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ノート:五畿七道

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五畿八道

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「その後、細部の境界の移動を除き長らく変更はなかったが、後に、和人地および蝦夷地に新たに北海道が置かれた。以後、五畿八道と呼ぶ。なお、北海道の記録は古く斉明天皇の時代阿倍比羅夫の遠征まで遡り、鎌倉時代には和人が住み道南十二館の時代を経、江戸時代には松前藩領や天領となっていた地域に最後に置かれた。」

「以後、五畿八道」とするのは正しいのでしょうか?韓国併合等にともなう変化はなかったのでしょうか?朝鮮八道をここに入れて数えるなら、戦後旧に復したとは言え五機十六道等と称された時代があったのではと想像します。--210.254.118.97 2019年10月5日 (土) 23:23 (UTC)[返信]


コメント 主題は「五畿七道」ですから、導入部の定義からして「五畿八道」の記述が入ってくるのは不自然に思います。そのため、無出典記述ということもあって、削除にはしませんでしたが、一旦コメントアウトとしました。同様に、本文中の「五畿八道」の記述も一旦コメントアウトとしました。こちらの外部リンクの例を見ますと[1][2]、五畿八道は、 明治時代の新政府が、対ロシア南下政策の脅威から守る目的で蝦夷地領有を明示するため、北海道と称するように通達を出したときからの呼び名で、律令時代から続いてきた五畿七道(北海道は入っていない)に北海道を加えた呼び名であると思います。仮に、五畿八道の解説文を加えるならば、単独で別節を設けた方が自然に収まると考えます。--小石川人晃会話2019年10月21日 (月) 14:58 (UTC)[返信]