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ノート:千坂恭二/過去ログ

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本文の前に上のような書き込みがあったが、以下のことから、誤認であろうと判断。

「削除についての議論は削除依頼の、この項目の依頼サブページで行われています。」とあるが、削除についての議論がどこにもおこなわれておらず、その場すらない。従って、何故に、この項目が削除の対象とされているのか不明のままであり、それよりも削除の理由がどこにも明示されていない。もし、この項目についての削除についての議論の場があるなら、お教えいただきたい。削除についての議論がなく、議論の場さえないならば、削除依頼なるものが悪質な荒らしとしか解釈のしようがない。 シティ 2006年6月26日 (木) 13:24 (UTC)

諸情報の出典は?

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本項目には「少年時代のヒーロー」「バクーニン論出版計画が頓挫した経緯」「大学院進学を中止した理由」など、当人しか知り得ない個人的情報が多数記されていますが、出典となる参考文献が挙げられていません。この点から考えて、本項目の主たる執筆者は千坂さん自身なのではありませんか。だとすると、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないに照らして問題があることを否定できません。--Number 2007年1月1日 (月) 10:10 (UTC)[返信]

千坂恭二は70年代の左翼思想界では、一部に熱烈な信奉者を持った、当時では最若手の思想家で、本人が『現代の眼』『情況』『東大陸』その他の雑誌などに「近況」として自分の周辺についてよく書いており、近年のことも彼の文章や彼に取材した講談社刊の雑誌の記事などに書かれていることばかり。出典先は煩雑になるので、逐一書いていないだけでしょう。。--NPD 2007年1月2日 (月) 0:32 (UTC)

Wikipediaに「煩雑になるから出典は省略していい」という方針があるなら明示してください。NPDさんの投稿履歴を洗わせていただきましたが、本項目の他、住吉大社全学共闘会議松田聖子蒲池氏など、利用者:沢田さんや利用者:シティさんや利用者:Gewagewaさんと編集傾向が酷似していることを確認できました。そう、不自然によく似ています。しかもこれらは、本項目に述べられている千坂氏の個人生活に何かしら関係がある事項ばかりです。あなた方が真に同一人物か否かはCheckUserにかけなければ断言できませんが、出典の明記はWikipedia:検証可能性を守るために必須の条件なので可及的速やかに、是非ともお願いしたいですね。もし今後も具体的出典が出て来ない場合は然るべき措置を執らせていただきますので、そのつもりでいらして下さい。--Number 2007年1月1日 (月) 19:50 (UTC)[返信]

ウィキペディアについての「煩雑になるから出典は省略していい」という方針の有無については知りませんが、ウィキペディアの多くの項目をご覧いただければおわかりのように、論文のように逐一、出典先の註を付けているものはありません。「編集箇所の酷似」していることから「同一人物」云々というのは言いすぎです。まず、私は、たとえば利用者:沢田氏とも利用者:Gewagewa氏とも別人です。Numberさんは、沢田氏を千坂氏ではないかと書いておられますが、千坂氏の項目から内的リンクが貼られている牛嶋徳太朗氏の項目をご覧下さい。これも沢田氏が書いていますが、あなたの論理でいくと、沢田氏は千坂氏だけではなく牛嶋氏とも同一人物になってしまいませんか。私が知る限りで言えば、千坂氏の個人生活的なことは、千坂氏が雑誌に発表したエッセイや近況報告、千坂氏についての書評紙や雑誌の紹介記事や取材記事などに述べられていることばかりです。思いつくまま挙げれば、「1970年4月に上京」というのは、1972年の「図書新聞」の記事にありますし、「1987年に大阪に戻る」は、講談社の1993年の『月刊VIEUS』のインタビュー記事にあります。没落旧家や少年時代のヒーロー、仏教の惹かれた宗旨については、1974年頃の『現代の眼』という雑誌の近況に出ています。1970年代は、千坂氏のような運動経験を持つ書き手の軌跡(つまり「その後の生き方」ということですが)は、新左翼やその周辺のジャーナリズムでは、よく取り上げられたものです。1980年代になると様相は変わります。そのため1980年代の千坂氏については、発表した文から、こんなことに取り組んでいたんだなということ以上は、私には分かりません。そのため、私には千坂氏が「ヴァーグナーの音楽を聴いていた」かどうかは分かりませんし、沢田氏の持つソースについても知りません。千坂氏や牛嶋氏についての沢田氏の書き方からすると本人から聞いたか、それに類したことではないかと推測します。ネットのウェブサイトを調べても1980年以前の雑誌情報はほとんど無いので無意味でしょう。何が何でもといわれるのなら国会図書館へ行くしかないでしょう。1990年以降については『東大陸』その他の雑誌で確認出来ます。「・・・そのつもりでいらして下さい」、こういう、やや喧嘩腰のような態度は辞めませんか。私は穏やかに話したいと希望します。あなたの投稿記録を見ましたが、文字通り年末からはじめられて、いくつかの記事に「出典先が曖昧」という編集をされているようですが、よほどの実害のようなものがないかぎり、また記述内容に偏見などの問題がないかぎり、出典先は逐一記されなくてもいいのではないでしょうか。ウィキペディアは原則は提示していますが、実害や偏見などの問題がないかぎりは、かなり柔軟ではないかと思います。--NPD 2007年1月2日 (月) 8:13 (UTC)

講談社刊『月刊VIEUS』なる雑誌について検索したところ、やはりWikipediaの千坂氏関連記事しかヒットしませんでした。これは面妖なことと言うべきでしょう。[1]

念のため国会図書館のNDL-OPACで調べてみましたが、やはり見つかりませんでした。これも奇妙なことと言わねばなりますまい。--Number 2007年1月2日 (火) 00:06 (UTC)[返信]

ああそうか。VIEWSのスペルミスなのですね。しかしそうするとますます奇妙なことになりますよ。「私は、たとえば利用者:沢田氏とも利用者:Gewagewa氏とも別人」と言っているあなたが、彼らと酷似した編集傾向を持っているのみならず、利用者:沢田氏による英語のスペルミスの癖まで共有していることになります。

  1. [2]
  2. [3]

へんですね? --Number 2007年1月2日 (火) 00:27 (UTC)[返信]

「出典を御存じなら、どうぞ加筆してください。雑誌の発行年月と号数とページ数もお忘れなく。」 これって、あんたの勝手な理由ね。ウィキのどの項目に、「発行年月と号数とページ数」まで書いた「出典先」の出てる項目があるの? あったら、教えて。ないなら、どんなにもっともらしくても、あんたの勝手な理屈にすぎないよ。--B29 2007年1月8日

面白そうだから、いろいろ調べた結果、次のようなことじゃないかな。 千坂恭二という人は、新左翼系の人で、1970年代はそこそこ知られた評論家。下に「新谷のり子くらい」とあるけど、知り合いに聞いてみたら、新谷のり子も1970年代に「フランシーヌの場合」を歌った歌手で、団塊世代特集の講談社の雑誌で、千坂恭二と新谷のり子が見開きで、写真入りの記事がある(電話できいて調べてもらったら、『VIEWS』1993年12.22号、28-29頁)。紹介記事には「一世を風靡した」とあるから、今はしらないけど、当時は、そして同世代の人には割と有名だったみたい。1970年代に『現代思想』『情況』『映画批評』『現代の眼』などの商業誌に書いていた(これはネットでも確認出来る)。その時の同じ団塊世代の読者かファンが、懐かしくて千坂恭二の記事を書いたというのが真相じゃないかな。あくまでも個人的な感想だけど。 --利用者:レッドゾーン 2007年1月8日 (月)

"「発行年月と号数とページ数」まで書いた「出典先」の出てる項目"についてはエキピロティック宇宙論セザール・ド・ノートルダム藤村新一感圧塗料などの項目を参照すること。--Number 2007年1月8日 (月) 12:12 (UTC)[返信]


【提案】 「利用者:沢田さんや利用者:シティさんや利用者:Gewagewaさんと……あなた方が真に同一人物か否かはCheckUserにかけなければ断言できませんが…… Number 2007年1月1日 (月) 19:50」。 私も全く同じ疑惑を抱きます。Number さん、実際にCheckUserにかけることを提案します。 もし、彼(ら?)がそれを拒絶したとしても、いよいよもって疑惑が強まるだけですから。いかがのものでしょう?


「千坂恭二と新谷のり子が見開きで、写真入りの記事がある(電話できいて調べてもらったら、『VIEWS』1993年12.22号、28-29頁)」。この雑誌見ていません。 「見開きで、写真入り」と言うと、あたかも二人が一つの写真に収まっているかのような印象を与えますね。 実際には、当時有名だった歌手の取材記事の次ぎに、たまたま取材写真が載っただけのことではありませんか? 不正確な表現は誤解を招くだけです。その雑誌、手元にお持ちならば、「有名人」であることを「証明」するかごときの都合の良い描写ではなく、もっと明確な記述をお願いします。

「記述内容に偏見などの問題がないかぎり、出典先は逐一記されなくてもいいのではないでしょうか」。 この発言は、取上げる人物・事象への「偏見」さえなければ、あらゆる不正確な記事が許されるということを意味します。 続く発言では、 「ウィキペディアは原則は提示していますが、実害や偏見などの問題がないかぎりは、かなり柔軟ではないかと思います」とありますが、ウィキペディアはネット上の百科辞典です。出典を明らかにできない怪しげな記事が許されるという主張は、ウキペディアへの侮辱ではないでしょうか? 「彼(執筆者)自身の自画自賛を発表する場をウィキペディアに求めた」と、図らずも告白したようなものですよ。以上の署名の無いコメントは、不可知論的ポジティヴィスト(会話履歴)氏によるものです。--Number 2007年4月9日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

CUに賛成いたします。このままでは埒があきませんので。--Number 2007年4月9日 (月) 11:15 (UTC)[返信]

Number さん、レスポンス有難うございます。Wikipediaは初心者ですので、署名が自動的にされるものかと錯覚しておりました。お騒がせして申し訳ない。

そもそも、私は研究論文を書くため、ヨーロッパと日本の思想家を検索しているうちにここにたどり着きました。ところが、本項目『千坂恭二』だけは他の項目にはない異様なものを感じました。私は以前、編集の仕事にたずさわっていた者です。職業的勘とでも言うのでしょうか、どうしてもこの項目は御当人がお書きになったものとしか思えません。 そうであれば、既に御指摘された通り、「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」の原則に抵触しているわけです。自作自演でしょう。

自費出版書の著者など日本には数十万人もいます。この件が自作自演で、しかもこのまま黙認されようものならば、Wikipediaを悪用して、数十万の自称「著名人」が誕生するでしょう。そんなことが許されて良いのでしょうか? 自費出版を一冊出して「著名文士」の列に加わろうなどとは、Wikipedia とその読者を馬鹿にしていますよね。

今後、私も正式ユーザーとして項目作成を考えていますので、Wikipediaは信頼できるソースであって欲しい。そのため、この件には真摯に調査していただければと思い、このような挙に出た次第です。--不可知論的ポジティヴィスト 2007年4月18日 (水) 10:46 (UTC)[返信]

Numberさん、以下のことを提案・要請させていただきます:

・ 沢田氏、Gewagewa氏、さらにレッドゾーン氏、NPD氏、そして何よりも当項目『千坂  恭二』の執筆者(無記名)のCheckUser を、Wikipedia運営部に提訴することを要望し  ます。執筆者と上記のユーザーのIPと比較して、彼(ら?)が同一であるか否かが検  証できるかと思います。もし同一IPでれば、当項目は極めていかがわしい背景を持っ  ていることが明らかになります。

しかし、執筆者は「検証可能」な範囲に書換えて、それを代償として、当項目を存続させようとするしょう。「自作自演ではない」「別の人物だ」と、彼はどこまでも言い張るでしょう。 これに対して、私は一案あります。

・ 当項目の記述では、千坂氏の本名は「平野和男」とあります。この本名で、104検索  すれば住所などのデーターが得られるでしょう。  運営部に執筆者のアクセスデーターを基に、サーバーに利用者(執筆者)の個人データ  ー照会をすること(管理者ならできるはずです)を提訴できないものでしょうか?  提訴の際、運営部に平野氏のデーターを提出し、サーバー側の個人データー(登録者名・  電話番号・住所)が一致するのでれば、平野氏(千坂氏)の自己宣伝が確定的となりま  す。

・ 自作自演が確定した場合、当項目と並んでリンクされた項目(『日本の思想家』『日本の  評論家 』『1950年生 』『 大阪府出身の人物』)からの「千坂恭二」の削除、および『平  野氏』http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E6%B0%8F  からの「平野和男」の削除を要望します。

・ 仮に自作自演でしかも、複数ユーザー名を語り、あくまで削除に抵抗する挑戦的姿勢には極めて悪質と言えます。場合によっては、  運営部にアクセス禁止などの措置をとって頂くことは出来ないものでしょうか?

私自身は初心者ですので、これらの手続きの術を知りませんが、もし協力できる範囲であればお力添えさせていただきます。Numberさん、是非とも宜しくお願いします。--不可知論的ポジティヴィスト 2007年4月18日 (水) 10:51 (UTC)[返信]

千坂恭二氏のnotabilityについて

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Wikipedia以外のウェブサイトに同氏の名がどれだけ登場するのか調べてみました。[4]

Wikipediaの記事の内容を丸ごと転載している諸サイトや同氏自身のホームページを除くと、残るのは古本屋の蔵書目録程度で、amazonでも現在、古本一冊しか取り扱いがないようです(しかも34年前の著書で、現在在庫ゼロ)。[5]

以上の結果からして、同氏はnon notableではないかとの疑念を払拭できません。--Number 2007年1月1日 (月) 20:23 (UTC)--Number 2007年1月1日 (月) 20:32 (UTC)[返信]

一般的にはそうなるかもしれないです。その世界の、ある世代にはかなり有名な人なのですが。わかりやすい例として歌手をあげれば、新谷のり子くらいですか。。--NPD 2007年1月2日 (月) 9:47 (UTC)

新谷のり子と同程度に有名であるならば、かなり有名なことになりますが、何をもってそう言えるのでしょうか? 上記の雑誌でしょうか? この女性歌手のレコードの売上と同程度の書籍売上が記録されたと主張されるのでしょうか? とても、そのようには思えませんが、もし、そうであれば明確なデータを提出していただきたい。以上の署名の無いコメントは、不可知論的ポジティヴィスト(会話履歴)氏によるものです。--Number 2007年4月9日 (月) 11:15 (UTC)[返信]


Numberという人による削除要求についての書き込みが続いていたが、それらはNumber氏の無知か故意の悪意によるものだろう(現在、Number氏は、完全ブロックされているようだ)。千坂恭二は、左翼や右翼の思想や運動の世界では、カリスマ的にかなり知られた人物。--ZUNKEDD 2008年6月13日 (土) 18:22 (UTC)[返信]

千坂恭二はZUNKEDD氏も言うように右翼や左翼の思想世界ではある程度知られ、一世を風靡した人物。ただ、1980年代半ば以降、隠遁宣言をして絶筆状態に入ったため、40代以下の人には知られていないかもしれない。そのことが削除要求になったものと思われる。
最近、著述活動を再開し、また『サンケイ』新聞の「さらば革命的世代」の取材を受け(http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090124/sty0901241814004-n1.htm )、ジュンク堂書店池袋店でトークショーが催される(http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20090228ikebukuro )。 そのような意味でウィキペディアにはあってもおかしくない人物と思われる。。--Aidepikiws 2009年2月08日 (日) 02:05 (UTC)[返信]


共著者について書かれていない

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千坂恭二さんの著書される二つの書籍の図書コードを記載してください。 とくに、『ニュージャーマン・シネマ』(共著)は、Wikiの規定である『共著の場合は3名以下の場合は全員書くこと。4名以上の場合は最初の1名を書いて残りは「--ほか」とする』Wikipedia:出典を明記するに明らかに反しています。

『ニュージャーマン・シネマ』にいつて 出版社とされたフィルムアート社のHPで検索したところ、そのような書物はありませんでした[6]。 廃刊かと思い、念のため「日本の古書」[7] でも検索しましたがヒットしませんでした。 そのような出版物があるか、どうかさえ疑わしくなります。 数日内に対応ない場合は、削除申請いたします。--Morohoshi 2009年3月19日 (木) 15:12 (UTC)[返信]

この記事は不気味

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以前、削除された旧版『千坂恭二』は、本人が複数のコテを使い書かれたのではと、指摘されました。cf. Wikipedia:削除依頼/千坂恭二。 今回もおそらく同一人物が書いたおそれがあります。表現がやや控えめにになったものの、内容の展開・文体がほとんど同じです。 この記事については要警戒のこと。--Morohoshi 2009年3月19日 (木) 15:23 (UTC)[返信]

 : この記事を書いた者です。   『歴史からの黙示』(田畑書店)は、同書の奥付によると1973年1月25日発行で、今は絶版です。この頃は図書コードはなかったので分かりませんが、アマゾンに古書扱いになっています。   http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA-1973%E5%B9%B4-%E5%8D%83%E5%9D%82-%E6%81%AD%E4%BA%8C/dp/B000J9P1CY   『ニュージャーマン・シネマ』というのは誤記ミスで、正しくは『ドイツ・ニューシネマを読む』でした。フィルム・アート社から1992年1月25日に発行されています。3人の名前が代表として表示されていますが、同書には、著者として瀬川裕司、松山文子、松浦文彦、奥村賢、千坂恭二、伊藤克則の名前が記されています。   http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80%E2%80%95%E6%B7%B1%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%AB%E8%BF%B7%E3%81%84%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%A039%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E4%BD%9C%E5%AE%B6-%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%AF-10-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E8%A3%95%E5%8F%B8/dp/4845992965/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1237591704&sr=1-1  前回の件は知りませんが、今回のものは私が書きました。内容は前回と違うと思いますが、事実的に似ているのは同じ人物についてですからそれに関連してあるのかもしれません。  別に要警戒の必要はないと思いますが、どういうところがそうなのでしょうか。--Aidepikiws 2009年3月21日 (土) 08:46 (UTC)[返信]