ノート:ロシア出兵
第一次世界大戦からの転記
[編集]第一次世界大戦で記述するには詳しすぎる内容があったため、こちらに転記いたします。ロシア出兵の記事を執筆するときの参考になれば幸いです。--ネイ(会話) 2018年2月4日 (日) 14:58 (UTC)
ロシアが戦争から離脱したことで、日本、イギリス、アメリカをはじめとする連合軍は、革命政府に対抗する皇帝派を支援するため、革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出することを口実にロシアへ出兵した。ウィンストン・チャーチルの立案した連合軍のロシア出兵は、『北ロシア出兵』『南ロシア出兵』『シベリア出兵』の三正面作戦をボリシェヴィキ政府に強いるものであった。
『北ロシア出兵』[1]とは、ドイツ軍が介入していたフィンランド内戦や北イングリア共和国独立を避け、アメリカの北極熊遠征隊とオーストラリア軍を主力とする部隊のバレンツ海(白海)に面したアルハンゲリスク上陸してニコライ・ユデーニチの北西軍を支援し、北西からモスクワへ圧力をかける作戦である。ただし、もう一つの目的は、Mansfield Smith-Cumming指揮下のイギリス情報局秘密情報部による1918年8月30日のウラジーミル・レーニン暗殺を狙った「ロックハートの陰謀(Lockhart Plot)」[2]と呼ばれる計画である。この計画に関してブルース・ロックハート大使に随行してシドニー・ライリーがムルマンスクとアルハンゲリスクに送り込まれた。暗殺が失敗した結果、赤色テロによる弾圧が激化した。このときの傷が原因でレーニンは1924年に死亡した。ボルシェビキに駐露大使ジョージ・ブキャナンとロックハートが逮捕されると、イギリス当局も報復措置として英国内で活動していたゲオルギー・チチェーリンと駐英代表マクシム・リトヴィノフを拘束した。外務人民委員(外相)に就任したトロツキーが交換を申し出たため、双方とも釈放され、帰国した。このチチェーリンが『シベリア出兵』を大きく左右することになった。
『南ロシア出兵』[3]とは、イギリス空軍(221, 266, 47 飛行隊)の支援を加えたドン軍、ドン・コサック軍、デニーキン軍、によって南からモスクワへ圧力をかける作戦である。白軍側には、クバーニ人民共和国、ドン全大軍、ウクライナ国など。赤軍側には、緑軍、黒軍、Black Guardsなど。
1917年12月、アントーン・デニーキンがドン地方で義勇軍を組織、連合軍の援助を受け赤軍に対する強力な戦線を張った。1918年から1919年にReginald Teague-JonesのMalleson Missionがザカスピ州のカスピ海横断鉄道で実行された[4][5]。1918年9月、26人のバクー・コミッサール処刑。白軍が支配したトランス・アラル鉄道沿線の旧トルキスタン総督府領内のボルシェビキ政権では交通途絶による深刻な飢饉に陥った。1918年11月、ドイツ革命が起こると、連合軍は出兵の意味を失った。1919年、南ロシア軍を結成し反撃を試みた。1920年、連合軍は撤退した。
『シベリア出兵』[6][7]とは、日本の浦塩派遣軍とアメリカ遠征軍の支援を受けたアレクサンドル・コルチャーク率いるロシア臨時政府軍が太平洋側のウラジオストクから上陸し、ピエール・ジャネン将軍(Pierre Janene Generals Siberia)指揮下のチェコ軍団とフランス陸軍が確保しているシベリア鉄道沿いに東からモスクワへ圧力をかける作戦である。チェコ軍団は当時の陸戦では最先端兵器であった装甲列車を効果的に運用し、重火器と機動性を兼ね備えていたため、電撃的な武装蜂起が可能であった。
脚注
- ^ Clifford Kinvig, "Churchill's Crusade: The British Invasion of Russia, 1918-1920", Hambledon Continuum (2007)
- ^ http://www.bbc.co.uk/news/world-12785695
- ^ John Smith, "GONE TO RUSSIA TO FIGHT: The RAF in South Russia 1918 to 1920", Amberley (2010)
- ^ Hopkirk, Peter (1990): The Spy Who Disappeared, Victor Gollancz
- ^ Hopkirk, Peter (1994): On Secret Service East of Constantinople, Oxford University Press
- ^ George Frost Kennan, "Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917-1920, Vol. I", Princeton University Press (1989)
- ^ George Frost Kennan, "The Decision to Intervene: Soviet-American Relations 1917-1920, Vol. 2", Princeton University Press (1989)