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ノート:一敗馬一覧

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即時削除

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明確な定義に基づいた著名な競走馬の一覧ですが、なぜ即時削除なのでしょうか?--コサルス 2008年6月22日 (日) 01:02 (UTC)[返信]

「競馬で生涯の敗戦が一回のみの著名な競走馬の一覧である。競馬史に残る著名な一敗馬には無敗馬に勝るとも劣らない偉大な名馬がそろっている」というのは独自研究に当たるものであり、定義の要件に値しません。--Star-dust 2008年6月22日 (日) 05:06 (UTC)[返信]
独自研究には当たりません。本項と同様の定義の一覧は競馬関係の書物に出ております。また「一敗馬」という用語自体も同様です。--コサルス 2008年6月22日 (日) 05:14 (UTC)[返信]
削除依頼に回しました。--Star-dust 2008年6月22日 (日) 05:40 (UTC)[返信]
現在このノートにおいて議論している途中であり、「独自研究である」とするStar-dust氏の認識が誤りである、と指摘された直後、その論点について劣勢になったがために性急な削除依頼という強引な手段に出たとしか見られない。合意によって見解を確立するという姿勢よりも、むしろ自分の削除の初動を正当化したいという削除ありきの態度であると感じます。--Summerwinder 2008年6月25日 (水) 23:30 (UTC)[返信]

独自研究

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Wikipedia:独自研究は載せないによると以下のようなものです。

  • 新しい未発表の理論や解決法を加筆する。
    すでに出版されている書物に同様の定義に基づく競走馬の一覧の記述があり、本項は該当しない。
  • オリジナルのアイデアを加筆する。
    上と同じ理由で、本項は該当しない。
  • 新しい用語を定義する。
    「一敗馬」という用語もすでに出版されている書物にみられ、本項は該当しない。
  • 既存の用語に新たな定義を与える。
    既存の用語に何ら新たな定義を与えていないため、本項は該当しない。
  • 他の概念や理論論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。
    何らかの立場を反駁あるいは支持する内容ではないので、本項は該当しない。
  • 編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。
    すでに出版されている書物に同様の定義に基づく競走馬の一覧の記述があり、本項は該当しない。
  • 新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。
    「一敗馬」は新しい造語ではなく、1993年時点で出版されている本の中に載っているので、本項は該当しない。

「独自の研究結果の発表」に該当すると判断される理由が不明です。 仮に二敗馬一覧であれば、その様な一覧を「評判の良い資料」で見た事はなく、私も独自研究と判断したでしょう。--コサルス 2008年6月22日 (日) 06:06 (UTC)[返信]

「一敗馬」という言葉について、それがイコール名馬とするかのようなものは独自研究と言わざるえないでしょう。「一敗馬」というのは「1度負けたことがある馬」というのが全体的な定義ですが、「だから名馬」であるというのは明らかに「新たな定義を与えている」に該当します。3戦2勝の条件馬で終わった馬も名馬?極端な例を挙げれば、1戦0勝でも「一敗馬」と言えます。解釈次第で何とでも言えるようなものであるのを、ただ一部の「一敗馬」を以って「名馬が多い」というのは飛躍しすぎている理論です。さらに「著名な一敗馬」の定義はとは?これ自体が、独自の定義ではないでしょうか。いずれにせよ、独自研究の域を出ないものであると言えるでしょう。--Star-dust 2008年6月22日 (日) 06:37 (UTC)[返信]
「一敗馬」と名馬を結びつけた表現は、原田俊治氏の著書に出ておりますので、私の独自研究ではありません。逆に「一敗馬」を1戦0勝のような馬に対して使った例を知りません。「著名な一敗馬」と表現は違いますが、同様の定義で、原田氏はネイティヴダンサー、シーバード等を上げております。また、正確な出典は思い出せませんが、タイキシャトルがまだ1敗しかしていなかった頃に、同様の定義で、マンノウォー等を列挙した例がありました。したがって、名馬の中から1敗だけした馬を見つけ出し、一覧とするのは私の独自研究ではありません。議論を経ずに削除依頼をだしたのは問題でしょう。--コサルス 2008年6月22日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
「原田俊治氏の独自研究」ということでしょう。氏の言うような解釈がまかり通っている訳ではありません。「名馬の中から1敗だけした馬を見つけ出」す根拠が曖昧なんですよ。1敗しているのも2敗しているのも負けたことに変わりはなく、そこを敢えて選別することの理論的・合理的根拠が何一つ提示されていません。仰るような「1敗馬」の定義を確立するだけの根拠がないのでは、いくらでも恣意的な解釈ができてしまうのであり、それの例が私の挙げた「3戦2勝の条件馬」だったり「1戦0勝の馬」なのです。以上のことから、これは独自研究であると判断し、削除の対象であると主張しているのです。残念ながらコサルスさんの仰ることは私の挙げた点について回答になっておりません。それから、削除依頼に関してですが、元々あの場は議論の場ではなく審議を行う場であって、いちいちコメントを付けることは審議の妨害となるので見守っているだけであり、またこののーとにおいても私の主張する根拠はすでに提示しておりますから静観しているのであって、主張をしていないなどと言うのは貴方の勝手な判断でしかありません。主張は両者から出ていますし、今は審議を見守ったほうが得策かと思いますけど。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 02:06 (UTC)[返信]
「原田俊治氏の独自研究」であるのなら、ウィキペディアが定義する独自研究には該当しません。Wikipedia:独自研究は載せないをお読み下さい。しかし、原田俊治氏だけではなく、1つ例を上げれば、石川喬司氏も同様の内容を著しており、「原田俊治氏の独自研究」と主張するのも無理があります。原田氏は、一敗馬として、名高い名馬だけをあげておりますし、「一敗馬」「1敗馬」でグーグル検索した場合の該当馬(本項を除く)は次の通りです。マンノウォー、シカンブル、シーバード、ネイティヴダンサー、ラフィアン、ブリガディアジェラード、アレッジド、ドバイミレニアム、シンダー、ダラカニ、ミホノブルボン、2007年ヴィクトリアマイル以前のカワカミプリンセス、2006年凱旋門賞以前のディープインパクト、2007年有馬記念以前のロックドゥカンプ、2008年センテナリースプリントC以前のセイクリッドキングダム、2008年フィリーズレビューに出走したその時点で1敗だった馬、2006年ダービーに出走していたその時点で1敗だった馬、そして「1敗馬を逃した馬」としてニジンスキーが見つかり、大半は歴史的名馬としての地位を確固たる物としている馬であり、またその時点で大きな大きな期待をかけられている馬です。一方「二敗馬」「2敗馬」で検索すると、具体的な馬名は2006年凱旋門賞以前のディープインパクトについて、はたしてもう一度負けて「二敗馬」になるかどうか、と言う文が見つかるだけで、2敗のみの名馬セントフラスキン、プリティポリー、ブラントーム、トドマン、ミルリーフ、カブラヤオー、クリス、アイリッシュリヴァー、タイキシャトル等が「二敗馬」と表現される事は皆無であり、言葉としての「一敗馬」と「二敗馬」には大きな差があるとみる事が出来るでしょう。「二敗馬」には文字通りの意味しかない一方、「一敗馬」には無敗を逃した名馬を現す意味があります。「一敗馬」をあくまでも文字通りの意味しかないと主張して、「3戦2勝の条件馬」や「1戦0勝の馬」も該当すると主張するのは、「クラシックの賞品に冠がないのだから、三冠馬と呼ぶのはおかしい」とか「毎日王冠を2回勝っているオグリキャップは二冠馬と呼ばれるべきである」と同じ様に言葉の本来の意味を無視しています。「評判の良い資料」において「一敗馬」と表現されているのは、「3戦2勝の条件馬」や「1戦0勝の馬」ではなく、主要な競走を勝った名馬です。また、本項の現在の定義では、「3戦2勝の条件馬」や「1戦0勝の馬」は該当しません。一例を上げればパルシファルでしょうが、現在の定義ではパルシファルは該当しないでしょう。また、近親に有名馬がいたり、繁殖成績が優秀でも、競走成績が不十分なら該当しない事も実例を上げて明記してあります。それらの内容に異論があっても、ノートで議論する内容であり、削除依頼を出すのは不適切です。Wikipedia:削除依頼の依頼の仕方をみても、依頼の前に対話を試みる事が推奨されており、なぜそうされなかったのか疑問です。--コサルス 2008年6月24日 (火) 03:28 (UTC)[返信]

冒頭の定義の「著名な」はどのような基準で決めるのでしょうか。--fromm 2008年6月24日 (火) 03:50 (UTC)[返信]

原田俊治氏の言う一敗馬の定義に信頼性がありませんし(あくまで自説レベル)「著名な一敗馬」の著名であるか著名でないかの定義もありません。前述の通り「選別する根拠がない」のですから、出典とするには難があります。とすれば「独自研究」の範疇に入るでしょう。それに貴方の仰る『「一敗馬」「1敗馬」でグーグル検索した場合の該当馬(本項を除く)は次の通りです。~(略)~一敗馬」には無敗を逃した名馬を現す意味があります』はどう見ても独自研究ですよね。「本項の現在の定義では、「3戦2勝の条件馬」や「1戦0勝の馬」は該当しません」もその根拠がなく、独自研究とみなさざるえません。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 04:02 (UTC)[返信]
貴方の主張されている事は、Wikipedia:独自研究は載せないの「他の概念や理論論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。」に相当します。あなたがやらなければならないのは、「評判の良い資料」を用いて原田氏の「一敗馬」の定義の反証をする事です。繰り返しになりますが「一敗馬」という言葉で無敗を逃した名馬を定義したのは原田俊治氏であり、またすでに上げた通り、同様の定義で無敗を逃した名馬を纏める例もあり、私の独自研究ではありあせん。--コサルス 2008年6月24日 (火) 04:52 (UTC)[返信]
1敗=1回負けていること、ということも資料を提示しなければいけませんか・・・。「一」とは「敗」とは、馬は省略します。ここから導き出される答えは「一敗馬=1度負けた馬」です。これ以上でもこれ以下でもありません。どうでしょう、原田氏や貴方が主張するのと大きく違いますね。私はそれについてお話しした訳ですが、「1敗した」馬について独自の定義を加えているのは原田氏であり、原田氏が定義している一敗馬について、「数多い1敗している馬」の中で選別するだけの具体的な根拠がないというのは何度も申し上げています。つまり検証性に欠けるわけであり、検証性に欠けるものを出典としているならばそれは独自研究の範疇に含まれてしまうでしょう。逆に言えば、1敗の馬を選別するに値するだけの根拠を論じたものがあれば、それは出典になれ検証性も担保されるということです。また貴方が例に挙げたのは(上記の『』で引用した箇所)は独自研究になりますよ、ということです。私が挙げた例は言葉の意味から範疇に含まれることを具体的な数字にして表したものです。私が挙げた例の正当性はリンクした国語辞典が担保の1つとなるでしょう。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 06:46 (UTC)]][返信]
勘違いをされているようですが、原田氏の「一敗馬」の定義の妥当性は、この記事が独自研究であるのかどうかとは一切、関係ありません。あなたが「一」と「敗」と「馬」の意味を持ち出して、原田氏の「一敗馬」の定義はおかしいと主張したり、「一敗馬」に新たな定義を与えた所で、それ自体が独自研究の域を出ず、ウィキペディアでは受け入れられないものです。また、競馬関係の資料のおいて、成績に共通点のある馬の一覧は数多くあり、その中で敗戦が1度だけの名馬を選別する根拠は、まず選別の条件がシンプルであり、そのような馬が希少であり、またその1敗が著名である事も多い、という事でしょう。これは私の感想に過ぎませんが、「一敗だけの名馬」は競馬界では大きな存在であるようで、現に原田氏の著書以外にも同様の定義で一敗馬が列挙される例があります。
あなたがしなければならないのは、原田氏の「一敗馬」の定義を反駁する「評判の良い資料」を出す事です。
『』の部分は「一敗馬」がどう使われる事が多いか、また「二敗馬」との違いが何であるのかの例ですので、こちらの主張を裏付ける根拠として書いたわけではありません。
最初の時にそえられていたコメントを見るかぎり、一敗しただけの名馬の一覧や「一敗馬」という用語が、既存であったとは念頭になかったとお見受けしますが、すでに既存の事であると説明した今、主張を二転三転させながら、そしておよそウィキペディアの削除理由にはなりえない主張までもして、削除すべきと主張し続ける事に意味はあるのでしょうか?--コサルス 2008年6月24日 (火) 11:50 (UTC)[返信]
いやいや・・・私は定義は設定してませんよ・・・。文字通り「一敗馬」の例を挙げたのですから。「1敗が著名である事」ってこれがまずダウトでしょ、ということを繰り返してるだけなんですが・・・。「負けたことがない」のと「負けたことがある」のは大違いですけど、「1回負けたことがある」と「2回負けたことがある」に大きな違いなんてないんです。負けてることに変わりないのですから。「一敗馬」=「名馬が多い」=「広く認識されていること」(著名性なんかに関連するでしょう)が新たな定義を与えているということは今まで述べた通りです。また、「一敗馬」の意味についても前述の通り、提示しておりますので。国語辞典を資料とできないとするなら話は別ですが。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 12:29 (UTC)[返信]
「一」と「敗」と「馬」の文字通りの意味と、熟語としての「一敗馬」の意味は違います。「四」と「冠」と「馬」と「四冠馬」の違いと同じような事でしょう。あなたが「一」と「敗」と「馬」の意味を合成して熟語としての「一敗馬」の意味としても、それは主観あるいは独自研究にすぎず、ウィキペディアの記事には反映されません。「評判の良い資料」が必要です。繰り返しになりますが「一敗馬」という言葉を無敗を逃した名馬として定義しているのは「評判の良い資料」であって私ではありません。また、『「負けたことがない」のと「負けたことがある」のは大違いですけど、「1回負けたことがある」と「2回負けたことがある」に大きな違いなんてないんです。負けてることに変わりないのですから。』これも、その判断の是非はともかく、内容はあなたの主観あるいは独自研究です。「評判の良い資料」には、負けが一度しかない馬をその理由で大きく取り上げる例はありますが、負けが二度しかない馬をその理由で大きく取り上げる例は知りません。したがって現時点では「評判の良い資料」を根拠に一敗馬と二敗馬には明確な違いがあると言えます。もっとも、もし二敗馬を特筆している「評判の良い資料」があるのなら記事「二敗馬一覧」も成立するでしょうが。--コサルス 2008年6月24日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
その「評判の良い資料」とやらの自説ですよね。1つ?2つ?でさも広く認識されたように言われても信頼しろというのが難しいですよ。大きく取り上げた、ということも検証できませんしね。
「文字通りの意味」を挙げた理由は誰でも納得していただける事柄だからです。「1敗馬」つまり「1回負けている馬」ということは貴方もその説も無論私も異存はないはずです。文字通りというのは、恣意的な解釈でも誰かの主張する説でも私の独自研究でもなんでもない「1敗馬」のシンプルな基本、ベースと言えるでしょう。ただそれだけの意味しかないということの提示するためです。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
「評判の良い資料」の反証となるのは「評判の良い資料」です。熟語「一敗馬」に「ただそれだけの意味しかない」というのは、あなたの主観であり、誰かがあなたの主張に納得したとしても、ウィキペディアの記事には反映されません。熟語「一敗馬」をただそれだけの意味で使っている「評判の良い資料」が必要です。熟語「一敗馬」の本項の定義は「評判の良い資料」から来ているからです。--コサルス 2008年6月24日 (火) 16:20 (UTC)[返信]
いやいや、国語辞典をリンクしてますよ。あれは信頼できませんか?文字通りの意味を調べるならあれを根拠にできると思いますよ。
投げ出すつもりはないのですが、私としては一通り主張はさせていただいたので、Wikipedia:削除依頼/一敗馬一覧に仰いでみたいと思うのですが・・・。--Star-dust 2008年6月24日 (火) 16:37 (UTC)[返信]

この場合、国語辞典は熟語「一敗馬」の定義の裏づけにはなりません。なぜなら、goo国語辞典には「一敗馬」の意味は出ておらず(四冠馬もですが)「一」の意味と「敗」の意味と「馬」の意味の裏づけとなるだけで、それらを合成して熟語「一敗馬」の意味とするのはあなた独自のものですからWikipedia:独自研究は載せない特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成にあたります。すでにあげた熟語「一敗馬」の定義の反証とするには、「評判の良い資料」が必要です。あなたは、私の証明に対して、最初から最後まで、ウィキペディアで反映されるような反証を一切だしていないのですが、それでも削除と主張し続けられるのでしょうか?--コサルス 2008年6月25日 (水) 02:14 (UTC)[返信]

「一敗馬」の意味は出ていない=そもそも「一敗馬」という言葉が独自の理論によって定義されたもだということの裏付けですよね。何度も繰り返すようですが、「ただそれだけの意味しかないということ」を提示したことで、それ以上のすべてを否定する裏付けになります。言葉の意味を提示したことが独自研究になるとすれば、国語辞典はすべて独自研究と仰るのと同じことです。--Star-dust 2008年6月25日 (水) 02:57 (UTC)[返信]
「評判の良い資料」が偏っていると、主観で判断してもウィキペディアでは反映されません。たとえば私はトウカイテイオーを「四冠馬」とする「評判の良い資料」を所有しておりますが、その定義が正しくない事は、それの反証となる無数の「評判の良い資料」によってわかります。しかし、熟語「一敗馬」にただそれだけの意味しかない、と言うのは、あなたの主観にすぎず、すでに「評判の良い資料」で定義された意味の反証にはなりえません。--コサルス 2008年6月25日 (水) 03:34 (UTC)[返信]
この記事、独自研究もそうだけど、単純にデータベースですね。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの項目の査読も必要と考えます。--Aquresia 2008年6月25日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
そもそものデータベースではない、という表現は、S&P500の株価の全ヒストリカルデータをサーバにアップロードしてはいけない、電話帳の電話番号をすべてアップロードするような用途に使用してはいけない、という意義であり、一覧の項目を妨げるものではありません。前者の有害性は明らかですが、後者の一覧があって、誰が困るんですか?
さて、Star-dust氏の一連のコメントは、初期の勘違いは許容するにしても中盤以降は悪質な言いがかりのレベルです。独自研究であるという自分の根拠がことごとく否定されると、「原田俊治氏の独自研究」ということでしょう。さらに、その「評判の良い資料」とやらの自説ですよね。などと、そもそもWikipediaの独自研究とは何が対象になるのか?ってのを理解さえしていないということですね。それは、すべてコサルス氏が説明されておられるとおりです。これ以上、方針に反する独自思想をもとに、疲弊させるのであれば、方針熟読期間を設けるためにStar-dust氏のブロック依頼も視野に入れることも含めて、以下議論していくことを提案します。--Summerwinder 2008年6月25日 (水) 23:41 (UTC)[返信]
お尋ねしますが、出典は原田俊治著「新・世界の名馬」だそうですが、それにおいて「一敗馬」とはどのような定義になっているのですか。そもそもそこが具体的に明らかにされていません。もう1つ。「石川喬司氏も同様の内容を著しており」と仰られていますが、そこについても具体的な出典がありません。反論すべきことはありますが、ひとまずこの点をお聞きしたく。--Star-dust 2008年6月26日 (木) 16:16 (UTC)[返信]
これは私に対する質問でないので、コルサス氏にお任せしますが、さて、一番上にも書きましたが今回のような独自研究についての認識も共有できていないままに、削除依頼を出すのは極めて性急で拙速です。「何が何でも削除したいんだ」というわけではなく、方針に基づいて判断、処理する姿勢を尊重される気持ちがあるのならば、当該削除依頼を自主的に取り下げていただくことをお願いします。ああいう削除依頼の出し方は対話によって合意を煮詰めて、合意にかなわなかった場合のみ投票などにかけるという本プロジェクトの基本方針に違反するものであり、自分ひとりじゃどうにもならなくなったので、似たような感覚の人の助けをもって多数決であわゆくば削除したい、初動の行動を自己正当化したい、というようにしか観察できません。以上のことにどうお考えなのか?基本方針をリスペクトするつもりがあるのかないのか含めお聞きしたいと思います。--Summerwinder 2008年6月26日 (木) 22:55 (UTC)[返信]
本来であれば、削除依頼を出される前にされるべき質問で、今更という気もしますが、お答えします。「新・世界の名馬」のブリガディアジェラードの項に、同じように一回の敗戦で全勝を逃した馬が次の馬達が列挙されています。ガロピン、アイシングラス(原文の表記はアイジングラス)、ブランドフォード、ビッグゲーム、ダンテ、サンチャリオット、ボワルセル(同じくボアルセル)、シカンブル、シーバード、ドナテッロ(同じくドナテルロ)、モルヴェド、レキシントン、サイゾンビー(同じくシソンビー)、マンノウォー、ネイティヴダンサー。原田氏の知識の範囲の中の「名馬」を列挙したようにみえます。石川喬司氏の方は、「原田俊治氏の独自研究」という、ウィキペディアでは削除理由にはなりえない主張に対して、その主張自体も誤りであるとの指摘をするために出したので、今の論点とは無関係ですが、お望みとあらば、説明致します。
さてこちらも、ノートでの議論を省略して削除依頼をだした理由、「原田俊治氏の独自研究」以降、ご本人もウィキペディアで削除理由とはなりえないと自覚されているように見受けられる理由を削除の根拠として主張し続けた理由などお尋ねしたいのですが、今更そんな事を問いただすのも野暮ですので、私は止めておきます。--コサルス 2008年6月27日 (金) 03:38 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。
私が独自研究で即時削除相当と判断したところは、
  1. 出典が提示されていないこと
  2. 「競馬史に残る著名な一敗馬には無敗馬に勝るとも劣らない偉大な名馬がそろっている」など、「一敗馬」という言葉に独自の定義を与えていると判断できること
  3. リスト自体も恣意的な選別によって作成されているように見受けられる
という点です。即時削除はおかしいとご指摘がありましたので、同様の理由で通常の削除依頼に切り替えたのであり、私の正当性云々を目的とするところではありません。
1と3については、本来は、記事を作成した時点できちんと出典を提示されているべき(それ自体の正当性は別として)であり、削除依頼をした時点では出典を示されていませんでしたので、こういう判断になることは仕方ない事ではでしょうか。その後ご提示いただけましたが、ご回答を拝見する限り「定義らしい定義はされていない」と判断でき、「原田氏の知識の範囲の中の「名馬」を列挙したようにみえます」ということは、氏の中で定義されたものを挙げられていると読み取れます。つまり、それ自体を検証できるものではないということが言えるのではないでしょうか。そうすると出典とされているものの、検証できないものであるため資料となりえないものであるということになります。そうすると、この記事では出典にある定義によって並べられているのではなく、編集された方の恣意的な判断で並べられている独自研究であると判断せざるえません。もっとも、定義について質問したのが遅かったのは明らかに私の落ち度であります。
2については、そもそも「一敗馬」という言葉についてのお話であり、言葉の意味についてはすでに申し上げている通り、独自の定義を与えており、この記事で言う定義が一般的でない、広く使われているとするには根拠がないことから独自研究に該当すると判断しました。その中の例示として「一敗馬」という言葉の意についてお話ししたのです。
もしこの記事名のままならば一敗馬の言葉通り、20戦19勝のG1馬だろうが1戦0勝の未勝利馬だろうが、成績にかかわらず1敗の馬を並べたリストになっているべきで、今のような並べ方ならば定義に合う記事名にする必要があるでしょう。--Star-dust 2008年6月27日 (金) 10:22 (UTC)[返信]
まず、名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出す、と言うアイディアは無敗の場合のそれと同様に、競馬界において既存の物であり、特定の出典に依存するようなものではないとの認識がありました。競馬史に興味のある人なら同じように考えている人が多いのではないでしょうか。しかし、出典が必要になったので1例として上げたのが、「新・世界の名馬」であって、「新・世界の名馬」だけが名馬の中から1敗の馬を選び出すアイディアの基ではありません。私自身がこの項目を作ろうと思い立った理由自体が、すでにこのアイディアを出版物等知っていたからです。それはさて置き、独自研究ではないとの、呼びかけに対して、その真偽を確かめるまでもなく、削除依頼を出したのは、やはり問題でしょう。
原田氏が馬を選択した定義について問題とされているようですが、そもそも「名馬」とか「著名な馬」の定義付けは、Wikipedia:ウィキプロジェクトでも再三問題とされており、結局線引きは困難であるとの結論しか出せないのですから、この場合個人の定義の検証に意味はないでしょう。原田氏の「名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出す」定義がわからない、よって「名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出すアイディアは独自研究である」と言うのはおかしい話です。無敗馬一覧も同じように、定義付けが不明確な数々の既存の文献を参考に馬の選別をしているわけですからね。
続きは一番下の記事名に書きます。--コサルス 2008年6月28日 (土) 02:32 (UTC)[返信]

名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出す、というアイディアが私独自の物ではなく、競馬界において既存であると、納得して頂けたでしょうか。そうであれば、論点を記事名の方に移せますが。--コサルス 2008年6月29日 (日) 07:15 (UTC)[返信]

残念ながら、私の主張した件を覆すだけの回答はなかったというのが正直なところです。むしろ、この記事には問題があると認識されているのだと私には汲み取れました。そもそも選別すること自体が独自研究だとは申し上げませんが、選別するには理由があり、定義があるはずです(逆に言えば、ないならば選別する必要性がありません)。出典に示されたもののその一覧ですよ、ということで記事を立項されているのですから、出典で示されている(と思われる)理由・定義を明示し、それの通りに一覧にしていかなければなりません。示された定義にないようなWikipedia編集者による解釈・定義を加えてしまえば、その部分は独自研究だということになります。現状はまさにそこにあるというのが私の主張であります。そして、回答いただいた内容を見る限りではその定義というのは極めて曖昧であり、この記事の正当性を担保するだけの理由となりえていないのです。
それから、「競馬界において既存の物であり」という点ですが、誰かしらが言い出せば既存であるとするなら、どのような理論・主張でも通ってしますから、それを理由とするには問題があります。もし、広く知られている事柄であるというような主張であるならば、例えばスポーツ紙や競馬誌で同じ意味・定義で使われているなどと言った証拠があるべきでしょう。少なくとも私はそのようなものは見かけたことはありません。
記事名を変えて記事を残すと言うならば私も削除依頼を取り下げる用意はあります。すでに申し上げているように、もしこの記事名のままならば一敗馬の言葉通り、20戦19勝のG1馬だろうが1戦0勝の未勝利馬だろうが、成績にかかわらず1敗の馬を並べたリストになっているべきで、今のような並べ方ならば定義に合う記事名、つまりこの記事の現状の定義は「原田氏の定義する著名な一敗馬」でありますから「原田氏の定義する著名な一敗馬の一覧」などといった記事名にする必要があるでしょう。その場合でも「原田氏の定義する著名な一敗馬」の通りでなく編集者による独自の解釈が入る場合は出典がないことになりますから独自研究と判断されても仕方ないことになります。--Star-dust 2008年6月30日 (月) 01:45 (UTC)[返信]
削除依頼の根拠とした当初の主張を撤回されるのであれば、今の削除依頼を取り下げるか、少なくとも、今の依頼ページに明記して下さい。それから、本項は「名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出す」一覧であって、そのアイディアの基の1例が原田氏の本であるわけですから、それに拘る意味があるとは思えませんが。あなたが一度も見たことが無いとしたら、競馬ファンとしては珍しい方だと思いますが、現に存在している1例が「新・世界の名馬」です。もっとも、原田氏が列記している馬は何れも重賞勝ち馬であり、またブランドフォードが入っているのを見ると、今でいうG1に限定しているわけでは無いので、重賞勝ち馬を加える限りは、「出典の定義に基づいている」事になりますが。
また繰り返しになりますが、「一敗馬」が1戦0勝の未勝利馬に対して使われている出典をお願いします。--コサルス 2008年6月30日 (月) 04:32 (UTC)[返信]
えっと、基本的には今までと同じことを言ったつもりなので、現状のままならば当初の問題事由から何ら変わっていない訳ですから、撤回する理由がありません。「1戦0勝の未勝利馬に対して使われている出典」は日本語の意味合いのお話であり、国語辞典を参照くださいということはすでに述べております。私には日本語の意味について国語辞典以上の信頼性や検証できるものを存じ上げません。あくまでこういう解釈も可能であるという極端な例として挙げたものであります。これは定義自体が曖昧ですよという点の指摘ということです。
それから改名議論などの件ですが、これだけ長くやっているのもアレですから、妥協点を探るという意味で「取り下げる用意」があることを提示し、そのために必要なことを示しただけのことです。私としては柔軟に対応できる、もしくは現状ある問題の解決にお手伝いできるだけの余地がありますよという表明であるとご理解いただければと思います。たぶんですが、コサルスさんは記事を存続したいということでしょうから、問題点の提示と解決できるような案をご提示いたした次第であります。--Star-dust 2008年6月30日 (月) 07:53 (UTC)[返信]
あなたが依頼ページに明記している理由は以下のようなものです。
『依頼者票。「負けなしの全勝馬」ならばまだ特筆性や、実績面からも一覧記事にするだけの材料になり得るでしょうが、1敗馬や2敗馬ではその違いは何たるかの定義等が個々の考えによるところが大きくなり、それ単独の記事にするのには無理がある。また、内容的にも現状では独自研究の域を出ず、削除が相当と判断する』
記事名を妥協点とされるのなら、依頼ページにその旨を明記するべきでしょう。また、依頼された時点「名馬の中から1敗の馬を選び出す、あるいは1敗の馬の中から名馬を選び出す事」を見かけたことがなかったのであれば、その存在を知られた今も同じ主張を続けるのは合理的ではありません。
何回か書いていますが、出典とされた国語辞典には、「一敗馬」の定義は出ておらず、各漢字の意味を根拠に「一敗馬」を1戦0勝の未勝利馬と定義するのはあなた独自のものです。これだけでは「一敗馬一覧」に1戦0勝の未勝利馬を加える根拠として不十分でしょう。--コサルス 2008年6月30日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
依頼内容については現状では何も変わっていません。とりあえず貴方がするべきことは
  1. 出典にある定義を記事にの冒頭に反映し、記事上に定義をきちんと明示すること(どの記事にも定義があるのは言うまでもないことですね)
  2. その定義の出典とするものを、きちんと脚注などの形で入れること です。そもそもこれは記事を立項した際にされているべきものです。
これがなされていない現状ではお話になりません。私の挙げた例に噛み付いている暇があるならば、本来すべきであったことをしておいてください。それがなされた後に、いくつかの論点は解消できるものであると思います。--Star-dust 2008年6月30日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
出典等、本文に提示して反映させるべきであるという指摘はそのとおりであり、コサルス氏はその加筆を行って欲しいと思いますが、その加筆が必要である、っていう論点と、だから独自研究で削除依頼ってのとは雲泥の差があります。とりあえず貴方がすべきことは、削除依頼を取り下げて、その上でこういう対話をすることであって、すでにいくつかの論点が解消可能であるという理解なんですよね?その上で削除依頼の要件が変わらないってどういう了見なんでしょうか?そもそも項目の要修正と削除の用件の相違ってのを理解されておられますか?--Summerwinder 2008年7月1日 (火) 02:40 (UTC)[返信]
そもそも、現在の主張なら、Template:要出典を貼り、推移を見守るのが正しい対応であり、性急に削除依頼を出すべきではありません。
依頼をした前提として本項のようなアイディアを見たことがなかったのなら、見たことがない事がなにも担保しない事を指摘するとして、最初の判断については是非は問いません。最初の判断をした時点で見たことがなかった事を知った以上は、判断を正すべきです。
さらに言えば「記事名を変えて記事を残すと言うならば私も削除依頼を取り下げる用意はあります。」等、自分の言うとおりになれば、削除依頼を取り下げる事を示唆しておられますが、問答無用で削除依頼を出しておいて、それを取り下げる事を担保に自分の意見を通そうとするのは、ウィキペディアの根本的な理念に反していると思いますが。
いくつかの論点は解消できるものであると判断される記事の削除依頼を出し続けるのは不適切です。少なくとも現時点で「単独の記事にするのには無理がある。」とか「独自研究の域を出ず、削除が相当と判断する」とは判断していない事を依頼ページに明記して下さい。
続きは著名な競走馬の定義についてに書きます。--コサルス 2008年7月1日 (火) 11:00 (UTC)[返信]
自分の意見を通したいのはお互い様じゃないですか。そうでなかったら、とっくに上記の体裁が整っておられるでしょうに。
やっと改善される旨を明言頂きましたので、すでに表明しておりました通り、削除依頼を取り下げいたしました。後ほどきちんと改善いただけるそうなので、あとは内容及び記事名などについてになるでしょう。何度も申し上げております通り、現状では根本的にまだ改善されているわけではなく、見込みであるという点にご留意ください。--Star-dust 2008年7月1日 (火) 12:35 (UTC)[返信]
要出典について改善される見通しがたった→だから削除依頼を取り下げた、なんて言う理屈は正当化されないので、勘違いの無いようにしていただきたい。そもそも最初からあなたが出した削除依頼が不適切で不当であったのは、ここで再三再四指摘されているとおりです。削除依頼は自分の見解を押し通すための取引の人質じゃないので。この観点についてさんざん指摘されてもなお理解されないようであれば、今後同様の問題を引き起こす可能性が高く、当事者間での対話ではどうしようもないので、第三者の見解含め、井戸端、コメント依頼、要方針熟読のブロック依頼に移行したほうが良いでしょう。とりあえず、Star-dust 氏にひとつお伺いしたい。あなたの削除依頼提出はなお適切であったと主張されますか?--Summerwinder 2008年7月1日 (火) 23:04 (UTC)[返信]

Star-dustさんには取り合えずご理解を頂けて何よりです。--コサルス 2008年7月2日 (水) 02:13 (UTC)[返信]

ご理解って何をでしょう?貴方が対処されると仰られたから取り下げたのであって、今はまだ問題は何も解決していない訳ですが。ある程度信頼して取り下げておりますので、信頼を裏切ることのないよう願うばかりですね。--Star-dust 2008年7月3日 (木) 01:20 (UTC)[返信]

著名な競走馬の定義について

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「重賞競走の優勝馬」で良いのではないでしょうか?ウィキプロジェクト競馬でもその様な事になっていますし。--コサルス 2008年6月24日 (火) 04:52 (UTC)[返信]

重賞競走の優勝馬で1敗しかしていない馬を何頭か追加しました。加筆しておいてこんなことを言うのは恐縮なのですが、項目自体の存在意義に疑問を感じてしまいました。ギャラントダンサーその他の「2歳重賞路線で一瞬輝いてすぐ消えてしまった馬」は果たして名馬なのかと……。こういう微妙な馬は他にも沢山居そうで、現状の基準だと「一敗馬一覧」というリスト自体が極めて玉石混交で無意味なものになりそうです。かといって「微妙な馬」を排除しようと線引きを追加するのも客観的とは言えませんよね。124.85.170.70 2008年6月24日 (火) 16:40 (UTC)[返信]
「G3一勝、一敗は惨敗」の様な馬が大量にでてくる事態となれば、基準の見直しが必要となるかも知れません。--コサルス 2008年6月25日 (水) 02:14 (UTC)[返信]

(インデント戻します)
WP:NOTの観点もあるのですが、一覧系の記事は他にもかなりあるのでそこは考慮しなければなりません。
そこで、コサルスさんが主張されているように、定義未満や独自研究に当たらないと仮定して考えましょう。
拘束力はありませんが、Wikipedia:一覧系記事の作成ガイドラインというのがあります。
詳細はご覧いただくとして、特に

  • 役に立つか?
  • 価値観の衝突を招かないか?

という論点が検討すべき論点でしょう。
Star-dustさんがおっしゃっている問題は主に「価値観」の部分になります。ここは、「名馬」「著名性がある」という曖昧な表現ですと、当然価値観の衝突を招きますし、一覧系記事としては不適切(場合によっては、独自研究にも相当する)なので「価値観の衝突を招く」というのが私の見解です。
 となると、コサルスさんが提案されている「重賞競走の優勝馬」というのはある意味「価値観の衝突」の条件をクリアする有効な条件の1つということになります(削除依頼の存続意見でクサマクラさんもおっしゃっています。)。
 しかし、IPの方が指摘されているとおり、この基準で記載していくとなると、記事としての立項までは否定しなくとも、一覧として特別に取り出すだけの必要性について疑問を呈さざるをえない馬が多数発生します。ちょっと具体的に馬の数を出せる環境にありませんが、競馬の本質から言って一敗馬の方が疑問が出るような馬が出る確率は高いのは間違いありません。
 このままでは、それぞれの価値観があるとはいえ、さすがに、「役に立つ」という基準を満たしているとは言えないでしょう。
 では、一敗馬だけ基準を厳格化して、例えば中央、地方、海外問わずG1勝ち馬に限定した場合はどうでしょう。この場合は、確かに、単独で見た場合「役に立つ」という基準を満たす確率は上がりますが、今度は同類の項目である無敗馬一覧との整合性が問題になります。
 現状では無敗馬一覧の議論ではコサルスさんが提案されている「(中央、地方問わず)重賞競走の優勝馬というのを基準にしよう」という合意形成がほぼされています。「百科事典として役に立つ」ということを考えれば、同類の掲載基準は当然同じであるべきですので、無敗馬が「重賞競走の優勝馬」という点で合意形成されてしまうと、一敗馬も「重賞競走の優勝馬」という基準でなければいけなくなります。つまり、別の基準を作ることは「役に立つ」基準を満たさなくなる、と考えます。一敗馬を他の基準で突っ走ることは「無敗馬も含めて一覧表そのものが百科事典として役に立つものとは言えない」ため、両方とも削除の対象になることになります。それを防ぐために、無敗馬の一覧と一敗馬の一覧、どちらを残すか、どちらが百科事典の一覧として役に立つかと言えば自ずと答は出るでしょう。
 以上のことから、一敗馬一覧は「無敗馬一覧の基準で策定することとした場合、百科事典として役に立つものとは言えない」こと「無敗馬一覧と違う基準を設定することは一覧表のガイドラインから不適当であることから、百科事典としては不適切であると考えられること」こと、「無敗馬一覧と一敗馬一覧の必要性の軽重は前者の方が重要であり、一敗馬の一覧を残すために無敗馬の一覧の基準を変えることは適当でないこと」これらから総合的に判断して、ケースE該当として私は削除が妥当だと考えます。
 ただし、無敗馬が他の基準で合意形成され、かつ、その合意形成の内容に照らし合わせて、一敗馬の一覧を作ることが百科事典として適切である、という判断ができるのであれば、見解が変わる可能性はあります。--theater 2008年6月25日 (水) 11:42 (UTC)[返信]

無敗馬の方が「重勝勝ち馬」で合意に達するのであれば、こちらも同じ基準で問題ないと思います。広い範囲を調査していますが、無敗馬の方と内容の質に差が出来てしまうほどに、格の低い一勝程度の馬が多く見つかるわけではないですので。もし、無敗馬の方が「重賞勝ちが無くても有名な馬は入れるべき」とでもなれば、それに合わせれると問題が出るでしょうが。--コサルス 2008年6月25日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

theater氏 の上記のコメントに反論したいが、そもそもの「百科事典として役にたつ」たたない、なんて極めてあいまいな基準で、それぞれの価値観があるとはいえ、さすがに、「役に立つ」という基準を満たしているとは言えないでしょう。というコメントについては、では、「役にたつ」って基準って何なのか?それぞれの価値観があって、現にこういう項目はあったほうが役にたつと考える私やコルサス氏の価値観において、この一覧が役に立たないという基準は間違っているんですよね。そして、百科事典のひとつの機能として、情報を網羅的に列挙する(株価データや電話帳をUPしろといってるのではない)という役割があります。誰がどう使うなどと、一部の人間の価値観だけで判断しうるものではないし、現実にコルサス氏が独自研究でないとするソースに記述があるように、特筆性は実際あるわけです。
さて、この項目内の各馬の掲載、非掲載基準は、プロジェクトにあるガイドラインで揃える、ということで異論はないと思うのですが、現状これがずれている可能性があるという事実をもって、項目自体が削除、ケースE該当なんてならないので、この理由は明らかに却下です。--Summerwinder 2008年6月26日 (木) 00:01 (UTC)[返信]

無敗馬と同じ基準、との事ですので、地方重賞と、障害重賞も加えました。また、重賞勝ちのない桜花賞2着馬ホクトビーナスについては、当たり前ながら無敗馬の方には「負けた競走に関する基準」がないので、プロジェクトを参考に加えました。--コサルス 2008年6月26日 (木) 06:40 (UTC)[返信]

補足したいのですが、上でtheater氏が指摘している、「無敗馬一覧と一敗馬一覧の必要性の軽重は前者の方が重要であり、一敗馬の一覧を残すために無敗馬の一覧の基準を変えることは適当でないこと」に関して、さらに既存のプロジェクトのガイドラインについてですが、別にそんな大層な拘束力なんぞそもそも無いであろうと思います。一応の基準は合意されているんでしょうが、それはあくまで記事を建てるために必要なものであって、プロジェクトのガイドラインってのは記事のためにあるもんなんですね。それをガイドラインがあるから、この記事の存在が許されない、なんてロジックは本末転倒であり、今回のような新たな立項に際して、なにか矛盾や不都合があるのであれば、プロジェクトのガイドラインのほうを柔軟に修正することは当たり前の様式であるべきだと思います。本項目の記述に際して、たとえばコサルス氏が、杓子定規に既存のガイドラインを適用した場合、なにか記事の存在理由に照らし合わせて不都合、不自然である、と感じられることがあるならば、その場合はプロジェクトのガイドラインのほうを見直すこともありうるし、多少基準がずれようとも、別に閲覧者にとって明らかな支障がでるようなものでない限り許容されてよいし、気になる人がいれば順次追加などしていけば良いだけの話であると思います。--Summerwinder 2008年6月26日 (木) 10:25 (UTC)[返信]
個人的に言えば、一敗馬の方の基準は今の無敗馬と同じ重賞勝ち馬(+G1級2着馬)で良いと思います。しかし無敗馬の方は重賞勝ち馬のみとすると、有名な馬が漏れる事となりますので、基準が代わる余地はあるでしょうが、その際に一敗馬まで「重賞勝ち無しでもOK」とする必要はないと思います。--コサルス 2008年6月26日 (木) 11:00 (UTC)[返信]
まず、「役に立つ」という基準ですが、もちろん、それぞれの価値観があって、極めてあいまいというのはあるでしょう。Summerwinderさんのおっしゃるように役に立つという価値観を否定するものではありません。しかし、既に膨大なリストになりつつありますが、ここまでの数になってくると「競馬で生涯の敗戦が一回のみの著名な競走馬」として一覧を作る必然性は私には疑問に思います。
特筆性についてですが、各馬の削除の審議の際に賛否が割れているように、これもそれぞれの価値観があるものではないでしょうか?この部分については、コサルスさんが根拠とされている原田氏の言う「名高い名馬」としての「一敗馬」と、現在の「一敗馬」の一覧では内容が全く異なるため、必ずしもあの記述をもって特筆性がある、と断言するところまでは言えないと思いますが、私の考えは色々な角度から整理している所ですので、回答は差し控えます。
あと、私の見解が却下、ということですが、Summerwinderさんのお考えや私の考え、その他の方の考え、どの考えが受け入れられるのかは、これからの皆さんの議論によって決まるものではないでしょうか。私は削除が妥当ではないか、と意見を申し述べましたが、大多数の方々にとって有意な一覧となるのであれば、絶対削除することに拘るものではありません。
あとは、「無敗馬一覧と一敗馬一覧の・・・」というくだりですが、簡単に申し上げれば「両方見た場合、同じ基準で掲載しないとわかりづらいだろう」ということです。この部分はこれまでの議論とは別に記事名を変えれば解決する問題ではありますね。--theater 2008年6月26日 (木) 15:30 (UTC)[返信]
膨大なリストであれば一覧の必然性がない、という論点にも疑問を呈します。なぜかWikipediaは全体としてこじんまりとしてまとまっていなければならない、という根強い独自思想があちらこちらにあるのは観察していますが、せいぜいこの程度の一覧、データ量を膨大であるから、と切り捨てる意味はどこにもありません。現状別に閲覧者を疲弊させるような一覧ではないし、万一仮に将来的に閲覧に支障がでるようなそれこそ膨大なリストになれば、この流儀どおり適当な分類によって分割すれば良いだけの話です。
根本的なネット百貨辞典のあり方というポイントになりますが、ボトムラインとして、特にウィキペディアのような百科事典しかもレガシーな形態でないものにおける記述の要、不要なんてものは、極論すれば、誰か有用であると感じるものがいれば、それで記事の存在理由は満たしていると言えます。100人閲覧者がいてそのうち30人くらい有用と考えなければ記事の存在は許されない、と考えているような利用者も少なくないですが、この考えはネット利用という特性から明らかに誤りです。インターネットにおいてはロングテール効果が力を持っています。このプロジェクトしかり。こういう一敗馬もロングテールの中にあるかもしれない。しかし、尻尾の部分であるから、とこういうように一部の不要論者の思想でどんどん切り捨てていったら切り捨て総計は全体の情報におけるウェイトは最終的にめちゃくちゃ大きくなるんですよ。いたるところにこの手の切捨てが発生しており、しかもこういうマイナーではあるが面白い情報が100人中30人以上の有用性がない、みたいな微妙なところで切り捨てられている。「それほど価値はない」なんて言うのは簡単ではあるが「ある程度価値はある」という物言いがついた時点で残しておくべきです。価値観がわれた、と今回認識された時点で記事はなるべく残すべきであり、情報をむやみに削らないというのはガイドラインではなく、このプロジェクトの根本の方針にも明示されているはずです。
つまり大多数の方々にとって有意な一覧となるのであれば、絶対削除することに拘るものではありません。という考え自体が誤りです。一敗馬について扱っているサイトはごくわずかしかない。記録マニアの競馬ファンぐらいにしか有用性がない一覧はWikipediaにとっては不要という点に至っては、要するに、一敗馬について特筆的に扱っているサイトが現実に存在して、記録マニアの競馬ファンの需要があり有用性があるという事を認識しておられるわけですね?彼らにとっての有用性、需要を切り捨てる権利はあなたも含めて誰にあるんですか?そもそもそれぞれの百科事典の項目なぞ膨大な項目のなかからその記事に興味があるごく一部の人間のみが閲覧しているのが百科事典というものであり、大多数の人間が有意に感じられる記事なぞ存在しません。もうちょっと根本的なウィキペディアの記事とはどういうものか、ということをお考えになることを進言いたします。--Summerwinder 2008年6月26日 (木) 19:36 (UTC)[返信]

出典の明記の仕方等ですが、現在無敗馬一覧のノートで合意が形成されつつあり、近々改訂が行われるようですので、それを参考にしたいと思います。--コサルス 2008年7月1日 (火) 11:00 (UTC)[返信]

横から失礼します。この記事の場合は無敗馬一覧とは違い、原田氏や石橋氏が「一敗馬」をどのように定義しているのか明記する必要があると思います。今のように「原田俊治氏の著書」のような曖昧な書き方で具体的にどの本でどのように定義されているのすらはっきりしない状態を解決されることをコサルスさんにはお願いします。--使いの者 2008年7月1日 (火) 13:34 (UTC)[返信]
ノートの中ほどに書いてありますが不十分でしょうか?--コサルス 2008年7月2日 (水) 02:13 (UTC)[返信]
原田氏の場合本のタイトルが「新・世界の名馬」まではわかりました。しかしこれでは原田氏がその本の何ページでどのように「一敗馬」を定義しているのかまではよくわかりません。原田氏が本の中で「一敗馬」についてどのように書いているのか、定義を引用などをしながら記述することが必要でしょう。あと、石川氏についても同様です。--使いの者 2008年7月2日 (水) 07:53 (UTC)[返信]
定義部分については他記事を待たず、今すぐにでもできることであると思うのですが。当記事に関する定義なのですから、他記事を参考にする必要性というのは甚だ疑問です。--Star-dust 2008年7月3日 (木) 01:20 (UTC)[返信]

記事名

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「一敗馬」という記事名も問題視されているようですが、例えば生涯の敗戦が一回のみの競走馬の一覧などに改名すれば少しは解決しますでしょうか。カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧のように。--fromm 2008年6月27日 (金) 04:30 (UTC)[返信]

独自研究の最後の方からの続きです。
「一敗馬」については、これは一般的では無い珍しい競馬用語であり、意味としては無敗馬一覧の無敗馬と同じようなものと私は認識しています。
こちらでこの有様ですので、無敗馬一覧に飛び火するような事は書きたくなかったのですが、もう飛び火しているようなので書きますと、無敗馬一覧である以上、無敗馬の定義に入る馬を除外していたら、「無敗馬」に新たな定義を加える事となり、編集者の独自研究となります。今の無敗馬一覧に、間違いなく無敗であるナイスベンゲルやエイブルカグラが無いにもかかわらず、問題となっていないのは、出版物であれ、放送であれ、ナイスベンゲルやエイブルカグラを「無敗馬」と定義する出典が無いからでしょう(違う理由で同じ結論となっている人も多いでしょうが)。したがって、逆に、競馬界で無敗馬と呼ばれる事が皆無のナイスベンゲルやエイブルカグラを無敗馬一覧に加える人が出てきたら、そちらの方が「無敗馬」に独自の定義を与える事となり独自研究にあたります。
「一敗馬」はほとんど使われる事がない用語ですが、現に存在しており、「一敗馬」と呼ばれているのは、既に上に書いた名馬たちです。逆に伺いますが、この定義が「独自」なら、「一敗馬」の独自ではない定義とは何でしょうか?
確かに何の予備知識もない人が見れば、一と敗と馬の意味から、単に一敗をしている馬、ととるでしょうが、それは必ずしも、原田氏の与える意味が独自である根拠にはならないでしょう。なぜなら、無敗馬の場合と同様、1戦0勝の未勝利馬を「一敗馬」と定義する出典が無いからです。既に上でトウカイテイオーを四冠馬と呼んだ記事について書いていますが、この場合はこの記事の「四冠馬」に与えた意味が独自であり偏っている事は、他の出典との比較でわかります。しかし「一敗馬」の場合は、原田氏とは違う意味を与えた出典はありません。逆にネット上でわずかに見つかる一敗馬、1敗馬の意味は原田氏のそれと近いものです。それは単に「一敗馬」という言葉がほとんど使われていないためかも知れませんが、独自の意味を与えているのがどちらの方か、と言えば、出典がない方です。
ただ、「一敗馬」という用語がウィキペディアの記事の題名とするにはあまりにも知られてない、と言う話でしたら、たしかにそうかも知れません。より適切な題名について検討してみる価値はあると思いますが、個人的に言えば、「一敗馬一覧」には内容も類似している「無敗馬一覧」との類似性もあり、適切な題名ではないかと思います。--コサルス 2008年6月28日 (土) 02:32 (UTC)[返信]


備考

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利用者:Summerwinder会話 / 投稿記録さんはWP:FXSTの疑いあるいは模倣として無期限ブロックになっております。--Star-dust 2008年7月3日 (木) 01:20 (UTC)[返信]


定義文等

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無敗馬一覧の定義文の案として「この一覧に含まれる馬は、競馬で無敗であり、その無敗の記録の中で重賞競走に勝つなどの優秀な成績を残して現役を引退した馬」というのが出ていますので、一敗馬一覧は無敗馬一覧と類似する一覧ですから、両方が似た表現を使う方が利用者にもわかりやすいと言う点も考慮して、この表現を基礎とした定義文を作りたいと思っています。今すぐにでも出来ると思いますが、他のノートで検討中の案を先にやってしまうのは礼儀に反しているでしょうから、待っている所です。内容は一敗のみの重賞競走に勝つなどの優秀な成績を残して現役を引退した馬の一覧です。原田氏の上げた馬とも矛盾せず、その他ネットで見られる例と比較しても整合性があり、類似する無敗馬一覧の基準と同じであり、プロジェクトの著名な馬の目安とも合っていますし、今のところ、定義どおりの馬の一覧になっています。参考文献に関しては、他を待つ必要はないのでやっておきます。--コサルス 2008年7月3日 (木) 02:14 (UTC)[返信]

無敗馬一覧の定義と整合性をとること自体はいいと思いますが、同時に原田氏や石川氏による定義を示すことが非常に重要だと思います。「無敗馬」と比べると「一敗馬」はインターネットで検索をかけてもヒット件数が明らかに少ないですし一般に馴染みが少ない言葉と推測されますから「無敗馬」とまったく同じ説明ではまた「独自研究ではないか」と削除依頼にかけられてしまうこともありえるでしょう。ちなみに無敗馬の「一敗馬」の項目に「生涯一敗のみの名馬が、無敗の名馬と同様に、その強さと1回のみの敗戦を基に語られる事は多くある」と記述している人がいますが、あれでは単なる事実の説明で定義とはいえません。定義を示すこととは、両氏が実際に本の中でどのように「一敗馬」を定義しているかを示すことです。--使いの者 2008年7月3日 (木) 04:50 (UTC)[返信]
原田氏の記述の内容については、ノートの中ほどに大まかに書いてありますが、不十分でしょうか?あまり詳細を書くと著作権の問題も出てきてしまうと思いますが。もし最寄の図書館等で原文を読めるようでしたら、ご自分で確認されるのが良いのでは無いでしょうか。石川氏の方は、論点となった所と直接は関係ないのですが書きますと、「ターフ百景」の中でリボー等無敗の名馬と同時に、惜しくも全勝を逃した馬としてマンノウォー等を書いていました。その部分の主題がキンチェムです。勘違いをさせてしまったとしたら申し訳ないですが、石川氏の方は「一敗馬」は使っておりません。--コサルス 2008年7月3日 (木) 09:15 (UTC)[返信]
原田氏が「新・世界の名馬」の中で一敗馬をどのように定義しているかを示してほしいということです。もちろん著作権を犯すことは許されないと思いますが、原田氏の定義を引用することイコール著作権違反ということではないでしょう。そのあたりはうまく折り合いをつけて下さい。要はどういう基準で彼らがそれらの馬を列挙しているのかを、競馬に詳しくない人が読んでも分かるように示す必要があるということです。本の題名と、原田氏が定義に照らし合わせて選んだ馬だけを示すというのでは明らかに不足です。--使いの者 2008年7月3日 (木) 09:44 (UTC)[返信]
「ただ一回だけ負けを経験した名馬(あえて一部言葉使いを変えましたが、意味は同じです)」だそうです。305ページが該当部分ですので、正確な記述に興味がおありでしたら、原文をご確認下さい。--コサルス 2008年7月3日 (木) 10:20 (UTC)[返信]
ありがとうございます。そうなると、何をもって「名馬」とするかが今後問題になりそうですね。一覧をざっと見たところ3戦2勝の馬の中には「名馬」かどうか疑わしい馬もいます。はたして小倉2歳ステークス程度の重賞を勝っただけで「名馬」としていいものか。また記事名もよりわかりやすくするために「一敗の名馬」などとするべきかもしれません。おそらくいま挙げた点は今後の議論で問題になるでしょう。--使いの者 2008年7月3日 (木) 10:28 (UTC)[返信]
「名馬」の定義は永遠の論点でしょうからね。エイシンイットオーなどは小倉3歳ステークスでの破天荒なレース振りが強く印象に残っておりますが、名馬であるか、と聞かれれば?なのは事実です。しかし、その一方で明確な線引きができない以上は、ある馬について誰か主観で「名馬である」「名馬ではない」とするのも不適切であろう、という点もあるでしょう。--コサルス 2008年7月3日 (木) 10:37 (UTC)[返信]
個人の主観でなく協議の上合意を形成する必要があるでしょうね。「名馬」とある以上はただの重賞馬より基準は高くなる可能性は十分あるでしょう。--使いの者 2008年7月3日 (木) 10:42 (UTC)[返信]
ある馬について「名馬ではない」と言ってしまう事に納得できない人は多いでしょうな。取り合えず、原田氏が上げた馬の内、ブランドフォードは4戦3勝で勝った重賞は今で言うG2ですので、必ずしも高い基準でなければならない、という訳ではないと思います。--コサルス 2008年7月3日 (木) 12:26 (UTC)[返信]

お知らせ

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広く意見を募るため、Wikipedia:ウィキプロジェクト 競馬に提起いたしました。今後の議論はウィキプロジェクト 競馬において広く行われることを望みます。--Star-dust 2008年7月4日 (金) 06:47 (UTC)[返信]

1敗だった馬を成績で分類するして、1敗の馬を一覧から排除する事は根拠が乏しいという事で、すでに記事のある馬は全て対象という前提で再立項しました。ただ、一覧として価値を考えれば、一定の成績を残した馬なら一覧に入っていた方が望ましいと思いますし、一覧記事のガイドラインをみても、必ずしもすでに記事がなければならない、とはなっていませんので、どのあたりまで、掲載できる馬の範囲を広げるのかをここで話したいと思います。また、最初に書いた点については無敗馬の方も同様だと思います。--コサルス 2008年10月8日 (水) 10:12 (UTC)[返信]

削除された記事の改善なき再投稿として即時削除しました。コサルスさん自身が出した復帰依頼に、反対が多数出たのはご存知でしょう。こういうのはまずいです。ウィキペディアは、一人の信念で突っ走れる場所ではありません。コサルスさんは、ここをあきらめても他の記事で良い執筆ができる方だと思います。無理押しはしないでください。--Kinori 2008年10月9日 (木) 05:07 (UTC)[返信]
あれならなんとかなるようなものだった気もしますけどねぇ・・・復帰依頼が出ていたのは知りませんでしたが。--Star-dust 2008年10月9日 (木) 05:55 (UTC)[返信]

考えて見ると、ここでは存続で合意に達していたですよね--コサルス 2009年1月27日 (火) 09:39 (UTC)[返信]