ノート:原子
原子の数約1000種類と言うのはどの範囲で数えたものでしょうか?また無次元数であることを表す表現として「単位は無い」という表現はあまり正確では無い気がするのですが何かより適切な表現は無いでしょうか?yhr 2005年2月18日 (金) 21:29 (UTC)
- 1000種類というのは、不安定核種までを含めた数を記述しました。が,改めて数えてみると2000~3000ありますね。これは失礼しました。
- 原子のような項目は化学に明るくない読者も目にするだろうと思い,「単位を持たない」と多少乱暴な表現になってしまいました。「比率を表す量であるため、原子量には単位を付けない。このような数を無次元数と呼ぶ。」ではいかがでしょうか。Hareno 2005年2月18日 (金) 21:51 (UTC)
- 早速のお返事ありがとうございます。不安定核種を含めるということだとここの記述によれば約6000もあるらしいです。たぶん超重核の方向でのリミットがあまりきちんと決まらないのでこのように大きく異なった数値が出てくるのかと思います。無次元数の説明はわかりやすいと思います。あえて難癖をつけるなら無次元数事態の説明は次元の方で行ったほうがすっきりするかなという気がします。yhr 2005年2月18日 (金) 23:00 (UTC)
不正確な説明
[編集]「原子(げんし、Atom)は物質の最小構成単位である粒子。」という冒頭の説明は問題がありませんか。--エンチャンテッド・ボイセイ 2007年9月16日 (日) 11:50 (UTC)
- 何処にどのような問題を感じたのか書いていただけると、話が早いのではないでしょうか。yhr 2007年9月16日 (日) 13:30 (UTC)
エンチャンテッド・ボイセイさんの指摘は適切です。たしかに冒頭の説明文は根本的に間違っていましたので、修正しておきました。--VanDrake 2008年7月14日 (月) 16:42 (UTC)
記述の除去についての説明
[編集]記述を除去したところ「いたずらか?」との要約とともにリバートされてしまったため、こちらに見解を述べます。
まず、ヘラバスの論文云々の脚注ですが、蛇足だと判断しました。ここは「原子」というごく基本的な項目なのですから、論文が採用されなかった経緯について詳しく説明する必要はないと考えます。原子の存在に基礎を置く理論は当時の科学者のコミュニティで受け入れられなかった、という事実を手短に記せば、それで足りることです。「今日では、物理学者らが何かしら風変わりな微小構成単位を含んだ仮説を提唱しても、さほど変人だとは思われないが、当時はそうではなかった。つい100年ほど前は、大半の科学者は、科学者の仕事というのは、あくまで直接観察される現象を量的に測定し、それを体系化することであり、科学というのは科学法則を見つけることであり、観測される現象の定量的な関係を記述することだ、としか思っていなかったのである」という記述にいたっては、科学史的には興味深い話ですが、「原子」という項目にはほとんど関係のない話です。
次に、「ごく少数の科学者が、表面的に見えるものの背後の世界、[[オカルト|眼には見えず、触れることもできない世界]]に踏み込もうとしはじめていた。[[ルートヴィヒ・ボルツマン]]はその一人だった」ですが、これはよくわからないパイプリンクでボルツマンを貶めていることが百科事典の項目として不適当です。
最後に、マッハの宣言についてですが、マッハは極端に実証主義的な人だったということはよく知られており、この宣言についてもマッハのそのような哲学的態度の表れと考えられます。「プラハ大学で長年物理学教授をしていた」などとつけることで当時の科学者を代表させようとしているようですが、それはちょっと無理があるでしょう。マッハの項目に書くならともかく、原子の項目に書くのは不適当だと判断しました。
以上です。--122.29.73.134 2008年7月16日 (水) 03:13 (UTC)
- ・ヘラバスの論文、100年ほど前の科学者の認識について。
- →いずれも本文の流れを極端に乱すのではなく脚注に記述されているので目くじらを立てる必要はない。脚注は読みたくない人は読まないで済ませられる。おまけに実際かなり有用な情報が入っている。削除は却下。
- ・ボルツマンから"眼には見えず、触れることもできない世界"へのリンク。
- →出典におおよそそのような記述があれば、それは活かすべき。また、このパイプリングは必ずしも貶めていることにはならないだろう。そう思うとしたらそれはIP君の先入観だろう。リンク先に科学史的に見て興味深い記述もある。ここにリンクしていることがむしろ名誉とすら理解できる。
- ・マッハの位置づけ。
- →出典においてここに書かれているような位置づけで書かれているとすれば、それをそのまま活かすべきなのであって、自分の主観と合わないからと言って改変することのほうがむしろ独自の研究ということになる。自分の見解が違うなら、その見解を述べているまともな出典を示しつつその記述を併記しなさい。あくまで併記だ。まともな出典が示されて投稿された文章に対して"自分の意見に合わないから削除"というのは許されない。 --IP WATCHER 2008年7月16日 (水) 03:58 (UTC)
- 脚注について。Help:脚注によると、脚注は「短い補足コメント」を記述するための方法です。あれだけの長大なコメントを格納するのはあまり好ましくなく、記述するためには本文中に組み込む必要があると考えます。しかし、この本文には居場所がありません。なぜならば、この項目はあくまで「原子」だからです。情報の有用性は認めますが、「原子」という項目に書き込むのは蛇足です。有用な情報を適切な他の項目に書いて、リンクするのがスマートだと思います。もしくは、分量をもっとコンパクトに縮めるというのも考えられます。
パイプリンクについて。なるほど必ずしも貶めているとは限らないかもしれません。しかし、どっちにしろパイプの使い方が不適切だと思います。そのリンク文字からどこへ飛ばされるのか一見よくわからない貼り方をするのは好ましくないでしょう。「リンク先に~理解できる」のご指摘は不勉強なのか何をおっしゃっているのかよくわかりません。詳しくご説明いただきたいです。
最後にマッハの件ですが、マッハがそういうことを言っているという出典があるということと、その発言が特筆すべきものであるかどうかというのとは観点が違います。出典がある記述はなんでもかんでも書いてよいというわけではないのです。記述内容に出典は必要ですが、記述するか否かという判断には出典は不要です。それは、執筆者同士の議論によってなされるべきことだと考えます。私は、原子という一般的な項目において記述するには特殊すぎる内容だと判断しました。--122.29.73.134 2008年7月16日 (水) 04:26 (UTC)
- 脚注について。Help:脚注によると、脚注は「短い補足コメント」を記述するための方法です。あれだけの長大なコメントを格納するのはあまり好ましくなく、記述するためには本文中に組み込む必要があると考えます。しかし、この本文には居場所がありません。なぜならば、この項目はあくまで「原子」だからです。情報の有用性は認めますが、「原子」という項目に書き込むのは蛇足です。有用な情報を適切な他の項目に書いて、リンクするのがスマートだと思います。もしくは、分量をもっとコンパクトに縮めるというのも考えられます。
- ヘラパスやウォーターソンのくだりも王立協会の科学者らの対応もマッハのくだりも削除するというのでは、原子発見までの詳しい経緯に関する情報がまったくこの項から脱落してしまう。いったい原子発見に関する経緯を原子の項に載せずして、他のどの項に載せるというのだ?もちろん原子の項に載せるべきに決まっている。IP君の意見は却下。
- それと言っておくが、ウィキペディアにおける執筆者とはアカウントを取得しまともな出典を示しつつ建設的な投稿をしている人を言う。IP君はそうではない。IP君は個々の論理はともかくとしても全体的に判断して自分が気に入らない記述を感情的に削除をしていると判断される。つまりIP君は荒らしと見なされても仕方ない。--IP WATCHER 2008年7月16日 (水) 04:39 (UTC)
- 私の最初の判断としては除去すべきだと判断して除去しましたが、その後このような反論が出たことをかんがみ、「コンパクトに縮める」という代案も出しました。私は、固有名詞を出して詳細を記述せずとも、「原子の存在に基礎を置く理論を提唱したものもいたが、学会で相手にされなかった」などの記述で十分だと考えています。それらが標準的な学説に変化をもたらしたエポックメイキングなものでなかったのならば詳細は蛇足です。私はドルトンやラザフォードの名前まで書かないでよいといっているのではありません。--122.29.73.134 2008年7月16日 (水) 04:49 (UTC)
議論が止まって1週間ほど経ちましたが、どうしましょうか。--122.29.73.134 2008年7月23日 (水) 01:38 (UTC)
科学者らの早合点?
[編集]本記事の冒頭には
- 「究極の分割不可能な単位」に相当すると、当時の科学者らの早合点によって一時代誤認され
という記述があり、また原子論にも類似した記述がありますが、いわゆる原子は、本当に「当時の科学者らの早合点」によって「原子」と呼ばれるようになったのでしょうか?
近代的な原子(ドルトン的な意味での原子)は、20世紀初頭においてもなお少なからずの科学者からその存在に疑問が持たれていた一方で、19世紀末にはその「原子」に内部構造が存在しているという説が既に出ています。いわゆる「原子」が科学者たちの間で広く「究極の分割不可能な単位」だと思われていた時期は存在していないのではないかと思います。--Syrotyna 2009年1月28日 (水) 09:04 (UTC)
- 該当部分、あんまり適切な表現とは思えないですし必ずしも書いておかなければならない情報ではないですね。出展が提示されないなら削除しちゃってかまわないんじゃないでしょうか。
- ただ、Syrotynaさんの言い方もちょっと単純すぎるかなぁという気はしないでもないです。ドルトン的な意味での原子というのは、化学反応の基礎単位として仮定されるところの原子ということなんでしょうけれど、下部構造が在るか無いかというのはそのレベルではとりあえず問題にならないわけですよね。で、原子の実在を疑った人というのは、そういう基礎単位の実在を疑ったということであって、内部構造云々とは関係ない、という場合がほとんどだったんじゃないですか。20世紀に入って原子論を認めていなかったというとたとえばマッハなどが浮かびますが、彼なんかも化学反応の基礎単位を物理的実態として仮定する方法論自体を否定していたはずです。一方で原子に内部構造があるかどうかということを問題にするのはいったん原子という単位の存在を認める立場ですから、原子が究極の分割不可能な単位だと思うかどうかというのは原子説を認めた人の間での争いになるわけです。原子の内部構造の存在を示唆する実験的証拠としては周期律も無いわけではないですが、直接的には1897年の電子の発見を待たねばならないでしょう。1803年の原子説の発表から約一世紀にわたって原子説を支持する立場の科学者が原子を不可分の究極単位とみなしていたと考えるのはごく自然なことだと思います。yhr 2009年1月28日 (水) 11:43 (UTC)
- 原子の存在が十分に納得のいく形で証明されたのと、原子が内部構造を持つことが示されたのはほぼ同時並行ではないか、ということを分かりにくく書いてしまいました。現在の記述では、「原子」という単位を単なる科学者の過去の誤謬扱いし、ともすれば特に理系方面に詳しくない人に対し、あたかもマッハ的な立場が正しかったかのような印象を与えてしまう部分もあるように思えるので、「原子」という単位で物質を見ることの有益性をもっと強調した記述にしたいです。--Syrotyna 2009年1月28日 (水) 16:56 (UTC)
- この記事での編集に関してはあまり問題があるとは思っていませんが、原子論のページでの編集について少々違和感を感じたので書き込ませていただきます。
- 改稿前の版の表現が完璧であったというつもりはありませんが、『「原子」という単位を単なる科学者の過去の誤謬扱い』していたという風に読むことは曲解ではないかと思います。改稿前の段階でも主張されていたのは「当初、分割不可能な基本単位だと仮定されていたために今日原子と呼ばれているものは、実際には内部構造を持つ分割可能な中間単位である。」ということであって、それ以上でも以下でもないと考えます。
- あとこれは本筋から外れるかとは思いますが、原子に限らずある科学的な概念に対して、それがどのようなものであると考えられていたかということを記述するのに、その概念が科学的事実として広く認められていたかどうかということは本質的には関係がないことなのではないでしょうか。たとえば、光の媒質として仮定されたエーテルという物質について、十分に納得の行く形で証明されるなどということはついになかったのですが、われわれはエーテルという物質がどのような性質であると想定されたのかということについて記述することが出来ます。熱素についてもしかり、その他あらゆる科学上の仮説に対して、それがどのような内容のものであったかということを記述することが出来るのです。
- それゆえに、僕にはSyrotynaさんの行った20世紀初頭の状況を強調するような編集は、結局のところ枝葉末節に過ぎず混乱を助長するだけではないかと思います。あと、20世紀初頭において原子論が広く認められていなかったとい記述自体もにわかには信じられないものを感じますので、出展の明示をお願いしたいところです。
- 『原子の存在が十分に納得のいく形で証明される』という表現を持って、どのような歴史的事実を表したかったのか、その部分がよくわからないのでもしかしたらSyrotynaさんのおっしゃいたいことを誤解しているかもしれませんがその場合はご容赦ください。yhr 2009年1月29日 (木) 11:18 (UTC)
誤字?
[編集]それでも原子の相対質量は、凡そ質量数に近い数値をとる。
凡そ→炭素 ? 124.102.151.76 2021年11月8日 (月) 13:52 (UTC)
英語版の翻訳による記事の強化
[編集]英語版 en:Atom の翻訳によって、当記事「原子」を強化しました。
履歴によると、2003年にスクラッチからはじめて編集が積み重ねられてきましたが、2012年頃を最後に小規模な編集にとどまっていました。記事の内容も、哲学史上の原子論 (独立した記事) と、本記事が対象とする科学上の原子とが混在して焦点がぶれていました。そのため、全体を強化したり新しいトピックスを加えるのに現状を起点とすること難しいと考え、全面的に作り直すことで対応することとしました。
■方法
記事の主題である科学上の原子を広く説明し、内容も充実している英語版を翻訳します。次に、日本語版にしかない記述をマージします。
■結果
- リード
- 第1文に出典を追加しました。これは本記事の主題となる「原子」を明確にするためです。
- Infoboxは日本語版のテンプレートをベースとして他の記事との整合をはかりました。
- 本体
- 日本語版から流用できるものはありませんでした。
- 哲学史上の原子については別記事 原子論 が詳しいのでそちらに譲ることとしました。
- 差分
■使用したWikipedia記事