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ノート:受動喫煙

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ノート:受動喫煙/過去ログ1-2006年から2008年2月分まで

関係記事の統合

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完了しました。- NEON 2009年3月22日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

去る削除依頼にて本記事への統合意見が出た以下の2記事を、整理の上統合したいと思います。

存続票を投じた手前、作業は私がするつもりです。整理の方針や統合自体の是非についてご意見がありましたらお寄せ下さい。もちろん「自分が整理(もしくは統合)する」という方がおりましたらお願いします。また、議論を経ずにまず記事をいじった方が早い、という事もあると思いますので、さっさと編集していただいても構いません(この議論で編集を拘束するつもりはありません)。なお、本記事は特定版削除の依頼が出されているため、統合告知のテンプレートは貼っていません。ご了承下さい。- NEON 2008年3月25日 (火) 03:01 (UTC)[返信]

(賛成)但し現行本文、統合後でのゴシップ記事のような記述と冗長な部分は改めるべきかと。これは以前の版における主に編集したユーザーの姿勢もあるとおもいますが、良い機会なので検討頂ければ。--山桜桃 2008年3月25日 (火) 05:25 (UTC)[返信]
ありがとうございます。統合予定の2記事にも不適切な文脈が見られるので、まずそちらの内容の整理から考えたいと思います。その後で本記事への統合、本文整理へ移ろうと思います。今月は忙しいので作業が滞るかも知れないです。- NEON 2008年4月1日 (火) 01:58 (UTC)[返信]
ゆっくりでも焦らずにやって頂ければ良いかと思います。一つの学術論文を並べて確定形で記述する傾向や、出典を確認すると全くそのような要素がない等、査読にも相当の苦労があると思いますので。ノートなどで提案等有れば参加させて頂きます。--山桜桃 2008年4月2日 (水) 07:58 (UTC)[返信]
(賛成)統合・簡略化には賛成ですが、受動喫煙の記事内にこれらの項目を組み込んでもよいのではないかと思います。あまり受動喫煙の記事中に組み込むとそれこそ冗長な記事になってしまうかもしれませんが、ご検討の上整理していただければと思います。--Kazushi 2008年4月18日 (水) 14:16 (UTC)[返信]
(賛成)「受動喫煙」という事柄について一括して記述することで読者の理解により資すると考えるため。そもそも、なぜ記述があちこちに別れているのだろうか?--しいたけ 2008年5月13日 (火) 03:32 (UTC)[返信]

日本学術会議の評価及び提言の節について

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利用者:比良さんによって追加された記事なのですが、日本学術会議の提言 その3 職場・公共の場所での喫煙を禁止するからのほぼ引用(翻案)と思われる部分が本文に記述されており、区別されておらず著作権の問題があると思われます。
具体的には「2007年にバンコクで開催された~屋内施設の100%完全禁煙~求められている。」なのですが、私一人では判断が難しい事からノートでみなさんに伺いたく思いました、よろしくお願いします。--山桜桃 2008年5月14日 (水) 13:03 (UTC)[返信]
こちらにてお伺いしましたが、返答がなかったためWikipedia:削除依頼/受動喫煙 20080527として削除依頼を提出いたしました。NEONさんの作業中に申し訳ありませんが、皆さんのご意見を頂ければ幸いです。--山桜桃 2008年5月27日 (火) 12:58 (UTC)[返信]

国内で検証されていないデータが少なすぎるし、いくつか見ましたがアメリカの未検証リンクも多く、これではウィキペディアの趣旨に反するのでは。--以上の署名のないコメントは、123.217.112.189会話/Whois)さんが 19:12 に投稿したものです。

出典を削除した上で {{要出典}} を貼り付けたり、言語間リンクを削除するなど意図の不明な編集であったために差し戻しました。本記事が要整理なのは明らかなところですが、様々な対立要素を孕んだ記事です。大規模な編集は内容の精査と議論を先行させてから行って下さい。- NEON 2009年4月3日 (金) 02:22 (UTC)[返信]

養老猛司氏の発言について

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養老孟司氏の専門は解剖学であって、癌やCOPD等の喫煙関連疾患については専門外の非専門家です。WHOなどの権威のある機関や専門家の発言とは比較にならない程度の発言であり、百科事典として掲載すべき特筆性に欠けます。--Folivora 2009年4月27日 (月) 15:11 (UTC)[返信]

コメント それはFolivoraさんの個人的で極めて偏ったものの見方なのではないでしょうか。解剖によて多くの死因解明が行われている訳ですし、また科学者の観点というものには序列は存在しません。またウィキペディアは専門家だけを対象にしているという事はありません。それと養老孟司氏の解剖学としての権威もありますが、作家としての権威をもっている人でもあります。 また、WHOは、反喫煙・反タバコキャンペーンに長年にわたり巨額の資金を費やしている組織であるので、そのことから偏りが大きい組織として中立性を欠いている団体という事となります。この項ではWHOを論拠とする事は偏りの大きい反タバコキャンペーン広告にしかならないと思います。--Wiki idid 2009年4月27日 (月) 16:47 (UTC)[返信]

コメント 養老孟司氏の発言については Folivora 氏に同意です。同様に公衆衛生長官の発言も記述する必要は無いと思うので、いずれも編集除去を支持します。WHO が反タバコに巨費を投じているから中立的でない、という意見はおそらく因果関係を誤っており、WHO が公衆の健康を中立的な視点で俯瞰した結果、反タバコに予算を割く必要があったものと思います。- NEON 2009年4月28日 (火) 05:35 (UTC)[返信]

コメント 私は別の観点から特筆性があると思います。養老孟司氏という人物の知名度という点において、その内容ではなく発言をしたという行為に価値があるのではないかと思う次第です。公衆衛生長官の発言は、公としては認められますが、認知度については疑問符ですね。またWHOについては、公の機関として認められている以上、中立性ではなくその影響力として記述する必要性はあろうかと思います。余りにも偏ったものであれば問題視しますが、NEONさんの仰るように必要性に応じての結果とも考えられます。--Oh H 2009年4月28日 (火) 06:18 (UTC)[返信]

養老孟司氏は著名な解剖学者ですが、解剖学というのは人体の構造に詳しい専門家ということなのでタバコの病理については、一介の医者ほどの知識と変わらないと考えます。受動喫煙は喘息を悪化させると言うのは臨床医の常識ですから、「たばこの害や副流煙の危険は証明されていない」というのは癌に限った話で受動喫煙が無害だというのは臨床医の立場でもバイアスがかったNPOV意見です。--あら金 2009年4月28日 (火) 10:49 (UTC)[返信]

コメント Wiki ididさんによって公衆衛生長官の発言を特筆性が無いと主張されて削除されたようですが、公衆衛生長官の職にある人物の発言と、専門外の一介の人物の発言とでは、明らかに特筆性に違いがありますので大変恐縮ですが巻き戻しとさせて頂きました。なお、養老氏は受動喫煙について何か論文を発表している訳でもなく、公衆衛生行政の専門家という訳でもありません。専門家でもない方が週刊誌に意見を掲載した程度の話では特筆性に欠けますし、その週刊誌記事の内容は既に記事養老孟司に掲載されていますので、受動喫煙に掲載する必要は無いと考えます。--Folivora 2009年4月28日 (火) 11:37 (UTC)[返信]

コメント 他の方から「他の観点から特筆性がある」や「養老氏の発言も同質の公衆衛生長官の発言も両方記載の必要はない」との意見が上がっているにもかかわらず、なぜFolivoraさんの独断で編集をなさるのでしょうか。とりあえず元に戻しておきました。荒らし行為に近いと思われます。また「養老孟司氏は専門外の一介の人物の発言」とは単にFolivoraさんの思いこみによる個人的な見解でしかありません。--Wiki idid 2009年4月29日 (水) 08:40 (UTC)[返信]

コメント 常識的に考えて頂きたいのですが、件の文章は受動喫煙の「歴史」の箇所に書かれています。受動喫煙研究の結果を総括した公衆衛生長官の発言は、公衆衛生行政のトップとしてその後の受動喫煙に関する政策に与えた影響は非常に大きいと評価できます。それに比べ、養老発言は学術論文でもありませんし、写真週刊誌に掲載されただけの専門外の人物の意見ではありませんか。これはとても同列に論じられるべきものでは無いと思いますよ。なお、カルモナ公衆衛生長官の発言については、国立がんセンターがん対策情報センターのサイト[1](PDFの2ページ目右側上部参照)でも引用されているので認知度も十分かと思います。--Folivora 2009年4月29日 (水) 12:07 (UTC)[返信]

コメント認知度の問題ではなく、米国政府の公式見解と一介の文化人の感想を対比することが両論併記であるという主張は寄って立つ観点が違いすぎるので論旨が誤誘導されるだけだと考えます。愛煙家の見解を書きたいのであれぱすくなとも節は分けたうえで、「受動喫煙」を説明する上で必要かどうかを判断すべきです。さて総論はそうですが、各論としての養老氏の見解は大いに疑問があります。つまり「喫煙規制に対する愛煙家の見解」であって「受動喫煙に対する愛煙家の見解」ではないです。嫌煙権禁煙条例に養老氏の「喫煙規制に対する愛煙家の見解」が書かれているのであればいざしらず、「受動喫煙」の記事において「愛煙家の立場を庇護する見解」が特筆されなければならない理由は無いと存じます。--あら金 2009年4月29日 (水) 14:25 (UTC)[返信]

コメント養老孟司氏の解剖学者の立場ではなく文化人として、それも喫煙規制に対する意見を述べているだけなので、特筆に値しないと思います。公衆衛生長官(総監の方が適切かと思いますが)の発言については、公衆衛生行政の長という公人の立場で、受動喫煙の研究について述べられているものであり、十分に特筆に値するものと思います。--比良 2009年5月2日 (土) 02:29 (UTC)[返信]

記事に対する中立性に対する疑問

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要出典となっていたもののソースを記入しました。受動喫煙に関して否定的な文献が存在しており、その文献に対し論破された記録の無い情報も多々有ります。その情報につきまして掲載が行われて居ない状況を中立性の観点から疑問に感じ、タグを付けさせていただきました。--221.186.143.49 2009年5月28日 (木) 08:19 (UTC)[返信]
観点が削除され、出典を出した物を消されるなど、恣意的な編集が確認された為、削除された版を取り消ししました。--221.186.143.49 2009年6月2日 (火) 09:23 (UTC)[返信]
すみません、使い方誤ってたみたいでしたので、こちらに移動しました。


写真の説明について

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チェック 写真の説明については、その物事をわかりやすく簡潔に説明する項目だと考えています。今回、受動喫煙とはどういう状態であるかという観点で修正をしましたが、除去されてしまいました。健康に悪影響があるのは受動喫煙をした上での影響であり、2次的な情報だと思います。「タバコを吸わない者がこのような煙を吸うことを受動喫煙という。」という受動喫煙自体の説明は何がいけなかったのでしょうか。--こゆっきー 2009年5月30日 (土) 11:48 (UTC)[返信]


コメント

こゆっきーさんのような 紳士的取り組みは、削除を行っているその人には通用しません。 このFolivora[2]という人、ウィキペディアを使った禁煙運動を繰り返しています。不都合事象の削除、禁煙広告、喫煙ネガティブキャンペーン、中立内容を禁煙広告への書換え、これらの繰り返しです。これも[3] 、これも[4]、 これも[5]、これも[6]、これも[7][8]。 その他多数。 また、ここ数週間はこの活動がばれてきて、だいぶ減らしてますが、ダミー投稿が非常に多いのも特徴です。これも[9]、これも[10]、これも[11]、これも[12]。その他多数。 同一内容でのダミー、コピー&ペーストなども [13][14], [15], [16] その他多数。

上記はそのほんの一角ですが、その他のFolivora[17]ログもよろしかったら確認ください。 そんな活動者なものでまともな論議にならないんです。禁煙ファシズム、喫煙、受動喫煙 などなど関連項目やそのノートを見てください。またログを追ってみて気がつくのが 比良 という同一人物と思われるユーザーがいる事です。 --118.1.47.130 2009年5月31日 (日) 07:54 (UTC)[返信]

コメント 巻き戻された版を察するに、受動喫煙って物に否定的な言動が載せた私の奴に対する、感情的な対応と見た方が適切かと思います。

あまりにも酷いようなら「観点」付けたままで喫煙関係の全てに保護を申請した方がいい気がします--221.186.143.49 2009年6月4日 (木) 03:16 (UTC)[返信]

コメント 記事を差し戻したFolivoraさんがこゆっきーさんの呼びかけにもかかわらず対話していないのはどうなのかな?と思いますが、ここでコメントや編集をされた他のIP利用者さんや他のノートで衝突した私を含めてFolivoraさんによってIPユーザーを対象にしたコメント依頼の提出がされたようです。 氏とは議論が平行線のままなこと、その姿勢に疑問をもったのでこちらからもFolivoraさんの行動にFolivoraさんを対象にしたコメント依頼を提出しております、よろしければご参加ください--221.37.70.108 2009年6月7日 (日) 01:54 (UTC)[返信]

皆さん、コメントありがとうございます。一週間以上たちましたが除去した方からの反論がないこと、文の内容自体に異論はないこと、既に文が戻されていることから、本件は合意形成されたと判断し「済」をつけさせていただきました。今後も同様の事がある場合は、この内容を根拠に私のほうからも差し戻させていただきます。--こゆっきー 2009年6月8日 (月) 05:35 (UTC)[返信]

WHO公式見解に対する喫煙関係の矛盾

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そのまま記事に記載する事は不適切かなと思いましたので、こちらに記載します。

WHOの現在のタバコ煙に対する公式見解は「安全量が存在せず」だったかと思いますが、これの解釈として「吸入量の差異による変化の差が存在しない事」を意味します。

その言論で行きますと、これまで語られたタバコの煙に対する「害」とされる根拠となる疫学的な物(何倍のリスクと言った物)全てが「根拠の無いでっち上げ」と解釈が出来るのでは無いでしょうか。

また、世界広しと言えど「全くタバコの煙を吸入しない事」は物理的に不可能であり、ほぼ全ての人が煙の吸入経験が有ると解釈が出来ます。

そうなった場合、受動喫煙と言う言葉の意味は存在しなくなってしまうのですが、そこ等辺の矛盾に対する答えをWHO等は出しているのでしょうか?--Uzuki 2009年6月4日 (木) 16:24 (UTC)[返信]

  • 「 WHO勧告「受動喫煙からの解放」」には(折角)出典としてp.56の原文資料がリンクされているわけなので、存分に検証していただけると存じます。ちなみに受動喫煙が「害」とされる根拠は"Section II – The problem"をお読みいただければ十分です。 また、「安全量が存在せず」については「下限安全量が存在せず」と「上限安全量が存在せず」では意味がまるで違います。薬理的には通常濃度の高いほうから「危険量(毒性発現量)」、「安全量(何らかの生理反応を示すが、体にダメージを与えない量)」、「無反応量(生理反応すら示さない量)」です。Uzuki さんは「下限安全量が存在せず」と解釈されているようですが、私は「上限安全量が存在せず」であると考えます。つまり下限安全量は存在していて、その量以下では体は反応を示さないが、その量以上では安全という領域は存在せず、(無反応量を超えて)生理反応すれば直ちに「危険量」であり体のダメージにつながるという解釈であると存じます。つまり低濃度から、生体が反応しないので無害。生体が反応するが安全。生体が反応して且つ危険。ということです。--あら金 2009年6月5日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
    • はじめまして、とりあえず資料の検証関係は置いときます。資料云々と言うよりかは、話として出てくるものの矛盾、と言う程度の話なので。 まず、私の認識は「下限安全量が存在せず」ではないと思って居ます。なぜなら極端な話に聞こえるかも知れませんが煙の曝露が無い前提が有りますので、下限安全量とは0で有ると、解釈しています。(マイナス、は有りえませんので) 逆に、「上限安全量が存在せず」で考えた場合、下限が0なので0以外のどんな数値も安全量では無い、と言う話が成立します。(と、言うより上限が無い=無=0ですから) その状況を踏まえて検証するなら、とどのつまり0か1かの話となります。
    • その前提で行きますと、世界において、生まれてから一切タバコ煙の曝露をしていない人、と言うのは存在しないため、全ての人が下限安全量以上の曝露が有る事を意味します。 その前提で考えた場合全て同じ人の条件下で様々な疾患の確率が異なると言う「疫学上のデータ」は「タバコの煙」と言う観点においては前提条件が異なる為、データそのものに根拠が存在しない、と言う結論へと結びつく訳です。 解釈的に無茶苦茶に感じると思いますが(実際私自身が無茶苦茶な話だと思いますが)WHOの見解を元に解釈を勧めると、以上の答えとなります。--Uzuki 2009年6月5日 (金) 12:42 (UTC)[返信]
さて一酸化炭素ならは50ppm以下では生理作用は出ませんし、ニコチンなら血中濃度か0.5ng/ml以下では生理作用は出ません。つまり下限安全量は0よりは大きい値です。またニコチンの血中半減期は4~6時間なので6時間ごとにニコチン濃度が半分になるスピードで体内から排泄されてゆきます(主に尿経由で出てゆきますが)。一酸化炭素ならば3~4時間で半減です。なので無限に体内に蓄積するというデータは存在しません。したがって最低作用量以下になるように換気すれば分煙により受動喫煙のリスクは回避できるという理屈でしたが、WHOの報告書では換気装置を設置しても最低作用量以下にすることができないことが実験等で示されたので、屋内における分煙は効果がないといっているわけです。そして非喫煙者はタバコの害を受けるリスクを負担しなければならない理由はないので、非喫煙者が受動喫煙でタバコの害をうけるようなリスクが存在する喫煙環境は排除すべきであるというのがWHOの見解です。--あら金 2009年6月5日 (金) 16:31 (UTC)[返信]
えっと、そういった状況であれば、上限値が存在しないには矛盾が出てくる話かと思いますが。適切な情報と言う観点では矛盾が有る事には変わり無いかと思いますが。少なくとも、成分上排泄されるもので有る限り、一般的に言われる言動に嘘が有る事には変わり無いかと。--Uzuki 2009年6月6日 (土) 00:42 (UTC)[返信]
と、上の言論だけではちょっと話が短いので、補足的な話を出すとその見解を元にして言うのなら、一般的な市民体育館レベルの広さの有る屋内で無風状態を作り出し斜め端にそれぞれ人が居て、片方の人が、喫煙をしたら、対極に居る人に受動喫煙が発生する事を意味しますが。そんな言論が有れば、物理的な法則を完全無視しているし科学的な裏づけが有る、と言える物では無いのではないと思われますが。--Uzuki 2009年6月6日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
屋内で喫煙すれば拡散は制限されるので立ち去った後の受動喫煙のリスクはゼロにはなりませんが、屋上でも外付けの非常階段でもベランダでも自分以外の人がいない野外で喫煙すれば、数十秒で拡散しますから自分か立ち去った後の受動喫煙のリスクはゼロになります。とてもシンプルで設備コストもかからずに間違いはないと考えます。--2009年6月6日 (土) 01:18 (UTC)
すみませんが、気になった観点がそこでは無いのです。安全量の上限値が存在しないと言う話に伴う矛盾が気になって仕方ないのです。--Uzuki 2009年6月6日 (土) 02:49 (UTC)[返信]
青酸カリは量が少なければ、作用が出ませんし、作用が出る量では死にます。理論的には、作用が出始める量と、死ぬ量のあいだに作用が出るのだけれどとりあえず死なないという量はあるのでしょう。薬にも毒にもならないというように薬は量を超せば毒です。普通は安全量の上限と下限とか百倍とか数万倍とか開いていないと、ちょっとしたさじ加減や体調で安全量を越します(Over Doseってやつてです)安全量の上限と下限とか十倍も開いていない危険な薬は毒薬です(青酸カリは治療には使わないので毒物ってやつです。)。ですから、ニコチンでも一酸化炭素でも「薬にも毒にもならない量」の上は(ごく肉薄して存在する安全量を突き抜けて)すぐOver Doseで「毒になる量」という類で、たいていの毒は作用がではじめる量の数倍の濃度で害が出始めるので安全な量とは体調や服用の仕方や個体差などで誤差の内(安全量の上限の誤差のぶれと安全量の下限の誤差のぶれを考慮すると安全量はないのと同じという)ことです。--あら金 2009年6月6日 (土) 07:39 (UTC)[返信]
その話を前提とする場合、「上限安全量が存在する」事を意味しますのでその部分でWHOの見解に矛盾が発生する事を意味するかと思いますが。ニコチンにせよ、一酸化炭素にせよ「致死量」が存在しますので、そこを「上限安全量」とする話を前提にするのであれば、この言論に妥当性が有ると言えますが。(その場合、受動喫煙の害と言う言葉への矛盾が当然生じます)--Uzuki 2009年6月7日 (日) 00:13 (UTC)[返信]
もう一度整理しましょう、下限安全量は生物活性の有無で定義されるので(安全かどうかは問わず)物質が生理活性存在します。下限上限安全量は安全な量が定義されなければ存在しません(すべて危険であれば危険か安全かの境目は無いということです)。そして危険か安全かの境目は無いということは、(生体が化合物に反応て)危険というのと無作用(生体が化合物に反応しない)の境目である下限安全量と下限危険量が一致しているので上限安全量(つまりここからここまで安全という量)は定義できないといっています。WHOも安全量は無いといっていますよね--あら金 2009年6月7日 (日) 13:02 (UTC)[返信]
何度も申し上げておりますように、それでは矛盾がありますよね?と申し上げて居ます。では何故、同じ様に煙の曝露経験が有る人間のデータが異なる事が有るのか?と言う話です。上限安全量が存在しない以上は、下限安全量は0ですよね?0以外で有るなら、具体的な数値に対して言及は有りますでしょうか?(各成分の基準値ではなく、タバコ煙としてのです)そこ等辺の矛盾に対して、話をそらさないで頂きたいです。--Uzuki 2009年6月7日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
すみません。『「安全量が存在せず」の解釈として「吸入量の差異による変化の差が存在しない事」を意味する』というところからして、私には理解できません。もうちょっと説明していただけますでしょうか。私は、「安全量が存在せず」は、「毒性に閾値がない」、すなわち、「『これより少なければ害がない』という暴露量がない」と解釈します。発がん性物質では、毒性に閾値がないとされているものは別に珍しくありません。もちろん、「吸入量の差異による変化の差が存在しない事」は意味していません。一般的に、発がん性物質は、微量であればリスクは小さく、量が大きくなるほどリスクは大きくなります。WHOの勧告に対する反論として、「安全量は存在するんだよ」とか、「微量の暴露によるリスク上昇は微々たるもので実質的には無視しうる」とか、そういうものであるのなら理解できますが、「吸入量の差異による変化の差が存在しない事と解釈できる」という反論はどうにも理解できません。「どんなに微量でも害がある」ことと、「量反応関係がある」ことが両立しうることは、Uzukiさんはご理解されていますよね?--NATROM 2009年6月10日 (水) 13:47 (UTC)[返信]
すみません、ちょっと中の人の私情が有り返答が遅れるかもしれません。少々お時間ください。--Uzuki 2009年6月11日 (木) 14:51 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

受動喫煙」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月28日 (木) 04:30 (UTC)[返信]