ノート:占守島の戦い
中立的観点の欠如
[編集]発端のソ連軍侵攻を奇襲と記述せず、日本側の停戦不履行を奇襲と記述、 また、全体的にソ連側資料は無批判に受け入れているのに対し、日本側の資料は切り捨てる記述傾向にあり、客観性の欠如が疑われる。
- 「発端のソ連軍侵攻を奇襲と記述せず」について。脚注4に日本軍人村上則重少佐の証言が詳述されており、奇襲と記述したら、日本軍人の証言を踏みにじるものと思います。「発端のソ連軍侵攻を奇襲と記述」していないのは、旧日本軍人の証言を尊重したためです。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 01:48 (UTC)
- 「全体的にソ連側資料は無批判に受け入れているのに対し、日本側の資料は切り捨てる記述傾向」との記述は根拠が有りません。脚注のうち、ソ連側資料は1件のみで、他はすべて日本軍人の証言です。(一つ、日本民間人の証言も有ります。)本文の記述は、日本の右翼など根拠の無いデマ宣伝を排除して、旧日本軍人の証言や、別所二郎蔵の証言を主体とした、記述です。なお、「日本側の資料は切り捨てる」と有りますが、もし、切り捨てるべきでない重要な資料が有るならば、出典明示の上、追記してください。また、掲載された参考文献以外に重要な参考文献があるならば、記載してください。--Lib 1964 2008年1月16日 (水) 01:48 (UTC)
占守島のノートを参照ください。
「日本軍の被害が少なかった原因」だけじゃなくて「日本軍が(戦闘停止命令まで)撃退に成功した原因」を知りたいなあ。日本って、どうもこういう防衛戦に対する評価が低いよね。元寇とかもそうだと思うけど、どうも日本軍は弱かったという前提で書いてるような気がする。勝ったにもかかわらず。もっと防衛側の健闘を評価して良いんじゃなかろうか。106.169.167.27 2012年12月2日 (日) 11:51 (UTC)
↑ 👍 バーバパパの曾孫(会話) 2021年9月30日 (木) 10:35 (UTC)
言語間リンクの修正
[編集]英語版にBattle of Shumushuの項目ができておりますので、今までInvasion of the Kuril IslandsにリンクされいたのをBattle of Shumushuへと切り替えました。かわりにInvasion of the Kuril Islandsを関連項目リンクとして加えました。 さえぼー(会話) 2013年8月13日 (火) 03:53 (UTC)
『戦史叢書』によれば、『イズヴェスチヤ』紙は「占守島の戦いは、満洲、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった。八月十九日はソ連人民の悲しみの日である」
興味深いことに、この抜粋は多くの情報源で引用されていますが、しかし、新聞記事の特定の号はどこにも示されていません。私は1945年8月と9月の新聞「イズヴェスチヤ」のすべての号をアーカイブで確認しました、し かし、そのような情報はありません。新聞の具体的な号は明らかにすべきです。--AeonsStudy(会話) 2020年7月10日 (金) 15:35 (UTC)
- 確かに興味深い指摘だと思います。ただ、そうした言及のある二次資料を提示する必要があります。以前、ノート:大艦巨砲主義で『ジェーン年鑑』を「確認」した利用者がいましたが、ウィキペディア利用者による「確認」だけでは、Wikipedia:検証可能性を満たすことができません。当該書籍の当該ページにははっきり書かれていますので、ウィキペディアのルールに照らせば、"『戦史叢書』によれば、『イズヴェスチヤ』紙は「占守島の戦いは、満洲、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった。八月十九日はソ連人民の悲しみの日である」" と引用することに問題はありません。まぁ、これもウィキペディアの弱点なのかもしれませんね。-- Takabeg(会話) 2020年8月17日 (月) 11:15 (UTC)
- ウィキペディアでべつな弱点がありますかも。大艦巨砲主義の問題はもっと難しいです。刊行物の確認のため、en:Wikipedia:WikiProject Resource Exchangeは出典文献入手の助けになるかもしれません。でも、こっちは具体的な引用があります。
- 1.19日8月1945年は「記念日」、「記憶と悲しみの日」として正式に登録されなかった。
- 2.日本語の情報源でほかの説もある
- 「この戦闘においてソ連軍は満州・朝鮮の戦闘を上回る損害を受け、ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」をして「本土戦最悪の日である。」」
- 『日本憲兵正史』:
- 『日本憲兵正史』:
- 「占守島の戦いは満州、朝鮮における戦闘より、はるかに損害が大きかった。八月十九日は、ソ連人民にとって悲しみの日であり、喪の日である」
- 『戦史叢書 第044巻 北東方面陸軍作戦〈2〉―千島・樺太・北海道の防衛―』:
- 『戦史叢書 第044巻 北東方面陸軍作戦〈2〉―千島・樺太・北海道の防衛―』:
- 「占守島の戦いは、満洲、朝鮮における戦闘より、はるかに損害は甚大であった。八月十九日はソ連人民の悲しみの日である」
- しかし、新聞号は記載されていなかった。
- ここには「イズベスチヤ」の19日8月号と23日8月号からの引用がふさわしいのでしょうか?--AeonsStudy(会話) 2020年11月1日 (日) 14:31 (UTC)
概要の結果を「ソ連軍の勝利」とするべきです
[編集]「結果:日本軍がソ連軍の進軍を阻止」とありますが、これは「結果:ソ連軍の勝利」と改めるべきだと考えます。
占守島の戦いの結果は、日本軍の武装解除と降伏すなわちソ連軍の勝利です。この戦いは日本軍優勢の戦況で、日本軍がソ連軍の進軍を一旦阻止したことは事実ですが、これは結果ではありません。加えて、占守島の戦い終結後、ソ連軍は千島列島並びに北方四島を(合法不法は論外として)占領したのでこの戦いによって「進軍を阻止」できたのかそもそも疑問です。
この戦いは、ソ連の日本侵攻に関して日本に時間的猶予を与え、北海道の占領を間接的にも回避した評価すべきものです。この意見は、日本の歴史における防衛戦争について、過小評価したものではないことは申し上げておきます。 運動会蛋白質力(会話) 2021年10月12日 (火) 08:54 (UTC)
- コメント コメント依頼を見て来ました。戦史にはまったく詳しくありません。信頼できる二次資料(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価 参照)に「ソ連軍の勝利」という内容が載っているのであればよいのですが、そうでなければWikipedia:独自研究は載せないに抵触しますので、内容を改めるべきではないと思います。--Nano blocks(会話) 2021年11月6日 (土) 14:11 (UTC)
- コメント コメント依頼より。英語版en:Battle of Shumshu ではソビエト軍の勝利ですが、この部分に出典がないのは日本語版と同様なんですよね。
- 現状のInfobox内注釈では出典を用いて「ソ連軍に大損害を与えた」点に言及していますが、これは記事内容(占守島の戦い#停戦と降伏)に照らしても明らかな通り『 最終的な趨勢以前の戦術的勝利 』であって、当該戦闘地域を戦略的に見ると(命令系統はどうあれ、客観的には)敵軍の武装解除要求に応じ、またこのときの捕虜が シベリア抑留 に繋がるのですから、「日本国の歴史的主張を排した視点(WP:JPOV)で見ると」大勢としては敗戦以外の結果はない、と『 個人的には同意します 』。
- ただ、「どこの誰とも分からぬたかが匿名編集者がわずかに3者で話し合っただけ」で明らかに論争の発端となる項目(see 北方領土問題)をいきなり修正すべきではなく、その編集内容の正確性を保証する担保、明白な証拠として、ソビエト軍勝利を明示している、日本軍やソビエト軍のどちらにも立地しない中立的な第三者出典を示した方が良いと思います(できれば第三国文献)。
- しかし、日本国が「条約違反の不当な侵攻」「占領自体が無効、日本国の固有領土」である点を主張する際の論拠としている点を考えると、日本語の文献でそれらの政府主張に反する出典は相当に見つけづらいのではないかとも思いますし、もう片方の戦闘当事国であるロシア(の、影響を強く受ける地域)文献でも同種の問題を抱えるであろう、とも思います。
- 英語版を見ると、『Richard A. Russell (1997年9月30日) (ペーパーバック). Project HULA : secret Soviet-American cooperation in the war against Japan. en:Naval History and Heritage Command(旧海軍歴史センター)』に基づいて記述されているようですが、amazon英語版でも販売停止していますし、日本では入手困難かもしれませんね。--Nami-ja [会話 履歴] 2021年12月4日 (土) 09:29 (UTC)
- 追記 両論併記の原則を適用すれば「客観的にはソビエト軍勝利[出典ほにゃらら]だが、日本側は不当な侵略行為であり正式な国家間戦争ではない政府主張の立場から戦争敗北を認めていない[出典ほげほげ]」といった書き方で注釈または本文中解説として双方の観点/立場を紹介しつつ書き換えることはできるかもしれないと今思いつきました。--Nami-ja [会話 履歴] 2021年12月5日 (日) 08:59 (UTC)