ノート:乙未事変/過去ログ1
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出典要求をしている内容(この他にも出典要求があります)
『首謀に関しては、国立国会図書館憲政資料室 憲政史編纂会収集文書の整理番号 546 「朝鮮王妃事件関係資料」によれば、当時の日本政府による計画的な策謀でないことは判明している。』との記述の信憑性に疑問が有るので、出典の明示をお願いします。
朝鮮王妃事件関係資料は、合綴資料で、次の5種類が有ります。「石塚英蔵書簡、法制局長官末松謙澄宛」「京城出張政務局長小村寿太郎ノ電文報告、臨時外務大臣西園寺公望宛」「勅語草案」「朝鮮事変ニ関スル意見上奏案」「米国新聞記事ニ関スル公使栗野慎一郎ノ報告」 これらは、どれも政府内部の報告のようなものであり、史実を明らかにするものではないと思います。いったい、どの資料のどの部分を根拠に、またどのような理由で、『日本政府による計画的な策謀でないことは判明している』と判断されているのでしょうか。それとも、単に、日本政府の関与を否定する資料が作られた、あるいは、そのような内部報告がなされた事実を、記載しているに過ぎないのでしょうか。
もし、これらの資料で、『日本政府による計画的な策謀でないことは判明している』とする根拠があるならば、5種類の資料のどの部分のことであるのか、さらに『判明している』とする根拠となる出典を明示ください。カタバミ 2007年12月10日 (月) 13:54 (UTC)
乙未事件の首謀者について
乙未事件は高校日本史で習うのですが、山川出版の詳説日本史では、欄外に小さく記されているだけなので、成績不振だった人やそのような高校出身者には少し難しい内容かもしれません。このため、乙未事件に付いて誤解している人も多いようです。そこで、山川出版の詳説日本史の記述を引用して、概要のところに書きました。『三浦梧楼が大院君をふたたび擁立しようと、公使館守備兵らに王宮を占拠させ閔妃殺害事件をおこしたものである。』。出典の提示もなしに、余りレベルの低い議論はやめてください。--カタバミ 2008年1月15日 (火) 23:31 (UTC):
- 高校の日本史程度の資料で確定してるといわれても困ります。この事件では大院君を中心とする勢力と閔妃の勢力の確執が背景にあり、それに日本側が絡んでいるのであり、すくなくとも大院君という閔妃反対勢力の存在無くしては事件が起こりえないという客観的状況があります。ですから、その点を全く捨象した記述は問題があるのです。説の対立がありそれが明示されているにもかかわらず一方的に編集するのは妥当ではありません。黒潮 2008年1月16日 (水) 12:06 (UTC)
- 公使館一等書記官であった杉村濬は、回顧録『在韓苦心録』で乙未事件について「余は実に其の計画者の一人たるを免れず、否寧ろ計画者の中心たる姿なりし」と述べています。さらに訓練隊・大院君を利用して親ロ派(及びそのリーダーである閔妃)の排除を図ったクーデターで、殺害についてはその目的ではなかったと回顧しています。そもそも、日本側が首謀者ではないなどといった主張は何を根拠にしたものなのか疑問があります。--彩華1226 2011年2月4日 (金) 15:07 (UTC)
- 「大院君首謀説」が当時の親日派政権の政治判断によるものであることはすでに論証されており、実証する史料もあります。それでも「大院君首謀説」を書きたいのであれば、兪吉浚の手紙、朴恩植の個人的見解以外で「大院君首謀説」にまつわり信頼性の高い史料、学術的な論証を提示してもらえないでしょうか。--彩華1226 2011年2月11日 (金) 16:13 (UTC)
- 金正日が白頭山で生まれたというのは、北朝鮮における歴史的「事実」です。それと同様に韓国の国定歴史教科書は史実として檀君は紀元前2333年に即位したと教えています。「三国遺事」にはそう書かれているとかじゃなく、「檀君は紀元前2333年に即位した」と断言されています。国家というのはそれぞれの格差がひどく、歴史観や歴史研究が国際標準の学問領域に達していない国はたくさんあります。北朝鮮や韓国はそういう国です。韓国では世界史上屈指の虐殺である保導連盟事件をいまだに隠蔽し、学校教育で事実上まったく教えていません。済州島四・三事件も同様です。国民防衛軍事件も同様です。こんな事件を隠蔽している韓国の歴史学界の「論証」っていったい何なんでしょうか?金泳三も金大中も大韓民国臨時政府(上海臨時政府)を公式に認め、大韓民国は臨時政府を継承していると声明を出しています。そんな臨時政府の第2代大統領(朴殷植)が閔妃暗殺犯を大院君と語っている事実は軽くないんじゃないでしょうか。一つの説としてじゅうぶん通用しているんじゃないでしょうか。--忠度 2011年2月12日 (土) 03:16 (UTC)
- 無関係な話を持ち出して、相対化しようとしないでください。朴がなにを根拠に「大院君首謀説」を唱えているのか(学術的な研究に基づいているなら学説、そうでないならただの憶測です)、兪の手紙・朴の個人的見解を引用して「大院君首謀説」を学説として唱えている人がどこにいるのか、そのことが問題です。--彩華1226 2011年2月12日 (土) 12:29 (UTC)
- それから、私はこれまでの当項目および閔妃の編集を日本における学術研究の成果のみに依拠して行っています(金文子は在日二世だが、日本の大学に学んだ日本の大学の研究者)。イ・テジンみたいなトンデモに代表されるように韓国の学術研究は「信頼性の高い」出典となりえないからです。ですので、韓国の歴史捏造について熱弁されても、それは分かっていますとしか反応しようがありません。--彩華1226 2011年2月12日 (土) 13:22 (UTC)
- 公使館一等書記官であった杉村濬は、回顧録『在韓苦心録』で乙未事件について「余は実に其の計画者の一人たるを免れず、否寧ろ計画者の中心たる姿なりし」と述べています。さらに訓練隊・大院君を利用して親ロ派(及びそのリーダーである閔妃)の排除を図ったクーデターで、殺害についてはその目的ではなかったと回顧しています。そもそも、日本側が首謀者ではないなどといった主張は何を根拠にしたものなのか疑問があります。--彩華1226 2011年2月4日 (金) 15:07 (UTC)
- 金文子氏は日本の大学に学びましたが、博士号も取れず退職した方です。本人も「私は(中略)大学院修士課程を終え、引き続き七年間も史学科助手の職を与えられながら、一人前の研究者になれないまま退職した、研究者の「落ちこぼれ」です。」と述べているとおりです。司馬遼太郎が研究者ではなく執筆家であったのと同じく、社会的通年からして金文子氏も執筆家と考えるのが妥当でしょう。法学部を出たから法律家、医学部を出たから医学者というわけではありません。歴史研究者を称するなら最低限のライセンス(せめて博士号)が要ると思います。著書「朝鮮王妃殺害と日本人」の著述も、自己に都合の悪い資料は無視(純宋、高宋の証言、朝鮮人実行犯の証言など)するか根拠もなく否定するといった具合で、その内容も在日2世らしい日本への憎悪に満ちており、とても学術的・中立的とはいいがたい内容でした。彼女の推理は興味深いものですが、彼女自身の裏づけのない憶測が強すぎ、資料として引用するに足りる信憑性のあるものとはいえないと思います。--以上の署名のないコメントは、61.23.228.34(会話/Whois)さんが 2011年5月6日 (金) 22:17 (UTC) に投稿したものです。
- 何に対する反論なんですか。意図がわかりません。「博士じゃないから研究者じゃない」のであれば元中学校の先生で博士じゃない「信長研究の第一人者」[1]谷口克広氏は研究者じゃないんですね。何の反論にもなってませんし、そもそも何に対してどう反論しようとされてるのかすら伝わってきませんでした。--彩華1226 2011年5月9日 (月) 12:00 (UTC)
現在の外部リンクについて
個人のブログであり、外部リンクに関するガイドラインに反しています(「掲載すべきでない外部リンク」8.)。特に異論がなければ削除します。--Yacchi 2008年2月17日 (日) 17:07 (UTC)
賛成です。--Brackcandy 2009年3月8日 (日) 11:06 (UTC)
僭越なことですが賛成者のわたしから削除します。--Brackcandy 2009年4月20日 (月) 02:36 (UTC)
定義文についての2011年4月以降の議論
閔妃殺害が1894年の王宮占拠事件に倣ったクーデターであることは、日本国内における裁判及び三浦や杉浦などの回顧録ではっきりと発言されていることです。日本国内における裁判はインチキで親日派政権が日本に事大して行った裁判は正しいとか、冗談にも程があります。--彩華1226 2011年4月30日 (土) 12:57 (UTC)
そもそも、日本の外務省が編纂した『新版 日本外交史辞典』や日本の歴史文献をもとに記述しているのに「韓国国内で主流の学説」などということを書くのであればその出典を出してもらえませんかねえ。少なくとも「日本の歴史学上、三浦首謀説が主流(むしろ定説)」という論拠は提示しているのですから。--彩華1226 2011年4月30日 (土) 13:18 (UTC)
>「インチキで」「冗談にも程があります」 きわめて感情的な方ですね。冷静になってください。閔妃にもっとも殺意をもっていた人物は閔妃に身内や周辺人物を無数に殺され、自分自身も殺されかけた興宣大院君でしょう。高宗はこの事件をきっかけに大院君を失脚させました。そして実父でありながら大院君が死んださい、正式の葬儀も行いませんでした。亡くなった当日の簡略の葬儀にも参列していません。(皇太子の純宗は顔を出しましたが)乙未事変で高宗大院君親子にとって致命的亀裂が入ったということでしょう。大院君が事件に無関係だったというのは状況的にもあまりにムリがあります。--219.176.114.38 2011年4月30日 (土) 13:21 (UTC)
- 少なくとも、原状の私の編集については日本における文献・史料に基づき記述しています。論拠に基づき「日本の歴史学上、三浦首謀説が主流(むしろ定説)」と記述していることへ疑義を表明されるのであれば、あなたのその主張の出典を示してください。そうしないままで、同様の編集を強行されるのであれば、Wikipediaのルールに反する行為です。--彩華1226 2011年4月30日 (土) 13:28 (UTC)
手元にある日本の書籍をざっと探ってみましたが、次のように書かれていました。
- [閔妃虐殺事件]1895年,日本公使三浦梧楼の指揮により日本軍人・大陸浪人らの手で閔妃が殺害された事件。……(平凡社『世界大百科事典』執筆担当:吉野誠)
- [閔妃殺害事件]1895年(明治28年)10月8日,李氏朝鮮第26代国王高宗の妃閔妃(明成皇后、1851-1895)が日本軍人、大陸浪人らに殺害された事件。……これに危機感を抱いた日本公使三浦梧楼の指揮により日本軍人・大陸浪人らは、反日派の中心人物と目された閔妃を、10月8日未明王宮内で殺害、その遺体を焼き払った。……(小学館『日本歴史大事典』執筆担当:宮田節子)
事典の記述レベルでこのように書かれている以上、この事件を三浦梧楼ら日本の謀略であるとみなすのも、それが通説であると記述することも、別に問題はないと思います。--Joffed 2011年4月30日 (土) 14:02 (UTC)
保護から1週間以上経過しましたが、現在まで「日本の歴史学上、三浦首謀説が主流(むしろ定説)」に反対する意見および論拠が示されませんでした。編集合戦以前の「日本の歴史学上、三浦首謀説が主流(むしろ定説)」とする記述[2]へ復する合意が確認されたと見なしても差し支えないでしょう。--彩華1226 2011年5月9日 (月) 12:04 (UTC)
- 韓国国内では日本公使三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデターとする学説が主流である[3][4][5]
- 現在の保護中の本文(しかも冒頭)にすでに書かれているため、あなたの版に戻す必要性を感じません。「韓国国内では」のみ現在の本文から除去すればよいのではないでしょうか。彩華1226さんのリンクした版は、「日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデターである。」と説を説としてではなく、事実として断定表現で書かれてあるため、危険性があります。よってリンク先の版に戻すことは反対を申しておきます。--220.147.34.7 2011年5月14日 (土) 15:44 (UTC)
「事件の首謀者が興宣大院君なのか三浦梧楼らなのかは議論がある」の出典って一切無いですよね。そもそも「三浦首謀説が定説である」記述に対する反証は現在まで一切提示されたことがありません。また、1894年の王宮占拠に倣って三浦・杉浦ら日本公使館員らが主導したこの事件を「閔妃と大院君との権力闘争の帰結」として日本側が情報操作を行ったことは論証済みです。にも関わらず、さも「閔妃と大院君との権力闘争の帰結」かのように記述すること自体、学術的な検証を無視した百科事典として体裁をなさない記述です。--彩華1226 2011年5月15日 (日) 15:53 (UTC)
- 彩華1226さん、あなたはそもそも[乙未事変]を全文読んでいませんね。「出典って一切無いですよね」って、あなたぜんぜんこの項目を読んでいませんね。最後まで読んでください。そもそもあなたの記述だって、韓国内で興宣大院君を主犯とする説があると書いてあるじゃないですか。是非この項目の全文も読んでいただきたいですが、まず自分が書いている内容も理解してください。あなたは、自分が書いていることすら理解していません。たいへん残念なことです。--219.176.114.79 2011年5月15日 (日) 16:27 (UTC)
「大院君首謀説」について一次資料(しかも19世紀末から20世紀初頭までのものだけ)以外の出典は出せないんですね。というか無いんでしょうな。そもそも首謀者である三浦や杉浦が「自分でやった」「大院君は担いだだけ」って言ってるわけだし--彩華1226 2011年5月16日 (月) 17:47 (UTC)
保護が解除されましたが、現状までの議論で私の記述に対する反論及び否定的な意見が被ブロックユーザーである祇園精舎=219.176.114.38さん以外になかったため、原状に復しました。--彩華1226 2011年6月18日 (土) 13:05 (UTC)
219.176.114.79さんの編集の問題点
とりあえず、あなたの記述の問題について列挙させていただきます。反論とその根拠となる出典を提示しないまま、差し戻しを強行しないでください。
- ただし現在、日本人が事件に加わったことは定説になっている。
- 「加わったこと」が定説ではない。三浦が指揮した(=日本人が首謀した)ことが定説であり、その論拠となる出典は脚注及び当ノートページですでに提示されている。また、「ただし現在」どころか事件直後から日本の関与が国際問題になっています。
- 日本公使三浦梧楼らが親露派の閔妃を排除するため、事件に積極的に関与したとされる。
- 出典としてあげた文献すべてで、三浦が指揮ないし首謀したと明確に述べられています。言葉を濁さないで下さい。
- 韓国国内でも興宣大院君を首謀者とする説がある。
- 兪吉浚は李朝末期の政治家です。「現在そういう説がある」のではなく「言説も残っている(そう言った人もいた)」なのです。
- 事件の首謀者が興宣大院君なのか三浦梧楼らなのかは議論がある。
- 前述したとおりです。「議論」の出典が示されないのではお話になりません。
- なおこの事件を期に、興宣大院君と高宗の亀裂は決定的となり...
- 当該段落には大院君の死に対する高宗の対応について記した一次資料のみが論拠とされています。「事件を閔妃と大院君との権力闘争の帰結」として分析、解釈、評価する特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成が行われており、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料における「分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません」との観点からも、不適切です。
--彩華1226 2011年5月15日 (日) 16:14 (UTC)
- せっせと編集・追記を続けられていますが、反論とその根拠となる出典の提示が一切ありませんね。4月30日にもご忠告申し上げたはずですが。--彩華1226 2011年5月17日 (火) 14:43 (UTC)
日本は国家存亡の命運をかけ、大国清と戦い、それに勝ちました。やっとの思いで大戦を制したのに、下関条約の3ヶ月後に閔妃がロシアと組んでクーデターを起こしたとき、日本サイドは閔妃を絶対に殺してやると思ったでしょうね。1年前は穏便な無血クーデターのようなものでしたが、三浦梧楼がからんだクーデターの時は、ビンラディンと同じだったでしょう。はじめから閔妃殺害ありきだったと思います。よって1年前の「再現」ではありません。このクーデターはもはや日本だけがどうのとか、三浦梧楼だけがどうのではありません。閔氏政権下の現役軍部大臣も訓練隊隊長も高宗の腹心中の腹心であるはずの親衛隊隊長までもが閔妃殺害に与していました。日本と「親日派」政権は「仲間」ですから、彼らをお咎めなしにしましたが、高宗は絶対に許せなかったんでしょう。日本の「魔の手」が伸びないロシア公使館の中に引き篭もり、そこから彼らを死刑にするよう勅命をだしました。可愛さ余って憎さ百倍だったんでしょう。絶対に許せない、絶対に殺してやると思ったんでしょう。
三浦梧楼が上司でその部下として大院君が事件に加担したとか、現役の軍部大臣が三浦の部下として加担したとか、高宗の親衛隊隊長が三浦の部下として加担したなんて話じゃありませんよ。そんなに三浦梧楼は偉くないでしょう。三浦は朝鮮に赴任したてですしね。みんなで動いたんですよ。それこそ興宣大院君と閔妃の権力闘争、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いが複合的にからんで動いたんですよ。もちろん三浦梧楼は中心的役割を果たしたと思います。しかし高宗でも閔妃でもないのに、現役の軍部大臣や現役の親衛隊長を巻き込むことができたのは、やはり大院君がフィクサーだったせいでしょう。これは状況的に間違いないでしょう。まあここで書いたようなこと解釈であり本文にはそぐわないので書きませんが。彩華1226さんは「悪いのは全部三浦梧楼」「三浦梧楼は極悪人」「閔妃殺人は全部日本のせい」という思いが際立って強いようですが、そうではないと思いますよ。もっと複合的なんです。--祇園精舎 2011年5月17日 (火) 16:19 (UTC)
- 祇園精舎さんのコメントですが、ことごとく「高宗は絶対に許せなかったんでしょう」「可愛さ余って憎さ百倍だったんでしょう。絶対に許せない、絶対に殺してやると思ったんでしょう」「そんなに三浦梧楼は偉くないでしょう」「やはり大院君がフィクサーだったせいでしょう」「そうではないと思いますよ。もっと複合的なんです」のようになっておりますが、それらの見解は「(ご自身以外の)誰が」主張しているのでしょうか。少なくともこの書き方では、ご自身の推測(独自研究)のように見えてしまい、私のみならず、彩華1226さんを納得させられるとは到底思えません。「(ご自身以外の)誰が」このように主張しているのかを、一つずつ出典を引用してでも明示すべきです。
- 219.176.114.79さんの要約欄のコメントなどで見える、彩華1226さんへの「朝鮮の方」「朝鮮人偏向史観」「プロパガンダ」という自身の推測による決めつけは、個人攻撃です。--Joffed 2011年5月17日 (火) 22:30 (UTC)
- 言いたいことはJoffedさんとおおむね同じです。“「悪いのは全部三浦梧楼」「三浦梧楼は極悪人」「閔妃殺人は全部日本のせい」という思い”で書いているのではなく、日本における学術研究の成果が「三浦が首謀者である」「大院君はかつがれた」となっているから書いているだけです。そもそも“「悪いのは全部三浦梧楼」「三浦梧楼は極悪人」「閔妃殺人は全部日本のせい」”などとは全く思っておらず、「拙劣な計画で拙劣に実行された拙劣なクーデターのせいで日本は不必要な閔妃殺害という結果と日清戦争の目的と成果(朝鮮の独立=日本の影響下におく)の喪失を招いた」というのが私の個人的な感覚です。「○○が悪い」「日本のせいだ」のような低質な一部の韓国人や「すべて韓国人のせい」「韓国人がレベルが低かったから起こった」のようなネトウヨ連中の発想は、Wikipediaでは排除されるべきです。--彩華1226 2011年5月18日 (水) 07:23 (UTC)
ここでは事実の流れをわかりやすく書いたんです。ここに書いた内容を本文で書けば問題でしょうがここはノートです。
>「高宗は絶対に許せなかったんでしょう」「可愛さ余って憎さ百倍だったんでしょう~」
別にこんな感想はどうでもいいんです。しかし決定的に重要なのは、高宗は日本に干渉されたり命を狙われることのないロシア公使館の中から閔妃殺害時、朝鮮の軍部大臣だった趙羲淵、親衛第二大隊長だった李軫鎬、訓錬隊第一大隊長だった李斗璜、訓練隊第二大隊長だった禹范善、訓練隊副隊長だった李範来、朝鮮警務使だった権濚鎮の6名に死刑の勅命を出したことです。事件直後に復権した「親日派」とされる金弘集政権下では、高宗は特赦を出し、事実上のお咎めなしになっていました。しかしロシア公使館に逃げこんで、ロシアに身の保全をされ、日本や金弘集に干渉されない立場になってから、閔妃殺害事件に関与したことを理由に自分の近臣に死刑の勅命を出しました。こういう事実がほとんど反映されず、金文子なるまったく無名の市井の物書きの素人の推理が「学説」になってしまうのはおかしいと思います。別にそういうものをウィキペディアに書くななどといいませんが、日本書紀でいうところの「一書に曰く」レベルです。私がこのノートに数時間前に書いたようなものはどうでもいいんです。誰が本当はどう考えたとか本当はどうしたかったとかは重要じゃないんです。重要なのは事実(行動)です。たとえば大院君はこの事件で失脚しました。「失脚した」はまさに事実であり、こういうことが重要なんです。この項目ではこういう事実がわざと軽視されていました。日本人が行った事実は誰も知らない金文子の推理込みでどんどんデフォルメ巨大化され、朝鮮人の行った事実は一次資料があるものまで「なぜか」無視されていました。事件直前に朝鮮人兪吉浚がアメリカ人牧師モールスに送った手紙に書かれた「大院君が日本公使館に頻繁に出入りして、閔妃殺害を日本に要請したのは大きな間違いだ」などは黙殺されるわけです。そういうことをきわめて恣意的だと思い、プロパガンダと書きました。とてもじゃないが中立性を欠いているからです。Joffedさんはまだ[乙未事変」の全文を読んでいないと思います。かなり未整理状態で読みにくいですが、ポイントになる事実はかなり網羅されているんじゃないでしょうか。まず無名の物書きの推理ではなく、当時の資料がなにを残しているのか読み込んでください。だいたいの全体像が浮かんでくるんじゃないでしょうか?しかしそういうものは私の解釈になるので本文に書きませんでした。「朝鮮はまったく悪くない。悪いのは全部日本」とか「罪一等は三浦梧楼。悪いのは全部三浦梧楼」でもなければ「悪いには全部大院君。影で筋書きを書いたのは全部大院君」でもないと思います。中国や北朝鮮や韓国は国定歴史教科書を使いますが、歴史の解釈は絶対無ニで一つだけなんです。解釈を許しません。世の中の事象は多様性があるんですけどね。「金文子がいってるんだからこれはもう覆しようのない事実であり真実であり学説である」みたいな書き方とか「三浦梧楼が悪人でることはもう決定事項なんです!」みたいな書き方とか「三浦梧楼が全部やったことは定説なんです。定説は絶対無ニなんです。定説こそが絶対真理なんです」みたいな書き方はやめたほうがいいと思っています。
冒頭部分と概要を読めばこの事件の大きな流れと背景はつかめますから、すべての罪を特定の者だけに押し付けるとかじゃなく、今みたいな記述でいいんじゃないでしょうか?--祇園精舎 2011年5月18日 (水) 02:57 (UTC)
- 大学の研究室にいて、研究者として従事していた金文子が一介の物書きなら元中学教師で「信長研究の第一人者」である谷口克広は(以下同文[3] 感情を学術研究に優先させるのであればWikipedia以外のところでやるべきでしょう。
- そして同じことを何度言えばいいのかわかりませんが、少なくとも、原状の私の編集については日本における文献・史料に基づき記述しています。論拠に基づき「日本の歴史学上、三浦首謀説が主流(むしろ定説)」と記述していることへ疑義を表明されるのであれば、あなたのその主張の出典を示してください。
- ちなみに、金は在日でハングルが読めないので日本の史料(当事者たちの証言・回顧録・日記など)を研究の題材としたと本人が言っています。--彩華1226 2011年5月18日 (水) 07:23 (UTC)
彩華1226氏への本質的反論
韓国は最近、作ったばかりの法律で韓国では「売国奴」とは同義語に近いとされる「親日派」なる人物を認定し、「親日派」に認定された人物の子孫が保有している財産を国家が没収するという暴挙を行いました。事後法で場合によっては100年以上前のことを裁くという法治国家にあるまじき破廉恥な行為でした。しかも今年になって国家による財産の没収を韓国の憲法裁判所は合法と認めました。もうあきれるばかりです。韓国はまだ近代国家ではありませんでした。
私がまずいいたいのは韓国が近代国家でないのと同様、彩華1226氏も近代人じゃないということです。
閔妃が暗殺されたのは今から116年前ですが、日本も朝鮮も法治国家でした。裁判が行われていたんです。たとえその精度が低くとも、法治国家にとって裁判結果は絶対的なものです。
結局事件の真相は「神のみぞ知る」です。どんなに資料を集めてもそうです。この事件で「結論」として断定的に記述できることは裁判結果や高宗が出した死刑の勅命等までです。彩華1226氏はこの裁判結果を記述の後ろのほうに回したり、隠そうとしたがりますが、論外です。推定無罪の概念を彩華1226氏は間違いなくご存知ありませんから、ネットで調べて勉強してください。私は彩華1226氏の強い主張を一部取り入れ、日本の在朝鮮勢力が事件に「直接関与した」とか「三浦梧楼が事件に積極的に参画したとされる」と書きましたが、裁判で無罪になった人間を罪人扱いしてはいけないんです。彩華1226氏はこの近代人の感性が欠落しています。私があえて「感性」という言葉をはさんだのは、学問としては、裁判結果より、より深い真相を追及しようというのはあっていいからです。
彩華1226氏は2011年2月11日からこの項目に強い関心を示し、猛烈な連続編集を開始しますが、それ以前の冒頭は以下のとおりです。
乙未事変(いつびじへん、朝: 을미사변)とは李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。朝鮮語ではウルミ、俗に「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。
彩華1226氏が猛烈編集中の2011年2月18日現在の冒頭部分は以下のとおりです。
2011年2月18日 (金) 乙未事変(いつびじへん、朝: 을미사변)とは李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。朝鮮語ではウルミ、俗に「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデターであり、朝鮮王室内部でのクーデターに見せかけるために興宣大院君(高宗の父)や朝鮮兵である訓練隊が利用されたとの説が一般的である。しかし、事件直後に親日派政権が朝鮮国内で行った裁判で大院君の首謀として決着させたこともあり、事件の首謀者を大院君とする韓国国内での言説も残っている。
どんなに疑わしくとも、日本も朝鮮も法治国家であり、両国の裁判で無罪になった三浦梧楼は歴史的事実として無罪なんです。学問としていろいろ調べた結果、「三浦梧楼はかなり怪しい」と記述するまではいいでしょう。ところがキム・ムンジャ(金文子)なる奈良女子大学のパートの事務補佐員の推理を理由に三浦梧楼のクーデターと断定的に記述し、一般論として大院君はじめ朝鮮人は利用されただけとしています。
裁判で無罪になった三浦梧楼を断定してはいけないんですよ。なんで高宗が閔妃殺害を理由に死刑の勅命を出した趙羲淵(軍部大臣)、李軫鎬(親衛隊長)、訓李斗璜(訓練第一隊長)、禹范善(訓練第二隊長)、李範来(訓練副隊長)、権濚鎮(朝鮮警務使)の以上6名が無罪なんですか?朝鮮の裁判で「王妃殺害を今回計画したのは私です」と証言して死刑になった李周会(軍部協辨次官)がどうして事件と無関係といえるんですか?同じく朝鮮の裁判の結果死刑になった朴銑(日本公使館通訳)、尹錫禹(親衛隊副尉)がどうして無関係といえるんですか?当時の李氏朝鮮は独立国になったばかりであり、日本に併合される15年も前です。
金完燮は「親日派のための弁明」で閔妃を侮辱したとして、閔妃の子孫に韓国で告訴され、なんと金完燮は閔妃の子孫に裁判で負け、賠償金を払わせられました。あなた韓国だったら、三浦梧楼の子孫に賠償金を払わなければなりませんよ。日本に住んでいるあなたは本当に幸せです。
彩華1226氏は近代国家を理解していない。法治国家を理解していない。推定無罪を理解していない。学問が出来ること、出来ないことを理解していない。そういうことに対する限界の意識がない。畏れがない。事務補佐員の主張を根拠に「すでに論証済みです(ノートにて)」など、歴史に対する謙虚さもない。日本は事後法で国家が財産を没収するような無茶苦茶な国ではないんです。そういうことを理解してください。どんなに徹底的に研究したところで事実は裁判結果や高宗が出した死刑の勅命等までなんです。それ以外のことは解釈であり憶測なんです。どんなに精度をあげようが永久に憶測の領域から出られないんです。そんなものを根拠に断定など出来ないんです。
なお奈良女子大学のパートの事務補佐員が学者なら財務省で朝の10時から夕方5時まで電話交換のパートをやってる主婦は財務省官僚ということになります。私は井沢元彦氏の本は好きですが、彼の歴史解釈は日本の社会通念上、いくら納得感があってもそれを学説とは呼びません。事務補佐員がいってるからと、裁判で無罪になった三浦梧楼を殺人犯と断定するなど言語道断です。--219.176.114.79 2011年5月19日 (木) 02:18 (UTC)
- あなたは、歴史という学問の根本をわかってないという一言で終わらせてもらって構いませんか? もう一言あります。ルールを熟読いただけませんか。「百科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです」(Wikipedia:信頼できる情報源#事実より引用)。前回の保護期間中に当ノートページでの合意もこの原則に従って行われました。
- はっきり言いますよ。私は当項目の編集に一ミリたりとも私個人の意見を記述しておりません。「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論について」「信頼できる情報源」にあたり、「出典を明記」(いずれもWikipedia:検証可能性より引用)して記述しただけです。さらに、Wikipedia:検証可能性とは「○○という広く信頼されている発行元からすでに公開されている学説・研究を行った人物はパートだ」と言い募ることを言うのではありません。
- では、あなたがしきりに『学者ではない』『パートだ』と言い募るのであれば金氏の師である中塚明氏の著書でも出典に使いましょうか。学者ですからね。まあ、中塚氏の著書を出典に用いた場合のWikipedia:検証可能性を逸脱したあなたのリアクションも予想できます。「偏向だから」「反日学者だから」「拉致事件をでっちあげと言った親北だから」あたりでしょうか。
- 最後に日本における「広く信頼されている発行元からすでに公開されている事実、表明、学説、見解、主張、意見、および議論について」記述したことについて「朝鮮人偏向史観」「特定外国のプロパガンダ」「ウリナラマンセーすぎます」と述べたことについて、どうお考えですか。Wikipediaにおけるルールに反した暴言だと思うのですが。--彩華1226 2011年5月19日 (木) 19:13 (UTC)
彩華1226氏の記述は「国際人権規約」違反です。「推定無罪」から逸脱しています。
彩華1226氏の記述は、日本も1979年に批准した「国際人権規約」に明確に違反しています。「推定無罪」は国際ルールです。国際ルールはきちんと守ってください。
断定してはいけないんですよ。断定できないんですよ。彩華1226氏が2011年2月に[乙未事変]の連続編集を開始するまで、この項目は常識と節度がありました。ところがあなたなんですよ。近代とは何かを理解していないあなたが編集して異常になったんですよ。あなただけがおかしいんです。あなたが編集するまでは、近代社会の常識が働いていたんですよ。
ウィキペディアのルールがどうのという小さな話じゃないんです。あなたの記述は明確な「国際人権規約」違反なんです。
菅直人は第94代内閣総理大臣です。第94代というのは戦後の鈴木貫太郎からでも、日本国憲法が制定された吉田茂からでもありません。伊藤博文から数えて第94代です。日本国は、伊藤博文からは同じ国体のもとに運営されているというのが第94代なんです。
三浦梧楼は今からわずか86年前まで生存していた人物です。その三浦梧楼は閔妃殺害容疑で裁判を受けましたが、無罪になりました。本当は殺害に関与しただろうと思っても、公の場での発言や記述は「推定無罪」の原則に従わなければなりません。ウィキペディアで合意されたから、免田事件の免田栄は本当は殺人をやったとか断定してはいけないんです。三浦梧楼の件と免田栄の件はまったく同様に扱われるべきなんです。菅直人は第94代内閣総理大臣なんですから。
彩華1226氏はなぜ近代および近代国家をいまだに理解できないんですか!?たとえ理解できなくても、「推定無罪」の原則の逸脱は許されません。あなたが理解力の弱い人間だとしても「推定無罪」の原則は等しく守らなければなりません。理解できないから破っていいという話ではありません。
彩華1226氏が2011年2月に[乙未事変]の編集をはじめるまで、もちろんいろんな人が編集してきたんでしょうが、節度や常識がありました。彩華1226氏が編集を行う直前の内容は以下で確認できます。 http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E4%B9%99%E6%9C%AA%E4%BA%8B%E5%A4%89&diff=34415441&oldid=33761919
ところがあなたがキム・ムンジャ(金文子)なるパートの事務補佐員の説を根拠に「日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデター」と断定表現を持ち込みました。あなただけなんですよ。「国際人権規約」違反をしているのは。
三浦梧楼も免田栄も裁判所が無罪とした人物ですから犯罪者と断定してはいけないんですよ。ウィキペディアで合意されても無罪の人間を有罪と断定できないんですよ。ウィキペディアで合意されても人を殺してはいけないし、「国際人権規約」を違反してもいけないんですよ。
そもそもなぜわざわざ断定しなければならないんですか?今の記述は節度と常識があります。なぜなんですか?なぜ推定無罪という近代国家のルールを逸脱してまで断定しなければならないんですか?この事件に関する資料はこの項目を読んだり、脚注をたどっていくとかなりのものが網羅されています。それらに全部目を通せば、断定表現なんかとてもじゃないが使えませんよ。だから2011年2月に彩華1226氏が書き込みを行うまでは誰も断定などしなかったんです。
現在の本文記述はきちんと節度と常識を守ったものであり、ここにあなたのように「推定無罪」のルールを犯してまで断定記述を持ち込む必要性はありません。いや、間違えました。絶対に断定記述を持ち込んではいけません。「国際人権規約」を守ってください。
<現在の本文冒頭部分>
乙未事変(いつびじへん)は、李氏朝鮮の第26代国王高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。韓国では「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。 朝鮮国内で行われた事件直後の裁判は、興宣大院君(高宗の父)を事件の首謀者とする朝鮮王朝内の権力闘争として決着させた[1][2]。ただし日本の在朝鮮勢力が事件に直接関与したことは現在定説になっている。日本公使三浦梧楼らが親露派の閔妃を排除するため、積極的に事件に参画したとされる[3][4][5]。 事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた[6])、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いがあった。
上記の文章は、きわめてバランスがとれています。日本の関与にもきちんと触れています。彩華1226氏が「国際人権規約」に違反した内容より、異次元的に優れています。--219.176.114.79 2011年5月20日 (金) 01:18 (UTC)
- とりあえず思ったことをいくつか。
- >三浦梧楼は今からわずか86年前まで生存していた人物です。その三浦梧楼は閔妃殺害容疑で裁判を受けましたが、無罪になりました。本当は殺害に関与しただろうと思っても、公の場での発言や記述は「推定無罪」の原則に従わなければなりません。
- >裁判所が無罪とした人物ですから犯罪者と断定してはいけないんですよ。ウィキペディアで合意されても無罪の人間を有罪と断定できないんですよ。
- おそらくここでいう推定無罪は一事不再理の言葉を指しているのだろうと思いますが、これはあくまで国家や政府として一度無罪と決まった人間に対しては刑事責任を問わないというものであり、別の機会(議会調査、国際機関調査、民事訴訟、学者調査など)が刑事訴訟と異なる事実認定(又は刑事訴訟で認定した事実認定の否定や刑事訴訟と異なる有力仮説)をすることを禁止するものではないのではないでしょうか?
- 例えば、O・J・シンプソン事件では刑事訴訟では殺人罪の無罪が出ましたが、遺族による民事訴訟では殺人の責任を認定した例があります。
- >ウィキペディアで合意されたから、免田事件の免田栄は本当は殺人をやったとか断定してはいけないんです。
- ここで例をあげるとすれば、四大死刑冤罪事件の中でもアリバイが明白で無実が明らかな免田栄よりも松戸OL殺人事件で無罪で出所後に足立区首なし女性焼殺事件で無期懲役になった小野悦男のほうがいいんじゃないですか?--122.215.123.107 2011年5月20日 (金) 08:11 (UTC)
- そうですか。「三浦首謀説」を記述してる日本外交史事典や各社の百科事典や事件について研究を行って著書を書いた研究者は国際人権規約違反ですか。学問の自由って知ってる? --彩華1226 2011年5月20日 (金) 18:09 (UTC)
原田敬一 (歴史学者)の書評「金文子著『朝鮮王妃殺害と日本人―誰が仕組んで、誰が実行したのか』」(『女性史学』2010年 第20号,169-171頁)を入手したので、いくつか記述を引用します。
- 本書は、①全容を初めて網羅的に示した、②ほとんどの論点で実証的に解明された、③それらには新しい史料環境が十分活用された、という特色を持つ。
- 事件に日本政府がどこまで関与していたのか、という点に関心が注がれて、時系列的に史料を追って示したものはなかった。本書は初めて網羅的に示し、十分な実証を果たしている。
- もちろん、著者は福島県まで史料調査に赴くなど、多くの努力を払っており、その経緯も読むに値する。
- こうした日本での研究状況に、韓国の研究者はより厳しい。崔文衡(金成浩・齊藤勇夫訳『閔妃は誰に殺されたのか』彩流社、二〇〇四年二月)のように、井上馨を主犯とする日本政府首謀説を展開し、三浦梧郎は従犯と位置づけられる。
- 本書は、「大院君のクーデターに見せかけて」(二八一頁)、閔妃の排除を目標とした「三浦梧郎の謀略計画」(二四四頁)であり、そこに日本政府が関与したと説明している。直接手を下したのは陸軍軍人で、壮士は「日本の軍隊の関与を隠蔽するために利用された」(二〇三頁)とする。諸説が紛々としていた混乱が一挙におさまった感のする結論である。
この後若干の疑問点(宮本竹太郎少尉が裁判にかけられなかった理由、陸奥宗光の事件の関与をもっと重視すべし、本当に狙いは「電信線」であったのか)を述べた後、次のように締めくくっています。
- 題名も「朝鮮王妃殺害と近代日本」のほうが、ふさわしくないだろうか。労作に対する一つの提案である。
言うまでもありませんが、強調は引用者によるものです。--Joffed 2011年5月20日 (金) 09:44 (UTC)
くだらないイメージや印象の話をしても意味がありません。[乙未事変]で彩華1226氏が行った編集の実態を冒頭部分で明確化させておきます。彩華1226氏が他の編集者によって変更される直前の編集をここの明示しておきます。彼女が何をやりたかったのかが具体的によくわかります。
*彩華1226氏がかかわる直前の編集内容(2010年10月10日 (日) 13:44時点における版)http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E4%B9%99%E6%9C%AA%E4%BA%8B%E5%A4%89&diff=34415441&oldid=33761919
乙未事変(いつびじへん、朝: 을미사변)とは李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。朝鮮語ではウルミ、俗に「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。
*彩華1226氏が連続8回編集(別の編集者はしまあじ氏の1回のみ)を行ったあとの編集内容(2011年2月10日 (木) 12:13時点における版)http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E4%B9%99%E6%9C%AA%E4%BA%8B%E5%A4%89&diff=36288045&oldid=36288038
乙未事変(いつびじへん、朝: 을미사변)とは李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。朝鮮語ではウルミ、俗に「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデターであり、朝鮮王室内部でのクーデターに見せかけるために興宣大院君(高宗の父)や朝鮮兵である訓練隊が利用された[1][2]。
この編集のあと、違う編集者が彩華1226氏による記述にクレームをつけはじめます。ここで押さえておくべきは、この内容こそが純粋な彩華1226氏の記述内容です。
そして現在の内容です。http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E4%B9%99%E6%9C%AA%E4%BA%8B%E5%A4%89
乙未事変(いつびじへん)は、李氏朝鮮の第26代国王高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。韓国では「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。
朝鮮国内で行われた事件直後の裁判は、興宣大院君(高宗の父)を事件の首謀者とする朝鮮王朝内の権力闘争として決着させた[1][2]。ただし日本の在朝鮮勢力が事件に直接関与したことは現在定説になっている。日本公使三浦梧楼らが親露派の閔妃を排除するため、積極的に事件に参画したとされる[3][4][5]。
事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた[6])、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いがあった。
彩華1226氏は現在、最新版の内容に納得せず、自分の内容に戻して[乙未事変]に編集保護をかけるよう管理者に依頼したところ、管理者は彩華1226氏の版ではないほうで保護をかけました。彩華1226氏はこの保護の直後、「Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック」に憤怒の書き込みを行っています。保護が解除されたら、すぐに自分の版に戻すつもりだと思います。
長々と書いて書き疲れが出てきました。もうイチイチ自分で寸評を加えません。この3つのうち、どれがもっとも妥当なんですかという話なんです。--219.176.114.79 2011年5月20日 (金) 10:48 (UTC)
- コメント 本質的ではありませんが、1点だけコメントします。削除依頼しないといけないような権利侵害や荒らしなどの場合を除いて、単なる編集合戦の場合は、保護をかける版を選ぶことはできません。管理者は、対処する時点の版そのままで保護をかけることになります。--Jkr2255 (Talk/History) 2011年5月21日 (土) 02:35 (UTC)
- コメント コメント依頼を見てまいりました。現状、こちらはWikipediaの議論として違和感のある流れとなっています。IP219.176.114.79さんのすべきことは、Wikipediaのルールにのっとって、自らの主張を裏付ける彩華1226さんの要求する内容の出典を探し、それを得て初めて自らの記述をのせるよう議論を進めることです。Wikipediaは信頼のできる百科事典以外の何者も目指していませんので、自らの正当性の主張はWikipediaのルールをもってなさってください。また、その際には彩華1226さんの編集保護依頼と投稿ブロックへの行動への当て推量のような、議論に何ら益をもたらさない敵意を抑えてくださいますようよろしくお願いします。--Sikemoku 2011年5月21日 (土) 05:10 (UTC)
- コメント そもそも単なる憶測で彩華1226さんを「朝鮮の方」と決めつけたあなたが「推定無罪」などをもちだすのは、おこがましいことではないですか。それと「くだらないイメージや印象」ですって?専門家・研究者の評価といった有効な根拠を何ら示さず、「金文子はパート」などという言葉を連ねるのみで、ただただ彼女の著作への印象操作をしているのは、あなたご自身ではないですか。原田氏は(Wikipediaの経歴や著作を見る限り)れっきとした近代日本史の研究家であり、先の書評は金氏の著作を「十分な実証を果たしている」「労作」とまで評価しておりました。これは彩華1226さんが金氏の著作を出典とする根拠の一つとなるのではないですか。またどうも誤解しているようですが、事件を「日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデター」「大院君を担ぎ出した」としているのは、金氏だけではありません。目についたものを見た限りでも、『朝鮮史』(山川出版社、新版 世界各国史、2000年)や海野福寿『韓国併合』(岩波新書、1995年)でもやはり同様の記述をしていますよ。--Joffed 2011年5月21日 (土) 08:20 (UTC)
Joffed さん、こんにちは!私はすでにものすごい資料を発見しています。「こんなものが世の中にあったのか!」と思われるほどすごい資料です。しかもデータはアジ歴から直接リンクを貼ることができます。http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi080.html#80q
Joffed さん、これから一緒に力をあわせ、[乙未事変]の真実に迫りましょう。私が想像していた以上に大院君がこの事件に深く関わっており、本当にびっくりしました。そういうものを全部アジ歴にリンクさせ、どんどん[乙未事変]に書きこんでいきましょう。この資料の内容を全部[乙未事変]に書きこむくらいの勢いでがんばりましょう。 しかし[乙未事変]は6月18日まで保護が解除されません。お互いhttp://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi080.html#80q をしっかり読み込み、勉強しましょう。いやあ、本当に勉強になります。これが本物の根拠であり論拠です。 なおあなたは「『朝鮮の方』と決めつけたあなたが「推定無罪」などをもちだすのは、おこがましいことではないですか」と書きこまれました。街なかで「アメリカの方ですか?」とか「フランスの方ですか?」と聞くのはごくごく普通の行為であり、何の問題もないんじゃないでしょうか?Joffed さんの頭の中にといいますか潜在意識の中に「朝鮮人=罪人」という思い込みがあったとしたら、それはたいへん残念なことです。そういう思い込みはやはりやめられたほうがいいと私は思います。--219.176.114.79 2011年5月21日 (土) 10:35 (UTC)
- ええと・・・Joffedさんが示された出典や私の記述の論拠となる出典を記述された方は、その「ものすごい資料」は当然一読どころか精読した上で、研究の成果として事件は「日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデター」であり「大院君を担ぎ出した」ものだとしているわけですが。もちろん「(あなたが言うところの)パートの」金文子氏もアジ歴の資料を丹念に研究されています。
- で、あなたがJoffedさんに呼びかけられていることの趣旨は「どんどん独自研究を書き込んでいこうぜ」ということでいいのでしょうか。そうとしか読み取れませんが。--彩華1226 2011年5月21日 (土) 17:19 (UTC)
彩華1226氏へ
あなたは2度にわたり、この記事に保護依頼をかけ、また再三にわたり私にブロックを加えるよう管理者にけしかけています。あなたはあたかも「仲裁者」や「被害者」であるかのようなフリをしていますが、何の波風もなかった[乙未事変]にトラブルを持ち込んだ元凶はあなたが2011年2月に行った以下の編集でした。これが全てのはじまりでした。まず共通認識としてご理解ください。
乙未事変(いつびじへん、朝: 을미사변)とは李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃が1895年10月8日に暗殺された事件。朝鮮語ではウルミ、俗に「明成皇后弑害事件」とも呼ばれる。日本公使・三浦梧楼らによる親露派の閔妃を排除するためのクーデターであり、朝鮮王室内部でのクーデターに見せかけるために興宣大院君(高宗の父)や朝鮮兵である訓練隊が利用された[1][2]。
なにも私は三浦梧楼は事件に関与していないなどと言ってません。それどころか「積極的に事件に参画した」と記述しています。私の記述は[乙未事変]は日本がかなり主体的に動いているが、その責任は韓国側にもあるという内容です。ところが彩華1226氏は、交通事故でいうところの過失責任にたとえると、日本に過失責任が100%、朝鮮の過失責任0%を主張しています。根拠は彩華1226氏上記の記述です。
私はそのことに対し、「異常じゃありませんか」「偏りすぎていませんか?」と主張しているんです。私の記述は日本の裁判で無罪になった三浦梧楼の立場を考慮したり、常識とバランスを心がけました。それに対し、彩華1226氏はあまりにエキセントリックにすぎませんか?あまりに偏りすぎていませんか?またその根拠がキム・ムンジャなるパートの事務補佐員の推理ときてますから、もう異常さが際立っているんです。
彩華1226氏が私をブロックするよう「Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック」に書き込みを行うものですから、はじめて「Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック」をのぞきました。のぞいたところ、名前が紛らわしいという理由で5月12日に「利用者:綾華1226」なる人物がブロックされていました。また5月21日には「利用者:彩華1226ハにいと」なる人物がブロックされていました。http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF/%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF&diff=37669212&oldid=37667416
彩華1226氏はみんなに人気があるんですか?それとも人の恨みを買うことばかりをしているんですか?
この[乙未事変]であなたが主張している日本の過失責任100%、朝鮮の過失責任0%も異常なんです。エキセントリックすぎるんです。何かこの記事で起こっていることと「利用者:彩華1226ハにいと」の誕生には因果関係があるんじゃないでしょうか?何か同じ問題が根底に潜んでいるんじゃないでしょうか?--219.176.114.79 2011年5月22日 (日) 02:31 (UTC)
- 今の状態では、あなたが自分の主張を繰り返しても、私や彩華1226さん、さらにWikipediaの管理人たちがあなたの主張に耳を貸す事はあり得ないでしょう。なぜならあなたがこれまで主張してきたことは、ここWikipediaでは独自研究にあたるからです。あなたは「日本の裁判で無罪になった三浦梧楼の立場を考慮したり、常識とバランスを心がけました」といい、彩華1226さんの記述を「『異常じゃありませんか』『偏りすぎていませんか?』と主張しているんです」「日本の過失責任100%、朝鮮の過失責任0%も異常なんです。エキセントリックすぎるんです」などと言っていますが、これらはすべて第三者の見解による裏付けがなく、現時点あなた個人の見解にとどまり、従って「独自研究」でしかないのです。誰かに受け入れてもらうには、これに類似した主張をしている(研究者である)ご自身以外の誰かの主張を持って来なければいけません。アジ歴などの一次資料から見て明らかという主張も通用しません。それはあなた自身が「これらの事実から明らかだと思う」ということを表しているにすぎず、「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に当たるからです(これは彩華1226さんがすでに指摘していますね)。
- あなたがすべきことは、彩華1226さんへの非難ではなく、「研究者の誰か」による当事件に関する研究文献(繰り返しますが一次資料は不可)を調べることなのです。近代日本・朝鮮史の研究者など沢山いるでしょうし、中には「事件には大院君らも共謀していた」という論説だって、探せば見つかるはずです。もっとも現状それらが通説と同等に扱えるかと言えばそれは無理で、公平を期するために、あくまで異説の一つであることが、はっきりと分かるような構成にしなければいけませんがね。念のため言いますが、通説とマイナーな説を同等のように併記することは公平とかバランスとはいいませんので、悪しからず(こうした記事の構成については、もはや私の手に余るので、現状、研究文献の状況を一番把握している彩華1226さんに任せたいというのが私の考えです)。
- そもそも何かを論じようとする際、先行する研究文献でどのような見解がなされているか、どのような主張が主流・多数派(通説)であるかを把握することは、学術研究の初歩の初歩です。それをせずに上の主張を繰り返したところで、まともな研究者なら耳を貸すことはあり得ません。--Joffed 2011年5月22日 (日) 12:35 (UTC)
Joffedさんこんにちは! http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi080.html#80q を読み込んでますか?一緒に勉強しましょう。
まあ、といいつつも、ウィキペディアは倒産しないかぎり、[乙未事変]の編集は10年後も20年後も続いていくわけです。ここで冒頭の記述を必死になって争っても詮無きことです。また誰ががすぐに変更をかけますから。
この事件は解釈の幅が広すぎます。私はデータベースを強化し、解釈の幅を狭める努力をします。私のお薦め資料を使うと、基データの書類名や書類番号を明示しながら、年表が作れます。特に事件直前は何月何日に大院君と三浦公使があってどういう話をしたということを書類名を明示しながら書き込めます。データを時系列で年表化し、きちんとこの項目に提示しておけば、自ずと事件の解釈の幅は狭まっていくでしょう。私が冒頭の書き込みでがんばらなくても、パートの事務補佐員さんなんかの説は自ずと自然淘汰されるでしょう。アニメとか時代劇と同じです。最後はナントカが勝つんです。図書館に行って奈良の事務補佐員さんと正反対の主張を見つけ、この項目上に提示することも出来ますが、ウィキペディアのエンドレス性を考えるとバカバカしい努力という気がします。結局最後に勝つのは一次資料なんです。ミクロの時間単位でウィキペディア上で一次資料が負けても、マクロの時間単位では結局最後は一次資料が勝つとお互い信じましょう。それが学問のあるべき姿なんですから。--219.176.114.79 2011年5月22日 (日) 13:50 (UTC)
- http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi080.html#80q
- で、これ書いたの一帯誰?--Joffed 2011年5月24日 (火) 00:04 (UTC)
Joffedさん、こんにちは! http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/062/resi080.html#80q
- で、これ書いたの一帯誰?
Joffedさん、心から安心してください。私はこのスレをリンク先に指定し、[利用者:Joffed|Joffed]]さんの餌食になるようなことはしませんから。(笑)この資料は触媒です。この資料の内容を使うさいは、きちんと原典にあたる公的文書を明示しながら使います。--219.176.114.79 2011年5月24日 (火) 01:40 (UTC)
VANKの朴団長発言と「李下に冠を正さず」
ウィキペディアの日本語版が「実質的なサイバーテロリスト団体だと考える人も多い」と指摘しているVANKの最高責任者である朴起台(パク・キテ)団長は、世界各国のウィキペディアで工作活動を行っていることを公言しています。韓国東亜日報の取材に対し、工作活動を自らの成果として、誇らしげに語っています。http://news.donga.com/3//20090806/8763983/1 東亜日報の2009年9月21日の記事によりますと、VANKが不都合と考える「韓国料理」に関する記述が各国のウィキペディア上に70あったそうですが、VANKの会員がそれらをすべて書き換えたそうです。ところが各国のネチズンが元の記述に戻したため、結局17個だけ、VANKに都合のいい記述に変更できたんだそうです。VANKの最高責任者が悪びれることもなく、ウィキペディアで工作活動を行っていることを韓国の三大紙上で公言しているわけですから、たいへん残念なことですが、JAWPにもVANKの工作員がいるということです。やってる当事者がやってると公言しているわけですから、やってるんでしょう。
韓国の工作活動集団が工作活動を行っていると声明を出しているわけですから、韓国朝鮮関連の記述は、より神経を使った記述が求められるんじゃないでしょうか?極端な結論を記述するのであれば、それなりの説得力が必要なんじゃないでしょうか?記述する側は自分がVANKの工作員と疑われることを自覚・覚悟し、東洋に古くから伝わる「李下に冠を正さず」の姿勢が大事なんじゃないでしょうか?きちんと人を説得させるだけの努力が必要なんじゃないでしょうか?
デリケートな[乙未事変]に関し、「日本の過失責任100%」、「朝鮮の過失責任0%」みたいな過激すぎる結論を下し、その根拠が在日の大学事務補佐員の推理というのは本当にどうなんでしょうか?あまりに乱暴なんじゃないでしょうか?色眼鏡でみられかねないテーマに対し、あまりに無防備すぎませんか?VANKはウィキペディアで工作活動をやってることを最高責任者が自ら公言するくらい、信じられないほど無防備な人たちですが、工作活動でないのであれば、より慎重な記述が求められるんじゃないでしょうか?私は彩華1226氏の記述はまったく慎重さに欠けていると思います。--219.176.114.79 2011年5月24日 (火) 01:40 (UTC)
- 何をいまさら。ウィキペディアで工作活動をしているのはVANKだけではないです。ソウル特別市もWikipedia:ソウル市知識共有プロジェクトの名目でやっていたのですが。(しかも、韓国PR協会から2009年韓国PR大賞オンラインPR部門で受賞されたそうです。私は相当憤慨しましたが。)--hyolee2/H.L.LEE 2011年5月24日 (火) 04:18 (UTC)
- 『プロパガンダ』だの『工作活動』だの『彩華1226は朝鮮の方』などの私に対する暴言の言い訳がそれですか。私は、VANKとやらに「謝罪と賠償を要求」でもすればいいんですか。関係のないことを持ち出して議論妨害をしていると見なしてもいいんですか? もう、あなたに対して説明や釈明を求める気になれません。日本の研究・文献に依拠した記述を行っているのに、なにが「まったく慎重さに欠けている」んですか。--彩華1226 2011年5月24日 (火) 14:36 (UTC)
補正
一次資料をあわせて一つの結論を導き出してしまっている部分(情報の合成)に出典要求をしましたんで、よろしくお願いします。また、一方の意見が正しいと思わせすぎる編集のされ方に見えましたので、補正し、中立的になるよう調整させていただきました。--202.208.35.94 2011年7月3日 (日) 15:53 (UTC)
- ここまでの議論をしっかりお読みになりましたか? 日本の歴史学上、「三浦首謀説」は定説(さまざまな研究・学説が集約された結果)であり「○○の研究による」ものではありません。--彩華1226 2011年7月3日 (日) 19:48 (UTC)
- 「山田朗などの研究によると」との文言を書いていらっしゃいますが、山田の書籍は「通史」「概説書」に類するものであり、日本の歴史学上の定説である「三浦首謀説」について事実関係を述べたものです。--彩華1226 2011年7月3日 (日) 19:51 (UTC)
- いえいえ。定説はあくまで「説」であり、断定表現で事実のように書いてはならないでしょう。「それが現代の歴史学上の定説となっている」(出典;ほにゃらら)と記載するならば理解もできるのですが。また、私が修正した出典の必要ない部分(「国立国会図書館憲政資料室 憲政史編纂会収集文書の整理番号 546 『朝鮮王妃事件関係資料』」)をわざわざ戻して「要出典」としていることも疑問です。--218.217.115.111 2011年7月4日 (月) 11:29 (UTC)
- 重ねて金文子なる者の意見を記載するならば、彼女が何者なのか記載することも曖昧にしない記載であり、必要なことです。隠す必要はありません。--218.217.115.111 2011年7月4日 (月) 11:32 (UTC)
- このノートでの議論を最初から読んでください。そして、歴史研究における通説・定説の叙述の仕方についても勉強なさってからご発言ください。もう一度いいます。参考文献として提示した山田の概説書は、「山田が研究」して三浦首謀説を記述しているものではなく、山田がこれまでの学術研究の蓄積された結果である歴史学上の定説(あるいは一般常識)としての三浦首謀説を記述しているものです。当該書籍をお読みください。--彩華1226 2011年7月4日 (月) 12:00 (UTC)
- 山田は思想信条が気になる研究者ですが、まあよろしいでしょう。しかし金文子なる者が誰なのかを消し去るのはいかがでしょうか?論文が一部の専門家に評価されようとも彼女は専門家じゃございませんので、何者なのか正確に記載すことは読者に正確な情報を提供するものであり、悪いことではありませんので記載しましょう。また、他の疑問点にお答えいただいておりませんが?また「閔妃を誹謗し、~面白おかしく描くような言説が流布された」という主張を載せると、まるで閔妃のずるがしこさや権力にしがみつこうとした彼女の姿が嘘のように読めてしまいますので、中立的に彼女はどんな人物で、どう評価されているか逆の面からの評価も軽く記載することがNPOVでしょうね。彼女の殺害場所が自称目撃したという証言による場所と違う研究結果もあり、目撃証言が正確とも言えない資料もありますので、順次記載していこうと思います。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 13:43 (UTC)
- 「面白おかしく描くような言説が流布された」は「主張」じゃなくて「研究」ですから。それから「思想信条が気になる研究者ですが、まあよろしいでしょう」とのお言葉は、Wikipediaはこれまでの学術研究をまとめる場ではなく、自分と異なる意見を排除する場であるとのお考えがあるのでしょうか。
- 「彼女は専門家じゃございませんので」に至っては以前「金文子はパート」と言い募っていらっしゃった方と同様の傾向を感じます。「彼女の殺害場所が自称目撃したという証言による場所と違う研究結果もあり、目撃証言が正確とも言えない資料もあります」に至ってはその方の発言と全く同じです。これらの発言に関しては私以外の方に既に否定されきっています(#定義文についての2011年4月以降の議論)--彩華1226 2011年7月6日 (水) 14:04 (UTC)
- 山田は思想信条が気になる研究者ですが、まあよろしいでしょう。しかし金文子なる者が誰なのかを消し去るのはいかがでしょうか?論文が一部の専門家に評価されようとも彼女は専門家じゃございませんので、何者なのか正確に記載すことは読者に正確な情報を提供するものであり、悪いことではありませんので記載しましょう。また、他の疑問点にお答えいただいておりませんが?また「閔妃を誹謗し、~面白おかしく描くような言説が流布された」という主張を載せると、まるで閔妃のずるがしこさや権力にしがみつこうとした彼女の姿が嘘のように読めてしまいますので、中立的に彼女はどんな人物で、どう評価されているか逆の面からの評価も軽く記載することがNPOVでしょうね。彼女の殺害場所が自称目撃したという証言による場所と違う研究結果もあり、目撃証言が正確とも言えない資料もありますので、順次記載していこうと思います。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 13:43 (UTC)
- ある研究者の「主張」でしょ。これは「研究」でこれは「主張」という分け方の線引きはどこでなさっているのでしょうか?専門家なり研究者の意見は「研究」とすべきという考え方なのでしょうか?それから研究者だから手放しで信じろってのは危険なことです。wikipediaもそれを指摘していますよね。山田は天皇の戦争責任論者であり、また南京大虐殺論者と共著するグループであり、彼の乙未事変の研究がどのような方向へいくかは明らかでしょう。その点を注意しながら出典として使用するならば良いのですがねえ。一人の研究者に頼っていると危険ですから複数の研究者の意見を載せてNPOVとすべきなのでしょう。一歩間違えると偏った記事作りになってしまいますから。あなたが山田山田と彼のまとめた研究・まとめはすべて正しいと、主張しているように見えたので、注意が必要であることを指摘したまでです。もっと秦や別の主張をしている研究者の意見も出していくべきでしょう(これから徐々に記載していくつもりですがね)。
- また、「金文子はパート」なのか何か知りませんが、彼女の正確な肩書きを記載することは読者にとって有意義なことであり、何か隠したいお気持ち・理由でもあるのでしょうか?専門家・研究者・定説などをしっかりと重視するアナタならば、逆に専門家では無い人物であることも重視し、記載すべきでしょう。
- 「殺害場所」に関しては「研究者」の「研究」がありますので、載せる事に問題はありませんよね。のちに出典付で記載いたします。
- まだ私の疑問点にお答えいただいていないところがございますことを述べておきます。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 15:17 (UTC)
- 追加。私の意見と違う内容を書いてコメント依頼[4]をされていますが、私の意見は通説ならば通説であると書け(例;「~が殺害した」ではなく「~が殺害したとするのが学説上の通説である<REF>通説を証明する出典ほにゃらら</REF>」と。通説だからと事実としての断定表現として書くなというものです。しっかりご理解いただきたい。多数派の意見は多数派の意見として、少数派の意見は少数派の意見として書け、というものです。アナタの現在の編集スタイルは山田の出典のみ出して事実として断定表現で書かれているので疑問を感じたのです。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 15:28 (UTC)
- 彩華1226氏が意見を意見としてではなく事実として記載した一例
- 三浦らは大院君をかつぎだすため、屋敷から王宮へ参内させたが大院君がのらりくらりと時間を引き延ばしたため、事の露見を防ぐために夜明け前に行うはずだった作戦は破綻した[金文子出典]。
- これは彼女の意見でしかありません。彼女を紹介した韓国の新聞でも「彼女の説明」として紹介しています(知っている人ならば李泰鎭が評価しているって時点で偏りがある「研究」の証拠に見えてしまうのだが・・・。まあいいけど。)。この新聞のような書き方が正しい書き方ではないでしょうか。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 16:07 (UTC)
- 金文子なる在日2世の人
- 韓国新聞でのインタビューに答える[5]。
- 「在日同胞2世として日本式の名前を強要される屈辱の生活史を体験した。痛みをもって歴史を読み怒りをもって歴史を書かなければなければならない考える。」
- 日本が在日に日本式の名前を強要した事実は無い。事実で無いことを感情で語ってしまう時点でこの人どうなのかと思うが、怒りで歴史を書く人って大丈夫なのでしょうか?研究者でも無いし、多くの場面で出典として使用(しかも彼女の「怒り」の歴史意見を事実として断定表現で所々書かれてしまっている)してよいものなのか、不安でなりません。--218.217.23.210 2011年7月6日 (水) 16:30 (UTC)
学説上も史料上も否定できなくなったからって、「事務員だからー」「在日だからー」とだけ言い募るのは全く学術的な観点を欠くWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに抵触するものであると指摘します。--彩華1226(会話) 2012年4月27日 (金) 10:14 (UTC)
繰り返し申し上げます。
- 「こうした中で、日本公使三浦梧楼、軍事顧問岡本柳之助らは前年の王宮占領の再現を狙って、親露派の閔妃を排除するクーデターを実行することにした」は山田朗の説ではありません。日本における主流の学説を述べているだけです。
- 三浦梧楼首謀説が学会における主流であることはすでに示されています。これを覆す論拠は今もって当該ノートページで提示されていません。
--彩華1226(会話) 2012年5月3日 (木) 01:18 (UTC)
それからこの編集ですが、書名が「NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック 坂の上の雲[6]」ではなく、『NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック』となっていたり、直後に毎日新聞の記事が引用されているところを見ると、どうも醍醐聡氏のブログの記事の引き写しっぽいんですよねえ・・・(しかも当該エントリーはこれらの記述を否定するもので、『坂の上の雲 (テレビドラマ)』を批判する左派系のHPやブロクなどでも多く引用されていることを確認しています)。なお、歴史ハンドブックの当該記述については過去に、Wikipediaの引き写しではないとかと指摘しております[7]。--彩華1226(会話) 2012年5月3日 (木) 01:49 (UTC)
- 反論させていただき、説明を求めます。
- まず、閔妃における金文子氏や文芸評論家の方の肩書きの件ですが、リンクもない人物で一般の方はどこの誰だかわからない人物です。どのような人物が主張しているのか曖昧にせずに記載することは親切であり、消す正当性はないものと思われます。またその部分について「~という学説がある」とするならば、他の研究者の見解もすべて「~という学説がある」と記述すべきだと思いますが、いかがでしょうか。なにをもって「学説」とされているのか、その定義のご説明願います。
- こちらの記事についての件ですが、三浦らが首謀とする見解が主流であることに異論はございません。ただし上記でも指摘されているようですが、「主流」とするからには主流であるとする出典が必要となります。現在、彩華1226さんは山田氏か金文子氏のみの出典提出のみとなっており、主流を証明するには足りないものと思われます。日本の学会で主流であることをがっちりと示す出典提示がなされていれば、反する編集もなされないのではないでしょうか?
- 出典が『NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック』は私は原典を確認しており、そのように書かれてあります。消した理由が「Wikipediaの引き写し」などというどこの誰かもわからないブログ主の主張であるということで驚きました。正体不明な方がブログで主張した理由をもとに、Wikipwdiaにおいて出典記述を消すことは正しい行為なのでしょうか?そこに正当性はあるのでしょうか?ご説明願います。AcntNo2(会話) 2012年5月3日 (木) 08:18 (UTC)加筆AcntNo2(会話) 2012年5月3日 (木) 08:36 (UTC)
- すでに当該議論ページにおいて、外務省が作った外交史事典や他の百科事典・歴史事典などの「記述レベルでこのように書かれている以上、この事件を三浦梧楼ら日本の謀略であるとみなすのも、それが通説であると記述することも、別に問題ない」[8]として「日本の学会で主流であることをがっちりと示す出典提示」は完了しております。『NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック』についての指摘は、当該書籍がWikipediaを引き写したにすぎない信頼性に乏しいことの指摘です。信頼性を欠く情報源は出典となりえません。
- しかし、金文子が「パート」の「事務員」なことはご存知なのに、醍醐聰が「どこの誰かもわからない」ですか。いやはやなんというか・・・。以前、無期限ブロックを受けたユーザーの方が延々と金文子は「パート」だ「事務員」だと言い募っていたことを思い出します。当該ユーザーの論理が肩書きをつけることでWP:SYNを促進するものであることは明白でした。そしてあなたが、そのユーザーと編集傾向が近似している点についても指摘しておきます。以上です。--彩華1226(会話) 2012年5月3日 (木) 08:56 (UTC)
- 即答いただきありがとうございます。
- まず出典提示とは、議論ページでおこなうものではなく、表の記事でしっかり提示すべきものだと思いますが、違いますか?議論ノートにおいて「日本の学会で主流であることをがっちりと示す出典提示」できているならば、それを表で「主流・通説」などと書かれた場所に提示すべきではないでしょうか。
- 金文子氏の肩書き記述が独自研究ということならば、肩書きが書かれた出典を提示しましょうか?何が独自研究なのか理解ができません。醍醐聰氏については、経済学の専門家とのことで、経済分野についてはあまり知識がなく、存じ上げませんでした。著名人であるということで、その経済学の専門家の方が、そのように主張していると反論を付け加えることは反対いたしません。ただし、NHK出版が公刊している書物を信頼性に乏しいこととし、消してしまう行為は無理があります。イチ経済学者が歴史について述べた書物を批判すると信頼性に乏しいことになり、その出典を消すことができるというお考えなのでしょうか?最後に、過去の議論を拝見し、一方の方の意見の一部分は正しいと考えたので、その部分について同じようになることも自然だと思います(しかし上記の議論を拝見しても無期限ブロックを受けた方を見つけることができなかったので、何を仰っているのかわからないところもありますが。)。私は他の記事で彩華1226さんの編集方法に少し問題を感じたところもあったので、失礼ながら少し追わせていただいてこちらを拝見した次第です。AcntNo2(会話) 2012年5月3日 (木) 09:20 (UTC)修正AcntNo2(会話) 2012年5月3日 (木) 09:37 (UTC)
- 金文子氏がきちんとした研究者でもないことを知り愕然としました。そもそも金文子氏の論説を載せることは適当なのでしょうか。ミンピおよびこの記事の編集を見ると彩華1226氏の編集には特定の偏りがあるように思います。偏りをなくすことができないのであればこれらの記事の編集から手を引くことをお願い申し上げます。--60.34.103.201 2012年5月9日 (水) 11:58 (UTC)
学界において高く評価されている学術書[9]に対して、執筆した研究者を中傷・罵倒することで全否定しようとする貴殿たちの言動はWP:POINTに抵触する妨害行動であると指摘します。--彩華1226(会話) 2012年5月11日 (金) 03:40 (UTC)
- ご提示されたところから判断するに、「学界」というよりもイチ歴史学者が評価しているものだと思います。「貴殿たちの言動」というものに私も含まれるのか存じませんが、正確な肩書きの記述は、本人への「中傷」や「罵倒」にはならないと思います。上記を拝見すると金氏は「怒りをもって歴史を書く」という発言もあるそうで、在日韓国人という著者の立場もできれば載せたいところですが、その点はこの方の記事がもし作成されたら記述することにし、こちらでは抑えておきます。AcntNo2(会話) 2012年5月11日 (金) 11:44 (UTC)
三猿舎とかいう聞いたこともない編集プロダクションが取材と文を担当した「NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック」はNHK出版が公刊している信頼できる情報源で、奈良大学で7年間助手を務めた人が行った歴史研究は「事務員だから」「パートだから」「在日だから」「イチ歴史学者が評価しているだけだから」ですか。ルールの悪用と言わざるを得ません。--彩華1226(会話) 2012年6月2日 (土) 13:53 (UTC)
- 彩華1226さんは、NHK出版の出典を「(理由を)提示済み」として再び消されました[10]。しかし、その理由(左翼の経済学者が否定しているというもの)をもとに「信頼性に乏しい資料」とはなならないことは説明し反論しており、それについて彩華1226さんは一ヶ月以上返答されませんでした。理由を言いっぱなしで反論を無視しておきながら消す行為は正しいのでしょうか?イチ経済学者がブログで問題視しているから「信頼性に乏しい」として消す行為こそ「ルールの悪用」と言えるのではないでしょうか?
- 彩華1226さんが編集プロダクションについて聞いたことがあろうがなかろうが、NHK出版という公共放送の出版社が公刊している出版物であり、これは方針上、信頼できる出典として使用できるものです。「できない」とするならば納得のいく説明をしていただきたい。
- また、金文子氏の著書について、彩華1226さんのように消し去った覚えはありません。単に正確に肩書きを記述したのみです。
- 少し論点と理解が整理できていないと思われますので、冷静に対応をお願いいたします。
- そして現在、IPの方も出てきておられ、編集合戦気味のようですので、これまで通りNHK出版の出典について納得できる説明がないのならば、編集合戦が落ち着きましたら復帰させることを申しておきます。AcntNo2(会話) 2012年6月2日 (土) 16:46 (UTC)
- こちらを拝見すると[11]、彩華1226さんは私の上記反論後もいらっしゃったのに、こちらで編集合戦行為のみをして、ノートは無視して行ってしまったようです。誠意がないのではないでしょうか?無言の合意と捉えてよろしいのでしょうか?私は1日ほど対応できない可能性がありますので、その間に返答いただけたら幸いです。AcntNo2(会話) 2012年6月2日 (土) 17:46 (UTC)
まず、「NHKスペシャルドラマ歴史ハンドブック」はNHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションが執筆した大衆向けの歴史ガイドブックであり、「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」ではありません。当該書籍には歴史の事実や学説を叙述する際に適切な出典の使用等が行われておりません。歴史学上もWikipediaのルール上もこのガイドブックを信頼出来る二次資料として利用することは不可能です。--彩華1226(会話) 2012年6月10日 (日) 15:03 (UTC)
- まず「大衆向け」かどうかは、出典の評価として関係はないと思います。そして『NHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションが執筆した』との発言の根拠は何なのでしょうか?なぜ方針にて新聞社や著名な出版社より「公刊された出版物」が信頼されているかといえば、それは「査読」にあるとされています(それが方針の説明にあることはご存じたと思います)。つまり、結果的にNHK出版という公共放送の出版社が出版したものはNHK出版が「査読」したものとして、信頼される出版物として通用するとされているわけです。
- ただし「歴史」分野に関しては、Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイスに書かれてあるとおり、学者や大学出版会の基準を模した商業出版社から出版されたものが信頼されるとされています。しかし、それが歴史の専門書ではないにしてもウィキペディアの方針において信頼できる出典とされているものをもとにした一つの意見を排除するものではないでしょう。歴史分野については歴史の専門とした出版物を中心に書けというものではないでしょうか。そして外野的な意見であっても信頼できる出典であるならば、少数意見としてその意見を記述しておくことがNPOVというものではないでしょうか?
- それとも彩華1226さんは歴史分野の記事は歴史専門の学者や専門書のみで構成しろという主張なのでしょうか?だとすれば彩華1226さんの全体の言動を拝見すると矛盾が生じております。
- 下記の「編集合戦の再発」の節において、あまり出典としてはお勧めされない3次資料である小学館やらの事典を彩華1226さんは提出されています。しかしその事典の執筆者は誰なのかの記述がなされていません。
- Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイスの「歴史」を再度見てみましょう。すると、(百科事典の)署名のない記事はフリーランスの人によりひとまとめに書かれたものであり、注意が必要です。と注意書きまでされているものです。
- つまり、執筆者も書かずに歴史分野について百科事典をもとに記述をしようとする彩華1226さんは、歴史分野における「信頼できない資料」を提出しており、NHK出版を出典とすることと同じ(まだ二次資料であるNHK出版のほうが評価は高い)と言えるのではないでしょうか?また付け加えますと百科事典というものは彩華1226さんが出典として評価しない「大衆向け」のものです。
- 彩華1226さんの都合の良い出典の選び方に困惑しております。この点についてご説明ください。AcntNo2(会話) 2012年6月11日 (月) 12:33 (UTC)
- ご説明いただけないようであり残念です。再度一週間お待ちし、ご回答いただけない場合、NHK出版は復帰させていただきます。AcntNo2(会話) 2012年6月13日 (水) 09:51 (UTC)
- 利用者‐会話:AcntNo2さんの上のコメントで「NHK出版という公共放送の出版社が公刊している出版物であり、これは方針上、信頼できる出典として使用できるものです」とありますが、Wikipedia:信頼できる情報源の「オンラインや自己公表された情報源の利用」には、「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。」と明記されています。これに従えば、出版元がNHK出版だという理由では、その情報の内容を信頼することはできません。それがしかるべき日本の近現代史を専門とする学者なり、研究者なりの主張であることを提示する必要があります。--Joffed(会話)
Joffedさんのおっしゃるとおりだと思います。私は当該書籍が『NHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションが執筆した』事をもって「その情報の内容を信頼することができない」と一貫して申し上げています。ましてや当該書籍はWikipediaの記述を丸写ししていたのです。『NHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションがWikipediaを丸写しして執筆した』記述が「二次資料」だとか「評価は高い」とかAcntNo2さんが発言しておられるのには、歴史学における資料の使用法はもちろんWikipediaのルールにおいても看過することは出来ませんし容認など到底出来るものではありません。--彩華1226(会話) 2012年6月13日 (水) 15:19 (UTC)
- さらに一つ付け加えますと、「(百科事典の)署名のない記事はフリーランスの人によりひとまとめに書かれたものであり、注意が必要です。」ということを取り上げていますが、これは「(執筆者の)署名がない場合」であり、私が引用した歴史事典の項目の多くには、各項目の執筆者が明記されています。--Joffed(会話) 2012年6月13日 (水) 21:48 (UTC)
- Joffedさんへ。Joffedさんが提示している「Wikipedia:信頼できる情報源」はガイドラインです。私は方針の話をしたはずなんですが・・・。もちろんガイドラインに従うことも推奨されますが、まずは絶対的に従うべきである方針にある記述が重視されるのは当然でしょう。さて、方針で「信頼できる資料」とは最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。 とありますよね。NHK出版の書物はこれに該当しており、「NHK出版という公共放送の出版社が公刊している出版物であり、これは方針上、信頼できる出典として使用できるものです」(Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料)。またJoffedさんの提示しているガイドラインにある「出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。」という一文をつまみ食いするならば、どんな書物も出典として通用しないものになってしまうとも言えてしまいますよね。
- また、執筆者がある百科事典ならば、すべてに執筆者を明記すべきですがなぜしていないのでしょうか?すべてに明記をお願いいたします。AcntNo2(会話) 2012年6月14日 (木) 11:43 (UTC)
- 彩華1226さんへ。申し訳ありませんが、すでに反論・指摘させていただいたことを繰り返し発言しているのみであり、こちらの質問の回答となっておりませんので、彩華1226さんの主張について再度お聞きします(わかりやすくまとめましたので、ご回答をお願いします)。主張だけするのではなく相手の反論や指摘・質問に答えるという「議論」をしていただきたい。
- 質問1、「NHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションが執筆した」と主張されていますが、その証拠の提示をお願いします。「ある人の主張だ」では通用しないことを、あらかじめ申しておきますので、それが事実である証拠でお願いします。
- 質問2、NHK出版の内容が「Wikipediaの記述を丸写し」であるとする主張は左翼の経済学者がブログで主張していることを彩華1226さんに教えられましたが、それをもって出典を消すことができるという方針上の根拠のご提示をしてください。ある者が「あの本はおかしい」と主張しているからといって、出典として通用しないルールがあるなどということは聞いたことがございません。
- 質問3、彩華1226さんは、NHK出版の書物は「大衆向け」であり、かつ歴史分野の専門書ではないことを持ってNHK出版の内容を消す正当性があることを主張されましたが、ではご自身が提示されているまだ執筆者が記述されていない小学館などの百科事典(3次資料)は良いと考えるのはなぜか?百科事典も「大衆向け」であり、歴史の専門書ではないし、まして3次資料はあまり推奨されていない出典です。しかも執筆者がなければガイドラインで出典としての信頼性もないものとして注意が必要なことまで書かれている中で執筆者を書かないまま出典として出している行為に自身の主張と矛盾が生じていないか?
- 以上、これまでの彩華1226さんが述べた内容についての反論と指摘をまとめてさせていただきました。一つずつ詳細に証拠も提出していただきながら、ご説明いただけることをお待ちしております。
- なお、1週間経っても説明いただけない場合、毎度のことですがNHK出版の内容を復帰させていただくことを申しておきますので、正確な回答のほうをよろしくお願いいたします。AcntNo2(会話) 2012年6月14日 (木) 11:43 (UTC)
- オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。(Wikipedia:信頼できる情報源)
- あなたの発言はまさに「自動的に信頼性に足りると前提づける」もので、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価を軽視ないしは意図的に無視するものであると指摘します。ガイドラインは「従うよう推奨」されており、例外の適用は「常識に基づいて」「個別の事情に応じて」行われるものです。例外を適用することについて、合意を得よう、対論者を納得させようという姿勢が皆無で、ガイドラインだから関係ないという発言をされている事自体が全く筋違いです。
- Wikipediaの引き写しという「複数の独立した一次資料を利用(Wikipedia:信頼できる情報源#注意すべき論点)」すらしていないテレビドラマの関連書籍を、学術研究の成果を蓄積した三次資料である歴史事典や「その分野の学術雑誌に見られるような査読と評価についての制度を持って」いる学術研究の数々とさも同等に位置するかのような姿勢をとり、「1週間経てば編集を強行するを連呼してはばからない、論破してしまえば勝ちのような態度を取り続けるすべての行動は、自分にとって都合のいい物だけをゴリ押ししようとする非協力的な行動であると言わざるを得ません。--彩華1226(会話) 2012年6月14日 (木) 14:23 (UTC)
- まず返信できるところだけの都合の良い返信ではなく、誠意を持ってこちらの質問に的確にお答えいただけませんか?
- 「NHK出版という公共放送の出版社が公刊している出版物であり、これは方針上、信頼できる出典として使用できるものです」との私の発言は方針そのままのものであったことを示したまでです。そしてガイドラインは従うことが推奨されますが、絶対的なものでもありません。これは、ガイドラインのテンプレに書かれてあること、そのままであり、それを「ガイドラインの軽視」とは言いません。ガイドラインは方針のように絶対的に守るべきものではなく、方向性を示したものであり、後は各記事の議論で決めて行くべきものだと思います。「ガイドラインにあるから絶対的に従え」というものではないことを、まずお気づきになったほうが良ろしいのではないでしょうか。
- その上で、彩華1226さんが示している「作成した過程や人々に関する検証が必要です。」とのガイドラインの一文を根拠にNHK出版を出典から排除するならば、彩華1226さんがNHK出版の出典について「作成した過程や人々に関する検証」をどのようにしたのか示し、そして、「自動的に信頼」してはならないというだけの証拠を示して説明しなければ、それこそ独自研究・独断による出典排除と言えるのではないでしょうか。現在のところ彩華1226さんは「丸投げ」だの「wikipediaの丸写し」だの主張されていますが、何度質問しても左翼の経済学者の発言のみで、その証拠を提出しておりません。
- お答えいただけないのでもう一度ご質問させていただきます。質問1、「NHK出版の「丸投げ」により「下請け」の編集プロダクションが執筆した」と主張されていますが、その証拠の提示をお願いします。「ある人の主張だ」では通用しないことを、あらかじめ申しておきますので、それが事実である証拠でお願いします。方針で認められている著名な出版社の書物を「自動的に信頼してはならなかった証拠」の提示をお願いします。
- また百科事典を「学術研究の成果」のものとは言いません。だからこそ(百科事典の)署名のない記事はフリーランスの人によりひとまとめに書かれたものであり、注意が必要です。とガイドラインで注意書きまでされていることは当然のことです。百科事典の場合は専門家が書いたかどうか?が重要とされている中で、執筆者が不明のまま提出されている小学館やら平凡社の百科事典は何の疑義も提出せずに採用し、NHK出版は排除している彩華1226さんの一貫性のない姿について質問させていただいております。どういうことなのでしょうか?それとも百科事典は執筆者のあるなしが重要であることは知らなかったのでしょうか?
- そして、「一週間以内に~」との発言を「ごり押し」などと仰っていますが、履歴を見ればわかりますが、彩華1226さんはこれまで何度かwikipediaに参加しながらもこちらはスルーされてしまうことがありましたので、そのような方式を取らせて頂きました。wikipediaに参加しているならば、議論中のものは誠意を持って優先的に対応してください。で、なければそれこそ「非協力的な行動」だと思います。
- 以上、質問箇所には明確にお答えください。AcntNo2(会話) 2012年6月15日 (金) 12:02 (UTC)
- 「執筆者が不明のまま提出されている小学館やら平凡社の百科事典は何の疑義も提出せずに採用し」と仰っていますが、このノートの「定義文についての2011年4月以降の議論」で私が引用した部分をご覧になってください。そこですでに執筆者名は明記されています(平凡社は吉野誠。小学館は宮田節子)。--Joffed(会話) 2012年6月16日 (土) 00:33 (UTC)
- 会話ページに案内があったので一言いいでしょうか。一般論になりますが方針に書かれている最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。はあくまで例示であって絶対とは言えないでしょう。たとえば雑誌等の場合著名な出版社である学研から発売されているある雑誌が果たして信頼できる情報源になるか?といった問題や、信頼できると思われる雑誌であっても、そこに書かれている内容が全て正しいとは言い切れません。また、記者の主眼によってまたはその企画の目的などによって、都合のいいように情報が取捨選択されることもあります。方針と同様のガイドラインがあるのはなぜか?ということを一度考えてみてください。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月16日 (土) 08:19 (UTC)
- Joffedさんへ。執筆者が重要とされている百科事典を無記名で表で提出していることに疑義を呈しておりました。執筆者を表でもしっかり記述しておくべきだと思います。記述することにより、誰が主張しているのかがはっきりしますし、その研究者が主張しているものであり、決して百科事典に書かれてあるから「定説」とはならないこともはっきりとすると思います。AcntNo2(会話) 2012年6月16日 (土) 10:06 (UTC)
- Vigorous actionさんへ。コメントありがとうございます。
- 私側へのコメントと受け取り、返信させていただきます。
- 方針に書かれている内容は、単なる「例示」ではなく「絶対的」なものと考えます。その従うべき方針で示されている絶対的条件をクリアし、その上で、ガイドラインにあるようなアドバイスに注意しながら出典を取得しろというものだと思っています。
- 今回の件で言えば、NHK出版の出典は方針上はクリアしており、しかしガイドラインにある「自動的に信頼するな」という一文に引っかかるのかどうかが論点だと思いますが、これに引っかかるとするならば、その証拠を提示し出典提出者を納得させなければ、どんな出典も個人的な「感覚」で「自動的に信頼するな」として排除できてしまうことも可能になってしまいます。彩華1226さんは現在、あるブログで左翼的な経済学者が「wikipediaの丸写し」と言っていたからという証拠?や左翼イデオロギーで満ち溢れた団体の独り言のようなブログ[12]をもとに「丸投げだったもの」とし、それを根拠に「自動的に信頼できないもの」として排除しており、これが通用するならば、出典として出されている書物を誰かが否定すれば、消すことができるのか?という疑問も出てしまいます(思想的に今回のことと逆のことを考えますと、ある公刊された書物について右翼団体が疑義を呈しているからとして出典として排除できるのか?)。誰かの主張ではなく、NHK出版編集長署名入りの歴史解説本が「丸投げ」「引き写し」だったという証拠、つまりはこの書物が「自動的に信頼できない」とする確実な証拠を求めております。ある雑誌に関しても、それが「自動的に信頼できない」と言える確実な証拠を提示できるならば(ムーなら立証できるとは思うが)、出典として消すことはできると思いますが、個人感覚で「ムーは信頼できない」とガイドラインの一文を盾に信頼できないとする証拠の提示もなく、ノートで相談もなく、消し去って行く行為は問題あるものと考えます。もし私の意見に何か気になった点がございましたら、再度コメントいただけましたら幸いです。AcntNo2(会話) 2012年6月16日 (土) 10:42 (UTC)
- 方針上信頼できる情報源に該当するから、いかなる場合も問題がないということではないとい言うのはご理解いただけますか?過去に信頼できる情報源に該当するある著名な出版社による記述内容を巡りwikipediaの言語版をまたいだブロック合戦的な行動があったこともあります(未成年犯罪者の実名報道關係で)。一番問題がないのは複数の著名な出版社により同一内容について言及されているまたはほぼ同一の内容であることだと思います。現在も進行中のグローバルな案件では、日本海にするか、東海にするかなどがまだ進行しているようです。koのメディアでは東海と表記されますし、日本のメディアでは日本海と表記されます。どちらかが正しいのではなく信頼できる情報源に該当するメディアでさえ主義主張により表記がばらつきます。こういった場合、信頼できる情報源による出版だからといったものだけでその記述が正しいものであるとは言えません。今回問題となっている出版社の場合、例えば複数の説がある事象であっても放送番組の進行上他説を取り上げずに番組で取り上げた内容だけを記述されることもありえるでしょう。よって、その出版社の記述が絶対に正しいものであると決め付けるのはいかがなものでしょうか?なお、今回の内容については私は現状確認していませんのでそこについてのコメントではありません。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月16日 (土) 13:04 (UTC)
- Vigorous actionさんが「放送番組の進行上他説を取り上げずに番組で取り上げた内容だけを記述されることもありえる」と述べておられるので、坂の上の雲 (テレビドラマ)での乙未事変の扱いについて述べておきます。原作において言及されていない当事件について、ドラマ第五回で歴史学上の主流説である三浦主謀説に基づいて説明しています。これに関してのネトウヨたちの阿鼻叫喚ぶりはノート:坂の上の雲 (テレビドラマ)を参考にしていただければと思います。NHKでは歴史学者を含めた諮問委員会による脚本の完成と歴史学者による時代考証に基づくドラマ制作を行なっています。ドラマの作中で当事件を歴史学上の主流説である三浦主謀説に基づいて説明したことは、歴史学上の諸説について検討/交渉が行われた結果と言えます。一方、「テレビドラマ歴史ハンドブック」と銘打ちながら、全くテレビドラマとはかけ離れた説明を行なっている当該書籍は信頼性を全く担保していないものと言わざるを得ません。--彩華1226(会話) 2012年6月22日 (金) 13:28 (UTC)
- 情報ありがとうございます。本日NDL関西に行った時に「テレビドラマ歴史ハンドブック」を閲覧するのを忘れていた(検索すらしていない)ので次回行った時またはほかの図書館等で閲覧できたら閲覧してきます。閔妃やイザベラ・バード関係に出典をつけた関係で乙未事変についての記述はかなりの本(数十冊?)を閲覧しました。『観樹将軍回顧録』なども閲覧しましたので三浦主謀説が異端であるとは思っておりません。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月22日 (金) 14:17 (UTC)
- Vigorous actionさんが「放送番組の進行上他説を取り上げずに番組で取り上げた内容だけを記述されることもありえる」と述べておられるので、坂の上の雲 (テレビドラマ)での乙未事変の扱いについて述べておきます。原作において言及されていない当事件について、ドラマ第五回で歴史学上の主流説である三浦主謀説に基づいて説明しています。これに関してのネトウヨたちの阿鼻叫喚ぶりはノート:坂の上の雲 (テレビドラマ)を参考にしていただければと思います。NHKでは歴史学者を含めた諮問委員会による脚本の完成と歴史学者による時代考証に基づくドラマ制作を行なっています。ドラマの作中で当事件を歴史学上の主流説である三浦主謀説に基づいて説明したことは、歴史学上の諸説について検討/交渉が行われた結果と言えます。一方、「テレビドラマ歴史ハンドブック」と銘打ちながら、全くテレビドラマとはかけ離れた説明を行なっている当該書籍は信頼性を全く担保していないものと言わざるを得ません。--彩華1226(会話) 2012年6月22日 (金) 13:28 (UTC)
- 方針上信頼できる情報源に該当するから、いかなる場合も問題がないということではないとい言うのはご理解いただけますか?過去に信頼できる情報源に該当するある著名な出版社による記述内容を巡りwikipediaの言語版をまたいだブロック合戦的な行動があったこともあります(未成年犯罪者の実名報道關係で)。一番問題がないのは複数の著名な出版社により同一内容について言及されているまたはほぼ同一の内容であることだと思います。現在も進行中のグローバルな案件では、日本海にするか、東海にするかなどがまだ進行しているようです。koのメディアでは東海と表記されますし、日本のメディアでは日本海と表記されます。どちらかが正しいのではなく信頼できる情報源に該当するメディアでさえ主義主張により表記がばらつきます。こういった場合、信頼できる情報源による出版だからといったものだけでその記述が正しいものであるとは言えません。今回問題となっている出版社の場合、例えば複数の説がある事象であっても放送番組の進行上他説を取り上げずに番組で取り上げた内容だけを記述されることもありえるでしょう。よって、その出版社の記述が絶対に正しいものであると決め付けるのはいかがなものでしょうか?なお、今回の内容については私は現状確認していませんのでそこについてのコメントではありません。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月16日 (土) 13:04 (UTC)
「目撃者・外国人」の項目
情報源がWeb上のテキスト文書であり、その内容の確実性(信頼性)が担保されておりません。過渡的な情報源としては(実質的に)有用だと思いますが、他の信頼できる情報源に置き換えが可能であれば置き換えるべきだと考えます。とくに一次史料(を英訳したもの、と電子メール(メルマガ?)テキストは主張している)ですので、英訳の正確性や、意訳や改ざんなどがなされていないかどうか、あるいはそもそもGari Keith Ledyard 本人によるものなのかどうかも【確実性】が担保されておりません。大学等から公表された学術論文等に置き換えられることが望ましいです。--大和屋敷(会話) 2012年3月26日 (月) 19:28 (UTC)
「定説」表記について
IPの方と彩華1226さんによって「定説」表記に関して編集合戦がしばらく続いております。個人的には三浦が首謀していたとする説が主流であると思いますが、確かに「定説」と言い切るには出典が伴っていないと思われます。数多く出典を出すことが「定説」を証明することにはならないというIPさんの言い分も理解ができます。「○○や辞典では三浦が首謀とされている」と詳細に記述する方式とすることで、こちらの記事の読み手に主流であることが伝わるのではないでしょうか?IPさんも彩華1226さんも強引な手法を取っても解決しません。しっかり話し合っていただきたい。AcntNo2(会話) 2012年6月2日 (土) 17:15 (UTC)
多重アカウントの不適切な使用について
利用者:AcntNo2(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは多重アカウントの不適切な使用により無期限ブロックされました。また、過去に発言を行った利用者:祇園精舎(会話 / 投稿記録 / 記録)さんも多重アカウント(ソックパペット)を不正に使用しているとして無期限ブロックされています。これらのユーザーの行為は、多重アカウントの不適切な使用による、議論の妨げ、コンセンサスの捻じ曲げであるため、当会話ページにおける当該ユーザーの発言に取り消し線を付記しました。--彩華1226(会話) 2012年6月3日 (日) 02:24 (UTC)
- ミスとはいえ、「多重アカウント」の疑いが出てしまい、議論が中断したことをお詫びいたします。解除されたこと及びブロック破りなどではないため、私の発言にひいた線を戻していただき、そして私が指摘させていただいていること(NHK出版の出典を消す行為に正当性があるのか否か)のご返答を引き続きお待ちしております。AcntNo2(会話) 2012年6月8日 (金) 11:44 (UTC)
- 彩華1226さんへ。ウィキペディアに参加しているにもかかわらず、再びこちらの議論を放棄し放置している姿を拝見いたしました。もちろんこちらはご覧になっているはずであり、一週間経っても回答いただけない場合、合意とみなさせていただき、NHK出版の出典内容の復帰と、私の発言の線引きを戻させていただきます。そうならないようご自身の行為は誠意を持って対応していただけることを期待しております。AcntNo2(会話) 2012年6月10日 (日) 09:13 (UTC)
編集合戦の再発
保護解除されたとたんに編集合戦が開始されております。論点は明白で「定説」「通説」と呼べるものがこの歴史的事件について存在しているかどうか、この一点です。そのように明確に記述している「信頼できる情報源」を探してくれば良いだけですので、そのように記述したい方はその情報源を探してくるよう努力してください。それまでは「定説」「通説」とは記述できないだけのことで、日本人首謀説そのものが記述できないわけではありません。情緒的な編集対応という安直な手法に頼るのではなく、Wikipediaの品質向上にご協力をお願いします。また「そのように記述された文献をさがすような努力はめんどうくさいのでイヤダ」ということでしたらWikipediaへの貢献はしばらくお控え頂きたいと思います。なお吉川弘文館という出版社は普通に存在しております(誤字だと思われる)。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 08:14 (UTC)
- 吉川弘文館は存じてます。わざわざ吉川広文館に書き換えておいででしたので。。。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月10日 (日) 08:18 (UTC)
- 確認しました。細部の修正を行いました。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 08:21 (UTC)
- この編集ですが、「朝鮮紀行」(講談社学術文庫)p353は確認されて戻されましたか?そこに記述があるように読めるのですが。後日朝鮮紀行は確認してみますが、戻された方もご確認ください。--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月10日 (日) 08:38 (UTC)
- 戻したIPです。差し戻しの時点で、いくつかの尊重すべき編集も差し戻されてしまうのは分かっていました。しかし、本項で説明されている「定説」関連記載について、正規の記載に復することを優先しました。この点、関係諸氏にはご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした。「吉川広文館」が出典の偽造であるとして、差し戻されたVigorous actionさんに対しては出典偽造の意図はなかったと弁明させていただきます。やはり、わたしがきちんと精査の上、細かく修正すべきでした。この点、大和屋敷さん一人に多大なご苦労を負わせてしまい、申し訳ございませんでした。今回の大和屋敷さんの姿勢には頭が下がる思いです。今後、大和屋敷さんの編集姿勢を見習いたいと思います。ありがとうございました。--220.220.115.224 2012年6月10日 (日) 12:04 (UTC)
- イザベラ・バード朝鮮紀行(講談社学術文庫)P.353について確認しましたので要出典範囲を除去しました。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 13:30 (UTC)
- 利用者:彩華1226さんにより「定説である(主旨)」の編集がおこなわれましたので戻しました。該当記述では三浦吾郎首謀説、日本人(誰?)首謀説が「定説」「通説」であると記述されているのでしょうか?つぎにイザベラバード「朝鮮紀行」の箇所ですが、朝鮮紀行ではウィリアム・ダイやサバチンについて言及はありますが、バードの記述が「サバチンの事件報告書に基づいて記述されている」かどうかは学術的に判明していませんので、慎重に語句を選択して記述をおこなっているつもりです。安直に戻さないようお願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 15:06 (UTC)
- コメント「バード著『朝鮮紀行』における王妃暗殺事件の描写は、ウィリアム・ダイやサバチンによる手配及び公文書をもとにして記述していると書かれている。[13][14]」あたりではどうでしょう?(ただし、リンクの本は内容は朝鮮紀行ですが、本の名前は「30年前の朝鮮」著者名はバード・ビショップになってます。)」--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月11日 (月) 07:37 (UTC)
- おや、書いてましたね。僕が講談社版を読み落としたのかな。いずれにせよこれで決着ですので助かりました。--大和屋敷(会話) 2012年6月11日 (月) 16:04 (UTC)
- コメント「バード著『朝鮮紀行』における王妃暗殺事件の描写は、ウィリアム・ダイやサバチンによる手配及び公文書をもとにして記述していると書かれている。[13][14]」あたりではどうでしょう?(ただし、リンクの本は内容は朝鮮紀行ですが、本の名前は「30年前の朝鮮」著者名はバード・ビショップになってます。)」--Vigorous action (Talk/History) 2012年6月11日 (月) 07:37 (UTC)
冒頭文の出典は「定説」「主流」と一切関係ありません。また事件の描写について各事典類を出典とした記述についても同様です。百科事典は二次資料を要約した三次資料であり、各事典類に共通して書かれていて異説がないものについては「日本の歴史学上において広く周知され、ほぼ事実とみなして良いと認定されている」ものとみなすことができるからです。ただし、IPさんの強弁もあることですし、「定説」「主流」については「日本の歴史学上の多く」とします。--彩華1226(会話) 2012年6月10日 (日) 15:21 (UTC)(断続的な書き込みをまとめ)
- まあ、「多く」とは言ってみましたが、今までの議論において「三浦ではない」という「日本の歴史学上の少数」が信頼出来る情報源を出典として示されたことはないんですけど・・・--彩華1226(会話) 2012年6月10日 (日) 15:34 (UTC)
いかに文案を示します。
- 事件の背景と性格
事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた)、改革派([[開化派]])と守旧派([[事大党]])の路線闘争、さらに[[朝鮮半島]]をめぐる日本の[[安全保障]]問題、日本と[[清]]の覇権争い、[[日清戦争]]後の日本と[[ロシア帝国]]の覇権争いがあった。そのため、日本における歴史学上の多くの説では、日本公使・[[三浦梧楼]]らの主導による親露派の閔妃を排除するためのクーデターとみなされており<ref name="外交史辞典"/><ref name="山田朗">[[山田朗]]『世界史の中の日露戦争』(戦争の日本史20)2009年、吉川弘文館p.38,p.39</ref><ref name="金文子"/>、朝鮮王室内部クーデターに見せかける意図で興宣大院君や朝鮮の訓練隊を利用したとされる<ref name="山田朗">[[山田朗]]『世界史の中の日露戦争』(戦争の日本史20)2009年、吉川弘文館p.38,p.39</ref><ref name="金文子"/>が、朝鮮側が首謀しているとする説や決定的証拠がなく不明とする見解が存在している<ref name=bunmei/><ref name=nikkan/><ref name=nakamura/><ref name=mainichi/>([[#朝鮮人首謀説]]参照)。
- 事件の首謀者
実際の暗殺の真の首謀者、実行者は誰であったかについては、日本の歴史学上の多くにおいては、三浦梧楼らが主導したものとされている<ref name="外交史辞典"/><ref name="事典"/><ref name="山田朗"/><ref name="金文子"/>。
--彩華1226(会話) 2012年6月10日 (日) 15:32 (UTC)
- 堅苦しいことですが「定説」「通説」といった語そのものに慎重な記述であれば、おおむね問題ないのではないかと考えております。本文記事中にはもう一箇所「通説」という字句があるのですが(「事件の背景と性格」項)、そちらのほうは差しさわり無いのでしょうか。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 16:12 (UTC)
- 「多くは」とは誰の言葉でしょうか。「定説」、「主流」がダメなら「多くは」もダメでしょう。どういう思考回路してんでしょうか?もしわたしがあなたの立場であれば、「日本外務省編纂外交史、また、~~事典(小学館刊)では三浦某が事件を首謀~~」とこう書くでしょうね。日本外務省や小学館刊行の事典ともあればそれなりの権威があり、説得力のある文章となります(金文子氏は研究者でもなんでもないでしょう。私論以上の価値は見出せません)。何故に、必要以上に主流であるとか、定説であるとか、多くはとか、強調しなければいけないのでしょうか??その言葉が独自の勘案の中から生まれた言葉であれば、それは独自の研究でしょう。つい直近でも何等変更を加えることなく差し戻しを強行していることといい、あなたには何言ってもダメなんでしょうね。--220.220.115.224 2012年6月10日 (日) 16:40 (UTC)
- 奈良女子大の研究室で何年間も助手を務めた研究のある金氏が「研究者でもなんでもない」ですか。全く支持も同意も出来ませんね。原田氏の書評が示す通り、広く査読されている著作なんですがねえ。-彩華1226(会話) 2012年6月11日 (月) 14:13 (UTC)
- 「多くは」が差しさわりがあるようでしたら「複数の~」ですね。いずれにせよ表記上の問題に論点をしぼったほうが良いと考えます。--大和屋敷(会話) 2012年6月10日 (日) 18:21 (UTC)
- なお、前掲の原田敬一氏による金氏の著作の書評で、このように書かれていますのを参考までに紹介します。
- 最後の問題は、「狙い」は「電信線」だったのかという、本書の結論に対する疑問である。……さらに大きな問題として、「暫定合同条款」に代わる「日韓新条約」の締結問題が浮上しており、その障害と考えられたのが王妃で、その排除という、通説の説明でも十分日本政府の意図は解明できたと考えられる。--Joffed(会話) 2012年6月10日 (日) 21:57 (UTC)
- Joffedさんのご紹介頂いた情報源によりますと、【原田によれば、乙未事変は「暫定合同条款」に代わる「日韓新条約」の締結問題を背景として、その障害となる王妃を排除する意図から生じたものと解するのが通説だとされる】とは記述できるとおもいますが、肝心の焦点である①【日本政府が首謀したものであると解するのが通説】なのか②【日本人(誰?)が首謀したものであると解するのが通説】なのか③【三浦が首謀したものであると解するのが通説】なのか④【朝鮮人(誰?)が首謀したものであると解するのが通説】なのか⑤【大院君が首謀したものであると解するのが通説】なのかは巧妙に特定していない表現になってしまうとおもいます。--大和屋敷(会話) 2012年6月11日 (月) 02:22 (UTC)ところで、そもそも②と④はよく巷間で語られるわりには学術的にはほとんど意味をなさない記述でして、けっきょく民族主義的な政治感情をもとにした「あいつらのせいだ」「いやおまえらのせいだ」論にすぎない論調になっております。首謀者が特定されていないのに首謀者の国籍だけは確定するなどという教導的な記述は百科事典の採用する記述とはちと思えません。②や④の文体で「通説」を記述するのは違和感があります。--大和屋敷(会話) 2012年6月11日 (月) 02:22 (UTC)
- 「巷間で語られるわりには学術的にはほとんど意味をなさない記述」というのは、何を根拠にそう判断されているのでしょうか。あなたの印象ではなく、日本の近現代史を専門とする歴史学者にそのようなことを主張している人がいるというのならば、それを提示してください。
- なお私が今日調べたところでは、例えば『全集日本の歴史 第14巻 「いのち」と帝国日本』(小松裕、小学館、2009年)では次のようにあります。
- 閔妃殺害事件に関するこれまでの研究史を見ると、ほとんどが三浦梧楼首謀説をとっている。(第三章 「いのち」とアジア、240頁、なお小松氏は、計画の実行は三浦によるものの、彼の単独犯行ではなく、背後には井上馨・山県有朋・陸奥宗光らの関与があっただろうと、通説よりもさらに踏み込んだ推測を主張しています)。
- このほか今日調べられる限りの日本史に関する事典・通史等を見てみましても、小松氏のこの指摘(ほとんどが三浦梧楼首謀説)や、彩華1226さんが前のコメントで、「今までの議論において「三浦ではない」という「日本の歴史学上の少数」が信頼出来る情報源を出典として示されたことはないんですけど」と仰っているように、この事件が「三浦梧楼によって具体的な策謀が実行された」とするのは、異論がないのが実情です。
- 「……ところが、このわずか半月後に三浦公使は、閔派の排日親露政策を阻止するためのクーデターを計画し、大院君の再入城と閔妃殺害という事件を京城でひき起こしてしまった。……」(『日本歴史大系4近代Ⅰ』山川出版社、1987年、第三編 明治憲法体制の展開、第一章 初期議会期の内政と外交、第四節 日清戦後経営、735-736頁より、編者:井上光貞・永原慶二・児玉幸多・大久保利謙、当該箇所の執筆者:増田知子)
- 「明治二十八年(一八九五)十月、日本守備兵らによって、朝鮮国王高宗の妃、閔妃が殺害された事件。乙未の変ともいう。……これに対し、新任の日本公使三浦梧楼(予備役陸軍中将)は、閔妃を反日の元凶と考え、閔妃と敵対していた大院君をかつぎだすとともに、閔妃の暗殺を謀った。……」(『国史大辞典』吉川弘文館、1990年、「閔妃殺害事件」の項目より、執筆者:中塚明)
- 「1895年(明治28)10月8日、朝鮮李朝高宗の王妃閔妃を日本人が虐殺した事件。……駐韓公使三浦梧楼は日本軍と大陸浪人らを指揮して、親露派の中心と目された閔妃殺害を計画、10月7日夜から8日未明に王宮に乱入、閔妃を虐殺しその死体を陵辱し石油をかけて焼いた。……」(『新編日本史事典』東京創元社、1990年、「閔妃殺害事件」の項目より、執筆者:井口和起)
- 「一八九五年(明治二十八)、日本公使三浦梧楼の指示により日本軍人・外交官・大陸浪人らの手で閔妃が殺害された事件。……」(『日本史大事典』第5巻、平凡社、1993年、「閔妃虐殺事件」の項目より、執筆者:吉野誠)
- 「……三国干渉後ロシアに接近し再び権力を握った。これを不満とした駐朝公使三浦梧楼らによって、九五年一〇月王宮を襲われ殺害された。」(『日本史人物辞典』山川出版社、2000年、「閔妃」の項目より)
- 「……こうした頽勢を憂慮した三浦公使は本国政府に無断で杉村濬書記官、岡本柳之助(朝鮮軍部顧問)や親日派の李周会、禹範善らと計り、十月八日未明、大院君を擁立してクーデターを決行した。この事件には公使館護衛兵、訓練隊、邦人壮士、一部朝鮮人が加わり、閔妃、李耕植宮相らが殺害された(王城事変、乙未事変、閔妃事件)。」(佐々木隆『日本の歴史 第21巻 明治人の力量』講談社、2002年、第三章「島帝国の孤独」153頁より)
- 「一八九五年秋、台湾征服のための戦争を続けている頃、朝鮮国では日本による前代未聞の大事件が起きていた。十月八日、日本公使三浦梧楼が兵士・警官・壮士を使い、王宮を襲って、王妃の閔妃を惨殺し、親露派を一掃したのである。長崎で裁判にかけられた関係者のうち、杉村濬一等外務書記官は、……『七月二十三日戦争』を認めるのだから閔妃殺害事件も国家が承認するべきだと政府を批判した。結局、日本の司法権は、彼ら閔妃殺害犯たちを誰一人罰することができなかった。」(原田敬一『戦争の日本史19 日清戦争』吉川弘文館、2008年、エピローグ「日清戦争がアジアにもたらしたもの」286頁より)
- 等々……。さらにこれに、これまで私や彩花1226さんが言及してきた資料(事典および、海野福寿『韓国併合』、山田朗『世界史の中の日露戦争』、武田幸男編、李成市・山内弘一・糟谷憲一・橋谷弘共著『朝鮮史』、金文子等々……)を加えれば、まさに文字通り「枚挙にいとまあらず」の状態です。大和屋敷さんは一体これらの書籍に一つでも目を通したことがおありでしょうか? さらに言えば、④【朝鮮人(誰?)が首謀したものであると解するのが通説】、⑤【大院君が首謀したものであると解するのが通説】という主張は、彩華1226さんが「今までの議論において「三浦ではない」という「日本の歴史学上の少数」が信頼出来る情報源を出典として示されたことはないんですけど」と言われるとおり、通説どころか、上述の書籍では全く言及されていないというのも実情です。それともあなたは、「三浦ではない」という「日本の歴史学上の少数」の信頼出来る情報源を提示できるのでしょうか。
- それにこれはおまけですが、この記事本文にもあるとおり、事件直後の裁判で、すでに杉村濬書記官が、「政府は既に昨年の挙を是認したる已上は、後任公使がその例に倣って行いたる本年の挙もまたこれを責むるを得ざるもの」(『秘書類纂』朝鮮交渉資料)と、事件は三浦と自分たちがやったことだということを公言していますね。
- ともあれ私の方は、ざっと今日調べられる限りのものを調べ、この報告を出しました。以後あなたの方も、自分の主張に対する根拠を出された上で、議論してくださることを希望します。--Joffed(会話) 2012年6月11日 (月) 14:35 (UTC)
- さらに文献を一つ追加します。
- 「……さて井上にかわって、陸軍の三浦梧楼が明治二十八年八月に駐韓公使に就任。三浦は過激な手段を用い、朝鮮の宮廷の力関係を親露派から親日派に転換させるためにクーデターを起こし、閔妃殺害という挙に出る。そして大院君をあらためて擁立し、この年十月に新政府を樹立。これは伊藤内閣とはまったく関係なく、三浦を中心とする一部過激派の独自の行動として行われた。従って、閔妃暗殺が起こると、政府は三浦を日本に召還し、広島の監獄に収容した。……こうした日本のショービニズム的対応は、東アジアの国際情勢にはまったく反対の効果を及ぼした。つまり閔妃暗殺によって、ますます朝鮮政府はロシアに頼るようになり、最終的にはかつての清に代わって、ロシアが非常に大きな力を朝鮮国内に有することになった。……」(御厨貴『日本の近代3 明治国家の完成 1890~1905』中央公論新社、2001年、「藩閥と政党の提携」324~326頁)--Joffed(会話) 2012年6月14日 (木) 09:03 (UTC)
- さらに文献を一つ追加します。
- 大和屋敷さんが指摘されているように「事件の背景と性格」の節において「歴史学上の通説である」と同じことが書かれており、こちらが放置されております。私としては、この「通説」と記述されいる部分と彩華1226さんの提案文における「多くの説」の部分を大和屋敷さんが仰るように「複数の説」と訂正するならば同意したいと考えております。AcntNo2(会話) 2012年6月11日 (月) 12:26 (UTC)
- それでは、「通説」「多くの説」を「広く支持されている説」としましょう。複数の3次資料において有意な言及がなされていることについて、「複数」などの語を用いてさも「何人かが唱えている程度の学説」かのような記述とすることには全く同意できません。--彩華1226(会話) 2012年6月11日 (月) 14:13 (UTC)
- 「多く」も「広く」も同じであり、その出典が出ていないと思いますが。それと百科事典を出典とするならばそれを記述している専門家の執筆者も同時に記述してください。で、なければ彩華1226さんの主張は矛盾が生じており、それを上の節ですでに指摘させていただいております。AcntNo2(会話) 2012年6月11日 (月) 14:59 (UTC)
- 利用者:Joffedさんが列記してくださった8つの文献から考えますに、【三浦梧楼の指揮(指示)により閔妃殺害を謀った、とする学説が一般的であり、】と十分に記述でき、あとは【小松裕によれば「閔妃殺害事件に関するこれまでの研究史を見ると、ほとんどが三浦梧楼首謀説をとって」いるとする(ref)『全集日本の歴史 第14巻 「いのち」と帝国日本』(小松裕、小学館、2009年)P.240(ref)】という感じの記述で良いのではないでしょうか。引用元には語句として「通説」「定説」という言葉そのものが出てこないので迂遠になりますが。大切な点は、専門家や学会が「通説・定説」という表現をあえて避けているのに、われわれ名無しのWikipedianがそういう学説を読み込んで勝手に通説・定説認定してしまう危険性です。専門家すら慎重に言葉を選んでいるのなら我々はそこから先に踏み込んでは行けないでしょう。尤も、文献をもっと調査すればあっさり「通説」「定説」といった語句が発見できるかもしれませんので、それはそれが発見できた時点でWikipedia記事を再編集すれば良いのではないでしょうか。--大和屋敷(会話) 2012年6月11日 (月) 15:48 (UTC)いずれにせよ、よく知られているように「三浦梧楼首謀説」が一般的な説明で、「日本政府首謀説(関与説)」「大院君首謀説」は一般的ではない。また「日本人(誰?)首謀説」や「朝鮮人(誰?)首謀説」という記述はそもそも学術的記述ではない。さて、当記事のなかには小項目として「朝鮮人首謀説」とハッキリ項目立てしてしまっていますので、これは「朝鮮国政府主導説」などに変更する必要があるでしょう。--大和屋敷(会話) 2012年6月11日 (月) 15:55 (UTC)
- ご返答拝読し、「われわれ名無しのWikipedianがそういう学説を読み込んで勝手に通説・定説認定してしまう危険性」については、こちらも了解いたしました。以後、「通説・定説」という言葉の使用は慎重にしたいと思います。--Joffed(会話) 2012年6月11日 (月) 20:48 (UTC)
Joffedさんにおいては、本来なら私が提示すべきである資料の数々を提示いただき、恐縮の至りです。小松2009の記述を出典で引用し、「ほとんどが三浦梧楼首謀説をとっている」旨を記述することを提起し、文案を以下のように修正します。
- 事件の背景と性格
事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた)、改革派([[開化派]])と守旧派([[事大党]])の路線闘争、さらに[[朝鮮半島]]をめぐる日本の[[安全保障]]問題、日本と[[清]]の覇権争い、[[日清戦争]]後の日本と[[ロシア帝国]]の覇権争いがあった。そのため、日本における歴史研究のほとんどでは、日本公使・[[三浦梧楼]]らの主導による親露派の閔妃を排除するためのクーデターとみなされており<ref name="小松2009">{{cite book|和書|title=「いのち」と帝国日本(全集日本の歴史 第14巻)|year=2009|publisher=小学館|author=[[小松裕]]|page=240|quote=閔妃殺害事件に関するこれまでの研究史を見ると、ほとんどが三浦梧楼首謀説をとっている。}}</ref><ref name="外交史辞典"/><ref name="山田朗">[[山田朗]]『世界史の中の日露戦争』(戦争の日本史20)2009年、吉川弘文館p.38,p.39</ref><ref name="金文子"/>、朝鮮王室内部クーデターに見せかける意図で興宣大院君や朝鮮の訓練隊を利用したとされる<ref name="山田朗">[[山田朗]]『世界史の中の日露戦争』(戦争の日本史20)2009年、吉川弘文館p.38,p.39</ref><ref name="金文子"/>が、朝鮮側が首謀しているとする説や決定的証拠がなく不明とする見解が存在している<ref name=bunmei/><ref name=nikkan/><ref name=nakamura/><ref name=mainichi/>([[#朝鮮人首謀説]]参照)。
- 事件の首謀者
実際の暗殺の真の首謀者、実行者は誰であったかについては、日本における歴史研究のほとんどで、三浦梧楼らの主導とされている<ref name="小松2009"/><ref name="外交史辞典"/><ref name="事典"/><ref name="山田朗"/><ref name="金文子"/>。
--彩華1226(会話) 2012年6月12日 (火) 14:11 (UTC)
- んー。この文案はなんか洗練されていませんねえ。もうちょっとなんとかしよう。--大和屋敷(会話) 2012年6月12日 (火) 16:50 (UTC)
- 「日本における歴史研究においては、日本公使・三浦梧楼らの主導による親露派の閔妃を排除するためのクーデターとみなされている(注)。」→(注)「歴史事典の多くがこの説を明記している他、研究のほとんどがこの説をとっているとの見解もある」とでもしますかねえ。--彩華1226(会話) 2012年6月23日 (土) 19:41 (UTC)
- 「ほとんど」としているのは小松裕であり、その意見として書くならば「事実」ですが、意見ではなく編集者が「ほとんど」と書いてしまうとORでしょう。現在の文案には反対させていただきます。AcntNo2(会話) 2012年6月13日 (水) 09:53 (UTC)
- 百科事典にあるから「定説」「広く」「多く」とは言えず、百科事典も執筆者がいるわけであり、その執筆した研究者の主張にすぎませんよね。ある説が主流であることを示したいのならば、この人(専門家)がこう言っている、と並べるしかないでしょうね。AcntNo2(会話) 2012年6月14日 (木) 12:06 (UTC)
- でーすーかーらー、そんなに「主張」「主張」いうなら「三浦じゃない」って主張を政治的なアジテートやロクに調べもしていない「テレビドラマハンドブック」以外の学術的な信頼できる情報源から示してもらえませんか。--彩華1226(会話) 2012年6月23日 (土) 19:41 (UTC)
- 「三浦である」「三浦じゃない」ってことを話し合ってるんじゃないんです。そんなことを論じる資格は我々にはないんです。そんなこともお分かりになりませんか?--220.108.217.98 2012年6月27日 (水) 06:07 (UTC)
- でーすーかーらー、そんなに「主張」「主張」いうなら「三浦じゃない」って主張を政治的なアジテートやロクに調べもしていない「テレビドラマハンドブック」以外の学術的な信頼できる情報源から示してもらえませんか。--彩華1226(会話) 2012年6月23日 (土) 19:41 (UTC)
- 議論途中でとても忙しくなってしまい、参加できなくなり申しわけありませんでした。保護が解除され、さっそく合意ないままに彩華1226さんが編集されたようですが、当然に彼の記載方法に納得はいっておりません(上記の主張も)。が、議論を途中でできなくなったこと、および大和屋敷さんも手直しされていることから今回は一歩引くことにし、休止(合意して終了ではない)とさせていただきます。AcntNo2(会話) 2012年9月26日 (水) 12:00 (UTC)