ノート:五色沼 (北塩原村)/2005年10月9日 (日) 08:20 Los688 (噴火は山体崩壊が有力 ボートに乗れる沼は「五色沼」の中にあったかな?) へ
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噴火ではなく、水蒸気爆発による山体崩壊が有力、だと私は思っています。ボートに乗れる沼はあります。どの沼だったかは失念しましたが。Uryah 2005年10月9日 (日) 08:29 (UTC)
- 手元に資料がないので、記憶モードですが、1980年代頃までは大規模な水蒸気爆発に伴って山体が吹き飛んだという説が有力でしたが、1990年代以降は小規模な噴火(ちょっと曖昧、山体崩壊によって誘発されたか、山体崩壊を誘発したかは忘れた)を伴い、岩屑なだれ的に崩壊した説が有力。火山性噴出物の少なさから、説の変更が行われました。ボートは、探したらありました。ここ毘沙門沼ですね。前は桧原湖しかなかったと思ったんだけどなあ(自信がなかったので消さないでよかった)。--Los688 2005年10月9日 (日) 08:45 (UTC)
- なるほどです。私は2004年8月にビジターセンターを訪れたとき、山体崩壊の原因が噴火ではなく水蒸気爆発に学説が変わった旨、読んだ記憶がありました。ここにもその旨の記述がありますし、「水蒸気爆発」の文言を復活させてもよいでしょうか?Uryah 2005年10月9日 (日) 08:57 (UTC)
- ちょとネットで調べなおしました。で、整理すると水蒸気爆発自体は良いみたいですね。ただ、大事な点は、明治期から唱えられていた水蒸気爆発説は、相当「大規模」と考えられていたのが、「小規模」に変わった点です。ですから、裏磐梯の巨大凹地が火口から崩壊跡地に認識が変わったわけです。「小規模」な水蒸気爆発と「山体崩壊」または「岩屑なだれ」のキーワードが入っていれば問題なしです。--Los688 2005年10月9日 (日) 09:28 (UTC)
- 再確認させてください。山体が崩壊して裏磐梯に巨大凹地が出来た理由が、「火山性の噴火」から「水蒸気爆発」に学説が変わったのだ、と私は認識しているのですが、Los688さんの上記ご指摘で合っているのですね(Wikipediaの記述として書いてよいのですね)?
よろしければ、(2005年10月9日 (日) 08:20版)を(新)で書き換えようと思います。・・・>「1888年7月15日、磐梯山北側にあった小磐梯山が水蒸気爆発を起こし、吹き飛んだ山体が川をせき止め、数百の湖沼が出来た。」(2005年10月9日 (日) 08:12版)→「1888年7月15日、磐梯山北側にあった小磐梯山が山体崩壊を起こし、崩壊した山体が川をせき止め、数百の湖沼が出来た。」(2005年10月9日 (日) 08:20版)→「1888年7月15日、磐梯山北側にあった小磐梯山が小規模な水蒸気爆発によって山体崩壊・岩屑なだれを起こし、崩壊した山体が川をせき止め、数百の湖沼が出来た。」(新)Uryah 2005年10月9日 (日) 09:53 (UTC)
- 凹地ができた成因が主に水蒸気爆発だったのから、水蒸気爆発に伴う山体崩壊に変わった、です。少し古いですがここらへんの文献読めば確認取れるかと(大学行かないと読めないという突っ込みはなし)。学説の変遷は本記事に関係しないのでよいと思います。文章自体は問題なしでいいと思います。修正のほうをよろしくお願いします。(本当は川の堰き止めも突っ込みどころがあるのだが、専門書でないのでやめておきます。)--Los688 2005年10月9日 (日) 10:10 (UTC)
- では初版(2005年10月9日 (日) 08:12版)に「小規模な」と「岩屑なだれ」を加えることになる、上記(新)で書き換えておきます。川の堰き止めについて情報があるのであれば、記事を豊かにするために、追加しておいたほうがよいと思います。Uryah 2005年10月9日 (日) 10:28 (UTC) Uryah 2005年10月9日 (日) 10:39 (UTC)