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ノート:佐藤愛子 (作家)

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カテゴリの改名提案

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当記事人物に関するカテゴリをCategory:佐藤愛子 (作家) からCategory:佐藤愛子へ改名することを提案します。記事本体はともかく、カテゴリに関しては同名他者のものが作られるとは考えられず、曖昧さ回避は不要と判断します。--エンタシス会話2016年11月29日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

コメント こうした提案が出るということは、記事本体についても平等な曖昧さ回避が適当なのかどうかということを考えないといけないと思うのですが、その点いかがでしょうか?記事本体を現行のままにすべき状況とお考えであれば、カテゴリも一応現行通りとすべき(記事とカテゴリで記事名はそろえる必要がある)と思います。--Don-hide会話2016年12月4日 (日) 23:56 (UTC)[返信]
ノート:山田太一 (脚本家)#カテゴリの改名提案と重複しますので、こちらでは割愛します。--エンタシス会話2016年12月5日 (月) 10:14 (UTC)[返信]
コメント 上記別提案と重複いたしますが、意見は同じのため、再掲いたします。明確な取り決めがあるのかどうか調べましたが、特段そういうものがないような感じが否めません。しかしながら、基本的には記事名とカテゴリ名は1対1対応をつけるべきだと思います。ご提示のカテゴリについても本来はその考えからは外れており、不適切なカテゴリ名だと考えます。特定記事の改名提案という形よりも、プロジェクト:人物伝などで広く意見を募った上で、その結果を踏まえ、必要なら改名を行うべきと考えます。それなくして、特定カテゴリの改名提案の体としてであれば、現状は 反対 とさせていただきます。--Don-hide会話2016年12月5日 (月) 10:24 (UTC)[返信]

プロジェクト‐ノート:カテゴリ関連#括弧付き記事名の人物記事に関するカテゴリの名付け方に議論を移すことにします。--エンタシス会話2016年12月11日 (日) 07:28 (UTC)[返信]

長野県伊那市と岐阜県恵那市の取り違い。前者が陸軍航空本部、後者が森川の実家(クリニック)。

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経歴のセクション

・1943年 - 12月、最初の夫となる病院長の長男、森川弘と見合い結婚し、岐阜県恵那市(旧大井町)で暮らす。「戦争だから、しようがないから結婚していた」という[5]。 森川は陸軍航空本部勤務のため、飛行場設営隊の主計将校として赴任、同地で約5カ月の新婚生活をおくる[6]。

とあります。

佐藤愛子の最初の夫である森川が、主計将校として勤務した、陸軍航空本部 飛行場設営隊 があったのは、長野県伊那市です。岐阜県恵那市とは間違いやすいかもしれません。

森川の実家、つまり彼の父親は町医者で、岐阜県恵那市に病院を開いていました。現在でもこの病院はあり、診察も行っています。森川と佐藤愛子の間に出来た息子が医師です。現在70代です。--遠藤進之助会話2022年5月15日 (日) 01:42 (UTC)[返信]

Wikipedia記事のエピソードセクション

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Unamu さん (ウィキペディアン)

人物記事における「雑多な内容の箇条書き」で構成された「その他」「エピソード」の類の節は、自分が関与する記事においては極力これを解体再編し、撲滅したいと考えています。

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暴露タイプのエピソードが、Wikipediaのエピソードの真骨頂だと勘違いしていました。お考えを拝読して、慌てて、当該エピソードにも、大幅に筆を入れた次第です。--遠藤進之助会話2022年5月17日 (火) 21:27 (UTC)[返信]

独自研究との指摘

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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2022年5月)

具体的な箇所をご教示いただけると、とても助かります。どうぞよろしくお願いいたします。

佐藤愛子著『晩鐘』『血脈(上中下)』は、パソコンで筆写しました。読書嫌いなので、書いて頭に叩き込みました。特に『血脈』は、超大作で、佐藤愛子百科事典のような体です。これまでのすべてのことが網羅されています。下巻のあとがきには、作者である佐藤愛子が、――暴露小説だと批判されるかもしれないとも思った。だがそう思ったからといって、書くのをためらうという気持は起らなかった。それを書くことは私にとって必然だった。そう考えるようになっていった。――(佐藤愛子著『血脈(下)』あとがき、より抜粋)とみずから綴っています。読者としては、そんなことまで書いて大丈夫なのか、と思うような、きわどい、なまめかしい、現実が、綴られていました。

少なくとも僕が加筆したことはほぼすべて、ここ数年で得た知識の中から書いたものです。もちろん、ここはウィキシステムを使っているわけですから、みんなで仕上げる記事ということです。他の方の累々たる蓄積もあるわけで、それを無視するわけにもいきません。

ではよろしくお願いいたします。--遠藤進之助会話2022年5月18日 (水) 16:41 (UTC)[返信]

自己レスです。
経歴のセクションで、私はこう書きました。
――つまり、直木賞受賞に関しては、「ちょっと待った」というのが、佐藤愛子の本音だったのではないだろうか。――
この文末表現だと、あたかも独自研究のようになってしまうと思いました。そこで、
――つまり、直木賞受賞に関しては、「ちょっと待った」というのが、佐藤愛子の本音だった。――
と文末表現を修正しました。これは私が勝手にそうしたのではなく、引用[2]-脚注にもあるように、佐藤愛子著『血脈』にもこのことが書かれています。
独自研究のテンプレートを掲げた方は、このあたりを言いたかったのかと、当たりをつけてみました。--遠藤進之助会話2022年5月18日 (水) 17:42 (UTC)[返信]
さらに自己レスです。
文末表現「だった」では格調がなさすぎますので「であった」と修正をしました。--遠藤進之助会話2022年5月18日 (水) 17:46 (UTC)[返信]
さらにエピソードのセクションにも手を入れました。佐藤愛子の北海道浦河郡浦河町の別荘で起こった霊現象の件ですが、霊能者江原啓之とのやり取りなどは削除しました。いかにも独自研究の匂いがします。ただ、この事実も、『血脈』の中に書かれていたのは確かです。それと佐藤愛子著『マドリッドの春の雨』に関して記述した見解は、すべて間違いでした。当該作品には、鳥肌が立つような文章が綴らています。息を呑むようなエロティシズムが描かれています。ですが、「二度の離婚の上、今度は不倫」と週刊誌に書かれた、佐藤愛子の怒りが綴られているのは、この小説ではありませんでした。あるエッセーにそのことが書かれていました。エッセーのタイトルは現在、調査中です。そのほか、エピソードの文中のまずい表現を修正しました。--遠藤進之助会話2022年5月18日 (水) 18:44 (UTC)[返信]
その後も、問題と思われる箇所を検証し出典も追加しました。また、「~ではないだろうか。」というような曖昧な文末表現も修正をして、「~である。[3]」 のように、出典を示すと共に断定的な表現を用いるように修正をしました。私がWikipedia佐藤愛子 (作家) で加筆した部分に関しては、ほぼすべてを見直し、このテンプレートの問題が当たらないよう修正を施しました。このテンプレートを貼られた方にも別途連絡を差し上げましたが、特に異論もないようなので、冒頭のテンプレートは取り敢えず、外させていただくことといたします。--遠藤進之助会話2022年5月19日 (木) 13:06 (UTC)[返信]

誤削除?

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「1969年度上半期 - その体験を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。」とありますが、前後を見ても何の体験かわからない。元夫の記事には、事業失敗で離婚、佐藤がその体験を描いた作品で受賞、と記載がありますので、明記を避ける話題と言うよりは、佐藤の記事で経歴項を編集・整理している間に誤削除されたのではないかと推測しているのですが。--2400:4053:81A4:D00:7542:66C8:D76:654E 2024年6月29日 (土) 19:15 (UTC)[返信]

2024年4月下旬から5月上旬にかけて、この記事で合意形成のない大幅削除が行われました。その折りの影響ではないかと思います。大幅削除を行なった本人は「百科事典(Wikipedia)には、記述者の主観や思い込み、あるいは伝記的記述もNG、という理由で荒療治(大幅削除)を行なった」と自己弁護しています。現在この記事は復元修復を済ませています。--遠藤進之助会話2024年8月3日 (土) 20:26 (UTC)[返信]
現在では、ご指摘の文章のすぐ上に以下の文章が記述されています。これらを受けて「その」と記述する格好になっています。
・1967年 - 12月、夫である田畑の会社が倒産した。妻である佐藤は夫の借金を背負う。倒産額は2億円で、その内の3500万円位を佐藤が引き受ける[14]。債権者に追われ、原稿料が会社の債務返済に消えていく日々が続いた。借金返済のために多数のジュニア小説(現在はジュブナイル・ノベル)を執筆した。
・1968年- 1月、「借金から身を守るための偽装離婚」という夫・田畑麦彦の説得を受け入れ離婚。--遠藤進之助会話2024年8月3日 (土) 20:31 (UTC)[返信]
ある利用者(編集者)に「略年譜」セクションの、各項目の字数が多すぎると指摘されました。簡略化を図りました。ご指摘の内容も含め修正もしました。では。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 21:38 (UTC)[返信]

当該ページの内容が大幅に削除された件

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【警告】文章は相応しくない内容であると指摘を受けたため、納得して、削除を行ないました。(過去版には残ってしまいますが)

本件に関しては「huskysさんは過剰な内容と考えたが遠藤進之助さんはそうとは思わない」といった意見の相違でしかなく、荒らし扱いするのは明らかに不適切です。「あなたと私以外の第3者の目線で見てもらい、記事がよい方向に成長するのを見守る、というようなことではどうでしょうか」と自身で言っておきながらこのような「huskysさんが100%悪い」という主張を繰り広げるのは論争の解決を妨げることにしかなりませんし、傍から見ていて「さっきまでの議論は何だったんだ」としか感じません。
また「Wikipediaは誰でも編集できる百科事典ですが、特定の個人や団体が所有するものではありません」と言っていますが、本項での遠藤進之助さんの発言はどう見ても記事の所有権を主張するものです。ページの編集は大胆に行ってよく、合意形成は必須のものではありません。にもかかわらず「合意形成がなかったから不適切・荒らしだ」というのはどう考えても不適切です。そもそもhuskysさんの編集時期に遠藤進之助さんは編集してないのですから議論のしようがありません。
加えて「削除を行ったユーザーは法的責任を問われる可能性があります」との発言はWP:LEGAL違反です。虚偽や名誉棄損にあたる内容を記載したわけでもないのに損害を与えることになる理屈が全く持って不明であり、遠藤進之助さんが佐藤愛子氏ご本人や関係者を持ち出して法的脅迫をしているとしか受け取れません。
--横たわる猫会話2024年8月4日 (日) 06:11 (UTC)[返信]
  • またこれは別件になりますが、流石に連続投稿の回数が多すぎます。会話ページでも複数回指摘されているようですし今回履歴を確認する上で私もそう感じました。語句や文章を練り上げるのは投稿前にやりきるべきで、投稿後に毎回微修正を繰り返すのは履歴が重なり他の方の迷惑です。もちろん投稿した後に「やっぱりこっちの方が良かったな」となることがあるのはわかります。ですが遠藤進之助さんはその頻度が高すぎます。
--横たわる猫会話2024年8月4日 (日) 06:31 (UTC)[返信]
おっしゃる通りです。僕の場合、文章の枝葉末節を細かく修正するくせがあります。申しわけありません。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 08:35 (UTC)[返信]
◆大幅削除直後の<佐藤愛子‐Wikipedia>
https://w.wiki/Apb9
◆削除される前の<佐藤愛子‐Wikipedia>
https://w.wiki/3fi4
(正確には復元後なのですが、削除前とほぼ同じです)
・「人物来歴」(セクション)の部分がすべて削除され跡形もありませんでした。これにはちょっと驚きました。
・「業界仲間との交遊録や出来事など」(セクション|削除時はエピソードというセクション名でした)は8割方削除されていました。
・記事全体の印象があまりにも貧相になっていて、これはやはりやり過ぎであると感じました。
・「ページの編集は大胆に行ってよく」の範疇を明らかに超えています。
・やはりこれだけの分量を削除するのであれば、合意は必要であると思います。
・Huskysさんは20年位前からこういう大幅削除を行っている人です。
・Huskysさんはまだ企業記事には手を伸ばしていないと思いますが、損害賠償請求とかそういう問題に発展しないための老婆心という意味もあってこの文章を書きました。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 08:33 (UTC)[返信]
横たわる猫さんの「虚偽や名誉棄損にあたる内容を記載したわけでもないのに損害を与えることになる理屈が全く持って不明であり」についての返信です。
現在、松竹株式会社で佐藤愛子氏のエッセイをモチーフとした映画がこの6月21日から公開中です。佐藤愛子‐Wikipediaにアクセスする人は、平常の何倍にも増えています。Wikipedia画面の右ペインの「ページ情報」から調べることができるのはご存じだと思います。そんな折り、この記事の肝心な部分である、佐藤愛子氏が直木賞作家となった経緯など、肝心な部分が欠落していたら、その情報をとても多くの人に知らせることのできた機会を逸したことになりますよね。8割方を削除されてしまった旧エピソードのセクションにも、佐藤愛子氏の文人仲間との様々な交遊録が記述されていました。ただし、これらの機会損失は、金銭的な損害にはなりにくいですね。
また一般社団法人随筆春秋は、佐藤愛子氏が指導者を務める純文学の同人です。この6月1日から8月31日まで文学賞を開催しています。「第30回 随筆春秋賞|第5回 佐藤愛子奨励賞」がそれです。最初のセクションである「人物来歴」には、この随筆春秋と佐藤愛子氏の関係性が記述されていました。現在、佐藤愛子氏の映画が公開中で、記事へのアクセスも平常よりずっと多い状態となっています。もし削除されていなければ、随筆春秋に関する記述も多くの人の目に触れたでしょう。でも削除されてしまっていれば、その機会は損なわれたことになります。文学賞にとって応募総数は大切な数字ではないかと推察します。
Wikipediaは個人や法人の占有物でもなく、広告媒体でもありませんが、棄損に当たる事柄が書き込まれた場合と同様、肝心な記事が不当に削除されてしまった場合にも、法的問題が発生する可能性はあります(こんなことばかり書き続けるとそれこそWikipediaの自由な気風を損ねてしまいますが……)。これで筆を置きます。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 09:25 (UTC)[返信]
  • 記事全体の印象があまりにも貧相になっていて、これはやはりやり過ぎであると感じました。
遠藤進之助さんがそう感じたのと同じように、huskysさんも「記述が過剰でやり過ぎである」と感じたから手を入れたのではないですか? 前述したとおりこれはただの意見の相違であって、「不適切な行為」や「荒らし」などと糾弾するのは間違っています。直接議論をして相手の意図を確認した上でこの発言なのですから特に問題です。
  • 『ページの編集は大胆に行ってよく』の範疇を明らかに超えています。
  • やはりこれだけの分量を削除するのであれば、合意は必要であると思います。
「配慮すべし」とはありますが「範疇」は定められていません。そして遠藤進之助さんは3月末から編集してないのですから根本的に合意の取りようがありません。それでもなお合意形成を求めるなら「自分が戻ってくるまで編集するな」ということになり明確にWP:OWN違反です。自身の編集をバッサリ消されていい思いをしないのはわかりますがそのような主張は認められません。
  • Huskysさんは20年位前からこういう大幅削除を行っている人です。
大幅削除を行っているだけなら何も問題にはなりません。かつては記述除去に関して問題もあったようですが10年以上前のことであり、ここ最近大きな問題を起こしているようには見えません。
  • Huskysさんはまだ企業記事には手を伸ばしていないと思いますが、損害賠償請求とかそういう問題に発展しないための老婆心という意味もあってこの文章を書きました。
ウィキペディアの記載内容に関する保証は何一つ存在しません(Wikipedia:免責事項)。遠藤進之助さんの言う通りWikipediaは個人や法人の占有物でも広告媒体でもないのですから、どんな機会損失も補償する必要はありません。また、追記部分での「不当に削除」という発言も受け入れかねます。そもそも記載する義務がないのだから、企業から見た「不当な削除」など発生しようがありません。
とりあえず第三者である私から意見させてもらうと、削除前の内容は略年譜の内容が詳細過ぎる、中立的でなかったり大言壮語的な文が目立つなど百科事典として記述が過剰なのは間違いないと思います。「業界仲間との交遊録や出来事など」についても過剰で、特に川上宗薫関連のものが多すぎます。エピソードを1つか2つ引いて「非常に親密な友人関係であった」などと締めるのが精々でしょう。ただ、来歴部分などは多少残してもよいとは感じます。ラストシーン引用などは過剰記述と思いますが、『戦いすんで日が暮れて』は実体験が元になっていることや随筆春秋との関わりについて記載するのは問題ないかと思います(ただし大言壮語的な部分などは直した上で、ですが)。--横たわる猫会話2024年8月4日 (日) 10:48 (UTC)[返信]
Wikipediaが機会損失を保証しないのは、当然のことだと思います。Wikipediaは公器であり、無償でプラットフォームを提供しているだけ、というのが基本なのでしょうから。
あくまでも、棄損するようなことを書き込んだり、機会損失を生じるほどの大胆な削除・変更を行なった人物との間での問題を言っているつもりです。Wikipediaは関係ありません。
大幅削除の彼は、佐藤愛子という人物記事を記述しているのに、本文中に「佐藤愛子」という主語を連発し過ぎであると忠告してくれました。「人物来歴」でもその点を徹底的に修正したら、とてもすっきりしとした読みやすい文章になりました。これは勉強になりました。
確かに略年譜の部分、僕がこしらえたセクションではないのですが、ひとつの項目に複数行の書き込みで、ちょっと文字を詰め込み過ぎですね。読んでみると、僕自身が加筆した部分もありました。
旧エピソードの部分、川上宗薫の件(くだり)は、すべて、佐藤愛子著『血脈』(上中下)、『晩鐘』の中に書いてあることばかりです。とはいうものの、なんで川上宗薫ばかり記述するのだ、というところですね。この編集の仕方は確かに中立的とはいえませんね。
芸能人の記事で「大言壮語的」という注意のテンプレートをよく見かけますが、当該記事の略年譜は大言壮語的ですかね? そこはちょっと僕には分かりません。書いてあることはすべて事実であり、検証可能な資料もあります。百科事典的な書き方を逸脱している部分があるということでしたら分かります。
人物来歴のセクションですが、作家の記事である以上、少しは作品の文章も紹介するべきだと僕は思いました。くどくど説明するより百文は一見にしかずですから。
これでおしまいにしませんか。おっしゃることは分かりました。では。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 12:01 (UTC)[返信]
他に物申すつもりはありませんが「大言壮語的」についてだけは詳述させていただきます。
Wikipedia:大言壮語をしないにもあるように「過剰な形容動詞や形容詞、副詞」は使用しないべきです。例えば「馬車馬のように走り続けた」「読者に鮮烈な印象を与える」「短編エッセイ集が映画化される稀有なケースである」などは百科事典的でない壮大な語り口であり修正すべきでしょう。--横たわる猫会話2024年8月4日 (日) 12:44 (UTC)[返信]
馬車馬のように走り続けた。←これがつまり「大言壮語的」ということなのですね。教えていただき感謝します。もう少し違った意味でこの言葉を解釈していました。Wikipediaの解説を読み込んでいません。
済みません。上半分の返信を読み忘れていました。URLは、彼の投稿記録です。やはり、大きなエリアを削除する「草取り」は、ここ最近でもずっと行っているようです。
https://w.wiki/AqHo
ただこれで問題が起きていないんでしょうか?
「大胆な編集」というのは、そういうことなんですね。制限は設けられていないということですね。不適当なことをたくさん書き込んであるな、と思えば、そこはバサっと削除できるわけですね。つまりその場合、価値観の相違ということですね。あなたの方がWikipediaの規則には詳しそうです。
その理屈は間違ってはいないと思います。感情論もありいろいろ意見が分かれるかもしれませんが、Wikipediaの方針はそういうことなのだ、ということであれば僕に異論を挟む余地はありません。
とすると【警告】はWikipediaの世界では僕の間違いです。ただ、やはり企業ページで同じことをやると、怒られることもある気がするなぁ。企業側からという意味です。文章は削除しておきます。過去版には残るでしょうけれど。
それと、合意形成ですが、僕が数か月もWikipediaを覗き込んでいないのに、その僕と合意形成を取れないのは、これは確かにその通りです。--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 12:50 (UTC)[返信]
これが最後です。
こんなことを書くと、水掛け論の、言い合いになるので書きませんでしたが、例えば彼の2024年4月30日 (火) 19:43 の編集を見てください。
https://w.wiki/AqS2
略年譜のセクションの大胆な削除を行なった編集です。「編集内容の要約」に以下のように書かかれていました。
「略歴まで、記述者の主観混じりの冗長な評論が続くため除去。事典の基本的な記載方法を知らない荒らしぶり。 #article-section-source-editor」
https://w.wiki/AqSB
同じく「編集内容の要約」には以下のように書かれていました。
「略歴に評論や主観を盛り込まないように。あなたの佐藤愛子伝か何かでやってください。 #article-section-source-editor」
これらが問題になっているのか否か僕は分かりませんが、「荒らしぶり」とか「あなたの佐藤愛子伝か何かでやってください」というのは、あまり行儀のいい表現ではないと思います。
あなたが、僕と彼との議論を見て最終的に僕があのような警告の文章を書くのは理屈からいっておかしい、と僕の見当識に関して書いていました。彼の場合、ノートで話し合いをしてもそれを無視して、次の大胆削除を実行する場合があったので、彼に心を収めてもらいたい、という意味でも、リベラルな事の運びを心がけた、という感情論での気配りもありました。
こんな場所で公開するのは相応しくありませんが、僕はこの<Wikipedia‐人物>で、人物の身内あるいは本人から、人を介して、叱責をいただいたことがあります。幸い法的なところまでは言及されませんでした。Wikipediaからそういう問題が発生する場合も実はあります。人物の具体名は伏せておきます。
もっともそれもWkipedia当局(便宜的な意味で使わせていただいております。Wkipediaはリベラルな団体ですから本来的には相応しくない表現です)からするとこちらの勝手な都合ということではありますが……汗。


人工知能が正しいとはまったく言えないのですが、以下はケーススタディとして僕が調べたものです。単なる僕の老婆心です。情報の整理という意味でメモ的に書いておきますね。ちなみに使ったのはGoogleの人工知能ジェミニの有料版です。
★★★


質問
Wikipediaの問題について伺います。Wikipediaの記事の人物あるいは法人に対して、棄損するようなことを書いて、相手に実際の損害を与えた場合、その相手から損害を賠償されることがありますが、逆に記事から大切な部分を大幅に削除した場合、そのことによってその相手から、損害を賠償されることがありますか? 具体的な事例もあれば挙げてください。


回答案を表示


はい、Wikipediaの記事から大切な部分を大幅に削除した場合、そのことによって相手に損害を与え、損害賠償請求を受ける可能性はあります。
Wikipediaの記事は、たとえ不正確な情報や不適切な記述が含まれていたとしても、記事の主題となる人物や法人にとって重要な情報源となることがあります。記事の削除や大幅な改変によって、以下の損害が発生し、損害賠償請求の対象となる可能性があります。
名誉毀損: 記事の削除や改変によって、人物や法人の社会的評価を低下させる可能性があります。例えば、ある人物の功績や実績に関する記述を削除することで、その人物の社会的評価を不当に貶める可能性があります。
信用毀損: 特に企業やブランドにとって、記事の削除や改変によって、顧客や取引先からの信頼を失う可能性があります。例えば、企業の製品やサービスに関する肯定的なレビューを削除することで、企業の信用を傷つける可能性があります。
経済的損失: 記事の削除や改変によって、企業の売上や株価に悪影響を与える可能性があります。例えば、企業の新しい事業展開に関する情報を削除することで、投資家の判断に影響を与え、経済的損失をもたらす可能性があります。
具体的な事例
Wikipediaの記事削除に関連する損害賠償請求の事例は、公に報告されているものは多くありません。しかし、以下のような事例が考えられます。
企業A: Wikipediaの記事に、企業Aの新製品に関する肯定的なレビューが掲載されていたが、競合他社Bの社員がそのレビューを削除した。企業Aは、レビューの削除によって新製品の売上が減少したとして、競合他社Bに損害賠償請求を行った。
政治家C: Wikipediaの記事に、政治家Cの過去の政治活動に関する記述があったが、政治家Cの支持者がその記述を削除した。政治家Cは、記述の削除によって自身の選挙活動に悪影響が出たと主張し、支持者に損害賠償請求を行った。
これらの事例はあくまで仮定ですが、Wikipediaの記事の削除や改変が、相手に深刻な損害を与える可能性があることを示しています。Wikipediaの編集は、中立的な観点に基づき、正確かつ検証可能な情報に基づいて行われるべきです。編集を行う際は、以下の点に注意することが重要です。
出典の明記: 情報の正確性を担保するため、信頼できる情報源を明記する。
中立的な観点: 特定の視点に偏ることなく、多角的な情報を提示する。
編集合戦の回避: 他の利用者と意見が対立した場合、議論を通じて合意形成を図る。
もし、Wikipediaの記事の削除や改変によって損害を受けた場合は、弁護士などの専門家に相談することをお勧めします。弁護士は、損害賠償請求の手続きや法的根拠についてアドバイスを提供することができます。

--遠藤進之助会話2024年8月4日 (日) 18:31 (UTC)[返信]

  • huskysさんの要約欄に関しては確かにきつい言い方かもしれませんが、それが問題だと考えるのであれば、なぜ利用者‐会話:Huskys#佐藤愛子 (作家) についてで直接問題提起しなかったのですか? 傍から見るとhuskysさんとの直接対話で円満に解決しているようにしか見えないのに本項の「警告」に及んでいますし、本項の議論についても一定の着地点に到達したように思えたのにこれまで全く提示されていなかった「編集内容の要約」を持ち出しています。これまでの議論を全部ひっくり返されているようで、最初にも申しましたが「さっきまでの議論は何だったんだ」と強く感じます。
  • 「ノートで話し合いをしてもそれを無視して、次の大胆削除を実行する場合があった」というのは具体的にどの事象ですか? 私が確認した限り、ここ最近でそういった指摘をされている場面は見つかりません。そもそも論相手の態度に問題があったとしても、「あの人は言っても聞かないから」と表向きなあなあにしておいて裏で糾弾するのは誠実な態度とは思えません。
  • 遠藤進之助さんが受けた叱責がどのようなものかはわかりませんが、本項で示している問題意識は「なぜそれが問題になったのか」の本質に立脚するものではなく、必要以上に過大であるように感じます。ジェミニの回答例もいずれも正確とは思えません。そもそもとして、ウィキペディアに記述できるのは信頼できる情報源によって検証可能な内容のみです。仮に記述がウィキペディアから削除されたとしてもそれは何らかの情報源で確認できるはずですし、もし他の情報源で確認できない内容なら、それこそ事実かどうかわからないのだから消さなければいけません。名誉棄損罪は「事実の適示」を要件とするのですから記述の削除では成立し得ないですし、信用毀損が成立するとしたらとにかく肯定的な記述を削除して回るようなケースくらいでしょうが、そんな人がいたら早々にブロックされて他の方が記述を復元するだけです。経済的損失では「企業の新しい事業展開に関する情報を削除」と言っていますが削除したところで記述の元となったソースが存在するはずですし、ソースが存在しないなら風説の流布などに相当しうるのですからむしろ早急に削除しなければいけません。そしてウィキペディアは広告宣伝の手段ではありません信頼できる情報源による言及があり、かつ中立的な観点に基づいていなければ「肯定的なレビュー」なども当然に削除されます。もしこれに対して損害賠償請求を行ってくるとしたら、それはウィキペディアの根本理念に喧嘩を売るということです。そこまで不当な振る舞いを考慮に入れたらどんな記事も執筆不可能になってしまいます。--横たわる猫会話2024年8月5日 (月) 16:39 (UTC)[返信]
    それは今、文学賞を開催中であるので、とにかく邪魔をされたくない、という気持が一番だからです。相手を刺激したくないという気持です。正当な議論をして相手を追い詰めことになるのは避けたいと思いました。
    Wikipediaは無償で提供されている公的中立のプラットフォームですから、Wikipedia自体が問題にされるということはないと思います。
    僕がいったのはあくまでも、Wkipediaという媒体を介しての、個人と個人あるいは法人という、Wikipediaの外でのトラブルのことです。従って、その内容は、ここで議論することではありません。--遠藤進之助会話2024年8月5日 (月) 18:45 (UTC)[返信]
    あなたは賢い方のようだし、何事ごとにも理路整然としていらっしゃいます。ですけれど、僕のいいたい事とどこか噛み合っていない気がします。
    僕の場合は、Wikipedia内部の規則とか、内部の事に関する法律問題などを論じるつもりはそれほどありません。Wikipediaという公正で中立な媒体を介しての、外部で起こる問題を想定して心配をしています。
    つまり僕とあなたでは注目している問題の範囲や視点が異なっているのかもしれません。
    今回あなたが書かれたことについて、特にこの部分が間違っているんじゃないのと指摘したくなった箇所はありませんでした。
    また人としてはあなたはとても誠意のある方であると感じました。大抵は面倒くさいからといって途中で話を打ち切ってしまう人が多いものです。
    以上は、既にあなたの指摘した、正々堂々としていない、懐柔策的な議論の展開というわけではありません。肩に力を入れず正直に記述してみました。
    ご丁寧なご回答、ありがとうございました。--遠藤進之助会話2024年8月5日 (月) 19:12 (UTC)[返信]
    僕の中では何かが釈然としませんが、情報削除についてのあなたの記述自体はおっしゃる通りであると思います。--遠藤進之助会話2024年8月6日 (火) 12:40 (UTC)[返信]

出典の少なさ

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今回大幅な文章改訂を行いましたが、ほとんどはwikiの元記事の内容を読みやすくリライトしたものです。出典はほとんど参照できておらず、そもそもこの項に関しては信用に足る出典が少ないという問題があります。参考資料をご存知の方がいらっしゃったら適宜追記・記載の修正を願います。--はちめ子会話2024年9月30日 (月) 13:35 (UTC)[返信]

段落の1字下げは、Wikipediaの場合は不要ではなかったかと思います。また、当方では、佐藤愛子著「佐藤家の人びと―『血脈』と私」文春文庫、2017年3月第2刷、を持っています。P177以降が、<第6章・資料>となっており、その内容が以下です。・佐藤家系図P178、・『血脈』関連年表P180。この資料集に基本的なことは漏れなく綴られているので、時間のあるときに、引用‐脚注を挿入しておきます。同人誌 随筆春秋に関する事実も少し記述できればと思います。作家佐藤愛子の歴史を考えると、随筆春秋との出会いは69‐70歳以降ですから、分量もそれ相応でいいのだと思いますが。--遠藤進之助会話2024年10月1日 (火) 04:46 (UTC)[返信]

ありがとうございます。随筆春秋に関してはご指摘の通り69‐70歳以降の話であり、それ以前の経歴に関する記載も充実させるべきと考え、経歴・略年表の項を中心に大幅に改訂させていただきました。もしも随筆春秋に関する具体的なエピソードを追記していただくならば、逸話の項で箇条書きにしていただくか、「随筆春秋との関わり」とでも題した別項を設けていただくとよりわかりやすい記事になるかと思いました。--はちめ子会話2024年10月1日 (火) 05:20 (UTC)[返信]

時間がなかったので、改稿された記事を精読するのが今となってしまいました。随筆春秋のことも、きちんと記述されていました。来月101歳となる大女流作家の壮大な歴史の中では、同人誌随筆春秋との関わり合いは、このぐらいの分量が相応しいのかもしれませんね。また、『血脈』のあとがきには、小説は事実をもとにしており、下手をすれば暴露本とも捉えられかねない、との旨、佐藤愛子先生の記述もあります。しかし、はちめ子さんがおっしゃるように、『血脈』はあくまでも小説であり、人物の歴史を綴る際の「古文書」代わりに使うのは、間違っていますね。ただ、(一社)随筆春秋の中には、佐藤愛子先生からの口伝による情報集積もあり、歴代事務局がそれを文章に残しています。出版社のように広く世間に認知された団体ではありませんが、それらの情報も軽々に扱うべきではないと考えています。--遠藤進之助会話2024年10月1日 (火) 16:32 (UTC)[返信]