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ノート:佃戸

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IP氏の編集について

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まず新たに出典が提出されていたにも関わらず脊髄反射的に差し戻しをしたことを謝罪します。大変失礼しました。
その上でIPさんの編集に対して私から異見を言わせてもらいます。
まず出典付きの記述を不可視化するのはやめてください。するならばそれなりの理由を示してください。
これは中国の歴史についての記事ですから冒頭の大日本帝国云々は必要ないと思います。
宋代の地主佃戸関係については過去の日本の中国史学界にて長い論争が繰り広げられ、決着は付いてないと理解しています(参考『戦後日本の中国史論争』第5章「宋代農村社会史研究の展開」、1993年、谷川道雄編著、河合教育文化研究所、ISBN487999989X)。中国の学界では状況が違うのかもしれませんが、日本の学界の状況を無視して良いということにはなりません。さらに『中国経済史』(岡本隆司編 2013年 名古屋大学出版会 ISBN9784815807511)のpp168-169には「地主と佃戸の間には<主佃の名分>と呼ばれる身分規定が存在していた。」「清代乾隆年間の法律書でも『既に主・佃の分が有れば、また平人とは間(ちがい)が有る」と指摘されているように」ともあります。少なくとも『遼宋西夏金代通史 参』の記述だけを担保に「奴隷的身分とは異なり法律上の身分は地主と同等であり」「身分的,法的には自由な良民同士の経済関係である」などと断言することはしてはならないと考えます。あと『遼宋西夏金代通史』の編者は「遊」侠じゃなくて「漆」侠ですよね?
以上つらつら述べてきましたが、ご一考ください。現状では私も偉そうな口を叩けるだけの知識量がありませんので編集はしませんが、今後下調べをした上で改稿したいと思っています。--らりた会話2024年7月10日 (水) 11:06 (UTC)[返信]