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ノート:単一民族国家

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/過去の議論1、2006年8月3日から2008年3月19日まで

編集方針

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ここの記事、単一民族国家の説明じゃなくて日本の民族問題に重点が置かれていますね。日本の民族問題については保護解除提案をやっておりますんで、両方解除出来ましたら、整理が必要かと考えます。--スミス16号 2008年6月14日 (土) 13:10 (UTC)[返信]

明日保護解除だけど、RV合戦は止めてね。--スミス16号 2008年8月11日 (月) 00:47 (UTC)[返信]

「争点」項目での編集

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なるべく読みやすくなるように編集を加えました。基本的な内容について、大幅な変更は加えていません。ただ、最後のアメリカやアフリカ諸国は憲法を基盤に~移行の文章は独自研究色が強い事もあり、なるべく残そうとは努力してみたのですが、冗長ですので削除しました。オバマ大統領や、タイにおける国王への忠誠等については、それぞれの項目で記載するのが妥当と思います。--Re-れな 2009年2月21日 (土) 12:24 (UTC)[返信]

単一民族国家の例

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 アルバニアポーランドイエメンの三ヶ国についてはソースを確認できましたので、その他の国を削除の上で要出展タグを解除しておきました。‥‥と思ったら、プレビューでは正常なのに、実際に投稿すると思いっきり表示が崩れました。元に戻しておいたので、きちんと成型できる方がいたら、どなたかお願いします。--Re-れな 2009年2月21日 (土) 12:05 (UTC)[返信]

世界的観点

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ウィキペディアの編集方針は世界的な視点から行われるべしとの事ですので、単一民族国家=NationStateの基にかなり荒っぽい編集をしました。申し訳ありません。 日本だけと思われがちな単一民族論争を世界の論点につなげてみました。Nation Stateの発生は世界史においても非常に大きな事変としてとらわれています。政治学でも非常に重要な議題です。よってこの記事はまだ発展の余地があると思います。Vapour 2008年12月19日 (金) 14:31 (UTC)[返信]

「ただし日本は歴史および…フランスなどの国とは…時期と一致する。」は削除したいと思います。現時点ではコメントアウトですが。理由は、少なくともアイヌに関しては、江戸時代から明治にかけての意図的な排除、あるいは同化が行われた、と見るべきだと思うからです。この部分を削除しても全体の文脈も変わらないと思いますし。あと、「左派」と極少数とかは消しました。これもなくてもいいでしょう。--Ks 2008年12月20日 (土) 00:11 (UTC)[返信]
別に細かいことなので削除はかまいませんが江戸時代から北海道が日本の一部で、アイヌが日本の国民であったという考え方は少し行き過ぎなのではないでしょうか。Vapour 2008年12月20日 (土) 07:42 (UTC)[返信]
「江戸時代から北海道が日本の一部で、アイヌが日本の国民であった」とは、さすがに申しません。しかし、その時期に意図的な排除があって、それによって松前藩も出来たわけで、その結果として明治維新には日本国内との判断が成立したのではないかな?つまり「歴史および地理的な条件から自然に一民族が多数派となった」という表現はどうかな、ということ、それに「期間は日本が大日本帝国として…と一致する」の2点が断定するのはまずい、と思うんですよ。了承を得たようですので、他にご意見がなければ、様子を見て処理します。--Ks 2008年12月20日 (土) 07:48 (UTC)[返信]
ヨーロッパの封建制度では支配者集団と被支配集団のあいだに明確な断絶があり、例えば貴族階級がフランス語、平民・農奴・被征服民が英語・ドイツ語・ロシア語あるいは理解不能の地元の方言を話すなどの状態が普通だったわけです。これが近世になると上から下まで同じ言語と文化による「共同体」国家となるわけですからその結果として同化政策や共通語教育が重要になるわけです。単なる松前藩や薩摩藩の征服によって日本版の民族国家や同化政策が北海道や沖縄に制定されたという解釈は妥当ではないとおもいます。Vapour 2008年12月20日 (土) 13:34 (UTC)[返信]

ついでに「自然」という用語の使用についてですがこれはあくまでも他民族が乱立しているヨーロッパで民族国家が作り上げた経緯と比較してです。マキャヴェッリは「君主論」で征服後の異民族は必ず反乱を起こすので自国民によって植民地化するのが理想であると述べています。日本では戦国時代でもこのような民族浄化・虐殺は行われていなかったと思います。ついでに江戸時代の段階ですでにアイヌの日本四島の人口に占める割合が極少数であったことは事実であると思います。それに日本史で大規模なアイヌの虐殺などは無かったと認識しています。(ここらへんは最新の新しい史実があれば教えてください。)欧米での民族国家の成立の歴史あたりを説明する段階で日本との比較をやれば「自然」という用語を使わずとも同じよう内容を説明できると思います。 Vapour 2008年12月20日 (土) 13:36 (UTC)[返信]

記事の改題

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単一民族国家を「民族国家」に改題した後に「国民国家」の記事と合併したほうがいいいのではないでしょうか。Vapour 2008年12月25日 (木) 07:24 (UTC)[返信]

五日ほど経ちましたが反論も無いことですので改題させてもらいます。世界的視点から見れば「民族(国民)国家」が標準的な用語だと思います。「単一」民族国家は日本の項目で議論します。変更後に反論が有るのでしたら戻します。Vapour 2008年12月31日 (水) 13:13 (UTC)[返信]
普通は1週間は待ちますよ。私にはここのところ判断がしづらいのですが、書かれている内容については、かなりのずれがあると感じています。--Ks 2008年12月31日 (水) 13:22 (UTC)[返信]
失礼、前は国民国家にリダイレクトされていたんですか。で、この張替えは正当なものなんですか?--Ks 2008年12月31日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
会話頁にも書きましたが、コピペ移動はなしですね。国民国家や多民族国家等との間で記述の整理が必要であるにしても現在の記述の民族国家への移動はないだろうと思います。johncapistrano 2008年12月31日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
ついでに単一民族国家論=ethnic nationalismであって国民国家ではないと思います。文献を読んだ訳ではないが、民族国民に既に書かれてあるような問題があるでしょう。johncapistrano 2008年12月31日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
民族国家」が、このページのクローンになっていました。こちらのノートを読ませていただいた上で、「単一民族国家」の方がまだ本家であると判断しました。「民族国家」はこのページのリダイレクトページに戻しておきました。--122.26.95.13 2009年1月9日 (金) 15:49 (UTC)[返信]