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ノート:勲等

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律令制下の勲十等?

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勲十等が欠落しているが、前後から従七位と考えてよいのでしょうか。--Njt 2005年3月28日 (月) 18:43 (UTC)[返信]

上記、ご指摘の点につき改訂しました。ご確認下さい。--以上の署名のないコメントは、59.136.18.120会話投稿記録)さんが 2005年4月4日 (月) 16:34 (UTC) に投稿したものです。[返信]

勲等の完全廃止について

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鈴木善幸元総理への叙位叙勲の官報掲載を見る限り、勲等は大勲位を含めて完全廃止です。詳細は大勲位菊花大綬章のノートをご覧ください。--無言雀師 2006年3月7日 (火) 19:44 (UTC)[返信]

自己レスです。不勉強なまま編集してしまい誠にすみませんでした。勲等は廃止されていません。「勲一等」のように明示的なものはなくなってしまいましたが、「勲章制定ノ件」をきちんと読むと、明示できないながらも六つの級に分かれて存続しています。後日詳細を記載しますので、先日行った編集は一旦自己リバートします。--無言雀師 2006年3月9日 (木) 11:33 (UTC) / 微修正--無言雀師 2007年5月16日 (水) 11:53 (UTC)[返信]

長き沈黙を破り、加筆・説明いたします。官報での書きぶりから、(今般記事本文のほうでも少し触れましたが)当方は次のような解釈をしています。
  • 新制度の勲章は、うっすら勲等のニオイを帯びている。旧制度叙勲済の者は引き続き「正三位勲一等」と呼ぶことで旧勲章を省略するのに対し、新制度叙勲の者は「正三位」で止めることなく「正三位旭日大綬章」とくっつけて呼称している。新制度の勲章が旧制度の勲章と同じ「純粋な、単なる勲章」であるなら、同様に勲章を省略して「正三位」で止めるべきなのに、そうはなっていない。このことから、新制度の勲章には、旧制度の勲章を超えたパワーがある、と感じざるを得ない。
  • 仮に旧・勲二等瑞宝章を生前叙勲されていた人が亡くなり、改めて正三位に叙され併せて勲一等瑞宝章(相当)に歿時追陞となる場合、旧制度下での死亡であれば肩書は単純上書き扱いで「正三位勲一等」でいいわけですが、この人が新制度下で死亡し「瑞宝大綬章」を追贈された場合、新勲章を無視して「正三位勲二等」だけにすべきなのか、勲二等の部分も一緒に上書きされたとみなして「正三位瑞宝大綬章」とすべきなのか、はたまた過渡期の特例として「正三位勲二等瑞宝大綬章」と全部並べるべきなのか、迷いませんか。実はポツポツありそうな事例だと思うんですが、官報ウォッチしても中々そういう実例がなく、類推するしかありません。ここまで述べればある意味当然の帰結ではありますが、当方としてはもちろん「正三位瑞宝大綬章」説をとります。瑞宝大綬章には、旧勲一等相当の意味合いがうっすら含まれている。それを受けた以上、前の勲二等は上書きされた、と考えるべきだと思うからです。
  • 類似の、しかしややこやしいケースとして、旧・勲一等旭日大綬章を生前叙勲された人が、歿時に従二位に叙され旭日桐花大綬章(相当)を追贈された場合、というのがあります。旧制度下であれば、この場合はすでに勲等たる勲一等に叙されているため、桐花の際は叙勲なしの授章だけとなります(「勲一等に叙し、旭日桐花大綬章を授ける」ではなく単に「旭日桐花大綬章を授ける」となる)。だから、肩書きとしてはそのまま「従二位勲一等」でいい。ところが、新制度下で死亡し「桐花大綬章」を追贈された場合に「従二位勲一等」のままか「従二位桐花大綬章」か、はたまた過渡期特例として「従二位勲一等桐花大綬章」なのか・・・。これも当方の支持する見方は「従二位桐花大綬章」です。前項の例は勲二等から勲一等相当という「級超え」がありましたが、こちらはない。勲一等から勲一等相当へ。この場合も新勲章の上書きパワーを認めるのか。当方は認めないと整合性がなくなると考えます。うっすらながら勲等の意義をもってるのだから、この人の名乗りとしては勲一等は使えない、と思います。もちろん、来歴に、年月日を追って箇条書きで書くなら、当然過去の実績として「○年○月○日:勲一等旭日大綬章」は残りますしその事実は消えません。ただ、肩書として使う場合は「新桐花パワー」により旧・勲一等が蹴散らされてしまったと考えられるため、名乗りとしては「従二位桐花大綬章」となるべき、だと思います。
実に1年以上も放置してしまいましたが、現時点の意見はこんなところです。--無言雀師 2007年5月16日 (水) 12:25 (UTC)[返信]

確かに、以前の勲等と新規の勲章を断りなく併記することは危険ですね。かといって、かつての勲等が死ぬわけではありませんので、書かないわけにはいかないし、また位階勲等は併記が原則です。国会議員が亡くなった場合、議長の弔辞には未だに位階勲等を併せて称されています。

実質はともかくとして制度面でいえば、勲等と勲章はそもそも由来が違うし法令上も区別されるのです。だから、無言雀師さんの出された例でいえば、位階と新旧双方の勲章を受けている場合、位階に馴染む勲等付きの勲章を優先して併記し、後付で新たな勲章を書くべきだと思います。

  • 正二位勲二等◎◎中旭日大綬章、後に桐花大綬章受章のように。

そもそも、位階を残し勲等を運用廃止するということ自体不自然であり、お話されたケースは栄典制度変革という過渡期ゆえの混乱だと思います。伝統的要素と民主的要素がぶつかる分野でもあり、必ずしも故実に乗っ取った制度とされるとは限りません。故に不合理さはある程度、自覚されながらも曖昧な栄典制度になるのは、現代の宿命かもしれません。--海衛士 2007年6月2日 (土) 09:49 (UTC)[返信]

追補。まず、栄典制度の見解から。海外はいざ知らず日本の勲章は確かに勲等と不可分できました。日本の勲章は勲等(勲位)に叙し、章を授けることが基本できました。叙勲とは勲章を授けることではなく勲等に叙すことをいい、勲等のない勲章を授与することは正確には授勲・授章でなければならない。現行は想定外の事柄で過渡期ゆえにすべて伝統と民主的な栄典の運用の間で段階的に改革されている状況にあると考えるのが穏当でしょう。故に栄典法・栄典制度改革の議論が政治の議題のひとつとなっているといっていいと思います。 で。いわゆる肩書きとしての併記ですが。無言雀師さんのいわれる“うっすら”とした等級を如何に解釈すべきかがポイントなのだろうと思います。私は不可分とはいえ、一応において切り離されてきた勲等と勲章は同等視することは、きわめて疑義を残すことになるように思っています。もしくは、無言雀師さんのスタンスに立つならば位階新勲章(勲等相当を括弧付きで併記)というようにすれば、或いは整合がとれるかもしれません。

以上、私のコメントまで。ここまで申し上げてきた通り、私は基本的には位階+新旧勲章併記という立場に立ちたいと思います。しかしながら、頑強にその立場を貫くスタンスではありません。無批判のまま黙認しても禍根を残すと考えたが故のコメントです。 いずれにしても、明確なガイドラインがない場合、官公庁に問い合わせるか百科事典のガイドラインを構築すべきかもしれませんね。--海衛士 2007年6月2日 (土) 10:08 (UTC)[返信]

人物来歴・履歴として、年月日を伴って記述する場合は、当然、過去の数字勲等・旧勲章は登場します。それは当たり前のことです。事実・史実としても、過去の下位の勲等勲章が消えてしまう訳ではありません。一部の例外を除き重複佩用は認められていませんが、事実は残る。それについて異論はありません。
しかし、肩書として表示する場合は(栄典の記事でも触れられていますが)同種の階級モノについては最終位・最高位のものだけを書くことが慣例とされてきたのは貴殿も御承知のとおり。しかも、旧制度では(おそらくは冗長・仔細にわたり過ぎるという趣旨からでしょうが)勲章は全く省略されている。肩書・名乗りでの栄典表記というのはことほど左様に大胆なのです。下位も勲章もバッサリです。だから、履歴で羅列する場合と、肩書表示の場合とは、別に考えるべきと思います。
バッサリ大胆なハズの栄典表示慣例において、平成勲章改革以降、衝撃の国会弔詞が登場しました。現時点で「正三位旭日大綬章池田行彦君」「正三位旭日大綬章三塚博君」「正三位旭日大綬章松野頼三君」「正三位旭日大綬章亀井善之君」「正五位旭日中綬章西田猛君」の5例です。この5氏はいずれも生前叙勲がなく、「新旧またがった上書きが確認できる事例」ではないため、数字勲等の扱いについての判断事例にはなりません。しかし、今後そのような「またがり受勲者(大勲位を除く)」のご他界例が出現した際には、その国会弔詞を確認することで、貴殿と当方の主張のどちらが妥当であるのかハッキリすると思います。とは言っても、その場合に判明するのはあくまで国会弔詞での肩書事例であって、栄典制度全般の慣例としてそのまま広汎に適用できるかどうか、は別の問題であるとも言えるでしょう。当方は、旧制度叙勲のみの人は「位階+数字勲等のみ」、新旧双方叙勲又は新制度叙勲のみの人は「位階+新勲章のみ」が妥当であると重ねて主張します。履歴でなく肩書で「位階+数字勲等(+旧勲章)+新勲章」などとするのは、前述した肩書の大胆さ・バッサリさ・冗長性排除の趣旨と相容れないものだし、履歴でもないのに勲二等と勲一等を併記するようなものであると思います。とは言え、これはあくまで栄典を一般場面でどう書くべきかという話。ウィキペディアでどう表記するか、はまた別です。以前勲章表記でIP氏と編集合戦になりかけたことがあります。当方は、勲章省略という栄典慣例を承知した上で、なお百科事典の情報性を考慮して「従二位勲一等旭日桐花大綬章」と記載したのに対し、あるIP氏が「従二位勲一等」にしまくる、ということがありました。これでもお分かりのように当方は何が何でも「栄典の慣例に従属した表記をしろ」などとは思っていません。既に栄典の記事で「勲章は省く」というマニアックなことは説明されているので、百科事典の各人物の記事においてまで一々勲章を消去することはない(むしろ勲章は付記すべき)と思います。だから貴殿の「併記」というご意見にも雰囲気としては賛同する部分もあります。ただやはり最終・最高位の名乗りとして「従二位勲二等桐花大綬章」はいくら何でもダメじゃなかろうか、と思います。--無言雀師 2007年6月2日 (土) 11:11 (UTC)[返信]

ご返信有難うございます。最後の一文、不覚にも笑ってしまいました。確かに、その通りですね。どの程度、納得したかはともかく、現状の判断材料からすると妥当なご意見だと思います。いずれにしても、議論がなく進むとおそらく編集合戦の恐れが出るでしょうし、こちらが対案を出せば無言雀師さんから少なからず、ご説明が頂けるという思いから愚見を述べました。 もともと、栄典制度自体、議論のわかれるところですし、解釈の一様ではないように思います。勲等が授けられることがなくなったことで勲章の等級を是正することが出来た反面、位階制度、勲章制度との兼ね合いの面で混乱する見方もなきしもあらず。勲等廃止すら異論があったくらいで、今後、改革の可能性はあると思っています。それを考えると過渡期ゆえの問題なのかもしれないと思う次第。これ以上述べると、百科事典から外れるので省略しますが。--海衛士 2007年6月2日 (土) 14:10 (UTC)[返信]

勲一等旭日大綬章→従二位桐花大綬章

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去る6月22日に逝去された井上裕参議院議長への参議院弔詞の文面により、これまでここで論議となっておりました疑問への結論が出ました。すなわち「旧制度で勲等つき勲章を受けた人が新制度で没時追陞した場合に、最終位としての表示に勲等は登場するのかしないのか」に対する答えが確認されるに至りました。平成12年文化の日つまり旧制度時代に「勲一等旭日大綬章」を受けた同元議長は今般の追贈により「従二位桐花大綬章」と旧勲等のない状態で弔詞での言及がなされており、やはり旧・勲等は新勲章により上書きされる、すなわち「新勲章にはうっすら勲等の意味が含まれているので上書きの効力が及ぶ」ということが事実上証明されるに至りました。もとより太政官布告「勲章制定の件」にはいまだ「勲等」の用語があるわけですから、当方としては当然の結果と受け止めておりますが、改めて公的な場面でその旨が確認されましたので、参考までにご報告します。なお、これはあくまで「新勲章を受けた人の最終位として表示する場合には旧勲等は用いない」という話であって、過去の事実として箇条書きなどで表示する場合は(過去の勲等勲章が消滅したわけではないので)当然勲等は用いられますし、新勲章の追贈がなかった(たとえばギリギリ陞叙には至らず銀杯一組の追贈になった)ような場合も当然に最終位たる旧勲等が表示されるのは、言うまでもありません。--無言雀師 2008年7月2日 (水) 05:13 (UTC)[返信]