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ノート:八戸市中心市街地

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メンテナンステンプレートの復帰報告と有効な出典の判断に関する提案

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何度か編集合戦になってしまっていますので、こちらで状況の説明を残させていただきます。記事の課題については、以下の通りです。なお、不足があると思いますので、ご指摘いただけると大変ありがたいです。はじめに、一部の節については、いまだに出典が店が明記されていないこともあり、現状にて「{{出典の明記}}」を、他の節でも市広報・書籍・新聞・雑誌の参照ページが掲載されていなかったため、編集で除去されたメンテナンステンプレート「{{ページ番号}}」を再掲出させていただきました。初版作成者に限らず提示されている文献があれば、WP:INCITEの方法を元に脚注を付与していただく編集喚起として貼り付けたものです。自身も時間を使って付与するつもりではいますが、現状では未完のため、当該テンプレートを差し戻しさせていただきました。テンプレートを除去されるにあたっては、当該文献に限らずすべての文献の脚注が適切かどうかを確認いただきますようお願いいたします。m2などの単位表記についてはWP:JPE#単位により、リンク切れのページについて{{リンク切れ}}を用いて整えさせていただきました。なお、一部ウェブ出典についてはリンク切れもしくはアドレス記載ミス・閲覧日掲載漏れがありますので、Rvをされた利用者:Hope and Lightning会話 / 投稿記録 / 記録さんに置かれましては、WP:WEBREFと現状の掲載状況を再度ご確認・修正くださいますようお願いいたします。

また、脚注の表記方法についてですが、例えば「現在では、2008年(平成20年)8月における八戸市中心市街地活性化基本計画の内閣府認定に対応して行政・市民・各関係者の間で協議・対策が採られ、マンション・ホテル・冠婚葬祭場・老人ホーム建設のほか、2011年(平成23年)には八戸市中心市街地地域観光交流施設の建設といった動きが出ている」という内容が明記されております。提示してくださったHope and Lightningさんに会話ページからの継続で再度の情報提供依頼になりますが、ある文献の1〜30頁すべてのページに分散して書かれているものがあるのでしょうか。通常であれば、そのある単一ページに示されており、それ参照ページとして、複数の場合はコンマを入れるなどするのですが、ページが跨いでいるとしても数十ページというのは、かなり跨ぎすぎているという印象を受けました。脚注は1文("。"まで)ごとに付与するイメージを持っていただけるとわかりやすいかと思います。もしその1文が数ページではなく、10ページ単位で跨いで掲載されているのであれば、その旨をご返信いただきたい次第です。

その他、今回の記事の設定として#再生への模索の節における「マンションの紹介ページ」が出典として有効なのかどうかはかなり疑問があり、つまり直接記述に関係のある二次資料ではないことから、少なくとも除去する方向でこの場では提案させていただきます(ご意見なければ一週間程度で反映させていただきます)。よって、現状は{{出典の明記|date=~~~~~}}{{ページ番号|date=~~~~~}}{{告知|議論}}とスタイルマニュアルに沿った簡単な修正を再度実施(差分)させていただきましたので、ここで報告をさせていただきます。なお、自身は、ただ十分な出典とスタイルマニュアル等に沿った内容で充実していただきたいだけということを、ここにお伝えさせていただきます。--Araisyohei (talk) 2020年1月23日 (木) 11:49 (UTC)[返信]

私見ですが一点だけ補足させていただきますと、ここでいう「数ページ」というのは、2〜3ページ程度のイメージで、5ページとかは違うのかな、と思っています。--Araisyohei (talk) 2020年1月23日 (木) 12:16 (UTC)[返信]

質問 オランウータンさん。直近数日の編集(差分:八戸市中心市街地)において、出典情報等を修正していただいたところではありますが『都市機能の高度化と地域対応 八戸市の「開発」と場所の個性』については、筆頭著者である高橋氏ではなく、今野氏のお名前に修正されたということは、当該セクションが今野氏の執筆という理解でよろしいでしょうか。そのうえでやはり、内容については3ページ程度の複数ページにまたがっている形でしょうか。もしお手元に資料があればご教示いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。--Araisyohei (talk) 2020年1月26日 (日) 00:44 (UTC)--Araisyohei (talk) 2020年1月26日 (日) 00:45 (UTC)(テンプレート修正)[返信]


コメント 下に『南部八戸の歴史』の検証結果を書きました。完全なデタラメでした。

  • オランウータンさんによる部分的修正が行われているのですが、Hope and Lightningさんによる編集は全く信用ができないので、一度白紙化し、ゼロベースで書き始めたほうがよいと思います。--柒月例祭会話2020年1月28日 (火) 01:00 (UTC)[返信]


『角川日本地名大辞典』について

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文献が違うので、節を分けます。

結論を先にいうと、Hope and Lightningさんによる『角川日本地名大辞典 2 青森県』を情報源とする提示はデタラメです。

その他の部分の履歴もザッと眺めましたが、他の部分もヒジョーに怪しい、Hope and Lightningさんは実際には使用していない文献をテキトーに並べているだけだ、と疑います。

手元に『角川日本地名大辞典 2 青森県』がありますので検証してみます。出典番号9の「地名 1985」です。

  • まず「20-30頁」となっています。同書p20-30は、目次でいうと以下の内容です。
  • 総説(p19-60)
  • 自然と風土(p19-p22) 以下は小見出しです
  • 青森地方 下北地方 三八・上北地方 県民気質
  • 狩猟・最終の社会(p22-25)
  • 旧石器時代の青森県 土器の出現と縄文文化の成立 尖底土器から平底土器へ 縄文文化の変容 亀ヶ岡文化
  • 農耕社会の成立(p25-26)
  • 弥生文化の北進 最北の弥生水田 空白の古墳文化
  • 古代蝦夷の社会(p26-28)
  • 津軽の地名と蝦夷の族長 辺境の平安文化
  • 得宗領としての津軽と糠部(p28-31)
  • 津軽・糠部の中世武士団 蝦夷管領安藤氏 擦文文化と板碑文化 馬産と九部四門制(ここまででp30)津軽大乱
  • 出典9は2ヶ所で使用されています。「中心街の通り」節の「表通り」「裏通り」です。
  • 上に示した目次・小見出しと対比しても想像がつくと思いますが、「江戸時代以降の城下町の通り」の話題は全く文脈が異なります。ま、端的にいうと「全くそんなこと書かれていない」です。
  • Hope and Lightning さんの編集が始まる以前の2011年の版oldid=37416189を見ますと、この部分には、同書pp240とpp168が示されています。記述も単に「江戸時代の表町/裏町は○○の総称」とあるだけです。これは確かに同書のp240とp168で裏付けられます。
  • ただし厳密には、同書には「表町」「裏町」はありますが「表通り」「裏通り」という表現はみられないです。「表道」「裏道」という表現はあります。なのでうるさいことをいうと、現代の「表通り」=江戸時代の「表町」だと示す証拠は示されていないということになります。
その後のHope and Lightning さんの編集
この編集 「裏通り」から「寺横町」だけを除去 『角川地名』は寺横町も裏町に含めており、この除去は不当
2015-11-02 同書のページ番号が失われる
2020-01-15 「1-30頁」となる p1-30では全く裏付けにならない(1/3は目次や凡例ページ)
2020-01-23 「頁の厳密化」と称して「20-30頁」に p20-30でも全く裏付けにならない。文脈としても中途半端なところで切れている
  • 「1-30p」の場合、p1-18は「編纂のことば」とか「目次」や「凡例」のページです。記事内容には一切関係ありません。
  • また、この節には、いまは「三車線が」「電線地中化が」などの情報が追加されていますが、その内容を同書は裏付けていません。(1985年の文献ですし。)
  • Hope and Lightning さんは2020-01-15に会話ページで「ページ番号に不備がある」旨の注意を受けた後、2020-01-15の版で、ページ番号を追加しています。上で示した『角川地名』「1-30頁」もこれに伴い追記したものです。が、その内容は「1-100頁」とか「1-50頁」といった有様で、私はこの2文献(三浦2019と高橋2002)を全く検証していませんが、それでも「これはデタラメなページ番号を書いたな」と思わせるものです。少なく見積もってもHope and Lightning さんが『角川地名』を全く参照していないことは確かです。
  • となると、その後にページ番号を「25-30」とか「40-50」とかに修正(“厳密化”)していますが、これも相当に疑わしいです。最悪の場合、Hope and Lightning さんは参考文献に示した情報源を実際には全く参照していない、虚偽である、という可能性も考えられます。--柒月例祭会話2020年1月23日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭様宛) 以上のことを考えると他の脚注も再検証を行い、独自研究であるならば大きく修正が必要になるということかと思います。取り急ぎ当該文献が調べられそうなところを調査したいのですが、その時間(というより移動)が直近で確保できないので、反映まで少しタイムラグが空いてしまう状況です。--Araisyohei (talk) 2020年1月23日 (木) 14:05 (UTC)[返信]

『城下町南部八戸の歴史』(三浦2019)

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オランウータンさんによる修正がありましたが、修正前(Hope and Lightningさん版)・修正後について。

  • 1.出典番号4「25-30頁。」(城下町発祥の地)
  • 虚偽です。
  • p24-27「武家町と足軽町の形成」、p27-28「町人町の形成」、p28-p36「城下町八戸の拡大」
  • 当該部は見出しの通り江戸期の各町域の変遷を説明する部分ですが、「城下町発祥の地」云々を端的に示すようなものではないです。
  • オランウータンさんにより、p315に修正されています。p315は「あとがき」です。大筋では、八戸が城下町であること、しかしその痕跡は物理的にはほとんど残っていないこと、町名にその名残を見ることができること、などが書かれています。出典としては可でしょう。(三浦2019p315には「祭事」については言及がないので、2情報源をひとまとめにするのではなく、もう少し精緻に出典をつけたほうがベターと思います。が、まあそこまでいえばウルサイほうで、現状でもまあ可でしょう。)
  • 出典番号20「300-317頁。」(現在では云々)

差し戻しについて

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本記事は上述のようにHope and Lightningさんによる出典偽装がありました。

IP利用者によるこの一連の編集では、下記のように全体として出典情報が損なわれています。そのため差し戻しました。

  • 出典の明記タグの除去
  • {{Sfn|八戸市|2013}}を<ref>[[#八戸市2013|八戸市 2013]]。</ref>にするなど、{{Sfn}}が解除される
  • {{Cite web|title=施設コンセプト|url=https://8book.jp/information/about/|website=八戸ブックセンター|accessdate=2020-01-15}}を[https://8book.jp/information/about/ 施設コンセプト]にするなど、様々な情報が失われている
  • リンク切れタグの除去(※アーカイブサイトのリンクなので、元リンクはリンク切れだが、アーカイブは生きている)
  • Cite bookのchapter情報の除去

※私個人はCite系テンプレートを使いませんが、実際に出典をつける方の好みで選択すればいいと考えます。が、上記の編集ではCite webからかなりの情報が脱落するなど、置き換えによる害のほうが大です。--柒月例祭会話2020年8月18日 (火) 05:25 (UTC)[返信]

「2005年イオンモール八戸立地阻止の小史」節の削除の取り消しについて

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「2005年イオンモール八戸立地阻止の小史」節が46795popcornさんによって削除されました。要約には「この内容はYouTubeの動画を参考としている。個人の見解や曖昧な情報を参照しているため削除」と記載があるのですが、削除部分にはYoutubeへの言及がなく、それなりに出典もある内容であることから、編集内容と要約が一致していないと判断し取り消ししました。@46795popcornさんにおかれましては、大量の削除を行われる場合には(それが正当な編集であると信じる場合であっても)ノートでの議論を経てから実施されることをおすすめします。Strangetail会話2024年11月4日 (月) 10:27 (UTC)[返信]

ご指摘いただきありがとうございます。
おっしゃる通りでございます。
今後大きな編集を行う際は、ノート機能を通じた議論を徹底いたします。--46795popcorn会話2024年11月4日 (月) 12:17 (UTC)[返信]