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ノート:南満洲鉄道の車両

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記事は全体として、参考1『鉄道ピクトリアル1964年8月号』に基づいて記述されています。史実に基づいた追記・修正は歓迎しますが、その際は必ず出典を明記してください。Alt_winmaerik 2006年10月24日 (火) 12:25 (UTC)[返信]

内燃動車について

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内燃機関使用車両の記号変遷について何箇所か追記致しました。記号が燃料に依っているのですが、当時は現在程燃料の分類が明確でなく、満鉄自体も精製技術研究中で調質可能であったため会社統計の記述が混乱しているように感じられます。具体的には記号分類第3期においては軽油と重油の2種に分類してガソリンを軽油と表記する資料があり、第4期頃に現代の感覚に近い重油・軽油・揮発油になります。参考7『あじあと客・貨車のすべて』pp318「満鉄動車の記号の付け方」の表現に依って石油(ケロシン)と記載しましたが、当時ガソリンカーを石油動車と表現していた訳でもないようですし、現代の分類感覚だと焼玉エンジンを類推させる表現でもあります。識者の方の御意見をお待ちします。 --北の谷 2006年12月24日 (日) 01:34 (UTC)[返信]

戦後中国の車両について

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中国国内の旅行が比較的自由にできるようになったためか、web・blog等で一部満鉄車両の現存報告が増えています。車種・形式毎に追記したい向きもあると思いますが、戦後の中国での利用や現況については満鉄時代の車両の項目と分けた方がよいと考えます。「南満州鉄道の車両」内に項目を設けるか別のページを作ってもらうかも含めて議論があるといいのですが。--北の谷 2007年11月17日 (土) 13:14 (UTC)[返信]

当ページの基本構成を最初に作成した者です。結論から申し上げれば、記事もそれなりに肥大化していますし、項目を分けるより該当形式ごと独立させたほうが良いと思います(無論、新たに書き加えようとする情報量にもよりますが…)。 中文版の沙河口工場の記事ように形式ごとに記事が独立していた方が、特定形式について過去現在の情報を拾うには適していますね。日本語版ですと、例えば海外に渡った9600形蒸気機関車については、華中鉄道台湾鉄路管理局などに概略のみ記載がありますが、9600形にあるように、車両に関する記述は車両の記事に纏まっている方が流れを追いやすいです。時代毎に節を分けるくらいなら、車両毎(or種類ごと)に分けたほうが良いと思います。Alt_Winmaerik 2007年11月17日 (土) 17:32 (UTC)[返信]
問題を提起しましたが言葉足らずでした。「現状の一覧形式で行くならば」満鉄時代の車両の項目と分けた方が~というつもりです。構成自体を形式毎独立と改めて当ページはその「まとめ」という方向性であればAlt winmaerikさんの意見に賛成します。移行するのであれば御指摘の通りボリュームにかなりバラつきがある点が問題になると思います。現状公表されている資料では記述量せいぜい数行という車両も多く出る筈ですので、それらをどう救済するかです。
次のステップでどうかと考えてみました。
  1. 取り敢えず車種でバラす。当頁は車両形式を羅列して車種内の各車両の項にリンクを飛ばす
  2. 車両で独立頁が立ったら当頁からもリンクを張り替える(この時点で車両頁のテンプレートがあると幸せ)
  3. 車両独立頁が出揃った車種は、最終的に中間に位置する車種の頁を廃止する
結構大変そうですね… 御意見を頂ければと思います。 --北の谷 2007年11月17日 (土) 19:38 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。旧満鉄の車両が数多く残っているのであれば、「戦後の旧満鉄車両」などの節を設けて記事がまとめられると思いますが、私見ではそういった記事の対象となる車両は限定的ではないかという印象です。限られているのであれば、該当車両の解説の最後にでも豆知識として加筆しておけば良いのではという考えです。目指している方向性としては、北の谷さんに示していただいた方針には全面的に賛成です(一先ずステップ1に落ち着くと思いますが)。
なお別の議論になりますが、「記事を分割する」というくくりでは、「形式称号と車両解説を分ける」という案もあろうかと思います。…と申しますか初めにこの記事を立てる際に、形式称号と車両解説を別記事にするかどうか正直迷いました。迷った末一緒にしました。満鉄の形式名は一般の鉄道ファンの方にはまだまだなじみが薄く、読んだ方が記号を見ただけで機関車の形態を想像できるケースは稀と思われます。ですので仮に形式称号と車両解説を分けた場合、ある機関車なり形式について調べようとすると、形式称号の記事と車両解説の記事を行ったり来たりすることになり、分散した情報を拾う方も操作が煩雑になります。将来的にステップ1→2→3に伴って記事が分割していった場合も、形式称号と形式名一覧は不可分と思いますがいかがでしょうか(現状では、たまたま形式名一覧と車両解説が一体化しているという認識)。蛇足ですがこの機会にご意見をいただければと思います。Alt_Winmaerik 2007年11月27日 (火) 17:22 (UTC)[返信]
御意見ありがとうございます。提案致しました方針がうまく機能してくれればと願っております。戦後の旧満鉄車両は御指摘の通り、日本人の調査的な視点が入った時点でかなり限定されていたと思われますので、車両や形式毎の記事で追記すればスッキリすると思います。ただ、最近の発表を読むと目撃例をなんでも「あじあ」「テンイネ」「ジテ」に収斂させてしまうような記述も多いため、これらの形式の取扱は注意したいと思います。
形式称号と形式名一覧が不可分という点もAlt winmaerikさんのお考えに賛成です。満鉄式の呼称法に加え、国線との統合や華北交通の支援など政治的事情に絡む転入出・統廃合等は資料を読んでも難しく感じるところです。改番前後で指す車両が違う形式もありますので、参照される方にもある程度体系を理解しながら読んで頂ける形(→形式称号記事と形式名一覧が一体)を維持した方がよいと思います。--北の谷 2007年12月3日 (月) 08:38 (UTC)[返信]
211.121.47.145がアカウントを取りました、フジネリと申します。今回は、戦後の動向も含めて加筆を行いましたが、最終的に車種あるいは形式毎の記事にばらして、戦後の動向もそちらに追記するという方針に賛成です。--フジネリ 2008年1月20日 (日) 19:13 (UTC)[返信]

急行旅客機等の加筆修正について

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追加した参考文献8,9に基づいて加筆修正しました。以下気になった点を。

ハルビン延長時の「あじあ」牽引機について
参考文献1では「パシイ」が牽引とありますが、7,8では国線「パシシ(国小パシ)」が牽引とされています。両者が使用されたということも考えられますが、1935年時点で社線「パシイ」の7両中6両は国線に移って「パシコ」となっており、国線「パシイ」は旧京奉鉄路のパシフィックの形式称号です。このあたり、転属や改称が錯綜していて、単に「パシイ」といった場合どれを指しているのかわからなくて困りますね。
「パシサ」の改称について
参考文献2では「パシナ」に改称とあります。参考文献8は同じ小熊米雄氏の執筆ですが、場所によって「パシナ」だったり「パシハ」だったりします。ひどいところでは節タイトルで「パシナ」、本文中で「パシハ」になっているものもあります。この場合は単純にどちらかが間違えているのでしょうが、改称年である1933年には「あじあ」の計画が開始されたこと、新「パシハ」(ああ、ややこしい)の計画が1937年であることを考えると「パシハ」の方が正しいように思えます。参考文献8で引用されている「南満洲鉄道株式会社第二次十年史」を見れば答えが出そうなのですが。
自己解決しました。参考文献8の記述は私の読み違いで、普通に解釈すれば社線「パシサ(初代)」が社線「パシハ(初代)」に改称され、国線に譲渡時に国線「パシナ」になり、1938年の称号統一時に「パシシ」に編入でした。人を疑う前に自分を疑うべきでした。--フジネリ 2008年1月20日 (日) 19:13 (UTC)[返信]
「パシロ」の記述朝鮮総督府鉄道用に製造されたものはパシコ形と命名されたとの記録もあるについて
鮮鉄「パシコ」は「あかつき」など急行旅客列車牽引用の動輪径1,850mmの重パシフィックで、「パシロ」とは全く異なる機関車ですので、満鉄「パシロ」が鮮鉄で「パシコ」となることはありえないと思います。参考文献2の「パシロ」の項で鮮鉄「パシコ」の話が出てくるのは、川崎車輛の記録が両者を取り違えているのではないかというだけで、両者が同じ形式の機関車であるということではないと思います。
「ミカシ」の牽引力について
D51の5~7倍というのはさすがに大きすぎます。D51の牽引力は標準で16,970kg、増圧形で18,182kg、ミカシは25,600kgですから4~5割増しです。とりあえずコメントアウトしておきました。

--211.121.47.145 2008年1月13日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

その他機関車についても気づいたことがあります。

シカイ形の欄にコメントで1919年(推定)満鉄沙河口工場製。 ←参考文献1に記載があるが、参考文献6により否定について
参考文献1のCタンク機関車と参考文献6のシカイ形は別の機関車です。参考文献8にはそれぞれ記述がありますが、前者は満鉄が導入した機関車、後者は満州国成立により国鉄線に編入された機関車です。

--211.121.47.145 2008年1月13日 (日) 14:52 (UTC)[返信]

たびたびすみません。

ミカサの項:後にブースター装置を搭載し北満鉄道の勾配線にも使用された。について
安奉線などでの使用を目的としてミカイやミカロの従台車をブースター付きの2軸従台車に代える計画があったというのは参考文献8に出ているのですが、実際にブースターつけたというソースは見つけられませんでした。ミカサにブースターのソースを教えていただければ幸いです。
モガイなど満州国鉄線の車両について
この一党は満州国鉄成立時に満州国鉄に編入された雑多な形式の集まりですので、南満州鉄道の車両の項目に含まれるべきではないようにも思います。将来的には満州国鉄の車両という項目を作成して、ミカクなども含めてそちらに移すのが良いと思います。

--211.121.47.145 2008年1月13日 (日) 19:29 (UTC)[返信]

211.121.47.145さん、いろいろご指摘ありがとうございます。D51の牽引力の件含めて、鉄道ピクトリアルに掲載の記事を要約して載せたものですから出典についてはそちらをご確認ください。このノートの冒頭に書いてある通りです。私も5~7倍という値は?という感じでしたが、牽引力というのは速度によっても変わるのでカタログスペックの標準値だけで比較できるものではないと考えたのであえて載せました。ウィキペディアでは検証可能性が重要で、執筆者が妥当と判断している内容を書く場所ではありませんので。コメントアウトに関しては異論はありません。Alt_Winmaerik 2008年2月19日 (火) 09:42 (UTC)[返信]

満洲国鉄線の取扱い・表記について

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3点程気になっております。昔のことですから急ぐ必要はありませんが、指針があると後々の混乱が少ないかと思いまして。蒸気の方手持資料が少なく、問題提起されている件については拝見しておりますがコミット出来ず残念です。
この件に関わる年表 (「満鉄四十年史」より抜粋)
1906/8/1: 満鉄設立
1932/3/1: 「満洲国」建国宣言
1933/2/9: 満洲国有鉄道線経営建設委託契約
1935年度: 北満鉄路買収・人事面の待遇基準の統一
1936/10/1: 鉄道総局設置
1937年度: 満鉄改組
1938/3/5: 満鉄、華北全線の管理掌握
1938/4/1: 形式の項で定義される第4期改番
満鉄の経営陣と関東軍の不仲が背景にあり、当時ハッキリ書けなかったのか今一つ現代の感覚から判り辛いので…
  • 満洲国鉄線受託の時点では取り敢えず満鉄の「形式付番システム」だけ持ち込んだ
  • 各鉄路引継車に「国線」としての形式を採番
  • 国線に応援で送り込む社線・新製車輌は国線では社形式と別に各鉄路引継車の後に継ぎ足し採番
  • その間に社線・国線の運営一元化を進行
  • 1937年度の満鉄改組(満鉄にとっては嫌々)で行政権と産業設備を放棄するかわりに、鉄道の満鉄による一元管理は軍との諒解事項として定着した
  • その仕上げとして1938年の統一改番に至った

と認識しているのですが、合っているでしょうか?

指針を御検討頂きたい3点
「満洲国有鉄道線の車輌形式」をどう扱いますか
最大で5年2ヶ月、途中転配もあり混乱、最後は統合という状況です。分割するか満鉄形式で総覧するかの御議論があれば助かります。
州と洲
南満洲鉄道は一般に「満鉄」で略してあまり問題になりませんが、満洲国有鉄道線では避けられないと思います。当時文献では「まんしゅう」に満「洲」の字を使用しているようです。他のページも混在のようなのでここだけの議論がいいのか判らないのですが、ページ内で混在するとちょっと見辛いので統一した基準があると助かります。
形式の添字
満鉄式の特徴とも言えますが、形式の添字は文字が小さかったようです。旅客用内燃動車の項では勝手にsmallerタグ装飾をしてしまいましたが、見栄え・手間等評価して頂いていずれかに統一したいのですが如何でしょうか。

--北の谷 2008年1月21日 (月) 20:15 (UTC)[返信]

西武鉄道での符番慣例の議論参加のお願い

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突然のお願いです。この項目(一部の項目ではここでなく、その子記事)には皆さんもご存知の通り、鉄道の車両番号における符番慣例が掲載されています。あちこちの鉄道書籍でも見かけるものであり、Wikipediaにおける大手鉄道会社の項目にも、ここに限らず何社かは符番慣例が載ってますね。

ところが不思議な事に「ノート:西武鉄道」だけは符番慣例が独自研究呼ばわりされ、掲載する事を認められていません。

特定一つの大手鉄道会社の項目だけ認められない。どう考えてもおかしいですね?

現在復帰の為にノート議論をしている最中ですが、言いがかりや暴論に近い反対が出ている状態です。そこで是非、こうした鉄道の車両番号における符番慣例に適切な意見(分類そのものは詳しくなくても可、要するにWikipediaの鉄道会社の項目において、何が掲載出来て何が掲載出来ないのか)を主張出来る方の参加をお待ちしております。

またこれに伴い、最初に西武の符番慣例を独自研究呼ばわりしたユーザにもかなり問題がある為(以前から私だけを狙い、ストーカー的編集を繰り返してきた)「Wikipedia:コメント依頼/12425183」も提出しました。こちらも今回の問題と切り離せないほど非常に深い関係があるので(どうして西武の符番慣例が独自研究扱いされたのか、「Wikipedia:コメント依頼/12425183」に詳細が書かれています)コメント依頼も読んだ上で「ノート:西武鉄道」にご参加下さい。コメント依頼も鉄道全般に関係しているので、参加をお待ちしております。

それでは、皆様の良識に期待しております。--こうやま 2008年4月23日 (水) 16:51 (UTC)[返信]

コメント依頼を読みましたが、何が問題なのかいまひとつ理解できないです。物分りが悪くてすみません。でも私見ではコメント依頼の最初の「1」の認識がのっけから誤っている気もするんですが。貴方は「符番慣例」と仰っていますが、少なくともJRに関しては慣例などではなくJR全車両ハンドブックなどの文献できちんと検証可能な記事です。というか資料があるから記事が書けるのではないでしょうか。この満鉄の形式称号についても、資料があるから書ける、ただそれだけのことのように思います。西武鉄道に関して私は関与しておりませんが、要は最初から資料をベースに記事を書けば問題にならなかっただけではないのでしょうか、と思いました。Alt_Winmaerik 2008年4月25日 (金) 08:58 (UTC)[返信]