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ノート:ヴィクティマエ・パスカリ・ラウデス

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Aotakeさん、原語と対比しやすい良訳だと思いました。--Rp21 2006年9月4日 (月) 16:22 (UTC)[返信]

続唱

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キリスト教カトリック教会聖歌の一つ。

セクエンツィアの一つで、復活祭ミサのためのもの。

に以下の説明を補足したい。

セクエンツィア ( Sequentia) の項目にもあるように日本語では「続唱」という言葉が使われている。

復活の続唱は、トリエント公会議以降に残された数少ない続唱の中の一つであること。

続唱は本来「ハレルヤ唱」の前に歌われていたが、現在では前に歌われる。

日本のカトリック教会では「典礼聖歌」351番に日本語による「復活の続唱」が収められている。--Kei Shirasaka会話2023年4月9日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

Credendum est ... の soli の訳について

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Credendum est magis soli Mariae veraci について、soli (孤独な) が訳出されていないように思えます。「真実を語る孤独なマリアを信ぜよ」や「真実を語る孤独なマリアは信ぜられるべきである」あたりはいかがでしょうか?

参考: https://latin.stackexchange.com/questions/21560/whats-the-meaning-of-soli-in-this-sentence/21564#21564--koba-e964会話2023年9月21日 (木) 12:31 (UTC)[返信]

こんばんは。キリスト教についてはあまり知らないのですが、直訳ですと、「真実のマリア一人をもっと信じるべきである」くらいでしょうか。後のturbaと対比されているように感じます。「信じるべきは一人 真実のマリア 嘘偽りの ユダヤの群衆ではなく」みたいな。--プブリリウス会話2023年9月21日 (木) 12:54 (UTC)[返信]
上の stack exchange にも関連する話がありますが、「一人」という表現だと 「マリアのみを信じるべきである」という解釈が可能になってしまいますが、その解釈は誤りのようです。「イエスの復活を見た時一人きりだったマリア」という解釈のようなので、自分で言っておいて撤回しますが「孤独」も違う気がします。難しいですね…。--koba-e964会話2023年9月21日 (木) 13:06 (UTC)[返信]
なるほど、神だけを信じるということに反するわけですね。それだと、一人だったマリア、ではどうでしょうか。一人だったマリアを、多くのユダヤ人よりも、という感じです。--プブリリウス会話2023年9月21日 (木) 13:32 (UTC)[返信]
「神だけを信じる」というのはそういう教義があったかどうか自信がありません。「一人だったマリア」はかなり良いと思います--koba-e964会話2023年9月21日 (木) 13:53 (UTC)[返信]
ありがとうございます。良く見ると、カトリックではこの部分は歌われないようですね。やはり、マリアだけを、と受け取れてしまうのが問題とされたのでしょうか。自分の薄いキリスト教の知識から考えると、大勢ではなく一人を信じなさい、というのは、大勢のユダヤ教の指導者よりも、キリスト一人を信じなさい、というようなところに通じるのかな、と思います。そう考えると、マリア一人を、でもあながち間違いではないのかなと。どちらにせよ、あまりこだわりはないので、最終的にどうするかはお任せします。--プブリリウス会話2023年9月21日 (木) 14:02 (UTC)[返信]

A mortuis について

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a mortuis の mortuis は mortuus (死者) の複数・奪格なので、日本語訳は「死者たちの中から」などとするのが適切に思えます。--koba-e964会話2023年9月21日 (木) 13:22 (UTC)[返信]

こちらはその通りかと思います。--プブリリウス会話2023年9月21日 (木) 13:33 (UTC)[返信]