コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:反日サヨク/削除

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

このページは反日サヨクの過去の版について削除依頼の議論内容を保存した物です。

現在の記事へのご意見はノート:反日サヨクにて行ってください。

下記の議論により、このページは削除されました。このノートを編集/削除しないようお願いします。

関連項目 : Wikipedia:削除の過去ログWikipedia:削除の過去ログ 2004年12月Wikipedia:削除記録/過去ログ 2004年12月

反日サヨク - ノート

[編集]

記事が侮蔑的で、百科事典の記事としてふさわしくない。また、記事の発展性がない。60.40.151.205 2004年12月10日 (金) 20:05 (UTC)[返信]

ノート:反日サヨク より

[編集]

ここは百科事典なのですから政治的に立場を異にする者どうしでプロパガンダ合戦を行うべきではなく、むしろ戦後の同じ反米ナショナリズムに発しながらも55年体制を経て左派的立場と保守的立場にねじれた形で分化が生じて冷戦構造の温室の中で「型」としての安定化が起き、ソ連崩壊を受けてそのどちらもが歪んだねじれ構造を内包している実態を露呈していく中で「反日サヨク」「ポチ保守」という侮蔑語を生み出した歴史的プロセスを記載するのが適当ではないでしょうか。ウミユスリカ 2004年12月12日 (日) 02:07 (UTC)[返信]


わたしはこの百科事典でありのままの事実・現状を編集すべきであると思っております。 「反日サヨク」と言う言葉について殊更「削除依頼」をなし、その意味内容の公表を妨害しようとされる 方の意図が理解できません。間違っている箇所があると言うならこの「ノート」で指摘され、こちらが 納得した箇所についての削除はやぶさかではありません。 また「ポチ保守」なる言葉もリンクとして編集されてもいいと思いますよ。その言葉を使用される方が どのような意味で使っておられるのかも私自身勉強になりますので「削除依頼」などしてその言葉の抹殺 を図ろうなどと言う気持ちは毛頭御座いません。 ウミユスリカさんが現在の本文に続けて項目を設け、「反日サヨク」「ポチ保守」という侮蔑語を生み出した歴史的プロセスを記載される事についても反対する理由は御座いませんのでどうぞご自由に編集してみて ください。--Peace 2004年12月12日 (日) 11:49 (UTC)[返信]

Wikipedia:中立的な観点をお読みください。 Kzhr 2004年12月12日 (日) 11:54 (UTC)[返信]


「中立的な観点」で誤解してはならない事は、たとえば「歴史上の人物Aは殺人犯であり、在日外国人であった。」と言う事実があったとするならば、わたしはそのままで「中立的な観点」に反しないと思いますよ。そこで「在日外国人」は除外すべきなどと言うのは単なる「事実の隠ぺい」で、それこそ「中立的観点」に反した編集だと考えます。--Peace 2004年12月12日 (日) 12:11 (UTC)[返信]


本当に読みましたか? 事実を書けば中立的な観点に反しないというのは一番よくある誤解です。どの事実をそれに関係があるものとして取り上げるかは観点に依存しますので。また、中立的な観点とは、「どの意見も公平に記載する」ことから始まります。除外すべきだ、というのも観点の一つであることをお忘れないよう。 Kzhr 2004年12月12日 (日) 13:07 (UTC)[返信]


本文に則して具体的にその箇所を指摘して説明した方が「Kzhrさんの中立的な観点の基準」がわかりやすいと思いますが?但し、あくまでKzhrさんの個人的主観に基づいた中立的な観点であることをお忘れないように。--World 2004年12月12日 (日) 18:03 (UTC)[返信]

Peaceさんがプロジェクトの基本方針について誤解していらっしゃるようでしたので説明申し上げたまでで、どれどれが具体的に問題があるというのは私は興味がありません。なお、私の個人的主観に基づいた中立的な観点とおっしゃっているところを見ると、Worldさんも誤解なさっているようですね。よくよくお読みください。 Kzhr 2004年12月13日 (月) 08:41 (UTC)[返信]


Wikipedia:中立的な観点は読ませて頂きました。

>どれどれが具体的に問題があるというのは私は興味がありません。 わたしも「Kzhrさんの個人的主観に基づいた中立的な観点」に興味は御座いませんので 悪しからず。--Peace 2004年12月14日 (火) 14:28 (UTC)[返信]


中立性を目指した改定案

[編集]

反日サヨク(はんにち-)とは日本の戦後の左翼を含む政治運動に見られる一部の要素に注目してポスト冷戦時代に政治的にこれに対抗する勢力の一部から投げかけられた蔑称

第二次世界大戦の敗戦後、日本の左派勢力及び保守勢力双方の思想や政治運動には戦勝国でありまた占領者であるアメリカ合衆国に対する反米ナショナリズムの性格が強く認められた。しかし米主導の再軍備の問題を契機にこの反米ナショナリズムの表現形態は大きく分裂することになる。

保守本流は米主導の再軍備を原動力にして自主憲法制定による占領体制の払拭を図ったのに対し、保守勢力の一部及び左派勢力は憲法第9条を楯に対米従属的軍事体制への組み込みの拒絶を図った。さらに米主導の軍事体制の傘下に入ることを拒絶する勢力は自らの反米ナショナリズムの後ろ楯として東アジア諸国のナショナリズムとの連帯を目指し、それの障害となりうる戦前のアジア政策の侵略性を糾弾することで一種のを図った。

こうした背景を持つ一連の政治運動は中国や韓国、北朝鮮といった抗日の歴史を自国のナショナリズムの重要な要素としている国々のナショナリズムのあり方と抵触する要素を日本から払拭しようと努めた結果、日の丸・君が代、首相の靖国神社参拝などに拒絶の意思表示を示し、南京大虐殺などの戦前の対東アジア戦争犯罪の糾弾を積極的に行った。

こうした一連の運動は日本のアカデミズムの世界やそこからの影響の強い教育界で一定の力を持ち続けたが、冷戦終結後、こうした政治的枠組みを支えた国際性時環境が崩壊すると共に大きな転機を迎えるに至った。日本の左派及び保守双方とも冷戦体制に依存した非合理的な歪みを大きく内包することが次第に露呈していったのである。例えば保守本流の占領政策否定の再軍備運動はさらなる対米従属軍事体制への組み込みとセットであったし、左派勢力を中心とする反米護憲非武装運動はアメリカの軍事的庇護を前提としているといった歪みが露になっていったのである。

この状況下から戦後の左派や保守の政治運動の潮流に対する批判が生じ、東アジア諸国のナショナリズムと日本の連帯を図った一連の運動が日本のナショナリズムを脅かし、日本を貶めるものとして糾弾する運動も生まれた。この背景には中国や韓国政府が国の統合に抗日ナショナリズムを利用し続けたことの嫌悪感、北朝鮮の日本人拉致などの犯罪的工作活動への憤りも無視できない。日本を侮蔑し、日本に敵対する集団への利敵行為だとする視点が生じたのである。

この運動から戦前のアジア政策の侵略性の糾弾を行う歴史教育に対して付されたレッテルが自虐史観であったが、同様に東アジア諸国のナショナリズムとの連帯運動全体に対して投げかけられた蔑称が「反日サヨク」であった。一方対米従属色の濃い保守勢力に対しては「ポチ保守」との蔑称が投げかけられた。

日本のアメリカ合衆国や東アジア諸国との距離感や連帯のあり方は今後ますます複雑になってくるこれらの国々との関係性を考慮すると一筋縄ではいかなくなってきており、こうした蔑称を生み出した背景の投げかける問題は大きい。


ウミユスリカ 2004年12月13日 (月) 01:57 (UTC)[返信]