ノート:佐久郡
「佐久」という地名の由来について
[編集]『見たい・行きたい 佐久の歴史』の記述
[編集]- 佐久社会科同好会資料集作成部会『見たい・行きたい 佐久の歴史 ―わたしたちのふるさと見聞録―』佐久社会科同好会、2005年。
平易な文章に豊富な写真・イラストを用いた小冊子です。地元の小学校 - 中学校において学習参考書として用いられているものと思われます。地元の地名の由来について、どのように教えられているのかが伺い知れます。
本書の1ページ目において、佐久という地名の由来について4つの説を挙げています。以下に要約します。
- 山梨県(甲斐)と群馬県(上毛)に隣り合わせであり、信濃国の全郡から離れて遠いという意味の「さかる」から。
- 関東地方とを結ぶ碓氷峠が国境をさえぎり、ふせぐという意味の「せく」が「さく」へと変化した。
- 外敵を防ぐための柵が築かれたから。
- 佐久を開拓した神を祀る新海三社神社に関係しており、「新開(にいさく)」が略されて「さく」へと変化した。
本書には、いずれの説が有力視されているかといった記述はされていませんでした。
『佐久市志』の記述
[編集]- 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 歴史編 (一) 原始 古代』佐久市志刊行会、1995年。
本書の476ページにおいて、定説はないとしながらも、「佐久」という地名の由来について4つの説を挙げています。以下に要約します。
- 『信濃地名考』より、甲斐・上州間に突出し、他の信濃諸郡から疎る(さかる=隔たりがある)位置にあることから。
- 国境を守る柵から。
- 狭隘な地形を意味する「剖割(さきわる)」から。
- 『長野県の地名その由来』(後述)より、平地をさくり(=決り・抉り)、畝を立てたような地形から。
『北佐久市郡志』の記述
[編集]本書の89ページより引用します。ルビはかっこ内に記しておきます。
佐久の地名は、諏訪国から地を割(さ)いて分国した意味であるともいい、あるいは外敵を防ぐために柵(さく)が築かれたためであるともいうが、ともに納得できる語源説ではない。しかしこれは信濃国の名にしても、他郡の名にしても同様であって、今日これを解明することは困難であろう。
要約すると「よくわかりません」ということでしょうか。
『新しなの地名考』の記述
[編集]本書の25ページから26ページにかけて、「定説はないというほかはない」(25ページより引用)と前置きしながらも、いくつかの説を挙げています。
まず吉沢好謙『信濃地名考』から「佐久はもと須波の国なるべし。此の郡、甲斐・上毛の間に出て、なべての郡に疎(さか)るの義なるべし」「或は『剖割(さきわる)』の義にや」という記述を紹介。
続いて、「先人の説くところ」として、
- 牧場が多い=柵
- サクる、サクを立てる(=決る・抉るのことか)=耕作地
- サク=傾斜地
といった説を紹介しています。
最後に、「常識的になるのが」と前置きから説明が始まるのが新海三社神社→「新開(ニイサク)」→「佐久」という説でした。佐久は信濃国の中で最も新開地であって、諏訪との関係を考えると最も理解しやすいとのことです。
『長野県の地名その由来』の記述
[編集]- 松崎岩夫著『長野県の地名その由来』信濃古代文化研究所、1991年。
#『佐久市志』の記述にあった一説の出典となったものです。著者は1923年(大正12年)伊那市出身・在住で、長野県の古代史や地名について研究なさっているそうです(本書巻末より)。本書の90ページから92ページにかけて、「佐久」という地名の由来について著者なりの考えが記されていました。
著者は、「佐久」という地名について、「その地形が平地に畝を立てた形のように狭い谷になっている地形につけられた見立地名といってよいと思われます」(91ページより引用)と述べています。当地を流れる千曲川の浸食で、両側の高い台地の間を千曲川が曲流を重ねる風景を、平地をさくり(=決り・抉り?)畝を立てたようだとして、古の人々が「さく」という地名を長い年月をかけて生み出し、定着させたということです。著者がこの推測に至ったきっかけは静岡県の佐久間ダムの景観からだそうで、開拓から来たとする説よりも自説の方が妥当であるとのお考えをお持ちだそうです。
あくまで著者なりの考えということで、このあたりにしておきます。
--Qurren(会話) 2017年6月17日 (土) 16:45 (UTC) #『北佐久市郡志』の記述修正--Qurren(会話) 2017年9月30日 (土) 02:05 (UTC)