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ノート:公民館

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後藤新平記念公民館の改称について

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 「歴史」の項目にある次の部分の記述は本当に正確なのでしょうか?
1941年(昭和16年)に建設したのが、「後藤新平記念公民館」である。建設から5年後の1946年(昭和21年)には、「公民館」に改称した。
 この記述によれば、「後藤新平記念公民館」からただの「公民館」に名前が変わったという意味以外に解釈しようがないだろうと思いますが、一般論ではそういう事態は発生しないような気がします。 --レン 2007年11月2日 (金) 09:23 (UTC) レン[返信]

情報 後藤伯記念公民館についてWEB検索してみました。水沢地区公民館(岩手県奥州市)の「沿革」ページに「昭和16年: 当時水澤町表小路(現水沢大手町)に「後藤伯記念水澤町公民館」建設。当時読売新聞社長正力松太郎氏が後藤新平伯爵への報恩として水澤町に寄贈。日本最初の公民館。」「昭和29年: 町村合併により「水沢市公民館」に改称。[1]とあり、また『いわてマナビィマガジン』No. 245(令和4年度第7号、岩手県立生涯学習推進センター、2022年7月22日発行)にも「〔後藤伯記念公民館は〕その後、水沢市公民館として利用され、平成13年〔2001年〕10月から「水沢市後藤伯記念公民館」となって、現在も愛されながら保存・使用されています。[2]とあり、日本生涯教育学会が提供する『生涯学習研究e事典』の「公民館の歴史」項には「「自ら『公民館第1号』と称する岩手県水沢市の水沢市公民館 (後藤新平記念公民館) の前庭には、つぎのような碑文を刻んだ石碑がある。」(全公連編『全公連25年史』昭和51(1976)年、5頁)。[3]との引用が見えます(下線・太字は引用者)。
これらによれば、1954年(昭和29年)に「水沢市公民館」に改称し、さらに2001年(平成13年)に「水沢市後藤伯記念公民館」へ改称したのは間違いなさそうです(現在は奥州市の「後藤伯記念公民館」)。WW2敗戦翌年の1946年(昭和21年)に町名や市名が付かない「公民館」に改称したか事実があるかどうかは、わかりませんでした。--Yumoriy会話2024年5月12日 (日) 16:19 (UTC)[返信]

公民館の単独立項について。

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本日、静岡県磐田市にある南御厨公民館の記事が立項されました。社団法人全国公民館連合会のデータに依ると公民館は2005年時点で全国に17,000箇所以上が存在しており、その規模もバラバラです(練馬公民館旭川市江丹別公民館)。果たして公民館での単独立項が{{特筆性}}を担保し得るのか、また今回立項された公民館についてはどうなのか、皆さんのご意見を伺いたく思います。--KAMUI 2009年12月7日 (月) 11:17 (UTC)[返信]

私は「私立の公民館」や「市町村内の全域あるいは広域を対象とする公民館」は、特に問題とすることなく立項しても良いと考えています。小規模な公民館についても、小規模であることのみを理由にして特筆性を欠くとは言えないと考えます(例えば、移転を繰り返した公民館や50年以上歴史のある公民館などは、特筆性があるように思われます)。しかしながら、現段階では、項目作成にあたっての統一フォーマット(テンプレート)が提供されていなかったり、資料が手に入りにくい公民館が多かったりするなど、まだまだ課題もあると思います。単に項目があれば良いという理由で公民館の項目が作られるのは望ましいとは言えないと思います。--YuBon 2009年12月7日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。今回の立項を見た時にやはり考えたのが公民館#関連項目にもある「町内会の集会所などを公民館と呼んでいる事例」だったりします。現時点で基準が無いことでこうしたものまでが乱立すると一寸笑ってられないな、と。類似のものとして児童公園の削除依頼にいくつか関わったこともありますので。
取り合えず今回の南御厨公民館については{{特筆性}}も貼られてるのでしばらく様子を見ようと思います。なお、他の方のご意見も頂ければありがたいです。--KAMUI 2009年12月11日 (金) 09:51 (UTC)[返信]