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ノート:万世一系

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過去ログ

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戦後の歴史家の万世一系に対する研究態度について

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以下の文章を加筆しました。(差分)

戦後の歴史家は、戦前の日本で天皇の王朝の非常な古さが国家主義として悪用されたことに強く反発した。さらに、日本における皇室制度と天皇家の異例な長命さという意義を軽んじてきた。しかし、そうした彼らでも認めざるをえないのは、皇位を占めている血縁集団が世界最古の在位の君主家だということである。

この文章の出典もシロニー氏の著書からです。戦後の歴史家の万世一系に対する研究態度とその問題点を指摘しています。このことについて説明しないと、逆に記事の中立性に問題が出ると判断し、加筆することにしました。疑問や問題点があれば、指摘していただけたらと思います。(加筆自体に問題があるわけがないとは思っていますが)。戦後の「万世一系」研究について別の意見を加筆していただくのも、もちろん歓迎です。よろしくお願いいたします。--伏儀 2009年4月6日 (月) 19:43 (UTC)[返信]

  • 上記の文章に対して4月7日に編集していただきましたが差し戻し、修正させていただきました。(差分)。出典としたシロニー氏の著書では、天皇家の長命さという意義を軽んじてきた歴史家は「戦後の主流派の立場にあった」と明言していません。また、「国家主義に悪用」を「~に利用」に置き換えておられましたが、「悪用」は「利用」と違い明確に非難するニュアンスがあり、不正確な引用となってしまいます。さらに、「天皇家の異例な長命さ」を「皇室の~」に置き換えておられましたが、 これも引用した文章の文意を変化させてしまう修正です。というのも、「皇室は皇室典範が定める制度・組織を指す用語である。」という議論がノート:天皇氏にあったためです。旧皇室典範によって設置された皇室は明治時代からの歴史ですので、「長命」でもなんでもありません。シロニー氏の著書からの引用文は、皇室の単純な組織論を論じているのではありません。天皇の一族の根源について論じているのです。万世一系というイデオロギー上デリケートな問題を扱っているので、出典から正確に引用するよう慎重を期しています。ご理解いただければ幸いです。--伏儀 2009年4月10日 (金) 09:58 (UTC)[返信]


修正されました件について、意見を述べさせて下さい。まず「国家主義に悪用」を「~に利用」の件ですが、仰る通り、「悪用」とは明確に非難する含意があり、例えばこれを悪用と思わない立場からすれば語弊もある訳であり、著しく中立性を欠くと判断したため、意味を損ねずにかつ穏当な記述にしました次第です。「利用」ならば意図を離れすぎず、まことに穏当であると判断します。次に「天皇家」と「皇室」両語について申上げます。ノート:天皇氏にある該主張は、自分はこれをトンデモ説と看做します。皇室が皇室典範による皇室のみを指すというのは甚だ荒唐無稽な論で、例えば皇室典範以前に福沢諭吉等が「帝室」と言っていたのも皇室と同意義で、皇室典範において「皇室」の語が採用され、それが最も定着しただけのことです。皇室典範以降も「帝室制度」等の様に別称があったことからも明らかです。それに、皇室典範というのは、それまでの綿々と続いてきた皇室のために皇室制度を整理したものです。その後も帝室制度審議会で皇統譜や皇族降下など、また紫宸殿の儀礼上の高御座と皇后の御座所について、大正天皇御即位の皇太子参列の是非など、諸種甲論乙駁、議論して変更も加えられましたが、これは歴史上度々あった様に、時代によって生じた欠陥を整備するものであって、「皇室」が明治以来の新たな産物などと言うことは出来ません。文筆家は常に「皇室」「帝室」などと歴史を論じた筈であり、「天皇家」こそ新概念と言えるのかも知れません。加之、「天皇家」と言うのは「皇室」の中の「内廷にある皇族」を指すという指摘もありますが、事の真偽は未詳で、「天皇家」なるwikipediaのページもありません。また自分も大学では歴史学を専攻した経緯から、当然皇室に関することも学びましたが、その際に「天皇家」と「皇室」の語について言われたことは、平たく言えば「天皇家」とは、実態を有さない誤った語彙であり、学術的には「皇室」と言わねばならないものを、見識のある者も誤って用いている、ということでした。これを信じるならば、「天皇家」と「皇室」の違いは、俗語か学術的批判に耐え得る用語かということに尽きると思います。以前、壬申の乱の項目でも、「皇室」の用語は相応しくないという指摘がありましたが、以上の理由からむしろ最も適当であると判断します。内容がデリケートであることは疑いようもなく、編集の上でご苦労もあろうと思いますが、以上の点は疑問でありますので、反駁を加えさせて頂きました。冗長でして意図せぬ無礼があれば甚だ遺憾ですが、とまれ、内容をより善い方向へ充実させられますよう、共に努力できればと思います。--Naigai 2009年5月7日 (木) 00:15 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。出典としたシロニー氏の主張を正確に紹介する必要があるので、出典の「悪用」という記述のままにすることをお許しいただけますでしょうか。研究者が一方的な主張をしている場合、なおのことその主張について紹介する必要があります。中立性に問題があるとしたら、「利用」であるとする研究家について言及が成されていないことにあるのではないでしょうか。現状でも、「悪用」とするのが常識であり定説であるという記述はせず、あくまでシロニー氏の主張にすぎないことを明確にしてあるので、読者に誤解は与えないと考えます。(明確になっていない場合は、明確になるよう直ちに修正させていただきます)。「利用」とする主張を加筆するのはもちろん賛成です。主張が対立している場合は両論併記をして中立性を保証するのが最善ではないでしょうか。
一方、「天皇家」については謝罪しなければなりません。というのも、出典を確認したところ、「皇室には名字がない~」と記述されていたためです。これは明確に私の誤りであり、謝して訂正しなければなりません。「出典から正確に引用を!」と息巻いたにもかかわらず、このような不適切な引用をしてしまい、お恥ずかしいかぎりでございます。直ちに訂正させていただきます。
また、「皇室」と「天皇家」について、私の印象にすぎませんが、もしかしたら学術上でも用語の統一ができていないのでは、と思いました。(シロニー氏の著書を確認してみたところ、「皇室」と「天皇家」の両方の用語が使用されていました)。学術上で用語が統一されていないとしたら、ウィキペディアで統一してしまうのはまずいと思います。この場ではどちらが妥当か結論を出さずに、出典で使用されていた用語をそのまま使用するのが最も安全ではないかと思います。
最後に、「天皇家」の記事は過去に存在しましたが、ノート:天皇家で同様の議論がありまして、天皇へのリダイレクトページに変更されました。ご確認いただければと思います。今後もよろしくお願いいたします。--伏儀 2009年5月8日 (金) 14:52 (UTC)[返信]

上記、戦後の歴史家についての記述を「疑義・論争」節に移動するなど修正をしました。一応、この場で報告しておきます。--伏儀 2009年6月21日 (日) 16:40 (UTC)[返信]

ベン=アミー シロニーの信頼性について

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記事全体がシロニー氏の著作に拠っているようですが、このシロニー氏という人物は、歴史学会においてどういった立ち位置にいる方なのでしょうか。信頼のおける学者なのでしょうか。簡単に経歴を調べてみると、日ユ同祖論に関係するような著作を出している時点で信頼性に欠ける人物のような気もします。

また、全般的に断定調で書かれていることも多く、他の歴史学者の見解と整合性が取れているのかどうかが気になります。すなわち、シロニー氏個人の見解に過ぎない部分を断定調で書くのは、やはり行き過ぎではないかと思うのです。ちなみに、内容自体についての反論ではありませんので、どうか誤解なきようお願い致します。--121.114.106.204 2009年7月10日 (金) 16:43 (UTC)[返信]

加筆した者です。他の記事で同様の質問があり、その繰り返しになってしまいますが、回答いたします。

シロニー氏の著書をWikipedia:信頼できる情報源に基づいて判断すると、出典として問題ないどころかかなりの信頼性を誇り、現在の記述が少なくとも日本国外の学界で主流であることを示す根拠になりえます。シロニー氏は著書で逐一出典を示し、しかも情報源が誰でどういう研究をしている人物か明確にするよう努めています。その上で持論を述べている。シロニー氏本人も、もちろん素性を明らかにしています。イスラエルのヘブライ大学の東洋学部教授で、日本研究により勲二等を受章した人物です。また、論文を発表する際に学術機関の審査を受け、本書を出版する際に出版社の審査を受けています。

また、「日ユ同祖論に関係するような著作出している」とのことですが、事実誤認ではないでしょうか。日ユ同祖論の「日ユ同祖論に関連する説」節に「日ユ同祖論を支持しないが、日本民族とユダヤ民族の民族性が良く似ていると主張する論者もいる。代表的論者に、内村鑑三やベン・アミー・シロニーなどがいる。」とあります。民族性がよく似ているという研究は文化論としてポピュラーであり、それを「同祖論」と呼ぶのは無理があります。そもそも、「日ユ同祖論に関係するような著作を出している時点で信頼性に欠ける」という主張は、いわばIP殿の独自研究ではないでしょうか。信頼性の判断は匿名ユーザの論評より学術機関の審査を優先させるべきです。

「他の歴史学者の見解と整合性」についてですが、異説や反論があれば確かに取り上げる必要があります。異説や反論は「疑義・論争」節にまとめて両論併記とするとよいとも考えています。しかし、実際に紹介していただかないと記事を修正しようがありません。なぜならば、異説や反論の信頼性によって、異説や反論がどれほど主流なのか判断し、それに応じて編集する必要があるためです。ただ、すでに述べたとおり、現在の出典の信頼性は群を抜いていると評価できます。異説や反論の信頼性が高い場合でも両論併記の形で落ち着くでしょう。さらに、常識であり定説であると断言せず、シロニー氏の主張であることを出典の明記によって明確にしてあるので、読者に誤解は与えないと考えます。(明確になっていない場合は、明確になるよう直ちに修正させていただきます)。

コメントありがとうございました。よろしくお願いいたします。--伏儀 2009年7月13日 (月) 12:36 (UTC)[返信]

補足です。万世一系の異説や反論について、人に説明できるほど詳しくありませんが、私もその存在を認知しております。ただ、これは詳しい方に加筆していただきたく思っています。また、「疑義・論争」節の「たとえば、第26代継体天皇や、壬申の乱、南北朝時代などの時点で皇位継承が途絶えているため、万世一系とはいえないという説がある。」という記述が「要出典」となっていますが、これは単に出典を明記して説明するべきという意味で、この説に嫌疑を挟んでいるわけではありません。ただ、「よって万世一系とはいえない」などと明確に踏み込んだ主張はせず、「万世一系というが、実際の皇統はどうだったのか」という主張にとどめる研究者が多いのではと思い始めています。まあこれも私の独自研究ですが。--伏儀 2009年7月13日 (月) 12:48 (UTC)[返信]


伏儀様、上の質問をした者(121.114.106.204)です。ご回答ありがとうございます。大変興味深く読ませて頂きました。

第一に、シロニー氏の歴史学会における信頼性について。伏儀様の発言を読ませていただき、ある程度 Wikipedia の参考資料として採用するに足る人物であるという点を理解しました。理想をいえば、シロニー氏のオンラインで閲覧できる論文を挙げていただき、日本史研究のどの分野に精通した人物なのかまで知りたかったのですが、ここは伏儀様を信頼できるウィキペディアンと信じた上で、発言内容を全面的に信頼することにいたします(ちなみに、ヘブライ大学にあるシロニー氏のサイト及びオンライン検索できる論文の摘要を読んでみたところ、主に日本の近現代史が専門のようですね)。ただし、書籍を出版する際の出版社の審査というのは、学会の審査とは異なり、信頼性に寄与する要素ではありません。出版社が発刊可と認めさえすれば、どれほど偏向していたり、事実誤認した本でも出版可能です。シロニー氏の研究が学会の主流に位置すると仮に認めたとしても、歴史学会が氏の著作物の内容にまで踏み込んでお墨付きを与えるとは考えにくいので、どこまでが事実でどこからが氏の持論なのかを峻別して参考にする必要があるでしょう。「Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源を使うこと」によると、「印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができ」ないのだそうです。
そこで質問なのですが、シロニー氏の著作の中で、伏儀様が引用あるいは参考にされた箇所のうち、どこまでが「シロニー氏の持論」なのかを記事上で明示していただけないでしょうか。「誰それが~という発言をした」という部分は事実として断定調で書くのは問題ないと思いますが、その発言に対する評価(歴史解釈)まで断定調で書くのは問題があるのではないかと思うのです。
具体例として「十数世紀にわたって人々に誇りをいだかせるとともに、不思議に思われてきた」の部分について触れておきます。この十数世紀の間には、後醍醐天皇に仕えた重臣・吉田定房のように「本朝の刹利、天祚一種なるが故に、陵遅日に甚だしく、中興期なし(天皇家は万世一系であるが故に衰退する一方なのだ‐『吉田定房奏状』)」と否定的な発言を残している人物もいて、必ずしも誇りを抱く人物だけではなかったことが分かります。この発言をわざわざ記事中に引用する必要はないとは思いますが、「十数世紀にわたって誇りを抱いたり、不思議に思う人々がいた」程度に弱めて書くことは可能でしょうか。
もう一つ別の例を挙げておきます。「明治時代の多くの知識人は、皇室の永続性というドグマを受け入れ、誇りに思っていた」と断定していますが、戦前の右翼思想の大物・北一輝は万世一系を否定的に述べています(「日本国民は万世一系の一語に頭蓋骨を殴打されことごとく白痴となる」‐『国体論及び純正社会主義』)。北一輝が万世一系を批判した著書は、刊行後すぐに発禁処分を受けていることから、「国の紀元についてのドグマは、その信奉を強制されていたわけではない」とは言い難いことが分かります。引用されている新渡戸稲造の意見も不敬罪が適用されない国外での発言です。そこで、シロニー氏の著作に「明治時代の~思っていた」という内容が書かれているのであれば、記述自体は尊重した上で、その記述がシロニー氏の主張であることを明示するかたち(例:~と主張する研究者もいる)に変えることは可能でしょうか。この方がより Wikipedia の方針に合わせた厳密な記述になると思うのです。
第二に、日ユ同祖論について。なるほど、シロニー氏は日ユ同祖論ではなく、日ユ同質論を掲げる研究家なのですね。上に述べた通り、簡単に調べただけだったので、シロニー氏が日ユ同祖論者であると誤解しておりました。なお、私が「日ユ同祖論を論じている学者が信頼性に足らない」とした理由は単純です。日ユ同祖論が提唱されてから100年以上も経過しているにも関わらず、いまだに国内外の歴史学会から部分的にすら実証されていない以上、そういった理論を提唱する時点で学者としての資質を欠いているのではないかという疑念を抱いたからです。ただし、私は「信頼性に欠ける」と書いただけで、「記述すべきではない」と書いたわけではありません。私には文献の信頼性の判断を下す権限はありません。ところが、Wikipedia では、「特別な主張には特別な証拠が求められる」そうなので、信頼性を評価する以上、日ユ同祖論を主張する人物であれば、文献の取り扱いには注意して欲しいと考えただけです。とはいえ、シロニー氏が日ユ同祖論者ではない以上、もはや疑いを挟む合理的な余地はありませんね。
最後に、他の歴史学者の見解と整合性について。万が一、伏儀様が誤解している可能性を考えて先に書いておきますが、私は万世一系に対する異論や反論を記述したいと思っているわけではありません。わざわざ「内容自体についての反論ではありませんので」と断りを入れたのは、その誤解を避けるためでした。私が求めているのは、記事中の記述をより厳密にして頂きたいだけです。伏儀様が引用したのは、シロニー氏個人の出版物であり、学会の査定を受けた論文ではありません。とはいえ、Wikipedia では権威づけられた専門家による公表物はある程度信頼できるとみなすそうなので、シロニー氏の著作を参考とすることに反対はいたしません。ただし、氏の持論を含む著作物である以上、事実と持論とを峻別し、記述をより厳密化していただきたかったのです。「整合性」について触れたのは、そのためです。シロニー氏の持論が学術的なコンセンサスを得たものであるのならば、それを証明する文献をご提示ください。学術的なコンセンサスではなく、あくまでシロニー氏本人の「専門家としての信頼性」に依拠したものであるのならば、シロニー氏の主張であることを明示する言い回しに書き換えて頂くことが Wikipedia の方針にかなうかと思います。
また、私が独断で内容を改変せず、わざわざノートで意見を伺う方法を採ったのは、伏儀様を含めた記事の執筆陣を尊重し、不毛な編集合戦を避けるためです。以上、非常に長い回答となってしまいましたが、よろしくお願い致します。--121.114.106.204 2009年7月13日 (月) 19:08 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。いろいろお手数をおかけしてしまい、大変恐縮です。歴史解釈に関して、出典からの記述を可能な限り生かしつつ修正するご提案に賛同いたします。出典の信頼性について説明させていただきましたが、シロニー氏の著書を出典とすることにご理解いただけるなら、これ以上異論はございません。

「十数世紀にわたって人々に誇りをいだかせるとともに、不思議に思われてきた」を「十数世紀にわたって誇りを抱いたり、不思議に思う人々がいた」という記述に修正するご提案に賛成させていただきます。この記述は、「チンギスハーンはモンゴル人の誇りである」、「イギリス栄光の時代の大英帝国」といった「お国自慢」の類だろうと考え、特に気にとめませんでした。しかし、誇りを抱かない人物の存在を否定しているよう読めるならば、ご提案どおり修正した方がより適切な記述になりますね。ただ、「明治時代の多くの知識人は、皇室の永続性というドグマを受け入れ、誇りに思っていた」については「知識人全員」でなく、単に「多くの知識人」としか言っていないので、問題ないのではないでしょうか。むしろ、北一輝の否定的な「万世一系」論が発禁処分となったことを「戦前での概念」の章で紹介するべきではないかと思います。著名な人物ですし、その主張を万世一系に関する主張であると判断しても独自の解釈には相当しないと考えます。新渡戸稲造の意見も、「日本国外でだが…はっきり疑問を呈している」という記述にするべきかと思います。いかがでしょうか。--伏儀 2009年7月17日 (金) 11:53 (UTC)[返信]

伏儀様、IPが変わってしまいましたが、質問者(元121.114.106.204)です。当方の真意をご理解頂けたこと、大変ありがたく思います。ご提案に関しては全面的に賛成いたしますので、伏儀様のご裁量で加筆・修整していただく方向でお願いできますでしょうか。よろしくお願い致します。話は変わりますが、この「万世一系」の記事は、伏儀様が執筆されたお蔭で非常に情報価値の高いものになったのではないかと感じておりました。個人的に秀逸な記事として選ばれる日も近いのではないかと思います。これからのウィキペディアンとしてのご活躍をお祈りしております。--121.114.116.48 2009年7月18日 (土) 00:23 (UTC)[返信]
お褒めにあずかり光栄に思います。先日提案させていただいた修正案に基づき、記事を修正させていただきました。不備があれば指摘していただければと思います。--伏儀 2009年7月20日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

「単一の出典」テンプレートについて

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「単一の出典」テンプレートを外しました。履歴の要約欄に「なぜ脚注の出典がシロニーばかりなのか…なぜ「全部」と「大部分」の区別のつかない人がいるのか…」とありましたが、説明が曖昧模糊過ぎています。これでは分かるはずがありません。とはいえ、はがして終わりというのもなんですから私なりに解釈してみます。現在の記事は大まかに言って、歴史を説明しているいくつかの節と「嫌疑・論争」節が存在します。「歴史」は1つの日本語文献と複数の英語の文献があります。厳密に言えばシロニー氏の日本語文献が中心であると判断できます。一方、「嫌疑・論争」節は、「戦前の論争」と「国体との関係」の節に出典がありません。(「戦後の歴史家」節は単にシロニー氏の主張を紹介するのみで、「皇位継承問題」節は他の記事に誘導しています)。「嫌疑・論争」節に出典を追加する必要があるということでしょうか。代案として、「嫌疑・論争」節に「出典の明記」テンプレートを貼るのを提案いたします。--伏儀 2010年11月26日 (金) 15:34 (UTC)[返信]

歴史についての執筆方針

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「歴史」についてですが、出典にできる他の書籍や論文がなかなか見つからない状況です。(まさか現状で全てであるということはないと思いますが)。「万世一系を研究している専門家」という条件のせいかもしれませんが、どうも「万世一系といえるのかどうか」という見方をせずに、天皇の家系を研究するケースがままあるようなのです。(万世一系が研究テーマであると明言していない書籍や論文は出典にできません)。先の皇位継承問題で万世一系にふれている書籍や、万世一系がいかに日本にとって重要なのか熱心に説く書籍なら、いくらでも見つかるのですが…。ただ、中野好之 (著) 『万世一系:面白半分の異端曲説』は、「嫌疑・論争」節の主要な出典にできそうですが、「論争の歴史」として「歴史」の出典に追加できるかもしれません。所持してないので推測になってしまいますが。--伏儀 2010年11月26日 (金) 15:34 (UTC)[返信]

当時の用語への返還

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新渡戸稲造の演説は訳文と推測されるので、当時の表記により近い「支那」という表記を使用しました。--。--利用者:yuta2731 2011年11月3日 (金) 13:08 (UTC)[返信]

演説はシロニー氏の著書からの引用です。「支那」と訳した方は誰か明記してから修正してください。--伏儀 2011年11月12日 (土) 08:07 (UTC)[返信]

関連項目 

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関連項目にY染色体を繰り返し追加する方がおられるようです。追加の意図を説明いただけますか。--伏儀会話2019年6月12日 (水) 12:58 (UTC)[返信]