ノート:伊丹十三/過去ログ1
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- 現在、大阪大学に理工学部という学部はないのですが、当時はあったのでしょうか?--Arpeggio 2005年9月14日 (水) 06:22 (UTC)
- 「ものぐさ精神分析」と「哺育器の中の大人」の公刊されたのは1978年であっているでしょうか。--shinya~ 2005年9月23日 (金) 07:23 (UTC)
落第や受験の失敗は記入する必要ないでしょう。誰だって大阪大学や東大は受験することは可能ですので,まるべく不名誉な記事は書かないほうが良いでしょう江藤新平
>さらに、次回作の題材となる宗教団体の信徒に殺されたという陰謀論もある。 その作品は、もう出てますよ。次回作でもなんでもないのでは? それは「マルタイの女」です。
- 「突然の自殺」の項目について、「陰謀説もある」という一文がありましたが、IPのみの方の投稿でしたので、連絡なしに修正させて頂きました。その一文をそっくり削除するのも、いいと思いますが、せっかく書き込んで頂いているので、残す形で修正させて頂きました。--グラント 2009年2月5日 (木) 07:40 (UTC)
- 伊丹の自殺についての陰謀説があるのは、様々な引用により証明できます。具体的な名誉毀損の存否とは別の話です。彼の映画が妨害に有ったことことなど、過去の事例からみても陰謀説がない方が不自然ですし、実際にあります。そのことは、具体的な名誉毀損の訴訟とは無関係です。Iceboat 2009年4月29日 (水) 04:11 (UTC)
- 事実的根拠を示さず法的問題が懸念される記述(他殺説に関わる記述)をリバートしました。インターネットの掲示板における同内容の記述につき、名誉を棄損するものとして損害賠償の支払いが命じられています(東京地裁、2009年2月3日)。
「Wikipedia:基本方針とガイドライン」の「基本的な方針」に「ウィキペディアの信憑性を確保する為に、記事に加える情報は検証が可能でなければなりません。まだ人類の知識となっていない独自研究は載せないでください」との一文があります。示された出典は、まさに「独自研究」のサイトであり、出典と言えるものではないと思います。実際、このサイトと同じ内容を記したインターネットの掲示板の記述が、名誉棄損にあたるとして、本年2月に東京地裁で、損害賠償の支払いを命じられています。こうした内容を検証なしで出典として示すことは、あまりに乱暴であり、他に確かな出典を示す事ができない以上は、削除すべきであると考えます。--Necessary 2009年9月12日 (土) 13:25 (UTC)
- そもそも独自研究とは、自分ないし少数の人間による事実解釈的な主張を指すものであって、「伊丹の死が自殺であったかどうかについて多くの疑問がなげかけられていること」は、伊丹氏の死の直後から見られたひとつの社会現象、つまりそれそのものがひとつの事実であるに過ぎません。しかもそのことは、Iceboat さんもお書きになっているとおり様々な引用により容易に示すことができます。ですから十分に検証可能な人類の知識になっていると言えます。また、Necessary さんは「同じ内容を記した」と書かれていますが、事件当初から他殺説が根強く語られている、あるいは自殺に関して疑問が投げかけられていると指摘しているだけの記述が、特定の一団体を名指しして伊丹氏の死に関与したかのように示唆し、東京地裁でその特定団体への名誉棄損にあたるとされた記述と同じ内容であるとは思えません。関与した主体が特定されない以上、名誉毀損が成立することはありえないはずです。それからもう一つ言っておきたいですが、削除したいのであれば、削除依頼を出すか、ノートによって合意を形成してからにすべきです。ご自身独自の判断のみで行った今回のこの削除は性急であり不当であると考えます。--Ryota7906 2009年9月12日 (土) 21:21 (UTC)
- 「様々な引用により容易に示すことができます」と仰せですが、示されている出典は、個人が作成したページ一つだけです。まさに「独自研究」です。こうした独自研究を参考にして作成した記事も、当然のごとく独自研究の域を超えません。まして、「人類の知識」などには、到底なっておりません。また、基本的な方針に反する記述を削除することは、きわめて妥当なことであり、なんら不当ではないと考えます。--Necessary 2009年9月12日 (日) 04:24 (UTC)
Ryota7906さんは、「様々な引用により用意に示すことができます」というのであれば、その引用先(独自研究ではなく十分信頼に足る出典)とともに記述案をこのノートに記すべきかと思います。--GORUM 2009年9月13日 (日) 10:42 (UTC)
- 伊丹のファンのものですが、伊丹の死を他殺とするのは、考えにくいと思います。実際、警視庁は当時、自殺と断定し、事件化もされていません。他殺論は、ごくごく少数意見だと思います。それを「疑問がなげかけられていること」も一つの事実、などとして、あたかも他殺された可能性が高いように表記するのは、非常に大きな誤解を招く恐れがあります。単なる噂が独り歩きする危険性もあり、ウィキペディアのような百科事典には適さないと思います。--コロイチ 2009年9月12日 (日) 14:12 (UTC)
やはり誤解されているようですが、「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」ということと「伊丹氏の死が自殺ではなかった」ということは別の問題です。伊丹氏の死が自殺ではなかったことを論証するのは非常に困難でしょうが、伊丹氏の死に疑問が持たれたことを示すのは容易です。「伊丹十三 死」あるいは「伊丹十三 自殺」という検索ワードで検索すれば、検索されるサイトのおおよそ半分ほどが自殺説に疑問を投げかけるものであることがおわかりになるでしょう。検索ワードに「他殺」「謀略」などの言葉が入っていなくてもそうなのですから、伊丹氏の死に多くの疑問が投げかけられていることは明らかです。
削除ですが、管理者でもない方が削除依頼も出さず、ノートで合意も形成されていない極めて異論の多い問題に関して、自身の独自の判断のみで一方的に削除することはやはり不当であるといわざるを得ません。次からはルールにのっとって行動されるようお願いいたします。
それからコロイチさんのご意見ですが、警視庁が自殺と断定し事件として立件化しなかったことをもって他殺の可能性はなくなったというのはあまりに短絡的です。警察の当初の捜査方針が間違いであった事例は枚挙に暇がありません。
上にも示したとおり、他殺論は「ごくごく少数意見」などではありませんし、そうである以上、他殺された可能性がある、と考えることは「非常に大きな誤解」などにはなりえず、また単なる噂のレベルの話でもありません。にもかかわらず、伊丹氏の生涯を紹介・解説する百科事典的記述において、自殺に疑問が投げかけられたことを書かないでいるほうがむしろ不自然です。そもそも反骨精神旺盛だった伊丹氏のファンを自称される方が、警察権力に迎合したり、少数意見や単なる噂のレベルだから切り捨ててよいという論点に立つこと自体強い矛盾を感じさせます。伊丹氏のアンチファンだというなら納得がいきますが。
記述案ですが、特に文章に改変を加えなくても
- なお、この突然の死が本当に自殺であったかどうかについては、伊丹の死の直後から多くの疑問が投げかけられた。
とし、出典を増やすということでよいかと思います。出典については[1]のほかに[2][3]。ファンによる掲示板です[4]。
また部分的な記述の抜粋ですが
- "しかしながら、他殺とされる見解も多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意に介さず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。"[5]
- "ナゾを残したまま旅だってしまったために、その死の原因については実に様々な揣摩憶測が乱れ飛びましたが、"[6]
- "大島渚監督がテレビで語っていたように、この記事で自殺するということは考えられないと思う。"[7]
- "そこから先はよく知られているように数々の映画賞を独占しながら、『スウィート・ホーム』『ミンボーの女』『大病人』などで暴力沙汰やスクリーン切り裂き事件などのトラブルが続き、そんなことが原因ではないとおもうのだが、1997年に伊丹プロダクションのある麻布台のマンションの屋上から飛び降り自殺してしまった。"[8]
など。Q&Aサイトや2ちゃんねるでよければもっともっとあります。--Ryota7906 2009年9月14日 (月) 14:36 (UTC)
Ryota7906さんは少々勘違いなさっているようですが、ウィキペディアの掲載基準は、あくまでも「真実であるかどうか」ではなく、「検証可能かどうか」です(独自研究は載せない参照)。検証可能性を充足するためには、「信頼できる情報源から公表、出版されている事実、視点、理論及び議論だけを収録」すべきということです(検証可能性参照)。残念ながらRyota7906さんの挙げられた出典のすべてが「信用できる情報源」に該当しないことは自明です(いわば「独自研究」にすら相当しない流言飛語程度のものです)。ましてQ&Aや2ちゃんねるなどは、何万行掲載しても「信頼すべき情報源」にはなりません。ゼロにいくら大きな数を掛けてもゼロであるのと同様です。要するに簡単な話なのですが、Ryota7906さんが権威ある出典先、信頼できる情報源を探しだし、それをここで提示すればよいだけのことです。そうでない以上、法的問題が懸念される記述につき削除状態を維持することは妥当です。--GORUM 2009年9月15日 (火) 13:58 (UTC)
何度も言いますが、ここで問題にしているのは「伊丹氏の死が自殺ではなかった、他殺だった」ということではなく、多くの人によって「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」ということです。そのこと自体は十分に検証可能です。せっかくですのでお示しいただいたウィキベディアのページから引用させていただくと、
"一次資料とは、考古学的な人工遺物・映画・ビデオ・写真、日記・国勢調査・公聴会の議事録や裁判の記録・インタビューのような歴史的文書、アンケートや調査の結果一覧、実験室での分析・観察の記録、実地調査の記録といった、情報やデータを提供するものです。" "なお、(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。アップルパイや最近の出来事などが、この例として挙げられます。"(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)
- ここで問題にしている「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」というのは1997年ないし翌年以降に発生した出来事です。出来事であれば個人の日記にほぼ相当するホームページやブログのような一次資料であっても十分出典として利用できるはずです。
"ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。"(Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源)
- 「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」ことが極めて重要な情報であることは言うまでもありません。残す値打ちは十分にあります。またここに書かれた方針に沿えば、2ちゃんねるやQ&Aサイトであっても十分に情報源たりえます。
"例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。"(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)
なお、GORUMさんは"いわば「独自研究」にすら相当しない流言飛語程度のものです"とお書きですが、大部分は流言飛語ではなく個人の見解の表明です。[6]の"その死の原因については実に様々な揣摩憶測が乱れ飛びましたが"にいたってはただ事実を述べているだけです。
また"法的問題が懸念される記述につき"とありますが、たんに「伊丹の死に疑問が投げかけられた」と書き伊丹氏以外の固有名詞が登場しない記述について、伊丹氏の遺族が訴え出るなら別かもしれませんが、それ以外の個人・団体に対する名誉毀損が適用されるはずもなく、何ら法的問題とはなりえません。--Ryota7906 2009年9月15日 (火) 16:30 (UTC)
論理的な思考に難があるのでなければ、前回の私の記述でご理解頂けるはずかと思います。そうでないのようなので、重ねて論じることと致します。
まず一次資料はウィキペディアに記載できません。「一次資料を直接ウィキペディアで公表すること、たとえば投稿者自身の体験の記述や、投稿者が行ったアンケートやインタビューなどを掲載する事は独自研究にあたり許されません」(独自研究は載せない)とある通りです。ネットに意見があるという事実を記載することはできません。
次に、一次資料に基づく記載の当否につき、例外規定として定義された「(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」について考えましょう。Ryota7906さんの主張が(1)に相当しえぬことは自明です。自殺でない(自殺とはいいきれぬ)とする「解説」は、誰でもその正確性を簡単に検証できる事象とは言い切れないからです。また(2)にあたらぬことも確かです。Ryota7906さんが記述しようとしている箇所は、少なくとも「自殺でないと言い切れぬ」とする解釈ないし評価なくして成立する命題ではないからです。従って、一次資料に基づいて記載可能な記述ではありません。
続いて当該記述が重要で残す価値があるか否かについて論じます。浅野健一氏や松岡正剛氏に関しては、Ryota7906さんが引用した部分の次下を引けば一目瞭然です。「しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」。[7]は「例外となりうるとしても例外たりえぬ例」といえるでしょう。検証可能な論拠を示すことのない個人的な見解に終結しているからです(ゆえに他の権威ある媒体が引用に及んでいない)。また[8]に至っては、当該主張に関して信頼すべき情報源たる内容ですらありません。論旨が全く違うからです。
以上から、Ryota7906さんが記載しようとしている記述を行うためには、査読を経ているなど評判の良い第三者による発行物として発表された、独自研究や所感の表明ではない、検証可能な出典の明示を伴う必要があります。
Ryota7906さんに要求されていることは非常に簡単なことなのです。「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」という事実について、検証可能な信頼すべき情報源を明示することだけです。必要なのは情緒でなく論理です。もう少し論理的に思考していただけると皆が助かることでしょう。--GORUM 2009年9月15日 (火) 17:49 (UTC)
まず、"一次資料を直接ウィキペディアで公表すること、たとえば投稿者自身の体験の記述や、投稿者が行ったアンケートやインタビューなどを掲載する事は独自研究にあたり許されません"(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)ですが、「一次資料を直接ウィキペディアで公表する」というのはウィキペディアの記事の地の文として、ということでしょう。この箇所に続くすぐ後に"なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です"(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)とあります。一次資料を出典とし、それら情報を集め整理した結果を記事にするのであれば構わないと解釈されるべきです。でなければこの節全体の意味の整合性がとれません。
"ネットに意見があるという事実を記載することはできません。"のところですが、そのようなことはこの節には書いてありません。ネットの意見をそのまま記事として公表することは許されないでしょうが、「ネットに意見が存在する」と記載することは、一次資料を集め調査した結果であり、この節で奨励されている行為にあたります。
次に、"(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません"(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)について。やはり勘違いないし混同しておられるようですが、ここで問題にしているのは「伊丹氏の死が自殺であったか他殺であったか」の検証ではなく、「伊丹氏の死について疑問が投げかけられた」という「一社会現象としての事実」の存否です。そのような社会現象があったかなかったかの問いに分別ある大人が答えるのは簡単です。また、ただそのような疑問が「存在した」といっているだけであり、分析、総合、解釈、評価にあたる主張は全く行っておりません。存在の言及において「自殺でないと言い切れぬ」とする解釈ないし評価を必要とするものでもありません。もちろんさまざまな意見を表明した個人の念頭にはそのような解釈・評価があったはずですが、それ全体をひとつの社会現象としてみる場合には、自殺ではなかった可能性についての分析・評価は必ずしも必要とはされません。たとえが悪くて恐縮ですが、UFOや宇宙人、あるいは神や幽霊に関してさまざまな言説を調査し整理して言及することは、それらに対する厳密な直接的検討なくして行うことができますし現に行われています。それと同じことです。
"しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです"(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)ですが、確かにそうかもしれませんが、たまたま、あるいは何らかの特殊事情により他の媒体に記述が見つからないのかもしれません。特殊事情については詳細な言及は避けたいと思いますが、とにかくこの一文をもって書く価値がないと判断するのは早計であり、この文は自主公表物を情報源とする場合の補助的な注意書きとみなすべきです。
[8]については、確かに自殺の動機は疑っていますが、自殺そのものに対して疑いを持っているとは書いてありません。しかし動機を疑う、つまり自殺する合理的な動機がみあたらない、というのなら、それを自殺に対する疑いの表現と見ることは可能でしょう。"論旨が全く違う"というのは言い過ぎです。
"査読を経ているなど評判の良い第三者による発行物として発表された、独自研究や所感の表明ではない、検証可能な出典の明示を伴う必要があります。"ここも既に述べたことと同じです。社会現象の存否の判断は一次資料の収集・調査に基づくものです。そのために必要な一次資料は検索でいくらでも収集されます。
これまでに論じたように、私の求める記述はウィキペディアの方針に規定されている手順に則るものです。しかるに、記述内容から見て名誉毀損とはなり得ないにもかかわらず法的問題への懸念を理由にした今回の一方的な削除は、本来踏むべき手順にも沿っていない不当としか言いようのないものです。それこそ拙速な情緒的反応ではなく、冷静に分別をもって対処すべきところではなかったでしょうか。--Ryota7906 2009年9月16日 (水) 14:51 (UTC)
ROMから転じて恐縮です。私も伊丹さんの映画大好きでした。
Ryota7906さんの論点が少しづつシフトしていて、意見もまた少し分かりづらく感じたので整理すると、「伊丹氏死亡についての陰謀説の存否」を記載すべき理由の根拠として念頭に置いてらっしゃるのは、
まず①「社会現象として存在する」と考えられるためであり(現時点ではおそらく最大の根拠)、かつ②この説がネットその他諸々の「1次資料」を整理した上での調査研究に該当するものと考えられるから、ということでよろしいでしょうか。
①ですが、「アイドルAって歌手Bとつき合ってるらしいよ」「あ、それ聞いたことある!」という有名だが根も葉もないような話も、同じロジックでWikiに記載可能なのでは。伊丹さん以上に有名な噂、あると思うんで。①が記載に妥当性をもたらす役割を果たすというのなら、少なくともGORUMさんが言うような「流言の類い」ではないと「完全に言い切れる根拠がなければと弱い」気がするのです。そこを完全に崩さなければ「流言の集積は、やはり流言でしかない」。でないと「流言」という社会現象を、単に規模がデカいからといってWikipediaが記載するという、極めてどうなんだか的な感じがし続けてしまうわけで。「社会現象の存否」を記述したのみ、とは言いますが、やはり元の話について検証可能性は問われるのではないかと。
②研究・調査というレベルは、かなりハードル高いと思いますよ。松岡、浅野氏の書き物というだけで、そのハードルを超えることになるのかは判断つきかねますけれど。
「たまたま、あるいは何らかの特殊事情により他の媒体に記述が見つからないのかもしれません。特殊事情については詳細な言及は避けたいと思いますが、とにかくこの一文をもって書く価値がないと判断するのは早計であり、この文は自主公表物を情報源とする場合の補助的な注意書きとみなすべきです」
私はWikipediaへの記載に関して、できるだけ慎重を期すべきと捉えています。社会的影響も大きいと思いますし。揚げ足とるようで申し訳ないのですが、こういう独自見解を披露されてしまうと、どうしても「根拠に乏しいんだ」と思って微妙に感じるんです。日本のWiki、こういうの多い気がするんで詰めて議論したい時がありますね。マリリン・モンローの死についても、本場より日本語バージョンの方が陰謀的雰囲気強いですから--ほーじー 2009年9月16日 (水) 19:25 (UTC)
- まず、ほーじーさんのご見解に全面的に賛同いたします。
- Ryota7906さんは、まだ勘違いされているようですが、Ryota7906さんが挙げたネットの書き込み(その多くが雑然とした、根拠に乏しい乃至は偏向した個人的見解の吐露)は、一次資料にすら相当しないことは自明でしょう(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の記述について「考古学的な」「歴史的文書」などがどの文言に係っているかについて、注意深く理解すべきです)。当方が申し上げた「一次資料」とは、ネット上の雑多な意見に基づく見解を表明しようという、Ryota7906さんが企図している書き込み自体のことを指しています。ネットに存在する、かような雑多な意見・独断・偏見について調査した結果としての信頼できる(権威ある)一次資料ないし二次資料が存在するのであれば、それを引用するのは全く構いません。これでお分かりいただけますでしょうか。
- 一言でまとめれば、何の権威も信頼性もないネット上の勝手な書き込みを一次資料とはいわないし、それらを集めて何かの見解を形作れば、その行為自体がウィキペディアで禁じられている一次資料の公表にあたるということです。いずれにしても、ノートでこれだけ議論になっている現時点においては、Ryota7906さんが信頼性できる情報源を探し出し、それを引用する形での文案をこちらに提示すればよいのです。--GORUM 2009年9月17日 (木) 05:43 (UTC)
- 追記です。Ryota7906さんには、あわせて信頼できる情報源をご熟読頂ければと存じます。そこには「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです」「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次情報源は、使ってはいけません」と明記され、「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます」と記されています。Necessaryさんは本文を削除したうえでノートへ誘導しているため、ウィキペディアのルールに則った妥当な措置といえましょう。Ryota7906さんに求められているのは、信頼すべき一次情報ないし二次情報源を提示することです。--GORUM 2009年9月17日 (木) 14:06 (UTC)
- 別にこれまでの自分の主張がウィキペディアの編集方針に照らして間違っているとは思いませんし、他のノート投稿者の議論につっこみどころはいくつもあるためもっともっと頑張ってもよかったのですが、とりあえず「信頼できる」資料が見つかりましたのでそれに基づき記事を構成しました。「エイガジンWiki」は残念ながら2次資料ではなく3次資料ですが、匿名記事とはいえ規約違反に対し記事削除や投稿者の登録抹消等の措置が規定されている[9]ことから、一定の権威性・信頼性は保たれているとみてよいでしょう。「聖教新聞」は2次資料ですし、まさか権威性が問題にされることはありませんよね。--Ryota7906 2009年9月18日 (金) 13:18 (UTC)
どうぞ突っ込んで頂いて。ある意味、そのように書きました。とりあえず、記載もrvしました。これも議論の余地あるので。
えー…、新しい記述が予期せぬ斜め上の展開となって涙を禁じ得ません。。。 端的に言いますと、「エイガジンWikiってなんだそりゃ」ということでしょうか。まさか「エイガジンwiki」さんに「真相は謎」と唐突に宣言される読者の身になっていただけませんか。そりゃ鳥肌も立ちます。
恐縮ですが、Ryota7906さんは「信頼できる資料」についての理解にかなりの欠落があると思いますよ。あなたが引用なされた膨大なWEBサイトはどれも信頼に足る1次資料にも2次資料にも当たっていない。最大のwikiたる「ウィキペディアそれ自身が現在のところこうした信頼性のガイドラインに適合していない」ことを踏まえれば、こういった場所からの引用の自粛は自明と普通は考えてしまうものですが。規約もそこまでWikipediaと変わりないのでは? まずココ読みませんか。
あとセイキョー新聞wの下りですが、権威的ではあろうが笑、権威性については知りません、読んだことないから笑。こういう事件があったのは事実なんでしょうかねえ。だったら書きようもあるのかも。でもこの記述だと、また誰かの言ってた法的問題を蒸し返しちゃう?私には「謎の渦中に創価学会がいるかもね」って読めたんで笑。それこそ、引用されていた松岡の文章(「合理的理由がない」)から「それを自殺に対する疑いの表現と見ることは可能」と読み込んだRyota7906さんのように。少なくとも、もうちょい慎重に書いた方が無難でしょ。同じ理由で彼らにやられかねない笑
--ほーじー 2009年9月19日 (土) 06:44 (UTC)
まずWikipedia:論争の解決#ステップ1: 回避にこうあります。
- "論争を解決するための最も良い方法は、まずはそれを回避することです。あなたの編集に反対する編集をすぐにいじらず、最初はまず1日待って下さい。編集合戦の定義は24時間に2回以上のrevertを暗黙に禁止しています。"
- "あなたが偏っていると考える編集や不正確だと考える編集を単純に元に戻す (revert) 衝動を抑え、代わりにその編集をさらに発展的に改善して下さい。そうすれば差し戻すより内容をより豊かにできます。"
Wikipedia:議論が白熱しても冷静に#記事が偏っていると思ったらには
- "偏っていると感じる記事を書き直すときによくやってしまう間違いの一つは、具体的な根拠なしに「誰々がこうだと言っている」「この記述は偏っている」といった理由とともに書き直してしまうことです。こういった方法はウィキペディアがそれらに暗黙の同意を示していると思わせる、不誠実な手段です。元々の著者はそれに反発し、あなたが書き直した記述をまた書き直してしまうでしょう。これでは編集合戦になってしまいます。こういうときには、次のような手段をとりましょう。
1. ノートで、その記事の偏っていると思う点を具体的に、根拠を添えて指摘し、代案を示す。 2. 最低でも数日待ってみて、返事がない場合は代案で置き換える。 3. 返事が来た場合には、あなたの提案した内容について同意を取り付けるよう議論してみる。 4. 議論がうまく進まないときは、論争の解決にあるようにやってみる。
こうして対話に基づく編集を行えば、編集合戦というのは起こりにくいものです。"
Necessaryさんもほーじーさんもぜんぜん守ってませんよね。
それからほーじーさんの
- "「アイドルAって歌手Bとつき合ってるらしいよ」「あ、それ聞いたことある!」という有名だが根も葉もないような話も、同じロジックでWikiに記載可能なのでは。" 記載可能でしょ、それがそのアイドルや歌手にとって重要な情報なのなら。Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションにも、"例えば "bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように 相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、"とありますよ。あるいはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源には"ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。例えば、「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」としてください。"とか。流言だというならそれはその程度の情報源しかないことを示しておけばいいだけのことです。
- "どうしても「根拠に乏しいんだ」と思って微妙に感じるんです。" それでいいんですよ。乏しい根拠しかないけどそういう説がある、と記すことは、人物や事件の性格によっては見逃せない重要性がありますから。あとマリリン・モンローのページも読みましたが特別問題があるとも思えませんね。議論にもなってないようですし。
- "まさか「エイガジンwiki」さんに「真相は謎」と唐突に宣言される読者の身になっていただけませんか。そりゃ鳥肌も立ちます。" あなたが自分の無知に居直るのは勝手ですがね。伊丹の死にまつわる話も一切知らずにここに来て議論に加わろうというのは素晴らしい勇気ですよ。
- Wikipedia:信頼できる情報源#掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿にはWikiは使用してはならないと確かに書いてありますが、英語版の該当項目には場合によっては使ってもよいようなことが書いてありますよ。w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are wikis reliable sources? 翻訳が間に合ってないんでしょうか。
- それから大新聞の印刷所で印刷している公称550万部の日刊紙をつかまえて"セイキョー新聞w"はないでしょうに。まあいいけど。
- "でもこの記述だと、また誰かの言ってた法的問題を蒸し返しちゃう?"聖教新聞のほぼ引き写しなのに法的問題になるわけがないでしょ。出典のほうが問題になってないのに何の心配があるの?
- "私には「謎の渦中に創価学会がいるかもね」って読めたんで笑。"あなたはそう読んだかもしれないけど例えば聖教新聞の愛読者なら「そうかやっぱり学会は無関係だ」と胸を張るかもしれないじゃないですか。まあいろんな受け取り方はあってもいいとは思うけどね、あなた独自の受け取り方を記事削除の理由にすべきじゃないでしょう。
- "それこそ、引用されていた松岡の文章(「合理的理由がない」)から「それを自殺に対する疑いの表現と見ることは可能」と読み込んだ" 確かに松岡氏の書いた疑いは自殺の動機に関するものだからそれだけにとどめてもいいですよ。さほどの論理的飛躍とも思わないけど。
- "少なくとも、もうちょい慎重に書いた方が無難でしょ。" 何をどう慎重に書くの?たとえばこんなふうに?「自身がインターネット上に開設した掲示板サイト」「において、あたかも学会が、映画監督の故・伊丹十三氏の死去に関与したかの如き印象を与える事実無根の」「悪辣なデマを書き込み、学会を誹謗中傷した日顕宗の檀徒」「を相手取り、創価学会が起こした名誉毀損訴訟で、東京地方裁判所」「は3日、学会側の主張を認め、」「損害賠償金」「の支払いを命じる判決を言い渡した。」元の記事に1文字も足しませんでしたけど。
- それから編集内容の要約欄に"ノートで議論中の話題のため一旦削除"と書いてますが、削除じゃなくて
この記事の内容の信頼性について検証が求められています。 |
のテンプレでも貼るところでしょうが。
- それとほーじーさんはこれで3回目の編集のようですが、太字とかほーじーさんの投稿記録とか、3回目でよくこんなテクニックが思いつきましたね。私はWiki文法に慣れるのに相当に時間がかかったものですけど。ウィキペディアにはソックパペットとかミートパペットとかいう用語がありますが大丈夫ですか。なにごともなければいいんですけど。
GORUMさんのほうですが、
- "Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の記述について「考古学的な」「歴史的文書」などがどの文言に係っているかについて、注意深く理解すべきです" 本当に分かってらっしゃいますか。「考古学的な」はすぐあとの「人工遺物」にかかるんです。これを普通の日本語で一言で言えば「遺跡」とか「発掘物」のことでしょ。「歴史的文書」というのはすぐまえの「日記・国勢調査・公聴会の議事録や裁判の記録・インタビューのような」を受けるんです。要するに普通の日記も歴史的資料だといってるわけです。学問の名前が出たからといって大仰に構える必要など全然ない文章ですよ。
- で、多くの人によって「伊丹氏の死に疑問が投げかけられた」という事実の存否の問題でしたら、次の箇所 "(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。アップルパイや最近の出来事などが、この例として挙げられます。"(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)を適用するだけのことです。
- "「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです」「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次情報源は、使ってはいけません」と明記され、「証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます」と記されています。" そこじゃない箇所を適用してるんです。事実の存否の問題ですから。
- "Necessaryさんは本文を削除したうえでノートへ誘導しているため、ウィキペディアのルールに則った妥当な措置といえましょう。"Necessaryさんは、名誉毀損に該当しないにもかかわらず「名誉毀損に該当する危険性がある」として削除したわけです。そもそももし法的問題があると思ったのならノートで先に議論するか管理者の方へ通告なさるのが筋かと。もうひとつノートでは「ウィキペディアの信憑性を確保する為に、記事に加える情報は検証が可能でなければなりません。まだ人類の知識となっていない独自研究は載せないでください」も引いてますが、そこに該当すると思うのなら即時削除の要件は満たしません。一番上に引用した手続きを踏むべきです。
それから履歴を見てみたら、本文の伊丹の「突然の死」のところで有無をいわさず削除してしまう人は、ほかに投稿記録がないか創価学会関係の編集しかしてない人ばっかりなんですけど、一部団体の意思表示のためにより広範な関心事が抹殺されてしまうというのはフリー百科事典の趣旨にはそぐわないんじゃないでしょうか。--Ryota7906 2009年9月20日 (日) 02:15 (UTC)
Ryota7906様。
先日の私の発言により、御気分を害されたとすれば、真摯に謝罪を申し述べさせて頂きます。誠に申し訳ありません。また、太字ボタン(簡単!)とリンクボタンとプレビューボタンを押しただけの私のwiki投稿を、高いリテラシー能力と評価頂いたことは光栄です。よほど苦労されたんでしょう(今時、Yahoo!メールにすら存在するようなボタンですが…)。ただ初心者なもので、テンプレートなど思いも依らなかったということですよ。24時間ルールも同様。これはフェアプレーではなかったですね。(テンプレやってみました!テンプレートの文章と整合性をとるため、これもまた一旦注を加えるなどしてみました。もちろんプレビューボタン大活躍です。ソックパペットとか…T_T)
その上で、私はとても混乱しております。
①私が酷評してしまったことで、お怒りを買った「エイガジンwiki」。 当初、これは「「信頼できる」資料」として提示なされた一方、上記では「許容可能」、または「その程度の情報源しかないことを示しておけばいい」といった言葉で論を擁護なされた。Ryota7906さんのお話は「信頼できる情報源」(リンクボタンって簡単!)を基盤として展開されているのだ、と理解していたわけです。むろんウェブ等からの「最良の情報源は許容可能」な「大衆文化やフィクション」(←これ、そんなに難しい作業ですか?)も踏まえて。しかもWikiを引く例外として上げられる「notable project」(確かにこれは本当に例外中の例外だなという感じで納得)のようなルールそのものでもない3次情報なわけで。ですから私は緩いアイドルの例えを持ち出した。それは信頼に足らないでしょう、と。あなたは信頼性の話から、この記述が記載可能であるか否かに議論がずれた、または気付かぬうちにずらされてしまったと感じたんですよ。おそらくそれが、私があなたの発言を誤読した最大の理由でしょう。
確認させて下さい。この情報の信頼性はどのレベルで高いのか、乏しいのか。議論の基盤に関わるかなと。(セイキョーwの信頼性については、私にはわからんですw)
②陰謀論者(?)にとって「重要な情報」(意地悪)。
言葉がヒドくて申し訳ありません。
信頼性に乏しい「流言」程度だとしても、「重要」ならば書く。どうもあまり警察はお好きでないようですが、一応公式見解は出ているのだから、文を「事件の真相は謎とされている」との終わるのは、そう伝えなければいけない何かしらの重要性があるのですか…?。私はこう言われました。「あなた独自の受け取り方を記事削除の理由にすべきじゃないでしょう」。そのとおり。謝らなければならない。では、こう言ってみる。「あなた独自の受け取り方を記事記載の理由にすべきじゃないでしょう」。もちろんこれは私からの意地悪。こういうのは、論拠としては微妙。答えが出ない。「所詮は流言程度でしょ」VS「流言でも重要なものがある」では、もう決着しない…。
まあ、それはさておき、そもそも公式の警察発表がある問題なんだと。こんな状況の時、映画監督・伊丹さん→「大衆文化やフィクション」という安易な類推による記載条件の選択は妥当とお考えですか?これまでに散見できる「警察、一部団体に関わる重大な問題なのだ」という主張を陰に陽になされるほどに、ジェームス・ディーンの逸話などをウェブで拾うのとは、かなり勝手が違ってくると思うのですが。むろん警察発表が、全て正しいとは私も思っていないですよ。しかし、それを否定してまでWikipediaという百科事典に記載する話なのかと思うわけです。というのも、氏の死は現時点で公式にはどうしても「自殺」としか言いようがないでしょう、そう発表されている以上は。そういうのを突き崩すのはジャーナリズム等であって、Wikipediaが触れる意義は感じないですけれど、重要です?慎重を期さねばというのは、そういうことを言ったつもりでした。そこに、事実かどうかわからないことが、純然な事実=死にくっついて余計混乱するわけです。人によっては、「謎説の存在」と言っただけでミスリードだってするでしょうし。少なからず「死そのもの」と「謎説」を別の項きっちり分けて記載するとかの区別があってもいいんじゃないですかね、せめて。また、「謎説」が記載に足るのかノートで話するのもいいでしょうし。(まあ曰くウェブに散乱している流言なら、「抹殺」なんて絶対ありえそうもないし安心ですよw)
あ、あと無知でも書き込めます。私が書き込んだ理由は、Ryota7906さんのロジックの微妙な変遷でしたので。その証拠に、私のアイドル話からのアナロジーをすぐにご理解なさったわけですから。--ほーじー 2009年9月20日 (日) 19:32 (UTC)
ほーじー様。
まずは記事を現在の形にお戻しいただいたことに感謝するとともに、ほーじーさんの氏素性と言うか、利用者背景に疑いを掛けたことをお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした。確かに今の今まで太字ボタンもリンクボタンを知らなかった私の低い情報リテラシーと比べて判断したのはあまりに早計でした。
- "確認させて下さい。この情報の信頼性はどのレベルで高いのか、乏しいのか。" - 無知と言いつつあなたにもご想像がついているとおりこの情報の信頼性は高くないですよ。しかし伊丹を語る上では非常に重要な情報です。それはたとえばGoogle検索で「伊丹十三」とするだけで他のキーワードとして「伊丹十三 真相」「伊丹十三 他殺」「伊丹十三 死因」「伊丹十三 暗殺」「伊丹十三 殺された」などが表示され、それぞれが数千件、数万件ヒットすることからも分かります。しかし出典の信頼度云々を理由に、書いたとたんに即行削除する連中がいて編集履歴を見ると学会関係の編集ばかりしてると。それならハードルを下げてでも書けそうな内容に絞って書こうと思ったわけです。本来ならこんな風に書きたかったですがね。
- 「伊丹の突然の死は日本中に衝撃を与え、動機について、また本当に自殺であるかについて諸説が飛び交った。その主なものは
- 過去暴力団に襲撃されたことから暴力団関係者による謀殺説
- 死の直前に医療廃棄物問題に関するドキュメンタリー制作に携わったことから、利害関係者による謀殺説
- 次回作のテーマとして取材を続けていたとされる創価学会の関係者による謀殺説
- 長年患っていたとされるうつ病による衝動的自殺説
- であるが、いずれも証拠に乏しく憶測の域を出ていない。またインターネット上ではさかんに議論されているが、主だったジャーナリズムはごく一部の些少な例外を除き言及を避けている。
- いっぽう警視庁は、検視の結果、伊丹の胃内容物から高濃度のアルコールが検出されたものの、事件性はないとして自殺と断定。遺族も沈黙を保ったままである。2009年2月には東京地裁で、創価学会が伊丹の死に関与したかのような印象を与えるインターネット掲示板の書き込みが名誉毀損と認められ、損害賠償が命じられた。」
まあ最後の文はついでみたいなもんですがね。
- "「あなた独自の受け取り方を記事記載の理由にすべきじゃないでしょう」" - 上にも書いた検索結果の多さが客観性に対する一応の根拠ですが。
- "人によっては、「謎説の存在」と言っただけでミスリードだってするでしょうし。" - いちいちその部分に配慮するというのはリテラシーのない人に対する甘やかしみたいなものです。なるべく客観的な執筆姿勢を心がける以上の配慮は要らないと思います。
- "少なからず「死そのもの」と「謎説」を別の項きっちり分けて記載するとかの区別があってもいいんじゃないですかね、せめて。" - それには賛成ですね。私もそのほうがいいと思いますよ。
- "(例えば創価学会のページに書く、とか?)。ただ、私は「謎の真相に創価が絡んでいる」って読みうる「文脈」で、なぜか伊丹さんとこに書いちゃうのか、と思っただけです。" - なぜここに書くかといえばそれは伊丹氏の死だからですが、上に書いた本来書きたかった記述案を見てもわかるように創価だけに注目していたわけではなかったんです。それで途中まで具体的な名称を出すのは避けていたんですが、削除編集をする人のほとんどが学会関係の編集しかしてないから、なら逆手に取ってやろうと思ったまでです。あと学会にまつわる黒い噂は私も少しは知ってますが、自分の関心事の中では上位には来ないんで。私の投稿記録を見てもそれはお分かりでしょうけど。まあ誰もやらないんならもしかしたら執筆を試みることもあるかもしれませんがね。
- "そもそも「信頼できる流言でない根拠を示して、それだけの記載に終わればいいじゃない」と。" - それがあったらとっくにやっている。ないから執筆範囲・内容の極小化という手を使ってみたわけです。
- "だって、それまで「層化」も「セイキョー」もノートの議論に全然出てないから、何のためにこれが出てきたのか分からんかったんですよ。" - 上に書いたとおりほかの可能性にも着目していたからです。もう一つ言うと「特殊事情については詳細な言及は避けたいと思いますが」と書いておいてそこを突いてきたら創価の名前を出そうかと思っていたら、さっそくほーじーさんが言及したから名前を出したというのもあります。
- "「聖教新聞の愛読者なら「そうかやっぱり学会は無関係だ」と胸を張るかもしれない」→「Ryota7906さんと私のように、世界の大多数たるセイキョーw新聞の「非読者」はこうは読まないでしょうけど」。そういう文脈で読むべきですか?" - 違う違う。もちろん一部にはそれを意図しましたが、全員が全員そう読まなくてかまわない。「少なくともこれで公的には学会は無関係だな」とか「結局陰謀説は陰謀説に過ぎないな」とかそういう感想を持ってもらってもいいしそのほうがむしろ好ましいと思いますよ。--Ryota7906 2009年9月21日 (月) 17:41 (UTC)
ほーじーさんの書き込みの出典先サイトは、Wikipediaで禁じられている独自研究ないし信頼できる情報源の「掲示板やニュースグループ、Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次情報源としても二次情報源としても使用されてはなりません」に該当し、百科事典としての整合性を著しく低下させるため不適切です。加えて、当ノートの記述と相まって特定の団体に対する名誉棄損を構成する可能性が極めて高く削除が相当です。何度も繰り返しますが、違法性が生じる可能性があるのですから、ほーじーさんは信頼できる情報源を探しだし、それに基づいて記述してください。またノートでの議論の渦中なのですから、合意が形成されてから記述をすべきです。重ねてほーじーさんにお願いいたします。--GORUM 2009年9月22日 (火) 14:35 (UTC)
GORUMさん
「Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次情報源としても二次情報源としても使用されてはなりません」と、私が指摘しておいて記載というのは、明らかな矛盾でありましたね。また特定団体への記載も慎重に行うべきでした(おー怖い怖い!!!!w)。とりあえず、なにかあるとヤなので一旦エスケープ削除!まあ、たしかに拙速で大変に申し訳なかったなと。まずは矛を収めてみましょうかねwただ、せっかくなんで私もRyota7906さんとともに信頼できる資料探しに邁進してみようかと思う次第ですね。…ないんでしょうけれどねw
重ねてRyota7906さん。私への誤解が解けたようで嬉しく思っていますw。また、記述の動機や流れなどがよく分かりました。その上で確認させて下さいな。
そもそもの話になりますが、検索結果の多さによって存在の客観性が担保されているという「憶測」。これを記載するか否かの問題についてです。まず「検索結果の多さ」は客観性の根拠として認められるのか。このままですと随時可変的なWeb情報の一つにすぎませんので。こういう存在可否の断定は、雲を掴むようで難しいっすね。またどれもが「憶測」の域を出ない以上、特定人物や団体を貶める目的で作られた虚構であるという可能性もまた否定できない。ですんで、この類いの陰謀論的憶測の記述はその意味でも困難が伴うなあと感じる次第です。相手が特定w団体であれ、少なくともフェアではありたいわけですよw。ちなみに、私は彼らに加担もしないが必要以上にdisるつもりもないですw。なんか、怖いしジャーナリストでもないしww
また、複数の憶測が「伊丹を語る上で重要」であるとして、その一点のみで記述可能になるのか。というのも、これらは社会的問題を扱うことが多かった伊丹氏の「逸話」「箔」になりうるでしょうが、そのことで法的問題(!)も起こってきているという。そのようなリスクをはらむ事柄について(私も記事・ノートにおいて法的リスクを失念wしており、GORUMさんにご叱責wを受け「たしかにそうなりうる泣」と謝罪・訂正wした訳ですが!)、論拠の信頼性のレベルを下げて書けるのかというと、少々疑問です。「必要最小限の範囲で書いた」としても、やはり当初の記述はそれこそ様々な特定人物や団体を包含する「憶測」でしょう。そして「憶測」の存在自体が法的リスク(セイキョーwによればウェブ上の匿名であっても?この場合、Wikipediaと我々ですかねw)を抱える問題に発展しまう現状があると。であれば、大は小を含んでしまいますので、リスクは少なからず残り続けるということにならないか。残らないのであれば、Ryota7906さんの話に乗っかるのも悪くない。ただ、別に罠を仕掛けて二人でハマったという訳ではないですが、そういう文脈で読むべきですか?" - 違う違う。もちろん一部にはそれを意図しましたが、全員が全員そう読まなくてかまわない。←この場合、私と同様とてもリスキーになってしまうのかなとw その文脈が残ることが、マズいんでしょうかねー。まあ、よく考えたらマズそうですよねえw
(なお、これは真面目な個人的見解。いつも扱いについて難しさを感じるのですが。ある憶測Aがある人物Bの名誉を害するという場合を考えます。BがAについて不快として、その主張が公的に認められた時、その後Aが存在したことをなお語るならば、Bの利益の観点から極めて慎重な、慎重すぎる姿勢をとるべきであると考えます←これを忘れてカミナリ落ちたのが私w。当該記述の場合はピンポイントでなくとも、それを含んでしまった事例ですねー。たしかに、ここでもやはりフェアプレーが発揮されるべきあって、フェアに生きたい非特定団体の私は悩むわけですw)
また、編集削除についてお怒りになられた件ですが、(私めのルール無視を別として)それほど問題ないものとも感じています。基本的に私は議論の流れをみるので、来歴(まあ見たらびっくりもありえますが)をみませんが、出典の有無と信頼性について問いを投げかけて当該記述を削除することは、理由としては筋が通っており(基本的には全ての記載において出典を要することが望ましいわけですから)、精度を高める上でも、それほど不自然ではないと感じていたのです。で、議論を追う中で、この問題が社会的・法的影響が強いw事柄だとなっていきまして。ならば、クリアすべき信頼性の基準は「大衆文化やフィクション」の類いとは言えず、やはり高いものに引き上げられやしないかと思っているんですね。そうなるとGORUMさんの指摘はいよいよ憎たらしいとこつくなw、となるんですね。Wikipediaのルールについて、総じて私は「読者優位」だと捉えています。というのも、記事の正当性・妥当性の責任は記事作成者に帰するのであり、その内容に関して、記事作成者はノートなどで粘り強い交渉が求められるからです。私たちがしているこの崇高な行為ですねw。私はGORUMさんに早速矛を収めるなど粘り強さに欠けますがww
最後に、お見過ごしになられたのかもしれませんので再度確認。「むろん警察発表が、全て正しいとは私も思っていないですよ。しかし、それを否定してまでWikipediaという百科事典に記載する話なのかと思うわけです。というのも、氏の死は現時点で公式にはどうしても「自殺」としか言いようがないでしょう、そう発表されている以上は。そういうのを突き崩すのはジャーナリズム等であって、Wikipediaが触れる意義は感じないですけれど」。これについてはどうお考えですか?Wikipediaをどう捉えるかというのは個人差があると思いますが、Ryota7906さんと私は多分かなり異なっているかも。少なくとも特定団体への捉え方よりはw。Wikipediaは「○○を語る上で重要」な事柄は、記載しうるだけであって、記載する必要性はそこまで高くない事項では。百科事典が事実かどうかも分からない「酒の肴」を与える必要もないという意味で。加えて、社会的問題を扱うことが多かった伊丹氏が、様々な問題の核心に切り込んでいたことを提示・示唆する目的で「憶測」を列挙するというのなら、あえて記載する意味もないのでは(場合によってはリスクもあるようだしw)。それは、氏の作品群が、すでに示していることでしょうからね。--ほーじー 2009年9月23日 (水) 03:32 (UTC)
- "Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次情報源としても二次情報源としても使用されてはなりません" - それに対する私の論拠はこっち。本家本元のほうが場合によっては使用しても構わないと言ってるので。w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are wikis reliable sources? ブログについてはその少し上 w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are weblogs reliable sources? に例外的な使用条件が書いてあります。相当厳しいけど。
- "まず「検索結果の多さ」は客観性の根拠として認められるのか。このままですと随時可変的なWeb情報の一つにすぎませんので。" - うーん Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション を援用するしかないですね、いまのところ。一応伊丹氏の死から12年たってまだこれだけの量の検索ができるので「随時可変的な」のほうはもうしばらくは大丈夫だと思うけど。
- "相手が特定w団体であれ、少なくともフェアではありたいわけですよw。" - それはもちろんのことです。ルールの範囲内で執筆したいとは思ってますよ。しかし削除したがる側だってフェアかどうかはなんとも言えない。10日ほど前まで合意形成の努力を何にもしないでおいて、歩み寄る姿勢も一切見せないでおいて、今度は「合意形成がまだだから削除」ですしね。法匪という言葉がちらついてしょうがないね。
- "なんか、怖いし" - まあそれは仕方ないけど、自分なんかはこういう圧制的な行為を見ると余計に反発を感じますけどね。
- "法的問題(!)も起こってきているという" - こないだの本文そのままの記述なら何の問題もないと思うけど。ノートと絡めて突いてきたのには正直「やられた」と思ったというか、うかつだったですが。まあノートの記述案のほうも「いずれも証拠に乏しく憶測の域を出ていない」とは書いてますが。
- "そういう文脈で読むべきですか?" - 違う違う。もちろん一部にはそれを意図しましたが、全員が全員そう読まなくてかまわない。" - ここが最悪だった。まあさすがに「意図した」ってのはないですね。「一部にそういう反応が出る可能性も見越した」ぐらいか。しかしそれでも「未必の故意」だのなんだの言ってくるかもね。まあ可能な限り客観的・中立的な書き方にしておけば、それをどう読むかは読者の裁量、でよくないですかね。というかそう書くべきでした。
- "むろん警察発表が、全て正しいとは私も思っていないですよ。しかし、それを否定してまでWikipediaという百科事典に記載する話なのかと思うわけです。というのも、氏の死は現時点で公式にはどうしても「自殺」としか言いようがないでしょう、そう発表されている以上は。そういうのを突き崩すのはジャーナリズム等であって、Wikipediaが触れる意義は感じないですけれど" - 自分に言わせれば、ジャーナリズムは何も書かない、調べようともしない、いっぽうでインターネット上は盛り上がっている、この対比自体が記述対象になってもいいくらいなもので、疑惑説そのものの検証ができなくてもせめて疑惑説の存在ぐらいは触れてもいいところだろうと思ったんですが。それにしても何にも書こうとしない日本のジャーナリズムのていたらくには呆れますが、そのマスコミ・出版界の沈黙も含めて書く価値のありそうな情報ではないですか。伊丹氏関連に限らず、ネット上で見つかる例の団体やその他の陰謀説には馬鹿馬鹿しいものもあってそういうのが相手にされないのなら分かるし私もそのレベルなら興味を持ちませんが、有名どころでさえ(ぼんやりとした程度のものですが)疑念を漏らしている伊丹氏の死はやはり重要度が違うんじゃないかと思いますよ。まあこういうのはウィキペディアの想定外の事態なのか、上にも挙げた "bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように 相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、" のところぐらいしか関連しそうな項目がないですが。
- "社会的問題を扱うことが多かった伊丹氏が、様々な問題の核心に切り込んでいたことを提示・示唆する目的で「憶測」を列挙するというのなら、あえて記載する意味もないのでは(場合によってはリスクもあるようだしw)。それは、氏の作品群が、すでに示していることでしょうからね。" - いや伊丹氏の謎めいた死に方はやはりそれらとはまた別個に取り上げられるべきでしょう。この文が、あえて書かなくても伊丹氏の業績から読み取れるはずだという意味を含むのなら、その態度は賢いとは思いますが、できればそういう逃げ方はしたくないとも思います。書けそうな部分は書いておきたいですね。--Ryota7906 2009年9月23日 (水) 18:45 (UTC)
ほーじーさんもRyota7906さんもかなり勘違いしておられるようですが、ネット上での名誉棄損の成立につき、司法の判断はそれほど甘くありません。伊丹十三氏の死因をめぐり創価学会が提訴して、ネット書き込み者が賠償を命じられたケースについては、ネット上の「噂」の存在を摘示した者に対し違法性が認定されています。すなわち、インターネット掲示板で、他のインターネット情報に基づく噂の存在を摘示した被告は、法廷で「かくかくしかじかという書き込みがある、と記述しただけだ」と逃げようとしたのですが、裁判所は、被告に求められているのは、あくまでも「書き込みの存否」に関する真実性(真実相当性)の立証ではなく、ある程度「書き込みの中身」に関して踏み込んだ真実性(真実相当性)の立証である(発信者がインターネットの利用者に対して要求される程度の情報収集をした上で当該表現行為に及んだと認められるか否か)と判示したのです。児戯よろしく言葉遊びに終始するのは結構ですが、もし私が代理人であれば、当ノートのRyota7906さんの(情報源摘示の欠落した)記述と本文の記述(履歴)をもって、ほーじーさんないしRyota7906さんに対し損害賠償を請求するための立論も考えられないことはないと思います。
ほーじーさんあるいはRyota7906さんは、「噂」「風聞」「インターネットの書き込み」の内容に関して真実性か真実相当性を補強しうる「信頼できる情報源」を明示しない限り、何を騒ごうが違法性は完全に阻却し得ないのではないかと強く憂えるものです。意味は、分かりますね?私はあなた方のように言葉遊びをしているのではなく、裁判例(殊に当該項目に密接に関連する裁判例)に基づいて論理的な解釈例を開示しているだけなのです。ネットで刑事・民事の責任を負いかねぬような冒険がしたいのなら、それにふさわしいブログやサイトは山ほどあります。Wikipediaでやるべきではありません。私の申していることが理解できないのであれば、これ以上、踏み込んだ内容を書き込むのは危険ではないかと思います。私が注意しているのは、言葉遊びに対するものではないのです。
それからほーじーさんとRyota7906さんは、感覚的な言葉遣いは避け、もっと多くの人が理解できるような明晰な議論を心がけて頂ければと存じます。--GORUM 2009年9月24日 (木) 16:16 (UTC)
追記するに、Ryota7906さんが、もし必要十分な英文解釈能力をもっているのであれば、w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are wikis reliable sources?あるいは w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are weblogs reliable sources? に記された条件によって、貴兄の摘示した情報源が充足されるものではないことが自明であることが理解できるはずかと存じます。--GORUM 2009年9月24日 (木) 16:38 (UTC)
どうやら法律の実務に精通した方であるとお見受けします。そこでいくつか質問があるのですが、
- 「かくかくしかじかの説がある。しかし証拠に乏しく憶測の域を出ない」という記述があったとして、それがその「説」中で言及されている個人・団体に対する名誉毀損になりますか。
- 2009年2月の東京地裁判決ですが、それを紹介するだけでも名誉毀損にあたるのでしょうか。
- 同判決について、被告側は控訴しましたか。控訴せず確定したのでしょうか。
- その判例をできれば入手したいのですが、どのような方法があるでしょうか。入手しやすい形で公開されていますか。
- w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are wikis reliable sources? ですが、情報源として採用することを求める circumstances の1例として その wiki が notable project である場合が挙げられています。私が挙げたものはおそらく notable project には該当しないのではないかと思いますが、それ以外の circumstances については目下のところ具体的な定義がないようです。摘示した情報源が充足されるものではないことが自明であると判断なさった根拠は何でしょうか。
- w:Wikipedia:Reliable_source_examples#Are weblogs reliable sources? ですが、私が示した浅野健一氏のページであれば "well-known professional researchers writing within their field" に該当し、松岡正剛氏であれば "well-known professional journalist"(journalistの範囲をどう設定するかによっても違ってくるかもしれませんが)に該当してもよさそうですが、やはり摘示した情報源が充足されるものではないことが自明であると判断なさった根拠についてお示しください。--Ryota7906 2009年9月24日 (木) 18:22 (UTC)
- Ryota7906さんのご質問にお答えします。
- 個別の案件については、具体的な事実関係や状況が明確でないと何とも判断つかないと思います。四角四面の言い方をすれば、名誉を低下させる事実の摘示は、阻却要件を満たさない限り名誉棄損に相当します。
- これも前項に準じて具体的な事実関係や状況によると思います。
- 不知。
- 裁判所に行ってしかるべき手続きを行えば閲覧できます。メモも取れます。ただし訴訟当事者の利害関係人でない限りコピーは難しいかも知れません。
- ご指摘の項目の趣旨は、Wiki等が excellent places to locate primary and secondary sourcesではありえても reliable sources とはみなせないということです。後段はリンクの張り方が示されているだけで、circumstances は「リンクが必要な状況」といった程度の意味です。reliable sources たりうる circumstances という意味は全くありません。
- Ryota7906さんが摘示した浅野氏の記述は、そもそも自殺の一因とされた「フラッシュ」槌谷昭編集長代理のコメントであり(つまり、この記事で自殺したことを否定したい立場)、しかも「この記事で自殺するということは考えられないと思う」の次下に「しかし、発売日の前日に亡くなったということで、つながりを言われるのはやむを得ないだろう」とあることから、あくまでも記事と自殺の関係を否定するだけで、自殺そのものを否定しているわけではありません。従って、"well-known professional researchers writing within their field"たりうるかどうかを判ずるまでもなく、論拠たりえません。同様に松岡氏の記述も自殺であるか否かについては何も主張しておらず、従って「真相は謎」と主張しうる根拠たりえません。--GORUM 2009年9月25日 (金) 08:06 (UTC)
再びGORUMさんに、きつめのお灸を据えられてしまったわけですw
違法性は完全に阻却し得ないとのお話で大事な部分は、要するに「完全に」という点であるとお見受けしました。私とRyota7906さんがどのような合意に基づきこの事柄を記載しようと、完全に阻却しない限りは名誉毀損として構成されうるのだと。さらに「書き込みの中身」に関して踏み込んだ真実性(真実相当性)の立証」が司法から求められると。なるほど、問題は「憶測自体は存在するのです」ではなく「憶測に真実性があるのです」という主張ができるか否かなわけですね。ぐはー、司法やってくれますねー。とりあえずここは平謝りですね。
いやはや感覚的で申し訳ないですね。ロジカルに考えてはいるつもりだけど、書くとなるとねw。いつの間にはリスクの鎖に絡めとられたいたのかもしないけれどw、私はシンプルな問いに終止しているんですよ。その問題が、まだ私としては僚友wたるRyota7906さんとのやり取りを通しても解決したと思えていないんですね。今後ノートを通じてクリアされていけばいいなと。私がテンプレを貼った場合についても、まずは24時間ルールを破った詫びの筋を通したかったわけです、フェアにw。
私としては
- Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションを援用することに疑問が。というのも伊丹の死について語る、もしくは死因そのものついて語ることが「重要」だとして、それは「大衆文化やフィクション」といった代物ではないんじゃないか、と。援用するための前提条件が違うんじゃないかと。
- また、検索結果を含めWeb上の情報を集めることでは「憶測」の存否および重要性・話題性についての根拠たり得ないのでは、と。本日、私の大好きな爆笑問題の検索ちゃんが終了しましたが、番組中の演出で「トークに出てきた言葉を検索エンジンにかけて件数を表示する」というのがあります。試しにgoogle先生で「伊丹十三」と入れると「約 221,000 件」。一方、「爆笑問題の検索ちゃん」と入れると「約 615,000 件」。一つの深夜番組に対し、かつての偉大な映画監督が劣っているのは悔しいですが、存在可否ならまだともかく、重要性・話題性について検索結果やサイトの多さを根拠にしていくことはやはり難しいのではないか。
- 真実性の乏しい「憶測」の記述は、百科事典を標榜するメディアには重要性いかんに関わらず、そもそも相応しくないのでは、と。
- 法的リスクが生じる可能性を完全排除していない場合、真実性を補強する出典なしで記述に臨むのはあまりに危険すぎやしないか。
- 法的リスクを背負った場合も、争点が「憶測の存否」ではなく「憶測の真実性」となりそうで、その真実性は浅野・松岡の両巨頭をもってしても補強できそうもない、と。
これらを協力しながらクリアしていきましょう、リスクをかいくぐりながらw--ほーじー 2009年9月25日 (金) 18:50 (UTC)
GORUMさんご回答どうもありがとうございます。まだ考えるところがいくつかあるのですが、重ねて質問させていただいてよろしいでしょうか。
- 前回の1.に関連して、その説を否定しようとする明確な文脈があるとみなせる場合、そのことが阻却条件になりますか。
- たんに「他殺説がある」とし、その犯人たるべき個人・団体にまったく言及しない場合、名誉毀損が成立すると考えられますか。また成立する場合はどのような論拠が考えられますか。
- 前回の4.に関連して、GORUMさんご自身は2009年2月の東京地裁判決例を閲覧または入手されたのでしょうか。
- 前回の5.に関連して、"Many of them license content under the GFDL, which might be worth importing into Wikipedia, but once imported, the material is subject to Wikipedia:Attribution and Wikipedia:Neutral point of view."という文があり、これは license に関する文章ではありますが、この文は、wiki 中の content もしくは material が Wikipedia に import されることを前提にしていると考えられます。そのための circumstances とはここに書かれている notable project である場合のほかに、""bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、"(Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクション)や、"ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。""もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。"(Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源)などが該当するのではないか、そうだとすれば、reliable sources でなくとも条件次第で情報源とすることができ、その情報源が wiki であることも可能なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
- 前回の6.に関連して、浅野氏、松岡氏の文章に即して記述案を「伊丹の自殺については、週刊誌報道を受けてのこととは考えにくい(これは編集長代理の槌谷昭氏のほかに大島渚氏もテレビで同様の発言をしている趣旨の記述があります)、生前のトラブルが原因とは思えない等の声が上がった」とした場合はどうでしょうか。両氏のページが記述案のための出典とはなりませんか。
ほーじーさんのほうなんですが
- は信頼できる情報源が見つからない、見つけにくい場合のケースに準用できるかと思ったのですが。ジェームス・ディーンなら書籍等も多数出版されていることだろうし、また噂レベルにとどまっているという点でも伊丹との類似性を感じたのですが。
- ですが、検索件数がすべてとは言いませんが、やはり簡便かつ重要な1つの指標にはなると言えると思います。検索数が多ければほとんどの場合特筆性は充分だろうと。ただ逆に検索数が少ないからと言って特筆性がないとは言えないと思いますが、その場合は他の基準(歴史的・文化的・学術的価値など)により特筆性を主張すればよいかと思います。「爆笑問題の検索ちゃん」については、10年後20年後はともかく、現在のところその特筆性は間違いなくあるでしょう。検索結果の比率どおり「伊丹十三」の3倍近く特筆性があるとはさすがに言いませんが。
- は、広く流布した憶測であればそれだけでも特筆性はあると思うのですが。都市伝説のようなものでもその人物を物語るエピソードはありますし。あるいはここでも"bisexual" "James Dean"の例を引いてもいいかもしれません。
- と 5. は、まあそうかも知れませんねえ。どうしたもんですかねえ。--Ryota7906 2009年9月27日 (日) 17:29 (UTC)
ちょっと時間がないので、非常にざくっとした返答でご容赦ください。
- そもそも他殺説を否定する文章であれば名誉棄損に成り得ません。しかし、他殺説を摘示したうえで、他殺説を否定する文章を並列してバランスをとろうとしたとしても、ただちに違法性を阻却することにはならないでしょう。そうする場合でも、他殺説につき信頼できる情報源の摘示が絶対的に必要です。いずれにしても個別の案件に関する判断は、具体的な事実関係や背景に依存するので、これ以上は答えようがありません。
- 私が述べたのは、少なくとも当ノートの記述と相まって名誉棄損を構成する可能性があるという点です。たとえ項目の記述で書かなかったとしても、Ryota7906さんが既に当ノートで犯人と擬する個人・団体を特定して記してしまっているわけですから(しかも信頼できる情報源や論拠を示すことなしに)、名誉棄損を構成する可能性が充分に考えられると思料します。いわんや、訴訟の結果を併記したとしても、一般人の通常の読み方に基づいて、特定の団体に猜疑の目を向ける印象を抱かせる形での記述は、真実性ないし真実相当性の担保がない限り、名誉棄損性の阻却は困難ではないかと考えます。
- 入手し閲覧しました。
- 名誉棄損等の法的問題が生じない範囲では、信頼できる情報源の提示のない記述も許容可能である場合が存すると思いますが、今回の問題点では全く論外の仮定でしょう。すなわち今回の記述は(ノートの記載と相まって)、少なくとも1件の民事訴訟において、明らかに当事者の社会的評価を低下させる事実の記載であると判断され、しかも「発信者がインターネットの利用者に対して要求される程度の情報収集をした上で当該表現行為に及んだと認められる場合」でない限り不法行為の責任を負うと判示されたケースと極めて類似している以上、慎重のうえにも慎重を期すべきであると考えます。この裁判例で被告は、インターネット上で流布している情報を鵜呑みにして引用しただけだと言い逃れようとしましたが、全面敗訴しました。なお、念のため申しておけば、信頼できる情報源の提示があったとしても、これは名誉棄損阻却の必要条件であって充分条件たりえません。あくまでも公益性・公共性・真実性(真実相当性)という3要件を満たすことで名誉棄損阻却が必要充分となります。憶測や都市伝説を記述しようとするならば、Wikipediaではなく、個人の責任で行うべきでしょう。
- 利害関係者の偏向した見解は論拠たりえず、これに基づき事実を記すのはWikipediaに相応しくないことは明白でしょう。もしそういう記述をしたいのであれば、ご自身のブログなりサイトなりで主張すべきです。松岡氏の文章に至っては、Ryota7906さんご記載の文案とは全く無関係の内容です。従って両氏を出典先として、当該記述を行うのは極めて困難といえると考えます。--GORUM 2009年9月28日 (月) 14:44 (UTC)
GORUMさんはその道のプロですかね?法的な問題についての子細なお話は、実に興味深いなぁ。ただ私は法的な問題については門外漢でありましたので、回避w。個人的には、もう単純にZero information is preferred to misleading or false informationというJimbo原則のとおりでいいじゃんか、ここまで危うい橋を渡るのならwと捉えていますw。
1について、信頼できる情報源が見つからない、見つけにくい場合のケースに準用ってのは、どうもしっくりいかないのです。私とRyota7906さんとは、この条件の援用についてかなり考え方に差があるようですねー。
「極めて重要な情報」と銘打っておられるわけです。そして一応、警察の公式発表もあるのでしょう。これは国が正式に出したものでしょうから情報の正当性も比較的強い。では、この事柄は「ジェームス・ディーンはバイセクシャル?」という「噂」「逸話」「ゴシップ」の類いとみなせるでしょうか、そうではないと考えられるわけですし、お考えなのでしょう。ですから、この条件を援用するためには、Ryota7906さんはWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションに準拠するべく、ある意味でこの事柄がゴシップ並みの「低レベル」のお話であると熱弁を振るうべきなのです。でも、そう主張されるのかと思えば、そうではなかったので困惑したのです。なので、「記載するために条件を後付けした」印象になってしまったのですよ。(また、載せる価値についてもちろん疑問符をつける人もいる。だから「その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください」とあるわけで、掲載価値自体についての議論はまだ開かれています)。
そして。話が複雑wですが、そもそも「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」とされるゴシップや大衆文化の分野においてすらブログ、Wikiの類いの援用は原則禁止。これにあたるからでしょうかね?。そこで、援用にはその原則を破るに足るレベルが要求されている。順等に考えると援用可能なWEBの「最良の情報源」というのは、結局この条件と同じことにはならないですかね?=「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます」。とりあえず信頼性の低い情報をWEBから引いてよいと安易に認めている所って、読み取れないなあ。こりゃ探すしかないか。--ほーじー 2009年9月30日 (水) 17:12 (UTC)
GORUM さんご回答ありがとうございます。前回の質問は少し言葉足らずな点がありお詫びするとともに改めて質問させていただきます。
- 前回の 2. ですが、私のノート記述以前にも名誉毀損の可能性を理由に削除編集がなされています(2009年9月12日 (土) 13:12 Necessaryさん、2009年3月16日 (月) 06:49 グラントさん)。こちらについても法的問題が指摘されているわけですが、こちらのほうは、「自殺に疑問が投げかけられた」、「陰謀説が取りざたされた」というだけの記述から名誉毀損を思料するためにどのような立論が可能なのでしょうか。私のノート記述以前の編集ですのでノートの記述内容以外の観点からご説明いただきたいのですが。これは GORUM さんの編集ではありませんので実のところ GORUM さんにお聞きするのは大変恐縮なのですが、立場を同じくされる方として忖度してお答えいただければ幸いです。もちろん編集されたご本人が直接お答えくださるのならなおありがたいです。
- 同じく前回の 2. ですが、私はノートにおいては宗教団体説以外にも他殺説として別に2説提示したわけなのですが、たんに「他殺説がある」と記述したときに他の2説ではなく即宗教団体説に結び付けて論じられた根拠は何でしょうか。他の2説はなぜ考慮から外れるのでしょう。
- 前回の 3. について、訴訟の当事者でない者が裁判記録を入手するのは難しいとのことですが、判例を入手された GORUM さんはこの訴訟の当事者または利害関係人なのでしょうか。あるいは身近に当事者がいらっしゃるのですか。
- 前回の 5. について、ここも舌足らずで申し訳なかったのですが、記述案を「伊丹の自殺については、(利害関係者でない大島渚氏のテレビでの発言のように)週刊誌記事で自殺するということは考えられない、(松岡正剛氏のように)スクリーン切り裂き事件や襲撃事件が原因ではないとおもう、などの声が上がった。」とした場合はどうでしょう。この記述案に対する情報源として問題があるとすればどの点でしょうか(あくまでこの記述案に対しての問題を聞いているのであって、他殺説に対する情報源としての問題点を問うているのではありません)。
ほーじー さんもどうもありがとうございます。
- たしかに「極めて重要な情報」と言いつつ、「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」分野の規定を援用すると言うのは苦しいと言えばそうですが、どの主要メディアも沈黙してますからねえ。これはウィキペディア創始者の想定外の事態じゃないかと思ってはいるのですが、だからやむをえず一応こういう比定のしかたをしてみたのですが、無理がありますかね。結局自説を主張するなら前回の 1. やWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源を繰り返すことになるのですが。メディア状況に合わせて何も書かないというのがもっとも賢明な選択肢ですかね、やっぱり。しかしよく考えてみたら、ジェームス・ディーンの熱狂的なファンがいたとして、そのファンが「ジェームス・ディーンはバイセクシャルじゃない。それを示す信頼できる情報源も存在しない」と主張して削除編集を繰り返したとしたらどうでしょう。状況はなんだかよく似てる気もするんですけど。
- その次のWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションに規定中の「個人のウェブサイト、Wikiソース、掲示板やUsenet、ブログへの投稿」については、二次情報源ではなく一次情報源としてであれば使用可能ということでしょう。三次情報源としても使用可能ならありがたいんですけど、まあそれはどうなんだかこのままでは判然としませんが…。また「その中で最良の情報源」というのは比較の表現による規定なので、ほーじーさんがおっしゃるWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源とは必ずしも一致しないかと思うんですが。それこそウェブ中で最もマシな情報源を選べばいい、ということかと。--Ryota7906 2009年10月1日 (木) 18:56 (UTC)
- かなり些末な議論になってきたので簡潔に。
- 当方は無関係なので不知。どうあれ現時点で過去に遡って仮定するのは無益でしょう。
- 少なくとも一例に関して名誉棄損による損害賠償を命じる判決が出ているので取り上げたまで。他の例については名誉棄損性を否定しているわけではなく、不知ないし判断留保という態度です。
- 判決の閲覧は誰でもできます。コピーが難しいのではないかと言ったのですけど。
- どちらの記述も、出典先のブログが信頼できる情報源といえるか否かについて議論がある以上、他の信頼できる情報源がない限りWikipediaでの記述は不適切と考えます。信頼できる情報源をお探しになるのが賢明でしょう。なお、ほーじーさん宛の記述中、「ウェブ中で最もマシな情報源を選べばいい」との言辞ですが、こと名誉棄損性が想定されるケースにおいては、少々軽率に過ぎる態度かと思料いたすところです。違法性を十分に阻却できるかどうか定かでないというリスクを負ったうえで、あえて拙速に記すべき内容でもないわけですから、じっくりと信頼できる情報源を探したうえで編集に臨まれるのがベストな選択肢かと考えます。--GORUM 2009年10月2日 (金) 07:32 (UTC)
GORUMさんに「些末」と言われ、少々凹んでおります。なかなか大切なやりとりになっていると思っていたのですが…T_T。何度も言いますが法的問題について、私は回避。逃避。とりあえず今日はお出かけで時間がないのでw、叱咤されぬよう「簡潔」に!
マスコミが触れない理由については、これはもう分かりませんw。またWikipediaの想定云々に関して、あり得るとはいえ正直分からないところです。むしろ想定していたとも考えられますし。というのも、Web情報引用に一定のハードルを設けている部分から推察できるのは、「Webによって広がった爆発的な情報拡大の量に比して、質の向上が伴っていない」という「想定」なのかなと。であればWebで流通している話があったとして、それだけを出典とし記載するのはやめておいたほうがいいでしょう、と。こういう推論も同時に成り立つかもしれませんし。 --ほーじー 2009年10月3日 (土) 01:56 (UTC)
お出かけ帰りで追記ですw。見返してみてGORUMさんの指摘は鋭利ですらありますね。リスク問題については私も十分に勘案しておかなければと思っておりますです。
あらためて盟友wでありますRyota7906さんと私の共通点を考えますと、この事柄について「記載しうるかもな」という感覚の共有でしょう。ただそこにいくつかのハードルがあるのかなと思い、まとめてみます。まあメディアを真似して書かないという判断は実に無難でありw賛同しますが、以下のような問題もまだクリアし切れてないかなと感じていまして。皆さまいかがでしょうか。
- この事柄がWeb情報などWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源を引用しうるWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションなどの条件に該当する性質なのかどうか(援用できなければ、出典なしの記述となってしまうためアウト。援用できるならば「事柄の重要性」はゴシップ程度の軽いものになるわけですから、再度、記載価値が問われる。Webでなく週刊誌やタブロイド辺りの記事を持ってきてもそれは変わらないですが)。
- 援用できたとしても、情報価値が問われうる。「噂の存否」のみを問うならば一次情報との規定も可能かも。しかし、「噂の存否」自体から法的リスクが生成される可能性が否定できない場合、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)と言い切れるか。つまり噂を「存在させること自体」にある種の党派性が認定されたともいえそうで、その中立性を保証できないならば、一次情報として用いるにも極力慎重でなければならない。そもそもそれらがWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源でないことも否定しきれない。そして、真実性について曖昧なので、二次情報として用いるのは論外という結果になる。
現状では、これらの問題をクリアできそうにないかも、という感じを持っております。あと百科事典的じゃないぜっていうのもありますけど。--ほーじー 2009年10月3日 (土) 16:50 (UTC)
ほーじーさんのご説に対し。
- 例えばJaes Deanとbisexualの関係については、副作用のない、無邪気な公共の関心事で済まされるかもしれません(Jaes Deanの相続人が違法性につき厳密な主張をしない限りに於いて)。しかし、当該問題に関しては、違法性につき厳密な解釈を求める利害関係者が存し、そのうえ既に民事訴訟の少なくとも一裁判所に於いて違法性が指摘されているわけですから、記述に関しては慎重の上にも慎重を期すべきと判断した次第です。
- 既に当該問題は、噂の存否自に関する真実性の立証だけでは法的リスクを回避できないとの判断が裁判所により示されているうえ、およそ「分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事」とは言い切れないことは自明です。
従って、貴兄が懸念する通り、当該記述は違法性を直ちには阻却できないと思料します。--GORUM 2009年10月4日 (日) 14:02 (UTC)
まず GORUM さんから。
- 前回の 1. についてですが、私のノート記述のご指摘のある部分以前に、法的問題の可能性を理由に削除編集がなされている例として挙げたうちの一つ、2009年9月12日 (土) 13:12 Necessary さんの編集について、GORUM さんご自身が、2009年9月15日 (火) 13:58 (UTC) に、「法的問題が懸念される記述につき削除状態を維持することは妥当です」とコメントされています。「当方は無関係なので不知」とはまたずいぶんと無責任な回答ではないでしょうか。もう一度お尋ねしますが、この時点で法的問題が懸念されると判断された論拠は何だったのですか。正当な論拠があったのであれば、それをそのままお示しになればよかったはずですが。蛇足ですがこれは過去のある時点で現実に存在した思考の流れを問い質しているのであって、仮定の質問などではありません。
- 前回の 3. について、「ご自身は2009年2月の東京地裁判決例を閲覧または入手されたのでしょうか」という私の問いに対し、「入手し閲覧しました」(2009年9月28日 (月) 14:44 (UTC))とお答えになっています。コピーでないとすれば原本を入手なさったのですか。ということは GORUM さんは訴訟当事者なのですか。
- 前回の 4. について、記述案を「伊丹の自殺については、週刊誌記事で自殺するということは考えられない、スクリーン切り裂き事件や襲撃事件が原因ではないとおもう、などの声が上がった。」とした場合、この記述案では、浅野氏、松岡氏の文章のとおり、自殺そのものは疑っておらず、したがってここから他殺説を導き出すことは困難と考えられますが(GORUM さんご自身が 2009年9月25日 (金) 08:06 (UTC)に、この両ページの内容は自殺そのものを否定しているのではない、とおっしゃっています)、それでも名誉毀損の可能性が生じますか。生じるとすればその論拠をお示しください。
- 前回の 4. について、浅野健一氏は「その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みである」「関連分野において著名な専門研究者」に該当し、松岡正剛氏は同じ条件を満たす「有名ジャーナリスト」に該当するため、Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源で規定する例外事項に当てはまります。次の注意事項「もしその専門研究者のブログ(両ページともブログではなくホームページですが)に掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」を優先して考えるのなら、そもそも内容が完全に拮抗する先の例外事項を設ける意味がなくなります。注意事項は注意事項として念頭に置くことは大切ですが、例外規定がある以上、そして他の情報源が差しあたって見つからない以上、この規定を利用することに何の問題があるのでしょうか。
- なお「ウェブ中で最もマシな情報源を選べばいい」の箇所は、ただウィキペディアの基本方針を素直に読んだだけのことで、規定の解釈それ自体としてはなんら問題がないことは自明でしょう。それが「少々軽率に過ぎる態度」とおっしゃるのであれば、Wikipedia:信頼できる情報源のノートへ行って議論なさってくればいかがでしょうか。
- 記述案にさらに以下のものを付け加えても構いません。「伊丹の自殺については、襲撃事件にも「私はくじけない。映画で自由を貫く」と毅然とした態度を示したにもかかわらずなぜ女性スキャンダルで死を選んだのか、という声が上がった[10]」
ほーじーさん、お出かけの合間の執筆ご苦労様です。
- ウィキペディアの想定ですが、むしろ各種規定の前提として主に想定していたのはトンデモ物理学説のようですよ。「相対性理論は間違っている」みたいなやつでしょう。
- "Webで流通している話があったとして、それだけを出典とし記載するのはやめておいたほうがいいでしょう"これについてはWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源参照。つまり記事に重要性があれば残してかまわないと。
"お出かけ帰りで追記"のほうですが
- "援用できるならば「事柄の重要性」はゴシップ程度の軽いものになるわけですから、再度、記載価値が問われる" ここですが、事柄の重要性と出典の信頼性を取り違えてますね。"ゴシップ程度の軽いもの"というのは出典の信頼性に関する問題で、事柄の内容はまた別の問題です。もしほーじーさんの意見が通るのなら、それこそ James Dean の bisexual 説の重要性は「ゴシップ程度の軽いもの」と斬って捨ててしまえばよく、仲裁事例など示す必要もなかったわけですよ。
- "噂を「存在させること自体」にある種の党派性が認定され"るというなら、同じ論理で噂を「存在させないこと自体」にもある種の党派性が認定されることになるでしょう。これは言い出すときりのない話で、「中立性の保証」は結局、可能な限り中立の装いを纏うという解決しかないわけです。その具体的方法は、対立する見解が両立する場合には双方を記すというのが一般的ですがね。それとウィキペディア自体は「真実性」ではなく「検証可能性」を求めているのですが。名誉毀損についてはそうならない書き方を追求すればいいだけのことでしょう。James Dean の bisexual よりもよっぽど百科事典的ですよ。--Ryota7906 2009年10月4日 (日) 20:32 (UTC)
- どんどん些末な話になっていますが…。
- Necessaryさんが法的懸念を示していることを指します。
- プライバシーに関わることを質問するのは非礼でありナンセンスです。本質的な問題でもありません。裁判所に行ってしかるべき手続きをすれば判決を閲覧できるという情報こそが本質です。
- そのままの文案では、自殺という死因につき疑念を表していると捉えられても致し方ないでしょう。以下の論理構成は既述の通り。
- 誤解されているようです。浅野氏は少なくとも当該記述に関する専門家ではないし、しかも引用内容は第三者の発言です。信頼できる情報源たりえません。また松岡氏の記述の焦点は当該記述内容には存せず、裏付け取材を行ったわけでもない。従って、やはり信頼できる情報源たりえません。たとえ「有名ジャーナリスト」が書いたものであっても、既述内容につき十分な裏付け取材が担保されていることが確証できないものは当然、信頼できる情報源たりえません。
- 何度も繰り返しますが、自殺説に疑念を表明する既述を行いたいのであれば、それに相応しい信頼できる情報源(自殺説への懸念を正面から論じた権威ある文献)を見付けてください。立証すべき内容は、捜査機関による専門的な内容を否定するものであり、それに相応しいだけの権威ある文献ないし調査が必要であることは自明です。もう少し本質的な部分に目を向けてご考察いただければ幸いです。--GORUM 2009年10月6日 (火) 08:22 (UTC)
Ryota7906様。私の言葉が至らなかったのかもしれません。伺い方を変えてみます。長いですからGORUMさんに怒られるでしょうw。
では。まずWeb情報の引用について、原則的には認められていないということは明らかであると思うんですね。Ryota7906さんも二次情報としての引用には無理があるとお考えであると拝します。そこで記載に当たっての条件について、再度(長く)考えてみました!!
Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源=援用条件は「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時」。当該の事柄についてもっとも信頼性の高い情報は、「死」そのものについての警察発表、ないしその報道。これはご承知の通り。
その上でWeb情報をWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源と見なし、Ryota7906さんが記載を試みる。それは、(大江健三郎ファンクラブのような)Web情報を「一次情報」として扱う場合ということになりますかね。つまり当該の事柄にまつわる「噂の存否」はWeb上の情報を下に確定でき、記述できると主張する場合。ここで「死」については公式発表以上の情報を提示できず、メディアが疑義を呈してもない。なので、これらをソースとして用いることが可能なのは、公式発表とは異なる「噂」に限定される。これもご承知の通りです。
さて、この場合はWebのみからの引用であるということを踏まえれば、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源を参照しなければならないでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源:二次情報源としての使用には、
- 個人のウェブサイトが二次情報源として使えず、一次情報源としては細心の注意をしているときだけ使えしかも主題が論争中の場合には単独では使えない理由は、こうしたものは通常、誰もその仕事を評価していない未知の個人によって作成されたものだからです。こうした人たちは無知だったり、勘違いしていたり、底意を押しつけたり、いいかげんだったり、噂や疑惑を信じていたりして、狂気じみてさえいるかもしれません」
と。「噂や疑惑を信じていたりして」という記述があるのは、「噂や疑惑などを記述するなど論外」とも読めてしまいますが、触れないでおきますw。まあ、アングロサクソン的過多というやつかもしれないw。
さて、Webからの一次情報選定には、上記の厳格さがあるわけです。一方、Ryota7906さんは記載可能な条件としてWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源を挙げられている。しかしそれと見なされたWeb情報が用いられているのは、まさに上記規定のある一次情報としてなんですね。つまり、記載できる出典かどうかは「一次情報」として提示可能であるか否かを問うことに等しくなるのでは。Web情報が一次情報として嫌がられるのは「細心の注意」の欠如、「無知」「勘違い」などが理由で、これらを本当にクリアしているとはちょっと言い難いと思うのです。そもそも信頼性の乏しい情報源であることをお認めなわけですし。
ではありますが、「知識を世界と共有しようとしている理知的で注意深い人々」がいるかもしれない、とWIkipediaが友愛の情wを示して下さっている。そこで、なお一次情報として記述するためには「同じPOVを抱いていないほかの情報源に拠る独立した検証がある場合だけ」。私は、この条件を満たしうる例というのがWikipedia:検証可能性#自主公表された情報源にある規定なのかなと思うのです。ですんで記載には、この例外規定を主張するのが近道であろうかと思います。そこでRyota7906さんもお考えになっている2大巨頭の登場ですが、これではいささかという感じです。
浅野さんの文面は「『フラッシュ』の槌谷昭編集長代理」さんが責任回避しているというお話で、浅野さんの話ではないです。さらに浅野さんの主張も「メディアの横暴が人の命を奪いうる」という趣旨であり、当該文面は「噂の存否」に触れてもいません。ですんで、存否の論拠には当たらないと。またセイゴーさんについては、悲しいかな、天敵wたるGORUMさんと同意見なのですw。
以上の点から「信頼性の高い」「他の独立した情報源」が、やはり必要になってきてしまうのでは、と。私も情報源発見に邁進していますがw、なかなか見つけられておりません。時間の許す限り探し続けようと思ってます。
追伸。事柄の重要性と出典の信頼性を取り違えてますね。"ゴシップ程度の軽いもの"というのは出典の信頼性に関する問題で、事柄の内容はまた別の問題です。=Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションのように、信頼性の低い出典で記載しうる条件にこの事柄は該当するのですか、ということです。公式見解に疑義を呈する話ですから、事柄の重要性は出典選択の条件付けに連関すると思っています。Ryota7906さんは先日、
- たしかに「極めて重要な情報」と言いつつ、「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」分野の規定を援用すると言うのは苦しい
と仰ったので、この点については今も無理を感じておられるのかな、と確認のためのお話でありました。であれば、Googleの検索数云云の議論は援用しづらいわけです。また実際、この条件を援用すれば「斬って捨てうる」程度の重要性となります。それを斬って捨てないで!と議論が進行して親交が結ばれたw。で、仲裁規定が惹起した。むしろ仲裁事例を活用し得るのは、記載可能性を主張する方ではと思っておりますが。 検証可能性と真実性のお話ですが、前提として「法的リスクの生成可能性」を言った上での発言でありましたです。その場合「検証可能性」を満たしていればよい、という従来の基準だけではリスク回避はできない、と。その前提は党派性、中立性についても利かせていたつもりでして(曖昧模糊な文面で、詳細を知らないで発言した私も軽率ですが)、現状、司法判決で正当性が付与されているということですので、付与された側に基づいておくことが中立と呼べるのではと判断した次第です。その意味で、現状では「終わりがある」と思っておりました--ほーじー 2009年10月5日 (月) 08:24 (UTC)
GORUMさんへ。
GORUM さんは2009年9月17日 (木) 14:06 (UTC)にWikipedia:信頼できる情報源を引いてこうおっしゃっています。
- 証拠を提出する義務は疑問の元となる編集を行った人にあり、情報源が提示されていない物は誰でも取り除くことができます
また2009年9月15日 (火) 17:49 (UTC)にはこうもおっしゃっておられます。
- 必要なのは情緒でなく論理です。
ところでこんな文章を見つけたのですが。
- 脚注の文献をみれば分かる通り、特段偏ったものが並んでいるというわけでもないでしょう。IP address:221.21.174.212は記事全体を削除するなどと偏向した発言をなさる前に、ご自身で参考文献を用意して、ノートで議論を行いつつ中立的な記述を行ってはいかがでしょうか。そうでなければ記述事態が、ただの鬱憤晴らしとしか受け取られないように思います。--GORUM 2009年8月17日 (月) 17:53 (UTC)
これ、たしかに GORUM さんの署名が入っていますよね。私も同じように書かせていただいてよろしいですか。
- 「GORUM さんは記事を削除するなど偏向した編集をなさる前に、ご自身で参考文献を用意して、ノートで議論を行いつつ中立的な記述を行ってはいかがでしょうか。そうでなければ記述事態(ママ)が、ただの鬱憤晴らしとしか受け取られないように思います。」
普通はこういうのをダブルスタンダード、あるいは二枚舌と言うのではないでしょうか。きわめて不誠実な編集姿勢と言わざるをえないように思います。
- 前回の 1. について、「法的問題が懸念される記述につき削除状態を維持することは妥当です」という表現で、懸念を表明しているのは GORUM さんご自身ですよね。なのに人のせいにして逃げていらっしゃるようですね。結局まともに答えられないというのは、「法的問題云々」は実はこの時点では根拠薄弱で単なるブラフ、虚仮脅しに過ぎなかったということでしょうか。それでのちの私のノート記述にひたすらしがみつくしかなくなってしまったというわけですか。だとすればこれも非常に不誠実な編集姿勢と言わざるをえません。
- 前回の 2. について、ここもプライパシーに関わると称して返答から逃げてしまっていますが、やっぱり GORUM さんは訴訟当事者だったわけですね。これは非常に本質的な問題です。訴訟当事者であれば明らかにここで問題にしている事項の利害関係者ということになります。利害関係者の偏向した見解は論拠たりえず、これに基づく編集はウィキペディアに相応しくないことは明白でしょう。中立性を欠く利害関係者に編集に参加する資格はありません。これまでの GORUM さんの編集は全て差し戻されるべきですし、今後この問題について GORUM さんは一切の編集を行うべきではありません。利害関係者であることを隠して編集を行うなどウィキペディア編集者としての信義にもとる大問題です。厳しく糾弾されるべき行為であると考えます。
ここから先は本来答える必要もないわけですが、いちおう言っておくと、
- 前回の 3. について、自殺の動機につき疑念を表していることと、自殺そのものにつき疑念を表していることとは違いますよね。そもそも GORUM さんご自身が、両氏の記述は自殺そのものを否定しているのではない、とおっしゃっています。これでは返答になっていませんよ。
- 前回の 4. について、浅野氏は自分の専門分野に関して著作と同様の学識の高さと学問的誠実さをもって執筆されています。第三者による発言の引用を含もうと浅野氏自身の責任において執筆されたことに変わりはなく、記述の信頼性は揺るぎません。松岡氏についてもすべての記述に見識の高さがうかがわれます。自殺の経緯に関する自身の違和感を述べることに裏付け取材が必要って、自分の心の中を裏付け取材するのでしょうか。当該記述の情報源としての信頼度には何の問題も感じられませんが。
- それからもう一つ。"何度も繰り返しますが、自殺説に疑念を表明する既述(ママ)を行いたいのであれば、それに相応しい信頼できる情報源(自殺説への懸念を正面から論じた権威ある文献)を見付けてください。" ということは、自殺説そのものには疑念を挟まない記述であれば、捜査機関による専門的な内容を否定するまでのこともなく、ウィキペディアの一般的な規定に沿う程度の情報源で十分だということになりますね。よく分かりました。
ほーじーさんへ。
ちょっと今回はよくわからないところが多くて申し訳ないです。
- Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションを、出典も内容も低いレベルのものに限る、と読んだんですかね。
- 「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」分野、つまり大衆文化やフィクションに伊丹氏のケースを入れていいかは微妙かな、と思ったので。やっぱり事件・事故の側面もありますから。まあそこは以前にお書きになっているとおりではありますが。
- "であれば、Googleの検索数云云の議論は援用しづらいわけです。また実際、この条件を援用すれば「斬って捨てうる」程度の重要性となります。" このあたりちょっと論旨が不明確な気がするんで申し訳ないけどもう少し詳しくお願いします。
- 司法判決が中立の正当性を付与する、というところもそうかどうかは微妙ですね。こないだも冤罪があって検察の偉い方が謝ってたぐらいですし。--Ryota7906 2009年10月6日 (火) 20:16 (UTC)
Ryota7906さま。毎度お世話になっていますw。至らない日本語で申し訳ありません。どうも慣れなくてダメですねw。GORUMさんの素性については、華麗にスルーw。まあ、お答えになっていないので断定するには早いと思いますけれどねー、どうなんですかねーw。
前回の記述で伺いたかったのは①、「信頼性の低い」「Web上の情報源」は1次情報として記載しえないのではないか②、「①」をクリアする条件と思われる「ジャーナリスト・学識者」による記述を精査すると、「噂の存否」の出典と認められないのではないか、の2点でした(そう書けばよかったw)。これについてはいかがでしたか?以下でも少々触れます。
- 「やっぱり事件・事故の側面もありますから」=前回申し上げましたが、「死」については公式見解が出ていて、マスコミもそれに追従。ゆえにこれは「事故・事件」でなく「自殺」です、正確には。なので私はお気持ちを察して、言葉を濁して「事柄」と言っているんですねー。「事件・事故」というにはやはり論拠が足らないでしょう、現状では。気持ち分からなくはないですが、その想定から離れませんか。その想定をされてしまうとやはり陰謀論になってしまうかと。オーディエンスにもあまりいい印象を与えないのではw。適切な出典の下、記載可能な文例を考えていこうということなわけですから。
- 「大衆文化やフィクション」でなく「事件・事故の側面」を認め、社会性や重要性を「格上げ」したとすれば、少なくとも出典の信頼性について「大衆文化やフィクション」の規定をそのまま援用することはできないんじゃないか、ということでした。それは同意されていることでしたね。
- 以下いろいろ派生・錯綜してしまい恐縮ですが…泣。「大衆文化やフィクション」では「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」から「信頼性の低い情報源」での記載が許容される。揺れ動くGoogleの検索数の多さに、とりあえず一定の客観性を認めてみようかという話になった、と。この議論が出てくるには、「査読済みの研究を期待するのは現実的でない」分野を記述する際の出典、ないしその信頼性についての論争がなければ出てこないわけで、少なくとも「その出典だと書けないんじゃないの?」とかいう議論はあったのだろうと。仲裁が入ったわけですから。従来の厳格な出典に基づかないと「斬って捨てうる」人たちもいたのでしょうし。ならばこの規定を用いた記述なら、そもそもは「斬って捨てうる」レベルなんだろうな、と。それが査読を期待できないなどの理由から、記載について従来よりも甘い規定になっていると考えられやしないか、と思ったわけです。
- ではタブロイドの例がある「信頼性の低い情報源」の規定に依拠してみる場合を考える。しかしWeb情報の引用について厳しい条件付けある上に、1次情報として用いられる際の懸念をクリアできているとは考えにくい。てなところでしょうか。
- 「こないだも冤罪があって検察の偉い方が謝ってたぐらいですし」=ご冗談…ですか?この国の法治レベルはそこまで低くはないのでは、と。足利事件はまさに「事件」。労を惜しまず戦った再審請求が実ったわけで、検察には真摯に受け止め反省してもらいたいとの想いは同じですが、この1件をもってして、司法裁決の中立性全体に疑義を呈する論拠になさるとは。少々、論理の飛躍と感じますがどうでしょう?三審性を引いているわけですし、その都度の結果に準拠し判断した書き方があり得るとも拝しますが。この「事柄」に再審、再捜査を要求する声も知りませんが…。
あと、松岡氏の「合理的理由が見当たらない」ですが、自殺ってそういうものではないですか、と書いてみるテストw。うーん、私は論拠にしづらいなと感じてしまっています。また浅野氏についても。何回か読んだんですが、FLASHが「俺のせいじゃないよ!」と言っている以上の意味はないと思うんですが。論旨は「人を追い込みうるマスコミ」なわけで自殺したという捜査結果を補助する内容。疑義を呈する際の論拠として引くにはいかがなもんかと思うんですが。--ほーじー 2009年10月8日 (木) 08:25 (UTC)
Ryota7906さん。まあ、あまりお熱くならずにお付き合いください。まず、当方の過去の書き込みについての「難癖」ですが、法的問題について何の指摘もなく全てを削除する等という荒らし的な記述への対応です。一方、今回の事案は、あくまでも法的問題への懸念に基づくNecessaryさんの編集が発端となっており、これについては緊急措置的に削除した後、ノートで議論すると判断したNecessaryさんの考えに賛同します。私の理解するところでは、ダブルスタンダードという言葉は、全く同じ状況に対して違う対応をすることであり、Ryota7906さんご指摘の2つの案件に該当しないことは自明です。それを前提として以下、お答えしましょう。
- 「法的問題が懸念される」という部分は、前述の通り、Necessaryさんの懸念を指します。
- 訴訟当事者か否かは、議論の本質ではありません。また、訴訟当事者や利害関係者がWikipediaの記述を行ってはならないなどという原則は存在しません。さらにいえば、当方が訴訟当事者ないし利害関係者であると決めつけるRyota7906さんの態度こそ、偏向しており、また個人に対する根拠なき誹謗中傷にもあたるゆえ「ウィキペディア編集者としての信義にもとる大問題」といえるでしょう。だいたい、訴訟当事者ないし利害関係者が記述を行うとして、それにつき、いちいち立場を明確にして編集を行う必要は全くありません。重要なのは、編集を行うに際して信頼できる情報源を提示しているかどうか、それに基づき中立的な編集を行っているかどうかです。Wikipediaのルールに則っている限り、誰が何を編集しようが全く自由です。そうした行為を、一方的な思い込みと偏狭な視野で制止しようとすることこそ、言論の自由に違背する独断専行の所業であり、民主主義社会にとって最も忌むべき悪辣な言論封殺行為です。非常に遺憾ですが、これ以上この件で馬鹿げた邪推をさせないために敢えて記せば、当方は訴訟当事者でも利害関係人でもありません。民事訴訟の判決ごときは、しかるべき手続きないし合法的なルートを通じて誰でも接触可能です(例えば民事訴訟法91条1項「何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる」)。こんな些末なところにグダグダ絡みついたところで、己の無知と無能と不勉強をさらけ出すばかりで何の利益にもならないでしょう。
- ブログの件。両者の記述自体は自殺そのものを否定しているわけではないのに、それを断片的に切り取ってきて拙い編集を施すことで、全く違う意味に取られる可能性が生じることを指摘しているのです。そういった場合、通常人の感覚でどう受け取るかが重要となり、Ryota7906さんの記述案では、自殺説への懸念の提示と取られる可能性が極めて高いと言っているのです。
- 信頼できる書き手の著作物だからといって、全ての記述内容が信頼できる情報源たりえるかどうかは大いに議論があるべきところです。殊にエッセーなどのように、自分の内心を直裁に表現したもの=独自研究は、(法的問題が生じる可能性があればなおのこと)慎重にその記述内容の信頼性を個別に検討してから取り扱うべきです。Wikipediaはジャーナリストのブログのような独自研究を表明するところではありません。浅野氏についても松岡氏についても、専門家や知識人としての信頼性ではなく、その内容の信頼性を詳細に検討すべきなのです。その観点で当該ブログの記述をみると、およそ裏付け取材がなされているものとは思われず、特にRyota7906さんが行おうとしている「自殺説への疑念」を裏付けるような内容では全くありません(そもそもブログに書いた内容と文脈について鑑みれば、それほど厳密な裏付けが必要なものではない。違法性が懸念されないのだから。それを全く違う意図をもって二次利用することにより違法性が懸念される局面が生じれば、その時点で記述の根拠や信頼性につき検討する必要性が生じるということ)。従ってRyota7906さんは、もっと主張内容にふさわしい、検証可能性が担保された情報源を示すべきだと申しているのです。
- 最後に「よく分かりました」と記述されていますが、これまでのRyota7906さんの理解度から類推して、当方の意図するところをほとんど理解していないと思われます。これまでに記してきたような記載は、いずれも当ノートで記述された内容と相俟って、違法性を構成する蓋然性が否定しきれません。また、いくらうまくすり抜けようとしても、ここまでの流れでRyota7906さんの意図は、多くの人の目に明々白々です。いずれにしろ、激しい議論の的となっている部分ですから、何を書くにしろ、当ノートで案を記して詮議するのが妥当です。
なお、Ryota7906さんが、どうしてここまで興奮したり、感情的になったりするのか全く理解に苦しむのですが、根拠に乏しい独断や思い込みに基づく行き過ぎた個人攻撃・誹謗中傷はおやめになってください。気持ちよく議論を重ねましょう。それこそ我々は共に利害関係者でも何でもないのですからねw--GORUM 2009年10月9日 (金) 03:35 (UTC)
ほーじーさまこちらこそお世話になります。
- “①、「信頼性の低い」「Web上の情報源」は1次情報として記載しえないのではないか” それは記載しうるという裁定なのでは?
- “②、「①」をクリアする条件と思われる「ジャーナリスト・学識者」による記述を精査すると、「噂の存否」の出典と認められないのではないか、” まあそうかもしれませんね。
- ああ 「事故・事件」といったのは、いわゆる新聞の三面記事的な事象というぐらいのつもりで使ったまでのことで、「自殺」であれば厳密には事件でも事故でもないですね、確かに。”オーディエンスの印象”ですか。.いろんな印象があるだろうと思いますね。それこそそんなことでは生ぬるい、とかね。
- “「大衆文化やフィクション」でなく「事件・事故の側面」を認め、社会性や重要性を「格上げ」したとすれば、少なくとも出典の信頼性について「大衆文化やフィクション」の規定をそのまま援用することはできないんじゃないか、ということでした。それは同意されていることでしたね。” 完全同意というよりは微妙な線だなあ、という感じで。ここもジミー・ウェールズさんにでも仲裁してもらえないですかねえ。
- “ではタブロイドの例がある「信頼性の低い情報源」の規定に依拠してみる場合を考える。しかしWeb情報の引用について厳しい条件付けある上に、1次情報として用いられる際の懸念をクリアできているとは考えにくい。てなところでしょうか。 “ ん?タブロイドの例は、その程度のしょぼい情報源しかないときでもまあいちおう認めることにする、という例なのでは?
- 日本の司法の中立性が疑わしいことはつとに知られていることでして、有罪率99.7%の刑事裁判など諸外国では不審視、はては失笑されかねないような話らしいですし、長沼ナイキ訴訟の話を聞くと裁判官の独立性が保障されているとはとうてい言えませんしね。免田事件、財田川事件、袴田事件、西山太吉氏の事件、志布志事件、富山の強姦事件、御殿場事件、有罪なのに無罪にしちゃった首都圏女性連続殺人事件など、詳しい人ならもっともっと例が挙がるんじゃないすか。まあ百歩譲って公正公平なものだったとしても、司法判決はせいぜいが事象全体の一側面を示すに過ぎないと考えた方がよろしくないですか。
- 自殺とは合理的理由が見当たらないものだ、というのは同意できかねるところですねえ。たぶん病死だったと思われる中川昭一氏にも一部に「自殺説」が出ているようですが、それは、もうろう会見に大臣辞任、衆院選落選と意気消沈する出来事が立て続けに続いたことを考え合わせれば、病死より自殺と考えたほうが(それを主張する人にとっては)合理的だから、ではないですか。それに「自殺には合理的理由が見当たらない」というのは捜査当局の「合理的」判断にけんかを売っているようでもありますし…。もちろん自殺説に疑義を呈する方がもっとけんかを売ってることになりますけど。
- 浅野氏のほうですが、FLASHが「俺のせいじゃないよ!」と言っているのは確か、浅野氏の論旨が「人を自殺にまで追い込みうるマスコミ」というのも確かですが、その中の大島渚氏の発言については、FLASH副編集長が自分たちに有利な材料として取り上げているにしても、大島氏自身は別にFLASHのために発言したわけでもないでしょう。やっぱり何かヘンだと感じた人は当時からいたわけで、その一断片がこういうかたちで反映されているということなのでは。
閲覧のみならず訴訟記録の入手までされたGORUMさんは少なくとも利害関係人と判断せざるを得ません。あとはWikipedia:自分自身の記事をつくらないをお読みください。--Ryota7906 2009年10月9日 (金) 20:26 (UTC)
Ryota7906さん。いえいえ、こちらこそお手間をお掛けしています。こちらも説明不足というか、でしたね。
- 「1次情報として記載しうる」ことは存じております。ただ、慎重なわけですよね、以下の理由で。
- 個人のウェブサイトが二次情報源として使えず、一次情報源としては細心の注意をしているときだけ使えしかも主題が論争中の場合には単独では使えない理由は、こうしたものは通常、誰もその仕事を評価していない未知の個人によって作成されたものだからです。こうした人たちは無知だったり、勘違いしていたり、底意を押しつけたり、いいかげんだったり、噂や疑惑を信じていたりして、狂気じみてさえいるかもしれません
必要なのは「細心の注意」(この場合はプラスして「単独ソースの回避」も)というなんとも言えない条件なわけですがw、要するに慎重。そして2次情報源としては用いることができない。
- さて、Ryota7906さんの主張は「これらWeb情報は『噂』の存否についての1次資料に当たる」ので収集していく。それはWikipedia:独自研究は載せない#資料: 一次資料と二次資料における「現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です」に基づくと。
- ここで、記述の主眼は「死そのもの」ではなく「死にまつわる『噂』」であるという点が利いてくる気がします。まず、1次資料使用にも慎重な姿勢を要求する中で「感違い」「噂、疑惑の盲信」を指摘している。じゃあ、そもそも「Webのみ」に記載された噂は書けないじゃん、という意味で「記載し得ない」との発言をしたのでありました。
- タブロイドは1次情報ですから記載できる。ただWebに関しては待とうと判断があると。そして事例によっては法的裁定があったりもすると。GORUMさんあたりの主張を無視したとしても、この場合「信頼性に乏しい情報源」を1次資料にして記載しえるとしても、慎重性は求められるのかなと。他の記述と少々勝手が違ってくるというか。なので、探しているわけですけどw
- 当然、司法裁定はある事柄や事例の全てではなく、司法の中立性への疑問には共感する部分も多いのですが、それを言えるのなら、ほとんどの事例で「検察・警察の捜査には疑問点も多く」と書けてしまうことになりませんか。少しジャーナリスティックに過ぎると思いますが。
- 自殺は…、そもそも難しいですねw。ただ大島渚氏の発言ですが、「あいつはそんなことでは死なない骨のあるやつだった」と単に死を悼む言葉に取れます。天敵GORUMさんの言葉を借りるわけでもないですがw、「編集の妙」になってしまってるかもしれないです。それにたとえ疑念を持っていたとして、大島さんはここで明言はしていない。疑念を持っている「ともとれる」発言の域を出ないと拝しますが、いかがですか。--ほーじー 2009年10月10日 (土) 03:34 (UTC)
ほーじーさん今回もよろしくお願いします。
- “個人のウェブサイトが二次情報源として使えず、一次情報源としては細心の注意をしているときだけ使えしかも主題が論争中の場合には単独では使えない理由は、こうしたものは通常、誰もその仕事を評価していない未知の個人によって作成されたものだからです。” 全くの一般人ならそれがそのまま当てはまるのですが、著名人には例外規定があるわけで、それがこれ。
- "例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。"(Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源)
- "自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません。"(Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源)
- もちろんこの両文の後に制約が縷々続くのですが。
- ”1次資料使用にも慎重な姿勢を要求する中で「感違い」「噂、疑惑の盲信」を指摘している” それが重要情報ならそれでもかまわないんじゃないですか。James Dean や The Sun のくだりを援用して。なんなら対立説も併置しておけば中立的というかたちでなお慎重な編集姿勢につながるでしょう。
- いやだいたいの出来事においては世間は警察の捜査にさほどの疑問を持ってはいないわけです(もっともそういった場合でも杜撰捜査というのはまま見られるもののようですが)。だから捜査に疑問が持たれているのならそれだけでも特筆性はあるかと。
- 大島渚氏の発言が「あいつはそんなことでは死なない骨のあるやつだった」と単に死を悼む言葉に取れるのなら、それをそのまま書けばいいわけでしょう。なおさら書くことに制約がないことになります。その程度の内容だというならじゃんじゃん書きましょう。”Wikipediaのルールに則っている限り、誰が何を編集しようが全く自由です。そうした行為を、一方的な思い込みと偏狭な視野で制止しようとすることこそ、言論の自由に違背する独断専行の所業であり、民主主義社会にとって最も忌むべき悪辣な言論封殺行為”だそうですので(それにしても削除ばかりで一字も書き足してない人がこんな大見得を切ったのには少々呆れました)。--Ryota7906 2009年10月11日 (日) 21:30 (UTC)
Ryota7906さん。いつもいつも面倒をおかけし恐縮です。循環論法になりそうなので、できるだけ明確に書こうと心がけますw。今日も出かけるのでw、簡潔にw。
- Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源における例外規定について。私が躊躇するのは1次情報源としての引き方として、スゴく「遠い」なと。A)読みようによってどうとも取れる「大島渚の発言」を、B)自分の雑誌記事の責任回避に使った編集長の発言を、C)浅野さんが「マスコミの横暴」を示唆する主旨で用いている論なわけで、これを「浅野さんのサイトだから」と単純に記載してしまうのが、私にはちょっと理解がつかないのです。大島発言の「ひ孫引き」ですからね。ルールが存在する思想性にもとるというか、例外規定を安易に用いすぎである気がします。使用について許容されるのは、「ジャーナリスト・有識者」が直接主張しているのが明らかな場合と読むべきでは。「自分自身」が直接的な主張を展開している「ジャーナリスト・有識者」のサイトを出典としなければいけないと思うのです。私は、これが解釈論になるとは思いません。使用についての厳格な規定をクリアするとすれば、ありうべき論旨はそれだけだと思うので。その意味で大島氏の発言について指摘させて頂いていたのですね。
- 「感違い」「噂、疑惑」は、まさに妄信する者にとって「重要」とは言えないですか。「噂の存否」重要さに普遍性があるのかどうか。重要なら他の媒体で扱われているはず、というのはそのとおりだと思うのですが、この事柄についてはそれがほとんどない。その理由については陰謀論の域を出ない(公的見解をひっくり返す内容も内容だし)。Wikipediaの想定についても不可知。あえて書くかなあ、というのがあるんですよね。やはりそれはジャーナリズムか、よりポリティカルな領域でするべきなのかなと。
- 「捜査に疑問」と言ったのは、中立性全体に話が及ぶなら、全てのケースでそう言いうるよ、という意味での発言でした。マスコミなどで疑問が呈され続けているのなら(まさに足利事件のように)、仰るとおり特筆性があると言えましょう。
- 単に死を悼む言葉に取れるのなら、それをそのまま書けばいい=ルールに基づいていたとしても私は書かないですね。書くとしても「伊丹の死を悼む声(シャレみたいw)」という項を立てるか…。1字も足さない希代の言論人であられるGORUMさんを擁護するつもりは毛頭ないんですがw、不必要なものを削ることにWikipedia編集の美学を感じるというのも、まあ分かる気がするんですね。私自身、実際こういうことが書いてある辞典などみたことないというものあるわけですが。伊丹さんのファンサイトなどが積極的に行っていくというのならわかるんですけどね…。--ほーじー 2009年10月12日 (月) 04:33 (UTC)
Ryota7906さん。とうとう当方との論理的な議論に追いつけなくなったようですね。いずれは付いてこられなくなるのではと予想はしていましたが、ちょっと早すぎるような……。まあ、これ以上深追いしても哀れなので追及しませんが、民事訴訟の判決内容にアクセスしただけで利害関係者とみなすようなオッチョコチョイかつ不誠実なまねを繰り返すようなら、Ryota7906さんがWikipediaの良き編集者たりえないことだけは間違いでしょう。反論があるなら、人のプライバシーを邪推するようなことはせず、もう少し冷静かつ論理的に主張をしてもらいたいものです。
なお、Ryota7906さんは世間一般についての認識にも些か偏狭な側面をお持ちのようなので付言してくと、当該判決は、単に伊丹十三氏や創価学会に関心を持つ人のみならず、広くインターネットと名誉棄損という広範な観点に興味を持つ人々から注目されました。当方の少なからぬ知人も入手し閲覧しています(もちろんみな訴訟当事者でも利害関係人でもありませんw)。職務柄、あるいは知的好奇心や向学のために、自分が当事者でも利害関係人でもない事件に関する裁判資料を入手・閲覧するのが日常茶飯という人々は、この世に多く存するのです。判決を入手したから関係者、という妄念がいかに偏頗か。愚にして非礼か。この機に深く知悉すべきでしょう。--GORUM 2009年10月13日 (火) 02:45 (UTC)
- Ryota7906さんの記述については、およそ論理的な文章とは思われず、恣意的・独善的なところが多く読み辛いために、当方宛ての部分以外は全く読んでいなかったのですが、たまたま「削除ばかりで一字も書き足してない人」などという記述を見付けました。前後の文脈からすると、これは当方のことを指しているのでしょう。確かに「伊丹十三」に関しては、その必要性を感じないために一字も書き足してはいませんが、他の項目では少なくとも「一字」以上は「書き足し」を行っています。こういうところの粗忽さや確認不足、論理の遺漏がRyota7906さんの杜撰な編集行為の基盤をなしているのなのだなと嗤わせていただいた次第。おっと、ほーじーさんの記述にも「1字も足さない希代の言論人」などという侮辱的な言辞が踊っていますね。愚か者に引き摺られて同じ愚を犯すことのないよう。もちろん当方は言論人だなどと思っていませんが。--GORUM 2009年10月13日 (火) 09:41 (UTC)
ほーじーさんこちらこそ恐縮です。
- Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源の前段としてWikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションの James Dean の例がありますから、まあウェブ上最良の情報源であることは間違いないんじゃないかと。
- 取り上げた趣旨はどうあれ大島氏がテレビでそう発言したことは槌谷氏、浅野氏の両名によって担保されてるわけで、あとはなるべく原文に即して書けばいいだろうと。できる限り客観的に書いたものをどう読むかは読者の問題だと思います。あるいは、それこそ槌谷氏、浅野氏はこの発言をおそらく大島氏の意図とはかなり異なる文脈で引用したわけですので、むしろ単純な引用はもとの発言意図に近づけることになるとも解釈できるんじゃないでしょうか。
- 別に噂がたんに陰謀論であったとしてもその内容と検索件数から重要性があるのは間違いないですし、陰謀論に過ぎないのならそう書いておけばいいだけのこと、名誉毀損の判決もあるぞと書けばいいことです。ばっさり削除するのが美学なんてとんでもない、書き足していくほうがむしろ言論の自由が保障された民主主義社会の美学じゃないですか。
- マスコミの重要度が落ちたとは言いませんが、ネットの発達でネット世論なるものが形成されていることも無視できない現象でしょう。さすがに引用は気が引けますが、この件をネタのひとつにしている特殊芸人までいて最近はメディアでときどき取り上げられるようにもなっていますし。特筆性のほうはそのぐらいでもう十分でしょう。
GORUMさんはどうやって裁判記録を入手するかと聞かれてどうして"裁判所に行ってしかるべき手続きを行えば閲覧できます。メモも取れます。ただし訴訟当事者の利害関係人でない限りコピーは難しいかも知れません。"とご返答なさったのですか。なぜはじめから"職務柄、あるいは知的好奇心や向学のために入手可能だ"と言わなかったのですか。それは知的好奇心や向学のために訴訟記録を入手するなど日本の裁判所においては事実上不可能だからでしょう。弁護士あるいは近縁の職業者なら比較的アクセスは容易かもしれませんが、弁護士でありなおかつ山崎正友、日達、および伊丹十三の削除編集のみ行う非利害関係者がいるとも思えません。あとはWikipedia:自分自身の記事をつくらないをお読みください。--Ryota7906 2009年10月14日 (水) 12:27 (UTC)
Ryota7906さん、いくつか分かりかねたので質問です。GORUMさん、問題発言どうもすみません、許してください許してくださいw。そういや、一字も足してないのはむしろ私かw。
- つまり、「最良」である理由は「有識者・ジャーナリスト」だからだということでしょうか?であるなら、この場合は「噂の存否」についての「有識者・ジャーナリスト」であるべきでは?厳しい規定をクリアするのに、「とりあえず浅野氏は有識者なのでOK」というのもかなり強引な感じがするんですが。ルール適用については合法性と正統性の両面を考えるべきだと思うので。
- 「それこそ槌谷氏、浅野氏はこの発言をおそらく大島氏の意図とはかなり異なる文脈で引用した」「単純な引用はもとの発言意図に近づける」=???。なぜRyota7906さんは大島氏の意図を確定できるのでしょうか?
- 「どう読むかは読者の問題」=そんなことをお認めになるような文面ならば、疑義を呈する「噂」の出典にはなりえないのでは?出典として掲げるわけなんですから、せめてもっと確定的なものを探しませんか。でなければ、伊丹さんの死を悼む声特集でも共に組んでいくくらいで止めておくレベルの出典で終わりでしょうし。そもそも大島さんの発言のきっちり有無まで確認取っていると確信できる文面とは言いづらい。資料の階層的には、少なくとも「担保」なるものをしたのは、槌谷氏のみと考えるところ。1次情報源としての質は問われるとは思いますが。
- 「ネットの発達でネット世論なるものが形成されていることも無視できない現象」=うーん、これは質の低い情報が無数に落ちているという意味でなら分かるんですがw。WikipediaがWeb情報の引用について慎重な理由をもう一度念頭においてご意見賜りたいです。そうでないとネット情報で「最良」なのが、名の知れた「有識者・ジャーナリスト」のサイトになる理由がない。少なくとも現在のWIkipediaのルールはそう見なしているとは思いませんか?
- 「特殊芸人までいて」「最近はメディアでときどき取り上げられる」=取り上げられるのは噂?芸人?噂の方なら、メディアで取り上げられたものは出典にできるんじゃないですかねー。ただ、すでに危ない橋渡っている気がしますがw。こういうこと言うと、どうしても噂に色が着いちゃうので、GORUMさんの思うつぼになりそう。怖いw。
- 「特筆性のほうはそのぐらいでもう十分」=ちょっと、詳細説明を頂きたいところです。なぜ「十分」なのかよく分からない。基本的にはWikipedia:特筆性「主題に言及している二次資料が見つかるかどうかは特筆性を評価するためのよいテストになります」というレベルを要求されており、見つからないから苦労しているわけですが…?(あー、これいつも話が噛み合ない気がしていて、それは私が悪いのかもしれないんですけどw、Ryota7906さんは「ジェームス・ディーンがバイセクシャル」について「査読が期待できない」という話を、「伊丹の死に疑義がある」ことについて「一般マスメディアが報道しない」とスライドできるから、この規定に準拠なされているんでしたっけ?)
- あと、この件とはあまり関係なく、GORUMさんとは仲良くなれそうもないことは確かなのですが、その上で。
- 「むしろ言論の自由が保障された民主主義社会の美学」=正直、違和感なんですね。WIkipediaでの議論とはちょっと異なる次元でしょう。今、私たちは「噂の存否」について記載可能性を探っているに過ぎない。言論の自由を高らかに語るのなら、同じ根拠からGORUMさんの法的リスクの回避論に応答すべきかと拝する。私はあまり人の来歴を気にしないタイプなのですが、GORUMさんの、結構筋が通って、触るとヤラレそうな(訴えられるってことじゃなくてw)話はWikipedia:自分自身の記事をつくらないがあっても結構威力あると思ってるんですね。だから触らないw。で、GORUMさんが言うにはこの法的リスクってのは、名誉毀損だという。これ、「言論の自由」を語るのなら、最初に念頭に置かなきゃいけないのですよぅ。当然Ryota7906さんならご存知であろうと思いますが…。--ほーじー 2009年10月14日 (水) 18:27 (UTC)
Ryota7906さんは、もう少し言いたい事を整理したり、当方の主張内容を理解したりしてから書き込みをしましょう。あなたが何を質問したいのか、論理が支離滅裂で判然としないのですが、当方なりに解釈してお答えしましょう。
- 当方は「職務柄、あるいは知的好奇心や向学のために入手可能だ」などとは一言も言っていませんよ(内容も全くトンチンカンですし)。勝手に他人の主張を改竄・捏造するのはやめましょう(あるいは文章解釈能力に難ありなのでしょうか?)。当方は最初から首尾一貫して、「裁判資料は訴訟当事者や利害関係人でなくとも、しかるべき手続きをとれば閲覧ができる。メモも取れる。ただコピーするのは難しいだろう(これも民事訴訟法に書いてあります)」と言っています。「職務柄、あるいは知的好奇心や向学のために」は、「入手可能」にかかるのではなく、「入手・閲覧する人が少なくない」という文意にかかるのです。入手法についても、合法的なルートは裁判所経由以外にも様々あります。また「入手」といっても、所詮は(画像・動画でなく)活字情報ですから、メモ等に基づき再構成されたドキュメントも含まれるでしょう。どうやらRyot7906さんは裁判資料に全く触れた事がないようなので付言すれば、民事訴訟の判決内容を入手することぐらいは、全然大したことではありませんよ(印紙代もわずか)。これだけ繰り返し説明すれば、あなたでもご理解いただけるものと信じたいw。
- 何度も言っている通り、当方は当該項目に関して訴訟当事者でも利害関係人でもありません。Wikipedia:自分自身の記事をつくらないも読みましたが何か?Ryota7906さんが何を言いたいのか全く趣旨不明なのですが。狭窄な視野と偏見に基づき他人の名誉を傷つける発言を繰り返すのはやめましょう。
どこぞの巨大掲示板ならいざしらず、Wikipediaにおいては、論理的に追い込まれた途端に感情的で偏狭な邪推を喚き立てて逃げられると思うのは間違いでしょう。むしろ無様な醜態をさらすだけと憂えるところです。ともあれ無内容で品性に欠けた難癖を考えたり書き込んだりするヒマがあったら、ご自身の主張に合う<検証可能で信頼できる情報源>を探すことに注力するほうが、よほど価値的といえましょう。--GORUM 2009年10月15日 (木) 07:35 (UTC)
ほーじーさん前回は舌足らずでどうもすみませんでした。
- 「有識者・ジャーナリスト」だからウェブ上最良の情報源となるわけでないのなら、最良の情報源とはどんなものなのでしょう。まあ匿名のサイトを最良とみなせるのならそちらに代えてもかまわないですけど。
- 確かに大島氏の発言意図確定は早すぎましたが、「単純な引用はもとの発言意図に近づける」ことになるのは一般論として蓋然性の高いことでしょう。
- 「疑義を呈する「噂」の出典にはなりえないのでは?」 ここのところたぶんこれまで不明確にしてきてしまったと思いますが、疑義を呈する「噂」の出典にはならなくてもかまわないです。伊丹氏の死ないし自殺に対する反応、というかたちでの紹介でもいいです。「法的問題」「法的問題」とうるさくおっしゃる方がいるのならそのほうがいいかもしれない。
- 「そもそも大島さんの発言のきっちり有無まで確認取っていると確信できる文面とは言いづらい。資料の階層的には、少なくとも「担保」なるものをしたのは、槌谷氏のみと考えるところ。」 大島氏のはテレビでの発言ですし、文責のある浅野氏も発言について知ったうえで書いたものと推認できると思います。浅野氏がこれを書いた時点では一般に広く知られた事柄、少なくとも有無に疑いを持つほどのこともない事柄だったのではないかと。
- 「特殊芸人までいて」「メディアで取り上げられたものは出典にできるんじゃないですかねー。」 どこかの雑誌で芸人を紹介してあって、例の件も遠回しに書いてあったような気もしますが、今のところ見つかりません。どっちにしてもさすがに品のなさを感じるので直接の引用は気が引けるところ。
- 「名誉毀損だという。これ、「言論の自由」を語るのなら、最初に念頭に置かなきゃいけないのですよぅ。」 もちろんおっしゃるとおりです。名誉毀損になってもかまわないから書くべきだとまで言ってるつもりはないのですよぅ。
訴訟当事者なのですか、と訊かれて即答を避けた方、いまさら悪あがきは見苦しいですよ。
- 「入手法についても、合法的なルートは裁判所経由以外にも様々あります。また「入手」といっても、所詮は(画像・動画でなく)活字情報ですから、メモ等 に基づき再構成されたドキュメントも含まれるでしょう。」 なぜあとになって言い訳がましく付け足すのでしょう。
- 「民事訴訟の判決内容を入手することぐらいは、全然大したことではありませんよ(印紙代もわずか)。」 ご自身と志を同じくする融通の利く弁護士の知り合いがいれば全然大したことではないかもしれませんね。
- 「Wikipedia:自分自身の記事をつくらないも読みましたが何か?」 (あるいは文章解釈能力に難ありなのでしょうか?)
- 「Wikipediaにおいては、論理的に追い込まれた途端に感情的で偏狭な邪推を喚き立てて逃げられると思うのは間違いでしょう。むしろ無様な醜態をさらすだけと憂えるところです。ともあれ無内容で品性に欠けた難癖を考えたり書き込んだりするヒマがあったら、」もう一度自分で書いた文章を読みなおしてみましょうね。--Ryota7906 2009年10月16日 (金) 13:26 (UTC)
Ryota7906さん、お世話様です。GORUMさんも何やら暗躍されていてw、まあ、確かに明言こそしていないので何とも判断つきませんがね…w。
- 「ウェブ上最良の情報源」の確定など、もちろんとても難しいわけですが、少なくとも「有識者・ジャーナリスト」は該当しうるのでしょうねー。ただ大島氏の発言についてはホントにリンクが薄いw。個人的に懸念するのは「有識者・ジャーナリスト」のサイトを引用して、「信頼性の低い情報源」として記述するという、ある意味で混乱やミスリードを招く状況。前者の引用はWeb情報利用における「切り札」的代物ですから、従来の用い方をすれば「信頼性の高い情報源」となるわけで。
- 「伊丹氏の死ないし自殺に対する反応」、まあ書くとするならこういう形が穏当でしょう。辞典としても理解できる範囲。ただし、項を立てる以上は一定の数を集めないと形になりませんので、いそいそと作業を始めてみますw。ただ、出典の問題は難しいですね。そもそも見つからないというのもあるし。
- 「浅野氏がこれを書いた時点では一般に広く知られた事柄、少なくとも有無に疑いを持つほどのこともない事柄だったのではないか」=要するに、本当のところどうなのかは確定困難。ゆえに「(ひ)孫引き」は信頼性を下げるので、通常は避けるわけでしょう。で、信頼性を高めるはずの出典を用いて、信頼性の低い情報を記述するという混乱の話周辺を堂々巡りw。なんとかならぬものかと思案しておりますです。--ほーじー 2009年10月20日 (火) 00:56 (UTC)
ほーじーさんご指摘の大島渚氏の発言ですが、少し調べてみたところ(と言っても一般人のホームページ、ブログ、2ちゃんねる程度ですが)、当時大島氏はワイドショーなどあちこちでこの件についてしゃべりまくっていたようで、2作続けて興行的に失敗したのも一因(『大病人』と『静かな生活』のことのようです。時期的には死とはやや符合しませんが)とか、伊丹は精神的に弱かったとか、いろいろなことを言っていたみたいです(ただしそれら発言の真偽について他のソースなど確定的な証拠があるわけではないですが)。浅野氏のページが情報源にならないとまでは言えないにしても、大島発言を本格的に引用するのならもっとよく調べてからということになりそうです。--Ryota7906 2009年10月22日 (木) 17:32 (UTC)
Ryota7906さん、ありがとうございます。
要するに槌谷氏も「ちょっとテレビで耳にした」という程度なのでしょうかね。「大島氏は、その時さまざま言っていた」っていうのも、あれですしw。例の「悼む声」の項を立てたとしても、記載するには、やはりいくらか具体的な出典が求められそう(そもそもあまり悼んでいないというw)。まあ、これが孫引きの怖さとも言えますから、資料選びは適切かつ慎重にやっていきたいものですねぇ。--ほーじー 2009年10月23日 (金) 00:50 (UTC)