わらずこれ以上繰り返されますとWikipedia:礼儀を忘れない違反、個人攻撃となり、あなたまたはあなたがご利用のプロバイダからの投稿を制限するなどの措置が執られる場合があります。あくまで冷静に、確たる文献と知性に基づいた対話で問題を解決してください。汚い言葉を用いる事で事態が好転する様なことは、少なくともウィキペディアでは、ありません。相手があまりにもわからずやだと思うのであれば、Wikipedia:コメント依頼を用いるか、Wikipedia:井戸端に書き込むことで、第三者の意見を聞いてみることができます。--Hman(会話) 2012年6月2日 (土) 16:43 (UTC)
- について、上でも質問していますが、中国籍チベット人の才譲さんが中国語で書いた書物(『吐蕃史稿』人民出版社2010)の何ページにIPさんが固執するカタカナ表記がのっているのですか?
- について。私は記事本文は山口瑞鳳氏の表記によって統一することを目指しています。山口式の表記では、「khri」はすべて「ティ」となります。「khri」を「チ」と音写するのは、「吐蕃#歴代ツェンポ]という表のなかの「カナ表記(佐藤)」という部分です。この部分では縦方向に佐藤長氏によるカタカナ表記を提示しています。この佐藤長氏も日本を代表するチベット学者のひとりで、この方は「khri」を「チ」とカナ表記していたので、「カタカナ(佐藤)」の部分が「khri」を「チ」と写すのは当然なのです。
- について。IPさんのいう「独自見解」ですが、私が記事本文と歴代ツェンポ表で用いている表記は、日本のベット史学者のなかでも大御所ともいうべき山口瑞鳳氏および佐藤長氏のお二人と、現役の若手の古代チベット史専門家のうち、手始めとしてとりあげた岩尾一史氏の表記です。3人とも、チベット史研究の専門家で、かつ古代チベット(吐蕃)についての学術論文や学術書を執筆している方々です。私「独自」の表記では全くありません。それに比べて、中国語の文献を典拠だと自称するIPさん、あなたのカタカナ表記はいったいどこからもってきたのですか?それから、IPさんの編集活動のうち、有意義な情報発信をなさっている部分を削除してしまったようで、この点についてはつつしんでお詫びいたします。IPさんが、【他の編集者が「典拠に基いて書いた記述」を根こそぎ一掃する】という乱暴な編集をお控えいただけると、このような事態は生じにくくなると思いますので、よろしくお願いします。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月2日 (土) 16:59 (UTC)
- と書いたそばからRoadhave(ノート:ウイグルのほうで、IP氏のログインIDと推測されているアカウント)さんが【他の編集者が「典拠に基いて書いた記述」を根こそぎ一掃なさるという乱暴な編集】を実行なさっちゃいましたね。記事の文面を加筆なさったり修正なさること自体は結構ですけど、ノート:ウイグルでも申し上げましたように、【典拠を有する特筆性のある記述を他の編集者の反対にもかかわらず削除する】というあなたの編集態度には、こちらでも反対を表明しておきます。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月2日 (土) 17:27 (UTC)
- については、各王の初見時にチベット文字によって王名表記がある。その他は全体で1つの雅称である王名や王の個人名をそのまま表記するか理由不明で区切るかの差異と、細かな部分の違いだけなので、違いが最も大きいティドゥソンツェンポについて書きますが、P97では個人名をティドゥソンとするもののP104では『敦煌吐蕃歴史文書』中に吐蕃語で書かれたティドゥソンツェンポ伝があり、伝中でティドゥソンツェンポと表記されているとあり、親政後の表記はティドゥソンツェンポに統一されている。
- について、おかしな事を言われますが、『吐蕃史稿』の音写表記であるkhri=チ(赤)をティで統一したいとしたのはDalaibaaturさんでしょう。表記は別にどちらでも構わないが、自分の提案した基準を自ら破るのは宜しくない。歴代ツェンポ表へ吐蕃史稿を含めた4つの出典に基づき意味の乏しい大同小異の併記をしても、まあ大した不都合は無いでしょうが純粋に邪魔でしょう。
- については、論点が全く違います。ガル・トンツェンの大論職を継いだのはガル・ツェンニャドムブですが、大非川の戦や678年の戦で総指揮官を務めたのはガル・ティンディンで以前の記事はどちらも間違っていた模様。--112.139.78.132 2012年6月3日 (日) 16:13 (UTC)
- について。私が「山口式表記」からの変更に応じる条件は【日本における古代チベット史の専門家たちの表記(現行の山口瑞鳳と佐藤長,岩尾一史、大原良通、石川厳、武内紹人の各氏(または彼ら以外で、日本語で著述を行う古代チベット史の専門家)の表記)の優劣を比較対照し、他のWikiの編集者たちの意見も交えて、誰か一人の表記を採用すること】です。古代チベット人自身の記録と、採用した研究者による表記にズレがある場合は、初出時に( )内に典拠ととtもに表示するか、脚注で触れればよろしい。中国語文献『吐蕃史稿』の表記をみてIP氏が考えたカタカナ表記には、日本人研究者の表記を削除してまで載せる特筆性はない、と思います。
- について。「おかしな事」に思えるようでしたら、おそれいりますが再度熟読してください。文面を書いたとおりに受け取っていただけないと、議論が噛み合ず、さきに進みません。「khri」というのは「玉座」という意味のチベット語で、現代中国チベット族の才譲氏が中国語文献『吐蕃史稿』で用いているだけでなく、日本人研究者の山口、佐藤、岩尾その他の人々がツェンポのチベット語の原語を表示する場合には必ず言及されるありふれた単語です。「自分の提案した基準を自ら破るのは宜しくない」とのことですが、記事の本文はすべて山口瑞法氏の表記にしたがい「ティ」と写しているはず。記事の本文に「チ」とあるなら、それはただの変更漏れです。
- 「論点が全く違います。(中略)以前の記事はどちらも間違っていた模様」とお考えの記述を、典拠にしたがって増補や修正をなさることは、どうぞご自由に。その際には、(1)出典にじっさいにある記述にもとづくこと、(2)その出典の何ページに記載されているかを提示して検証可能性を満たすことをお願いするとともに、(3)どさくさにまぎれて「ツェンポ名の表示を、合意形成をへることなく自分ごのみの表記に置き換えること」などを、くれぐれも行わないよう、どうかよろしくお願いします。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月7日 (木) 12:27 (UTC)
合意形成のための提案
[編集]Roadhaveさんの編集行動のなかには文面の改善や増補も含まれています。IP名義で投稿された前節の1では、私がその種の編集を削除したことを「暴挙」とのべておられますが、これは あなたがお繰り返しになられた「典拠に基づく表記を典拠ごと削除する編集」を「差し戻す」際に巻き添えで消してしまっただけで、あなたが行う「文面の改善や増補」を中国語文献である才譲『吐蕃史稿』に基づいて行うこと自体は、なんの問題もないと考えます。以下、合意形成のために次の提案を行います。
- 記事本文の固有名詞は、古代チベット史を専門として日本語で著作を執筆している研究者ひとりを選び、その表記によって統一されるべきである。
- Roadhaveさんには、山口瑞鳳氏の表記による「現状復帰」を要求するが、上記1の条件を満たす別の研究者の表記を採用するよう提案があるなら、当然のことながら山口式表記との優劣を比較検討することにとりくむ。この手順が踏まれる場合には、記事本文の「統一表記」を別の研究者のものに取り換えることに同意する場合もありうる。
- ただし、才譲『吐蕃史稿』の中国語およびチベット文字の表記をみながらRoadhaveさんが考えたカタカナ表記ついては、独自研究にあたるので、「統一表記」に採用することには同意しないことをあらかじめ表明しておく。
- 才譲『吐蕃史稿』を典拠とする文面の「改善や増補」は、(1)『吐蕃史稿』の実際の記述に基づいており、かつ(2)その「改善や増補」が依拠した『吐蕃史稿』の記述が実在するページナンバーが提示されている場合には、これに反対しない。
以上です。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月3日 (日) 01:26 (UTC)
賛成 本文は可読性の観点から表記は統一した方がいいと思います。ただし、異なる表記がある場合は、脚注または凡例などにおいて、資料の情報とともに明記された方がいいかと思います。また、統一表記は日本語圏の資料を当然優先すべきでしょう(むろん、外国語文献を利用してはならないということではないですが)。RoadhaveさんとIP氏は本記事の編集の経緯からいっても、同一人物と推認されますが、中国語文献からのカナ表記というとき、それは既存の日本語訳の書籍論文ではない場合、いわば「独自翻訳」といっていいかもしれません。通常は、こうした「独自翻訳」も、よほどの誤訳でない限り、または日本語表記が一定でない場合は特に問題視されませんが、この方の編集は、既存の出典ある記述を削除することにありますね。そもそも、別の表記があるというのであれば、それはそれで脚注等で加筆すれば事足りる話です。--西方(会話) 2012年6月3日 (日) 04:29 (UTC)補遺--西方(会話) 2012年6月3日 (日) 04:40 (UTC)
保留 基本的には賛成ですが、本来一体である王名を前後に分けることと、吐蕃人がティドゥソンツェンポという雅称で記録した人物を幼年期の個人名であるティドゥソンで表記する2点のため保留。基本は岩尾なんとか氏の表記で統一したいと思いますが。--112.139.78.132 2012年6月3日 (日) 16:13 (UTC)
- 追提起:歴代ツェンポ表に即位していないグンソングンツェンを載せる事、記事中でそれ自体が雅称の王名に**王と王を付ける事の賛否。--112.139.78.132 2012年6月3日 (日) 16:28 (UTC)
- ツェンポ名について:合意形成まえに自分ごのみの編集を強行しないでください。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月4日 (月) 01:35 (UTC)
- 合意形成がされたら当該部分を書き換えて下さい。それ以外の記事もあるのでね。--112.139.78.132 2012年6月4日 (月) 15:00 (UTC)
- ツェンポ名について:合意形成まえに自分ごのみの編集を強行しないよう改めてお願いします。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月4日 (月) 15:32 (UTC)
- 合意形成がされたら当該部分を書き換えて下さい。それ以外の記事もあるのでね。--112.139.78.132 2012年6月4日 (月) 15:00 (UTC)
(インデント戻し)表記を比較対象すべき現役の古代チベット史研究者としては、さらに大原良通・石川巌・武内紹人の三人をあげます。他の方からの追加提案があれば、その研究者の表記もむろん検討対象となります。
- 「王名について前後に分けること」については既出の3人+追加で検討すべき人々の表記を比べる中で、検討いたしましょう。
- 「ティ・ドゥーソン」の表記については、採用について「合意」した研究者による表記を採用し、表記のヴァリアントについては注釈で言及すればよい。
- 「グンソン・グンツェン」は、「歴代ツェンポ表」の典拠とした佐藤1958・山口1988とも「即位前に死去した」と言及しており、ゆえに佐藤1959,「王統表並に宰相表」pp.823-827ではこの人物に代数を示すローマ数字は付されていないし、山口,1987,p.27表では名前が( )の中に入れられている。歴代ツェンポ表」では佐藤1959,「王統表並に宰相表」に依拠して代数を表記しており、グンソングンツェンの「代数」には、番号が付されていない。ただし岩尾一史はこの人物が即位したとみなしており、ゆえに「歴代ツェンポ表」では岩尾,2010にもどづくという注記とともに、在位年を記入してある。「岩尾,2010」という古代チベット史の専門家による「典拠」があるのであるから、「グンソン・グンツェンを載せること」自体はもはや「賛否」の対象とはならない。
- 佐藤・山口・岩尾の3人の中では、岩尾のみが「III」と「IV」の間に「ラペルボ」というツェンポの即位を認定しているため、代数を付さずに、「歴代ツェンポ表」に載せている。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月4日 (月) 16:56 (UTC)
以前にも注意しましたが、Dalaibaatur氏、出典の注記された記事を大量削除する荒らし行為はお止め下さい。
- ダメですね。本来の王名は一体のものですが、それとは別に賛否が検討での判断材料になるのだから。賛否をお答えください
- これに関してもダメだね、同時代の一次史料でティドゥソンとティドゥソンツェンポが区別して使われている以上、知らずに書かれた古い刊行物の記述を敢えて使う意義が存在しない。
- では載せましょう。--59.85.59.30 2012年6月4日 (月) 18:19 (UTC)
- そういうあなたには、合意の形成を経ることなくツェンポ(吐蕃王)の名称を自分ごのみに書き換える編集を行わないよう、前々節から繰り返しお願いしているのですが。あなたの「ツェンポ名の書き換え」は、私が「出典を注記して提示した表記」を「大量削除」しています。
- 私に対する荒らし呼ばわりの撤回
- 合意の形成を経ずにツェンポ(吐蕃王)の名称を自分ごのみに書き換える編集を行わないことを確約する。
IP氏には以上の2点を求めます。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月5日 (火) 08:42 (UTC)
- ↓をみましたが、以上の2点への同意がみられませんね。IP氏の態度変更を待ちます。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月5日 (火) 17:20 (UTC)
- 再三注意していますが、Dalaibaatur氏に置かれましては出典の注記された記事を大量削除する荒らし行為をお止め下さい。ついで、以下のどちらを選択するかの回答を求めます。
- ノートで議題に挙げていない内容に関する出典付き編集を繰り返しリバートする荒らし行為を自重する旨の誓約。
- リバートを繰り返している現在の記事でお気に召さない箇所について、ノートで当該部分について新たな提案を行う。--112.139.56.47 2012年6月5日 (火) 15:54 (UTC)
- ◯1について。「ノートで議題に挙げていない内容に関する出典付き編集を対象としてのリバート」については、いままで行ったことがありませんし、これからも行わないことを「誓約」いたします。
- ◯2について。「リバートを繰り返している現在の記事でお気に召さない箇所」は、あなたが「典拠付きのツェンポ名を合意の形成を経ずに自分ごのみの表記に書き換える編集」の強行を何度も繰り返していることです。IPさんとこのノートでやり取りをはじめた2012年6月1日からずっとやめるようにお願いしていることで、これについては「新たな提案」はありません。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月7日 (木) 08:54 (UTC)
- Dalaibaatur氏自らの提案について、本人の合意形成意図が疑わしくなっていますが、検討の判断材料とするため以下の2点にお答えください。
- 一体である王名を本来の通り一体として扱うか、敢えて前後に分けるか。
- 吐蕃人の残したティドゥソンツェンポ伝に基づく2次情報を敢えて黙殺するか、素直に採用するか。--112.139.56.47 2012年6月5日 (火) 15:54 (UTC)
- 私は、【他の編集者が記した典拠付きのツェンポ名を、合意形成のための話あいが続いている最中に、自分ごのみの表記に書き換える編集】について、「やめる」と言おうとしないIP氏の「合意形成意図」を疑わしく思っています。
- ◯1について。私が山口式表記以外の表記を採用することに同意する条件は【日本における古代チベット史の専門家たちの表記(現行の山口瑞鳳と佐藤長,岩尾一史、大原良通、石川厳、武内紹人の各氏(または彼ら以外で、日本語で著述を行う古代チベット史の専門家)の表記)の優劣を比較対照し、他のWikiの編集者たちの意見も交えて、誰か一人の表記を採用すること】です。必ずしも山口式表記に固執しているわけではなく、この手順が踏まれるのであれば、現行の山口式表記から変更し、別の研究者の表記を採用することに同意することが可能。
- ◯IP氏は、Roadhave、Comesturn、Closeexact、Watchwantsなどの使い捨てのログインアカウント(現在すべて多重アカウントとしてブロック中)で、【典拠付きのツェンポ名を合意の形成を経ずに自分ごのみの表記に書き換える編集】を何度も強行するのをやめてください。
- ◯2について。記事のツェンポ名は、採用した研究者の表記を用いることとし、「吐蕃人の残したティドゥソンツェンポ伝」そのものの情報は、初出で注記すればよい。「吐蕃人の残した〜伝の表記」をもとにIP氏が考えたカタカナ表記は、日本人の古代チベット史専門家の典拠付き表記を削除してまで記載する価値はない。
- ◯私の【「王名について前後に分けること」については既出の3人+追加で検討すべき人々の表記を比べる中で、検討いたしましょう】( 2012年6月4日 (月) 16:56 (UTC))というのは、私が山口式表記をとりさげることに同意する場合に踏んでいただく手続きとして提示した「条件」なので、それが「ダメですね(59.85.59.30 2012年6月4日 (月) 18:19 (UTC)」ということでは、残念ながら合意形成は行き詰まり、ということになります。どうぞお考え直しください。--Dalaibaatur(会話) 2012年6月7日 (木) 08:54 (UTC)
- 論点を変えまともに応答しない態度からして、Dalaibaatur氏の合意形成意志は非常に疑わしいものの、もし心変わりされたならば、以下の2点についてお答えください。
- 王名のカナ表記に関して数十年以上も前に書かれた山口本や佐藤本に固執していないと主張するが、比較的近年に著述した岩尾,大原,光嶌が、いずれもཁྲི་འをチと音訳し王名を一体として扱っている実情を何故無視するのか。
- チドゥソンツェンポのチベット文字による表記は、幼年期の表記チドゥソンに歴代吐蕃王の称号ツェンポが修飾されたものであるから誰が読んでも誤りが生じる可能性は無いが、どんな強弁を以て一次史料と二次情報の表記を排する理由とするのか。--42.124.57.136 2012年6月8日 (金) 14:05 (UTC)
- 「論点を替え」たりなどしていません。2012年6月1日以来、私の立場は一環してぶれておりません。(1)「古代チベット史の専門家たちの表記の優劣を比較対照したうえで、その一人の表記を採用する」という手順を踏むなら、「現行の山口式表記」を改めることに応じる。(2)「IPよ、おまえは【典拠付きのツェンポ名を合意の形成を経ずに自分ごのみの表記に書き換える編集】を何度も強行するのをいいかげんやめろ」。このふたつです。
- IP氏の主張「岩尾,大原,光嶌が、いずれもཁྲི་འをチと音訳」→ 実際の表記 岩尾式は「ティ」、大原式は「チ」。
- IP氏の主張「岩尾,大原,光嶌が、いずれも(中略)王名を一体として扱っている」→実際の表記 大原式では「一体として扱って」など「いない」。大原式では「チ・ドゥソン」、「チ・デツクツェン」、「チ・ソンデツェン」。
- IPさん、他人の「合意形成意志」をとやかくいうまえに、あたなの合意形成意志について、わたしがずーっとお尋ねしている件についても、そろそろお答えいただけませんかね?
- 【他の編集者が典拠つきで記述したツェンポ名の表記を、合意の成立前に、自分好みの表記で書き換える編修を行わない】ことに同意できる?できない?
- いまこの記事には7月6日まで「編集保護」がかけられていますが、あなたは編集保護が解除されたあと、Notica_sourogiⅤ、なにとぞ宜しくご相手ください、きろくはじょきょされています、Roadhave、Comesturn、Closeexact、Watchwants、Drawndrop、Tryenteplyやその他の使い捨てのログインアカウントを使って【他の編集者が典拠付きので記述したツェンポ名の表記を合意の形成を経ずに自分ごのみの表記に書き換える編集を行わないと約束すること】ができる?できない?--Dalaibaatur(会話) 2012年6月8日 (金) 15:27 (UTC)
報告 議論中に割り込み失礼します。この議論を新規に閲覧する方のためにお伝えします。このIP氏は発言内容、編集傾向からして、ノート:ウイグルでもご活躍中のIP氏及び多重アカウントの不正使用を実行し続ける方と同一人物と推認されます。Dalaibaaturさんもご指摘なさるよう、この方はブロック→捨てアカウントでブロック破り→ブロック→以下同様、という複数のIPアドレス、および多重アカウントによる悪質な行動を執拗に続けておられます。--西方(会話) 2012年6月8日 (金) 16:57 (UTC)
- Dalaibaaturは合意形成を拒み山口本表記への偏執が故に、岩尾は「ティ」大原は「チ」としていると主張するが、実際は「岩尾,大原,光嶌は、いずれもཁྲི་འをチと音訳している」大原の記述は変遷しているものの、より年代の新しい晩年の物は全て「チ」と音訳する。
- Dalaibaaturは、これもまた山口本表記への偏執が故に、大原は「チ・ドゥソン」、「チ・デツクツェン」、「チ・ソンデツェン」としているとするが、実際は大原晩年の物は全て「チドゥソン」、「チデツクツェン」、「チソンデツェン」と王名を一体として扱っている。
- 以上の様に、Dalaibaaturの主張は何れも誤っている。合意形成の意志があると言うのであれば、比較の為に必要不可欠な判断材料である以上の2点にお答え頂きたいものですな。--112.139.0.1 2012年7月7日 (土) 16:47 (UTC)
- IP氏には6月8日にお尋ねした質問2点への回答をお待ちしています。--Dalaibaatur(会話) 2012年7月8日 (日) 10:46 (UTC)
- (2012年7月8日脚注として投稿,7/9本文へ)2012年7月7日から8日かけて、IP氏がIPと使い捨てアカウントで3回投稿した表記の中に、
[[ティドゥソンツェンポ]](འདུས་རོང་མང་པོ་རྗེ་)<ref>吐蕃史稿,p197</ref>
という表記がある。この「吐蕃史稿」は中国語文献であって、 IP氏の提示するページには史が主張するようなカタカナ表記は実在しない。しかも氏自身が提示した「འདུས་རོང་མང་པོ་རྗེ་」という表記はローマナイズ「'dus rong mang po rje」、カナでは「ドゥーロン・マンポジェ」となる。IP氏が、いつの日か、中国語文献を根拠だと自称して、まったく架空のカナ表記を主張するような態度をやめる時がくることを、願ってやみません。--Dalaibaatur(会話) 2012年7月8日 (日) 06:04 (UTC) - (2012年7月8日脚注として投稿,7/9本文へ)大原良通『王権の確立と授受』』(汲古書院,2003,ISBN4-7629-2553-5)所収の論文「古代チベット帝国(吐蕃)・南詔国における王権の確立と授受」(pp.159-189)には、
- (2012年7月8日脚注として投稿,7/9本文へ)2012年7月7日から8日かけて、IP氏がIPと使い捨てアカウントで3回投稿した表記の中に、
- IP氏には6月8日にお尋ねした質問2点への回答をお待ちしています。--Dalaibaatur(会話) 2012年7月8日 (日) 10:46 (UTC)
- ソンツェンガムポ(p.161),チ・ソンツェンガムポ(p.169)
- チ・マンソ(ロ)ンマンツェン(pp.169-171)、チ・マンロンマンツェン(p.170)、チ・マンロン(p.171)、チ・マンソンマンツェン(p.1176)、
- チ・ドゥソン(p.169)
- チ・デツクツェン(p.169)
- チ・ソンデツェン(p.169)
- などの表記がみられる。IP氏は7月7日に「実際は大原晩年の物は全て「チドゥソン」、「チデツクツェン」、「チソンデツェン」と王名を一体として扱っている」と発言しているが、大原氏は1965生まれで、2012年7月初旬の段階では元気に存命中である。未来の、まだ実在しない書物の、現実世界にはまだ存在していない記述を自説の根拠にはしないでいただきたいと、切に願う。--Dalaibaatur(会話) 2012年7月8日 (日) 06:04 (UTC)
Dalaibaaturへ、私が典拠つきで記述したツェンポ名の表記を、合意の成立前に自分好みの山口本に拠った表記で書き換える行為を慎むか?という旨の問いに一度も返答をせず、代わりにオウム返しの質問を繰り返してますよね。Dalaibaaturは、典拠つきで記述したツェンポ名の表記を、合意の成立前に自分好みの山口本に拠った表記で書き換える行為を慎むか否か?上記2点と併せ、せめて一度はお答え願いたい--59.86.109.145 2012年7月8日 (日) 11:39 (UTC)
- IP氏がノートに投稿された他人の発言を改ざんしたのには驚き。「合意形成」にかんする根本的な質問に答えようとせず、質問に対し質問で返す態度も不誠実。
- 読者諸氏へ。IP氏は「私が典拠つきで記述したツェンポ名の表記を、合意の成立前に自分好みの山口本に拠った表記で書き換える行為を慎むか?という旨の問いに一度も返答をせず、代わりにオウム返しの質問を繰り返してますよね。」と主張しているが、こちらを参照するとあきらかなように、私が2012年5月26日 (土) 10:55に行った編集でツェンポ名を「山口式」で統一するのに先立ち、IPまたはその他のだれかが典拠つきでツェンポの名称を提示したはひとつも存在しない。「典拠付きのツェンポ名の表記」を「合意形成を経ずに自分ごのみの表記で書き換える編集を強行する」ことを繰り返しているのはIP氏ただひとりである。IP氏は、このほかにも、質問に類似の質問でオウム返し、典拠と称する文献に実在しない表記を主張(→すなわしウソの典拠の提示)したり、ノートにおける他人の発言を改ざんしたりと、議論における姿勢が不誠実きわまりない。いつの日か、この人物がいまのような姿勢をあらため、合意形成を目指す姿勢に転じてくれることを願ってやまない。--Dalaibaatur(会話) 2012年7月8日 (日) 14:08 (UTC)