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ノート:中川部屋

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分割しませんか

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かつての春日山部屋が不祥事で中川部屋に変わったので、現在の春日山部屋は中川部屋へのリダイレクトになっているのですが、中川部屋も消えてしまったので、記述を分割して、春日山部屋の記事を復活させたほうが、長期的にはいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。 --ねこぱんだ会話2021年7月3日 (土) 08:15 (UTC)[返信]

勢が独立することだって考えられるでしょう。そういうときにごたつくのは困りますから。 --ねこぱんだ会話2021年7月5日 (月) 17:49 (UTC)[返信]
  • 勢は伊勢ノ海部屋所属で、従来の春日山部屋や中川部屋には所属していません。ですから、伊勢ノ海部屋からの独立に際しては、また別の系統で新しい「春日山部屋」が誕生したとみなしたほうがよろしいかと思います。--Susuka会話2021年7月10日 (土) 15:38 (UTC)[返信]
  • 以前そうした場合の扱いをめぐってどなたかとぶつかった記憶があります(ひょっとしたらあなただったかもしれません)が、同じ名称なら、系統が違っても同じ記事の中に統合すべきというのが、私の持論です。そもそも、現在の伊勢ノ海部屋の淵源をたどると、春日山部屋と関連が出てくるのはご存知ですよね。柏戸秀剛の項目をよく読んでください。 --ねこぱんだ会話2021年7月11日 (日) 03:38 (UTC)[返信]
  • 伊勢ノ海部屋は、一時閉鎖時には錦島部屋に力士を預けていたんですよね?その後、お示しの柏戸秀剛を春日山部屋から後継者として譲り受けて、伊勢ノ海部屋を再興した形です。さらにその後伊勢ノ海部屋が再度閉鎖したときには、柏戸秀剛も錦島部屋に身を寄せています。
で、春日山部屋ですが、現在の中川部屋のページを読む限りでは、
  • 1929年、伊勢ノ海部屋からに春日山部屋が独立する。上述の柏戸秀剛が所属していたころの(1940年頃)春日山部屋はこの時のもの
  • 1946年、春日山部屋は閉鎖、立浪部屋に合流。
  • 1955年、春日山部屋再興。以降は立浪・伊勢ヶ濱連合(現在の伊勢ヶ濱一門)に所属する。
このような変遷をたどっています。
以上の事実認識をもとに、春日山部屋の変遷についてまとめると、以下の通りです。
  • 伊勢ノ海部屋は春日山部屋との関連は確かに存在するが、それは、春日山部屋が伊勢ノ海部屋の分家で、一時期部屋を閉じている本家が再興するにあたり、分家が後継者を提供した、という関係にあった。
  • その後、春日山部屋は閉鎖、再興したが、一門は新旧の春日山部屋で異なっている。旧春日山部屋の本家である伊勢ノ海部屋は時津風一門だが、新春日山部屋は伊勢ヶ濱一門である。すなわち、新旧春日山部屋は系統が違うということは、協会公認である。
--Susuka会話2021年7月12日 (月) 12:28 (UTC)[返信]
  • コメント 5か月前に議論が止まってしまったところへ今更コメントをするのか、という話もありそうですが、意見を述べさせていただきます。春日山部屋と中川部屋の記事分割について、春日山部屋のことを春日山部屋の記事に書くことには賛成します。初代春日山から21代春日山の部分まで全て、そして春日山部屋が閉鎖になった経緯までは全て『春日山部屋』の記事に記載してもよいと考えています。春日山部屋の最後の師匠になった21代春日山(濵錦)と、15代中川(旭里)が別人であることも考慮しました。中川部屋が春日山部屋を再興する扱いで創設されたのは事実ですから、全くの別組織として扱うのは違うと思いますが、名称が違うのであれば無理に同じ記事にまとめようとしなくても良いと思います。春日山部屋の記事には春日山部屋が閉鎖に至るまでの歴史と閉鎖に至った経緯、その後中川部屋として再興されるまでの歴史などを書いておき、「中川部屋発足後については『中川部屋』を参照」という案内をすれば良いように思います。そして中川部屋についても、2016年10月に春日山部屋が閉鎖になった後20代春日山(春日富士)時代の施設で15代中川が師匠代理として指導をしてきたことなどを「前史」として簡潔に説明した上で、「詳細は『春日山部屋』を参照」という形を取っても良いのではないかと思います。中川部屋が春日山部屋を再興するという扱いで発足したことを『春日山部屋』と『中川部屋』両方の本文中で説明すれば、全く無関係な組織という誤解は解けると思います。
春日山部屋の記事について、1929年に14代春日山(藤ノ川)が創設して1946年に閉鎖、1955年に15代春日山(名寄岩)が再興して1990年に16代春日山閉鎖、1997年に20代春日山によって再興されて2016年に閉鎖、という歴史を辿っていますが、これに関しては一つの記事でまとめて問題ないと思います。14代春日山に入門した大昇が15代春日山の春日山部屋が発足した後は春日山部屋の所属になっていることを考えると、系統が違っていても連続性はあると考えられます。これに関して参考にできる記事として『貴乃花部屋』を挙げます。『貴乃花部屋』では10代二子山(初代若乃花)の二子山部屋、11代二子山(初代貴ノ花)の二子山部屋、そして貴乃花部屋を、節を分けて説明しています。この事例を参考に、14代春日山時代、15・16代春日山時代、20・21代春日山時代、と節を分けて説明するのもひとつの手だと思います。
『中川部屋』については、15代中川の中川部屋だけでなく、7~9代中川による中川部屋についても「旧・中川部屋」の節で説明されています。7~9代中川の中川部屋について独立した記事で説明するのは文章の量や今後記事としての伸び代のようなものを考えると厳しいところがあります。中川部屋という名前の相撲部屋は現在は存在していないので、ページの上にまず『7~9代中川時代』の節を設けて現行の「旧・中川部屋」の節について説明し、その下に『15代中川時代』を説明する形が良いと考えます。現存していない相撲部屋の記事というのは、相撲の歴史についての記事になると思うので、時系列で並べた方が良いのではないでしょうか。『二十山部屋』や『中村部屋』も時系列に書かれています。24代春日山(勢)が将来春日山部屋を創設するかは分かりませんが、「現に活動中の相撲部屋について記載している記事」については、活動中の相撲部屋の説明を最上部に置き、その下にかつて存在した同名の相撲部屋のことを説明する現行のスタイルで良いと考えます。
相撲部屋の記事を分割すべきでないという意見と、系統が違うものは一緒にしないほうがよいという意見が対立している状況については、この場ではコメントを控えさせていただきます。『プロジェクト‐ノート:相撲/過去ログ3#相撲部屋の記事について[*]』で2017年2月から10月に一度議論がされていたようですが、再度『プロジェクト‐ノート:相撲』で議論をやり直すのはいかがでしょうか。2017年の議論も最終的な結論が出ないまま終了してしまっているようですし、放駒部屋の件(ノート:二所ノ関部屋で議論中)でもこの話題が再燃しそうです。今後も同様の事例が出る可能性はあるので、ここは春日山部屋と中川部屋の関係性だけ話をまとめて、相撲部屋記事全体に関する議論の場は移すのが良いように思います。
--山の山手線会話2021年12月26日 (日) 09:22 (UTC)[返信]