南御厨公民館
南御厨公民館(みなみみくりこうみんかん)は、磐田市東新屋にある公共施設である。周辺は市内でも外国人が多く居住する地域であり、外国人向けの日本語教室も多く開かれている[1]。こうした活動により、2009年には県教委に[2]、2010年には文部科学省により優良公民館として表彰された[3]。2015年には磐田市内の公民館が交流センターに改称されたことに伴い[4]、南御厨交流センターと名称が変更された。
沿革
[編集]1955年(昭和30年)、磐田郡の4村(御厨村・向笠村・南御厨村の一部・長野村)が磐田市に編入された。合併にあたり磐田市は各旧村に公民館の分館を設置する計画を「磐田市建設計画」に盛り込み[5]、旧南御厨村では11月に南御厨公民館が開館した[6][7][注 1]。場所は旧南御厨尋常小学校の跡地が使用された[10][注 2]。1957年(昭和32年)には南御厨を含め、各分館に分館長が任命された[14]。1958年(昭和33年)3月には文部省の委嘱で南御厨の婦人学級が食生活改善に関する研究発表を公民館で行った[15][注 3]。
昭和50年代に入ると、南御厨公民館同様、学校などの建物を転用した作られた各公民館で老朽化が進み、磐田市の総合開発実施計画に各館の建て替えが盛り込まれた。しかし南御厨では東新屋に団地が作られ、児童数が急増したことへの対応が先行し、公民館の一部を取り壊して1978年(昭和53年)に南御厨幼稚園が開園した[18]。南御厨公民館は東新町団地の東側農地を買収して新築することになり[19]、新館は1980年(昭和55年)に完成し、4月4日に落成式が行われた[20][12]。新館は東部小や神明中とは距離があることから、体育館や運動場も付設された[注 4]。またこの場所は新興団地の近くであり、公民館は転入者も含めたコミュニケーションの場となることが課題となった。
しかし2005年、絹村和弘(元会社社長、後に磐田市市議会議員)が館長に就任した時点では、主な利用者は女性の趣味のサークルに限られていた。絹村は多様な層を取り込むため、さまざまな施策を行った[22]。小学生が公民館に泊まり込み、集団生活を体験する「通学合宿」もその一つである[23][24]。
施設
[編集]- 公民館
- 1階 視聴覚室(60人)、図書室(12人)、第1研修室(17,5畳)、調理室
- 2階 第2研修室(24畳)、第3研修室(24畳)、講義室(20人)
- 体育館(バレーコート1面)
- グラウンド(ソフトボール場1面)
使用自治体
[編集]行事
[編集]この公民館は、上記の地区の行事の際に使用される。
- 地区体育祭(9月)
- 地区祭典(10月)
- 地区文化祭(11月)
これ以外にも、子供会や地元中学校の部活動などでも使用される。
注釈
[編集]- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』は、1955年に合併した旧村の分館が南御厨も含め、この年の秋に一斉に開館したとしている。しかし1955年12月の『広報いわた』は、旧御厨・向笠・長野村域における公民館開館を伝えながら、旧南御厨村については開館の「空気が高まっている」としており、この時点では開館していない旨の記述となっている[8]。静岡県がまとめた「静岡県の公民館一覧(平成30年4月1日現在)」では、南御厨の設置年が「S32」(1957年)となっているが、一方で1955年に開館したはずの向笠・御厨・長野は1956年以降の設置となっており[9]、食い違いがある。
- ^ 南御厨尋常小学校は戦後は南御厨小学校となり、1957年(昭和32年)に東部小学校に統合されるまで存在した。閉校時の報道に旧校舎は「岩田幼稚園と南御厨公民館分館の増改築などに転用される」とあることから[11]、閉校までの期間は同じ敷地に南御厨小学校と公民館、幼稚園が同居していたものと思われる。後の報道で公民館の建物は1923年(大正12年)に建てられた南御厨小学校の校舎を転用したもの、という記述が見られるが[12]、1923年に校地内で建築を行った記録は見られない。さらに1944年(昭和19年)昭和東南海地震で全校舎半壊の被害を受けており[13]、公民館設置初期はどの建物を利用していたのかははっきりしない。
- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』は以上の2つのできごとはいずれも昭和40年代にあったこととしている。1957年(昭和32年)に南御厨公民館の分館長に任命されたとされる人物は、『磐田市立公民館史誌 あゆみ』によれば1966年(昭和41年)4月に就任した2代目であり、1956年(昭和31年)4月に就任した初代館長がいたとされる[16]。また婦人学級の開設も1972年(昭和47年)であったとしている[17]。なお御厨・向笠・長野の分館については、開館当初は学校長が館長を兼任していた[8]。
- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』は運動場の整備を1982年(昭和57年)としているが、1980年(昭和55年)9月14日に南御厨地区体育祭が南御厨公民館グラウンドで開催されている[21]。
出典
[編集]- ^ 「地域に開かれた公民館――文部科学省優良公民館 人づくり・地域づくりの拠点として「住んで良かった!」と言える地域をめざす――テーマは“感動”“参加” 静岡県磐田市立南御厨公民館」『月刊公民館』第649号、2011年6月、37-41ページ。
- ^ 「南御厨、焼津、浅羽東 3公民館に優良表彰 県教委」『静岡新聞』平成21年(2009年)11月2日付朝刊15面
- ^ 「優良公民館大臣表彰 焼津と南御厨(磐田)に」『静岡新聞』平成22年(2010年)10月26日付朝刊21面
- ^ 「磐田市合併10周年特別企画 10周年の磐田市を10倍楽しむための10のコト!!」『広報いわた』第180号、2015年4月、4ページ。
- ^ 「磐田市建設計画」『広報いわた』磐田市役所、1955年1月10日、3ページ。
- ^ 公民館長OB会史誌編集委員会編集『磐田市立公民館史誌 あゆみ』磐田市立公民館長OB会、2005年、7-8ページ。※題号は奥付による。表紙は『磐田市立公民館のあゆみ』となっている。
- ^ 『『心と心の通い合うまち』づくり』―磐田市の社会教育・公民館―』磐田市教育委員会・磐田市中央公民館、1982年、17ページ。同1985年、25ページ。
- ^ a b 「新市域に伸びる公民館 向笠・長野・御厨に分館誕生」『広報いわた』第84号、磐田市役所、1955年12月1日、1ページ。
- ^ 静岡県の公民館一覧
- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』27ページ。
- ^ 「あの町この村 東部小学校の新校舎完成」『読売新聞』昭和32年9月27日付朝刊8面(遠州)。
- ^ a b 「南御厨、田原公民館が完成 あす落成式 地域活動の拠点に 磐田」『静岡新聞』昭和55年4月3日付朝刊15面(西部)。
- ^ 熊切正次「郷土史研究 南御厨小学校の沿革考」『磐南文化』第19号、磐南文化協会、1993年、2-5ページ。
- ^ 「伸びゆく公民舘 新たに分館長を委囑」『広報いわた』第120号、磐田市役所、1957年6月1日、2ページ。
- ^ 「教育と文化 婦人学級の硏究会 十六日に南御厨で」『広報いわた』第142号、磐田市役所、1958年4月1日。
- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』81-82ページ。
- ^ 『磐田市立公民館史誌 あゆみ』55ページ。
- ^ 「幼稚園施設の整備・南御厨に新設など」『広報いわた』第638号、磐田市役所、1978年12月1日、3ページ。
- ^ 「南御厨公民館と田原公民館を新築」『広報いわた』第648号、磐田市役所、1979年5月15日、4ページ。
- ^ 『週刊ハイライト』磐田市役所広報係、1980年3月28日。
- ^ 『週刊ハイライト』磐田市役所広報係、1980年9月5日。
- ^ 馬場由美子「人・ひと 県教育長表彰を受けた磐田の公民館長 絹村 和弘さん(64) 男性参加・語学講座…奔走」『朝日新聞』2009年(平成21年)11月21日付東京本社朝刊28面(静岡)。
- ^ 「親元離れ2泊 公民館で合宿 磐田の小学生38人」『朝日新聞』2010年(平成22年)6月12日付東京本社朝刊28面(静岡)。
- ^ 絹村和弘「事例報告3 ブラジル人向け日本語教室「いわしん バモス 日本語!」」『多角的社会連携による自己発見教育推進事業 生涯学習指導者研修事業 地域を担う公民館の役割と展望 報告書』静岡大学生涯学習教育研究センター・静岡県公民館連絡協議会、2010年3月、24-27ページ。