ノート:南京大虐殺論争/過去ログ3
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- 保護解除(2005-10-22)以前の議論はノート:南京大虐殺論争/過去ログ1をご覧下さい。
- 2005年10月24日から2009年3月2日までの議論はノート:南京大虐殺論争/過去ログ2をご覧下さい。
保護解除提案
[編集]この記事は2006年5月に編集合戦を理由に(実際にはLTA:PEACEによる荒らし)無期限全保護となりましたが、その後長期にわたって議論がないことから保護解除を提案いたします。保護解除に当たっては
この記事はLTA:PEACEの記述を復帰させないことで合意されています。合意を無視して記述の復帰を強行された場合にはLTA:PEACEのブロック破りとして投稿ブロックされる恐れがありますのでご注意下さい。詳細はノート:南京大虐殺論争をご覧ください。 |
という注意書きを貼り付け、もし差し戻しを強行する利用者が現れた場合にはLTA:PEACEとしてWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへ通報すれば問題ないはずです。--Web comic 2009年4月12日 (日) 03:06 (UTC)
しばらく様子を見てみましたが編集合戦が再発したので保護しました。--おはぐろ蜻蛉 2009年6月2日 (火) 14:55 (UTC)
- 合戦ではなく、LTA:PEACEの再来ね。--Los688 2009年6月2日 (火) 16:01 (UTC)
- 変更履歴を確認しました。Los688さんの意見を支持、荒らしなので半保護が妥当と考えます。--Sweeper tamonten 2009年6月2日 (火) 23:05 (UTC)
- 編集合戦ではなく、荒らしであるとのことなのでいったん解除してみました。--おはぐろ蜻蛉 2009年6月4日 (木) 09:16 (UTC)
人口推移
[編集]項目に、日本軍及び中国軍の動員数、人口を集計した資料を追加します。 --みや東亞 2010年9月30日 (木) 07:22 (UTC)
三十万人以上
[編集]項目追加 中国政府、アイリスチャンを30万人以上に追加します。 中国政府の主張を図にまとめます。 --みや東亞 2010年9月11日 (土) 13:30 (UTC)
二十万人以上の項目の追加について
[編集]洞富雄、藤原彰は二十万人以上と主張していますので項目を追加します。--みや東亞 2010年8月27日 (土) 05:50 (UTC)
十万人以上の項目について
[編集]笠原十九司の表を追加しましす --みや東亞 2010年9月15日 (水) 04:28 (UTC)
中国側の主張について
[編集]人口推移の項に「中国側の主張する30万人には、上海戦以降の軍人の犠牲者が入っており、単純に南京の人口と比較することは意味をなさないと指摘する。」とありますが、そのソースはどこからでしょうか?中国人研究者孫宅巍氏は「私たちが言っている30万というのは、まわりの6県その他の地域を入れていない」との発言をしていることからも、中国側の主張では上海戦以降の軍人の犠牲者が入っているとは思えません。--E-commerce 2009年6月9日 (火) 06:32 (UTC)
中国WIKIに死者詳細がありますので転載します。 --みや東亞 2010年8月27日 (土) 05:40 (UTC)
北村稔
[編集]彼の名が見当たらないのですが、「否定説」でよろしいのですかね?--PSIA 2009年6月13日 (土) 16:25 (UTC)
一週間ほど異論がなければ「否定説」に入れたいと思います。--PSIA 2009年6月24日 (水) 14:00 (UTC)
北村が、南京大虐殺が全くないなどと主張した、など初耳ですが、典拠は何でしょうか。私の承知する限り、北村のやっていることは、虐殺の事実関係について検討し、本当の犠牲者数は○○人と結論づける(そうした作業の上に虐殺者数は0人と主張しているなら正真正銘「否定派」なのでしょうが)ことではなく、事件そのものではなく、事件に関係する情報がどのように世界各地に伝播されていったのか、その伝播の仕方に「中国国民党の宣伝工作」があったのではないかとの面について着目し、その伝播の仕方によって、実際の事件よりも誇張されたイメージが広く世界に定着していった可能性を示唆、虐殺があった事実については否定しないが、その犠牲者数については(自分独自の見解としては)言及しない、といった程度の論及(その点で、鈴木明に似通った立場)であるように思えますが、そうでないとのご主張でしょうか。北村が「南京虐殺などなかった」あるいは「被害者数は0人」と明言した著作があるならご提示願います。
ついでですが、あなたによれば、鈴木明は「否定派」で間違いないそうですが、南京大虐殺自体が存在しなかったと彼が主張してたなどと記述できるだけの典拠があるならばそちらについても御提示願います。--Hkato 2009年6月26日 (金) 04:07 (UTC)
- 「被害者が0人」とはっきり発言している人を「否定派」にするんでしたっけ?ならば東中野ですら微妙になってくる感もあるんですがね。まあ、北村も「なかった」発言しているようですし、また世間一般でも南京否定論者扱いされてたりするので、よろしいのではないかと。
- 2007年4月2日の外国特派員協会で北村講演「一般市民を対象とした虐殺はなかったとの結論に達する」と発言(2007/04/19週刊新潮)。
- 「東中野とならぶ「大虐殺否定派」の論客の一人である北村稔」(かけはし2008.1.1号)
- 南京虐殺肯定派のサイトではあちこちで否定派として批判されてます。一例「「南京事件」否定書の北村稔『「南京事件」の探求』」[1]
- 鈴木明で言えば笠原も鈴木を「否定派の中心メンバー」と評していますので、仕方ないかと(笠原『南京事件と日本人』P163)。アナタの個人的感覚でいじられると困るかな、と思った次第です。--PSIA 2009年6月26日 (金) 06:05 (UTC)
北村稔氏についてはこのような見方([2])もあるので一概に「否定派」とすることはできないと思います。また、以前私が編集をおこなった際に北村氏に関する記述を消してしまった([3])ので、必要があればその部分を復帰します。
鈴木明氏は「中間派」とされているようです(当該項目参照)。また、池田信夫blogには南京大虐殺論争について次のような記述がありました。
1972年に本多勝一『中国の旅』が、中国側の主張する「犠牲者30万人」説をそのまま報じ、これに対して翌年、鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』というミスリーディングな題名の本が出たおかげで、混乱した「論争」が始まった。鈴木氏は本多氏のいう「百人斬り」がありえないことを批判しただけで、虐殺が「まぼろし」だったと主張したわけではないが、本多氏側はこれを「まぼろし派」と名づけ、大々的な反論を繰り広げた([4])。
南京大虐殺論争#1971年から1982年までにも、鈴木氏が虐殺自体を否定したわけではない旨が既に記載されています。--花蝶風月雪月花警部 2009年8月19日 (水) 11:45 (UTC)
- 人によって評価も変わるといったところでしょうか。ならば、否定説という抽象的な節のところでなく、こういう説もあるよと新たに節を作って、鈴木なり、北村の主張をそのまま載せておくことが正確でよいかもしれませんね。--PSIA 2009年8月26日 (水) 14:15 (UTC)
仮説カテゴリーについて
[編集]どうしても「仮説」カテゴリーを添付したがる投稿者がいます。仮説とするには内容にそれなりの根拠がなければならないはずですが、どちらの立場からしても、この項目にこのカテゴリーを入れると、「中立的観点」違反になりそうです。どうすれば、よろしいでしょうか?--Carpkazu 2009年11月1日 (日) 14:34 (UTC) (追記)この南京事件関連で仮説と定義すると、は否定派からすれば否定論が仮説なのか、肯定派からすれば肯定論が仮説なのか、といった双方から異議が出かねず中立的観点違反となります。虐殺があったとする肯定論者であり、否定論を「仮説」として定義したいのか、もしくはその反対なのかはの意図は判りませんが、どちらであるとも判断できるのでこのカテゴリーは不適切であると思います。--Carpkazu 2009年11月1日 (日) 14:46 (UTC)
- 現に論争において諸説が存在し、どの説も事実として実証確定していないのになぜそれが「中立的観点」違反になるのですか?Marlermala 2009年11月1日 (日) 14:48 (UTC)
- 本文中にイデオロギー論争だとの主張が掲載されていますし、そういう面も当然あるでしょうが、歴史論争カテゴリの方が適切ですね。johncapistrano 2009年11月1日 (日) 15:11 (UTC)
- 項目名からも現在の「日本の歴史論争」、このカテゴリのほうがいいでしょう。Marlermala 2009年11月1日 (日) 15:15 (UTC)
- この問題のように、互いに相手を罵倒しているような激しく対立する問題に「仮説」とレッテル貼りする行為は、どちらとも解釈できるので、双方から批判を招きかねず危険性が高いといえます。張作霖爆殺事件ソ連特務機関犯行説のように主張しているのが歴史学専門ではない極僅かな場合や、考古学的、科学的論争なら仮説のカテゴリー付けをしても問題ないのですが、この問題のように肯定派、否定派が存在する上に中間派も数多くいて渾然一体となっている場合は、収拾不能になりかねないので、歴史認識もしくは歴史論争のカテゴリーの範疇とするのが無難だと思います。イデオロギー対立を仮説などといって片つけるのは本当にできることではありません。よって「仮説」カテゴリーを外すべきだと主張します。--Carpkazu 2009年11月1日 (日) 15:25 (UTC)
中立的観点は問題ないと思いますね。どちらが「仮説」とされているわけでもないのですし。仮説と言えば仮説でしょう。しかし、それらが仮説であると証明する出典が難しい。ってことでWP:ORということで、仮説カテゴリー挿入は反対者がいる以上、難しいのではないかと考えます。--PSIA 2009年11月1日 (日) 17:39 (UTC)
主な論点#史料批判の「H20になって撤去」について
[編集]「...南京市にある南京大虐殺記念館が南京事件と無関係であると指摘された写真3枚をH20になって撤去するなど、...」という記述があります。 少しネットを見てみましたが、これは2008年12月に産經新聞が報道した内容によっているようです。これに関連して2点の修正を提案します。ご意見をいただければ幸いです。
1) 「H20」というのは、平成20年、つまり2008年のことかと思いますので、「H20」を「2008年」に改めるべきではないでしょうか。
2) この産經新聞の報道は直接はネット上に残っていないようですが、個人ブログ等に残されている記述によれば2008年12月17日付の報道であったようです。南京大虐殺記念館 代表的捏造写真をようやく撤去 南京虐殺は嘘
しかし、この報道は、直後に中国側によって否定されています。南京大虐殺記念館が産経新聞に反発「写真撤去はない」
この件について、中国側の否定声明が明確に誤りであるとするような議論がこれまでになされているなら別ですが、現状では中立的な記述とはいえないのではないでしょうか。 編集としては、注記を加えて、産經新聞の報道の書誌を明記し、また、中国側がこれを否定していることを記すといった対応が必要であると考えます。
こちらについては、問題提起にとどめ、具体的な編集の文言は、これまでこの項目の編集に関わられて来た方々のご意見に委ねたいと思います。 --山田晴通 2010年1月18日 (月) 11:33 (UTC)
3日が経過しましたので、1) については、「H20」を「2008年」に改めます。
また、2) については、以下のように書き改めることを提案します。
現状:「...南京市にある南京大虐殺記念館が南京事件と無関係であると指摘された写真3枚を2008年になって撤去するなど、...」
提案:「...南京市にある南京大虐殺記念館が南京事件と無関係であると指摘された写真3枚を撤去したと2008年に一部で報道されるなど、...」
また、この記述の出典として、南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去 - MSN産経ニュース を脚注に示し、さらに、その脚注の中で、これを否定する報道もあることを、南京大虐殺記念館が産経新聞に反発「写真撤去はない」- サーチナで示したいと思います。具体的には、次の内容を 「...一部で報道されるなど」の直後に入れる脚注として追加したいと思います。
南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去 - MSN産経ニュース (2008年12月17日)による。ただし、この内容を中国側が否定したとする報道、南京大虐殺記念館が産経新聞に反発「写真撤去はない」- サーチナ (2008年12月20日)もある。
内容、スタイル、その他、ご意見がありましたらお寄せください。--山田晴通 2010年1月21日 (木) 16:17 (UTC)
- コメント山田晴通さんの編集に同意します。それにしても「H20」という化学記号のような元号略称表記の仕方(個人的にはこのこうな書き方は・・・)をみると、元々の編集は個人ブログからの無断転載の疑いもあるように感じました。もっとも、この件に関する産経新聞の報道姿勢は中間的観点に問題があるといえます。引用として使っても構わないと言えますが、「一部の報道」という表記で構わないといえますね。--Carpkazu 2010年1月21日 (木) 17:15 (UTC)
- 特にご異論がなかったので、上記の提案のように、本文を編集いたしました。--山田晴通 2010年1月28日 (木) 14:11 (UTC)
主な論点#史料批判の「朝日新聞...謝罪記事を書いたり」について
[編集]直上の点とも関連しますが、別に論点として立てます。
「朝日新聞(S59年8月4日大阪版夕刊)が「南京大虐殺の証拠写真」として掲載した生首写真が、中国軍が馬賊の首を切り落とした写真であることが判明して謝罪記事を書いたり...」という記述があります。
これは「日記と写真もあった 南京大虐殺」と題する1984年の朝日の記事(大阪夕刊の翌朝全国掲載)について、虐殺の証拠写真とされた写真が無関係なものであることが判明し、記事によって虐殺の当事者とされた歩兵二十三連隊の戦友会にあたる「都城二十三連隊会」が抗議し、様々な経緯を経て、1986年1月にごく簡単な「おわび文」が出たものの、その内容に納得しなかった「都城二十三連隊会」が取材情報の開示を求めて「日記」の開示を求める訴えを起こすことになり、朝日は抗告して最終的には和解し、再度の「おわび文」が出されたものの、その後も朝日の対応への批判があるという事件への言及です。「都城二十三連隊会」の立場から見た経緯は、『文藝春秋』1987年5月号「朝日新聞との闘い・われらの場合」に記されています。
また、ウィキペディアの出典として適切か否かは別として、関連する比較的詳しい記述として、朝日報道 都城23連隊と南京虐殺、「南京大虐殺」でっちあげ報道・おわび記事・日記開示命令判決、「朝日新聞」の犯罪などがあります。
これに関連して2点の修正を提案します。ご意見をいただければ幸いです。
1) 「S59年」を「1984年」に改めるべきではないでしょうか。
2) この記述では、朝日が「謝罪記事」を書いたと評価していますが、謝罪とはいえない「訂正記事」に過ぎないという見方もできます。また、実際には足掛け3年に渡る経緯があるこの一件の説明としては、印象が異なるものになっており、中立性を欠いているように思います。
2点目については、(上の「H20」の場合と同様)問題提起にとどめ、具体的な編集の文言は、皆様のご意見を伺ってから具体的に考えたいと思います。
- 失礼しました。以上の書き込みは、山田が 2010年1月22日 (金) 01:49 UTC に行ったものです。署名を忘れましたことをお詫びいたします。--山田晴通 2010年1月24日 (日) 03:35 (UTC)
3日以上が経過しましたので、1) については、「S59年」を「1984年」に改めます。
また、2) については、以下のように書き改めることを提案します。
現状:「...朝日新聞(1984年8月4日大阪版夕刊)が「南京大虐殺の証拠写真」として掲載した生首写真が、中国軍が馬賊の首を切り落とした写真であることが判明して謝罪記事を書いたり、...」
提案:「...朝日新聞(1984年8月4日大阪版夕刊 - 翌朝全国掲載)が「南京大虐殺の証拠写真」として掲載した生首写真が、中国軍が馬賊の首を切り落とした写真であることが判明し、記事中で虐殺に関わったとされた歩兵二十三連隊の戦友会「都城二十三連隊会」が朝日新聞に抗議して訴訟になったり(1986年1月に和解)、...」
また、この記述の典拠として、田辺敏雄による「朝日報道 都城23連隊と南京虐殺」、松尾一郎が関わる電脳日本の歴史研究会による「南京大虐殺」でっちあげ報道・おわび記事・日記開示命令判決を示したいと思います。具体的には、次の内容を 「...訴訟になったり(1986年1月に和解)」の直後に入れる脚注として追加したいと思います。
- 田辺敏雄による「朝日報道 都城23連隊と南京虐殺」、松尾一郎が運営する電脳日本の歴史研究会のサイトにある「朝日新聞」の犯罪を参照。
なお、典拠から、24日の段階で言及した<朝日新聞の偏向を糾明する会>による「「南京大虐殺」でっちあげ報道・おわび記事・日記開示命令判決」を除外したのは、田辺敏雄のようにWikipediaの記述の中で既に言及があるような研究者や、松尾一郎のように項目として立っている論者によるものとは異なると判断したためです。
内容、スタイル、その他、ご意見がありましたらお寄せください。--山田晴通 2010年1月28日 (木) 14:14 (UTC)
- 特にどなたからもコメントはありませんが、3日以上が経過しましたので、2) については、上記のように書き改めます。--山田晴通 2010年1月31日 (日) 20:47 (UTC)
主な論点#史料批判の「肯定説は、否定派による否定論者である松村俊夫は...」について
[編集]引き続き、史料批判の節について修正の提案です。現状では、次のような記述があります。
- 肯定説は、否定派による否定論者である松村俊夫はその著書で、被害者である李秀英について「証言のたびに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠だろう」と書いたことで、名誉を毀損したとして民事裁判を起こされたが、東京地裁は、判決理由で「(松村には、李が)嘘を言ったと信じる相当の理由はなかった」とのべ150万円の支払いを命じた。 (但し、民事裁判においては、判決理由には既判力が及ばない(民事訴訟法114条1項)ので、このような指摘は意味が無い。裁判所はあくまでも当事者の紛争解決機関であり、歴史的事実を認定してその事実を世間に対しても拘束させるものではない。)
これは、2009年7月30日に、IP氏が行った一連の編集の結果、現状の形になったものです。現状では、以下の問題点があると思います。ただし、念のためですが、問題点のすべてがIP氏の責に帰すものではありません。
- 1) 本来の文の始まりである「否定論者である松村俊夫は...」の前に、削除(移動)された別の文の断片が残っており、文の書き出しが意味不明になっています。
- 2) この民事裁判については、「展転社」の記事中に「李秀英名誉毀損裁判」と題した節があり、一定の記述がありますが、そちらへのリンクがありません。
- 3) 括弧書きされた「(但し、..」以下の部分で、「民事裁判においては、判決理由には既判力が及ばない」とあるのは、「民事裁判においては、判決理由は原則として既判力を生じない」の誤記と思われます。(参考:既判力の客観的範囲)
- 4) 続く部分で「このような指摘は意味が無い」とありますが、現状では直前の部分と続けて一文になってるため、裁判の判決理由について「このような指摘は意味が無い」と述べているように読めてしまいます。しかし、文脈から考えると、むしろ、この文の後ろに続く文「裁判所はあくまでも当事者の紛争解決機関であり、歴史的事実を認定してその事実を世間に対しても拘束させるものではない。」と併せて、<このような民事の判断が示されたからといって、それは「歴史的事実を認定してその事実を世間に対しても拘束させるものではない」のであり、肯定派が裁判の判決理由に示された判断を論拠の一つに持ち出すのは「意味が無い」>といった主旨のことを言いたい箇所なのかと思われます。
- 5) 括弧書きされた「(但し、..」以下の部分はやや長いので、地の文となるようにするか、括弧書きではなく脚注とすべきかと思います。
以上の5点について、ご意見を頂戴できれば幸いです。具体的な、修正案は、ご意見を伺った上で改めて提案いたします。--山田晴通 2010年1月31日 (日) 21:34 (UTC)
特にご意見はいただいておりませんが、上記の記述を以下のように編集することを提案します。
- 否定論者である松村俊夫は、被害者・李秀英について「証言のたびに内容がクルクル変わるのは、実体験でない証拠だろう」と著書に書き、名誉毀損に当たるとして民事裁判を1999年9月に起こされた(李秀英名誉毀損裁判)。東京地裁は、判決理由で「(松村には、李が)嘘を言ったと信じる相当の理由はなかった」と述べ、松村に150万円の支払いを命じた。その後、最高裁まで争われたが、2005年1月に上告棄却となり原告の勝訴が確定した。この裁判の判断を重視する論調もあるが、裁判所はあくまでも当事者の紛争解決機関であり、歴史的事実を認定してその事実を世間に対しても拘束させるものではない、という指摘もある。
--山田晴通 2010年2月2日 (火) 22:56 (UTC)
- その後、特にコメントはいただいておりませんが、3日が経過しましたので、上記のように編集したいと思います。なお、不適切な箇所にお気づきの場合は、こちらでご指摘いただければ幸いです。--山田晴通 2010年2月6日 (土) 04:26 (UTC)
伝聞・伝言などについて
[編集]家族、親戚、近所の方、知人、通りすがりの方等から聞いた、南京事件に関する事柄など。せっかくの情報で、聞いた人しか他人からの伝聞だと証言できなくても、確実性や伝言の意味のある事。(但し、話者の都合や意図が入る事もあるので、確実な現実の事を言っていたかどうかは、他の情報の検討も必要とする。)話を聞いたのは事実なのですが、確実な資料としての証明ができないものです。こういった情報が、無駄にならない為に、生かしたいのですが、「南京事件関連」に載せる事は可能でしょうか?
- 昭和40年代前半頃
・「南京事件と言われている事件は、中国の国内革命の中で中国の軍隊がやった事を日本のせいにされている。」(通りすがりの南京事件を知っているらしい40代位の男性からの伝言)
・「中国人は、情報工作やるのに写真の偽造を好んで得意技としている。その場にいる人を消したり、居ない人を付け加えたり、風景や髪型を換えたり、つぎはぎしたりを、まるで本物のように作るのが得意だ。」(都合で、情報工作の事に詳しい男性よりの伝言)
- 昭和50年代前半
・「大陸の人間は、常に国境を接していたので、確実に敵を抹殺する必要も在って、殺人の仕方が日本人が想像もつかない程、残虐で残酷だ。」(戦争に行って来た方より) --N 2010年4月4日 (日) 09:17 (UTC)
- これが裁判であったら伝聞による証言は証拠採用されないところですが。伝聞の場合、当方にもありますが記憶自体が曖昧になったり、思い違いがあるので当てにはなりません。そういった善意であったとしてもどこの誰が言ったかすら判らない確実性のない伝聞情報を「南京事件関連」として載せることは出来ません。仮に載せたとしても「要出典」のタグをつけられるだけです。「話を聞いたのは事実なのですが、確実な資料としての証明ができないものです。」という認識しているのですから、載せることは出来ないですし、主語の「中国人」を「日本人」に置き換えれば彼ら中国人の主張と同じになります。2番目の話など東中野教授の言い分を匿名にしただけにしか思えません。たとえば、3番目のはなしなどは日本人でもやっています。残虐性の話なら、たとえばアメリカ人捕虜を広島市への原爆投下後報復として広島市民が焼き殺したといったはなしがありますが、これは中央公論新書の「広島昭和20年」に載せられている話(著者は中国新聞社の記者)です。このようにNao a jpさんが「聞いた」という話が、著書ないし誰がいつどこでどういった内容だったと出典が明らかにできない以上、載せるべき話ではないですし、3件の話など中国帰りの兵役経験者が言ったとしても別段不思議ではないですが、「匿名性」をいい事に捏造だといわれても仕方ありません。絶対、載せるべきでありませんし、載せないでください。百歩譲って、たとえばこういった書き方なら出典もあって(真実かどうかは別として)問題はないです。「○○の「××」(出版社)によれば、■■にいた時の体験とし、そのような事実があったという。」--Carpkazu 2010年4月4日 (日) 13:00 (UTC)
4月5日の Xenogears1978 さんの編集について
[編集]- 本日、Xenogears1978 さんによって、2回に分けて「1971年から1982年まで」のセクションにノートでの議論を経ていない編集がなされましたが、内容から考えてノートでの議論を必要とするものと思われましたので、差し戻しました。
- 事の重大さを問わずに問題点を列挙すると、まず、以下の3点などが問題点として挙げられます。
- Wikipedia:表記ガイドに沿わない表記
- 百科事典になじまない、不自然な日本語文体
- Wiki文法にそぐわないリンク?の設定
- その上で、1970年代には、南京事件が中国において大きく取り上げられていなかった証明として、1978年12月13日の『人民日報』と、1978年刊の『中学歴史課用世界大事紀年』の紹介が行われている訳です。個人的には、前者については、日本関係の記事で南京事件に関するものがなかったことだけを述べれば十分で、無関係な記事名等は注記でも十分であるように思われますし、後者については、書誌の記載をもう少し詳しくして頂きたいと思います。
- いずれにせよ、この内容の加筆をされるのであれば、ローカルルールに則って行ってください。--山田晴通 2010年4月5日 (月) 06:04 (UTC)
北村稔説
[編集]「虐殺否定説・まぼろし説」のほうに分類されていますが、『探求』には「幕府山の捕虜1万6000」の殺害をあげているのですから、「否定説」「まぼろし説」への分類は誤りと思われます。--Dalaibaatur 2010年5月22日 (土) 16:53 (UTC)
- 移動しました。--Dalaibaatur 2010年9月6日 (月) 21:44 (UTC)
- 移動は了解ですが、北村の記事において、ないリンクを貼らないように願います。--PSIA 2010年9月11日 (土) 19:30 (UTC)
Nakata88氏の投稿 みや東亜利用者ページより
[編集]項目別に編集しました。 --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- 中国のウィキや研究者の一人についての南京の虐殺者の表を大きな割合で掲載するのはPOVです。中国説はまったく学会では受け入れられていませんから、全体的な掲載バランスが崩れます。また、10万人以上の死者があるとの主張の研究者も決して多数派ではないので同じ問題があります。とりあえず削除しましたが、ウィキペディアの記述原則(WP:NPOV)を守るようにお願いします。Nakata88 2010年10月25日 (月) 12:51 (UTC)
- >南京虐殺論争のローカルルールをご確認下さい。ノートでの合意を得てからの編集をお願いします。
- >みや東亞 2010年10月25日 (月) 15:10 (UTC)
- 以上のように私のノートにかかれていますが、みや東亞さん。ローカルルールよく読んでください。私の編集はローカルルールに違反してませんよ。あと、議論はこちらでお願いします。バラバラになるので。Nakata88 2010年10月25日 (月) 15:16 (UTC)
- 南京大虐殺論争の議論はここではなく南京虐殺論争のノートページでお願いします。--みや東亞 2010年10月25日 (月) 15:28 (UTC)
- >中国のウィキや研究者の一人についての南京の虐殺者の表を大きな割合で掲載するのはPOVです。
- 中国WIKIの記述ソースは「南京大屠殺記念館」のHPからとなっております。
- みや東亞さんの編集が問題なのはWP:NPOVに反するからです。中国共産党の主張は日本の学会では支持する人は見られませんし、ある一人の研究者の主張を、表などで記述を大きく割いた場合、ウィキペディアの記述原則とくに中立性の要請に反することになります(WP:NPOV「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」)そんなことをしていたら、様々な立場の人がソースを張りまくって読むに耐えなくなります。
- ルールに違反してないのは、事後的な説明が認められているからです。つまり今やってます。Nakata88 2010年10月25日 (月) 15:56 (UTC)
- POVは中立的な観点を求めています。通説として中国共産党の論を書いてはおりません。各論異論が存在する場合、誰々はこういう主張をしていることを明確にするのが中立的な視点です。
>事後的な説明が認められているからです。
- ローカルルールのどこにこの様な記述が有るのでしょうか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- POVは(WP:NPOV)「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」ことを求めているのです。みや東亞さんの編集は中国共産党の主張のソースを延々とはりまったくバランスが壊れています。
- 当事国である中国の主張は虐殺論争において必要では無いのですか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 16:26 (UTC)
- >当事国である中国の主張は虐殺論争において必要では無いのですか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- もちろん必要ですよ。問題はバランスです。あと当事国の主張ではなく当事国の研究者の主張です。
- バランスを踏まえ笠原の表も提示してますが、問題が有りますか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:36 (UTC)
- >私の編集はローカルルールに違反してませんよ
- 違反してしていないのか根拠をお願いします。どう見てもルール1に抵触していると考えますが? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- >ローカルルールのどこにこの様な記述が有るのでしょうか?
- 第二項です。厳密に言えばリバートされてませんから説明の必要はないかも知れないのですが一応してます。
- 少なくとも3日の期間を置いて編集していますが? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 16:26 (UTC)
- 東亜さんの編集は3日おくとパスあつかいなんですよ。だから問題は私の編集なんです。それを今、説明してるわけです。
- あなたの編集はノートで議論されていません。ローカルルール違反ではないですか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:36 (UTC)
>中国説はまったく学会では受け入れられていませんから
- ここで言う学会とはどちらの学会なのでしょうか? ソースをお願いします。--みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- >日本の学会
日本の学会とはどの学会のことですか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 16:11 (UTC)
- 日本のすべての学会です。中国説に立つ研究者は全く知られていません。Nakata88 2010年10月25日 (月) 16:16 (UTC)
- 「日本のすべての学会」であるのは代表的な学会をあげてください。すべてならば一つ二つはあげることができますよね? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 16:26 (UTC)
- 日本歴史学会とかですが、中国説に立つ日本の研究者が誰かいればそれをあげてくだされば反証になりますよ?Nakata88 2010年10月25日 (月) 16:30 (UTC)
- 日本歴史学会で議論され一定の方向が示されているのであれば、会報である月刊「日本歴史」に南京事件の論文投稿なり論文特集が組まれるはずですが例示出来ますか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:36 (UTC)
- >日本歴史学会で議論され一定の方向が示されているのであれば、
- 私が中国説に立つ研究者の例示を求めているのです。記述されているのはみや東亞さんですから、ソース提示義務があるのはみや東亞さんです。
- あなたが「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、このあなたの主張の根拠を求めているのです。 --みや東亞 2010年10月27日 (水) 02:46 (UTC)
- >10万人以上の死者があるとの主張の研究者も決して多数派ではないので同じ問題があります。
- 高崎隆治(戦争研究家)、洞富雄 (早稲田大学教授)、藤原彰(一橋大学教授)、笠原十九司(都留文科大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、井上久士(駿河台大学教授)、本多勝一(ジャーナリスト)、小野賢二(化学労働者)、渡辺春巳(弁護士)は代表的な研究者ではないのですか? 随分な数ですが --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- これ対するリプライはありませんか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:42 (UTC)
- >は代表的な研究者ではないのですか?
- けっして大多数ではありません。従って、勢力に合わせて提示されていません。(WP:NPOV「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。」)Nakata88 2010年10月25日 (月) 20:49 (UTC)
- 多数派から大多数に論を変更していますね。10万以上が「多数派」です。 --みや東亞 2010年10月27日 (水) 03:04 (UTC)
- スタックは上でお願いします。
- 新たな記載は、最後尾にお願いします。
- 記述は最後尾にお願いします。議論が隠れてしまうのでよくありません。
- 記述は最先部にお願いします。議論が隠れてしまうのでよくありません。先で何か問題が有りますか? --みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:36 (UTC)--みや東亞 2010年10月25日 (月) 18:36 (UTC)
- 記述が最後尾に追加されるべきなのは、ノート記述の準則です(新しい話題はページの一番下に追加するWP:TPG)。
- なるほど 了解しました。 --みや東亞 2010年10月27日 (水) 02:46 (UTC)
- それから項目別に編集するとみや東亜さんはかかれてますが全然項目別になってませんね。みや東亜さんは日本語ネイティブじゃないんですか?項目別に議論するのはみや東亜さんの分類ではちょっと無理だと思いますよ。受け答えもなんかおかしいですしローカルルールも完全に理解されてません。ローカルルールは第一項が原則だとしても、第二項で編集をしてしまってからの合意が認められるため、事後的合意形成に応じればいいことになります。ただし、リバートされてないから、今の状況ではする必要が本来は無いんですが。
- 第二項目を正しく解釈していますか? 3日間にリバートがなければという条件が付いています。あなたの自主的なリバートを要請します。 --みや東亞 2010年10月27日 (水) 02:46 (UTC)
- だから、そこが読めてないんですよ。リバートがなければって主語がだれだかわかってますか?なぜ私がリバートする義務があるんですか?みや東亜さんって、日本語ができてないのでちょっと編集も問題だと思いますよ。Nakata88 2010年10月27日 (水) 04:25 (UTC)
- 第二項の解釈が誤ってます。主語が誰なのかわからないなら、誰かに聞いてみてください。
- 中国説の記述をしたのはみや東亜さんですから、あなたに中国説が学会で支持を受けているという例示が求められているのです。くりかえしますが、だれも30万人という説をとっているひとがいないなら記述分量は維持できません。
- 10万人以上、大多数でないんだから、結論として、記述分量がまったく比例してないという意味です。
- なお、すみませんが、みや東亞さんは、日本語が不自由だと思われるので、項目別編集はしないでください。混乱します。
Nakata88 2010年10月27日 (水) 03:11 (UTC)
- あなたの編集はリバートしました。 --みや東亞 2010年10月27日 (水) 07:29 (UTC)
- あなたが「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、このあなたの主張の根拠を求めているのです。理解出来ますか? --みや東亞 2010年10月27日 (水) 07:36 (UTC)
- ようやく、第二項が理解できたみたいですね。
- 中国説を日本の学会で唱えている人は一人も知られていません、とわたしは主張しているのです。この証明は悪魔の証明なので、できません。また、みや東亜さんには、本文の分量で、中国説をだれが日本で述べているのかを提示する義務があります。よろしく。Nakata88 2010年10月27日 (水) 08:04 (UTC)
- あなたが「中国説はまったく学会では受け入れられていません」と言っているのですよ。「中国説を日本の学会で唱えている人は一人も知られていません」と意味が違いますが? あなたが発言した「日本歴史学会」とは何だったのですか? --みや東亞 2010年10月27日 (水) 08:50 (UTC)
- 中国説は日本の学会で全く支持者がいません。支持者がいないものは証明できないんですよ。全否定ですから。(厳密にいうと、いる可能性はあるんですが、いたところでごく少数ですので、問題は変わりませんが)。証明責任はだからみや東亜さんにうつってます。反論するならみや東亜さんが誰か支持者をあげればいいのです。反論は支持者がいるなら「簡単」なんですよ。ちなみに、中国説の支持者がいないこと、10万人を超える説が日本で大多数でないことが、本文の記述の割合が妥当でないことの理由ですので、みや東亜さんがこの点を論証できない場合、あなたの論証は失敗したと判断されます。よろしく。Nakata88 2010年10月27日 (水) 09:26 (UTC)
- ご自分の主張を他人に証明してもらう。 私にはあなたの言動が理解不能です。 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 07:08 (UTC)
- みや東亜さんの記述は、(WP:NPOV)「論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」という、原則から、記述バランスが崩れているというのが私の編集理由ですから、あなたが、まったく、中国説に立つ人が相当数いることや、10万人以上説にたつ人が大多数であるということが証明できないなら、あなたの記述を削除したのは正当だと言うことになります。だいたい、自分の支持する説について表を差し込むなど、NPOVを大幅に崩しているのは誰が読んでもあきらかです。ご自分でわかりませんか?Nakata88 2010年10月28日 (木) 07:43 (UTC)
- あなたの編集では、30万以上を取る中国側研究者を削除していませんか? どのような理由で削除したのですか? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 09:01 (UTC)
- また多数から大多数に言葉を変えましたね。 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 09:01 (UTC)
- 高崎隆治(戦争研究家)、洞富雄 (早稲田大学教授)、藤原彰(一橋大学教授)、笠原十九司(都留文科大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、井上久士(駿河台大学教授)、本多勝一(ジャーナリスト)、小野賢二(化学労働者)、渡辺春巳(弁護士)は代表的な研究者ではないのですか? 随分な数ですが --みや東亞 2010年10月28日 (木) 09:01 (UTC)
- 他の説が不十分と考えるならば、あなたが追加しては如何がですか? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 09:01 (UTC)
- 多数だろうと、大多数だろうと、同じです。「その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」という要請に反して、記述バランスが崩れているのが編集理由だからです。また、そのバランスが崩れているのを私が新たに表を差し込んで補正するか、それとも、削除で対応するかは私の自由です。さらにいえば、みや東亜さんはご自分が編集してる段階でそのNPOV破壊をおこなっていることが問題なのです。みや東亜さんがそれを理解しながらなお編集を強行するなら破壊的編集者として認識されることになります。Nakata88 2010年10月28日 (木) 09:07 (UTC)
- あなたは南京事件研究者をご存知ですか? http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Category:%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%281937%E5%B9%B4%29%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85 リストアップされている22名中11名が10万以上と主張していますが? これでバランスが崩れているというのは、あなたの認識に問題が有りますね --みや東亞 2010年10月28日 (木) 10:19 (UTC)
- 「あなたの編集では、30万以上を取る中国側研究者を削除していませんか? どのような理由で削除したのですか?」 このご回答はまだでしょうか? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 10:19 (UTC)
- http://en-two.iwiki.icu/wiki/Nanking_Massacre_controversy_and_denial 英語版と見比べてますと日本語版は圧倒的に記述量が少なくなっております。 日本語版記事の追加する方を求めています。 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 10:23 (UTC)
- リストアップされた22名中11名が10万人以上なら、半数は10万人以下だと認識されているわけですよね。少なくともそのように記述してください。そうするのはみや東亜さん自身の、NPOVを維持するために必要な編集をする義務です。
- また、中国説をとっている人たちは、そもそも、誰なんですか?だれの説なのか人的にはっきりさせてください。なお、日本のウィキペディアですから、研究者は日本語の言語空間で活動している人が対象になります。中国説の紹介はその意味で限定的になります。
- 英語版の分量を出されてますが、記述分量の問題ではありません。記述バランスの問題です。みや東亜さんが、あなたの支持しない説すべてについても、表を差し挟んだ編集をしているなら、読みにくさは別にして、問題になりません。みや東亜さんの編集は、ウィキペディアの公式(WP:NPOV)な方針に反してるのです。Nakata88 2010年10月28日 (木) 10:33 (UTC)
- 古い論争ですが、ちょっと気になったので。日本のウィキペディアだから云々と言う認識はおかしいですよ。百科事典として世界標準を目指すべきです。中国版が明らかに他国語版に比べて偏向してるならソースとしての信憑性は無いと思えますが、英語版などに準じているならソースとして問題ないでしょう。また、「日本では」「中国では」「欧米圏では」など、国別の認識として表記するのも一考かと思います。尚、私の指摘はみや東亞さんのNPOV違反を支持する意味合いは持っていません。--Toshi999 2011年8月18日 (木) 21:21 (UTC)
- 「あなたの編集では、30万以上を取る中国側研究者を削除していませんか? どのような理由で削除したのですか?」 このご回答はまだでしょうか? あなたは、この記述はWIKIのどのようなレギュレーションに反すると考えて削除したのですか? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:06 (UTC)
- それでは他の説の表も随時追加しますので少々の猶予をお願いします。 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:06 (UTC)
- >「研究者は日本語の言語空間で活動している人が対象になります。」 あなたのこのような独自解釈は支持しません。中国側研究者の中国語論文は、日本語に訳出され日本語の言語空間に組み込まれています。 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:12 (UTC)
- 中国説というのはありえません。中国は独裁国家ですが、中国人の言論を統一することなどできません。名称を個人名に直さない限り削除対象です。
- >「中国側研究者の中国語論文は、日本語に訳出され日本語の言語空間に組み込まれています」
- 中国の研究者は日本語の言語空間で議論してませんので、ソースが中国語になり、日本語のウィキでは検証可能性が大幅に低下するなど、紹介は部分的になります。そもそも、あなたが中国説として紹介し、個人名が紹介できてないのがその証左でしょう。いい加減に矛盾した言論で引っ張らないでください。
- なお、ほかの説も含めて、すべて表を同時にいれない限りNPOVです。同時に存在するかしないかです。したがって、その表を作るまでは今の状態は元に戻すべきでしょう。Nakata88 2010年10月28日 (木) 11:19 (UTC)
- あなたは、ご自分で「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、なぜ他人に証明を求めるのですか? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:41 (UTC)
- 早くお答えをお願いします。「あなたの編集では、30万以上を取る中国側研究者を削除していませんか? どのような理由で削除したのですか?」 このご回答はまだでしょうか? あなたは、この記述はWIKIのどのようなレギュレーションに反すると考えて削除したのですか? 削除部分には研究者の名前が有りますね。あなたの編集とノートの主張に矛盾が有ります。「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」 --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:41 (UTC)
- >「すべて表を同時にいれない限りNPOVです。同時に存在するかしないかです。したがって、その表を作るまでは今の状態は元に戻すべきでしょう。」 これもあなたの独自解釈ですね。記述に時間差が出ることは普通の事ですが? --みや東亞 2010年10月28日 (木) 11:41 (UTC)
- >あなたは、ご自分で「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、なぜ他人に証明を求めるのですか?
- 記述する方が、立証責任を負うんですよ。わかります?みや東亜さん。
- 中国側研究者ではなく、中国説を削除したのです。表の中国説とは誰の説なんですか?中国説というものは存在しないと繰り返し述べてますがわかりませんか?あなたの記述は、中国人がすべて同じ説を述べていることになってます。そんなことはあり得ません。まあ、完全な、独裁国家なら可能かも知れませんが。
- NPOVを維持するのは、ウィキペディアの公式な見解です。できなければ、みや東亜さんは破壊的編集者ということになります。
- だいたい、中国版WIKIなんて、ソースにならないことがわかりませんか?いいかげんにしてください。
Nakata88 2010年10月28日 (木) 11:54 (UTC)
- 「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」この記述はなぜ削除されたのですか?
- 表の説明に「中国版WIKIによる虐殺の主要地点図」と有りますが見えませんか? 何か問題ですか?
- >だいたい、中国版WIKIなんて、ソースにならないことがわかりませんか? 中国版WIKIがソースにならない理由をお願いします。
- あなたは、ご自分で「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、なぜ他人に証明を求めるのですか? 私は本文にもノートにも 学会云々の記述はしておりませんが? ノートに記述をしたのはあなたです。記述する方が、立証責任を負うんですよ。わかります?
--みや東亞 2010年10月30日 (土) 20:22 (UTC)
- 中国側のあの表の数字が誰の数字なのかをまず確定してください。
- 中国版ウィキの数字はソースになりません。中国版ウィキは3次ソース以下です。信頼できる二次ソースを提示してください。
- 中国説が学会で受け入れられているというソースを記述する側が必要とするのです。おわかりですか?
- すでに、1週間くらい同じ問題で議論しています。みや東亜さんが、きちんとお答えできないなら、そろそろ、次のステップに移ることになります。Nakata88 2010年10月31日 (日) 12:08 (UTC)
- 1 「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」この記述はなぜ削除されたのですか?
- 2 地図のソース http://neverforget.sina.com.cn/crime/map.html
- 3 あなたは、ご自分で「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、なぜ他人に証明を求めるのですか? 私は本文にもノートにも 学会云々の記述はしておりませんが? ノートに記述をしたのはあなたです。記述する方が、立証責任を負うんですよ。わかります?
- 話がループしているのは あなたが答えないためです。
--みや東亞 2010年11月2日 (火) 15:23 (UTC)
- 代表的な学者の名前を聞いているのではありません。表の数字は誰の研究か、そのソースを聞いているのです。
- HPはソースになりません。中国政府の公式見解のようなものがこの件にあるのなら、それはある意味異常ですが、ソースの一つとはいえるかもしれません。しかし、単なるHPでは、地図の信頼性を支える二次ソースには成り得ません。誰の研究かをはっきり書いてください。
- 中国の学会の意見を日本の学者が支持しているというソースを出してください。でなければ、あなたの記述は維持できません。
- 以上の点について、みや東亜さんによる回答が得られないまま、一週間が経過したため、次のステップに移ります。Nakata88 2010年11月2日 (火) 15:32 (UTC)
- 1 「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」この記述はなぜ削除されたのですか?
- 2 >HPはソースになりません。 この時点で論外ですね。そのページには作成元の記述が有りますが?
- 3 あなたは、ご自分で「中国説はまったく学会では受け入れられていません」「日本のすべての学会」と言っているのです、なぜ他人に証明を求めるのですか? 私は本文にもノートにも 学会云々の記述はしておりませんが? ノートに記述をしたのはあなたです。記述する方が、立証責任を負うんですよ。わかります?
- 4 繰り返します 話がループしているのは あなたが答えないためです
--みや東亞 2010年11月2日 (火) 15:37 (UTC)
- 2 地図には 联合制作:新浪网 龙虎网 侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆とありますから 南京虐殺記念館作成の地図がソースにならないとあなたは考えているのですか?
--みや東亞 2010年11月2日 (火) 15:44 (UTC)
- 1 表の数字は誰の数字ですか?
- 2 図の作成者確定しソース付きで「あなたが」図を訂正してください。なお、「联合制作」は、信頼できるソース出はありません。誰が作ったかわからないからです。そもそも、南京記念館自体がプロパガンダをかねていますから、問題がありますが、「联合制作」とは具体的に、どのときのどの集団なのか人的範囲まで確定させてください。そうでなければ、ソースとして論外です。
- 3 中国説を支持している日本人学者をあげてください。
- 4 各説の記述分量の偏りが是正されていません。
- 5 以上の点について、全く、是正が見られないため、次のステップに移ります。Nakata88 2010年11月2日 (火) 15:49 (UTC)
--みや東亞 2010年11月3日 (水) 15:48 (UTC)
- その点について、答える必要などありません。すでにみや東亜さんはリバートされており、そのことについて私は異議を差し挟んでいないからです。
- みや東亜さんは、私の上記の4点の要求に対して誠実に対応されていないため、次のステップに移ることになります。Nakata88 2010年11月3日 (水) 16:42 (UTC)
--みや東亞 2010年11月6日 (土) 03:43 (UTC)
- すでにリバートされている問題で、異議を差し挟んでいないことは、本記事の編集と関係ないため、答える必要はありません。
- みや東亜さんは、私の問題提起について、お答えがないので、その点について、次のステップに移ることになります。Nakata88 2010年11月6日 (土) 05:04 (UTC)
- あなたの編集スタンスとリバートは関係有りません。あなたがノートでの議論及び合意を経ずに編集したのでリバートになっただけです。
「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」この記述はなぜ削除されたのですか? リバートは関係有りません答えてください。
- あなたの問題提起は有効な提起では有りません。あなたは、もう少し事件に関して知識を持たなければなりません。あなたの問題提起には事件の内容が皆無です。
--みや東亞 2010年11月6日 (土) 11:09 (UTC)
- リバートされた件について、異議を書いていなければ同意しているということです。その点に関してそれ以上説明する必要は全くありません。
- みや東亜さんは、上記の書き込みにより、私の提起したほかの問題点について、回答を拒否したと判断します。Nakata88 2010年11月6日 (土) 12:01 (UTC)
- 所用でこちらを閲覧することができませんでした。お詫びいたします。
- あなたの問題点は既知の事でありこちらから回答する必要が有ると考えません。
- 「代表的な研究者は、アイリス・チャン(ジャーナリスト)、孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)」この記述はなぜ削除されたのですか? リバートは関係有りません答えてください。 あなたは自分の編集を説明できないのですか?
--みや東亞 2010年11月13日 (土) 16:07 (UTC)
ステップ3: 第三者を交えて議論する を請求します。 --みや東亞 2010年11月13日 (土) 16:25 (UTC)
- この間の一連の討論は、すでに合意の基準第二項で解決されています。また最初から提起してください。Nakata88 2010年11月14日 (日) 01:15 (UTC)
- 第二項は 「問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。」となっております。11月6日から11月13日は7日以内です。一連の討論は収束していません。
--みや東亞 2010年11月14日 (日) 19:02 (UTC)
- 起算時は11月2日です。みや東亜あさんは、11月2日にあげられた論点について、一週間反論されなかったため、11月9日に一週間が経過しました。これでこのケースについての返答を終了します。Nakata88 2010年11月14日 (日) 19:23 (UTC)
- ローカルルールでは個別の問題に関しての記述は有りませんが? 議論が収束していない期間になぜあなたは編集を強行したのですか?説明を求めます。
--みや東亞 2010年11月19日 (金) 16:16 (UTC)
- 合意の基準 2.問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。
- とあるとおり、異論が提示されていないので、同意したとみなされます。また、反論を求めたことに対して、異論を出さず、放置されていたのはみや東亜さんであることは上記の通りです。この問題は、合意の基準の解釈問題ですが、形式上、対話が続いていれば、全部の論点が未解決のママになるということをみや東亜さんがおっしゃっているのだとすれば、それは実質的に合意形成を機能させないという点で、無意味な規定になります。したがって、私の解釈が妥当だと思います。
- なお、みや東亜さんのようにソースのない破壊的記述に固執する方に対して、このノートの合意の基準は有効ではないことが、物事を複雑にしています。したがって、より有効な合意の基準がありうるのか検討し提起できたらしていきたいと思っています。Nakata88 2010年11月19日 (金) 16:49 (UTC)
>*すでにリバートされている問題で、異議を差し挟んでいないことは、本記事の編集と関係ないため、答える必要はありません。 回答を拒否しているのはあなたですよ。
- あなたの独自解釈が議論を複雑にしています。固執し破壊的編集をしているのはあなたですよ。
- あなたはこちらが示しているソースを理解できない為に、問題を複雑にしています。事件について自分で学習してください。
- 11月6日にまだ議論が収束しておらず、なぜ11月10日の段階でなぜ編集を強硬したのですか? 説明を求めます。
--みや東亞 2010年11月25日 (木) 11:08 (UTC)
- 合意の基準 2.問題提起期間(提起から3日間)に異論が出された場合は、議論において合意を得なければならない。この場合、最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。
- とあるとおり、異論が提示されていないので、同意したとみなされます。また、反論を求めたことに対して、異論を出さず、放置されていたのはみや東亜さんであることは上記の通りです。したがって、起算時は11月2日です。みや東亜あさんは、11月2日にあげられた論点について、一週間反論されなかったため、11月9日に一週間が経過しました。
- なお、この問題は、そもそも、みや東亜さんの編集が、ウィキペディアの編集原則に違反したものであるにもかかわらず、その対応が、ローカルルールのためかえって難しくなっていることにあるので、このローカルルールの廃止を提案したいと思います。普通に、他の記事と同様に、「中国版のウィキペディアはソースにならない」など当たり前のことが簡単に訂正できないようになっていては、ローカルルールは有害です。中国版のウィキペディアがソースになるなら、検閲が可能な中国共産党のやりたい放題でしょう。Nakata88 2010年11月25日 (木) 15:34 (UTC)
ローカルルール廃止の提案から三日以上経過しましたが反論がなかったので、ローカルルールは廃止されました。これからは一般の記事と同じように改変が可能ですが、一般の記事と同じように無茶な改変はそれぞれの記事と同じ方法で問題になることになります。Nakata88 2010年11月29日 (月) 14:56 (UTC)
- 上でローカルルールが廃止されたとかきましたが、ローカルルールの改廃をローカルルールに準拠して決めるのはおかしい気がするので、撤回します。ローカルルールの改廃とその決定についてをちょっと調べてみることにします。失礼しました。Nakata88 2010年11月29日 (月) 15:04 (UTC)
- 1 破壊的編集を強行した理由は何ですか? 回答を求めます。
- 2 あなたは 11月9日の破壊的編集前に、編集する事を表明しましたか?
- 3 これから編集する内容を明らかにしましたか?
- 4 >ウィキペディアの編集原則に違反したものである
根拠を提示してください。 --みや東亞 2010年11月30日 (火) 21:59 (UTC)
- 破壊的編集とはみや東亜さんの編集です。特に、ウィキペディアの中国版をソースとするのは無茶苦茶です。みや東亜さんはWP:RSを一回精読してください。ウィキペディアの中国版は明白に3次ソースです。
- 11月2日に編集点を列挙してます。
- みや東亜さん。中国国内の言論がいかに政治的であろうとも、きちんと個人名で発言されている方はいることは、あなた自身がかかれているとおりです。ウィキペディアのソースにはそのような方のソースを用いてください。ウィキペディアのソースに関するルールをよくご理解願います。
- また、自分の支持する立場にだけ、巨大な表を入れるのもウィキペディアのルール違反です(Wikipedia:中立的な観点)よろしくお願いします。Nakata88 2010年12月1日 (水) 01:16 (UTC)
- 1 破壊的編集を強行した理由は何ですか? まだ回答が有りません回答を求めます。
- 2 以上の11月2日の記事のどこに編集点を列挙されているですか 明確にしてください。以下のあなたの書き込みのどこに編集点を列挙しているのですか?
>*1 表の数字は誰の数字ですか? >*2 図の作成者確定しソース付きで「あなたが」図を訂正してください。なお、「联合制作」は、信頼できるソース出はありません。誰が作ったかわからないからです。そもそも、南京記念館自体がプロパガンダをかねていますから、問題がありますが、「联合制作」とは具体的に、どのときのどの集団なのか人的範囲まで確定させてください。そうでなければ、ソースとして論外です。 >*3 中国説を支持している日本人学者をあげてください。 >*4 各説の記述分量の偏りが是正されていません。 >*5 以上の点について、全く、是正が見られないため、次のステップに移ります。Nakata88 2010年11月2日 (火) 15:49 (UTC)
- 3 >特に、ウィキペディアの中国版をソースとするのは無茶苦茶です。 無茶苦茶な理由をあげてください。
- 4 >自分の支持する立場にだけ、巨大な表を入れるのもウィキペディアのルール違反です あなたは笠原説の表も削除していますね。笠原説表削除の理由をあげてください。
--みや東亞 2010年12月4日 (土) 09:40 (UTC)
- 1,2,についてはソースが欠けていること明示しています。ソースが欠けているため削除対象となります。4,5,はみや東亜さんのPOVな表の挿入についてです。つまり、上述の問題点をくり返したものです。編集はそれを実行したものとなっています。なお、このみや東亜さんの編集についてはウィキペディアの編集原則に反した編集であることは上述したとおりです。
- 笠原説であろうと誰の説であろうと、非常に対立の激しい問題について、圧倒的多数説でもないのに、誰か一人をピックアップしてその説の巨大な表を入れるのは一種のプロパガンダです。それはウィキペディアのNPOVの要請に反します。
- このような編集行為の主張を続けられるなら、みや東亜さんは根本的にNPOVな記事の条件を理解されてないとしか言いようがありません。
- 実際にこういうスタンスで編集をされつづけるなら、みや東亜さんに対するコメント依頼なども考えざるを得ないと思います。Nakata88 2010年12月5日 (日) 11:47 (UTC)
- 1 あなたは編集をするといつ表明しましたか? LOGを読む限りありませんが?
- 2 回答がありません 質問を再掲します。
- 2 以上の11月2日の記事のどこに編集点を列挙されているですか 明確にしてください。以下のあなたの書き込みのどこに編集点を列挙しているのですか?
>*1 表の数字は誰の数字ですか? >*2 図の作成者確定しソース付きで「あなたが」図を訂正してください。なお、「联合制作」は、信頼できるソース出はありません。誰が作ったかわからないからです。そもそも、南京記念館自体がプロパガンダをかねていますから、問題がありますが、「联合制作」とは具体的に、どのときのどの集団なのか人的範囲まで確定させてください。そうでなければ、ソースとして論外です。 >*3 中国説を支持している日本人学者をあげてください。 >*4 各説の記述分量の偏りが是正されていません。 >*5 以上の点について、全く、是正が見られないため、次のステップに移ります。Nakata88 2010年11月2日 (火) 15:49 (UTC)
- 3 これも回答がありません。 >特に、ウィキペディアの中国版をソースとするのは無茶苦茶です。 無茶苦茶な理由をあげてください。 中国WIKIがソースにならない理由が意味不明です。
- 4 笠原説は多数派です。圧倒的多数説でなければ表を掲載できないとは、あなたの独自解釈です。
--みや東亞 2010年12月10日 (金) 05:54 (UTC)
- ウィキペディアは信頼できる二次ソースをソースとして必要だとあげています。ウィキペディアは3次ソースです。WP:RS。
- 笠原説は、一人説です。同じような立場の人をあわせても半分に達するかどうかです。自分の支持する立場にだけ、巨大な表を入れるのもウィキペディアのルール違反です。Wikipedia:中立的な観点を読んでください。Nakata88 2010年12月11日 (土) 20:52 (UTC)
- 1 あなたは編集をするといつ表明しましたか? LOGを読む限りありませんが? 回答がありません 質問を再掲します。
- 2 >特に、ウィキペディアの中国版をソースとするのは無茶苦茶です。
中国WIKIの記述は「南京大虐殺記念館」の発表を元に記述されています。 中国国内に30万人説が存在するソースとして充分です。 事件が発生した中国での説を詳しく解説する事に不満がありますか?
- 3 >笠原説は、一人説です。同じような立場の人をあわせても半分に達するかどうかです。
では笠原説以上に支持されている説を提示しください。 今のところ笠原説がメジャーな説です。 今後は不明ですが。 --みや東亞 2010年12月16日 (木) 10:57 (UTC)
プロパガンダ説の国際連盟の記述の事実相違について
[編集]「南京事件は南京陥落後に中国政府が国際連盟で「南京で2万人の虐殺と数千の暴行があった」と演説したのが最初だが国際社会からは真剣に受け止められず非難決議もなかった。」という記述については、いくつか事実相違があります。
「南京事件は~国際連盟で~と演説したのが最初だが」→ 南京事件は欧米メディアの南京特派員のリアルタイムな報道が最初。 翌年の中国の演説は新聞記事の引用。
「国際社会からは真剣に受け止められず」→ 中国が提出した国際支援決議案は可決されています。南京事件の演説はこの決議案についてのもの。
「非難決議もなかった。」→ 中国政府は南京事件の非難決議案をそもそも提出していないのだから当たり前です。これを理由に「国際社会からは真剣に受け止められず」とは言えません。
このような理由で、上記の記事を「南京事件は南京陥落時に欧米メディアによって報道されたのが最初で、翌年の第100回国際連盟理事会において中国代表は「南京で2万人の虐殺と数千の暴行があった」というタイムズ紙、デーリーテレグラフ紙、モーニングポスト紙の記事を引用して演説し、国際援助の決議案を提出。決議案は1938年2月2日に可決された。」という記述に修正することを提案致します。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 01:05 (UTC)
- その記述を裏付ける信頼できる二次ソースが必要です。信頼できる情報源・独自研究を読んでみてください。Nakata88 2010年12月15日 (水) 05:48 (UTC)
プロパガンダ説の項目全体が、記述を裏付ける二次ソースが不明です。誰の主張なのかという主語すらありません。発言主体不明で二次ソースもなしということで全面削除ということでよろしいでしょうか?--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 06:27 (UTC)
- どこのことかよくわかりません。見解を求めるなら編集点を明示して示して下さい。なお、ソースがないことは一般に削除理由になるのでその通りなら特に反対する理由もありません。ただ、その通りかどうかはチェック対象です。Nakata88 2010年12月15日 (水) 06:36 (UTC)
まず、この項目の最後の、「また大屠殺記念館の館長は日本のテレビ局[要出典]の取材で30万という数字が政治的な数字である事を認めている。」という一文は、プロパガンダ説についての解説の文章になっていません。二次ソースも不明です。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 07:38 (UTC)
このようなプロパガンダ説は、南京大虐殺論争史で論争のテーマになったことはないはずですが、歴史学者の方たちが論争した事実はあるでしょうか?
また、歴史的事実の真偽の検証とは直接関係のない主張でもありますので、この二つの理由により「南京大虐殺論争」の趣旨に外れているように思われます。
この項目自体、削除が適当と考えます。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 13:47 (UTC)
削除の提案から7日間以上が経過しましたので、ローカルルールの「最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。」規定により合意成立でプロパガンダ説は削除します。--Xyzabct 2010年12月25日 (土) 18:07 (UTC)
『文藝春秋』のダーディンのインタビュー記事について
[編集]「実際に上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)なかった」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」と述べていると伝えられている」
という記述は、「上海から南京へ向かう途中」の話と、「南京陥落後」の記事を混同させる表現で著しく公正さを欠いていますので、下記のような修正を提案致します。
「実際に上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)なかった」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」と述べている、というような「上海から南京へ向かう途中」の話と混同させて「南京陥落後」の記事を否定しようというトリッキーな主張がなされるまでに至っている。」--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 03:05 (UTC)
- 上でも書きましたが、その記述を裏付ける信頼できる二次ソースが必要です。信頼できる情報源・独自研究を読んでみてください。混同した記述なら訂正すればいいですが、トリッキーな主張という部分は多分独自研究でしょうから記載できません。Nakata88 2010年12月15日 (水) 05:51 (UTC)
それでは、読者が混同しないように「(注)このインタビュー記事は「上海から南京へ向かう途中」の話であって、ダーティンの記事の「南京陥落後」の話ではないことに注意」という注釈を挿入しておきましょう。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 06:41 (UTC)
- 引用を読むと、この記者は中国軍に帯同して南京まで行っているのですから陥落後も当然みていることになります。陥落前に脱出したなら別ですが。その点で、Xyzabctさんの解釈は特異なので、ソースが必要だと思います。Nakata88 2010年12月15日 (水) 07:44 (UTC)
何か誤解されているようですがダーティンの記事というのは「南京陥落後」の虐殺の自身の目撃と伝聞によるもので、『文藝春秋』のインタビュー記事は「上海から南京へ向かう途中」は虐殺は見ていませんというものです。両者はまったく時間的に別物です。元の記述には誤りがなくても、読者が両者を混同して勘違いするおそれがあるということです。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 07:55 (UTC)
- ダーディンは自身が陥落後に南京を離れるまでの経験を語っているので期間は短いですが南京陥落後も含んでいると考えられます。向かう途中「だけ」というのは特異な解釈だと思います。Nakata88 2010年12月15日 (水) 08:04 (UTC)
該当する箇所はここ
古森義久インタビュー(文藝春秋1989.10から・一部抜粋)
古森「日本軍のその種の非人道的な軍事戦略は南京以外ではあまりうかがわれなかったということでしたね。」
ダーティン「日本軍は南京攻略のあと漢口を攻撃して占拠しましたが、私はそのとき漢口にいました。
その際には無差別とか大量の殺戮というのはまったくみませんでした。
中国の国民党政権が南京での虐殺を内外に向けて宣伝し、非難していたので日本側も気をつけるようになったのかもしれません」
そして南京陥落後のインタビューはこちら
古森「日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。」
ダーティン「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
銃剣を使う場合もあった。
とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
「南京の日本軍兵士は、上層部から略奪や虐殺をしてもよいという通達を受けているような印象を、私は受けました。『中国人は殺せ』というような命令ではないにせよ、『殺してもかまわない』というような通達です。こうした行動は私には大きなおどろきでした」
というわけで、漢口の話を誇張して書いた元の記述は文春記事の内容と大きく異なっていますので、修正させていただきます。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 08:44 (UTC)
- それ、両方の引用が矛盾しているだけでなく、同一の部分の引用ではないでしょう。引用が矛盾する場合は両方かかれた方がいいともいます。特に同一人ならその発言の信憑性が減殺されます。なお、引用部分のページ数も明示してください。検証可能なように。Nakata88 2010年12月15日 (水) 11:24 (UTC)
「上海から南京へ向かう途中」の部分が含まれるインタビュー箇所
古森「(日本軍の虐殺行為に驚いた)どうしてですか。」
ダーティン「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。
上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。
漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。
南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」
やはり、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」という元の記述の要約は、文春の記事とは大きく異なっていますので、修正が必要のようです。
あと、元の記述には引用部分のページ数が明示されていないのに、どうやって検証をするおつもりなのでしょうか?--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 11:58 (UTC)
- 「上海から南京へ向かう途中」の文章は出典どおりの記載であり、何も問題はありません。より詳細に記載したいというならば、合意を得てからいじってください。私としては、出典先を詳細に記載することに反対はしません。以下の文章ならば記載に同意します。
- 実際に上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)それはありませんでした。」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃しなかったし、聞いたこともありません」「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかった」「上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。」として「上海から南京までの間で日本軍による大規模な殺害や略奪があった」という一部の説とはくいちがっている証言をしつつも、南京においては「数多くの関係者に質問し、自分の体験や見聞も含めて推定した数」として数千の民間人の殺害があったと主張した。また南京の『安全地区』には10万人ほどおり、そこに日本軍が入ってきたが、中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因であるとしている。
- 引用部分のページ数が明示されることは親切ではありますが、そうしなければ記載できないというルールはありません。ページ数がなくとも検証はできますからね。--PSIA 2010年12月19日 (日) 18:00 (UTC)
ダーディンの「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです」という発言の「その種の虐殺」というのは南京大虐殺のような虐殺を指しているのですから、虐殺一般を見なかったと解釈するのは適当ではありません。また、「中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因であるとしている。」という記述に該当するダーディンの発言はどのようなものでしょうか?--Xyzabct 2010年12月20日 (月) 07:13 (UTC)
- えっと、出典どおりの記載なのであなたの解説・解釈は必要ありません。「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです」という彼の発言をそのまま載せれば良いだけです。独自研究はお止めください。「南京も含めて虐殺を見なかった」とは彼は言っていないし、上記の引用でもそのようなことは書かれておりませんので、「虐殺一般を見なかった」というあなた独自の解釈はどこにも書かれておりません。また、『「中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因であるとしている。」という記述に該当するダーディンの発言はどのようなものでしょうか?』とのことですが、あなたはしっかり検証して参加しているのですか?検証の可能性は提供されているのですから、私に聞くのでなくご自身で調べてください。
- 今回だけはサービスで答えてあげます。
- (古森)『安全地区』には何人くらいが集まっていたのでしょうか。
- (ダーディン)「私の当時の推定では約10万人だったと思います。しかしここにも日本軍が入ってきました。中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因だといえばいえます。そのために日本軍に『安全地区』に入って捜査をする口実を与えてしまった。兵隊ならば衣類を脱ぐと、銃や背嚢(はいのう)をかついでいた跡が半分タコのようになって体に残っているのがわかるとというのです。若い中国の男たちはみな日本軍に調べられ、兵士だと断定されると『安全地区』内でも殺されるというケースがよくありました。ただ日本軍も外部からいきなり『安全地区』に攻撃をかけるようなことはしなかった。」
- ダーディンについては当時の報道と後の証言では、ニュアンスの違いが多く見られます。こういう事実もしっかり載せる必要性を感じております。
- 一例(『南京事件資料集』アメリカ関係資料編)下関地区では、それこそ大勢の兵隊が邑江門から脱出しようとして、お互いに衝突したり、踏みつけあったりしたのです。前にもお話したような気がしますが、私たちが南京を出るときに、この門を通りましたが、車は死体の山の上を走らねばなりませんでした。この門から脱出しようとした中国軍の死骸です。中国軍はあちこちで城壁に攀じ登り脱出を試みました、これらの死体の山は日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で戦闘はありませんでした。
- とにかくXyzabctさんは、ローカルルールをもう一度しっかりお読みください。こちらの記事において現状を変更する場合はノートで同意が必要です。コミュニティーで作成したルールを破って強行編集しないようお願いいたします。--PSIA 2010年12月20日 (月) 16:45 (UTC)
ダーディンのインタビュー記事において「中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因であるとしている。」という書き換えを提案されているのはPSIAさんなのですから、インタビュー記事の該当する発言を示すことができないということでしたら、PSIAの記述の信憑性が疑われることになります。いったい何を根拠にされたのでしょうか? 記事の変更を提案された方が説明できないようでは話になりません。信憑性なしということでダーディンの記事の書き換えには反対します。
ダーディンの南京市内の記事の一部のみを引用して全体的に日本軍が虐殺に関与していなかのごとく印象づける書き方はフェアとは言えません。ダーディンは日本軍の虐殺の関与をしっかりと記事にしています。
(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P417~P422) 何千人という捕虜が日本軍に処刑された。安全区に収容されていた中国兵のほとんどが、集団で銃殺された。市は一軒一軒しらみつぶしに捜索され、肩に背嚢の痕のある者や、その他兵士の印のある者が探し出された。彼らは集められて処刑された。 多くが発見された場所で殺害されたが、なかには、軍とはなんの関わりもない者や、負傷兵、怪我をした一般市民が含まれていた。記者は、水曜日の二、三時間の間に、三つの集団処刑を目撃した。そのうちの一つは、交通部近くの防空壕で、一〇〇人を越す兵隊の一団に、戦車砲による発砲がなされた虐殺であった。
「南京も含めて虐殺を見なかった」とは彼は言っていないし、・・・ということなら、南京以外の虐殺の有無の話などダーディンの南京大虐殺についての記事の信憑性になんら関係ないインタビュー発言ということになります。南京大虐殺の真偽、当時の南京の記事の信憑性についての記述で、南京以外の話のインタビュー記事をひきあいに出すのは適当ではありません。というより、無関係なものを結びつけるという印象操作による騙しです。南京以外の話が、ダーディンの南京市内の記事の信憑性と一体どんな関係があるというのでしょうか?
なお、古森義久氏がインタビューアですが、この人は2007年5月5日にAP通信のソース記事を曲げて捏造記事を書いて22日に産経新聞が訂正記事を出した、という不祥事を起こした人物です。このような注釈は入れておいた方がいいかもしれません。--Xyzabct 2010年12月21日 (火) 08:56 (UTC)
論点を簡単にまとめます。
「当時の報道についての議論」の1989年のダーディンのインタビュー記事というのは、否定派の主張の説明であり、前の文の”誤情報を報告されていたのではないか」としている”の文を受けて、"実際に"後年ダーディンは当時の自分の記事とは矛盾したこんな発言をしているという文意です。これはダーディンの発言の期間が南京陥落後も含んでいることが大前提です。
しかし、ダーディンはインタビュー記事では、先に原文を引用したように、南京陥落後の虐殺の証言をしています。 ダーデンの「虐殺は見なかった」発言は南京陥落後は含まれていなかったわけです。
ところが、現在の記述だと多くの人が「南京陥落後」も含めて「虐殺を見なかった」という誤読を誘う書き方になっています。 多くの読者の誤読を誘う極めて不適切な記述であることは、このノートでの先のNakata88さんの発言でも証明されています。
Nakata88さんの発言 「ダーディンは自身が陥落後に南京を離れるまでの経験を語っているので期間は短いですが南京陥落後も含んでいると考えられます。向かう途中「だけ」というのは特異な解釈だと思います。Nakata88 2010年12月15日 (水) 08:04 (UTC)」
よって、「南京陥落後」も期間に含めて「虐殺を見なかった」かのごとく読者の誤読を誘うような記述は公正さを欠くものであり、削除を提案致します。
また、誤読ではない本来の意味なら「南京以外では虐殺を見なかった」発言など、否定派の主張の解説としてまったく意味をなさなくなりますので、どちらにしてもダーディンのインタビューの記述は削除が妥当です。--Xyzabct 2010年12月22日 (水) 13:04 (UTC)
- >書き換えを提案されているのはPSIAさんなのですから、インタビュー記事の該当する発言を示すことができないということでしたら、PSIAの記述の信憑性が疑われることになります。いったい何を根拠にされたのでしょうか?
- まず私が書き換えを提案しているというより、私が記載してから3日たってリバートはありませんでしたので、ルール上、すでに記載可能な文章ですのであしからず。逆にあなたの記載は3日内にリバートされましたので合意を得るまで本文に記載できないことをご理解ください。で、根拠はすでにサービスで提示してあげてますが、読解力は大丈夫でしょうか?
- >ダーディンの南京市内の記事の一部のみを引用して全体的に日本軍が虐殺に関与していなかのごとく印象づける
- そのようなことは本文のどこにも書かれていません。私の上記提案文でもダーディンは南京では数千の殺害があったと主張していることを記載してあります。独自解釈はお止めください。
- >(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P417~P422) 何千人という捕虜が日本軍に処刑された。安全区に収容されていた中国兵のほとんどが、集団で銃殺された。
- その記載をしたければpovを保つために以下の3点の記載があれば反対はしません。
- 1、(『南京事件資料集』アメリカ関係資料編)においては、「下関地区では、中国軍の死骸があったが、これらの死体の山は日本軍がここを占領する前にできたように思うのです。この地域で戦闘はありませんでした。」と言っている事。
- 2、南京においては「数多くの関係者に質問し、自分の体験や見聞も含めて推定した数」として数千の民間人の殺害があったと主張していること(文藝春秋1989.10)。
- 3、南京の『安全地区』には10万人ほどおり、そこに日本軍が入ってきたが、中国兵が多数まぎれこんで民間人を装っていたことが原因であると後日に述べていること(文藝春秋1989.10)。
- >南京大虐殺の真偽、当時の南京の記事の信憑性についての記述
- 私たちが真実を判断する必要はなく、検証の可能性があるか否かが必要なのです。あなたが真偽を判断した時点で独自研究ですので、もう一度方針を熟読してください。削除・隠蔽する必要性は残念ながら皆無です。--PSIA 2010年12月23日 (木) 16:29 (UTC)
>>ダーディンの南京市内の記事の一部のみを引用して全体的に日本軍が虐殺に関与していなかのごとく印象づける >そのようなことは本文のどこにも書かれていません 書かれています。 本文に記述されているのは南京以外では「虐殺は見なかった」という話です。 実際のインタビュー記事には、「南京では虐殺を見た」話をしています。 本文では「南京以外」では虐殺を見なかった話のみを書き、「南京で」虐殺を見た話を書いていないのです。 そして、本文は、前の文の「誤情報を報告されていたのではないかとしている」というのを受けて、「実際に」このような矛盾がある、という論理展開の説明になっていますが、そのような矛盾が存在しないことは前に説明した通りです。よって、間違った内容ですので削除が適当です。 もしもそうでないと主張されるのなら、本文の冒頭の「実際に」の意味と、前の文と本文の文意を説明してください。 前の文とは関係なく事実のみを書いていると強弁される場合は、「否定派の主張とは無関係な文」ということになり、やはり削除が適当です。--Xyzabct 2010年12月24日 (金) 08:59 (UTC)
PSIAさん提案の修正文については、ダーディンが結局「南京での虐殺」を主張しているという内容で否定派の主張の解説になっていませんので、この節では不適当であることは言うまでもありません。前の文の「誤情報」の例になっていません。--Xyzabct 2010年12月24日 (金) 10:16 (UTC)
- >本文では「南京以外」では虐殺を見なかった話のみを書き、「南京で」虐殺を見た話を書いていないのです。
- その通りです。「南京以外」について出典のままの記載となっています。そして南京における主張を書きたいのならば、POVを保つために私が上記で提示した3点の記載があれば同意するということです。ダーディンの報道とその後の主張の「矛盾」は上記で私が提示したように存在していますので、それをよりわかりやすく提示すべきでしょうね。出典記載を除去・隠蔽することは賛同できません。残念ですがあきらめてください。--PSIA 2010年12月24日 (金) 16:09 (UTC)
「出典のままの記載」を問題にしているのではなく、本文は「見なかった」発言のみを取り上げて「見た」発言を隠蔽しているのは極めて公正さを欠いていると言っているのです。これが一点目。反論するならこの点をごまかさずに釈明してください。
また、ダーディンは南京までの行程での虐殺の記事は書いてないのですからなんの矛盾もありません。これが二点目。本文の「上海から南京へ向かう途中に」云々は、具体的にどの記事と矛盾しているというのでしょうか?
そして、PSIAさんの訂正文は、結局、「南京で虐殺を見た」という話ですから、前の文との関連性がありません。「日本政府(もしくは軍部)」に「報告されていたかもしれない」ダーディンの「誤情報」を主張するなら、根拠となる「報告されていたかもしれない」記事とやらを示してください。これが三点目。
特に二点目と三点目は具体的に資料を示していただかないと議論になりませんので、くれぐれも中身のない主張で議論妨害をされないようによろしくお願いします。--Xyzabct 2010年12月25日 (土) 14:24 (UTC)
- いやいや、「出典のままの記載」は重要ですよ、私たちの考えは必要ないですからね。「上海から南京」について、日本軍があれこれや行ったと主張するものがいる中でダーディンは日本軍が何もしていないことを証言しており、この事実を隠蔽消する必要はどこにもございません。矛盾については言葉選びが間違えていました。より正確にダーディンが何を語っているのかを載せるために当時のニューヨークタイムスだけでなく、その後の証言もしっかりと載せることがNPOVということです。ダーディンの南京地域における主張を載せたいのであれば、NPOVとするために上記で私が提示した三点も共に記載させていただく条件ならばOKするというものです。矛盾といえばダーディンの南京地域のみにおける主張をありがたく頂き、一方の「なにもしていなかった」論は無視という人の考え方でしょうかねえ。譲歩がなければ合意はない。あなたの希望はこのままでは実現できません。--PSIA 2010年12月26日 (日) 20:04 (UTC)
相変わらず論点ずらしの書き込みを性懲りもなく繰り返されているようですので、ひとつひとつじっくりと片付けていくことにしましょう。
私が指摘した第一点目の「見なかった」ことのみを書き「見た」ことを書かない本文の不公正さについて・・・PSIAさんの異論の提出はなし
ということで、よろしいですね?
なお、PSIAさんの「「上海から南京」について、日本軍があれこれや行ったと主張するものがいる中で」という発言は、もしかして、当時、そんな主張があったということでしょうか? もし自分独自の新説を出されるつもりなら資料を提示してください。戦後の本多勝一の主張なら、日本政府や軍部が偽情報に騙されていたかもしれないという前文とは無関係ということになり、不適当な記述ということになります。--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 01:58 (UTC)
PSIAさんが新たな文案を出しているということは本文が不適切であることを認識しているということですが、「本文は不適切」という合意が成立しているにもかかわらず、自分の文案を載せなければ本文の削除に同意しない、という交換取り引きを執拗に迫るようでしたら悪質行為として報告させていただきます。(警告1回目)--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 03:29 (UTC)
- 時間が無駄になるので、すでに語ったことを繰り返さないように。
- >私が指摘した第一点目の「見なかった」ことのみを書き「見た」ことを書かない本文の不公正さについて・・・PSIAさんの異論の提出はなし
- 独自解釈は困ります。すでに語ったように「上海から南京」についての彼の主張を出典のままに記載されており、何の問題もありません。「上海から南京」の部分についての反論があるならば、それを載せるか検討になりますが、南京地域での話は別ものです。そして南京地域の彼の主張について書きたいのであれば、上記の私の条件をのんで頂かないとPOVですので、よろしくということです。話を理解し進展させてくださいな。あなたができることをわかりやすく指摘しますと、私の上記3点の条件を呑んでダーディン南京の主張を載せるか、上海から南京において殺害や略奪があったとする反論を用意して載せる提案をするか、現状のままか、の3点です。選んでください。話を無駄に繰り返すのであれば「現状のまま」となります。--PSIA 2010年12月27日 (月) 05:17 (UTC)
「上海から南京」での話は、この節ではまったく関係ありません。
この節では、否定派の「南京での」虐殺の情報についての見解が説明されています。南京以外の虐殺の話などまったく触れていません。
本文は、それが偽情報であることの例証の文なのですから、例証として成り立たない「上海から南京」での話は不適切です。
「出典のままに」書かれていようがいまいが、例証として成り立たないのですから、不適切です。
PSIAさんは「例証として成り立っていない」という初歩的なことを理解してますでしょうか?--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 05:57 (UTC)
本文は前文の例証として書かれた文なのにもかかわらず、例証として成り立っていませんので削除が妥当です。
PSIAさんが今後も、「出典のままだろうがなかろうが例証として成り立たないことには変わりがない」という議論をまったく無視して、無意味にひたすら「出典のまま」を繰り返し主張するという議論を拒否する態度を続けられるようでしたら、荒らし行為として報告させていただきます。また削除提案の文と自分の新しい文案を交換条件にしようなんていうのは、もってのほかの悪質行為です。(警告2回目)--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 09:13 (UTC)
- 関係なくはありません。当時の報道についての節ですからね。「実際に」のヒトコトによって「例証」と受け止めたのならば、「実際に」のみの除去は同意しても良いですよ?ダーディンが報道後に何を語っているかを示すためのものですからね。そして南京についての彼の主張を載せたいのであれば、すでに何度も申したように私の上記3点の条件をのんでいただかないとPOVであり記載は反対ということです。また「Wikipedia:荒らしとは何か?しっかり認識してから発言してくださいね。報告するのは自由ですが誰にも相手にされないでしょうね。--PSIA 2010年12月29日 (水) 19:46 (UTC)
人の話を無視して機械的に、「南京についての彼の主張を載せたいのであれば」という架空の話をしていつまで荒らし行為を続けられるつもりでしょうか?
前文の「南京での話」の例証でとして書かれた本文は、「南京以外の話」で例証として成り立っていないから削除すべきという削除提案です。
本文は例証として成り立っていない、ということで異論はないわけですね?
「実際に」のみを除去しても、例証の文であることには変わりがありません。
それから、議論を無視した機械的な繰り返し書き込みの「明白に不誠実な」荒らし行為の他に、「誰にも相手にされないでしょうね」という誹謗中傷も報告しておきます。(警告3回目)--Xyzabct 2010年12月31日 (金) 10:35 (UTC)
ここは「南京大虐殺論争」の項目の「当時の報道についての議論」の節ですので、「南京以外の虐殺」についてかかれた本文は、まったく関係ない話です。
「南京以外」の話をしたければ、「南京以外の虐殺論争」の項目をたちあげて、そちらで議論してください。
南京大虐殺の定義から外れた地域についての本文は、削除が適当です。--Xyzabct 2010年12月31日 (金) 14:59 (UTC)
- 「上海から南京」についても議論があり、報道記者の証言として載せておくことは有効なものです。ただし当該一文が南京事件の記事と重複させてしまっていることに気づきました。あちらからリンクもされているようですし、こちらからもリンクをすることにより、この一文は除去でかまいません。重複している一文を変更して否定派が「伝聞」と主張している「例証」としてダーディンの論を載せるスタイルにしましたのでご確認ください。--PSIA 2011年1月1日 (土) 20:55 (UTC)
PSIAさんのローカルルール違反の編集は元に戻しました。Xyzabct 2011年1月3日 (月) 10:10 (UTC)
- えっと、ローカルルールを破った覚えはありませんが、どういうことでしょうか?編集をリバートされ、それをリバートした、あなたの行為がローカルルール違反だったのはずですがね。しっかりとした「例証」としてほしいという、あなたの要望通りの編集ですが、何か困った編集でしたでしょうか?できましたら個人的思想から隠蔽するような行為はお止めいただきたい。まあ、書かれたくないのなら、強引には書きませんが、現在のままの状態とするしかないでしょうね。合意には譲歩が必要です。--PSIA 2011年1月9日 (日) 10:47 (UTC)
- 議論になっている箇所ですので、合意を得た上で編集すべきだと思いますので、Xyzabctさんのリバートは妥当だと思います。本節は、文章としてだいぶイビツとなっているようですので、大きく修正をする必要を感じます。だいぶ冗長な部分が多いようですので、目的を絞って記述する必要を感じます。--ちゃんこなべ 2011年1月9日 (日) 12:10 (UTC)
- 合意を得た上で編集することは素晴らしいことです。しかし、合意がない上で新たな編集をすることは、「ローカルルール違反」ではありません。2項をしっかりお読みください。合意なき編集をした上で、リバートされた場合はノートにて提案合意が必要なのです。Xyzabct氏はそれをせずに幾度かリバートし返したのでローカルルール違反をした方なのです。さて、「例証」提示のなにが「イビツ」なのか詳細に説明しないと誰も納得が出来ません。--PSIA 2011年1月9日 (日) 12:29 (UTC)
PSIAさんの編集はリバートではなく新たな文章の加筆です。完璧なローカルルール違反です。どこがリバートなんでしょうか? Xyzabct 2011年1月9日 (日) 14:09 (UTC)
「Xyzabct氏はそれをせずに幾度かリバートし返したのでローカルルール違反をした方なのです。」というのは、合意なきPSIAさんの強行編集のリバートのどのあたりがローカルルール違反なのでしょうか? --Xyzabct 2011年1月9日 (日) 15:19 (UTC)
2項というのはローカルルールを破って合意なき強行編集をやった場合に編集者がやらなければならならない義務について書かれた規定でしょう。責任があるのはリバートした側ではなく強行編集をした側だと書かれています。--Xyzabct 2011年1月9日 (日) 15:19 (UTC)
この節とは無関係な「南京以外」について書かれた本文の削除案については異論は無し、ということでよろしいでしょうか?
「推定の人数なら信憑性がない」という主旨のPSIAさんの別の話の加筆案についてはこれとは別に論議すべきことです。Xyzabct 2011年1月9日 (日) 15:47 (UTC)
- (賛成)冗長となりますので、南京以外について書いてある部分は削除すべきだと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月12日 (水) 00:48 (UTC)
- Xyzabct氏へ。ノートで提案なく新たな編集をすることは2項がある以上、ローカルルール違反ではありません。リバートした者(反対者)がいた場合はノートで合意を得る努力をしなければならないのです。新たな編集をし、リバートされ(反対され)、それをリバートし返したXyzabct氏が1項および2項までも確実に破ったため、言い訳やフォローのしようがないローカルルール違反をしたことは一目瞭然です。強行編集を反省していただきたい。
- さて、「南京以外」と仰っていますが、南京攻略戦として南京事件への経緯として語る研究者がいることはご存知だと思います。十分関係した論ですので除去理由にはなりません。より関係している南京についての論であり、あなたの求めていた「例証」をコメントアウトした理由はなんなのでしょうか?不可思議な行為です。合意には譲歩が必要です。--PSIA 2011年1月12日 (水) 14:15 (UTC)
「リバート」というのは「ウィキペディアの記事を以前の版に戻す手段を差し戻し」(wikipediaのヘルプページより)のことです。
「新たな編集をし、リバートされ(反対され)、それをリバートし返したXyzabct氏が」とは何のことでしょうか?
PSIA氏が合意なしで新たに強行編集をして、それをリバートしただけです。非難されるいわれはありませんし、もちろんローカルルール違反ではありません。
2項では合意なしの強行編集した者は合意のための努力を義務付けられていますが、PSIA氏は、個人的誹謗中傷と、バーター取引を認めなければ合意しないという不当な要求をしているだけです。
「南京攻略戦として南京事件への経緯として語る研究者がいることはご存知だと思います。」というのは、この節の文脈ではまるで関係のない話です。 「あなたの求めていた「例証」をコメントアウトした理由はなんなのでしょうか?不可思議な行為です。」というのも意味不明です。この節では私はなんらコメントアウトなどしていません。
本文自体は不適当な表現だという合意が成立しているにもかかわらず、自分が新たに加筆したい無関係な「南京外の話」を認めなければ本文の削除に賛成しないという不当な要求をPSIA氏が続けているわけですが、このような悪質行為をいつまでも続けられるなら報告することになります。(警告4回目)
- 今回のことでなく、あなたが出てきた際の強行編集の違反行為ことを申しているのですがね。
- この節というか、この記事に関係しており、そして報道記者の論ですので、節にも十分に関係ある話です。無関係を前提に話を進めないでくださいな。誰も合意はしておらず、他の記事と重複部分があるからリンクで解決すると私はしたはずですが、しっかり読んでいただけているのでしょうか。都合の良い虚偽発言は控えていただきたい。そして例証として挙げてないものを「例証」となっていないから云々と騒いでいたあなたの希望通りの「例証」を新たに提供したのですが、リバートにより(確かにコメントアウトではない)除去した理由が知りたいんですよね。まあ、新たにその部分については提案させていただきますわ。--PSIA 2011年1月12日 (水) 18:39 (UTC)
「今回のことでなく、」などと、すでに復旧して解決している前回の話、「7日」を「3日」と間違えて私のフライングしたミスを持ち出して個人的中傷に利用する卑劣な真似をしていることを告白されたわけですね。
「この節というか、この記事に関係しており、」などと、「当時の報道についての議論」というこの節のタイトルとは関係のない話を議論の流れを無視して持ち出し、削除提案のバーター交換に持ち出すという恥知らずな真似をして良心の呵責を感じないのですかね?
「除去した理由が知りたいんですよね。」などというコメントは、前にミスをした私に「7日間ルール」のローカルルールをよく読むようにと書いた人物の書き込みとは思えませんね。ダブルスタンダードは当たり前の自己中な方なのでしょうか?ローカルルール違反だからリバートしたまでのことです。違反をしてリバートされたのにもかかわらず合意の努力をせず「在のままの状態とするしかないでしょうね」などと開き直り、個人的中傷に走っているのですから二項にも違反してますね。Xyzabct 2011年1月16日 (日) 21:25 (UTC)
- あなたはローカルルール違反をしておきながら謝罪も反省もなく、ローカルルール違反をしていないなどという主張をしていました。しかし「ミス」と言い訳しているようですが、あなたの確実なローカルルール違反にお気づきになったようで安心しました。以後、気をつけましょう。
- ダーディンの論は記事にも節にも関係していることを述べたまでですが、「この節のタイトルとは関係のない話」とは何のことでしょうか。まったく意味がわかりません。
- 「除去した理由」が述べられていません。残念です。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
「あなたはローカルルール違反をしておきながら謝罪も反省もなく」というのは合意なしで強行編集をしてリバートされて逆ギレして誹謗中傷に走ったPSIAさん自身のことですね。了解しました。とっくに解決した話を前後させて「以後、気をつけましょう。」などと直近のPSIAさん自身のローカルルール違反を棚に上げて優越感に浸る幼稚な態度はご自身の品性を疑われるだけですが、まあ、自業自得ですからご自由にとしかいいようがありません。
「ダーディンの論は記事にも節にも関係していることを述べたまでですが」などとあいかわらずうそぶいていますが、南京以外でなおかつ戦後の話など、関係ありません。関係があるというのなら、「当時の報道」について具体的に引用して関連を説明してみてください。できないのなら、関係のない話を議論とは無関係に繰り返し続けるという荒らし行為はやめなさい。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 19:15 (UTC)
- ローカルルール違反をしたことの図星をつかれてしまい、ご立腹なことは理解できますが落ち着いてください。南京事件は南京という地域のみの話しとお考えならば、残念ですが勉強不足だと思います。戦後の話と仰っていますが、議論(それぞれの主張)とは、戦後に出てきたものです。当時の報道記者の主張というのは、まさしく当時の報道についての議論です。また「荒らし行為」などと相手を誹謗中傷していますが、荒らしとは何か方針で決められており、しっかり認識してから発言してください(Wikipedia:荒らし)。さて、私のどこがwikipediaにおける荒らし行為をしたというのか方針を持って説明してください。説明できないのであれば、単なる個人的感情からのレッテル貼り・暴言であり、謝罪を求めます。--PSIA 2011年1月20日 (木) 19:55 (UTC)
「ローカルルール違反をしたことの図星をつかれてしまい」という大嘘をまたついていますが、あなたが逆ギレしてやらかした合意なしの強制編集をリバートすることは、ローカルルール違反ではないのですよ。何度言ったら理解できるのですか?誰にでもわかる簡単な言葉で説明しているのですから逆ギレしてないで、頭を冷やして理解するように努めましょう。
「荒らしとは何か方針で決められており、」などとまた嘘をついていますが、wikipediaではいくつかの類型が例示されているだけですが。 wikipediaでは、明らかに不誠実な書き込みが荒らしとされています。
「当時の報道記者の主張というのは、まさしく当時の報道についての議論です。」と何も説明していない無駄な書き込みはいいですから、該当する「当時の報道」とやらを具体的に説明してください。できなければ、編集妨害のために無関係な話を繰り返している「明らかに不誠実な書き込み」の荒らしということになります。あと、私が「強制編集を繰り返した」という大嘘については謝罪を求めます。--Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:34 (UTC)
- >「ローカルルール違反をしたことの図星をつかれてしまい」という大嘘をまたついていますが
- 強行編集してリバートされるが、ノートに出ずに再び強行編集して再度リバートされるというローカルルール違反丸出しの強行編集を繰り返したあなたを提示しておきます。何が「大嘘」なのか?説明を。
- >「明らかに不誠実な書き込みが荒らしとされています」
- えーと、それはどこに書かれていますか?まずその提示をお待ちしております。そもそも自身の主張を納得していただけないことを「不誠実」と決め付けられては困ります。私からすれば、あなたこそが「いつまでも納得しない」反対のための反対をする不誠実で、かつ「詐欺師」だの「大嘘」だの「(根拠を提示することなく)荒らし行為」などと暴言を吐きまくる迷惑なユーザーでしかないんですけどねぇ。
- 当時の報道をしていたときの話として記者が語っていることですので、当時の報道についての議論(主張)ですが、何が気になるのかまったく理解できません。南京事件は南京という地域のみではないこと、および議論(それぞれの主張)とは、戦後に出てきたものということは理解できたのでしょうか?都合よく飛ばさずに、きちんとひとつずつ誠意を持って答えるようにしてください。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:12 (UTC)
「ローカルルール違反丸出しの強行編集を繰り返したあなたを」などと、話の前提に嘘を持ってくるあなたのペテンの手口はもういいです。 「強行編集を繰り返した」などと嘘をつき続けている恥知らずなあなたに対しては、改めて謝罪を要求しておきますね。(警告6回目)Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:50 (UTC)
>>明らかに不誠実な書き込みが荒らしとされています
>えーと、それはどこに書かれていますか?
wikipedia 「基本方針とガイドライン」「荒らし」より 「議論の余地なく明白に不誠実であると見なされない限り、Wikipediaでは荒らしとは判断しません。」
これが判断基準。下の欄に列記されているのはあくまでも類型。
「リバートを仕返した」「強行編集を繰り返している」とあなたが嘘をついて誹謗中傷を繰り返すことや、「表題と無関係な話を書き込み続ける」ことは、明らかに荒らし行為ですね。
あなたは、無関係な話を繰り返し、関係あると言いながら、該当する「当時の報道」を具体的にまったく説明できないでいますが、こういう状態のことを「議論の決着が着いた」と一般的に言うのですが、理解できますでしょうか?Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:50 (UTC)
- 要約欄で合意を求められてリバートされているにも関わらず、ノートに出ずに編集し続けた強行編集行為は前回のリンクで一目瞭然、証明済み。その上で「ペテン」との暴言やら「議論の余地なく明白に不誠実」に該当しているとの無理な発言にあきれ返るばかりである。
- 当時の報道をしていたときの話として記者が語っていることですので、当時の報道についての議論(主張)ですが、なにが関係ないのかまったくもって意味不明です。日本語能力の差でしょうか?その詳細なお答えもいただけていません。
- また、再び誠実に答えていない。南京事件は南京という地域のみではないこと、および議論(それぞれの主張)とは、戦後に出てきたものということは理解できたのでしょうか?(2回目)都合の良い部分のみ切り取って答えないこと。--PSIA 2011年1月20日 (木) 22:14 (UTC)
>要約欄で合意を求められてリバートされているにも関わらず、ノートに出ずに編集し続けた強行編集行為は前回のリンクで一目瞭然、証明済み
どのリンクなんでしょうね?ぜんぜん一目瞭然でもなく証明済みでもないわけですが。 私が「要約欄で合意を求められてリバートされているにも関わらず、ノートに出ずに編集し続けた強行編集行為」をやったというのは、何月何日なのか、説明してもらえますか?
>当時の報道をしていたときの話として記者が語っていることですので、当時の報道についての議論(主張)ですが、
「南京以外の話」なのに「当時の報道をしていたときの話」の「当時の報道」とは何でしょうか? 具体的にダーディンの「南京以外」の記事を示してください。 と、何度も訊いているんですけどね。
>南京事件は南京という地域のみではないこと
いや、南京虐殺の範囲の定義は、南京だけです。 南京以外も含むなどというような説を誰が唱えているのでしょうか?
とにかく、関係があるというなら、肝心の該当する「当時の報道」の具体的な記事を出さないことには話になりませんね。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:06 (UTC)
- 2010.12.19、2010年12月20日あたりの連続強行編集行為ですが何か?どこが強行編集でないのでしょうかね。「大嘘」をついた覚えはありませんが、どういうことでしょう?
- >具体的にダーディンの「南京以外」の記事を示してください。
- 「当時の報道」という節ではなく、「当時の報道についての議論」という節なんですよ。「当時の報道」をしていたダーディンが論じた(議論)したことであり、「当時の報道」記事内容そのものである必要はないのです。記事だけでなく記者も関わっているのです。日本語は大丈夫でしょうか。また、あなたは聞くのみであり、何が「関係ない」のかの説明がまったくありませんね。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:30 (UTC)
>どこが強行編集でないのでしょうかね。
だから、この件は各箇所一回だけで一回のリバートで落着しているわけですが、あなたの言う(私が)「リバートし返した」「強行編集を繰り返した」というのは、どのあたりなのか説明していただけませんか?
>「当時の報道」という節ではなく、「当時の報道についての議論」という節なんですよ。
「当時の報道についての議論」ではなく、独自の編集でつきはぎをしたあなた個人の主張でまったく無関係なんですが。 学者名を明記して実際に論壇で行われた「当時の報道についての議論」について書くべきですね。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 00:14 (UTC)
- 2010.12.19にて(こちらの記事は同意を得てからで)と要約欄で言われてるにも関わらず]、ノートで提案合意する努力せずに再度強行編集した行為は完全なる強行編集の繰り返しであり、ローカルルール違反です。ちなみに偽装リバートは許されません。
- 私の主張がどこに書かれているのか提示してください。私の意見はどこにも書かれていません。このノートにおける独自研究だらけのあなたと同じにされるのは心外です。「当時の報道」をしていたダーディンが論じた(議論)したことであり、「当時の報道」記事内容そのものである必要はないのです。記事とともに記者も十分に関係しているものです。--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:29 (UTC)
--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:29 (UTC)
>ノートで提案合意する努力せずに再度強行編集した行為は完全なる強行編集の繰り返しであり、ローカルルール違反です。ちなみに偽装リバートは許されません。
リンク先は、「私の強行編集」ではなく、「211.133.61.172」とIPアドレスの誰かの「リバート」ですが、何を意味不明な言いがかりをつけているのでしょうか? ちなみに、「211.133.61.172」さんは復旧したのですからなんら非難される筋合いはありません。「偽装リバート」とは何ですか?自分同士でやっていると意味不明な言いがかりをつけているのでしょうか?
それで、(私が)「リバートをし返した」、「強行編集を繰り返した」とあなたが主張しているのは何月何日のどの箇所なんでしょうか?
>「当時の報道」をしていたダーディンが論じた(議論)したことであり
それは初耳ですね。 ダーディンが「当時の報道について」いつ議論をしたのでしょうか? 出典を出してください。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:36 (UTC)
- 2010.12.19にて(こちらの記事は同意を得てからで)と要約欄で言われてるにも関わらず]、ノートで提案合意することもなく再度強行編集。しかも二つを見比べればわかるが同じ節をいじっており、コメントアウトと除去など多少変化はさせているが二回とも同じことをしている。これは偽装リバートといわれても弁解できないものである。偽装リバートの言葉がわからなければリバートについて勉強してきてくださいな。ましてやローカルルール違反をした強行編集(除去)をしておきながら「記事を復活させる場合は冒頭説明のローカルルールを参照」などと書き込んでいるのはローカルルールを理解しておこなった強行編集であり、都合の良く悪用使用とした行為であり、悪質極まりない。あなたが強行編集・リバートし返しをしたのは2010年2月19日と20日ですが、まだ自分の行為に気がつかないのでしょうか?謝罪と反省を求めます。
- わかりにくい書き方だったようで書き直しましょう。「当時の報道」をしていたダーディンが議論にもなっている取材方法について語っているものであり、「当時の報道」記事内容そのものである必要はないのです。記事とともに記者も十分に関係しているものです。--PSIA 2011年1月21日 (金) 02:08 (UTC)
悪いですが、「偽装リバート」などとあなたが何を非難しているのか意味不明です。 これ以上、誹謗中傷の件について議論しても非建設的で皆の迷惑ですからやめときます。
ダーティンは、目撃もしたとインタビューで発言してますので、あたかも伝聞ばかりのような詐欺まがいの記述は、不適当です。 ついでに、この種の議論に必要な一般常識について説明しておきますが、複数の伝聞情報を照合することにより客観的な信憑性のある情報となります。 ダーディンの取材方法はなんら彼個人の特異なものですなく記事の取材方法としては一般的な方法です。なんら非難される筋合いはありません。また、ジャーナリズムの世界のみならず、司法の世界、警察の捜査、裁判での証拠でも、伝聞情報は有力な証拠となります。
あなたが長々と力説している話は、誤情報の可能性があるという前文の例証として書かれた、「南京以外では虐殺は見なかった」という私が削除提案を出している一文とは別件の話なのです。何度も言いますが、ここは、私の提出した削除提案は妥当かどうか議論する場です。自分の文案を提案・議論したければ他所でやってください。
削除提案が出されている本文自体については、異論は出されてませんから、不適切で削除が妥当ということでいいわけですね?Xyzabct 2011年1月22日 (土) 20:10 (UTC)
- 「偽装リバート」については3RRあたりのルールをしっかりお読みになれば、わかることです(その用語も出ております)。そしてそれをあなたはそいたということです。
- 記者本人が多くの伝聞だったことを述べていることを記載したくないのならば、仕方がありません。方針上、記載すべきものではありますが、こちらはローカルルールが存在しており、反対があったら記載は難しい。逆に上海から南京の証言の除去というあなたの提案も私はのめない。すでに7日以上議論しており、収集も埒も明かない状態です。ローカルルール「異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。」に則り、議論は不調に終わったと判断し、現状のままとするしかありません。--PSIA 2011年1月24日 (月) 15:17 (UTC)
>記者本人が多くの伝聞だったことを述べていることを
誤情報の可能性があるという前文の例証として書かれた、「南京以外では虐殺は見なかった」という本文とは、異なる話です。 別件の話を持ち出して、削除提案が出されている本文の妥当性とは無関係な話をしているのですから、議論とは無関係に、ご自身の文案を載せろと言っているに過ぎません。不調もなにもあなたは本件についての議論をしていないのです。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 00:50 (UTC)
- 同じことを繰り返し述べても意味がありません。ローカルルールを守ってください。すでに7日以上議論しており、収集も埒も明かない状態です。ローカルルール「異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。」に則り、あなたの提案は相手を納得させることはできず、議論は不調に終わったのです。まだ続けたいのならば次のステップへの手続きをしてください。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:33 (UTC)
写真の真偽の「プロパガンダ写真研究所」について
[編集]「これについては南京大虐殺関連の写真を検証してきた「プロパガンダ写真研究所」も数多くの証拠写真を捏造写真と指摘している。」 という記述の、「プロパガンダ写真研究所」は匿名サイトに過ぎず、記事は「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」独自研究に該当すると思われます。 この一文の削除を提案致します。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 07:17 (UTC)
- プロパガンダ写真研究所は、署名があります。したがって匿名サイトではなく多分ですがペンネームによるサイトでしょう。このようなサイトが信頼性に足るかどうかには議論があるのは承知していますが、サイト自体が多くの人に支持され参照されているようなケースもあり得るので一概に否定もできません。その点についての補強はいると思いますが。Nakata88 2010年12月15日 (水) 07:35 (UTC)
仮に「サイト自体が多くの人に支持され参照されているようなケース」でもなんら情報の信憑性を高めるものではありません。 アクセスカウンターはいくらでも数字を操作できますので、多くの人に支持されているかどうかは知りようもありませんが。 「信頼できる媒体」として担保されるものが何もなく、誤った情報を流しても責任を問われる職責にあるわけでもない個人の匿名・ペンネームサイトですから、「信頼できる媒体において未だ発表されたことがない」独自研究に該当するのは明らかでしょう。 もしも、これがまかり通るなら、個人HPを立ち上げてアクセスカウンターを10万くらいに水増しして、自分の主張をあたかも公的研究所の権威ある発表のごとくwikipediaに堂々と宣伝記事を書き込むことができます。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 08:14 (UTC)
- 著名人のHPなどであるならソースとして使えるというのがウィキペディアの原則です。これは匿名ではなくペンネームの事例ですから、その人、あるいはHPが信頼を得ているものであるなら、引用は可能なケースがあります。私はその評価をなしえませんが、HPを見る限りかなりいろんなところからリンクが張られたりしているようなので、ある程度話題になっているのかもしれません。Nakata88 2010年12月15日 (水) 11:26 (UTC)
著名人のHPなら、著名人ということで信憑性の無い情報を発信したら社会的信用を損ねるというリスクが信憑性を担保しています。「プロパガンダ写真研究所」は著名人のHPではなくただの匿名・ペンネームサイトですので独自研究に該当すると思われます。ウィキペディアはリンクが多いだけの個人サイトをソースとして認めてないはずです。--Xyzabct 2010年12月15日 (水) 12:07 (UTC)
- 著名人かどうかは、ペンネームかどうかとは別問題です。ペンネームでも著名人はたくさんいます。このケースにおける著名性の要件を満たしているかどうかは私は知らないので判断を差し控えますが、HPだからといって著名でないとは一概にいえないと思うだけです。どうも参照されたことの多い有名なHPみたいなので、即時削除は妥当ではないのではないかという判断です。Nakata88 2010年12月16日 (木) 06:42 (UTC)
「プロパガンダ写真研究所」の「多分ペンネーム」と推測されている名は、著名人のペンネームのように本名同然に機能しているのでしょうか?そうでなければやはり身元を隠す仮名であり匿名サイトにすぎないはずです。「参照されたことの多い有名なHPみたい」(信憑性の保証とは無関係)で信憑性を証明するものはなにひとつない匿名個人サイトということでよろしいでしょうか?--Xyzabct 2010年12月16日 (木) 07:40 (UTC)
- 誤解されていますが、身元を隠しているからといって著名でないとはいえません。ペンネームを使ってある一定の主張を主張する場合、その自然人としての名前が誰かわからなくても、著名性がある場合は多々あります。たとえば、最近だと、大場つぐみなんてそうですね。漫画原作者ですけど。問題は、このHPの作者に著名性があるかどうかです。私は、なんかいろいろ参照されているHPみたいで、ちょっと判断できないのですぐに削除は妥当ではないのではないかということです。それ以上でもそれ以下でもありません。Nakata88 2010年12月16日 (木) 08:45 (UTC)
著名性があれば無条件に「信頼できる媒体」とみなす原則がwikipediaにありましたら皆さんにわかるように説明してください。また、そのような原則があった場合でも、当該サイトは著名性が不明ということですから物事の順序としては、削除の後、著名性が証明された後、記述を復活させる、という手順を踏むのが筋でしょう。--Xyzabct 2010年12月16日 (木) 09:05 (UTC)
なにも「プロパガンダ写真研究所」にこだわることもないと思います。研究者である松雄に変えれば良いだけですから。「これについては南京大虐殺関連の写真を検証してきた松尾一郎も数多くの証拠写真を捏造写真と指摘している<ref>南京事件で使用される・ニセ写真</ref>。--PSIA 2010年12月19日 (日) 18:11 (UTC)
「プロパガンダ写真研究所」の記述がwikipedeaの「独自研究」に該当してふさわしくないという議論です。「松尾一郎」の記事はまた別の話です。--Xyzabct 2010年12月20日 (月) 06:35 (UTC)
- あなたでなく、Nakata88氏への提案ですので。松尾に変えれば、今回の「文句」も抑えられますし、より正確に読者に写真の疑義についての論を提供できるので変更してもよろしいのでは?というものですので。--PSIA 2010年12月20日 (月) 16:48 (UTC)
匿名サイトに過ぎない「プロパガンダ写真研究所」の判断は独自研究に該当する、ということについては異議がない、ということですね。了解しました。異議なしということでPSIAさんのコメントは日数のカウントから除外してよろしいですね?--Xyzabct 2010年12月21日 (火) 09:01 (UTC)
- 「プロパガンダ写真研究所」」の代わりに松尾に変える提案に異議がないとのことで、「プロパガンダ写真研究所」が除去されたら、すぐさま松尾を記載させていただきます。--PSIA 2010年12月23日 (木) 16:31 (UTC)
2010年12月16日以降、異論が出ないまま7日間以上が経過しましたので、ローカルルールの「最後の発言から7日間異論が提示されなければ、最後の発言者の見解に合意したものと見なす。」規定により合意成立で「プロパガンダ写真研究所」の記述は削除します。--Xyzabct 2010年12月25日 (土) 19:17 (UTC)
「松尾の論」の提示から7日間異論も出ませんでしたので本文に記載いたします。--PSIA 2010年12月26日 (日) 19:45 (UTC)
写真検証については否定派同士で検証についてのクレームがありますので、下記のような解説を提案します。
(なお、松尾一郎は、東中野修道氏の写真検証には数多くの間違いがある、東中野氏は写真検証が出来ない、と主張している)--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 02:23 (UTC)
- こちらでは関係ない文章ですので反対します。写真に疑義が出ていることを示しているものですので、あなたの文は脇道に逸れてしまっています。あなたのその文は東中野か松尾の記事でお願いします。--PSIA 2010年12月27日 (月) 05:23 (UTC)
その写真検証に疑義が出ているという話ですので、直接関係のある話です。違いますでしょうか? 論理不明の書き込みは控えるようにお願いします。--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 05:45 (UTC)
- 枝葉末節です。写真肯定説の反論はすでに出されております。そもそも松尾が「東中野修道氏の写真検証には数多くの間違いがある」なんて言ってます?彼は自分が暴いた偽者写真を横取りされたとは主張していることは知っていますがね。だいぶ矛盾する主張ですね。その主張の出典を詳細に教えてください。--PSIA 2010年12月29日 (水) 20:01 (UTC)
写真の検証そのものについての疑義ですから、枝葉末節ではなく根幹です。写真肯定説の反論は肯定派の主張です。否定派についての記述としては適当な表現です。松尾一郎氏の東中野氏の検証に対する疑義は氏のHP「電脳日本の歴史研究会」で述べています。枝葉末節でなく根幹の主張で、なおかつ重複もありませんから、加筆案は極めて適切です。--Xyzabct 2010年12月31日 (金) 09:38 (UTC)
- すでに反論は記載されており、必要ない。たとえば松尾は、東中野の一部の写真検証を否定しつつも、その写真は南京事件の写真ではないとしているのであり、結局両者とも写真への疑義を呈している人物で、それらの反論は(1)(2)(3) で述べられており、写真疑義の節についての根幹はすでに出来上がっています。自身の成果を盗用されたと主張し、だから東中野は写真検証はできない人などという個々の言い争いを載せるのは枝葉末節で必要ありません。--PSIA 2011年1月1日 (土) 22:11 (UTC)
「それらの反論は(1)(2)(3) で述べられており」というのは肯定派の主張であり、ここに否定派の松尾の主張が含まれるわけがありません。 また、「個々の言い争い」とやらの盗用問題など加筆案では一切触れていませんのでお門違いです。 よって、枝葉末節ではなく、根幹の話ということになります。--Xyzabct 2011年1月3日 (月) 09:18 (UTC)
PSIAさんのローカルルール違反の編集は元に戻しました。Xyzabct 2011年1月3日 (月) 10:11 (UTC)
- Xyzabctさんの編集を支持します。PSIAさんにはルールに基づいた編集をお願いしたいと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月6日 (木) 11:57 (UTC)
- 強行編集してリバートを繰り返した方にローカルルール違反とも言われるのも心外ですし、何が違反なのか不明ですが、写真に疑いの声があるか否かの節ですので、その声があることの記載、そしてそれらについての反論も記載され、根幹はすでに出来上がっています。自身の成果を盗用されたと主張し、だから東中野は写真検証はできない人などという個々の言い争いを載せるのは枝葉末節で必要ありません。松尾の論は盗用問題から派生した批判ですので、記載する場合は正確に記載するために、それを省くわけには行きません。そんな個々の言い争いを記載する必要はないのです。また笠原が実際に悪用された写真を使用し問題となった事実(写真問題)をローカルルールを利用して隠蔽するのはいかがなものでしょうか。それこそ反対理由が不明です。まあ、現状のままでも私はかまいませんがね。--PSIA 2011年1月9日 (日) 10:58 (UTC)--PSIA 2011年1月9日 (日) 10:59 (UTC)
PSIAさんは、「ローカルルールを利用して隠蔽するのはいかがなものでしょうか」などとローカルルール違反を自覚しつつ開き直られているわけですが、自分だけはローカルルールを破ってよいという姿勢は感心しませんね。Xyzabct 2011年1月9日 (日) 14:16 (UTC)
- 私の行為がローカルルール違反ではなく、あなたの行為は確実なローカル違反だったことは上記の別節で申したとおりです。内容についての反論はないようなので、同意とみなします。また私の加筆をコメントアウトした理由が書かれていませんがどういうことなのでしょうか。--PSIA 2011年1月12日 (水) 14:18 (UTC)--PSIA 2011年1月12日 (水) 15:09 (UTC)
ローカルルールに合意規定が定められているのですから、それを無視して強行編集された場合はリバートされても文句は言えません。
膨大な量の写真の中の個々の写真の解説にまで踏み込むのはここでは不適当で、バランスを欠いてます。また、アサヒグラフの写真の元の記事のキャプションが真実であることは実証されていませんし、日本側は実際にこれらの婦人たちはどうなったのか不明なわけなのですから、公正さを欠く記述です。アサヒグラフの写真の「日の丸村」というのは、「住民が殺されないように親日村であることを示すために日の丸を立てていた」ということが由来なので、つまり、住民の虐殺が行われていたということが前提の話なわけです。Xyzabct 2011年1月12日 (水) 17:23 (UTC)
- あなたのリバートに文句を言った覚えはありませんし、あなたのようにリバートされても強行編集し続けるようなことをした覚えもありませんからねぇ。
- さて、私の加筆は指摘どおりの間違った写真があったという立派な「例証」だと思うのですがねぇ。「個々の写真」というよりも秦も疑義を呈し、肯定派も写真が間違えていたと認めたという他にはない例なんですがねぇ。そして私たちは何が真実かを考える必要はありません。実際に出典どおりにあることを記載するのみです。笠原が誤用を認め、雑誌社も謝罪したという事実があるだけです。「日の丸村」の一説をここで語っても仕方がありません。以上から「個々の写真の解説」をしているのではなく、秦の指摘と肯定派も間違っている写真であると認めたという他にはない例であり、「膨大な量の写真の中の個々の写真の解説にまで踏み込むのはここでは不適当」という反対理由は成り立ちません。--PSIA 2011年1月12日 (水) 18:54 (UTC)--PSIA 2011年1月12日 (水) 18:58 (UTC)
「あなたのようにリバートされても強行編集し続けるようなことをした覚えもありませんからねぇ。」などという大嘘をつくのはあなたの体質でしょうか? 私が削除提案で「7日」を「3日」と間違えてフライングで削除したのは各節につき一回だけのはずですが、「強行編集し続ける」などと嘘をつき続けているあなたの神経を疑いますね。あなたのさまざまな不誠実な態度は何度も警告したはずですがまるで反省をしない人なのでしょうか?(警告5回目)
「秦の指摘と肯定派も間違っている写真であると認めたという他にはない例であり」とのことですが、アサヒグラフに著作権のある写真の取り扱いが「間違っていた」ということです。 キャプションにあるとおり本当に「日本兵が婦人たちを護衛して家まで送った」のか、それとも中国側の調査により「その後、虐殺されたのか」、真実はまったく不明ですからね。 この書き方だとあたかも「日本兵が婦人を家まで護衛した」というキャプションが読み手には真実かのごとく印象を与えて、「南京大虐殺論争」の項目での記述としては公正さを欠きます。 「他にはない例」というレアケースなら、3万5千枚とも言われる証拠写真の中からこれだけを取り上げるのはなおさら不適当でしょう。Xyzabct 2011年1月16日 (日) 21:39 (UTC)
- >あなたのようにリバートされても強行編集し続けるようなことをした覚えもありませんからねぇ。」などという大嘘をつくのはあなたの体質でしょうか?
- 大嘘?こちらで私の編集をリバートされ、それをリバートし返すというあなたのような行為があったのなら提示していただきたい。もし提示できないのならば相手の対し「大嘘をつく」などという礼儀のない失礼な発言の撤回を求めます。
- >私が削除提案で「7日」を「3日」と間違えてフライングで削除したのは各節につき一回だけのはずですが
- えーっといつから節ごとに一回ならOKというルールになったのでしょうか?あなたは記事の編集をリバートし続けましたよね。
- >真実はまったく不明ですからね。
- 何度も申しますが、あなたが「真実」を検証する必要はない。それは独自研究です。出典先の通りに中国がアサヒグラフの写真を使用してキャプションを付けていた。それをそのまま笠原が使用し、間違えが指摘され、笠原は訂正した。この出典のままの事実を記載すればよいのみです。あなたの独自研究は必要ありません。
- 3万5千?ある写真の中で肯定派が指摘によって訂正した一件であり、特筆すべきものです。個人的イデオロギーから隠す必要はありません。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
「こちらで私の編集をリバートされ、それをリバートし返すというあなたのような行為があったのなら提示していただきたい。」という大嘘をついているわけですが。 まともな言い訳をしたいのなら嘘に嘘を重ねてないで「あなたのような行為」とやらを具体的に説明しなさい。
「何度も申しますが、あなたが「真実」を検証する必要はない。それは独自研究です。」などと的外れなことを言っていますが、誰も真実と証明していないのだから、それを真実と誤解される記述は不適当だと言っているのです。私が証明するかどうかはまったく関係ないことです。この程度の文章読解力をお持ちでないのなら議論に参加する資質に欠けているとしか言いようがありませんね。 「肯定派が指摘によって訂正した一件であり、特筆すべきものです。」というのは、何が「特筆すべき」なのか不明です。 婦人たちの消息がわからず、はっきりしているのは出版著作権の侵害のみですから、大虐殺が真実かどうかという議論とは無関係ですので、特筆すべきものでも、取り上げるべきものでもありません。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 19:28 (UTC)
- 「こちらで私の編集をリバートされ、それをリバートし返すというあなたのような行為があったのなら提示していただきたい。」と前回申しましたが、繰り返し、「大嘘」と暴言を吐くだけで、根拠の提示がなかったことが残念です。相手へ礼儀をもって参加してください。まあ、根拠が出せないのも仕方がありません。あなたのようなリバート返しなんてことは私はしていないのですから。
- 各節ごとに一回ずつなら「リバートし続けた」ことにはならないという意味不明な説明への反論には回答がなかったですが、それは間違えという当然のことに納得していただけたのかな?
- あなたは前々回で『キャプションにあるとおり本当に「日本兵が婦人たちを護衛して家まで送った」のか、それとも中国側の調査により「その後、虐殺されたのか」、真実はまったく不明ですからね。』と真実を個人で考えてしまいました。残念ですが、編集者は真実を考える必要はありません。それは独自研究になってしまいますからね(よくお読みください。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。真実は不明だとか、あなたが考える必要はないのですよ。あなたの研究はちっとも必要ありません。
- 秦が写真の間違えを指摘し、笠原もそれを認め(中国で間違った使用のされ方がされている事を認め)、写真を差し替えた。という出典のままの記載であり、編集者の意見はどこにも書かれていません。笠原という研究者が中国での使われ方が間違っていることを認めたという事実であるのみです。まさしく南京事件の写真問題について肯定派が認めた関係性も特筆性もある一件です。もし、中国の写真が間違っていないとしたいのならば、その出典を出さなければなりません。あなたの感想文は必要ありません。申し訳ないですが記載を反対できる根拠が方針上、ございません。
- また、あなたはこの一件が「出版著作権の侵害のみ」と仰っていますが、その根拠を提示してください。笠原はこれまで中国側で婦女陵辱に関係した写真と信じられてきた今回の秦氏の調査でそれを誤りとする撮影状況が明らかになったことを謝意を表したい。(中略)そして読者には、私の写真史料批判がその誤りを察知するまでに至らなかったことをお詫び申し上げる。(「図書」1998)と述べています。間違っていることを笠原が認めた一件であり、「出版著作権の侵害のみ」などというものではありません。笠原が「著作権侵害して申し訳ない」と発言したのなら、その出典を提示してください。個人的感想文を言ってしまったのではないことを祈り、出典をお待ちしています。--PSIA 2011年1月20日 (木) 20:24 (UTC)
「こちらで私の編集をリバートされ、それをリバートし返すというあなたのような行為」というあなたの大嘘の弁明はまだでしょうか?
話の前提に嘘を持ってくるというのは、詐欺師の手口なわけですが、「あなたのような行為」を自明の前提の話にする手口は、卑劣としかいいようがありませんね。
それで、「あなたのような行為」とやらをあなたは一度も具体的に説明できていないことを自覚していますか?
(私が)「強制編集を繰り返した」「リバートし返した」というあなたの嘘については、謝罪を求めます。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:44 (UTC)
撮影当時の状況というのはあくまでもアサヒグラフの当時のキャプションのみのはずですが、戦後、カメラマンが撮影状況についての真実について語ったという出典があるなら、出してください。
戦後に当時の撮影状況を聞かれてカメラマン死去を理由にアサヒグラフは真実については説明できていないと思いますが、何か説明がありましたかね?
笠原がキャプションが真実だとは言っていませんしね。
真実がわからないのですから、著作出版権侵害の問題にしかなりようがありません。
本論とは無関係な話です。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:50 (UTC)
- あのですね。「戦後、カメラマンが撮影状況についての真実について語った」などと誰も書いていないことに出典は必要ないんですよ。もしあなたが「アサヒグラフのキャプションは真実ではない!」と書きたいのならば、その出典を出すしかありません。同様に「笠原がアサヒグラフのキャプションが真実だ」などとどこにも書いていません。秦が笠原の使用方法が間違っていると指摘し、笠原が自身の間違いを認め、また中国での使われ方が間違っていることを認めたという出典のままの記載であるだけです。
- >真実がわからないのですから、著作出版権侵害の問題にしかなりようがありません。
- 「著作出版権侵害の問題でしかない」という出典を出してください。誰か専門家が主張しているのですか?現在のところ、あなたの独自研究でしかなく意味ない発言です。
- あなたの立場から隠蔽したい気持ちも理解できるのですが、ちょっと主張に無理がありますよ。まあ、根拠(出典)を提示しないと意味がないので、お待ちしています。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:24 (UTC)
いや、アサヒグラフのキャプションが真実であるという出典がないから、真実と誤解させる記述は不適当だと、言っているのですよ。 あなたが先のような記事の書き込みをするには、キャプションが真実であるという出典が必要だ、と言っているのです。 なければ、あなたの書き込みは認められない、で終わりです。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:54 (UTC)
- 書いてないことに出典を求めても笑われるだけですよ。方針上、その必要もありません。真実は関係ないのです。真実かどうかではなく検証可能かどうかがwikipediaなので、方針に従えないのならば編集に参加すべきではありません。あなたのマイルールは必要ありません。笠原がミスと認めた事実があるのみであり、あとは読者が判断するしかない。
- で、「アサヒグラフのキャプションは真実ではない!」とか、「著作出版権侵害の問題でしかない」との主張の根拠(出典)はないのですか?何度も申しますが都合よく飛ばさずにひとつずつ誠実に答えてください。ないのならば、あなたの独自意見を聞いていても仕方がないので、これにて一件落着になりますが。--PSIA 2011年1月20日 (木) 22:24 (UTC)
出典さえあれば、「南京大虐殺論争」の記事にでも、「中国人はラーメンが好き」と何の脈絡もなく書いてもいいと主張する人は、あまり議論に参加すべきではないと思いますね。
>「アサヒグラフのキャプションは真実ではない!」とか
そうではなく「真実かどうか不明だから」と何度も書いているのですが、日本語読解力に欠陥のある方なのでしょうか? もう少し真摯に人の話を聞くように努めてください。
>「著作出版権侵害の問題でしかない」
撮影状況が不明ですからね。真実が不明ということになると、残りの問題は必然的にそれだけということになります。
>笠原がミスと認めた事実があるのみであり
肝心な「虐殺をやったかどうか」は不明なわけですからね。 「虐殺をやった可能性もある」という事実があるのみです。 日の丸村を「桃源郷」などと表現するようなキャプションを真実と誤解させる記述は、公正さを欠きますね。 虐殺をやったかどうかという証拠写真についての話なのですから、真実かどうかが一番重要です。 ところが、真実はどうでもいい、などとトンデモなことを言われている。 議論をするだけの基本的な資質が欠けてませんか? 「南京大虐殺」の項目でも、出典さえあれば「中国人はラーメンが好き」と無関係なことも書いていいと主張するような非常識な方は、皆の迷惑ですので議論を控えてはいかがでしょうか?Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:20 (UTC)
- まず信頼ある出典あれば「中国人はラーメン好き」と書けることは根拠を提示しましたので、それ以上でも以下でもありません。それがいやならば自分のブログで好きなように中国視点からの南京事件でもやっててくださいな。
- >そうではなく「真実かどうか不明だから」と何度も書いているのですが
- では、「真実かどうか不明」と主張している研究者の出典を提示してください。「不明論」の話しは出典を出してからにしてください。あなたの検証した「不明」という独自研究は必要ありません。こちらは笠原や秦という研究者が中国が間違っているキャプションであったと述べており、その出典もあるわけです。これを除去できる正当性はありません。出典をお待ちしております。
- また、「著作出版権侵害の問題でしかない」という発言の根拠をお待ちしているのですが出ておりません。どういうことでしょうか?あなたの意見でしかないのですか?だとすれば、どこのだれかもわからないあなた検証は必要なく、独自研究でしかありませんので無意味な言葉です。
- >真実はどうでもいい、などとトンデモなことを言われている。
- すでに真実よりも検証可能性という方針は提示しました。方針を守れないのならばwikipediaからご退出いただき、ブログでもやっててください。秦や笠原が中国のキャプションは間違えであると認定した。その事実があるのみ。アサヒグラフの写真の真実が不明ならば不明であるとする出典・中国のキャプションが正しい・不明とするならばその出典を提示してください。お待ちしています。
- あなたの意見は誰も聞きたくありません。専門家の出典をお願いしますね。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:45 (UTC)
>その事実があるのみ。
アサヒグラフのキャプションは、南京の事実かどうか不明である以上、キャプションを事実であるように誤解させるような記述は適当ではありません。 この点についての議論を拒否して、「事実があるのみ」と教条的に繰り返してもなんら説得力はありません。
>すでに真実よりも検証可能性という方針は提示しました。方針を守れないのならばwikipediaからご退出いただき、ブログでもやっててください。
wikipediaを私物化してはいけませんね。何か勘違いしてませんか? あなたはなんらwikipediaにおいてなんら特別な存在ではないことを自覚して、身の程をわきまえてください。 「南京大虐殺論争」の項目で、出典がありさえすれば「中国人はラーメンが好き」と書き込んでもかまわないと主張するような御仁は、まず、世間の常識を身につけることが必要です。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 00:22 (UTC)
- あのー、「真実かどうか不明」「著作出版権侵害の問題でしかない」とかいうものの出典はマダですか?見事にスルーされているんですが・・・。「いい加減に言い返せばいい」って姿勢はお止めくださいな。誠意を持って答えてください。議論とは相手の言ったことにしっかりと返すことです。で、なければ先に進みません。まずあなたの発言したことについての出典をお待ちしております。根拠も持たずにギャーギャー騒げばいいって姿勢はお止めくださいな。--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:36 (UTC)
あなたが出典を出せないから「真実かどうか不明」と言っているわけですが、自分の置かれている立場を理解してますか? 真実が不明な以上、後は著作出版権侵害の問題しか残らないはずですが、他に何かありますかね? 証拠写真の存在意義としいうのは真実性の証明にあるわけですが、アサヒグラフのキャプションが真実であることを証明出来ない以上、著作権侵害騒動など本論から外れた枝葉末節の話にすぎません。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:43 (UTC)
- 中立的観点からアサヒグラフのキャプションが「真実でない」とか「真実かどうか不明」という出典があるなら、そういう意見もあると記載も可能だと思っていたのですが、出ないのであれば、書くことも出来ず、仕方がありません、という話です。出典のない単なるあなたの想像検証をもとに「公正に欠ける」などという中立性を語られても、正当な反対理由にならないんですよ。それが通るならなんでも「嫌だ」「不公平だ」で駄々こねる反対が可能になってしまいますからね。「公正さに欠ける」事を証明する出典を出して欲しいのです。お待ちしています。
- 少なくとも笠原や秦は中国のキャプションが間違えであったと認定したわけです。当然のことです。初出がアサヒグラフとなれば、その場にいない中国人が、その写真の解説をしていたこととなり、その時点で正確性に欠ける事は確実な訳ですからね。だから笠原もはこれまで中国側で婦女陵辱に関係した写真と信じられてきた今回の秦氏の調査でそれを誤りとする撮影状況が明らかになったと表明したわけでしょう。出典ある研究者の論を排除できる正当理由は今のところあなたから出ていません。「公正さに欠ける」事を証明する出典をお待ちしています。
- また、研究者(笠原)がこれまで中国側で婦女陵辱に関係した写真と信じられてきた今回の秦氏の調査でそれを誤りとする撮影状況が明らかになったと写真の間違えを指摘している中で、この件が「著作出版権侵害の問題でしかない」という発言の出典はマダでしょうか?あなたの独自検証は必要ありません。お願いですから根拠をもとに語ってください。
- 「証拠写真の存在意義というのは真実性の証明にある」と仰っていますが、ならばどれだけの「真実性の証明」ができていない「南京事件とされる写真」があることでしょうね。「証拠写真とされていたものに正確性がなかったことを証明」したこの一件こそ写真の節に最適なものです。残念ですが除外できる根拠ある正当意見が見当たりません。--PSIA 2011年1月21日 (金) 02:45 (UTC)
「真実かどうか不明」については出典は不要です。出典を要求する意味がわかりません。 真実を明らかにした著作物がないことを説明すれば十分です。
>少なくとも笠原や秦は中国のキャプションが間違えであったと認定したわけです。
それはあくまでも、アサヒグラフのキャプションが真実であった場合のみです。 歴史的事実として、アサヒグラフのキャプションが偽りで、引用元の中国の書籍が真実である可能性もあります。 ナチスが「収容所で文化的健康的に生活をするユダヤ人」という内容の映画を撮った後、出演したユダヤ人を虐殺したというケースもあります。
>この件が「著作出版権侵害の問題でしかない」という発言の出典はマダでしょうか?
出典云々の問題ではないのですし、出典があろうがなかろうが、議論にはまったく影響しません。 アサヒグラフのキャプションが真実かどうかわからない以上、真実と誤解されるような記述は不適当です。という主張が、出典云々でどうにかなると思ってますか?
>「証拠写真とされていたものに正確性がなかったことを証明」したこの一件こそ
ここは「南京大虐殺論争」の項目なのですが、秦「先にアサヒグラフが掲載してますよ」笠原「あ、そうですか、ごめんなさい」で終わって論争になっていない話が、どうして「南京大虐殺論争」の記事の対象になるのか不明です。
戦争当事者である日本と中国のプロパガンダ合戦の渦中に生じたレアケースは、日本軍から流出して世界中に報道された第三者である欧米メディアの数多くの写真とは異質ですから、ことさらこれを取り上げると著しく公正さに欠けた記述になります。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 20:59 (UTC)
先に提案しました件なのですが、否定派の写真検証についての否定派からの異議申し立て、東中野氏の写真検証に対する同じ否定派の松尾氏から出された疑義についての記述「なお、松尾一郎は、東中野修道氏の写真検証には数多くの間違いがある、東中野氏は写真検証が出来ない、と主張している」という加筆提案は、「写真検証では名の知れている二人の否定派のうち、一方が他方の写真検証能力を否定している」という事の重大性に鑑みて、やはり、この節では記述を載せるのが妥当です。--Xyzabct 2011年1月23日 (日) 20:15 (UTC)
- 研究者が中国のキャプションは間違えであったと述べている記述に反対し、その理由が記載のない「アサヒグラフが真実である」という出典を求めるという、なんとも頓珍漢な反対意見ではありましたが、こちらはローカルルールが存在しており、方針と関係ない頓珍漢な反対意見でも相手を納得させなければ本文に記載できない。すでに7日以上、議論をしており、話も通じず、もはや合意が出来る状態とは思えず、議論は不調に終わったと判断するしかなく、ローカルルール「異論・反論から7日間で議論が決しない場合は、Wikipedia:論争の解決#ステップ1: 論争の相手と話し合うが不調に終わったことと見なす。」に則り、議論は不調に終わったため、現状のままとするしかないことを申しておきます。--PSIA 2011年1月24日 (月) 15:24 (UTC)
>研究者が中国のキャプションは間違えであったと述べている
さすがに笠原氏でも、中国のキャプションが間違いであったかどうか、日本兵に送られた婦人が虐殺されなかったかどうか、という真相までは知らないわけですが。 笠原氏が「中国のキャプションは間違いで、虐殺はなかったことを確認した」と主張しているというのなら、出典を示してください。指摘した秦氏も知らないはずです。というより、知っている人は誰一人いないでしょう。確かなことは、アサヒグラフの写真には日の丸部落というキャプションがあり、日の丸部落というのは、他の部隊に虐殺されないように日の丸を立てたという由来があり、日本兵による民間人虐殺が行われていた証拠となっている、ということです。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 01:05 (UTC)
- 笠原が「中国のキャプションは間違いで、虐殺はなかったことを確認した」と書けと誰も言っていない。笠原は「虐殺はなかった」とは言っていないのだから。彼は「中国のキャプションは誤りであった」ことを認めたのであり、その事実が記載してあるのみです。
- 今回の秦氏の調査でそれ(これまで中国側で婦女陵辱に関係した写真と信じられてきた写真)を誤りとする撮影状況が明らかになった(「図書」1998)として秦に謝意と自身の行為の謝罪をしたのです。彼はこの写真について中国側の使われ方が誤りであると認めました。繰り返しますが由来やらアナタの意見や写真の節に関係ないことは必要ありません。ローカルルール上、残念ながら議論は不調に終わったため、とりあえずは現状のままとするしかないことを申しておきます。議論がしっかり公平にできる方が出てきたときに改めて笠原の論の追加は提案しようと思っております。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:33 (UTC)
論争史 1971年まで
[編集]元の記事の 「南京事件は、東京裁判において日本と世界[要出典]に大きな衝撃を与えた[2]が、それ以降、日中戦争を取り上げた研究などでは触れられるものの、世間で注目をあびる問題ではなかった[3]。」 という記述は、海外も国内も一緒にしている点で不正確です。1937年12月の事件当時にニューヨークタイムズなどの欧米メディアが報道し、翌年は写真誌「タイム誌」が南京大虐殺の特集記事を組んでいます。
下記のような修正記事を提案します。
「南京事件は、事件当時からニューヨークタイムズなど欧米メディアによって大々的に報道され世界に衝撃を与えたが、戦時中は国内では報道されず、戦後の東京裁判によって初めて日本国民の多くが事件を知った。」--Xyzabct 2010年12月20日 (月) 07:27 (UTC)
- 反対 その節は、1950年頃から1970年までの事件に関心を持たれなかった時代を主題としています。「1971年まで」というのは「論争の始まりから1971年まで」という意味です。戦時中の報道や東京裁判そのものを直接記述する必要があるのなら、明確に時代区分が異なるので、今ある文章に上書きせずに新しい節をたててください。
なお、この事件が再び世間の関心を引くようになったのは、日中両国で80年代以降(秦,2007)、アメリカで90年代以降(遠藤,2008)です。大きく報道された事件が、その後、世間の関心を失うというのはよくある話なのです。 --Yhiroyuki 2010年12月20日 (月) 12:08 (UTC)
そうですね。おっしゃる通りです。「1937年から1945年まで」という節を新しくたてて下記のような記述を入れたいと思います。
「南京事件は、事件当時からニューヨークタイムズなど欧米メディアによって大々的に報道され世界に衝撃を与えたが、日本国内では報道されることはなく、当時のほとんどの国民が事件を知ることはなかった。1937年8月2日の憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」では、「国境を超越する人類愛又は生命尊重、肉親愛等を基調として現実を軽蔑する如く強調又は諷刺し、為に犠牲奉公の精神を動揺減退せしむる虞ある事項」などが言論取締りの対象とされた。」--Xyzabct 2010年12月21日 (火) 09:25 (UTC)
- 反対 現状でYhiroyuki氏の論をすでに本文で表現できており、変える必要性なし。--PSIA 2010年12月23日 (木) 16:33 (UTC)
事件当時から述べていないYhiroyuki氏の記述は不完全です。不完全な記述を皆で補い合おうというのがwikipediaの意義というものです。 これだけの大きな事件で海外では報道され大きな反響があったのに、どうして国内では報道されなかったのか、というのは論争の歴史を語る上では基本的な前提として説明は必要でしょう。--Xyzabct 2010年12月24日 (金) 09:12 (UTC)
- あなたの意見は必要ない。出典が出ていますので仕方がないことです。--PSIA 2010年12月24日 (金) 16:12 (UTC)
必要ない理由がまったく説明されていませんので議論になっていません。前の文では触れられていない時代の記述ですから、出典云々は論理の筋が通っていない話です。--Xyzabct 2010年12月25日 (土) 13:59 (UTC)
PSIAさんは、「明確に時代区分が異なる」節を新たにたてようという話の流れを理解していますでしょうか? 時代区分の違う節なのに「十分だ」「必要ない」「出典が出ている」というまるで意味不明な主張をされています。しかも主張に根拠が伴っていませんから論として成り立っていません。根拠が伴わなければ「異論が提示される」というレベルではなく、野次や駄々っ子の駄々も同然です。根拠を伴わない主張を繰り返す態度は議論に臨む真摯さに欠けていますし、相手に対して失礼なことです。もしも反論されるならちゃんと論を立てるように今後、気をつけてください。--Xyzabct 2010年12月25日 (土) 21:18 (UTC)
- コメント私が節を新たにたてると言ったのは、「必要があるのなら」という条件付きだという事に留意してください。この項、とくに「論争史」節は事件そのものではなく、事件後10年以上経ってから起きた論争について解説しています。事件そのものの解説は、論争史に関する説明の流れ上必要なものだけを記述してください。
例えば上の提案文にある「1937年8月2日の憲兵司令部警務部長通牒」の文面は、論争史とは何の関わりもないはずです。また、当時のことを記述するにしても、見出しは「前史」といったものが適切です。「1937年から1945年まで」には今の意味での論争がまだおきていないためです。 --Yhiroyuki 2010年12月26日 (日) 02:17 (UTC)
Yhiroyukiさんの「今の意味での論争がまだおきていない」から「見出しは「前史」といったものが適切です」という理屈なら、この「1971年まで」の節も同様のはずです。論争がおきていないのにもかかわらず、なぜ、見出しに「前史」とつけられなかったのでしょうか? この節がこれで通用するなら、私の提案の節も同等なはずです。この節の内容は「東京裁判で国民が事件を知ったにもかかわらず論争が起きなかった」時代の説明であり、私の提案している節は「事件直後にもかかわらず言論統制により論争が起きなかった」時代の説明です。「1971年まで」という見出しは「1946年から1971年まで」、私の提案の節は「1937年から1945年まで」という見出しが適当でしょう。--Xyzabct 2010年12月26日 (日) 04:52 (UTC)
コメント 参考文献の『南京事件』では『中国の旅』を論争の始まりとしていましたが、1960年代にすでに否定論が出ていることが、私の編集以前に記述されていましたので、このような形になっています。参考文献のように60年代の否定論を論争の一部とみなさない立場にたち、かつ、それ以前の時代でも節を立てるのであれば、「1971年まで」を「論争以前(戦後から論争の始まりまで)」といった名称にするのが適切です。
さて、事件当時について記述するにしても、それはこの記事の主題に沿ったものでなければなりません。報道された、されなかったということ自体は論争そのものの解説になんら寄与しません。事件当時のことを、後の論争に関連するかたちで記述しようとすると、こんな感じになるかと思います。
- 論争以前(事件発生から戦後まで)
- 南京事件は、直後にニューヨークタイムズによって報じられたが、直前に起きたパナイ号事件がよりセンセーショナルに報じられており、大きな反響を呼ぶことはなかった(秦、5頁)。
- 事件の詳細はハロルド・J・ティンパーリの『戦争について』(1938年7月)によって、欧米で広く知られるようになった。ティンパーリは兵士の死傷者数を約30万人、民間人もほぼ同数と報告していた。一方で、南京安全区国際委員会は死傷者数を4万人前後と報告しており、事件の規模については2系統の異なる数字が知られていた(秦、253―259頁)。戦後の軍事裁判で事件の死傷者数を30余万と認定したものがあり、以後、中国で30万人の数字が定着していった(秦、261頁)。
- 戦争期間中、日本では言論が統制され、事件に関する情報はほとんど伝えられなかった(秦、21―24頁)。
ただ、事件当時について記述するなら、論争史よりも、下の主な見解・論点のところの方がより適切ではないかと思います。「論争史」は記事全体の概要みたいな内容にもなっているので、記事の主題に直結しない情報を入れることで長くなるのは好ましくありません。
最後に「1971年まで」には「東京裁判で国民が事件を知ったにもかかわらず」というような観点は入っておりません。 --Yhiroyuki 2010年12月26日 (日) 08:39 (UTC)
どうもよくわからないのですがYhiroyukiさんが「私の編集以前に記述されていた」「1960年代」の「否定論」があったので「このような形になっています」ということはなら、どうして1960年代の否定論については記述されていないのでしょうか? 論争の始まりというものなら当然記述されるべきでは?
秦氏の引用については、「戦後の軍事裁判で事件の死傷者数を30余万と認定したものがあり」は「死傷者数」ではなく「死者数」です。南京軍事法廷の30万人の犠牲者を認定した判決が最初です。あと、「ハロルド・J・ティンパーリ]]の『戦争について』は、『戦争とは何か』が正しいタイトル(正確には『戦争とは何かー中国における日本軍の恐怖』)で、ティンパリーが述べている犠牲者数は「四万人近くの非武装の人間が南京城内または城門の付近で殺され、そのうち約三十パーセントはかって兵隊になったことのない人びとである」であり、国際安全委員会のベイツの証言内容と同じです。今まで犠牲者の数の議論について述べられてきたのに、ここでいきなり「死傷者数」の話になるのも記事としてあまり適当ではないように思います。それから、「パナイ号事件がよりセンセーショナルに報じられており、大きな反響を呼ぶことはなかった」は誤りで、「悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた」と当時の日本の外交官が証言しています。(石射猪太郎元外務省東亜局長「外交官の一生」中公文庫版 P332~P333) 引用された秦氏の記述はことごとく雑というか正確さに欠けています。
そのようなわけで、60年代の否定論の記述はおまかせして、戦前については下記のような新たな節を立てるのが適当だと思います。
「1937年から1945年まで
南京事件は、事件当時からニューヨークタイムズなど欧米メディアによって大々的に報道され世界に衝撃を与え、写真誌「ライフ誌」は、1938年1月と5月に特集記事を組んだ。当時の欧米での認識は、数多くのメディアやティンパリーの著作「戦争とは何か」(1938年)などによって「非武装4万人殺害、3割は兵士でない」というものだった。
一方、日本国内では報道されることはなく、当時のほとんどの国民が事件を知ることはなかった。(1937年8月2日の憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」では、「国境を超越する人類愛又は生命尊重、肉親愛等を基調として現実を軽蔑する如く強調又は諷刺し、為に犠牲奉公の精神を動揺減退せしむる虞ある事項」などが言論取締りの対象とされた。)」
「論争史」は記事全体の概要みたいな内容にもなっているので、というご主張なので日本国内の記述での言論取締の通牒は()内に入れて参考文書扱いにしました。--Xyzabct 2010年12月26日 (日) 14:33 (UTC)
60年代の否定論の話の続きですが、もしかして、「私の編集以前に記述されて」いた否定論というのは()内の『南京作戦の真相』(東京情報社 1966年)ですか? もしそうなら「当時この本が注目されることはなかった」ので論争が起こらなかったのならやはりYhiroyukiさんがこだわる「前史」ということになるわけで同じことです。この節でのご自身の記述が「前史」なのにもかかわらず、他者にだけ「前史」というタイトルを要求しているというおかしなことになりますので、「前史」というタイトルには特にこだわらないということでよろしいですね?--Xyzabct 2010年12月26日 (日) 15:12 (UTC)
- すみません30万人関係の部分は私の要約ミスです。華中全体で30万人という情報と、南京で4万人という情報とがあって、最終的に事件の犠牲者が30万人という認識になったという説明をまとめようとして失敗していました。
「1971年まで」の節も含めて前史として扱いたいという希望であれば、こういう形はどうでしょうか。(番号は目次とは違っています)
- 論争史
- 前史(1971年以前)
- 事件当時
- 戦後
- 1971年から1982年まで
- 以下続く……
- 前史(1971年以前)
- このようにすれば、本論とは明確に構造が分かれます。
- なお、「前史」やその他の上の記述にある名前自体にはこだわっていません。見出しを見て本論との区別が明瞭であれば、なんでもかまいません。 --Yhiroyuki 2010年12月26日 (日) 15:36 (UTC)
それでいいように思います。
「事件当時」に私の提案した記述を入れて、「戦後」に本文をそのまま入れればいいわけですね。--Xyzabct 2010年12月27日 (月) 02:04 (UTC)
7日以上経過しましたのでローカルルールにより合意成立で修正提案の編集を行いました。Xyzabct 2011年1月9日 (日) 16:16 (UTC)
「古来より中国人は~」について
[編集]「主な見解」の節の、「なお、古来より中国人は誇張した数字を好む性質を持っている。」というような表現は、この項目に限らず一般的に言えることですが、物事を説明する文章としては論理性に欠けていてまったく不適当です。
この一文の削除を提案します。--Xyzabct 2011年1月3日 (月) 09:32 (UTC)
- (反対)出典要求し、一定期間後に出典が出なければ除去すればよい。--PSIA 2011年1月9日 (日) 11:02 (UTC)
- (賛成)科学的根拠が欠く記述で、百科事典としてふさわしくありません。--ちゃんこなべ 2011年1月9日 (日) 11:51 (UTC)
PAIAさんの意見は削除の方法の選択肢のひとつにすぎず、その方法でなければならないという根拠が提示されていません。根拠が伴わなければ論ではなく、異論として成り立っていません。
この場合、事実関係を争っているのではなく、論理的な間違いを指摘しているのですから、史料の問題ではありません。出典の有無が云々という主張はまったく的外れです。Xyzabct 2011年1月9日 (日) 14:25 (UTC)
- いいえ。なぜ[要出典]というものがあるのか学んでください。除去するには表でも広く知らた後におこなってください。--PSIA 2011年1月12日 (水) 14:19 (UTC)--PSIA 2011年1月12日 (水) 14:21 (UTC)
他の節で合意なしの強行編集したPSIA氏の「異論」ではなく「ご希望」ということで理解しました。要出典を利用したい記事があればもちろん利用します。「史料」ではなく「論理」を問題としているここでは不適当ですが。ざっとさかのぼって見たところ「ご希望」ばかりで「異論」はないようですね? Xyzabct 2011年1月12日 (水) 17:28 (UTC)
- 何度も申しますが、出典要求(出典タグ貼り)して一定期間(一ヶ月)経過後ならば除去には反対しません。--PSIA 2011年1月12日 (水) 19:00 (UTC)
- 該当箇所に出典要求タグを貼りました--ちゃんこなべ 2011年1月16日 (日) 11:54 (UTC)
出典は関係ないと何度も書いているはずなんですけどね。 仮に出典があったとしても、誰かの著作で研究成果の本論と関係なく、知的緊張の緩みでついついこのようなことを書いたものを持ち出されても意味がないわけで。 人の話を無視して意味不明な要求をし続けているPSIAさんは、このケースでどうして出典の有無が重要なのか説明できるものならしてみてください。 できないのなら、要求は取り下げということでいいですね?Xyzabct 2011年1月16日 (日) 21:45 (UTC)
- WIKIPEDIAは出典主義です。かんたんに人の記載を除去できるものであはありません。著作権など特に問題のない出典ある記述は保存することが方針であり、方針を熟読してきてください。提案者が出典要求したのですから、あなたがとやかく言うことではありません。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
「WIKIPEDIAは出典主義です。かんたんに人の記載を除去できるものであはありません。」とまた議論の流れを無視した荒らし的な書き込みをしているようですが、ここは「中国人一般の趣味嗜好」を語る場所ではなく、「南京大虐殺論争」を解説する場所です。「中国人は○○が好き」などという論理の脈絡の無い記述は即削除すべきものです。論理の筋の通っていない記述について、出典を求める論理が意味不明です。 このような記述は落書きと同じなわけですが、落書きに出典もなにもありません。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 19:38 (UTC)
- 提案者が出典要求しています。待ちましょう。強引に除去するものではありません。それは荒れる原因となります。気をつけましょう。--PSIA 2011年1月20日 (木) 20:46 (UTC)
あいかわらず人の話を聞いていませんね。 論理の筋が通っていなければ、落書き同然でしょうに。 「中国人はラーメンが好き」という書き込みがされても、出典があれば削除できないのですかね? 「なお、古来より中国人は誇張した数字を好む性質を持っている。」などと論理の筋も何もなく唐突に書き込んでいるのですから、落書き同然です。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:57 (UTC)
- 「中国人はラーメンが好き」と言う確かな信頼できる出典あれば記載可能であり、コンセンサスがなければ除去できません。それがwikipediaの方針です。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:26 (UTC)
やはり、PSIAさんは、wikipediaの荒らしの類型の「悪ふざけ」をやっている悪質投稿者のようですね。 「南京大虐殺論争」の項目でも、出典がありさえすれば「中国人はラーメンが好き」と脈絡もなく書き込みをしてもかまわないと主張されるわけですね?Xyzabct 2011年1月20日 (木) 22:06 (UTC)
- 「敵」を「荒らし」にしたいお気持ちも痛いほど理解できるのですが、無駄な言葉なのでお止めいただいたほうがよろしいかと。信頼できる確かな出典があるならば「中国人はラーメンが好き」と書けます(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」)。どーもあなたは独自研究してしまうところがあるようなので方針を熟読したほうがよろしいかと。--PSIA 2011年1月20日 (木) 22:30 (UTC)
>信頼できる確かな出典があるならば「中国人はラーメンが好き」と書けます
項目とは無関係な記事に書けるわけないでしょうが。 PSIA氏が、非常識な方であることは理解しました。 「アポロ11号は月に着陸した」というのは十分すぎるくらいの出典があるわけですが、「フランス料理」や「浮世絵」や「放射性同位体」の項目のwikipedia記事にも何の脈絡もなく「アポロ11号は月に着陸した」と書けるという世にも奇妙な主張をされているわけですね。 やはり、非常識な方は議論に参加するのは控えた方がよろしいのではないのでしょうか?皆の迷惑になりかねませんので。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:32 (UTC)
- いつ私がまったく無関係な記述でもokと言いましたかね?いい加減にしてください。信頼できる出典があり、例証になっていたり関連していれば「「中国人はラーメンが好き」と書けます。そして「なお、古来より中国人は誇張した数字を好む性質を持っている。」という一文は徐々に数を増やしていき、ついには30万人という異常な数を提示する中国人の特徴として出典があれば書くことができます。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:56 (UTC)
>信頼できる出典があり、例証になっていたり関連していれば「「中国人はラーメンが好き」と書けます。
「例証になっていたり関連していれば」は今回初めて書き加えてますが、相変わらず恥ずかしい真似を臆面もなくされる方ですね。
ということなら、本文は、「例証になっていたり関連して」いないので、削除が適当です。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 00:34 (UTC)
- 何が恥ずかしいのか意味不明なのですが、徐々に膨張させついには30万人にまで達したという異常な数を示す中国人の特徴として膨張した数字を好むことが出典で示せるならば記載すべきでしょうね。--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:42 (UTC)
>徐々に膨張させついには30万人にまで達したという異常な数を示す中国人の特徴として
中国の主張は南京軍事法廷の判決以来ずっと30万人説ですが、この程度の基本知識もなく、南京大虐殺の議論に参加しているとは驚きです。 「中国人一般の好み」と、「南京軍事法廷の判決」との論理的なつながりがまったく示されていないので、「例証になっていたり関連して」いないということです。 文の前後と論理的に何の脈絡のない記述は、落書きと同じですから、即削除が適当です。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:25 (UTC)
- (あちこち書いているうちにミスりました。書き直します)日中戦争の死傷者を徐々に膨張させついには3500万人にまで達したという異常な数を示すような中国人の特徴例があるとおり、そうした膨張した数字を好むことが出典で示せるならば記載すべきでしょうね。--PSIA 2011年1月21日 (金) 03:04 (UTC)
戦争でも震災でも調査が進むにつれて犠牲者数が増えるのは当たり前のことですが、地震の死者がだんだんと増えていったのは、日本人は大きな数字が好き」だからでしょうか? 前の解説文に対して論理的な説明もなく唐突に書き込まれている「なお、古来より中国人は誇張した数字を好む性質を持っている。」という一文は、百科事典の記述としては不適当です。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 21:13 (UTC)
- 日本人が「古来より中国人は誇張した数字を好む性質を持っている。」との出典があるならば書けばよい。出典をしばらく待ちましょう。--PSIA 2011年1月24日 (月) 15:31 (UTC)
論拠なしで「~すればよい」というのは感想文であって、論ではありませんから、異論の提出とは言えません。 論拠を伴わなければ、論を立てるということにはなりません。合意のみなし規定の日数のカウントの対象外です。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 01:16 (UTC)
- 独自意見のみの方に言われちゃ私も終わりですね。しかし残念ですが関係があり出典があるならば書けるというのが方針であり、これには根拠があることは方針を知っていれば理解できることです。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:35 (UTC)
「戦時国際法上合法説」の削除提案
[編集]「主な見解」における「戦時国際法上合法説」は「虐殺否定説・まぼろし説」と部分的に見解が重なりますし、学術的な裏づけや二次ソースがありません。この部分はすべて削除したいと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月12日 (水) 00:55 (UTC)
- (反対)出典があるならば存続。ちなみに一次ソースでも方針上OKです。--PSIA 2011年1月12日 (水) 14:24 (UTC)
「南京大虐殺論争」の記事なのにもかかわらず、肯定派による合法説批判がまるで記述されていないというのは著しく公正さを欠きます。 「主にネット上に見受けられる。」程度の主張は、wikipediaで禁止されている「独自研究」に該当しますから、全面削除が適当です。Xyzabct 2011年1月12日 (水) 17:48 (UTC)
- まあ、まず要出典タグでも貼りなさいな。否定派の研究者(東中野やら渡部など)の主張のひとつでもあるのですから。--PSIA 2011年1月12日 (水) 19:33 (UTC)
- とりあえず要出典タグを貼りましたが、Xyzabctさんも指摘されているように、ネット上の独自見解が元のようですので、全面削除をすべきだと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月14日 (金) 15:32 (UTC)
- お疲れ様です。出典を待ちましょう。--PSIA 2011年1月14日 (金) 16:05 (UTC)
- ちゃんこなべさん。「「戦時国際法上合法説」は「虐殺否定説・まぼろし説」と部分的に見解が重なりますし、学術的な裏づけや二次ソースがありません」とかかれてますが、虐殺否定説・まぼろし説と見解が重なっているなら学術的なソースになり、記述が矛盾しています。また、虐殺否定説・まぼろし説を学説と認めていないのであればこの記述自体がPOVです。「南京事件」のノートでもちゃんこなべさんは、「史実派」という言葉を、大虐殺を肯定する学者に使われているようですが、そうじゃない学者も「学術」をしているのは同じであり両者を区別するのはPOVです。ちゃんこなべさんの見解には所々そういうPOVが散見されます。歴史についての研究をそういう先入観を持ってみるのは非常に危うく、またウィキペディアの記述になじみません。Nakata88 2011年1月15日 (土) 02:39 (UTC)
- 見解が重なることは、「戦時国際法上合法説」と「虐殺否定説・まぼろし説」が別途に存在する根拠になりません。「虐殺否定説・まぼろし説」があれば十分ということになります。--ちゃんこなべ 2011年1月16日 (日) 12:03 (UTC)
- 国際法上合法であることと、虐殺否定説は、その主張が明らかに異なります。違う以上、ソースがあるなら記載する理由は当然あります。Nakata88 2011年1月16日 (日) 15:09 (UTC)
- (コメント)学術的なソースが無いようですので、削除するのが妥当でしょう。--ちゃんこなべ 2011年1月20日 (木) 10:28 (UTC)
- 出典をしばらく待ちましょう。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:28 (UTC)
- ぐぐっただけですが、【 (レジュメ)「いわゆる「南京事件」」原剛(大阪教育大学 社会教育学研究第15号2009.1)※本文[5]※紹介(山田正行)[6]】P.3に「虐殺否定説は、ある程度の捕虜の殺害は認めるが、それは合法的であると解釈し・・・不法殺害ではなかったと主張している】と紹介されており、あながちPOVやNORという感じでもなさそうですけれども、Wikipediaの該当箇所の記述は独自研究臭が強くて、ちょっとこれ大丈夫か?と思わせるところがありますね。直接的に十分記述された信頼できる文献情報が欲しいところ。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 05:14 (UTC)「虐殺否定説・まぼろし説」を勝手に解釈して焼きなおしただけですかね。。。--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 05:16 (UTC)
- 問題提起されていましたか、「戦時国際法上合法説」と「虐殺否定説・まぼろし説」は重複している箇所もありますが、まぼろし説は虐殺そのものを否定していく立場であるのに対し、合法説は虐殺の有無は既に立証不可能としつつも、虐殺があったとしても、それは国際法上違法ではないと主張する論ですので、スタンスが違います。非常に少数論なのは否めませんが、あたらしい視点から論を展開しており、注目すべき論であると考えます。是非存続をお願いします。1次ソースとはどういうものでしょうか?--222.144.10.95 2011年3月5日 (土) 18:22 (UTC)
- 論点は「注目すべき論」かどうかではなく、wikipediaに掲載すべきものか否かという点です。ここでの議論にあるように、その基準となるのは「出典の有無」であり、1月14日に出典を求めるタグを貼って以降、出典の提示はありませんでした。もし、出典があるのでしたら、出典を提示してください。出典がないようでしたら、Wikipedia:独自研究は載せない・Wikipedia:出典を明記するに抵触するものとして削除しなければなりません。一次ソース云々については、Wikipedia:信頼できる情報源をご参照ください。--ちゃんこなべ 2011年3月6日 (日) 11:03 (UTC)
- 出典を追加しました、不備等があるならご指摘ください。--222.144.10.95 2011年3月6日 (日) 14:33 (UTC)
- 少々感違いされているようですが、あなたの独自研究を載せることはWikipedia:独自研究は載せないに違反することになりますので、wikipediaに掲載することは不適当です。ここで提示すべき出典は、「戦時国際法上合法説」を主張する研究者の、その研究が確認できる著作物です。それを提示できなければ、削除するほかないでしょう。なお、記事を編集するにあたって、再度、Wikipedia:独自研究は載せない・Wikipedia:出典を明記する・Wikipedia:検証可能性をお読みいただくようお願いします。--ちゃんこなべ 2011年3月6日 (日) 14:52 (UTC)
- 私の独自研究を載せているわけではありません。合法論は、佐藤和男氏をはじめとして、出典に挙げた人以外にも展開しております(但し表現は一律ではない)。きちんとした論文等を挙げているのですが、具体的にどこが不備なのでしょうか?またウィキペディアの規定によれば30万人説は実証可能な説とはいえないので削除対象になるのではないでしょうか?
- 「戦時国際法上合法説」と「虐殺否定説・まぼろし説」との唯一の違いは、「軍事目標主義」を主張している点です。南京大虐殺のケースで軍事目標主義により合法であると述べている研究者は居るのでしょうか?居ないのであれば、この部分は独自研究ということになります。
なお、原爆判決を根拠として提示していますが、これは単に軍事目標主義を説明するものであり、南京大虐殺に軍事目標主義が該当することを示す「出典」ではありません。南京大虐殺の研究において、軍事目標主義による合法説を主張する「出典」の提示が必要なので、その点、ご注意ください。この点の立証が出来ない場合は、「戦時国際法上合法説」は、「虐殺否定説・まぼろし説」に包含される見解ということになりますので、削除することが妥当という結論に至ります。--ちゃんこなべ 2011年3月7日 (月) 11:17 (UTC) - 既に出典した論文や書物において、佐藤和男「防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制した日本軍の態度」、大原 康男・竹本 忠雄「降伏勧告を拒否して防衛軍が立て寵もれば国際法上の「防守都市」となり、無差別攻撃を受けても文句は言えない。」等の記述がみられるので、軍事目標主義により合法の主張がなされていると考えます。--222.144.10.95 2011年3月7日 (月) 13:42 (UTC)
- 佐藤論文の当該箇所(『正論』2001年3月号、p.317)の論旨は、無差別攻撃が可能だったにも関わらずそれを行わなかった日本軍の態度を「検討すべき法的問題点」と述べているに過ぎず、軍事目標主義をもって「虐殺に当たる行為は否定される」と主張わけではありません。
大原・竹本論文も同様に、軍事目標主義をもって「虐殺に当たる行為は否定される」と主張しているのではなく、市民が被害を蒙る無差別攻撃を受ける状態とした蒋介石の責任を追及しているだけです。
「軍事目標主義により合法の主張がなされていると考えます」と書かれていますが、それは、上記の資料を基にあなたがその様に「考えた」ということではないのですか?それは「独自研究」ですので不適当です。再度となりますが、「南京大虐殺は軍事目標主義によって虐殺にあたる行為は否定される」と主張している二次情報の提示をお願いします。--ちゃんこなべ 2011年3月7日 (月) 14:58 (UTC) - ちゃんこさんは最初に『軍事目標主義により合法であると述べている研究者は居るのでしょうか?』と質問したにもかかわらず、(合法と主張している研究者がいるにもかかわらず)後になって、『軍事目標主義をもって「虐殺に当たる行為は否定される」と主張わけではありません。』と議論をすりかえています。そもそも「戦時国際法上合法説」は、軍事目標主義だけをもって「虐殺に当たる行為は否定される」と主張してるわけではありません。基本的に合法説の理解が足りないので、この説に関して、研究し直していただくか、以後の関与をやめていただきたい。記述は復活させようと思っています。基本的に佐藤和男・大原康男・竹本忠雄などは合法説の範疇に含まれると思います。南京問題小委員会の総括でも虐殺は合法であったとの記述もあるので、客観的検証は充分になされていると考えます。--運命の輪 2011年5月3日 (火) 02:38 (UTC)
- 【基本的に合法説の理解が足りないので、この説に関して、研究し直していただくか、以後の関与をやめていただきたい。】との宣言はWikipedia参加ルール上問題がありますので撤回してください。基本的に信頼できる情報源を横におきながら適切に引用しているかぎりクレームがつくことは無いのですから、クレームがついているのは引用方法が不適切であった可能性をご検討ください。以上すべて一般論です。上機嫌な態度、誤りは修正する度量、だいじだね重要なんだよ。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 08:07 (UTC)
- 「戦時国際法上合法説」の記述を読めば、「南京大虐殺は軍事目標主義によって虐殺にあたる行為は否定される」と主張している説ではないのは明確ですよね。つまり合法説を理解せずに誤解して削除行為の及んでいるのは明らかです。単なる人数カウントの説と違い国際法の高度な知識が必要ですから無理もないですが。さわらぬ神にたたりなしですよ。引用方法に問題があるとも思いません--運命の輪 2011年5月3日 (火) 09:00 (UTC)
- 復帰したいとお考えの版はこれ[7]あたりの事でしょうかね。引用元の【佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』】[8]を適切に引用できている感じはしないですねえ。とくに参照元の論旨において重要な観点(『オッペンハイム国際法論』第二巻)に言及していないのは完全に片手落ちです。また「軍事目標主義により合法」云々を主張している出典が明示されていません。「戦時国際法上合法説」は記述可能(すくなくとも佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』から)ですが、復帰のさいには大幅に修正すべきでしょう。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 09:24 (UTC)
- 「復帰したいとお考えの版はこれ[3]あたりの事でしょうかね。」削除された直前のものでいいと思います。復帰の際に修正すべき点は修正することには賛成です。大和屋敷さんの言う①「とくに参照元の論旨において重要な観点(『オッペンハイム国際法論』第二巻)」とは具体的になんでしょう?軍事的必要関係かな?②「軍事目標主義により合法」の意味は、「軍事目標主義(ハーグ25条)においては、南京城内は安全区も含め防守地域であり、この地域に無差別に攻撃をしたとしても合法だとする。にもかかわらず・・・」部分ですよね?ここの部分は、合法論は無差別攻撃は合法(=許されたor可能)であったのに無差別攻撃をしなかったという主張ですね。この主張は上記【--222.144.10.95 2011年3月7日 (月) 13:42 (UTC)】において回答されてますが、どこが問題なんでしょう?問題提起の意図がわからないので詳しく教えてください。--運命の輪 2011年5月3日 (火) 14:17 (UTC)
- 【佐藤和男氏『南京事件と戦時国際法』】ではオッペンハイム国際法論(第二巻)が当時の国際法の権威ある学説文書であり(【永きにわたり戦時国際法の専門的な解説書として高く評価されてきた】)、それによれば【オッペンハイムの前記著作第三板(一九二一年)は、「敵兵を捕獲した軍隊の安全が、捕虜の継続的存在に より、死活的な重大危険にさらされる場合には、捕虜の助命を拒否できるとの規則がある」と主張して】おり、佐藤和男氏は【第二巻が、多数の敵兵を捕えたために自軍の安全が危殆に瀕する場合には、捕えた敵兵に対し助命を認めなくてもよいと断言した一九二一年は、第一次世界大戦の後、一九二九年捕虜条約の前であって、その当時の戦時国際法の状況は、一九三七年の日支間に適用されるペき戦時 国際法の状況から決して甚だしく遠いものではないことを想起すべきであろう】と言及したうえで【支那側の数々の違法行為(通州事件を含む)に対する復仇の可能性、和平開城の勧告を拒絶して、結果的に自国の多数の良民や兵士を悲惨な状態に陥れた支那政府首脳部の責任、右の勧告を拒絶されながら、防守都市南京に対する無差別砲撃の権利の行使を自制した日本軍の態度、など関連して検討すべき法的問題点はなお少なくない】と結論しています。オッペンハイム国際法論への言及はぜひ必要です。次に軍事目標主義についてですが、佐藤【防守都市】大原・竹本【「防守都市」となり、無差別攻撃を受けても文句は言えない】を合体させる[9]のは厳密に言えば独自研究になり相当あやういですので、あまり推奨できません。ただし私(大和屋敷)としてはそれほど論旨的に矛盾した合成ではなく単に語の解説に過ぎないような印象があります。仮に「どうしてもこの記述全部を削除したくて仕方が無い」ような攻撃的立場に立てば、攻撃を受ければ弱い印象があります。できればより慎重に他の文献をいろいろ渉猟してみたほうが良さそうな気がします。大原・竹本の引用は書名だけでなくページ数なども記述すれば多少ましな印象が生まれるかもしれません。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 14:42 (UTC)
- 丁寧な解説ありがとうございます。①オッペンハイム国際法論(第二巻)の記述について、一般に戦数論と呼ばれています。戦数論は現在では否定されているのですが、南京事件当時は肯否が分かれていたところです。オッペンハイムは戦数論を否定する代表的な国際法学者でありましたが、捕虜の除名が拒否が可能な場合について例外的に戦数論を肯定しています。このように状況は複雑ですので独自研究に陥らずにまとめきれるか心配です。1929年捕虜条約は日本が批准していないので南京事件において適用外だったことも複雑化の要因といえますね。南京肯定論者では、現在と南京当時を混同して、戦数論は完全に否定されていたと主張する一派も存在するので、戦数論の記述は荒れる要因になりますので記述は慎重に行わなければならないと思います。(たとえば捕虜の殺害のところで論じる等)②「軍事目標主義についてですが、佐藤【防守都市】大原・竹本【「防守都市」となり、無差別攻撃を受けても文句は言えない】を合体させるのは厳密に言えば独自研究になり相当あやうい」という指摘ですが、果たしてそうでしょうか?両説ともに、【防守都市・無差別攻撃】という語句を用いている以上、軍事目標主義を前提にした考え方をしているので、逆にこれに難癖をつけてくるほうが勉強不足の独自研究だと思います。他の文献における軍事目標主義に関する記述は、私の知る限り【12月8日上海における日本大使館報道官声明】や、【ラーベの日記12月初旬部分】等に散見されます。「大原・竹本の引用」ネットに公開されているものからの引用ですのでページがないのが難点ですね。。。引用したくても方法がよくわからないのが現状です。重要な証拠写真のアップとかもしてみたいのですがこれもやりかたがわからないので困っています。--運命の輪 2011年5月4日 (水) 01:27 (UTC)
加筆・変更提案
[編集]「当時の報道についての議論」の節
[編集]こちらをご覧ください。左の赤い部分は南京事件の記事と重複している部分であるため、その部分を除去して南京事件記事の当該節へリンクをしておくことで解決させ、新たにダーディンの報道後の主張(右の赤い部分)を記載したいと思いますがいかがでしょうか。--PSIA 2011年1月12日 (水) 19:33 (UTC)
- (反対)その部分に関しては、個々の事例を挙げるのではなく、概括的な説明にすべきだと思います。例えば「否定派はこれに対し「南京の欧米人記者は報道はしていたがその情報源はほぼ伝聞によるもので信憑性が乏しい」と主張している。」として上で、これに対する史実派の見解を載せるべきでしょう。--ちゃんこなべ 2011年1月14日 (金) 15:22 (UTC)
- (コメント)あのですね。否定派が言っているのではなく、ダーディン自身が「伝聞」と言っているという事実の記載なんですが・・・。あなたの提案文によると「伝聞」が否定派の主張でしかないようになってしまい、それは読者に勘違いを与えますし、間違えです。報道記者自身の発言をまず載せた上で、否定派肯定派の意見を載せるべきでしょう。個人的思想から私の提案文を載せたくないお気持ちも理解は出来ますが、「敵のために書く」姿勢を持っていただけると素晴らしい編集者になれると思いますよ。まあ、あなたのような姿勢ならば、変更せずに現状のままにしておくしかありませんね。--PSIA 2011年1月14日 (金) 16:05 (UTC)
- (コメント)「主な論点」における「当時の報道についての議論」を述べる部分であることを失念されているのではないでしょうか。今一度、同節において何を述べるべきか再考すべきかと思います。文案については、改めて提案させていただきます。--ちゃんこなべ 2011年1月16日 (日) 13:07 (UTC)
「当時の報道についての議論」のタイトルと無縁なダーディンのインタビューについての記述は全面削除が適当です。 それから、複数の伝聞の照合により信憑性の高い客観的証拠になるという当たり前のことを無視して、「伝聞だから信憑性が乏しい」を前提に話を進めてあたかもそれが周知の真実であるかのごとく錯覚させる記述は公正さを欠きます。Xyzabct 2011年1月16日 (日) 22:17 (UTC)
- 否定派の伝聞だという主張の記者本人が言っている例証なのですが、何が関係ないのか意味不明です。もしかして肯定派と否定派の議論のみを載せろという強引な主張なのでしょうか。「複数の伝聞の照合により信憑性の高い客観的証拠」というのはあなた個人の意見でしかなく、「伝聞だったから信憑性が低い」という否定派の主張と、記者本人が「伝聞」言っている出典ある記載を方針上、除去できる正当事由はありません。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
- (コメント)Xyzabctさんの意見に賛成します。--ちゃんこなべ 2011年1月20日 (木) 10:25 (UTC)
- こちらは投票ではないのであしからず。しばらくお待ちしましたが具体的な根拠ある反対理由が見当たりません。もう少しお待ちします。--PSIA 2011年1月20日 (木) 20:31 (UTC)
具体的に「当時の報道についての議論」と無関係と反対理由を示しているのですが、理解できないのでしょうか? 関係あるというのなら、該当する「当時の報道」を具体的に示してください。と、何度も言っているのですが、答えることができないのでしょうか?Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:00 (UTC)
- 何が「無関係」なのか、前回も聞いています。当時の報道についての取材方法を記者が伝聞だったと証言しており。それは否定派の例証ともなっているものです。意味不明に「無関係」と何度も言えばよいってもんじゃありません。それこそ議論の妨害でしかありませんよ。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:36 (UTC)
>当時の報道についての取材方法を記者が伝聞だったと証言しており
おやおや、1月1日にご自身がローカルルール違反で合意なしの強行編集をしたときの表現「自分の体験や見聞も含めて」が、いつの間にか「伝聞のみ」になってますね。 自分の書き込みを否定してまでも嘘をつきたい人なのでしょうか?
>何が「無関係」なのか、前回も聞いています。
「当時の報道ではない」「南京以外の話」など全部無関係という話ですが、理解できないのでしょうか?
話をそらしてごまかそうとしても無駄です。 何度でも追求します。 関係あるというのなら、該当する「当時の報道」を具体的に示してください。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 22:18 (UTC)
- 反論するところがなくなって揚げ足取りに走った感が否めませんが「自分の体験や見聞も含めて」でokですよ。だからなんだという感じなのですが・・・。「当時の報道ではない」とのことですが、ダーディンの「自分の体験や見聞も含めて推定した数」というのは当時の報道について語ったものであり、議論において否定派の「多くが伝聞である」とする主張を例証するものでもあり、十分すぎるほど関係あるものです。ちなみに「関係」という日本語の意味は理解出来ているでしょうか?また「南京以外の話」とのことですが、南京事件とは南京事件の記事にもあるように南京地域以外のことも語れられる・議論されることが一般的であり、何が無関係なのか意味不明です。「無関係」の日本語の意味を理解をしていただきたい。何が「無関係」なのか詳細に説明してください。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:13 (UTC)
>「多くが伝聞である」とする主張を例証するものでもあり、
いや、ダーディンは南京では虐殺を目撃しています。 南京以外の話は、南京の記事とは関係ないはずですが、何か関係ありますか?
>南京事件の記事にもあるように南京地域以外のことも語れられる・議論されることが一般的であり、
南京以外のことを語るかどうかの話をしているのではありません。 南京虐殺の範囲は、日本の学者も中国政府も、定義では、南京だけです。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:54 (UTC)
- 目撃しているのは結構、「自分の体験や見聞も含めて推定した数」としているのですからね。そりゃ数人は何かを見たのかもしれません。ともかく否定派の「多くが伝聞である」とする主張を例証するものでもあり、当時の報道の記者の証言として十分すぎるほど関係あるものです。
- 南京以外のことがなぜ南京事件の記事にも書いてあるのでしょうね?多くの研究者が関係させて論述しているからです。本気で関係ないとお考えならば、南京事件について南京地域以外の記述をすべて除去提案してきたらいかがでしょうか?--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:14 (UTC)
>そりゃ数人は何かを見たのかもしれません。
なんですかそれは? あなたはダーディンの当時の記事も文春の記事も読んでいませんね。 その程度の者が、百科事典の記述に参加するというのはおこがましいとは思いませんか?
>否定派の「多くが伝聞である」とする主張を例証するものでもあり
なんの例証にもなってませんが。
ダーディンの目撃例
『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P417 青木書店
ニューヨークタイムズ 1937年12月18日
上海行きの船に乗船する間際に、記者はバンドで200人の男性が処刑されるのを目撃した。殺害時間は10分であった。処刑者は壁面 を背にして並ばされ、射殺された。それからピストルを手にした大勢の日本軍は、ぐでぐでになった死体の上を無頓着に踏みつけ、ひくひく動くものがあれば弾を撃ち込んだ。
この身の毛もよだつ仕事をしている陸軍の兵隊は、バンドに停泊している軍艦から海軍兵を呼び寄せて、この光景を見物させた。見物客の大半は、明らかにこの見せ物を大いに楽しんでいた。
戦後の文春のインタビューでも、この目撃体験をダーディンは否定してはいませんし、他の記事も否定はしていません。
南京以外の話をあたかも南京も含まれているように誤解させるような書き方をしている削除提案の本文は、公正さを欠いてますから、削除が適当です。
>南京以外のことがなぜ南京事件の記事にも書いてあるのでしょうね?
「南京虐殺の領域の定義として南京以外は含めない」というのと、「南京大虐殺の記事で、南京以外のことも書く」というのはまったく次元の異なる話ですが、頭の調子は大丈夫でしょうか?
「南京以外でほとんど虐殺を見聞きしなかった」話と、「南京で虐殺を目撃した話」は、明確に区別すべきです。 文春のインタビューでは、南京での虐殺にも言及しているのにもかかわらず、それを隠蔽して、「南京以外でほとんど虐殺を見聞きしなかった」話をあたかも南京を含む話のごとく記述している削除提案の本文は詐欺的な文章です。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:12 (UTC)
- また推測で突っ走ってしまっているようですが、たとえ200人だろうが数人に入るでしょうに。そりゃ数人は見たのかもしれませんが、論争で言われている何万と彼は自身で見ているわけがない。彼は中国軍人2万、民間人数千と言っていますが、あくまで「できるだけ数多くの関係者に質問し、自分の体験や見聞も含めて推定した数」と言っているように多くが伝聞なのです。当時の報道記者の論であり、否定派の「多くが伝聞」の例証ともなっている論ですので除去する理由がございません。
- 「上海から南京」についてはこちらでは提案していないので、該当の節で話していただきたいのですが、一言だけ。南京にいたるまで日本軍は虐殺などをしてきて南京に至ったという論があり、記事にも書いてある。ダーディンの論はそれを否定する論です。一方の論を消す必要はありません。それはPOVです。南京地域のみ限定したいのならば、すべてを統一しなければなりません。--PSIA 2011年1月21日 (金) 04:10 (UTC)
>また推測で突っ走ってしまっているようですが、たとえ200人だろうが数人に入るでしょうに。
200人は「数人」ではありません。ここまでくると強弁も程度を超えてますね。議論を妨害するための荒らし行為のように見えます。
>当時の報道記者の論であり、否定派の「多くが伝聞」の例証ともなっている論ですので除去する理由がございません。
ダーディンのインタビュー記事を例証にして議論を展開している否定派とは誰ですか? 勝手にPSIAさんが例証にしているのなら、wikipedeaで禁止されている独自研究に該当します。 相手に対しては異常に出典にこだわるPSIAさんが、ここで出典を明らかにしないのはダブルスタンダードというものでしょう。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 21:22 (UTC)
- 数人に入ると思いますがね。くだらない反論はさておき、ともかく私の論旨は彼が報道した数万や数千の被害というものは多くが伝聞だったものであり、彼が見たとしているのは証言から数百レベルでしかないということです。否定派のダーディンが「多くは伝聞だった」との主張は多くあり、そして本人も伝聞から推測したと証言しているのです。例証とは「証拠として引く例」であり、まさに例証でしかないでしょう。しかしなんなら「例証」としてでなくともかまいませんよ。当時の報道をしていた記者の証言ですから出典のまま記載することに方針上の問題もないですし、文芸春秋も(ダーディンの)記事はのちに南京事件についてのどの報告でも書物でも必ず引用されたり、言及されたりしている。とくに中国側が後日、主張するような大虐殺が南京で実際にあったか否かという議論では、どちらの立場をとる側もダーティン報道を貴重な資料として欠かさずに使っていた。そのためダーティン氏は、南京事件解明のカギをも握る歴史の証人とされてきた。として健在であることを知ってインタビューをしたのですから、まさに「当時の報道についての議論」の一翼を担うものです。都合が悪いからと隠すものではありません。イデオロギーからの反対のための反対はお止めいただけませんか?--PSIA 2011年1月24日 (月) 18:14 (UTC)
>数人に入ると思いますがね。
200人は、「数人」とは言えません。
>都合が悪いからと隠すものではありません。
それでは、ダーディンの「南京での虐殺の目撃例」もしっかりと引用した文案を提出してください。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 01:28 (UTC)
- それを書きたい人が文案を出すのが常識です。現在の議論の論旨は、自分の体験と伝聞による推測によって数千の被害としたとダーディンが証言している事実の記載ですからね。反対理由が意味不明なんですよね。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:44 (UTC)
「写真の真偽」の節
[編集]こちらの右のように加筆したいと思います。秦郁彦からも写真への疑義が指摘されていたこと、そして肯定派の笠原もそれを認めたという他にはない一例(事実)であり、読者へ具体的な知識を提供できるものと思われます。いかがでしょうか。--PSIA 2011年1月12日 (水) 19:33 (UTC)
- (反対)否定論・肯定論の個々の研究結果を紹介することは百科事典的とは言えませんし、記事がいたずらに長くなるだけです。概括的な説明を述べるだけで十分だと思います。--ちゃんこなべ 2011年1月14日 (金) 15:25 (UTC)
- (コメント)議論の記事において写真について議論のあった一件ですので、その記載に何ら正当な反対理由は見当たりません。差分を見ればわかるとおり特別長くなるものでもありませんし、長くなるから加筆してはならないという方針もございません。お願いですから個人的なイデオロギーからの行動・発言は控えていただき、読者に知識を提供できるものを隠蔽しようとする行為はお止めいただきたい。「敵のために書く」姿勢を持っていただければ幸いです。まあ、そういう姿勢なのでしたら、変更せずに現状のままにしておくしかありませんね。--PSIA 2011年1月14日 (金) 16:05 (UTC)
- (賛成)南京事件の議論では写真が重要な役割を果たしているため、写真についての議論はむしろ、他の写真についても拡大していくべきです。記述に当然、賛成します。Nakata88 2011年1月15日 (土) 02:42 (UTC)
- (コメント)PSIAさんのコメントの意味が今一つ分かりませんが、冗長な記事を書くことは読者を混乱させるだけですので賛成できません。--ちゃんこなべ 2011年1月16日 (日) 13:26 (UTC)
写真の婦人たちの消息が不明で、歴史的真実という観点で見れば、アサヒグラフのキャプションが正しいのか引用元の中国側の書籍が正しいのかまったく不明な以上、出版界の著作出版権侵害騒動は、「南京大虐殺」は真実かどうかという議論には関係ないことです。Xyzabct 2011年1月16日 (日) 22:02 (UTC)
- 肯定派(笠原)が中国のキャプションが間違えていたと認めた出典ある一件(事実)の記載です。あなたが真実を検証する必要ななく、それは独自研究でしかありません。また、この一件は「著作出版権侵害騒動」などというものではありません。笠原はこれまで中国側で婦女陵辱に関係した写真と信じられてきた今回の秦氏の調査でそれを誤りとする撮影状況が明らかになったことを謝意を表したい。(中略)そして読者には、私の写真史料批判がその誤りを察知するまでに至らなかったことをお詫び申し上げる。上記写真は、編集部とも相談して早急に差し替えたい。(「図書」1998)と謝罪して差し替えたのです。嘘はお止めなさい。写真についての節において間違えていた写真がある事実を読者に提供するものであり、完全に関係しているものです。個人的イデオロギーから隠蔽行為はお止めいただきたい。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
- (コメント)PSIAさん。批判や批評は構いませんが、中傷やレッテル貼りはお止めください。建設的で円滑な議論を行うように心がけてください。よろしくお願い致します。--ちゃんこなべ 2011年1月20日 (木) 10:23 (UTC)
- 個人的イデオロギーがあるかどうかはわかりませんが、写真についてのやりとりは掲載するにたるものだと思います。あえて同意はいらないと思いますが。この写真だけでなく、すべての写真についての検証がすすめばなおいいのではないかと思います。そのテストケースになるのではないでしょうか。掲載に反対する理由はないと思います。Nakata88 2011年1月20日 (木) 13:50 (UTC)
アサヒグラフは当時の撮影状況の詳細など説明などしていません。戦後、カメラマンから撮影状況についての説明があったというのなら、ソースを出してください。 このようなプロパガンダ臭に満ちているアサヒグラフの元記事を事実と誤認させるような記述は公正さを欠きますね。
アサヒグラフ 昭和12年11月10日号 「硝煙下の桃源郷 江南の日の丸部落」
「硝煙なほ煙る揚子江附近の宝山県の片隅に、我が軍の庇護によって平和に帰った二つの部落がある。その一つは『日の丸部落』といはれる盛家橋部落で、入り口には『兵は立ち入るを禁ず』といふ派遣部隊長の告示がある。村長さん格におさまっているのは田窪忠司部隊長で、村民たちから先生々々と慕はれている。約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれ意を安んして土に親しんでいる桃源郷である」
「働けば働くだけ賃銀を貰い、あまつさえ昼夜を分かたぬ庇護を加えられて、綿の選別に余念の無い部落民の嬉しそうな顔を見るがよい(10月14日熊崎特派員撮影)」
「日の丸部落の事を聞いて真っ先にかけつけて救いを求めたのが、この家族だ。母親は事変中に病死、父親が20と14と12の3人の娘を擁して逃げ迷った挙句、親戚の娘一人も同伴して盛家橋にたどり着き今では平和な村民として皇軍の庇護のもとにある(10月14日熊崎特派員撮影) 」
アサヒグラフの写真について取り上げるなら、当然そのキャプションが真実であるかどうか検証するのが当たり前です。 それを抜きにしてプロパガンダの大嘘の可能性が高い写真をあたかも真実であるかのような誤解を招くような記事は百科事典には不適当です。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 19:59 (UTC)
- あなたの検証は必要ありません。いい加減に独自研究はお止めください。アサヒグラフが間違っているという出典があるならば出してください。そもそもアサヒグラフのキャプションが正解か否かについて語っているものではありません。笠原が秦の指摘により、自身の写真使用の間違えと中国での使われ方が間違っていたことを認めたという出典どおりの一件なのですから。肯定派が自身の写真使用と中国での使われ方が間違えていたと認めたという出典のままの他にはない写真についての特筆性あるこの一件を除去できる方針上の理由はございません。これを除去するからには方針違反として確かな反対をしなければなりませんよ。あなたの独自研究を述べられてもこちらは困ってしまいます。--PSIA 2011年1月20日 (木) 20:42 (UTC)
「アサヒグラフが間違っているという出典があるならば出してください。」などと的外れなことを書いてますが、誰も真実がわからないと書いたはずです。 真実がわからない以上、アサヒグラフのキャプションが真実と誤解されるような記述は公正さを欠くと言っているのです。
というわけで、この議論の本質ではないのですが、アサヒグラフの記事がプロパガンダかどうかは、読者の判断にまかせます。
「硝煙なほ煙る揚子江附近の宝山県の片隅に、我が軍の庇護によって平和に帰った二つの部落がある。その一つは『日の丸部落』といはれる盛家橋部落で、入り口には『兵は立ち入るを禁ず』といふ派遣部隊長の告示がある。村長さん格におさまっているのは田窪忠司部隊長で、村民たちから先生々々と慕はれている。約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれ意を安んして土に親しんでいる桃源郷である」
婦人たちがこの後、虐殺されたかどうかわからないのですから、逆に中国側の説明の方が真実である可能性もあるわけです。 ちなみに、ナチスは「ユダヤ人は収容所で文化的・健康的な生活を送っている」というプロパガンダ映画を作ったのですが、映画に出演したユダヤ人はその後、虐殺されています。 言論統制されている非民主的国家の雑誌のキャプションをあたかも真実であるかのごとく百科事典に記述するのは、適当ではないのは当たり前のことです。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:13 (UTC)
- どこにもアサヒグラフのキャプションが真実とは書いていません。単に笠原が中国のキャプションが間違っていると認めた一件を出典のままに記載しているのみです。あなたが真実か否かを考える必要はない。それは独自研究なのです。いい加減に方針を理解してください。真実か否かでなく検証可能かどうかが記載できる条件なのです。そして、こちらはその出典があるのです。専門家が写真使用のミスを認めた一件であり、あとはそれを読んだ読者の判断に任せるしかない。あなたが操作することではないのです。「中国側の説明の方が真実である可能性もある」ならばその出典を示した上で記載すればよい。出典がないのならば書くことは出来ない。あなたの主張はwikipediaの方針上、この件についての記載を除去できる正当理由となっていません。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:51 (UTC)
ここは「南京大虐殺論争」を解説する場所なのですから、アサヒグラフのキャプションが真実であるという出典がなければ、あなたの書き込み提案は認めることはできません。アサヒグラフのキャプションが真実であるかどうかを脇においた記述は、読者にキャプションを真実と誤解させるという点で、著しく公正さを欠いています。書き込みをするには、戦後のカメラマンの証言なり、まずは出典を出すことが必要です。
>検証可能かどうかが記載できる条件なのです。
では、検証可能になるような出典を出したときに、あらためて書き込みの提案をしてください。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 22:25 (UTC)
- 何度も申しますが、書いていないことに出典を求めても無駄です。アサヒグラフが真実か否かの話は誰もしていません。笠原という専門家が中国のキャプションは間違えであると認定し、自身の間違えも認めた事実があるのみです。こちらには出典があり、あなたにはない。出典ある専門家の意見を除去できる正当理由があるならば方針を持って主張してみてください。「公正さがない!」などという個人反対感想文は必要ありません。中国のキャプションが正しいという出典があるならば、それを載せれば良いことです。出典もないのに公正さ(中立性)もなにもありませんよ。あなたの独自研究はお止めください。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:13 (UTC)
>書いていないことに出典を求めても無駄です。
1月1日にあなたはちゃんと書いてますよ。 「我が兵士(日本軍)に援けられて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ」という写真 このキャプションが真実かどうか、本当は虐殺されていないかどうかの、撮影状況の真実を示す出典を求めているのです。 日の丸部落を「桃源郷」などと書くようなキャプションですから、当時の日本の雑誌の信憑性などその程度です。 ここは「南京大虐殺論争」を記述する場所なのですから、証拠写真が真実かどうかが一番重要なことです。 戦争の一方の当事者側のプロパガンダ臭のある写真のキャプションを真実と誤解させるような記述は公正さを欠きます。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:54 (UTC)
- 何を仰っているのでしょう?アサヒグラフのキャプションは書いてますが、それが真実だとは書いてませんがな。中国のキャプションが間違えていたと秦と笠原が認定した事実を出典のままに記載してあるのみであることは一目瞭然でしょう。アサヒグラフのキャプションが「真実不明」だとか「虐殺されている・されていない」とか中国側のキャプションが「正しい」などの出典があるならば、それを提示してください。それが出ないと、真実を検証しているあなたの「意見」でしかなく、独自研究なんです。つまり正当な反対理由になっていないんです。--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:14 (UTC)
>アサヒグラフのキャプションは書いてますが、それが真実だとは書いてませんがな。
真実かどうか不明なキャプションを真実であるかのごとく誤解させる記述をするのは、公正さを欠きます。
>中国側のキャプションが「正しい」などの出典があるならば、それを提示してください。
どちらが真実か不明だから、アサヒグラフについての書き込みは適当ではないと言っているのです。何度も言っていますが。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:12 (UTC)
- アサヒグラフのキャプションをそのまま書くだけのことの何が「真実であるかのごとく誤解させる記述」で「公正さを欠く」のでしょうか?意味がわかりません。よほど事実を隠蔽するほうがあなたのイデオロギーからのPOVであり、「公正さを欠く」ことに気づいてください。
- 真実が不明だとか、真実がわかるとか、あなたが真実を検証する必要はないんですよ。それは独自研究と言うのです。真実よりも検証可能かどうかが記述には必要で、私には確かな出典があり、あなたにはない。結論は見えています。いい加減、方針を熟読してきてください。反対理由が感想文のみで正当性がありません。--PSIA 2011年1月21日 (金) 04:10 (UTC)
>アサヒグラフのキャプションをそのまま書くだけのことの何が「真実であるかのごとく誤解させる記述」で「公正さを欠く」のでしょうか?
当時のような軍の言論統制による記事は「真実であるかのごとく誤解させる記述」で「公正さを欠く」から、現憲法で検閲が禁止されているのです。
逆に言えば、軍の言論統制は、それによって歪曲された記事で国民を騙す効果があったからやったのです。効果がないのならやりません。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 21:43 (UTC)
前提に嘘が入ると人は騙されやすいという人間の一般的な性格があるので(二分法トラップ)、多くの人に先に出版されたアサヒグラフのキャプションが真実だと誤解される恐れがあります。当時のプロパガンダ垂れ流しの記事を紹介するのでしたらそれなりの補足説明が必要です。真実についてより多くのことを語りたいのでしたら、日の丸部落の由来(親日の村の中国人が他の部隊に虐殺されないように日の丸を立てた。当時日本兵による民間人の虐殺が行われていたことの証拠)についての記述も加えるべきでしょう。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 22:19 (UTC)
- こちらはアサヒグラフのキャプションが嘘であるとも真実であるとも書いていません。あなたは「前提に嘘が入ると人は騙されやすい」とアサヒグラフのキャプションが「嘘」であるという前提で「真実だと誤解される」と話を展開されていますが、ならばアサヒグラフのキャプションが「嘘」であるとする出典を提示してください。また、どこに「前提に嘘」が書かれているのか詳細にご説明ください。「前提に嘘」が書かれていたら確かにマズイです。私の提案分のどこに「前提の嘘」が書かれているのかご提示いただき詳細な説明を求めます。それができなければ「読者が誤解する」というあなたの主張は崩壊してしまいます。ちなみに、こちら側はアサヒグラフのキャプションが真実だとか嘘だとか書いていないので、こちら側は真実であるとか嘘であるとかの出典(根拠)を出す必要はない当然のことです。また、アサヒグラフのキャプションにこだわっていますが、あなたの反対理由からすると笠原と秦などの研究者が「中国のキャプションは間違えていた」と述べている事実自体には反対意見はないようですがどうなのでしょう。まずアサヒグラフのキャプションが「嘘」であるとする出典をお待ちし、また研究者の「中国のキャプションは間違えていた」という意見の記載には反対はないのか回答を求めます。あとできましたら真実か嘘かを書いていないものに出典を求めることが正当であるとする方針上の根拠があれば提示してください。--PSIA
>ならばアサヒグラフのキャプションが「嘘」であるとする出典を提示してください。
言論統制下にあった雑誌のプロパガンダ記事を引用するには、それなりの補足説明が必要と言っているのです。 アサヒグラフのキャプションに書かれている日の丸部落は、「他の部隊が、親日の村の中国人を虐殺しないように日の丸を立てた。当時、日本兵による民間人の虐殺が行われていたことの証拠」という説明はしておくべきです。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 01:28 (UTC)
- また独自意見ですか。アサヒグラフが「言論統制下にあった雑誌のプロパガンダ記事」であるとする研究者の論なり出典はあるのですか?アサヒグラフのキャプションが「嘘」であるとする出典とともにお待ちしています。出せないのならば、あなたの独自研究であり、記載できないとする反対理由にすらなっていません。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:44 (UTC)
「2 主な見解 2.1 三十万人以上」の節の「科学的根拠が一切なく」について
[編集]その一
[編集]「ただしこれらはいずれも科学的根拠が一切なく、日本側の学者からは支持されていない。」という記述は誤りですので削除を提案します。
「科学的根拠」の言葉は漠然としすぎていてどういう意味で使っているのか、筆者が本当に理解した上で使っているのか疑問ですが、「科学的アプローチがまったくない」という意味なら、中国側は法医学的なアプローチをして、一部の遺体の検死をして銃剣を刺した角度を出したりしてそれを南京の記念館で展示していますし、もっと根本的に、30万人説は「科学的に実証されていない」という意味なら、日本側の説も含めてすべてそうです。どれも仮説にすぎないから、30万人説だの、20万人説だの、4万人説だのと「説」と言われているわけです。科学的に実証されていたら「説」とは言いません。しかし、実証するためには仮説が必要です。仮説と実証が科学の方法です。仮説を出すことは科学の方法として当たり前のことです。
日本側の研究も中国側の研究も一次史料、文献を重視している点では同じで、違いはどの史料を採用して、不法殺害の割合の推定をどうするかなど、史料の選択、推定の計算の違いにすぎません。
「科学的根拠」のいずれの意味においても、本文は誤りですので、削除が適当です。
本文は、30万人説について科学的根拠が「一切」ないという点について、「日本側の学者」と表現できるだけの学者たちのコンセサスがあるというもので、このような大胆な主張をするなら、少なくとも下記の諸説で名前の出ている学者たちの著作でことごとく出典を示す必要があります。--Xyzabct 2011年1月16日 (日) 22:47 (UTC)
- 中国側にも30万人説を否定する教授もいることを提示するならば、賛成。それができないのならば反対。30万人説に科学的根拠がないという表現は、張連紅(南京師範大教授)も言っている「30万人は学術的に根拠はなく、中国の研究は、日本で高まった南京事件否定説に対抗するイデオロギー的なもの」というイデオロギー的などんぶり勘定を表現しているものですからね。--PSIA 2011年1月17日 (月) 13:55 (UTC)
- (賛成)Xyzabctさんの指摘どおり、論理的に誤っている文章だと思われます。そもそも「主な見解」を述べるべきところに、その見解の批判を入れる必要ありません。なお、張連紅氏は「現在の資料で犠牲者数を確定することはできない」と述べただけのようですね。また、張氏は笠原氏の教え子なので、おそらく史実派に属すると考えるべきでしょう。--ちゃんこなべ 2011年1月20日 (木) 10:18 (UTC)
- 科学的根拠がないというのを否定するには、30万人説の科学的根拠を書くことです。日本の学者に30万人説を支持する人がいない理由が根拠がないということなら、そういう表現にすればいいと思いますが、単純に削除するのは現実の説の分布をあらわさないことになるので妥当ではありません。とりあえず、日本側に支持者がいないこと、30万人説を根拠づける資料がないという批判があることは書いたらいいと思います。
- ちゃんこなべさん。すでに指摘してますが、あなたの判断で「おそらく史実派」などと、史実派ということばを振り回すのはやめてください。非常に他の学者に対して失礼です。ここで論ずるにたる学者は、全員、史実を語っているのであり、史実派です。史実派を独自に定義して使う学者がいるなら、それを引用してその範囲でつかってください。Nakata88 2011年1月20日 (木) 19:34 (UTC)
「日本側に支持者がいないこと、30万人説を根拠づける資料がないという批判があることは書いたらいいと思います。」の、「日本側に支持者がいないこと」というのは論壇で説を発表している学者限定ということになりますが、日本側の説もバラバラでたとえ日本の学者でも自分の説とは異なる説は支持していないのですから同じようなものです。「30万人説を根拠づける資料がない」というのも、日本側のさまざまな説について異なる説の相手に同じように言えることです。日本側も含めてすべての説にはそれぞれの学者の算定方法による推定の数字が入っています。バラバラの説が乱立している日本側にも決定的な説はないのですから、「支持者がいない」「資料がない」などという言葉で30万人説を特別視できるような立場ではないと思いますが。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:20 (UTC)
ところで、台湾も30万人説なのですが、もともとは国民党の南京軍事法廷が最初なのですから、ここは台湾の見解も記述すべきでしょう。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 20:20 (UTC)
- 「日本側」を連発していますが、私は提示しているように「中国側」からも疑義が呈されている数字ですよ。「学術的根拠がない」と中国の研究者からも言われている事実は書かない単なる除去は偏った隠蔽でしかなく大反対を申しておきます。--PSIA 2011年1月20日 (木) 20:27 (UTC)
「学術的根拠がない」と言っている南京師範大学の張連紅教授は、それではどの説が「学術的根拠がある」と言っているのでしょうか? 自分自身は、「学術的根拠がある」説として、○○人説を出してないですよね? 実証は不可能と言っているのなら、この人にとっては日本側の説も含めてすべての説は「学術的根拠がない」です。 実証できないという点では、日本側の説も同様です。
それと、問題にしている「科学的根拠が一切なく」と「学術的根拠がない」とは意味がまるで違います。 科学的根拠が多少あっても推定ばかりで根拠が乏しすぎる結論については「学術的根拠がない」と言える場合もありますので。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 21:25 (UTC)
- >それではどの説が「学術的根拠がある」と言っているのでしょうか?
- 私は知りません。出典からわかることは30万人と言う数字は「学術的根拠がない」とはっきり指摘しているということです。日本側が実証できていないのか、張連紅が実証できていないのか知りませんが、日本側からも中国側からも30万人説には疑義が呈されていることは出典から事実であるだけです。
- >問題にしている「科学的根拠が一切なく」と「学術的根拠がない」とは意味がまるで違います。
- 同じようなものと思いますが、その部分について書き換えるならば私は反対はしません。--PSIA 2011年1月20日 (木) 21:57 (UTC)
>30万人説には疑義が呈されていることは出典から事実であるだけです
疑義が呈されているという点では、日本の各人各様のさまざまな説もそうですが。 それぞれの学者が自説を主張するということは、他の異なる説には疑問を抱いている、ということです。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 22:46 (UTC)
>同じようなものと思いますが、その部分について書き換えるならば私は反対はしません。
張連紅教授は日本の学者ではありませんから元の文とは違う話になってきます。違う話を書き込む提案は別にしてください。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 22:46 (UTC)
- ならば現状のままでしか仕方がありませんね。間違っている表現でもありませんし。--PSIA 2011年1月20日 (木) 23:16 (UTC)
間違っている表現です。 「科学的根拠が一切ない」というのはあまりにも漠然とした表現ですが、科学的アプローチがないという意味なら、中国は一部の遺体について法医学的な検視をやっているから間違い。もっと基本的に科学的な実証がされていないという意味ななら、日本側のすべての説も同様。30万人説だけという書き方は間違い。○○説などと「説」と呼ばれているのだからすべて仮説にすぎない。仮説を出すのは科学の方法であり、この意味でも間違い。よって、「科学的根拠が一切ない」というのはあらゆる意味で間違いです。Xyzabct 2011年1月20日 (木) 23:59 (UTC)
- 法医学的な検視から30万人がはじき出されているのですか?ならば、その根拠を。--PSIA 2011年1月21日 (金) 00:17 (UTC)
簡単な言葉で説明しているのに、同じ説明を必要とする人には困ったものですが、一部の遺体の検視をやったというのは、科学的なアプローチがあるかどうかという意味の場合の話です。少しでも科学的アプローチをやったのなら「一切ない」ということにはなりません。30万人が実証ができたかどうかという意味なら、日本の説も同様です。この意味で使うなら日本の説もすべて「科学的根拠は一切ない」ということになります。Xyzabct 2011年1月21日 (金) 01:17 (UTC)
- 30万人の数の話なんですが、一部の検視が何か関係があるのですかね?30万人説に関係あるってんなら根拠を。--PSIA 2011年1月21日 (金) 04:15 (UTC)
本文の「科学的」という意味が「科学的アプローチ」という意味ならば、「一部」でもあれば「一切ない」ということにはなりません。また、「科学的実証」という意味なら、日本のさまざまな説もふくめてすべての説がそうで、「30万人説にかぎらずすべての説は科学的根拠が一切ない」ということになります。いずれの意味においても本文は不適当です。Xyzabct 2011年1月22日 (土) 21:47 (UTC)
- Xyzabctさんはこうかかれてますが、『本文の「科学的」という意味が「科学的アプローチ」という意味ならば、「一部」でもあれば「一切ない」ということにはなりません。』とかかれてますが、これは無理です。一部検視は30万人の根拠にはなりません。数を問題にしてるわけですから。
- 30万人には科学的な根拠が一切なくというのは確かに強い表現ですが、これは反例が可能なはずです。30万人の科学的根拠を挙げられるならあげればいいのではないでしょうか。
- 30万人説には科学的根拠がなくでも、一切なくでもどちらでも同じことを意味しますからレトリカルにどちらを選ぶかだけの話ですのでどちらでもいいと思います。しかし、上述したように一部検視は30万人説の根拠にはなりません。そこのところはあいまいにしてはだめだと思います。Nakata88 2011年1月23日 (日) 18:05 (UTC)
- (削除)出典も提示されないようですし、削除が妥当でしょう。--ちゃんこなべ 2011年1月23日 (日) 13:58 (UTC)
>30万人の科学的根拠を挙げられるならあげればいいのではないでしょうか。
それですと、私が説明した後者の意味、「科学的実証」という意味の場合です。 何度も説明していますが、その場合ですと、日本の4万人説も10万人説も20万人説も、科学的根拠は一切ない、ということになります。 科学的に実証されていないから、それらは「説」と呼ばれているのです。 反論があるのでしたら、日本側の説の「科学的根拠」を示してください。--Xyzabct 2011年1月23日 (日) 18:28 (UTC)
- 科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば、日本のほかの説に科学的根拠がないということはないでしょう。この場合、証明は30万人について資料に基づいた論証があるのかどうかです。一部ではなく30万人という数字を論証対象なのですからそのような論証がないことは日本に30万人説の人がいないことから明らかです。そのことをさして科学的論証がないというのはいえると思います。しかし、ほかの表現で、30万説を支持する証拠がなく、日本側の支持者はいないと書いてもいいでしょう。
- つまり表現内容は変更の余地はありますが、30万人説をささえる論拠は提出されていないということははっきりかくべきですし、かけます。Xyzabctさんは一部について、つまり「虐殺が存在した」ということを一人でも論証すれば30万人の一部について論証したのだから30万人説の論拠がないということはないと書かれていると理解しますが、それは論理的に間違いです。必要なのは30万人という数字の論証であって、そのうちの一部の証明ではありません。Nakata88 2011年1月24日 (月) 05:40 (UTC)
- 少なくとも科学的実証が「資料に基づいた論証」という意味だとすれば、中国側の30万人説は十分論拠を示しているでしょう。--Kanbun 2011年1月24日 (月) 08:39 (UTC)
Kanbunさんの回答と重複しますが、本文の「科学的根拠」についてのNakata88さんの解釈が「資料」ということなら、中国側の30万人説も日本側のさまざまな説も、「資料による数+推定数」なのですから、どちらも同じ程度の科学的根拠があると言えます。30万人説も4万人説も当時の南京市の公文書である埋葬記録などの一次史料に基づいて、それぞれの推定数を加えています。(日本軍資料すら無視している「資料も証言も無視」のマボロシ派は別ですが)。間違いという点に加えて、そもそもこのように、何を意味しているのか定義をしなければ議論することすらできないという本文の表現自体が不適切です。--Xyzabct 2011年1月24日 (月) 09:12 (UTC)
- Xyzabctさんに検視とやらが30万人説と関係あるのかの根拠をお待ちしましたが、提示されなかったことを確認いたしました。そもそも学術的根拠がないという出典があるわけで科学的根拠がないという表現でも間違えはないでしょう。「学術的根拠」に書き換えることに反対はしませんが除去には反対を申しておきます。--PSIA 2011年1月24日 (月) 16:18 (UTC)
- 私には十分根拠が提示されているように確認できますが。どこをどう読んで「提示されなかったこと」を確認したのでしょう?--Kanbun 2011年1月24日 (月) 22:44 (UTC)
- あれ?私には見当たりませんでしたが、検視とやらが30万人説と関係あるとの根拠はどこなんでですか?--PSIA 2011年1月24日 (月) 23:09 (UTC)
- 人の意見をよく読んで下さい。少なくとも科学的実証が「資料に基づいた論証」という意味だとすれば、30万人説が日本側のさまざまな説と同等に「科学的根拠」があると見なせます。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 00:39 (UTC)
- あれ?私には見当たりませんでしたが、検視とやらが30万人説と関係あるとの根拠はどこなんでですか?--PSIA 2011年1月24日 (月) 23:09 (UTC)
- 私には十分根拠が提示されているように確認できますが。どこをどう読んで「提示されなかったこと」を確認したのでしょう?--Kanbun 2011年1月24日 (月) 22:44 (UTC)
- Xyzabctさんに検視とやらが30万人説と関係あるのかの根拠をお待ちしましたが、提示されなかったことを確認いたしました。そもそも学術的根拠がないという出典があるわけで科学的根拠がないという表現でも間違えはないでしょう。「学術的根拠」に書き換えることに反対はしませんが除去には反対を申しておきます。--PSIA 2011年1月24日 (月) 16:18 (UTC)
>検視とやらが30万人説と関係あるとの根拠はどこなんでですか?
虐殺と思われて検視をした一部の死体に無関係な死因の死体が相当数混ざっていたら、30万人説よりもずっと少ない数字になるわけですから、おおいに関係があります。
全数を検視をしなければ科学的根拠がないということなら、一次史料頼りの日本の説もぜんぜん「科学的根拠がない」ということになります。--Xyzabct 2011年1月25日 (火) 01:40 (UTC)
- Kanbun氏へ。Xyzabct氏の主張していた検視とやらが、30万人説とどのように繋がっているのかの根拠・出典を求めています。30万人説について述べていますので幾人かの「科学的根拠」では、30万人説については科学的根拠は無いとなってしまいます。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:48 (UTC)
- はっきり言って私は検死の話はどうでもいいのです。そうではなく、この「中国側に科学的根拠がない」という記述が出典もなく記されているのがそもそも問題であると思いますし、科学的根拠の意味も不明確ですから、こんな意味不明な記述は削除すべきと思います。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 07:53 (UTC)
- Kanbun氏へ。Xyzabct氏の主張していた検視とやらが、30万人説とどのように繋がっているのかの根拠・出典を求めています。30万人説について述べていますので幾人かの「科学的根拠」では、30万人説については科学的根拠は無いとなってしまいます。--PSIA 2011年1月25日 (火) 01:48 (UTC)
- ここで、科学的根拠がないとして支持していないのは日本側の研究者のことです。中国側の論証が科学的根拠があるかどうかを判断するのはKanbunさんではありません。信頼できる情報源、つまり、研究者の判断です。この点で、中国側を支持する研究者が日本側にいないということは事実です。
- したがって、中国側の30万人説が日本側にはまったく支持されていないということは、はっきり書けるわけです。あとはレトリカルな問題です。それについてはさまざまな表現がありえます。科学的論証がないという理由は挙げられてしかるべきでしょうし実際に上げられているはずです。ソースを探せばいいと思います。Nakata88 2011年1月25日 (火) 08:39 (UTC)
- ソースがないことが問題なんです。ソースもなしに研究者の判断云々論じても議論に何の進展もありませんよ。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 11:10 (UTC)
- 日本側に30万人説を採る論者がいないのは明らかです。その点について異論があるなら、30万人説の日本側の論者を提出してください。Nakata88 2011年1月25日 (火) 12:17 (UTC)
- 日本側に30万人説を採る論者がいないのと30万人説に科学的根拠があるかどうかは別問題です。中国側の根拠を敢えて黙殺していることもありうるわけですから。問題なのは件の記述にソースがないことで、これでは検証のしようがありませんから、ウィキペディア的には明らかにNGな記述です。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 12:30 (UTC)
- (コメント)とりあえず、合意の基準と方法 第3項の状況を過ぎましたので、コメント依頼を出しました。--ちゃんこなべ 2011年1月25日 (火) 12:22 (UTC)
その二
[編集]- コメントコメント依頼から。科学的根拠の有無と言った話は分かりませんが、丸ごと除去せずとも記述の仕方を変える事によって言わんとすることをそのままに問題のない記述とする事も出来るのでは?例えば「ただしこれらは日本側の学者からは科学的根拠がないとして支持されていない」というように、少し入れ替えるだけでも問題ないように思えるのですが。まあNakata88さんたちの主張する「日本側に30万人説を採る論者がいない」って言うのが正しいという前提ありきですが。--はぬまん 2011年1月25日 (火) 17:18 (UTC)
- 出典があればわかりますが、現状件の記述には全く出典がないわけで。検証可能な文献が示されない限り、内容は検証不可能なのですから、検証可能なことのみ載せるというウィキペディアの原則に明らかに反すると私は思うんですがね。「日本側に30万人説を採る論者がいない」っていうのは悪魔の証明だと思いますし。仮にできたとしても検証可能な文献に基づかなければ独自研究でしょう。--Kanbun 2011年1月25日 (火) 23:44 (UTC)
日本側のさまざまな説も中国側の30万人説も、一次史料をベースに推定数を計算しているわけですから、30万人説が「科学的根拠がない」と言えるだけの日本の学者など存在しないはずです。中国側の説になくて日本側の説にある「科学的根拠」というものががどうも思い当たらないのですが、具体的に説明できる方はいますか?--Xyzabct 2011年1月26日 (水) 00:51 (UTC)
- (Kanbunさんに対して)「日本側に30万人説を採る論者がいない」っていうのが確かか悪魔の証明なので、それゆえ提案した文章では「一切なく」というのを除きました。これなら科学的根拠がないという主張をなさっている方が日本側にいるという出典が示されれば問題ないのではないのかなと。誰一人いないという出典を示すのは無理でしょうが、科学的根拠がないという主張の出典のみならば検証可能性も満たしやすいのではないでしょうか?
- (Xyzabctさんに対して)『「科学的根拠がない」と言えるだけの日本の学者など存在しないはず』というのですが、少しばかり主観的ではありませんか?ウィキペディアとしては科学的根拠がないという主張をする日本の学者がいれば出典があれば記述していい訳です。論争記事ですからそういった主張も併記した方が中立的でしょうしね。学者の主張内容に科学的根拠がないと断じられない理由があったとしても、それを理由に排除するのは独自研究的でウィキペディアらしからぬ編集であるように思われるのですが。--はぬまん 2011年1月26日 (水) 06:00 (UTC)
- はぬまんさんの立場に大体賛成です。
- 要するに、日本側に30万人説をとる人がいない。ということは今のところかけます。(反証がない限りですが。)。
- そのうえで、30万人説をとらないのは、30万人説に科学的な証拠がないからであるというのは、歴史学が科学である以上当然に内包しているはずですが、それについての論証は逆に言えばあえて言う必要はないことでもあります。当然ですから。
- しかし、「科学的証拠がない」と言い切っている人がいれば、当然のことですから書いていいと思います
- また、30万人説をとる人がいない以上、科学的証拠がないということを書いても独自研究にはならないと思います。それはとる人がいないということが内包する事実だからです。
- ただ、一切という言葉は微妙な事実の評価を伴うので省いたらいいのではないでしょうか。
- 結論としては、「ただしこれらはいずれも科学的に説得力のある根拠がなく、日本側の学者からは支持されていない。」。ではどうでしょうか。
- これなら、学者が支持してない理由としては至極当然のことで、歴史学が科学であることを前提にすれば、言い換えに過ぎないので、問題ないと思います。Nakata88 2011年1月26日 (水) 09:18 (UTC)
>日本側に30万人説をとる人がいない。ということは今のところかけます。(反証がない限りですが。)。30万人説に科学的な証拠がないからであるというのは、歴史学が科学である以上当然に内包しているはずですが
その論理ですと逆に、「中国側に日本の説をとる人がいない。ゆえに、歴史学が科学である以上、日本側の説に科学的証拠がないということがその事実に内包されている」ということになります。明らかに間違った論理です。言い換えますと、歴史学が科学だからという理由で歴史学者が自分以外の説を否定したからといって、その説に「科学的証拠がない」などと自動的に証明されるわけがありません。
>30万人説をとる人がいない以上、科学的証拠がないということを書いても独自研究にはならないと思います。
中国の学者にいても、日本の学者にはいないから「科学的証拠がない」という主張は論理的ではありません。どうして日本の学者が「科学的証拠の有無」の基準になるのでしょうか? 「これらはいずれも科学的に説得力のある根拠がなく」というのは「中国の学者にはいても日本にはいない」という事実から自動的に証明される客観的事実ではなく、独自研究にすぎません。--Xyzabct 2011年1月26日 (水) 14:22 (UTC)
- (はぬまんさんへ)私は出典があれば検証可能な事実なので、まず記載して良いと思っています。現状では、出典がないので検証可能ではないので削除すべきだと申しているまでです。Nakata88さんなり誰かが検証可能な文献を示して下されば問題ないと思います。
- まあ、中国というのは党の中全会で歴史決議をやってそれに合わせて公認歴史が決まる国ですから合理的じゃないところがあるのは確かかもしれませんが、歴史事実に一定の公認の判断を下す法律はフランスなんかでも作っていますから、非常識と言う訳じゃないのです。公認歴史には当然ちゃんとその数字に合わせた科学的根拠を中国側はちゃんと用意しますから、常識的に考えて科学的根拠がないなどということは絶対にありえません(その科学的根拠が疑わしいという論なら可能ですが、科学的根拠がないというのは日本語表現として適切ではない)。また30万人説を支持する日本人がいないというのも半ば嘘で、秦郁彦氏の『昭和史の争点』(文春文庫、2001年、p.34)によれば、10万以上説(実質20万以上説)を採っている笠原氏は97年12月、中国側に配慮して30万説を実質的に認める発言をしていることが書かれています。同書には中国側の数字の不審な点が色々書かれていますが、科学的根拠がないなどという指摘はありません。ただそういう発言なら、渡辺昇一先生がどこかでしてそうですから、誰か右翼の人が探せば出てくるんじゃないかと思いますがね。
- とにかく、Nakata88さんは文献にちゃんと当たって議論をするということがないので、発言に全く裏付けというものがない。したがって、言ってることも嘘ばかりですよ。--Kanbun 2011年1月26日 (水) 14:33 (UTC)
議論の焦点になっている肝心の「科学的根拠」、中国の説にはなくて日本の説にはあるという「科学的根拠」が、いったい何なのかわからない削除反対論者は、議論に参加すべきではありません。自分がわからないことについてわかったような議論をするのは間違いです。--Xyzabct 2011年1月26日 (水) 15:11 (UTC)
- Kanbun氏へ。
- >はっきり言って私は検死の話はどうでもいいのです。
- ではなぜ私へレスしたのでしょうか?私は検視を持って30万人説の「科学的根拠」があると主張するXyzabct氏へ、その根拠を求めたわけで、「検死の話はどうでもいい」のならば、横槍を入れて私へレスしないでいただきたい。そして未だその主張の根拠は出ておりません。
- 30万人説には日本側の専門家で採用する人はいないこと、且つ中国の研究者も30万人説を「学術的根拠がないイデオロギー的なもの」と異論を出している事実を記載するならば、「科学的根拠」の用語を除去しても私は反対はしません。しかしそのような現実を無視して「科学的根拠」なる表現を除去することは現実の隠蔽にしか思えずPOVに当たると判断し、大反対を申しておきます。--PSIA 2011年1月26日 (水) 18:19 (UTC)
- >ではなぜ私へレスしたのでしょうか?
- はて?私が最初にレスしたのはNakata88氏へであり「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば、」という文言に対してのものです[10]。それを「私にレスした」と言われると、まるでNakata88さんとPSIAが同一人物のように思われてしまいますよ。また、ここでは「科学的根拠」という記述の妥当性が問われているのであり、検死云々はその一つの考慮材料に過ぎませんから、私は別の観点からこの記述を問題視していると申したまでです。あと、PSIAさんもNakata88さんと一緒で文献に基づかず語る癖があるのですが、まずご自身の主張なさることは出典を示して話して下さい。30万人説には日本側の専門家で採用する人はいないこと、且つ中国の研究者も30万人説を「学術的根拠がないイデオロギー的なもの」と異論を出している事実はどの文献のどこに書かれているのですか?--Kanbun 2011年1月26日 (水) 22:58 (UTC)
繰り返しますが、日本人に30万人説を採る学者がいないというのも半ば嘘で、秦郁彦氏の『昭和史の争点』(文春文庫、2001年、p.34)によれば、10万以上説(実質20万以上説)を採っている笠原氏は97年12月、中国側に配慮して30万説を実質的に認める発言(「ラーベは5~6万と言っているが、彼の目が届かない郊外や彼が南京を去ったあとの犠牲者を足すと30万ぐらいになるはず」)をしていることが書かれています。--Kanbun 2011年1月26日 (水) 23:28 (UTC)
そもそも、「日本側の学者」とひとくくりにすること自体が大きな誤りです。日本では説がバラバラで少数の学者がそれぞれ「ほとんどいない」「2万人」「4万人」「10万人」「20万人以上」の説を出しているわけで自分の説以外は支持していないのですから、日本側のさまざなま説の支持の無さについては30万人説と同じようなものです。Nakata88さんの理屈なら「マボロシ派の説は中国と日本のそれ以外の説のすべての学者の支持がないので「科学的根拠は無い」と言えます。--Xyzabct 2011年1月26日 (水) 23:41 (UTC)
- Kanbun氏へ。
- >はて?私が最初にレスしたのはNakata88氏へであり
- ん?「最初」のレスのことなんて誰が聞きました?勝手に人の発言を歪曲しないこと。私は「なぜ私にレスしたのか?」を聞きました。
- あなたは私の発言の引用までして「私にレス」しましたね[11]。
- 「はっきり言って私は検死の話はどうでもいいのです」と仰るならば、私へのレスは意味不明なのです。
- 私は検視を持って30万人説の「科学的根拠」があると主張するXyzabct氏へ、その根拠を求めているわけで、「検死の話はどうでもいい」のならば、横槍を入れて意味不明なレスを私にすることは議論撹乱行為です。
- 「私には十分根拠が提示されているように確認できます」とあなたは私に発言したので、その根拠の提示を求められ、その提示ができないと、「検死の話はどうでもいい」などといい始め、その発言の突込みがされると今度は「最初にレスしたのは」などと意味不明な「最初のレス」の話を始めるという、ふざけた議論姿勢はお止めくださいな。これら行為の細かな説明と反省を求めます。--PSIA 2011年1月29日 (土) 15:20 (UTC)
- PSIA氏は落ち着かれたほうがよろしいかと思います。30万人説に「科学的根拠がない」という記述には出典がありません。だから問題なのであって、「検死の話はどうでもいい」です。「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」、マボロシ説を除いてどの説も文献による裏付けはしているのですから、マボロシ説以外はどの説も「科学的根拠」があるということになります。--Kanbun 2011年1月29日 (土) 23:31 (UTC)
- えっと十分落ち着いてますが、どういうことでしょう?私は検視を持って30万人説の「科学的根拠」があると主張するXyzabct氏へ、その根拠を求めていたわけであり、「私には十分根拠が提示されているように確認できます」とするならば、それはどこなのか?まず聞いています。これに答えてください。「科学的根拠が無い」については、私は中国の研究者も「学術的根拠が無く、イデオロギーからの数字」と述べているので、大差は無いこと、またこの事実に変えれば、より正確な表現となるため変えればよいと訴えていますので、よくお読みください。--PSIA 2011年1月31日 (月) 16:53 (UTC)
- >「私には十分根拠が提示されているように確認できます」とするならば、それはどこなのか?
- 繰り返します。「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」、マボロシ説を除いてどの説も文献による裏付けはしているのですから、マボロシ説以外はどの説も「科学的根拠」があるということになります。
- >中国の研究者が「学術的根拠が無く、イデオロギーからの数字」と述べていること
- この部分の出典が分かりません。検証可能な文献を示して下さい。「大差は無いこと」なのかどうなのかも文献が示されてなければ検証のしようがありません。--Kanbun 2011年2月1日 (火) 05:23 (UTC)
- えっと十分落ち着いてますが、どういうことでしょう?私は検視を持って30万人説の「科学的根拠」があると主張するXyzabct氏へ、その根拠を求めていたわけであり、「私には十分根拠が提示されているように確認できます」とするならば、それはどこなのか?まず聞いています。これに答えてください。「科学的根拠が無い」については、私は中国の研究者も「学術的根拠が無く、イデオロギーからの数字」と述べているので、大差は無いこと、またこの事実に変えれば、より正確な表現となるため変えればよいと訴えていますので、よくお読みください。--PSIA 2011年1月31日 (月) 16:53 (UTC)
- PSIA氏は落ち着かれたほうがよろしいかと思います。30万人説に「科学的根拠がない」という記述には出典がありません。だから問題なのであって、「検死の話はどうでもいい」です。「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」、マボロシ説を除いてどの説も文献による裏付けはしているのですから、マボロシ説以外はどの説も「科学的根拠」があるということになります。--Kanbun 2011年1月29日 (土) 23:31 (UTC)
- わざとなのか、冷静さがなくなっているのかは存じませんが、よくお読みください。私は「検視」とやらが30万人説の科学的根拠との主張に対し、その根拠を聞いているのです。アナタの答えからすると、やはりズレタ回答であり、なぜ私にレスしたのか?不思議でなりません。検視が30万人説の根拠となるのか否かの話をしているのであり、「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」などという独自研究の仮定論は聞いてもいません。
- また、中国の研究者の論の出典はこちらです。張教授は「中国の研究は、日本で高まった南京事件否定説に対抗するところから始まった」と述べ、当初から政治的イデオロギーの影響を色濃く受けていたことを明らかにするとともに「近年の中国民衆の反日感情の高まりは学術研究の在り方にも影響を与えている」と語った。「学術的根拠がないのなら虐殺記念館の30万人の数字は削るべきではないか」との会場からの質問には「一学者として決められる問題ではないが、自分が経営しているのであればこの数字は使わない」と答えた。。--PSIA
- あなたは「検視」とやらが30万人説の科学的根拠との主張について、その根拠を聞いているのでしょうが、私はそれについて議論はしていません。あくまで「30万人説に科学的根拠はない」という記述に関する出典であり、上のような出典ならば、「ただし、程兆奇や張連紅など、30万人説に学術的根拠がないとする論者がいる。」が適切と思いますが。
- >アナタの答えからすると、やはりズレタ回答であり、なぜ私にレスしたのか?
- 私は直接にはNakata88氏にレスしたのであり、あなたにレスしたのではありません。私の発言にあなたがレスしてきたので、その後レスしたのです。そして、このノートは記事について議論する場なので、いろんな観点から記事の内容に議論するのは適切であり、誰にレスしたかなどになぜこだわられるのかわかりません。繰り返します。「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」、マボロシ説を除いてどの説も文献による裏付けはしているのですから、マボロシ説以外はどの説も「科学的根拠」があるということになります。--Kanbun 2011年2月2日 (水) 00:14 (UTC)
- 「検視」とやらが30万人説の科学的根拠を聞いているものに対して、あなたは私の発言の引用までして、私の発言の下に一段インデントを付けて「私にレス」しましたね[12]。で、ありながらNakata88氏にレスしたと言うのならば、あなたは反論できないから誤魔化しているのか、もしくは相手に勘違いを与える議論の仕方が下手だった人としか言いようがありません。
- 「ただし、程兆奇や張連紅など、30万人説に学術的根拠がなく、イデオロギー的なものとする論者がいる。」との文ならば合意します。私としては科学的根拠も学術的根拠も大きな意味で同じものと考えておりますが、より正確に学術的根拠なしに変更することに反対はしません。単なる除去には反対しております。--PSIA 2011年2月4日 (金) 19:14 (UTC)
- [13]では、私は検死が科学的根拠になりうるという主張が「科学的実証とは、資料に基づいた論証だとすれば」、根拠として成り立つのだと申しているのです。検死の内容自体はどうでもよいのです。そして私はPSIA氏の発言を受けて議論で発言しているのです。インデントを下げてPSIA氏の後ろで私が発言したとしても、それはPSIA氏にレスしているわけではない。議論の進行上どの発言を受けているかを明示しているのです。レスをするなら、「~へ」と相手を明示したり、PSIA氏の利用者空間にある会話ページを使います。PSIA氏は、単純な誤解を増幅させて議論の本筋を攪乱しないでいただきたい。
- >「「ただし、程兆奇や張連紅など、30万人説に学術的根拠がなく、イデオロギー的なものとする論者がいる。」との文ならば合意します。」
- なら、他の人に合意の確認を取る必要があるでしょう。件の出典はただのインタビュー記事ですから、出典に厳しいNakata88氏などはもっと厳密な学術的文献を求めてくるかもしれませんしね。ただし、Wikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場に基づけば、「例えば、ある立場に対立する意見を紹介しながらそれを否定する説明を行うと、そうした対立意見を「対立意見」のセクションにまとめて紹介する場合と比べて、ずっと説得力がなくなります。」とあるので、「主な見解」節に現状のまま記載するのは中立的な観点に反します。新たに「それぞれの説に対する反論」などといった節を設け、そこに記載すべきでしょう。--Kanbun 2011年2月5日 (土) 00:38 (UTC)
その三
[編集]- まあ時間的に前なのでいまさら指摘する必要もないかもしれませんが、Kanbunさんが私に対して侮蔑的表現を上記で書いてることは抗議しておきます。かなり冷静さを欠いておられ議論の妨げになります。
- そのうえで、論点は2つあると思います。
- 日本側の学者に30万人説を支持している人がいるのかどうか。これがいるならこの著述はかけません。この点について、上で書かれているように笠原氏が30万人以上を支持しているならそこでこの記述は事実でなくなり記載できないと思います。その部分のソースをお願いします。(他の学者の会話の伝聞では学説として主張したものとはいえません。)
- それが、ないなら、日本側に30万人説を支持している学者はいないと一応書いた上で、
- 科学的証拠がとぼしく、とかくか、科学的証拠が「一切」なくとかくかの問題になります。これについては、わたしは、一切を書かなくていいと思います。一切ないという証明はすごく大変です。しかし、乏しくなら一応学者が説を採るときの前提なわけですから、普通に常識の範囲でかけます。
- 投票については必要ないのではないでしょうか?ソースの有無で決着はつくので。30万人説を支持している学者がいるのであれば、文章全体がかけませんし、いないのであれば、「科学的証拠が乏しく」で書けばいいと思います。Nakata88 2011年1月30日 (日) 17:00 (UTC)
- コメント 30万人説については既にKanbunさんがソースを提示されています。また、津田道夫氏も「そういうものも含めて考えると、個々の体験のうえに立脚して南京大虐殺30万と中国人民が言っている以上、それをそういうものとして加害者であるわれわれは受け止めなければならない」[14]と述べているように、30万人説を支持しているようです。
なお、「日本側に30万人説を支持している学者はいない」という見解は、ソースがないようですので、独自研究となりウィキペディアの記述として相応しくありません。「科学的証拠が乏しく」という記述もソースが提示されていませんし、それは「論争」でしかありませんので、「30万人説」の説明として相応しくはないでしょう。
いずれにせよ、投票の要綱に異論がないようでしたら、ローカルルールおよびWikipedia:論争の解決に従って投票の準備を進めていきますので、よろしくご協力ください。(議論が長くなりましたので節分けしました)--ちゃんこなべ 2011年1月31日 (月) 13:16 (UTC) - ちゃんこなべさん、適当にぐぐってもってきてませんか?「津田道夫」って人はそもそも歴史学者ではなく評論家であえると紹介されてますよ。そのような人の「そういうものも含めて考えると、個々の体験のうえに立脚して南京大虐殺30万と中国人民が言っている以上、それをそういうものとして加害者であるわれわれは受け止めなければならない」という表現を、学者による支持とはいえません。ここでもとめられているのは歴史学の分野の専門家と呼べる人の信頼できる二次ソースのある研究者の議論の話ですよ。Nakata88 2011年2月1日 (火) 14:39 (UTC)
- Nakata88さんの主張で私が問題にしているのは、その主張に検証可能な裏付けがないことです。検証可能な情報がないご自身の主張を、検証可能な文献に基づく情報に置き換えようとする議論姿勢は受け入れられません。また同様に、検証可能な文献の裏付けがない、出典のない記述を記事に加えることはできません。現状「30万人説に科学的根拠がない」という主張には出典が示されていないのですから、削除するのが適当です。--Kanbun 2011年2月1日 (火) 05:27 (UTC)
- Kanbunさん、30万人説を採る学者がないというのは悪魔の証明です。ただし、学者は数が有限ですからしらみつぶしが可能です。ですから反例をあげればすみます。このケースでも学説としてとっている人がいるならそれで話は終わりです。
- この記載を削除するなら30万人説を学説としてとっている人を上げればいいわけです。あげれないなら、日本側で30万人説を取っている学者はいないというのは現状の表現として中立的です。伝聞である学者が支持できるとか、配慮するとかいってもそれは、信頼できる二次ソースに基づくとはいえないですよね。まして、ここでは学説の話です。Nakata88 2011年2月1日 (火) 14:30 (UTC)
- >「30万人説を採る学者がないというのは悪魔の証明です。」
- これはその通りですが、私が求めているのは「30万人説に科学的根拠がない」という主張の出典であり、上記事実の証明ではありません。そして「30万人説に科学的根拠がない」という主張の根拠となる検証可能な文献があることを示すことは肯定的に可能で、悪魔の証明ではないのですから、立証可能です。だから、検証可能な文献を示して、立証して下さい。
- また「30万人説を採る学者がない」ということは悪魔の証明であるということであり、このNakata88さんの主張は検証不可能であるということです。つまり、Nakata88さんの主張は検証可能性を永遠に満たさないでしょう。そのうえ「学者は数が有限ですからしらみつぶしが可能です。」というのはこれが独自研究に当たるという意味でウィキペディアの記事の根拠にはできません。これは基本的なことです。
- >「この記載を削除するなら30万人説を学説としてとっている人を上げればいいわけです。」
- すでに出典を示して30万人説を許容している研究者がいることは示しました。次はNakata88さんがご自身の主張の根拠を検証可能な文献に基づいて挙げる番です。--Kanbun 2011年2月1日 (火) 14:40 (UTC)
- kanbunさんのあげられた「秦郁彦氏の『昭和史の争点』(文春文庫、2001年、p.34)によれば、10万以上説(実質20万以上説)を採っている笠原氏は97年12月、中国側に配慮して30万説を実質的に認める発言をしていることが書かれています。」というのは、笠原が10万人以上説をとっていることから、矛盾しています。10万人以上と30万人というのは同じではありません。笠原が実際に両方の学説をとったことがあるのなら記載できますが、伝聞で、かつ、笠原の30万人を支持した論文がない以上、学説として支持しているというのは無理でしょう。ただし、そのことをかいておくのは有用だとはおもいます。
- 「日本側に明白に30万人説をとる学者はいない。(ただし、笠原は97年12月、中国側に配慮して30万説を実質的に認める発言をしている。)」でいいと思います。Nakata88 2011年2月1日 (火) 14:51 (UTC)
- >「10万以上説(実質20万以上説)を採っている笠原氏は97年12月、中国側に配慮して30万説を実質的に認める発言をしていることが書かれています。」というのは、笠原が10万人以上説をとっていることから、矛盾しています。」
- 矛盾しません。10万以上とか20万以上という数字は30万を許容するからです。同書で秦氏もそのことを指摘しています。
- >「日本側に明白に30万人説をとる学者はいない。」
- この記述は前述したとおり、またNakata88さんが自ら言った如く、悪魔の証明です。検証不可能ですから、検証可能なことのみ載せるWikipediaに載せることはできません。したがって、この記述は全く認める余地はありません。--Kanbun 2011年2月1日 (火) 14:59 (UTC)
- 悪魔の証明とは、いないことの証明の困難さがその探索空間の広大さのために大きい場合をいいますが、日本の歴史学者はそんなに無限に類するほどいないので、提出が可能です。したがって、現状探索ができていないのであれば、いないとかいていいと思います。もしこれがかけないのであれば、学説の概観もできないことになります。
- なお、科学的根拠がなくというのは、学者が学説を採用する場合の職業倫理を信じる限りにおいて正であるという意味で支持できるものです。
- 科学的根拠自体は一次情報に基づくため、その有無を論じることはできません。科学的根拠がないというのは学者の学説を信頼できる二次ソースとしてとらえればそうなるというものです。したがって、科学的根拠がないことからそう判断しているというのは、学者が信頼できるというのと同等な表現になります。したがって、私としては特に問題ある表現だとは思いません。
- kanbunさんは「科学的根拠がなく」という文章を削りたいみたいですが、「証拠に乏しく」とかいても同じです。信頼できる学者であるならそうであるという意味で、トートロジーの一種です。Nakata88 2011年2月1日 (火) 14:51 (UTC)
- 日本の歴史学者というのがそもそも不明確で、日本人の学者なのか、日本史の学者なのか、日本に滞在している学者なのか、日本の大学機関に所属している学者なのか、範囲が明確でない。この時点で困難を感じますが、もしその範囲が特定できるとして、そのうえで日本の歴史学者の中で近現代史に限るとしても、彼らがみんな南京大虐殺について論文を書いているわけではないのだから、一人一人その考を確認することになります。そんなことが可能なのか。最後にそうやって得られた情報は独自研究に当たりますから、本文には直接記すことができません。
- 「なお、科学的根拠がなくというのは、学者が学説を採用する場合の職業倫理を信じる限りにおいて正であるという意味で支持できるものです。」→私にはこの文章は何を言ってるのかわからないのですが、たとえこの文章が日本語と成り立つとしても、私は学者の職業倫理など信じてませんので、これは支持できません。そもそもNakata88氏が主張するように、中国の学者が科学的根拠もなく30万という数字を出しているのなら、彼らが学説を採用するのに職業倫理を顧慮していないことになりますから、Nakata88氏が「学者が学説を採用する場合の職業倫理を信じる」というのは私にはなぜそうなるのかわかりません。Nakata88氏のこの主張にはかなり無理があります。
- 「科学的根拠自体は一次情報に基づくため、その有無を論じることはできません。科学的根拠がないというのは学者の学説を信頼できる二次ソースとしてとらえればそうなるというものです。」一次情報というのは一次資料と読んでよいのでしょうか?二次ソースは二次資料のことですよね?Wikipediaでは一次資料は扱うことができず、二次資料を扱うことはできます。「科学的根拠がないというのは学者の学説を信頼できる二次ソースとしてとらえればそうなるというものです。」という後半部分は、学者の学説を信頼できる二次ソースとしてとらえるという意味がよくわかりませんので、「そうなる」と言われても、どうして「そうなる」のかさっぱりわかりません。
- 「「科学的根拠がなく」という文章を削りたいみたいですが、「証拠に乏しく」とかいても同じです。信頼できる学者であるならそうであるという意味で、トートロジーの一種です。」トートロジーでそういう表現をしているのであれば、誤解の元ですからやめてください。ただ、件の文章のどこにトートロジーが使われているのか私には分からないので、何をおっしゃりたいのか分かりません。トートロジーのような修辞技法を不用意に使うのはおやめ下さい。誤解の元です。そのうえで、「「科学的根拠がなく」という文章を削りたいみたいですが、「証拠に乏しく」とかいても同じです。」というのは不適切です。「科学的根拠がない」から「証拠に乏しい」とは言えますが、「証拠に乏しい」から「科学的根拠がない」とは言えません。後者の場合、証拠が少ないけれども、少なくとも科学的根拠はあるという状況は想定可能だからです。したがって、「科学的根拠がなく」と書くのと「証拠に乏しく」と書くのとでは意味内容に大きな違いが生じます。トートロジーなど修辞技法に通じていらっしゃるNakata88さんであれば、その弊害はよくお分かりになると思いますが。--Kanbun 2011年2月2日 (水) 00:39 (UTC)
- Kanbunさんは、ウィキペディアの記述原則をまだよく理解されていません。中国側だろうが、日本側だろうが、学説は二次ソースであり、科学的証拠は一次ソースなのです。
- ウィキペディアでは一次ソースが存在するか、それが正当かどうかを評価するのは二次ソース、つまり信頼できる学者などの著述物によります。
- したがって、学者がある学説をとった場合、信頼できる一次ソースがないからだというのは表現として妥当なのです。
- この場合、中国側が信頼できるソースを持っているという主張も、日本側の「そのような一次ソースがない」と言う主張とと同等なものです。
- その点について、中国側がソースがあるというならそれを指摘する二次ソースを提出すればいいだけのことです。
- この議論で、必要なのは、「Kanbunさんが一次ソースがあるかないか、それが正当かを評価できない」ということをきちんと理解することです。Kanbunさんはウィキペディアの編集者であって学者として記述する、つまり二次ソースになる権利はありません。(なおどんなに有名な学者でもここに書き込んだものがそのまま二次ソースになることは、ウィキペディアの原則上、ほとんどありえません。)
- したがって、わたしは、「中国の学者が科学的根拠もなく30万という数字を出している」などという主張はまったくしていません。Kanbunさんはこうかいてしまったことによって、ご自身のウィキペディへの記述に対する無理解を露呈してしまっています。
- Kanbunさんは、二次ソースと一次ソースの区別、ウィキペディアでは完全に二次ソースに一次ソースの評価がゆだねられているということの本質的な意味をもう一回確認されるようにお願いします。
- 以上を簡単にまとめると、
- 中国側は学説で30万人を主張しており、であるから、当然、一次ソースがあるといっている。
- 日本側には学説で30万人を主張する人が存在せず、したがって、それをささせる一次ソースはないといっている。
- 一次ソースの有無および価値の判断についてKanbunさんの意見はまったく関与し得ない。
ということです。とくに、1と2は、双方が成立します。だからこそ論争なのです。
- なお、30万人説を採る学者がいることを証明すれば反例となる事象において、その存在が指摘できないというのは学説状況の紹介として、当然にかけることだと思います。それには反例も容易に可能です。Nakata88 2011年2月2日 (水) 10:10 (UTC)
- 「中国側だろうが、日本側だろうが、学説は二次ソースであり、科学的証拠は一次ソースなのです。」→これは全く意味不明。学説は記載された検証可能な文献がないとウィキペディアの検証可能性を満たしません。また、科学的証拠は一次ソースなのだという主張も科学的証拠とは何なのか皆目検討がつかない上、どの分野での話をされているのかが分かりません。総じて、この日本語は明らかにおかしく、言っている内容も変なので、私には理解できません。どの方針文書に「学説は二次ソースであり、科学的証拠は一次ソースなのです。」などというばかげた、無内容なことが書いてあるのですか。
- 「ウィキペディアでは一次ソースが存在するか、それが正当かどうかを評価するのは二次ソース、つまり信頼できる学者などの著述物によります。」→二次ソース=信頼できる学者などの著述物というのは明らかに事実誤認です。Nakata88氏の言う二次ソース、これは二次資料のことだと思うのですが、二次資料とは一次資料について書いた文献のことであり、学者などの著述物である必要はありません。Wikipediaでは基本的に資料に基づく検証可能な情報のみを載せるという基本ルールがあり、一次資料より二次資料に基づいた情報が望ましいとされています。ただ、同時に信頼できる二次資料を使おうという方針文書があるのであり、資料の信頼性を問題にするのはよいことです。
- 「したがって、学者がある学説をとった場合、信頼できる一次ソースがないからだというのは表現として妥当なのです。この場合、中国側が信頼できるソースを持っているという主張も、日本側の「そのような一次ソースがない」と言う主張とと同等なものです。」→この主張はおかしいです。中国側も日本側もそれぞれ信頼できる根拠を複数持って議論をしていると見るべきでしょう。あるいはこう言いかえるとわかりやすいのかもしれません。Wikipediaでは一つの記事に対して複数の信頼できる二次資料があることが往々にしてあります。それらの一方が中国を支持し、他方が日本を支持するとして、それをもってどちらかの資料が信頼できないという議論はできません。どちらも検証可能なので、記載すべきなのです。Wikipediaは事実を探究する場ではないのです。
- 「この議論で、必要なのは、「Kanbunさんが一次ソースがあるかないか、それが正当かを評価できない」ということをきちんと理解することです。Kanbunさんはウィキペディアの編集者であって学者として記述する、つまり二次ソースになる権利はありません。」→何とも珍妙な主張なのですが、私はまず一次資料があるかないか評価しようなどとは一言も申してません。そうではなく、検証可能な文献を挙げるという仕方で情報源を示して下さいとお願いしているだけです。そうでなければ、検証可能なことのみ載せるというWikipediaの方針に反します。現状、「ただしこれらはいずれも科学的根拠が一切なく、日本側の学者からは支持されていない。」という記述には出典がなく、検証が不可能ですから削除されるべきです。また、30万人説を紹介した後にだけこのような挿入が入っていることは、中立的な観点にも反しています。
- 「なお、30万人説を採る学者がいることを証明すれば反例となる事象において、その存在が指摘できないということは学説状況の紹介として、当然にかけることだと思います。」→独自研究はやめてください。Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかの「他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。」に当たります。検証可能な文献に書かれていないことを勝手に論証して記載するのはウィキペディアの精神に反する行為です。--Kanbun 2011年2月2日 (水) 12:55 (UTC)
- Kanbunさんは大きくウィキペディアの記述原則を間違って理解されています。二次資料は、一次資料について書いた文献一般のことではありません。Wikipedia:独自研究は載せないで、「独自の調査を避けるためには、そしてウィキペディアの記事の質を向上させるためには、あらゆる一次資料、さらには既存の情報やデータの一般化、分析、総合、解釈、評価もすべて、評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できることが必要です。」とかかれています。つまり、一次資料の評価は、評判のよい第三者による発行物によることが必要なのです。中国側にも日本側にもそのような人がおりそれが並立している場合には(一般に論争とはそういう状況です)、それぞれの一次資料の評価が並立することになります。したがって、日本側に三十万人説を支持する人はいないということになるなら、それはその人たちが一次資料を評価し、そういう判断をしたということであり、信頼できる二次ソースとしてそれを記載できるということになるということです。したがって、30万人説を支える証拠に乏しくとはその状況を客観的に表しており問題ない表現と考えられます。
- また、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料で、「なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。」と、あるとおり、学説状況をマクロ的に調べてかくことは独自研究ではないと宣言されています。したがって、30万人説を採る学者がいないというのは、現状の日本の学説状況の理解として適切であり、かつ、反例が提起されない限りかくことが可能です。Nakata88 2011年2月4日 (金) 14:34 (UTC)
- コメントNakata88さんが何をもって「歴史学の分野の専門家」と仰っているのか分かりませんが、仮に評論家を加えることが不適当であれば、まぼろし説の渡辺昇一(英語学者)は不適当になりそうですね。また、田中正明、冨澤繁信、阿羅健一なども本来の属性からすれば不適当になりかねません。また、東中野修道は、歴史学といっても思想史が専門分野であり、だから歴史事実検証は非常にお粗末だという話を、某歴史学教授から聞いたことがあります。そういう意味では、東中野修道も「専門外」で、Nakata88さんの基準から外れそうですね。なお、津田氏は『南京大虐殺と日本人の精神構造』という著作がある研究者と言えます。
いずれにせよ、既にKanbunさんも指摘されていますが、30万人説に「科学的根拠がない」という点、「日本側の学者からは支持されていない」という点についての二次情報の提示が出来ていませんので削除するのが妥当でしょう。また、Nakata88さんの提案された「科学的に説得力のある根拠がなく」という文章は、二次情報がない上に、主語も不明確であり、辞典の記述として不適当です。--ちゃんこなべ 2011年2月2日 (水) 14:39 (UTC)
- 上でもかきましたが、日本側に30万人説を支持する学者がいないのなら、、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料で、「なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。」とあるとおり、学説状況の説明としては記載できます。また、これは反例が容易に提出もできるため問題ありません。さらに、各学者が30万人説を採っていないのは証拠が乏しいからですから、そのことも常識の範囲として当然かけます。Nakata88 2011年2月4日 (金) 14:34 (UTC)
- 横から失礼。Xyzabctさんの2011年1月26日 (水) 23:41の指摘と同じような感想を持ちました。「x万人説は、x万人説支持者以外の多くの学者から支持されていない。その理由は根拠が乏しいからである。よってx万人説には科学的根拠がない」とすれば、全ての説は科学的根拠がないと書けてしまう詭弁になってしまっています。「日本側の学者からは支持されていない」についても同じく。ほとんど中国側の説であることはわかりますからあまり記述にこだわるところでもないかなと。
- 見解の紹介が目的であり、各説に対する否定的意見がない現状だと書かないほうが中立的でしょう。--NNMM 2011年2月4日 (金) 15:46 (UTC)
- そういう趣旨ではありません。以下の二つを述べているに過ぎません。
- 日本には30万人説を支持する学者はいない。(これは、調査的記述として、学説状況を概観するウィキペディアで認められる百科事典的記述です。また簡単に反証可能です)。
- それはソースが乏しいからである(これは学説が学説であれば当然守っていることで、ウィキペディアではソースの有無は学説つまり二次ソースによって判断されます)。
- したがって、「日本側の学者には、根拠が乏しいとされ30万人説をとる者はいない。」というのは現状、日本側でとっているものが見当たらない場合には書ける記述です。「科学的根拠がない」という断定は、現在、私も含めて論者はまったく主張していないはずです。Nakata88 2011年2月4日 (金) 17:34 (UTC)
- 日本には30万人説を支持する学者はいない。(これは、調査的記述として、学説状況を概観するウィキペディアで認められる百科事典的記述です。また簡単に反証可能です)。
- →明らかに独自研究に見えます。「調査的記述として、学説状況を概観するウィキペディアで認められる百科事典的記述です。」というのが全く分からないので、具体的にどの方針文書を引用しているのか明示して下さい。
- 「日本には30万人説を支持する学者はいない。それはソースが乏しいからである(これは学説が学説であれば当然守っていることで、ウィキペディアではソースの有無は学説つまり二次ソースによって判断されます)。」
- →明らかに前半部は日本語として論理をなしていません。後半の「ウィキペディアではソースの有無は学説つまり二次ソースによって判断されます。」は、おそらく「二次ソース」というのは「二次資料」のことでしょうが、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料を見てもわかる通り、「二次資料」=「学説」ではないので、「ウィキペディアではソースの有無は学説つまり二次ソースによって判断されます」などということは断じてありません。
- したがって、「日本側の学者には、根拠が乏しいとされ30万人説をとる者はいない。」というのは現状、日本側でとっているものが見当たらない場合には書ける記述です。
- 「30万人説をとる学者が少数だ」というような情報の出典は提示されていますが、「日本側の学者に30万人説をとる者がいない」という情報には出典がありません。したがって、「日本側の学者には、根拠が乏しいとされ30万人説をとる者はいない。」という記述は検証不可能であり、「検証可能なことしか載せない」というウィキペディアの原則に鑑みれば、記事に記述することはできません。--Kanbun 2011年2月4日 (金) 17:50 (UTC)
- 2 の「ウィキペディアではソースの有無は学説つまり二次ソースによって判断されます」について。日本で取られていない学説であることは、学説のソース(根拠)が乏しいことの説明にはなっていません。日本に支持する学者はいないという判断はできるかもしれませんが、論争の記事において書くべきかというと……意見投票節の大和屋敷さんの記述が良いのでは。--NNMM 2011年2月5日 (土) 05:37 (UTC)
- ソースがある同趣旨の記述が大和屋敷さんによって、提案されました。『(原剛によれば)かつて中国および日本の教科書が30万人虐殺を主張したが、現在では30万人虐殺を主張するのは中国政府とこれを支持するごく一部の人だけである』[15][16](P.1)。これで、私の主張は満たされるため、ウィキペディアの趣旨から論理的に展開する利益が失われました。大和屋敷さんの記述に賛成し、上記の議論は不必要なため、これ以上の論証はしません。Nakata88 2011年2月5日 (土) 08:30 (UTC)
「主な見解 三十万人以上」の記述に関する意見投票
[編集]下記の要綱で投票を行うことを提案します。要綱に不備がある場合はご意見をお願いします。--ちゃんこなべ 2011年1月30日 (日) 12:51 (UTC)
投票の主題 | 南京大虐殺論争#三十万人以上における「ただしこれらはいずれも科学的根拠が一切なく、日本側の学者からは支持されていない」という記述の編集について |
投票場所 | ノート:南京大虐殺論争#「主な見解 三十万人以上」の記述に関する意見投票 |
投票に先立つ議論 | |
投票者の資格 | 2011年xx月xx日 (xx) 00:00 (UTC) 時点で全名前空間の編集回数が50回以上のログインユーザー。 |
投票期間 | 2011年xx月xx日 (xx) 00:00 (UTC) から2011年xx月xx日 (xx) 00:00 (UTC) までの1週間。 |
投票のルール |
【注意事項】
|
特記事項 | この投票を行う根拠は、#ローカルルール及びWikipedia:論争の解決です。 |
- えーと、「ローカルルール」に投票規定などなく、また「論争の解決」としてもこの投票提案が正式な手順に則っていないことを指摘しておきます。--PSIA 2011年1月31日 (月) 16:48 (UTC)
- コメント ローカルルールは、Wikipedia:論争の解決を補完する内容となっており、その意味において「投票の根拠」とさせていただきました。なお、「この投票提案が正式な手順に則っていない」とのご指摘ですが、改善したいと思いますので、どの様な点において「正式な手順に則っていない」のかご指摘ください。よろしくお願いします。--ちゃんこなべ 2011年2月1日 (火) 12:02 (UTC)
- ひとつだけ問題があるのですが、本節には「 「主な見解 三十万人以上」の記述に関する調査投票」であると明記されているのですが、調査投票というのは拘束力のないアンケートのことを言います。つまり、「最多得票を得た選択肢の内容で編集することを決定します。」というのは記事内容に対してこの投票が拘束力を持つことを示唆しますから、これは調査投票とは言えません。拘束力を持たせたいのであれば、単に「投票」あるいは「意見投票」とすべきです。--Kanbun 2011年2月1日 (火) 15:22 (UTC)
- この投票は、「2.投票を始める前に、投票の性質について合意を得ていなないため」(Wikipedia:論争の解決)、無効です。紛争解決のルールを読み直してください。
- ちゃんこなべさん。議論が収束していないのに、選択肢が明確になるわけもありません。よくルールを読み直してください。Nakata88 2011年2月1日 (火) 15:35 (UTC)
- 自説を繰り返す形となるため敢えて主張しませんでしたが、修正案のポイントも私の物とNakata88さんの物とでは異なります。Nakata88さんのものはあくまで科学的根拠はないとするもの、私の物は日本の学者が支持しない理由は科学的根拠がないから、と言い回しで内容が異なっています。この選択肢で投票というのは中立性を著しく欠くでしょう。--はぬまん 2011年2月1日 (火) 16:04 (UTC)
- ちゃんこなべ氏へ。Wikipedia:調査投票の方法の熟読をおすすめします。まず投票には合意が必要です。--PSIA 2011年2月1日 (火) 17:55 (UTC)
- コメント【Kanbunさん】確かにご指摘に通りだと思います。さっそく修正しました。建設的なご意見をありがとうございます。
【はぬまんさん】確かに選択肢としては不適当でした、申し訳ありません。この様な場合、選択肢を作り方は次の2通りがあると思います。第一に、はぬまんさんの意見をそのまま選択肢として、選択肢を4つとする案。第二に、まず、「全部削除」「一部修正」「無修正で残す」の3つの選択肢で投票し、その後、「一部修正」が多数だった場合は「Nakata88案」「はぬまん案」で再投票するという案。どちらが良いか、ご意見をお願いします。
【Nakata88さん】Nakata88さんが仰っているのはWikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順だと思われますが、ここでは次のように書かれています『2.投票を始める前に、投票の性質について合意を得ていなければなりません。このプロセスに、一週間程度かけてください。以下の問題を解決する必要があります。・問題は何か? ・選択肢の候補は? ・選択肢が三つ以上ある時、回答者は複数の選択肢を選択できるのか? ・投票の開始・終了日時は? (適切な期間を投票に割り当てること) ・投票結果の集計方法は? (最多数をとったものを選ぶか、3分の2以上などのラインを設定するか) ・議論の要約、各意見を簡潔に並べたもの、などの投票前に論点がわかるもの、が用意できているか?』 投票において合意すべき事項が示されています。ここで示された事項の中で、私が提示したたたき台のどの部分に異論があるのか具体的に指摘できない場合は、私の提示したたたき台に合意せざるを得ないということです。建設的な意見をお願いします。--ちゃんこなべ 2011年2月2日 (水) 13:56 (UTC)
- 「全部削除」「一部修正」「無修正で残す」の3つの方がいい、と言いたいところですが合意できるような修正案があればそれに越した事がない訳で、それも含めて議論が行われている最中にできる投票ではない様に思うのです。また、どれかが多かったとしても調査投票は議論の妨げとなってはいけない訳です。つまるところ、票が多かったからといってそれを合意理由とする事もできず、議論の妨げになる可能性もあり、何の為の調査投票なのか分かりません。誰がどういった意見なのか分かりにくい訳でもない様に思いますし、ちゃんこなべさんは何故調査投票が必要とお思いになったのですか?--はぬまん 2011年2月2日 (水) 16:31 (UTC)
- 投票を持ち出すほどこじれさせる記述ではないでしょう。『(原剛によれば)かつて中国および日本の教科書が30万人虐殺を主張したが、現在では30万人虐殺を主張するのは中国政府とこれを支持するごく一部の人だけである』[17][18](P.1)で十分では?--大和屋敷 2011年2月3日 (木) 05:28 (UTC)
- コメント今回、投票の提案をした経緯を説明します。論争になった場合、Wikipedia:論争の解決に従って、論争を解決していくことがwikipediaでは推奨されています。また、このWikipedia:論争の解決を補完するルールとして、#ローカルルールが設定されています。「論争の解決」と「ローカルルール」にしたがって、今回の議論の状況を見てみると、次のような段階を経ています。
(1)1月16日、問題提起
(2)1月17日、反論があり議論となる→Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う
(3)1月25日、ローカルルール第3項の状況を過ぎたことを確認した上でコメント依頼を要請→Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論する
(4)その後も合意を得ることができず、ローカルルール第4項に従い投票の準備を行う。
すでにコメント依頼より7日以上過ぎています。ローカルルール第4項には『コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす』となっていますので、論争の解決にしたがってWikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票へ移行すべき状況となっています。
すでにKanbunさんが詳細に指摘されていますが、現在の記述や提案されている修正案は独自研究かソースがない記述です。それでも自分の意思を曲げずに議論を続けているようですので、今後、合意に至る見込みはないと思われます。投票を実施するのが妥当でしょう。--ちゃんこなべ 2011年2月4日 (金) 13:47 (UTC)
- ちゃんこなべさんの投票提案は、各立場の文章の具体的提案がしぼりきれておらず、論点が絞られていません。したがって、そのステップが、現在進行していません。そもそも、論点を議論の中で明示し、対立した文章として固めたあと出なければ投票は無理です。それを固めた上でステップが進むのです。その点を完全に誤解されてます。
- まず、ご自身が議論の焦点となる提案内容を明示してください。Nakata88 2011年2月4日 (金) 14:15 (UTC)
- そもそもいくらローカルルールが決められているとしてもウィキペディアの方針を覆せるものではないはずなのですが。このような性急な投票は明らかに多数決主義ではないとする方針に反するでしょう。Wikipedia:論争の解決はガイドラインで方針と比べると優先順位は劣りますし、元の文章には期限もありません、「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください」とさえあります。さらに、ローカルルール制定の経緯を辿ってみればちゃんこなべさんご自身の提案ではないですか。かなり眉をひそめるような話の流れなのですが。--はぬまん 2011年2月4日 (金) 16:06 (UTC)
- 大和屋敷氏の2011年2月3日 (木) 05:28 (UTC)の意見に賛同。出典もあり、そのまま記載しておけば済む話である。--PSIA 2011年2月4日 (金) 19:17 (UTC)
- わたしも大和屋敷さんの2011年2月3日 (木) 05:28 (UTC)の意見に賛同します。出展があり、学説について信頼できる二次ソースとして概観しており同趣旨なので全く問題ないです。大和屋敷さんの記載をそのまま記載する提案に賛同します。Nakata88 2011年2月5日 (土) 08:33 (UTC)
大和屋敷氏の提出した講演レジュメを出典とすることについて
[編集]大和屋敷氏のリンクされた講演レジュメは学術雑誌に載ったものであり、出典としては問題ないように思います。ただ気がかりなのは、原氏はこのレジュメ内で各論者の頭数について詳細に述べているわけではないし、末尾に「虐殺数による論者の位置」なる付表がついているが、これも明確ではありません。問題なのは「中国共産党」(中国政府ではない、これが重要)が30万人説に入れられていることで、これをそのまま額面通り鵜呑みにすると、30万人説の支持者は7239.1万人(中国共産党の2006年末時点での党員数)ということになり、ごく少数とはとても言えなくなります。つまり、もっと詳細な報告がなければ、30万人説の支持が少ないという根拠としては弱いし、中立的とはいえないどころか、実数についてはこの論文からは検証不可能ですから検証可能性も危ういということになります。つまるところ、このレジュメはそれぞれの説の支持者の数について実証しているわけではないので、「支持者が少ない」ことの根拠としてはあまり使えないのではないかと思うのですが。--Kanbun 2011年2月5日 (土) 13:59 (UTC)
- Kanbunさん。ウィキペディアでは信頼できる第三者の目をとおして事態を評価します。大和屋敷氏のリンクされた講演レジュメは学術雑誌に載った記載事実が、それです。Kanbunさんのそれに対する評価は独自研究です。(また、そのレジュメでも、そもそも、中国共産党の構成員の人数なんて誰も問題にしてません。中国共産党の匿名の研究機関などを基にした統一された意見をひとつとして数えてるのです。)。基本的に、そのソースを使ってその証言をそのまま書くだけが、編集のできることです。そこを理解してください。Nakata88 2011年2月5日 (土) 14:31 (UTC)
- いろいろ推測されるのはよいのですが、「中国共産党の匿名の研究機関」とは何でしょう?また、「基本的に、そのソースを使ってその証言をそのまま書くだけが、編集のできることです。」というのはWikipedia:原典のコピーはしないに反します。現状では当該レジュメに30万人説の支持者が少ないという主張の根拠はしめされていないのですから、簡潔に「原剛は、現在では30万人虐殺を主張するのは中国政府とこれを支持するごく一部の人だけであると述べている」と記事に記述するのがよく、また記述箇所もWikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場に基づいて、別に「各説に対する対立論」などというような節を設け、そこにまとめて記述するのがよいと思いますが、いかがですか。--Kanbun 2011年2月6日 (日) 05:17 (UTC)
- Wikipedia:原典のコピーはしないというのは、丸写しを避けろという意味であって、著作権侵害の問題をのべているのです。上で私が言ってるのは、信頼できる二次ソースとしてのその趣旨をそのままつたえろと言う意味です。それが信頼できる情報源に依拠するという意味です。
- 「氏名を明らかにした」「専門家による」「学会報告などのレジュメ」は、それ自体が信頼できる二次ソースです。そこにかいてあること「自体」が二次ソースでそれのさらにソースはいらないのです。
- Kanbunさんはこのウィキペディアの二次ソースを要求するということの意味がまだ理解されていないようです。Nakata88 2011年2月6日 (日) 07:21 (UTC)
- (コメント)コメント依頼から来ました。本記事が論争になりやすい記事であることは言うまでもなく、そのことを前提に記事の編集を心がけるべきだと思います。そういう視点から考えると、それぞれの意見を紹介する部分で、一方の意見の持ち主からの批判を入れるというのは、無用な論争を引き起こす原因となるのは必至でしょう。その様な記述をすることは中立性にも公平性にも欠けると思います。例えば、大和屋敷氏の書かれた内容を許容するということは、一方で、虐殺否定説・まぼろし説については、「論理的に破綻している」「世界では相手にされておらず、日本の少数の非学術的見解である」「日本の政府見解に反する」等々(いずれも笠原十九氏の意見)を加えることをことをも容認しなければならなくなります。この様なことを許容していては、百科事典の記事としての体裁を失いかねません。それぞれの説の批判を記述するのであれば、「主な論点」の節で書けばよいのであり、「主な見解」の節で書くべきではないでしょう(無用な争いを生む結果となります)。--Miyake206 2011年2月6日 (日) 10:02 (UTC)
- 「論争や論争史の要約」もひとつの研究成果ですので「原剛によれば~」の文脈は重要です。また他の見地による要約があれば併記して紹介すれば良いかと考えます。「笠原十九によれば~」の文脈で紹介すればWikipedia文面上も破たんが無いのではないでしょうか。--大和屋敷 2011年2月7日 (月) 01:27 (UTC)
- Miyake206さん。学説の状況の概観と学説相互の批判はその客観性にいおいて大きな違いがあります。学説の状況がどうなっているかは客観的にあきらかですから、主観的要素の入り込む余地がもともと小さいのです。ですから、それについて多くの学者の見解が異なることはそうないと思いますし、あったとしても両方とも載せればいいわけです。
- また、学者による他説への批判も、そのまま載せればよく、のせて全く問題ないです。Nakata88 2011年2月7日 (月) 02:12 (UTC)
- コメントMiyake206さんの意見に賛成です。「論争や論争史の要約」が研究の成果だとしても、それを「主な見解」で記述しなければならない理由はありません。Miyake206さんが危惧されるように、「主な見解」において、それぞれの批判記事を記述していけば、それぞれの批判の羅列となり、可読性を非常に損なうことになります。その様な事態を避けるためにも、「主な見解」ではなく「主な論点」に記述をまとめるべきだと思います。なお、「客観性云々」については研究手法によって評価は異なり、「学説の状況がどうなっているかは客観的にあきらか」ではないからこそ、それぞれの説が、自説こそが論理的であり正当・正統であると主張するわけですから、客観性を保障する根拠はないに等しいと考えるべきでしょう。--ちゃんこなべ 2011年2月8日 (火) 12:49 (UTC)
- それはちょっと情緒的な慎重さに傾(かたむ)いた編集方針ではなかろうか。Wikipediaは信頼できる情報源からの引用をコレクションする場所であるわけですので、複数の要約(論争史の要約、論争の要約)が列記されていたほうが、Wikipediaを訪問する読者の調査の足がかりとして有益なものになると考えます。「煩雑になりすぎる」「互いに矛盾している引用の記述が読者を混乱させる可能性がある」というのは記述のさいの文体の問題であり、現に、現実の社会において複数の「論争史の要約、論争の要約」が存在しているのなら、それが3つだとか4つだとか程度であるのならば紹介しても良いのではないだろうか(10とか20とかになれば、ちょっと編集方針として考えなければならない可能性はあります)。--大和屋敷 2011年2月8日 (火) 17:59 (UTC)
- ちゃんこなべさんは誤解されているようですが、もちろん、信頼できるソースに基づく概観もひとつの言説であり主観的なものであることは否めません。しかし、信頼できる主体によるソース(もちろんこれは主観に基づくものです)に依拠するのがウィキペディアのスタイルです。学説の状況の概観についても複数の、それと反するソースがあるなら両方記述する価値があります。対象が明確な、学説の状況についての言説はそれほどひどい齟齬を生じることはあまりないだろうとは考えられますが、そのような事態も考えられないわけではありません。その場合は両方乗せればいいわけです。
- そもそも、Miyake206さんのような、信頼できるソースのある記述について、独自の理由でその価値を否定すること自体が、独自研究です。大和屋敷さんの言うように、ウィキペディアは編集者が、信頼できる情報源に依拠した情報を集めてくるところですから、学説の状況について述べている文章についてもそれが信頼できるソースならの価値を否定する理由などありません。Miyake206さんによる、大和屋敷さんの編集の掲載の否定は、ウィキペディアのそのような方針に反する、独自研究だと考えます。
- なお、Miyake206さんの学説の概観の記述を否定する理由は、理由になっていないことは上で述べたとおりです。学説相互の批判は、ソースがあるなら書いて問題ありませんし、むしろ書くべきです。それが激しい相互の批判の応酬での記述であろうとも実際にソースがあるなら全く問題ないどころか、書かないほうが現状の状況を正確に伝えないことになります。Nakata88 2011年2月8日 (火) 19:38 (UTC)
コメントMiyake206さんとちゃんこなべさんに賛成です。Wikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場に基づけば、「主な見解」節ではなく「主な論点」節に記載したほうが中立的であり、説得力もあるでしょう。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 02:14 (UTC)
- Miyake206さんの編集方針は「理屈としては」スッキリしているかのように見えるのですが、現実の表記となれば、「ある説に対する反論・対論」としての論争ですので、記述方法は非常に難しいです。「30万人説に対する対論」「20万人以上説に対する対論」...「否定・まぼろし説に対する対論」をそれぞれ節立てて記述することになるわけで、結局「主な見解」節に織り込んだほうが良くないか、ということになるのではないでしょうか。2章「主な見解」→「主な見解と著名な対論」として織り込んでしまうのはどうだろうか。あるいは「対論」に関わる記述こそがWikipedia記事の混乱の根源なので「完全に排除する」排除の論理を適用するか(おそらくちゃんこなべさんの編集方針の「感覚的」な部分はこの主張だと思います)。--大和屋敷 2011年2月9日 (水) 02:59 (UTC)
- Wikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場に基づけば、「主な見解」節ではなく「主な論点」節に記載したほうが中立的であり、説得力もあるので、おりこまないほうがいいでしょう。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 03:55 (UTC)
- 「「30万人説に対する対論」「20万人以上説に対する対論」...「否定・まぼろし説に対する対論」をそれぞれ節立てて記述することになるわけで、結局「主な見解」節に織り込んだほうが良くないか」については検証可能な範囲で記せばよいので、全てに対して記さねばならないというわけではないでしょうから、そう手間はかからないと思います。編集上の手間を省くために中立的な観点を犠牲にするのは本末転倒です。
- 「(おそらくちゃんこなべさんの編集方針の「感覚的」な部分はこの主張だと思います)」は論点をずらして個人攻撃をしているともとれるので、私は賛同しかねます。「あるいは「対論」に関わる記述こそがWikipedia記事の混乱の根源なので「完全に排除する」排除の論理を適用する」というのはちゃんこなべさんの意見ではありません。あなたのいう「対論」に関わる記述を排除すべきとちゃんこなべさんは言ってるのではなくて、より適切な、しかるべき場所に移して記述すべきと言っているのです。排除の論理という言葉にはだいぶ誇張が加えられているようにお見受けします。
- あと「対論」というのは「対談」と同じような意味でより対抗的な意味合いが強い対談のことを言うので、反対論という意味でしたら、「異論」であるとか「否定論」であるとかそういう日本語が適切です。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 04:12 (UTC)
- 議論状況の概観をすること自体は、ウィキペディアの争点の整理として妥当な行為であることは、すでに述べたとおりです。しがたって、つまり、メタ的視点での記述を記載することについて、問題はありません。また、それについてソースがある記述がある以上、その記載内容についても客観性は強固に保障されています。したがって、そのような記載をできないというのは、ある種の情報隠蔽工作ともみえます。学説状況は、明確に書ける以上、明確に書いておくべきです。Nakata88 2011年2月9日 (水) 08:54 (UTC)
- 「メタ的視点での記述を記載することについて、問題はありません。」→それが「メタ的視点」な時点でウィキペディアの検証可能性の点から大問題であると思います。
- 「そのような記載をできないというのは、ある種の情報隠蔽工作ともみえます。」→誰が何の情報を隠蔽しているのでしょうか。また何を根拠におっしゃっているのでしょうか。根拠もなく一方の側を「そうみえる」という主観的判断で情報隠蔽工作をしているとお考えならば、甚だ問題のある発言と思います。私やちゃんこなべさんは検証可能性や中立的な観点といったウィキペディアの方針に照らして議論しているだけです。何らかの工作活動を行っているとする根拠は何でしょう。率直に答えていただきたいものです。根拠がないのなら、撤回していただきたいです。
- ここではウィキペディアの方針に照らしてどのような記述がよいかという話をしているので、議論に関係ない話題や憶測を入れないでいただきたいと思います。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 09:46 (UTC)
- 大和屋敷さんのかかれているとおり、メタ的視点にソースがありますし、メタ的視点における情報整理の記述はウィキペディアでは推奨されてますので、両方の面から問題ありません。
- なお、メタレベルの記述をそれより下位に持っていこうとするのは、メタ情報の隠蔽に当たります。そのような行為は推奨されないことは、情報をなるべくはっきり書く必要がある辞典では当然のことです。Nakata88 2011年2月9日 (水) 09:51 (UTC)
- 「メタ」という言葉の意味はある次元を超越しているという意味です。今は検証可能性と中立的な観点の話をしているので、その文脈で「メタ的視点」とおっしゃられると、それは検証可能性も中立的な観点も超越した視点という意味になります。それで正しいですか?違うのであれば、正しい日本語で置き換えて下さい。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 09:56 (UTC)
- ここでいっているメタというのは「ある対象を記述したものがあり、さらにそれを対象として記述するもの」という意味です。つまり、学説状況を記述した学説はメタ学説になります。よろしいでしょうか?Nakata88 2011年2月9日 (水) 10:14 (UTC)
- 「メタ学説」というのは学説を超越したものという意味です。学説状況を記述した学説というものがあったとしても、たとえばそういうものには科学史や学説史といったものが想定できるのかもしれませんが、それらは「メタ学説」ではなく、学説の一種です。「メタ学説」などというわかりにくい用語を意味を分からずに使わずに、意味の確かな日本語を使って話をして下さい。あなたのいう「メタ的視点」という用語はたとえあなたが何かしらの意味をそこに正確に込めていたとしても「メタ」という用語の多義性によって議論相手に誤解を引き起こすという意味で議論を大変混乱させるものです。また「ある種の情報隠蔽工作」とはどういうことなのかよくわからないので詳しく説明して下さい。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 15:26 (UTC)
- メタとは、狭義で「ある対象を記述したものがあり、さらにそれを対象として記述するものを、メタな○○、あるいは単にメタ○○と呼ぶ」と、ウィキペディアに書いてあるとおりです。Kanbunさんが、この意味を知らなかったのなら覚えておいてください。
- メタという言葉は、メタウィキというようなウィキペディアのプロジェクトのひとつでも使われているほどですから、少なくとも、メタという言葉が狭義の意味で上記のように使われていることはウィキペディアで議論する人なら普通わかるはずですので、議論の場合にKanbunさんがそれを知らない人だということは想定できません。
- なお、上記の説明から、メタ学説という言葉の意味を「学説の状況を解説した学説」でつかったのは改めていうまでもないと思います。Nakata88 2011年2月9日 (水) 16:16 (UTC)
- メタの記述をよく確認されますように。「メタ理論」が「理論を解釈するための理論」をいうように、「メタ学説」というのは通例「学説を解釈するための学説」を言うのであり、それはある学説の記述方法論とかある学説の根拠となっている観念とかをいうのであって、「学説の状況を解説した学説」は「メタ学説」とは言いません。こういうのは「学説史」とか「科学史」というのです。「メタウィキ」という場合のメタはあなたのいうような狭義の意味ではなく、どちらかといえば広義のメタの意味であって、ウィキプロジェクト全体をテーマとしたウィキという意味で「メタウィキ」というのです。そこらへんの理屈をよく分からずに「メタ学説」などという意味不明な言葉を使うのは議論を混乱させる行為なのであって、「学説の状況を解説した学説」と言いたいのであれば、「メタ学説」などという意味不明な言葉を使わずに直接そう言って下さい。次からお願いします。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 17:17 (UTC)
- それと「ある種の情報隠蔽工作」ということについての説明を頂いてません。誰が何の情報を隠蔽しようとみえるのか、あなたがそう考える根拠は何なのか詳しくお聞かせ下さい。「情報隠蔽工作にみえる」という発言は穏やかではありませんから、あなたが挑発的な意味でこれを使ったのでないのならば、しっかりと説明する義務があると思います。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 17:39 (UTC)
- メタとは、ウィキペディアに狭義の意味でで書いてあるとおり、「ある対象を記述したものがあり、さらにそれを対象として記述するもの」という意味で使っています。「理論を解釈するために理論」という目的をもった限定はその一部に過ぎません。また、メタウィキも個々の記事ではなくプロジェクト全体の構造を議論しているから、メタという言葉を使っています。
- また、Kanbunさんは、おっしゃっていることが一貫してません。「理論を解釈する理論」という意味は、「超越」という言葉からは少なくともでてきません。「理論を解釈する理論」とは「ある対象を記述したものがあり、さらにそれを対象として記述するもの」の一部をなすものです。少なくとも狭義の意味で使っていることは最初からわかっていなかったならわかっていなかったと認めたうえで、自己の認識を訂正したと宣言するべきです。
- 「ある種の情報隠蔽工作」とは以下のような意味です。メタ学説としての原氏の学説は、各学説が存在するかしないか、存在するとすれば各説がどのように存在するかを原氏は述べているわけですから、各説やその相互の批判とは違う、上記のとおり、メタレベルのものです。それを学説相互の批判のレベルで記述するのは、メタ情報としての性質を見えにくくする行為に当たるという意味です。なるべく明晰に記述することが求められる辞典ではこのような行為は推奨されません。Nakata88 2011年2月9日 (水) 18:55 (UTC)
- 「「理論を解釈する理論」という意味は、「超越」という言葉からは少なくともでてきません。」→メタの元来の意味をご存じないのでしょう。ウィキペディアを自己参照などせずにちゃんと辞書を調べられたらよろしいと思います。「メタ」とは「間に」「超えて」「高次の」などの意をもつもので、接頭語的に用いられる言葉です。 「理論を解釈する理論」は解釈される理論を超越しているので「メタ理論」といわれるのです。
- 「少なくとも狭義の意味で使っていることは最初からわかっていなかったならわかっていなかったと認めたうえで、自己の認識を訂正したと宣言するべきです。」→私は何も訂正していないので、意味不明です。どこかで何か訂正したと私は発言しましたか。
- 「メタ学説としての原氏の学説」→この日本語は明らかにおかしいです。原氏は当該レジュメで30万人説について見解を示しましたが、学術的根拠を示して論じているわけではないので、学説を示しているわけではないです。こういうのは学説とは言いません。
- 「学説相互の批判のレベルで記述するのは、メタ情報としての性質を見えにくくする行為に当たる」→「メタ情報」という日本語は意味不明確です。Nakata88さんは日本語では一般的に「超越する」あるいは「高次の」という意味で使われる「メタ」という言葉をウィキペディアの記事を勘違いして誤って使っていらっしゃるので、まずは「メタ」という誤解の多い言葉を使わずに議論されることが肝要です。あなたがどんな意味を「メタ」に込めたにせよ、「メタ」という言葉は多義的で誤解の元ですからこれ以上使わないでいただきたいです。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 19:53 (UTC)
- 「メタ学説」というのは学説を超越したものという意味です。学説状況を記述した学説というものがあったとしても、たとえばそういうものには科学史や学説史といったものが想定できるのかもしれませんが、それらは「メタ学説」ではなく、学説の一種です。「メタ学説」などというわかりにくい用語を意味を分からずに使わずに、意味の確かな日本語を使って話をして下さい。あなたのいう「メタ的視点」という用語はたとえあなたが何かしらの意味をそこに正確に込めていたとしても「メタ」という用語の多義性によって議論相手に誤解を引き起こすという意味で議論を大変混乱させるものです。また「ある種の情報隠蔽工作」とはどういうことなのかよくわからないので詳しく説明して下さい。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 15:26 (UTC)
- 「書けないことは書かない」というのは一つの編集判断だと僕は思っている派なので、現実に複数の信頼できる資料を集めることができたとして、さて、どうやって記述しようか、どうやって中立的に記述しようかという算段はなかなか難しいです。いずれにせよ、原剛の資料から「3.主な論点」節に起筆し、順次追加してゆくような作業工程になる感じでしょうか。どうもしっくりこなければ、その時点でまた考えればいいと思います。「対論」については[19]「両者が向かい合って、または、【ある事柄について対抗して議論すること】。また、その議論。」。「異論」については[20]「他と違った意見や議論。異議。」。ここではある説に対する反駁[21]・反論であり、「対論」のほうが語調として適切だと考えました。「否定論」については「そのような説は成立しない(否定)」との語調が強すぎるような気がします(仮説の設定の可能性そのものを否定しているる語感がある)[22]。--大和屋敷 2011年2月9日 (水) 15:52 (UTC)
- 「原剛の資料から「3.主な論点」節に起筆し、順次追加してゆくような作業工程」→私もそれを想定していました。それでよいのではと思います。最初から全ての論点について反論を網羅する必要はないのではと思います。
- 「対論」の「対」は面と向かい合う、相手と向かい合うという意味、つまり「対面」という意味での「対」です。大和屋敷さんは「反対」とか「対義」とかという意味で「対」を使われているのだと推察しますから、そうでしたら「反論」とか「反証」とかのほうがいいかもしれません。ちょっと議論内容がデリケートになっているので無用な誤解があるといけないと思いましたので。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 15:59 (UTC)
- (補足)ちょっとわかりにくかったかもしれませんので補足しますと、リンク先の『デジタル大辞泉』の述べる「ある事柄について【対抗】して議論すること」の「対抗」は「対決」の意味であって、やはり両者が対峙している具体的状況を含意しているのです(この説明は『広辞苑』にも全く同じ説明が載っていますが、大変説明不十分な記述と思います)。「反対」とか「対義」という意味で「対抗」と比喩的に言っているのではなく、本当に対抗して面と向かって議論をしている状況とその議論内容を言うのです。身池対論を読んでいただければ、この『デジタル大辞泉』や『広辞苑』のあげる「対論」の具体的なイメージがつかめると思います。--Kanbun 2011年2月9日 (水) 16:18 (UTC)
- 「書けないことは書かない」というのは一つの編集判断だと僕は思っている派なので、現実に複数の信頼できる資料を集めることができたとして、さて、どうやって記述しようか、どうやって中立的に記述しようかという算段はなかなか難しいです。いずれにせよ、原剛の資料から「3.主な論点」節に起筆し、順次追加してゆくような作業工程になる感じでしょうか。どうもしっくりこなければ、その時点でまた考えればいいと思います。「対論」については[19]「両者が向かい合って、または、【ある事柄について対抗して議論すること】。また、その議論。」。「異論」については[20]「他と違った意見や議論。異議。」。ここではある説に対する反駁[21]・反論であり、「対論」のほうが語調として適切だと考えました。「否定論」については「そのような説は成立しない(否定)」との語調が強すぎるような気がします(仮説の設定の可能性そのものを否定しているる語感がある)[22]。--大和屋敷 2011年2月9日 (水) 15:52 (UTC)
- 大和屋敷さんへ。基本的に原剛がいっているとおりのことを書くのが基本となると思います。そのばあい、原剛が学説状況を概観しているなら、それを論点に書くのはおかしいでしょう。
- やはり、全体の状況を書く場所でそれを述べるべきです。実際に、そのような学説状況を概観したほかの記述があるのであれば、それも載せればいいだけだと思います。
- 日本に30万人説を支持する学説が存在するかどうかは、原剛の整理にゆだねられているだけでなく多くの学者が当然やっているはずですから、その点についての反論がないということもそれを消極的に支持していると言っていいのではないでしょうか。そのいみで、論点について述べている記述レベルとは違ったまとめれべるで原剛の記述は使われるべきだと思います。
- 各節に対する相互の反論はそのような、学説の支持者がいるかいないかという学説の分布状況とは別の問題だと思います。Nakata88 2011年2月9日 (水) 16:32 (UTC)
- (コメント)「情緒的な慎重さに傾(かたむ)いた編集方針」とのことですが、そもそもこの記事はとても情緒的に不安定な記事であり、その為に編集合戦となったり、長期間の保護処置となったりしている経緯があるようです。ここでの議論を見ても、かなり感情的な記述も目立つことは否めないでしょう。最初に書いたとおり、論争になりやすい本記事では、情緒的な面においても配慮することは無用な論争を避けるため、そしてwikipediaのリソースの無駄な消費を減らすためにも重要なことです。自分たちの意見だけに固執して、議論を平行線に終わらすような態度は感心できません。なお、「情報隠蔽工作」などという冷静さの欠いた指摘を受けましたが、私はなにも「書くな」と言っているのではなく、両論並立する形で記述することで、対立する両者が妥協すべきではないかと提案しているのです。なぜ、あの部分に書くことに固執するのでしょうか?もう少し冷静になって考えて頂きたいと思います。--Miyake206 2011年2月12日 (土) 09:23 (UTC)
「○○派」というレッテルと典拠への疑問
[編集]以下の記述について典拠に疑問があり、「統一」の方法にも疑義がありましたので要出典タグをはり、問題を提起します。【 】内は疑義のある文章が存在する節、その下に疑義のある文面を引用します。
- 【二十万人以上】
- 論争において肯定派・虐殺派と呼ばれる。ここでは肯定説に統一する。
- 【最上限4万人説】
- 一般的には中間派と呼ばれる。ここでは中間説とする。
- 【数千~2万】
- 一般的に少虐殺、小虐殺派などと呼ばれるが、中間派と呼ばれることもある。ここでは小虐殺説に統一する。
上記の3つの引用文では、「○○派」というレッテルについて、いずれも主語も出典も明示されない「呼ばれる」という受身形が使用される不正確な記述である。 また「~に統一」したり、「~とする」など、記事の文面が、特定の立場にたって特定のレッテルを採用するのも問題である。 それぞれの論者の主張は「人数」で客観的に明らかであるので、曖昧・不正確・典拠不明のレッテルをわざわざ記事の文面がはりつける必要はない。 ただし、論争の当事者には、自身をふくめた論者たちをそれぞれの基準で分類・整理している場合が多い。ただしどんな基準で分類し、だれにどんな「○○派」のレッテルを使用するかは、論者と立場により非常に多彩である。「南京大虐殺論争」を俯瞰するうえで、さまざまな立場の論者たちそれぞれについて、「論争の当事者をどんな基準でどのように分類しているか」、および「自他にどんな「○○派」のレッテルを使用するか」を紹介することは、百科事典の記事として有為であるとおもわれるので、節を改めるなどしたうえで、レッテルの種類と使用者ごとの用法を典拠を明示したうえで紹介すること自体は、むしろ必要であると考える。この方向での増補には反対しない。--Dalaibaatur 2011年3月12日 (土) 14:17 (UTC)
- コメント それぞれの呼び名については、『別冊宝島 中国プロパガンダの正体 「南京大虐殺」という陰謀』88-99頁に纏められている他、秦『南京事件』、笠原『南京事件論争史』などでも書かれていようです。出典はあるようですが、私自身は、どう呼ぶかはあまり関心がありませんので削除することに反対しません。
なお、二十万人説と十数万人以上節は、内容としても同じですし、上記の別冊宝島等でも同一の主張として取り扱われていることから合併しました。さらに、修正・追記をしました。--ちゃんこなべ 2011年3月13日 (日) 11:50 (UTC) - コメント ぼくの考えは、(1)特定の価値判断を含む「◯◯派」というレッテルを「百科事典の記事」として使用すべきではない、(2)論者たちの多くがそれぞれ自分の基準で「◯◯派」「△△派」等のレッテルをもうけ、自他をふくむ論者たちを分類しているのは典拠によって確認できる事実である、という2点より、(1)にあたる現行の文面(上に引用)は削除、(2)については「だれが」「だれに」「なにを」について典拠とともに明示されるなら、記事中に登場することに反対しない、という立場です。--Dalaibaatur 2011年3月14日 (月) 02:42 (UTC)
- 反論がでませんでしたので、上記引用部については削除します。上記の引用箇所以外にも、「記事の文面」が特定の論者の特定の用法で「○○派」「△△派」等のレッテルを使用している箇所があります。それらについてはレッテル部分を削除するだけでは済まないので、とりあえず手はつけませんが、「記事の文面」が特定のレッテルを採用して使用することは問題である、とあらためて指摘しておきます。--Dalaibaatur 2011年3月17日 (木) 06:02 (UTC)
可読性の向上(脚注化など)
[編集]現状の記事は、もっと可読性を向上させることができると思います。脚注なども統合するのが、一般的ですし、統合した方が読みやすいです。(私が知る限り、ウィキペディアの記事で脚注がこのような節単位になっているのは知りません)
ローカルルールがあるとのことで、あらかじめ編集理由を述べておきますが、内容に関する加筆ではありません。あくまで可読性を向上させるための、脚注の整理を編集していきたいと思います。また、論者・研究者の説明なども、最低限でいいように私は思います。編集の途中で、あらためて脚注化などを施す場合もあるかと思いますが、内容そのものを改変するような作業ではありません。もし私の編集に問題があれば、差し戻しをしていただき、ノートで議論をよびかけてください。--西方 2011年6月26日 (日) 13:23 (UTC)
著書名なども脚注と重複しているものや、また、論者の説明文などの重複なども、同趣意により、編集します。--西方 2011年6月26日 (日) 13:55 (UTC)
再構成提案
[編集]同様、可読性の観点より、再構成を提案します。現在、「主な見解」において虐殺数などが記述されておりますが、これらは、「主な論点」に組み込むことが可能です。もとより、これらも、「論点」です。「主な論点」のなかに「虐殺数」「「虐殺」の定義(または虐殺か否か)」といった節名で組み込むことを提案します。--西方 2011年6月26日 (日) 14:01 (UTC)
「南京大虐殺問題」へ改名提案
[編集]現在の記事名を「南京大虐殺論争」を「南京大虐殺問題」に改名提案します。
改名理由は、アルメニア人虐殺問題を参考に、より包括的な名称である「問題」にした方が適切であるかと思われるからです。なお、この提案は、ノート:南京事件 (1937年)での議論から派生したものではありますが、本提案自体は、独立した提案ですので、議論はここでお願いします。
なお、すでに本ノートもログが長くなってしまったので、便宜上、過去ログ化した方がいいかもしれません。--西方 2011年6月30日 (木) 06:35 (UTC)
- 上記改名提案に反対。
- この記事は日中戦争における「南京事件」または「南京大虐殺」等とよばれる出来事についての「論争」を扱った記事として執筆されてきました。
- 記事「南京事件 (1937年)」での改名議論の結果にあわせて、こちらの記事名の「南京大虐殺」の部分を変更することには賛成。
- 西方さんはこの記事をなんの目的で【より包括的な名称である「問題」】にしたがっておられるのか、上記提案文ではまったく述べておられないので、なにがどう「適切」であるのか、読者には不分明。
- 事件の「論争」を扱う記事であるというこの記事の位置づけを変更することには反対。
- ゆえに、この記事の「論争」の部分を「包括的」な「問題」に変更しようという西方さんの提案には反対。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 07:59 (UTC)
- 「論争」の対象は、「日中戦争における「南京事件」または「南京大虐殺」等とよばれる出来事」であり、それが「問題」なのだと思いますが。当記事の各論点は「問題」ではないでしょうか?Dalaibaatur さんの定義では、「論争」と「問題」は異なるわけですか?ご説明をもうすこしください。「「論争」を扱う記事であるので、その名称は「論争」であるべき」だと、トートロジーつまり同語反復的なものですので、よく了解できません。「問題」と提案するのは、それが「論争」よりも、包括的だからです。それに、「問題」へと改名したところで、「論争」「論点」「論争史」が改変されるわけでもないのですが…。
- また、アルメニア人虐殺問題という記事名の場合についてはどのようにお考えですか?--西方 2011年6月30日 (木) 08:30 (UTC)
- もし「論争」と「問題」は別項目にすべきだとすると、現在の記事の内容のうち、「主な論点」節を「南京大虐殺問題」へ、また、「論争史」節を「南京大虐殺論争」へと分割することも、案としては、ありえますが、この点についてはいかがでしょうか?--西方 2011年6月30日 (木) 08:35 (UTC)
- すみません、タイムラグが生じてしまいましたね。Dalaibaatur さん、コメントを書き換えられる場合は、線を引いて(
◯◯のように)消されるか、追記の旨を表記なさってください。そうしないと、次のコメントとの整合性がとれない場合がございますので(いまのタイムラグについては、内容的変更ではありませんでしたので、大きな問題とはなっていませんが)。--西方 2011年6月30日 (木) 08:41 (UTC)- たびたびすみません。[23]でのコメント書き換えによって、私が引用したDalaibaatur さんの発言「「「論争」を扱う記事であるので、その名称は「論争」であるべき」という部分が消されてしまうと、整合性がつきません。以後、議論を円滑にすすめるために、このようなことはご遠慮願います。--西方 2011年6月30日 (木) 08:45 (UTC)
- すみません、タイムラグが生じてしまいましたね。Dalaibaatur さん、コメントを書き換えられる場合は、線を引いて(
- 現在、事件そのものは「南京事件 (1937年)」で、事件を巡る「論争」「論点」「論争史」はこちらであつかわれています。この役割分担を変更する必要はない、と考えます。
- なぜ「・・論争」となっている記事名を「・・問題」と改訂したいのか、まずは提案者の西方さんに、いますこしくわしくお述べいただきたいですね。「・・論争」となっている現状でなにがまずいのか、「・・問題」と改めることで何がどう改善されるのか、西方さんの上記の提案にはまったくなんの言及もない。--Dalaibaatur
- 「論争」を扱う記事から「主な論点」を切り離すという理由がわかりません。
- アルメニア関係の記事名について「どう思うか」という漠然としたお尋ねがありましたが、なぜそんなお尋ねをなさるかがわからず、そのためどうお答えしたらいいかもわかりません。まずは↑でお尋ねしている件について、お考えをお知らせいただければと。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 09:04 (UTC)
(インデント戻し)
- Dalaibaaturさんは、「改名の目的が不明」ということで、もしかしたらノート:南京事件 (1937年)での私の提案を参照されたのかもしれませんが、その提案についていっておきますと、改名提案→統合提案という二段階の提案を行おうかと予定はしておりますが、私自身は、後者の統合提案についてはあくまで「提案」を行うことで議論をすることを提案しているのであって、「統合すること」が目的ではありませんので、あらかじめ明記しておきます。
- 改名の理由について
- 「論争」ですと、いわゆる「否定派」と「肯定派」の論争となりますが、「論争」を検索しますと、民法典論争や普遍論争、純文学論争があり、ほか、アナボル論争などがあります。つまり「論争」といいますと、一般的な語用法としては、主に学説や思想上の論争をいうのだと思います。
- 他方、「虐殺問題」に関してはアルメニア人虐殺問題のほかは、現在ホロコースト記事に「ユダヤ人問題」があります(私見では「ユダヤ人問題」は独立記事にしたほうがいいと思いますが)。
- つまり、「論争」ですと、範囲が学術文化に一般に限定されるのに対して、「問題」ですと、国家間または民族間の係争問題などを扱うより包括的な名称ということができます。改名提案の最大の理由は、この「論争」という語の限定的な用法(または語感)でしょうか。--西方 2011年6月30日 (木) 09:58 (UTC)
- 補足します。この「南京大虐殺・南京事件」を巡る論争・議論は、学説的な論争の枠をはるかに超えて、日中間の国家または民族間の問題となっています。そのような実際の問題の規模からしますと、「論争」よりも「問題」の方が事態をより的確に言い当てているのではないか、と思うわけです。--西方 2011年6月30日 (木) 10:31 (UTC)
- ご解説を拝見。
- ご解説とアルメニア関連の記述を読んで私が理解した「問題」とは、「事件に対する歴史認識をめぐって現在進行形で国家間や民族間の間に引き起こされていることがら」となります。たとえばアルメニア関係では、トルコ共和国に対して、アルメニア側の歴史認識に同調することをEUの加入条件の一つにされていることのような。南京(1937)の場合は、たとえば「中国における日本軍国主義の罪状」を告発するような立ち位置をとっていたある日本人研究者が、元日本兵とともに南京ローカルのテレビ番組に出演し、「歴史認識のズレ」のために中国人出演者から罵倒ともいえる激しい批判を受けたような事件。
- 1937年に起きた「事件そのもの」でもないし、「事件をめぐる議論や論争」のどちらにも該当しないけれども、「事件」そのものを理解するうえで必要な範疇(カテゴリー)だろうと思います。
- この記事の改名問題にもどりますと、【この「南京大虐殺・南京事件」を巡る論争・議論】そのものが、【学説的な論争の枠をはるかに超えて、日中間の国家または民族間の問題となっています】という西方さんの「問題」の概念には同意できません。私自身は、この記事自体は、あくまでも「論争・議論」を扱った記事であり、「…問題」に該当する事例は、現在の記事の文面中には存在していない、と考えます。
- アルメニアについての記事の場合、「事件」そのものを扱った独立した記事はなく、「問題」と名付けられた記事の前半部で事件そのものを紹介し、後半部で「問題」の具体的事例を詳しく紹介している。南京(1937)にとってのこの記事に相当するような「事件をめぐる議論や論争の紹介」についての記述、記事は存在しない、という構成になっています。
- 以上より、南京(1937)についての「…問題」を扱う場としては、この記事を改名するのではなく、南京大虐殺論争・南京事件 (1937年)のふたつの記事のどちらかに「…問題」という節を設けて、「問題」に該当する事例を記載するか、または独立した「…問題」の記事を立てればいいと思います。この記事自体はあくまでも「論争・議論」を扱うことを主体とする記事とし、改名は行わないのがよいと思います。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 15:08 (UTC)
- 補足します。この「南京大虐殺・南京事件」を巡る論争・議論は、学説的な論争の枠をはるかに超えて、日中間の国家または民族間の問題となっています。そのような実際の問題の規模からしますと、「論争」よりも「問題」の方が事態をより的確に言い当てているのではないか、と思うわけです。--西方 2011年6月30日 (木) 10:31 (UTC)
- ご意見、ありがとうございます。Dalaibaaturさんのお考えでは、アルメニア記事と比較して、南京問題は、外交上の「国家・民族間の問題」というよりは、いわば「学説的な論争」の性格が強いということでしょうか?
- (第一段落について)ただ、はじまりはジャーナリストの著述によるものだったとはいいましても、のちにそれが展開し、現在にいたる経緯と歴史をみますと、歴史教科書問題や、欧米でプロパガンダ映画を共同製作(資本の出所は明らかですが)したり、様々な「キャンペーン」があり、やはり私には、「学説的な論争」の枠を超えた、外交上の「国家・民族間の問題」になっているようにも思われるのですが…。たしかに、正式な外交問題というより、いわば「準問題」的な扱いではあるのかもしれませんし、近年は領土問題ほど耳にしなくなったのはたしかですが。
- (第ニ段落について)「範疇」は何を指されていますか?
- (第三段落について)「この記事自体は、あくまでも「論争・議論」を扱った記事であり、「…問題」に該当する事例は、現在の記事の文面中には存在していない、と考えます。」とおっしゃいますが、私からしますと「主な論点」がそれらにあたるわけです。ただし、これについては、Dalaibaaturさんが私の「論争/問題」の意味の違いについて合意されていない以上、当然なのですが。
- 私からしますと、うえでいまいちど質問しておりますように、当記事での対象(「南京事件」)は「論争」を超えて、国家間の問題(「問題」という語用法でいいますと、歴史教科書問題がいい事例でありますね)となっているとしか思えないもので。この点については合意されますか?
- それとも、あくまで「単なる学説的な論争の性格が強い」ものでしょうか?中国側と日本側の論者の対立を超えた、たとえば、領有権問題にも似た、係争性を持っている、すくなくとも、持って来た、と私は思うのですが。
- あと、「現在の記事の状態」が「論争を扱っているから」、改名には合意できないという立場は、私からしますと、順番が逆といいますか、本末転倒的にも思われます。なぜならはじめにもうしまたように、「問題があり→論点があり、論者がいて→論争が存在するから」です。いうなれば、「南京事件(1937)」と「南京大虐殺問題」(「論争」含む)という二大構成案なのですが。
- 記事内節化については、案としては検討いたしたく思いますが、これについては、この改名提案の議論が終了してからにしたいと思います。
- もし、あなたが南京論争は、「学説的な論争」程度のものであり、「日中間で係争するようなおおげさなことはない」と認識されているのであれば、私からすると、やはり「問題」(ここでいう問題とは、論争から派生していった、現在も続く、国際プロパガンダを含みます)を矮小化されているのではないか、と思うのですが。他の方の意見もお聞きしたいところです。--西方 2011年6月30日 (木) 18:11 (UTC)
- 「問題」に関する定義が私と西方さんでは違っているようです。南京の事件(1937)を記事にする場合の切り口としては、
- 事件そのものについての記述
- 事件そのものをめぐって行われた・行われている議論・論争についての記述(以下「論争」と略称)
- 事件に対する歴史認識をめぐって発生する国内的・国際的問題についての記述(以下「問題」と略称)
- などがあり得ます。現状では1が「南京事件(1937)」という名称で、2が「南京大虐殺論争」という名称で記事になっている一方、3にあたる記述はアルメニアに関する記述と比較すると、ウィキペディアの中では1または2を構成する1節、または独立した記事としてのいずれの形でも、まとめて体系的に記述されておりません。
- 私自身の「論争」と「問題」の定義は以上のとおりです。
- 「事件そのものをめぐって行われる議論・論争」における個別の問題と、「事件に対する歴史認識をめぐって発生する国内問題・国際問題」は、質的にまったくことなる「問題」なので、これを混同している西方式「問題」の定義には同意できません。よって西方式「問題」の定義を前提とした改名提案にも賛成できない、という結論となります。
- 「事件そのもの」「論争」と「問題」はまったく別個の範疇に属しています。「南京事件」のノートでは、「南京事件」と「南京大虐殺」を別の記事にするというアホな提案がなされていますが、「論争」と「問題」は、それとは異なり、それぞれ独立した単独の記事を立項すべき意味と価値が十分にある。ゆえに「問題」は独立した記事をたて記述されるべき。したがって、「論争」を扱ったこの記事は「…問題」と改名する必要がない、という結論となります。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 19:42 (UTC)
- いまから「問題」を扱った文章をどこかに投稿する場合、(1)「事件そのもの」を扱った記事の一部として投稿する(2)「論争」を扱った記事の一部として投稿する(3)最初から独立した記事として投稿する、という三つの選択肢がありえます。
- 西方さんが上記で紹介している「アルメニア人虐殺問題」という記事の場合、「事件そのもの」の紹介と「問題」の具体的記述がひとつの記事の中に同居しています。
- 【「論争」を扱っているこの記事は「…論争」という記事名で独立した記事のままにしておくべき】という私の主張について、西方さんは「本末転倒」だとか、「南京事件を矮小化するもの」だとか主張しておられますが、どちらの評価にもまったく同意しません。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 19:42 (UTC)
- Dalaibaatur さんの立場と見解、了解できました。たしかに「論争」と「問題」とは区分して記述されるべきとのは私も合意します。節にするか、新規立項にするかについては、あらためて考えたく思います。ちょっと短かったですが、提案者としては十分な審議を通過することができたので、これをもちまして、改名提案を取り下げたく思います。Dalaibaaturさん、議論に参加してくださり、ありがとうございました。
- 「本末転倒」の件は、あくまで私の基準からみれば、ということにすぎませんし、「問題」と「論争」との峻別を主張されるあなたの立場と、「問題」>「論争」という包括案を提案した私の立場の、認識の違いにすぎませんので、あしからず。--西方 2011年7月1日 (金) 12:58 (UTC)
- Dalaibaatur さんの立場と見解、了解できました。たしかに「論争」と「問題」とは区分して記述されるべきとのは私も合意します。節にするか、新規立項にするかについては、あらためて考えたく思います。ちょっと短かったですが、提案者としては十分な審議を通過することができたので、これをもちまして、改名提案を取り下げたく思います。Dalaibaaturさん、議論に参加してくださり、ありがとうございました。
コメント 西方さんによる改名提案は、既に取り下げ済になりましたが、話題となった「南京」と「アルメニア」などの記事構成を比較してみました。英語版(および主要各国語版)は、「事件」(事実かどうか議論のあるものを含む)と、「議論」(単に事件の議論部分を独立させたというより、議論自体の特筆性を記述した記事)に大別されているように思えます。ただし日本語版のアルメニア人虐殺問題は、「議論」の記事が未翻訳のためか、記事名も内容もカテゴリも「事件」と「議論」が混ざっているように思えますが、これは意図的というより日本の特殊事情(関心が低い)からかも知れません。ご参考まで。
否定論も存在している主な「虐殺事件」の記事構成 事柄 主に「事件」の記事
(主に歴史/事件系のカテゴリが多く付いている)主に「議論」の記事
(主に議論/論争系のカテゴリが多く付いている)南京(英語版) en:Nanking Massacre(南京虐殺) en:Nanking Massacre denial(否定論) アルメニア人(英語版) en:Armenian Genocide en:Armenian Genocide denial(否定論)/ en:Armenian Genocide recognition(肯定論) / ユダヤ人(英語版) en:The Holocaust en:Holocaust denial(否定論) 南京(日本語版) 南京事件 (1937年)(2010年6月に「南京大虐殺」から改名) 南京大虐殺論争(Category:歴史認識問題はこちらのみ) アルメニア人(日本語版) アルメニア人虐殺問題(Category:歴史認識問題など、議論系カテゴリも付いている) (未翻訳?) ユダヤ人(日本語版) ホロコースト ホロコースト否認
--Rabit gti 2011年7月1日 (金) 15:14 (UTC)
Rabit gti さん、ありがとうございます。この件、どうしましょうか、ノート:南京事件 (1937年)に転載してもよろしいですか?(結局、議論があちこちになってしまいますね。すみません。とはいえ、私としては、一旦、こちらで議論を区切って、ひとつの論点を詰めたことで、進展はしたと思っております。ノート:南京事件 (1937年)での議論は長いためか、論点は多いし、議論内容は細密ですしね。) たしかに、この英語版のdenial(否定論・否認)の構成が、以前より気になっておりまして、どうも、私には、これは日本の言論の風土上、合わないのではないかと思っております。「否定論」だと、その案件に関する否定論者だけが分離されて、記述されてしまいます。これに対して「南京大虐殺論争」のように、「論争」の方が、中立性からみても、双方の意見が尊重され、両論併記されるため、いいと思うのですがね。(英語版でそういう議論がノートなどで行われているかもしれませんが。行われていないとしたら、ちょっと不思議です。)--西方 2011年7月1日 (金) 16:05 (UTC)
- コメントすみません、時間差でノート:南京事件 (1937年)にもこちらでコメントした事は書いてしまいました。この表は当ノート用の最低限の内容なので、必要ならば加筆します。「denial」とかは私も翻訳の際に悩みますが、やはり欧米は「主張の文化」なので「反対、賛成を明確にするのが普通。否定があるから賛成も議論も存在する。用語は正確さより強烈なもの。曖昧では通じない」とか、日本は逆に過剰(?)に「刺激を避けて、曖昧に、表現もこまこまとカイゼンしてしまう」ような傾向はあると思います。ただウィキペディアは翻訳や各国語版間の交流も推奨しているので、個人的にはある程度の混在は受容するしか無いとも思っています。(回答になっておらず恐縮ですが)--Rabit gti 2011年7月1日 (金) 16:35 (UTC)
ローカルルールについての問題提起
[編集]こちらのローカルルールについて、Wikipedia:井戸端/subj/「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについてで問題提起をしましたので、お知らせします。--Dwy 2011年8月22日 (月) 17:47 (UTC)
- 上でご案内しました議論の結果、今のルールについて疑問・問題があることで意見の一致を見ました。更に、Wikipedia:井戸端/subj/「ノート:南京事件 (1937年)」他のローカルルールについて#提案においてローカルルールの撤廃が提案され、現在のところどなたからも異議が出ていませんので、ほぼ合意形成ができたといってもよい状態になっています。
- しかし、ローカルルール廃止の手続き論としては、「ローカルルールが不適切で不要と思うのなら個々のページでそれを議論すればよい」というご意見があり、井戸端での合意形成だけでは手続きが不充分かもしれないという疑義があります.
- つきましては、こちらのローカルルールの撤廃を、再度こちらでも提案させていただきます。撤廃の理由等に関するこれまでの議論につきましては、井戸端の議論をご参照ください。
- ご意見がおありの方は、こちらにでも、井戸端の議論の方にでも、どちらでも結構ですので、コメントをお願いします。--Dwy 2011年9月11日 (日) 04:46 (UTC)
- 特に異論がありませんでしたので、ローカルルール撤廃の合意が成立したものとして、ノートページ冒頭のローカルルールの表示を除去します。--Dwy 2011年9月19日 (月) 16:24 (UTC)